作家でごはん!鍛練場
ボボう・げよ

 一日を過ごした人は、見たり触れたり感じたりしたものごとのほとんどを、忘れてしまう。
 だれかが発した聞きなれない単語、鼻をかすめていった非日常的な匂い、目に飛び込んできた色、めずらしい形。あるいはもっと些細なこと。例えばチャイムが鳴る直前に起こる、授業中のあの、音のないざわつきのような。
 記憶が定着するしないは、そのメカニズムを知り尽くしていないわれわれにとって、今でも謎に満ちた領域といえるだろうか。ある人はこの忘却をありのまま引き受け、あるいは主だった出来事を日記帳に書き留めようとする。人が集まったなら、記憶と忘却とは人の能力を測る拠りどころのひとつとなる。個々の人々はしかし、この忘却の厚みこそが人間なのだと、心のどこかで思っている。

 ミルクが注がれたコップは、視野の端でとらえられたままだ。父親の視線は左手に持ったスマートフォンの画面から、まだしばらくは離れそうにない。それでも右手は卒なくコップをつかみ、男にしてはきれいな口許にはこぶ。
 有機野菜のプレートとスモークチキンの厚切りハム、気泡のおおきなサワードウ、脂肪燃焼のサプリメント。ナイフかフォークが皿にあたる音。朝食のあいだ会話は聞こえない。それでもなんどか始まりそうなタイミングは訪れる。父親が一瞬だけ目線を母親とこどもに向けるのだ。しかし母親が気がついた時にはすでに、彼の視線はスマホ画面にもどっている。あっという間だった。すでに眉間には二本の深い皺がある。一パック千円弱のミニトマトをこわい顔で咀嚼している。ここで話かけたところで目の前にいる男の機嫌をそこねるだけだろう。貴金属や商品先物、仮想通過の値動き、経済指標、部下や取引先からのメール、不愉快なニュース。彼には彼だけの世界があって、そこは他人がこじ開けて入れる場所ではない。そう易々と入れるものであれば、自分たちにはまた違った現在が訪れていただろう。
 出逢った頃はこうではなかった、と彼女は思う。頼みもしていないのになんでも手伝ってくれたし、他愛のない話にだって真剣に耳を傾けてくれた。遊園地のゲート傍で風船をもらってきた、ガス入りのふわふわ浮く風船。やさしい眸。初めてのセックス。仔猫のように震えていた長い指。
 ねえ、という彼女の呼びかけに不満の表情で応じたのは、約束した食費の額を超過した結婚後すぐの時期だった。二千円弱の使い過ぎ。彼女はそこで話し合わなかったから、根気強く聞き出そうとしなかったから、もしかすると理由はほかにあったかもしれないが。いや、おそらくあったのだろう。所得の多寡と精神的安定との複雑きわまる関係は、ジョルダン曲線などで表せる類のものでないはずだ。
 母親はできることならこのダイニングで会話がしたい。こどものためにも。保育園の先生から、あのショートカットが似合う先生から夫婦の交わす会話がこどもの言語習得に役立つといわれた。まだ焦らなくていいですよ、とも。父親はその話をもっともだと聞いていた。そう、もっともだと。
 この後、彼らは空港の国際ターミナルに向かう。行き先は父親の留学先だったハンブルク。二個のスーツケースの上にコートとバッグが載っている。彼らの娘は喃語とも奇声ともつかない声でアンパンマンのおうたを歌った後、イチゴを食べたきり椅子にぐったりしている。手脚をバタバタさせて疲れたらしい。

