作家でごはん!鍛練場
青木 航

将門を殺した男(72枚)

「申し遅れておりましたが、この郷の長(おさ)を務めおります大道祖真紀(おおみちのそまき)と申します」
 郷長(さとおさ)が千方と朝鳥に名乗る。腰の低い男なので、小柄な男かと思っていたが、意外と大きく、特に肩、二の腕辺りの張りを見ると、刺し子の上着の下には鍛え上げられた肉体が隠れているに違い無いと朝鳥は思った。物腰は柔らかいが、内に凄みを感じさせる男だ。
「エゾか?」
 ずばりと聞いた。蝦夷(えみし)と呼ばれていた人々は、この頃から、エゾと呼ばれるようになっていた。
「はい。左様で」
 郷長は、いともあっさりと答えた。大和人(やまとびと)のような烏帽子(えぼし)は被っていないが、紺に白い刺繍の入った布を頭に巻いている。
「麿の下の娘の連れ合いが、蔵番をしておってな。蝦夷らしき風体の男達が、時々お舘に雑穀を受け取りに来ると聞いたことが有る。その男、それ以上のことは何も聞かされておらず、不審がっておったが、殿直々の下知(げぢ)なので、詮索も出来ず、言われた通り渡していると申しておった。そうか、この郷の者達であったのか。得心した」
 何故か感慨深げな朝鳥の言葉を郷長は無表情で聞いていた。
「ご覧なされませ。田は無く、畑も僅かで御座る。木の実、草の根、鳥、獣の肉も食しますが、足りません。殿からのお下げ渡しの物が無ければ、この郷の者達は生きて行くことは出来ないのです」
「見返りは?」
 もっともらしい述懐に違和感を覚えた朝鳥が鋭く切り返す。
「今は、さほどお役には立ってはおりません。上野(こうづけ)の山々に分け入って、道や地形を調べたりするくらいでしょうかな。時には、信濃の方まで行く者もおります」
「成程、山か。町中(まちなか)の探索には不向きじゃな。目立ってしまう」
 朝鳥は、そう勝手に納得している。千常が上野、惹いては信濃にまで進出することを考えていることは、朝鳥も分かっているのだ。
 互いに対立する一方と誼を通じ、相手方に圧力を掛けたり、仲裁に立って恩を売ってみたりと、やっていることは、かつて、坂東を舞台に大争乱を引き起こし、謀叛に突き進んだ平将門(たいらのまさかど)とそう変わらない。揉め事、小競り合いに発展することは度々有る。当然、千常にも乱に突き進む危険が付き纏っていた。
 しかし、これは千常の考えと言うよりも、強かな父、秀郷の思惑である。

 実は、秀郷という男、若い頃より朝廷の意向に従わず、下野(しもつけ)に勢力を扶植して行っており、朝廷からは、将門以上に危険視されていた男なのだ。
 秀郷は下野国の在庁官人として勢力を保持していたが、延喜十六年(九百十六年)、秀郷三十四歳の時、隣国・上野(こうづけ)の国衙(こくが)への反対闘争に加担、連座し、一族十七(若しくは十八)名と共に流罪とされた。
 更に、延長七年(九百二十九年)四十七歳の時には、乱行の廉で下野の国府より追討官符を出されている。しかし、そのいずれも実行されることは無かった。それは、在地の官人(つかさびと)達が秀郷の威勢を恐れて秀郷捕縛に動かなかったからである。

 国軍を解体してしまった朝廷は、指揮官のみを派遣し、途中で兵を募るか、在地の官人、健児(こんでい)を使って処分を行わざるを得ない。ところが、官人のほとんどが秀郷の身内、若しくは息の掛った者達だったため、何度か試みてはみたものの、遂に秀郷を流罪にすることも追討することも出来なかったのだ。これは、太政官《だじょうかん》に取って屈辱であり、恨みは深く潜航していた。
 しかし、将門の乱に際して、その秀郷を押領使(おうりょうし)に任命せざるを得なくなってしまった。秀郷抜きでは、乱鎮圧の実効性が危ぶまれたのである。
 もし、秀郷が将門側に着いたら、乱は或いは成就したかも知れない。少なくとも、遥かに解決が長引いたことは確かなのだ。そう成れば、瀬戸内海で将門の乱に呼応するかのように乱を起こした前伊予掾(さきのいよのじょう)・藤原純友(ふじわらのすみとも)を討伐することも難しくなり、朝廷は大混乱に陥る危険性があった。両正面作戦は是非とも避けなければならない。そうした観点から、ある程度の言い分を呑み、朝廷は将門討伐まではと純友とは一時的に和睦を結んでいた。

 秀郷は、朝廷の為に将門を討った訳でも、父を死に至らしめたのは将門と思っている平貞盛(たいらのさだもり)の仇討の加勢をしたと言う訳でも無い。朝廷が約束した恩賞目当てかと言えば、それも確かに有る。だが、本筋は、将門を見切ったと言うことなのだ。
 興世王(おきよおう)に踊らされ、もうひとつの朝廷をこの坂東に作る方向に走り始めた将門。常陸の国府を襲い、国司の印鑰(いんやく)(官府の長官の印と諸司・城門・蔵などの鍵)を奪ってしまった際『一国を奪ってしまったからには、その罪は軽く無い。どうせなら、坂東を制覇した上で様子を見た方が良い』と興世王にけし掛けられていた。
 興世王(おきよおう)と言う男は、将門と同じ五世の皇孫だ。祖父の代に臣籍降下し平氏としてその勢力を、下総・常陸に広げている将門に対し、王と名乗れる皇族の末端に残っては居るが、実情は、なかなか官職にも就けず、都に在る時は鬱鬱としていた。やっとありついた武蔵権守(むさしのごんのかみ)の職で、正任の武蔵守が赴任して来る前に一儲けを企んだところ、足立郡(あだちごおり)の郡司・武蔵武芝の思わぬ抵抗に合い収拾が着かなくなっていたのだ。
 王と名乗れるのは五世まで。子の代には只の人になってしまう。そして、子孫は名も無き民となって行くことだろう。
『皇孫として生まれた身でありながら、なんと情け無きことであろうか』
 そんな想いが有ったに違いない。仲裁に現れた将門の威容を見るにつけ、我が身と比べ羨ましく思った。そして、将門を使って、都では叶わなかった夢を、この坂東の地で実現しようと企て、将門の顔を立て、武芝と和解した。
 この時、介(すけ)である源経基(みなもとのつねもと)は、同調せず引き籠っていた。手打ちの宴も盛り上がり、経基の郎等を誘おうと繰り出して行った国衙(こくが)の兵達の騒ぎを襲撃と勘違いした経基は都に逃げ帰り、将門、興世王、武芝が共謀して謀叛を起こしたと朝廷に訴えたのだ。
 しかし、天慶二年(九百三十九年)五月二日付けで常陸、下総、下野、武蔵、上野五カ国の国府の『謀叛は事実無根』との解状(げじょう)を以て弁明した将門の言い分が通り、逆に、逃げ帰った経基は、虚偽の訴えをしたとのことで投獄され『未熟者』と笑われることになる。

 ところが、僅か七か月後、将門は実際に謀叛に突き進んだのだ。常陸を奪った後、下野、上野の国司をも追放し、印鑰(いんやく)を奪い、天慶二年(九百三十九年)十二月十九日、菅原道真の霊を介して八幡大菩薩のご託宣が有ったとして、上野国厩橋(こうづけのくにうまやばし)(現・前橋市)で『新皇(しんのう)』を自称。その後、武蔵をも奪い、あっと言う間に坂東一円を手中に収めるに至った。

 乱そのものに否定的な考えは秀郷には無かった。実際、秀郷は、将門を訪ね会談している。この時点ではまだ、将門に助力しようかと思っていた節が有る。国司の力が強まった坂東を変えなければならないとは思っていた。
 だが、将門が何を考え、どうしようと思っているかを探るうち、将門自身には坂東をどのようにしようという考えは余り無く、成り行きでそう成ったに過ぎないこと。都で叶わなかった夢をこの坂東で実現しようとする興世王に操られていることが分かって来た。
『坂東に都の朝廷を真似たものなど作ってみてどうなる。坂東には坂東のやり方が有る』
 秀郷はそう思った。将門を帝(みかど)として祭り上げた後、やがて、関白か太政大臣を称して力を得るであろう興世王の専制に因って、坂東は一層住み難くなるに違いない。『ならば、討つしかない』それが、秀郷の決断だった。

 そんな折、将門との戦いに度々敗れ、都へ、陸奥へ、そしてまた都へと逃げ回っていた平貞盛(たいらのさだもり)が、一人の手勢も持たず、只、将門追討の官符のみを持って、秀郷を頼って来て情に訴えたことに因り、秀郷はやっと重い腰を上げ、将門を討つ決意を固めたと言うことだったのだ。

 秀郷は、太政官から見て、元々は好ましからざる人物であった。それが、将門追討と言う大功を上げたことに因り、朝廷はその扱いに悩まされることとなる。
 除目《じもく》を前に、天慶三年(九百四十年)三月、内裏《だいり》の東端、上東門と陽明門の間に位置する左近衛府(さこんえふ)に於いて開かれた陣定(じんさだめ)の席で、乱後の論功行賞を周って、公卿達の意見は割れた。
 公卿《くぎょう》とは、律令制に基づく国政の最高機関である太政官の最高幹部として国政を担う職位である。太政大臣、左大臣、右大臣を「公」と呼び、三位《さんみ》以上の貴人や参議の官にある者を「卿」と呼んだため、両者を総合して公卿と呼ばれるようになった。
 また、陣とは近衛府の中に設けられ、本来参内する公卿の待機場所を意味するものであったが、摂関家の力が強まり、飾り物と化した帝(みかど)の臨席が朝議の場に無くなると共に、近衛府に公卿の座を設け諸般の審議をするようになっていた。
 座は畳を設えたものであるが、後世のように一面に敷き詰められているのでは無く、高麗縁(こうらいべり)の縁の着いた畳が座布団のような敷物として配されている。
 議場は近衛府の一角を屏風で仕切って設営される。北端に朝議を主催する上卿が南面して座し、左右に公卿達が官職の順、在任期間の長さの順に居並ぶ。同じ衣冠姿ではあるが、黒の袍(ほう)を着ているのが三位(さんみ)以上の公(こう)であり、四位の卿(きょう)は赤の袍(ほう)を身に着けている。
 因みに、この年の太政官の顔ぶれは、

 太政大臣 従一位 藤原忠平(六十一歳)[摂政]
 左大臣  従二位  藤原仲平(六十六歳)[左大将を兼ねていた。(以下“兼”一字とする)]
 大納言  従三位  藤原実頼(四十一歳)[兼按察使]
 中納言  従三位  橘公頼 (六十四歳)[兼大宰府権宰]
 権中納言 従三位  源清蔭 (五十七歳)
 権中納言 従三位 藤原師輔(三十三歳)[兼中宮大夫]
 権中納言 従三位 源是茂 (五十四歳)
 参議   従三位  藤原當幹(七十七歳)
 参議   正四位下 藤原元方(五十三歳)
 参議   正四位下 源高明 (二十七歳)[兼大蔵卿、兼備前掾]
 参議   正四位下 藤原忠文(六十八歳)[兼修理太夫、兼右衛門督、兼征東大将軍
 参議   従四位上 伴保平 (七十四歳)[兼近江守]
 参議   従四位上 藤原顕忠(四十三歳)[兼左兵衛督、兼近江権守]
 参議   従四位上 藤原敦忠(三十五歳)[兼左権中将]

となっていたが、太政大臣、摂政、関白の座にある者は、基本的に朝議には参加しないことになっている。
 従って、この朝議を主催する上卿は左大臣である藤原仲平である。仲平は最高権力者である太政大臣・忠平の兄であるが、忠平は陣定(じんさだめ)には参加出来ないので、その意を体現していると言っても良い。

 余談だが、この時代の人は皆四十代で死んでいたと思っている人が居るかも知れないが、生きる人は、ちゃんと六十代、七十代まで生きていた。大病すれば治療法は無いから当然若死するし、乳児の死亡率が高かった、庶民は栄養不足から早死する者が多かったなどの理由で、平均寿命としては四十代だったと言うことだ。

