作家でごはん!鍛練場
ドリーム

若き日の恋物語 

遠い渚
 
 もうあれから何年経ったのだろう。あの渚は遠い、遠い昔の思い出となっても未だに心に沁みついて離れない。
  あれはバレンタインの日だった。小夜子から貰ったプレゼントを今でも大事に持っている。それはチヨコレートと一緒に添えてくれたライターだ。それもただのライターではない。そのライターには坂本健一の誕生石のオパールが組み込まれていた。こんなライターを見た事がない。探すのが大変だっただろう。それも愛情の現れか。
  堀尾小夜子も同じく誕生石はオパールだった。つまり二人共十月生まれ、そんなせいか気が合う。俺も彼女にオパールのネックレスをプレゼントした。オパールの淡い輝きに、恍惚の誘惑に誘われ二人は完全に恋に落ちた。ただオパールは他の宝石に比べて柔らかく、ちょっとした事で傷つきやすい。そう恋とは淡く壊れやすいものだ。だがその淡い輝きはどの宝石よりも美しい。あの日の渚の想い出。今は遠く…………まるで幻のような恋だった。

出会い
 
 昭和三十九年まだ新幹線が開通して間もない頃の事だ。そしてこの年アジアで初めてオリッピックが東京で開催される。世の中は間もなく、いざなぎ景気に入って行く時代だ。俺は東京に本店がある大きなデパートから転勤して、この地方の街にやって来た。とは言ってもデパートの正社員ではなく、デバートにテナントで入っている店舗の店員だ。このデパートは駅前にありこの街で一番の老舗で一番大きな建物である。ここで働いている人は千人近く居るかも知れない。まず今日から自分の職場となる売り場に来て周りの売り場の人たちに挨拶に廻った。俺の職場は食料品売り場で一階にある。勿論デパートの正社員もいるが圧倒的にパートやテナンとの従業員が大半を埋めている。俺はテナントの店員である。まず自分の職場の人たちへ挨拶する。
 「今日からこちらに配属となりました坂本と申します。宜しくお願いします」
 「はい、こちらこそ宜しくお願いします。わからないことがあったら遠慮なく仰ってください」
 そんな親切な挨拶が返って来た。どこでもそうだが最初が肝心。少しでも悪い印象を与えたらそれはもう大変、少しでも良い印象を残すて置くべきだ。そもそもデパートで働く店員は女性だらけ。東京でもそれは慣れているが悪い気はしないのも確かだ。通路を挟んで真向かいは和菓子売り場。自分の所属する店以外の人に挨拶しておかなくてはならない。俺は正面と両隣のあいさつに廻った。
 「今日からこちらに配属になりました坂本と申します。東京から来ました。宜しくお願いします」
 「まぁ東京からですか、いいなぁ」
 それが彼女の最初の言葉だった。そんなに東京がいいのかと不思議に思った。
 俺の売り場は贈答用品の売り場。お客様が通れば軽く会釈する。決して呼び込みはしないがツンとしていては売り場の印象が悪くなる。
 そんな時、前の売り場で先程挨拶した彼女と目が合った。それはいつも目の前にいれば自然と合うのも当然だが、なぜかドキリとした。いや電流が流れるような感覚に襲われた。一人の女性と視線が合った瞬間の事だった。処が向こうも同じような感触を感じたのだろうか。挨拶した時は緊張したせいもあり余り顔を見て居ないが改めて見ると好みの顏だ。
 東京でも周りは女性だらけ慣れてはいるが、こんな新鮮な感覚は初めてだ。だがそれは相手も同じだったようだ。
 二人は視線を合わせたまま凍りついたような感覚に襲われた。まさに電撃的な恋の感触。
 二人には運命的な出会いではないかと、導いてくれた神に感謝したいくらいだった。
 挨拶したばかりだが軽く会釈を交す。相手も同じように笑顔で返してくれた。
 
