作家でごはん!鍛練場

揺れる

 互いに何か言いたいことはあるのだが諸々の事情、立場なんかのせいでそれをストレートに口に出すのは憚られる、そういうことは仕事なんかをしているとよくあることだと思うのだが今まさにそれで、眼前には本部長、翡翠の眼鏡を手でこねこねして、と部長、何に使うわけでもないのにタブレットを二つも持って、が並び、テーブルを挟んで俺と向かい合い押し黙っていた。うだる。密を避けるために開け放した窓、蝉時雨。これは弊社事務所の入るビル前に横たわる大通り沿いの街路樹にとまっている蝉達の泣き声で、止むことを忘れた夕立ちのように満遍なく街に降り注ぎ、こんな薄汚れた会議室にも生真面目に夏を届けてくれる。暑さは煙のようで、隙間から入ってきたそれに満たされる部屋、空間。窓を開けていたらクーラーなんて効きやしない。二人の向こう、壁にかかる日めくりカレンダー。明朝体で記された今日の日付を見て、言っている間にもうすぐ夏季休暇なんだなぁ、なんて呑気なことを思ったのだが、こんな暑苦しいところに男三人集まっているのにはちゃんと理由があって、やがて本部長が本題を口にする。「とりあえず売上数字が落ちている理由を説明してくれない?」最近話題のハラスメント的な何かを恐れて優しい言い回しをしているが、本当は「何売上数字落としてくれちゃってんだよ」と怒鳴りたい気持ちを抑えていることくらい俺にだって分かる。最近のトレンドはとにかく弱者を守る。そうなるとどうなるかというと、それに肖ろうとする弱者に扮した強者、狼のようないやらしい奴らが増えるのであるが、そこの選別が難しくなるのであるが、今の俺は立場上純粋な弱者で、とりあえずは世論だったり流行だったりといういろいろなものが守ってくれるのだが、だからと言ってそれを振りかざし「落としちゃったものは仕方ないでしょう」と胸を張って言えるほど俺は図太くもなければ若くもない。売上数字。何故こんなに上がらないのか、というよりむしろ落ちてしまうのか。俺が働くのは中堅どころの印刷会社で、このご時世、印刷物なんて売れない。時流に乗りウェブ関係なんかに手を広げる企業体力はないのだが、地域の同族二、三人でやっているような小さな企業というわけでもなく、社員もそれなりには抱えており、簡単に諦めて畳むわけにもいかず、じゃあどうしたらいいんだよ、と疑問を抱きながらも馬鹿の一つ覚えのように変わらず印刷物を売るしかないような、そんな可哀想な会社だった。俺はそんな可哀想な会社のフロントマン、つまりは営業。その課長代理であった。そうして真夏の事務所、我々は互いの出方を伺うように推し黙っていたのだが、あちらから口火を切られたのであればこちらも何か返事をしなければならなくて、そうなると俺が今ここで返せる言葉は「すみません」と謝罪しかない。「いやいや、別に謝ってほしいわけじゃないんだ。理由を聞いてるんだよ。理由を。それが大事だからね」と、本部長。「はい」「理由をね、分析して次に繋げないと。そうやって良くしていかないと」「それは、まぁ、そうですね」しかし、こうして売り上げ数字を落としてしまった明確な理由なんてものが無いからとにかく謝っているのであって、無いものを出すのは難しくて、ゼロから有を作るというか、それはある意味超地球現象なわけで、理由、時代の流れですよ、だなんて言えたらそれで楽なのだが、それを言ったらお終い感があるし、では何かというと、強いて言うのであれば俺、もしくは俺のグループに属するメンバー達の努力が足りなかったということが理由なのかなと思い、これを口にする。すると本部長は期待していた回答ではなかったのか溜息をつき、代わりに隣に座る部長がタブレットの画面をこちらに向けてきて、何かと見ると、おそらく部長自らまとめたのであろう我がグループの売上数字の降下を分かりやすく示した折れ線グラフで、わざわざ労力をかけてこんなものを作らなくても自分のグループのことくらい自分で分かっている、と、思うも弱者である、羊である、俺は何も言い返せないが、シャープな下降を示す折れ線は嫌味にしか思えなくて、シンプルに嫌な気持ちになった。無数の見えない蜂達が俺の頭の中をブンブンと飛ぶ。喉が乾く。グラフは二年前から始まっていた。二年前、思えばこの頃は良かった。俺の会社生活のピークだった。大きな案件を当て、営業部のエースだなんてチヤホヤされ、偉い人達からも随分美味い酒を飲ませてもらった。浮ついたのも事実で、やはり営業としては大きな仕事を取ってくるのが冥利というわけで、景気良し、それで課長代理にも昇格できたし、それはそれで良かった。しかし営業という職種は何かを成し遂げ続けないと真の評価を得られない職種であり、大きな仕事を当てたからと言ってそれで一生安泰だというわけでもなく、当然、じゃあまた新しい仕事取らないとね、という話になり、それはつまり次から次へと花火を打ち上げ続けなければならないということで、打ち上がって夜空に消えた花火のことなんて少し時が経てば皆綺麗に忘れてしまい、もう次の花火を心待ちにしている。誰が去年の花火大会の花火のことを覚えているというのだ。まぁ、そう考えると営業なんてものは最終的には結局、今、今今今その場が良いか悪いかだけ、という言い方もできる。そして真の評価はそれの連続性なのだ。「で、どうするつもりなの?」と本部長はハラスメントの仮面を外した本当の目で俺に問う。「それで良いのではないでしょうか」と言いそうになった。言わなかった。誰しもやはり自然というのが一番いい。怒りたいのであれば怒ればいいし、詰めたいのなら好きなだけ詰めればいい。着飾ったような言い方はその正体が見えた時点で非常に不自然で、不気味で、気持ちが悪い。悪魔だ。まぁ、しかし俺、一言も言葉が出ない。返す言葉がない。蝉時雨。相変わらずの。季節は、圧倒的に夏である。「考えます」何をどう考えても状況が好転するとは思えないが、最終的にはそう言った。言うしかなかった。


 それぞれ思いついた時に適当に料理を作り、もしくは買い、その時々に冷蔵庫にあるものを各自勝手に食事とするのがいつしか俺と妻の間で暗黙のルールとなっていた。味に対してもルールに対しても取り立てて文句は無いし、不便さも感じなかった。今夜も今夜で冷蔵庫を開けると、鮭の塩焼き、それとベーコンとコーンのポテトサラダ、真紅のチャンジャ、スーパーの惣菜らしき鶏の唐揚げ数個が目についた。あぁ、良いじゃないですか、とそれらを食卓に運ぶと、「その鮭は四日前のやつだよ」とテレビから視線を外さないまま妻が言う。洗濯の繰り返しで印刷の薄れたTシャツと青色、白色ライン三本のショーパンで完全な部屋着、夏らしいショートカット、髪を切ったのは二週間ほど前だが未だにそのことには触れていない、顔はスッピン。夕飯はもう済ましたようだった。うちはいわゆる共働き家庭で、妻はシステムエンジニアなのだが、システムエンジニアという職業は、俺は、徹夜残業だとか、休日出勤だとか、割とブラックな印象を持っていたのだが、妻の勤める会社は違うのか、それとも一口にシステムエンジニアと言ってもいろいろな種類があるのか詳しくはよく知らないが、帰りはいつも俺より早く、俺が帰宅する頃には夜のあれこれはだいたい終わらせた状態でテレビを見てソファに身を沈めている。「あ、そう?」「もう悪くなってるかもだから止めておいたら」「あぁ」と声帯の奥の奥で呟いて、試しに鮭の端っこの方を指で千切り食べてみる。ちゃんと鮭の味がした。「いけそうだけど」どうしても鮭が食べたかったわけでもないのだが言ってみる。妻はこちらを向き、俺と自分の間の空間を見つめているような目で頷いた。実にどうでもよさそうだった。別に俺としても多少腹が壊れようとも死なない程度ならばどうだっていいとは思っている。思ってはいるが、やはり本心では少しは心配をして「止めときなって言ってるでしょ」と四日前の鮭の塩焼きなんてものを食べることを止めてほしくもある。夫婦生活において、そのような思いやりは幻想か? しかし昔は違った。昔は妻も俺の腹のこと、つか俺のことを多少は心配したし、そもそも四日前の鮭なんて冷蔵庫には無かった。昔は毎日ちゃんとどちらかがその日の夕飯を作り、食卓で向かい合って二人で食べた。どこかで何かが変わった。その境目は明確に分かる。娘だ。娘が死んで、子供を諦めた時点で妻との関係はわけが分からなくなった。人生という大海原の中、お互い目的を見失ったのは確かで、それはそれで仕方がなかったとも思う。今でも思う。が、しかし人生というものはそんな諸々の事情など関係なく、残酷に、淡々と続いていく。いっそ止まれたのなら、あの、娘が死んだ朝に俺も妻も止まれたのなら、いくらかマシだったのだろうか。分からない。本当に全てが分からない。歩みを進める一寸先は闇過ぎて、結果、とりあえずここに今あるのが娘の死んだ現実というだけで、じゃあ娘が生きていたのなら幸せになれたのかというと、正直言ってもはやその自信もない。詰んでいるのか、俺は。どの手を選んでも自軍の王将を守る術は無いような、和服を着て畳の部屋、将棋盤の前で頭を抱える自分を思い浮かべ、やりきれなくなって缶ビールで全てを流す。数分で食事を済まし、ベランダに出て煙草に火をつける。飛び降りたら簡単に死ねそうな四階建てのマンション。最上階の部屋を借りている。特に古くもなく新しくもなく、特徴は何かと問われると特徴が無いことが特徴なのだと答えるだろう。埃っぽいベランダの端、枯れて、元気だった頃の姿をもはや思い出すことのできない可哀想な植物が鉢植えの中でカサカサの灰緑になってそれでも何とか立っていた。彼に水をやっていたであろうジョウロがその隣に錆びて転がっていて、こちらはもう死んでいるのが見た感じで分かる。あとサンダル、今年の災害級の猛暑にやられ、くたくたに縮こまって、こちらももう死んでいた。見下ろすと中途半端な交通量の大通り、明かりのついた民家達、帰りを急ぐ人々、生暖かい真夏の夜風、決して気持ちが良いとは言えない夜風。暗がりの石塀の上、はっきりと猫が見える。黒猫だった。向こうもこちらに気づいたようで、ジッと俺の方を見てやがる。生意気な三白眼。四階のベランダから見下ろしているのは俺なのに、何故だか、どうにも、無性に、見下されているような気持ちになった。悔しかった。負け惜しみで手を振って笑いかけてみる。俺のことを好きになってほしかった。猫は興味が無さそうに俺から視線を外し、やがて去って行った。そこに残るはただただ闇。


 倫理的にとか、一応世間体もあるし、自分でもいけないことだとは分かってはいるのだが、俺は仕事・家庭が上手くいっていない反動で出会い系アプリを用いて複数の女と出会い、その中の何人かとは身体の関係も持った。ここ半年くらいの話だ。あまり知名度のないマニアックなサービスを選んだのが良かったのか、向こうもそういうコト目的な女が大半で、関係にこぎつけること自体はそこまで難しくなかった。それで、ほとんど、つか、今まで会った女は全て一度きり、二度会うことはなかった。別に俺としてもリピートを望んでいたわけでもないし、おそらく向こうも同じような感じなのだろう。こんなものはオナニーだ。二人でやるオナニーだ。協力プレイだ。朝になったら顔も、スカートの色も、腕の細さも忘れている。名前なんてもっての他だ。長尾はちょっと違った。つか、そもそも長尾は出会い系で初めて会ったのではなく、元々知っている女だったのだ。俺は初め、気付かなかった。いつものようにアプリで待ち合わせ場所を決め、向こうが指定したイタリアンの店に俺は少し早めに着いてしまって、喉が乾いていたので水、底には薄く切られたカットレモンが二枚沈んでいたのだが、を飲んで、窓から外の繁華街を歩く人々、雑踏、賑わい、それらの持つ、けぶる夢、命、その他もろもろの入り組んだ恋愛だの友情だの怨恨だのといった感情のぶつかり合いを眺めていたのだけど、やがてそれにも飽きてビールくらい先に一杯もらおうかと思った矢先、女が一人、俺の向かいの席にスッと座った。突然だったので少し驚いて、「こんにちわ」と、時間的には完全に「こんばんは」の頃だったのだが、驚きの反動で変なところから声が出た。「先生?」と女は俺に問う。言葉の意味が上手く理解できなかった。「いや、違いますけど」「先生でしょ。私ですよ、私」「えっ、私って」と、もしかしたら顔を覚えていないことが失礼にあたるのではないかと少し焦りつつ、先生というワード、俺はしがない営業マンで先生などと大それた呼ばれ方をすることなど皆無なので人違いだろうと思ったのだが、一点引っかかったのがもうかなり前、大学時代の塾教師のアルバイトのこと。あれは二十歳頃だろうか、「塾のバイトは給料が良い」という語学か何かの授業が同じだった友人の言葉を鵜呑みにし、教える相手も別に有名国立大学を目指した受験生というわけではなく、学校の勉強の予習復習目的の小、中学生が中心だったので、まぁ、何とかいけるだろうと始めたのだが、これが意外と大変で、俺は自分の馬鹿さ加減を見誤っていて、流石に小学校レベルの内容は大丈夫だったが中学レベルになるとだんだん怪しくなってきて、忘れていることも多く、教科によってはこちらもあっぷあっぷになっていた。それに給料、通常のバイトは普通、時給いくら、みたいな物差しで測るのだけど、塾のバイトは「一コマ」いくらという給料体系で、確か一コマ千五百円だったと記憶しているのだけど、その千五百円という金額だけ見ると確かに当時の相場でいうとかなり高額なのだが、この一コマ、一授業という意味なのだが、というのが時間にすると一時間半で、時給換算で計算すると、そこまで飛び抜けて給料が良いわけでもないのだ。それに働き出してから分かったのだが、授業前の準備や授業後の業務報告の作成は実質無賃労働で、結局、大して儲からないわ、あっぷあっぷしたわで今となってはあまり良い思い出はない。最終的には同僚の女の子に中途半端に手を出してしまい、居心地が悪くなって辞めた。そういえばあの頃は一応先生だなんて呼ばれてたなぁ、と思うと一人の女の子の顔が頭に浮かんだ。「もしかして長尾?」「そうです、そうです」そう言って長尾はうんうん頷く。「全然分からなかったなぁ」と、それもそのはずで、当時の長尾はまだ小学校高学年で、俺の記憶の中ではまだ全然子供だった。「いくつになったの?」「今年で二十七になります」まぁ、そんなもんか。黒のロングヘア、笑うと口元から八重歯がのぞく。昔のままだと言えばそうとも思えるのだが、すっかり大人の女性だった。まぁ、しかし、いい加減なものだったとはいえ長尾は一応教え子で、確かに長尾から見たら俺は先生なわけで、そんな教え子と身体目的の出会い系サービスで再開するとは何とも気まずい。はは、なんて笑って誤魔化しつつ煙草に火をつける。見た感じ長尾の方は別に気まずいとは思ってはいないようで、にこにこ笑って運ばれてきたシャンディーガフを飲んでいた。やがてテーブルの上には青々と生命力に満ち溢れたシーザーサラダ、海老のアヒージョ、ピッツァは熱々で、持ち上げるとチーズがびろんと伸びた。「ねぇ、先生はやっぱり教師になったの?」と、具がこぼれないように気をつけてピッツァを齧りながら長尾が聞く。俺はビールを吹き出しそうになった。「まさか」「え、違うんだ。てっきり教師になったんだと思ってた」「なってない、なってない。あれはただのバイトだよ。今は普通に営業マンやってる」「なぁーんだ」と長尾は少し残念そうな顔をした。時が経っても長尾にとっては俺は先生のようで、そうなるとあまり馬鹿なことは言えない。発言には気をつけた方がいいなぁ、と思った。「営業の仕事って楽しい?」「いや、楽しくないよ。景気も悪いしさ」「先生が営業マンってなんかイメージと違う」「かなぁ」「結婚は?」「一応してる」「へぇ、子供は?」「いない」「そっかそっか。私は未だ独身よ」「仕事は? 何してんの?」「今は水泳教室の受付」今は、という言い方が多少引っかかりはしたが、そこは何も言わなかった。長尾はシャンディーガフを二杯飲み、さらにカシスオレンジを注文した。甘い酒ばかりだがアルコールはそれなりにいける口のようだった。そして長尾の話が始まる。「ねぇ、先生はさぁ、何が一番怖い?」「え、何?」俺は目を見開いて聞き返した。「だから、先生が一番怖いと思うものは何、って」「怖いものかぁ」急にそんなことを聞かれても困る。ほとんど全てのものは信頼ができなくて怖い気がするが、おそらくそういう回答を望んでいるのではなくて、突然聞かれても分からなくて、「なんだろなぁ」と回答をぼやかした。「私はさぁ、やっぱり地震が一番怖いと思うの」「地震?」「そう、地震。いつか地震が人間を滅ぼすのよ」「ウイルスじゃなくて?」「ウイルスは時間がかかりすぎるのよ。時間があれば人間は大抵の対策は打てるじゃない。例えばワクチンとか。でも地震は一瞬よ。人間に考える時間を与えない。絶対的な暴力よ」まぁ、そうか、と思い頷く。「南海トラフ地震のことは知ってる?」「名前くらいは。あとはとてつもなくでかい地震だということくらいかな」「南海トラフ地震が向こう三十年で起きる可能性って何パーセントか知ってる?」「いや、知らないけど」「80パーセントよ、80パーセント。東日本大震災よりも大きな地震がそんな確率で起きると言われてるのよ。どう思う?」「どう思うって、確率高いなぁとは思うけど」「高いっていうか、高すぎるでしょ。80パーセントなんてもうほぼ起きるって考えてもいいくらいじゃない」「まぁ、そう言われたら確かに」「でしょ、で、私が分からないのは、何故そんな状況にも関わらずみんな何事もないかのように平然と生きているのか、ということなのよ」長尾の言葉に力が入る。急に何のスイッチが入ったのだ、と思ったが、そういえば長尾には昔からこういうところがあった。「先生、ハワイが年々日本に近づいているということは、いずれハワイは日本になるの? それとも日本がハワイになるの? その場合国籍は?」とか「先生、イケメンが二枚目というなら一枚目は何? というかそもそもこれは何の枚数の話なの?」だとか、こちらは掛け算割り算を教えている最中だというのに突拍子もない疑問をぶつけてきて、俺も上手く答えられないから「どうだろうね」なんて誤魔化そうとするも、どうも納得がいくまでやめられない性格のようで、一度考え出すと授業中だろうが何だろうかブツブツと一人で考え込み、俺は非常に苦心した。「まぁー、でもさ、とはいえ皆それぞれ生活があるし」そう言って俺は二杯目の赤ワインに口をつけた。「でも地震が起きたらその生活そのものが全部ダメになっちゃうのよ。何万人も死ぬって言われてて、自分はその中の一人じゃないって絶対言い切れる?」「いや、まぁ」「そう考えると、何でみんな日本から飛び出してどっか地震の無い安全な場所に行かないのかなって思うの」「じゃ何で長尾は行かないのさ」と、言うと長尾は腕を組み頭上、斜め上を回るシーリングファンを訝しげに睨み、何かを考え出したようだった。昔と変わらない。昔もよくこんな顔をしていた。疑問には思っているが、まだ答えには辿り着けていないのだろう。数分黙った後、長尾は「でもやっぱり爆弾が仕掛けられてるって分かってる部屋にずっといるなんておかしいと思うのよね」とカシスオレンジを飲んで言った。「そういう考え方もある」「お金の問題?」「え?」「いや、違う。お金持ってる人だってほとんど逃げてないよ、多分。芸能人とかも普通に日本で仕事してるし」そう言って長尾は再びシーリングファンを睨む。考えが行き詰まり、俺の言葉なんてちゃんと聞いちゃいないのだ。仕方がないから俺もシーリングファンを睨む。何も悪くないのに睨まれるシーリングファン。室内。知らない誰かの冗談。それに対する知らない誰かの笑い声。頬の下であたたまるワインによる軽い酔い。鉄板で肉が焼かれる音、匂い、それは洒落た音で、洒落た匂いだった。カウンターに並ぶペリエ、俺はペリエなんて飲まない。そしてシーリングファン。シーリングファンというものは室内の空気を効率的に循環させ、空調の快適性をアップさせるためのものだということは何となく記憶していたが、果たしてどこまで効果があるのか、怪しいものだ。向かいで長尾は煙草に火をつけ前髪をくしゃっと握る。まだ悩んでいるようだった。


