作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

母の一生

 悲しむ人たちは幸いである。彼らは慰められるだろう。
(新約聖書・マタイによる福音書)

 あの日、母はパートの仕事を終えると、クリスマスケーキを買ってから、保育園まで兄と私を迎えに来てくれた。
 母が着いたときは、まだ園長先生が絵本を読んでいた。
 窓の外では粉雪が舞っていたが、部屋の中は暖かく、窓ガラスが曇っていた。
 大抵の母親は部屋の中で我が子を見守っていたが、母だけは部屋に入らず、曇ったガラスの向こうから兄と私を見守っていた。
 母は、みすぼらしい身なりで、子供に恥ずかしい思いをさせたくなかったのだろう。
 園長先生が、「最後にみんなで歌いましょう」と言うと、兄と私は元気に賛美歌を歌った。
 園長先生が、「みんなさんさようなら」と言うと、兄と私は一目散に駆けてゆき、母に抱きついた。
 私はその日のことを、今も鮮明に憶えているのだ。

 兄と私は、母と一緒に近所の集会所で開かれるミサに行くことがあった。
 ミサのことは薄っすらとしか憶えていないが、私は悪さをして、外に出されたことがあった。
 幼い子供が、神を冒涜するようなことを大声で言ったのだ。神様なんて嫌いだとか、神様なんて本当はいないだとか。
 なぜそんなことを言ったのか判然としない。ただ、よく記憶を辿ってみると、いつも貧乏臭い身なりをしていた母は、そこに集まる主婦連中から仲間外れにされていたような気がする。子供は大人の事情が分からなくても、空気を敏感に感じ取るものなのだ。
 私は神にではなく、信者たちに文句があったのかもしれない。だからその崇拝の対象である神に腹が立ったのだと思う。
 神父に叱られて外に出された私は、集会所のすぐ隣の草むらで、母と兄が出て来るまで遊んでいた。
 菜の花が咲き乱れ、アゲハ蝶や蜜蜂が飛びかう草むらは、まるで天国だった。その絵画のような情景は、今も色あせることなく私の心に秘蔵されている。
 私が思うに、神が本当に神であるなら、無垢な者を処罰などしない。それをするのは、いつも人間なのだ。

 我家はひどく貧乏だったから、私は子供ながらに格差を感じた。周囲に馴染めない私は、クラスでは無の存在だった。
 そんな私でも一つだけ自慢があった。それは母が握ってくれたおにぎりだ。それは、大きさが通常の三倍ほどもある巨大なおにぎりだった。
 遠足では同級生が御惣菜との交換を条件に、母のおにぎりを欲しがったが、私は全て却下した。そのときの私は無ではなく、誇り高き存在だった。
 母が人生で為したことは、子供を愛したことくらいだ。
 阿呆の愛。真実の愛。子猫を育む母猫のような無垢な愛情だった。

 懐かしい思い出なんて誰にでもあるだろうが、母が過去を懐かしむ姿を見たことはない。
 母に一枚の白黒写真を見せてもらったことがある。満開の桜を背景に、セーラー服を着た三人姉妹が写っていた。
 母を挟んで微笑んでいる妹たちは間違いなく美人だった。
 その写真は、男をどきっとさせるような妹たちの眼差しを見事に捉えていた。己の美しさを認識している女の眼差しだった。
 かたや母ときたら、どこか絵本の中の子豚みたいで、その瞳には、おどおどとした自信の無さが滲み出ていた。
 笑みを浮かべる妹たちの真ん中で、母は申し訳なさそうな顔をしていた。
「自分が姉でごめんなさい……」とでも言うかのように。
 私の記憶では、母が聖書を精読したことは一度も無い。
 ただ、「悲しむ人たちは幸いである。彼らは慰められるだろう」というイエスの一言を信じていたのだ。

 母は残酷な運命を子供に聞かせることがあった。
「妹たちは可愛いくて、成績はクラスで一番だった。でも母さんはぶさいくで勉強も苦手だった。母さんはいつも妹たちと比較され、親から蔑まれ、学校でいじめられた」
 写真の母の眼差しが、それが真実であることを物語っていた。
「天は二物を与えず」とは馬鹿の言うこと。天は母に何も与えず、妹たちには何でも与えたのだ。
 私に信仰心が芽生えなかったのは母のせいかもしれない。それでも理不尽な処罰を受けた母に、天罰を受けるいわれなどないのだ。