 だからと言って周りの目がある。『なに? あの二人早くも出来ているんじゃないの』そう言われかねない。なにせ女の職場は嫉妬で溢れている。だからその場は互いにさらりと交した。
 昼休みは交代で取るのが普通だ。早番は十一時三十分、中番は十二時三十分、遅番が十三時三十分と三交代で行われる。すると目の前の売り場の彼女が手で合図して来た。指で自分を差し手で人差し指と中指と二本立てる。つまり昼休みは中番と言う意味らしい。俺は早番で十一時三十分、来たばかりで中番にして下さいとも言えない。休み時間は一週間交代で早番、中番、遅番と取るそうだ。俺は苦笑いしながら彼女に人差し指を一本立てた。
だが翌日、彼女の方が俺に合わせて昼休みを取ったようだ。昼休み、まず食事を取らなくてはいけない。九階はデパートとの事務所と、更衣室と社員食堂がある。正社員以外にもテナントの店員や業者の人もチケッチを買えば利用できる。彼女と一緒に社員食堂に行き、チケットを買って一緒に食事をした。なんたってまだ名前も知らない、いや確か名前を言っていたが緊張で名前も覚えていない。けれど何年も付き合っているような不思議な感じがした。
 
 「今日は、改めて初めまして。私、堀尾小夜子と申します」
 「ああ。こちらこそ坂本健一です。宜しくお願いします。数日前にこの街に来たばかりです」
 今度は忘れない。夜の子と書いて小夜子だそうだ。本人は気に入っているらしい。
 小夜子の眼は輝いていた。こっちが恥ずかしくなるほどマジマジと見つめる。思わず視線をずらしていた。東京から来たと言うと彼女は東京に憧れていたようで、いいなぁと羨ましそうに言う。そう言われたが俺が東京の人間だと思っているらしい。本当の事を言うと俺は東北の田舎から出て来た。彼女はそう思い込んでいるに東北の田舎だよと言えなくなった。
 俺達は翌日には社員食堂ではなく屋上の小さな遊園地に居た。この当時は屋上に遊園地があるのが当たり前だった。今でも安全上の理由で殆ど遊園地なんてない。小夜子は明るく、名前の通り怪しい雰囲気を持った子だ。太陽のような存在だ。いや小夜子だから月の妖精のような女性が相応しいかも。とても積極的な女性だ。二人の職場は同じデパート売り場の同じ階で真向かい同士。いつも彼女は目の前で笑顔を振りまく。
昼休みは、いつもデパート屋上のベンチに座りパンを買って食事代わりにしながら話をした。とにかく気が合うのだ。もう朝から晩まで話をしていても飽きないほど。
 それから一週間、俺は転勤して初めての休みの日に、小夜子も休みを合わせてくれて街を案内してくれると言う。初めての街、どこもが新鮮だ。そしてその日の夕方、駅に近い所に公園がある。そこには小川が流れていて小さな橋がある。次からはここが待ち合わせの場所だ。小夜子は地元の高校を卒業して、地元のデパートに勤めてこの街から出た事がないそうだ。