 自然と開いた瞼の隙間、から、さらに見るカーテンの隙間の向こうに真っ白い太陽、新品の絵具で塗ったかのようなブルーの空を背負って。聞こえるのは蝉の鳴き声、あと、微かに、野球中継が聞こえる。目を擦り畳から起き上がると、義理の祖父はソファーにどかっと身を預けて高校野球のテレビ中継を観ていた。ぼぉっとした頭で「勝ってます?」と聞いてみるも、それはどちらに対しての勝ってます? なのか、そもそも俺は試合をしているどちらの高校のことも知らない。名前を聞いたこともない。祖父にしても同じような感じだったのか、あまり興味なさそうに「まぁ、ねぇ」と回答にならない回答をした。記憶。あれはもう何年前だろう。福島だ。妻の祖父の家が福島、相馬にあって、そこに妻と二人で訪ねた。夏。ちょうど今くらいの季節だった。義理の祖父。祖母はもう何年も前に亡くなっていて、海の近くのこの地でずっと一人で暮らしていた。正確な年齢は忘れたが、もう八十を超えていたと思う。元気そうに見えるのだが、妻からすると、昔と比べるとかなり口数が減ったらしい。机の上に置きっぱなしていた飲みかけの缶ビールに手を伸ばす。意外なことにまだ冷たかった。ここに来てから、井戸水で冷やした缶ビールを勧められるがままにひたすら飲んでいた。シャツは汗でかすかに濡れていて、ふぅ、と一つ、息づく。部屋には俺と祖父だけで、いつの間にか妻がいない。一人で買い物にでも出たのだろうか。最寄りのスーパーまでは歩くと、祖父の家には車など無かった、それなりの距離である。声をかけてくれればよかったのに。見上げると、カーテンレールにぶら下がる風鈴、水色と青の波と真っ赤なタコの絵が描かれている、が風に揺れてちりんちりんと鳴る透明な音と高校野球の力強いブラスバンドと応援団の声援が何ともアンバランスで、これらが同じ陸続き日本の同じ夏だとは思えなくて、俺は、こうして缶ビールを飲んで汗をかくことで何となくその中間地点にいるような気になった。「西瓜」と祖父が呟く。「西瓜を井戸で冷やしているから良かったら食べなさい」「ありがとうございます」と礼を言ったもののビールを飲んでいるからか、あまり西瓜を食べたい気持ちではなかった。茄子とか、もしくは胡瓜だとか、そういうものの方が食べたかった。もちろんそんな贅沢は言わないが、口にはしないが、かと言って西瓜を取りに立つ気にもなれなくて、「しかし暑そうですね」と高校野球を指差して話を戻した。「みんな、良い顔しとる」と、祖父は少し笑い、そう言われてみると確かに皆、本当に良い顔をしていて、青春、血潮つうか、西宮は熱気を帯びていて、黒ずんだ白のユニフォーム、腰をかがめる二塁ベースの向こう側が揺れ、痛いくらいの青空、躍動するチアガールの女の子の首筋に玉の汗が浮かぶ。「俺にもこんな頃があった」祖父が言う。「野球をされていたんですか?」「ずっと昔な」と微笑む。それで俺が何かを言おうとした時、玄関のドアが開く音がした。やがて古い、じゃらじゃらとした数珠の暖簾から妻が顔を覗かせる。片手にスーパーの袋を持って、麦わら帽子、祖父のものだろうか、をかぶっていた。「ただいま」「買い物、言ってくれたら手伝ったのに」「だって、気持ち良さそうに寝てたから」俺は口に手を当てて欠伸をする。「お昼は冷や麦にするよ」と、妻が言うと何故か祖父は笑った。妻も笑う。二人が何故笑ったのか俺にはよく分からなかった。冷や麦という食べ物が二人にとって何か特別な意味を持つのか、などと一瞬考えたが、すぐに思考は夏の暑さに溶けた。スリーアウトチェンジ。やっぱり西瓜、食べようかなぁ、と頭はぼんやりと移ろいでいて、立ち上がり井戸水、こんなに暑いのに氷のように冷たくて。見上げると飛行機雲、遠く、高く、一直線に空を横切っていく。数年後、この地が震災によって甚大な被害を受けるだなんて、その時は考えもしなかった。祖父は震災を知らずに俺達が訪ねた翌年に亡くなった。心筋梗塞だった。俺は仕事の都合がつかず葬式には出られなかった。だからこの夏以来相馬には行っていない。あの街は、果たして変わってしまっているのだろうか。揺れたのだ。長尾の話を聞いたせいか、土曜の朝、煙草を吸いながらそんなことを思い出した。


 むあっとした空気が待ち受ける最寄り駅のホーム。それぞれ何かもやもやとした葛藤だの劣等感だのを抱えていて、それを今日もまた上手く消化できなかったのだろうなぁ、と思われる同志達と、スリラーのゾンビのようにぞろぞろと階段を降りる。笑っているのはウインナーの看板広告の中の俳優くらいで、嫌味なくらいに白い歯、そういえば昔は芸能人は歯が命だなんて言ってたなぁ、でもどうせ画像加工だろ? と、やや印刷プロ目線。俳優、握った拳、真っ直ぐな目、俺は毎日目が合っては逸らす。駅前商業施設の改装工事は肌寒くなり出した頃に始まったのだが、夏になっても未だに終わる気配がまったくない。まぁ、終わったところで俺としては何も変わらない。じゃあ別にどちらでもいいや、と近道を封鎖する「工事中ご迷惑をお掛けします」の看板を何となく毎日許している。月、満月だが、星、空には確認できず。これも別にどちらでもいい。俺は、どちらでもいいことが多い。多分、普通の人よりもずっと多い。バス停まで続く駅前通り。明日も、明後日も、今の生活のループから外れない限りおそらくほぼ毎日歩くであろう駅前通り。良いことなんて一つもない。本当に絞り出しても一つもない。降りてみてぇなぁ、と思うこともある。正直言って。ここで言う「降りる」というのはつまりは「死」のことなのだが。本当にやったらみんな引くんだろうなぁ、なんて、そんなことを考えて躊躇するやつに本当に死ぬ勇気なんてあるはずがない。24Hのネオン、何となく、死んで、次もし生まれ変わったとしても俺は変わらずこの道を歩いているような気がした。同じように電車に揺られ、同じようにちびちびと暗い家路を埋めるのだ。もちろんそんなことは一ミリたりとも望んではいない。でも何故かそう思ったのだ。笑ってみる。悔しいから笑うのだ、楽しいからじゃない。バスを待つ列の三人前に妻が並んでいることに気付いた。やがてバスが来て、だんだんと列はバスの中に吸い込まれていく。妻も。車内は混んではおらず、しかし空いているとも言えない中途半端な乗客数で、妻の横の席は空いていた。無視して別の席に座ってもよかったのだが、それもどうかと思い「おう」と、隣に腰掛ける。妻も俺に気付き、軽く頷き、そっと窓際に身体を寄せた。「お疲れ様」「うん、お疲れ」「毎日暑いね」俺がそう言ったのと同時にドアが閉まるブザーが鳴り、バスが動き出す。「暑いね」「髪、切ったね」「何週間前の話よ」そう言って妻は窓の外を見た。俺も見る。暗がりの窓ガラスに薄ぼんやりと俺と妻が並んで映っていた。おかしな話だが、実際の二人よりもいくらか夫婦らしく見えた。バスはゆっくりとカーブを曲がり、それは水族館のジンベイザメのスイムを想像させる様、だんだんと駅を離れていく。携帯ショップ、薬局、それらはもう明かりを落としていて、人気もなくて、閉まっているようだった。「夕飯は?」「食べてない」「どうするのよ?」「うーん」夕飯のことなんて何も考えていなかった。「途中でコンビニでも寄る?」「そうだなぁ」最寄りのバス停で降りてコンビニを目指す。コンビニに行くにはバスで来た道を少し戻ることになる。俺は、前を歩く妻の背中を追う。今更ではあるのだがショートカットの髪は妻によく似合っていて、俺はとても良いと思うのだけど、そういうことをストレートに伝えるのはどこか照れがあって、しかしこのまま何となくもじもじしていたらそのうち妻の髪も伸びてしまって、それは時間だけがただただ過ぎるという意味なのだけど、あっという間に何もなかったかのように元に戻るのだろうなぁ、と思う。それは本当に「何となくな日々」で、それはそれで美しいのかもしれないのだが、それでいいのだろうかという気持ちがないわけでもない。確かに俺はどちらでもいいことが多い。流れていくもの達に干渉するでもなく、それをただただ眺めるだけの日々。で、その先にはいったい何があるのだろうか。何というか、もっと、写真を撮ったりだとか、ビデオを回したりだとか、そういうことをしたいと思える時々を無理にでも作るべきなのではないか。美しい日々、そんなものはバケツの中、水面の月のように思える。あまりに遠い。日常とは日の常、あとは濃度の問題か。同志達よ、お前等は今何を思う? 何故今、ここに、この地にいる? 毎日何をしている? 何を考えている? 地震。やがて地震が来る。知っているはずだ。ちゃんと働いているのだから、ちゃんとニュースを観ているのだから、ちゃんと何かを気にして生きているのだから。「どうしたのよ」と、不意に妻が振り返って「えっ」となる。「何? 何か変だった?」「いや、さっきから何かぶつぶつ言ってるから」「あ、何か言ってた?」「うん。全然聞き取れなかったけど」「あぁ、そう」と恥ずかしくなる。どうもあれ以来長尾が話していた地震の話が頭から離れない。コンビニの中は暴力的なくらいに明るくて、棚に陳列された食料品、ラフな格好の人々、ヤンキー。天井のステレオからはヒットソングが降り注ぐ。最近の音楽のことはよく知らないが、おそらくヒットソングなのだろう。キラキラなメロディ、シンセサイザー、なのだろうなという楽器の音、アニメのような女の子の声、やがてそんなものも終わり、教科書通りのラジオDJの明るい声、こういう人の声は皆同じに聞こえる。俺だけか? そういえば小学校の同級生で一人、ラジオDJになった友達がいる。彼女もこんな声だったか、いや、全然覚えていないのだが、おそらく今はそうなのだろうなぁ、職業柄、と思い彼女の顔だけ思い出す。小学校の頃のではなく、SNSで見た最近の顔を。妻は玉子焼き弁当を選び、俺はその二つ横にあった生姜焼き弁当を手に取る。妻が持つ買い物カゴに弁当を入れる時、「南海トラフ地震が起きたらこの辺りはどうなるんだろうね」と聞いてみた。「何よ急に」と妻は怪訝な顔。「いや、まぁ、ちょっと思って」「この辺りは地盤が固そうだから案外何ともないんじゃないの」「あぁ」と俺は妻の言葉に頷いてみたものの、心は、あまり納得していなかった。地盤が固かったら大丈夫なのか? よく分からないのだが、例えそれが常識だったとしても、人間が定めた常識なんてものが迫りくる大地震に対して通じるのだろうか。「持つよ」会計を済ました妻からブルーのエコバッグを受け取る。レジ袋が有料になったので、最近はいつもエコバッグを持ち歩いているようだった。当たり前だが外はまた暗がりで、コンビニの中でのあれこれが夢だったように思えるほどの生暖かい現実。闇に潜んで獲物を狙ういやらしい獣の気配がする。吐息が聞こえる。隣で妻がそっと煙草に火をつける。どこか遠くからクラクションの音。また誰かが誰かを咎めているのだ。欠伸、からの家路。黒と灰が混ざり合って光るアスファルトを一歩一歩と踏み締める。