 将門を滅亡させた第一の功は、朝廷の権威に基づいた諸寺諸社の祈祷に因るものとしたのは、今の時代から見れば馬鹿馬鹿しい限りだが、恩賞を約束して兵を募ったこともあり、やはり、実際に戦った者達を無視する訳にも行かない。
 秀郷にこれ以上の力を与えることの危険性を強調する意見が多かった中で、秀郷が恩賞に不満を持ち、再び乱となることの危険性を具申したのが、前年参議に成ったばかりの二十七歳の源高明《みなもとのたかあきら》だった。源氏物語の光源氏のモデルの一人とも言われる華やかな雰囲気を持った青年貴族である。
 甚《はなは》だ危険であると言う意見が多く、一旦は、秀郷に鎮守府将軍は与えるべきでは無いということになった。しかし、高明の具申と、謀叛再発への恐怖心が大勢を覆した。
「武蔵守、鎮守府将軍に付いては一期のみとし、重任させないということにしては如何。僅か四年では、何も出来ますまい」
と高明が、反対意見に配慮して妥協案を示した。
 陣定《じんさだめ》と呼ばれる審議の席では下位の者から発言することになっている。初期には上卿から順に発言していたが、それだと、下位の者が意見を言い難くなってしまうと言うことで、順を逆にしたのだと言う。建前としては、飽くまで独裁では無く合議制なのである。上奏文には反対意見も併記された。
 そんな訳で、まずは新任の高明の発言から始まったのだが、秀郷の処遇に対する高明の提案には異論が続出していた。

 仲平は会議の成り行きに少し苛ついていた。忠平の意向は秀郷の扱いは慎重にと言うことであった。つまりは、余り大袈裟な評価は控えるようにと言う事である。
 しかし、新参の参議とは言え、高明は自身が親王から臣籍降下した一世源氏であり、今上帝(朱雀天皇)の腹違いの兄なのだ。簡単に意見を抑え込む訳には行かない。仲平は檜扇(ひおうぎ)を目の高さに持ち上げ確認する。そこには、議事の進行に関しての備忘録を細かい字で書いた紙が貼り付けてある。
 困ったなと思っているところへ発言を求めたのは、忠平の嫡男である大納言・実頼《さねより)である。
「一応、過分な褒美を与えて、秀郷を太政官の命《めい》に服させる必要が有ります」と高明の提案に賛意を示したが「鎮守府将軍の後任は、貞盛と決めて置き秀郷の影響力を早急に消させるようにしては如何でしょうか。常陸介《ひたちのすけ》と兼任させれば、尚強い抑えになります。陸奥守を考えても良いと思いますが」と楔《くさび》を打ち込むのを忘れなかった。
 そう言う条件を付ければ忠平も了承してくるれるだろうと、仲平はほっと胸を撫で下ろした。続けて、三十三歳にして権中納言《ごんちゅうなごん》と成っている忠平の次男・師輔《もろすけ》がこう付け加えた。
「武蔵に付いてでおじゃるが、良文《よしぶみ》を罰せぬ方が良いのでは」
 平良文を罰するより、その力を、武蔵に於ける秀郷の力を抑える為に使った方が良いのではないかと言う意味だ。
 将門の伯父のひとり平良文《たいらのよしぶみ》は、他の伯父達に助力せず、将門とは戦っていない。その為、将門に同調していたのではないかと疑われていたのだ。罰せられる可能性が有った。
「成程。それは良い。強い抑えになるな。罰すれば良文にも不満を抱かせる。漸く乱を鎮圧したところだ。新たな火種は蒔かぬに越した事は無い」
 忠平の二人の子の助けを得て、仲平は、朝議を主導出来ている。仲平は、更に箍(たが)を掛けておこうと思った。
「それに、もうひとつ、大事なことが有る」
「それは?」
と師輔が尋ねる。
「彼《か》の者達は、土地の有力な者と結び付くことで力を付けて行く。土地の者の娘を娶らせぬこと。これが肝要……」
 肝(きも)となる楔を打ち込む事により、存在感を示して置きたいのだ。そして、
「処で、征東大将軍、何か意見は有るかな?」
と突然、藤原忠文《ふじわらのただふみ》に話を振った。
 それまで黙っていた参議・藤原忠文。老齢を押して将門の乱鎮圧の為に、征東大将軍として東国へ向かったものの、到着前に将門が秀郷らに討伐されてしまった為に面目を失っていた。
 仲平。『征東大将軍』と呼び掛けるなど、公卿らしい意地の悪さである。
「左様、ここは是非、大将軍のご存念を伺いたいものじゃ」
 仲平に合わせて実頼も畳み掛ける。秀郷に手柄をさらわれてしまった責任を感じろとでも言いたいのか、八つ当たりのような仕打ちである。今、忠文は他人のことなどとやかく言える立場では無い。言葉に詰まってしまった。
「ご尤もながら、如何にして、させぬよう致しますか。まさか、勅諭《ちょくゆ》という訳にも参りますまい」
 見兼ねて、七十四歳の参議、伴保平《とものやすひら》が矛先を逸らすべく言った。
「朝廷がそれを危ぶんでいることを、それと無く、繰り返し吹き込むのじゃ。叛意と看すとな。位《くらい》は、思い切って、従四位下《じゅしいのげ》を賜るよう帝《みかど》(朱雀天皇《すざくてんのう》)に奏上致すことにしよう。秀郷も満足するであろう。だが、都に住まわせる。そして、遥任《ようにん》として都に留め置き、坂東には行かせぬ。都に上らせれば従四位下など、如何程のこともあろう。軽輩じゃ。坂東に置けば、朝廷のご威光に因り、その力は大きなものとなる」
 ほぼ、思惑通りの結論に導けた満足感と自信が仲平の言葉に滲み出ている。
「元々坂東に住まいおる者を、わざわざ都に呼び寄せ、遥任として、坂東には赴任させぬと言うことですか、成程。さすが、左大臣様」
 笑いながら保平はそう追従したが、目は笑っていなかった。前例、前例と日頃繰り返すのが公家の常だが、そんな前例は聞いたことが無いではないかと思った。
 こうして、高明の提案に寄って、一応、秀郷を、下野守、武蔵守、並びに鎮守府将軍とすることは決まったが、藤原北家本流の人々、つまり、摂関家に繋がる公卿達は、それを如何に骨抜きにするかに腐心した。

 一応、意見は通ったが、これから先摂関家の者達との駆け引きは末永く続くことになるだろうと高明は思った。高明の本心は帝親政(みかどしんせい)である。審議は帝が主催し、合議制を取るにしても、最終的には帝(みかど)の意思に寄って政(まつりごと)は行われるべきであると思っている。現状は藤原摂関家の意思に寄って行われている政(まつりごと)を帝の手に取り戻さなければならないと思っているが、正面から戦っても、現状では勝てない。当面、摂関家と妥協しながら力を養って行くしか無いと思った。

 秀郷の処遇であるが、将門にあっさりと降伏して印鑰《いんやく》を差し出した藤原弘雅《ふじわらのひろまさ》に替えて、天慶三年正月二十七日に任命したばかりの大江朝望《おおえのとももち》の処遇を考える必要があった為、まずは、下野介《しもつけのすけ》に任命し、大江朝望の処遇が決まるのを待って正式に下野守とした。
 因《ちな》みに、平貞盛は従五位上《じゅごいのじょう》に叙せられ、右馬助《うまのすけ》に任じられた。元々、左馬允(さまのじょう)であった貞盛は、一段階官職が上がっただけなのである。秀郷に比べて僅かな出世に止まっている。この日の陣定での結論は、表向き秀郷の働きを大いに評価した人事となった。

 この日の詮議の次第は、下野守を務めた事のある参議・藤原當幹《ふじわらのまさもと》の筋から秀郷の耳に入った。
 決め事の中で、秀郷の上洛は遂に果たされなかった。体調の優れぬことを理由に、ある時はのらりくらりと、又ある時は断固として、秀郷は上洛を拒み、結局、長男の千晴《ちはる》を代わりに上洛させることでお茶を濁してしまったのだ。
 従六位上《じゅろくいのじょう》・相模介《さがみのすけ》に任じられていた千晴は、その任期を終えると、都に上り高明に仕え、従者《ずさ》と成った。

 兼々感じてはいたが、やはり秀郷は、将門《まさかど》が果たせなかったことを、朝廷と決定的に対立すること無く、巧妙に実現しようとしているのではないかと朝鳥は思った。その意を受けて、千常は着々と手を打っている。そのひとつがこの郷であり、千寿丸なのだ。
「五十年以上も前の、確か、寛平九年(八百九十七年)には、蝦夷は殆ど陸奥《むつ》に帰されたはず」
 朝鳥が探るように、祖真紀《そまき》の顔を覗き込んで尋ねた。
「はい。確かに、一部の大和人《やまとびと》と成る道を選んだ者達以外、奥州に送り返されました。我等は、いわば、亡霊の子孫とでも申しましょうかな」
「亡霊とな?」
「ま、時は十分に御座る。朝鳥殿に隠し事は要らぬと、殿より仰せ遣っておりますゆえ、三年の間には、お話することも御座いましょう。今日の処は、まず、お寛《くつろ》ぎ下さいませ」
 祖真紀《そまき》が先に立って、千方と朝鳥をあの舘の方へ導いた。うねった道を少し上がると、周りは木立となり、更に階段状に土を固め、角には丸木を埋め込んだ道が十段ほど続く。木々に囲まれた敷地には舘(と言っても実態は小屋に毛の生えたような物だが)の外、穀物蔵、武器庫と思われる建物も有る。厩《うまや》は見当たらず、どこか外に繋いであるものと見える。
 朝鳥と祖真紀の後に続いて、千方は黙って歩いていた。当時の二人の会話は意味も分からず、もちろん千方の記憶に残ってはいなかったが、ただ『亡霊』と言う言葉だけが、何か薄気味悪い響きとして頭の隅にこびりついた。

 入るとそこは土間で、右奥には土で固めた竈(かまど)が設えてあり、煙り抜きが施されている。床は低めで一尺ほどの高さだろうか。上り框《かまち》から一間《けん》ほど入ると、真ん中辺りが再び框で仕切られている。正面には、切り込み式の暖炉らしきものも有った。その手前と奥に藁《わら》で編んだ円座《わろうだ》が一つずつ置かれている。
 現代の目から見れば、『なんと殺風景な』と思うかも知れないが、竪穴式住居に住む彼等からすれば、驚くべき、超近代的な作りなのである。
「ささ、どうぞお上がり下さいませ」
「千寿丸《せんじゅまる》様、どうぞお先に」と朝鳥が身を避けて、左掌を上にして先を差し、千方を促す。
「長《おさ》、邪魔をする」
 急に大人びた態度を示し、千方がそう言って、框に腰を掛けた。絲鞋《しかい》(糸を編んで作ったスニーカーのような履物で、底は革製)を脱ぐと、控えていた四十がらみの女が、竹筒で引き込み水を貯めた洗い場で濡らした布を持って来て、千方の足を拭く。
 竪穴式の住居で暮らしている彼等は、川や湧水で足を洗うことは有っても、家に入る際に、足を洗ったり、拭いたりする習慣は無い。従って、足を洗う為の、水盤や桶なども無い。水を保管するには、甕《かめ》や革袋を用いるのだ。多分、足を濯ぐことは、千常の来訪に備えて教え込んであったものだろう。
 千方が上がると、
「いや、麿は良い。それを貸せ」
と言って、朝鳥は自分で足を拭いてから上がった。何の躊躇いも無く、千方は奥に進み円座に尻を載せ胡座《あぐら》を掻く。朝鳥は円座を脇に寄せ、千方の前に座った。
「暫く、お寛ぎ下さい。又、参ります」
 そう言い残して、郷長・祖真紀《そまき》は、女を伴って出て行った。
「お疲れですかな?」
 朝鳥が意味有りげに尋ねた。
「うん。疲れた」
 千方は正直に答えた。
「勝負はこれからですぞ」
「勝負? 何のことか」
 千方には、朝鳥が何を言おうとしているのか分からない。
「今夜は、殿がお泊りになるかと思い、あの者達に取っては精一杯の馳走を用意しておりましょう。とは言っても、旨い物が出るなど期待してはなりませぬ。例え千寿丸様のお口に合わずとも、あの者達が普段口に出来ない馳走だと言うことを忘れてはなりませぬぞ。…… そう、あの兎も出て参りましょうな」
「兎? 夜叉丸が射た兎のことか?」
 あの光景が蘇り、千方は不快感を覚えた。
「なりません! そのような顔をされては」
 行き成り、朝鳥が大声を発した。
「獣《けもの》の肉を食《くら》うことは禁じられているであろう」
 千方は正論を吐いた。とは言っても本音は、単に食べたくないだけだ。
「ほう、千寿丸様は、太政官の命《めい》には、何でも従うと言うことですかな?」
 千方の本音を透かし見ているかのような表情で、朝鳥が返した。
「誰もそんなことは申しておらん」
「もし、千常の殿や安蘇《あそ》(下野国・安蘇郡《あそごおり》)の大殿が、太政官の命《めい》に背いたら、討ちなさるか? いえ、そう言う大人に成りたいと思っておられるのか!」
と朝鳥は畳み掛ける。
「そんなことは言うておらんと申しておるであろうが」
 なんと意地の悪い男かと千方は思った。食べたくないと言っているだけなのに、何故《なにゆえ》そんな大袈裟なことを言い出すのか、朝鳥の意図が分からなかった。 
「宜しいか。馳走を前にして、そのようなお顔は絶対にしてはなりませんぞ。あの兎を射て殿のお褒めに与かった夜叉丸の気持ちをお考えなされ。誇らしい気持ちで御座る。それを喜んで、旨そうに食べてやらずして何と為さる。がっかりするだけで無く、場合に寄っては、恨みが残るかも知れません。少なくとも、そんな主人の為に、命を懸けて戦おうなどと誰が思いましょうか? 宜しいか、夜叉丸らを、本当に千寿丸様の手足に出来るかどうかの戦いがこれより始まるのです。命を懸けた戦いと同じ覚悟で臨まずして、千寿丸様の明日は無いとお思いなされよ」
 夜叉丸の誇らしげな顔を思い起こした。そして、同時に『夜叉丸ばかりでなく、酒呑丸も犬丸も、この千寿丸の役に立たせたい』と言う千常の言葉も蘇った。
 だが、その意に反して、口を突いて出た言葉は「煩《うるさ》い!」の一言だった。
 千方はぷいと横を向き、ごろりと横に成って、朝鳥に背を向け、腕枕をした。しかし、神経は背中に集中して注がれていた。朝鳥が何を言うか、それを待っていると言っても良かった。自分が『分かった』と素直に言えるような言葉を掛けて欲しいと思っていたのかも知れない。腕が頬に当たると、千常に殴られた痛みがまだ僅かに残っていた。腕を頭の方に移動させた。
 朝鳥は一言も発しなかった。千方は待っていた。しかし、朝鳥の口から発せられる言葉は無い。尚も千方は待った。待つことが段々苦痛になって来た。朝鳥が何をしているのか、どんな表情をしているのかも分からない。もはや、意地だけで、千方は朝鳥に背を向けたまま横に成っていた。