 小夜子は美人と言うよりキュートで眼がとても綺麗で、いつも明るく正に向日葵のような存在だ。周りを明るくし、楽しませてくれる魅力に溢れた女性だ。俺? 彼女ほど陽気ではないが明るく冗談も言う。ただそれほど積極的ではない。自分で言うのもなんたが、わりと持てると思う。ただ馬鹿真面目な男かも知れない。だから彼女の積極的な行動に圧倒された。それがとても新鮮でどんどん小夜子の魅力に溺れそうだ。
 この街には、海も湖もあり大きな砂丘もあった。仕事が終わる頃にいつも小夜子からデパート内の内線電話で俺の売り場に掛かって来る。
 「今日は三十分遅れるね。悪いけど、ちゃんと待っていてね。きっとよ」
 屈託のない彼女の明るさに、俺はどんどん心が惹かれて行く。
 俺はいつもの公園の椅子に座り、彼女と出会った日の事を思い浮かべていた。
 あれからもう三ヶ月が過ぎ、あっという間の月日の流れだった。
 小夜子は息を切らしながら走ってきた。また屈託のない笑顔を浮かべる。
 「お待たせ! ねぇ、次の休みの日、海に行こうか」
 小夜子には沢山いろんな所に連れて行ってもらった。本当にいい街だ。いやそれはきっと
小夜子が住んでいる街だからであって、小夜子の存在が無かったら寂れた街に見えただろう。
 そして次の週。二人は電車に乗り、舞浜と言う駅で降りた。もう目の前は海だ。塩の香りが心地よい。八月に入り真夏の太陽がまぶしい。それよりもっと眩しいのが小夜子の水着姿だ。白い肌が美しく、職場の制服に包まれた小夜子とは違い、女をさらけ出した色気を感じる。俺は心臓の鼓動が波打った。
 「わぁー暑いわ、肌が焼けちゃう。ねえ健、日焼け止めを塗ってくれない。ほら! その
バックの中に入っているから」
 俺はバックの中から日焼け止めを取り出したが、なんたって女性のバックの中を見るのも初めてだ。これを小夜子の肌に塗るのかと思ったらドキドキした。完全に俺はいま彼女に翻弄されているようだ。
 やがて渚を夕日が赤く染める。あんなに大勢いた人影がまばらとなり、遠くの砂浜で誰かが線香花火を楽しんでいるのが見える。
「ねぇ私達も花火をやろうよ」
「えっ花火何処にあるの?」
小夜子は大きなビニール袋から花火のセットを取りだした。
「へぇー用意がいいね。驚いた」
二人で花火を始めた。最初は大きい方、最後は線香花火だ。やがて空は暗くなり星空と変わって行く、俺達は砂浜にビニールシートを敷き仰向けになり夜空を眺めた。東京の空とは違い驚くほど星輝いている。あんなによく話していた小夜子の口数が少なくなる。人も殆ど居なくなり聞こえるのは小波の音だけ。二人の会話は途絶え、夜空に浮かぶ月明りが怪しげなムードを作ってくれる。まるで作られたドラマの世界のようだ。水着姿の俺達は肩を寄せ合い小波の音を心地よく聴いていた。嗚呼、この時間が永遠に続くように。

 そんな時、小夜子は砂浜に仰向けになり星空を見上げている。何も言わずそして眼を閉じた。俺は分かっていた。誘っていることを、意外と初心な俺は、まだキスの経験もなかった。これまで女性と何度か付き合ったことはあるが、初心な俺はキスをしたことがない。初恋らしき、おぼろげな恋はあったが、シャボン玉のように弾けて消えた。つまり本当に好きな女性と会ったことがないのだ。
 高鳴る自分の心臓の鼓動が聴こえる。俺は彼女の髪を撫でて、そして頬に触れた。
 もう心臓が破裂するのではないかと思うほど興奮していた。そして、そっと唇を重ねた。
 小夜子は知らんふりをしている。まるで人形のように動こうともしない。
 俺は勇気を振り絞って、もう一度キスをする。緊張で歯がガチガチと震えて、小夜子の歯と自分の歯が当たって音を立てた。何をやってんだろう俺は。小夜子は俺の首に手を回してきた。それでも小夜子は眼を閉じたままだ。その時間は数分だっただろうか、俺にはとても長い時間に思える。そして恋を唇で感じた。だが、そのムードが一瞬で壊れた。暫くたって彼女は俺にこう言った。
 「健、下手ね……キス」
それはそうだ。だけど始めてだと言うのも照れ臭い。ただ小夜子にはバレバレだろう。
だけど面と向かってキスが下手だと言うか? 
照れ臭い気持ちと嬉しい気もち入り交じって俺達は砂浜を後にした。

