作家でごはん!鍛練場
椎名

三度目の冬

 都立のこの高校に通い始めてから二年が経とうとしていた。今は冬で、もうすぐ春休みだった。教室の窓の外の景色を眺めていると懐かしい気持ちになる。その時、高校に入学した頃を思い出していた。
 この高校に入学してからというもの、僕は日々を読書に充てていた。自分からは積極的に人と関わろうとはしなかった。しかし、僕に話しかけてくる人はいて、僕は彼らと一緒に過ごすこともあった。
 ホームルームが終わり、僕は席を立って、教室の外に出た。窓の外を眺めると粉雪が降っていた。階段を下りて下駄箱まで行く。自分の靴の上に紙が折りたたんで入っていた。
―屋上で待っています
 手紙にはそう書かれていた。無視することもできたが、好奇心の方が勝った。僕は下駄箱からまた階段を上っていった。
 屋上のドアは開いていた。屋上に出ると僕は粉雪を浴びた。辺りを見渡すと、屋上の隅に一人の女子生徒が立っていた。それは同じクラスの佐々木沙織だった。彼女はクラスの中で物静かだが、それなりに友達もいて、なにより美人だった。目が大きくて、顔は小さかった。
「来てくれたんだ」と沙織は言った。
「なんか話でもあるの?」
 僕らは時々会話をすることもあったので、お互いに顔見知りという感じだった。
「ねえ、あんたセックスしたことある?」
「セックス?」
 僕は頭の中でセックスという言葉について考えたが、性行為のことしか思い浮かばない。
「あるのか、ないのか、聞いてんの?」
 彼女は強い口調で僕にそう言った。その質問に答えるのは少し恥ずかしかった。
「ない」とぼそっと言った。
「そう」
 彼女は僕から目をそらし、屋上から、街の景色を見ていた。
「話ってそれ?」と僕は聞いた。
「私、あんたとやってもいいよ?」
 彼女は僕の目をじっと見つめて言った。
「え?」と僕は聞き返した。
「男なんだからはっきりしてよ。私とやるかって聞いてるの?」
 僕は返事に迷った。なぜ彼女は今僕とセックスをしようとしているのだろうか。粉雪は屋上に降り注ぎ、地面に落ちると消えていった。僕は改めて、彼女の姿を眺めた。色白で背は普通で細身で、魅力的だった。今、セックスをするのを断ったら、僕はこの先の人生で二度と彼女のような美人とはする機会はないかもしれない。
「うん」と僕はそう言って頷いた。
「そう」
 彼女は少し悲し気にそう言った後、僕にキスをした。彼女の唇が僕の唇に触れた時、僕は自分の胸が激しく鼓動しているのを感じた。確かにその瞬間、僕は彼女のことを好きになっていた。

