作家でごはん!鍛練場
青木 航

ガヤの居た風景

「ウオッ、ナニコレ。『隧道を抜けるとそこは宮崎だった』ってか?」
 その風景にオレは思わず声を出した。
「Amazing!」
 助手席でガヤも声を上げる。 
「でも、なに? 『トンネルを抜けるとそこは雪国だった』をパクったつもり? 普通、隧道なんて言う? 書き言葉でしょ」
 ガヤはそう突っ込んできた。
「……だね。言えてる。タシカニ」
『トンネルを抜けると』と言うと、モロ『雪国』のパクリになると思って、わざわざ隧道と言ったんだが、オレは逆らわない。

 そこは館山。助手席で笑っているのは“ガヤ”こと程ヶ谷由紀。大学の一個下の後輩だ。初めて見たときから好きだったけど、やっと一緒にドライブ出来るまでになれたということ。
 目の前の景色はホント宮崎みたいに見えた。トンネルを出たとたんその景色が広がってた。もっともオレ宮崎行ったことないんだけど……。とにかく、道路の両側にヤシ。あの南国に生えてるやつね。その椰子が並木として並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。
 すっごく背が高い。それで、うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。まるでガヤだ。そう思うと余計おかしかった。

 一目ぼれ”って有るだろう。お米じゃないよ。古臭い言い方だけど、オレはガヤに一目惚れしたんだ。
 オレ行ってる大学って大したこと無い大学なんだけど、新入生歓迎会のとき背のデカい女の子が居るのに気が付いて、何の気なしにチラッと顔見たら、これが、かなり可愛いのかなって感じだったんだよね。マスクで殆ど目しか見えないけど。ところが、可愛いと思われるのにかなり変。周りの子はおしゃれな服着てキレイキレイしてるのに、ブルージーンズの上下に中はTシャツ。昭和かよ! と思った。
 それだけじゃない。髪、思いっきり短くてその上刈り上げてるんだよ。最初遠くから見たときは男かと思ったし、女と分かってからも、なんだこの女、変な女って思ってた。じっくり顔見るまではね。顔見たとき何思ったかっていったら『もったいない。普通に髪伸ばしておしゃれな服着てたらモテまくるだろうに』そう思ったんだ。
 オレ、二つ上の姉がいる。その姉、結構いい女と思われてるらしいんだけど、スッピン知ってるオレに言わせたら大したこと無い。小顔なのと、目、鼻、口のバランスが特に崩れていないというだけで、本当は目だって小さい方。だけど、コスメとファッションには異常に関心が有って、それだけにメイクは抜群に上手い。その姉と比べてスッピンでこれだけ整っていれば、メイクして可愛い服着たらどうなるか想像したってわけなんだ。いや、と言うよりも正統派美人になるだろうと思った。マスクで隠れていたってそれくらいは想像出来る。もちろんハズレることだってあると思うけど、見たときのヒラメキで、確信みたいなもんが有るんだな、これ。

 それからというもの、キャンパスでも目で追っていつも彼女を探すようになった。所属は英文。オレ国文なもんで講義で一緒になることは無い。学食で見掛けることはあるが、いつも友達と一緒で近付きにくい。男女問わず仲間内で結構人気有るみたいだ。
 オレ、国文って言ったけど、実はレスリングの特待生。スポーツで売ってる大学ではないんだけど、何故かレスリングだけは力入れてる。理事長が昔やってたらしいんだよね。

 それはともかく、ガヤは演劇部に入ったらしい。それが分かって、俺は演劇部の日野原と言う奴から情報を得ようとした。日野原とはもともと友達だったけど、それほど親しい訳でもなかった。だけど、意識して接近した。向こうはどう思ってたんだろうね、急に俺が接近するのを。
 日野原によるとガヤは“面白い子”だと言うことで、先輩たちからも可愛がられているらしい。詩も作るし、本もかなり読んでるらしい。英文科だけど、日本の小説にも詳しいという。この間は、先輩と演劇のことに付いて話していて『スタニスラフスキーシステム』とか言うものについて議論して、結果、先輩たちが恐れ入ってしまったという。
 オレは心配になった、きっと、演劇部の誰かと親しくなって付き合い始めるのではないかと心配したんだ。話が合うだろうからね。
 はっきり言ってオレは筋肉バカ。ガヤと話す機会があったとしても、何を話していいか分からない。きっとつまらない奴と思われてしまうだけだろうと思った。

 そのうちガヤは高下駄履いて歩き回るようになった。日野原によると、演劇部の部室に有った小道具だと言う。それが気に入って、部長の許可を得て履いているのだという。来ると部室に直行してスニーカーから高下駄に履き替える。それで、一日中履いたままでキャンパス内を歩き回る。とにかく変わった奴だとは思われているらしいのだが、人気が有る。変わっているが、明るい。ユニークさと、あと絶対に、可愛いことも人気が有る理由の一つに違いない。オレはそう思っていた。
 しかし、それでなくとも背が高いのに高下駄履いて歩き回るものだから、まるで電信柱が歩いてるようだ。
「お前、あいつに興味あるんじゃないの?」
 日野原も当然気付いている。
「ああ、有るよ」
とオレも素直に認めた。
「面白い子だけど、胸ないじゃん」
「えっ? そんな事どうでもいいだろう。オレ、胸の大きな子、別に好きじゃないし、むしろ小さい方がいい。お尻も、小さくてキュッと上がってるのがいいね」
 オレはそう言った。
「なるほど、そういう好みか、分かった」
「分かったって、何が?」
とオレは聞いた。
「お前のような単純な奴が何考えてるかなんて、手に取るように分かるさ。協力してやる。切っ掛け作ってやるよ。後はお前次第、駄目でもオレ恨んだりするなよ」
 日野原はそう言って笑った。
「本当か?」
 オレは真面目な顔をして、そう聞いていた。
「今日、昼飯おごれ、学食でいいからさ」
「分かった、おごるよ」
「フッ……お前は……」
 日野原は、吹き出すのをこらえたかのような素振りをして笑った。
「何だよ!」
とオレはムキになって聞いた。
「なんでもないよ。いい奴だなって思っただけさ」
 日野原はオレの反応を面白がっていた。

 日野原はちゃんと約束を守ってくれた。或日、キャンパス近くのパーラーに呼び出された。とにかく来いと言うから行ってみた。店に入ると、窓際の席に、日野原と奴の彼女の栞、そして、何とガヤが居た。蛇足だが栞は胸が大きい。
 一瞬、どうしようと迷って足が止まった。ガヤが居たことは嬉しかったが、心の準備をしていなかったので、どう振る舞って良いのか分からない。
 日野原がオレに気付いて、笑顔で手招きした。ちょっと硬く見えたに違い無い笑顔を見せて、オレは覚悟を決めて日野原たちの席に向かった。
「おう」と日野原に言って、「栞ちゃん、しばらくだね」と奴の彼女に言う。
 そしてガヤには、ぎごちなくちょっと頭を下げた。そして席に着く。
 日野原と栞が並んでいて、栞の向かい側にガヤが座っていたので、必然的に、オレはガヤの隣に座ることになった。
「友達の神谷。顔知ってるよね」
 日野原がガヤに言った。
「高三のときに、インターハイで三位になった人ですよね」
「えっ? なんで知ってるの」
 意外だったので、思わずそう聞いた。
「大学のホームページに載ってたから」
 ガヤはそう言って少し笑った。『そうだ。そう言えば、小さく載ってたんだっけ』そう思い出した。
 日野原だけでなく栞も心得ているらしく上手く話題を盛り上げてくれる。二人共演劇部なので『さすが役者だな』と、オレは妙なところで感心し、二人に感謝した。
 ガヤはレスリングに関心を持って、色々と聞いて来た。きっと好奇心旺盛で、レスリングに限らず何にでも興味を持つ性格なのだろう。
「吉田沙保里さんの片足高速タックル。あれやってみたい。教えてくれます?」
 ガヤがどの程度本気で言っているのか分からなかったが、オレは嬉しくなって説明を始めてしまった。
「うーん。体技って大体そうなんだけど、まず大事なのは、自分の正面で技を掛けること。相手が斜めとか横を向くように崩すことが必要なんだ。それで、相手の足をまたぐようなイメージで自分の両足の間に来るようにするんだ。相手の足が外側にあると力が逃げやすくなるし、相手は体重を掛けやすくなるからね。ちやんと身体を作っておかないと、相手が体重を掛けただけでも支えきれないで崩れちゃったりするんだ。それから、相手の足元まで踏み込んで膝上に腕を巻きつけるイメージ。素早く、素早くだ。口で言っても分かんないよね」
 つい本気で説明してしまいそうになった自分に気付いて、オレはそう言って笑った。後輩に指導しているときなら、この後『顔を相手の足の付け根に押し付けるイメージで股関節を固定するんだ』と言うところだ。まさか、それを説明する分けには行かない。それに気付いたんだ。
「それより何より一番大事なのは、一瞬相手の視野から消えること。それが出来ないと逃げられてしまうから」
 代わりにそう付け加えた。
「ウワーッ、やってみたい。イッヒッヒ」
とガヤは無邪気に笑う。 
『イッヒッヒ』と書くと魔法使いの婆さんの笑い方のように思えるかも知れないが、これが、いたずらっぽくて可愛いのだ。
「こいつとやったら、その細い体じゃ、骨がバラバラになっちゃうぞ」
 日野原がそう言って笑った。一瞬『本気でやるわけ無いだろう』と言おうとしたが、ガヤと組み合った情景を想像してしまい、バツが悪くなってやめた。
「プロレスやったらいいんじゃないですか。リングネームは『ボーンクラッシャー神谷』とか。ねえ、センパイ」
と日野原に同意を求める。
『なんで話がそこへ行くかな』とオレは思った。トレーニングのこととか試合の予定とか聞いて欲しかったのに。
「アマレスとプロレス、全然違うんで……」
と、オレはつい間抜けなことを言ってしまった。
「分かってるわーい!」
 ガヤは、叩くように空中で手を振り、オレの方を見て笑った。
「劇団入りたいって言ってたけど、ヨシモトの方が向いてんじゃないの? ガヤ」
 ガヤに突っ込んだのは栞だった。
「ヒヒーッ」
とガヤが笑う。似ていると言うことではないんだけど、何故かきゃりーぱみゅぱみゅのイメージが重なる。
『このキャラで女芸でも人アリかな』とそのときオレは思った。井森とかファーストサマー・ウイカとか、友近とか、黙ってりゃ美人って女芸人結構いるもんな。アレッ、井森って芸人じゃなかったっけ? そう思った。

 オレたちは急速に親しさを増して行った。だけど、それでトレーニングに身が入らなくなるようなことは無かった。三位じゃ駄目だ。優勝してガヤに格好いいところを見せたい。そんな想いでオレはトレーニングに挑み、練習に励んだ。二人とも講義を取っていないコマが週に二度ほど有ったので、そこをデートに当てた。尤も、オレの本音は、練習はサボれないが、講義の方はガヤ次第でいつでもサボるつもりではいた。もし、急に会いたいと行ってくれば、オレはいつでもOKしていたろう。

 そんな俺がガヤの為に、仮病を使って練習を休む事にしたんだ。
「なんか、ドライブに行きたい気分」
 ガヤのその一言で、あっさりオレは崩れた。その分頑張って、後で取り返せばいい。そう自分を納得させた。

 レンタカーを借りて、駅前で待ち合わせた。今日こそは少しはおしゃれして来るのかと思ったら、いつものジーンズ姿のガヤがロータリーに立っていた。その前に車を止め、一応、降りて助手席のドアを開けてやろうかなと思う間も無く、ガヤは自分で乗り込んで来た。
「お疲れさんでーす」
 ガヤがそう言って乗り込むと、オレはバッグを受け取って後ろのシートの足元に置く。ブランド品でもなんでも無く、普通にショッピングセンターかなにかで売っているようなバッグだ。
「マスク外していいですか?」
 ガヤがそう聞いて来た。
「ああ、もちろん。オレも外していい?」
「もちろんです。この狭い車の中に何時間も一緒にいるんだから、もしどっちか陽性だったら、マスクしてても移るでしよ」
「だよな」
 そう答えたが、ガヤから移されるのは仕方ないが、オレから移したくはないなと思った。
 ガヤはマスクを外して「イッヒー」と笑った。横に唇を開いて白い歯が見える。左の端に小さな八重歯が一つ有る。裸を見た訳でもないのに、一瞬ドキリとした。ガヤが口を閉じて表情を戻したとき、オレは自分の予想が間違っていなかったことに満足した。鼻も唇も美しい。親しさを表す表現として、マスクを取って話せる仲と言う表現が成り立つんじゃないかとオレは思った。オレもマスクを外し、ダッシュボードにそれを置いた。