 別れ

 俺は二十才なって初めてのキスだった。でも以前にも数人かの女性とデートした事がある。ただ特別好きだった訳でもないし、なんとなくと云う感覚だった。それだけ少し俺は女性に初心だったのかも知れない。一つ年下の小夜子は、少なくても初めてじゃないようだ。
だからと言って私はキス経験の先輩よと言うな。傷つく。
 それから半月が経った頃、街の祭りが行われ当然のように小夜子に誘われた。
 小夜子は俺以外の人には意外と職場ではツンとしているが、今日は浴衣姿だ。それがまた魅力的でもあり凛々しい。その制服に包まれた小夜子と、俺に見せる態度はまったく違うものだ。そして祭りの夜。初めて見る浴衣姿の小夜子は眩しい。俺と来たら浴衣なんかある訳がない。いつもラフな格好だが出来るだけ服は同じ物を着ないようにしいる。俺達は手を繋ぎ観衆の中に溶け込んでいった。
 祭りのメーンは山車だ。飾られた山車には王子と姫に扮した人が観客に手を振っている。
二人はそれに手を振った。祭りも終わりに近づいた頃、綿飴を買って公園のベンチに座った。二人は手を繋いだまま屈託ない話をする。だけど以前から気になっていた事を小夜子に訪ねた。
 「その指輪はどうしたの? 以前から付けているけど」
 小夜子はそれには返事をしなかった。俺は余計に気になり更に聞いた。すると小夜子は。
 「ごめんなさい。私ね、付き合っている人が居るの……その人から貰ったの。でも、でもね。今はずっと逢ってないけど」

 俺はハンマーで殴られた気がした。
 「どういう事だい。俺と付き合っているんじゃないのか? 俺とは気まぐれなのか? その相手と喧嘩して寂しさから俺と付き合っているのか」
 なんて事はない。小夜子は二股を掛けていたのだ。俺は強い嫉妬心に駆られ怒った。
 俺は純粋な恋を弄ばれたと思ったからだ。奈落の底に突き落とされたような気分ただ。
 「そうか……そう云うことか。馬鹿にするなよ!! さいなら」
 俺は怒りで小夜子を罵倒した。俺は急に冷めていった。あんなに燃えたのに冷や水を浴び去られ完全に冷めてしまった。ベンチから立って公園の出口に向かおうとした。すると小夜子は予想に反して引き留める。
 「ごめんなさい。悪気はなかったの。私は健が一番好きよ、お願い行かないで!」
 なんと小夜子はその指輪を抜いて、前を流れている小川にその指輪を投げ捨てた。
 一瞬俺は躊躇したが、しかし俺の怒りは収まらず小夜子を置き去りにして帰ってしまった。なんてことだ。人の心はこんなにも無情なのか。本当に好きになりかけていたのに。

 翌日、俺はいつも通り出勤していた。喧嘩をしたからし言って休む訳には行かない。しかし小夜子は目の前の売り場に居る。嫌でも顔が合う。俺は視線を逸らした。小夜子はそれでもチラッと時々俺を見ていた。その視線が突き刺さる。勿論、いつも行くデパートの屋上には行かない。俺は苛立っている。
 仕事が終わり、デバートの裏口からタイムカードを押して一人で外に出たその時、小夜子の先輩、長田由岐に声を掛けられた。俺より五歳ほど年上のベテラン女子社員だ。
 確か小夜子の直属の先輩でもあり、いわば面倒見の良い姉御的存在だ。
 職場では挨拶程度だが、俺は何となく察したがついた。
 「坂本くんごめんね、呼び止めて。時間ある? ちょっと近くで、お茶を飲みながら話そうか」
 彼女の誘いを断るのも気が引けて。
 「あ、はい……分かりました」
 誘われるまま喫茶店に入ると、由岐は早速、小夜子と自分の関係を説明してくれだ。同じ学校の先輩でもあり、家も近所だという。
 「察しがついているでしょうけど、貴方と小夜ちゃんの関係ね。小夜ちゃんから聞いたわ
貴方が怒るのも無理が無いわね。それで、どうするつもりなの?」
 やはり年上の女性だけあって、俺の心境を見抜いているようだ。俺は一気に吐き出した。今の俺は複雑だ。男として嫉妬がましいが、恐らくこのままでは小夜子に誤られても、ウンとは言えない。許しとか許さないとかじゃなく。俺は純粋に小夜子が好きだった。だから許せない。小夜子とは運命的な出会いと思っていた。それだけ好きになった女性だから煮え切らない。それならキッチリと気持ちの整理をしてから、俺と付き合えよと言いたいのだ。
 俺は小夜子が好きで堪らない。小夜子も同じはず、でもそれなら俺の心を持て遊ぶな。
 俺の胸の内を、その長田由岐にぶちまけた。