 うわの空でパスポートをぱらぱらとめくる女の人。借り物なのかオーバーサイズのロングコート。ウールのマフラーは毛羽立っている。女の人はトートバッグひとつを片手で抱え持ち、通路傍のシートに浅く腰かけている。
 今、思い出したように細い目を見開いて、外を気にしはじめた。あの高い天井まで続く、おおきな、とてもおおきな、壁を兼ねた何枚ものガラス。今日まで沢山の人がこのガラスを通して外の景色を眺めたことだろう。なにもかもがよく見える。たとえば果てしなく続く雨雲の濃淡。こちらに迫ってくるかのような旅客機の丸々とした機体。周辺を行き交う小人のような整備員たち。
 ぶどう色だった。通りがかりの幼い女の子が父親に抱えられた高さから、外を眺めている女の人の脣がぶどうのように蒼ざめているのを、目にとめた。あれは口紅なのか。ホクロや痣より色素は薄いものの、だとしてもしかし、不自然な蒼さだ。蒼は空気に触れている粘膜のほとんどを覆い、そして不規則にはみ出している。彼女は短い人生のなかでこんな脣を見たことがないし、これからだっておそらくはないだろう。見慣れないものが恐怖にむすびついたか、ドキンちゃんを象ったちいさなリュックを背負ったこどもは、それ以上なにもできずにいる。あとすこしばかり成長していたなら、声に出して両親につたえていただろうか。そこで彼らがチアノーゼの疑いをもつなりすれば、すみやかに対処に動き、事なきを得たか。
 それにしても女の人の身になにが起こっているというのか。あるいはもしかすると、こどもが目にした脣は、光の拡散や屈折によって実際のものとは別様に見えたのだろうか。チョウやミツバチや一部の人に見える紫外線の影響だったというのか。でも実際に、そんなことが起こりうるか。女の人が白いフェイスマスクのヒモを耳にかけた。
 女の子はあの口許をのぞいた彼女のことを、明日の朝、どれくらい覚えているだろうか。眸の色、目と鼻の形、目尻の皺、顔の輪郭、髪型、体型。おそらくはなにひとつとして覚えていないだろう。脣の記憶にせよこれからゆるやかに薄らいで、あるいは形を歪めながら忘れてゆくに違いない。でもいつか、この子がすっかり年老いて、石に似た手触りをもって死を意識しだした頃、ふと思い出すことがあるのだろうか。その時彼女はなにをしている? 押し入れの整理にとりかかっていて、使わなくなった広口の花瓶を手にしたところか。インクの滲んだ絵葉書を目にしたか、探していた老眼鏡をようやく見つけたところか。朝からだれとも口をきいていない日曜日、湯気のたつサツマイモの皮を、指先のいちばん爪にちかい部分で剥いている。老いて爪が硬くなってから前ほどの頻度では切らなくなった。めんどうなのだ。めんどうはほかにもある。動かなくなった洗濯機の前で、この白い塊をどうするか迷っている。修理にだすか、買い替えを安いものですませるか、中古をあたってみるか。寄りかかって電子レンジの音を待ちながら、夕食をあと何べんひとりで摂るのかという疑問が、ふとあたまを過ぎる。思いがけず具体的な数字が降ってくる。想像というか、期待していたのよりも多い。受け入れがたい数ではない。だが素直に受け入れる気にはなれない。いやだという。白づくめの診察室で、あくまでも検査するための入院ですからと大学病院の若い医師。
 それとも思い出す機会なんて、一度もないのか。
 柔らかい脂肪につつまれたこどもの身体は、父親の肉が盛りあがった腕にだっこされて、搭乗口に向かってゆく。そしてこの瞬間、オートウォークにずっしりと、父親のおおきなスニーカーが乗った。

執筆の狙い

作者 ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

はばひろい大人の読者を対象に書いたつもりです。ですがまだ書き切った実感はなく、おそらく今後膨らませてゆくのではないかと思います。その際思い切った書き直しが必要だろうと。そういったわけで、書き手の目を離れた状態を見ておきたく、投稿いたします。
自他ともにみとめる下手の横好きなので、感想やご指摘はすべてぼくなりに真剣に受け止め、検討材料にさせていただきます。一歩でも二歩でも成長したい。
ほかにも「どこまで読めた」という栞のような一言だけでも残していただけると大変ありがたいです。よろしくお願いします。

