作家でごはん!鍛練場
大丘 忍

黒幕

 昭和三十五年十二月、谷山健介は京都の大学病院での研修を終えて高知市の日赤病院に内科医師として赴任した。初出勤の時、健介を出迎えたのは病院の入り口に張られたピケと、スト決行中というプラカードであった。鉢巻きをした看護婦が腕を組み、犬の一匹すら通さないぞと白衣の塀を作っている。知らずに訪れた患者はため息をつきながら引き返す。
 高知市の日赤病院では、ストライキが頻発していることは赴任前に聞いていたので、健介はうんざりしながらピケの隙間をかき分けて院内に入ろうとした。
「スト中です。今日は入れませんよ」
 たちまち数人の男女に取り囲まれた。健介を患者と思ったらしい。
「僕は京都から赴任してきた内科の医者ですが」
「医者ならなおさら入れる訳にはいかん」
 健介が医師であると知って、彼らの態度が豹変した。威高げな物言いである。
「どうして?」
「どうしてじゃと? スト破りになるじゃろう」
 全日赤と染められた鉢巻の中年の男が、吐きつけるように言った。
「医者が中にはいるとなぜスト破りになるんですか? 僕はいま初めて着いたばかりで、ストには関係ありませんよ」
「理屈を言わんと早よう帰れ」
 男は健介を押しだそうとした。健介はその手を振り払った。ストをしている組合員なら、病院の職員であろう。病院の労働組合では医師が非組合員であることは知っている筈だ。男がどんな職種かは知らないが、医師と知りながらそんな横柄な態度をとるのが不思議だった。
「とにかく僕は中に入る」
「スト破りじゃ」
 てんでに叫びながら、健介を押しだそうとする。健介を囲む人垣が増えた。鉢巻をした白衣の看護婦、中には放射線技師や事務員も居るらしい。
「わしは組合員じゃあないで。医者が院内に入るのがどうしてスト破りになるんじゃ」
 健介が叫んだ。興奮するとつい生まれ故郷の広島弁が飛び出す。
「つべこべ言わんと帰れ」
 健介が最も嫌悪する態度であった。問答無用で相手を威圧しようとする行為は、健介の闘争心をかき立てる。目の前の看護婦を押し退け、健介の腕を掴んだ男の手を振り払って一歩踏み込んだ。
 その時、院内から初老の小柄な男が走りでてきた。倉本院長だった。
「谷山君、今日の所はひとまず帰ってくれんか」
「院長、どうしてですか」
「まあ、とにかく今日のところは」
 倉本院長の言葉まで無視することは出来なかった。倉本院長は、この病院に院長として赴任するまでは京都大学内科の講師をしており、健介が学生の頃からよく知った仲である。
 非組合員である医師が院内に入ることはスト破りにはならない。入院患者にとっては、医師は必要であるし、入院患者にストは関係無いことだ。ストによって患者に迷惑をかけることは絶対に許せないことだった。
 健介は唇を咬んで院長を睨みつけた。院長の意図がわからない。
「それみろ。院長命令じゃ」
 鉢巻の男が勝ち誇ったように言った。
 この日は院長の指示で健介は一先ず医師官舎に帰ったが、全日赤という組合は、この時から健介を敵にまわす事になった。谷山健介だけは敵に回すな。京大寄宿舎で左翼学生が言った言葉を、組合の連中が知るはずはない。この時から組合はその健介を敵に回すことになったとしても仕方ないだろう。健介だけは敵に回すなとは、学生時代にこんなことがあったからである。

 健介がまだ学生で京都大学寄宿舎に居た頃のことである。
 団交の席上で学生が学長に暴力を振るう事件が起きた。その首謀者は中寮の松島という学生で、退学より厳しい放学処分を受けた。裁判中も松島が寄宿舎に住んでいることを知った大学は、松島を即時退寮させるように通告してきた。寄宿舎は北寮、中寮、南寮の三つの寮から成り立っている自治寮である。
 松島の処遇を巡って各寮で寮生大会が開かれた。北寮と中寮では松島を最後まで守ると決議した。
 京大の寄宿舎は左翼学生の拠点であり、寮生大会の流れを支配していたのは左翼学生のリーダー達だった。彼らの発言に異議を唱えると日和見主義者と罵声で非難されるので、表立って異論を唱えるものは居なかった。
 南寮でも松島の処遇を巡って寮生大会が行われた。
「南寮でも松島を守ることに異議はないか」
 それが当然のような顔で医学部先輩の石峰が皆を見渡した。
「松島を退寮させないとなれば、大学はどう出てきますか」
 健介が尋ねた。
「大学は寄宿舎を閉鎖すると脅している」
「それなら、僕は松島を守るということには反対ですね」
「反対というのは、松島を追い出せということか」
「追い出すのではなく、松島には自主的に寮から出て行って貰いたいですね」
「なんでや」
 石峰が大声で怒鳴った。
「京都大学の学生でなければ寮にいる権利はないでしょう」
 と健介は答えた。
 石峰の言葉には、一緒に荒神橋で警官隊と戦った同志ではないかという意味が含まれているのだろう。荒神橋で警官隊と衝突したときには、石峰と一緒に警官隊と戦ったことがある。しかし、健介はそれとこれとは別だと思った。寄宿舎、つまり寮が閉鎖されるとたちまち生活に困る。貧しい健介にとっては死活問題となる。
「ここで決をとったらどうですか」
 議長役が提案した。再議決によって健介の主張は否決された。
「多数決がすべてではないでしょう。これは寄宿舎全体の問題ですから、全寮大会にかけて下さい」
 石峰はこの提案を受け入れた。北、中、南の各寮で決議されたことが、全寮大会で否決される筈はない。やはり、全寮大会では松島を守ることを多数決で決議した。石峰が満足そうに笑って健介を見た。これで納得したろう、おそらくそう思ったのに違いない。健介は発言を求めて手をあげた。
「松島を退寮させなければ、大学側は寮を閉鎖すると言っていますね」
「そう言っているけど、これは脅しや。そんな脅しに乗ったらあかん」
 会議を主導しているのは中寮の熊田だった。寮生大会ではいつも発言して寮生の意向を左右している左翼学生の一人である。
「夜、道で強盗に出会ったとする。強盗は金を出せと脅して日本刀を振り上げた。こんなとき熊田さんはどうしますか。金を守るために命をかけて強盗と戦いますか。僕ならさっさと金を渡して逃げますがね」
 熊田の顔が赤くなった。
「それとこれとは話が違うやろ」
「違いませんよ。寄宿舎、つまり寮を閉鎖されることは、僕にとっては死活問題ですからね」
「だから、寄宿舎の閉鎖は脅しや言うてるやろ。それに屈するのは敵の思うつぼや」
 敵とはなに? 大学のことか。大学は敵なのか。
 松島を守るということで、寄宿舎の意志を統一し、武力革命の足がかりにしようとするなら許せないことだ。
「確かに脅しかも知れない。脅しではないかも知れない。強盗の日本刀だって脅しかも知れない。現実の問題として大学には寄宿舎を閉鎖することは可能でしょう。閉鎖されても困らない人は、松島を守ればいい。しかし、僕は閉鎖されると困る。生活できないからね」
「けどな、谷山。小の虫を殺して大の虫を助けるという諺があるやろ。いまの戦いの中では多少の犠牲は仕方がないんや」
「今の戦いとは何の戦いですか。政府を倒し、アメリカ帝国主義を倒す戦い? その前に僕には日々の生活との戦いがありますよ。辛いアルバイトをして生活と戦っているんですよ」
 熊田が沈黙し、助けを求めるように石峰を見た。健介は石峰に向いた。
「確かに僕は石峰さんと一緒に荒神橋で警官と戦った。警官の暴力に我慢がならなかったからです。しかし、今は、多くの貧しい寮生を巻き添えにしようとする石峰さんや熊田さんと戦わなければならないと思っています。松島と、多数の我々貧しい寮生のどちらをとるつもりですか」
 石峰が目を怒らせて唇を噛んだ。
「もう一度採決をやり直したら?」
 という声が片隅から上がった。
「賛成」
 という声が追いかけてくる。多くのノンポリ学生は心の中では健介と同じような考えであるから、最終的には健介に同調して、松島を守るという決議は否決された。
 その時以来、谷山健介を敵側陣営に回すな、が左翼学生の合言葉だった。