 母は人を恐れて生きるような人間となり、影のように生きる弱い男とめぐり逢った。
 七人兄弟の末っ子として生まれた父は病弱で、本当に要らない子だったようだ。父が故郷を出るときも、親は一切関心を示さなかったそうだ。
 世間はおろか家族からも見捨てられた二人は、自動車部品の工場でめぐり逢い、式も挙げずに籍を入れた。そんな両親の下に生まれた兄弟が阿呆になることは必然だった。
 自慢をするつもりはないが、兄も私も勉強ができたし、兄にあっては有名な国立大学まで卒業した。そして二人とも就職し、しばらくは普通の社会人でいることができた。
 でも結局はだめだった。なぜなら、兄も私も底辺の人間だったからだ。高く登ろうとしても、磁力に引っ張られるようにして堕ちる。それに、正直底辺の方が居心地が良いのだ。
 私は居心地の悪さに耐えながら世間でもがき続けたが、兄は社会から身を引いてしまった。
 おそらく兄は、既に中学生の頃から人に嫌気が差していた。だから部活にも入らず、勉強ばかりしていたのだ。
 結局兄は高校でも大学でも、人と付き合おうとはしなかった。
 大学を卒業した兄は、しばらくは予備校の講師をしていたが、やがてそれも辞めてしまった。

 父は、弱い体で無理をしたせいか、六十半ばで他界した。
 伴侶を亡くした母は心身ともに衰弱し、やがて筋肉が硬直する難病を患い、寝たきりになった。
 その頃、兄は仕事を辞めて引きこもっていたが、それは私には好都合だった。兄が母の介護を全て引き受けてくれたからだ。
 私の目標は家族みたいな人間にならないこと。「人間失格」にならないこと。つまり、「人間合格」になることだった。
 そのためには家族と離れるべきだと思った。私は兄に母の介護を任せ、都心の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた。
 人の良い兄は、「介護は俺がするから、お前は仕事に専念しろ」と言ってくれた。
 私は上司から信頼され、部下からは慕われていたと思う。
 忘年会ではわざと酔っ払ってドジもした。つまり、「良い人」を演じていたわけだ。しかし本当は、そんな自分を恥じていたのだ。

 母は一人で用を足すことができなかったし、床擦れを起こさないよう一時間おきに体の向きを変えなければならなかった。だから兄は、夜中も度々起きなければならなかった。
 明らかに疲れ切っている兄のことが心配になり、私は母に介護施設を勧めた。
 しかし母は子供のように泣いた。老いても母は世間を恐れていたし、母の喜びは家族と暮らすことだけだったのだ。
 兄は涙をこぼす母に言った。
「施設が嫌なら、無理に入らなくても良いんだよ。俺が母ちゃんの面倒を見るから」
 しかし病状はひどくなる一方で、一日中痛みに苦しむ母は、介護の不手際をなじることもあった。それでも兄は嫌な顔ひとつせず、母の面倒を見ていたのだ。
 やがて母は、「早くあの世に逝きたい」と、兄にこぼすようになった。
 私は、兄が「最後の親孝行」に悩み苦しんでいることに気づいていた。もし兄が罪を犯したら、その罪をかぶるつもりだった。
 しかし……罪をかぶる? 兄の罪? 兄は罪人? お前が殺せ! ああ神の子よ。あなたは罪を償うのではなく、犯すべきだったのです。

