作家でごはん!鍛練場
椎名

八月の終わりの夜

 部屋のノートパソコンを閉じた。作曲を終えた僕は窓の外のベランダに出た。八月の夜、月が夜空に輝いている。涼しい風が吹いて、少し草の匂いがした。京子は今、どこにいるのだろう。僕は彼女が結婚したことを前に知った。京子とは昔からの幼馴染だったが、僕らが恋人同士になることはなかった。ポケットから煙草の箱を取り出し、一本火をつける。
 ベランダから見る夜景は綺麗だった。もし僕らが一緒に今いたとしたら、そうしたら、その時、僕は何を思うのだろう。あの時、いくらでも彼女に自分の気持ちを伝える時間はあった。でも結局僕はそれを言わなかった。僕は作曲家になり、彼女は結婚した。高校に通うことを辞めて将来を悲観していた僕にとって、京子と会うことができたのが唯一の救いだった。
 煙草の煙はゆっくりと大気に溶けていく。京子のことを思い出したせいか、やけに感傷的な気持ちになった。部屋の中のデジタル時計は夜の十二時を示している。僕はそろそろ寝ようと思い、ミネラルウォーターをコップ一杯飲んだ後、ベッドに横になった。明日も僕はいつものように曲を作らなければいけない。作曲家になったことで自由な時間は増えた。でも僕は心の中に何か満たされないものを感じていた。寂しさというのか、空虚というのかわからないけれど、でもそんな気持ちがしていた。

 季節は夏になった。今は夏休みの時期だ。今年の四月から高校には行っていない。僕は高校に入学してから、上手く友達を作ることができなかった。なんでだろうと思う。みんなはすんなりと一緒にいるのに、僕だけが孤立していた。僕は部屋の中で、作曲をしていた。もともと音楽が好きだった僕は、高校に行かなくなったことで、さらに音楽にのめり込むようになった。お小遣いで買ったノートパソコンにフリーの作曲ソフトを入れて、音楽を作る。思えば僕は高校に行かなくなってから、ずっとこんなことをしている。別にミュージシャンになれるとは思っていない。僕はただ好きな音楽を自分で作ってみたかっただけだ。僕の両親は僕が高校に行かなくなると、最初はあれこれと言ったが、最近は何も言わなくなった。きっと両親もあきらめているのかもしれない。季節は夏で楽しい時期のはずなのに、僕はどこか憂鬱だった。もしこの憂鬱な気分がなくなったら、楽だろうなと思う。部屋に寝転がりながら、天井を眺める。ふと将来のことが頭によぎり、不安感に襲われる。どうして僕はこんな境遇になってしまったのだろう。

 午後の三時になった。窓の外を見ると、いくらか日が落ち着いてきたように見える。遠くには山が連なり、田んぼが広がり、路肩にはひまわりが咲いていた。僕はパソコンで作曲をしていた。こうして何かに没頭していると今までの境遇を忘れることができた。部屋にあるスマートフォンが振動していたので、僕は電話に出た。いったい誰からだろうと思ったが、その声は幼馴染の京子だった。
「久しぶり」と彼女は言った。
「久しぶり」と僕も言った。
「高校に入学してから連絡取ってなかったね」
 京子は僕の幼馴染で、幼稚園の頃から一緒だった。僕らは中学まで同じ学校に通っていた。
「そうだね」と僕は言った。
 いったいなぜ彼女は連絡してきたのだろう。彼女は今僕が高校に行ってないことを知っているのだろうか。
「隣町で今度、花火大会があるんだけどさ、一緒に行かない? 私たち小さい頃から、一緒によく花火を観に行ってたじゃない?」
 確かに僕らは小さい頃から夏には花火を観に行っていた。でも去年は、僕らは連絡を取っていなかったので行かなかった。僕はその頃、毎日高校に通うことが憂鬱だったし、京子とも距離を取りたかった。なんとなく自分が辛い思いをしているというのを隠したかった。
「いいよ」と僕は言った。
 今は僕が高校に通っていないことを彼女に伝えてもいい気がした。でもおそらく京子は親から僕が高校に通っていないことを教えてもらったから、電話してきたのかもしれない。
「じゃあ、今週の日曜日に駅前に来て」
「わかった」
 電話が切れると、僕は少し自分がどきどきしていることに気が付いた。ずいぶん久しぶりに同年代の人と話した気がした。しばらくの間、僕は部屋の中を眺めていた。