 長尾から電話。「海が見たいんだけど」「はぁ、海」「というか実はもうすぐ着くんだけどね。先生も来なよ」来なよ、だなんて簡単に言ってくれるが今は平日の午後、十五時で、時間的には一応会社の業務時間中で、まぁ、でも電話を受けた時、俺は新規訪問を二件回った、玉砕だったのだが、後で、喫茶店でうだうだと今日はこれからどうしようかなぁ、だなんて現実逃避をして呆けていただけだったので、海かぁ、まぁ悪くないかなぁ、とこの話に乗り、喫茶店からそう離れているわけでもない長尾の指定した場所まで地下鉄を乗り継ぎ、三十分後にはもう長尾と並んで海を見ていた。浜、ではなく港という感じで、船なんかもいくつか停泊していて、割と有名な水族館が近くにあるのだが、平日だからかあまり人気はなく、その脇にあるベンチに腰掛ける。缶コーヒーを買ってきた。思っていたよりずっと甘くて、正直言って口に合わなかったのだが、なんだかんだ気付いたら缶の中身は空になっていた。「何でまた海だったの?」午後の太陽光が斜めから入って、きらきらと宝石のように輝く水面を飛び越えてずっと遠く水平線の辺りにぼんやりと視線を落とす長尾に聞く。「敵の姿を確認しておきたくてね」「敵?」「ね、東日本大地震の時に亡くなった人の死因で一番多かったのは何か知ってる?」「え、んー、家屋が崩れて下敷きになったとか?」「違う。約90%が津波による溺死なのよ」「へぇ、そうなんだ」「つまり、絶望は海の向こうからやってくるということよ」絶望。確かに長尾に地震の話をされてから、俺は動画配信サイトでいくつか地震関連の動画を観た。その中に東日本大地震の津波の映像があった。おそらくどこかビルの屋上からスマホで撮ったのであろう動画で、地震直後、混乱する人々の何とも言えない声が入り混じりながらもカメラはしっかりと海を捉えていた。迫り来る波が黒かった。詳しく調べてはいないが、あれは、いろいろなものが混じり合って黒くなっているのだろうか、俺はあんな海を見たことがない。「来る、来る」と人々が慌てる。例え安全な場所にいたとしても恐ろしいものは恐ろしい。黒い波が防波堤を越え、さっきまで自転車で人が走っていた車道に氾濫していく。あの、さっきの自転車の人は無事なのだろうか、と思う余裕なんて撮影者にはなかったのではないか。そのことには何も触れない。どこからきたのか、何隻も船が流れてくる。それらは橋に引っかかり、メキメキと音を立てて折れ曲がっていった。「あぁ」と、これは撮影者の声だろうか。いろいろな感情の詰まった「あぁ」だった。もう何年も前に起きた出来事の動画を見ているに過ぎない俺も思わず息を飲んだ。あの光景は間違いなく絶望と呼べるそれだった。「私、今水泳教室の受付で働いてるって話したっけ?」「この前聞いた」「たくさんの子供達が泳ぎを習いに来てるのよね」「うん」「私は子供の頃、水泳とかやってなかったから、何でみんなこんなに水泳、水泳って馬鹿みたいに泳ぎ方を覚えようとしてるんだろうって思ってたんだけど、あの子達はみんな、もしかしたら海に負けないようにって思って頑張ってるのかもね」また突拍子のないことを言い出す。しかし、そうなのかもしれない、という思いも拭えなかった。「おそらく南海トラフ地震が来たらこのあたりも無事じゃ済まないでしょうね」長尾の言葉に俺も頷く。海賊船のような装飾を施された船が、ばっと帆を張り港を離れていく。遊覧船だ。広告で見たことがある。おそらく帆はただの飾りで、何か別の原動力で動いているのだろう。マストに何人か人がいて、写真を撮ったり、笑い合ったりなんかしている。その光景はどう見ても海賊船などではなくて、装飾とのギャップというか、そのアンバランスさが滑稽で、ドクロのマークが逆に平和の象徴に見えるくらいだった。こんな船の存在が許されるのはつまりは平和だからで、天気は良好、鳥が一羽、頭上を海の方へ飛んで行く、バックスクリーンへ消えていくホームランボールのように迷いがなくて、それは何一つ疑いようもなく明日も明後日も続いていく日常。「普通に怖くない?」「地震?」「まぁ、それもそうだし、この緊張感の無い感じも」目を閉じてみる。ざざんざざんと、波の音だけがそこには残った。人、それは一般大衆というか、普通の人というか、は皆何を考えて生きているのだろうか。そして自分は今、何を考えて生きているのだろうか。希望は無い、それでいて絶望からは目を背ける、となると、今ここにあるものは一体何なのだろうか。何と呼べばいいのだろうか。


 ぼんやりと観ていたつもりが気付けば俺は斜め上、壁に設置された薄型テレビ、そこに映るバラエティ番組に引き込まれてしまっていたようで、危うく「二十五番の方」と呼ぶ受付嬢、と言っても俺よりも歳は上だと思うのだが、の声を聞き逃すところであった。もう二十時を超えているというのに待合室には俺を含めて五人も診察を待っている人がいた。この辺りでこんな時間まで診察をしている内科は他には無いので、どうしても固まってしまうのであろう。皆同じように魂を抜かれたような目でテレビを観ていた。診察室、微かに香る薬品の匂い。個人情報が表示されたPC。「今日は、どうされたんですか?」と、もう老婆と言っていいくらいの歳頃に見える女医が言う。一日中患者を診てウンザリしているのか、何となく無愛想だった。「あの、会社の定期健康診断で引っかかって、その再検査に来ました」「健診結果をお持ちですか?」「はい」と、鞄から健診結果の紙を出して女医にわたす。心電図の判定が「C」と紫の文字になっており、所見欄には「早期再分極」とあった。昨年はA判定だったところからCにまで落ちているだけでも嫌なのに、この、重篤な何かに今後なりそうな予感を含ませた不気味な所見名、ビビって再検査に来てしまったのだ。女医は健診結果全体に軽く目を通し、「ま、じゃあとりあえずお腹を見せてもらえますか」と言うので、俺はシャツのボタンを外してだらしない腹を見せた。女医が冷たい聴診器を当てる。深妙な面持ちで、何となく納得がいっていなさそうな様子だった。不気味だった。俺は溜息をつきたくなったが、余計なことをしたら怒られるかもなぁ、と思い、息を止める。女医の机の上には薄汚れたアンパンマンとカレーパンマンのぬいぐるみが並んで置いてあった。大方、子供が診断中にグズったりした時なんかに使うのだろう。でも俺はこの無愛想な女医がぬいぐるみで小さな子供をあやしているところなど想像ができなかった。あと、どうせならしょくぱんマンも揃えてやればいいのに、とも思った。女医は納得のいっていなさそうな表情を崩さないまま「エコーも診ておきましょうか」と言う、自分は「はぁ」と曖昧な返事をして、それ以上何と言えばいいのだとも思う、先ほどから女医の後ろに立っていた看護師に促されるままに別室のエコー用の診察台に横になった。「ちょっとここでお待ちくださいね」と看護師は横になった俺を置き去りにして消えた。何故か部屋の中、カーテンで仕切られた俺のいる区角のみ電気が消されていて、カーテンの向こうから薄っすらと明かりの気配がするくらいの薄暗闇だった。エコー検査というものは暗がりの中でやるものだったろうか、なんて考えたが、以前、いつエコー検査を受けたのか、記憶を辿ってもまったく思い出せず、というよりそもそもエコー検査自体を受けたことがあったのかどうかすら定かでなかった。しかし、薄暗い天井をぼんやりと眺めていると不思議と気持ちが安らいだ。何故だか分からないがここ最近で一番安らいだ。もうこのまま、ずっとこうしていたいなぁ、などと考えていたのだが、じきにさっきの女医が来て「お待たせしました」と、これまた無愛想に言ってゼリーのような、ローションのような、ものを何の断りもなく俺の腹に塗り出した。冷たくて気持ちが悪かった。女医はそんな俺の不快な気持ちには構いもせず、いちいち構っていても仕方がないので当たり前なのだが、ペンのような装置で俺の腹の上を平仮名の練習でもするかのようになぞり、暗闇にぼぉっと浮かぶモニターを見ていた。女医の眼鏡の隅にモニターの四角い光が映る。部屋の中は静かだった。「問題はなさそうですね」しばらくして女医がポツリと言う。「あ、そうですか」「早期再分極って、結局何かの数値が良い悪いって話ではなくて、ドクターが画像を見て目で判断するんですよね」「はぁ」「今エコーを見たところ異常は無さそうなんですけど、健診の時はたまたまそう見えたのかもしれないですね」「そうですか」まぁ、とりあえず安心した。「一応、エコーの画面見ます?」と、女医はモニターをこちらに向ける。黒いバックに白い影が浮かぶ。この白い影が俺の心臓か。不気味に動くその様は踊るネズミのようで、その瞬間、ハッとした。と、いうのは娘。昔、妻と見た生まれる前、まだ娘が妻の腹の中にいた時のエコー画像。妊娠初期はよく定期検診に付いて行き、その度に成長の過程をエコー画像で見せてもらっていた。「順調に大きくなっていますね」と産婦人科の先生は画像を拡大して今の胎児の大きさを丁寧に教えてくれた。白い影は毎回少しずつ大きくなっていき、やがて娘は生まれた。様子がおかしくなったのは生後十六日目の夜だった。急に乳を飲まなくなり、おかしいと妻が言い出した。俺は最初は「人間なのだからそんな時もあるだろう」だなんて言っていたのだが、あまりにも妻が心配するので夜中、タクシーを飛ばして病院へ行くと、診察をした医者はすぐに青ざめた。突然のことでわけも分からず、理由を理解する間もなく、夜明けを待たずにそのまま娘は死んだ。病名、というか原因も、その時一応説明を受けたのだが、覚えてはいない。明け方、病院を出ると悔しいくらいに爽やかな晴天で、街は昨日と同じように生きていた。死んだのは娘だけなのだと、痛いくらい感じた。煙草に火をつけようとしたのだが、指が上手く動かずライターを擦れなかった。妻は家に帰るのが怖いと言った。その気持ちはよく分かった。妻の顔は真っ白で、表情というものがまったく無かった。黙って頷く。そのあとどうやって家まで帰ったのか、まったく覚えていない。エコー画面を見た時、そんな娘の一切合切を思い出した。たった十六日の命。でも忘れることなんてできない。当たり前だ。気が付いたら女医の説明は終わっていた。エコー画面を見た以降はまったく話を聞いていなかったのだが、とりあえず問題はないということは分かった。家に帰ると妻がいない。とうとう出て行ったか、と思ったがベランダで煙草を吸っているだけだった。煙草、娘がいた短い間は止めていた。俺に気づいて振り返る。「病院、行ったの?」「あぁ、一応問題無いって」「そう。良かったじゃない」「うん」妻は煙草を消し、そのまま俺を横切って風呂場に入っていった。それで一人になった部屋で今更考える。果たして良かったのだろうか。何処にも行けない、何にもなれない、そんな生活をこれからも続けて何か意味があるのだろうか。いっそ重篤な病気にでもかかって終わらせた方が、などと。しかし女医の話を聞いて心に溢れた感情はそんな絶望とは逆のもので、何も無い道がこの先も見渡す限り続いているにもかかわらず、それでもその道を変わらず歩いていけることに今安心をしている。何故、安心という感情が現れるのか。その心理は何なのだろうか。分からない。頭を振る。たくさんの疑問符を、電子レンジで無理矢理チンしてカレーと一緒に食べた。寝た。


 毎日暑くて、もうすぐだと思っていた夏季休暇は蜃気楼のようで、近づいてみるとなかなか辿り着けず、変わらず日々営業業務。外回りをしていた。しかし恐ろしいもので、営業という職種は他の仕事と違って何をどうしようとも止まることができない。仕事があればそれをこなさなければならないし、仕事がないのであれば新しいものを探して来なければならない。誰の所為にもできないし、雨が降ろうが槍が降ろうが、ウイルスが降ろうが止まれない。止まるのは死ぬ時だけ。俺は最近になってようやくそれに気付いた。もっと早く、二十代半ばくらいの頃に気付けば良かった。そうすれば何か別の道のことも考えられただろうに。それにしても暑い。どうしようもないくらいに暑い。アスファルトの地平が霞む。たまらずマスクを外して片耳に掛けていた。それは昼下がりのベランダに掛けられたパンティみたいに揺れる。別に興奮はしねぇ。つか興奮してたら馬鹿だ。さすがの俺もそこまで愚かじゃない。やっとの思いで駅に辿り着く。「ちょっと休んでいこうか」と俺は駅前の喫茶店を指差す。少し後ろを付いて歩いていた三島は「はい」とこんなに暑いのに笑顔で言う。華奢な身体に灰色のシャツがへばりついて汗染みができていた。喫茶店に入りアイスコーヒーを二つ注文する。「夏の匂いがしますね」と三島。言っている意味がよく分からなかった。「クーラーの匂いじゃないの?」「かもですね」と、こめかみの汗をハンカチで拭いて笑う。三島は俺の部下で、二十四歳の若手女性営業マン。忙しいとテンパってしまうところがたまに傷だが、活発で、気持ちの良い女性だった。若手社員教育ということで、最近は一緒に新規得意先を回っていた。喉が渇いてアイスコーヒーを一気に半分くらい飲んでしまう。「暑過ぎる」「ちょっとねぇ」と三島ももうアイスコーヒーを半分くらい飲んでいた。「でも私がたまに行ってるホットヨガはもっと暑いですよ」「ホットヨガ?」「めちゃくちゃ暑い部屋の中でヨガをするんですよ」「まぁ、名前からだいたいの想像はつくけど、この季節によくそんなことする気になるなぁ」「いや、これがなかなかクセになるんですよ。いっぱい汗かくのって気持ちいいですよ。悪いものが全部出ていく感じ。課長代理もどうですか? 私の紹介割引で少し安くできますよ。是非、体験からでも」「いや、やめとく」そもそも俺は絶望的に身体が固い。その固さたるやバービー人形といい勝負で、学生の頃はよく笑われたものだった。そんな俺がヨガ、しかもめちゃくちゃ暑い部屋でなんて、無様で、罰ゲームでしかない。しかし今日の営業は見事に空振りだった。飛び込みではあったが、会ってもらえもしなかった。冷房で少し頭が正常に戻り、その事実を思い出し、「売り上げどうしようかなぁ」と嘆く。「計画数字に全然足りてないですもんね」「まいったよなぁ。また明日本部長と部長に呼ばれてんだよ」「でも、正直言って前年実績から考えてもめちゃくちゃな計画数字じゃありません?」「まぁ、それはね」これは三島の言う通りで、年々下降を続ける俺のグループに前年実績の遥か頭上をいく計画数字が与えられたのは、何か計画達成を見込める希望や期待があったからではなく、おそらくただ単に計画数字の分配に困って押し付けられただけなのだろうということは誰の目から見ても明白であった。こういうところがいけない企業で、達成するための計画というわけではなく、掲げるための計画となってしまっていて、それでいて掲げた以上は何もやらないというわけにはいかないので、不可能な数字を与えられた俺みたいな運の無い下っ端が捕まえられ、「計画足りてないけどどうするの?」と詰められることになるのだ。本音でいうと多分、本部長も部長も俺のグループが計画数字を達成できるだなんて思っていない。計画数字をどのくらいに設定するかを下からリクエストすることはできない。計画数字というものは、偉い人達が偉い人達の事情で設定するものなのだ。多分、計画数字が一千万でも百億でも足りていなかったら同じように詰められる。これはうちの会社だけなのだろうか。知らないが。非常に悪いシステムだと思う。「あんな計画数字そもそも無茶ですよって課長代理から言えないんですか?」「まぁ、なぁ」俺も昔は同じようなことを先輩に言っていた気がする。でも言えないのだ。偉い人というのはやはりそれなりに力を持っているから偉いので、逆らえない。「成績はなかなか良くならないですけど、いろいろ動いてるんですけどね。頑張っても頑張っても満たされないっすよぉ」と、三島。まったくその通りだと思う。それはこの仕事を続けている限りずっとそうだよ、と思うが、若い三島には言えなかった。いや、言ってしまった方がいいのか。一瞬そう思うも、今三島にグループを抜けられたら困るので、やはり言えない。社会人たるもの自分の身は自分で守らなくてはならない。厳しいがこれが現実なのだ。しかし、三島は何かの縁があって俺の下についた部下だ。できれば幸せになってほしいとも思う。そんなジレンマ。もやもやして、決して気持ちの良いものではないが、このジレンマというものは意外と重要で、これも最近思うのだが、ジレンマがこの社会を成り立たせている。いや、ジレンマそのものが社会を成り立たせているわけではなくて、ジレンマが、誰かの生活と誰かの生活を繋ぐエキスパンションジョイントのような、そういった役割をしていて、それで社会というものが崩れず、絶妙なバランスを保って成り立っているのではないかと、そんなことを思う。「三島、頑張ろうな」「これ以上、何をどう頑張るんですか?」「だよな」笑えないが笑ってみる。「はぁ。あまり課長代理を困らせるのもアレなんですけど、頑張ってもどうしようもないことってどうしたらいいんですかね?」「もっと頑張る?」と、0点の解答。三島はぶりっ子のように口を膨らませた。「まぁ、いいですよ。ね、課長代理、私、先週彼氏できたんですよ。久しぶりに。だから実は今めちゃくちゃ幸せで、そんなこんなですからもうちょっと文句言わずに頑張ってみますよ」と、急に笑顔になる。百点。理由なんて何だっていい。結局、幸せなのだったらそれだけで百点なのだ。そこが全ての目的地。あとは持続の問題なのである。「地震が来て計画数字消えねぇかな」「え、地震?」「や、南海トラフ地震とか」「何か、考えてること怖いですよ、課長代理」と、三島は三白眼になる。いつかベランダから見た黒猫のようだった。「ごめん」「でも多分、南海トラフ地震が来ても計画数字は消えないと思いますよ」「え、そうかな?」「だって計画数字は家とか橋とかみたいな物じゃなくて概念ですから」「そうか」壊れるもの壊れないもの。まぁ、でもそれも自分の命あっての話である。結局最終はそこ、命がないと幸せも不幸もない。物体も概念もない。新しくできた彼氏だってそう。全ては命あっての話。じゃあそれをどうやって守るのかという話。あと、その裏側、本当に守る価値があるものなのかという話でもある。ニャー、と鳴いて裏街道を野良猫のように草をかき分け走りたい。低い目線で世界を見つめたら何かが分かるのかもしれない。そんな途方もない話。クーラーの匂い。夏の匂い。「行こうか」と、マスクを口元に戻して席を立つ。現実。