コメント

田毎の月。
n219100086103.nct9.ne.jp

画面眺めて、終わりました。

ここのサイトあるある〜 な、「文章の羅列に終始した退屈さ」で、、、

【ストーリーがない】んです、ストーリーが。

物語の動きが、話の顛末が〜。

なんもない。



「心情」すらない、ただの「どうでもいい傍観レポート」で、、、

それ(情景の傍観レポート)ならそれで、エッセイ書いてる人はもっと的確に、訴求力持ってまとめる。




この文章の「語り手」が誰なんか(どんな人なのか)判然としないんですけど、

それ(文章の語り手)明瞭にされたとしても、

その語りにまったく興味持てないし、


要するに「とてもつまらない」し、「中身がない」。



ただ、「なんか文章書くための、うだうだ文章」って感じだ。

田毎の月。
n219100086103.nct9.ne.jp

初心にかえって、【キャラを生み出す、物語を作る】ことから真面目にやらないことには・・

何書いても「こんなん」で、このう「じゃうじゃ散漫無味乾燥」の域を出ない・・でしょう。



「こうなって滅びてく」んが、

ここのサイトの「最もたやすくベタな道」。


なんで、自分的には《絶対こっちに走っちゃイカンなー》と、いつも思わしてもらってる。



そして、コレに遭遇するたんび、感想欄に正直なとこ(苦言)明記してんだけど・・



こっち(=うじゃうじゃ散漫無味乾燥、だから何? 原稿)に行くも、

そこにとどまって自己満足に耽るも、

「作者の自由」でしかないんで・・



よけいごとと聞き流してもらって構わない。



で、【レスは要らない】です。

もらっても多分読まないので、無駄になります。

sp1-75-6-50.msc.spmode.ne.jp

> でもいつか、この子がすっかり年老いて、 とここから話がズレていくところとそれに続く、> オートウォークにずっしりと、父親のおおきなスニーカーが乗った。
とのこの奇抜な視点は面白いと思いました。で、>でもいつか、 までが詰まらないかというと微妙なところで(一度やめたけど結局さいごまで読んだのだから詰まらなくはなかったのだろう)、どう読めば面白くなるかと考えアアそうか"助走"とみなせば微妙な感じが愉快になり得るのかもしれないと思い再読したところ、やはり助走にはなっていないな、あまり良くないな、特に冒頭から行開けまでの記憶云々は不要だなと思いつつも、いやもしかしたら読み手(ゐ)の助走にはならないけれども、書き手(ボボうさん)の助走だったのかな、なんて、マアそんなところです。

京王J
sp1-75-228-89.msc.spmode.ne.jp

ボボ様

読みました。

ボボ様はコメントは面白いのに、作品にはコメントの面白さが出ていないのが残念でした。

どうしても、上の月婆ァと同様の感想を持つ人が多いと思われるのが、とても心苦しいです。胸が痛いです。

別にストーリーもキャラクターもなくていいのですが、ボボ様のこの文章では、「なくたって構わない」と言うことができません。それが私も辛いです…

しかし、企みは感じます。
「彼女」との思い出と、空港での見知らぬ家族の姿を交錯させて、何かを浮かび上がらせようとしています。だけどその何かは、まだ読者には伝わってきません。漠然としています。きっと自分のなりのテーマがあってのことなんだと思います。

これから膨らませるところだと思いますから、膨らんだ姿を期待しています。

sp1-75-6-50.msc.spmode.ne.jp

> でもいつか、 からさっき話がズレていくと抽象的に書いたけれど、考えがすこし具体的になった、つまりデモイツカからは些細なことがふと思い出される"記憶の気まぐれさ"が幼いときを起点として生涯を俯瞰するように書かれている、それを私は良いと感じた。