 僕らは沙織が所属している文芸部の部室にいた。彼女はワイシャツのボタンを閉めているところだった。窓の外はまだ粉雪が降っている。野球部の掛け声と吹奏楽部の演奏が聞こえた。部室の中は本棚が両脇に置かれ、中央に八人が座れるテーブルがあった。先ほど僕は沙織とセックスをした。彼女は服を脱ぎ、床に仰向けに寝転がり、僕は彼女から渡されたコンドームをつけた。今は行為の後で、彼女はブレザーを着ているところだった。僕は生まれて初めてセックスをした。彼女の中に入り、射精するという体験はただ新鮮なものだった。僕は行為の後で、彼女が愛おしくなり、彼女の体を抱きしめたが、彼女はすぐに僕から身を離した。
「なぁ、よかったのか?」と僕は聞いた。
「今日のことは忘れて」
 彼女はそう言ってバッグを持った。彼女は汗をかいているようだった。部室は寒かったが、僕も汗をかいていた。
「ねえ、帰るの?」と僕は聞いた。
「用事は済んだでしょ」
 彼女はそう言って、部室から出ていった。僕はしばらく人のいない文芸部の部室の椅子に座っていた。彼女の裸体を思い出すたびに、激しい興奮を感じた。どうしてあんなに美しい彼女が僕とセックスを急にしたのだろうか。
 しばらく、文芸部の部室で休んだ後、僕は部室を後にした。外の廊下を歩いていると、生徒とすれ違った。まさか僕らがこの校舎で行為に及んだとは考えもしないだろう。僕の心はやけに感傷的な気持ちになっていた。
 下駄箱で靴を履き替えると、ふとこの高校に入学した頃のことを思い出した。最初の頃は友達もいなくて、こうやって一人で靴を履き替えていた。でも僕は来年この高校を卒業する。そうしたら、もう沙織と会うこともなくなるのだろうか。僕らはセックスをしたわけだが、付き合うとかそういうことは関係がない感じだった。彼女は僕との行為が終わると、すぐに部屋から出て行ってしまった。
 校舎から出ると、雪は強くなっていった。地面に落ちた雪は透明になり見えなくなる。沙織はもう家に帰ったのだろうか。僕と沙織は友人というほど親しいわけではなかった。グラウンドでは野球部が掛け声をあげながらランニングをしていた。高校の校門を抜けると、住宅地になっている。僕は頭の中で、沙織のことを考えながら駅に向かった。空を見上げると、灰色の雲に覆われている。その時感じたのは郷愁感だった。住宅街の中を歩きながら、自然と鼻歌を歌った。

 週末の土曜日に、僕は本屋にいた。この辺りでは一番大きな本屋で僕は参考書を探していた。塾にも予備校にも通っていない僕にとって、参考書とはすごく大事なものだ。書店の隅に大学受験のコーナーがあり、その中をいろいろと見ていた。書店のこの階にはいろいろな人がいる。この辺りではここは繁華街だったので、スーツを着た人もいれば、年を取った人もいたし、僕より若い人もいた。そんな人々が何かの本を求めてこの空間にいる。一通り、参考書は手に取ってみたが、どれを買うか迷った。月五千円のお小遣いで、何かを買うとすると、その月はどこかへ行けなくなる。もちろん貯金もいくらかはあったが、できるだけ、月に使うお金は五千円以内にしたい。僕が気になっているのは予備校の講師が書いた数学の参考書だった。全部で五巻あったが、一つ千五百円なので、全ては買うことはできない。他の参考書とも迷っていたが、結局僕はそれの一巻だけを買うことにした。毎月一巻ずつ買えば五か月で全部そろうことになる。
 書店を出た後、街を歩いていた。もうじき日が暮れようとしている。ラーメン屋とか蕎麦屋とかファミレスとか、他にもいろいろな店が立ち並んでいる。人も多かったが、僕はふとこの辺りを散歩してみようと思った。普段はここまで来ることがないので、少し気になったのだ。僕は駅前の繁華街を歩いていたが、気が付くと、裏通りに入っていた。そこにはいかがわしい店やラブホテルなどが並んでいた。僕は道を引き返そうとしたが、その時、前方に一人の若い女性を見つけた。僕の意識は彼女に引き寄せられていく。その面影に見覚えがあったのだ。彼女の隣を、スーツを着た中年男性が歩いていた。彼女は僕の存在に気が付かないまま歩いていく。それはまぎれもなく佐々木沙織だった。服装や化粧をしていて、普段とは印象が違ったが、僕にははっきりと彼女だと認識することができた。
 彼女はなぜ中年男性と一緒にいるのだろう。彼女がいなくなった後、彼女が出てきた店の前を通った。そしてそこには看板が出ていて、それがラブホテルだとわかった。僕はその時、強いショックを受けた。ふと彼女とセックスをしたときの記憶がよみがえる。僕は佐々木沙織のことが好きになっていた。そして彼女も僕のことが好きだと思っていたのだが、どうやらそれは違うのかもしれない。
 僕は駅に向かって駆け出した。空からは少し霧雨が降っていた。何もかも忘れようとしたけれど、僕の脳裏にさっきの彼女の姿ばかり浮かんできた。