 高知日赤病院の師走の初出勤はこんな騒動から始まったのだが、ストが終わってから健介は院内に入った。
 各科の医長のところに挨拶に回る。新しく採用された医師は、健介を含めて四人である。健介以外は大学からの人事ではなく、現地採用された開業医の息子で私立大学出身である。
「今度赴任してきた内科の谷山です」
「何年の卒業や?」
「昭和三十四年です」
 以前から医師の世界では旧七帝国大学と中心とする学閥意識が強かった。大きい有力病院の殆どはどこかの大学の関連病院になっている。古い歴史のある大学ほど規模の大きい有力病院を関連病院として保有している。高知日赤病院は京都大学医学部の有力関連病院の一つであったから、医長のほとんどが京都大学出身である。だから大学名を言う必要はない。医長は皆、健介より十年から十五年の先輩であった。
 最後に回った外科医長は、足を机の上に放り出してタバコに火をつけた。
「こんな病院へ来てもしょうもないで。はよ、荷物をまとめて帰った方がましや」
「どうしてですか?」
「まあ、そのうち見てればわかる」
 これが希望に燃えて着任した新任の医師を迎える言葉か。健介は憮然として部屋を出た。
 年が明けた。病院を包んでいる怪しげな雰囲気が少しずつわかり始めた。
 戦後に、労働運動が解禁されて、全国の労働者は労働組合を作ったが、数年前から医療労働者にも労働組合が結成されていた。医師を頂点とするピラミッド型の職階制度の典型である病院に労働組合ができて、平事務員や看護婦が組合執行部として院長と対等に交渉できることになったのである。医療労働組合の中でも全日赤労働組合は特に尖鋭化した組織であった。その全日赤労働組合の中でも、高知日赤労組が最も過激な組合であることを知ったのは、健介が赴任してまもなくである。
 初出勤の日に、健介に暴言を吐いた男は、職員の中には居なかった。これはオルグと称する他の組織の人間であった。このオルグの中心人物は、尾崎と呼ばれた日教組の専従だと聞かされた。
 労働運動に不慣れな医療労働者が労働組合を結成するに当たっては、その指導者が必要である。最も強力に組織された労働組合である日教組の専門家が、オルグとして高知日赤労働組合結成に参加したのは当然であろう。高知日赤の組合員はオルグと称する尾崎たちの指示のままに動いていた。
 オルグはストライキの指示を乱発し、高知日赤に受診している患者は、またストかと諦め顔で他の病院に足を向ける。このようにして患者数が激減し、病院の経営が危うくなりつつあった。ストライキで困るのは患者である。いくら病院職員が労働者だからといって、なぜこの様に簡単に患者無視のストライキに走るのか、健介には理解できなかった。日赤病院は独立採算性の病院である。赤字をだせば、その病院の責任で補填しなければならない。松江日赤や高松日赤等の黒字病院からの援助や日赤本部からの援助は有り得ない。
 健介が赴任した時は、高知日赤の経営は破綻に瀕していた。外科医長の言った言葉が思い出される。その後もストライキをする度に病院の経営は悪化していった。
 健介が赴任して間もなくの頃、午後の外来時間になっても院長は診察室に現れなかった。しびれを切らして健介が院長室に迎えに行くと、中から怒号が聞こえた。健介はそっとドアを開けてみた。最初の日に健介と争った尾崎を中心に、見知らぬ数人の男がおり、その両わきに電話交換手の若い女子職員や看護婦、放射線技師が院長を取り囲んでいた。怒鳴っていたのはその見知らぬ男たちであった。院長はうつむいたままで黙っている。
「院長、外来の診察時間ですが……」
 健介は、言葉の途切れた時に声をかけた。
 院長は戸惑った表情を健介に向けたが返事はなかった。
「団交中じゃ。邪魔するな」
 怒鳴ったのは、尾崎である。
「院長、大勢の患者さんが待っていますよ」
 健介は尾崎を無視して院長を促した。
「団交の邪魔をするのか。不当労働行為だ」
 尾崎が口を歪めた。
 院長が当惑した顔をあげた。警官に逮捕されて連行される囚人のような顔だった。
「ちょっと今はあかんのや。だれか代わりにやってくれ」
「院長、団交は診察が終わってからにして下さい」
「おい」
 健介の近くの男が立ち上がって健介の腕を掴んだ。
「院長命令に従えんのか」
「谷山君、杉村先生にやって貰ってくれ」
 院長が健介に頼むように言う。杉村医師は内科医長である。
 診察時間だと分かっているのに団体交渉をするとは非常識だと思った。それに団交とはいいながら、病院側は院長ただ一人である。
 何かおかしい。杉村内科医長を探し歩きながら、この病院に漂う不条理を感じた。その後もこの不思議な団交は時を選ばず行なわれていた。
 倉本院長は、大学の講師から院長になっている。大学という温室から初めて外にでた雛鳥のようなものだ。労務対策の経験はなく、団交のルールさえ知らないようだった。組合員が院長室に勝手に入り込むと、それが団交と称する院長釣るし上げの場に変ずる。診察時間であろうと、回診時間であろうとそれはお構いなしであった。オルグが来たときが団交の時間になっていた。
 健介は事務長や医長クラスの医師がなぜ病院側として団交に出席しないのか不思議に思った。事務長は、ある時団交の席から逃げ出して、それ以来団交には出ていないと聞かされた。
 組合は院長に賃上げを要求する。要求が通らないとすぐにストライキを打つ。高知日赤の前庭には赤旗がなびき、ビラが壁を汚し、スト決行中のプラカードが立ち並ぶ。
 日赤病院には、日赤が定めた給与体系がある。院長の判断で、給与体系を無視した昇給をすることは出来ない。それを承知で組合は無理な賃上げ要求を繰り返し、ストライキをする。
 このままでは病院の経営は破綻する。なんとか対策をたてなければならない。新米医員である健介に何ができるというのか。
 廊下を歩いているとき、産婦人科の看護婦詰所から池坂医長が健介を呼んだ。
「お茶でも飲んでいけよ」
 健介は吉住看護婦を目に捉えて詰所に入った。
「どうや。勉強しているか」
 池坂医長は京都大学の二十年の先輩である。久しぶりの母校からの新任医師とあって健介にはいろいろとアドバイスしてくれる。専門の科は違うが、健介が最も信頼している臨床医だ。
「しています」
 と健介は答えた。しかし、現在の病院の状態では落ち着いて臨床の勉強はできないと思った。
「池坂先生は、今の病院の組合をどう思いますか」
 健介の質問に池坂医師の笑顔が消え、辺りをうかがった。吉住看護婦が戸口まで出て周囲を確かめた。
「はっきり言って、無茶苦茶だと思っている。これはどうしようもないね」