そうげん
182-166-172-59f1.shg1.eonet.ne.jp

会話のない食卓の風景、食べるものはお金がかかっているのに、父と母と子が楽しい時間を過ごしているとはとてもいえない風景。この短編では、冒頭に記憶と忘却についての短文、中ほどに互いに心の離れた家族の食事風景、末として空港での女の子の観察したことと遠い未来に起こり得るであろう予測。小説というよりはスケッチ、素描。外観と内面を双方、まず描いてオブジェを舞台に出現させて見たといった感覚で捉えられました。父と母の気持ちのくっついたりはなれたり、あるいはすでに離れ切った後にどのようなドラマがあるのかといった興味。両親の間に好奇心に駆られるような会話がなされないために子供の発話が遅れているように見受けられることから、ここから膨らませる展開も著者様のやりようでいかようにもなりそうな予感があります。書き継いでいけば豊富なエピソードで紡げそうな設定を、まず形にしてみることから始められて、設定資料集として舞台配置を定められたのみにおわったようにも感じられました。著者様のポテンシャルとしては、きっとこの先にもっと大きなもの、豊かなものが広がっていることと思います。すこしずつでもその弁を開いていかれれば、味のあるものができそうな予感がありました。

いかめんたい
pw126158116038.33.panda-world.ne.jp

拝読しました。
面白かったです。時間の経過がゼロのまま、家族の出来事を記憶として頭の中に注ぎ込まれたみたいな感覚でした。死ぬ前に見る走馬灯みたいな(見たことありませんが)。ありがとうございました。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

■田毎の月さん
おっしゃるとおり、初心は大切ですよね。欠けていたということでしょうか。自由をあたえてくれた上での感想に感謝しています。いただいたご意見、くりかえし読んで、時間をかけて考えてみます。もしかすると書く作業の土台の構築に、重要な気付きをくださったかもしれません。

■京王Jさん
漠然として読者には伝わりませんでしたか。なるほど。たしかにまだ、物事のむすびつきがテーマに収斂してませんね。ちょっと寝かせてみて、あるいは人通りのある場所をぶらぶらして、練り直す必要があるかもしれません。語りはほんと下手ですね。読み手がなんども読み返したくなるような文章が、ぼくには書ける気がしない汗
ありがとうございました。

■ゐさん
助走の部分が、書き手にとっての助走だったというご指摘はまさにその通りです。細部にまで気を配っていたかといえば、まったくそんな作為は足りておらず、帳尻をあわせたていど(しかしあっていない)の粗雑な書きぶりです。記憶云々は臭いですね。書いた本人も気に入ってません。
“記憶の気まぐれさ”については以前から意識のどこかにあったテーマではありますが、先達のおこぼれといえばいいのか、独自性とは無縁である自覚はあります。

■そうげんさん
舞台に出現させたというのは言い過ぎで、書いたぼくとしては、たずさわっているあいだ水の中を溺れているような状態(こうして皆さんのご意見を読んでいるあいだもそうかもしれない)でした。豊かなものが広がっているという希望は、それを持てば広がらないもののような気がして、ぼくのような人間には信じる(そちらに飛び込む)ことへの躊躇がつきまといます。ですがご好意に感謝します。ありがとうございます。

■いかめんたいさん
注ぎ込まれたということばが、印象的でした。言い訳めいたことをいってよければ、読み手にあるていどの空白を提供したつもりで書いたのですが、ぼくが未熟だということでした。
ありがとうございました。

おしゃべりでしょ
KD111239113009.au-net.ne.jp

このお話の主人公は誰ですか? なんて質問は分かってないらしい馬鹿げた問いですか。
あるいは、お話の視点はどこにあるんですか? でもいい別にいいかもしれないです。
大人の読者を対象に、とはいえ書き切れたつもりでもないらしい、らしく難解な仕上がり、ということなんでしょうか。