 教室の席に座り、数学の授業を受けていた。先生はさっきから問題の解答を黒板に書き込んでいる。前の方の席に座る佐々木沙織はそれをノートに書き込んでいるようだった。土曜日に街で会ったのは別人なのではないかと思うほど、彼女に特に変化は見られなかった。
 胸の中で何か締め付けられるような感覚がしていた。授業を聞きながら、僕の脳裏に彼女の裸体が浮かんでくる。彼女と抱き合った時の肌の温かさもよみがえってくる。きっと彼女なりに事情があるのかもしれない。僕は何も言わない方がいいのだろうか。
 数学の授業が終わるまで、僕はそのことを彼女に言おうか考え続けた。でも僕は気づいた時には、席を立ち、彼女の方へと歩いて行った。
「何?」
 彼女は机に座ったまま、僕にそう言った。
「放課後、屋上に来てよ」と僕は言った。
「別にいいけど」
 彼女はいつもよりも冷たく感じた。僕はそれ以上話すことがなかったので、そのまま自分の席に戻った。
 ホームルームが終わると、すぐに教室を出て、屋上へと続く階段を上っていった。果たして彼女に話すことは正しいことなのか今でも考えていた。屋上の扉は開いていた。僕は屋上に出て、街の景色を眺めた。風が吹くと体が震えるほど寒かった。屋上から見る街の景色は、住宅が連なっていて、遠くに山が見えた。
「何か話でもあるの?」
 振り返ると、そこに佐々木沙織が立っていた。
「あのさ、僕と付き合ってほしいんだ」と僕は言った。
 僕はそう言ってから、自分が何を言っているのかと思った。僕は土曜日のことを話そうとしていたのに。
「急に告白なんてどうしたのよ?」
 彼女は僕の方まで歩いてきて、手すりにもたれかかった。その目は澄んでいて、彼女はずっと遠くを見ているようだった。
「実は土曜日の夜に君を見たんだ」と僕は言った。
「そっか」
 そう言った彼女はどこか寂し気だった。
「でも、僕は君のことを批判するつもりはないんだ。僕は君とここでキスをしたときから、君のことが好きになったから」
 彼女は背伸びをして、深呼吸をしていた。
「それで、私と付き合いたいの?」
「いろいろと事情はあると思うんだけどさ。僕は君のことが好きだし、少しでもいいから、君の力になりたいとも思ってる」
 僕はそう言って、彼女のことをじっと見つめた。彼女はどこか微笑んでいるように見えた。その時、僕は彼女がとてもミステリアスな女性に感じていた。
「ねえ、映画でも観に行く?」
 彼女はそう言って、僕の目をじっと見つめた。

