作家でごはん!鍛練場
ドリーム

13日の金曜日 掌編

●ゴルゴダの丘の由来は、イスカリオテのユダの裏切りを受けたイエス・キリストが十字架に磔にされたとされている。そしてその日は十三日の金曜日であったとされるが、詳しくはゴルゴタの丘でイエス・キリストが十字架にかけられたのは、西暦三十年四月七日午前九時頃だとされる。もうひとつの由来はキリストの最後の晩餐に十三人であった事とか、いずれにしても十三日の金曜日は英語圏とドイツ、フランスだけが縁起が悪いと伝わっているようだ。では、どちらが正しいか定かではないが●

 13日の金曜日

 佐々木由吉は昭和三十三年頃から、押し込み強盗殺人を皮切りに、あらゆる殺人を犯して殺した数二十数人に及ぶ。警察の必死の捜査も及ばず十年以上も潜伏し続けた。
 そしてついに昭和四十四年に逮捕された。どんな縁なのか、こんな男を好きになった女が居た。その女の名は山根里子という。戦後最悪の殺人者は獄中結婚して、その一子に十三(じゅうぞう)と名づけた。
 新聞、週刊誌、テレビなど、そのミステリーの謎を探った。二人の共通点は熱烈なカトリック信者であったそうだ。
 それから四年後、その殺人者佐々木由吉は処刑された。その最後の願いとして処刑日を十三日の金曜日と指定した。本来受け入られる条件ではないのだが、せめてもの情けと法務大臣が許可を出して死刑が執行された。当人曰く、これでイエスキリストの下に行ける。

 そんな父の名も死刑が執行されたのも知らずに獄中結婚した山根里子の子として育った十三は、この時三歳であった。
 そして母からついに父の存在について知らされる事はなかった。
 父が名づけた不吉な十三という名前を背負った少年は、やはり不幸な幼少時代を過ごした。戦後最悪の殺人者と結婚した山根里子は、世間から非難を浴びた事は言うまでもない。
 ただ十三の存在については、緘口令が敷かれ山根里子と殺人犯の間に子供がいる事は世間に知られる事はなかった。生まれて間もなく十三は施設に預けられ、里子が密かに会い行く日々が続いていたが、里子への世間の批判は厳しく、ついに山根里子は苦痛に耐え切れず焼身自殺してしまった。

 そして孤児となった山根十三は、あるキリスト協会の牧師の下に引き取られた。
 それが八才の時とされている。しかし殺人者の子ではないかという噂は常にあった。
 その牧師は戦後最悪の殺人者の子として知られる日本では、もはや育てられないと判断しその牧師の知人に山根十三を託したのだ。その十三はイタリアのフィレンツェという町に移った。そこはかつてイエスキリストが最後の晩餐会が行なわれたサン・マルコ美術館がある場所だ。
 その近くの教会の牧師の下で十三は美術の勉強を学ばせされた。
 十三はそれから何度もサン・マルコ美術館に足を運びレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐を始め沢山の宗教画「受胎告知」「東方三博士礼拝」「キリストの洗礼」「磔刑」「復活」「最後の審判」など観て十三は自分の進むべき道を見つけた。

 やがて山根十三は三十歳にして初めて、絵画の個展を開くまでになった。
 だが彼の絵は懺悔を捧げる絵ばかりだった。イタリアの文化を受けて育った十三は、教会で罪を問う人達の悲痛の悲しみが浮き出ていて、人々は彼を変人と蔑む者が多かった。
 悩んだ十三は親代わりであるベアート・ジョナード牧師に相談した。十三は父の生い立ちを一切知らせられず生きて来たが、やはり父の血がそうさせたのか父の罪が懺悔となって現れた絵なのだろうと不憫に思い、十三と同じ女流画家仲間と結婚させた。