 どのくらい時が過ぎたのか分からない。寝返りも打たず、同じ姿勢で横になっている苦痛と、千方は戦っていた。その苦痛を我慢している自分が、段々馬鹿馬鹿しく思えて来た頃、朝からの疲れが出たのか、遂に千方はうとうととしてしまった。

「お待たせを致しました」
 祖真紀の声にはっと目を覚ました千方が跳ね起きると、何事も無かったかのような顔で座っていた朝鳥が、おもむろに立ち上がり、
「おお、おお。世話を掛けて済まぬのう、長《おさ》」
と上がり框《かまち》の方へ歩いて行く。一瞬、さっきのやり取りは、夢の中の事であったのかと、千方は思った。
 祖真紀に続いて、膳を持った女達が入って来た。どこで支度をしたのだろうかと千方は思った。正面奥の上座に千方が座り、左脇の席に朝鳥が着くと、その前に膳が並べられた。
 椀《わん》には強飯《こわいい〉(玄米を蒸したもの)が山盛りに盛り付けられているが、恐らく、郷の者達が口にすることは無いものであろうことは千方にも察せられた。その他に、汁、クワイ、川魚の焼き物、醤《ひしお》。そして、恐らくは、あの兎であろう肉切れが土師器《はじき》の皿に盛り付けられている。
「これは、殿の為に用意したものであろう」
 朝鳥が言った。
「はい、出来れば召し上がって頂きたかったのですが、お忙しいお方ゆえ、やむを得ません」
「折角のもの。兄上の分まで麿が馳走になるぞ」
 そう言ったが早いか、千方は箸を取り、醤《ひしお》をひとつまみ口に入れると、ガバと飯を掻き込んだ。
「うん、旨い」
 そう言って噛み続けたが、米を蒸すことの殆ど無い者が蒸したからか、芯が有って、あまり旨くは無かった。しかし、千方は旨そうな表情を崩してはいない。
「この魚は何か?」  
「アカハラ(ウグイ)に御座います。さ、朝鳥殿もお召し上がり下され。ご遠慮なく」
 朝鳥は、一瞬、呆れたと言う顔をし、すぐに嬉しそうな表情を浮かべ、
「行儀の悪い和子《わこ》で済まぬのう、長」
と言った。
「思えば、朝、何も腹に入れてはおらぬ。腹が減ったものは仕方あるまい。朝鳥も馳走になれ、早く」 
 演技をしてはいたが、実際腹は減っていた。或いは、千常はわざと朝餉《あさげ》も取らせぬまま、朝早く出立したのでは無いかと千方は思った。
「なんの、童《わらべ》は良く食べてこそで御座るわ。千寿丸様とて同じ。さ、さ、朝鳥殿もどうぞ」
と祖真紀が朝鳥に進める。
「そうじゃな。折角のもの、馳走になろう」
 そう言って箸を取った後、意味有りげに朝鳥の目が動いた。 
「長《おさ》。これは何かな?」
「それは、あの兎に御座ります。夜叉丸が射た。…… 我等は、日頃丸焼きにして刃物で切りながら、そのまま口に運びますが、それではあまりと思い、削がせました」
「うむ、そう言う食い方もしてみたいものじゃな。どれ」 
と朝鳥は兎の肉を口に運ぶ。
「おお、旨いぞ、これは」
 そして『さあ、どうなさる?』とでも言いたげに、千方の顔を見た。
『慮外者《りょがいもの》めが』と思いながらも、俄《にわ》かに千方の負けん気が顔を出した。
「うん。旨そうだ」
 そう言うと千方は、肉片を口に放り込んだ。ゆっくりと口に運んでいたら、やはり、獣《けもの》の肉の匂いに、一瞬箸を止めてしまっていただろう。祖真紀は都合の悪いことは決して他言しないだろうが、その様子は女達の口を通して、やがては夜叉丸の耳にも入るに違いない。千方にもそれは分かっていた。
「うん、旨いぞ。これは旨い」
 千方はそう言って、肉を噛み続けた。最初、わずかな臭いが鼻を突いたが、噛み続けるうちに、穀類では味わえない歯応えと肉の旨味が口の中に広がり、本当に旨いと思い始めた。
「獣の肉など食したことは無かったが、好物になりそうだ」
「左様で御座いますか。それを聞いて夜叉丸もさぞ喜びましょう」
 祖真紀が安心したように言った。
「麿は食ろうたことが御座いますが、猪《しし》や熊の肉はもっと旨う御座いまするぞ。それに、戦《いくさ》の時、兵糧《ひょうろう》が尽きた時などは蛇《かがし》も食らいますが、これが中々珍味でしてな」
『食うている時に蛇《かがし》まで持ち出すな』と千方は思った。
 意味有りげな笑いを浮かべながら話す朝鳥に、少しムッとした千方は『調子に乗るな』と言いたげに睨んだが、朝鳥は全く気付かぬ素振りをしている。
「山里といえども、熊や猪《しし》はそうしょっちゅう獲れる訳ではありません。獲れました時には是非お召し上がり頂きましょう」
 さすがに祖真紀は、蛇《かがし》にまでは触れない。
「それは楽しみじゃな」
と言った後、朝鳥が、急に真面目な顔付きに成り、
「時に長、馳走痛み入るが、米は何とした。日頃、この郷に置いて有る物ではあるまい」
と尋ねた。
「何かの時の為にと蓄えておりました熊の毛皮などを、府中(下野国府所在地:現栃木市)に持って行き、替えて参りました。
 郷《さと》の者達皆にも、今日は稗に三分《さんぶ〉ほど混ぜて振る舞《も〉うております。生まれて初めて米を口にする者も多御座いますゆえ、童《わらべ》らに取っては、千寿丸様がお見えになったこの日は、一生忘れられない日になることと思います。郷始まって以来のことで御座います」
「殿から、特にお下《くだ》し物は無かったのか」
「使いの者を通して、大層な砂金を頂いております。ですが『これは千寿丸に贅沢をさせる為のものでは無い』と仰せとのことで御座いましたので、使いませんでした。いずれお役に立つ時が来た時の、支度金と思うております」
「そうか、痛み入る。我等も今日は遠慮無く馳走になるが、明日からは、皆と同じ物で良い。千寿丸様、宜しいな」
『言われるまでも無い。あの兎を食うたのだから、稗や粟など何ほどのことも無い』と千方は思った。『蛇《かがし》だけは御免だが、それ以外の物なら何でも食える』と。
 話しながら、千方と朝鳥が、一刻(三十分)ほど掛けてゆっくりと食事を済ませると、祖真紀は女達に片付けをさせた上、引き連れて帰って行った。
「粗末なもので申し訳御座いませんが、夜具はここに置いて参ります」
 帰り掛けに女の一人が、そう言って、畳んだ物を、上がり框近くに置いて行った。

『良う兎を召し上がられましたな』
と言う朝鳥の言葉を期待していたのかも知れない。千方は褒められながら育って来た。何かに付け『良うお出来になりました。さすが六郎様』と言う言葉を郎等達や豊地《とよち》の口から聞かされて来た。母は厳しかったが、それでも、良く出来たと自分でも思う時には褒めてくれた。しかし、祖父・久稔は近頃良くこう言っていた。
『六郎、覚えて置くが良い。他人に褒められて、すぐその気になる者は長生き出来ぬ。まず、相手が何故《なにゆえ》褒めているのか考えるのだ。郎等達が褒めるのは命《みこと》が麿の孫であり、それに加えて、安蘇《あそ》の将軍様のお子だからじゃ。もし、奴婢の子であったなら、同じ事をしても誰も褒めぬ。豊地《とよち》らが褒めるのは、麿の立場とこの草原《かやはら》を思うてのこと。人にはそれぞれ立場と思惑が有る。それが分からずすぐ有頂天に成る者を、虚《うつ》けと言う。虚けは騙され易く、それゆえ長生き出来ぬ。今の命《みこと》には分からぬであろうが、意味は分からずともこの言葉覚えて置くが良い。他人に褒められたら、まず、なにゆえ褒めるのかを考えよ。…… 但し、顔では思い切り喜んで見せよ。敵を作らぬ為にな』
 正直、なんとひねくれた爺様だろうかと思った。何で褒めているのか考えながら笑顔など作れるものかと思った。又、そんなことが出来る人間には成りたくも無かった。

「今日はお疲れで御座いましょう。早く休まれるが良い。麿はこれから郷長の所へ行って、猿酒の残りなど出させて、大人の話でもして参ろうと思います」
と朝鳥が言う。
「大人の話?」
 不審に思って千方が尋ねる。
「はい。連れ合いに先立たれて大分になりますので、どこぞに若い後家でもおらぬかと、探りを入れてみたいと思いましてな」
 この男何を考えているのかと、また腹が立って来た。
「早う行け!」と怒鳴っていた。
「では、御免蒙《ごめんこうむ》ります」
 千方に頭を下げはしたが、別に気にする様子も無く立って、朝鳥は入口の方へ歩いて行く。
 そして、出掛けに急に振り向いて、
「そうそう、このような所では、良く梁に蛇《かがし》が絡んでおりましてな。時々落ちて来ることがありますゆえ、明るいうちに良く見ておかれた方が宜しいですぞ」
と言った。千方は円座《わろうだ》を投げ付けてやりたくなった。

 外に出た朝鳥に、木陰から現れたひとりの男が近付いて来た。大男だ。 
「ご案内致します」
「頼む」
 それだけの言葉を交わしただけで、ふたりは歩き始めた。舘からの道を下って郷中へ向かう。薄暮れの野道の両側には、地まで届いた萱葺《かやぶ》きの屋根が三つから五つほどの塊《かたまり》となって散在している。近い血縁者同士が寄り添って住んでいるのであろう。雨水が家の中へ流れ込まないように、どの家も周りに排水溝を設けている。
 広場脇の一画に他の屋根の数倍の大きさの屋根がひとつ。郷長の住まいであろうと朝鳥は思った。
 こう書いて行くと、何か蝦夷だけが竪穴式住居に住んでいると思うかも知れないが、この時代、畿内の民以外の庶民の殆どが竪穴式住居に住んでいたのだ。構造が少しだけ違うくらいか。
 郷長の住まいも周りの住居とは少し違っていた。円錐形の屋根では無く、片側三本、計六本の太い柱を梁で繋ぎ、両側の梁を支点に、上から地上まで斜めに木材を組んである。丁度、屋根だけが地上に置かれている感じか。もちろん萱葺《かやぶ》きだ。塀や垣根などは無い。萱束《かやたば》を積み上げた壁に、丁度、人が少し屈《かが》んで入れるくらいの入口が有る。
「長《おさ》がお待ちしています」
 入口でそう告げると、男は去って行った。