 僕らは、土曜日に彼女と会った繁華街のある駅に来ていた。駅前には洋服店やドラッグストア、レストランなど、様々な店が並んでいた。僕はなんとなく気まずくて、沙織には話しかけなかった。沙織と並んで信号の前に立っていると、なんだか奇妙な気持ちだった。沙織は前を向いたまま、ずっと黙っている。何かを考えているようにも見えた。
 映画館に着くと、沙織はやっと口を開いた。
「何か観たいものある?」
「砂漠の麦わら帽子ってやつは?」
 僕はたまたま視界に入った映画を口にした。
「いい感じじゃない。それにしましょう」
 チケット売り場で券を二枚買い、映画館の中の椅子に座った。
「フランスの映画なんだって。大きな賞も取ったみたいね。圭介君はこういう芸術的な映画が好きなの?」
 沙織はなんでもないように僕にそう言った。あまり感情を表に出さないタイプなのかもしれない。
「なんとなくポスターがよさそうだったからそれにしたんだ。でも映画は時々見るよ。派手なアクションよりは落ち着いた映画の方が好きかな」
 僕はそう言って館内を眺めていた。僕らと同じ制服を着た高校生の姿もあった。もしかしたら僕らは男女でいるので、付き合っていると思われているかもしれない。僕ははっきりとした答えをまだ言ってもらっていない。
「そろそろ始まるみたいよ」
 僕らは席を立って、劇場の中へと入っていった。久しぶりに映画館に来た気がした。劇場内は暗くて、目を凝らしながら、チケットの席の位置を確かめた。
 砂漠と麦わら帽子という映画が始まった。農村の男女が最初に映される。二人は若く、小さい頃から一緒にいたようで、仲がよかった。しかし、男性は戦争が始まると、兵隊に取られてしまう。女性は農業をしながら、男性の帰りを待ち、手紙を書き続ける。しかし、ある時、男性が戦死したことを知る。彼女は悲しみに明け暮れる。その時、彼女の脳裏には砂漠の映像が浮かび、そこに麦わら帽子を被った彼を目にする。彼女は戦争が終わると、麦わら帽子を探す旅に出る。
 映画が終わると、僕らは劇場を後にした。なかなか面白い映画だった。沙織の方も満足しているように見えた。
 映画館を出ると、辺りは夕暮れになっていた。とても冷たい風が吹いている。沙織は僕の隣を歩きながら、鼻歌を歌っていた。僕はその時、沙織とセックスをした日に、自分が鼻歌を歌っていたことを思い出した。

 喫茶店の中に入って、僕らは温かいコーヒーを飲んでいた。店内はピアノ曲がかかっていて、大方の席には人が座っている。僕は周りにいる人を眺めながらコーヒーを飲んだ。パソコンで作業している人、勉強している人、話をしている人がいた。来年は受験だから、そろそろ本格的に勉強をしないといけないと思った。沙織はコーヒーを飲んで、時々溜息をついた。
「それで、私がなぜあんなことをしていたのか知りたいんでしょ?」
 ようやく彼女は話をし始めた。だけれど、果たしてそれは僕が立ち入っていいことなのだろうか。
「その前に僕と付き合ってくれるか聞きたい」と僕は言った。
「そうね」
 彼女はガラス窓の外を眺めながらそう言った。
「私はクラスの中では、あなたが一番好きだったの。いつも物静かで本なんか読んでいたりしてね。一緒にいて気楽な感じがしたから。私があなたとセックスしたのも、あなた以外にはそんなことできないわね。それで、あなたと付き合うかどうかでしょ。私はいろいろな人とセックスをしてしまったけど、それでもいいなら、いいわよ」
 彼女はそう言って、僕の目をじっと見つめた。僕は一瞬目をそらしたが、すぐに視線を戻した。
「じゃあ、今日から恋人同士だね」
 僕はなんだか嬉しかった。心臓が激しく鼓動していた。
「まさか、私ともう一回したいから、付き合うんじゃないわよね?」
 彼女はそう言って、少し笑った。
「違うよ。本当に君のことが好きなんだ」
「ならいいわ。よろしくね」
 僕らは店員にコーヒーのお替りをした。僕はなんだか少し浮かれていた。自分は内向的で女子に持てるタイプではないと思ってたので、彼女とはなんだが不釣り合いのような気もした。
「あまり深入りはしない方がいいと思うんだけど、まだ、そういうことは続けるの?」と僕は聞いた。
「正直、あんまり続ける気はなかったの。ちょっと今、家庭が大変なのよ。でもこんなことばっかりしてたら、いつかばれて退学になるかもしれないし。大学に入るころには奨学金も借りれるし、アルバイトだってできるからそうしたいんだけどね」
 彼女の目はどこか遠くを見ているようだった。僕はもう少し早く彼女の力になれたのではないかと思った。
「そろそろ受験勉強始めないとね」と僕は言った。
「私は家の事情もあって国公立しか通えないから、頑張らないとね。でも今日はよかった。本当は、私は誰か悩みを相談できる人を探していたのかもしれない。ちょっと私の方でもいろいろ考えてみるわ」
 僕らはレジで会計をしたが、お金は彼女が出してくれた。店の外に出ると、夕暮れの街は薄い水色に包まれていた。