 十三は初めて本当の生きる意味の素晴らしさを知った。やがて子供が産まれ十三の絵も
変わっていった。今度は人物像の絵は捨ててキリスト教会とその周辺の絵ばかりの風景画を描いた。それはヨーロッパ全土まで広げ、やがて人々は彼の絵を絶賛するようになった。
 それから数年、山根十三はゴルゴダの丘に立っていた。自分の生い立ちを知ったのは。その数日前の事だった。ある図書館に調べ物をしている時に、日本の犯罪史が書かれた本を見て自分が戦後最悪の殺人者の子である事を知った。
 十三は愕然とした。自分の父が殺人者だったなんて、日本人の自分が何故イタリあに住んで牧師に育てられたのか、やっと理解した。
 そんな父でも私をこの世に送り出してくれた父だ。そして母にだけは愛されたのだ。
何故そんな恐ろしい殺人狂になったのか知る術もないが、イエスキリストだけは敬愛していたようだ。私は父の命日でもある丁度その日、十三日の金曜日にゴルゴダの丘に立って祈った。
「私は父の罪を償うべきかイエスよ。応えてください」

 悩んだ十三は妻のサリーに相談した。
 「十三、生まれて来た貴方には罪はないわ。それより未来を考えて私達の子、ケリーの事も考えて、もし貴方が責任も感じるならケリーも責任を負わなければならないの? 違うでしょ」
 「そうだね。分かった。ごめんね、君にまで辛い思いをさせて」 
 「それでも心が痛むなら彼方の絵を打って寄付したら」
 「それはいいね。自分の絵が役立ちならいくらでも描くよ」
 それから山根十三は自分の描いた絵の、収益金の大半を日本の孤児院に送ったそうだ。

 了

13日の金曜日 掌編

執筆の狙い

作者 ドリーム
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今日は13日の金曜日

その日に合わせて投稿しました。
元々この日は縁起が悪いとされてます。
内容にもっともらしい自伝のような感じですが全てフィクションです。
よろしくお願いいたします。

HNをクリックするとカクヨムに移動しますが
ページが見当たりませんと出ますが右上のワークスペーすをクリックするとで出ます。

コメント

夜の雨
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「13日の金曜日」読みました。

「いわくのある」内容の作品で、書き方しだいで面白くなるのでは。
御作の場合は、説明で書いていますよね。
エピソードで書けばよくなると思います。

「佐々木由吉」という人物は、「押し込み強盗殺人犯」ということで、救いがない。
そんな男を好きになった山根里子が獄中結婚するまではよいが、子供を作ることは不可能だと思いますが。子供を作るには体を重ねる必要が出てきます。
まあ、体外受精という手もありますが(法的に可能かどうかはわからない)、服役中の男とそこまでできますかね。

ウィキペディアより。
>日本における死刑囚(死刑確定者)の場合、死刑確定後は接見交通権(文通・面会など)が制限され、弁護士や家族以外とは事実上やり取りができなくなるため、支援者が死刑囚(または死刑判決に上訴している被告人)と結婚もしくは養子縁組をして、配偶者や親族として面会することがある。<
ということなので、面会はできますが、死刑囚と肉体関係を結ぶことは不可能です。

主人公が御作のように、紆余曲折した人生をたどるところをエピソードで書けば、かなりな作品になるのでは。
しかし、死刑因が獄中で子供(主人公)を作るのは不可能なので、収監される前にできた子供にすれば、いかがですか。

それでは、頑張ってください。

お疲れさまでした。

大丘 忍
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読みましたが、獄中結婚では子供はできないでしょう。無理に獄中にする必要はないのでは?

ドリーム
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夜の雨さま

いつもありがとうございます。
小説というより事件のあらすじみたいになってしまいしまた。
そんな中でご指摘された獄中結婚 大きな誤解があったようですね。
私は結婚したのだから子供が出来て当然と思ってました。
それを許せばみんな獄中結婚を望むようになますかね(笑)

そうですか、それなら養子縁組とすれば良かったですね。
ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

ドリーム
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大丘忍さま

お読みいただきありがとうございます。
山根里子も異常な性格かも知れませんね。
死刑囚と結婚するなんて尋常じゃないですね。
でも実際に獄中結婚はありますから、収監されね前の付き合いなら仕方ありませんが。
ありがとうございました。

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