 私は悪夢にうなされるようになった。そして、その夢はいつも同じような展開を見せた……
 疲れ切った兄が、介護ベッドの横で敷物もせずに寝ている。
 私は母に近づき、その頬に触れる。
 すると母は笑みを浮かべる。
「母ちゃん。俺が楽にしてあげるから」
「ごめんね。苦労をかけて」
 母の頬を涙が伝うと、私は両手を母の首に添えて力を込める。
 やがて母は苦しみから解放されて、穏やかな表情を取り戻す。
 裁判では「人間合格」たちが家族を殺した動機を求める。
「私たちは阿呆なのです」
 すると易々と死刑が宣告される。
 刑場に移送されると、黒い服を着た教誨師と面会をする。
 彼は言う。
 悲しむ人は幸いである。彼は慰められるだろうと。
 私は言う。
 ならば兄を慰めて下さいと。
 刑務官は親切な人ばかりで、家族に伝えたいことがあれば書きなさいと言って、机の上に便箋とペンを置く。
「兄に直接伝えたいのです。いつも家族を愛していたと」
 するとその刑務官は、「これを使いなさい」と言って自分の携帯を差し出す。
 しかし、なぜか電話番号を思い出せない。何年も使った番号なのに、どうしても思い出せない。
「ああ神様! 兄に伝えたいのです! いつも家族を愛していたと」
 もはや無神論者を気取っている場合ではない。しかし、都合の良い神頼みが叶うはずもなく、頭を布で覆われて首に絞縄が掛けられる。
「兄ちゃん。俺を許して」
 床板が落ちた瞬間に悪夢から覚めるのだ。
 しかし、その夜は目を覚ますと枕元で携帯が鳴っていた。それは兄からだった。
「さっき、母ちゃんが死んだ」

 都市高速を走って実家に戻ると、数人の鑑識と年配の刑事が検視をしている最中だった。
 兄は人目もはばからず、床に崩れ落ちて泣いていた。私は、人前で感情をあらわにする兄を初めて見た。
「兄ちゃん。俺だよ。大丈夫?」
「俺が寝ている間に死んだんだ。可哀想に。きっと母ちゃんは俺を呼んでいたんだ」
 兄は何年もの間、仮眠しか取っていなかったのだ。ほんの数時間熟睡するくらい当たり前だ。
 私がそう言っても、兄は自分の失態を責め続けた。
 私は、兄が過失などの罪に問われないか心配になり、それを年配の刑事に聞いた。
 すると彼は私の目を見つめて言った。
「罪になどなりません。こんな良い息子さんを持ったお母さんは幸せでした。私も妻を介護していたから、お兄さんの気持ちがよく分かるのです」
 彼は泣いている兄の横に腰を下ろすと、その背中を撫でながら、「お兄さん。お母さんを介護してくれてありがとう」と言った。
 私は、兄を慰めてくれたその刑事のことを、生涯忘れることはないだろう。
 
 葬儀は兄と私だけでやった。
 兄は棺の中の母を、長い時間見つめていた。
 広い霊園に併設されている火葬場で遺体を荼毘に付し、薄紅色の骨壷に、ことんことんと母の骨を落とした。
 火葬を終えると、紅葉に包まれた霊園を散策した。
 空は青く澄み渡り、風は爽やかだった。
 兄が胸に骨壺を抱いていたから、母も一緒に歩いているような気がした。
「兄ちゃん。母ちゃんのおにぎりを憶えてる?」
「うん。遠足のときは、いつも握ってくれたよな」

 木漏れ日の揺れる遊歩道を歩いていると、茂みの奥から、「ニャァ」と鳴き声が聞こえた。
 兄と一緒にその奥を覗き込むと、座布団ほどの隙間がぽっかりと空いていて、猫の親子が日向ぼっこをしていた。
 二匹の子猫が母猫の腹に顔をうずめて眠り、その体を母猫が舐めていたのだ。

 終わり

母の一生

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
dw49-106-192-250.m-zone.jp

クリスマスって、なーんか悲しいんですよね。
みなさんはどうですか?

4400字。
サラッと読んでください。

コメント

こからいす
pkdt007-053.kcn.ne.jp

読ませていただきました。
僕的には面白いと思います。
いろんな設定があり、よかったと思います。
ちなみに、僕は小学6年生です。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-192-250.m-zone.jp

こからいす様
読んで頂き感謝しております。
小学6年生ですか。
おにぎりを食べて、たくましくなってください。
コンビニのはダメ。

こからいす
pkdt007-053.kcn.ne.jp

分かりました。僕はツナマヨのお握りが好きです

偏差値45
KD106154138140.au-net.ne.jp

以前にも同様の小説を読んだことがあるような気がします。
全体的に不幸感が満ちているので、面白いとは言えないですね。
貧乏であっても幸福であったり、不幸なんだけれども夢がある。
そんなストーリーならばいいんですけどね。
簡単に言えば、マイナスをプラスに変えるエネルギー。
失敗を成功に変えるポジティブさ。
そういうものが欲しいかな。
ちょいと間違えると、他人をうらやむような負の感情しかない作品のように
思えて来てしまいますからね。これはあかんです。
あえて言えば、「ブスに生まれて良かったなぁw」
「このお母さんの子供で良かったあなぁ」
そういうお話を読んでみたいですね。