 文芸部の部室で僕らは受験勉強をしていた。放課後の午後、外は穏やかな日差しに包まれ、部活動の声がしていた。沙織は僕の向かいの席に座って、問題を解いていた。僕もひたすら問題を解いていたが、そんな風に集中していると、今日学校で何があったとか、友達と何を話したかとか、そんなことを忘れて、ただ無心になっていることに気づく。部屋の中に、シャープペンシルの音だけが響いている。ふと顔をあげると、沙織も問題を解くのをやめて、僕のことを見た。
「志望校はもう決めたの?」
 沙織は僕にそう聞いた。
「東京の大学を受験するつもりなんだ。国公立は厳しいから、私立大学を受ける。文系だから受験科目も少ないしね」
「そっか。私はまだ決めてないんだ。このまま順当にいけば地元の国立を受けることになるんだろうけどね」
「あのさ、もしよかったら、一緒に東京に行かないか?」と僕は言った。
「圭介君と東京に?」
「一応僕らは付き合っているわけだし、東京の郊外に住めば、二人で住める広さのアパートでもいい気がするんだ」
 僕はそう言ったが、沙織は何かを考えているようだった。沙織はいつも冷静で、話をするときは考えてから発言している感じがする。彼女はこの前、髪を切ったのでショートヘアだったが、似合っていると思った。
「私たち、大学を卒業するまで別れないかな?」
「大丈夫だと思う」
 僕は沙織と別れるなんて考えてもいなかった。もし二人で暮らせれば、それ以上のことはないような気がした。
「何か根拠はあるの?」
 沙織は僕の目をじっと見つめてそう言った。
「根拠はないよ。ただ僕は君のことが好きだし、大切に思っているんだ」
 僕らは部室でそんな話をした。沙織はいろいろなパターンを考えているようだった。きっと慎重な性格なのだろう。
「私も本当は東京に行ってみたいんだよね。ちょっと考えてみる」
 最後に沙織はそう言って、僕らはまた受験勉強に戻った。僕は勉強をしながら、二人で一緒に同棲をすることを想像していた。根拠はないけれど、僕らなら上手くやっていけるような気がした。沙織は問題集を解いている。真面目な性格なのだろう。だから僕よりも成績はよかった。窓の外は夕暮れになっていた。オレンジ色の日差しが外を照らしている。

 卒業式の日、僕らは教室にいた。体育館での卒業式が終わり、教室で最後のホームルームが行われた。先生は涙を流しながら、話をしていた。窓際の席に沙織が座っている。彼女は東京の公立大学に合格していた。僕は彼女の大学からさほど距離がない中堅の私立大学に合格していた。
 僕は後ろの方の席に座りながら、先生の話を聞いていた。ホームルームが終わると田中が僕に話しかけてきた。田中は時々話をする友達で、高校に入学した時からの知り合いだった。
「今日で卒業だな」と田中は言った。
「お前は地元の国立に進むんだろ?」と僕は言った。
「そうだよ。お前は東京に行くんだよな」
 田中はそう言って、辺りを眺めていた。僕もこの教室にいるクラスメイトを眺めた。皆それぞれの人生がある。僕らは何かの縁でこうして長い間一緒に過ごしてきた。
「またいつかお前とは会いたいよ」と僕は言った。
「そういえばお前と佐々木って付き合っているのか?」
「まぁ一応」
「なんか意外だな。お前と佐々木はあまり接点があるようには見えなかったからさ」
 確かに僕らは屋上での一件までは、時々話をするくらいだった。僕はなんとなくこの教室にいるクラスメイトとは距離を取っていた気がする。僕自身、高校に入学してから、多くの時間を、本を読むことに費やしてきた。もちろん友達と一緒に放課後に遊んだりするのは楽しいことだと思うのだけれど。
「去年の冬に付き合い始めたんだよ」
 どうせ今日で卒業するので、田中にはある程度話をしてもいい気がした。でも沙織が援助交際していたことは黙っておこうと思った。沙織だって別にそんなことがしたくて、そうしていたわけではない。彼女には家庭の事情があり、そうするしかなかったのだ。そしてそのことが、僕らが付き合い始めるきっかけになった。
「お前とはもう少しいろいろ話をしたかったよ」
 田中はそう言った。
「またどこかで会おうよ」
「そうだな。その時までお前と佐々木が付き合っていることを願ってる」
 田中はそう言ってバッグを持った。僕はちらっと沙織の方を見たが、彼女は女子生徒二人と一緒に話をしていた。沙織の目には涙がにじんでいた。おそらくクラスの誰もが彼女が援助交際をしていたことは知らないだろう。割とこの高校は進学校だったので、まさかそんなことをする人がいるとは思いもしないかもしれない。
「帰るのか?」と僕は田中に聞いた。
「またいつかどこかで会えるといいな」
 田中はそう言って教室を後にした。僕は机の席に座り、教室に残した持ち物をバッグに閉まった。

