作家でごはん!鍛練場
もんじゃ

海のまんま(なつみかん)八十枚

 序

 窓のないホテルに朝が来て、女を起こした。
「おはよう」と野良猫のような女の耳元で告げた。「約束通り連れてってやる」
 女は目を開け、大層な勢いでしがみ付いてきたが、「でもクラゲが居るよ」と拗ねるように言った。
「刺されても」と俺は応えた。「ションベン引っ掛けたら、それでオッケーだからよ」
 あの街に帰ったら探してみよう、と思った。いつかのあのプラスティックの指輪を。

『海のまんま』

 一

 黒潮の街で生まれた。十八の春までそこで過ごして、それから街を出た。これは黒潮の街の話だ。十五歳の夏の物語だ。
 街の空は広かった。時に青く、時に白かった。でもいつも変わらず広かった。街並みは低かった。ビルらしいビルはなかった。せいぜい三階建てまでだった。学校の校舎がそれだった。一階には中等部一、二年生の教室と職員室、二階には中等部三年生の教室と高等部一、二年生の教室、三階には高等部三年生の教室と多目的室があった。俺は中等部の三年生だった。学校までは八キロの道程だった。通学は自転車だった。学校向かいの潮里中高前というバス停に、青い自転車を毎朝括り付けていた。都会ではドロップハンドルが流行っていて、コマーシャル等でそれを目にしたが、田舎にはなかった。バスを乗り継ぎ大きな町まで行けばあるのかも知れなかったが、新車を買う金はおろか運賃に充てるような金もなく、だから俺のハンドルは変わらず真っ直ぐだった。よく喧嘩をした。体のどこかしらをいつも擦り剥いていた。勉強は出来ず、毎週竹刀で叩かれていた。浜で一度アカエイに刺された。高熱を出して死に掛けた。足がパンパンに腫れて、その時はパンツを穿くのも辛かった。父ちゃんは暗い内から船に乗り、明るい内には帰宅して、毎日酒を呑んでいた。後ろから見る首は赤銅色をしていた。口煩いことは言われなかったが、時に殴られ、叩かれた。拳は硬く、分厚い掌は砂袋みたいに重かった。丸い顔をした母ちゃんは、昆布を干したり、内職でプラモデルの部品の梱包やアニメのセル画の色塗りをしていた。
 そんな夏、あいつがやって来た。転校生だった。白い開襟シャツを着て、教壇で名を直島礼奈と名乗った。高等部二年のの教室だった。中等部にならともかく高等部に編入してくる生徒は珍しい。俺は廊下から見ていた。余りの暑さにこっそりと、いや半ば堂々と教室を抜け出し、近所のカマジーにアイスを買いに出た帰りだった。カマジーは左親指のない爺さんの遣っている店だった。指はどうしたのかと尋ねると、カマで落としちまったと応えた。だからカマジーと呼んでいた。アイスは貝を売った金で買った。腹が減ると海に潜り、漁協にバレたところで殴られれば終いの話だったから、岩根に屯するサザエやトコブシを失敬しては食い、余るとタニシみたいな目をしたオッサンに売り付けて小遣いを稼いでいた。お陰でポケットに幾らかの小銭を入れておくことが出来た。だからアイスも食べられるのだった。父ちゃんが漁協に侘びの魚を献上していたことを当時は知らなかった。ともあれ、高等部二年の教室のドアが開いていて、アイスを片手にそこから俺は礼奈を見ていた。あいつは俺に気が付くと少しだけ目を丸くした。教師はいつものように俺を無視していた。まあ嫌われていたんだと思う。けれども礼奈は笑った。俺を見て笑いやがった。イワシみたいだと思った。海中のイワシはキランとナイフのように光るのだった。アイスを咥えたまま俺は転校生を睨んだ。礼奈は首を傾げて俺を見た。教師のことは無視して堂々と見た。開いた窓から吹き込む風がその髪を揺らしていた。風に乗って礼奈の匂いが届くような気がした。校庭の土の香に混じった青葉みたいな匂いに思えた。よく見ると礼奈の口は三日月だった。面白くて仕方がない、という顔で笑っているのだった。なんて女だ、と俺は思った。夜、白い開襟シャツを思い出した。寝床の中で暗い天井を睨んだ。苛立ちを覚えた。初めて感じる種類の苛立ちだった。いや、苛立ちだと思っていたが違う。あれは衝動だ。衝動が八割、感情が二割、ガキの中身なんてそんな物だ。動物と変わらない。欲望、には達していなかったように思う。俺は恐れていた。見知らぬ対象に怯えていた。しかし同時に強烈に惹かれてもいた。憧れ。そうだ。俺は憧れていたのだ。礼奈が纏っていた風に。俺の知らない世界に。腹が重苦しかった、熱の塊を呑み込んだみたいに。薬箱の仕舞ってある場所が分からなかった。が、母ちゃんを起こすのは可哀想だった。日中ずっとワカメを干していたんだから、ゆっくり寝かしておいてやりたかった。布団を出て、流しに行って水を飲んだ。そして腕立てやら腹筋やらをして、それから寝た。翌日、また真っ直ぐなハンドルを握って登校した。なんだかペダルが軽かった。
 クラスの女と談笑している横顔、スカートの裾を軽く摘まんでバスの段差を上がる後ろ姿、色んな礼奈を俺は見た。空を見上げてもそこに礼奈がいるようだったし、山を見てもそこに礼奈を見るようだった。そんな夏だった。振り払うように海に潜った。水の中は心地良く冷たくて、キラキラとした光が揺らぎ、なんというか真っ直ぐだった。感情も衝動も消えて、ソラスズメダイやオヤビッチャに混じって礼奈を忘れた。ソラスズメダイはコバルトブルーの熱帯魚だ。尻尾の先だけ黄色いが、他は全身鮮やかな青色で、夏になると黒潮に乗ってやって来て、だけど寒くなると死ぬ。だから死滅回遊魚と呼ばれている。同じく死滅回遊魚のオヤビッチャ、こちらは黒と白の縦縞で、背中だけがほんのりと黄色い。どちらもスピーディーに泳ぎ、落ち着きがない。釣り眼でこちらを睨んで、ぴゅんと泳ぎ去る。俺はやつらが好きだった。綺麗だし、勝手だし、気儘だし、気が強い、しかし死んでしまう、一夏過ごして消えてしまう。やつらを見ていると自然を感じた。海に遊んで、海に抗い、海に抱かれて消えてゆく、そんな命は自然そのものだった。礼奈はテニス部に入部したようだった。放課後のテニスコートでよく見掛けた。その日も白いシャツと白いスカートで居た。コートの前を横切って帰宅しようとして、はっとして礼奈の足に目を留めた。包帯をしていた。右だったか左だったか、どちらかの太腿に、白く、包帯が目立っていた。立ち止まり俺は包帯を見た。そこへボールが転がって来た。薄茶色に汚れた軟式ボールが俺の足元で止まった。礼奈がやって来た。ボールと俺とを代わる代わるに見た。俺はボールと包帯とを代わる代わるに見た。どうしたんだよ、とかそんなふうに俺が言うと、ボール拾ってよ、とかそんなふうに礼奈は応えた。それを無視して俺は訊いた。
「遣られたのか?」
 クラゲに刺されたのかと思ったのだ。
 礼奈は、眉を複雑に畝らせてから言った。「意味分かんないわね」
 包帯を指差した。
「あ、これ」
 みたいに言って礼奈はボールを拾い、くるりと背を向けながら斜めに俺を見て言った。
「ワンポイント」
 笑って、そして行ってしまった。
 ワンポイント?
 意味分かんねえよ、と思った。
 隠された特別な意味でもあるのかもしれない。そう思って入学以来滅多に開いたことのなかった辞書をその夜捲った。収穫はなかった。ある部分、と訳している箇所が目に留まった。
 ある部分。
 なんだか嫌な響きだった。

 二

 父ちゃんと一緒に網を畳んでいた。学校は夏休みに入っていた。
「高校、行きてえか?」
 と父ちゃんは俺を見ないで言った。横顔に汗が浮かんでいた。
 カモメが鳴いた。
「別に」
 とカモメに向かって答えた。
 海は凪いでいた。光の関係か鉛色に見えた。まだ朝早く、光は斜めに差していた。何だか重そうな海だなと思った。空は晴れているのに。
「何、遣りてえんだ?」
 父ちゃんは網を畳み終えてから、煙草に火を付けまた訊ねた。
 何を遣りたいか?
 分からなかった。
 だからまた言った。「別に」
 父ちゃんが俺を正面から見たのを覚えている。煙が真一文字に立ち上がっていた。次の瞬間殴られた。砂浜に吹っ飛んだ。鳶の腹が見えた。
「海はな」と父ちゃんが背中で言った。「ひれーんだ」
 父ちゃんが行ってしまってから起き上がった。胡坐を掛いて沖を見た。海は広いな、大きいなあ、と歌ってから鉄の味を飲み込んだ。
 多分その日の夕方だ、商店街で礼奈を見た。小さな街だったから、夏休み中でも毎日のように知った顔に出会うのだった。礼奈は自転車を漕いでいた。普通のママチャリだった。向こうから走って来て、横を走り去る瞬間、ちらりと俺を見てにこりと笑った。そしてあっという間に行ってしまった。振り返るともう随分と小さかった。風そのものみたいに思えた。ソラスズメダイにも似ていた。礼奈の笑顔だけが取り残されて、暫くその辺を漂っていた。夕暮れの街の空気を胸一杯に吸い込んだ。海は広いな、大きいなあ、とまた歌った。商店街の通りの奥に蜜柑色の夕日が見えた。その向こうにまだ知らない世界があるのだと思った。

 三

「夏祭り、どうすんべ?」
 と俊二が言った。
 俺達は岩場に居た。象の背中のように力強く、岩場は頼もしかった。俺は貝を獲っていた。俊二は釣りをしていた。釣り上げた魚を網焼きにして食っていた。網に俺はサザエを乗せた。海水がジュッと音を立てた。
「どうするって何がよ?」
「おまえ、俺っちの火に挨拶もなく上がり込むんじゃねえよ」と俊二は目先の問題に声を荒げた。
「じゃ、お邪魔します」と言って俺は二つ目のサザエを置いた。
「俺にもサザエ食わせろ」
「いいよ、幾らでも食え。足りなきゃまた獲って来てやる」
「密猟者め!」
 釣り糸で魚を釣るのはいいのに素潜りで貝を獲るのはいけないだなんて公平じゃない、と当時は思っていた。
「サザエをやるから醤油を分けてくれ」
「しょんねえな、醤油もねえのか?」と方言丸出しで俊二が言った。
「醤油持って釣りするおまえが異常なんだ」
「それはなんだ?」
 俊二が指差したのは俺が持って来た瓶だった。
「これは酢だ」
「おまえ、サザエを酢で食うのか?」
「な訳ねえだろ。これはクラゲ用だ」
「クラゲの酢漬けか?」
 そうじゃねえよバカ、と説明してやった。刺された時に酢を掛けるのだということを。漁師町に住む誰もが潜る訳じゃない。俊二は県の西部からの転校生だったし。
「刺胞を取り除くには酢がいいんだ」
「刺胞って何だ?」
「毒の袋だ」
「クラゲの毒か?」
「そうだ」
 言いながら俺は袖なしの海シャツを脱いだ。今でいうアンダーベストだ。冬場にダイバーがウェットスーツの下に着込むらしい。父ちゃんは海シャツと呼んでいた。寒くないし、クラゲやゴンズイから体を守ることが出来る。海パンと海シャツ、それに水中眼鏡と足ヒレ、そのカッコでいつも潜っていた。父ちゃんから貰った海シャツは俺には随分とデカかった。でもないよりマシだった。
「ひでえ」と俊二が言った。俺の背中を見て言ったのだった。背中のミミズ腫れはカツオノエボシに遣られた痕だった。毒クラゲを甘く見ると悲惨なことになる。
 裸になると、風をよりはっきりと感じた。二の腕がジリジリと焼けているのも改めて感じた。俊二から奪った醤油をサザエに垂らした。香ばしい匂いが海風の匂いに混じった。幸せな気分になれた。サザエの蓋が自然と外れた。
「刺されたらバカ痛いのか?」と俊二が訊いた。
「痛いさ。クラゲの種類に依るけど」
 軍手をした手でサザエを掴んだ。俊二は割り箸まで持って来ていたので、用意のいい野郎だと呆れながらもそれを拝借し、サザエの中身を引っ張り出した。グロテスクでワタは苦い。その旨さがまだあの頃は十分に分からなかった。腹が減ったから食う。それだけだった。
「死ぬか?」
「それも種類に依る」
「どんなクラゲがヤバいんだ?」
「カツオノエボシ」と背中を見せながら応えた。「それから夏がお仕舞いになると、アンドン」
「アンドン?」
「提灯みたいなヤツだ」
「気を付けるよ」
「透明なんだ。よく見えない」
「困るな」
「足は薄いピンクだ。だから足を見るといい。四本足だ。ピンクのミミズが並んで四匹泳いでいたらそれがアンドンクラゲだ」
「アンドンは何を食う?」
「ちっこい魚」
「ミミズが魚を食うのか?」
「そうだ」と応えてサザエを頬張りながら指で大きさを示した。「これ位。人差し指位の長さの足だ。ヤツらはチビなんだ。だから余計に見付けにくい。おい、引っ繰り返せ、焦げるぞ」
 俊二は魚を引っ繰り返した。「カツオノエボシってのはどんなヤツだ?」
「青いんだ。青い烏帽子を被ってプカプカしてやがる」
「烏帽子って?」
「尖った帽子」
「広田のみたいな?」
 成る程、と思った。教頭の広田はいつも鳥打ち帽みたいなのを被ってハゲを隠していた。
「そうだ、ちょっと形は違うけど、まああんな感じだ」
「判った」と俊二は言った。「海で広田と小杉を見たら用心するさ」
 小杉はチビの学年主任だった。俊二はなかなか面白い野郎だ、と俺は思った。
 腹が満ちたのか、俊二は煙草を取り出した。そして眉を上げて箱を差し出した。「吸うか?」
「吸わねえ」
「高等部に上がってよ」と大人びた仕草で火を付けながら俊二は言った。目を細めて煙を吸い込んで、ゆっくり吐き出してからその先を言った。「タンベも吸わなかったらバカにされっぞ」
 タンベという言い方が可笑しくて笑いながら尋ねた。「進学すんのか?」
「おまえ、しないの?」と言って俊二はまた眉をひょいと上げた。
「おまえは、なんでするんだ?」
「そういうもんだべ?」
「そういうもんか?」
「夏が終われば秋が来る。そういうもんだ」
 上手いことを言う、と感心した。
「ところで夏祭りだけどよ」と竿を仕舞いながら俊二は言った。「一緒に行くべえよ」
「綿菓子なんざ嫌いだし」と俺は応えた。今でも柔らかいものや甘いものは好きじゃない。「盆踊りなんてクソクラエだ」
 俊二は俺を見た。そして言った。「おまえはガキだな」
「なんだとコノヤロ」
「直島だよ」
 礼奈のことだ。
「直島がなんだ?」
「浴衣だよ」
 浴衣?
「多分来るぜ、あいつ祭りとか好きそうじゃんか」
 思ってもみなかった。
「だもんでよ」と俊二は俺に顔を近付けて言った。「浴衣だろ。祭りっていったら浴衣だろ」
「だったらなんだ?」
「なんで怒ってんだよ。おまえ直島嫌いなの?」
「怒ってねえよ」
「だったら来いよ。きっと綺麗だよ」
 はっとした。こいつめ、と俊二のことを思った。なんて真っ直ぐな野郎だ。
「魚臭えよ!」と、だから俺は負け犬のように吠えた。「あっち行きやがれ!」
「ガキめ!」
 言い捨てて俊二は行ってしまおうとした。
「よう。クラゲに遣られて酢がなかったらよ」と、尖った背中に向かって俺は言った。「ションベン引っ掛けろ。ちったあマシだからよ」
 背中を向けたまま俊二は片手を上げて応えた。