 第一の目的地は、安房白浜の野島崎灯台。その途中、フラワーラインで花を眺めよう。そんな話に落ち着いた。  
 オレは房総半島の南端は館山かと思っていたんだが、野島崎が最南端なんだそうだ。連休明けの平日。大した渋滞も無く快適に走れた。『フラワーライン』と言う名前に惹かれて走ってみたが、長い道路全体をそう呼ぶのかと思ったら、館山から洲崎に向かう湾曲部分だけらしい。春には菜の花、今頃はマリーゴールドが咲いているらしいのだが、何故かオレはそれを見逃してしまったらしい。とこでスルーしたのか分からず、停車してナビを見ながら「もう一度戻って探そうか」と提案してみた。
「いい、野島崎行こう」
 あいみょんの『マリーゴールド』を口ずさんでいたので、きっと楽しみにしていたはずなんだよな。「ゴメン」とオレは言ったが、「モンダイないでーす」とガヤは手を横に振った。道は国道四百十号線と合流して海沿いを進む。既に太平洋側となっているはずなんだけど、意外に波は静かに見える。むしろ、休憩を取って浜辺から見た内房の方が潮騒の響きに迫力あったような気がした。
 
 途中喫茶店風レストランで食事を摂った。席に着くとガヤはラインやメールを一応チェックするが、ずっと見続けたりはしない。オレの姉貴なら、きっと、コスメグッズやファッションサイトを見まくっていて、ちゃんと話も聞いていないだろうと思った。

 野島崎に着き、灯台に向かう。近くには大きなホテルが三つほど、民宿も有る。
 海岸沿いに町の設置した駐車スペースが確保されていてなんと無料だ。有名観光地になると、高い駐車料金の民間駐車場が並んでいて呼び込みが煩かったりするんだが、鉄道の駅が無くバスも本数が少なくて不便なためか、安房白浜町は観光客の誘致に力を入れているように見える。灯台に続く半島も芝生の広場が有ったり、散策のための小路が整備されていたりするんだな。
 灯台に向かう道は小砂利の上に薄くアスファルトを掛けて、その上からブルーの塗料で着色したようななだらかな坂道だ。その坂道と並行するように十段ほどの階段が有って、小ぶりな松の林に囲まれた神社になっている。『厳島神社』と言う表示が有る。
『へぇー。厳島神社って広島だけに有る訳じゃないんだ』とオレは思った。
「ね、寄ってから灯台行こう」
とガヤに誘われたので、参拝とかには日頃関心の無いオレなんだけど、賛成した。
 安房の名工武田石翁が十九歳の時の作品と言う七福神の像が置かれていて、その中の弁財天、つまり弁天様だけが社内に祀られているんだと言う。男神六人は雨ざらし。
「逆差別、セクハラじゃない?」
とトボけた調子で。、オレはガヤに言った。
「日本って、本来そう言う国だったんじゃないですか? 天照大神の時代から……」
「神話だろう」
「女性を崇拝していたから、そう言う神話が生まれたんじゃないですか。卑弥呼みたいな女性が居て」
「そうかな。うん、今は女性は天皇になれないらしいけど、昔は女帝何人も居たものね」
「『日の本は女ならでは夜の明けぬ国』って言うでしょう」
「ああ、天岩戸ね」
「知ってるぅ」
「あの、一応オレ国文科なんだけど。文学部レスリング科って無いから……」
「知らなかったぁ」
とガヤの目が動く。
「絞め落とすぞ」と言って、オレがガヤの首に腕を回すと、ガヤはその指先を握った。

 矢鏃の石と言うのが置かれている。南房里見八犬伝の祖、里見義実が武運を祈願して「野島山」の三文字を記したと伝えられているそうだ。ガヤは背が高い。
 男同士みたいに肩を組んで、オレたちは灯台に向かった。

 灯台の入口には券売所が有って『設備維持のためにご協力ください』と謙虚なコメントが書いてある。入場料三百円を払ってまずは資料館を見る。明治維新の二年前にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ「江戸条約」によって建設することを約束した、八ヶ所の灯台の中の一つなのだそうだ。資料館を出ていよいよ灯台に昇る。段差の低い螺旋状の黄色い階段が続く。十段ごとに側面に数字が書かれている。ぐるぐると回りながら進む快感につい魅せられてオレの足は速くなっていたようだ。気が付くとガヤが遅れている。
「大丈夫?」と声を掛けると「大丈夫、大丈夫」と笑って答が帰ってきて来た。追い着くまで少し待った。浅い螺旋階段が七十七段。辿り着いたフロアーからは梯子のように急な鉄製の階段が天井に開いた穴に向かって突き立っている。昇り切るとそのフロアーからももう一つ鉄の階段が伸びている。鉄の階段は十二段づつ二つで、合計二十四段有った。
 手を差し伸べて引いてやると、登って来たガヤの息が上がっていた。オレは笑いながら「本当に大丈夫か?」と聞いたが、ガヤもピースサインをして目で笑った。
 車を下りるときは、当然二人ともマスクを付ける。呼吸が乱れたのはマスクのせいだとそのときオレは思った。スポーツをやっている人間の肺とそうでない人の肺は違うもんだなと思ったのだ。

 灯台から下りて芝生の有る広場に戻り、自然のままカンナを掛けていない木製のベンチで、オレたちは休んだ。
 海猫ではなく、たくさんのトンビが舞っている。風を捉えてグライダーのように優雅に滑空するものもいれば、翼一つ動かさずかなりのスピードで一直線に飛んで行くものも居る。上から下に、右から左に互いに行き違いながら戯れているかのようだ。
 ピーヒョロヒョロ、ピーヒョロヒョロとのどかに鳴くのがトンビだと思っていた。ところが、その中にビッヒッピ、ビッヒッピと、まるで、神輿か山車を誘導するように鳴くものも混じっている。違う種類の鳥が混じっているのかと思ったが、トンビしか見えない。

 ガヤにも話し掛けず、オレは何故かトンピを眺めていた。立ち上がって周りを見渡していたガヤが「面白ーい」と言った。
「あそこにも、あそこにも、ほらあそこにも、ちゃんと一羽づつ止まってる」
 そう言えば、飛び回っている数が減ったなとは思っていた。見ると、広場の周りに点々と有る。食堂や土産物屋の屋根に、トンビは律儀に一羽づつ止まってるのだ。
「うわっ、スッゲェ。縄張りでもあんのかね」
とオレは言った。
「ほら、おそこだけ二羽止まってる」
と一軒の食堂の屋根をガヤが指差す。
「ホントだ。でも、両脇に離れて止まってるよ。ソーシャルディスタンス保ってるのかな」
「まさか。でもそうだったら面白い」
とガヤは、イッヒッヒではなく普通に笑った。

 しばらくそうしていたけど、
「房総半島最南端の碑、見に行こう」
とガヤが言ったので、散歩道を辿って先端に向かって歩いた。
 碑と灯台がほぼ一直線に入る位置にがやを立たせた。
「マスク取って」
と言うオレの要望にガヤはすぐに答えてくれた。角度を変えながら、オレはスマホで何枚もガヤの写真を撮った。そして、だんだん近付いて行って、更にアップにしてガヤの顔を撮る。
「も、ヤダー」
 そう言ってガヤは笑いながら遂に逃げ出したんだ。
 
 体調を崩したと言って神戸の実家に帰ったのは、それから一週間後の事だった。
『まさかコロナでは……』
 もしオレが感染していてカヤに移したとしたら、そう思ってすぐにPCR検査を受けた。幸いオレは陰性だった。
 妹と一緒に撮った写真がラインで送られてきた。
「へへっ。コロナじゃないよーっ」
 そうコメントが付いてる。安心した。
 後から知ったところでは、その翌日入院したそうだ。二週間後、溶体が急変して命を落としたという報告がガヤの妹から届いた。
 子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかったという。

ガヤの居た風景

執筆の狙い

作者 青木 航
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『坂東の風』一回お休みします」
などと書いたら
『青木さんの時代小説の次話なんか、楽しみにしてる人なんて一人もいませんよ。やだなー、勘違いして。by Kj」
なんてコメント貰ってしまいそうですね。

 現代ものの小品です。

コメント

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読みました。

青木様、気にしすぎですよ笑。
私は坂東の坂の続きを楽しみにしています。
密かなファンです。

現代物も面白いですね。
楽しく読むことができました。

>>「ウオッ、ナニコレ。『隧道を抜けるとそこは宮崎だった』ってか?」

これ、最高の書き出しですね。素晴らしいです。

青木 航
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『坂東の坂』って誰の作品か知らんが、作者さんに宜しく伝えといて。

京王J
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はい。よろしく伝えますね笑

青木 航
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正誤表

誤 一目ぼれ”って有るだろう。
正 “一目ぼれ”って有るだろう。

誤 このキャラで女芸でも人アリかな
正 このキャラで女芸人もアリかな

誤 マスクしてても移るでしよ」
正 マスクしてても移るでしょ」

誤 とこでスルーしたのか分からず、
正 どこでスルーしたのか分からず、

誤 一直線に入る位置にがやを立たせた。
正 一直線に入る位置にガヤを立たせた。

※多すぎです。反省!

上松煌
111.85.0.110.ap.yournet.ne.jp

青木 航さん、こんばんは
 あなたの現代物ということで、飛びついて拝見しました。
好きになった女の子と館山にドライブしたという話なのですが、途中で流し読みになりました。
喫茶店の場面からしてそうですが、話が堅く面白くない。
レスリングの技掛けの話も長い。
ストーリーの進行上、どうしても説明しなくてはならない話ではないのですから、もし、馴れ初めの話題として解説したいなら短く数回に分けるべきです。
その都度、ガヤの反応や短い返事を入れれば、場面が具体的になり生きてきます。
また、マスクは茶店でお茶する時点で外しますから、かわいいかどうかが旅行するまでわからないというのもおかしな設定です。
さらにガヤの風貌描写も定型的、形骸的で一考の余地があります。


 そしてドライブ・シーンからハイライトの目的地到着。
旅行パンフではないのですから、石段が何段あろうと、トンビが何羽いようと、神社の来歴がどうあろうと短くまとめて、オレの意識と関心はガヤに集中していなくてはいけません。
若い男女の初デート・シーンにしては、トキメキも恥じらいもテレも気後れも感じられませんでした。
つまり、どうでもいい話題に終始していて、読者は読めば読むほど不完全燃焼に陥っていく。
コロナでなかったという結末もあまり魅力的ではありませんでした。

 あなたがなぜこのお話を書き、なにを訴えたかったのか、それが明確でないのが一番の欠点でしょう。
こういう恋愛話は、みなさん星の数ほど書いているのですから、その中で頭角をあらわすには
他者の作品にない大きな魅力がなくてはいけません。
それがなにかは個々の作者さんによってちがいますが、少なくともこの作品ではあなた自身の意図があやふや、曖昧であるため、茫漠とした単語の集大成となっていました。
ともかく、第一作なのですから、また書いてみてはいかがでしょう?

夜の雨
ai226106.d.west.v6connect.net

「ガヤの居た風景」読みました。

思っていた通りの展開になりました。
というのは、ヒロインの「ガヤ」という女性を、がさつ系のように描いておいて、そこに主人公の「神谷」が彼女の容姿の元の部分のよさに気づき、ひとめぼれして、友人である「日野原」の紹介で付き合うようになる。
その流れで「神谷」が「ガヤ」とコミュニケーションを深めていき、彼女の素の部分が見えてくるという描き方です。
この作品はこのまま「神谷」と「ガヤ」が順調にお付き合いをしていけば、面白くありません。
なので、途中で伏線を張り、「起承転結」の「転」の部分で、問題を起こさなければなりません。
その問題は「神谷」という主人公側でももちろん良いのですが、タイトルが「ガヤの居た風景」なので、どうしても、「ガヤ」に何らかのアクシデントなりを起こして、主人公の「神谷」とヒロインの「ガヤ」とのお付き合いが終わるような展開にする必要があると思いました。
ちなみにこの「ガヤの居た風景」というタイトルは、オチがわかりすぎるので、ほかのタイトルにしたほうがよいのでは。

ということで、御作は予定調和の終わり方になりましたが、これって、いうのは簡単ですが、実行に移すには「伏線」を前もって張っておく必要はあるし、キャラクターは違和感がないようにしなければならないしで、結構むつかしいと思います。

御作は、そのむつかしいところを、きっちり落としてきました。

しかし、ドライブ途中の、灯台を昇る螺旋階段で「ガヤ」が遅れるという「伏線」があったとはいえ、これだけで、ラストで「体調を崩したと言って神戸の実家に帰り、二週間後、溶体が急変して命を落とした。子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかった、という急展開は「ちょっときつい構成だなぁ」と思いましたが。

登場人物などのキャラクターは、ヒロインの「ガヤ」を筆頭に、主人公の「神谷」とか友人たちを含めてうまく描かれていたと思います。
ラストのオチへ持っていくために、もう少し丁重に構成を練りこむとよかったのではないかと。

ちなみに、上にも書きましたが、主人公側の「神谷」に問題が起きて、「ガヤ」と別れなければならなくなる、という展開も「あり」だと思いました。
どちらにしても、しっかりとした「伏線」と「エピソード」が必要です。