 高校を卒業してから二年が経った。東京の郊外に借りたアパートに僕は住んでいた。キッチンには佐々木沙織が立っていて、コーヒーを淹れている。窓の外は雪が降っている。今日はクリスマスだった。僕らは大学生になり、お互い二十歳になった。昼間は別々の大学に通い、アルバイトをしながら、こうして一緒に生活していた。
 沙織はコーヒーのカップをテーブルに置いた。
「今日はクリスマスだね」と僕は言った。
「なんだかあっという間だな。ついこないだまで高校生だった気がするのに。もう二年も経ったんだね」
「僕らが出会ってからだと三年経ったよ」
 時刻は午後になり、今日は講義もアルバイトもなかったので、朝起きてからこうして二人で過ごしていた。
「クリスマスだから、フライドチキンでも買いに行く? 後はケーキとか」
 沙織はコーヒーを飲みながらそう言った。僕らは順調にここまで過ごしてきた。時々、僕らは夜にセックスをした。僕らは沙織の裸体を見るたびに激しい興奮を感じた。それは文芸部の部室でセックスをしたときから変わっていなかった。その後、沙織はいろいろな男性とセックスをしたようだったが、今となってはそれも過去のことになっていた。僕は沙織の柔らかい肉体を感じ、彼女のことを愛おしく思った。
「時々思うんだけどさ。なんか人生って不思議だよね。だってもし君が高校生の頃、あんなことをしなかったら、今は一緒にいなかったと思うんだ」
「そうね。私は今でも時々、あの頃のことを思い出すの。夜眠る前なんかにね。私はいろいろな人とセックスをしたけど、そんな時、圭介君のことを思い出していた。私にとっての初めてはやっぱり圭介君なのよ」
 僕らはコーヒーを飲みながら、ぽつぽつと話をした。窓の外は相変わらず雪が降っている。
「そろそろフライドチキンとケーキを買いに行こうか」と僕は言った。
「予約してなかったけど、売ってるかな?」
「たぶん大丈夫だよ。店はいくらだってあるしさ」
「そうだといいんだけどね」
 僕らはコートを羽織って、アパートの部屋から出た。雪が降る街の中を二人で歩いた。彼女は自然に僕の手を握った。
「寒いね」と沙織は言った。
「そうだね」
 僕らは駅前まで歩いて行った。街のいたるところに電飾がついていた。空を見上げると、空全体を雲が覆っていた。雪は際限なく空から降ってくる。風が吹くたびに冬の寒さを感じた。でもどこか懐かしい感じがした。