 日曜日になると、僕は駅へと道を歩いた。夕方でオレンジ色の光に辺りが照らされている。涼しい風が吹いて懐かしい気持ちになった。木造建築の家々が連なり、畑や田んぼがその奥に広がっている。小さい頃から見てきた光景だった。僕は京子と会うのが楽しみだった。昔から僕らは一緒にいたが、どこか気が合うのか、居心地がよかった。
 駅に着くと、白いワンピースを着た京子が駅前に立っていた。彼女は私立の女子高に進学したが、中学生の頃よりもおしゃれになっている気がした。彼女はおそらく順調にやっているのだろう。
「待った?」と僕は言った。
「久しぶりだね」と彼女は言った。
 会ってから何を話せばいいかわからず、僕は自分の今の現状を伝えようと思った。
「実は今高校に通ってなくてさ」と僕は言った。
「私の親からそのことを聞いたの。あなたの両親はすごく心配してるって」
「高校に馴染めなくてさ」と僕は言った。
 僕はそのことを伝えると、いくらか気が楽になった気がした。今まで、心の内に隠してきたものだった。
「でも、きっと大丈夫だよ。圭介君は少し不器用なところがあるからさ。でも私はなんとかなると思う」
 彼女はそう言って微笑んだ。僕らは駅の改札を抜けて、ホームで電車を待った。向こうから銀色の電車がやってくる。僕は久しぶりに会ったせいなのか、胸がまたどきどきしていた。今まで京子にこんな感情を抱いたことはなかった。彼女は昔よりも優しくなっている気がした。

 夕暮れの町を僕らは歩いていた。太陽の姿は見えなくなり、暗い水色の世界だ。夜になる前のこの景色が好きだった。僕の隣を京子が歩いている。ショートヘアに丸い輪郭、細身の健康的な体。小さい頃は意識しなかったけれど、僕は今彼女を一人の女性として見ている。
 花火大会が行われる河原には、たくさんの人が集まっていた。この辺りに住んでいる人たちが一同に集まって行われる。僕は何度もこの花火大会に来たことがある。昔は、京子と僕の両親も一緒だった。
「なんか夏っていい季節だよね」と京子は言った。
「昼間は蒸し暑いけど、今は涼しいよね」
 轟音が鳴り響くとともに、空には赤色の大きな花火が広がっていった。久しぶりに観た花火だった。こうして空を眺めていると、僕らはとても巨大な空間にいるのだと気づかされる。
「私は、夏が一番好きなんだよね。どこか切ない感じがしてさ」
 京子はそう言って花火を見つめている。空には次々と花火が上がり、消えていった。
「確かに夏はなんか懐かしい感じがするよね」
 僕は京子と花火を観ながら、束の間の楽しさを味わっていた。なぜだかわからないけれど、今この瞬間だけは救われた気がする。僕はこの先どうなるのだろう。漠然とした将来への不安を抱えながら、空に消えていく花火を見つめる。
 花火が終わると、僕らはまた駅へと引き返していった。辺りはすっかり夜になっている。周りの人たちの声が響いていた。
「なんだか楽しかったね」
 京子はそう言って、背伸びをした。
「来年も来ようよ」と僕は言った。
「そうだね」
 駅に着くと、改札を抜けて、ホームで電車を待った。空には雲が浮かんでいて、雲のないところに星が見えた。京子は時々、高校生活のことを話し、僕はそれをなんとなく聞いていた。