それでは、頑張ってください。

お疲れさまでした。

Maneskin
5.102.6.253

青木さん、軽妙で惹かれる語りの作品でした。面白く読みましたよ。

 でもね、だからこそ青木さんが小説における描写についてなぜ理解できないのか、よくわかったような気がしたんですよね、自分としてみれば。たぶんだけどあれだけごはんで叩かれてそれがトラウマになって、小説における「描写」という言葉自体にいまだにアレルギーを持っているんじゃないでしょうかね、と思いました。描写がわからない、つまり小説における描写の重要性がわからないということを頻繁におっしゃっていましたよね。こっちの勝手な持論でしかないですけど、御作を読んだらどうしてそう思うのか、なんとなくわかったような気がするんだ。だから感想を長文で書いちゃいます。

 冒頭の会話、好きですね。洒脱です。でもね、後には残らないんですよ、すぐ忘れちゃうんだな。上松さんが書いた感想に、なぜこの話を書いたのか、何を訴えたいのかが明白でない、と書かれていますがそれに同意します。でねえ、それとは別に「描写」ということに特化しての感想を書いちゃいます。青木さんの欠点がわかったような気がするので。
 わかりやすく書いちゃうとね、絵がないんですよ、絵が。感じられない。でもよく読むと、御作には絵がある、明確なほどに。でも作者がまったく意識してないんですよね。埋まってるだけ。で、冒頭。ここ自分はすごく好きなんですけど、読んでいて残らない。絵がない作品は多いしそれでもいいんです。否定はしませんし、できない。でもねやっぱり絵があると、読者が勝手に作品を読んでくれる牽引力として手助けしてくれるんだよね。だって人間ってのは、言葉を扱う生き物だけどやっぱり映像の方が頭に残りやすいんだから。青木さんもそれには同意するよね。なんでスマホで写真撮るんだろう、って考えるとさ。だったら、そのメカニズムを上手く使わない手はないだろ。だってこんだけ巷には小説というものが溢れているんだからさ。

 会話はいいんですよ。すごく引き込まれる。でもこの冒頭を読んで映像を浮かべることができたのは皆無なんじゃないかな。↓

 >目の前の景色はホント宮崎みたいに見えた。トンネルを出たとたんその景色が広がってた。もっともオレ宮崎行ったことないんだけど……。とにかく、道路の両側にヤシ。あの南国に生えてるやつね。その椰子が並木として並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。
 すっごく背が高い。それで、うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。まるでガヤだ。そう思うと余計おかしかった。

 よく読むと状況はわかる。でも言葉からイメージを想起されるわけじゃなくて、説明だけでやっているからなんだよね。説明して状況を伝えることはできるけど、状況を絵として読者に伝えることは不可能なんだな。読んでいる方も疲れるから、いちいち覚えちゃいられなくなる。付き合いきれなくなるんだ。情報としての「トンネルを抜けた風景」と、絵としての「トンネルを抜けた風景」と、どっちが効率的かなと考えてみたらいい。前者はいくら言葉を費やしても所詮は情報でしかない。後者は映像だから脳内に絵として残るんだ。自分が思うに、この冒頭の場面はどう考えたって「情報」より、「映像」として伝えた方が読者は読んでくれるだろ? それプラスあの洒脱な会話だもん。で、ここを否定されるとどうしようもないんだけど、理解してもらったとそう仮定して進めるからね、青木さん。

っていうことを前提にすると、一番悪いのはこの文章だな。

>トンネルを出たとたんその景色が広がってた。

ってことで悪いとは思うけど、言葉を費やすより簡単なので、自分で書いてみました。ゴメンね。↓

 >オレ宮崎になんか行ったことないんだけど、トンネルを出ると暗かったのがパッと明るくなり、ヤシの木が見えてきた。南国に生えているあのヤシの木が等間隔に両脇で並んでいて、ウェルカム宮崎、日本のハワイってな感じで、旗を振って目の前でお迎えしてくれるような気分にさせられたんだ。目の前に広がる景色は、宮崎みたいに見えたんだな、ホントにさ。
 車窓から入ってくる風を受けながら、陽光を受けたヤシの木の葉っぱを見ていたら、マバラって言葉が浮かんできたね。うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。それがこちらに迫ってくると、すっごく背が高いってわかる。それでオレはガヤを思い起こしたんだ。なんか不意におかしくなっちまったんだな。
 
 小説に正解はないけど、比べてみたら情報量はそう変わらないのに、目に入ってくる景色が少しだけ鮮明になったと思うんだけどどうかな。感じたこと、匂い、音などを順次に入れるだけで、読者ってのは小説についてきてくれるという特質があるからこそ、小説では描写描写っていうことを言われるんだと思うよ。

to be continued

Maneskin
5.102.6.253

Maneskin’s Comment part 2


>一目ぼれ”って有るだろう。お米じゃないよ。古臭い言い方だけど、オレはガヤに一目惚れしたんだ。

これすごくいい箇所なんだけど「ガヤに一目惚れしたんだ」という直接的な言葉を使わないで描写だけで読者に思わすことができると、ああ小説って面白いなあ、と感じてくれるものなんだよね。前に一度情報としてでてきているんだからさ。つまり「ガヤに一目惚れしたんだ」は「説明文」なんだな。なんで説明文が悪いかってことは別の問題となり、なぜこの作品を書いたのかという意図によるので、一概には言えないんだけど、あくまでヒントとしてそう書いておきますね。また外野から、ここのサイトの輩は説明を嫌ってなんでもかんでも描写描写って感じで、あとで言われるのが目に見えているから。

わかりやすく書けば、作品を通じて何を書きたいかによるんだな。全体を通じて、ガヤが好きなんだということを伝えたいのなら、直接的に説明文として書くことは完全にアウト。これは小説音痴と言われても仕方ないな。ただあくまでキャラの付属的な説明として、ガヤが好きなんだ、つまり作品の核の部分とは外れたところなら、「ガヤに一目惚れしたんだ」という文章でぜんぜんオッケー。根幹でない部分なのだろうしね。ここは創作の核、つまり作者の感性に突っ込んじゃうんで、すごくデリケートなんだ。でもここでは「描写」をあくまでテクニックとして考えてのこととして書いているわけ。

というわけで、この作品で青木さんは何を伝えたかったのだろうか、という疑問にぶち当たるわけ。たぶん何もないという答えが返ってきそうだし、だったらこの感想はまったくの無意味のような気がしないでもないけどね。ごめんね、青木さん。たぶんこんなことぐちゃぐちゃ書いたら、またトラウマになっちゃうかもしれないけど、でもさ、青木さんだって何かを掴もうとしてこのサイトに出しているわけでしょ。そうであるのなら、わからないことをわかったふりをするのが一番悪いことだよね。創作でそれはまずい。わからないことはわからないまま、ずっと心の底に溜め込んでおくことがとても重要になってくるんだ。わからないことは恥ずかしいのではなくて、創作においてはむしろ知っていることよりも大事なことかもしれない。なので、そうして心でアンテナさえ開いておけば、あとは勝手に有益な情報を脳が拾ってくれて、いつの日か、ああこういうことを言っていたんだって、ご自分で気がつくと思うんだ。人から言われて身につくことは一つもないんだよね。これ重要。だからわからないってことを、自分できちんと認めてそのままの形で自分の中に保存しておくってことが、理解することへの一番の近道になると思うんだ。って、こんなこと書いてもたぶん無視されるんだろうけど、一応書いておきます。だって、青木さんの歴史小説にかける意気込みは他を圧倒してるんだもの。もったいないよね、ってこと。そこを勘違いしないでね。応援しているんだからってことを。でなきゃ、普通こんな長文なんか書かないってば。




 

シオカラ節
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大学生の甘酸っぱい恋愛模様を、軽妙なタッチの文章で気取らずに読ませてくれる佳作でした。

特にヒロインの程ケ谷さんの魅力については余す事なく描かれていたいたと思いますし、純情でちょっぴり不器用な主人公にも好感が持てました。

一部で描写がどうのこうのと能書きを垂れる輩が居るようですが、この界隈は新感覚派に傾倒している方がやたらと多いんですかね。

少なくとも私は描写不足だとは感じませんでしたし、それこそ文学的な比喩表現で奥ゆかしい感情の機微を描写するような作風ではないのは一目瞭然でしょう。

この作品で「月が綺麗ですね」なんてやられても却って興醒めしてしまいますし。


おっと、文学的な比喩表現そのものをディスってる訳ではないのでご注意を。


ただ、私も手放しで褒められる訳ではないのもまた事実で、その最たる理由としては、結末の素っ気なさ。


それまでの大学生の等身大の恋愛模様を絶妙にリアリティのある筆致で描いていたのにも関わらず、
「二週間後、溶体が急変して命を落としたという報告がガヤの妹から届いた。
 子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかったという。」

で終わらせるのはあまりにも唐突すぎて、書くのがもう嫌になったのかな、とすら思えます。

余韻を残そうにも、そんな描写も説明もなく性急に終わった感じのみが強く残ってしまい、それまでの面白さに冷や水をぶっかけられた気分になりました。

個人的には是非続きを読んでみたいですし、彼女の喪失を受容、もしくは超克していく主人公の姿を見てみたかったです。

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

マナスキンさんの感想、いいですね。
青木様への愛があると思います。 

マナスキンさんのいう描写のお話、と言いますか青木様の文章の書き方へのご指摘は、的確だと思います。
確実に青木様のこれまでの作品においても、確実に良くなかったところです。

ただ、その良くない部分について、どうやって書けばいいのか、どこがどう具体的に良くないのかということは、このサイトの中で、青木様にきちんとお伝えできる方はいないと思います。
伝える側に技術がないとダメですし、青木様も反発するだけでしょう。

シオカラ節様の「新感覚派」のくだりはよくわかりませんね。
新感覚派とか関係なく、ごく一般的な、小説の技術についてマネスキンさんは語っています。
そこが青木様のウィークポイントになっているのは、多くの人が感じていることです。

青木 航
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 皆様、沢山のコメント本当に有難う御座います。正直、驚いております。個々のコメントに対する返信は少しお時間を頂いて対応させて頂きたいと思います。

 長いこと坂東の風の連載を続けて来たのは、この小説を少しでも良いものにしたいからです。初稿は殆ど会話で、情景が見えない。人物が記号でしかないと言うご指摘を受けていたと思います。
 自分でもそう思いました。だから描写を鍛錬しようと思い、成果は出ていないようですが、その工夫はして来たつもりです。どうも、その方向がズレていたようですが。

 ただ、ご承知の通り、ごく一部の方を除いて殆ど無視されてきたことも事実です。
 私の感覚としては、多分、このサイトに参加されている方々の多くが、大袈裟に言えば、純文学のみを小説と思っていると感じていました。あと、ラノベ的なものも受け入れられているが、それはトレンドに迎合しているだけで、本心では無く仮の姿だろうと思っていました。
 で、何が言いたいかと言えば、時代・歴史小説を、古臭いもの、通俗的なものと決め付けて、高尚と思っている純文学と対比させて馬鹿にしている。そう感じていました。
 私の見方としては、純文学とはどうでもいいことをグダグダ綴る、私小説に近いものと言うものでした。どうして、もっと大きく見ようとしないのか? 例えば、中年夫婦の心の行き違いを書き連ねることに何の意味があるのか? 社会への対応障害の心理を書き連ねることに何の意味があるのか? そう思っていました。それは、人の心理は奥深いかも知れませんが、例えばウクライナみたいに、突然そこが戦場になってしまったら、殺されないこと、水や食料を確保すること……と優先順位を並べて行ったら、果たして何番目に重要なことなのか? 
 人は昔から長い営みを続けています。その中で社会を作り、組織を作り、また、戦い、壊し、また新たなものを生み出す。そして今が有る。別物では無くその延長線上に今が有る訳です。そして、そこから学ぶことは限りなく多いはずです。何千年経っても進化するどころか、繰り返している愚行も有る訳です。小説では有りませんが、私は、ロシア侵攻を一月近く前に予測し、第二次世界大戦前と状況が告示していること、ネオナチとウクライナを批判しているプーチン自身が、実はヒトラーと酷似していることを指摘しています。こんなことを書くと、何、みっともない自己アピール、自慢話してんだと批判されるでしょうが、歴史から未来を予測することは出来るし、人の記憶の中には、民族の記憶も含まれていると言うことです。純文学は高尚で時代・歴史小説はチャンバラと言う意識を持っている方が多いと思っていました。

 では、何故、そんなサイトに投稿を続けているのか? と当然言われるでしょうが、純文学を目指す方たちは、描写が上手いということは確かです。中には文章を飾ることに固執している方々も居ますが、飾った文章に興味は有りません。不用な部分は捨てて描写力を学ぼうと思いました。

 と余りにも本音で書いていますので、顰蹙ものとなるかも知れません。

 兎に角、そんな考えのもと連載を続けていますが、余りの無反応に心が疲れることも有ります。ひと呼吸置いて現代ものの小品でも書いてみるかと思ったのが今回の動機です。

 どうせ、汚い言葉で扱き下ろすコメントが付くだろうと思っていました。ところが予想外でした。頂けたコメントの数も予想外でしたが、皆様、貴重な時間を使って真剣に批評しアドバイスして下さっているので驚きました。上から目線で扱き下ろすだけのコメントを意味の有る酷評とは思いませんが、今回頂いたコメントはどれも貴重なご指摘であり、今後の私に取って重要なアドバイスであると思えます。皆様有難う御座います。