 夜、僕らはリビングのテーブルに座り、夕食を食べていた。クリスマスの夜だったので、いつもよりいろいろな料理がテーブルに並んでいた。ワインを一本開けて二人で飲んだ。部屋の中はやけに静かだった。時々車が通る音がするくらいだった。沙織はワインを飲みながら、フライドチキンを食べていた。なんだかいつもより幸せな感じがする。僕らはこうして今まで過ごしてきたけど、もしかしたら今が一番楽しいかもしれない。
「ねえ、圭介君?」
「何?」と僕は言った。
「あのさ、ケーキ食べようよ」
「そうだね」
 僕は冷蔵庫からケーキの入った箱を取り出した。僕らはケーキを少しずつ食べ始めた。夕食を食べ終えると、僕らはソファに座った。沙織は僕の肩にもたれかかる。
「私が初めて、圭介君とした時があったでしょ。今になったから言うけど、私、あの後、死のうと思ってたの」
「冗談?」と僕は聞いたが沙織は真剣だった。
「なんだかあの時、家族が壊れちゃった気がしてね。私の居場所がなかったの。高校に入ってから友達はいたんだけど、なんだか距離があってさ、深刻な話はできなかった。だから、私はあの時、死ぬ覚悟だったの」
「でも今はそんなことないだろ?」と僕は確かめるように聞いた。
「今は大丈夫。私なんだか圭介君に救われたような気がしたんだよね」
 沙織の呼吸する音が聞こえる。僕はそっと彼女の体を抱きしめた。出会った頃よりも彼女は大人になっているような気がした。僕らはそのまま、抱きしめ合い、何度もキスをした。ゆっくりとお互いの服を脱がせ合った。時々僕はこうしていると不思議に思うことがある。なぜ僕らはこうして一緒にいることになったのだろう。たまたま同じ高校に通い、同じクラスになった。もし人生のある段階で違うことをしていたら僕らは出会わなかったかもしれない。
 僕らはベッドの上で、下着を外した。毛布にくるまりながら、僕らは長い時間をかけてセックスをした。
 セックスが終わると、裸のまま、毛布の中で抱きしめ合った。彼女の体はとても温かかった。
「来年もこうして二人で過ごせるといいね」と彼女は言った。
「きっと大丈夫だよ」と僕は言った。
 僕らはその後もベッドの中でキスをした。時々彼女の髪を撫でた。僕はなんだかずっと探していたものをその時見つけたような気持ちになった。人生の中で生きてきて、辛いことや悲しいこともあった。でもそれらがなければいまこの瞬間は存在しないのだ。ふと窓の外を見ると、雪はまだ降っていた。

三度目の冬

執筆の狙い

作者 椎名
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めちゃくちゃでもいいから物語を書いてみようということで執筆しました。原稿用紙30枚分です。荒らしと思われるコメントは無視します。

コメント

夜の雨
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「三度目の冬」読みました。

正攻法ですね、純粋な男女の恋愛小説でした。
主人公の圭介は文科系の静かな少年という感じでヒロインである沙織が声をかけたのもうなずけます。
彼女も不安だったのでしょうね、精神面が、あまり活発な相手だと疲れると思います。
今回の御作は、キャラクターの設定で成功していると思います。
圭介視点で描かれていて、沙織からミステリアスな雰囲気が漂っていました。
沙織のアルバイトが裏で、家庭の事情からというあたりは一般的ですが、壊れかかった家庭という設定なので、彼女に罪はないなぁと思いました。
圭介が優しい男でよかった。
高校から大学へと話は展開しますが、そのあたりも違和感なく描かれていました。
クリスマスの晩餐もよかったのではないかと思います。
御作全体に、日常と非日常がぎりぎりのところで描かれているようで、危なっかしいところが良かったかも。
人生って日常と非日常の繰り返しかもしれないですね、圭介が沙織に声をかけられたのも非日常だったのでしょう。沙織の世界はずっと非日常だったようですが。
それが圭介との付き合いで日常になっていった。