「先生方は、組合の横暴に対して何もしないのですか」
 池坂医師は皮肉っぽく唇をゆがめた。
「最初は俺も組合に対抗しようとしたんだがね」
 池坂医師の発言は他の医長連中によって封じられた。
「ここの医長連中の多くは地元出身だから、時機を見て開業しようと思っている人が多い。だから組合とトラブルを起こすと、開業のときに差し支えるからね」
組合と事を構えて、自分たちの経歴に傷がつけば、将来の開業に支障がある。地元出身の医長の多くは、いずれ時期をみて地元で開業するつもりだ。それまでは、できるだけ荒立てることは避けたいのだ。もし病院が潰れたとしても、これを機会に地元出身の医長は開業すればいいだけだ。開業する意思のない医長は大学に頼めば医師を求めている関連病院はいくらでもある。組合と争いたくないという気持ちはわかる。
「まあ、ずるいと言えばずるいことになるが、医者はこんな争いには慣れていないからな」
 医長が駄目なら、若い医師が中心にならなければならないだろう。健介は二つの選択を迫られた。病院を改革して経営の建て直しを図るか、医長と同じように傍観するか。病院が潰れたら健介のような大学から派遣された医師は大学に戻ればいい。
「吉住さんはどう思います?」
「こんなことを繰り返していると……」
 吉住看護婦は池坂医長を見た。池坂医長がうなずいた。吉住看護婦が黙って頭を下げた。言わなくてもわかっている。
 健介の決心は決まった。充実した勉強をするには、まず病院の改革が必要だ。これは看護婦など、病院の職員にとっても重要なことだ。健介には可能だと思った。成算はある。
 病院の経営は悪化し、医薬品代の支払いに窮するようになった。事務長が打った手は、薬の使用量を減らして貰いたいということであった。
「薬を減らせとはどういうことですか」
 健介は事務長に食い下がった。
「薬の支払い額が大きくて資金繰りがつかないので」
「薬代は健康保険の方から三カ月遅れで入ってくるでしょう」
「それまでの支払いが無理なんですわ」
 無為無策とはこの事だと思った。保険診療で使った薬代には業者からの納入価格と薬価との差が利益になって三ヶ月後に帰ってくる。薬代を減らせばそれだけ収入も減ることになる。他の医長連中は何も発言しなかった。
 健介は杉村内科医長の顔を見た。
「どないしてもあかんのや」
 杉村医長は首を振った。医長連中はもう匙を投げていたのかも知れない。医師にとっては、病院の経営は関係ないことであった。病院が潰れると、地元の医師は開業すれば良いし、開業するつもりが無ければ大学の指令で別の関連病院に移ればよい。軍医養成のために作られた医専は廃止されている。その後に医科大学が各府県に一つはあるように制度化されて医師養成の医科大学は増えたが、それは後の話で、健介が赴任してきたこの当時は深刻な医師不足の状態であった。しかし、医師以外の職員はそういうわけにはいかない。
「とにかく、薬の使用量を減らすことは反対します。それは自分の首を絞めるようなものですよ」
「そんならどうしたら良いんだ?」
 事務長が怒ったように言う。
「今の労使関係を正常化して、馬鹿なストを止めさせることです」
「それが出来たら……」
 院長が小さい声で呟いた。
 健介が労使関係を正常化すべきであると発言したことが組合側に洩れた。
 ある日、健介は団交の席に呼ばれた。
「谷山医師は組合活動を妨害している。これは不当労働行為だ。そうだろう、院長」
 尾崎が院長に詰め寄った。
「いや、谷山君はそんなつもりで言った訳やないやろう」
 相変わらず弱気な院長の発言を遮って、
「不当労働行為や!」
 端にいた若い女が叫んだ。組合書記の電話交換手で、二十才過ぎの女である。
 健介はそちらを向いた。
「労働法の不当労働行為とはどういうことや。あんたその定義を言うてみい」
 書記は答えずにオルグに助けを求める視線を送った。
「それは」
「お前らに言うとるんではない。わしは組合員に言うとるんじゃ」
 健介の剣幕に尾崎が黙った。
「さあ、不当労働行為とは何じゃ。わしの何処が不当労働行為なんじゃ。ちゃんと法律的に説明して見い」
 書記は黙り込んで俯いた。
「不当労働行為を知らんで、気やすう口にするな」
「院長!」
 尾崎が手を震わして怒鳴った。
「この団交を妨害しとることが不当労働行為だろう」
 院長はもぐもぐ口を動かしただけであった。
「谷山医師は憲法で保障された労働者の権利を侵害した」
 院長が微かにうなずいた。
「だから谷山医師をクビにすべきである」
「それは……」
 院長が口ごもった。
「不当労働行為を認めてクビにしろ」
 かさにかかった言葉に院長がうなずいた。
 健介は呆れた。関連病院の人事は大学が握っている。現地採用の医師と違って、健介はその大学から派遣されているのだ。
「それ見ろ。お前はクビだ」
 オルグの男は勝ち誇ったように健介を振り返った。
 健介は皆を見回した。職員の一人一人の顔をのぞき込むように見た。
「病院を辞めろというのなら辞めよう。わしは大学の指令で来とるんじゃ。大学に帰ればそれでええ。けど、後に残ったあんたらはどうなるんじゃ。この病院が潰れたら行くところがあるんか」
「黙れ」
 尾崎があわてて健介を遮ろうとした。
「お前らはここの職員と違うじゃろう。わしはここの職員に言うとるんじゃ。関係ない奴は黙っとれ」
「労働者の権利を……」
「労働者とはこの病院の職員のことじゃ」
健介派看護婦を指さした。
「あんたら職員はここが潰れたらどうする。行くところがあるんか」
 看護婦はうつむいた。
 高知では日赤の看護婦や職員を採用する病院はないことを健介は知っている。うっかり採用して、病院に組合を作られ、ストライキをされたら大変だからだ。
「あんたはどうじゃ」
 健介は一人一人指さして回った。
「病院が潰れたらいちばん困るのは誰じゃ。わしか? わしは大学に帰るだけじゃ。こいつらか?」
 健介はオルグを指さした。
「こいつらはよその人間じゃ。ほんとに困るのは誰か考えて見ろ。いま、高知では日赤を辞めた職員を採用する病院は無いことを知っとるじゃろう」
 それだけ言うと健介は院長室を出た。
 その後もストライキは日常行事となり、団交は時を選ばず行なわれていた。ただ、健介のクビの話はいつの間にか沙汰止みになっていた。組合員の間から健介をクビにするのは行き過ぎだという批判が出され、執行部もそれを認めざるを得なくなったからだ。健介が反省しているという理由でクビを撤回したことになっていた。
「反省している?」
 健介は笑った。反省どころか、後に高知日赤労働組合を震駭させる計画を立てていたのである。