 八月のちょうど夏休みが終わりに近づく時期になった頃、僕は母親にリビングに呼ばれた。家のリビングには木のテーブルが置かれていて、六人掛けになっている。昔は父と母、それに今は東京で一人暮らしをしている姉がいた。僕は中学になるまでは、家族と団らんを過ごしていたが、高校に行かなくなってからは、一人で黙々と食事だけをし、両親とは会話を避けていた。僕はなんだか自分が後ろめたかったし、家族に本音を話すことができなかった。でもこの前京子に高校に行っていないことを打ち明けた時、僕の両親が心配していることを知ったので、少しだけ安心することができた。
 リビングのテーブルには父親が座っていた。今日は休日だった。僕は父親の向かいの席に座った。母親は父親の隣に座った。
「高校の件なんだけどさ、お前はまた高校に通う気はあるのか?」と父親は聞いた。
「正直もう学校には行きたくない」と僕は言った。
「お父さんとお母さんでいろいろ考えたんだけど、通信制の高校に通うのはどうだ?」
「通信制?」
 僕はそれを聞いて、そういう手があったことに初めて気が付いた。僕は高校に通っていなかったが、高校を中退するという選択肢しか考えてなかった。
「お前もなかなか今回のことは大変だったと思う。でももう一度頑張れ」
 父親にそう言われて、僕はまだやり直せるんじゃないかという期待がした。
「わかった」
 僕と両親はその後も今後のことについて話し合った。それで、今通っている高校を辞めて、来年の四月から通信制の高校に転校することになった。

 部屋に戻ると、僕は京子に電話をかけた。数回の着信音の後に、彼女は出た。
「もしもし」と僕は言った。
「圭介君。どうしたの?」
「実は来年の四月から通信制の高校に通うことになったんだ」
「よかったじゃない」
「この間の花火大会は楽しかった。誘ってくれてありがと」
「なんか少し元気になったんじゃない?」
 僕らは他愛もないことを電話で話した。もうじき夏が終わろうとしている。京子が言ったように、夏はいい季節だなと思った。窓の外のオレンジ色の日差し、蝉の鳴き声、路肩に咲くひまわり。そんな当たり前の光景がまるで今初めて目にしたように見えた。
 電話が終わると、僕は部屋の畳の上に寝転がった。高校に行かなくなってからの半年間を思い出した。僕はその間、作曲に没頭していた。曲を作ることで現実逃避をしていたのかもしれない。僕は今まで音楽をやってこなかったし、到底自分に才能があるなんて思えなかった。でも僕は音楽がやっぱり好きだった。
 その日は夜になるまで、作曲をしていた。通信制の高校には通ったことがなかったが、なんとなく今はそれがいいことのように感じた。

 八月の終わりの夜、僕と京子は河原に座って、川を眺めていた。京子とはここ最近、電話で話すことが多かった。河原の草は風に揺れ、川は穏やかに流れている。小石を拾って川に投げると、ぽちゃんと音がした。夜だったので、近くの街灯の明かりでかろうじて京子の顔が見えた。
「最近少しずつ勉強始めてるんだよね」と僕は言った。
「来年の四月からでしょ?」
「周りの人とは一年遅れちゃうけどさ。僕なりに頑張ってみようと思うんだ」
「いいことだと思うよ」
 京子はぼんやりと川の水面を眺めていた。彼女の目は大きくて、なんだか今は魅力的に感じている。僕は京子とまた過ごすようになって、以前は感じなかったものに気づいていた。もしかしたらこれは恋かもしれない。
「高校に通わなくなってからさ、作曲をしてるんだ」と僕は言った。
「作曲? 何か楽器やってたっけ?」
「いや、独学でやってる」
「へえー。今度聴かせてよ」
 彼女は僕の顔をじっと見てそう言った。僕は彼女の側にいるとどきどきする。高校に通わなくなって鬱屈していた僕にとって彼女の存在は救いだった。僕はふと高校生になってからの日々を回想した。
「なんかわからないけれどさ、きっと僕みたいな経験した人は一定数いる気がしてね。何かそういう人たちにできることがあればいいなって思うんだ」
「じゃあさ、作曲家を目指してみたら?」
「でも、僕には才能もないし、音楽的な素養もないし」
「じゃあ、作家は?」
「作家? 小説は書いたことないな」
「そっかー」
 京子はそう言って微笑んでいた。空には丸い月が浮かんでいた。銀色の星がいくつもきらきらと輝いている。僕は今この瞬間を記憶しておこうと思った。きっと大人になってからも、今日のことを思い出す気がする。今まで将来を悲観していたけれど、今は少しだけ前向きになることができた。