のっけから意地の悪いことを言いたそうに受け止められたならすみませんなんですけど、要するに何が言いたいかって、何かにつけ不正確な気がするなあ、ということなんですね。
いちいち挙げていきたいところなんですけど、個人的には“全部“とは言い腐らないつもりでいくつか参考と言うほどでもなく気付きになりそうであるなら付き合ってもらえたら嬉しいですけど、といったお節介加減のもと、立ち寄らせてもらってます。


>だれかが発した聞きなれない単語、鼻をかすめていった非日常的な匂い、目に飛び込んできた色、めずらしい形。

聞きなれないことを自分で口走ることはなかろうし、日常も非日常もかすめて気に留まるのは不意のことであるからこそのような気がするし、飛び込んでくるのもやっぱり偶然ではなくささやかでもきっかけや理由のもとに留まるはずだとか、そうして力尽きたようにシンプルな引用の閉じとか。

羅列とか退屈とかうだうだしいとか、先の人が言ってるようなつもりとは別の意味であたしは言ってるつもりなんですけど、伝わりますか。


>メカニズムを知り尽くしていないわれわれにとって

われわれって、誰の視点から誰のことを言ってるんだろう?
っていうのはまた後のことにつながることだと思うので、なんとなくわかる気がしたなら思い出してみてほしいです。


食卓の場面の章、個人的にはメニエールの目眩みたいな印象なんですよね。
入り口は父親の視点ではなくて、父親を軸に語り手がその様子を観察する視点。
その次は母親の視点ではなくて、母親を軸に語り手がその様子と内心まで踏み込んで語る視点。とはいえ、その観察の多少である父親の人称は父親であったり彼であったり男でもあったりするという、つまり母親の内心に踏み込んだものではなくやはりあくまでも客観的な想像なり観察を出ない視点によるものらしい。
ところが改行以降は突然、母親自身の記憶や感情に踏み込むエピソードも含めた時空を超えた万能神視点で、なおかつ現状における願望さえも成り代わって吐露する万能支配的視点。ジョルダン曲線、なんてインテリジェンスに化かした慮りを装うゆとりはむしろどんな目的があってのことなのか、読者としてはどこか嘯いた語り手という予感すら想像させられかねない、なんて言い方は流石に意地悪すぎるかもしれないんですけど、あくまでもあたし個人の察するところだと思ってほしいです。
そんなこんなで空港に飛ぶらしい視点は観察の主語を彼らと改めながら定める訳なんですけど、難しいですよね、あるいはただのいちゃもんでしかない気がしますか。
これって、視点の話だと思いますか? それとも人称? 神視点ってムズカシイですね、何しろ神ですもん恐れ多いですよね、なんてすみませんふざけてるつもりなんてこれっぽっちもないですよ、これ読みながら早速ムカついてジリジリしてるどっかの性悪すっとこどっこい共とか想像するだけでふざけてきちゃう方のやつなだけなので気にしないで先に進みましょうか。


>ぱらぱらとめくる女の人

言い方。語り手何歳? なんてそれはまあいいですか、格好悪いだけなのは文章としてそんなに問題ない気がするなら好みの問題でもいいです。とはいえそれに続くディテールから想像させられるには彼女、それなりに浮浪者チック、っていうのは空港利用者待遇キャラとして不釣り合いなのはわかるんですけど、“女の人“として登場していただくにあたってそのディテールを預ける“言い方“問題だとか、個人的には“ほのかに毛羽立って見える“だとか、恥じらえる逃げ道のニュアンスくらい着せてあげてほしいだとか、それも世界の印象の一部には違いないのではないか、なんてお節介ですか。

次の段落は、危ういですよ。一体誰からの視点を神は成り代わり語っているのか、さすが神、というよりは読み進み先戻り的面倒のお仕着せ、なんてまたしても言い方考えろ的言い方らしく受け止められそうなんですけど、つまりあんまり親切じゃない気がする、ということなら簡潔にそういえですよね。
だからって、それで伝わる人があんまりいないのが読書であって世界で世間らしい、っていうことに例えばあたしみたいなただの個人的にはほとほとうんざりしているので、ついつい余計なおしゃべりが増えてしまいますあしからず。

