加スターネットの女
空が晴れて青空が広がり、暑くもなく寒くもない休日に商店街の狭い道をぶらぶらと散策をしている男がいた。その男は小柄な女が奇妙な物を首にかけて、ゆっくりと向かってくるのに気がついた。道は人で混雑している。大勢の人がいても、その女だけ気になり、いずれ直ぐ側を擦れ違うと思った。女は美人とか、特別に容姿が目立つわけでない。理由が分からないが男の直感で急に意識した女だ。男は休日に商店街で偶然の出会いのために一人で歩くわけでない。何かを求めることや仲間と一緒に遊ぶこともなく、ただ一人で街中を歩きまわるのが癖だった。一人では自由に動けて気楽だが目障りな団体に出くわしたら煩わしく通る場所がなくなる。団体を避けながら進んだら女が視線から消えた。この道は有名店がたくさんある。昼の時間には店先に行列ができて混雑している。どこかのお店に入ったのだろうか?と思ったのだろう。何故、この女のことが気になるのか分からない。以前、会ったこと、ありそうだが思い出せない。男は気にしても仕方がないと歩き出した。いつものようにこの道は店の看板がじゃまになるようだ。看板を避けようとした時に店から人がどっと出てきた。男は女を見失ったが団体を無事に避けて歩くことができた。そこに消えた女が急に現れてぶつかってしまった。
「ごめん。看板を避けることに気を取られていたので、体が当たったようです。大丈夫ですか?」男は立ち止まり、転んだ女に手を差し出した。
女は男の手を無視して立ち上がる。
お互いの顔は正面に向き合い目と目が合う。女は無言だ。男は気まずくなり目線を胸の辺りに移した。よく見ると木本ペンダントのような物を二つぶら下げている。男はこの女を気にした要因が本当かどうか分からないままに、これだと決めつけた。
何か理由がなければバツが悪いので「首が重くないか?」と聞いてみた。
返事はないが独り言のように何かを呟いている。「重くても軽くてもあんたに関係ないだろう」一言目は何を言っているのか、よく聞こえない。二言目で、ようやく聞き取れた。右の方にぶら下がっている木本に言っている。
「人害はなさそうだ。警告音が鳴らない」
木本をよく見たら子供の手のひらより小さめで生きが悪くなる寸前のホッキ貝のように、だらしなく口が開いている。女はもう一つ、首から左にぶら下がっている木本を手に取ってパチパチと音を鳴らし始めていた。
「害亊ゼロパーセント。このおじさん、無害で大丈夫だな」男の口調で、ぶっきら棒に言った。
男は老けて見えるがまだ若い。おじさんと言われて少し腹を立て、「何だ、女みたいな男か?」
女は「男と思えば男と言えばよいのにね。おじさんと呼ばれて腹いせに余計なことを言った」首の右にぶら下がっている木本が一度だけ口を閉じるとカスターネットのような音がした。更に「一度きりしか鳴らないだけなら、この男は人害があるほどの者じゃない。相手の事を考えないで言ってしまう癖があるようだ」右手で左の木本をパチパチと鳴らす。無駄口事(むだこうじ)、百パーセントとでた。女は観察するように顔を上げて、まん丸いような目で男をみた。男は直ぐに反応する。
「これらは楽器か?楽器を叩き、弾いて歌うのか?」
「いや、違います。これは悪人を見つける魔除けです」もう一度、女が叩いてみた。変化がない。「やはり、おじさんは単なる人だ。悪人じゃない」独り言のように言った」もう一つは大人の手のひらぐらいの長方形の物だ。びっしりと丸い球をつけている。
おじさんと言われてムカつきながら「そろばんみたいだ。そろばんだったら珠数が少ない。これじゃ、そろばんとして計算できないじゃないか?」
今度は、はっきりした口調で「できますよ。これは善悪の確率を計算するものです」
「先ほどは善人、悪人を計算したのだな」
「いや、違います。善事、悪事。ようするに人じゃなく、事、を計算するものです。善事であっても犠牲になる他の善事を引くとその善事の大小が分かるのですよ。悪事も同じですよ」会話らしい会話になってきたが意味は分からない。
「それでは正義を判断できるか?」男は明快な言葉であるのに答えるのが実に難しい質問をしてきた。
「できません」
「何故か?」
「正義の明確な反対語がないからです」
「反対の言葉はあるだろう。不義だ」
「一般的に正義の反対語は不義であります。しかし正義は道理、道徳など抽象的な道の解釈である。それを権力者は都合主義で軽い調子で言葉を使う。反対語の不義はその道から外れることで主に男女間のことなど正義の反対語にふさわしくなく、しっくりこない。故に計算できない」
「最もらしいが詭弁だな」
「それでは聞き返します。世の中の権力者は正義のために、とよく言うけど、正義のため国を守り戦争を戦い抜くことが正しい道ですか?犠牲者の多くは本当の事を何も知らせられていない弱い立場の人々ですよ。戦争をすることが正義のためなら命より国の方が大切だというので説明ができない。古く伝統的な知識で固まっている人には理解できないと思いますよ。あえて反対語を作るならば不義でなく負義の方があっている。勝てば正義で負ければ負義(不義)です。そもそも、どこの人も戦争が悪いことだと知っている。それなのに戦争をする時、必ず正義のためだという。おかしくありませんか?」
「変な女だな。名前は?」
「計娘です」
「やはり女。計娘か。不思議だ。どうしても前にどこかで会ったような気がする。思い出せない」男は何事もなく去って行った。男の名は畠鎚茄雄(はたけつちなすお)という。
過去に、この二人は会うべくして会って無言でゲームをしていた。その時、当人たちは真剣だった。戦争のように勝てば正義、負けると不義だ。他人に分からない蟠る心が支配する。国と国の指導者もそうかも知れない。
女の名前は算術計娘(さんじつけいこ)という。小学生の頃から祖母の勧めで、そろばんを習っていた。そろばんや算数が好きだった訳でもない。そろばんを習っていると祖母の機嫌が頗る良く、ちょっとした計算をすると褒めてくれる。そろばんの乾燥した木のパチパチと数字を刻むリズムが面白い。その音はタンゴを奏でるカスターネットのように体の動きを誘いだそうとする。音を聞く対象者が悪なら弾かれるが、善なら誘われ、シューズタップの音を想像して共に喜びながら体に入ってくる。やがて体中に広がり顔色に表われて数字が空中に舞い上がり音符にかわる。
執筆の狙い
四万字くらいの長編の一部です。今は三万字くらいのところを書いています。小説は難しいですね。