 じっくり読ませて頂いて、個別に返信をさせて頂くつもりですので、少しお時間を下さい。

 息抜きのつもりで書いてしまったので、余りにも訂正が多く、いい加減な態度で投稿してしまったことを恥ずかしく思い、お詫びします。

夜の雨
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ラストに喪失感が必要。

 >体調を崩したと言って神戸の実家に帰ったのは、それから一週間後の事だった。<
●ここから始まりラストまでを練り直す必要があり。
 >>後から知ったところでは、その翌日入院したそうだ。二週間後、溶体が急変して命を落としたという報告がガヤの妹から届いた。
 子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかったという。<<

ラストを簡単に書きすぎなので、主人公の「神谷」がヒロインの「ガヤ」を亡くした「喪失感」のようなものまで、描くとよいと思います。
御作は神谷がガヤを好きになりコミュニケーションをとってデートするところなどは、描かれいるのだから、その彼女が亡くなるということになると、ショックを受けるはずです。
ところが、御作のラストはあっさりしていて、この「神谷」という男は本当に、「ガヤ」を好きだったのかと疑うぐらいです。
ガヤが亡くなったと知った後に神谷の後悔が必要です。
上のラストに、ガヤを亡くした喪失感を書き込む。
自分(主人公)を追い詰める。
どうして灯台に行ったのだろうかとか、どうして彼女が螺旋階段で遅れたときに無理をさせたのだろうかとか、そもそも俺が、彼女と出会わなかったら、知り合わなかったら、好きにならなかったら、彼女は、ガヤは死ななかったのでは……。
という具合に、喪失感やら後悔やら、自分を追い詰める設定が必要だと思います。
そうすることにより、ラストが盛り上がり、余韻が残る。

以上です。

アリアドネの糸
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 拝読しました。


 導入部が頭に入りにくくかったですが、導入部を超えるとそんなに悪くないといいますか、テンポがよく意外と読みやすいというのは最初の印象。

 まずは会話文。会話文を冒頭にもってくるってのは案外勇気のいる選択で、なぜかっていうと、キャラのことを知るよしもない読み手には、結構負荷が掛かることだから。どんな人がどんなふうに喋るかの事前情報が当然ないし、Sound onlyで空気を掴むのは、空白の処理、つまり想像力、が読み手に要求されることだから。逆に、その人となりがわかった後だと会話はするする入ってくるというお話で、キャラが確立した作品は、もうそのキャラがただ飯を食っているだけでも面白くなるって話とも通じて、二次創作なんかはそれでなりたってしまうところがあって、というのは蛇足。けれど、だから、冒頭部の会話は、逆説的なんだけど、キャラの空気感やらを伝えるために慎重に配置されるべきことのようにおもうわけです。主人公が「うん」と答えるのか「おう」と答えるのかで、随分印象が違うわけですし。その点で見ると、飛ばしすぎというか奇を衒いすぎな印象がありました。冒頭からぶっちぎり会話でインパクト重視ってのもアリなんだけど。雪国からの引用での洒脱さの演出とか、それから「Amazing」だなんてアメリカ人じゃないんだからとか、会話を面白くしてやろうというサービス精神が濃密でかえって逆効果だった気はしないでもない。エスプレッソよりもアメリカンコーヒーがよいです。朝は特に。もう昼だけど。

>そこは館山
 からの描写は、イメージが湧きづらいというのはManeskinさんに同意。語りのテンポはいいから、多分、情報のつなぎ方とかそういうところで解決することかもしんない。

 そもそも冒頭は筆がのらないこともあるので、それはそういうもんだとおもって、読み続けましたが、中盤からはテンポがよく読ませるものになっていたような気がします。ただ、やっぱり、情報ベースでしかお話が進まないんですよね。起こったことの説明でしかないといいますか。それでも、語りの軽るい感じとテンポのよさで読みにくくはまったくないのですけど、物足りなさは感じてしまうといった具合。会話文も同じですね。情報のやり取りでしかない。逆に、イッヒッヒっていう笑いの描写を埋め込んでいるのはとてもよかった。イッヒッヒの奇の衒い方はともかく。言葉ってのは情報でしかないのだけど、読み手の受信するレイヤーが違うんですよね。こういうふうに角度をつけると。

 脱線しますが、例の歴史小説を読ませてもらったことがあるんですけど、とにかく、噛み砕いた年表の再編集ドラマを眺めている気持ちになったんです。もちろん、史実がエピソードに落とし込まれているわけなんですけど、そうですね、「歴史なり設定なりを正確に伝える」という意識が強すぎるのかもしれない。もっといえば史実愛が深すぎる。キャラもだから脚本都合になぞられている感と言いますか。アプローチとしては逆の方がいいのかもしれないです。史実というでっかいバックボーンがあるわけだから、歴史をリスペクトしつつも思い切って自由なストーリーラインで動かしてみては、歴史リスペクトを忘れることはないだろうから、出鱈目に脱線しないだろうし、勝手に史実バックボーンが深みをましてくれるフィードバックかかりますよたぶん。歴史小説に疎いので、歴史小説の流儀をしらないから、的外れかもしれないケド。また青木さんの小説を読んだのは一年前ぐらいのことで、最近の改訂版は読んでいないので、そこも的外れだったら読み飛ばしてください。

 結末については、どう受け止めればいいかわからなかった。唐突さによる喪失感の演出か、ただの尻切れトンボなやっつけ結末なのかの判断がつかないのは、伏線が足りていないからなのかもしれない。

 最後に余計ごとを書くと、アリアドネは青木さんの嫌う描写大好きマン一派だけど、あれってどうでもいいことをくどくど書いているのではなくて、どうでもよくないからこその重ねざるをえない言葉たちなんですよ。言外の妙ってのは、わかったことの組み合わせの中でのシナジーとして生まれるわからなさのことだと個人的にはおもうんよね。なぜなら、小説ってのは言葉によるイメージの想起が前提の表現だから。ちなみに、そのアプローチを高尚だとか言うのは、価値付けを小説以外のとこから持ってきたがる見栄っ張りマン一派のことであって、そこに与しているつもりはないです。歴史小説だって、ライトノベルだって、なろう小説だって、大衆小説だって、純文学小説だって、どれもこれも言葉で書かれただけの違った側面の価値をもつ表現なんじゃないかね。バスケとサッカーのどっちが強いみたいな話をされているトンチンカン気分、ってのは本当に余計ごと。

青木 航
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 上松様読んで頂き、ご丁寧な指摘有難う御座いました。他の方々にも順次返信させて頂きます。

>喫茶店の場面からしてそうですが、話が堅く面白くない。

◎自分としては、軽い調子で書いたつもりで、面白くないと言われるのは仕方無いとしても、『話が固く』と言われるとは思いもしませんでした。正直、ご指摘頂いても良く分かっていません。

>レスリングの技掛けの話も長い。
>もし、馴れ初めの話題として解説したいなら短く数回に分けるべきです。
その都度、ガヤの反応や短い返事を入れれば、場面が具体的になり生きてきます。

◎なるほど、そう言うことですか。分かりました。

>マスクは茶店でお茶する時点で外しますから、かわいいかどうかが旅行するまでわからないというのもおかしな設定です。

◎どこかに書かなければならないと思い、後から慌てて突っ込んだ部分です。投稿間際に突っ込んだので、前後の関係の吟味が決定的にかけていました。申し訳有りません。

>さらにガヤの風貌描写も定型的、形骸的で一考の余地があります。

◎"風貌描写" これは、顔の描写のことですかね。『鼻も口も美しい』『正統派美人』と言う表現が定型的と言うことなんでしょうね。そう言うことであれば納得します。
 体型や髪型、服装など遠景からの描写に付いては、かなりユニークに表現したつもりではいました。

>旅行パンフではないのですから、石段が何段あろうと、トンビが何羽いようと、神社の来歴がどうあろうと短くまとめて、オレの意識と関心はガヤに集中していなくてはいけません。

◎すいません読まれてますね。この辺は小説の流れとして必要と言うより、描写の練習のつもりで書いてしまいました。
 強いて弁解するとすれば、舞台監督的な視点で見てしまうところがあるかも知れません。背景を描写して絵面を決めるということに執着する。心理は役者が表現するし、表現は演出家が指導する。心理描写が足りないと言うことでしょうか。
 その心理は、読んだ人それぞれが想像すれば良い。こういうシチュエーションであなたならどう言う心理になりますか? なんてのは小説では禁じ手ですかね。

 実はラストの部分もそんな感じなんですが、昔読んだショート・ショートでどうとでも取れるように、読者に結論を投げてしまうようなものが有ったような気がします。そして、そんな終わり方を私は面白いと思っていました。

>あなたがなぜこのお話を書き、なにを訴えたかったのか、それが明確でないのが一番の欠点でしょう。

◎不器用な大学生の恋愛心理を書きたかったと言うより、程ヶ谷由紀ことガヤと言うユニークな女の子を書きたかったんですかね。ガヤの死を知った神谷は、練習に集中出来なくなり、レスリング部を辞める、スポーツ特待生だから、部を辞めるということは大学もやめることになり、リフォーム会社に就職し営業として働く。しかし、営業のセンスが無いことを自覚し、職人のように繰り返し鍛錬することで技術を磨いて行く方が自分には向いていると言う結論に至り、工事部への移動を願い出る覚悟をするところで終わるはずでした。
 しかし、これは神谷の話ではなく、神谷から見たガヤの話だと思い直して、ガヤの死を知ったところで切ってしまいました。
 タイトルも『ガヤがいる風景』ではなく『ガヤの居た風景』ですので、確かにそこからしてネタバレですね。伏線にはなりえないですね。

 色々ご指摘頂き有難うございました。結論として、情景描写では無く、心理描写が全然出来ていないということてすかね。有難う御座いました。

アリアドネの糸
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 訂正です。
>伏線が足りていないからなのかもしれない。
 すみません。この指摘は完全に間違いです。伏線は序盤からのマスクの描写や心肺機能のくだりなどたくさんありましたので。単純にアリアドネが急転直下の結末にストーリーラインではなく心情ラインとして納得がいっていないというだけのことでした。受け取るアリアドネ側の問題かと思います。

青木 航
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 夜の雨様、色々ご指摘頂き有難う御座います。
 
>ちなみにこの「ガヤの居た風景」というタイトルは、オチがわかりすぎるので、ほかのタイトルにしたほうがよいのでは。

◎後の箇所で、伏線に付いてのご指摘を頂いていますが、タイトルはオチがわかりすぎるので良くないが、伏線はもっとはっきりとしたものが必要と言うことでしょうか。
 実は『灯台を昇る螺旋階段で「ガヤ」が遅れるという「伏線」』の前に、ガヤが車に乗り込んだとき、すぐマスクを外すと言う薄い伏線を張っておいたのですが『なんか、鬱陶しくてマスク嫌いなの』とでも、台詞を一つ入れて置いた方が良かったですかね。肺機能が落ちている為に、マスクをしていると呼吸がしづらいので、しなければならないところ以外では、なるべく外していたいと言うことです。
 田宮は全く気が付かないと言う設定で、且つ読者にはなんとなく匂わせるには、どう書けば良いでしょうか。

 上松さんに『何が書きたいのか、書いた目的が分からない』と言う意味のご指摘を頂きました。
 私が書きたかったのは、田宮の目を通した、正に『ガヤの居た風景』なのです。
 ネタバレした上で、敢えてその情景を追う。つまり、タイトルそのままのガヤの居た風景を映像のように追って行くと言う構成には出来ないか、そう思いました。そんな意識が有って、田宮がガヤを撮り続けると言うガヤとのラストシーンを用意したつもりです。ただ、ストーリーの運びが少々乱暴だった事は否めません。

>ドライブ途中の、灯台を昇る螺旋階段で「ガヤ」が遅れるという「伏線」があったとはいえ、これだけで、ラストで「体調を崩したと言って神戸の実家に帰り、二週間後、溶体が急変して命を落とした。子供の頃から病気がちで、小児喘息が大人になっても治っていなかった、という急展開は「ちょっときつい構成だなぁ」と思いましたが

>ラストのオチへ持っていくために、もう少し丁重に構成を練りこむとよかったのではないかと

◎正に仰る通りで、掲載を急いだ為に色々露呈してしまいました。

>どちらにしても、しっかりとした「伏線」と「エピソード」が必要です。

◎はい。分かりました。

青木 航
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 Maneskin様コメント有難う御座います。

>わかりやすく書いちゃうとね、絵がないんですよ、絵が。感じられない。

◎そうですか。正直言って仰ることに理解が追いついていません。

>でもねやっぱり絵があると、読者が勝手に作品を読んでくれる牽引力として手助けしてくれるんだよね。

◎夜の雨さんへの返信にも書きましたが、私は『ガヤの居ない風景』と言う映像を書こうとしたんです。実際には『居たときの風景』と言うことになりますが、ご指摘に従えば、その試みは見事に失敗していると言うことになりますね。いや、失敗どころか試みにさえなっていないと言うご指摘ですね。そう言うご指摘は理解しました。

>自分が思うに、この冒頭の場面はどう考えたって「情報」より、「映像」として伝えた方が読者は読んでくれるだろ?