飼い猫ちゃりりん
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偏差値45様
 読んで頂き感謝しております。

 くら〜いですよね。笑

 飼い猫は、闇の中の光が好きなんですよね。
 太陽よりも星が好き。

 太陽の明るさか、まだ飼い猫には無理かな。明るい人達の中にいると、なーんか辛くなることありんせんか。

 ありがとうございました。

 

大丘 忍
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何となくほっこりした感じを受けましたね。心に残る作品でした。

アン・カルネ
219-100-28-212.osa.wi-gate.net

うーん…。
物語としては「母が人生で為したことは、子供を愛したことくらいだ。阿呆の愛。真実の愛。子猫を育む母猫のような無垢な愛情だった。」これがテーマなんでしょうね。
とはいえ、この文章の中にも毒がありますよね。「阿呆の愛」。
語り手の次男は母の愛を「阿呆の愛」とも思っていたってことですよね…。
これがちょっと引っかかってしまうというか、母の事、実はディスっているのか? と。

で、実際、このお母様、結構、無垢な心根とは実はちょっと違うのでは? と思わせてくれてますよね…。「妹たちは可愛いくて、成績はクラスで一番だった。でも母さんはぶさいくで勉強も苦手だった。母さんはいつも妹たちと比較され、親から蔑まれ、学校でいじめられた」恨み節ですよね…。
そして難病になれば、躊躇うことなく長男をケアラーにしてなんとも思ってないご様子。あまつさえ、「早くあの世に逝きたい」と、兄にこぼすようになった。」。これを称して毒親って言うんじゃないの? と…。
にもかかわらす、嫌な顔一つせず親の介護をしたお兄様って、天使? 
とどう見てもこの物語の中で一番、無垢な愛情を捧げたのは長男なのでは? と思えてきてしまうと、なんだかなあ、と…。そりゃ「兄が「最後の親孝行」に悩み苦しんでいる」とありますけど、これだって、額面通りに受け取るなら、鴎外の『高瀬舟』の世界なわけで。お兄様、自分が楽になりたくて、いっそ、母が死んでくれたら、ということではないわけでしょう?
大体ね、親が我が子にね、どんなに辛く苦しくても、親たるもの、我が子に「死にたい」と言っちゃあいけません。もうそれを言った時点で親失格です。どれほど子供の心を傷つけたら気が済むのかしら? お母様。自分の弱さで子供を縛るんじゃない! と言ってやりたいわ。
で、そう思うと前半のミサを追い出された時の話にしても、お母様、次男が外に出されてもご自分は最後までミサ聞いてましたか、と。なんなのこの女、と私なんかは思ってしまうわけ。身を挺して我が子を守る事もせず、実は自分が一番、可愛い人なんじゃないの? と。
で、そう思ってしまうとですね、「母が人生で為したことは、子供を愛したことぐらい」って言われても、いえいえいえ、あなた方のお母様はあなた方ご兄弟に人生の負の側面をこれでもかって教えてくれただけで、むしろそんな女でも母と慕って、健気に握り飯を愛情の証と心の拠り所にしてきたあなた達こそ、無償の愛を母親に捧げてたわよ、と。そういう感想になってしまうんですよね…。ラストも、それでも母の愛を信じて亡き母のおにぎりを思い出すあたりも健気な兄弟って感じですから。
まあ、作者さんが、母親の無償の愛を描きたかったのであれば、毒の部分は変えた方が良いんじゃないのかな、と思うかなあ…。とはいえ、これも母の愛と思う人は思うのかなあ。
ま、私には、この母の愛はイマイチでしたが、兄弟の母に対する愛情こそ、無償の愛だよね、と、そんなふうに思えました。

飼い猫ちゃりりん
123-1-11-54.area1b.commufa.jp

大丘忍様
ほっこりして頂きありがとうございます。
幸せは悲しみとともにあると飼い猫は思っています。

夜の雨
ai192043.d.west.v6connect.net

「母の一生」読みました。

姉妹の中で自分の存在が浮いているところから、彼女の悲しみがあったのでしょうね。
美形で頭が良い妹たち。
姉の母は、絵本の中の子豚みたいで、その瞳には、おどおどとした自信の無さが滲み出ていたし、頭も悪かった。
まるで正反対の姉妹、親も、美形の妹たちをかわいがるよね。
まるで世間を凝縮したような家庭で育った母の悲しみ。
>その写真は、男をどきっとさせるような妹たちの眼差しを見事に捉えていた。己の美しさを認識している女の眼差しだった。<
しかしこの妹たちは何やら癖が悪そうですけれど。
対比の仕方はうまくですね作者の猫さんは。