 四

 海シャツと海パンで歩いていた。海に向かう道を下っていた。サンダルがぺたぺた音を立てていた。北東からの風で波が抑えられ、見下ろす海は静かに凪いでいた。ぴょろぴょろと鳶が鳴いていた。道の脇で野良猫が陽を浴びて目を細めていた。足を止め、しゃがみ、猫の毛繕いを眺めていると背後からニャーオと声がした。振り返ると、白い服をふわりと着た礼奈がいた。
「よう」
 と俺は言った。
「よう」
 と礼奈も言った。
 風で白い服がカーテンのように膨らんだ。空は青く、それを背負って礼奈は雲みたいだった。ふわふわでキラキラだった。
「海を見てたの?」
「猫を見てたんだ」
「猫がどうしたの?」
「どうもしねえよ」と言って手にした足ヒレと水中眼鏡を振った。「海に行くんだ、これから」
「貝を採るの?」
「気が向いたらな」
「腹が減ったら、でしょ?」
「そうだ」
「いいな」
「何がだ?」
「お腹が減ったら貝を採る、ってそれが」
 都会育ちの女が、と意外に思った。
「来るか?」
「え?」
「おまえも来るか?」と言って俺は坂を下り始めた。三歩下って静かな後ろを振り向くと、満面の笑顔で礼奈が息を吸い込んでいるところだった。そして叫ぶように言った。「行くよ、わたしも行く!」
 俺達は縦に並んだまま道を下った。チビだった頃の電車ごっこを思い出した。坂を下り切り、暫く行くとゴツゴツとした岩場に出た。それを登った。一歩進むごとにフナムシが逃げ出してゆく。穴が空いていたり、捻れていたり、美しいスロープを描いていたり、岩場は躍動的な様で固まってそこにあった。陽の光を受けて白く輝き、しかし所々に一目瞭然には把握し切れないような陰りもまた秘め、油断のならない凄みを見せ付けていた。そんな岩場を四つ足でしがみ付くようにして登り切ると、やっと間近の海と向き合えるのだった。高波が砕けて地獄絵図さながらの海もあるが、水溜りのように静かな振りをした海もある。その日の海は後者で、抜けるような青空と示し合わせたかの如くに穏やかだった。
「じゃあ待ってろ」と水中眼鏡をでこに掛けながら礼奈に言った。「貝、獲って来てやるから」
「いいないいな」
 と礼奈は、拾い上げた俺の足ヒレをぺたぺたさせながら言った。
 足ヒレを取り返して海面に投げ、海中に飛び込んだあと右それから左と順番に履いた。そして体を一旦伸ばしてから、腹から上を海中に向けてくの字に曲げた。ジャックナイフという潜り方だ。こうすると頭の重みで楽に潜れるのだった。
 礼奈から逃げ出すかのようなそそくさとした潜水だった。多分怖かったのだ。未知の女といることが俺を怯えさせたのだ。田舎に生まれて田舎で育った俺とでは、あらゆる点で礼奈は違った。髪は真っ直ぐでサラサラで、近くに居るとシャンプーの匂いが漂って来たし、指は白くて細くて、その動きを見ていると何だか心臓が締め付けられるような気がした。いつかのテニスコートで見た太腿の包帯にも、思い出す度随分と落ち着かない気持ちにさせられた。礼奈の肉体に俺は焦がれるような気持ちを抱いていたのだ。それでいて礼奈には近寄り難かった。いつも風みたいに澄んでいて、あいつの実体はそこじゃない別のどこかにあるようだった。聡明さを感じさせる瞳に矛盾なく釣り合った鼻は、母ちゃんの丸っこい鼻とは大違いで、美術の教科書で見た遠い昔の白い彫刻のそれみたいに上品だった。唇はふっくらと、朝露に濡れた花のように魅力的だったけど、だからといってエロ本の女のそれみたいに安っぽくはなかった。礼奈の顔を自宅の机で何度もこっそりスケッチしていた。父ちゃんにバレたらカッコ悪いので、描き終えた絵はその度に千切ってゴミ箱に捨てていたけど、でも余りに何度も描いたから、宗教画の女の輪郭みたいなその線も、ウインドウの向こうの舶来人形のようなその形も、俺の中にくっきりと消し難く焼き付いてしまっていた。その線と形は永遠を思わせた。
 魅惑的であるのに犯し難く神聖な女、そんな存在と二人きりで海に居るだなんて俺には息苦しいことだった。
 ウツボの子供が慌てたようにくねり、岩の隙間に逃げ込んだ。体感温度は非常に高く、透明度もその夏一番のクリアさで抜けていた。浮き上がろうとする体を足ヒレのキックで押さえながら、獲物のサザエやトコブシを探して、海底の岩を一つ一つ調べていった。岩場ごとに一塊ずつの魚の群れが居た。いつものソラスズメダイ、オヤビッチャ。赤い口をしたキュウセンが猫のような撓やかさでくねっている。キュウセンのぽってりとした腹は旨そうに見えた。今度七輪のある時に礼奈に食わせてやろうかとちらりと思った。が、都会の女が七輪で焼き魚なんて食う訳がねえ、と直ぐに思い直した。でも待てよ、礼奈には意外と大胆な所があるからな、だなんて考え掛けたが途中で止めた。海の中では余りものを考えることが出来ない。頭を使うこと即ち酸素の浪費だった。無心になって貝を探した。
 海から上がると、礼奈が、膝を抱えて首を突き出すようにして待っていた。
「ほら、持ってけ」
 サザエを三つ礼奈の座る岩場に転がして、それからまた潜ろうとした。
「待ってよ」と背中から声がした。
「なんだ?」と振り向く。
「綺麗?」
 俊二が礼奈を綺麗だと言っていたのを思い出した。
「なんだって?」
「綺麗なの?」と礼奈は何かを覗き込むような目をしてまた言った。「海の中」
 海の中、と思った。そうだ、礼奈に見せてやりたい、熱帯魚が好き勝手に泳ぐ様を、このコンディションの良い海の中で。
「上がって来て」
 と言って礼奈が俺に手を伸ばした。差し伸べられた手を不思議な気持ちで見た。こちら側とは明らかに違うあちら側から差し出されていた。
 岩場に上がった。水中眼鏡を外し海シャツを脱いだ。
「おまえ、水着取って来いよ」
 と気が付けば大胆なことを口にしていた。
「水着なんてないよ」
 と礼奈は応えた。
 呆れて礼奈を見た。水着のない浜っ子が居ていいものか。
「それ貸してよ」と言って礼奈は足ヒレと眼鏡を見た。
 波も畝りもない日で、だから眼鏡やヒレがなくても俺は平気だったから「いいよ」と応えた。「でも水着がねえんだろ?」
「それでいいよ」
 礼奈は岩場の海シャツを指差した。フナムシが一匹、黒い表面を歩いていた。陽を浴びてその体は艶々と輝いていた。
 シャツを掴むと、フナムシを払って礼奈は言った。「あっち向いてな、こっち見ちゃ駄目だぞ、青少年」とかなんとか。
 呆れ返って俺は海を見た。遥か沖を見た。静かに凪いでいたが、何故だろう、水平線の向こうから巨大な鯨か何かがやって来そうな胸騒ぎを覚えた。それは決して不快ではなく、ときめきに似た喜びでもあったが、余りにも新しい何かだったので矢張り胸騒ぎと呼ぶべきものだった。
 海シャツは礼奈にはブカブカで、きっちりと腰までを隠した。袖なしの海シャツをだらりと羽織った格好も、礼奈がすると不思議とだらしなくもなく、なんだかイルカのように自然だった。
 雲のようなワンピースを丸めて岩場に置き礼奈は、風に飛ばされないようその上に石を積んだ。浜の子のように屈託のない一連の動作で準備を終えてあいつめ、眼鏡と足ヒレを持って俺を見た。そして、にこりとした。
「おう」と俺は言った。驚いてしまってそれ以上の言葉が出なかった。
 気が付けば二人で海の中に居た。青い花弁のようなソラスズメダイの群れを抜け、トラ猫みたいな模様のカゴカキダイを追い掛けていると、いつの間にか巨大なクロダイの群れに取り囲まれていたりした。そんな水中散歩を楽しんだ。礼奈は泳ぎが上手かった。でも潜ることは初めてだったようで耳抜きが出来なかった。礼奈の尖った鼻を摘まんでやり、唾を飲み込む遣り方を教えた。水中だと余計なことを考える余裕がない分俺は本来の俺で居られた。海面を貫いて届く陽光や、それに照らされて揺らめく海底の砂の様子、山と空にしか見えないような岩と水の対比、そんなあれこれが心臓の鼓動の一つ一つを確かなものにしてくれた。体が接している海水は、雑じり気のない自然そのものの冷たさと温かさを間断なく伝えてくれていた。海に居る時人は考えない、考えずに感じる。そしてその内感じている主体すら見失い、海そのものになってしまう。気持ちのいいことだった。真っ直ぐで、実に正しいことだった。海は俺を包み、礼奈を包み、俺達の区別をなくした。俺達は海のまんまになった。
 前を泳ぐ足の狭間に礼奈の陰りを見た。下着はワンピースにくるまれて岩場に残されてきたようだった。とても不思議な光景だった。陸上だったら忽ち狼狽えてしまったであろう状況だったが、水の中に居ると何故だか全然平気だった。礼奈の白い手足から視線を外すこともなく俺は、自由に伸びやかに水と戯れ、礼奈と戯れた。ヤガラは細くて長い魚だ。棒切れに擬態しているそれを突っつくと、硬直していた身が途端にくねり出すのが面白いらしく、礼奈は喜び何度も突っついた。イカは俺達を、エイリアンが地球人を見る目で凝視していた。ボラは罪のない真ん丸な目を見開いて、岩に付いた何かを一心に貪り食っていた。それを見て礼奈は口の形だけで言った。く・い・し・ん・ぼ・う。チョウチョウウオが二匹、ひらりひらりと重なり合ったり、離れたり、ダンスを踊るみたいにして泳いでいた。まるで俺達だ、と思いながら追い掛けてどこまでも泳いだ。
「空を飛んでるみたいだった」
 海から上がって礼奈は言った。
 海中から見上げる海面の礼奈は、確かにスーパーマンのように飛んでいた。
「こんなに色取り取りだなんて全然知らなかった」
 海は広いんだ、と心の中で応えた。色んなのが居るさ。
「すっかり濡れちゃった、どうしよう」と礼奈が言った。
 バスタオルなんて勿論なかった。太陽で乾かすのみだった。ワンピースを手に岩場の凹みに移動してから礼奈は言った。「体拭くからな、目を瞑ってな」
 長い間目を閉じてから、痺れを切らせて俺は言った。「まあだだかい?」
「バッカじゃないの?」と笑い声がした。
 そうだった、まあだだかい、じゃない、もういいかい、の間違いだった。でも礼奈がバカにしたのはまた別のことだった。
「マジであんた、バカ正直にずっと目を瞑ってたみたいね?」
 何だと?
「とっくに終わってるわよ」
 目を開けると、礼奈は既にふわりとしたワンピースを身に付けていた。
「早かったじゃねえか」と俺は負け惜しみみたいに言った。
「これで拭いちゃった」と言って礼奈は絞ったハンカチを見せた。
「そうか」
「こっちにおいでよ」と礼奈は言った。
 陸上の、バツの悪い重さを感じながらも礼奈の横に行って座った。
 陽が傾き始めていた。水平線の青がオレンジに変わりつつあった。
「熱帯魚が綺麗だった」と礼奈が言った。
「おまえも綺麗だったよ」
 言ってしまってから驚いた。自然に出てきた言葉だった。
「あ」と礼奈は言った。それから弾けたように笑い出した。泣き笑いみたいにして笑った。一頻り笑って急に笑うのを止めて、とても近い所から、眉を一寸八の字みたいにしてあいつは俺の目を見た。
 あっと言う間の出来事だったのだろう、本当は。でも俺にはスローモーションのように感じられた。唇は想像した以上に柔らかかった。潮の味がした。ちょっとホヤみたいだった。
「なんだよ」
 と俺は言った。
「お礼」
 と礼奈は応えた。
「なんの礼だよ?」
「海を見せてくれたこと。ベストを貸してくれたこと。綺麗だと言ってくれたこと」
「そんな」と言い掛けてから言葉を呑み込んだ。そこから先を言ってしまっては雰囲気が壊れてしまいそうだった。
「なあに?」
 だから俺は違うことを言った。「夏祭りだけどよ」
「うん?」
「浴衣着るかよ?」
 海風が礼奈の輪郭をふわりと膨らませた。それを頬の辺りで感じながら俺は沖を見ていた。頭を上げると上空の水色も紺色に変わり始めていた。
「浴衣かあ」と礼奈は言った。それから暫く黙った。
「いや、着なくてもいいんだ、うっちゃってくれ」と俺は言った。「俊二がよ、おまえが浴衣着たら綺麗だろな、とか言いやがってよ」
「お金ないんだ」
 ぽつりと言葉が落ちた。
 礼奈を見た。
「お父さん、東京で商売に失敗してね、それで色々と処理しなきゃいけないことがあるんだってさ、だからわたしはお婆ちゃんとこに来てるんだけど」
 そうなのか、と思った。全然考えたこともなかった。そういえば礼奈の父ちゃんも母ちゃんも見掛けたことがなかった。
「春になったらね、そしたら東京に戻れるらしいんだ」と礼奈は、語尾を跳ね上げるみたいにして言った。「それまではさ、お婆ちゃんにお金の心配とかさせないようにして上手く遣るんだ」
 春、と思った。来春になったら礼奈は都会に帰ってしまうのか。
「帰ってどうすんだ、東京の高校に編入するのか?」
「うん、多分ね」
「そうか」
「でもね」とあいつは俺を見て言った。「この海のことは忘れないよ、ずっと忘れない」
「俺も」とまた自然に言葉が出た。「おまえのことは忘れない」
 また暫く礼奈は黙った。それから戯けるみたいにして言った。「着て欲しいか、浴衣」
「俺じゃねえよ、俊二がそう言ったんだ」
 礼奈も沖を見ているようだった。それから立ち上がると、手にしていた白いハンカチを広げて、なんとそれを穿いた。
「まだ生乾きだから急いで帰る」
「おまえってヤツはよ」と、何だか嬉しくなってて笑ってしまった。「パンツで体を拭いたのか」
「笑うな」とあいつは言った。「それから、ありがと」
 坂道を上がってゆく後ろ姿を見送った。暗くなった道を、真っ白な服が、幽霊みたいに上ってゆくのだった。ホヤの味を思い出したら、呑み込んだ筈の台詞が口を衝いて出た。
「そんなことで、そんなお礼なんてすんじゃねえよ」
 小さな声だったので礼奈には届かなかった。
 家に帰り、机の前に座ると急にニヤけてきて自分を恥ずかしく思った。だけどよ、と自分が言った。だけど直島とキスしたんだぜ、この俺があの直島とだぜ?
 本当のこととは思えなかった。
「なんてえ夏だ」
 と天井に向かって言ってみた。急に大人になったような気がした。奇妙な眩暈を覚えた。歯を磨かないで寝た。
 夜明け前に目覚めて、浜で父ちゃんが戻って来るのを待った。薄闇の中、父ちゃんの船がぼんやりと見えてきた。船が近付くにつれて朝になった。空は青くなりそうだった。蝉がわんわん喚き始めた。青春のざわめきだ、と分かったようなことを思いながら父ちゃんを迎えた。
 網を降ろすのを手伝いながら何気なく、しかし決意を込めて言った。「半島を出る」
 父ちゃんの手が一瞬だけ止まった。「何でら?」
 今度は俺の手が止まった。女のケツを追い掛けて、とは絶対に言えない。咄嗟に口にしたのは、いつかの父ちゃんの言葉のオウム返しだった。「海は広いから」
 父ちゃんは黙ったまま網を畳んだ。そして「おい、手ぇ止めんな」と言ってから一呼吸置いて、「行ってこい」と続けた。
「おう」と沖を見たまま、ほっとして応えた。それから言った。「中学出るまではさ、たっぷり孝行してやっからよ」
 余計な一言を付け加えた為拳固で小突かれた。随分と優しい拳固に事の重大さを悟った。
 海に、太陽が真っ直ぐな道を作っていた。遠くまで広がる世界を感じた。礼奈の居る世界だった。