◎全く異論は有りません。そして私も、そういうつもりで書いています。

 下記が、例文としてご提示頂いた範囲に該当する私の原文で217字になります。お示し頂いた例文は309字と思います。

 目の前の景色はホント宮崎みたいに見えた。トンネルを出たとたんその景色が広がってた。もっともオレ宮崎行ったことないんだけど……。とにかく、道路の両側にヤシ。あの南国に生えてるやつね。その椰子が並木として並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。
 すっごく背が高い。それで、うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。まるでガヤだ。そう思うと余計おかしかった。

特に、
>、ウェルカム宮崎、日本のハワイってな感じで、旗を振って目の前でお迎えしてくれるような気分にさせられたんだ。目の前に広がる景色は、宮崎みたいに見えたんだな、ホントにさ。

 なるほど映像的かも知れませんが、この辺りは、私に取っては受け入れられない、はつきり言ってしまうと、嫌ったらしくわざとらしい表現と思えてしまいます。なんか、漫画の吹き出しセリフをイメージしてしまいます。

 田宮は宮崎には行ったことないのですから、
 目の前の景色はホント宮崎みたいに見えた。トンネルを出たとたんその景色が広がってた。もっともオレ宮崎行ったことないんだけど……。

で十分とは思っていませんが、不自然に飾る必要も無いと思っています。その後の風景描写を大袈裟にする必要もないし、シンプルでいいと思っています。折角のご好意をこんな言葉で返したら、さぞご不快と思いますが、正直な気持ちです。

>旗を振って目の前でお迎えしてくれるような気分にさせられたんだ。

 特にこの部分、典型的な借り物文章という感じしかしません。物書きが印象付けようと捻り出したような文章で、トンネルを出て椰子の街路樹を見た途端、ヤシ→南国→宮崎と言うくらいのイメージは湧くでしょうが、もし、あなたが運転していて、いきなり日の丸を振って歓迎してくれるハワイの光景まで浮びますか? 
 まして、宮崎にも行ったことのない田宮がですよ。リアリティが無い。私が日頃言っている不要に文章を飾る事になってしまうんです。
 せっかくのご好意にこんな返信は大変失礼かと思いますが、小説に関する考え方は色々あるでしょうから、自分の考え方をはっきり示しておくことは必要と思います。

 教えを請うところは請いますが、考え方を述べ合うことは必要と思います。

 或いは他の方から、『青木さん。それは違いますよ』と言うご指摘を受けることも有ると思いますが、失礼を承知で述べさせて頂きました。有難う御座いました。

夜の雨
ai203118.d.west.v6connect.net

再訪です。

 >私が書きたかったのは、田宮の目を通した、正に『ガヤの居た風景』なのです。
 >ネタバレした上で、敢えてその情景を追う。つまり、タイトルそのままのガヤの居た風景を映像のように追って行くと言う構成には出来ないか、そう思いました。

なるほど。それの方が深いですね。
それなら、導入部で「神谷」が「ガヤ」のことを思い出している設定のところで「亡くなった」ということを書けばよいと思います。または「そのとき、彼女の病はかなり進行していた」とか。
そうすると『田宮は全く気が付かないと言う設定で、且つ読者にはなんとなく匂わせるには、どう書けば良いでしょうか。』ここも、うまく書けると思いますが。
そのときおれは気が付かなかったが、彼女の病はすでにかなり進行していた、とか。書けるのでは。

>>
 日野原と栞が並んでいて、栞の向かい側にガヤが座っていたので、必然的に、オレはガヤの隣に座ることになった。
>「友達の神谷。顔知ってるよね」<
 日野原がガヤに言った。

>「プロレスやったらいいんじゃないですか。リングネームは『ボーンクラッシャー神谷』とか。ねえ、センパイ」<

●ちなみに主人公の名前は『神谷』ですよね。

>「絞め落とすぞ」と言って、オレがガヤの首に腕を回すと、ガヤはその指先を握った。<
このシーン、なかなかいいですね。

青木 航
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>ちなみに主人公の名前は『神谷』ですよね。

 すいません。またしても大ポカやらかしてしまいました。

 構成に付いてのアドバイス有り難く頂き、参考にさせて頂きます。有難う御座いました。

青木 航
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 シオカラ節様、お読み頂き有り難いお言葉まで頂いて本当に有難う御座います。

 褒められて頭に乗ってはいけないと思っています。至らないところは多いと思いますし、理に適ったダメ出しは甘んじて受けなければならないと思います。

 ただ、自分で納得出来ないものも口先だけで礼を言うと言う気にはなれません。それは先方にも失礼になると思います。
 わざわざ時間を割いて読んで頂けるのは本当に有り難いことですし、その上アドバイスまでして下さるのですから、それは、感謝しなければいけないと思います。その上で自分はこう考えると言うことも伝えなければ、上っ面の礼の言葉になってしまい、結果的に無視と同じになってしまうと思います。

 シオカラ節様とは初めてのやり取りとなるかと思いますが、感覚的に近い考え方を、お持ちなのではと勝手に思いました。

 それだけに、

>ただ、私も手放しで褒められる訳ではないのもまた事実で、その最たる理由としては、結末の素っ気なさ。

は重く受け止めなければならないと思います。
 ガヤの死を知った時の神谷の心理も全く書かれていませんから、そう思われるのは当然です。普通は、ここぞとばかり工夫して神谷の心理描写をするところですし、それが無ければ何の為に書いたのかさえ分からないと言われても仕方の無いところです。その狙いは、結果として失敗したと言わざるを得ないかも知れません。

 一人称の語り手・神谷の心理を描くのでは無く、神谷の目を通して、タイトルそのまま『ガヤの居た風景』を描こうと思ったのです。だから、殆どそこで終わりということにしました。 

青木 航
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 アリアドネの糸様、お読み頂き、コメント有難うございます。

 こんなに何人もの方に一度に頂くこと嘗て無かったものであたふたしております。そんな訳で返信遅くなってすいません。時代物から現代ものに変えただけでえらい違いです。
 アリアドネの糸様とはお久し振りです。コメント頂けて嬉しいです。

>導入部が頭に入りにくくかったですが、

◎仰る通り、分かり難く工夫が必要なところですね。今ではそう思います。

>会話文を冒頭にもってくるってのは案外勇気のいる選択で、

◎確かにそうですね。難しいです。

>キャラの空気感やらを伝えるために慎重に配置されるべきことのようにおもうわけです。

◎その通りだと思います。

>それから「Amazing」だなんてアメリカ人じゃないんだからとか

◎ガヤは英文科と言う設定なので、そのくらい言わせてもいいかなと思いました。

>からの描写は、イメージが湧きづらいというのはManeskinさんに同意。

◎イメージがわきづらいということに付いては勉強と工夫が必要かとは思いますが、aneskinさんが示した例文には全く同意できませんでした。理由はaneskinさんへの返信に詳しく書きました。私の考えが間違っているかどうかは、そちらを読んで頂いてご判断下さい。

 拙作、『坂東の風』に付いてもコメントを頂き有難う御座います。

>歴史をリスペクトしつつも思い切って自由なストーリーラインで動かしてみては、

とのご提案、他の方からも頂いたことが有ります。私の書き方としては、史実、存在が確認されており、その事績が明らかな人物に付いては極力そのまま書く。物語の中で登場人物が出世して位階や官職名が変わってゆきますが、実在の人物に付いては分かる限り史実そのままです。そこに、私の創作した架空の人物、或いは実在したと思われるが事績分からない人物の行動をハタを織るように織り込んで行く訳です。例えば、千方の周りの人達は殆ど創作上の人物ですが、父の秀郷、兄・千常を始め実在した人物も多く登場します。

 仰るような方向は、むしろほとんどの作家がやっていることで、大河ドラマ以外の時代劇、歴史ドラマは殆どそうなんじゃないですかね。
 何度も言ってますが、私は有り得ない話に興味が無く、有り得たかも知れない話を書きたいだけです。トレンドではないかも知れませんが、駄目では無い筈です。

田毎の月。
n219100086103.nct9.ne.jp

数日前に、画面あけて傍観してしまって、、、

いつもながらに、【書き出しが壊滅的にこっぴどい】のに戦慄したんですよ。。


悪口とか、理由なき言いがかりではありません。


ほおっておいても良かったんだけども、
ここのサイト【小説書きの鍛錬場所】だから。。

このマズさには、『さすがに気づいて、苦言呈する人がいるだろう』と期待してたんだけど、

「問題にもしてない」「気づいてもいない」状況って、

やばいと思うんですよ。。




書き出し・・


>『隧道を抜けるとそこは宮崎だった』

>なに? 『トンネルを抜けるとそこは雪国だった』をパクったつもり?

>『トンネルを抜けると』と言うと、モロ『雪国』のパクリになる


↑ うん、「どうでもいい」と一蹴されそうで厭なんだけど、
作者は川端康成の名文:「書き出しの金字塔」を、完全に間違って覚えている。。



川端のアレの書き出しは、

  【国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。】 だから。。



「重箱の隅!」と、嬉々として作者は誹謗中傷して来そうで厭なんだけど、

この掲載文の冒頭は、二重の意味でヤバい。川端読者ではない(1作も読んだことない)ワタシでも、ものすごくそう思ってしまうほど、

川端康成を軽視してしまっている。。



この掲載文の冒頭を、加茂が「妙に手放しで褒めている」じゃん??

ってことは「冒頭がどんだけマズイか」ってことなんだ。

田毎の月。
n219100086103.nct9.ne.jp

「絶対ありがたがられない」「教えることによって逆恨みされる」のが分かり切ってるので、、、


コメントしたくはなかったんです。


でも・・

ここのサイトの人ら、なんでか
『トンネルを抜けるとそこは雪国だった』って 間違って覚えてる人の方が多数派で、、
これまでにも何人も見た。。




レスはいらない(もらっても見ない。もう開けないと思う)んで、

「待ってました」と意気揚々誹謗中傷、罵詈雑言は 遠慮してくれ。


まったく割に合わないから。。

田毎の月。
n219100086103.nct9.ne.jp

せっかく黙っていたものを、言わずにおれんかったのは、

『最新コメ』欄にあがってた、青木の感想のヘッダーで、

>褒められて頭に乗ってはいけないと思っています




↑ 漢字!

青木の誤字・誤記は、【完全に間違って覚えている】パターンが多すぎて、、、


見てしまった人間は「気づいてしまう、目に付く」んだけど、
一々指摘するのも苦しいし、

指摘しても本人は「額面通りに絶対受け取らない」でしょう??



目にした側が、ただ悶々となる。

アルファポリスであけて見かけてしまった人らも、たぶん同じ【居心地の悪さ】を感じてる。




誤字脱字は誰にもあるんで、、、(ワタシにもいっぱいある)

「そこ」指摘されたら、素直に聞いて欲しい。




そんだけ。

Maneskin
5.102.6.253

こちらの言いたいことはほとんど伝わっていないし、文章を添削したつもりはまったくないのですけどね(文章を直した意図をまったく汲み取っていただけなかった)。あくまで技術的なことに限って書いたつもりでしたけど、どうもこう書けこれが悪いというふうにとられたのでしょうね。頭ごなしに否定されたというか。人に伝えることはつくづく難しいなと実感しました。

青木さんの中では、歴史が高尚なもので、他のジュンブンガクなどはくだらないものという確固とした格付けがあるのですよね。ジュンブンガクはくだらないことを書き、歴史ものは人類の高尚なことについて書く。もっと露骨に書いちゃうと、ずっとこのサイトに張り付いていながら、ここにいるすべての人を心の底では思いっきり見下している。何もわかっちゃいないと思っている。そういう思いがあるんじゃないですかね。でもね、それはある意味で当たっているし、その通りなんだろうと思います。たかが小説だもん。なくたって生きていけるのは、当たり前。でもさ、長い間言葉にできなかったことが、小説を読むことによって言語化されて、何をしても燻っていた気持ちが小説を読むことで晴れたとか、誰かの体験を小説として読むことによって追体験できてスッキリしたとか、おそらく作者なら誰でも持っているはずのそういう原体験をしてこなかったのではないですか? 自分の書いた高尚な歴史小説を他人に読んでもらって賞賛されたいという欲求は強い。小説は嫌いだけど、自分の高尚な歴史観を他人にわからせるには、くだらない小説にでも頼るしかない、と青木さんは言っているように聞こえてしまうんですが、僕は間違っていますでしょうか?

