作家でごはん!鍛練場
翔平

青春の影(24枚)

 庭の紫陽花が風で揺れている。風は縁側をすべり、建付けの悪い窓の隙間からくすんだ板敷きの居間にすっと入り込んでくる。食卓を挟んで向き合う訪問先の婦人は、私が手渡した古い写真を溜息を吐きながら眺め、そして長い沈黙の後、風でほつれた髪を小さく掻き上げた。
 どうぞと出された煎茶はすっかり冷めて、湯呑の内側に小さな水滴を無数につくっている。婦人はいつのまにか飲み干したのか、ことりと音を立てて食卓の端に移動させた。気がつくと真上にあった日が西へ大きく傾き、紫陽花に淡い陰を落としはじめていた。
「写真を見る限り、娘と交際していたのは間違いないようですね。だとして、今さら娘に会ってどうなさろうとお思いですか」
 婦人は私を無表情に見つめ、指で写真を押し戻した。「あなたは娘を、ずいぶん昔に捨てたはずです」
 何も言い返せなかった。その通りだ。俳優としてデビューの決まっていた当時二十五歳の私は、事務所の言うがままに粛々と身辺を整理した。極貧の下積み時代を甲斐甲斐しく支え続けてくれた直美を捨てたのだ。結果的にそれが功を奏したのか、その後、私は新進気鋭の若手俳優としてスターダムを駆け上った。
 でも人気が出れば出るほど直美への思いは募り、胸にやるせない空洞が広がっていく。それは日増しに大きくなり呼吸するのも困難になるほどだった。
「確かに今さらとしか思えないでしょうね」私はうなだれ、そして顔を上げる。「ですが……片ときも忘れたことはありませんでした」
「口では何とでもいえるものです。現にあなたは有名女優と結婚なさいました。片ときも娘を忘れない人が、どうしてそんなことをできたのですか」
 それは露出の少なくなっていた女優側の戦略だった。私の身辺整理もそうだが、あの世界は売れるためならどんな手段を講じてもいとわない人間が多い。暗にたがわず彼女は再脚光を浴びた。
 私としても利点が多かった。さらなる高みを目指していた私は、結婚したことによって俳優仲間の誘いを名目をつけて断ることができた。欠かさず行う演技に繋がるルーティンを酒で邪魔されずに済んだのだ。もちろん派手な結婚式を挙げた女優とは、数度関係を持っただけで一緒に暮らしたことは一度もない。ただそれを婦人に伝えたところで詰問の返答にはならないだろうし、信じてもらえるか疑問だ。
「結婚は偽装でした」
「偽装? するとあなたは、二枚舌を使い分ける人間なのですか」
「そうかもしれません。でもすべて過去の話です。私は俳優をやめて、ただの男に戻りました」
「俳優をやめようが続けようが、そんなことはどうでもいいのです。問題はどこまでが本音で、どこまでが演技かです。あなたは、これまで凡人には到底信じ難い振る舞いをされてきましたよね。その都度、もっともらしい言い訳をしていた記憶があります。信じろというほうが無理ではないでしょうか」
 婦人の言葉は棘を含んでいる。私が直美に会いたいという申し出を演技だと思っている。おそらく節操のない結婚と、世間を騒がせたあのスキャンダルが起因しているからだろう。
  