 事務所の近くに中華料理店があり、俺はそこを割と気に入っていてしょっちゅう昼食を食べに行っていた。その店の何がいいって、まずはボリュームがある。これ、大事。加えて味もそこそこ良い。そして何というか、他にはないプラスワン的な何かが要所要所にあって良い。例えば定食を食べたらアイスコーヒーが無料で付いてくるとか、あとスープ、普通の店だったらいつ行っても同じスープ、だいたいは卵だけが入ったスープ、が出てくるのだが、ここは違くて、日によって卵にプラスしてトマトが入っていたり、コーンが入っていたりと、客を飽きさせない工夫がしっかりと凝らされていて、そういうのって、すごく好印象。今日は木曜日で、日替わり定食はおそらく油淋鶏と野菜炒めだろうと思って行くとやはりその通りで、迷わず日替わり定食を食べ、時間をかけてアイスコーヒーを飲んで外に出ると十二時半。まだ少し時間があるなぁ、と、もはや暴力だとも思えるくらい太陽の照る道をトボトボと事務所へ向けて引き返していると、ふと後ろから妙な気配を感じた。しかし振り返ってみるも別に何てことない、初老の男性が一人歩いているだけだった。それで再び前を向き歩き出すも、やはり何だか嫌な予感がしてもう一度振り返る。すると、先程の初老の男性がオフィスビルの植え込みに倒れていた。一瞬頭がフリーズした。唐突に非現実的なことに出会すと理解するまでに時間がかかる。誰にだってあることだと思う。しかしいつまでもフリーズしているわけにもいかず、今俺は一応第一発見者なわけで、初老男性に駆け寄り「大丈夫ですか?」と聞いてみる。「あぁ、大丈夫大丈夫」と男性は笑顔で、しかし身体に力が入らないようで、立ち上がろうとしているのだが上手く立ち上がれない。これは経験上だが、大丈夫じゃない人は大抵大丈夫だと言う。だから、この初老男性もおそらく大丈夫ではない。それで、とっさに頭に過ったのは救急車。呼ぼうかな、と。以前、部署の飲み会で最後の挨拶の後に急に部長が倒れたことがある。みんな「あれ、部長大丈夫ですかぁ?」だなんて酔っていたのでいい加減な介抱をしていたのだが、割と素面だった課長が冷静に救急車を呼んだ。皆、えっ、てなって、それはちょっとやり過ぎなんじゃ、とその時は思っていたのだが、結果的に病院で調べると詳しくは聞いていないがあまり良くないことがいろいろ分かって、部長はそこから二週間も入院した。結果的に課長の「すぐに救急車を呼ぶ」という判断が正しかったのだ。そんなことが以前にあったので、俺はすぐ救急車のことを思ったのだ。と、そこに「大丈夫っすか?」とおそらくこのビルに勤めているのであろう若い男、身体つきが良くて、日に焼けていて、小中高大としっかり野球でもしていたのではないかという印象、が俺達に気づいて声をかけてきた。「何か急に倒れちゃって」「お爺ちゃん、大丈夫?」「すまんのぉ、大丈夫大丈夫」と言うもやはり立ち上がれない。「多分、熱中症じゃないですかね」と、若い男。確かに今日は特に暑いので熱中症に注意と朝のニュースでも言っていた。「ビルの下に座れるスペースがあるのでそこまで行きましょう。冷房も効いてますし、少し休めば良くなるでしょ」それで「あ、そうですね」と未だ迷いの残る俺を尻目に「お爺ちゃん、ちょっと中入ろうか」と、初老男性にその締まった肩を貸してさっさとビルの中に連れていってしまった。一応俺も付いて行くも、「あとは看とくので大丈夫ですよ」と言われ、若い男のお言葉に甘えてあとを任せてその場を立ち去った。何というか、俺は生まれ変わったらあのような頼りがいのある人間になりたいと思った。来世の夢である。今世はもう無理だ。諦めた。しかし、熱中症とは怖いな。マジであんなふうに倒れるんだな。俺も毎日営業で外をうろついている身なので他人事ではない。そういえば昔、高校生の頃、俺はバレーボール部だったのだが、真夏の練習でチームメイトが真っピンクな頬になって倒れたことがあった。まぁ、幸いにしてすぐに冷房の効いた教官室に運ばれて大事には至らなかったのだが、今思えばあれは熱中症だったのだろうな。当時はそんな言葉を知らなかった。俺も気をつけないとなぁ、と思い事務所に戻って午後の業務に勤しんでいた十五時頃、長尾携帯から電話、しかし出ると長尾ではない知らない女性の声で、話を聞くとどうもこの女性は看護師のようで、更に話を聞くと、どうやら長尾が熱中症で倒れて救急車で搬送されたらしく、看護師曰く本人が俺に病院まで来てほしいと言っているようで、何だかまたタイムリーな話だなぁ、いや、というか、何で俺を指名? と思ったが、まぁ、一応長尾にとって俺は先生ではあるし仕方ないかなと、後にして思えばよく分からない理論だが、思い、病院名と病室の番号を聞くと、事務所からそう遠くない病院だった。行ったことはないが地下鉄の車内放送で名前は知っていて、まぁ行くかぁと、いい加減な行き先をホワイトボードに書き込んで戻り時間を「直帰」にした。課長は何か言いたげだったが気付かないフリをして事務所を出る。二十分後には長尾の病室にいた。「実際、マジでヤバかった」と長尾は病院のベッドに横になったまま笑って言う。他人事のような言い方だった。顔色はまだあまり良くなかったが、とりあえずは大丈夫なのだろうという感じだった。「何してて熱中症になったの?」ベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けて聞いた。「何って、公園の真ん中の一番日の当たるとこに何時間も立ってたのよ」「またどうせ変なこと考えてたんだろ」「変なことっていうか、ほら、前も話したけど、あまりにもみんな死を恐れずに暮らしてるから、もしかすると死ぬことなんて私が思っているよりずっと楽で怖くないものなのかなぁ、と思って実験してたのよ」「あのね」俺は溜息をついた。「いや、何も本気で死ぬつもりはなかったのよ。ただ、ギリギリのところまでいってみて実際どんな感じなのか知りたかっただけで、つまりは死にたかったんじゃなくて知りたかったってこと。だから救急車も自分で呼んだんだから」「で、どうだったの?」「めちゃくちゃキツかった」そう言って長尾は大笑いしたが、俺は笑えなかった。「そりゃそうだろ」「いや、熱中症ってじわじわやられていく感じでしょ? それが溺死に似てるかなぁ、と思ってやってみたんだけど、マジでキツい。最後の方なんて痙攣してくるわ、吐き気も出てくるわで、最終的に救急車が来た時には私その場で倒れちゃってたのよ」「馬鹿なことするなよ」「反省してます。でも先生、私はっきり分かったよ。やっぱり死ぬのは怖い。キツいし。死にかけても天国も地獄も見えなかった。おそらくだけど死んだらそこで終了、主観とか、感覚とか、記憶も、全てが無になると思うの。だからやっぱり今の生活を守る守らないの前に命そのものを守るべきだと思うのよ」「それは別に、考え方としては間違ってはいないと思うけど」「一緒に地震の無い国へ逃げようよ」「は?」「日本にいたら一生この問題からは逃げられない。だから安全なところまで逃げて全部をそこでやり直すしかないと思うの」突拍子の無い話ではあったが長尾は本気だった。目を見れば分かった。「地震の無い国って?」「調べたんだけど、ドイツとかフランスとか。ロシアもそうね。けっこうあるよ」「でも言葉とか、分かるの?」「そりゃ行く前にちょっとは勉強しなきゃいけないけど、そんなの一時の苦労よ。ね、先生も行こう」「いや、ちょっと待て。仕事とか、家のこともあるし、そんな簡単には行けないって」「でもあまり上手くいってないんでしょ?」そう言われてギクりとした。「仕事も家庭も。私、そういうのは何となく分かるんだ」長尾は変なところで鋭い。「それは確かに認めるけど」「今の先生の生活って、命を捨ててまで守るものなの?」「いや、それは」「命があればいくらでもやり直すことができるのよ」長尾の言うことは極論ではあるが正論でもあった。否定する言葉も肯定する言葉も出ないまま黙ってしまっていたら看護師、おそらく電話で話した人だ、が巡回に来て、何となく病室に居づらくなったので帰ることにした。「考えておいてよね」カーテンをめくる俺の背中に長尾の言葉が刺さる。ほぼ無意識のうちに頷く。外に出ると夕暮れ。遠くの空、向こうの方には確か大きな川がある、ぼんやりと霞んだ輪郭が美しかった。まるでメルトダウンしていくように、赤が心に染みていく。街は普通に機能していたが、皆これを見て何も思わないのかなぁ、なんて思った。この夕暮れが明日も変わらずにそこにある可能性はいったい何パーセントくらいなのか。とりあえず自分は、いや日本にいる皆だ、今、80パーセントの残り20パーセントの中で生きている。何事も無いかのように今日も生きている。


 外国人の幼い女の子が、恥ずかしそうな笑顔を浮かべて放尿している。何を言っているのかはよく分からないが、辛うじて「シューズ」という言葉が聞き取れた。これはおそらくおしっこが靴にかかるという意味合いのことを言っているのだろうと推察する。ピチピチのピンクのTシャツは可能な限り捲り上げられ、小ぶりな乳、ピンクの乳首が二つ、露わになっていた。人形のように肌が白く、陰部からは止めどなく透明な尿が流れ出て、それを撮影している卑しい男の声が少し入った。俺は滞りなく射精。その後、ティッシュで陰部を拭き、賢者になってベランダで煙草を吸う。見下ろすと、ちょうどバス停にバスが停まるのが見えた。仕事や学校帰りの人々が順番にバスから降りてくる。こうして人々の生活を冷静な目で見つめると、今の今まであんな動画で自慰に耽っていた自分は世界で一番低俗な人間なのではないかと思えた。「人間の屑さぁん」そう後ろから呼ばれたら振り返る。「呼びました?」と振り返る。それくらいの自覚はある。何をやる気にもならなくて、そのまま煙草を二本、三本、と吸っていると次のバスが来て、人々に紛れて妻が降りてくるのが見えた。何故だか不思議な気持ちになった。あの人は間違いなく俺の妻で、多分数分後にはこの部屋に入って来るのだと思うが、思えばそれは不思議な話で、妻は妻である以前に女で、人間で、人間なんて他にもたくさんいて、もちろんそれは俺もなのだが、そう考えると、一緒にいるのは妻でない他の誰かであっても別によいのではないか、なんて、妻でないといけない理由などあるのだろうか、と。例えば今妻の横を歩いているOL風の女、俺は別にあの人と一緒に暮らしてもよかったのかもしれないわけで、一歩違っていたら本当にそうなっていたのかもしれないわけで、そう考えると俺は何故妻で、逆に妻は何故俺なのだろうという気持ちになった。普通に生活をしていたら気付かないが、グッと視界を広げると、人間は本当に馬鹿でかい流れの中で生きている。やり直しなんていくらでもきくのではないか。「考えておいてよね」と長尾の言葉はあの日以来俺の心に貼りついて取れない。やがて妻が帰ってくる。「ただいま」と素早く楽な服に着替えてテレビをつけ、俺などいないかのように一人の世界へ入る。特別ではない。いつものことだ。煙草を吸うのにも疲れたが、部屋の中に入る気にもならなかった。ベランダの手すりの上で腕を組み、その上に顎を乗せる。風が、南の国からはるばる来たのではないかというくらい生温くて、この調子ではおそらく夏はまだまだ終わらない。空を見ると雲がディズニー映画のように散らばっていて、綺麗だとも思うのだけど、明日もまた暑いのだろうなぁ、キツいなぁ、なんて現実的なことも考える。迷っているのだ。本音を言うと。長尾の誘い。正直に言って今の生活は辛い。終わりも見えないままにただ落ちていくだけの営業の仕事、方向性を見失いもはや惰性で続いているだけの夫婦生活。逃げ出したい気持ちは十分にあった。しかしそれをいざ投げ捨てるとなると躊躇いもあって、でもこの躊躇いが何処から来ているものなのか自分でもよく分からなくて、何が俺の決断を止めるのか、いや、決断を止めている俺こそが本質的な今ここで生活する俺なのだが、でも俺はその俺の深層心理を理解できなくてと、長尾の病室以来、頭の中で無数のイエスとノーが戦っている日々だった。迷っている。しかし、でも、だ、揺れるのだ。いつか必ず。それは明日かもしれないし明後日かもしれない。死ぬかもしれない。揺れる。全てはその日を迎えるための決断なのだ。様々なことに対して答えが出ていない。生きるとか死ぬとか、どちらにせよそれをどうやってこなしていくかとか。迷いの根本はつまりはそこではないか。ふと気付くと、真後ろ、窓のサッシに腰掛けて妻が煙草を吸っていた。「何、黄昏てんのよ」「黄昏?」黄昏という言葉は小説やらドラマやらで割とよく耳にするのだが、俺はその言葉の正確な意味を知らず、今ほどそれを知りたいと思うことはなかった。「十分くらい前から座ってたのに気付きもしないで。何ぼぉーっと空なんて見てるのよ」「いや、明日も暑そうだなぁって」「それだけ?」「まぁ、どうだろ」俺は口籠って、非常に歯切れが悪かった。「週末から私実家帰るから」「えっ」「えっ、じゃないわよ夏季休暇よ。言ってたじゃない」「あぁ」「一週間くらいは帰るからね」「うん。分かった」妻は煙草を消して小さく欠伸をした。犬の鳴き声が聞こえる。根拠はないが、おそらく飼い犬だと思う。頭の良さそうな鳴き声だった。最近はもう、野良犬なんてこの街では見ない。暗がりの向こうからまたバスが来る。ゆっくりと人々が降りてくる。それにしても、そうか、ついに夏季休暇がやってくるのだな。