なかなか良い作品でした。

椎名
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夜の雨さん

キャラクターの設定というところで自分でも弱い部分だと思っていたので、よかったです。日常と非日常はなかなか小説だと難しいですよね。屋上の場面など実際は入れない可能性が高いですが、どこまでフィクションとして許容できるかなど。援助交際にしても微妙なところでした。なかなか良い作品ということで、ありがとうございます。

偏差値45
KD106154138232.au-net.ne.jp

生々しい感じがないですね。表面的であり淡泊な感じですね。
リアリティーな感覚ではないかな。
例えて言えば、精子の温かさが伝わって来ない。
具体的に「家庭の事情」まで踏み込んでいないので、
恋愛小説としては物足りなさがありますね。
沙織の心理としては家庭の悩み→援助交際→自死を求める。
そんな中での主人公とのセックスは救いや癒しを求めたと推測されますね。
一方、主人公はセックス→恋心。
従って、両者はこの辺で物凄く温度差があるように思えるわけです。
そういう意味では文章上では恋愛ごっこのように感じます。

椎名
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偏差値45さん

淡白というのはその通りで、書いている時感情のぶつかり合いをあえて避けた感じにしました。ただ書いた後でも感情がぶつかり合うようにした方がよかったかなと思いました。

飼い猫ちゃりりん
dw49-106-187-197.m-zone.jp

椎名様
「めちゃくちゃでも良いから書いてみよう」というのは良く理解できます。その感覚は非常に大切だと飼い猫は思います。
 芸術とは生命であり、鮮度が大切です。だから思い浮かんだ情景を早急にスポイルする必要がある。そのスポイルには成功しているのではないですか。
 ただ椎名様自身、これで完成しているとは思っていないのではないですか?
 ただ飼い猫を含め多くの方々が失敗する。推敲を重ねれば重ねるほど悪くなる。
 なぜか?
 作品が生命からドグマに変わってしまうからです。
 おっと脱線すみません。
 この作品を自分の子供だと思って育てて欲しいと思います。
 では、失礼します。

椎名
KD182251041015.au-net.ne.jp

飼い猫ちゃりりんさん

確かに鮮度はありますよね。推敲を重ねることで、悪くなることは結構ある気がします。これはほとんど推敲していないのですが、これをどうしていくかはなかなか難しいところです。改めて手を加えるのもありかもしれません。

夜の雨
ai214197.d.west.v6connect.net

しかし、その幸せも長続きはしなかった。

ということで、御作「三度目の冬」の二部の始まりです。

沙織は圭介と幸せになるはずだった。
ところが、圭介が交通事故に遭う、それもひき逃げ。
沙織は金の工面をしなければならなくなった。
圭介は実家に帰っていて両親ともどもひき逃げに遭い、両親は死亡した。
圭介は命はとりとめたもの、全治二か月の重傷で入院、そのあとも通院しなけらばならない。
体の傷もどこまで治ることやら。

金が要る。

ということで、沙織が手っ取り早く金を稼ぐには再び援助交際しなけらばならないのか……、と考えていた時に、テレビの番組で以前ホテルに何度か行った男を見た。
彼は、政治家でも芸能人でもまた大学教授でもよいのですが、沙織は彼から金を借りることはできないものかと考える。
当時の連絡先はすでになかったが、テレビに出るほどの有名人なので調べればわかる。
それで沙織は男に連絡することにした。
そこから沙織はとんでもない人間ドラマ(事件ほか、もろもろ)に巻き込まれる。

ということで、ミステリーが始まります。
まあ、ミステリーとかの事件でなくてヒューマンドラマでもよいのですが。

御作「三度目の冬」から、発想次第で、いくらでも話を広げることは可能だと思います。
元ネタの御作が良いので、続きは十分に書けます。

以上です。

椎名
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夜の雨さん

ミステリーにするのはありですね。確かにいくらでも続きが書ける気がします。続きを書いてみるのもありかなと思いました。

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