 「ふっふふ。本当に坂本くんって初心で純粋なのね。小夜ちゃんも反省しているの。でも
貴方を傷つけてしまって本当に後悔しているわ。貴方と視線を合わせようしても、貴方の眼が怖いほどだったって、勿論、今は元カレとは付き合っていないのよ。でも少し未練が残っていたのね。指輪の事を言われてハッと気づいたって。貴方が怒るのも無理ないってね」
 これほど先輩を通じて、俺を説得しようとした小夜子の心は分かる。男の嫉妬なんてみっともないかも知れない。このまま別れられるのかと、自分自身に問いても、答えノーだろう。
 俺は由岐に感謝の言葉を述べた。まだ二十歳、未熟な男がそこに居た。
 その翌日、小夜子と屋上で逢った。小夜子は涙を溜めて謝った。俺も照れながら謝る。しかし彼女も指輪を捨てられたものだ。貴方を選んだのよ、と言いたかったのだろう。
 俺と小夜子は再び交際を続けた。それから以前にも増して二人達は熱い恋をしていった。
 あの砂浜に何度も行った。そしてお決まりの砂浜に寝そべりキスをする。今度は下手と言わなかった。だけど俺は本当に初心なのか彼女の胸を触るなんて事は一度もない。そう小夜子を眺めているだけで充分満たされた。愛しい女性はいつも輝いていと欲しい。汚してはいけない。
 そして一年の月日が流れた時、俺に本店の東京に戻るように辞令が下された。
 もはや小夜子と離れて暮らす事なんか出来やしない。それは小夜子も同じだ。しかしこの街と東京では遠すぎる。俺は会社を辞めて、この街で仕事を探そうとしたが、そう簡単に仕事が見つからず会社を辞める事も出来ず、また東京のデパートに戻るしか道はなかった。
 小夜子も一緒に行くと言ってくれた。二人は東京で暮らし事を決意した。つまり小夜子は駆け落ちする決意をしたのだ。ただ心配な事がある。この街から出た事がない小夜子は東京で働けるのか。それ以上に小夜子の両親が反対するだろう。
 そして約束の時間に俺は駅で待った。しかし小夜子の姿はなかった。当時は携帯電話も
なく、俺は公衆電話から彼女の家に電話を入れた。だが小夜子は親に止められていた。

 彼女の家は小さなスーパーを営んでいた。俺は小夜子を説得する為に彼女の両親の前に
立った。だが親に完全に拒絶された。誰か知らんけど、大事な娘を東京にやれないと。
 「君は何歳かね? その若さでどうやって生活すると言うのかね。ただ好きといだけで生きては行けないよ。もっと大人なってから考えるんだね」
 俺は何も言えなかった。その通りだ。反論できない。半人前の男が何を言っている。情けないけどそれを現実。子供と言われても仕方がない。
 小夜子も俺も若かった。将来のことまで考えてなかった。彼女を東京に連れて行ってどうやって生活するのだ。そんな事まで考えていない。ただ好きで、好きで堪らない二人だったが。俺は仕事を捨てる事も出来ず、生木を引き裂かれるような思いだ。この街に来て一年。
 二十歳の小夜子と二十一歳の俺達二人は親という壁に阻まれた。親を説得出来る力も何もない。経済力、生活設計、安定した収入、何ひとつ取っても親を納得出来るものは揃ってない。恋は出来ても中身はただのガキでしかない。情けないが当時はそう思うしかなかった。
 やがて俺は傷心の想いで新幹線のホームに立った。それでも小夜子は送って行くと東京まで着いて来てくれた。気持ちは嬉しい。少しでも長く一緒に居たい、二人は東京駅構内の喫茶で話し合った。話し合っても変わらないのが別れなくてはいけない事。俺達は永遠に恋人同士だと誓いを立てた。しかし別れの時間が来た。もし帰らなければ親が出て来る。二人は東京駅で涙の別れとなった。また二人は東京駅のホームに立った。新幹線のドアの向こうの小夜子がガラス越に手を合わせる。そして電車は動き出した。小夜子も俺も涙が止まらなかった。世界中が真っ暗になったような感じだ。小夜子だって辛かっただろう。帰りの新幹線は一人でどんな思いて帰って行ったのか。まだ地元の駅で別れた方が小夜子は楽だったろうに、それまでして送ってくたれ小夜子の愛が眩しい。喧嘩して別れた訳じゃない。経済力のない馬鹿な男は恋する資格もないのか。