 休日のある日、町の繁華街にある食堂に入ってうどんを注文した。昼時をかなり過ぎており、立て込んでいた客も減りかけている。
 健介は病院の再建策を考えていた。このままでは駄目であることは吉住看護婦の言葉を待つまでもなく、誰もが考えていることだ。組合員である一般職員がそれを公然と発言できる雰囲気でないことはわかっている。
 煽動の張本人である尾崎を排除しなければならない。尾崎が日教組から派遣されたオルグであるとすれば、最強の労働組合といわれる日教組を敵に回すことになるかも知れない。しかし、組合員の総意があれば尾崎を排除して、本来の労働組合の姿を取り戻すことが出来るのではないか。
「ここが空いてるよ」
 小さい女の子が走り込んできて健介の横の席に座った。追いかけてきた中年の女が店内に目を走らせ、健介のテーブルしか空いていないことを確認し、子供の向かい側に座った。
「お父さん、こっち」
 女の子が手をあげた。
 何気なく健介が目をあげると、二人から遅れて入ってきた男と目が合った。尾崎だった。尾崎も健介に気付いて、表情が一瞬強張ったが、戸惑いを繕う余裕を喪っているようだった。
「お父さん、ここ」
 と、女の子は得意げに空いている席を指さした。尾崎は顔を強ばらせたまま、健介の向かい側の席に女と並んで座った。
 女の髪はほつれており、痩せてかさかさした顔には生活の疲れが滲んでいるように思われた。
 できれば見て見ぬ振りをしておきたかったが、尾崎が目の前に座った以上、声を掛けざるを得なかった。
「尾崎さん、今日は」
 健介が声をかけると、浅黒い顔の尾崎は、どこか弱々しい気配を漂わせ、無愛想に、
「今日は」
 と呟くように言った。
「家族でお買い物ですか」
 健介の言葉に、尾崎は目を伏せたまま、はあ、と答えた。
 女が、
「お知り合い?」
 と尾崎に囁いた。尾崎は五月蠅げに曖昧にうなずいた。
「僕は高知日赤病院の医者で、谷山と言います」
 言う必要はないと思いながら名乗った。
「主人がお世話になっています」
 健介と尾崎の関係を女は知らないらしい。神妙に頭を下げた。尾崎は健介の目を見ないようにひたすら下を向いている。
 団交の席上での傲慢さの片鱗も見えなかった。
「この次にはかならず買ってね」
 尾崎は黙ってうなずいた。女の子が買い物をねだって後回しにされたらしい。
 うどんを食べ終わると、じゃあ、と声をかけて健介は立ち上がった。女が頭を下げ、女の子はきょとんとした目で健介を見上げた。無邪気で可愛らしい顔だった。
 尾崎は健介と視線を合わせようとはしない。これから尾崎を追いつめることになるのだ。女の子の笑顔に健介の胸が痛んだ。
 健介は笑顔で女の子の頭を撫でると、その場を立ち去った。

