貴方は一体誰なのでしょう?
拝啓 私の愛しきセレーネへ。
この塔は間も無く燃え尽きるでしょう。業火に包まれながら、その長い歴史に終止符を打つでしょう。
全てが焼け尽くされ灰になれば、私たちのこの秘密は決して犯される事がなくなります。
セレーネ、私たちは共に長い道のりを歩みましたね。
悠久のなかではほんの僅かな、けれど確かに永遠を秘めていたであろう、私たちの幸福な時間です。温かくて優しい、人生の一幕がここに下ろされました。
さあ、セレーネ。
実の所を言うと私、未だにあなたが誰で何者なのか分からないんです。
それも実在する魔法のように、どうして私の目の前に現れたのか。
何者かがあなたという人物を宙に浮かせ、象だけをすっかりくり抜いてしまった様に、私はあなたのことを知らないのです。
あれ程、深い緑と鮮やかな薔薇に覆われていた「レアリアスの塔」は、いまや灰の残骸と化しています。
時折ひんやりした風が吹きつけ、私たちの思い出の地を洗ってゆきます。
愛してるわ、セレーネ。
だからどうか一つだけ許してくれないかしら。本当にささやかな願いです。
あなたのことを時々思い出しても良いかしら?
この記憶を守るのは、あなたが教えてくれた一つの鍵で十分です。それさえあれば、きっとこの幸福をきっと守り抜いて見せるでしょう。
今、私の目の前に広がる光景も、私が守らなくてはならないものです。全ては愛するものを守るために。銃を片手に暗い路地を駆け抜けながら、幾度なく朝と夜を繰り返しています。
でも、もう私は恐れたりしません。
卑屈になることも、もうやめにしましょう。
愛しています、セレーネ。
だから、最後に一つだけ言わせてください。
「貴方と出会えたこと、その全てが本当に幸福でした。私をたくさん慈しんでくれてありがとう」
さようなら。
漆黒の闇の中で、きらきらした丸いものが光りました。
ああ、これが思い出なのかしら、と思わず見惚れてしまいます。それは全ての始まりの日を写していました。
その金粉が舞うような煌めきに惹かれて、私は徐々に入り込んでいきました。
ー時を遡ること二年前の春。
酷く頭が痛んで、私はその気怠さから顔をしかめました。
ずっと、どこか冷たいところで横たわっていたような、とにかく長い眠りから覚めた時の心地でした。
どうやら、白く乾いた意識の淵で彷徨っていたようです。
「う……ん……」
重い瞼を持ち上げようと、鼻から息を吸い込みます。スッと鼻腔を通り抜ける、私の知らない甘い香り。
それから白い光が斜めに差し込んできます。
一体ここはどこなのでしょう。
瞼の裏では暖かい色が一面に広がっています。
不意に、誰かに耳元で囁かれた気がして、私の意識は水面へと引き上げられました。
そこは居間ほどの大きさをした、やや薄暗く静まり返った部屋でした。
白く綺麗な天井。
反対に、小さな花と緑があしらわれた壁紙は、長い年月によって古びていました。
何かを隠すかのように、天井だけが張り替えられているようです。
甘さを含んだ香りの正体は、すぐにこれだと見つけられました。
花です。
血潮のように赤い薔薇でした。
気怠く甘い匂い、と一言で表すのは余りに陳腐でしょうか。
とにかく、この部屋にはそぐわない新鮮さで、緑と雨の香りも混じっていました。
私が眠っていたベッドのすぐ横、そこには植物が所狭しと並んでおり、特に薔薇が多く生けられていました。
部屋の構造にも目をやります。
薄い日の光に透かされ、窓はドアと対局の場所に嵌め込まれていました。
「本棚もあるわね……。まるで誰かが暮らしているように妙な生活感があるのね。でも私の知らない部屋だわ」
恐る恐るベッドから身体を出して、裸足の指を床につけました。
「ゆりかごだ。どうしてここにあるんだろう。少し埃っぽいのが気になるけれど、人肌の触れた温かさが残ってる……。使われていたのかしら?私は……」
そこまで口にした所で、頭の片隅が酷く朧げなことに気がつきます。
自分の意識と記憶の間に、まるで白い紙を一枚挟んだかのようです。
下書きすらされていないキャンパスが、空白が、私自身にまつわる情報の全てでした。
再び、あの脳髄を焼けつけるような痛みが、頭全体を支配し始めます。
これ以上思い出すな。その先を決して覗き込んではいけない。
もしその暗がりを伺えば――お前は――
執筆の狙い
レアリアスの塔をめぐる、謎の少女セレーネと私の物語です。
ジャンルはファンタジーです。