 潜《くぐ》ると三段ほどの下りの土の階段が有り、長(おさ)の祖真紀が待っていた。
「お待ち申しておりました。さ、どうぞ。むさい所では御座いますが、どうぞ奥へお進みください」
 薄暗い中で、朝鳥は屋内を見回した。入口を降りた右には石臼《いしうす》。その奥には、皿、壺などのカワラケ類を置いた棚。棚と言っても吊り棚ではなく、足の付いた置き棚である。太い木を三分の一ほどの厚さに割った面を上にしてカワラケを並べてあり、木の足が付けてある。下には大小の壺が置かれており、その奥には土で固めた竈《かまど》が有る。上には煙り抜きの穴も空いている。
 奥に向かって、右の壁沿いには鋤《すき》などの農具、左の壁沿いには、弓、矢などの武具が並べてあり、その奥には、萱《かや》で編んだ筵《むしろ》を丸めて束ねた物が積んである。その更に奥には、刺し子の衣類もいくつか掛けてある。又、一番奥の中程は土で固めた炉。周りには、四方に筵《むしろ》が敷かれており、正面の席は、その上に熊の毛皮が敷かれている。主《あるじ》の席なのであろう。
「さ、さ、そちらへ」
 祖真紀は朝鳥に正面の熊の毛皮が敷いてある席を勧める。
「いや、ここで良い。麿も命《みこと》も、同じく藤家《とうけ》に仕《つか》える身ではないか」
 朝鳥はそう言って、左側の席に腰を下ろした。
「恐れ入ります。では、失礼ながら対面とさせて頂きます」
 祖真紀は右側に席を取った。
「さすがで御座いますな」
「何が?」
「多くの大和人《やまとびと》達は、我等を人と見てはおりませぬ。呼ぶ時は『夷俘《いふ》』と呼びます。『命《みこと》』などと呼ばれることはまず有りませぬな」
 赤銅色の額《ひたい》には、くっきりと横一本の深い筋が刻まれている。最初、朝鳥は刀傷かと思ったが皺《しわ》であった。
「我等とて、都人《みやこびと》からは東夷《あずまえびす》と呼ばれておるわ。まして、この郷《さと》に暫く厄介になる身。何故《なにゆえ》、そのように呼ぶことが出来よう」
「恐れ入ります。幼い頃、亡き父が良く言っておりました。将軍様も我等を夷俘《いふ》と呼んだことは一度も無いと。朝鳥殿とは、上手くやって行けそうですな」
「そう在らねば困る。お互い大事な役目を果たさねばならぬ身であるからな」 
「千寿丸様のことで御座いますな」
「拗ねておられるわ。麿が褒めんかったからな。大事にされて育って来たお方じゃ。ちやほやして欲しいという気持ちが強い。…… 果たして、夜叉丸《やしゃまる》の半分ほどにも強く出来るものかな。正直、気が重いわ」 
「難しゅう御座いますな。中々」
「おい、おい。長《おさ》は安請け合いしたではないか」
 朝鳥が少し慌てた。内心、祖真紀を頼りにしていたのだ。
「そう言わぬ訳にも参りますまい」
 祖真紀はしらっとした表情でそう言った。
「自信が有った訳では無いのか。中々の狸よのう」
「いや、朝鳥殿ほどでも御座らぬ。大体始めてお会いした千寿丸様がどんなお子か分かる訳も御座いますまい」
「いや、負ける。すっかり騙されたぞ。ふふ、ふふ。ふぁっはっはっ」
 大笑いした朝鳥の顔がすっと素に戻った。
「…… しかし、長《おさ》。分かっているとは思うが、これは、単に、童《わらべ》ひとりを育てるということでは無いぞ」
「承知しております。駄目な時は、この命ひとつ捨てる覚悟さえ有れば、怖いものは御座いません。幸い、未熟ながら倅も、歳だけは何とか長の務まる歳になっておりますでな。さっき、ご案内して来た男で御座いますよ」
「そうか。あれが倅殿か。良き若者であるな。逆に麿には、失うものは無い。あのお子に賭けてみるつもりじゃ。もはや捨てて惜しい命では無いが、そう簡単に捨てる訳にも行かなくなったわ」
「猿酒の残りでも召し上がりますか?」
 朝鳥がニヤリとする。
「おお、おお、それよ、それ」
「人払いして置きましたが、女共を呼びます。明日は競馬《くらべうま》などご覧頂きましょう。千寿丸様のご様子も見に行かせましょうか?」
 嬉しそうにしていた朝鳥の表情が素に戻る。
「いや、その必要は無い。まだ拗ねておられるのか、或いはひとりになって怯えているのかは分からぬが、所詮どこへも行けぬ。放って置きましょうぞ」
「食えぬお方じゃ、朝鳥殿は」
「お互いにな」
 酔い心地の朝鳥が長《おさ》の家を後にしたのは、足許《あしもと》がやっと見えるほどに陽も落ち掛けた頃であった。 


 翌日から食事は郷の者達と同じ雑穀となった。付くのはひとつまみの醤(ひしお)と山菜、それに汁のみ。たまに、干した魚が付いた。しかし、なぜかそれは千方に取っては大した苦痛では無かった。出来の悪い強飯《こわいい》より、稗や粟の方がましとさえ思えたのだ。

「今日は競馬《くらべうま》などお見せしたいと存じます」
 二日目の朝、郷長がそう告げに来た。広場に出向くと、その日も、既に郷人《さとびと》が総出で、馬を引いた五人の男達が広場に控えていた。
 合図を待って乗馬するが、日本古馬は気が荒く、サラブレッドのように大人しく整列などしない。それぞれ、あっちを向いたり、こっちを向いたりとしようとするのを、乗り手が宥めながら、長(おさ)の合図を今や遅しと待っている。その中に、葦毛《あしげ》の馬に乗った長の倅が居ることに朝鳥は気付いた。
 広場脇に筵《むしろ》が敷かれており、千方達はそこに案内された。千方と朝鳥が席に着くと、乗馬した男達に向かって郷長が手を挙げ、さっと振り下ろす。
 郷の中心には、狭い山里には不似合いな幅六間《ろっけん》ほども有る道が、広場を横切って一直線に走っている。その道は山に係る手前で狭まり、緩やかに曲がり、上り坂となって木陰に消えて行く。
 一方、六間道の後ろも同じように山に係り、木陰に消えている。見回すと、馬二頭ほどが辛うじて通れるほどの道が東側の斜面の木立の途切れる辺りに見え隠れする。どうやら、郷を半周する道が作られているようだ。
 乗馬の訓練をするだけなら、こんな大掛かりな道を作る必要は無い。郷中《ごうちゅう》はともかく、低い所とは言え、山を削って馬二頭が並んで走れる程の道を作るには、相当な年月と労力が必要となる。明らかに、見せる為だけに、大変な労力と時間を掛けて作られた道だ。  
 この道は完全な周回路であり、郷の外には通じていない。郷に入る道は、防衛の為か、狭隘で険阻なまま少しの手も加えていない。競走路の造作は秀郷が命じたものなのか、あるいは千常か。それとも、祖真紀ら自身が考えて作ったものなのか。いずれにしろ、この郷が只の山里では無いことを示している。

 歓声が上がる。乗り手であろう者達の名があちこちで叫ばれる。手を振ったり、跳び上がったり、大変な応援である。
 走り出した五頭の馬の列は、次第に縦に伸びて、山に係る辺りでは先を争って揉み合いながら木陰に消えて行く。馬の進行位置に合わせて人々は体を巡らせ、千方も朝鳥も立ち上がってその方角に目をやった。木立の途切れる辺りでその姿が垣間見える度にまた歓声が上がる。やがて、後ろの山陰から現れた馬群が、一直線の道で、最後の力を振り絞って広場に雪崩れ込んで来る。
 先頭で飛び込んで来たのは、葦毛《あしげ》の馬に乗った体格のがっしりした、三十代半ばの男だった。
「いや、さすが、長の倅殿。やり申したな」
 朝鳥が祖真紀に言った。
「恐れ入ります」
とは言ったが、祖真紀は当然とでも言いたげに、特に喜びの表情は無い。馬を降りた男達が、千方の前に歩み寄り、立ったまま頭を下げる。
「千寿丸様。勝ったのは長の倅殿で御座るよ。お言葉を」
 朝鳥が千方に言った。
「うん! 見事であった」
 千方は興奮気味に長の倅を見た。
「恐れ入ります。大道古能代《おおみちのこのしろ》と申します。お見知り置きを」
 祖真紀の顎の張った四角い顔を受け継ぎ、眉が太く、しっかりした大きな鼻を持った意思の強そうな男だ。千常よりいくつか年上であろう。
 朝鳥は古能代にどこかで会ったような気がしていた。夕べは気が付かなかったが、こうして正面からまじまじと顔を見ていると、その太い眉、大きな鼻、確かに以前どこかで見た顔だった。それがすぐに思い出せないのが歯痒い。歳のせいか、この頃そう言うことが良く有る。
「以前、何処《いずこ》かで会ったことが有るのう」
「ああ、郷の者達を連れてお舘に伺ったことが何度か有りますので、その折では御座いませんか?」
「う? いや違う。婿から聞くまで、御事《おこと》らが雑穀を受け取りに来ていることも知らなかった。お舘で会ってはいない」
「左様ですか。それでは、誰か似た者と見間違えているのでは」
「いや、そのようなことは無い。確かに……」
「朝鳥。良いではないか。そのうち思い出すであろう」
 なぜか、祖真紀親子が困っているような気がして、千方が口を出した。
「あ、はあ」
 朝鳥は思い出せそうで思い出せない苛立ちを感じていた。
「千寿丸様。まだまだ趣向を用意しておりますので、どうぞ、お楽しみください。さ、汝《なれ》達も支度に掛かれ。早う」
 話題を変えようとしてか、祖真紀が男達を促した。

 前を走る馬に追い着いて、騎手の後ろに乗り移ったり、騎手が、駆けながら地上に立っている男の片手を掴んで、ひょいと馬上に拾い上げたりと、競馬よりはるかに面白い趣向が、千方の胸を弾ませた。
 駆けながら騎手が後ろ向きに乗り換えたり、地面に突き刺した太刀を、ほとんど逆さまに成りながら拾い上げて、すぐさま体勢を建て直しそのまま走って行ったりと、前輪、後輪《しずわ》を左右に分かれた居木《いぎ》で繋ぐ形式の大和鞍《やまとぐら》と舌長鐙《したながあぶみ》を使っていては絶対に出来ない技に、千方は驚愕した。
 乗馬技の数々を観ているうちに、突如朝鳥は思い出した。
「そうだ。あの戦いの折、確かにあの顔を見た」

 その戦《いくさ》とは、天慶三年(九百四十年)二月十四日。朝鳥が是光《これみつ》を失った初戦から十四日目の常陸国幸島郡・北山の戦いに於いて、秀郷、貞盛らの連合軍が将門を討って勝利した戦いでのことだ。
 朝鳥は千常の命《めい》により、千常の許を離れて秀郷に着いていた。本陣に置いて、朝鳥が無謀な突進に出るのを少しでも防ぎたいとの千常の配慮が有ったのだ。

 初戦に策を用いて先鋒を叩き大勝した秀郷ら連合軍は、将門を追って下総国・川口へ進撃し、将門は沼に囲まれた湿地帯に籠った。
 秀郷は袋状になった湿地帯の二か所の出入り口を固めて包囲したが、宵闇に掛かる頃、藤原為憲《ふじわらのためのり》の隊の固める辺りが突破され、将門は本拠地である石井《いわい》に逃れた。
 秀郷らは石井近くに進出し、村々を焼き払い将門を追い詰めて行った。将門は自ら舘を焼き、残り少ない兵や家族を連れて身を隠した。この辺りは川や沼が多く、以前、良兼との戦いに敗れた時も、将門は、川舟に潜み菰《まこも》に身を隠して時を待ち、再起を図ったことが有った。
 この度もそうしているに違い無いとの見方から、捜索の輪を徐々に絞って行こうと言うことになり、蟻の這い出る隙間も作らぬよう、事は慎重に進められた。強引な方法を取ることは危険だった。
 これまで、将門は数倍の敵を何度か破って来た。死んだ蜂に刺されたり、抑えた蝮《まむし》に噛まれたりするのではないかと思うのと同じような恐怖心が、兵達の心の中に有り、どんなに優勢と思える状況に在っても油断が出来ない。もし、将門が突然現れ、囲みを破り逆襲するようなことが有れば、恐怖心が頂点に達し、四千を超える兵のうち、かなりの者が逃亡してしまうかも知れないのだ。