 整形外科の安藤医師は二年先輩で、同じく今掘医師は一年の先輩である。安藤医師の自宅に三人が集まって、高知日赤病院再建計画がすすめられていた。
 院長、事務長は頼りにならない。医長連中は初めから組合と対抗するのは敬遠している。血気盛んな若手の三人組が中心になるしかなかった。
 組合執行部の連中は健介を避けるようになった。
 団交の席に呼びつけても、組合側には健介を恫喝する材料は無かった。いつでも止めて大学に帰るという健介に脅しは通用しない。
 病棟の詰所で健介は看護婦との会話を重ねていった。
「病院が潰れてもいいと思っているんか?」
「潰れることはないでしょう。それは病院側の宣伝だと尾崎さんが言っていました」
「事務長は薬の使用量を減らせと言ってきた。薬代の支払いが出来ないからや。病院で薬を減らせば収入はどうなる?」
「まさか」
 看護婦は目を見開いた。
「そこまで病院の経営は悪化している。このままでは破産するしかない」
「ではどうすれば良いんですか?」
「外来患者と入院患者をもっと増やすことじゃ」
 看護婦はうなずいた。
 看護婦をはじめとする一般の職員は、本心では病院が潰れることを恐れているという感触を掴むことができた。健介は職員の一人一人と精力的に話し合いをするようにした。
 健介が組合の切り崩しを企んでいるとして、執行部は院長に抗議を申し込んだ。若手三人の医師が院長室に呼ばれた。
「君ら、あんまり看護婦を扇動せんといて欲しいんやけどな」
「扇動? そんなことしていませんよ」
「君らが組合の切り崩しをやっとるいうて、執行部がえらい怒っているんや」
 院長は一枚のビラを取り出した。全日赤が発行している組合報である。そこには、高知日赤で組合の切り崩しが行なわれていることが角張った独特の文字で記してあった。
「へー、高知日赤は全国的に有名になったんですか」
「冗談やないで。僕の立場になってみろ。毎日が針のむしろや」
 院長はどうしてこんなに弱気なのだろう。他の松江日赤や高松日赤などの黒字病院では、これほど無謀なストライキはやっていない。全日赤がストライキの指令をだしたとき以外にも、高知日赤は勝手にストを乱発している。これが経営を悪化させて赤字病院に転落した原因である。
 これは院長があまりにも弱腰だからだ。
 健介は学生時代、京都大学寄宿舎の寮長として、大学と真っ向から対立して闘ったことがある。大学は一人一室制度を廃止して、二人部屋にするという案を出してきたのだ。寮生大会ではこれを拒否することにした。一人一室であってこそ、単なるねぐらの提供所としての寄宿舎ではなく、人間修養の場としての意義がある。これが寮生大会の意見であった。
 健介は厚生課長と連日交渉し、頑として引かなかった。とうとう大学側が譲歩し、数個の十畳部屋だけを二人にするという妥協案で決着した。寄宿舎のプライバシーは守られたのである。
 院長は大学の研究室からいきなり労働組合と対決するという修羅場に引き出された。健介が学生時代に経験したような強力なリーダーシップを期待する方が無理かも知れない。
「とにかく、病院をつぶすわけにはいかんでしょう。なら、僕らの足を引っ張ることだけはせんといて下さい」
 大学という国家権力と闘い、火炎瓶を隠して寮を武力革命の拠点としようとした左翼学生とも闘って寄宿舎を守り抜いてきた経験を持つ健介にとって、高知日赤労働組合と闘うことはそれほど難しいことではなかった。健介は本当の敵は何者かを知っていたからだ。ただ、院長命令で妨害されることだけを恐れていたのである。
 ある日、日教組の幹部が入院してきた。
「尾崎という日教組の役員を知っていますか?」
「尾崎? そんな人はいませんけどね」
 幹部は首をかしげた。
「なんでも高知市の日教組の専従だという事ですが」
「ああ、あの尾崎ですか。あれはとうに除名になっていますよ」
 尾崎は日教組からすでに追放されたという。
「あんな奴がいると日教組の信用にかかわりますからね」
 すると尾崎は日教組とは関係ないことになる。日教組という組合がこんな馬鹿な指導をするはずはないという健介の疑問が氷解した。
 日教組を追放された尾崎は、高知日赤のオルグという立場を生活の糧にしているらしい。組合からはいくらかの顧問料が支払われている筈だ。この地位を維持するためには、絶えず何らかの行動を続けなければならない。無謀なストライキを繰り返していたのはそのためである。ストライキがなくなり、正常な労使交渉になると、尾崎の出る場はなくなる。ストを乱発している限りこの職場を失うことはない。
この情報を得た以上、戦いは有利に進められると思った。健介達三人の若手医師による根回しは一般職員の間に浸透していった。
 京都で行なわれた学会の帰りに大学に寄ってみた。
 病棟詰所に顔を出すと、
「谷山、お前、高知日赤でなにをしてるんや」
 医局長がにやにやしながらビラを見せた。全国版の全日赤情報であった。
 谷山医師は全日赤労働組合の敵である、そんな見出しで始まっていた。高知日赤病院を牛耳っているのは谷山、安藤、今掘の三人の医師である。特に谷山医師がその黒幕で、倉本院長は谷山医師の傀儡に過ぎない。
「君も偉くなったもんやなあ。全国的に名が売れてるんやからなあ」
「ほう、僕が黒幕ですか」
 医局長の皮肉に健介も苦笑した。これは高知日赤労組から本部労組に流された報告によるのだろう。高知日赤の執行部がかなり動揺していることは明らかだった。
 京都から帰って、安藤医師、今堀医師と協議して時期が熟したことを確認した。三人による根回しは出来上がっている筈である。
「全職員集会を開こう。高知日赤病院の将来を考えよう。午後四時に総合講堂に集合して下さい」
 健介の名前でこんな掲示が院内の数カ所に貼られた。これに気がついた執行部があわててその掲示を剥がそうとしたが、見張りに立っていた職員に阻止された。
 時間が近づくと次々に職員が集まり始めた。執行部委員が入り口で説得しようとするが、皆はそれを無視して講堂に入る。
 四時前に院長が走ってきた。その後ろに尾崎はじめ数名のオルグがついている。
「谷山君。この集会はやめてくれんか」
 倉本院長は半泣きの顔で言った。急を聞いて駆けつけたオルグに痛めつけられたらしい。
「それは院長命令ですか?」
 健介は穏やかに言った。
「そうや。院長命令やと思ってくれ」
「そうですか。わかりました。集会は職員の意向ですからとめるわけにはいきませんが、僕は中には入りません」
「そうか、恩にきるよ」
 院長は単純に喜んだ。
「尾崎さん、ここらが潮時じゃあないの?」
 健介は尾崎に一瞥をくれて背を向けた。
 健介の引き際の良さに、尾崎と執行部の連中はあっけにとられたように見送っていた。
 これで良いんだと健介は思った。このままほっておいても病院は良くなる。労働組合の目的は、企業を破壊することではなく、労働者の生活を守るためにあることは、今度の事件で一人一人が理解したことだろう。それは健介が召集した集会に皆が参加しようとしたことで証明された。尾崎というアウトローと、それに躍らされた執行部にかき回されたけれども、健介は一般組合員の良識を信じ、良識の判断に任せることにしたのだ。
 それからまもなく、執行部は改選され、尾崎は姿を消した。院内外に張り巡らされていたビラは剥がされ、壁は綺麗に清掃された。やっと病院に平和が訪れて、健介は臨床医学に専念することができるようになった。
 スト騒動が収拾してしばらくしたころ、倉本院長が医局会議を招集した。
「この度は谷山先生など、若手医師の活躍で正常な状態を取り戻すことができましたので……」
 院長の声は明るい。自分の弱腰を恥じる様子もなく、無邪気な笑顔を健介に見せた。その笑顔を見て、健介はうどん屋で出会った女の子の無邪気な笑顔を思い出して心が痛んだ。
オルグという生活の糧を失って尾崎はどうしているだろう。あの女の子は約束どおり欲しい物を買ってもらったのだろうか。病院の倒産は防ぐことができたが、それを思うと健介は院長のように単純な笑顔を見せることはできなかった。
                    了