 俺の実家と妻の実家は日本地図上、見事に反対方向で、大きな休みでも両方に顔を出すのは困難で、以前は夏季休暇や正月休みの度に俺の実家、妻の実家、俺の実家と順番に顔を出していたのだが、いつしか旅費もかかるし何となく面倒になり、お互い帰りたい時に自分の実家に帰るだけで、相手の実家にはほとんど顔も出さなくなった。夏季休暇に入り、妻は言っていた通り一人で実家に帰った。俺も一応夏季休暇に入ったのだが、自分の実家に帰る気にもなれず一人で家にいた。また愚痴っぽい言い方になるが、営業にはまともな夏季休暇も無い。いや、まぁ、労働基準法とか会社のルールもあるのでもちろん名目上の夏季休暇はあるのだが、得意先によってはお盆期間中もカレンダー通り出社している会社もあり、そんな真面目な得意先から毎日メールが来たり電話が来たりするので、実質テレワークというか、夏季在宅ワークとなっていた。気が休まらない。しかし一人の暮らしは楽で、これはこれで良かった。別に普段から妻に対して何か気を遣っているつもりはなかったのだが、自分でも気付かないところでやはり最低限の気遣いはあったのだなぁ、と、こうなると思う。パンイチでウロウロして、ムラっとしたら大音量でAVを観てる。言ってみたらそんな生活。夏季休暇。三日目、俺は朝から市民プールに行った。毎年夏場には頻繁に市民プールへ通うのだが、今年は例のウイルスのこともあって今日が初めてになる。思っていた以上に人が少なかった。いつもなら夏休みの子供で賑わっている時期なのだが、やはりウイルスの影響だろうか。まぁ、でも空いているに越したことはないと、俺は屋内の25メートルプールを潜水気味で何往復か泳ぐ。去年よりも明らかに体力が落ちていた。腕が重い、足が重い、息が切れる。それで、休憩。プールサイドにばらばらと置いてあるプラスチック製の白い椅子に腰掛けて窓の外に広がる屋外プールを眺めると、キラキラと光る水面に何人かの大学生だろうか、若い男女がビーチボールできゃっきゃっと笑い声をあげて遊んでいて、その光景は非常に夏らしくて、良くて、写真にでも撮って収めてやろうか、と思うもカメラなど持っていなかった。せっかく来たのだからと半ばヤケになって2キロも泳ぐ。これは明らかなキャパオーバーで、へなへなになって売店でコーラを買って飲んだ。久しぶりだった。喉が焼ける。腹が減ってカレーも食べる。売店らしい、甘口のカレーだった。外に出ると蝉の鳴き声がうるさい。空は抜けるような青空で、高くて、吸い込まれてしまいそうだった。駅前通りまで自転車で戻り、喫煙所で煙草を吸う。俺以外にカップルが一組いた。何やらモメていた。「だから、結局はあんたが借りたお金なんでしょう」と女はハンドバッグを腕に掛けたまま立って、煙草を吸いながら男を責める。ケバケバした派手な化粧の女だった。「いや、そう言われるともちろんそうなんだけど、でもお前だって分かるだろ? あの時は仕方なかったんだよ」何が仕方ないのか分からないが、男は憔悴しきっているようで、ベンチに腰掛けて項垂れていた。よれよれの作業着を着て、失礼ながら有能そうな男には見えなかった。「それはそうなのかもしれないけど、そんなこと今言ったってどうにもならないじゃない。借用書にはしっかりとあんたの名前が書いてあるんだから」「まぁ、それは。でもよ、事情が事情だから話したらちょっとは温情かけてくれないかなぁ」「そんなのあるわけないでしょ。お金の話よ? それも決して安い額じゃないんだから」「じゃ、どうするんだよ?」「あのね、なんでそうやっていつも私に答えを求めてくるのよ。あんたの借金でしょう。自分でどうにかしなさいよ」女はそう言って身を乗り出して、俺は隣にいたので少し後ろに引いた、苛立ったように煙草を灰皿に押し付けた。「おい、そりゃないぜ」と男は焦ったように言ったが、女はそれを無視するようにプイと喫煙所を出て行った。慌てて男が後を追う。と、別に聞くつもりなどなかったのだが何だかんだ一連の流れを聞いてしまった。あの頼りにならなさそうな男がどこかあまり良くないところから借金をこさえてきてしまったようだったけど、まぁ、女の言う通り基本的に銭金の話には温情などという生温いものは介在しにくく、俺も多少は経験がある、いたってシビアかつドライなものである。あの男には申し訳ないが同情の余地はない。その根本は結局、お金はやはり人間誰しもが必要としているという事実。「お金をあげるよ」と言われて断るやつは、よほど胡散臭いとか遠慮とかそういうのは置いておいて、おそらくいないだろう。何故。それはお金が無いとこの世界を生きていけないから。あ、つまりは命か。命の持続、またそういう話か。だから人はお金に対しては冗談が通じない。酒屋に寄ってトマトジュースとレモンチューハイを買った。この組み合わせがここ半年の俺のフェイバリットで、美味い。さらにスーパーに寄ってブルーチーズとウインナーを買う。あと、カップ麺。完璧。これで夕飯のメニューは布陣できた。さぁ、帰ろうかぁ、と思った頃、一日の中で一番日が高い時間帯になっていた。嫌になるくらいに暑い。本屋にでも寄って時間を潰そうかとも思ったが、食料品を買ってしまっていたので腐らせるわけにはいかねぇ、と早々に帰らなければならず、仕方なく自転車で家路を辿る。駅からの道はやや坂道で、行きは下りでヨイヨイだが、帰りは登りで辛い。2キロを泳いだ身体は半分もいかないうちに限界を迎え、あっさりと自転車を漕ぐのを諦めた。トボトボと自転車を押して歩いている俺をバスが風を切って追い越していく。そうだ、自転車を駅前に置いてバスに乗って帰れば良かった、と思ったがもう時既に遅し。まぁ、置いて帰ってもいつかは取りにいかないといけないしな、そんなのはただの問題の先送りだしなと、自分に言い聞かせて歩く。家に着いた頃には汗が滝のようで、すぐにシャワーを浴びた。バスタオルで頭を拭きながら戻るリビングは静かで、俺一人しかいないのでそれは当たり前なのだが、それは分かっているのだが、妻がいるといつも当たり前のようについているテレビが今はついていないことにすごく違和感を感じた。欠伸をして缶ビールを空ける。別に、特別ビールが飲みたかったというわけでもないのだが、そんなことばかりを言っているような気がするが、それ以外にやることがなかったのだ。暇だった。今日はもう何一つやることがない。まぁ、そういうのもいいなぁ、と思っていたら仕事関係の電話がかかってきて対応する。気持ちを台無しにする。ついでにメールを確認するとこちらも何通か来ていて返信をする。よく他部署の人に「休みの日までメール返さなくてもいいのに」と言われるのだが、俺だって別に好き好んで休みの日にメール返信、というかまぁ仕事をしているわけではない。メールなんて返せる時に返しておかないとすぐに溜まってしまうのが目に見えているのだ。それで手配漏れなんて起こしてみろ、その責任は全部営業担当に返ってくるのだから。テレビをつける。夕方の時間帯っぽい、ゴールデンタイムまでの時間稼ぎとしか思えない薄口のバラエティ番組がやっていて、くだらなさそうだなぁ、と思って他のチャンネルに変えてみるも、他はもっと酷くて、結局最初のバラエティ番組にチャンネルを戻した。缶ビールはすぐに空になって、買ってきたトマトジュースをレモンチューハイで割った。チューハイのアルコール度数は9%で、意外と酔える。だんだんと気持ちが良くなってきて、CMでかかる知らない音楽でちょっと踊ってみる。よく分かんねぇけどグルーヴィー。そうなるとくだらないバラエティ番組もだんだんと面白くなってきて、何でもないポイントでゲラゲラ笑ったりなんかする。アテのブルーチーズもウインナーも完食して、ルンルンでカップ麺も食べた直後、どかっとソファーに横になって牛になる。するとプールの疲れもあってか少し眠くなってきて、CMの間だけ一瞬寝るかぁ、と目を瞑ったのだが、次に目を開けるとテレビではまったく覚えのない洋画がやっていて、時計を見るともう深夜一時半だった。驚いた。いくら疲れていたとはいえ、うたた寝で六時間も眠ってしまうとは。机の上には汚らしく汁だけ残ったカップ麺の容器が置きっぱなしで、口の中、歯磨きをしないで眠ってしまった後特有の何とも言えない気持ち悪さが残っており、台所で冷水を飲んでリセットを試みる。すると今度は何故か無性にバニラのアイスクリームが食べたくなって、あったかなぁと、冷凍庫をあさってみるも無い。まぁ、無いものは仕方ないよなぁ、とベランダで煙草を吸ってみたのだが、こんな時間にもかかわらずアイスクリーム熱が消えなくて、意外と、ずっと欲しかったものに対してよりも瞬間的に今欲しいものに対しての方が欲望のエネルギーが強いという方程式か、仕方なくサンダルを突っかけてコンビニまで歩く。深夜のコンビニは無人で、店員すらもいない。いや、それはおかしい。そんなはずはない。少なくとも店員はいるはずだ。おそらく客が一人もいないからバックヤードで休みながら監視カメラで店内の様子を見ていて、俺がレジに向かう素振りを見せたら出てくるのだろうなと思っていたら果たしてその通りで、俺がアイス売り場からカップのバニラアイスを手に取ってレジの方へ振り返った瞬間、謀ったかのように大学生と思われる、もはやアフロに近いパーマの、店員がバックヤードからすっと現れた。ちょっとムカついた。アイスクリームだけを買ってコンビニを後にする。ブンブンうるさいバイクの音が背後、遠くの方から聞こえてきて、来るな来るなと思っていたのだが轟音はどんどんこちらに近づいてきて俺の横を風のように駆け抜けて行った。速すぎてどんな奴だったのかも分からなかったが、嫌な気持ちだけは身体に残った。満月、狼男になってワォォンと吠えられたらいくらか胸の内がスッとするだろうか、なんて思いながらマンションの階段を登り、解錠、部屋のドアを開けると誰もいない部屋の中は真っ暗。何も無い。俺には何も、何一つ無い。何故だか急にそう思った。我ながらこんな生活を必死になって守る意味が分からなかった。ベランダで外を眺めながらアイスクリームを食べた。俺はけっこう、このベランダから見える景色が好きなのだということに最近気付いた。深夜二時を回った街は静かで、誰一人として歩いていない。もちろんバスもとっくに終わっていた。そんな時、ふと視界の端、何かが動く気配を感じた。目を凝らして見てみる。猫だ。それはいつか見た黒猫、多分、で、植え込みの影になっている部分をひっそりと歩いていた。俺は夢中になって「おいっ」と叫ぶ。唐突に声を掛けられた黒猫はビクッと身を固めてこちらを見た。それでさすがにこれはちょっと乱暴だったと後悔し、慌てて部屋を飛び出して下まで降りた。黒猫は、いた。ベランダから見たのと同じ辺りに座って、息を切らす俺をじっと見る。「おい。お前。何か、平気そうな顔してるけど、地震が来たらお前だって死んじまうんだぜ」俺は言った。何故こんなことを行きずりの黒猫相手に話しているのか自分でもよく分からなかった。「なぁ、お前さ、俺と一緒にどこか地震の無い国に行かないか? やり直さないか?」黒猫はしばらく俺の顔を見ていた、それは何かを考えているようにも見えた、が、やがて、そっぽを向いたかと思うとあっという間に身を翻し、戸建て住宅の隙間に消えていった。要は振られたのである。まぁ、いきなり知らない人間にそんなことを言われても引くわな、と我ながら思った。つか、そもそも俺は何故あんなことを猫になど言ったのだ。猫が去ってしまうと急に虫の鳴き声が耳についた。夏の虫。バス道、遠くの方から誘蛾灯の明かりだけがぽつぽつと、それぞれ自分の範囲だけを照らして続いていた。部屋に戻るとすぐに布団に入った。こうして俺も、世界も、また今日を一日終えたのだった。


 男A、若いのだが何だか周りの人間を見下しているよな目をした男だった、が司会の男、こちらは良くも悪くも何の印象も浮かんでこない無害な男、に話を振られて語りだす。「人間が本当に、心の底から満たされることなど無いのではないかと僕は思います。いや、もちろん瞬間的には、ある。しかしそれはあくまで瞬間的な話で、そんなものは長くは続かない。すぐにまた何かを欲しがり、求めてしまう。求める、ということは満たされていないということ。まぁ、欲望。欲望ですね。そして、それが原動力になって何かが生まれ、人間はその何かを生むために生きている、ということです。例えるならそれは、走ればガソリンは減る、すると走るためにまたガソリンを入れる、ガソリンを入れるから走る、つまりはそんな繰り返しです」と、若いながらもいろいろな功績を挙げた人なのか、初めて見る人なのだが、Aは自信に満ちた表情だった。「欲望を叶えるために人間は生きていると?」司会の男が少し眉を潜めて聞く。いかに無害な男とはいえ、自分よりも明らかに年下の人間に偉そうにされたらいい気はしないのだろう。「そうなりますね。欲望、それの行き着く目標、それなしに生きていくことなんてできますか?」「じゃあ、行き着く目標が分からず迷っている人はどうなるんですか?」と女A、歳は五十手前くらいだろうか、何をしている人なのかはよく知らないがたまにテレビで顔を見る、が聞く。「そういう人でも必ず明確な小さな目標があるんですよ。大きな目標に対しては迷っていても、目の前にある小さな目標に向かって生きているんです。だってあなた、何も考えずに今ここにいるなんてことは有り得ないんですよ? 皆、何かしら大小の欲望を叶えてきた結果ここにいるんです」「欲望を叶えるために生きている、というのは私はどうも賛同しかねますね。生きているからこそ、欲望が生まれてくるのではないですか?」と女Aは言った。「つまりあなたは欲望は生きるためのスパイスだと仰るのですか? では聞きますが、それならばあなたはいったい何のために生きているのですか? 何故仕事をして、何故毎日ご飯を食べて眠るのですか?」「家族とか、自分の守るべき誰かのために、というのはありますが、根本は生きたいから生きているのですよ。別に映画を観たいから生きているわけでも、フランス料理を食べたいから生きているわけでもありません。生きているからその間に映画を観たくなったり、フランス料理を食べたくなったりするんです。生きている理由なんていわば素数です。これ以上どんなものでも割れません」「この世に説明できないことなんてありませんよ。ただあなたが深掘りすることを諦めただけだ」と男Aは譲らなかった。すると今まで黙っていた男B、こちらは老人で、俺がまだ小さな頃からテレビに出ているコメンテーターだった、が話を挟む。「まぁ、何だか卵が先か鶏が先かという話になっている気もしますが、じゃあ、自殺する人の心理とは、いったい何だとお考えですか?」と、柔らかな口調で男Aに聞いた。自分の孫ほどの年齢の、しかも小生意気な、男Aに対しても丁寧に話す男Bに俺は少し好印象を抱いた。昔から名前顔は知っていたが、こんなに腰の低い人だとは知らなかった。「自殺する人は、つまりは欲望が無くなった人です」「まぁ、やはりと言っては悪いのだけど、先程の君の理論から言うとそうなるね」男Bはそう言って苦笑いを浮かべた。これに女Aはやはり反論した。「ちょっと待ってください。欲望が無くなったら人間は死ぬって? そんなわけないじゃない。そんなものがなくたって生きている人はたくさんいるわ。あなたは生活の中の必要最低限の部分までも欲望と定義付けているのではないかしら? 私はそれは欲望とはまた違うものだと思ってる。欲望とは生きることに加えてのプラスアルファな存在よ」それは確かにそうだと俺も思った。男Aも内心ではそう思ったような、しまった、という顔を一瞬したのだが、すぐにそれを隠して「じゃあ、あなたの思う自殺する人の心理って何なんですか?」と女Aに挑むような言い方をした。こういう態度は何か良くないなぁ、と思っていたのだが、女Aは怯むでもなく「自殺をする人は、つまりは諦めた人だと私は思います」「それは生きることを、という意味ですか?」と男B。「いえ、それはちょっと違って、これを説明しようと思うとまずは人生の話からになります。人は、どんな時でもいつも、何かしらの選択の岐路に立たされています。人生とはつまりはその選択肢の連続で、そしてこの選択肢は、おそらく何を選んだとしても、例えそれが正解の選択をしていたとしても、後々になって必ず後悔したり振り返ってしまったりしてしまうものです。よくある『やっぱりああしておけば良かった』とか『こうしておけば良かった』ということです。他の選ばなかった選択肢はやたらと魅力的に見える。『隣の芝は青く見える』とはよく言ったものです。でもね、そんなくらいじゃ人は折れない。多少後悔しても選んだ道を歩く強さ、もしくは現状を捨ててきっぱりと違う道を選び直す強さを人は持っている。そうやってまた選択肢を繋いで生きていくのです。しかし自殺する人というのは、もうその全ての選択を諦めてしまっているのです。良くなるかもしれない、悪くなるかもしれない、とかそういう次元ではなく選択をしないのです。もちろんそこまで追い込まれるのには相当な理由があるはずです。だからそれを悪いことだとは私は一概に言えません。ただ、まぁ、特に若い方なんかが自殺された時には、もう少し選択して、生きてみてからでも遅くはなかったのではないかとも思いますけど。これはあくまでそこまで追い込まれていない人間の意見ですが」「死ぬ、というのも一つの選択肢ではないですか?」男Bが言った。「まぁ、そうですね。最後の最後の選択肢です。その次の選択はもうありませんから」女Aの言葉に男Bは腕を組んでうなった。「その人生の選択肢、選択する動機というのはやはり根本は欲望から来ているのではないですか?」男Aは女Aの意見を聞き、今度は少し落ち着いた様子で話していたが、やはり自分の意見を推したい感じがあった。それこそが欲望じゃないかと思った。「もちろんその動機には欲望もあります。もしかするとそれがほとんどなのかもしれません。でもそれだけではないと思うのですけどね。欲望という言葉だけで片付けてしまうのはあまりにも生々しくて虚しい」「今の選択肢と後悔の話は、冒頭に出た『人間は心から満たされることなどない』という話に似ていますね。永遠に選択肢が続くのであれば満たされることなどおそらく無い」男Bがそう言うと、男Aも女Aも頷いた。「我々は何のために生きているのか。生きるために生きているのか、それとも何かをするために生きているのか」司会の男が言った。「それは人それぞれではないでしょうか」と男B。俺は、そんなことは言ってほしくなかった。「いずれにせよ死んだら終わりだ」男Aが溜息混じりに言う。「それだけはおそらく、間違いない」男Aの言葉に他の二人も頷いた。話はその後、昨今の芸能人の自殺問題に移り、薬物とか政治とか違う方向に流れていった。月明かりの部屋。テレビを消して外に出た。