それぞれの道

 それから毎日のように電話と全て速達の手紙が俺に届いた。俺も小夜子が恋しくて仕事が手につかない。もう完全に小夜子は消えた。ついに俺は会社を辞めた。働く気さえ失せていた。小夜子に会いたい!
でも会ったら別れが余計に辛くなる。小夜子の居ない世界はまるで闇夜のようだ。
 何をやっても浮かぶのは小夜子の姿だけ、砂浜でのデート、祭り。走馬灯のように去って行った。それからは糸の切れた凧のように転々と職を変えた。
 それから月日が経ち内に小夜子との、電話と手紙の回数が除々に減って行く。
 俺は完全に、だらしない男に成り下がっていた。恋と云う麻薬が切れた患者のようだ。
 小夜子を忘れようと努力する日々が続くのか、もはや屋根の下で働く気がない。そうだ青空の下は働けば気がまぎれる。一度田舎に帰り車の免許を取った。この時ばかり全てを忘れられた。車を運転する喜びを得た。俺はトラックの運転手となった。
 太陽の下で働けば少しは忘れられる。それでも逢いたい誘惑に駆られるバカな俺。
 そして三年が過ぎた。久し振りに小夜子から速達が来た。小夜子はいつも手紙を速達で出す。その手紙を読んで完全に終わった事を知らされた。結婚すると書いてあった。永遠の恋人は幻となった。
 封筒の中には手紙と数枚の、桜の花びらが入っていた。
 どんな意味があるのだろう。花(恋)が散った事を意味するのか?
 結局、二人の恋はキス以外の事は何も無かった。本当に純粋な恋だった。

 小夜子は親の進められるままに結婚するそうだ。分かってはいたけれど現実を目の前にして俺は声を出して泣いた。人生最高の恋が終わった。そんな時に限って悪い事が続く、会社に帰ったら事件が起きた。会社のロッカーから同僚の金が無くなったらしい。何故か俺に疑いが掛かかった。俺は気持ちがムシャクシャしていた。だが俺じゃない。俺はついに怒りが頂点に達した。こんな冤罪を掛けられて黙っていられなかった。
散った恋の苛立ちが怒りとなって表れた。俺を疑った男をボコボコにしてやった。すると同僚から羽交い絞めにされが、それでも振りほどいて殴りつけた。やっと殴るのを止めた。冷静になって、『俺ってこんな凶暴じゃなかった筈だ』まるで自分じゃなくなっている。やり過ぎだと俺は首になったが覚悟のことだ。どうせこのモヤモヤした気持ちでは長続きしない。俺はいたたまれなくなり宛てもなく翌日、山に登った。ツキが無い時は続くもので雨が降って来た。山の頂上から下界を眺めれば少しは気分転換になると思ったがズブ濡れになり山道を歩いた。暗くなり道に迷い、もうどうでもいい感じがした。
 このまま死んでも構わない気分だ。そんな時、遠くで梟の鳴き声が不気味に聴こえてくる。

 木陰で雨宿りした。夜は迷って動いては危ないと思ったからだ。まだ生きようとするのか? この世になんの未練があると云うのだ。知らないうちに眠ってしまったようだ。翌朝 まだ運が良かったのか四月にしては暖かい。胸ポケットから煙草を取り出した。
 湿っていたがなんとか吸える。そしてライターを取り出した。あのオパールのライターだ。嫌でも小夜子の顔が浮かんでくる。最後の小夜子の手紙にはこう綴ってあった。
 (貴方と出会えた事は私の青春の宝物です。あの日の楽しかった日々は生涯忘れません。
次世で出会ったら必ず健と結婚しましょうね。私の願いはただ一つ、健の幸せを心より祈ります)