黒幕

執筆の狙い

作者 大丘 忍
p4183129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

戦後に労働運動が解禁され、医療労働組合も誕生しました。労働運動に全く無経験な医療労働者にオルグと称する暴走者が流れ込み、労働運動は混乱しました。こんな事件があったとは信じられないでしょうが。私の実体験を基にして小説にしました。これは戦後史の一つです。

コメント

アン・カルネ
219-100-30-63.osa.wi-gate.net

「院長釣るし上げの場」きっと「吊し上げ」ですよね。

理知的に纏まったな、という印象でした。
もう少し、情念があると良いのかな、と思いました。
例えば、ストによる被害を本当に受けるのは患者だ、というところ。その通りなんですけど、小説ですから、そこはやはりシーン、具体的な場面として見せて欲しいところのように思うのです。例えば高熱を出したと子供を抱えてきた若い母親を追い返すとか、なかなか外来の窓が開かない為、1時間以上もロビーで診察待ちをしていた患者の1人が吐いて倒れたとか、入院患者が困るところなど、実際に被害そのものを描いてみせた方が、「ストライキで困るのは患者である」という文章に、より実感が出てくると思うのです。
「病院の経営は悪化し、医薬品代の支払いに窮するようになった。事務長が打った手は、薬の使用量を減らして貰いたいということであった。」
ここも、そうです。経営難に拍車をかけるというところはちゃんと語られていて、そこは過不足なく伝わったと思うのですが、ここもそれだけではなく、薬の量を減らすという事は、具体的には、患者の方に対してどういう事態が起こるのか、そこを場面として描くと良いと思うのです。
例えばですね。木登りをしたがる子供に、柿の木は折れやすいから、登ってはダメ。そう口で言っても子供はおそらく登る事をやめませんよね。実際に落ちるまで、やめないでしょう。だから親は、ここで、もう一声、ママが子供の頃、近所の子が、木から落ちて右手首を骨折して、手首が動かなくなっちゃって、その子は絵を描くことが上手だったんだけど、もう一生、絵を描くことが出来なくなっちゃったんだよ、と怖―いお話しを垂れてみせますよね。
子供の心にしっかりと根付くような作り話をしたりしますよね? 
小説を作るのも、それとちょっと似てるのかな、と思う事があります。
友人は映画についてなかなかの名言を持っていて。それは「ハリウッド映画の良いところはよく知らない事はリアルに、よく知っている事は綺麗に見せてくれるよね」です。
小説もそういうものかな、と思うのです。誰もが経験してることや世俗知の範囲で理解できることは省略して描いても良いと思うのですが、想像だけが頼りになりそうな事柄については、より具体的な場面設定をして描き込むと良いのかな、と思います。つまり頭で観念的に理解させるのではなく、心に落とし込むという作業をする。
本作では食堂でのシーンですよね。尾崎の家族との対面。ここが心に残る良いシーンでしたが、これをより際立たせる為にも前段に、読み手の心に訴えかけてくるシーンをいくつか入れておいた方が、より味わい深いものになったのではないかな、と思いました。
ラストもとても情感があって良かったです。

また本作では分かり易く、尾崎悪者ですけど、日教組から既に除名処分を受けていたという事、尾崎もまた生活の為に組合活動にしがみついていたという事、ただしその方法は間違っていたというあたりが、実はとてもドラマチックになり得る要素だったと思うので、そこもう一歩、踏み込んで、健介が尾崎の生活苦の事情を知る事となり、その事情それ自体には、労働組合をなぜ作る必要があったのか、という労働者側の悲哀、低賃金というか、貧困問題や身分格差でしょうか、そういうところまで突っ込んだものを描いて欲しかったような気がします。その上で、健介が、尾崎さんは誤解している、自分もかつて貧しい学生だった、いまの組合運動のやり方では、正しい病院の姿にはならないし、誰も救われない、と。そういう対決の仕方を作って欲しかったようにも思います。
勧善懲悪的な衝突ではなく、どちらもがその立場から見れば正義である、そうなるとき、忘れられないドラマが生まれるような気がしてしまうので、そんなふうに思いました。

