作家でごはん!鍛練場
ラピス

月の兎

 あなたが普通の人間じゃないと、わかっていたわ。
 アリゾナ砂漠に現れたサーカス一座。どんちゃん騒ぎの連中のなかで、ひとり静かに微笑んでいたあなた。
 この世のものとは思えない美しい瞳の男だった。ケープゴットの空のように明るくて、青に近い灰色。その瞳は、心がうぶな少女だったわたしを映してた。
 あなたに抱かれてるあいだ、宇宙遊泳したわ。ずっとずっと前から感じてた宇宙の海に解放された。わたしがわたしとなった原光景を観たの。
 気がつけば朝の光に照らされて、砂漠にひとりぼっち。あなたは消えていた。サーカスの痕跡もなかった。
 いつも風景を描写するわたしのカメラは、あなたの姿を切り取れなかった。仕事じゃないから、いいんだけど。
 わたしの話を、母さんも父さんも否定したのよ。生まれてきたあなたの子ですら、「薬中の連中に騙された哀れな女」扱いしたわ。あなたと同じ瞳を持つのに。あなたが存在した証なのに、あなたの星の流儀を理解しないの。
 いつかあなたが再び現れる日をわたしは待って、待って、待ち続けたわ。あなたの星からよく見えるよう、マンハッタンの一番高いペントハウスに住んだ。借金してね。でも、あなたは訪ねてこない。興奮して泣き叫んでも、おんなじ。
 周りの皆が愚かな願いだと呆れてた。月に兎はいない。火星に知的生命体はいない。地球人は、ぼっち。あなたのことも幻だと諌める。だけど、わたしは信じてた。あなたは存在していると。
 否定しない人がたったひとり、いたわ。わたしに寄り添い、「いるさ」と頷いたの。
 その人と子供と暮らすと決めても、信じる放棄をしたわけじゃない。だって今、あなたは手を振った。飛び立つ飛行機の窓に向かって、展望台から手を振った。待ち続けたわたしだけに姿を見せた。
 あなたは、いた。あなたは、いた。わたしの見た幻影じゃない。絶対に。愛してやまない、わたしの男。なんにもしてくれない、熱だけを与えたわたしのーー。
「なぜ泣くの?」と、あなたの子が訊いたわ。わたしは首を横に振って「なんでもない」と答えた。あなたがわたしにしか見えないと気づいたからよ。
 さようなら、あなた。わたしの月の兎さん。

月の兎

執筆の狙い

作者 ラピス
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ある漫画をモチーフに弄ってみました。文章化するにあたって、どのような解釈もできるように、意味や精神面とか描写で変えてあります。言葉はわたしのものです。

コメント

たまゆら
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読ませて頂きました。
 
とても短いのに、長編映画を見ているような気にさせられました。
あなたが誰で、どこの世界の人なのか、それを読みとることができなくても、主人公の見ている哀愁に訳のわからない心地よさを感じました。
なぜでしょう。
たぶん自分の心の奥底にある郷愁が、主人公の心情と共鳴したのだと思います。
男と女には、人に言えない過去が誰にもあるのです。
 
サーカスを幼い頃に見に行った記憶をたぐれば、華やかなのに侘しく、楽しいのにもの哀しくなったことを思いだします。月もそう。満月になるとその色と大きさに見とれ、ほんとうに兎が餅をついていると信じ込んでいました。今では月を見ても何の感慨もありません。
 
月の兎って、主人公を愛してくれた永遠の温もりなんでしょうね。
それを忘れなくてはいけないつらさも共感できます。

でんでんむし
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ラピス様
読ませて頂きました。この前のは、私の趣味に合わず、半分ほどで挫折しましたが、こっちは短いのですっと読めました。
心情風景のような作品ですが、読んで心地よかったです。
ただラストで、月の兎さん、とあったところ、何々。おつきさんに焦がれていたの、と正直、ちょっと落胆。そしてタイトルが月の兎とようやく気づいて、自分を嗤いました。

たいていタイトルは見ないで、気にしないで読むので、もっとひろい宇宙のどこかにいる誰かに恋している感じで、壮大な話でいいな、と感心していたのです。だって、宇宙遊泳とかあるし。もっと遠くでもアメリカから見えるでしょうしね。
そこだけ、私の中では減点でした。他にはケープゴットになっている。タラ岬なら、コッドだと思います。
よかったです。それでは。

ラピス
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たまゆらさん、こんばんは。

この語りには二通りの解釈ができるよう、仕込みました。
一つは主人公の愛する男が宇宙人であったとする読み方。
もう一つは人間だったとする読み方。
どちらに転んでも二度と手に入らない、自分だけの記憶のなかに生きている男。月の兎のように幻と化した男です。
サーカスも月の兎も子供の頃に浸り、共鳴していた温かい想い出ですから、郷愁を覚えるのかも知れませんね。
わりと感傷的な話を読んで頂き、ありがとうございました。

ラピス
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でんでんむしさん、こんばんは。

マニアックな前作にも目を通そうと努力して頂き、恐縮です。
月の兎とは、信じる者にしか見えないとの意味をこめた比喩で、言葉通りの意味じゃありませんです。宇宙のどこかにいる誰かに恋している、で合ってます。
たまゆらさんにも書きましたが、そこいらの(でも主人公にとっては特別な)人間だとする解釈でもありです。
ケープゴットについては痛恨のミスでした。ケープコッドなのですね。恥。

ありがとうございました。

青井水脈
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読ませていただきました。

作中のあなたが宇宙人という読み方も面白いですね。人間としても、サーカス団や旅の一座みたいに定住する人ではなさそうで。

>今、あなたは手を振った。飛び立つ飛行機の窓に向かって、展望台から手を振った。待ち続けたわたしだけに姿を見せた。

それに、最後に一度だけ手を振って見せるというのがなんだか心憎いですね。

ラピス
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青井水脈さん、こんばんは。

もし人間だとしたら、手に入らなかった人ですね。誰しも振られた相手は忘れませんし。自分に冷たくなった男を記憶のなかで追いかける、なんて感じ。

今作、女の一人語りで感傷的だし、読者をあまり寄せつけないようです。
執筆の狙いに掌編だと書くべきでした。

感想返し、ありがとうございました。

日乃万里永
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拝読いたしました。

詩のようだと思いました。

御作の小説をもとに情景を思い浮かべれば、悲しく美しい景色が浮かびます。

これをもとに、音楽に合わせて映像が流れたら、どんな形になるでしょうか。

読ませていただきまして、ありがとうございました。

ラピス
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日乃万里永さん、感想返しをありがとうございます。
今作は楽しました。原作が素晴らしいので、つい。
万里永さんの作品は妙に引きつけられるので、次回作も多分、読むでしょう。応援しています。

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