作文の添削をしたんじゃないんですよ。青木さんは根本から大きく勘違いされていると思います。

小説は会話、説明、描写で成っているだけなんですよ。描写描写と言われるのは、作品と読者の橋渡しをしているのが描写だと思うんです。イメージや喚起力の乏しい小説って、読みにくいんですよ。読んでいて疲れる。読者に読んでもらうためには、描写による力を使って、読者に楽して小説の世界を旅してもらうためにあると思うんです。読者って一度世界に入ったら、一度ファンになるくらいにハマったらついてくるんです。でも、最初は丁寧に丁寧に、世界に入ってきてもらう手助けを全力でしないといけないんです。会話と説明文だけではかなり厳しいはずなんです。その点をよくわかっていたら「坂東の風」はすごい傑作になったと思うんです。描写ってのは読者が作品世界に浸かれる役割を果たしていると、僕は思うんですよ。伝えたいのはシンプルにその一点だけです。膨大な歴史と、一般人の読者を小説として繋ぐものってのは、いかに描写を書いて、それによって膨大な歴史という世界を伝えることができるか、ってそういうすごく単純なことを言いたかっただけなんですよね。返信で書かれてある、飾った文とか、シンプルな文とか、なんてのは感性のことであり、まったく二次的なことであって、はっきり言うとどうでもいいです(よくはないけど)。そういうことを言いたくて書いたんじゃないんですよ。問題の本質からひたすらズレています。どうも青木さんの返信と僕の間には大きなズレがある。つまり、小説読んで心動かされてそれが書く動機になっているという「前提」そのものがないように感じられたんですね。

 だったら「坂東の風」は小説ではなく新書という形にしたら、描写がないから自分がやりたいようにやりたい形で書けるんじゃないですか。自分の描きたいことを貫いてここまでの大長編にまとめ上げたエネルギーは賞賛に値します。でも小説として本で出すよりか、よほど簡単に本になる道が開けるような気がしますよ。僕も新書を出した経験のある著者なんでそう言うのですが。青木さんがなんで小説という形に拘るのかまったく理解に苦しみます。ネット小説でいいのなら、アルファポリスなどですでに読者はいるじゃないですか。「坂東の風」を読みこなすことができた青井さんなんかは、もともとその手の情報が事前にある方だからだと思うんです。でも普通の人にはないですからね。

えんがわ
KD106155001056.au-net.ne.jp

おはよーです。

ガヤが可愛かったですよ。
デートシーンとか読んで、春の元気な海にぴったりな人だなって思いました。

ただ、読んでいてちょっと疲れてしまう部分がありました。説明の比重が多くてちょっとヘビーなのかな。
これは自分でも良くわからないので、ごめんなさい。感覚的に。

あと、最後は急でした。
ショートショートならアリだと思うんですけど、ここまで追ってしまうと。
何かガヤが紙幅の都合上、命を使い捨てられたような感じがしました。好感を持っていただけにショックでした。

病気だと判明して、看病をしながら二人がココロを通わせるシーン。そういうのなら、読みたいと思うのですけど。

青木 航
sp49-96-230-208.msd.spmode.ne.jp

 月さんお久し振りです。内容に付いてのコメントなので、対応させて頂きます。

『読んで頂き有難うございます』なんて定形の挨拶したら『読んでない。チラッと見てスクロールしたらあんまりひどいから』と言うのが、貴方の定番のアプローチでした。

>【国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。】 だから。

◎月さんとも思えない指摘ですね。作者語りの地の文では無く、文学部とは言え三流大学にレスリング特待生で入った神谷の語りですよ。しかも、宮崎みたいと言いながら行ったことも無いのに平気で例える男ですよ。その辺考えて下さい。登場人物は完璧な知識を備えていなければならないと言う理論があったらお教えて頂きたいものです。

 書き出しが良くないと言う事に付いては認めます。他の方にも指摘されてますし、分かり難いと思います。

>この掲載文の冒頭を、加茂が「妙に手放しで褒めている」じゃん??

 ちょっと何言ってるか分かんないんですけど……。最近加茂さんも見ないし。

>レスはいらない(もらっても見ない。もう開けないと思う)んで、

 相変わらず、終始一貫、同じスタンスですね。そう言いながら、ディスったら途端に噛み付いてきたこと何度もありましたよね。記憶力いいんだからしっかり覚えてますよね。ポーズがバレバレでも変えないところは、信念の人なんですかね。

>青木の誤字・誤記は、【完全に間違って覚えている】パターンが多すぎて、、、

 これに関しては完敗。『図に乗る』ですよね。この作品、仰る通り誤字脱字が多すぎです。校正せずに載せてしまいました。皆様に大変失礼な態度でした。
 このネタで三年位はイビれますね。

青木 航
sp49-96-230-208.msd.spmode.ne.jp

 Maneskinさん、再訪有難うございます。
長広舌には後でゆっくり対応させて、頂きます。

 余りお見掛けしないHNの割に私のことウオッチしているようなので、Kjさんの双子の兄弟ではないかとさえ思えます。

 委細は後ほど。取り敢えず失礼します。

青木 航
sp49-96-230-208.msd.spmode.ne.jp

 えんがわ様、お読み頂きコメント有難う御座います。私の記憶ではコメント頂けたのは、これで二度目ではないかと思います。
 
>ガヤが可愛かったですよ 
とまず入って頂けたのは嬉しいです。

 その上で、

>ただ、読んでいてちょっと疲れてしまう部分がありました。

 他の方にも同じようなこと言われてますので、そうなのかな? とちょっと落ち込みます。こちらとしては、思いっきり軽く書いてるつもりなんですけどね。

 直前まで思いっきり軽く行き、妹からガヤの死を知らされてどんでん返しでラストと言う感じでかいたつもりが、そうはなっていなかったようですね。

>ショートショートならアリだと思うんですけど、ここまで追ってしまうと。

 そこなんですかね。オー・ヘンリーとかイメージしてしまったのかもしれません。ファッションで言えばコーディネートがなっていないと言うところですか……。有難う御座いました。

青木 航
sp49-96-230-208.msd.spmode.ne.jp

遅くなりました。Maneskinさんの再訪コメントにお答えさせて頂きます。

>僕は間違っていますでしょうか?

◎人の気持ちを勝手に推測して決め付けるのはやめましょう。

>読者に楽して小説の世界を旅してもらう

 それが、トンネルを出て椰子の並木を見たとき、『宮崎みたいだ』と思うだけでは映像にならないから、旗を振って出迎えてくれる情景を描写すれば映像化されて分かりやすいと言ってるやようにしか私には読めなかったのです。
 トンネル出たとき、旗振って歓迎される光景なんか想像する奴居ますか? リアリティーが無いんですよ。文章を飾ることばかり考えていて、それが良い文章だと思っている。正直に言えば、そう感じた訳です。

◎話は逸れますが、えんがわさんの作品読ませて頂きました。奇をてらわず、素直で良い描写だと思いました。『ああ、描写って、こんな風にすればいいんだ』と大変勉強になりました。

>最初は丁寧に丁寧に、世界に入ってきてもらう手助けを全力でしないといけないんです。

◎その辺は、出来ていなきことを含めて同意します。

>飾った文とか、シンプルな文とか、なんてのは感性のことであり、まったく二次的なことであって、はっきり言うとどうでもいいです

◎そうは思いませんね。読んでいてむずかゆくなるような文章は願い下げです。

>そういうことを言いたくて書いたんじゃないんですよ。問題の本質からひたすらズレています。

◎ではどう言うつもりで載せた例文なんですが? 当然、『どうです。こうすればずっと良くなるでしょう』と言うつもりで載せたんですよね。だってそれ以外に載せる意味は無いでしょう。ただ、私はそう思わなかったと言うだけのことです。ズレてはいませんよね。

>だったら「坂東の風」は小説ではなく新書という形にしたら、描写がないから自分がやりたいようにやりたい形で書けるんじゃないですか。

◎随分と馬鹿にした言い方ですよね。『描写が少ない』とか『うまくない』くらいなら許容出来ますが、描写が無い訳ないでしょう。確かに気取った言い回しは一切してませんけど。それが、貴方に言わせると“描写が無い”ということになるんですか?
 以下は、余計なお世話以外何ものでも無いので、ここまでで失礼させて頂きます。。

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>> 余りお見掛けしないHNの割に私のことウオッチしているようなので、Kjさんの双子の兄弟ではないかとさえ思えます。

青木様、マネスキンさんに失礼ですよ。
私とマネスキンさんは別人です。確たる証拠もないのに、そんなことを言ってはいけません。
それに、青木様のことをウォッチしている人なんて誰もなんていません笑。気にしすぎですよ。

>>指摘しても本人は「額面通りに絶対受け取らない」でしょう??

そこが青木様の興味深いところです。
独特の青木フィルターがあります。
ご本人のおかしみが、もっと作品に出ればよいのですが……

青井水脈
om126156196007.26.openmobile.ne.jp

青木さん、私も読ませていただきました。

>そこは館山。

>ここは館山。

かなり細かなニュアンスですが、「そこ」だと、語り手のいる位置から少し離れた場所というイメージ。
「ここ」の方が、語り手がいる場所そのもののイメージなので。thereとhereの距離感の違いでしょうか。

>ガヤにも話し掛けず、オレは何故かトンピを眺めていた。

ここだけトンピになっています。
あとは、私も広島以外にも厳島神社があるのを知らなかったり、軽快に読んでいましたが、ラストは他の方も言うように唐突な終わり方でした。


>とにかく、道路の両側にヤシ。あの南国に生えてるやつね。その椰子が並木として並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。

描写などであれこれ言われますが、上記は読んでイメージしやすく、初めて見た景色への驚きもよくわかります。
「坂東の風」でも、千方が目にする下野の郷。三人称と一人称では違ってくると思いますが。草原から連れてこられたばかりの千方の目に映った風景、郷の様子そのものですね。
確か会話で、草原はどんなところか郷の子に聞かれて答えるシーンはありましたが、それより早く、それこそ一話目から書いてみるとか。

Maneskin
5.102.6.253

青木さん

後でゆっくり対応させて頂きます、と書かれながらも、こちらが突いた箇所を見事に避けているじゃないですか。これが青木さんの言う答えというものなのですか? 馬鹿にしてませんか。僕は非常にがっかりしましたよ。自分の見栄を張って、プライドを守っているだけのよう気がしますよ。青木さんはもっと骨のある人だと思っていましたが、こちらの完全なる誤解だったようです。自分が馬鹿でした、とつくづく反省しました。せっかく青木さんの本音が聞けるかなと期待していたのにこれだとは。そうやっていつまでも自分の殻に入っていてください。あなたもけっきょくはあなたが普段から悪口を書いている人となんら変わらない。いや、丁寧ぶっているだけ、余計にタチが悪いのかもしれません。もうあなたと関わりを持つつもりはないです。ちなみに青木さんのことなどウォッチしてませんよ。自意識過剰すぎませんか。あれだけ派手にやったら目につくというものですよ、しかも5チャンにまで。ご自分の態度を省みたらわかると思うのですが、わからないんですね。不思議な方だなあ。

非常にムカついたので、ごはんにしばらくいる気が完全に失せたし、もうコメントを残すこともないと思いますので、どうか安心してご自身の執筆活動に精を出されてくださいませ。

青木 航
dw49-106-174-133.m-zone.jp

Maneskinさん

◎仰る意味が全く理解できません。

>なぜこの話を書いたのか、何を訴えたいのかが明白でない、

◎ガヤと言う変わった女の子を書きたかったんです。

>絵がないんですよ

>だけどやっぱり映像の方が頭に残りやすいんだから。青木ささんもそれには同意するよね。

>「映像」として伝えた方が読者は読んでくれるだろ

◎貴方の示した例文が描写で、私のは説明だと仰りたいんでしょうけど、私は同意出来ないとお答えしてますよね。

>こちらが突いた箇所を見事に避けているじゃないですか。これが青木さんの言う答えというものなのですか? 馬鹿にしてませんか。

◎私の理解力が足りないのか、貴方の説明が分かりにくいのか知りませんが、一切誤魔化したり逃げたりしてません。

 私が逃げてると仰るのなら、何を答えて無いと言うのが、何を誤魔化していると言うのが、愚鈍な私にも分かるように箇条書きで書いてください。そうすればお答えします。

 あとは繰り言ばかりなので、対応するべきことでもないですね。

青木 航
sp49-96-242-76.msd.spmode.ne.jp

 青井様、いつも有難う御座います。コメント頂けてホッとしました。

 何しろ嘗て無いほど大勢の方からコメント頂けて、勿論嬉しいのですが、戸惑いもありました。例の二人の女性にディスられて、こちらもムキになって、往復のコメント数が百を越えたことが有りましたが、思えば、馬鹿な事に時間を費やしたものだと思います。作品評としてこれほど多くのコメントを頂いたのは初めてです。

 それは兎も角として、バタバタしていて青井様への返信が遅くなったことお詫びします。

 さて、本題ですが、

>>そこは館山。

>>ここは館山。

>かなり細かなニュアンスですが、「そこ」だと、語り手のいる位置から少し離れた場所というイメージ。
「ここ」の方が、語り手がいる場所そのもののイメージなので。thereとhereの距離感の違いでしょうか。

◎確かに仰る通りだと思います。最初は"ここ"と書きました。一見、現在進行形で書いていますが、ガヤが生きていた時の過去のエピソードです。物理的な距離ではなく、時間的な距離を表す為に"そこ"としたのですが、他の条件との整合性からどうなのかなという気は有りました。

>>ガヤにも話し掛けず、オレは何故かトンピを眺めていた。

◎今回、そこばかりでなく、すいませんどころか誤字ばっかりで……ぶっつけ仕事で大変申し訳有りません。
 お陰で、最近、漸く近づいて来なくなってやれやれと思っていた月まで、それを見付けて、大喜びで噛み付いて来てしまいました。

>ラストは他の方も言うように唐突な終わり方でした。

◎思惑はあったのですが、見事に外れたようです。

◎描写に付いては色々フォローして頂きお気持ち有り難く頂戴します。

◎申し訳有りません、下のご提案、特に『』で囲った部分の意味を取りかねております。どう言うことでしょうか?