でも、大丘さんのこういう作品を読むと、本当に凄いなあ、良いもの読ませてもらったな、と思うので。それで、つい、こちらももっともっとと注文をつけたくなってしまうのでしょうね。

夜の雨
ai202001.d.west.v6connect.net

「黒幕」読みました。

う~ん……、これは面白いなぁ、いままで読んだ大丘さんの作品とは一種違う世界です。
何しろ労働争議やら学生運動などが、描かれています。
読んでいて思ったのですが、これって「経営者側」の立場から書いているのかと、途中の段階では思っていたのですが、何しろ「医師」は、どう考えても労働者とはちがって「儲けている、立場の人たち」なので(笑)。

結論から先に書くと、主人公の谷山健介は労働者とか経営者とか、はたまた大学紛争とか、いろいろな世界があるなかで、イデオロギーに毒されることなくて、健全な考えの持ち主だと思いました。
高知市の日赤病院に内科医師として赴任した健介は、労働争議に巻き込まれるのですが、医院長の「倉本」が頼りなかったりする。それもそのはずで、倉本は「京都大学内科の講師」出身であり、労働争議にうとかった。
そこに労働争議、またはオルグの専門家である日教組の専従である尾崎がからんでくる。

御作を読んでいると労働争議という「それぞれの立場が入った」ややっこしい話を、「それぞれの立場で」、違和感なく描いているのではないかと思いました。

● それぞれの立場。
>尾崎 日教組から破門されていることが、後日わかる。労働争議の専門家であり、専従。(労働争議で飯を食っている)。
>看護婦やら病院関係者の労働者。(労働争議を実のところ分かっていないので、尾崎に翻弄されている)。
>倉本 高知市の日赤病院の医院長だが、経営的なことはわからない、それもそのはずで、京都大学の講師だった。
>院長たち。 自分たちが勤めている病院が倒産しても、困らない立場の人たち。個人医院を経営できる立場の人。
>健介(主人公) 京都大学の研修を終えて、高知市の日赤病院に内科医師として赴任した、若手。

上のように、それぞれの立場があるが、労働争議が御作でかなり重要な課題になっています。
その張本人は「看護婦やら病院関係者の労働者」なのですが、争議に「うとい」ので、尾崎の意のままに行動していて、病院側の経営の悪化などは考慮しないでストライキを打っていたりする。
要するに自覚がないわけだが、このあたりに問題があり、健介など、若手の医師が活躍して。労働者を説得する。
今回の御作は、女性関係のエピソードはありませんでしたが、「読みやすく」「労働争議というそれぞれの立場のむつかしい話が、分かりやすく描かれていました」。
「健介」は、労働者側の立場の人物ではありませんでしたが、中立の立場でうまく描かれていました。
これって、描き方によれば、かなり不愉快な作品になるところですが、そうはならなかった。

大丘さんの今までの作品の中では異質というか、描き方が一番むつかしい作品ではないかと思います。
それを違和感なく、うまく描いたのではないかと思いますが。

●敷いてあげれば、今回の労働争議の「賃上げ」で、看護婦や職員たちの賃金が他の病院と比べて金額的に安かったのか、それとも妥当だったのか、そのあたりが当事者の労働者の立場から描かれていれば、なおよかったのではないかと思いました。
関係病院はストライキを行っておらず病院は黒字経営という事だったのですが、だったら、経営者側が情報交換をしていれば、尾崎に翻弄されることはないと思うし、病院側も経営の専門家(オルグ対策)を雇えばよいと思う。
御作だと、倉本医院長が一人で尾崎たちオルグと立ち向かっています、これだと労働争議の話し合いは無理ですね。

ちなみに尾崎の家庭の事情が子供も含めて描かれていましたが、これって、かなりインパクトがあり、よかったです。

以上です、よくできた作品だと思います。
お疲れさまでした。

大丘 忍
p0252671-vcngn.oska.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

アン・カルネ様
 読んでいただき感想をありがとうございます。気を付けたつもりでも誤字がありましたね。なかなか気が付かないものですね。
 戦後は、戦時中に禁じられれていた労働運動が復活しましたが、中でも医療労働者にとっては労働組合は初体験の事柄で、組合運動に精通した者がオルグと称して現場に入り込んでおりました。
 この「黒幕」に描かれた労働争議は実際に私が経験したことを描いております。ご指摘の通り、ストによって患者が困惑する場面を(実際には何度も見分しておりますが)描写しておけばよかったですね。
 尾崎がなぜ日教組から追放されたのか、生活に困っているらしいことなど詳しく書こうと思いましたが、具体的なことは知りませんので、でっち上げになると思って詳しくは触れませんでした。
 病院が倒産して失職したら自分たちを雇ってくれる病院はないということを知りながら、組合に引きずられていた一般職員の気持ちをもう少し表現した方がよかったかと思っております。
 ありえない奇想天外な事件ではなく、現実に体験したことを描いておりますので、この辺りはもう少し丁寧に描くべきであったと考えております。

大丘 忍
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夜の雨様

 読んでいただき、感想をありがとうございます。この小説の時代背景として、強力なポイントは学生による学生運動がありました。寄宿舎はこれらの左翼学生の拠点として彼らに支配されておりました。放学になった松島は名前は変えておりますが実在の人物で、立命館の末川学長に拾われて立命館大学文学部に復学し、のちに有名な歴史学者となっております。
 実在の事件としては、全寮大会の「松島を守れ」という決議はある学生の一言で覆され、松島は退寮しましたが、この事件以来、覆した学生を敵には回すなということが左翼学生の間でささやかれました。この事件を盛り込んだ小説をいくつか書いております。
 健介は決して右翼的な思想ではありませんが、過激な左翼活動には批判的であり、この病院の過激なストの本性を見抜き、これに対抗することになりますが、その動機付けとして寄宿舎での事件を挿入しました。ほかにも寄宿舎時代を描いた小説にもこのエピソードは登場しております。
 院長は大学病院にいるときは講師だったので、労働争議なんて全くの素人で過激なオルグに翻弄されています。医長連中は、やがては地元で開業するつもりの人が多く、組合との闘争に介入して評判を落とすことを嫌っておりましたね。実際に組合と対抗したのは、私と整形外科の若い医師たちとの三人だけでした。
 日赤病院が倒産すればその職員を雇ってくれる病院がないことは知れておりましたので、職員は不安に駆られておりましたが、そこをうまくついて職員を説得しました。
 オルグの尾崎にも多少は同情する点がありましたので、食堂で家族と出会い女の子の頭をなでる場面を挿入しました。
 現在の平和な日本において、このような過激な時代があったとは想像できないでしょうが、事実を中心とした小説に仕上げました。