 秀郷も将門も、いわゆる、領主ではない。元々、律令制の許では、土地も民も建前上は公《おおやけ》のものである。土豪達は、毎年、国司との間で請負契約を交わし、それに応じた税を納めるだけの存在に過ぎない。だから、理屈の上では国司は、翌年は他の土豪と契約することも出来る訳だ。しかし実際には、そんなことは簡単には出来ない。種籾《たねもみ》を貸し付けたりして、民との繋がりも出来ているし、独自に開発した私営田もある。
 荘園の拡大なども含めて、既に律令の制度の多くの部分が形骸化しつつあった。また、土豪達の多くが、同時に国府の役人でもある。
 今の時代に例えるなら、地元の有力者が県庁の幹部職員として名を連ねているのだ。更に、役職が部長や局長であっても、実際には、知事や副知事よりも力を持っている者も居る。藤原秀郷が正にそうであった。いざとなれば、力尽くで国司に反抗する者も少なく無い。
 一方、土豪達にしてみても、戦《いくさ》に際して狩り出す兵の殆どは農民である。主従関係は無いのだ。軍団制が有った時のように、年に数か月の訓練を受けている訳でも無い。有利と見れば従うが、一旦不利と見れば、数千人の兵が一夜にして逃亡し、翌朝には十分の一になってしまうことも珍しくない。それどころか、戦《いくさ》の最中であっても、一旦劣性になれば、浮足立った兵達は、退却どころかそのまま逃げ去って二度と戻って来ない者も多いのだ。頼りになるのは、『家の子』と呼ばれる身内と少数の郎党のみだ。
 戦い続けていた将門にはどんどん兵が集まって来て、遂には数千の兵を率いるようになったが、平安な日々が長らく訪れなかったので、天慶二年(九百三十九年)十一月以来、兵を帰して休ませることが無かった。そのまま歳を越し、春の種蒔きの時期が近付くに連れ、兵達をそのまま留め置くことが出来なくなり、遂に帰す決断をした。
 休ませるだけなら、交代で帰せば良い訳だが、誰も、農作業に最適な時期に帰りたいと思うのは当然である。近くに住む者達は交代制にし、遠い者達はすべて帰した。
 その結果、残った兵は、与力の土豪達、それらの家の子郎党すべてを合わせても千人にも満たなくなってしまったのだ。
 細作《しのび》を放って、常に将門の動静を探らせていた秀郷の耳に、それが入った。
『今だ!』と秀郷は思った。
 貞盛の他、常陸大介《ひたちのだいすけ》・藤原維幾《ふじわらのこれちか》、為憲《ためのり》親子も秀郷を頼って来ていたので、秀郷はそれぞれにも兵を集めるよう促し、貞盛が八百、為憲が五百の兵を集め、秀郷の三千の兵と合わせて、既に四千三百の兵を抱える軍を作り上げていた。
 兵の訓練は充分に出来ていた。陣形を組むと言うことは言わばマスゲームだ。いかに素早く陣形を組み直すかを繰り返し叩き込んだ。鉦《かね》や太鼓に合わせて、次々と陣形を変えて行く。ひとつの陣形が破られた時、素早く次の陣形に組み直せなければ、兵はばらばらになり四散する。それぞれが従う将の旗を見分け、鉦《かね》や太鼓の合図の許、素早く集まり、指示された陣形に組み直させなければならないのだ。
 秀郷は訓練の成果に満足していた。だが、対・将門戦に付いての不安は残った。

 ある朝、将門が石井《いわい》の東方半里ばかりにある常陸国幸島郡《さしまごおり》の北山に陣取ったと言う報せを物見の者が齎した。
「しまった。いつの間に……」と言う秀郷の呟きを朝鳥は聞いた。
 秀郷はすぐさま全軍を率いて北山に向かい、北側の麓に布陣しようとした。
 以前からの位《くらい》や官職からすれば、維幾《これちか》、貞盛の方が上だが、実力と任じられたばかりの押領使(おうりょうし)の権限の許、指揮権は完全に秀郷が握っていた。押領使は軍事指揮権を与えられた地方土豪で、自らの私兵を率いて、通常は一国内の治安維持に当たる役職だが、この乱の鎮圧に当たっては、国を超えた範囲での権限を与えられていた。
 将門鎮圧に際して、他に各国の掾《じょう》クラスの六人が押領使に任命されていたが、実際、将門に対したのは秀郷であった。

 麓《ふもと》に着いてみると、冬の季節にも関わらず、強い南風が吹き付けている。生暖かい風だ。兵の数では完全に将門を圧倒しているものの、山の上に陣取り、しかも強風が吹き降ろしていると言う状況は、将門に有利だった。
「風が変わるのを待たれた方が……」
 そう言ったのは、朝鳥の知らぬ若い郎等だった。がっしりした体に四角い顔。太い眉と大きな鼻が印象的な若者だ。
「新規お召し抱えの者か?」
 そう思ったが、それ以上気にすることは無かった。
「軍使として、将門の許へ参ってくれ。『まだ陣立てが整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えよ」と秀郷が若者に命じた。
「はっ」と返事をし、若者は木の枝を切ってそれに白い布を括り着けると、北山に向かって駆け出して行った。
「将門は待ちましょうか?」
 朝鳥が尋ねた。
「待つ。暫くはな。そう言う男だ。問題は風が変わるのと将門が痺れを切らすのと、どちらが先かだ」

 一方では、私闘や奇襲が頻発し、同時に、名乗り合っての一騎打ちや戦場での作法に従っての戦いも行われていた時代なのである。
 何が違うのかと言えば、私闘か公《おおやけ》の戦《いくさ》なのかと言うことなのだ。追討など公《おおやけ》に認められた戦いで名乗りを上げたり、戦場での作法を重んじたりするのは、名を挙げ、手柄を立てて恩賞を得、出世する為だ。
 一方、私闘ではその本性が剥き出しになる。だが、すべてがそうだとは言い切れない。前に述べた、平良文《たいらのよしぶみ》(村岡五郎)と源宛《みなもとのあつる》(箕田源二《みのだのげんじ》)との一騎打ちは私闘であったが、作法を重んじた一騎打ちをしている。

 秀郷の読み通り、将門は開戦待ちを受け入れた。追討される側だから、恩賞や出世とは無関係だが、名を挙げたい、或いは『新皇《しんのう》』としての威厳を示したいと言う想いが有ったのだろう。秀郷が将門を見切った通りの甘さがそこに有った。 
 兵の数で圧倒的に不利であり、山頂に陣取ったことと追い風のみが、己に取っての有利であるとすれば、何としても、それを利用すべきであろう。こちらの陣立てが本当に整っていないとすれば、それこそ千載一遇の機会と観るべきである。
「見栄を張りおって。過信か、新皇《しんのう》と名乗ったことに因る増長か、いずれにしろ愚かじゃな」
 秀郷がそう呟いた。
 仕掛けた罠に、将門がまんまと嵌ったことに満足すると言うより、将門に加担せず見切った自分の判断が正しかったことに秀郷が満足しているように、朝鳥には聞こえた。

 将門は仕掛けに嵌《はま》ったかに見えたが、向かい風は一向にやむ気配も方向を変える気配も無い。風が変わらなければ、当然策も無駄になる。
 秀郷が恐れたのは、総崩《そうくず》れである。これだけ戦力に差が有れば、例え不利な向かい風であっても、犠牲は大きくなるが、しっかり戦い続けることによって、必ず勝利は得られる筈だ。だが、再三触れた通り、当てになるのは家の子・郎等のみ。もし、将門に囲みの一角でも破られれば、充分な訓練をしているにも拘らず、兵達の殆どが逃げ去ってしまう可能性すら有るのだ。
 秀郷は、わざと陣立てをもたつかせて時を稼いでいる。
『風よ、変わってくれ!』
 朝鳥も秀郷同様、そう祈っていた。だが、風は変わらず、将門が遂に痺れを切らし、逆落としに討って出て来た。

 ニ月十四日未申(ひつじさる)の刻(午後三時)、連合軍と将門の合戦が始まった。
 秀郷は鉦《かね》を叩かせ、急いで陣形を整えさせる。元々わざと遅らせていたのだから、陣形はすぐに整った。横に広がって鶴が翼を広げた形を表す鶴翼《かくよく》の陣である。大軍で少数の敵に対する際に使われる陣形で、突っ込んで来た敵を包み込んで討ち取る戦法だ。
 矢頃まで降りて来ると、将門は、まず作法通り鏑矢《かぶらや》を放った。追い風に乗って唸りを上げて飛んで来た鏑矢は陣に届き、兵が頭の上に持ち上げた楯に激しく当たって、大きな打撃音を発した。こちらの放った鏑矢は、風に阻まれて、遥か手前に落ちた。
 続いて、一斉に射られた数百本の矢が、放物線を描いて上から降り注いで来る。陣の前の方に並べた楯は殆ど役に立たない。騎馬武者の大鎧《おおよろい》に矢が突き刺さり、一方、兵達は、胴丸では防御しきれない部分に矢を受けた者が倒れる。そして、二の矢の雨。射返してもこちらの矢は風に吹き戻されて届かない。三の矢が降り注いで、また多くの兵が倒れる。

 暫く矢を射かけていた将門軍が突撃に移った。鋒矢《ほうし》の陣形を組んで一直線に攻め寄せて来る。全体が一本の矢の形となり、鶴翼《かくよく》の陣を突き破る戦法だ。将が最後尾に居て采配を振るう通常の鋒矢の陣とは違って、先頭を切るのは将門自身である。鏃《やじり》の肩に相当する両脇には屈強な郎等を配し、射掛けながら進んで来る。
 将門の戦い振りはいつも、最初、射ながら疾駆し、近付くと傍の郎等に持たせた手斧に持ち替えて、それを振り回し相手を薙ぎ倒して行く。後に続く兵達はその光景を目の前に見るだけで、その凄さに酔い痴れ、己も無敵となった心持となり、一体となって突進して来るのだ。
 鋒矢《ほうし》の陣に寄る鶴翼《かくよく》の陣に対する突撃は、いかに素早く突破するかに掛かっている。弱い所を突き破り、反転して後ろからまた襲い掛かる。そうすることに寄って、敵の陣形を崩し混乱を生じさせる。しかし、第一の突破にもたつけば、すぐに包囲されてしまう。
『将門ひとりを倒せば良い。それに寄って兵達の暗示は解け、現実の恐怖に晒《さら》されることになる。そうなれば、多勢に無勢。あっと言う間に勝敗は決まる』 
 秀郷はそう思っていた。
 将門の弓の勢いは強く、驚くほど正確に射込んで来る。対する秀郷陣営は、矢が風に吹き戻されて届かないばかりでなく、近付くに連れて、将門軍の馬の蹴上げる砂埃が目潰しのように吹き付けてくる為、まともに目を開けていられない状態になってしまった。
 連合軍の陣に恐怖と動揺が走った。
「恐れるな。射よ! 射よ!」
 秀郷は懸命に叫んだ。前軍の将達も同じように叫び続けている。このままでは中央を突破されると朝鳥は思った。しかし、逆風とは言え、将門は疾駆してどんどん近付いて来ているのだ。しかも、先頭を切って突っ込んで来る。射続ければ、突っ込まれる前に必ず当たる。大鎧《おおよろい》の上から何本かの矢を受けても致命傷にはならないが、勢いを殺すことは出来る。後は打ち合うのみだ。
「大殿、御免」と言い残し、許可も得ずに、朝鳥は弓を掴んで前線に向かって馬を駆った。
「ここは一旦、退くべきでは」
 狼狽えた様子で、藤原維幾《ふじわらのこれちか》が秀郷に言った。
「戯《たわ》けたことを申されるな! 今退けば総崩れじゃ!」 
 相手の身分も構わず、秀郷は怒鳴った。
「繁盛だけに任せてはおけん。麿も前に出る」
 貞盛は怯えてはいなかった。
 将門に負け続け、父の仇も討てぬ都かぶれの臆病者との誹りを受けながら生き延びて来た。ここで逃げれば、もう永久に汚名を返上し名誉挽回をすることは出来ない。征東将軍の朝廷軍が到着して将門を討ってしまえば、一生臆病者と嘲られて過すことになる。例えここで討死しても、それよりはましだと思っていた。
「それでこそ、坂東平氏の嫡流。行かれるが良い」
 本陣は鶴翼の後方に置かれていた。兵は三百。鶴翼の陣の中央には、秀郷の長男・千晴に千人の兵を預けて配し、突撃の際、将門の矢面となり易い右翼には、三男・千国と四男・千種、それに五男の千常にそれぞれ五百ずつの兵を与えて計千五百を配した。そして、左翼には、貞盛の弟・繁盛率いる八百に二百の与力を着けて配し、その外側に藤原為憲率いる五百の兵を配している。
 本陣の三百はただ後方に構えているだけではなく、五十名ほどを残し、後は、破られそうな所に駆け付ける遊撃隊的な役割を負わせてある。
 朝鳥は単騎中央へ、続いて、貞盛は十名ほどの郎等を率いて左翼へと、それぞれ前線に向かって駆け着けて行く。
 維幾《これちか》は秀郷の態度にむっとしながらも、言葉を返すことが出来ず、ただ苛々おろおろするばかりだ。