以降、終盤に向けて見通しがついたらしく筆が乗ったのか、あるいは書き急いだのか、はたまた書き手自らが誰よりも熱心な読者にすり替わって、まんまと筆を滑らせたのか。
先の誰かが“奇抜な視点“なんて、あたしみたいな人は特に見習うべきかもしれない優しい言い方を披露してくれているんですけど、それは単に閉じの部分のことに限った話なんですかね、ともすればなおさらあたしはちっとも分かってないんですけど、結局何が言いたいのかって、“なんだよ神、結局ただの独り言かよ“なんて、個人的にはこの世界の嘘は神様の気まぐれ観察、なんて結論に至ってしまった訳なんですけどこれもやっぱり言い方にこそ問題アリですか、とはいえ冒頭に差し出した通り、“ このお話の主人公は誰ですか?“なんてアレ、伝わりますか? 先の誰かが“ストーリーがない、中身がない“とか言ってるんですけど、あたしはその文面通りに受け止めるべきらしいこととはまったく別の意味のつもりで、その理由は全然ちがうところにあるはずなんじゃないですか? ってことを言いたい気がしてるんですけど、伝わりますか。

企みだの浮かび上がらせるだのテーマだのってそんなこと以前に、個人的には単に書き手たる技術なり意識といった視点からこその狂いが多岐にわたってばら撒かれているだけのような印象が強い気がしてるんですね。年齢だけなら“立派な大人“のはずの一読者として、ってことなんですけど感じ悪く受け止められてしまうことには神がかり的になれているので遠慮は要らないですよ何なら返り討ちにしてくれるとかすぐそういうこと言うの気をつけたいですすみません。


言いがかりっぽい気がしたならすみませんでした。
相変わらず誤字が甚だしかったらなおのことすみません。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

でしょさん

拙作を改めて読んでみれば、押せば穴があくハリボテとか、釘の打ち損じだとか、そんな出来映えですね汗
感想を書くだけの立場では気にする必要のない、基本的な意識が完全に抜け落ちていました。検証不足(自分への甘やかし)にも程がある。必要にせまられた飛躍じゃない。こんなものをお見せしてしまい、おはずかしい限りです。ぼく自身がこどもでした。未熟な場所から一歩ずつでも書き続けていこうと思います。
立ち寄ってくださり、ありがとうございました。

小次郎
121-82-84-159f1.hyg1.eonet.ne.jp

拝読させていただきました。
僕もクリアしようと思っている課題なのですが、視覚情報と心理描写のみはまずいかもしれません。五感をもっとふんだんに書かれてみたら、どうでしょうか? たとえば匂いとか。視覚情報は五感の中で一番書きやすいですから、どうしても五感だと視覚ばっかりになってしまいますよね? 難しいと思いますが頑張って下さいね。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚、その他には、温度とか、物体や人物の動きとか。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

小次郎さん
たしかにモノによって視覚以上に読者の感性に訴える“ほかの感覚”はあるはずで、それを探さない手はないですね。ざっと見返しただけでも結構ありますね。サツマイモとか咀嚼音とか、診察室やオートウォーク。癖をつけられるように逐一意識しようとおもいます。温度や物体、人物の動きというのもいいですね。アドバイスありがとうございました。

偏差値45
KD111239160236.au-net.ne.jp

あえて言えば、ナレーションがずっと続いている映画のようなものかな。
ある意味、教科書的ですね。見本という意味ではないくて、何かを科学的に伝えようとしているわけですが、個人的にはそういうものを理解する脳の構造をしていないので、
あまり記憶に残らない感じですね。だから何かしらの「刺激」があれば良いアクセントになるような気がしましたね。教科書ではなくて漫画にしないといけないわけです。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