母は、姿かたちから妹たちと違いコンプレックスから人間関係であるコミュニケーションをとれなくなり、生き方に失敗したのだろうと思います。
ミサの場面で自分の子供が神父に叱られて外に追い出されたにもかかわらず、母が何ら対応をしなかったのは、自分の弱さからきているのでしょうね。
主人公の弟と兄はそういう母から産まれたから、なにやら罪を背負って生きていくような感じです。
不幸せの連鎖が親から子供へと続く。
内容は、途中まではぶれないでよく書けているのですが、流れが堕ちていくという一方通行なのですよね。
だから暗く沈んでいくという感じで。
このあたりがドラマ的には面白みに欠けるかなぁと思いますが。
誰しも、救いのある作品が読みたいので。

それに主人公の弟の描き方が、母が亡くなって以後に急に兄想いになっていています。
何かきっかけが要りますよね、こういう場合は。
刑事のキャラクターは救いがありよかったです。

まあ、どちらにしろ、よく書けているとは思いますが。
だけど作者の飼い猫ちゃりりんさんは、作風が暗いですね。
次回は、違うタッチで書いたらいかがですかね。

お疲れさまでした。

飼い猫ちゃりりん
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アン・カルネ様
 読んで頂き感謝しております。
 やっぱ「阿保」というワードは毒になりますか。
 そりゃ普通そーですよね。
 ただ飼い猫は、「阿保」ってワードに愛着があるのです。だって猫の世話する人なんて、みーんな阿保ですよ。猫なんてゴロゴロニャンて鳴くだけなんですから。
 やっぱ無償の愛じゃなきゃ、愛じゃないんですよね。
 そー考えると、阿保の愛、真実の愛……にゃんて思ったりもします。
 つーことは、あの男は白痴なんですかね? 
 ま、神の冒涜はやめておきます。

 ありがとうございました。

飼い猫ちゃりりん
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夜の雨様
 読んで頂き感謝しております。
 主人公の心理描写が難しいです。
 主人公は家族を愛しているが、家族のような人間であってはいけないとも思っているわけです。

 誰でも救いがあるものを読みたいですよね。死が最終的な救いじゃ、ダメっすね。苦笑

 パロディーも書いたことあります。今度はそっちかにゃ。

 ありがとうございました。

ぷーでる
45.92.32.11

悲しい話ですね、毒親っぽいコメントもあるけど、リアルにそんな人もいそう。
「阿保」の文字は完全にバカにしてるっぽいコメもあるけど
関西では、愛着の意味もある様な事を聞いた事があるので
そちらの方々が耳にすれば、それほど不快感はないのかもしれません。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-192-179.m-zone.jp

ぷーでる様
ありがとうございます。
ほとんどの親に毒親の自覚は無いそうです。
でも母猫は違いますよ。

えんがわ
p13244-ipngn4301souka.saitama.ocn.ne.jp

「兄」の家族への献身というか溢れる人間愛に打たれました。

そして主人公を兄ではなくて、敢えて弟にするところが上手いと思います。

たぶん、兄視点で書いてしまうと、兄の神々しいような神に殉じるような静謐さが消えてしまうと思うからです。

と同時に、たぶん、主人公は兄に何か劣等感と言うか後ろめたさがあったのかなって感じがするんです。
だから二人で、最後に木漏れ日で仲睦まじく散歩しているのにほっとしました。
やっと救われたのだなと。

飼い猫さんは、本当に社会の暗部と言うか、どうしようもない底辺のような世界を、上から見つめるのではなく、
同じ高さまでしゃがみこんで書いているようで、その執筆姿勢には、本当に頭が下がります。