 その時、一直線に中央に向かって突進していた将門が突然右に方向を転じた。龍が大きくその首を右に振った。
 連合軍を左手に見ながら、中央の千晴隊に、続いて貞盛隊に矢を射かけながら平行に進み、左翼端の為憲隊の守る辺り目掛けて突き進んで行く。
 まさか、自分たち目掛けて襲い掛って来るとは思っていなかった為憲隊に動揺が走り、負け癖の付いている彼等は脆くも崩れた。
 秀郷は本陣に居る遊撃隊二百五十をすぐに左翼に放ったが遅かった。為憲の兵達は、迎え入れるように将門軍が突き進む道を開け、突き抜けた将門軍が反転して襲い掛かって来ることを恐れて、将門を追おうとする味方の軍の方に向かって逃げ始めたのだ。
 まず、貞盛隊と逃亡兵達の流れがぶつかり混乱する。遊撃隊、千晴隊は、それを避けて将門を追おうとするが、貞盛隊の中からも逃亡しようとする者が出始め、混乱が広がって千晴隊の行く手を阻む。
 そうしている間に、手斧《ておの》を振り回しながら将門が、混乱の中心を目掛けて突進して来る。
 迎え撃とうとした騎馬武者が二人、三人と将門の手斧の餌食となって落馬する。将門に続く郎等達も屈強で、次々と味方が倒されて行く。貞盛は兵を励ましながら、混乱を潜って将門に近付こうとするが、近付けない。
 その中で、将門の郎等の何人かを倒し、将門に近付き一撃を与えたのは、遊撃隊を率いる、信濃国佐久の郷司・望月三郎《もちづきさぶろう》兼家《かねいえ》だった。秀郷とは以前から親交が有り、挙兵に際し、遥々駆け着けていた。
 兼家は太刀で将門の兜《かぶと》を打ったが、落馬させる程の衝撃を与えるには至らなかった。しかし、将門の兜の向きがずれた。

 逃亡兵達が、今度は空いた北の方に向かって一目散に逃げ始めたのだが、その数は見る見る増えて、恐怖心が伝染したのか、千晴の隊や千国、千種、千常の隊からも逃亡兵が出始める。もはや、陣を組み直すことは不可能な状態となった。陣形を整える為の太鼓や鉦《かね》の音が空しく響き、声を枯らして叱咤する将達の叫び声も乱声に掻き消される。
 又も突き抜け、上りに掛かった辺りで、少し距離を取って陣を組み直した将門軍が、再び矢を放ち始めた時、連合軍は遂に崩壊した。殆どの兵が勝手に退却を始めたのだ。いや、将門軍の矢頃を逃れる為、一目散に逃げ始めたと言った方が正確だろう。
 混乱する連合軍を見下ろしながら、将門は兼家の一撃に因りずれた兜を荒々しく脱ぎ捨てた。その所作が荒々し過ぎたのか、兜だけでなく、その下に被っている折れ烏帽子《えぼし》まで脱げそうになった為、将門はそれも脱ぎ捨てた。
 戦場ならではのことで、平安の男に取って、人前で被り物を脱ぐなど、日常では有り得ない行為だ。はずみで髻《もとどり》が切れ、髷《まげ》が崩れて髪が乱れ、大童《おおわらわ》となって垂れ下がる。郎等が代わりの兜を差し出そうとするのを「要らぬ」と遮り「者共、敵は混乱している。勝ち戦じゃ。命を惜しむな。掛かれ~!」と声を張り上げた。

 再び将門軍の突撃が始まった。解けた髪を振り乱して、やはり将門が先頭を切って迫って来る。
「うぬ。くそっ! 退け~!」
 このままでは、兵の殆どが逃亡して、二度と戻って来ない。もはや立て直すことは不可能と観念した秀郷は、遂に退却の号令を発した。兵達は四散し、将と郎等達は秀郷と合流する為に本陣を目指す。
 各隊の将達は悔しがりながらも撤収に掛かる。それを見た将門は、嵩に懸かって猛追撃を開始した。
「だから、言わぬことでは無い」
 そう漏らした維幾を、秀郷は一瞬キッと睨んだが、すぐに騎乗し逃走に掛かった。
「くそっ。くそっ!」と叫びながら駆けた。
 耳元を矢が掠《かす》める。追い風を受けての逃走だから、疾駆していても顔に当たる風圧は感じない。ところが、暫く駆けているうちに、急に顔に風圧を感じるようになった。しかも、冷たい。

 その時、背中に軽い衝撃を感じた。カチッという音がして後ろから飛んで来た矢が鎧《よろい》の背で弾ける。風圧に寄り矢の勢いが殺されているのだ。
「風が変わった!」
 秀郷は歓喜した。
「止まれ! 踏みとどまれ~! 風が変わったぞ。者共、踏み止まって射返せ~!」
 周りを見回すと、千晴を始めとした息子達。貞盛、繁盛、兼家、それに朝鳥などの郎等達が集まって来ていた。それでも、百騎に満たない。
 敗走していた連合軍の残軍は踏み止まり、馬を返した。そして、一斉に射始める。
 将門軍は皆強く手綱を引き、馬を止める。横に広がってこちらも一斉に射始めるが、それまでとは違い、秀郷側の弓勢《ゆんぜい》は強く、将門側は弱い。連合軍の矢は風に乗り、将門軍の矢は風に戻される。
「聞け~! 藤太秀郷!」 
 将門が大音声《だいおんじょう》で呼ばわった。秀郷は右手を挙げた。
「やめよ! 射ることを止めよ!」
 双方の矢の雨が止む。
「何用か! 朝敵・小次郎将門! 命乞《いのちご》いなら聞かぬぞ」
「何を抜かすか、卑怯者め。命乞いをするのはその方であろう! 一旦はこの将門に名簿《みょうぶ》を捧げながら、虚を衝いて謀叛を企むなど許し難い。成敗《せいばい》してくれるわ!」 
「謀叛人はうぬじゃ! この『日本《ひのもと》』に帝《みかど》は只ご一人《いちにん》しか居坐《おわ》さぬ。勝手に新皇《しんのう》など僭称しおって。謀叛人は己だ。この秀郷が、朝敵を討つ為に欺いたことに気付かなんだ己を愚かと思うが良い」
「何~い。盗人にも三分の理とは良く言うたものじゃ。藤太、許さぬ!」
 将門は風に乱れたザンバラ髪を振り払い、弓を郎等に渡して、太刀を抜き放った。
「小次郎! 己はこの平太・貞盛が討つ! 覚悟せよ!」
 秀郷の脇に轡《くつわ》を並べて貞盛が叫んだ。
「はっはっはっは。誰かと思えば、臆病者の常平太《じょうへいた》か? 信濃で、陸奥で、良くも逃げ延びたと褒めてやろうぞ。今度も逃げ足は速かったのう。のこのこと出て来居《きお》って。従兄弟の誼、見逃してやるから、さっさと消え失せろ! 都にでも落ちて、遊女《あそびめ》とでも戯れておれ。それとも、やっと兵《つわもの》の気概を取り戻したか?」
 侮辱されて、貞盛の顔面が紅潮する。怒りの言葉が発せられた。
「我が父・国香《くにか》を討ったこと、忘れたか! 己を討つこの日の為に、命、永らえて来た。父の無念も我が恥辱も今こそ晴らしてくれるわ!」
 言うなり、貞盛が弓を引き絞った。それを見た敵も味方も弓を構える。双方一斉に放った。貞盛の矢が一瞬早く放たれ、続いて、互いの矢が飛ぶ。だが、風に逆らった将門方の矢の勢いは弱く、貞盛らの矢は疾風の如く走った。
 将門が太刀で矢を払った。…… と思えた瞬間、馬上からその姿が消えた。

 どっと雪崩落ちた将門の姿を、敵も味方も、一瞬信じられないと言う想いで見詰めた為、矢の雨が止んだ。将門の郎等達が馬から飛び降り、落ちた将門を取り囲んだ。将門は横たわったまま動かない。
「射よ! 射続けよ!」
 秀郷の叱咤の声に我に返った連合軍の矢の雨に、将門を守るべく太刀を抜き放って構えたその郎等達が矢を受けて次々と倒れて行く。そして、僅かに残った者達は遂に逃走を始めた。
「追え! 一人残らず討ち取って手柄とせよ!」
 そう叫ぶと、秀郷は自ら先頭を切って将門の許に駆け寄った。
 兵達は将門の残党を追い、下馬した秀郷は、いきなり倒れている将門の頭を踏ん付け、刺さった短めの矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。それから、毛抜形太刀《けぬきがたのたち》を振り上げて、薪《まき》でも割るように、将門の首を打ち落した。
「皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門は、左馬允《さまのじょう》・平朝臣《たいらのあそん》・太郎貞盛殿が射落とし、押領使《おうりょうし》、この藤原朝臣《ふじわらのあそん》・太郎秀郷が首討った。大勝利である。謀叛人・将門は潰えたのじゃ、鬨《とき》の声を挙げよ!」
「うお~!」と言う歓声が上がり、続いて
「エイエイ、オー!」と言う鬨(とき)の声が繰り返された。その鬨の声を聞き付けて、逃げ散っていた味方の兵達が、褒美のおこぼれに与ろうと徐々に集まって来る。

 しかし、その流れとは逆に、その場から立ち去って行く五人の郎等姿の男達が居た。先頭を行く眉が太く鼻の大きな若者は、その手に短弓を携えている。将門の首は、敵と正対していたにも拘らず、なぜか左の米噛みに穴が開き、そこから血が流れ出ていた。つまりは、秀郷や貞盛が居た方向とは別の方向から飛んで来た矢に因って命を落とした可能性が有るのだ。
 何故か秀郷は将門の米噛みに刺さった矢を抜いて、散らばっている矢の中に紛らせるように捨てた。そしてその矢は、長弓の矢では無く、短弓の矢だった。

    
『そうか。蝦夷の風体では無く、他の郎等達と同じ格好をしていたので気付かなかったのだ。確かに、あの戦《いくさ》の折、古能代に会っている』と朝鳥は思った。
『しかし、何故《なにゆえ》?』
 そう思いながら、祖真紀に声を掛ける。
「将門の乱の折、北山の戦《いくさ》で、麿は古能代殿と良く似た男を見掛ておる。あの戦に加わっておったのか?」
 祖真紀にそう問うたが、朝鳥の言葉に祖真紀は反応しなかった。何か他のことに気を取られているような素振りで、聞こえなかったかのように、朝鳥の言葉を無視した。

将門を殺した男(72枚)

執筆の狙い

作者 青木 航
sp49-97-13-247.msc.spmode.ne.jp

 果たして何人の方に読んで頂けるか? 問題はそこですね。

 顰蹙を買う言い方になるかも知れませんが、文章を飾る事や詩的な表現には関心が有りません。少なくとも私の小説の中での文章は、Simple is best.と思っています。

 ただ、描写に付いては我ながら拙いと思っていて、もっと勉強しないといけないと思っています。

 その辺を考えながら校正したつもりです。例えば、情景描写、人物描写、心理描写などを10点満点で何点くらいと思うか評価し、出来ればコメントを添えて下さる方が居れば嬉しいです。

コメント

青井水脈
om126179240120.19.openmobile.ne.jp

読ませていただきました。
私は今回はこのままでも、特に問題はないと思います。文章で引っかかるところはなく、スラスラ読めました。総合でいうと、10点満点中8.5で。

長編で頭を悩ませるのは構成ですが……。

>兼々感じてはいたが、やはり秀郷は、将門《まさかど》が果たせなかったことを、朝廷と決定的に対立すること無く、巧妙に実現しようとしているのではないかと朝鳥は思った。