のぶりん
59-190-118-103f1.osk3.eonet.ne.jp

読み手がどう関心を持つのか。
その視点でこの作品を読んで考えてみました。
あらすじはすっきりしていて読みやすく、中身が読み手に理解しやすい。
そして、中身の面白さです。
前者は小説作品として肉付けが必要ですが、その肉付けの要素に欲張ってあれもこれも盛り込んでしまうと、全体的にスッキリ感が失われてきて読み手も疲れてきます。
後者は読み手が興味を持つテーマをもれなく盛り込んでいます。
この二つの絶妙なバランス感覚。この作品ではそれをうまく取り入れていると感じました。
また、上述を考える上でアン・カルネさま(情念、人間模様など)や夜の雨さま(登場する人物のそれぞれの立場など)のご感想は大いに勉強になりました。優れた読み手とはこういうおふたりのことをいうのでしょうか。
このおふたりのご感想を踏まえて、大丘さまのこの作品を読み返してみる。
この作品を味わう上で、つくづく、そのように思いました。

大丘 忍
p0252671-vcngn.oska.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

 のぶりん様。読んでいただき感想をありがとうございます。
 本欄の多くの読者たちは、戦争を知らず、また戦後の混乱期をしらないと思いましたので、戦後の日本にこんな状況、混乱期があったのだということを描いてみました。したがってこれは作為ではなく実際にあったことを描いたものです。
 労働運動は、労働者の生活を破壊するためにすることではなく、生活を守るためにすることであるという当然の理がまだよく理解されていなかったのですね。
 私は学生時代は貧しく親の仕送りがなくて奨学金とアルバイトに頼っておりましたので、寮費の安い寄宿舎は本当に助かりました。その寄宿を左翼運動の足掛かりとして利用した左翼学生と戦った経験があります。このとき、リーダーシップの必要性を感じましたね。
 大学という温床にいた院長に強力なリーダーシップを期待するのは無理でしょうね。

hata
static.vnpt.vn

面白かったです。特に、人々が洗脳されやすく、そして、根底に生活が懸かっている場合、邪悪にも成れるという点が、面白かった。業を重ねる人々と徳を積み重ねる人々の対比、その両方も、これまた人間ですね。頑張ってください。

飼い猫ちゃりりん
123-1-11-54.area1b.commufa.jp

大丘忍様
よくできた作品ですね。
この小説は、尾崎を悲劇の主人公という視点で捉えて、書き直しても面白いかもしれないですね。
尾崎の半生を描き、健介が尾崎とその家庭を破滅させる展開で。
もちろん健介は真っ当な人間として描き、真っ当な人間が罪の無い母と娘を破滅させるという悲劇の展開が面白いように思います。

大丘 忍
p0252671-vcngn.oska.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

hata様
読んでいただきありがとうございます。洗脳といいますか、判断力を失った大衆行動は怖いものですね。むかし、こんなことがあったとは信じられないけどこれは事実です。

大丘 忍
p0252671-vcngn.oska.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

飼い猫ちゃりりん様
オルグの尾崎を一方的に悪者とするには少し抵抗がありますね。だから、尾崎の立場をやわらげる意味で家族を登場させましたが、尾崎を本当の悪者として描きこれと徹底的に戦うのもありでしょうね。
実際には尾崎は生活のためにオルグをしていたわけですからあまり追い詰めることはできませんでした。
読んでいただきありがとうございます。

BP
dhcp-3969.nava21.ne.jp

大丘忍さんへ

以前から、大丘さんが小説を書き続けておられること、励みになっておりました。
実は、来年六月頃になりますが、ある小説集の出版を企画しており、寄稿者を募集しております。
大丘さんさえよろしければ、ぜひ寄稿していただけないでしょうか。

テーマ:「悲愴」、「悲劇的なもの」
(孤独、失意、絶望、挫折、悲哀、苦悩、飢餓など、一連の悲愴な状態、展開、心境などを主題にした悲劇的な小説。あるいは、これらのテーマにゆるく準じる小説)
形式:小説(ライトノベルは不可。純文学路線の作風歓迎)
文字数:12000字以上(それ以上の長編小説も歓迎)
寄稿数:1本以上(複数本お考えの方も歓迎・相談可)
期限:2022年6月頃(相談可)

もしご参加していただけるようでしたら、大丘さんのメールアドレス宛にこちらから連絡させていただきます。
お手数ですが、参加希望の場合は連絡用のメールアドレスの添付をよろしくお願いいたします。
快いご返答をお待ちしております。

大丘 忍
p4183129-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

BP様
投稿のお誘い有難うございます。テーマとして悲壮、失意、挫折など。私にもそのようなテーマの作品がありますが、作家でごはんに投稿しており、あるいはすでに同人誌に投稿したのもあります。その様に過去に発表した物に少し手を加えた作品でもよければ、是非投稿したいと思っております。まもなく、89歳の高齢に成りますので新たな作品を書くのは無理なので。過去作に手を加える程度なら可能ですが。

BP
234.234.225.218.ap.mvno.net

大丘さん、御返信どうもありがとうございます。ぜひ、その形式でご寄稿していただきたいです。
↑上記のリンク先が正式な募集内容になります。一度、お読みいただいた上で、コメント欄に参加するかどうか、あらためてご返答お願いいたします。
可能でしたら、その際に原稿送信用のメールアドレスをお伝えいたします。
お手数ですが、どうぞよろしくお願い致します。

大丘 忍
p0252671-vcngn.oska.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

BP様
前回に示して頂いたリンク先が読めなくなりました。パソコン操作に疎いためなぜだかわかりません。以前にはちゃんと見れたのですが。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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