 五

「よう、俺っちだ」
 夏祭りの日の夕方、俊二がやって来た。
「おう」と出迎えた。
「あ、なんだこいつ、遣る気ねえとか抜かしてた癖して甚平なんかで決めやがってよ」とか言う俊二は普通にジーパンとTシャツだった。
「だせえな、おまえ」
「あ、なんだなんだ?」と俊二は蝉のように喚いた。
「夏祭りに行ってくる」と母ちゃんに告げ、下駄を突っ掛けて外に出た。
 軒先で風鈴が鳴っていた。いつもなら気が付かないような音がこの日はやけに綺麗に聞こえた。道を行くと草の香が芳しかった。蝉の声に混じって虫の声が聞こえた。でも空はまだ明るくて、入道雲も力を漲らせてそこにあった。目を細めるようにして俺は歩いた。半歩斜め後ろを俊二が歩いた。
「なあよう」と鈍間な俊二が鈍間に言った。「この前俺っち、カマジーで広田に会ったぞ」
「ふうん」
 鈍間な話題だった。
「広田の野郎、コーラ飲んでやがった、腰に手ぇ当てて風呂上がりの牛乳みてえにグビグビとよう、でもってふいーっとかしてやがった」
「コーラ位飲むべよ、教頭だって」
「だけどあいつもうエラいからさ、夏の見回り当番なんかしてねえだろうに、なんでカマジーなんてあんなとこに居たんかな」
 そういえば先週だったか俺もカマジーで広田を見掛けた、と思い出した。アイスを買いに行った時だった。店の裏から広田が出て来た。カマジーの裏手は小さな藪で、蚊が多いし、昼間でも薄暗くて嫌な感じの場所だった。アイスを買い終わって自転車に跨がろうとしたら、薮からざわわと変な風が吹いた、と思ったら違って、風ではなくて広田だったという訳だ。
「鳥でも撃ってたんか?」と俺は冗談を言った。
 小僧め、とドヤされるかと思った。敬語を遣えといつも煩いヤツだったから。でもその日は違って、頭を掻きながらヤツは言った。「ちょっとションベン」
 ご苦労なこった、と思った。大人ってのはこんな田舎町でもションベン一つそこらじゃ出来ねえのか、不便なもんだ。
 広田が何か言いたそうな顔で俺を見た。
 でも、と広田を見ながら考えた。いずれは俺もそんな大人になるのか。そしたら言葉が口を衝いて出た。
「海は広いな」
 広田はキョトンとしやがった。
 気障なこと言っちまった、と恥ずかしく思いながら俺はペダルを踏み付けた。
「なんかよう」という俊二の声で回想から覚めた。「広田のヤツ、運動会で走り終わった生徒みたいな顔でふぃーっとかしちゃっててよ、案外いいヤツなのかもしんねえな」
「スカッと爽やか、ってタイプじゃねえけどよ」と俺は寛大な気持ちで言った。「浜に根っからの悪党は居ねえってことだべ」
 礼奈とキスをした。たったそれだけのことで余裕が出来たのだった。俊二が俺よりずっとガキに思えた。
 夏祭りの会場は、少し山に向かって歩いた先の川沿いにあった。とても混雑していた。太鼓の音やガキ共の甲高い声が渦巻いていた。焼きそばや焼きとうもろこしの香ばしい匂いに綿菓子の甘い香が混じって何というかぐちゃぐちゃだった。
「射的遣るぜ」と俊二が言った。
 ガキだな、と思いながらも俊二の背中を追って射的屋の前に出た。並んだ景品をじっくりと眺めた。
「あんたら、やんのやらんの、見てるだけじゃ取れんよ」とでっぷり太ったおばちゃんが言って猿みたいに笑った。
 そりゃそうだ、と思って鉄砲を掴んだ。俊二もそうした。
「狙うはドラえもん消しゴム!」と叫んで俊二は引き金を引いた。弾は漫画のキャラクターの形をした的を僅かに外れて落下した。
「あちゃあ!」
「そんなもん取ってどうする?」
「妹にやる!」
 俊二は次の狙いを定めながら叫ぶように言った。
「妹か!」
 祭りの雑多な音に負けないように怒鳴り合った。
「そうだ!」
「偉いな!」と叫びながら俺も鉄砲を構えた。片目を瞑ると狙いを定めて撃った。
 的を射た。
 三角に尖った台座から指輪が落ちた。
「かーっ、何に当てちまってんだよ!」と俊二が悪態を吐いた。「母ちゃんにやんのかよ、そのプラスティックの指輪!」
 おばちゃんが拾って手渡してくれた。
 バカめ、と心の中で言い返した。狙い通りだ、プラスティックだろうがなんだろうが今はこれでいい、東京に出て一旗揚げたら幾らでもホンモノ買ってやる。
 と、そのとき、冷んやりと心地良い掌が俺の目を塞いだ。熱気の中でそこだけオアシスみたいだ、と感じた。匂いで直ぐに分かった。礼奈だ。
「直島」と俊二の声がした。
「あんたが答えてどうすんのよ」と礼奈の声がして掌が外れた。
「俺も分かってた」と言いながら振り向いて、絶句した。綺麗だった。浴衣の礼奈がそこに居た。鮮やかに青くて、所々が黄色い浴衣だった。随分と高価な物に見えた。
「綺麗じゃねえか」
 透かさず言ったのは俊二だった。
 礼奈は俊二に向かってにこりと笑い、それから俺を見た。
「おう」とか、いい加減に俺も同意した。
 礼奈は一人で来ていた。俺達三人はヨーヨー釣りで盛り上がったり、綿菓子を千切り合ったり、盆踊りの輪の一番外側に一寸だけ入ってみたり、また出てみたり、ガキの頃に戻った気分で遊んだ。礼奈の、ぱっと笑ったり、ヨーヨー釣りや何かの時難しげに眉をくねらせたり、リズムに合わせてふわりふわりと手を揺らしたり、そんなあれこれを見ているだけで楽しかった。何かの時に似ている、と思ったら判った。熱帯魚を追い掛けている時だった。小一時間程経った頃、礼奈の手が俺の腕を掴んだ。俊二は驚いたようだった。礼奈は俊二に向かって、首を傾げるようにした。
「おいおい」と俊二は唸るように言った。「いつの間に」
 俺は何もする必要がなかった。礼奈は鮮やかに、とても自然に、波音一つ立てない器用さで伝えるべきを伝えたのであった。連行されるみたいにして会場を離れた。橋を渡り、川の反対側まで歩き、土手の上から祭りを眺めた。どんちゃんと賑やかな塊は川の向こうにあった。礼奈と俺は静けさに包まれていた。
「まるで月から」と礼奈は言った。「地球を眺めているみたい」
 そうか、と思った。俊二はまだあの熱気の中に居るんだな、そして俺たちはそこから離れてここに居て、でもってここからそこを見ている。
「どう?」と唇が言った。
 ぼんやりと唇を見てしまっていて、そのことに気が付き慌てて応えた。「どうって何が?」
 唇は艶やかでふっくらしていた。リップクリームか何かを塗っていたのだろうか、それとは関係ないのかもしれないが、なんだか甘そうに見えた。
「浴衣、似合ってる?」
「あ、おう」
「おうってなんだよ、それだけかよ?」
 俺に対してだけだったのだろうか、礼奈は男みたいな口の利き方をした。仲良くなるにつれ拍車が掛かっていた。
「似合ってるよ」と付け足してやると、あいつは嬉しそうに笑った。
「綺麗か?」
 と礼奈は俺の目を覗き込むようにして尋ねた。
「おう、まあまあだ」
「まあまあってのはなんだ、この辺りじゃ最上級の褒め言葉なのか?」
「うん、まあそうだ」
「キスしたいか?」
 と礼奈は俺に体を押し付けるようにして言った。
 甘い匂いにどきりとした。
「どうなんだ?」と礼奈は重ねた。
「したい」と応えた。
 顔が近付いた。メンソレータムの味がした。礼奈の髪の向こうでお月様が揺れていた。あれ、月って揺れるんだな、と驚いた。浴衣の襟元に蚊に食われたような痕を見付けた。ほんのりと赤かった。ワンポイント、と出し抜けに俺は思った。
「なあ」と少し赤い顔をして礼奈が言った。その目は一寸狐を思わせた。「ぎゅっとしてくれてもいいんだぜ?」
 益々男っぽくなる言葉に軽く苛立ち、しかし狼狽え、どうしていいのか分からなかった。
「でもその前に」と礼奈は言って笑った。「鼻血は拭いてくれ」
 礼奈の言う通りだった。俺は鼻血を出していた。礼奈がティッシュを差し出してくれた。
 鼻の穴にティッシュを詰めたまま、随分と長い間、暗い川に映る明るい灯を見詰めていた。
「よう」と川を見たまま言ってみた。「春になったら本当に帰るのか?」
「うん」
「そうか」
「寂しいか?」
「まあな」
「すぐに忘れるさ」
「そんなことねえよ」
 祭りの音がやけに遠かった。テレビの音のようで迫力がなかった。嘘っぽかった。二人して本当に月に居るみたいだった。
「そうだ、これ」と言って礼奈は何かを取り出した。「さっき祭りで買ったんだ」
 プラスティック製のイルカだった。
「あんたに似てると思ってさ」
「止せよ、このちっこいピンクのヤツが俺だってか?」
「似てるよ」
「どこがだ」
「可愛いよ」
 どう応えていいのか分からなかったので黙ったままでいた。そして俺にも指輪があったことを思い出した。甚平のポケットに手を入れて確かめた。しかし緊張するのだった。同じプラスティックでもイルカの置き物とは訳が違う。指輪なのだ。どう切り出して良いのか分からないままに俺は譫言のように喋った。
「俺も行くんだ」
「どこに?」
「東京」
 礼奈は少し黙った。それから言った。「いつ?」
「中学出たらさ」
「なんで?」
 今度は俺が黙った。ポケットの中の指輪を強く握った。
「どうして?」と同じことをまたあいつは訊いた。甘く掠れた声だった。心臓がばくばくした。もう片方の穴からも血が出そうだった。
「何故なの?」と更に礼奈は繰り返した。
 泣きたいような気がした。甘えたことを言ってしまいそうだった。ヤバいと思った。だから、フンと鼻のティッシュを飛ばしてから台本を読むように言った。
「広い海に出るんだ」
 はぁ、と溜息みたいな音で礼奈は笑った。それから「やっぱりね」と言った。「やっぱりあんたはピンクのイルカだよ」
「どういう意味だ」
「可愛いってこと」
 そう言ってあいつは指の先で俺の鼻の頭を突っついて、それから立ち上がった。
 カチンときて見上げて言った。「何すんだ、てめえ」
「さてと」と言いながら礼奈は伸びをした。「たっぷり見たか、わたしの浴衣」
「おう、見た」
「そりゃ良かった」と礼奈は不思議な響きで言った。「綺麗だったか?」
「しつけえな、おまえ」
 あいつは俺を見た。あいつの向こうに川があり、祭りがあった。頭の中がジャングルみたいにごちゃごちゃしていた。
「東京で溺れんなよ」と礼奈は言って、くるりと向きを変えると手を振って、そしてそのまま行ってしまった。闇に消えゆく青い浴衣を呆然と見送った。礼奈の、色んな後ろ姿を覚えている。俺はいつも見送ってばかりいたようだ。指輪を渡せなかったことに気が付いた。祭りの音が急に大きく聞こえ始めた。見上げると星があり、何故だろうか、ほっとした。
 翌日、夏休み最後の海に潜った。ミズクラゲが居た。すぐ脇にイシダイの幼魚が居た。ちょろちょろと泳ぐそれがクラゲの餌食にならなきゃいいな、と幾らか心配しながら観察していたら驚いた。食っていた。食っているのはイシダイの方だった。ちっこい癖して、と思った。強かに生きているのだ、と嬉しくも感じ、また怖くも感じた。クラゲもなかなか大変なんだな、と悟るように思った。