それから祖真紀との会話。回想シーンが明けたのに一瞬気づかず、読み返してわかりました。


やっぱり、描写というのは難しいですよね。描写が足りない、少ないと言われると考えさせられますし。住居の様子、食べ物など本筋に直接関係ないことはあんまり細々書くより、最低限でもいいかと。


>「宜しいか。馳走を前にして、そのようなお顔は絶対にしてはなりませんぞ。

ここからの兔を仕留めた夜叉丸を巡るやりとりで、これまでより、朝鳥の人物像が見えてくるようでした。翌朝のやりとり、祖真紀との会話からも。

青木 航
sp49-97-13-233.msc.spmode.ne.jp

 青井様。いつも有難う御座います。
 もし、他の誰にも読んで頂けなかったとしても青井様だけは読んで頂けるのではと勝手に当てにしてしまっています。すいません。

>それから祖真紀との会話。回想シーンが明けたのに一瞬気づかず、読み返してわかりました。

 やはり、そう言う部分出て来ていますか。

一時、「〜~~~』などを入れてみたのですが、何か不細工だなと思ってやめました。
 場面が戻ったことがはっきり分かるようなフレーズを入れた方が良いですね。

 描写、描写と思って校正したせいか、ちょっとやり過ぎで無駄な部分が出て来ていますか。分かりました。

 無駄といえば、青井様は全体像をご承知なのでそう言う指摘はされませんが、『将門を殺した男』単体として初めて読んで頂く方の目になってみると、無駄なエピソードがあっちに飛んだりこっちに飛んだりして分かりにくいと思うでしょうね。
 古能代のエピソード中心にストーリーを流すべきで、朝廷での話も高明も、敢えて言うなら千方もいらないと言われるかもしれません。

 それは兎も角、描写力が少しは向上したと評価して頂けたとすると嬉しいです。有難う御座いました。

でんでんむし
p0163482-vcngn.ttri.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

最初の部分、10枚かそこらでしょうか。その辺りで挫折しました。
きちんと読んでもいないのに、ああだこうだと書くのは申し訳ないですが、お聞きしたいことがあります。
これは、どなたを読者と想定されて書かれたのでしょうか。私は歴史物は読んだことのない者なので、話にもならないでしょうが、勝手に考えたのは、歴史文学賞とかあったはずですが、あのような雑誌を読まれる人が対象なのでしょうか。そうなら、私が口に出すことはないですが、もし対象に限定がないというのなら、つまり私も読者のうちに入るのなら、かなり問題があると思います。
つまり、冒頭の10枚ほどに、とにかくたくさんのややこしい名前を持つ人物が出てくるのですが、元々が無知な私なんかには、これで簡単に挫折してしまうのです。誰が誰かわからない、その関係すらわからないし、その説明もない。蝦夷とあるので、ちょっとお馴染みさんかな、そんな気でいたら、舞台が上野になってしまう、でいいでしょうか。

結局、この背景を予め知っている人向けに書かれているように思えて、読者の幅を広げるお気持ちはないのかな、と思って、そしていじけてしまうのです。
どうやれば、冒頭だけで逃げてしまう読者を引きとめるか。ツカミのようなものかもしれませんが、それがなおざりになっていないでしょか。
小説の場合のツカミは、まず第一に理解できることです。人間関係とか、登場人物が何を思っているかとか、それがなかったように思います。どんどん新しい名前の人が、読者の心に定着しないうちに現われて、ますます全体が見えなくなっていく(きっと私だけでしょけど)、そんな印象を持ちました。

私が少し長いのを書く時に気をつけるのは、冒頭からあまりたくさん人物を、名前を出さないようにすること、でしょうか。少しずつ紹介していくこと、ですね。
とにかくどういう設定か、場面かを最初にわからせる必要があると思うのですが、御作の場合は、二人が何の話をしているのか、私にはまるでわからなかったのです。最初の場面ですけど。
なので、この冒頭部分を絵に描くこともできません。どういう場所で、どういう雰囲気で、それがわかりません。
私なら、あくまで歴史物は好きじゃない私ならですが、ミステリーで最初に死体を転がせじゃないですが、やはり主題たる将門の名前、あるいは、将門の状況、そんなのを書くべきじゃないでしょうか。そしたら、読者はああ、将門をどうこうしよう、まあ、タイトルを見れば将門を殺す話のようなので、それを背景にきちんと置けば、まだ物語の行き先がわかるのですが、タイトルを見ないで読む私などは、すみません、タイトルは今、気づいて、そうか将門を殺すのか、ということがわかったので、悪いのは私ですが、それでもその大きな主題を真っ先に書けば、私でも読み進められたかもしれませんが、それを知らなかったので、ごめんなさいです。
「将門の首を取れですか?」なんて、よくある感じで始めれば、もっと気を配って読めたのじゃないかと思ったり。72枚は、まだ短編のうちですから、どどどっと突っ走ってもいいのでは。読まないで勝手なことばかりすみません。

なお、文章を飾ることや詩的表現に関してですが、これは意識的にされることはなくて、ご自身で場面の絵が見えていれば自然に出るのじゃないでしょうか。
子供だって、夕陽を見れば、林檎みたいな、とか詩的なことを考えるでしょうし、文章を飾るのも意識しないでできるのじゃないでしょうか、というか、ちゃんと飾ってありますよ。アメリカのハードボイルドだって、あれで自然に飾ってあるはずです。なので、無理にそういうことはされなくていいと思うのですが、描写はもう少しないと、わかりにくいかな、とは思います。もちろん風景描写の意味じゃないですけど。
まさに門外漢からの失礼なコメント、適当に無視して頑張ってください。それでは。

青木 航
sp49-98-224-43.msd.spmode.ne.jp

 でんでんむし様最初の方だけでも読んで頂き、お時間を割いてコメント頂けたこと、まず以って御礼申し上げます。

 それを書いていない私が悪いのですが、実はこれ、11/3付けで掲載した『坂東の風(幼年編)』の続きになります。

>この背景を予め知っている人向けに書かれているように思えて、読者の幅を広げるお気持ちはないのかな、と思って、
、と言われても仕方の無い状況を作ってしまいました。

 確かに、小説と言うよりも歴史解説に自分独自の見方、エピソードを加えたものかも知れません。26万字の小説の一部です。

青木 航
sp49-98-224-43.msd.spmode.ne.jp

以前、掲載した作品で、人物がえがけていない記号だと言う批評を頂いたので、その辺が改善されているかどうかを問いたいと言うのが狙いです。

夜の雨
ai203039.d.west.v6connect.net

青木さんへ。でんでんむしさんの感想を読んで。

>最初の部分、10枚かそこらでしょうか。その辺りで挫折しました。<

ほとんど同感です。
作品が投稿されてから三度ほどチャレンジしているのですが、読み進めない。

>きちんと読んでもいないのに、ああだこうだと書くのは申し訳ないですが、お聞きしたいことがあります。
これは、どなたを読者と想定されて書かれたのでしょうか。私は歴史物は読んだことのない者なので、話にもならないでしょうが、勝手に考えたのは、歴史文学賞とかあったはずですが、あのような雑誌を読まれる人が対象なのでしょうか。そうなら、私が口に出すことはないですが、もし対象に限定がないというのなら、つまり私も読者のうちに入るのなら、かなり問題があると思います。<
>>あのような雑誌を読まれる人が対象なのでしょうか。<<

そんな問題ではないですね。あきらかに書き方というか演出に問題があると思います。

>つまり、冒頭の10枚ほどに、とにかくたくさんのややこしい名前を持つ人物が出てくるのですが、元々が無知な私なんかには、これで簡単に挫折してしまうのです。誰が誰かわからない、その関係すらわからないし、その説明もない。蝦夷とあるので、ちょっとお馴染みさんかな、そんな気でいたら、舞台が上野になってしまう、でいいでしょうか。<

もちろん、この通りで多数の名前がわかりにくい人物が出てくるので、作品の中身がわかりにくくなるのですが、小説の基本的な部分の入り方に問題があると思う。
たとえば、こちらの作品が時代物歴史物ではなくて、現代を描いた一般的なドラマであろうがミステリーであろうがファンタジーであろうがSFであろうが、御作のような導入部だと、先を読めない。
小説の入り方には基本があると思う。
それを御作は逸脱しているのではないかと思いますが。
書籍になっている一般的なプロの作品の導入部に目を通してみればわかると思いますが、導入部から読み手が混乱するような人物が一挙に多数出てくるとか、ドラマの背景がわかりにくいとかの設定部分に問題がありそうな、作品はないですけれどね。
歴史小説が好きだとか嫌いだとかの好みの問題ではなくて、書き方に問題があると思います。
青木さんが、今後もこのような書き方をすれば、時間がもったいないと思います。
少し、小説の書き方の勉強をすればよい。

すでにある程度の実力があるのだから、「小説の書き方」本を何冊か読めば、おそらく「目からうろこ」状態で、一気にうまくなるのではないかと思います。

上から目線のような感想で、申し訳ありません。

それでは、頑張ってください。

hir
f98-pc8.cty-net.ne.jp

 前の状況がないのに、申し遅れておりました。はいかがなものでしょう。せっかく大道祖真紀、千方と名乗ったのに、どうして郷長と表するのか。
 野外なのか、屋内なのか、朝なのか、夕なのか。背景がない。
 腰の低いけど、意外と大きく、物腰は柔らかいが、凄みを感じさせる男。
 うやむやで、とっかかりがないので、人物が見えてこない。描写がどうこうより、文章ができていない感じです。
 紺に白い刺繍の入った布を頭に巻くことが、蝦夷らしき風体を指すのか。エゾと聞いて、蝦夷と答えていたらどうなっていたのか。
 一文の情報が欠落しているのか、次文との繋がりがないのか、読みにくいわけじゃないけど、読み進められない。
 娘の連れ合いの蔵番から、不審な男がお舘の雑穀を取りに来る。と相談を受けた朝鳥が、大道祖真紀を呼び寄せた。
 と無理やり冒頭を解釈したけど、間違っている自信があります。
 
 Simple is bestを目指しているのなら、新聞記事みたいに書いてはいかがでしょう。有名な作家は元記者が多い気がします。

青木 航
sp49-98-224-43.msd.spmode.ne.jp

夜の雨様有難う御座います。てでんでんむし様への回答にも書いたのですが、実はこれ11/3に掲載した『坂東の風(幼年編)』の2話目です。状況説明や千方の周りの主要人物の紹介はそこでやっています。それにしても多いと言うご指摘はその通りかと思います。
承平・天慶の乱と安和の変の知識が無いと確かに分かりにくいと思います。これが、戦国時代であれば、凡その時代の流れは大抵の方が知っていらっしゃいますが、平安ではそうも行かないですね。
源高明、藤原師輔、同実頼、望月兼家などは最後まで関わってくる登場人物なのですが、ここではさらっと流して頂ければそれで良いと思っていました。

・誰を読者として想定しているのか。
・最初から多くの人物を出し過ぎる。

この二つはお二人共通するご指摘なので重く受け止めたいと思います。

有難う御座いました。

青木 航
sp49-98-217-143.msd.spmode.ne.jp

8-217-143.msd.spmode.ne.jp
>青木さんが、今後もこのような書き方をすれば、時間がもったいないと思います。

夜の雨様。なかなかきついご指摘です。11/3掲載分を読んで下さいと云うのも失礼なので、見ていただけるかどうかは別として、ちょっとだけ貼り付けて置きます。

正直言うと、益々置かれた状況が悪くなる気はしますけど。

〜~~~~~~~~~~~~~~

 冬の赤城おろしばかりで無く、一面の茅、即ちスゲやススキの穂を揺らし、強風は春にも坂東の野を吹き荒れる。坂東は風の地と言って良い。この辺りは利根川の自然堤防と湿地から成る土地で草原《かやはら》と言う。茅は屋根を葺くなどその用途が多い為、何処の郷も茅場を持ち、季節になると郷人総出で草刈りをする。
 この地は、元々私市《きさいち》氏の持っている茅場であったのだが、分家として分かれた者がこの土地及び周辺を譲り受け、草原《かやはら》氏を名乗るようになった。草原《かやはら》は、そのまま氏族名及び郷名となった。武蔵国・埼玉郡・草原郷《かやはらごう》である。