   
 私の出演作が日本のみならずアメリカでもヒットして、監督と仲間俳優と共に新作のプロモーションを兼ねてアメリカへ行ったときだ。大手の情報番組に呼ばれた後、皆と連れ立ってある女性シンガーのショーを観にいった。すると突然場内が暗くなり、私たちはスポットライトに照らされた。
 スタッフに耳打ちされて、ハプニングに気づいた女性シンガーが「今この会場に、アカデミー賞にノミネートされた日本の俳優が来ているようです」と私たちを紹介した。さらに指で手招きしてステージに上がって来いという仕草も見せた。
 いちばん年の若い私は皆に推されてステージへ向かった。口笛と拍手で異様に気が高ぶり、上がるなりマトリックス並みに一回転して、マイケルジャクソンばりのダンスを披露した。それを見て客席からウオーと地鳴りのようなどよめきが湧き、総立ちになっての拍手喝采が起きた。
 その興奮の最中、女性シンガーが何か感じたのだろう、微笑するとギタリストに指を弾いて合図した。すぐさま激しいギターのイントロが響く。シンガーが身体をくねらせながら私に向き直り、歌いだす。挨拶よりも歌に合わせて踊れというのだ。
 私は戸惑いながらリズムに合わせて踊った。ときおりアレンジした出演作の殺陣も交えミステリアスに踊った。それがヒットした映画とダブったのかもしれない、会場が耳をつんざくほどの興奮のるつぼと化した。
 曲が終わるとすっかり意気投合した女性シンガーと私は、その場でどちらからともなくハグし、コンサート終了後に二人で姿を消した。予定されていたスケジュールを無視して、数日間女性シンガーの別荘に逗留して公の席にも姿を現さなかった。それが婦人の揶揄する振る舞い、節操のないスキャンダルの真相だ。
 外国の有名シンガーと情を交わした当時の精神状態がどうだったのか、今となってはよく思い出せないが、ただ一つ言えることは彼女が直美によく似ていたことにつきる。
 ただしアメリカ人であるからして容姿ではない。だったら何なのだろう、なぜ惹かれたのだろう、と思い起こしたときに辿り着いたのが匂いだった。といっても体臭の類ではなく共にいるだけで心が安らぐ生命の匂い、彼女は直美と匂いの質が酷似していた。
 けれど結局は身勝手だったとしか言いようがない。いくら癒され、胸の空洞を埋めたからといっても別人、つまるところ直美の身代わりでしかないのだから。
 そもそも脚光を浴びてスターになる、それが小さい頃からの夢であったにせよ、いったい何の価値があったのかと思う。一人の女性を踏み台にしてスターになって、私は何を得たのだろう。生まれたのは空しさだけ。それが幼い頃から描き続けてきた夢だったとしたら、夢とは罪深いものだ。
 いずれにせよスターという名称と引き換えにかけがえのないものを失った。いくら名優の称号を手にしても徒花でしかないという事実を突きつけられた。スターとして花を咲かせても人間として実を結んでいないのだから。
 じきに本格的な夏がくる。夏が終われば秋が来て冬になる。この九年間、花が枯れては散って何度も季節が移ろいでいった。でも私の心は実をつけないばかりか冬のまま、春がこない。
  
   
 鼻をすする代わりに冷たくなった茶をすすった。飲み干してから鼻声で婦人に告げた。
「直美さんに会わせてもらえませんか」
「ノーと言ったら、どうなさいます?」
「イエスと言ってくれるまで、頼みこむつもりです」
「どうして、そこまで娘に固執するのですか。あなたなら女性に不自由しないと思われますが」
「それはスクリーンの中での話です。実生活は至って地味ですし……」
「知りたいのは地味な実生活ではなく、どうしてあなたが娘に固執するかです」
 婦人は質素な私の服装に目を当てながら、核心の返答を質してきた。
「直美さんが大切な人だからです。それでも、まだ言葉が足りないでしょうか」
「娘が大切……そうですか。それが本音なら、真意を伝えなくてはいけないでしょう」
 婦人が考え込み、言葉を漏らした。私の真剣さに信用しはじめたのかもしれない。もはや言葉の中に棘はなかった。
「ぜひ聞かせてください」
「娘が不憫だと思ったからです。おそらく、今の姿を誰にも見られたくないでしょう。特に、あなたには」
 考えられることだった。別れて九年会っていない。まして伝え聞くところでは、直美は回復の困難な病に侵されているという。憔悴しているだろうし、当時の思いやりに満ちた気持ちだって薄らいでいるかもしれない。けれど私はどんなに罵倒されようが自分の気持ちが変わらないことを誓える。
「待ちます。いいと言ってくれるまで待ち続けます」
 婦人が途端に表情を曇らせる。ただそれは、私の決意にこれ以上反対しても仕方がないという一種のあきらめのような気がした。
「わかりました。ですが一つだけ聞かせてください。あなたは娘の現状を知っているのですか」
「現状とは病気のことでしょうか」
「ええ、病気のことです」
「それなら知っています」
「知っていながらいらしたの?」
「直美さんは、私にとって生きるしるしなんです」
「しるし?」
「はい、これからの生きるしるしです。直美さんは自らの未来にピリオドを打って、私の未来に自分の夢を託したのですから。次は私が……」
  