 六

 二学期が始まって直ぐの或る日、異変は起こった。登校した時から既に様子が変だった。漣みたいなものを感じた。教室のあちこちでひそひそ話が交わされていた。担任が入って来ると漣は消えた。普通に授業が始まったので、奇妙な雰囲気のことをすっかり忘れたまま昼休みを迎えたのだが、そこへ津波がやって来た。隣のクラスから俊二が走って来て、似合わない小さな声で言ったのだ。「聞いたか?」
「何を?」
「噂、聞いたか?」
「だからなんの?」
「直島だよ」
 首の辺りがドクンとした。
「直島がどうした?」
 すると急に勢いを萎ませて俊二は黙った。視線を逸らせた。
 その胸倉を掴んだ。「どうした?」
 応えなかった。
「一寸来い」
 俊二を廊下に引き摺り出した。
 階段の踊り場でまた訊ねた。「直島がどうした?」
「単なる噂だべ」
 まだ俺の目を見なかった。
「どんな噂だ?」
 矢張り俊二は黙ったままでいた。
「この野郎」俊二の腹を膝で蹴った。「とっとと言いやがれ、でねえと潰すぞ」股を握って脅かした。
 五分後、俺は高等部二年の教室に向かって走っていた。
 教室前の廊下に居た女に、直島はどこだ、と訊ねた。早退した、と女は答えた。応えた直後に変なふうに笑いやがった。睨んでやった。女は慌てて下を向いた。
 階段を降りて職員室を目指した。一階の廊下を走っていると、左手の便所から広田が出てきた、いつだったか薮の奥から出てきた時みたいに。広田に駆け寄り、その胸を突き、便所に逆戻りさせた。
「広田、てめえ!」と罵りながら便所の床に張り倒した。「あいつに何しやがった!」
 広田は驚いていた。だが直ぐに薄笑いを浮かべると、こう返した。「困るな、小杉君ったら、酔って話したことなのに」
「おまえが自慢タラタラで呪きやがったとかいう噂の中身、本当なのか?」
「教職者として」と広田は立ち上がりながら言った。「ホントでございますなんざぁ口が裂けても……」
 蹴った。それから頭を掴んで怒鳴った。「裂いてやろうか!」
 ぱくぱくしている口に指を突っ込み、上顎と下顎を力任せに引いた。広田の歯が指に食い込んだ。
「本当なのか!」
 訊ねながらまた床に転がした。
 すると広田は悍ましいことを言った。
「あっちが言ったんだ」
「何をだ!」
「買ってくれ、ってあっちから言ってきたんだ」
 自分で訊いた癖に、聞かなきゃ良かったと後悔した。が、もう遅かった。広田の股を蹴り上げた。グチャリとした感覚を足の甲に感じた。広田は股を押さえて転げ回った。
「何をだ!」と止せばいいのにまた自虐的な思いで重ねた。「何を買えと言われたんだ!」
 広田が俺を見た。眉が八の字に歪んでいた。そしてヤツの口は……、そうだ、その口は笑っていやがった。
「許さねえ!」
 急所を踏み付けた。広田の絶叫が響いた。
「浴衣が」と広田は泣きながら言った。「直島君は浴衣が欲しかったんだよう」
 絶叫に驚いた職員が駆け付けた。小杉を殴ったような気がする。他にも何人か殴ったかもしれない。便所の前に群がった職員やらガキ共やらを弾き飛ばして俺は走った。廊下を駆け抜け、校舎を飛び出し、太陽が照り付ける道をメロスみたいに走った。体中の血液が沸騰した、とかメロスが言ってたっけな、と教科書に載っていた話を思い出しながら走り続けた。礼奈の家を目指した。それは町の外れにあった。礼奈が転校して来て直ぐの頃、悪ガキ共と連れ立って見学に行ったのだった、都会から来た女のお洒落なお宅とやらを。お洒落な、というのは俺達の勝手な想像だった。礼奈の家は小さく、汚かった。俺の家の半分、いや四分の一もなさそうな平屋建てで、部屋は一つ、多くてせいぜい二つ位しかなさそうだった。赤錆びた塗炭屋根を、幾つかの、猫の頭位の大きさの石が押さえていた。庭とも呼べなさそうな、狭くて荒れた砂利の地面に、これまた赤く錆び付いた物干し台が二つ、十字架みたいに立っていた。メロスさながらに走り込んだその時は、竹竿に吊るされたババ臭いデカパンが降参の白旗みたいに揺れていた。
「直島!」と怒鳴った。「居るか!」
 返事はなく、なので「開けるぞ!」と吠えながら玄関の戸を払った。
 寝間着姿の女が驚いたような目で俺を見ていた。礼奈の婆ちゃんに違いなかった。礼奈にちっとも似ていなかった。薄汚れた野良猫みたいな貌だった。そう言えばこれまでにも街で何度か見掛けたような気がした。
「直島さんは」と俺は訊ねた。「いや、礼奈さんはどこですか?」
 耳が遠いのか、婆ちゃんは目顔で尋ねる仕草をした。
「礼奈はどこに!」と大声で繰り返した。
「ガッコウずらよ、礼ちゃんは。あんたはオトモダチけ?」
 とかなんとか婆ちゃんはもぞもぞと言った。
 帰っていない、礼奈はまだ戻っていないんだ、と瞬時に判断して応えた。「さよなら!」
 踵を返す前に、室内の色んなあれこれが見えてしまった。日に灼けたカーテン、いい加減な時刻を指している柱時計、それからきちんと畳まれて隅に置かれた青い浴衣。
 引き戸を閉めて、また駆け出した。海、と思った。理由はなかった。直感だった。坂を駆け下りた。夏はまだ秋に屈していなかった。アスファルトが粘るようだった。平日の昼下がりだからか人は少なかった。映画の中の街みたいになんだか全てが嘘臭かった。でも港まで来るといつもの匂いがしてほっとした。潮の香に勇気付けられて、浜に降り立ち、海伝いにぐんぐんと走った。動物の帰巣本能だとか、月夜の晩のなんたらの産卵だとか、そんな不思議な能力が人にも宿っているのだろうか、果たして俺は無人の浜の真ん中に白い開襟シャツの人影を見付けた。走りながら叫んだ。
「直島!」
 海風に声が消されてしまうのか、人影に動きはなかった。砂に足を取られて夢の中のように進まなかったが、それでも藻掻くみたいに走りながらまた呼び掛けた。
「直島!」
 人影がこちらを見た。改めて目を凝らす。開襟シャツと紺色のスカート、そこから突き出ている白い手足。礼奈だった。
「直島!」と更に叫んだ。
 礼奈は逃げるように駆け出した。
「待てよ!」懸命に追い掛けた。「待てっつってんだよ!」
 砂浜に慣れない都会育ちの女との距離はぐんぐんと縮まっていった。砂浜を走り切って、岩場に出た。礼奈が岩を登り始めた。危ない、と思った。岩場で転べば死ぬこともある。
「礼奈!」
 苗字ではなくて名前を呼んだ。心の内でいつもこっそり呼んでいた響きを高らかに。岩にしがみ付きながらも礼奈は一瞬振り返った。が、またくるりと向こうを向くと、更にスピードを上げて岩山を登り始めた。追い掛けて岩場を登り切った。頂上から、向こう側の浜に下ってゆく礼奈を見下ろした。突然思い出した。俺の海シャツを着た礼奈の白い足、それからホヤみたいな唇。何故だか急に怒りが込み上げてきた。
「待てよ、チクショウ!」
 怒りのままに怒鳴った。礼奈は振り向き、俺を見上げた。その目を掴むように見返した。観念したのか礼奈は、下り切った所で岩に腰掛け、逃げるのを止めた。岩場から飛び、礼奈の脇に立った。見上げるあいつを見下ろした。白いシャツが汗で濡れていた。下着が透けて見えていた。また激しい怒りが込み上げてきた。
「チクショウめ!」
 俺は叫んでいた。
「コンチクショウ!」と同じことを喚いてバカみたいに砂を蹴り捲った。
 礼奈は黙ったままでいた。
「なんでだよ!」と俺はまた叫んだ。「なんであんなクソジジイなんかに……」
「軽蔑した?」
 礼奈が小さな声で被せた。
 見ると礼奈は薄く笑っているのだった。その口元を見て俺はぶち切れた。
「軽蔑だあ?」地団駄踏んで吠え捲った。「したさ、おう、したとも、このクサレ女が!」
 礼奈はアーモンドみたいな目に力を込めて俺を見ていた。
「金か、金が欲しかったのか、だからってよう、だからってあんなハゲクラゲと!」
 鳶の影が砂浜を黒く払った。
「そうだよ、金だよ!」と礼奈も叫んだ。「いいだろ、減るもんじゃなし、広田も喜んでたし!」
 体が震えた。直ぐには言葉も出なかった。海が色を失った。こめかみがズキズキと痛んで、鉄砲の煙みたいな臭いを鼻の奥に感じた。ぴいひょろろ、と鳶が何かの合図のように鳴いた。次の瞬間俺は逆上していた。開襟シャツの襟元を掴んで引き寄せた。「んぬあああ!」
「なんだよ!」礼奈も目を潤ませながらも尖らせた。
 綺麗だ、と思ってしまった。
 そうだ、綺麗だった、礼奈は綺麗だった、ソラスズメダイみたいに気が強く、自由で、スピーディーで、鮮やかで、目を奪われる程に綺麗だった。都会の女に、田舎のガキである俺達は、激しく敵意を募らせると同時に同じ位に憧れて、その視界の広さや、度量の深さや、考えのクリアさに嫉妬し、苛立ち、屈辱を感じ、己の狭さと暗さを恥じた。そんなあれこれを一言で表現できる。
 綺麗だ。
 そう、あのような衝動に捕らわれたとき、俺達浜辺のガキ共はバカみたいに呟いたのだ。綺麗だ、と。気が付くと実際に呟いていた。胸倉を掴みながら、「綺麗だ」と。驚愕、という色を浮かべていた瞳は、俺の一言を切っ掛けに温度を取り戻し、また違う色を見せた。優越感、乃至は哀れみ。そう読めてしまった。ピンクのイルカを見る眼差し。
 ざけんじゃねえよ!
 岩影に突き倒した。この俺が礼奈を突き倒したのだった。我がことながら驚き、しかし驚いている自分までもが、高波に攫われたかのように別の何かに乗っ取られた。
「チクショウ!」と別の何かは乏しい語彙で、しかし激しく罵った。チクショウ、と開襟シャツのボタンを飛ばす自身の手を見詰めながら俺もまた思っていた。何やってんだよ俺は、なんなんだよ、この俺ってヤツは!
 怒りだった。俺を攫った波は怒りだった。オス的な衝動だった。でも、と同時にはっきりと気が付いていた。憧れと嫉妬の対象である礼奈を、俺は、とことん好きだったのだ。初恋と呼べるもので間違いなかった。いや、そんなもんじゃない、結婚したいとさえ思っていたのだ。プラスティックの指輪を東京でホンモノに替える積もりでいたのだ。勿論勝手な思い込みだった。ノートに書き殴ったスケッチは、古代ローマの彫刻みたいに理想化されていて、体温がなく、一片の汚れもなく、現実の礼奈ではなかった。だけど、それでもそのような理想を投影出来るだけの美しさを、つまり姿形や、声や、喋り方や、立ち振る舞いや、指先の動きや、息遣いや、潜り方や、眉の動きや、白さや、柔らかさや、眼差しや、匂いや、生き方や、風っぷりを礼奈が持っていたこともまた事実だった。好きにならずにいられなかった。どうしようもなく、無様なまでに、泣きたい位に真っ直ぐに、好きで好きで好きだった。
 吠えながら礼奈を剥いでいた。学生ズボンの中で怒りと欲望が固まっていた。女を抱いたことなんて勿論なかった。エロ本で見るのと実際に抱くのとでは大違いで、俺は唯々必死だった。抱いている、という積もりもなかった。感じられるのは怒りと哀しみだけだったが、それらは欲望にとてもよく似た何かでもあった。礼奈の首を齧りそうになった。下唇を強く噛んでその衝動を抑えた。礼奈の指を掴んだ。自分の胸板で礼奈の柔らかな胸を組み敷いた。唇から垂れた血が礼奈の額を朱赤に汚した。礼奈は恐怖の表情を浮かべていた。それを見てズボンの中身は益々硬くなった、痛いほどに。ズボンを下ろした。パンツも脱いだ。すると幾らか解放された。スカートを捲り上げた。白いパンツに自分を押し付けた。礼奈が呻いた。俺も呻いた。礼奈の腕が俺の支配から逃れた。そして俺の後頭部を抱いて引き寄せた。ブラジャーのワイヤーが頬に当たった。どうやって外したらいいのか分からないまま無理矢理邪魔物を剥ぎ取った。ノートの落書きとは違って生身の礼奈は熱かった。風の匂いなんてもうしなかった。汗の匂いがした。それは焼けた砂の匂いと混じった。
「ねえ」と礼奈が掠れた声で言った。「好き?」
 応えられなかった。目を瞑り、礼奈の首に顔を押し付けた。
 礼奈の喉がまた言った。「わたしのこと、好き?」
 顔を上げて空を仰いだ。「チクショウめ、好きだっ!」と叫んだ。そしたらそのまま力尽きてしまいそうになった。背骨に力を入れて堪えた。
「だったら」と礼奈は甘ったるい声で言った。「触って」
 俺の手がおっぱいに導かれた。丸い形を掴むと赤い乳首がつんと尖った。礼奈の腕にまた引き寄せられた。咥えた。酷くしっくりとくる感触が舌に伝わった。
「もっと強くて大丈夫」と礼奈は言った。そして続けて、言ってはならないことを言った。「そこは綺麗だから。広田は下だけでしたから」
 一瞬なんのことだか分からなかった。シタダケデシタカラ?
 カマジーの裏手の薮を思った。祭の夜の首筋の、藪蚊に食われたピンクの隆起を思った。鬱蒼とした茂みの奥で下半身だけ露出した広田と礼奈が卑猥なことをしている場面を想像してしまった。広田の醜い顔。そして礼奈の……。眼下の顔を見た。眉が悩ましく八の字を描いていた。目が左右に引き伸ばされて線になっていた。鼻の穴がひくひくと痙攣していた。唇が上下に分厚く膨らみぬらぬらと輝いていた。歓喜の表情だった。この顔で遣られていたのか!
「何回した?」とバカなことを訊いていた。「広田とあの藪で何回した?」
「藪では二回だけ」
「他では?」
「他の場所でもう一回」
 それで……、と変に醒めた頭の片隅で考えた。考えたまんまが声に出た。「それで浴衣を買ったのか?」
「そう」と肉は応えた。「綺麗だったでしょ」
 何かが弾けた。女の手を払い、俺は立ち上がった。そして自分でも信じられないことをした。硬く尖った先からションベンをぶち撒けたのだった。女に向けて、力を込めて排出した。すっかり出し切ると黙ってパンツとズボンを穿いた。そしてその場を立ち去った。振り返らなかった。