八月の終わりの夜

執筆の狙い

作者 椎名
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無難な小説を書いてみようと思い執筆しました。

コメント

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作者さんの人生背景や考え方といったものが浮かんできてとても楽しめました。
主人公が後半にかけて前向きに気持ちが動いていくところが好きです。
ただ、読者としては、何を伝えたいかと言ったような、テーマの部分が伝わりづらく、そこに多少引っかかってしまったと言うのが正直な意見です。

椎名
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匠さん

コメントありがとうございます。テーマとしては高校に通わなくなったことによる鬱屈とした思いから立ち直るというものにしました。少し伝わりにくかったですかね。

夜の雨
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「八月の終わりの夜」読みました。

導入部が作曲の仕事で一定の成功をおさめている主人公の青年から始まっています。
そこから過去の高校に通わなくなった誰にでもあるかもしれない一時期の迷いに京子という幼馴染に勇気をもらい立ち直ることが出来た話になっています。

しかし現在の彼女は結婚しており自分は作曲の仕事をしている。
明日も曲を創らなければならない。
なにか満たされない気持ちがある。

なにか満たされない気持ちがある。 ← このあたりが面白いですね、話が膨らみます。
満たされない原因は、主人公は自分が好きな作曲の仕事には就くことが出来たが、京子は遠い存在になった、ということになりますから。

このあと主人公が音楽を聴きながらウイスキーをグラスに淹れて飲んでいたら、電話がかかってくるということにすればどうでしょうか。

御作、なかなかイメージが膨らむ内容でよかったです。

椎名
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夜の雨さん

コメントありがとうございます。満たされない気持ちは京子と一緒にいることができなくなった名残り惜しさにしました。確かに最初の部分で京子から電話がかかってくるというのもありですね。

夜の雨
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再訪。

満たされない気持ちは京子と一緒にいることができなくなった名残り惜しさにしました。 ← これは、その通りだと思います。

確かに最初の部分で京子から電話がかかってくるというのもありですね。 ← ここは、電話がかかってきたので、受話器をあげる、またはスマホで電話に対応する。
と、京子ではなくて「先生、曲作りははかどっていますか?」という若い女の声。

作曲といってもいろいろあります。
主人公も生活をしなければならないので。自分が好きな曲ばかり作っているわけにはいきません。
テレビ番組(ドラマ)の中の曲(雰囲気づくり)がはかどっていますか、というデレクター(または、助手)からの電話でした。
主人公が対応していると「先生、飲んでいるのですか」
「うん、創作にはウィスキーも必要でね、ドストエフスキーが賭博に走ったように」
「あはは、そんなことを言ったら太宰みたいに恋愛と文学で女が絡んで自殺しなければならなくなりますよ」
「それは、ないよ」と、主人公は笑った。
「それじゃあ、いまからお邪魔していいかしら」
「二人でアルコールに浸るのか」
「○○(ドラマ)の視聴率をあげるには音楽も重要なのよね」
「わかったよ、それじゃあ、待ってる」
電話を切ると、2分ほどで来る。

という具合に、主人公の住まいの近くに彼女はいて、電話をかけてきたわけ。

これで、主人公と京子の間によからぬ第三者のテレビ局のデレクター(または、助手)をしている第三者が入る。テレビ局の担当者でもよい。若くて美人。

こうなってくると、話はいくらでも広げることが可能です。

京子のご主人とドラマのスポンサーを絡めておいても話はつながります。
そこから、スポンサーと主人公がCMの曲作りで関係して京子に行きつく。
京子と主人の間に子供はいるのかいないのか、はたまた、京子の結婚した相手は再婚で子供までいたとか。
そうなってくると、京子と主人公が、いつのまにかつながるということも可能なわけです。
そこから、二人の関係は、主人公のドラマは膨らんでいく。

というような展開です。
御作から、いくらでも広がります。

椎名
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夜の雨さん

たびたびコメントありがとうございます。確かにそのように話を膨らませるのもいいですよね。僕自身もおもしろいストーリーを練ることが大事かなと思いました。

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