   
 翌日、目を覚ますと手短に朝食を済ませリュックの中に大切なものを入れた。直美が一度行きたいと言って連れて行けなかった屋久島の写真。その場所に、代わりに連れて行った愛くるしいアイテム。それと秘密の小箱。
 喜んでくれるかわからない、もしかしたら拒絶されるかもしれない。それ以前に面会だって拒否される可能性すらある。でも、それでもいいと思った。思いつきではなく決心したことなのだから。
 まずは野球帽を手に取り、それに合わせたポロシャツとブルージーンズを見につけた。そして靴はカジュアルなウォーキングシューズ。見舞いにはラフすぎるかなと思ったが、変に堅苦しい印象を与える服装よりよっぽどいい。スーツは排除した。
 駅までの道すがら、前方に赤煉瓦の懐かしい建物が見えてきた。今はなくなってしまったが、当時一階がレストランで、二階に高校を卒業してすぐに飛び込んだ劇団の稽古場があった。元舞台俳優のオーナーが主宰する稽古場で、一つ年上の直美と出会った場所でもある。
 初めて見た直美の印象は、どことなしに凛として近寄りがたい感じだった。とびぬけて美人ではないけれど、すらっと背が高く、醸し出す空気感は気品に満ちていた。なのにひとたびゾーンに入ると変貌する。
 悪女役をやれば根っからの悪女に見えたし、淑女を演じれば淑女そのもの。主役の花魁に抜擢されたときには、スタッフのみならず観客までもがその妖艶さに圧倒されて息を呑むほどだった。次のステージに上りつめていくのは直美しかいないと、オーナーはもちろん劇団内でまことしやかに囁かれていたのもうなずけた。
 しかし直美は最大手の劇団が主宰するオーデションの最終に残りながら、辞退した。そればかりか劇団をやめてしまった。どうしてと聞いても、才能に見切りをつけたとしか言わなかった。
 建物が近づくにつれ、時が一気にその頃へ巻きもどされるような錯覚が起きる。浮かぶ映像は生活の多くを直美に支えてもらいながら、報われない日々を過ごし、それでも未来を夢見て目を輝かせていた頃。すでに直美は自らの夢を捨て私の成功を自分の夢としていた。そしてデビューが決まったと告げた日に、さよならも言わずに去っていった。別れようとも言わなかったのに。
 今思うと、直美が見切りをつけたのは自分の才能ではなく自分の未来だったのではないだろうか。そうだとすれば、知らずに甘え続けた自分の愚かさに悔いが残る。知ろうともしなかった直美の思いに胸が痛む。
 私は切ない感傷を振り払って通りすぎた。どれだけ価値ある過去がそこにあろうとも、立ちふさがる厳しい現実に目を背けたら未来をつくれないからだ。彼女の病名は血液の癌である白血病。しかも末期で、すでに半年以内の生存率は二十パーセントまで下がった状態だという。つくれる未来には制限がありすぎる。
 ただ一つ気になるのは、もしかしたらオーデションを辞退した時点ですでに病気の兆候があったのではないかということだ。だから直美は同じ志を持つ私に自分の夢を託した。病の辛さを微塵も見せずに、ときに恋人としてときに母のように甲斐甲斐しく支え続けた。
 そしてデビューの報告と同時に、役目を終えたと思ったのか自ら身を引いた。それを私は露ほども気づこうともせずに受け入れた。
  