 終

 春を待たずに女は東京に帰った。広田と俺は処分を受けた。広田は二度と教師に戻れないようだったが、俺は少しの謹慎期間のあと学校に戻り、中学を卒業して、そのまま同じ校舎で三年間を過ごした。沢山のメスと遣って沢山のオスを殴った。それだけの高校生活だった。十八の春半島を出た。東京で大学生を相手にパー券を売る仕事を始めた。三年で三人のガキを使う会社の社長になった。しかし設立後一年で会社は潰れた。ダンパでナンパしたメスの部屋を転々とした。その内の一人に誘われて雑誌の記事を書く仕事を手伝い始めた。あいつがモデルになって活躍していることを知った。決まった場所で眠らない生活を卒業してアパートを借りた。本を沢山読まされた。本の中には色んな女が居た。けれどもホンモノの女は居なかった。そう感じていた。三十かそこらになった頃だったと思う、生まれて初めて女を買った。駅のガード下で焼き鳥を齧って店を出た所でそいつに出会した。女は俺の正面に立ち、下を向いたまま早口で言った。「あたしを買ってください」
 普段なら無視するところだったが、その日はどういう風の吹き回しか女をじっくり観察する気になった。若い女だった。細くて、小さくて、洗練されているとは言い難い貌をしていた。黄色いワンピースを着ていた。薄茶のサンダルを履き、髪はボブで、肌は白く、下を向いているので表情ははっきりしなかった。格好とはまるでちぐはぐなブルーのボストンバッグを提げていた。どう見ても家出娘だった。或いは何かの罠かもしれない、と思った。それ程女は無防備だった。駅のそちら側の出口には厚化粧の外国人が多かった。タンポポが咲いていていい場所じゃない。そう思い、だから尋ねた。「幾ら?」
 女は顔を上げた。平凡なルックスだった。俺を値踏みしているように見えた。用心深い野良猫みたいな表情だった。でも相場が分からなかったのだろう。頓珍漢な金額を言った。何かの罠でも構わないと思った。タクシーを止めた。ボストンバッグをトランクに仕舞ってやろうとしたが、女はそれを頑なに拒んで車内の自分の膝の上に置いた。JRの駅を幾つか手繰って、適当なネオンの下で降りた。バッグを持ってやろうとしたが矢張り断られた。ホテルのフロントで一番安いパネルを選んだ。それでも女の値段より高かった。部屋に入ると女はきょろきょろと辺りを見回した。風呂を入れてくれ、と俺に言われて女は風呂場に行ったが、直ぐに戻って来て、遣り方が解らない、と言った。その手に変わらずボストンバッグを握っているもんだから笑ってしまった。
「おまえは遣る時もそれを持ったまま遣るんだろう?」
 女は笑わなかった。俺も笑いを引っ込めて風呂場に行き、湯量のダイヤルをマックスに回してから部屋に戻った。すると女は既にベッドの中に居た。ベッドサイドにボストンバッグが置かれていて、その上にきちんと畳まれて黄色いワンピースがあった。早業だった。滑稽であり、しかし厳粛であった。針金みたいな女を抱く気は更々なかったが、こう律儀に為されてしまうと、払うが遣らずでは失礼だろうと思い直した。布団を剥がすとパンツ一枚で女は居た。素早くパンツを脱がせて、俺も脱いだ。ゴムを被せている間、女はパネルに手を伸ばし電気を消そうとしているようだった。が、こちらの遣り方も解らなかったのだろう、手子摺っていた。興味深かったので手伝ってやらず、手を伸ばしたままの女を雑巾を絞るようにぎゅっと抱いた。冷たくはあったがつるつるとした体で抱き心地は悪くなかった。特別なことはせず女は、俺の腕の中で唯くねったり跳ねたりしていた。いつになくリラックスしたまま事を終えた。怒りもなければ苛立ちもなかった。敵意や恐怖をまるで感じなかった。二つ目のゴムに手を伸ばした。すると女は言った。
「お金、まだあるの?」
 真剣なトーンにまた笑ってしまった。
「金か」
「そう」と偽悪的な目を作って女は言った。「お金よ」
「金が要るのか?」
「うん」
「どうして?」
「色々と事情があるのよ」
 何故だろう、と自分を不思議に思った。なんだか優しい気持ちになっていた。小さな肩が背負っている事情について想ってみた。青いボストンバッグに詰められた秘密についても想ってみた。でも何も分からなかった。が、それで構わなかった。
「金のことなんて」と言いながらゴムを着けた。「忘れさせてやる」
 自分の台詞に照れながらも体を抱き寄せた。女も少し熱を帯びてきたようだった。鼓動を波のように、呼吸を風のように感じながら、窪みや、隆起や、陰りや、段差を、指で、舌で、丹念に探っていった。指の畝り、喉の震え、瞳に浮かぶ色や影、時に零れるくぐもった声、全ては仕舞われていた、女の奥の奥の小箱に大切に仕舞われていた。箱の一つ一つを抉じ開けていった。中身を見詰め、確かめ、味わい、楽しんだ、とてもナチュラルに、溶けゆくように。それは遠い日の何かに似ていた。キラキラしていた。こちらのリズムはあちらのリズムを確実に誘う。女もとてもリラックスしているように見えた。幾つかの波を迎えたあと体は、弓のようにしなって、それからばすんとベッドに落ちた。魚のジャンプに似ていた。青い空を見たような気がした。浴室に行くと湯が貯まり、しかし既に冷えていた。シャワーを浴びて、出て、まだベッドに居た女の横に寝転び、白いような青いような気分で煙草を吹かしていると女が言った。
「あたしにもくれる?」
 煙草を分けてやった。
「ありがと」
 ホテルの名前が印刷されたライターを手に取り女は喫煙者を気取った。が、すぐに咽せた。俺が笑うと、女も照れたように笑い返した。なんだか肩の力が抜けた。だから気持ちを真っ直ぐ吐き出した。
「おまえさ、すごく良かったよ」
「あんたも」
 と女も真っ直ぐに応えた。別人のように柔らかな表情をしていたので、嘘ではないことが分かった。
「初めてだったんだ」と女が言った。「売ったの」
 知ってるよ、と思いながら、「初めてだったよ、俺も」と言ってやった。「買ったの」
「本当?」と女は半身を起こして俺の目を見た。
「本当」
「毎度ありっ!」
 中々愉快な娘のようだった。
「あんた、おっきな人だね」と娘は言った。「全然ケーベツとかしてないだろ?」
「してないな」
「どうしてかな?」
「年寄りだから」
「年寄り?」
「長く生きてりゃ色々あるさ、そうだろ?」
「うん、色々あるね」
「おまえさ……」
「何?」
「綺麗だよ」
 女は黙った。そして疑わしげに目を擦った。
「海はな」と口を衝いて出た。「ひれーんだ」
「街の爺ちゃんみたいなこと言ってら」
「おまえ、どっから流れて来た?」
 街の名前を聞いて驚いた。俺の街だった。黒潮の街だった。女を改めてまじまじと見詰めながら尋ねた。
「海の中、知ってるか?」
「知らないよ、だってクラゲが居るんだ」
 そうか、そりゃクラゲは居るわなあ、と思った。でも回遊魚もいる、鮮やかで、自由で、綺麗な。
「ゴムがもうない」
 と枕元を確かめながら俺は言った。
「うん」
「でも、もう一泳ぎしたい」
「あたしもしたい」
 娘は瞳を輝かせていた。
「いいのか?」
「いいよ」
「今度はもっと深く潜れそうだ」
 娘はけらけらと笑った。
「じゃ素潜りで抱くぞ。その代わり……」
「その代わり?」
「明日になったら連れてってやる」
「どこに?」
「海に」
 返事を待たずに唇を塞いだ。肉体の波に揺られながら、静かに、懇ろに沈んでいった。潜って、更に潜った。
 と、深い所で声がした。
 綺麗?
 礼奈の声だった。
 眼下の顔を見た。眉が悩ましく八の字を描いていた。目が左右に引き伸ばされて線になっていた。鼻の穴がひくひくと痙攣していた。唇が上下に分厚く膨らみぬらぬらと輝いていた。女の顔だった。命の顔だった。
「ああ」と応えた。「綺麗だ」
「本当に?」
 と、また女達は尋ねた。
 本当だとも、と強く思った。
「全部引っ括めておまえは綺麗だ」
 体が震えた。
 安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。