偏差値45さん
ナレーションがずっと続いている映画(教科書的)というのは、読み手からすると距離ばかりがあって入りにくいですね。
提案してくださったマンガや刺戟はぼくにとって野生のムカデを弄る行為のようなものなので、残念ですがちょっとむずかしいかも。たいてい数ページで気分が悪くなってしまうんですよ。ですががんばって読んでみようとおもいます。
感想ありがとうございました。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

すみません。無知なくせに、知ったようなことを書いてしまいました。ムカデの譬えを取り消しします。

アリアドネの糸
86-120-129-110.rdsnet.ro

拝読しました。

 読み終わった直後の感触は。語りとしての距離と齟齬が何を生み出すのかといったところを感じさせてくれる作品だなあ、ということでした。

 俯瞰的な語りでありながら、とても近視眼的な描写が、シームレスに切り替わっていくのが、面白く、また、その光景を見ている人と語っている人との間の齟齬を浮き彫りにしているようにおもいます。知りえないこと、それから、感得すべきことというのは、そういう齟齬というか、間隙、大げさには、空白から感じ取るべきだとこのテキストは語っているようにも思えますし、そういった点で、ただしく、神視点三人称のよさがでている作品のように思いました。

 また、非常に注意深く、視線が配られている(ヘンな日本語ですんません)とも感じました。近視眼的な描写がどこか醒めた視点で書かれているというのはすでに書いたことですが、それが空港の中の人々の喧騒にまじった細かい個々の人たちの様子を動きとして感じさせるのと同時に妙な静謐さを付与せしめている。その上で、そこにしっかりとチアノーゼぶどう色の唇という中核コントラストとしての違和を挿入してくる絶妙は、絵に例えると、配置だけではなく色塗りをもそのパースの文脈でとらえている、ミタイナ。

 とはいえ、カメラワークとしてのめまぐるしさは感じなくもなかったです。やっぱり酔ってしまうといいますか。ところで、この作品にはどこかヴァージニア・ウルフさんの作品(ご存知かもしれませんが)に通じるような匂いを感じました、なぜだろう?、ただ、彼女の作品も視点が飛ぶのですが、滑らかに感じられるので、そこをヒントとするならば、一考の余地があるかも。
 とはいえとはいえ、なにもフェードアウト/インで滑らかにつなぐべしってことじゃなくて、というか、そうすると御作の魅力が薄れちゃうから。そうだなあ。近視眼的なよさはそのままにしておいて。実際に起こっていることをもっと細やかに取捨選択する必要があるのかもしんない。同じことを別の観点で書くなら、最小単位エピソードのバランスをどうするか?いち場面をさらりと一行で済ますのか、それとも、すこし重ねて波紋を立てるように心がけるのか? 説明の必要なところで潔く説明的な描写を入れるのか? 体感を促すような説明を入れるのか? 云々。
 無駄を無駄でなくすための饒舌さか? さもなくば、潔い寡黙さか。
 思うに、文節レベルでの言葉とエピソードの選択に注意を払うことを要求している作品なのではないか? 
 絵としてのパースは取れているけど、キャンバスを走らせる筆の毛いっぽんいっぽんをどこまで意識化できているのか? ってところが甘いのかもしんない。などという具体性ゼロ。

 あとは、最初のパラグラフはわりと例外的で、思いっきり俯瞰した視点と語りで、どちらかというと読み手に語りかけてきている書き方をしていて、ちょい異色。この短さだと、この例外パラグラフはまったく効果をあげてないように感じます。それよりも、すっと本題の2段落に入ったほうがよかったのでは?
 個人的には感じるところが多くある作品でした。特に構造とパースで成り立たせる空隙のメカニズムについて。でも、そこについてはこれだけ文字を書いてもほとんど消化・説明できていないっていうね。具体性にとぼしいうえ、とっちらかってしまい、すんません。