   
 私鉄とJRを乗り継ぎM駅で降りると、十五分ほどでK病院に着いた。ここまでくると高いビルは数えるほどしかなくなり、街路樹も役目を果たしたのだろう自然の緑が多くなった。
 病院の中へ入ったとたん、自然とは真逆の科学的な薬品の臭いがした。私は売店を捜し、ピンクとオレンジと黄色でアレンジされた花を買った。そして「彼女を癒してあげるんだぞ」と、希望の意味が含まれるガーベラの花びらを指でつつき、入院病棟へ向かった。
 ナース室で部屋を確認してから、病室の前でいくぶん躊躇したものの入り込んだ。すると両隣から髪の薄くなった女性が顔を覗かせ、私を見ると即座に間仕切りのカーテンを閉めた。
 窓際のベッドに直美がいた。化粧っ気のない顔に地味な色のバンダナをまき、病衣の袖から痛ましいほど薄く、そしてひどく黄ばんだ胸を覗かせていた。私を見るとベッドを操作して上半身を起こし、ぎこちなくだが精一杯の笑みを返してきた。もちろん乱れた襟元を整えることは忘れていない。
 それが無性に辛かった。なぜなら直美がどれだけ依怙地に笑み、どれだけ愛想をとり繕うとも、最終的には口がへの字になって、幼子が泣き出す瞬間の顔になってしまっているからだった。
「ありがとう。きてくれたのですね」
 直美がかすれた声を振り絞る。おそらくこの数秒間で頭の中にいろんな場面の絵が浮かび、さまざまな言葉が交錯したのだと思う。その中には楽しい思い出もあれば憎悪もあったかもしれない。でも直美はそれらを一瞬にして整理した。そしていちばんシンプルな言葉を口にした。
「知らずにごめん。知っていれば、もっと早く来たのに」
 私は言い訳がましい返答をした後、すぐに思考を切りかえ、直美からよく見えるであろう窓際のチェストの上へ花を置いた。
 直美は、再度ありがとうと言ってから「遅くはありません。あなたは、こうしてきてくれました」と、弱気を追い払うように口もとを引き締め、かつて宿らせていた侵し難い気品を目に覗かせた。
 その後、しばらく押し黙ることしかできなかったが、やがて私は、それがしごくとうぜんのことであるよう直美の手をとり抱きしめた。九年間の空白を埋めるかに強く抱きしめた。
  
   
 どのくらいそうしていたのだろう。やおら隣のカーテンの内側から咳が聞こえ、それでずいぶん長く抱擁していたことに気がついた。私は少し気恥ずかしい笑みを見せると、足元へ置いたリュックからこのときのために用意したものを取り出した。
「君が行ってみたいと言っていた、屋久島の写真を持ってきたんだ」
「雲水狭ですね。もののけ姫の世界の」
「そう。こだまを二体並べて撮ってきた」
 直美はいくぶん身体を捩った状態で受け取ると、すぐに凝視し目を瞬かせた。
「こだまが苔の上に座って手をつないでいますね。これは……」
「うん、君と私」
 私はリュックからこだまの人形を取りだした。「つながれた手は、もうずっと離れていないんだ」
 糸で縫い合わせたわけではない。けれど私の思いを感じとった人形たちは、あれ以来どんなに揺すっても手を離すことはなかった。
  
   
 しばらくして「一つ訊いてもいいですか」と、直美が私の目を見つめてきた。
「よくここがわかりましたね」
「君の実家で聞いてきた」
「教えたのですか、あの母が?」直美の目が少し見開いた。「驚きです」
「じつは私も驚いた。ずっと教えない素振りをしていたから」
「もし教えてくれなかったら、どうしました?」
「頼み込む。それでもだめだったら君に電話をかけまくる」
「無理です。電源を入れてませんから」
「ずっと?」
「いいえ、あなたの引退のニュースがテレビで流れてからです」
 直美なら考えられることだった。しかしそれは一種のシンクロニシティ、裏を返せば見えないところで二人がつながっていたという証でもある。私がずっと忘れていなかったよう、直美もまた私を忘れていなかったのだ。
「じゃ、私が引退した理由も知ってるね」
 直美は答えなかった。その代わりに視線を落とした。
「ごめん、意地の悪い質問だった」
 私にとって最善でも、それが直美にとって最善かは当事者でない限り自信がない。それほど厳しい突き付けでもあるのだから。
「いいえ意地悪くはありません。でも私の口からは……」
「そうだね、君から言えるはずはない。だったら教えてほしい。どうしてあのとき、別れようとも言わなかったのに私の前から姿を消したの」
「それなら簡単です」直美は目を上げた。「好きだったから」
 なるほど簡単だ。でも面と向かって言われると恥ずかしくてまともに目を合わせられない。それでチェストのほうへ目を向けると、テレビの横にさりげなく置かれたDVDを見つけた。立ち上がってタイトルを覗いた。私のデビュー作と二人で観に行った思い出の洋画だった。
 私は洋画のDVDを持って直美へ向き直った。
「じゃ、ほかに好きなものを言ってみて」
「ふふ、もしかして、それは十個ですか」
「そう、十個」
「ならわかります。タイトルは『素敵な人生のはじめ方』でしたね。この、こだまのように手を繋いで一緒に観ましたね。あなたは所々で寝てましたけど」
「あれは寝たふりをして、スクリーンを見る君の横顔を眺めていた。うっとりとね」
「そうですか、寝たふりを。なら、わたしは熊だったのかもしれません」
 直美は、笑いながら窓の外を見た。傾いた夕日で、笑ったはずの彼女の横顔が泣いたみたいに赤くなっている。
「では、好きなものを一つだけ言います」
 直美は、顔を逸らしたまま目をこすった。
 まさか……それはやはり涙? これまで直美は私の前で泣きごとを言わなかったし、決して弱みを見せなかった。もちろん涙も。だからあのときも涙を見せる前に、風に預けて身を引いた。それなのに……私の抑えていた感情が一気に熱くなる。
「お願いだから、一緒に言わせてくれないか」
「わかるのですか」
「自信はある」
「わたしは自信を失くしました。でも希望なら残っているかもしれません。わずかですが……」
「たくさん残っているさ。そして私が君の自信を取り戻す、必ず!」
 と、また彼女の手を握った。「かけ声をかけるから、同時に言おう」
  