海のまんま(なつみかん)八十枚

執筆の狙い

作者 もんじゃ
KD111239165104.au-net.ne.jp

象徴も角度も模様も地下一階もありません。だから物語性はしょぼいけどストーリーがあります。構成もしています。伏線も随所に立てています。キャラも普通に設定しています。乖離させたりしていません。小洒落た話ではありません。リア充な話でもなく共感されることを拒んでいません。いわゆる「わかりやすい小説」です。含みがありません。文章もほぼ単文による短文で凝った比喩表現はなく描写も必要最低限です。読みやすく呑み込みやすくぺろりと読めてしまうかと思われます。シンプルで真っ直ぐな話です。日頃もんじゃが書くものに比べてこういう話は是か否かを伺えればと投稿いたします。よろしくお願いいたします。

コメント

アン・カルネ
219-100-31-131.osa.wi-gate.net

良かったです。
とてもとても良かったなあって思った所は「一」から「四」までで、これはもう良かったを通り越してもはや好きです(笑)。
だから「一」から始まって「四」の「遠くまで広がる世界を感じた」で物語が終わっていたら、良かったのになあって思ってしまったくらい。

読みながら気にかかった事。「ワンポイント」の台詞と、その後の「ある部分。なんだか嫌な響きだった。」。このところで、ひょっとしてキスマークとか隠しちゃってます? なんて想像してしまったので、礼奈ちゃんがこの後、主人公の心を切り裂く事になるんだろうなあとは思ってました。で、それはどういうふうにするんだろうなあ、とは思いましたが、「お金ないんだ」ってところで、ああ、パパ活やっちゃうかあ、とは思ったり。でもそうじゃないと良いなあ、と思いながら読み進めました。で、「この前俺っち、カマジーで広田に会ったぞ」と「広田の野郎、コーラ飲んでやがった、腰に手ぇ当てて風呂上がりの牛乳みてえにグビグビとよう、でもってふいーっとかしてやがった」と「そういえば先週だったか俺もカマジーで広田を見掛けた」から「薮からざわわと変な風が吹いた、と思ったら違って」辺りで、礼奈ちゃん、相手は教頭かあと思ってしまい、ああ、これはきっとこの先はありがちなベタで泥臭いグローイングアップモノに移行して行っちゃうんだろうなあって、思ってしまったので…。折角、前半、キラキラした感性の物語なんて思っていたので、私としてはちょっと残念だったかな。でもまあそういう展開はありだし、それはそれで成立しているので。そこはもう好みの問題ですからね。
とはいえ、それでも要検討じゃないかなあ、と思った箇所は、広田が買春を認めているところでしょうか。ここはしらを切り通して欲しかったと思うかな。薄汚い大人の嫌らしさを存分に発揮して欲しかったと。

で、分からなかった事。
青いボストンバッグのタンポポ娘に起死回生というか失われた自分を取り戻しに行こうというような感じになれたのはどうしてなんでしょうか。序に繋がってる部分ですよね? 
いえ、そここそ、読み手が読み手なりに答えだせよーってところだとは思うんですけど…。
いえ、読んでいて、なんとういうか、どうしてもこの流れには、もしかして、そんなにエッチ良かったですか、と、つい…、もう! 私ったら! と思うんですけど…! でも、だって、モデルになった礼奈ちゃんのことはもう彼の中では完結しちゃってるわけでしょう? 少なくともモデルになった礼奈ちゃんの事を偲んでいるわけではないですよね…? 
タンポポ娘の「色々と事情があるのよ」辺りでかつての礼奈ちゃんと重なって見えてきたってことなんでしょうけど。それでもそれだけでは何かが弱いような、そんな気がしないでもなくて…。だって彼自身、あの時、礼奈ちゃんを傷つけているし、彼女を傷つける事で自分を傷つけてもいたわけだし。ってか、その後も彼はそれを引きずったまま三十かそこらまで年食っちゃったわけだし…。  
いや、だから、そここそは読み手が自身で考えてくれよーってことなんだろうとは思うんですけど、ただ、なんとなく、何かが違うというのか、足りないというのか、どういえば良いのか、上手く言えないのですけど、おそらく、この作品って、最後まで読んだ時、この最後の1行の「安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。」を読んだら、大急ぎで「序」に戻って、改めてここを読み、その時は、そうだよ! あの指輪(に象徴されていたものすべて)を探さなきゃね!って、そう思わせる作り方になってた方が良いんじゃないの? と思わせられるわけですよ。つまり、物語を読む前と後では異なる印象をもって、読み手の心に響いてくる、と。そういう仕掛けなんだろうなあ、と。そう思ったので、そういう所へ行くには、何かが足りないのか、私が分かってないのか、まあ、そんなふうに消化不良のところがありました…。

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

アン・カルネさま

ありがとうございます。ご指摘大変参考になりました。

・ワンポイント、には色んな意味を乗せていたのですが、確かにキスマーク(太腿のキスマークってすごくエッチですよね)的な匂わせになりかねないので、礼奈の包帯とワンポイントにまつわる全てをばっさりカットいたします。

・五、六を改装いたします。

>ってか、その後も彼はそれを引きずったまま三十かそこらまで年食っちゃったわけだし…

まさしくまさしく。懲役十五年な人生を生きてきたっぽいですよね、メスを渡り歩くも、女は怖くて、だから誰も好きになれませんです系の監獄で。

・終章、もっと端的に短く表したいと思います。

 春を待たずに女は東京に帰った。広田と俺は処分を受けた。広田は二度と教師に戻れないようだったが、俺は少しの謹慎期間のあと学校に戻れた。教育委員会の誰だったかに、父ちゃんの目に似た目で見詰めてもらえて俺は泣いた。真面目に勉強して高校に進学し、同じ校舎で三年間を過ごした。十八の春半島を出た。東京で大学生を相手にパー券を売る仕事を始めた。三年で三人の学生を使う会社の社長になった。しかし設立後一年で会社は潰れた。ダンパでナンパしたメスの部屋を転々とした。女が怖くてメスとしか付き合えなかった。その内の一人に誘われて雑誌の記事を書く仕事を手伝い始めた。あいつがモデルになって活躍していることを知った。決まった場所で眠らない生活を卒業してアパートを借りた。本を沢山読まされた。本の中には色んな女が居た。けれどもホンモノの女は居なかった。そう感じていた。三十かそこらになった頃だったと思う、生まれて初めて女を買った。駅のガード下で焼き鳥を齧って店を出た所でそいつに出会した。女は俺の正面に立ち、下を向いたまま早口で言った。「あたしを買ってください」
 若い女だった。細くて、小さくて、黄色いワンピースを着ていた。薄茶のサンダルを履き、髪はボブで、肌は白く、下を向いているので表情ははっきりしなかった。格好とはまるでちぐはぐなブルーのボストンバッグを提げていた。どう見ても家出娘だった。或いは何かの罠かもしれない、と思った。それ程女は無防備だった。駅のそちら側の出口には厚化粧の外国人が多かった。タンポポが咲いていていい場所じゃない。そう思い、だから尋ねた。「幾ら?」
 女は顔を上げた。平凡なルックスだった。俺を値踏みしているように見えた。用心深い野良猫みたいな表情だった。でも相場が分からなかったのだろう。頓珍漢な金額を言った。何かの罠でも構わないと思った。タクシーを止めた。ボストンバッグをトランクに仕舞ってやろうとしたが、女はそれを頑なに拒んで車内の自分の膝の上に置いた。JRの駅を幾つか手繰って、適当なネオンの下で降りた。バッグを持ってやろうとしたが矢張り断られた。ホテルのフロントで一番安いパネルを選んだ。それでも女の値段より高かった。
 いつになくリラックスしたまま事を終えた。怒りもなければ苛立ちもなかった。敵意や恐怖をまるで感じなかった。ベッドサイドにはブルーのボストンバッグが置かれていて、その上にきちんと畳まれて黄色いワンピースがあった。
 何かに刺激されて、また女を抱きたくなった。二つ目のゴムに手を伸ばした。
 すると女は言った。
「お金、まだあるの?」
 真剣なトーンだった。
「金か」
「そう」と偽悪的な目を作って女は言った。「お金よ」
「金が要るのか?」
「うん」
「どうして?」
「色々と事情があるのよ」
 小さな肩が背負っている事情について想ってみた。青いボストンバッグに詰められた秘密についても想ってみた。でも何も分からなかった。が、それで構わなかった。
 体を抱き寄せた。
 鼓動を波のように、呼吸を風のように感じながら、窪みや、隆起や、陰りや、段差を、指で、舌で、丹念に探っていった。指の畝り、喉の震え、瞳に浮かぶ色や影、時に零れるくぐもった声、一つ一つを確かめ、追い掛け、楽しんだ、とてもナチュラルに、溶けゆくように。それは遠い日の何かに似ていた。幾つかの波を迎えたあと体は、弓のようにしなって、それからばすんと落ちた。魚のジャンプに似ていた。青い空を見たような気がした。だから気持ちを真っ直ぐ吐き出した。
「すごく良かった」
「あたしも」
 別人のように柔らかな表情をしていたので、嘘ではないことが分かった。
「初めてだったんだ」と女が言った。「売ったの」
 知ってるよ、と思いながら「初めてだったよ、俺も」と言ってやった。「買ったの」
「本当?」と女は半身を起こして俺の目を見た。
「本当」
「毎度ありっ!」
 中々愉快な娘のようだった。
「あんた、おっきな人だね」と娘は言った。「全然ケーベツとかしてないだろ?」
「してないな」
「どうしてかな?」
「年寄りだから」
「年寄り?」
「長く生きてりゃ色々あるさ、そうだろ?」
「うん、色々あるね」
「おまえさ……」
「何?」
「綺麗だよ」
 女は黙った。そして疑わしげに目を擦った。
「海はな」と口を衝いて出た。「ひれーんだ」
「街の爺ちゃんみたいなこと言ってら」
「おまえ、どっから流れて来た?」
 街の名前を聞いて驚いた。俺の街だった。黒潮の街だった。女を改めてまじまじと見詰めながら尋ねた。
「海の中、知ってるか?」
「知らないよ、だってクラゲが居るんだ」
 そうか、そりゃクラゲは居るわなあ、と思った。でも回遊魚もいる、鮮やかで、自由で、綺麗な。
「ゴムがもうない」
 と枕元を確かめながら俺は言った。
「うん」
「でも、もう一泳ぎしたい」
「あたしもしたい」
 娘は瞳を輝かせていた。
「いいのか?」
「いいよ」
「今度はもっと深く潜れそうだ」
 娘はけらけらと笑った。
「じゃ素潜りで抱くぞ。その代わり……」
「その代わり?」
「明日になったら連れてってやる」
「どこに?」
「海に」
 返事を待たずに唇を塞いだ。肉体の波に揺られながら、静かに、懇ろに沈んでいった。追い掛けて、潜って、また追い掛けてまた潜った。
 と、深い所で声がした。
 綺麗?
 礼奈の声だった。
 眼下の顔を見た。眉が悩ましく八の字を描いていた。目が左右に引き伸ばされて線になっていた。鼻の穴がひくひくと痙攣していた。唇が上下に分厚く膨らみぬらぬらと輝いていた。女の顔だった。命の顔だった。
「ああ」と応えた。「綺麗だ」
「本当に?」
 と、また女達は尋ねた。
 本当だとも、と強く思った。
「全部引っ括めておまえは綺麗だ」
 体が震えた。
 安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。

このくらいで?