たぶん、今自分が一番足りていないもの、そして大事なものを飼い猫さんは持っていると思うのです。

飼い猫ちゃりりん
123-48-58-55.area1b.commufa.jp

 えんがわ様
 読んで頂き感謝しております。

 はい。弟は兄に後ろめたい気持ちがあります。
 兄は底辺家族に殉じるつもりですが、弟は底辺家族を切り離そうとも思っていますが、弟は家族を強く愛してもいるわけです。
 だからその葛藤に悩むわけです。

 飼い猫は目線が低いんです。だって猫だもん。

 ありがとうございました。

チエル
sp49-98-157-117.msd.spmode.ne.jp

読みました。

作者様の一連の作品を読ませていただきまして一定の実力がある方とお見受けしました。

私から見ればプロと遜色ない力を持っていらっしゃるように思います。

現に飼い猫さんの作品に寄せられた感想を見るとみんな読まされてますよね。

何気なくよんだら気がついたら引き込まれているのが、どの感想からも読み取れました。

中にはダメ出しする方もいらっしゃいましたが、そういう人はどんなプロ作家と言えど「つまらない」と切り捨てるのではないでしょうか。

読めて幸せになりました。面白かったです。

飼い猫ちゃりりん
123-48-112-221.area1b.commufa.jp

チエル様
 初めまして。
 お優しい感想を頂きまして、嬉しくもあり、恥ずかしくもあります。
 プロと遜色ないなんて、とんでもありません。汗
 プロなら売れる作品を書くでしょう。飼い猫の作品は絶対に売れません。自信を持って断言できます。
(自信を持つとこか! 笑)

 飼い猫はある病を治癒するために書いているんですよね。
 それは、「人間病」という病です。つまり、人間的=病的、ということ。
 死は人間のみにある不幸。悲しみの源泉。
 健康な動物は生き終えるだけ。その一生に死はありません。

 飼い猫は、猫だけど「人間病」にゃんです。

 ありがとうございました。

チエル
sp49-97-107-218.msc.spmode.ne.jp

すいません、端的に書きすぎてしまったので、私がこの作品を読んで思ったことを書きたいと思います。

まず、この作品のタイトルは「母の一生」です。
そして、主人公は「弟」です。弟から見た母の一生を描いているのがこの作品です。

で、コメントを見ると母親は毒親なのでは、という意見がありましたが。まさに作者の狙い通りの反応かと。
そう、誰かから見ればこの親は毒親にしか映らない。――それが弟が苦しんだ理由ですからね。

弟が抱く母に対する思いはとても複雑で、それゆえに、まっすぐ母を愛することができなかった。背を向けて自分だけはまともに生きようと足掻くも、それは「偽りの姿でしかない」と感じている。それは世間で言われる「人間合格」の姿であるはずのに。対して兄は(兄とは言え複雑な感情を持っていたに違いないわけですが)世間から背を向け自分とは違いまっすぐ母を愛そうとしている……そこにある葛藤も含めて書いている。

この対比。
見事だなあと思いました。


……この感覚を描けるからこそ、私は作者を尊敬したのです。
心理の肌感覚。皮膚感覚。状況も何もかもリアル。現場で実際に起きた出来事を書いているような心理のリアルさ。
当事者には必ず伝わる。そう思わせるほど説得力のある作品でした。

なので、面白いと私は思ったし、称賛したわけです。

他の作品も同様です。心理描写が本当に秀逸だと思います。
できれば、本になって多くの人に読んでほしい。
そう思える作品たちでした。

ま、商業じゃなくても面白い作品なんて山ほどあるし埋もれているんだと、ほんと実感した次第です。
これからも、作者様がこの世界観を育てていかれることを願わずにはいられません。

あ、一つだけ苦言を。ちなみに私はなろう小説も好きです。それに打ち込んでいる作者も尊敬している。これからなろう小説を書こうとしている作者もいるかもなので、ネクロとか言わないでほしいかな(伝言板)
ま、言いたいことはわかりますけどね。

ではでは!

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-188-174.m-zone.jp

チエル様
 なろう小説を批判した件については率直に軽率だったと反省します。ネットで素人作品を少し読んだだけなのに言い過ぎでした。(ペコリ)
 ネクロフィリアについても、他者の趣味趣向を偉そうに断罪すべきではないし、この飼い猫自身も嫌いじゃないかも。
 今YouTubeに出してもらっている『殉職した猫』(茅場義彦様編集)を観てもらえば分かりますが、「飼い猫だってネクロフィリア好きじゃん」って感じですね。笑

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