   
 私は直美の手を両手で包みこむようにしてカウントした。そしてそれがゼロになったとき、目を見つめ合わせて言った。
「この瞬間!」と。
 見事に声が揃っていた。
「不思議な映画だったね」
「あなたも、じつに不思議です」
 直美が感慨深く言った。
「私が?」
「ええ」
 と直美は、目を潤ませながら穏やかな口調で笑みを返した。私はティッシュを取って直美へ渡し、それから目の下を指で撫でた。だが、撫でても撫でても温かいものが溢れてくる。
「私が不思議なのは、いいことなの」
 と問いかけを確かめながら、濡れた指先をジーンズでさり気なく拭った。
「いいことです」
 直美は、くすんと鼻を鳴らした。
 だったらと、私はリュックに手を入れ秘密の小箱を取りだした。箱を開け、中に入っていた指輪を直美の指に近づけた。
「結婚しよう」
 私はその言葉が直美にとってどれほどつらいか知っていた。また今の彼女が望むものでないことも知っていたし、別の新たな苦悩を生み出すことも知っていた。でも最後にはこういう形で締めくくるしか道は残されていないと思っていた。何より、私は少しでも直美と一緒にいたかった。もう、片ときも離れていたくなかった。
 しかし目を輝かせた直美は、すぐにその目を曇らせる。
「無理です。もう医師から宣告をされました。あと半年生きるのも難しいだろうと」
「半年あれば、楽しい新婚生活が送れる」
 私は直美の手をとった。
「新婚生活を、ここで?」
「そう、そしてここがハネムーン」
「わたしでは、スターの妻として不釣り合いです」
「引退したのを知ってるよね。もう、ただの男なんだ。だから君は、ただの男の妻」
 私は感情を抑えることもせず、直美の手に指輪をはめた。
 その瞬間、彼女の喉から嗚咽が漏れた。嗚咽は両隣の患者のベッドからも生まれ、共鳴するとさざ波のように壁にこだました。
 
 
 
       了

青春の影(24枚)

執筆の狙い

作者 翔平
p1817002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

財津和夫さんの「青春の影」を聴きながら、自分なりに曲の世界を想像して物語を創りました。
主人公の設定など序盤はかなり不十分だとは思いますが、ラストで何とか曲のイメージに繋げられたような気もしています(所々に歌詞の引用があります)。
 
拙い作品ですがよろしくお願いします。

コメント

地蔵
133.106.54.157

拝読いたしました。
静的な落ち着いた内容で愛の感情を繊細にリリカルに描き出すことが狙いだったように感じました。
歌の方はタイトルを見てもピンときませんでしたが、歌詞を読んですぐにメロディが浮かびました。
作品を読み、歌詞の世界をうまく掌編に落とし込まれているなと感じましたが、その一方で、歌詞のテーマに忠実過ぎて、新しいものが何も追加されていないとも感じました。
力強いテーマであり否定しようがないわけですが、本作は他者のアイデアをパラフレーズする格好となっており、作者のオリジナリティが強く求められる創作の世界において、このスタイルを継続していくのは難しいのではないか、というようなことを感じました。
もちろん、創作の勉強のため、実験的な試みとしてこういうことをやるのは意味があると思いますが。