 折烏帽子が飛ばされぬよう顎紐をしっかりと結び袖と裾をはためかせながら、その風の中を馬を駆って進む六名ほどの兵(つわもの)の一団が有る。一行はやがてとある舘の前に至る。
 この時代の土豪の居館は,盗賊や局地的紛争に備え,門構えと四隅に櫓を持ち,土塁に囲まれた上、その外側に堀を持つ小規模ながら半城郭的なものとなっている。
 訪問客の一人が馬から飛び降りて門番の男と話す。話し終わると、門番の男は舘の敷地の中に走り込んで行く。
 間もなく数人の男達が走り出て来て、痩せた年寄りが、訪問客達の先頭に立つ狩衣姿の男の前に進み出て、深く頭を下げる。
 馬上の男は三十少し過ぎ、揉み上げ、鼻の下、顎と繋がった濃い髭を生やした厳つい男である。
間もなく数人の男達が走り出て来て、痩せた年寄りが、訪問客達の先頭に立つ狩衣姿の男の前に進み出て、深く頭を下げる。

佐藤
p1460140-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

こんにちは、拝見致しました。

申し訳ありません、「読ませていただきました。」とは申せません。またもう一点、青木航様は御作に simple is best を掲げておられますが、全くシンプルであるとは映りませんでした。

同じく歴史小説を書いている身として、この点は申し上げておくべきだと感じました。とある小説サイトにおいて歴史小説の投稿比率は5%以下、というデータがあります。雑な話をすれば、それは当サイトにおいて歴史小説を読みたい、と思うような人間が10%を切る、という話にもなってきます。このサイト云々以前に、そもそも一部の好事家しか歴史小説は見向きもしないものです。

とはいえこの場に歴史小説を出す意義はないのか? と聞かれれば、それもノーであると思います。「読まれない」ものであるからこそ、読まれるためにどう工夫ができるか、は問えますので。

その工夫として、自分が最上位検討項目としていることに、「どれだけ情報を少なくできるか?」があります。語るべき本筋を示し、そこに必要な要素を可能な限り削ぎ落とす。これをやらないと、ただでさえ読まれない歴史小説に見向きしてくれる方は更に絞られてしまいます。

「分かりづらいもの」をそのまま提示するのであれば、はじめから歴史概説書を読んだほうが早いですし。
ただ、これを心掛けてすら、通常の小説よりも情報が膨大になってしまうのですよね…悩ましいところです。

さておき、御作を拝見して感じたのは、一瞬でこちらが許容しうる情報量をオーバーしてくる、でした。そしてこちらの理解が追いつかないまま、さらに情報量が増えていく。この状態で文章表現について語られても、正直なところ手に負えません。

まず語るべき本筋と、それを過不足なく読者に提供できるための情報の精査をなさったほうがいいと思います。


あと、青木航様のところでまま見受けられる議論について一点、差し出がましいかとは思いますが付記させていただきます。

当サイトにおいて連載形式は、マナー違反などではありません。
そもそも「当サイトがそういった掲載形式を拒否している」のです。

「完結した、一つの作品」の良し悪しを論ずるためのサイト形式になっており、いわゆる連載ものについては、わざと追いづらくさせている。それが200作維持、超過ログの自然消滅、2面以下への区分け、の意図と見なすべきでしょう。
サイトが意図してこの形式を保持する以上、連載を前提とする作品を提示するのが、第一話のツカミを問う以外ではどうしても悪手となってしまう。
そこを理解せずにマナーがどうこうといっている方々の言うことを聞く必要はありません。問題の焦点は「このサイトでの投稿に当たって最悪に不利」であるというだけですので。

青木航さんの執筆活動、投稿活動がより実りあるものになるよう願っております。

青木 航
sp49-97-21-157.msc.spmode.ne.jp

hir様有難う御座います。

>全くシンプルであるとは映りませんでした。

私がシンプルと言ったのは文章を飾らないと言う意味で、ご指摘は描写とかストーリーのことかと思います。

登場人物が多すぎて分からない全くシンプルであるとは映りませんでした。
この場面がどう言う場面か分からないと言うご指摘は他の複数の方にも等しく頂いております。

皆さんが等しくそう感じると言うことはそういうことなのだと思います。

前回掲載分との関連を書かなかったことがひとつの大きな要因と思います。

略記すれば、武蔵の草原というところで育っ千方(千寿丸)が14才になった春のある日、年の離れた兄・千常が迎えに来た。放置していた父に会えるのかと思ってついて行ったら、下野(しもつけ)の山中に或る蝦夷の隠郷に放り込まれ、そこで3年過ごさなければならなくなった。朝鳥は千常が付けた郎等兼守役です。

>腰の低いけど、意外と大きく、物腰は柔らかいが、凄みを感じさせる男。
 うやむやで、とっかかりがないので、人物が見えてこない。描写がどうこうより、文章ができていない感じです。

分かりました。最初は『物腰は柔らかいが、凄みを感じさせる男だと朝鳥は思った』と言うだけの記載でした。表現が不足していると思って加筆したのが悪手でした。十分考えず簡単に付け加えてしまいました。

>前の状況がないのに、申し遅れておりました。はいかがなものでしょう。

これも前回分との関連になってしまいますが、郷長は千常も泊ると思っていたが、忙しいからと千方と朝鳥を置いてさっさと帰ってしまったので、千方と朝鳥は郷長を紹介もされていなかったのです。

>せっかく大道祖真紀、千方と名乗ったのに、どうして郷長と表するのか。

仰る通リでした。不用意でした。

>娘の連れ合いの蔵番から、不審な男がお舘の雑穀を取りに来る。と相談を受けた朝鳥が、大道祖真紀を呼び寄せた。
 
のでは無く、朝鳥も事情も説明されずにここに連れてこられて、この蝦夷の郷は何なのかと思っている訳です。娘婿が話していたことを思い出し、その理由を自分なりに納得したと言う事です。

>Simple is bestを目指しているのなら、新聞記事みたいに書いてはいかがでしょう。有名な作家は元記者が多い気がします。

暫く前、この坂東の風の、千方が成人してからの話を先に掲載したのですが、その際、描写が出来ていない。登場人物が単なる記号でしかないと評されたので、今回、描写を意識して書きました。どのくらいできているか。その辺を見て頂きたいと思って掲載したものです。

青木 航
sp49-97-21-157.msc.spmode.ne.jp

佐藤様有難う御座います。歴史小説を書かれる方なので、その辺は他の方々のご意見とは少し別の意味でコメント読ませて頂きました。
大筋としては他の方々の仰ってることと余り変わりは無いなと思いますが、より具体的なご指摘、手法のアドバイスとなっているので有り難く読ませて頂きました。

>全くシンプルであるとは映りませんでした。

hir様にもお答えした事ですが、シンプルな文章と言う意味です。ご指摘はストーリー、場面設定が分かりにくいなどを指しているのかと思います。

>「どれだけ情報を少なくできるか?」があります。語るべき本筋を示し、そこに必要な要素を可能な限り削ぎ落とす。これをやらないと、ただでさえ読まれない歴史小説に見向きしてくれる方は更に絞られてしまいます。

成程と思います。私は伝えたいものを全て突っ込んでいるんですね。
文学作品を書きたいと言うよりも、やはり、歴史を書きたいんです。例えて言うなら、大河ドラマや大河小説のようなものですかね。

司馬遼太郎や観音寺潮五郎などの大作家が書くようなものを、才能も技術的な裏付けも無い私が書こうとしている訳ですから、そもそも無謀な訳です。
ただ、時代を描きたいと言う想いは強い訳です。戦国時代が舞台なら、信長、秀吉、家康、光秀、家康などが次々登場して来ても、大抵の方が混乱することはないでしょう。
でも、平安時代だと殆どの方が知らない登場人物ばかりだし、それに創作上の人物が加わったら、確かに読むのが面倒臭くなるのでしょうね。仰る通りです。
大河小説でも、入りは少数の登場人物に絞って丁寧に描いている筈と言われると思います。確かに、私が、その辺を根本的に勘違いしているのかも知れません。

>まず語るべき本筋と、それを過不足なく読者に提供できるための情報の精査をなさったほうがいいと思います。

仰ること肝に命じます。

>「分かりづらいもの」をそのまま提示するのであれば、はじめから歴史概説書を読んだほうが早いですし。

歴史の講義をしたい訳では無く、当然、自分なりの歴史の見方とオリジナルな物語を挿入したい訳です。草野球のヘボピッチャーがメジャーで投げたいと言っているようなものですから、他の方々に裏で笑われたり馬鹿にされたりするのは仕方の無いことなのでしょう。

>「完結した、一つの作品」の良し悪しを論ずるためのサイト形式になっており、いわゆる連載ものについては、わざと追いづらくさせている。

それに付いては前回すったもんだの末に分かったのですが、今回は文章表現のみを評して欲しいと言う気持ちで掲載したのですが、やはり長編の一部なのでそう言う訳には行かなかったようです。

茅場義彦
133.106.49.176

よく調べたなって思った

古文書でもよむんすか!?

しらないことだらけでおもしろいです

青木 航
sp49-96-237-136.msc.spmode.ne.jp

茅場様、有難うございます。
>しらないことだらけでおもしろいです

ご謙遜で、歴史好きの茅場さんのこと、ちゃんとご存知かとおもいます。

これから先は御作のコメント欄にお邪魔します。

たまゆら
p1817002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読ませて頂きました。
 
じつは下手ですが私も時代小説を書きます。そのうえで感想を書かせてもらいますが、本作は途中からの掲載ということもあって、やはり皆さんと同じで冒頭で挫折しました。これが分割掲載の難しいところだと思います。
まずは前作の粗筋めいたものを載せて、それから本編を掲載したほうが読み手に優しかったかもしれませんね。
 
冒頭で挫折した理由を少しだけ。
>腰の低い男なので、小柄な男かと思っていたが、~
・物腰で体形は推し量れません。
 
>蝦夷(えみし)と呼ばれていた人々は、この頃から、エゾと呼ばれるようになっていた。
・必要でしょうか。物語をとめている説明でしかありませんよ。「エゾか?」で、読み手を惹きつけたのにもったいない説明だと思います。
 
>何故か感慨深げな朝鳥の言葉を郷長は無表情で聞いていた。
・朝鳥が視点主人公であれば狂いかもしれませんね。そもそも本文のどこを指して感慨深げなのかわかりませんでした。
 
それと肝心の感想ですが、青木さんは誰に寄り添って読ませようとしていますか。それがはっきりしないので、皆さん途中でさじを投げてしまうと思うんです。
歴史小説は、その時代に生きた人物を描く物語です。人物を蔑ろにして歴史を知らしめるものではありません。
冒頭しか読んでいないので違うとは思いますが、本作の冒頭では誰に寄り添って読み進めていけばいいのか迷子になりました。そうなってしまうと先を読めなくなります。
 
それとこの時代をかなり研究されたのがわかるのですが、至る所に近代語が散見されます。
・殿 ・です ・不審 ・詮索 ・感慨深げ ・述懐 ・違和感 ・危険視 ・思惑 
・反対闘争 ・実行 ・指揮官 ・実効性 ・解決 ・危険性 ・作戦 ・一時的 
 
冒頭だけで、これだけありました。私も曖昧なのですべてが違うとは言い切れませんが、考証辞典などですり合わせたほうがいいと思います。
なお~~的や~~感、~~性など、末尾にこういった語句が付くのはすべて明治以降の造語です。

青木 航
sp1-75-157-233.msc.spmode.ne.jp

 たまゆら様有難う御座います。
 用言葉遣いについてですが、平安時代の言葉を使って書こうとは思っていません。時代小説らしい雰囲気を作るための言葉遣いで、むしろ、江戸時代の言葉遣いに近いと思います。
 勿論、私は平安時代の言葉遣いに詳しくはありません。しかし、もし詳しいと仮定してそれに拘って書いたら、読み難いことこの上ないし、古語に精通した人でもなければ読めないんじゃないんですかね。

 しかし、例えば'殿'と言う言葉は使っていないと仰いますが、長官(こうのとの)、掾殿(じょうのとの)とか言う使い方はされていたと思います。
『「殿」という表現は平安時代には最初、摂政や関白を指していたが、拡大して貴人一般を指す敬称になった。』とのこと。
後は確かに現代語と思います。
 重ねて申しますが、古語で書くつもりはありません。

 >物腰で体形は推し量れません

 身体を曲げて対応していたが、すっくと伸ばしたら意外と大きかったということは有り得ると思うんですが、良く無いと自分でも思ったので、ここの表現は手持ち原稿では削除しました。

>必要でしょうか。物語をとめている説明でしかありませんよ。「エゾか?」で、読み手を惹きつけたのにもったいない説明だと思います。

 前のところでご指摘のように、当時の表現に終始して説明も付けなかったら余計分かりにくいのではないかと思うのですが。

 何れにしろ、ストーリーは、前回掲載分から読まないと分からないのが当然と思います。今回は、描写がどうかと言うだけのつもりで提示してみた訳です。有難う御座いました。
 何れにしろ、中途半端で至らぬ事が多くお手間を掛けたことお詫びします。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内