 次世かぁ小夜子の思いが込められた最後の手紙は小夜子らしいと思った。
 同じだよ、小夜子。最高の青春の恋だった。俺達以上の恋愛は誰も出来ないだろうと信じている。小夜子は本当に俺を好きになってくれた。小夜子は悪くない、力のない俺が悪いのだ。もっと働いて多少の貯えがあれば良かったのに。小夜子との恋愛……もうこの先こんな恋は出来ないだろうな。青春の最高の思い出それで充分だ。小夜子との恋を、生涯の宝物として胸に閉まって生きて行ける。小夜子、幸せになってくれ。そして……さようなら小夜子。
 朝日が山の頂から日が射してくる。いつの間にか晴渡っていた。空気は気持ちがいい。
 良く見ると二つの虹が出ている。まさに虹の架け橋だ。ただ交わる事のないふたつの虹。
 久し振りの快感だ。気持ちが吹っ切れた俺は、大きく背伸びをしてから山を降りた。

 それからの俺は全てを忘れガムシャラに仕事をした。それしか道がないのだ。
 仕事以外に興味もなく休日さえ返上して働いた。それが認められてか薬問屋の主任になった。そして俺は二十七歳になっていた。それから何度か女の子と付き合った。でも深入りが出来ない。失恋の辛さが制御するのだ。恋人と別れるとはこんな辛いものなのか? もう人を心底好きになれないだろう。女の子と交際しても、長続きしないなと思うと自分から身を引いた。別れる辛さが蘇るからだ。振ったり振られたりの繰り返し、そして二人の女性と付き合ってしまった。一人は凄い美人だ。もう一人は美人ではないが可愛いく誠実そうだ。これって二股? 小夜子と同じ事をしょうとしている。
 自分の部屋で鏡を見て語りかけた。小夜子と同じ事をやっている自分がそこに居た。
 今更ながらだが人の事は言えない。結局、美人は敬遠し普通の子と結婚した。

 俺は結婚式の時に泣いた。自然と涙が出てくる。うれし涙ではない。だがこの涙は小夜子との決別の涙だったような気がする。なんと未練たらしい男だろう。妻には申し訳ないが、妻を好きになろうと努力しての結婚だった。そして現在の妻も強かな女だった。
俺は内緒で隠して置いた小夜子からプレゼントのライターと小夜子から届いたラヴレーターが全て消えて居た。妻の顏を見ても何知らぬ顔。「『あのライターと手紙どこにやった』
そんな事を一言でも言おうなら『貴方は誰と結婚したの。お互い過去を忘れて新しいスタートを築くのでしょう。私を選ぶの、過去の女のしがらみを選ぶの』
恐らく機関銃のように捲し立てるだろう。妻もやるねぇと改めて思った。
 式の直前に最後の手紙を小夜子に書いた。結婚するとね。お元気でそれが最後だった。
 だがもう小夜子からは返事は無かった。そして音信不通となった。小夜子には二人の子供が居ると言う。あの小夜子の先輩からは今でも俺に年賀が届く。それに書いてあった。先輩の彼女は二人の仲を最後まで言わなかった。先輩でも恋の行方はどうする事も出来ない。
 それはそうだろう。小夜子はもう母親なのだから、約束通りきっと幸せを掴むよ。

 俺は三十五歳で独立した。薬のノウハウを学び小さいながらもドラッグストアを開いた。仕事と家庭は充実した毎日が続いていった。店も順調に繁栄して二店舗目を作り上手く行っている。小夜子、俺もやっと一人前になったよ。褒めてくれるかい。
更に月日は流れて夏のある日、俺は家の縁側に座った。子供は二人、一人は男の子で今は野球に夢中だ。もう一人中学になったばかりの娘が隣に座って、俺に語りかける。あどけない顔で娘が言った。
 「お父さん。花火を買って来たよ。やろうよ。ね、ね!」
 「お前はもう中学生だろう。子供みたいじゃないか」
 「いいでしょう。嫌ならお母さんとするからね」
 「ごめん。ごめん、一緒にやろう」
 そう云う娘は英語塾に通っている。眼に入れても痛くないほど可愛い娘だ。
 今では妻と子供達を心から愛している。ある意味、妻の愛情を踏みにじったかも知れない。小夜子の未練がまだ残っているからだろうか。もういい加減に目を覚ませ、小夜子はもう断ち切って新しい家庭を築いているではないか。そうだ罪の償いは、裕福な家庭と愛に溢れた家庭を築くことだ。