重箱の隅ですが思ったことを以下に。

・ガーベラが鉢付きのものだと「根付く=寝付く」の語呂合わせでマナー上良くないとされるようですが、二人の関係性だと気にする必要はないのかな? 花瓶に挿す描写がなかったので少し気になりました。
・重い白血病患者に対する面会の是非。病室への生花の持ち込み(白血病患者の病室の場合は禁止している病院もあるようです。無菌室でなければOKなのかもしれませんが)。「強く抱きしめた。」の描写。主人公はもちろん外部から大量の菌を持ち込むことになります。
・直美が終始敬語であったこと。二人の関係性からするとやや不自然に感じます。直美が主人公に心を開いていないような、よそよそしい感じがします。
・二人の会話の内容が曖昧で謎めいており、わかりづらい。

翔平
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地蔵さん、感想ありがとうございます。
 
感想を読ませて頂いて、自分では気づかなかった問題点を的確に指摘してもらい感謝しています。
やはりオリジナリティのなさなんですよね。
 
大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど、君を幸せにするそれこそが、これからの僕の生きるしるし。(青春の影より)
 
このフレーズを根幹にして物語を創ったためオリジナリティが消えてしまったのでしょうね。もちろんこのスタイルを継続するつもりはないのですが、しばらく創作から離れてしまっていたので一つの手法として財津さんの曲を聴きまくり、今回物語を創りました。
たぶんこれからも曲からイメージした物語を創ることがあると思うので、そこらを地蔵さんからいただいたアドバイスを思いだして書いていこうと思います。
 
>ガーベラが鉢付きのものだと「根付く=寝付く」の語呂合わせでマナー上良くないとされるようですが、二人の関係性だと気にする必要はないのかな? 花瓶に挿す描写がなかったので少し気になりました。
・読み直すと、確かに花を置いただけでしたね。そうすると鉢付の花でしかありません。自分としては生花のつもりだったのですぐにでも直します。
 
>重い白血病患者に対する面会の是非。病室への生花の持ち込み(白血病患者の病室の場合は禁止している病院もあるようです。無菌室でなければOKなのかもしれませんが)。「強く抱きしめた。」の描写。主人公はもちろん外部から大量の菌を持ち込むことになります。
・知りませんでした。個室ではないので無菌室とは違いますが、生花であってもだめかもしれませんね。それと強く抱きしめたに関しては、この場面が自分にとって重要な場面でもあるので、そっと抱きしめたに変えようと思います(それでもだめかもしれませんが)。
 
>直美が終始敬語であったこと。二人の関係性からするとやや不自然に感じます。直美が主人公に心を開いていないような、よそよそしい感じがします。
・自分としては常語で書くと、書き手の私が感情移入しすぎて文章が大げさになってしまうと判断したからです。それで書き手である自分の感情を抑えるために、直美に敬語を使わせたわけなのですが、読み手に余所余所しさを感じさせてしまったのなら失敗ですね。ここらは真剣に考えてみます。
 
>二人の会話の内容が曖昧で謎めいており、わかりづらい。
・二人の会話が特に大切なので、どこら辺りかもう一度読み直して、おかしなところを見つけたら直します。
 
ありがとうございました。頂いたアドバイスを今作ばかりか次作にも活かせるよう頑張るつもりです。

夜の雨
ai193085.d.west.v6connect.net

「青春の影」読みました。

話の流れはわかりましたが、全体に違和感があります。
>庭の紫陽花が風で揺れている。風は縁側をすべり、建付けの悪い窓の隙間からくすんだ板敷きの居間にすっと入り込んでくる。<
一人称にしたら違和感がある。
「私」という主人公が「感じる」ように書く必要があるのでは。主人公は病室で病に冒されている彼女に逢いたいから、その実家で母親と逢っているのでしょ。これだと、描写をおいているような感じです。

>食卓を挟んで向き合う訪問先の婦人は、私が手渡した古い写真を溜息を吐きながら眺め、そして長い沈黙の後、風でほつれた髪を小さく掻き上げた。<
「訪問先の婦人」元彼女の母と、距離を置きすぎのような書き方ですね。仕事で来ているように感じる。