>確か会話で、草原はどんなところか郷の子に聞かれて答えるシーンはありましたが、『それより早く、それこそ一話目から書いてみるとか。』

 何れにしろ、有難う御座いました。

青井水脈
om126156217209.26.openmobile.ne.jp

再訪失礼します。

>確か会話で、草原はどんなところか郷の子に聞かれて答えるシーンはありましたが、それより早く、それこそ一話目から書いてみるとか。

風景描写。どんな景色なのか、つまり舞台となる場所の様子ですね。
「坂東の風」の一話目は、千方が何の前触れもなく下野の郷に連れてこられましたよね。そこからストーリーが進みますが、話が展開する前に、もう少し描写があるといいかと。
・草原は近くに山がなく、南部には湿地が広がる。対して、下野の山中の郷。
千方が目にする風景が大きく変わりますし。読み手には、千方の目を通した風景が伝わるように書いてみるのもいいかと。

青井水脈
om126156217209.26.openmobile.ne.jp

続きます、「坂東の風」十四話の分ですが、もう3面にあるのでこちらに。

>「忠頼殿。塞《ふさ》ぎ込んでいてはならん。兵達が見ておる」 古能代にそう言われ我に帰った忠頼は、矢継ぎ早に指示を出し始めた。

後半、戦の後ですね。
>我に帰った→我に返った

あんまり月さんが「漢字!」と言うもので。鋭いですよね(笑)
でも頭(図)に乗って〜の誤字は、「頭(ず)が高い」から派生したとか?

もう一つですが……。

>眉根を寄せ肩で息をしながら、千方は、父・秀郷から貰った毛抜型太刀《けぬきがたのたち》を構えたままゆっくりと立ち上がった。それに連れて敵もゆっくりと立ち上がる。

「貰った」より「譲り受けた」の方が合うというか、しっくりきます。

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>>例の二人の女性にディスられて、こちらもムキになって、往復のコメント数が百を越えたことが有りましたが、

青木様と二人の女性は仲良いんですね笑

マネスキンさんに答えてあげてください。
失礼ですよ。

青木 航
sp49-96-30-136.msd.spmode.ne.jp

 煽り屋Kjのコメントは、作品に無関係なので無視します。

 こんな事を書いてる暇があったら、キリスト教国での宗教行事の大事さを少しは勉強したら良い。字面だけ飾ってリアリティーの無いストーリー。

青木 航
sp49-96-30-136.msd.spmode.ne.jp

青井さまご丁寧にお答え頂き有難う御座います。か遅くなって申し訳有りません。

>下野の郷に連れてこられましたよね。そこからストーリーが進みますが、話が展開する前に、もう少し描写があるといいかと。

◎はい、なるほど。山中の小さな盆地に作った隠れ郷と言う設定で、はっきり言ってここの部分は絵空事なので、考えてみれば、細かく書けば書くほどリアリティーが無くなって行くような気がして避けてしまったんですね。

>後半、戦の後ですね。
>我に帰った→我に返った

◎誤用でした。ご指摘有難う御座います。

>あんまり月さんが「漢字!」と言うもので。鋭いですよね(笑)
でも頭(図)に乗って〜の誤字は、「頭(ず)が高い」から派生したとか?

◎確認せずに書きました。
 この作品は、申し訳ないですが、はっきり言ってぶっつけでした。坂東の風の方はそれなりに推敲しているつもりなのですが、脳が正しいと思い込んでしまっているせいか、自分の文章と言うのは、何度か読み返しても全く誤謬に気付かないことが有ります。

>>眉根を寄せ肩で息をしながら、千方は、父・秀郷から貰った毛抜型太刀《けぬきがたのたち》を構えたままゆっくりと立ち上がった。それに連れて敵もゆっくりと立ち上がる。

>「貰った」より「譲り受けた」の方が合うというか、しっくりきます。

◎……ですね。この時代、会話でも父に対しては敬語ですものね。"地の文"とは言え『貰った』では雑な感じがしますね。

 有難う御座いました。

風呂糸
p7443de62.tubecm00.ap.so-net.ne.jp

こんにちは
以前、創作掲示板の青木さんのスレにコメントさせていただいた者です。
コメントを書いた手前、『坂東の風』のことはなんとなく気になっていました。ただ何分にも長いので、ちゃんと読んだのは幼年編だけで、以後はストーリーの流れを追うために眺めるくらいです(すみません)。

本作は短編として完結しているので、これなら感想が書けるかもと筆を執りました。
作品を一読し、その後に感想欄も読ませていただきました。そして「私の見方としては、純文学とはどうでもいいことをグダグダ綴る、私小説に近いものと言うものでした」というコメントに、「おや?」と思いました。青木さんはどうも純文学に偏見をお持ちのようですが、本作はジャンル的には純文学だと思います。少なくともエンタメではありません。エンタメなら作中で何かしらのトラブルが起こり、主人公が解決のために奔走する流れになると思うのです。
しかし本作は、主人公とガヤの馴れ初めと、二人のドライブデートの様子が淡々と書かれていて、特に事件が起こるわけではありません。しかも「私が書きたかったのは、神谷の目を通した、正に『ガヤの居た風景』」がテーマです。もちろん純文学と言い切るには内容が浅い気もしますが、ガヤの死を知った主人公が喪失感を覚えるまでを書いたら、これはもう純文学と言っていいのではないでしょうか。
まあ、それはともかくとして^^

本作は主人公の一人称で書かれています。一人称は地の文が主人公の視点で書かれるので、文章も主人公の性格に沿ったものになります。
冒頭はドライブシーンで始まり、途中で主人公とガヤの馴れ初めを挟み、その後は最後までドライブシーンが続きます(ラストのガヤの死は別として)。つまり馴れ初めのシーンを除いたら、一日の出来事が書かれているんですね。
それなのに前半と後半で主人公のキャラが変わっています。
冒頭の主人公は頭の軽い大学生キャラという印象です。会話文も地の文も、そういうノリで書かれています。月さんへの返信にも「文学部とは言え三流大学にレスリング特待生で入った神谷の語りですよ。しかも、宮崎みたいと言いながら行ったことも無いのに平気で例える男ですよ」と書かれていますから、青木さんもそういうキャラとして設定されたんですよね?
ところが「日野原はちゃんと約束を守ってくれた」辺りから、普通の大学生キャラになり、「レンタカーを借りて、駅前で待ち合わせた」からは真面目な大学生キャラになっています。
なにしろ「ウオッ、ナニコレ。『隧道を抜けるとそこは宮崎だった』ってか?」「トンネルを出たとたんその景色が広がってた。もっともオレ宮崎行ったことないんだけど……」なんておちゃらけたことを言っていた人が、「灯台に向かう道は小砂利の上に薄くアスファルトを掛けて、その上からブルーの塗料で着色したようななだらかな坂道だ。その坂道と並行するように十段ほどの階段が有って、小ぶりな松の林に囲まれた神社になっている」と真っ当なことを言っているんですから。
たった一日で主人公のキャラが変わるとは思えません。思うに前半は主人公の語りだったのが、後半から作者の語りになってしまったんじゃないでしょうか。単純な推敲不足だと思いますが、一人称の地の文としてはNGですよね。

もう一つ、これは作品の感想ではありませんが、Maneskinさんとの遣り取りで、どうも話がかみ合っていないように思えて気になりました。

>わかりやすく書いちゃうとね、絵がないんですよ、絵が。感じられない。
◎そうですか。正直言って仰ることに理解が追いついていません。

すみません。ここを読んで「なんで?」と思ったんですよ。
ご存知かと思いますが、描写は、例えば風景描写なら、画家が絵筆で風景を描くように、小説家は言葉で風景を描きます。
仮に冒頭の風景が ↓ こんな感じなら、
https://www.photolibrary.jp/mhd2/img850/450-20210807165504820.jpg
https://ameblo.jp/papagenopapagena/image-11219913514-11909460448.html
この画像と同じ風景が読者の目に浮かぶように書くのが描写です。
冒頭の文章を見た限りでは、宮崎に似ていることと、ヤシ並木があることしか書かれていません。これでは画像の風景を思い浮かべることはできません。
(これって読者が宮崎のヤシ並木を見たことがある、知っていることを前提に書かれていますよね。描写の鍛練をするなら、見たことがない前提で書くことをお勧めします)
そして描写は通常、五感(視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚)を駆使して書きます。
現状だと青木さんの文章は主観的な視覚情報で書かれています。そしてManeskinさんが書いた文章は、青木さんの文章に、客観的な視覚情報(トンネルを出ると暗かったのがパッと明るくなり)(ヤシの木が等間隔に両脇で並んでいて)、触覚情報(車窓から入ってくる風を受けながら)を追加したものです。
それでも画像と同じ風景を思い浮かべることはできませんが、客観的な情報が加わった分だけ、画像に近づきました。
これに、風に乗って草の匂いがした(嗅覚)とか、車のエンジン音がうるさい(聴覚)とか、空の色(視覚)、風は涼しいのか、肌寒いのか(触覚、体感)、建物があればどんな建物か(視覚)など、画像から読み取れる情報を追加すると、さらに画像に近い風景を読者に想像させることができると思います。

>角度を変えながら、オレはスマホで何枚もガヤの写真を撮った。そして、だんだん近付いて行って、更にアップにしてガヤの顔を撮る。

何枚も撮ったなら、すべて同じ表情、同じポーズではありませんよね。この時ガヤはどんな表情を浮かべていたんでしょう。口を開けた笑顔、閉じた笑顔、すまし顔、アカンベーをしたり、変顔もしたかもしれません。表情によってポーズも変えたんじゃないでしょうか。
この時、太陽はどの位置にありましたか。夕方であれば、ガヤの顔は夕日に染まっていたかもしれません。まだ陽が高ければ眩しさに目を細めたかもしれません。
この場所から海は見えますか。晴天なら海面はガラスを散りばめたように煌めいていたはずです。夕方ならオレンジ色に染まっていたでしょう。
小説は言葉ですべて表現しないといけません。でも描写次第で、読者は絵(映像)を思い浮かべることができます。
ぜひ主人公が見たガヤを描写してあげてください。ガヤを生き生きと描写すればするほど、彼女の死を知った主人公の想いが、読者に伝わると思います。

風呂糸
p7443de62.tubecm00.ap.so-net.ne.jp

続き

ついでに心理描写について。
心理描写は地の文で主人公の心情を詳しく書くことではなく、例えば主人公がガヤを「好きだ」と書かずに、好きだと感じさせるように書くのが心理描写です。
だから「オレはガヤに一目惚れしたんだ」と先に書かずに、

新入生歓迎会で、顔は可愛いが背が高く、昭和ファッションで髪はベリーショートの女の子がいたこと。ところが、【なぜかそれ以来彼女のことが気になって、キャンパスでも目で追っていつも彼女を探すようになった。】所属は英文。オレ国文なもんで講義で一緒になることは無い。学食で見掛けることはあるが、いつも友達と一緒で近付きにくい。【その内、彼女を見掛けた日は夜まで気分が良く、見掛けない日は物足りなさを覚えるようになった。】(← これはダメ押しです^^)

主人公は「ガヤが好きだ」とは一言も行っていませんが、【 】内に心理描写があるので、読者には「主人公は彼女が好きなんだな」と伝わります。
その後で「オレはガヤに一目惚れしたんだ」と主人公に自覚させた方が、描写が活きてきます。今回は現在、過去、現在という構成になっているので、せっかくの描写の効果が薄れてもったいないと思いました。

長々と、しかも一素人に過ぎないのに、偉そうなことを書いてすみません。そんなことは言われなくても知っていると思われたらごめんなさい。
少しでも参考になればいいのですが、気に障ったら、どうぞスルーしてください。
失礼致しました。

京王J
p1165143-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

「ウオッ、ナニコレ。『隧道を抜けるとそこは宮崎だった』ってか?」
 その風景にオレは思わず声を出した。
「Amazing!」

↑ やっぱりここは何度読んでも笑えます。(褒めてます)

青木 航
sp49-96-30-136.msd.spmode.ne.jp

 風呂糸様、お読み頂き且つ丁寧なコメントを頂き、大変勉強になりました。

 純文学を馬鹿にしたようなコメントを書いたことは事実ですし、アリアドネの糸様もそんなニュアンスでしたが、純文学を目指してる方々にご不快な想いをさせたことを、まずはお詫びします。私の単純さ未熟さから来たものですが、このサイトには多いだろうと思われる所謂、純文学志向の強い方々が私の書いているものを見下し鼻の先で笑っているような気がして、被害者意識が有り、その反動として出てきてしまった言葉です。