読んでくださり、ありがとうございました。

アン・カルネ
219-100-31-170.osa.wi-gate.net

うーん…。私が悪いのよね、ええ、そうよね、そう思います。私もここだって言えないので…。

終章の改稿について。
「春を待たずに女は東京に帰った」から「おまえさ、すごく良かったよ」。ここまでどこも何も1字も変えなくて良いと思います。断然、そのままで(笑)。

むしろ、「おまえさ、すごく良かったよ」のあとに
『「初めてだったんだ」と女が言った。「売ったの」
 知ってるよ、と思いながら「初めてだったよ、俺も」と言ってやった。「買ったの」
「本当?」と女は半身を起こして俺の目を見た。
「本当」   』
ときて、そこで「ありがと…」と言わせるか「へへへ」と言わせるかにしたいかなあ。あるいは何かもっと、初めての売春感があるようなことを彼女に言わせるなり、リアクションなりで表現して欲しいような。それによって、例え売春であってもそこに何かしらのいたいけなさを演出してもらえれば、彼女への好感度が上がると言うか。
「毎度あり」って出すのがちょっと早いような、そんな気がしないでもないと言うか…。確かに愉快な娘と思わせるのもとてもとても大事なポイントではあるんですけど。でも一応、その前にもうひとつ何か彼女らしさを見せるものが欲しいような、ね。
あと一応、彼女はボストンバッグ1つ持って黒潮の街から落ちてきたんでしょう? それをまた彼女を連れて故郷の街へ行くのは、彼女に対しては残酷なのでは? と思ってしまうので…。

タンポポ娘を通して、彼がまた黒潮の街へ行ってみよう、あの海に行こうと思うのは活かしたいなと思うし。ただ今のままなら、いっそ彼一人で戻れば? とか思っちゃうと言うか…。タンポポ娘を連れてゆくのであれば、やっぱりもうちょっと何か、削るのでなく、掘り下げて丁寧に描いて欲しいような? そんな気がしました。

アン・カルネ
219-100-31-170.osa.wi-gate.net

あ、えっと「春を待たずに女は東京に帰った」から「おまえさ、すごく良かったよ」。ここまでは初稿のまま、どこも何も1字も変えなくて良いと思います。断然、そのままで(笑)。です。

ありがとうございました
opt-220-208-25-236.client.pikara.ne.jp

読みました
面白かった
あたしは小説面白いかどうかですwww
以前あげていた「なつみかん」ですよね? てか別バージョンかな? www

冒頭の(―――た。)連続 短いセンテンスwww
意図的なのでしょうけどwww 若干しつこいかもねww

もんじゃ様の作
短編ssはともかくこれぐらいの中編 はたまた長編になると
( 落ちが )アカンwww
工夫はしていると感じる
終章(別添から)冒頭に繋がるミタイナwww
でもあたしはこれ必要なのか? とは思ったわけでwww

ふゆミカンに続けて夏ミカンも期待wwwwwww
ありがとうございました

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

アン・カルネさま

ありがとうございます。

しかし時既に遅しで改稿完了しちゃいました。原稿用紙で十枚削りました。包帯とワンポイントに絡む全て、それから五、六をダイエットして読み手に委ねる余地を増やしました。終章も、今回のカルネさんのご意見とはバッティングしちゃうけどおよそ半分に削りました。思うに、わかりやすく説明しちゃう(掘り下げを言葉により行う)ことは、このわかりやすい話のうちの、しかし肝である唯一のわからなさを無理やりわからしめちゃう行為になっちゃって、それはよろしくないかと。いつもの通りになっちゃうんだけど、そこんとこは配置だけで表したいと思いました。噛み砕きようがないわけじゃないけど、それをしちゃうと膨大な量になり、前半のあのきらきらした海の中とのバランスが悪くなっちゃいそうなんで、前半の海中散歩と性行為をダブらせる程度、また青と黄色、それからきちんと畳まれた浴衣とワンピをダブらせる程度で、いわば詩的に、わかるかわからないかわからないくらいの塩梅でそれを表したいと思いました。五、六を詰めたこととのバランスもとれて、終章半減を書き手的には今読み直して、なかなかよしよしと受け入れています。因みに、序(章)、終(章)、一~六のインデックスも全て削り、頭とお尻だけ二文字アキ、他の段落は一字アキにしてみたら、なんかそっちの方が綺麗でした。三十歳と十五歳の段差をグラデーションした格好です。終章を短くしたお陰で段差を無くしても割りとスムーズに読める気がします。

そんなわけで、しっかり読んでくださってることがわかるカルネさんからのご指摘にバッティングする改編はかなり怖いのでありますが、いろんな角度から考えてみて今回は十枚削減で通したいと思っています。

礼奈の包帯取っ払ったら、大分クラゲ教頭目立たなくなったように感じています。ご指摘に感謝します。あと、五、六の重さも指摘していただけてよかったです。刈り込んで随分とすっきりしました。コメント欄を消費しちゃう長さなんで今回は改稿バージョンをお見せいたしませんが、今後も改稿を繰り返しつつ自分なりの完成を目指す所存であります。

読んでくださり、ありがとうございました。

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

ありがとうございましたさま

ありがとうございます。

ですです。夏未完の完でございます。前にアップしたなつみかん(の冒頭)は礼奈(当時は節子でありました)側からの視点で書いてたのだけど、今回のは俺氏視点です。こっちの方がブコツで黒潮との相性がいいように思います。

たたた、は、マイナスですかね。ちょっとハードボイルドしたかったんです。硬めにしたくて漢字も閉じまくってて、難しい漢字は調べながら選択しました。駿台の漢字1200選とか思い出しちゃいましたよ(笑)。勉強になりました。

終え方、確かに難しいですね。四十枚くらいが分岐点なのか、それより短いといくらか綺麗な(潔い)トメやらハネやらで締められる気が、はい、自分でもします。四十枚超えてくると、確かに、考えすぎちゃうのか、終え方がまどろっこしくなったり、しつこくなったりしがちかもしれません。もっとこうスッとフェイドアウトさせちゃったり、場合によってはぷっつりカットアウトしちゃってよいのかもしれません。結局、読み手に「わかってもらうように」終えるのか、「わかってもらえなくてもいいや」で終えるのかの違いかもしれません。四十枚より短いと、思いきりよく抛擲できるんだけど、長目に書いてきたものにはやはり愛着が生じちゃってるのか、わかっていただくための工夫に腐心しちゃって、それがあるいはウザく思われるのかも、だなんて自己分析してます。カエル人間のエンディングも潜りがしつこかったし、そのあとの島の断章は随分と段差のあるものだったし、違和感を覚えられた方が確かに何人もいらっしゃったような。今回のも、終章→序章みたいなナックルボールが鼻につく読み手さんがいらっしゃるのかもしれません。終え方についてはもうしばし考えてみます。

読んでくださり、ありがとうございました。

カルナック
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憧れや劣等感ゆえの怒り、手に入らなかったものへの破壊衝動、執着などが時を経てなお、澱となって主人公の中に溜まっているのが伝わって来た。
15年以上経ってもそれらを手放さない主人公が家出娘を連れて町に戻ろうとするのは、あの頃の自分を追体験したいからなのか、それともリセットしたいからなのだろうか。
もしかすると、端から帰る気などないのだろうか。

ほぼひっかかることなく、最後まで一気に読んだ。一点だけ教えてほしいのですが、礼奈が太ももに包帯を巻いていた、つまりそこに性行為の痕があるということを匂わせている。前後関係を考えると、この時はまだ浴衣を買いたいという動機ではない。彼女は主人公と親しくなる前から広田と関係していたということだろうか。そうであれば、礼奈の人物像が少し違って感じられる。

と書いてから感想欄のやり取りを読んだ。その部分はカットしたんですね。

海中のシーン、臨場感があって読んでいて楽しい。知っているひとはこうも書けるのかと、うらやましく思う。

全体的に読みやすく、特に主人公と礼奈が距離を縮めていくところは映像が浮かびやすかった。けれど想像するに、もんじゃさんは本来なら、もう少し複雑で陰のあるものを込めたいのではないだろうか。
わたくしが勝手に抱いた印象ですが、主人公と対峙する礼奈に、毒が少なすぎる気がするんです。

以上、改稿前の作品に対する感想でした。


余談。
グランブルーの頃のロザンナアークエットは、確かにイルカに似ていましたね。

5150
5.102.22.168

ストレートでいいですね。適切な距離感で作者さん自身が没入しながら書かれている、と(私的には)感じられたところに好感を持ちました。「連れてって」にあった熱を思い起こさせます。って、もんじゃさん、「連れて行く、行って」の言葉、好きなんですね、作品のいろんなところで見かけるな、と思って。

海でのストーリーってもともと好きなので、よかったです。十五歳っていう年齢もぴったりだったかと。これが十七くらいだと微妙に違ってきそうですし。

もう少し礼奈さんのこと知りたかったかな、とは思いましたけれど。以前のなつみかんのテイストではなく、設定は同じなのでしょうが、男が主人公になったので変わってますね。なので、御作くらいの露出がちょうどいいのだろうとは思いますが。

あの年頃って、海のことは知っていると感じたがるけど、主人公くんはいきなり大海に出てしまった感じですね。現在の彼にとっての海は綺麗な海ではないのかな、どうだろう。

もんじゃ
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カルナックさま

ありがとうございます。

>礼奈が太ももに包帯を巻いていた、つまりそこに性行為の痕があるということを匂わせている。前後関係を考えると、この時はまだ浴衣を買いたいという動機ではない。彼女は主人公と親しくなる前から広田と関係していたということだろうか。そうであれば、礼奈の人物像が少し違って感じられる。

まったくもってその通りでありますね!
カットして正解でありました。
実はあの包帯、書き手には、性的な痕跡を匂わせる意図はなく、単に俺くんが礼奈にセクシャリティを感じる一エピソードとして書いていただけなのでありました。肉離れとかそういう何かの手当てに礼奈は、やや大袈裟に、たぶん太腿の白い包帯を自らキュートに感じていたりもして、いくらかのナルシスティックな動機でそれを巻き、その姿を晒していたのですが、それに俺くんはしっかりと惹き付けられちゃいまして、「ワンポイントチャームなんだよ」っていう意図の礼奈の言葉に隠された意味を深読みして辞書なんて開いちゃった、と。でも実際のちに蚊に刺された跡(こちらはモロに性的な事件の証拠なわけですが)をワンポイントとして発見することになるため、ワンポイント(ある側面=礼奈の、俺くんの知らない一面)なる言葉を読み手に印象付けておきたかった、というのがあのくだりを書きました意図なのでありました。
しかし、アン・カルネさんのご指摘、カルナックさんのご指摘に照らされまして、なるほど、あの包帯は確かに、蚊に刺された痕跡を読んでのち振り返ると、性的な痕跡の端緒として読めちゃうよなあ、と猛省いたしました次第。ご指摘に感謝いたします!

>海中のシーン、臨場感があって読んでいて楽しい。知っているひとはこうも書けるのかと、うらやましく思う。

海は好きで、だから岩場の様子や海中の様子なんかは割りとすらすら書けるのでありました。一方で、方言は調べましたし、地方の公立学校に中高一貫教育の校舎が本当に存在し得るのか、とかそういう辺りは全然わからず、調べて、自分なりには裏を取りましたが、教育に詳しい方からは間違いを指摘されちゃうかもしれません。詳しい方がいらっしゃったらチェックしていただけちゃうと嬉しいなとか思っております。

教育、で思い出しましたが、その後の改稿で、教育委員会を短くですが登場させ、教頭は厳しく罰する一方で、俺くんのことは「父ちゃんの目に似た目で見詰めて」いただきました。
あと、俺くんが教頭の顎を引き裂こうとする、あのいささか漫画じみたくだりも改稿して、引き裂いてやりたい気持ちで距離を詰めた、くらいにしました。局所を潰すのもやめにして、潰そうと持ち上げた足を、しかし「浴衣が欲しかったんだよう」の言葉を浴びせられたことにより力なく下ろす、みたいな書き方に変えました。俺くんに傷害罪を犯させるわけにはいかなかったからです。礼奈のことで激昂してはいたけど致命的なまでに他者を害するには及ばなかった、というラインを保ちました。でないと停学じゃ済まないでありましょうから。

>もう少し複雑で陰のあるものを込めたいのではないだろうか。

そうですね、そうかもしれません。でもまあ海のまんまはこの感じでいいかな、とか、書き終えて、書き手としてもそう思っています。

>わたくしが勝手に抱いた印象ですが、主人公と対峙する礼奈に、毒が少なすぎる気がするんです。

なるほど。礼奈があるいはステレオタイプというか、男性にとって神格化された女性過ぎる嫌いはあるかもしれませんね。いえ、そういう意味でのご指摘ではないのかな。少し考えてみます。

>グランブルーの頃のロザンナアークエットは、確かにイルカに似ていましたね。

いや、ほんと、あの顎の感じとかすごく似ていましたよね。Nice castingでありましたかと。
礼奈は、イワシやら、海シャツ着たときはイルカやらにも喩えられてるけど、やはりイメージはソラスズメダイなのでありました、鮮やかなブルーで、尻尾だけ黄色い熱帯魚です。タンポポ娘になっても回遊してきたこの回遊魚、本当にキュートなんですよ。外房や伊豆南端の海、あるいは四国、取り分け徳島の竹ヶ島や高知の柏島なんかに沢山やって来ます。まさしく青い花びらです。春がピンクの乱舞なら、夏はブルーの乱舞なのでありました。コロナで自粛してるけど、来年の夏こそはまたソラスズメダイに会いに海に行きたいです。だなんて、いっぱい個人的なことを書いちゃいました。