>気がつくと真上にあった日が西へ大きく傾き、紫陽花に淡い陰を落としはじめていた。<
時間経過がおかしい。これだと4,5時間は経った感じ。そんなに長い時間、彼女の母親と相対していたのですか。

>「写真を見る限り、娘と交際していたのは間違いないようですね。だとして、今さら娘に会ってどうなさろうとお思いですか」
 婦人は私を無表情に見つめ、指で写真を押し戻した。「あなたは娘を、ずいぶん昔に捨てたはずです」<
訪ねてきた男が、昔「娘と」付き合っていたことは「娘を捨てた」という発言ですでに、違和感がある。また、後の流れを読んでも、「男と娘の付き合いは」すでに知っていたのではありませんか。

また、病院へ主人公が彼女に逢いに行きますが、母親が娘に事前に彼が行くことを知らせていないことにも違和感がありました。
残り僅かな、いのちの彼女にとっては、彼は青春と人生をささげた重要人物です。
余命半年なのでかなりやつれていると思うのですが、彼女とて想いは揺れ動くと思うのですよね、そのあたりに彼が突然の見舞いとなると、ショックが大きい。
母親は事前に娘に彼と逢いたいかとか尋ねる電話(メール他)を入れておくべきです。
それか、母親が娘と彼とのことで、病室の娘へ連絡できない伏線を張るべきです。

話の流れはわかりますので、主人公と彼女の置かれている立場を考えて練りこんでください。

それでは頑張ってください。

お疲れさまでした。

翔平
p1817002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

夜の雨さん、感想ありがとうございます。
推敲の足りなさのせいだけではなく、たぶん悪癖が身についてしまっているのかもしれませんね。つつくと、ぼろぼろ違和感が出てきます。
 
庭の紫陽花が風で揺れている。風は縁側をすべり、建付けの悪い窓の隙間からくすんだ板敷きの居間にすっと入り込んでくる。
>一人称にしたら違和感がある。
「私」という主人公が「感じる」ように書く必要があるのでは。主人公は病室で病に冒されている彼女に逢いたいから、その実家で母親と逢っているのでしょ。これだと、描写をおいているような感じです。
・確かに仰る通りだと思います。情景の書き方が三人称っぽいですもんね。ここは主人公が、庭に目を向けると~という形に直そうと思います。
 
食卓を挟んで向き合う訪問先の婦人は、私が手渡した古い写真を溜息を吐きながら眺め、そして長い沈黙の後、風でほつれた髪を小さく掻き上げた。
>「訪問先の婦人」元彼女の母と、距離を置きすぎのような書き方ですね。仕事で来ているように感じる。
・これは狙って距離を置いたのですが、上手くいかなかったようです。
主人公としては、一方的に直美に支えてもらっている引け目から、彼女の実家に行ったこともなく婦人とも初対面なのです。つまり対等な恋愛の立ち位置ではなかったんですね。もちろんそういった引け目だけで愛情はあるのですが。
作者としては引け目も感じない人間には絶対にしたくありませんでした。だからこそ思いが募り、次は私が……と主人公は思う。
 
気がつくと真上にあった日が西へ大きく傾き、紫陽花に淡い陰を落としはじめていた。
>時間経過がおかしい。これだと4,5時間は経った感じ。そんなに長い時間、彼女の母親と相対していたのですか。
・はい。確かにおかしいです。実際は一、二時間ていどの訪問なのですが、作者の私が調子に乗ってしまい時間経過を大げさに書いてしまったのです。ここもさっそく手直ししますね。
 
「写真を見る限り、娘と交際していたのは間違いないようですね。だとして、今さら娘に会ってどうなさろうとお思いですか」
 婦人は私を無表情に見つめ、指で写真を押し戻した。「あなたは娘を、ずいぶん昔に捨てたはずです」
>訪ねてきた男が、昔「娘と」付き合っていたことは「娘を捨てた」という発言ですでに、違和感がある。また、後の流れを読んでも、「男と娘の付き合いは」すでに知っていたのではありませんか。
・娘が誰と付き合っていたか、母親は薄々しかわかっていませんでした。本文には書いていませんが、劇団員から聞いていたという設定でした。だから二人の関係をよく思っていなかったし、主人公に対しても好感は持っていませんでした。ですが娘のことを思い、最後には折れます。
 