 殆どの方々は、そんなことは全くないのですが、一部、数人ですが、上から目線で馬鹿にし、汚い言葉を投げ付けて来るような人も実際ににおり、彼らに対する反発が肥大化してしまっていたようです。
 彼らが、自分は正しい事を辛口に指導してやってるのに『素直に受け入れず反論するとはとんでもない』と思って、異なる考えをぶつけ合って探って行く事を拒否しているのは、そう言う性格なのだから仕方がないと思えるようになって来ました。しかし、純文学志向と言う共通地盤に立って、彼らの一方的な態度を度外視して同調するような人が出て来ると、余計反発を感じたりもします。

 それはさておき、
>本作はジャンル的には純文学だと思います。少なくともエンタメではありません。

 仰る通りです。そして、純文学は好まないが、描写を勉強したいと思っているとも書きました。それで、トンビを描写してみたり、灯台と厳島神社に続く道の情景描写をしてみたりしてしまいました。それこそ描写の鍛錬のつもりになってしまって居たのですが、上松さんには、

>旅行パンフではないのですから、石段が何段あろうと、トンビが何羽いようと、神社の来歴がどうあろうと短くまとめて、オレの意識と関心はガヤに集中していなくてはいけません。

と指摘されてしまいました。それはそれでご尤もな指摘だと思います。
 一方、最初のシーンでトンネルから出たときの風景描写では、風呂糸様と同様の観点から仰ったのでしょうが、納得行かないアドバイスも有りました。
『トンネルを出て宮崎みたいだと思ったからと言って、旗を振って歓迎される光景なんかイメージする奴など居る筈ないだろう。単に言葉を飾って描写だと言ってるだけじゃないか。だから純文学志向の人は嫌なんだ』
 正直、そう思ったんです。Maneskinさんがこれ読んだら、また、頭に血が上るでしょうね。申し訳無い。お詫びします。如何にも教えてやるといった調子でトンチンカンな事を言っているなと思い、つい反発してしまったのです。

 作品に付いてですが、最後のぶつ切れ感はショートショートの手法を取り入れたつもりで、詳しく語らず読者のイメージを喚起しようとしたのですが、見事に失敗しましたね。
 
 上松さんのご指摘は、作品として不必要な描写が多いと言うことですし、風呂糸様のご説明は“描写”に付いての技法ということで、どちらも正しくご尤もだと思います。風呂糸様の解説は分かりやすく描写下手な私にも理解出来るものでした。有難う御座いました。

 ぶっつけ仕事で推敲が決定的に不足していました。描写の鍛錬のつもりなのか、構成を含めての習作のつもりなのか、その辺が全て中途半端だったと思います。何れにしろ失敗作ですね。

 ただこの作品について、予想外に多くの方から非常に貴重なアドバイス、ご指導を頂けた事は嘗てなく貴重な経験でした。

 あと、語り手のキャラクターが途中で変わってしまうと言うご指摘は初めて頂きました。改めて読み返してみたのですが、言われることもご尤もと思えるところも確かに有ります。
 ですが、ガヤを笑わせようと馬鹿話をするし、自分で筋肉馬鹿とも言いますが、本当の馬鹿ではありません。人間、いつも同じではないと思って頂くことには無理が有りますでしょうか? 

 何れにしろ、勉強になりました。他の方々を含めて、お教えいただいた事は今後に生かして行きたいと思います。有難う御座いました。

風呂糸
p7443de62.tubecm00.ap.so-net.ne.jp

再訪です。

>ですが、ガヤを笑わせようと馬鹿話をするし、自分で筋肉馬鹿とも言いますが、本当の馬鹿ではありません。人間、いつも同じではないと思って頂くことには無理が有りますでしょうか? 

無理ではないです。
キャラが変わったように感じたのは、「そこは館山。助手席で笑っているのは ~ そう思うと余計おかしかった」が地の文になっているせいだと思います。
前述したように一人称の地の文は主人公の性格に沿って書くので、これが主人公の素だと思ってしまったんですね。

そこは館山。助手席で笑っているのは“ガヤ”こと程ヶ谷由紀。大学の一個下の後輩だ。初めて見たときから好きだったけど、やっと一緒にドライブ出来るまでになれたということ。
「なんかここ、モロ宮崎じゃね? もっともオレ、宮崎に行ったことないんだけどさ」
「なにそれ、テキトー過ぎ」
 ガヤが声を上げて笑った。
 さすがにちょっとふざけすぎたかもだけど、ガヤが笑ってくれたからOKってことで。
 でも目の前の景色はホント、前にテレビで見た宮崎みたいなんだ。なにせトンネルを出たとたんに、道路の両側に椰子が並んでるわけよ。ただ、ズラッと並んでるって感じじゃないんだな。“マバラ”そう、間隔がかなりあってまばらな感じなんだ。
 すっごく背が高い。それで、うえーっの方にだけちょこっと葉っぱが付いてる。まるでガヤだ。そう思うと余計おかしかった。

例えばこんな風に会話文を挟んで、実はガヤを笑わせたくて、わざとふざけているんだと匂わせてもらえたら、主人公の印象も変わったと思います。
実を言うと、頭が軽い設定(だと思っていた)なのに、なぜ隧道という言葉がさらっと出てきたのか気になっていたんですよ。もしかしたらこれがおバカキャラじゃないという伏線になっていたのかも^^;

再訪ついでに。
本作は冒頭がいいのだと思います。手法としてはベタですが、誰もが知っているフレーズから入ると、読者も話に入って行きやすいですね。
また冒頭から話が動いているのもいいです。冒頭が説明で始まると、話が動き出すまでに間があるので、気の短い読者ならそこで読むのを止めてしまうかもしれません。
そういう意味では、現在→過去→現在という構成も良かったのだと思います。

ついでのついでに『坂東の風』のこと。
隅々まで読んでいるわけではないので(すみません)読み落としている可能性大ですが、あの作品は季節が感じられないのが気になっていました。
例えば幼年編で千常が千方を迎えに来たのはいつなんでしょう。
千方が十四歳になって間もなくなら、当時は誕生日ではなく、新年を迎えると一つ年を取るので、一月~三月頃(新暦なら十二月~二月)だと思うのです(別に何年何月と書いてなくてもかまいません)。
幼年編の冒頭に千常と朝鳥が萱原の里を馬で駆けるシーンがあり、道の両側に萱場が広がっている、みたいな記述があったと思います。もし一月~三月なら、萱は前年の秋に刈り取られて、まだ芽吹いていないので、『道の両側には枯れ色の萱場が広がっている』とあればいつ頃なのか分かります。
その後、千方は蝦夷の里で約一年を過ごし、十五歳になる前に元服をします。それが十五歳になる直前なら十一月~十二月頃だと思うので、この地で四季を迎えているはずですよね。でも炎天下で鍛練をして全身汗まみれになる(夏)とか、手がかじかんで刀や弓を上手く扱えない(冬)とか、近くに田圃があれば黄金色に実った稲を見て、萱原でも萱の収穫をしているだろうかと思いを馳せる(秋)とか、なんでもいいんですが、そういう季節を感じる描写があればいいのにと思ってしまいました。
私も時代物を書きますが、現代のように冷暖房の設備がないので、現代物よりも夏の暑さや冬の寒さの描写に、また蛍光灯も白熱灯もないので、夜の描写にも神経を使います。
だから歴史小説である『坂東の風』も、つい季節の描写の有無が気になってしまうのです。

余談ですが、元服のシーンで白拍子が今様を舞うシーンがありますよね。
あのシーン、屋敷の庭に仮舞台を作り、日が暮れてから松明の灯りの中で白拍子を舞わせたら、白い水干に松明の炎の赤が映って、さぞ映えるシーンになるだろうなぁと妄想しました。
でも仮に十一月~十二月だと新暦なら真冬なので、夜の屋外なんて舞う方も見る方も寒くてやってられないなと思い直しましたが。
そうなると室内だから、白拍子と千方の距離も近いかもしれない。きっと義経が今様を舞う静御前にポーッとしたように、千方も美少女白拍子に見惚れていただろうなぁと想像を楽しみました。

ついでと言いながら、少々お喋りが過ぎたようです。
ごはんで気になる作品があっても、なかなか感想を書く時間が取れないので、ここぞとばかりに書いてしまいました。調子に乗って、もし気に障るようなことを書いていたらすみません。
それでは執筆を頑張ってください。私も頑張ります。
失礼致しました。

青木 航
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 風呂糸様再訪有難う御座います。
 都合で"ついで"の坂東の風に付いて先にお答えのさせて下さい。

>例えば幼年編で千常が千方を迎えに来たのはいつなんでしょう。

>冬の赤城おろしばかりで無く、一面の茅、即ちスゲやススキの穂を揺らし、強風は春にも坂東の野を吹き荒れる。坂東は風の地と言って良い。
      ー中略ー
 天暦三年(九百四十九年)。母の実家の草原で育っていた千方だが、十四歳に成った春の或る日、兄である千常自身が数名の郎等を従えて迎えに来た。何の前触れも無く、突然のことである。

◎これが『改訂 坂東の風』の冒頭の部分です。『ごはん』にはもう残っていませんが、アルファポリスには掲載されています。


>もし一月~三月なら、萱は前年の秋に刈り取られて、まだ芽吹いていないので、『道の両側には枯れ色の萱場が広がっている』とあればいつ頃なのか分かります。


◎正確に言うと萱と茅は違い、萱はイネ科の植物でり、秋に穂をつけます。それに対して茅と言うと「チガヤ」を指し、本来「茅(ち)」と呼ばれる多年草です。千茅の花期は初夏(5 - 6月)ですが、それ以前、葉が伸びないうちに葉の間から花茎を伸ばして、赤褐色の花穂を出すそうです。ですから、春に花穂が出ていると思います。

>>なんでもいいんですが、そういう季節を感じる描写があればいいのにと思ってしまいました。

>茶の貫頭衣に七部丈の半ズボンのような簡易な袴、足には足の裏前半分しかない草鞋という姿だ。色の白さと整った顔立ちを除けば、全く郷の童と変わらない。
「どうか? 似合うか」
 なぜか千方は気に入っている様子だ。
「寒うは御座いませぬかな?」
 祖真紀が尋ねた。
「大事無い。こう見えても丈夫な質じゃ。だが、踵が、ちと痛いのう。ま、そのうち慣れるか……」
「血豆の二、三回も潰せば、足の裏も丈夫になりましょう」と朝鳥。
「他人事ではないぞ、朝鳥。その方も同じじゃ」(第三話 昔語り・阿弖流爲の涙)

>秋天丸は黙ったまま顔を右上に向け、崖の上に視線を投げた。釣られて千方が秋天丸の視線の先を追うと、そこには芹菜の姿が有った。 
 冷たい風に吹き晒されて着衣が小刻みに揺れる中、岩の上にすっくと立った芹菜が千方らを見降ろしている。じわっとした何かが、千方の胸を覆った。『話したかった』と思った。(第八話 禍福)

> 忠頼と古能代が二百の兵を率いて包囲している。三日目、四日目と連続して夕方から激しい雨となったが、いずれも二刻(一時間)ほどで上がった。草も木もたっぷりと水分を含んで燃え難くなっている。それでも五十本ほどの火矢を堤の内側目掛けて射込んだ。狐支紀こしきが討って出て来てはくれぬかと、忠頼も古能代も思ったが、動きは無かった。

 いくつか拾ってみましたがいかがでしょうか?

『ガヤ』の方はまた改めさせて頂きますので、一度失礼します。有難う御座いました。

青木 航
sp49-96-30-244.msd.spmode.ne.jp

>即ちスゲやススキの穂を
 って書いちゃってましたね。失礼しました。まちがいになります。

青木 航
sp49-97-22-235.msc.spmode.ne.jp

 風呂糸様。最初のコメントに対する返信が後になってしまいました。長いものを書いていると、確かに、指摘を受けて気が付くことも随分ありますね。一字一句確認して慎重に書くべきなのでしょうが、長いとつい抜けが出来てしまいます。

それはそれとして、ご提案の例文、面白く拝見しました。

 次に、

>本作は冒頭がいいのだと思います。手法としてはベタですが、誰もが知っているフレーズから入ると、読者も話に入って行きやすいですね。
また冒頭から話が動いているのもいいです。冒頭が説明で始まると、話が動き出すまでに間があるので、気の短い読者ならそこで読むのを止めてしまうかもしれません。
そういう意味では、現在→過去→現在という構成も良かったのだと思います。

に付いてですが、
 実は、今、『ガヤ』の居た風景』を書き換えています。皆さんのアドバイスも考慮した上で書いているつもりなのですが、或いはここで良いと言って頂いた部分が消えてしまったと言う評に繋がるかも知れませんね。

 色々有り難う御座いました。

久方ゆずる
240.133.31.150.dy.iij4u.or.jp

お久し振りです。
上松様のリライト版を先に読ませて頂きました。
主人公様の感じがやっぱり違うくて、なんだか興味深かったです。
ラストはやっぱり、切なくて、感じ入ってしまいました。
読ませてくださり、ありがとうございます。

青木 航
sp49-97-27-94.msc.spmode.ne.jp

 久方ゆずる様、有難う御座います。

 実は、上松様のコメント欄を先に見て、他の方の

>元になる青木さんの作品は読んでないんですが、

と言うコトメントを見てズッコケて自分のコメント欄を開いたら、久方様のコメントはこちらにも付いていたので嬉しかったです。有難う御座いました。

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