 再会した時と同じように長尾を待つ。店も前と同じイタリアンで、俺は前と同じカットレモンが沈んだ水を飲んでいた。頭上、シーリングファンもあの日と同じ軌道で回っている。盆は明けたが、それにしても今日も暑かった。そういえば今日、例の中華料理店に行った帰り、この前一緒に初老の男性を介抱した若い男と偶然会った。お互い何となく顔を覚えていて、無視をするのもどうかと思ったので頭を下げると、「この前のお爺ちゃんはしばらく休んだら良くなりましたよ」と教えてくれた。「あぁ、良かったです」「元気に歩いて帰りました」彼は爽やかな笑顔で笑った。心の底から良かったと思った。約束の時間から十五分はど遅れて長尾が現れた。少し、いやかなり髪が明るくなっていた。ほとんど金に近い茶髪だった。「髪、染めたんだね」「だって向こうはこんな髪色の人ばっかでしょ。同じような色にしてった方が受け入れられそうじゃない。私だって友達くらいほしいし」とあっけらかんと言う。相変わらずだった。確かに向こうはこんな髪色の人ばかりなのかもしれないが、髪を明るくしても長尾の顔はどう見ても東洋人で、どうしても無理している感が否めなかった。言わなかったが。「最近はどうしてたの?」「別に、お盆期間中も水泳教室は普通にやってたから働いてたよ。あとは英会話の夏季講習に通ってた」「英会話」「そう。まぁ、少しくらいは言葉を勉強しておかないと困るでしょ」「そうね」思っていた通りだが、長尾の気持ちはまったくブレていなかった。「で、先生の心は決まった?」長尾は早速ストレートに聞いてくる。「まぁ、とりあえず何か飲もうよ」俺はそう言って飲み物と、適当なつまみを注文した。バケット。よく焼けたパンで、美味くて、油断して食べていたらこれだけでお腹がいっぱいになってしまいそうだった。アヒージョに浸して食べる。これもまた美味かった。ワインを飲んで、ポツポツと関係のない話をした。ウイルスの感染対策の話だとか、最近読んだ本の話だとか。長尾はうんうんと相槌を打って俺の話を聞いていたが、正直、どうでもよさそうだった。もう心は遥か遠く海の向こう、ドイツとかフランスとか、その辺りの国まで行ってしまっているのかもしれない。良く言えば本当に真っ直ぐな奴なのだけど。三杯目のシャンディーガフに長尾が口をつけた時、「思ったんだけど、地震保険に入ればいいんじゃないかな?」と言ってみた。なるべく自然に。長尾はすぐに怪訝な顔をして、「地震保険っていうのは命にまで保険が下りるの? 死んでも保険に入っていたら生き返れるの? 私、よく知らないんだけど」と言い返してきた。「いや、それはまぁ、無理だけどさ」「じゃ、そんなん入っても意味ないじゃない」「まぁ、そうかなぁ」「あのさ、先生、もう逃げるしかないのよ。ここにいたら危ないんだから」「うん。長尾の言うことも分かる」長尾はピザにタバスコをかけながら頷いた。かけすぎだろと思うくらいにかけていた。「でもごめん。俺はやっぱり行けない」「は? 何で?」長尾は口に運びかけていたピザを持つ手を止めて言った。「何でって言うか」「先生、もう一回言うけど、ここにこのままいたら死ぬかもしれないのよ? 80%よ」「地震だろ。分かってるよ」「分かってるなら何で行けないのよ」「うん。そうだよな。死にたくはないもんな。でも、何でだろう」正直言って自分でも何故行かないと決断したのかよく分からなかった。家庭も会社もまったく上手くいっていないのに。しかしどうしても行く気にはなれなかったのだ。「何で? 全然理解できないんだけど」「ごめん」長尾は目に見えて不機嫌になっていった。だから謝った。長尾は溜息をついて頭をかく。「結局は今の生活を捨てる勇気がなかったんでしょ?」「そうなのかな」そんなに責められても本当に自分でも分からなかったのだ。「ねぇ、先生。先生が守ってる生活なんて地震の前では本当に無力よ。どんなに頑張って守ってても、壊れるのは一瞬なんだから。しかも別に上手くいってなかったんでしょ? 何でそんなものに固執する必要があるのよ?」「分からない」俺はテーブルの上、空になったアヒージョの皿に視線を落として言った。長尾はゴールを外したサッカー選手が天を仰ぐような素振りをして、残りのシャンディーガフを一気に飲み干した。その後も少し話した。でも長尾が不機嫌なのも分かっていたし、重苦しい時間だった。やがて長尾は「帰るわ」と言って席を立った。「駅まで送って行こうか?」「いや、大丈夫」「そっか。あの、気をつけて」「うん」帰り道を気をつけて、と言ったのではなく、これから始まる海外での生活に対して気をつけて、と言ったつもりだったのだが、ちゃんと伝わったのだろうか。長尾はもう、誰が何と言おうと地震の無い国へ行くだろう。「またね、先生」と手を振り長尾は店を出て行った。最後は笑顔ではあったが、振り返ることはしなかった。おそらくもう二度と会うことはないだろう。もう一杯ワインを飲んで外に出ると、俺は言いようのない孤独に襲われた。長尾と別れて、もちろん交際をしていたわけではないのだが、本当に一人になってしまった気がした。考えようによっては、長尾は今のこのどうしようもない生活から俺を救ってくれる唯一の救世主だったのかもしれない。でもそれを断ったのは俺自身だ。寂しい、というより無性に怖くて、とにかく誰かと繋がりたかった。それで、かなり久しぶりだったのだが性風俗店に入った。目についた適当な、初めての店だった。性風俗店はこんな御時世だからか空いていて、待合室には俺一人しかいなかった。数分待つと店員さんが来て「どうぞ」とカーテンの奥へ促すのだが、こういう店では普通パネル、かなり怪しいものではあるが、を見て女の子を指名するものではないかと思いその旨を伝えると、「指名は千円の追加料金がかかりますよ」と言う。俺はせっかく来たのだから追加料金になろうと指名くらいしたくて、「それでもいいです」と言ったのだが、店員さんは「いや、もう女の子用意しちゃってるんで」とやや凄んでくる。彼は強面で、レスリングでもやっていたのだろうか、格闘に優れていそうな体格だったので俺は怯み、それ以上は何も言わず素直に中に入った。ルームナンバーは6。出てきた女の子は東南アジア系の小柄な女の子で、美人だとも不細工だとも言えず、ただその髪色、かなり明るくて、それは先程まで一緒にいた長尾とダブった。ぽつぽつとボタンを外しシャツを脱いでいたら、「今日は出張か何かですか?」とやや片言の言葉で聞かれて初めて自分が無口になっていたことに気付く。まったく、女の子を前にすると自分自身への自信の無さが際立つ。いつもそうだが、これから行為を行うことが決まった行きずりの女の子と、いったい何を話せばいいというのだ。「いや、出張とかじゃなくて、ちょっと飲んでた帰りなんです」と自分よりもかなり若い女の子に対して敬語になっている。服を脱いで滞りなくシャワーを浴び、個室の、タオルの敷かれた簡易ベッドに横になって天井を見上げると、店内には知らない外国人の歌うサイケな曲が流れており、薄暗、やがて裸になった女の子がにっこりと笑って俺の上に覆い被さる。緊張した。思えば長尾に再会してからは出会い系アプリで他の女の子に会ったりしていなかったので、こういうのは本当に久しぶりだった。人肌は暖かかった。懐かしくもあるピンク色の感触。でも何も満たされず、長尾と別れた時に感じた孤独感、恐怖はそのままで、今は性欲がそれをちょっとは紛らわせてくれてはいるものの、その実は一つも消えていない。失敗したかも、と思ったが果たしてその通りで、終わって外に出ると入る前よりもさらに最悪な気持ちになっていた。女の子には悪いが、一万ちょっと払って最悪な気持ちを買ったような気分だった。煙草を吸ってみるもまったく美味くない。続けて二、三本吸ってみるもやはり美味くない。海。今度は、いつか長尾と見た海を見たいと思った。ただ、漠然と見たいと思った。深く考えるよりも先に身体が動いていて、地下鉄。乗り継いであの日、あの時の海へ。三十分ほどかけて最寄りの駅まで辿り着く。駅員いわく、俺が今乗ってきた電車が最終だったらしく、戻りはもう無いが大丈夫か? と聞いてくる。別に大丈夫ではないが、そうは言っても助けてくれるわけでもないだろうし、何かもう全てどうでもいい気持ちにもなっていたので「大丈夫だ」と答えて海へ急ぐ。海。水族館もとっくに閉館していて人気はない。船が数隻停泊していたが、こちらも明かりが消えていて同様に人気なし。見渡す限り、ここには俺と海しかなかった。海は、日付が変わるか変わらないかのこんな時間なので当たり前なのだが真っ暗で、それはいつか動画で見た黒い波とも似ていなくはないのだが、悪意のようなものは感じられず、ただ単なる純粋な夜だった。ざざんざざんと波の音だけが聞こえる。ベンチに腰を下ろし、だんだんと暗闇に目が慣れてくると海と空の狭間、水平線をぼんやりと見定めることができ、そういえば俺は昔、ずっと昔、高一か高二の頃に家族で南紀白浜に泊まりがけで海水浴に出掛けたのだが、深夜、ホテルの窓、十何階か忘れたがかなり高かった、から一人、ずっと遠く夜の水平線の上にぼんぼんといくつも花火が上がるのを見たような気がするのだけど、冷静に考えると深夜の沖合いで花火なんて誰もやらないからあれは夢とか幻とかの類だったのだと今なら思えるのだが、そんな昔のことをふと思い出した。現実ではなかったのかもしれないが、あの花火は実に綺麗だった。俺が今まで見た花火の中で一番綺麗だった。まぁ、しかし、残った。俺はあの海の向こうへ逃げるという選択肢を選ばずここに、今の生活に残った。「おいー。俺を殺すなよ」と、海に言ってみる。言ったあとで少し恥ずかしくなった。ざざんざざんと波は単調に寄せては返す。「今の生活を捨てる勇気がなかったんでしょ」と長尾は言っていた。よく分からないが、それはやはりあるのだろうな、と思う。今の生活を捨てるということはつまり、今まで選んできた選択を全て捨てるということだから、やはりそれは怖くもある。少なからず積み上げてきたものがこんな俺にもある。しかし、何だろ、選択したということはその時々ではこれが最良だと思っていたわけで、今の職種も、妻と結婚したことも、馬鹿なりに俺も考えた上での選択だった。そう考えると思い出す。最初の頃は営業の仕事が楽しくて仕方がなかった。毎日街をうろうろして、いろいろな人に会って、仕事が決まり売上が上がると嬉しかった。上司や同僚ともたくさん酒を飲んで笑った。妻だってそうだ。恋していた。どうしようもないくらいに好きだった。妻の住む街まで車を飛ばして通った。忘れていたが、今の俺の生活の根本にはそういったその頃の熱い気持ちがあるのだ。結果がどうであれ、結果なんてものはどこを区切りに考えるものなのかも分からないが、流れ流れてここにいるというわけではない。ちゃんと何かを選択してここにいるのだ。と、その時、揺れた。はっ、として、最初は気持ちの揺れかと思ったが、違う。本当に揺れている。地震だ。揺れは五秒ほど続いて収まった。良かった。そこまで強い地震ではなかった。少なくとも南海トラフ地震ではないようだった。震源地がどこかとか、調べもせずにとりあえず妻に電話をかけてみる。今日はどこだか忘れたが出張に出ていて家には帰っていないはずだ。深夜にもかかわらず妻はすぐに電話に出た。「そっち、揺れた?」と俺。「うん。ちょっとだけどね。そっちはけっこう揺れたの?」「いや、まぁ、普通くらいには揺れた」「普通くらいって何よ。てかまだ外なの?」電話口から風の音でも聞こえたのだろうか。「うん。何か、実は今ちょっと海に来てる」「はぁ? 一人で?」「そう」「何でまた海なのよ」「まぁ、いろいろあって。なぁ、てかさ、俺、地震保険に入ろうかと思うんだけど」「何よ、また急に」「いや、地震が来ても困らないようにさ。できることくらいはやっておこうかなって」「別に私はいいけどさ」「うん」妻は今、どこにいるのだろう。とりあえず電波が届くところにいる。受話器の向こうにいる。そして俺は今、ここにいる。「俺、生きているよ」「何言ってんの?」妻は怪訝そうに言った。ざざんざざんと相変わらず波の音、夜が明けたらあの水平線から太陽が昇るのか。方角的なものはよく分からないが、昇ればいいなと思う。是非見てみたい。終電も無いし、俺はここで朝を待つ。新しい朝。いつもと何も変わらない、新しい、相変わらずの、それでいてどこか愛しい朝。俺は、俺達は、負けたくない。そう思った。煙草。海風、少し冷たくなった、で上手く火が付かなくて、シュッシュッと空振りを繰り返すライターが何だか無様で笑いそうになって、いや、少し笑ってしまって、それが電話の向こうの妻にも伝わったようで、妻も笑い、それは俺を小馬鹿にしたような笑い方ではあったのだが、「私も生きているよ」と言って、暗がりの水平線の上、また花火が上がったような気がした。

揺れる

執筆の狙い

作者
softbank060135195146.bbtec.net

何故死ぬかもしれないのにここにいるのかという疑問から書きました。

コメント

柔らかい月
n219100086113.nct9.ne.jp

画面あけてスクロールして、目が止まった範囲:



>再会した時と同じように長尾を待つ。店も前と同じイタリアンで、俺は前と同じカットレモンが沈んだ水を飲んでいた。頭上、シーリングファンもあの日と同じ軌道で回っている。盆は明けたが、それにしても今日も暑かった。そういえば今日、例の中華料理店に行った帰り、この前一緒に初老の男性を介抱した若い男と偶然会った。お互い何となく顔を覚えていて、無視をするのもどうかと思ったので頭を下げると、「この前のお爺ちゃんはしばらく休んだら良くなりましたよ」と教えてくれた。「あぁ、良かったです」「元気に歩いて帰りました」彼は爽やかな笑顔で笑った。心の底から良かったと思った。約束の時間から十五分はど遅れて長尾が現れた。少し、いやかなり髪が明るくなっていた。ほとんど金に近い茶髪だった。「髪、染めたんだね」「だって向こうはこんな髪色の人ばっかでしょ。同じような色にしてった方が受け入れられそうじゃない。私だって友達くらいほしいし」とあっけらかんと言う。相変わらずだった。確かに向こうはこんな髪色の人ばかりなのかもしれないが、髪を明るくしても長尾の顔はどう見ても東洋人で、どうしても無理している感が否めなかった。言わなかったが。「最近はどうしてたの?」「別に、お盆期間中も水泳教室は普通にやってたから働いてたよ。あとは英会話の夏季講習に通ってた」「英会話」「そう。まぁ、少しくらいは言葉を勉強しておかないと困るでしょ」「そうね」思っていた通りだが、長尾の気持ちはまったくブレていなかった。「で、先生の心は決まった?」長尾は早速ストレートに聞いてくる。「まぁ、とりあえず何か飲もうよ」俺はそう言って飲み物と、適当なつまみを注文した。バケット。よく焼けたパンで、美味くて、油断して食べていたらこれだけでお腹がいっぱいになってしまいそうだった。アヒージョに浸して食べる。これもまた美味かった。ワインを飲んで、ポツポツと関係のない話をした。ウイルスの感染対策の話だとか、最近読んだ本の話だとか。長尾はうんうんと相槌を打って俺の話を聞いていたが、正直、どうでもよさそうだった。もう心は遥か遠く海の向こう、ドイツとかフランスとか、その辺りの国まで行ってしまっているのかもしれない。良く言えば本当に真っ直ぐな奴なのだけど。三杯目のシャンディーガフに長尾が口をつけた時、「思ったんだけど、地震保険に入ればいいんじゃないかな?」と言ってみた。なるべく自然に。長尾はすぐに怪訝な顔をして、「地震保険っていうのは命にまで保険が下りるの? 死んでも保険に入っていたら生き返れるの? 私、よく知らないんだけど」と言い返してきた。「いや、それはまぁ、無理だけどさ」「じゃ、そんなん入っても意味ないじゃない」「まぁ、そうかなぁ」「あのさ、先生、もう逃げるしかないのよ。ここにいたら危ないんだから」「うん。長尾の言うことも分かる」長尾はピザにタバスコをかけながら頷いた。かけすぎだろと思うくらいにかけていた。「でもごめん。俺はやっぱり行けない」「は? 何で?」長尾は口に運びかけていたピザを持つ手を止めて言った。「何でって言うか」「先生、もう一回言うけど、ここにこのままいたら死ぬかもしれないのよ? 80%よ」「地震だろ。分かってるよ」「分かってるなら何で行けないのよ」「うん。そうだよな。死にたくはないもんな。でも、何でだろう」正直言って自分でも何故行かないと決断したのかよく分からなかった。