>また、病院へ主人公が彼女に逢いに行きますが、母親が娘に事前に彼が行くことを知らせていないことにも違和感がありました。
・これについては娘が携帯の電源を切っており、連絡が付かない設定にしました。というより母親の気持ちまで考えていなかったというのが正解でしょうね。ただご指摘のように娘のショックは計り知れないと思います。そこを描ききれなかった自分の筆力に不甲斐なさを感じます。
 
>話の流れはわかりますので、主人公と彼女の置かれている立場を考えて練りこんでください。
・もう一度じっくり練ってみます。ですが格段に良くなるかは下手なので自信がありません。
ありがとうございました。いつも感謝しています。

青井水脈
om126233180050.36.openmobile.ne.jp

「青春の影」読ませていただきました。
単体で読んでみて、なかなか読ませるお話を書かれそうだと思いました。
気になる点はたまにあります。序盤で、直美を捨てたのだ。と主人公が言ってて。

>そしてデビューが決まったと告げた日に、さよならも言わずに去っていった。

実は直美の方から去っていった。と出てくるなど。それに俳優を引退して今はどうしているのか生活感がなく、年齢的なところも読者が想像するしかなさそうで。

>庭の紫陽花が風で揺れている。風は縁側をすべり、

庭の紫陽花を揺らした風は縁側を〜

婦人のセリフで本題に入るまでの描写を、もう少し削ってもいいかと。

>「わたしでは、スターの妻として不釣り合いです」 「引退したのを知ってるよね。もう、ただの男なんだ。だから君は、ただの男の妻」

このセリフに二人のこれからが集約されて、いいなと思いました。なんだかんだ言っても、二人のドラマですし。

翔平
p1817002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

青井水脈さん、感想ありがとございます。
 
>単体で読んでみて、なかなか読ませるお話を書かれそうだと思いました。
・じつは財津和夫さんの、この曲を聴いて不覚にも泣いてしまったのです。そして財津さんのピアノを弾く横顔を見ているうちに、どうしてもこの世界を描きたくなりました。ですので残念ながら題材ありきの作品でしかありません。
ただいくら題材がよくても読ませる物語になったかは微妙です。もちろん筆力がないせいもあるのですが、寄せて頂いた感想を読む限り胸を熱くされた方は皆無なので。
つくづく下手だなと思います。もし仮に財津さんがこの作品を読んだとしても途中で投げ出してしまうような気がします。
 
そしてデビューが決まったと告げた日に、さよならも言わずに去っていった。
>実は直美の方から去っていった。と出てくるなど。それに俳優を引退して今はどうしているのか生活感がなく、年齢的なところも読者が想像するしかなさそうで。
・直美は気丈な女性です。でも人間って気丈な反面、そのぶん弱さも持ち合わせているものです。主人公も然り、引け目と共に強い思いを直美に抱いていました。
で本作、主人公は別れこそ告げなかったものの、事務所の意見を受け入れた時点で捨てたと思います。また直美も夢は主人公の成功だけです。別れを告げないであろう主人公の思いを知っていました。だったら病のこともあるし、自ら身を引くしかないと判断したのです。
そして物語は主人公が俳優を引退してすぐの話です。これは直美との会話の中で少しだけ触れました。
年齢については高校を卒業した十八歳から二十五歳まで交際し、その後九年間の空白がある設定です。そこらは書いたのですが、筆力がないせいで読み手の頭に残らなかったのかもしれません。
 
冒頭の文章の添削、なるほどなと思いました。青井さんの作品を読んだことはありませんが、たぶん実力のある方なんでしょうね。修正してくれた一文だけですぐわかりました。自身も冒頭の文章を削りたくて削れずにいたところなので、納得でした。
 
「わたしでは、スターの妻として不釣り合いです」 「引退したのを知ってるよね。もう、ただの男なんだ。だから君は、ただの男の妻」
>このセリフに二人のこれからが集約されて、いいなと思いました。なんだかんだ言っても、二人のドラマですし。
・この言葉に少しだけ安堵しました。
ありがとうございました。励みになりました。

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