 この庭に植えた向日葵の種が、今では花を開き太陽に向かって微笑んでいる。
 当時は小夜子と言う太陽を、いつも向いていたような気がする。あの砂浜ギコチないキス。下手だと言われて笑ってしまう。もう遠い昔、遠い渚あの砂浜はいつも変わらぬように波が押し寄せているだろうか、そしてまた別の恋人たちが恋を囁く場所。
 花火と聞いて遠い渚で、あの小夜子と線香花火を眺めていた日が蘇る。
 (小夜子……君も四十路も中場を過ぎているだろうね。二人とも、もう若くないけれど、君の事を思うと、青春のままで居られるような気がするよ。小夜子、俺は約束通り幸せになれたよ。青春をありがとう。そして素晴らしい恋を、ありがとう。小夜子)
 物思いに更けている俺に、娘が声を掛けた。
 「お父さん! 何をボーと考えているのよ。 まったく! 早くやろうよ」
 「ああ、悪いわるい小夜子。じゃあ花火を一緒にやろうか」

若き日の恋物語 

執筆の狙い

作者 ドリーム
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久し振りに恋愛物を書いてみました。
これは私の自伝みたいなもので、七割が実話で三割がフィクションです。
感想を頂けたら嬉しいです。

コメント

青井水脈
om126156132153.26.openmobile.ne.jp

読ませていただきました。
初めての出会いから砂浜のシーン、祭りの夜のシーン。遠い日の思い出なのに、すごく鮮やかというか。読んでいて、ドキドキやハラハラを喚起されました。
手紙のシーンはほろ苦いですね。

>俺は内緒で隠して置いた小夜子からプレゼントのライターと小夜子から届いたラヴレーターが全て消えて居た。妻の顏を見ても何知らぬ顔。

ここのくだりがある種のリアリティというのか、少し怖くなりました(笑)
全体を通してですが特に読後感が爽やかで、読めてよかったです。

u
opt-220-208-25-236.client.pikara.ne.jp

読みました
チャンと落ちがあって小説になっていました
でも この落ちよく考えれば怖いかもwww
ありがとうございました

ドリーム
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青井水脈さま

お読みいただきありがとうございます。
手紙のシーン
(貴方と出会えた事は私の青春の宝物です。あの日の楽しかった日々は生涯忘れません。
次世で出会ったら必ず健と結婚しましょうね。私の願いはただ一つ、健の幸せを心より祈ります)

我ながら良く書けたと思ってます(笑)
「次世で出会ったら必ず健と結婚しましょうね」
これは中国ドラマを引用したもので エイラクと言う女官と若き士官との恋
その士官、亡くなるのですが伝言が
「私は最後まで君を守り抜いた、次世では君が守ると約束してくるか」
上手い事をいうなと思いました。

下のアドレスは作中の舞台となった中田島砂丘です。
ありがとうございました。

https://www.travelbook.co.jp/topic/44258

ドリーム
softbank126077101161.bbtec.net

u様

お読みいただきありがとうございます。

>チャンと落ちがあって小説になっていました
>でも この落ちよく考えれば怖いかもwww

流石にこの名前は不味いですよね。
ただ妻に隠していた手紙などを処分されたのは本当です。
因み子供の名前は明香です。本当は太陽のように明るく陽明と付けようと
思いましたが中国人みたいなので止めました(笑)
尚、妻は結婚当初は優しく慎ましい女性でしたが、今では完全に主導権と握られました。
ありがとうございました。

浅野浩二
dw49-106-174-10.m-zone.jp

今、バソコンを修理に出しているのでスマホで書いているのであまり書けませんが、ドリーム様は小説を書くのがうまいですね。勉強になります、

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

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