↑ ここの塊の頭:

>再会した時と同じように長尾を待つ。店も前と同じイタリアンで、俺は前と同じカットレモンが沈んだ水を飲んでいた。頭上、シーリングファンもあの日と同じ軌道で回っている。盆は明けたが、それにしても今日も暑かった。

とか、書きようが的確で、文章がゴテゴテしてなくて、「ここのサイトにしては読みやすい」とうんです。

ただ、ほかの人にも指摘したことなんですが、
《あんまりにも異常にびっちり・みっちり隙間なく文字が打ち込まれてあるために、その異様密度が読者を拒絶している》。


それ(読者の速攻忌避)を予防し「しまいまで読んでもらうために」は、
適宜改行して「読みやすくする心遣い」が絶対的に必要。

柔らかい月
n219100086113.nct9.ne.jp

当該箇所、適宜改行いれてみると、↓


>「まぁ、とりあえず何か飲もうよ」
 俺はそう言って飲み物と、適当なつまみを注文した。バケット。よく焼けたパンで、美味くて、油断して食べていたらこれだけでお腹がいっぱいになってしまいそうだった。アヒージョに浸して食べる。これもまた美味かった。
 ワインを飲んで、ポツポツと関係のない話をした。ウイルスの感染対策の話だとか、最近読んだ本の話だとか。長尾はうんうんと相槌を打って俺の話を聞いていたが、正直、どうでもよさそうだった。もう心は遥か遠く海の向こう、ドイツとかフランスとか、その辺りの国まで行ってしまっているのかもしれない。良く言えば本当に真っ直ぐな奴なのだけど。
 三杯目のシャンディーガフに長尾が口をつけた時、「思ったんだけど、地震保険に入ればいいんじゃないかな?」と言ってみた。なるべく自然に。
 長尾はすぐに怪訝な顔をして、「地震保険っていうのは命にまで保険が下りるの? 死んでも保険に入っていたら生き返れるの? 私、よく知らないんだけど」と言い返してきた。
「いや、それはまぁ、無理だけどさ」
「じゃ、そんなん入っても意味ないじゃない」
「まぁ、そうかなぁ」
「あのさ、先生、もう逃げるしかないのよ。ここにいたら危ないんだから」
「うん。長尾の言うことも分かる」長尾はピザにタバスコをかけながら頷いた。かけすぎだろと思うくらいにかけていた。
「でもごめん。俺はやっぱり行けない」
 長尾は口に運びかけていたピザを持つ手を止めて言った。
「は? 何で?」
「何でって言うか」
「先生、もう一回言うけど、ここにこのままいたら死ぬかもしれないのよ? 80%よ」
「地震だろ。分かってるよ」
「分かってるなら何で行けないのよ」
「うん。そうだよな。死にたくはないもんな。でも、何でだろう」
 正直言って自分でも何故行かないと決断したのかよく分からなかった。


↑ 改行整理してみると、途中一箇所
>長尾は口に運びかけていたピザを持つ手を止めて言った。
を置く場所がおかしいことに気づいて、移動させた。

softbank060135195146.bbtec.net

やわらかい月さん

コメントありがとうございます。
びっちり・みっちり隙間なく文字が、というのは今回わざとやっています。金井美恵子の柔らかい土を踏んで、という小説の影響でした。

読みにくいだろうなぁとは思ってましたが、良さもあるなと思ってました。

柔らかい月
n219100086113.nct9.ne.jp

???

>長尾は口に運びかけていたピザを持つ手を止めて言った。

の前に 原文:

>「あのさ、先生、もう逃げるしかないのよ。ここにいたら危ないんだから」「うん。長尾の言うことも分かる」長尾はピザにタバスコをかけながら頷いた。かけすぎだろと思うくらいにかけていた。「でもごめん。俺はやっぱり行けない」

の箇所からおかしいのか。。



通常、この記載順で書かれると、

>「うん。長尾の言うことも分かる」長尾はピザにタバスコをかけながら頷いた。

↑ ってくっつけて読むから、、、

「長尾の言うことも分かる」と《長尾が言ってる!》ことになって、変なんだ。。



「どのセリフを誰が発しているのかを明確にしておく」のは、作者の責任なんで、、、

適宜改行してください。

柔らかい月
n219100086113.nct9.ne.jp

「わざと」やってるプロ作家は、それはいます。


皆川博子とか、長野まゆみとかも、《びっしり詰め込み型》で書いてて、
ハードカバーの単行本で開くと、くらくらする域だったりする。


しかし、皆川博子や長野まゆみは、
《そもそも文章が破格に巧い人》で、

《読者をたちまち異世界に引き込み、幻惑させる魅力的な世界を緻密に展開している》んで、
熱心な固定読者を持っている。

「確実に読んでもらえる人たち」なんです。


アマチュアが、そういうのの真似しても、「同じことには絶対ならん」ので、

ダメだと思う。



素人はまず「一般の人に、全部読んでもらえることが肝心」なので。

softbank060135195146.bbtec.net

やわらかい月さん

ご指摘ありがとうございます。

いつもは普通に書いてるんですけどね、何かが足りないと思っていろいろな書き方を模索しています。それが鍛錬なんですよね。

また普通のもあげるので読んでください。

茅場義彦
133.106.150.240

ドシロウと で 読みにくいって 論外だと思う こんだけコンテンツあふれてる 令和で

softbank060135195146.bbtec.net

茅場義彦様

ご感想ありがとうございます
それを言われると今回は何も言えないです…

アン・カルネ
219-100-28-135.osa.wi-gate.net

うーん…。面白かったような、どうでもいいような、そんな感じでした…。
面白かったというのは、私は、おそらく、これがプロの作品だったら絶対読まない類のものなんだけど、素人さんの作ゆえに、どれどれ、お付き合いしてしまいましょうかね、みたく思って、壁だけど、頑張って読みました! 
なので読み終えた時には不思議と達成感なんかもあったりして(笑)、すみません、それはどうでもいい事で、面白かったというのは独自性みたいなものがあったな、というところで、どこに独自性があるんだよ、と問われると、羊さんはこんなことを考えている、というところかなあ、と。なんか他人の頭の中を覗いてみました感があったかなと。そこ私には新鮮でした(笑)。
さて。
長尾ちゃん、一応、作劇術的には女性は苗字ではなく名前と言うのが基本だったように思うのですが。子供は男女どちらも下の名前が基本。とはいえ昨今はジェンダー問題もあるから苗字でも良いのか。で、言いたいのはそこではなくて、長尾ちゃんはなんというか、この話と言うか主人公に語らせるために登場してきた感がありありなので、そこは要工夫なんじゃないのかなあ、と思いました。更に『男A、若いのだが何だか周りの人間を見下しているよな目をした男だった』から『テレビを消して外に出た。』まで。これも語りたかったから作ったシーンのように思えて、興ざめかなあと思わされました。いや、いっそ、無い方が良かったんじゃないかと…。
一応、主人公夫婦の生きているけど死んでいる、死んでいるけど生きている、いやもうどっちでもいいのかな的な危ういバランスの中で成り立っているあれやこれやは娘の死というこの1点で痛いほど分かるので、まあ、作劇的にはあざといやっちゃな、とも思ったんだけど、でもこの1点があるゆえに私も読ませられちゃったしなあ、なので、つまり、“娘の死”を作劇的には巧く使ったなと思って、そこはちょっと“買い”なので、『』内のシーンは余計かな、と。

普通は娘の死を出すとそこで湿っぽくせつなくお涙頂戴をやりたがるものなんだけど、乾いていていい感じでしたね。
ただし、外国の幼女で射精ってのはどうかと思うかな。後に「今の今まであんな動画で自慰に耽っていた自分は世界で一番低俗な人間なのではないかと思えた。」と出してくるけど、こうしてしまうと安っぽくなると思うのね。
動画で自慰のシーンが必要不可欠とも思えないけど作者的に必要不可欠であるなら、外国の幼女に16日しか生きなかった娘をだぶらせて、途中で出来なくなって泣き崩れる、でも良かったかもって思ったかな。自分でその動画選んでおいて、娘の死を思い出して泣く方が自己憐憫ぽくて、こっちの方が本当にドクズって気がするのよね。
後は、これは作劇とは無関係に、ちょっとした情報ね。親ってね、死んだ子の歳、数えるものなのよ。今度、子供の死を使う時はそのあたりもちょっと深く考えていただけると幸いです、なんてちょっと思ったかな。

主人公の沈み具合とラストの浮上具合が丁度良くバランスしていて良かったなって思いました。

u
opt-220-208-25-236.client.pikara.ne.jp

読みました
柔らかい月様が指摘しているように読みにくいです
あたし思うに この文体を作者さんが何故採用したのか はっきり言って若乃花wwww

作者さんの持ち味って「軽さ」「薄さ」なのですよと断定www
月さんとは違う理由ですがwww
作者の持ち味とは相いれない文体だと思います

本作かなり深いテーマ扱っているんだけど 
羊さんどこ目指して本作描いたのよwww テーマ深いから重厚な文体にしたとかwww

薄い軽いと思ったのは主人公と長尾以外は 奥さんさえもモブキャラ(チョット言い過ぎです)
ハッキリ言って長尾もいらねーwww

何のイベントも怒らないストリ
最後は壊して! 天保山にホントの地震がくる(不謹慎)ナンテのあたし想像

軽くて薄い羊さんの感想返し期待してます

softbank060135195146.bbtec.net

アン・カルネ様

ご感想ありがとうございます。
長尾のキャラ、テレビの演出は確かに少しあざとかったかもしれません。テレビの演出は場面の繋ぎで空気を変えたくて無理矢理入れた感はあります。

自慰についてはそこまで深い意味を考えていませんでした。

死んだ子の歳、数えるというのは確かにありますね。勉強になります。

softbank060135195146.bbtec.net

u様

いつもありがとうございます。
今回、非常に受け悪いです。個人的にはけっこう気に入っていたんですけどね…自分が上手く書けたと思うものの方がいつも受けが悪いです。

「軽さ」「薄さ」が持ち味とはよく言われるのですが、そこで伸び悩んでいろいろな方向を模索し続ける日々です。「軽さ」「薄さ」の小説では結果は残せなかったので。今、もう一度そういうものを書いても上手くいく気がまったくしません。

最後の地震はマジ地震ですよ。天保山と言わなかったのは物語の場所を関西に特定したくなかったからです。言葉を標準語にしたかったので。

5150
5.102.22.168

拝読しました。

>二人の向こう、壁にかかる日めくりカレンダー。明朝体で記された今日の日付を見て、言っている間にもうすぐ夏季休暇なんだなぁ、なんて呑気なことを思ったのだが、こんな暑苦しいところに男三人集まっているのにはちゃんと理由があって、やがて本部長が本題を口にする。「とりあえず売上数字が落ちている理由を説明してくれない?」最近話題のハラスメント的な何かを恐れて優しい言い回しをしているが、本当は「何売上数字落としてくれちゃってんだよ」と怒鳴りたい気持ちを抑えていることくらい俺にだって分かる。

前半で好きなのはこういう流れでした。以前にいくつか羊さんの書かれた作品を読ませていただきましたが、こういう日常のどうでもいいことをさらっとうまく書かれているので、羨ましく眺めていました。uさんの言う「軽く」という意味はわかりませんが、私から見るとこういう箇所が、羊さんらしい筆なのではないかと思ったりしてます。

「明朝体で記された今日の日付を見て」「こんな暑苦しいところに男三人集まっているのにはちゃんと理由があって」「とりあえず売上数字が落ちている理由を説明してくれない?」最近話題のハラスメント的な何かを恐れて優しい言い回しをしているが」

こういう何気ないところまで書くのが好きなんです。

>最近のトレンドはとにかく弱者を守る。そうなるとどうなるかというと、それに肖ろうとする弱者に扮した強者、狼のようないやらしい奴らが増えるのであるが、そこの選別が難しくなるのであるが、今の俺は立場上純粋な弱者で、とりあえずは世論だったり流行だったりといういろいろなものが守ってくれるのだが、

上の文に続くのがこの文ですが、逆にここなんかは、ちょっとうーんと思ってしまいます。説明口調というのもあるし、ストレートすぎてあまり響いてこないんです。深く書くのがいい、と一方的に思われていないでしょうか。

>「軽さ」「薄さ」が持ち味とはよく言われるのですが、そこで伸び悩んでいろいろな方向を模索し続ける日々です。「軽さ」「薄さ」の小説では結果は残せなかったので。

と書かれていますが、軽いことはどこか悪い、どうでもよいと思われてしまう、実はそういうのじゃなくて、もっと深いものが書きたいんだと羊さんは思っていないでしょうか。このサイトの性質かもしれませんけど、深く書くのが単純にいいこと、だとは、私はまったく思わないんですよね。私はユーモアがあって軽い小説って、すごく憧れます。自分でもたまに書きますが、あんまりうまくいきません。一般的に、軽いタイプ、ユーモア溢れるものって、格下のように思われているふしがあって、これじゃあいけないよなあ、って思っている一人です。

* 『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
* ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと』
* 『まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、
* ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと』

ちなみに、これは井上やすし氏の名言です(これ、すごく好きなんですよ。氏の小説はあんまり読んでませんが、この言葉ほんとに好きです)。

>互いに何か言いたいことはあるのだが諸々の事情、立場なんかのせいでそれをストレートに口に出すのは憚られる、そういうことは仕事なんかをしているとよくあることだと思うのだが今まさにそれで、

御作のこの文なんか真面目でストレートなんで、逆にだらしなく(?)、角度を変えて書いてみたら面白くなるんじゃないか、と思えたり。

で、これは私の持論ですが、「軽い筆」の中に、ところどころ凝縮された「重さ」を封じ込めるのが、読んでいて一番重さを感じさせるんじゃないかな、と思うんです。「重いこと」をただ「重いように」書いても、読む方には伝わらないような気がするんです。視点をずらしてみると、重いことを重く感じさせずに、重さが伝わるのではないか、と。

>人間の一生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸(いっすん)の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。
>男には、(幸福はなく)不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです。
>「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすれば
いいのよ。」と言いました。

太宰治のヴィヨンの妻からの引用ですが、さらりとした文体に、こういう文が何ページごとに入ってきて、普通に歩いていたのがジャンプ台にはまって、ジャンプー、みたいな。こういう文が、軽い文体の中に、たまにパンチのように入ってくると、重い箇所が数倍重く感じられるんですよね、私の場合ですけど。太宰に関しては、人間失格のような暗い文のイメージが一般にありますけど、軽めのも結構書かれていて、その中でたまに見せる、くらーい深淵みたい文が入ってきて、すげー、となるんですね、私の場合ですが。

つい調子に乗っていろんなこと書いてしまいました。お許しを。ぴんとこないところはきっちり切り捨ててくださいませ。役に立ちそうなところがあれば嬉しいのですけど。あんまり羊さんを混乱させたくないので、なんだコイツえらそーだなと、テキトーに眺めてくれると助かります。

5150
5.102.22.168

訂正です。

>これは私の持論ですが、「軽い筆」の中に、ところどころ凝縮された「重さ」を封じ込めるのが、読んでいて一番重さを感じさせるんじゃないかな、と思うんです。「重いこと」をただ「重いように」書いても、読む方には伝わらないような気がするんです。視点をずらしてみると、重いことを重く感じさせずに、重さが伝わるのではないか、と。