アン・カルネ
219-100-29-132.osa.wi-gate.net

分かるような? 分からないような? そんな感じでした。

最初の冷えた夫婦。でも父親は全く娘に無関心というわけでも無さそう。もっともだ、と言ってるぐらいだから。それともそれは口先だけなのでしょうか。
ぶどう色の唇の女性。娘が年老いた時の姿。ここでは孤独と存在の不安を感じさせられます。孤独は最初の夫婦の食卓でも。孤立でも断絶でもいいのかしら。
存在の不確かさに繋がるような描写がラストに「父親の肉が盛りあがった腕にだっこされて、搭乗口に向かってゆく。そしてこの瞬間、オートウォークにずっしりと、父親のおおきなスニーカーが乗った」と締めくくられるので、読後感としては、例えこの先の人生全てが不確かで不本意なものの連続と記憶されてゆくことになったとしても、年老いた時、自分の生涯を振り返る中で、父の腕の中から見下ろしたスニーカーを思い出すことが出来たなら、かつて確かに自分は無条件に守られていたのだ、そう思える一生になるのかな? あの時、あの瞬間が、父のずっしりとした大きなスニーカーを父の腕の中から自分は見下ろしていたのだから、と。そういう話なのかな? と思いました。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

■アリアドネの糸さん
距離(近視眼的な語り)と齟齬(語り手と視点人物とのあいだの)との関係というのは、捉え方としては書き手よりのものでないかとおもわれます。語り手はぼくとはたしかに別人(純粋な日本人ではない女性)で、語る対象はたしかに対象以外のなにものでもないといった意識があったようにおもいます。出鱈目に書くことに躊躇いはないのですが、書き急いだからか、力つきたからか、発想力のなさか、自分のつごうばかりが優先された夢日記でしかなかった。
まず脣の部分だけがあり(いつどのようにして書いたかは思い出せない)、つなぎつなぎ、直感だけをたよりに書いたものなので、さぞ退屈(あるいは混乱)させてしまっただろうとおもいますが、エピソードの選択、文節レベルでのことばの選択について、また視点について、ご指摘のとおりシビアに検証する必要をかんじています。おそらく寝かせていれば自分でも気がつくのでしょうが、気が急いてしまい、待っていられなかった。
具体性にとぼしいだなんて、とんでもないです。書かれたことばには質量がともなっていて、当たり前のことをそのようにとらえないアドリアネさんの思考の柔軟性が伝わってきます。ちょっとこわいくらい。またすべてがわからない状態にこそ、たのしみが残されているはずです。
確立された評価基準からのご意見もありがたいし、あたらしいというか、おもわぬ視座からの感想も刺戟がもらえていいですね。この度はありがとうございました。


■アンカルネさん
ひとは皆それぞれに、青色に惹かれたり、部屋の壁ぎわや隅っこが好きだったり、自然のなかでどうしてか炎を熾したくなったりと、当人にさえ理由のわからない奇癖があるとおもうのですが、どうなのだろう。かなり単純な、ぼく個人が物心がつく前から痣のようなものに惹きつけられたというのが拙作のモチーフで、根付かなかった記憶(その可能性)について無性に書きたくなっただけでして、綿密な計算があったわけではないことを、ひとまずお断りしておきます。なにをどう計算すればよいか、自分の手に余ると考えこの場に投稿したといってもいいくらいです。雑駁なのは書き手のあたまのなかで整理がついていなかったからなのだろうとおもわれます。
もしもまっとうなことが書かれているのなら、アンカルネさんが見出されたものがいつか確信にかわるはずですが、ぼくにはそこまでの自信は持てそうにありません。あるにはあるのですが、メッセージ性とかにとらわれずに、ただ読み手の人生観に照らし合わせてくれるだけでいいんじゃないかと、ぼく個人はおもっております。初心者としては、読者の疑問におもわれた点を教えてもらえて助かります。
ご意見ありがとうございました。

ボボう・げよ
bb220-255-183-173.singnet.com.sg

お名前を間違えてしまいました。アン・カルネさんでした。大変失礼しました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内