これは私の持論ですが、「軽い筆」の中で、ここぞという箇所に凝縮された「深さ」をさりげなく封じ込めた文を挿入するのが、読んでいて一番「深さ」を感じさせるんじゃないかな、と思うんです。「真面目なこと」をただ「真面目に」書いても、読む方には響かない気がするんです。視点をずらしてみれば、真面目なことを重く感じさせずに、伝わるのではないか、と。

ちなみにタイトルの「揺れる」なんですが、私のすごく大好きな邦画「ゆれる」西川美和監督が、どうしても頭を掠めます。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

羊様

 拝読しました。

 御作のようなもんどりうった文体は嫌いじゃないし、むしろ、好物で、周辺にある意味があるんだかないんだか分からない雑多を(それでもそれこそがリアルなあらましで、星の砂を探すんじゃなくて砂浜で普通の砂をかき集めるみたいな感覚、星の砂は砂じゃないからね)かき集めて、所感とともに紡いでいく文体は、きらいじゃない、むしろ、好み。
 とうわけで全体的にはいい感じだと思いましたが、出だしが結構読みにくく感じた。それは慣れていないからということだけじゃなくて、なぜなら二回読んでもなお感じたから、ノレなかったから。
 具体的には「クーラーなんて効きやしない。」のところまではノレなくて、それ以降はいい感じになってきたという印象です。出だしは特にリズムがよくないなあと思った次第。リズムがつきそうなところでつんのめる体言止め、「密をを避けるために」という状況説明としても必然性を感じない冗長because構文、「こねこね」というオノマトペなどなど。単純に書き出しの部分だから、作者様自身が語りの雰囲気を掴んでいない所為で、実は冒頭以外はほとんど気にならなかった。ただ、ここで弾かれる読者もいると思うので、もったいないなあ、と。
 あとは、ところどころ筆は走りすぎている。核心と関係あるんだかないんだかわからない雑多なことをうねりに任せて、雑煮としてまんまと成り立てて見せる、そういう力が、この手の文体にはあるんだけど、書きすぎちゃうと、今度は逆の、文体のもんどりダンスの方に、影響を与えちゃって、効果はハンゲンだ!と思います。具体的に塾講師バイトの話の部分などは、すでに回想編スタートといわんばかりの長さで、過去の反芻と現在の状況把握がもんどりうってダンスしている、文体のよさが弱くなった気がします。

 半分ぐらい読んで思ったことは、御作と御作の語りとが表現しているのは、「人は誰しも当事者として生きていない」とかそんなことなんかなー、って思った。指摘に対してめっちゃ短いのだけど、この言葉はかなりしっくりきちゃったので、そこは、まあ、ゴカンベンを。


 もし全部読めたら内容について続きを書きます。約束はできないケド。

上松煌
p4248233-ipngn24701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

アリアドネの糸さま、現在6面にあるおれの作品に感想を下さり、ありがとうございました。
おれはうかつにもそれに気づかず、5150さんに指摘され、大急ぎで感想返しをしてありますが、お気づきになったでしょうか?
もし、まだなら一読くださればうれしく思います。

なお、この通知のためにやむを得ず、羊さまの感想欄ををお借りしたことをお詫びいたします。

pw126033145038.23.panda-world.ne.jp

5150様

ご感想ありがとうございます。返信が遅れてしまい申し訳ないです。
深いものというか哲学の芯が通ったものを書かないといけないという焦りはありますね。ふんわりとして雰囲気、ユーモアだけで素晴らしいものが書ける才能はないという諦めから近年はそう思っています。それで少し無理している感は否めないですね。
「軽い筆」の中に、ところどころ凝縮された「重さ」を封じ込める、というのが一番の憧れです。それがなかなか難しいですね。太宰治は私も好きです。秋風記とか今でも事あるごとに読みます。
タイトルは折坂悠太の曲名から取りました。

pw126033145038.23.panda-world.ne.jp

アリアドネの系様

ご感想ありがとうございます。
ご指摘通りスタートは確かに良くないです。これも何回も書き直した結果ですがあまり納得はいっていません。正直書き出しに苦手意識あります。書き出しは練習します…
今回書きすぎは半分わざとなところあります。最後まで読んでいただけるとありがたいです!

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

最後まで拝読しました。

 最初は反省文から、

>「人は誰しも当事者として生きていない」
 というのは前半部のこの語りが見せくれた景色ですけど、半分を超えたあたりで少し印象が変わりました。日常がどれほど当たり前でありえないか、という、とりかえしのつかない予感やら気配やらを、淡々と具象を重ねて書いておられるわけですね、その気配を知りながら淡々としている主人公に対して、当事者として生きていないと早計してしまったわけですが、間違いでした。読み進めるにつれ、別に切実なものをやり過ごしているわけではなくて、惰性の逆らいがたい魔力により、そうあるだけなのかも。平たく書けば、定常性バイアス、みたいなもの。なんていうか、人生は薄氷のスケートリンクの上を歩いているようなもので、すばらしく安定しているのは氷のが氷としてちゃんと機能しているからで、でも薄氷の上なんだよなあ、とぞわぞわする気持ちになりました。
 

 以下本題。

(1)
 地震、コロナ禍、ブラックな労働、自殺の話と社会テーマ的なことが目白押しで書かれてましたけど、作劇に強く関わっている地震を除いて、取りとめのなさと節操のなさの紙一重のラインを突いているなと感じました。紙面を割いているわりには効果的ではないというか、テーマが重たいわりに、先の方へと引き継いでいく力とカタルシスが一切ないし、場合によっては、必然性すらあやしい。とも。自殺分析のTV番組のくだりは、最も連携的。読者からすれば、サービス精神が毛ほどにもない、といった具合。
 と酷評しつつ、ここで掌をひっくりがえすのですけど、そこが潔いと思ったことも事実。というよりは、背景を背景として書いているだけで、無目的的であることこそが、テーゼを浮かびあがらせるために必要な手続きなのだろうから、意図的にそうしているのだろう。とは思った。

(2)
 各段落ごとに主人公の行動理的や所感が書かれていますけど、結局、それを描くことで、何が言いたいのかよくわからない。
 ただただ流れていくのみという、さる達観を感じさせるような筆致は、御作で取り上げたいテーゼに対しては適切かもしんないけど、ここまでタラタラ続くと読んでいて退屈なのも事実。出来事の選別もわりと行き当たりばったりという印象で、とりとめがない。取り留めないままにも総体として浮かびあがるものがないと、ただ漫然と書かれたものなのか、漫然であることすら意識されて書かれたものなのか、読み手には判然としない。
 あるがままを模写するということを真摯にされた結果なので、このことが欠点ともいいづらいのが難しい。この作品が届けないあるがままってのは、無目的的な筆でこそ浮かびあがるありさまなのだろうから。だから模写としては完璧な筆致だと思うけれど、その模写を読み手が楽しめるかどうかはまた別の話である、とかそういうを思った。正しく書けたものを、読み手が正しく読めるわけじゃないという当たり前の齟齬が最大化した形で起こるのではないだろうか?
 淡々とした様子が、ずっと同じトーンと同じスキルで書かれているから、長文を読んだ割には意外と印象が残らないのは作者様的にどうなのだろう? 段落ごとにカルタ札にして、これを正しい順番に並べなさいというクイズが出たら、間違える自信があります。

 要するに、承と転を担う長尾が登場する段落以外の部分は、ずっと同じトーンで積み重ねが生きない言葉を書いているので、かなり忍耐を必要とするわりに受け取れるものが少ないといった具合。でも、これって、多分意図して書かれていて、恐ろしいことに、その無目的な雑多の「量」そのものが、文字通り「重み」となるように作られている。なぜならば、無目的な出来事たちはお互いの間に関係性を作らない、いわばツルまないことによる雑味こそが、定常性バイアスの底にある空気の正体のようにも思えるから。

(3)
 これは別に指摘じゃなくて感想ですけど。最後に地面が揺れた終わるシーンは、予想通りだったけれど、妻との会話がよかったです。娘の死以降、心理的に乖離してしまった妻との心は通わなくても、血を通わすことができたんちゃうかな、と思わせてくれたので。

(4)
長尾の存在意義。いいキャラだと思いましたけど、一石を投じて小さな波紋を主人公の心に立てただけかーと思ったけれど、そういうもんだから仕方がない。でも、単純にキャラが立っていたのでよかったです。キャラが立っていれば、結構面白く読めるもので、さんざっぱら指摘した無目的淡々麺であるところの物語はテーゼの都合上変えようがないけれど、キャラの方でなんとか工夫することはできそうに思った。例えば、同僚の三島とか、コンビ二のお兄さんとか、水商売の女とかに、もうちょっと退屈でなくすように語らせればよかったのじゃないかな。そうですね、長尾以外は、徹頭徹尾クソ真面目なんですよ。テーマがクソ真面目なんだから、キャラぐらいは小説チックにちょっとぐらい砕けてもいいんじゃないのって思った。サービス精神ってやつです。まあ、作風変わっちゃうから、そこまで強く推すもんでもないのだけれども。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

致命誤字発見

最も「連携的」→最も典型的
この作品が「届けない」あるがまま→届けたい

失礼しました。

softbank060135195146.bbtec.net

アリアドネの糸様

ご感想ありがとうございます。

(1)(2)について
自殺分析のテレビの部分は確かに自分としても課題に思っています。今回は量を積んで重く見せようという気持ちはありましたが、こうして指摘されると、ちょっと取り留めなさすぎたかなと思いました。難しいですね。
(3)(4)について
1作の中でぶっとんだ人は1人にしてます。2人にしたら制御が効かなくなりそうで…だから他は普通の人達になってます。そこにキャラを持たせるのが難しいといえば難しいです。

いろいろとありがとうございます。精進いたします。
また次も読んでください。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

羊さま

もしよろしければでいいのですが、
この作品で描きたかったこと
それから
この文体を選んだ理由

について、何かしらお聞きできれば幸いです。

あれこれ想像を働かせて、感想にてアリアドネの仮説を書かせていただいたものの、実際のところはどうなのかなーと結構気になっております。

こんなことを聞くのは図々しいかとは思ったのですが、興味深い書き方の作品でしたので、このあたり、大変気になります。

softbank060135195146.bbtec.net

アリアドネの糸様

そもそも、南海トラフ地震がかなりの確率で発生すると言われているのに何一つ変わらず毎日を過ごしていることに疑問を持ったところがスタートでした。阪神大震災や東日本大地震で地震の怖さは皆十分知っているはずなのになぜ平然としていられるのか、一番大事なのは命で、死んだら終わりだと言うのならすぐに安全な場所に逃げるのが正解なのではないか、と考えたことがまずはこの小説を書こうと思った理由です。
上記について、いろいろ考えた結果、自分が選んでたどり着いた今の生活は実はとても愛しいもので、心の中の気付かないところで、命をかけて続けていきたいと思っているものなのではないか、ということが自分の中で一つの答えでした。
書きたかったこと、と問われるとそのテーマを軸にした人間模様? です。
何かに疑問を持って、それについて自分なりの回答を考える、それをキャラクター、物語に落とすというのが最近のスタイルです。前はもっとふんわりした書きたいシーンから逆算で物語を作っていたのですが。

この文体を選んだ理由は一言で言うと模索です。普段、私の書いた小説は「軽い」と言われることが多いです。それを持ち味として評価をしてくれる方もいるのですが、けっきょく結果には繋がっていませんでした。それでちょっと書き方を変えてみようとかと思っていた時に金井美恵子さんの「柔らかい土を踏んで、」と言う小説を読みました。この小説は改行がほとんどなく、説明文がまた別の説明文に繋がり、非常に読みにくいのですが一方で美しいなと思いました。それで一度この書き方で書いてみた次第です。とにかく台詞も何も改行せず、章をまるまる書き切る。読みにくいだろうなとは思っていましたが、インパクトはあるだろうなとも思っていました。書き手としては意外と書きやすかったです。ただ、これ以降はこの書き方では書いていません。また何かしら別の書き方を試しています。とにかく結果がほしくての模索でした(ダメでしたが…)。

すみません。これで回答になってますか?

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

羊様

大変、ご丁寧に返信くださりありがとうございます。
たいへんよく理解できました。

問題意識に対しての問答を、物語の目立つところにではなく、人間模様として落とし込んでいるのですね。
作品をメッセンジャーとするのではなくて、パースペクティブとして描くことになるから、興味深い書き方のように、アリアドネには映りました。

文体については、これはこれで面白いと思いました。先の感想で書きましたけど、ツルみたがらない言葉が並んで重みを増すことに魅力を感じましたがゆえに、文体の方で連なるように書いてあげるというのは、案外ただしいアプローチなのではないか、と思いました。

文体もいろいろ挑戦されているのですね。大変、参考になりました。ありがとうございます。

でんでんむし
p0163482-vcngn.ttri.nt.ngn.ppp.ocn.ne.jp

羊さん
読ませて頂きました。
昨夜寝る前に最初のシーンだけ何気なく読んで、とっても心地よくて、長そうだけど読まなくちゃと思って、さっき仕事を終えてから読みました。面白くて一気読みでした。

何といっても、しまりなく、ぐだぐだいっている、雨に流されているような主人公の姿が、平凡だけど、私のような田舎者には新鮮でした。特に昨夜読んだ冒頭部分の、あっちでもないこっちでもない、終わりそうでいて終わらない、そういう語りが新鮮だったのです。金井美恵子さんの書かれるものって、こういうのでしょうか。読んだことないので。

で、さっき読んだら、最初のぐだぐだした文章、思考といってもいいのかな、そういうのがだんだん薄くなって、普通の小説になって、読みやすくなっていました。
改行もなく、言葉が詰めこんであるので、読み難いという意見もありましたが、ごはんのフォント設定がゆるいので、読むのに苦労はしませんでした。文庫になったのを読めば、確かに読みにくいかも。

ただ、私もこんな調子のを、「おれ」視点で書いた経験があるのですが、ほんとどんどん書けますよね。たとえば、「言い忘れたが」とか「説明すると」とか、平気で使える。普通に書いていたら、説明調といってチェックが入るところなのですが、こういう感じだと何の問題もないですよね。御作で、言い忘れたとかはなかったと思うのですが、補足説明をどんどん入れ込まれているので、そういう感じかな。というか、そういう部分が面白いわけで。
そして、おそらくきちんとしたプロットなしに始められたと思うので、違ったら申し訳ないですが、書きながら、さて、明日はどう続けるか、と思ったりする。そうだ、テレビの討論会、なんてことになって、うまく話にはまらない部分が出てくるのですね。

しかし、まあ、細部です。何度も書きますが、冒頭部分のぐだぐだは面白いですが、ナレイトの仕方が、ですが、後に文章が合理的な感じに、というか、普通になってくると、今度は話が大事になってくるのですね。表現の面白さではなく、物語、キャラに心が向く。
そうなると、奥さんはよかったですが、肝心の長尾とか、風俗の女とか、なんか味がない気になるのです。この語りだからよくても、普通の地平に置けばさほど面白くないキャラとかになってしまったり。
長尾の最初はとてもよかったです。ロシアに行きたいというのもよかったですけど、というか、日本の過疎の田舎に行けば、地震の心配はさほどないですけどね。地震が来ても、津波が来ても、広いし、人もいないし、すぐ逃げられるし、と思うけど、まあ、そんなことはどうでも、二度目に長尾に会った部分が、そのキャラが魅力をなくしてしまっているように思えるのですね。最初の希望を必死で述べる部分がいいけど、それが繰り返されると、読者は飽きてしまうのですよ。二度目のときは、別の姿の長尾を見せるか、とにかく読者を裏切る長尾にしないと、二度出てきて、同じ感じなら、ただいうだけなら、意味がないのではないか、だから読むのに、ちょっと退屈してしまうのではない、と思ってしまいました。あくまで個人の感想で、ここからロシアほどずれているかもしれないですけど、そんなことを思いました。
そうそう、病院の明りとか、太陽の暴力的な明るさ。せっかくロシアの話になったのですから、それにつなげる手もあったような。光の乏しい国行こうと誘われているわけですから、気はそそられるのじゃないのかな、とか。

ただ、私には新鮮でした。何しろ、100パーエンタメ人間なので。おもしろかったです。
ただわくわくと読んで数時間たった今、やはりキャラとか物語の結構とか、文章と共に大事なのだな、と何となく思っています。

pw126033146132.23.panda-world.ne.jp

でんでんむし様

ご感想ありがとうございます。
テレビ討論は正直場繋ぎでした…長尾の二回目のシーンは確かにそうですね、ほぼ一回目と同じこと言ってます。確かにちょっと違う面を見せれば良かったです。参考になります。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内