あ、あとエンディングでありますが、アン・カルネさんやありがとうございましたさんからのご指摘なんかを参考に、ちょっとあざといかもしれない、でも女性の読者とかにはあるいは受けがよいかもしれないハッピーエンドを考えてみました。このあと、アン・カルネさんとありがとうございましたさん宛の返信として掲示いたしますが、その可否を(礼奈が救われる感じでよかったというポジか、あざとい構造が作品全体の真摯さを打ち砕きかねないというネガかを)、よろしかったらカルナックさんにもうかがえたらありがたいな、とか感じています。図々しいリクエストでありますが、カルナックさんの感性に照らしていただけますと非常に参考になります。ので、ほんと、よろしかったらお願いいたしますm(__)m

読んでくださり、ありがとうございました。

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

アン・カルネさま
ありがとうございましたさま

 エンディング、このようにいたしましたことをご報告いたします。ありがとうございました。


 ――「あんた、おっきな人だね」と娘は言った。「全然ケーベツとかしてないだろ?」
「してないな」
「どうしてかな?」
「年寄りだから」
「年寄り?」
「長く生きてりゃ色々あるさ、そうだろ?」
「うん、色々あるね」
「おまえさ……」
「何?」
「綺麗だよ」
 女は黙った。そして疑わしげに目を擦った。
「海はな」と口を衝いて出た。「ひれーんだ」
「街の爺ちゃんみたいなこと言ってら」
「おまえ、どっから流れて来た?」
 街の名前を聞いて驚いた。俺の街だった。黒潮の街だった。女を改めてまじまじと見詰めながら尋ねた。
「海の中、知ってるか?」
「知らないよ、だってクラゲが居るんだ」
 そうか、そりゃクラゲは居るわなあ、と思った。でも回遊魚もいる、鮮やかで、自由で、綺麗な。
「ゴムがもうない」
 と枕元を確かめながら俺は言った。
「うん」
「でも、もう一泳ぎしたい」
「あたしもしたい」
 娘は瞳を輝かせていた。
「いいのか?」
「いいよ」
「今度はもっと深く潜れそうだ」
 娘はけらけらと笑った。
「じゃ素潜りで抱くぞ。その代わり……」
「その代わり?」
「明日になったら連れてってやる」
「どこに?」
「海に」
 返事を待たずに唇を塞いだ。肉体の波に揺られながら、静かに、懇ろに沈んでいった。追い掛けて、潜って、また追い掛けて、更に潜った。
 と、深い所で声がした。尋ねられた。
 綺麗?
 ……礼奈の声だった。
 眼下の顔を見た。眉が悩ましく八の字を描いていた。目が左右に引き伸ばされて線になっていた。鼻の穴がひくひくと痙攣していた。唇が上下に分厚く膨らみぬらぬらと輝いていた。女の顔だった。
「綺麗?」
「ああ」と応えた。「綺麗だ」
 本当に?
 と、また女達は尋ねた。
 本当だとも、と強く思った。
「全部引っ括めておまえは綺麗だ」
 体が震えた。
 安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。


 ――後書き。
 黒潮の街から、礼奈の所属する事務所に電話を掛けた。二つの夏を共に過ごしてから入籍した。更に幾つもの夏を数えて後のこの夏、妻に向かって、書き上げたばかりのこの原稿を朗読して聞かせた。タンポポに嫉妬されてやや閉口した。

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

5150さま

ありがとうございます。

>ストレートでいいですね。

参考になります。真っ直ぐな話でありますが、それがポジにとられるのか、ネガにとられるのかわかりませんでした。
都会から来たお姉さん、初めてのチュウ(笑)、夏祭り、浴衣、指輪、めちゃくちゃベタなんで不安でありました。売り買いも、はい、手垢が付いていますしね。唯一舞台、海の中、そこんとこが拙作の新しさかなと、眼目なのかなと感じていました。なので、タイトルのまんまに海のまんまな話なのでありました。このストレートさをよしと評価してくださったリアクションを大いに参考にいたしまして、今後の方向性を微調整して参ります所存です。

>「連れて行く、行って」の言葉、好きなんですね、作品のいろんなところで見かけるな、と思って。

鋭いですな。実は意識して使っておるのでありました。連れてって。

>もう少し礼奈さんのこと知りたかったかな、とは思いましたけれど。以前のなつみかんのテイストではなく、設定は同じなのでしょうが、男が主人公になったので変わってますね。なので、御作くらいの露出がちょうどいいのだろうとは思いますが。

俺くんの視界(世界)の狭さを、礼奈の事情(未知の世界、水平線の向こう)の「見えなさ」で表すのがよいかな、と思っていたのですが、そうですね、読者には礼奈の背景をもう少し見せてもよいのかもしれませんね(読者の認知と一人称視点キャラの認知をイコールにしたいという趣味があるのです。もっとも、クラゲ男と礼奈の売り買いについては今回、視点人物の認知に先駆けて読者に予感をしていただき、祭りに哀しさを感じていただいたわけですが。だから視点人物に知らせずに礼奈の事情を読み手だけに伝えても当然問題ないわけでありますもんね)。というか、節子視点のなつみかんでは逆に男の子の考えを伏せて、女の子の視界だけでこの街を書いておったのでありますが、途中で行き詰まりまして、やはり書き手と同一の性を視点人物にした方が書きやすいな、と、あっさり筆を持ち替えてしまいました。一方のふゆみかんもオイラくんの視界でしか書いていなくて、リカさんの事情が明かされないまま今手元で進行しているのですが、今回のご指摘を、ふゆみかんに活かし、リカさんの事情を今後丁寧に明かしてゆこうと今思いました。

>現在の彼にとっての海は綺麗な海ではないのかな、どうだろう。

礼奈に予言されたとおり東京で溺れながらピンクのいるかは海を、綺麗なだけでも汚いだけでもないまんまとして肯定的に捉え直しているようですね。もんじゃの駄作群は、連れてって、しかり、ふゆみかん、しかり、あと5150さんが度々言及してくださった亀井英子なんかもしかりでありますが、長い時の経過を経たあとでの振り返り、みたいな視点で綴られることが多いようです、これも今意識化できました。過ぎ去りし何かを振り返り、遠目で見詰めるからこその「距離感」なのかもしれませんね。現在進行形のリアルってのはなかなかテーマにしづらいように思われます、自分についてであれ、他者についてであれ、世界について(例えばコロナ)であれ、近過ぎて。ともあれ、書き手の立ち位置よりはるか後方にキャラがいて、書き手は振り返り、だからこそでありましょう、割りと彼らを愛しく見詰めている感じです。なので海の綺麗さに焦がれつつ海の汚さに傷付いている俺くんの成長が三十歳になってもあの程度なことをこれまた愛らしく描きたい心境なのでありました。が、今回他の方からのご指摘に照らされまして新たにこさえ直しましたエンディング(一つ前のコメントを参照していただけますとそこにありますです)においては、俺くんが書き手の立ち位置にいきなりワープしてくるのでありますな、重なるわけです、なんかすごく恥ずかしい気に急になり戸惑います、が、ちょっと新鮮かも。このエンディングの良し悪しを、これまた図々しいリクエストでありますが、もしもお時間を割いていただけますようであれは、5150さんの感性によりても照らしていただきたく、アリかナシかだけでもご意見を頂戴できますと望外の幸せに存じます。

読んでくださり、ありがとうございました。

アン・カルネ
219-100-29-61.osa.wi-gate.net

ごめんなさい…。私としては初稿の方が良いと思います…。

もう気に入って読んだんだから私のものだーって気になって、ラストの部分は私の中では主人公は一人で黒潮の街に向かい、タンポポ娘の眠る枕元にはちょっと多くのお札と自分のスマホの番号を置いておくことにいたします。彼女がこの先どう生きるのか、彼女に決めさせたいと思います。お前はお前でこの海を泳ぎ切れ、オレはオレでもう一度、自分を試してみる、自分の原点で、ってな感じです。なので冒頭は彼一人、車を走らせることにいたします。だけど助手席にはスマホは置いておきます。そんな感じです。

主人公も礼奈ちゃんもタンポポ娘も、自分の挑んだ場所で戦っていけよー、君らの事を知ったあたしはあたしで、また、走るからさ、とエールを送っておきますね。

もんじゃ
KD111239164134.au-net.ne.jp

アン・カルネさま

ありがとうございます。

>初稿の方が良いと思います…。

参考にさせていただきます!

>もう気に入って読んだんだから私のものだーっ

アン・カルネさんの男前なエンディング堪能させていただきました^^
気に入っていただけて嬉しいです。

ご意見を示してくださり、ありがとうございました。

アン・カルネ
219-100-28-145.osa.wi-gate.net

追記。――後書きの件で。
これも私としては無しです。
あくまで初読、初稿の時の私の礼奈ちゃん像なんですけど、ワンポイントをキスマークかなって思った時は、この後、実は上級生の彼女だったって展開かな、とか思ったんです。
で、教頭パパ活になっちゃってたんですけど、私としては、ここも援助交際の相手は上級生か同級生で、彼らは自分の親の財布からお金盗んで彼女に払ってたという展開かなあ、と。彼女としては生活の為に。でもそれはベタな理由じゃなくて、彼女なりに、等価交換的な意識があった。それに自分はいつまでもこのままくすぶって終わるつもりはない。ココ・シャネルだって男を踏み台にのし上がった。自分の外見はいつかきっと武器になる。そういう野心のある女の子。だから結果的に主人公君にオシッコかけられちゃっても、クラゲに刺されたからしょんべんかけられただけ、そう思う事にしよう。あたしは自分の足で立ち上がるし、自分の人生を勝ち取ってみせる。そういう子だと思ったの。誰も私を本当の意味で汚すことは出来ない。だからこそ、モデルとして成功したのよってね。ランウェイを颯爽と歩く彼女を思ったのよね。
で、そこは主人公君も、そう受け取っていたんだろうって思ったの。モデルになった事を知った時点で。
だから私の中では後書きは無しですー。ごめんなさい。

カルナック
softbank126163140235.bbtec.net

なるほど、ハッピーエンド。これは、ほかにも色々改稿したうえでの後書きだろうか。
このエンディングなら、主人公は礼奈という存在をある意味、克服できていることになる。ならば、その過程に触れなければ、やや唐突に感じられる、つまり無理のあるハッピーエンドになるように思える。そうならないようなエピソードも追加されているのかもしれないが。

このラスト以外、例えばもしふたりがのちに再会して、そして再び別の居場所に戻るならば。
主人公はようやく一歩前に進むことができる。そんな気もする。


それにしても、美しくも逞しく、儚い回遊魚という暗喩。どうにも素敵です。
いい小説だと思います。

カエル人間にも、この作品のようにままならないもがきがあったら、もっと惹きつけられたと思います。
あちらについて、色々ダメ出しをしましたが、基本的にとても心に残った小説なのです。

もんじゃ
KD111239165248.au-net.ne.jp

アン・カルネさま

ありがとうございます。

後書き。これは×でありますか。参考になります。少し考えてみます。

後書き以前に、アン・カルネさんは、拙作の海に、礼奈のインディペンデントな風っぷりを読んでくださったのかもしれませんね。確かにそれが礼奈のカッコよさであり、モデルで活躍、ってさらっと書いたけど、彼女の強かさが表れてて、もしかしたらそれだけでもう礼奈については、かわいそう、とか思わなくていいし、思ったら失礼なのかもしれませんね。

清濁併呑した上での熟年夫婦、って後書きが、なんだろ、蒲田行進曲のあのエンディングみたいな効果になったらこれはこれで清涼かつほのぼのな読後感を演出できるんじゃないか、ってもんじゃは感じたりもしたのだけれど、ちょっとご都合主義というか、無理矢理感ありありというか、やり過ぎにして、あるいは興醒めだったりするのかもしれず、まあその真反対の感じ方があるかも、とか期待もしつつ、しかしアン・カルネさんからは×を頂戴したことを重く受け止め、実は随分と書き直したりもした挙げ句に、今は、頭と終わりを少し変え、その上で後書きは付けても付けなくても両方あり、くらいの改稿分を決定準備稿にしていたりします。
アン・カルネさんに納得してもらえる終わり方じゃないかもしれないけど、一応その準備稿を次のコメントとして、入るかな? 入るようなら掲示してみます(頭と尻尾のとこのみです)。

礼奈に対する価値判断、教えてくださり、ありがとうございました。

もんじゃ
KD111239165012.au-net.ne.jp

アン・カルネさま
皆さま

ご指摘を活かせてないかもしれないけれど、現状に於ける一応の決定準備稿(頭と尻尾だけ)を掲示させていただきます。


『海のまんま』

 窓のないホテルに朝が来て、女を起こした。
「おはよう」と野良猫のような女の耳元で告げた。「約束通り連れてってやる」
 女は目を開け、大層な勢いでしがみ付いてきた。が、「でもクラゲが居るよ」と拗ねるように言った。
「刺されても」と俺は応えた。「ションベン引っ掛けたら、それでオッケーだからよ」
 もう一度探してみよう、と思った。いつかのあのプラスティックの指輪を。


(中身の本文)


 春を待たずに女は東京に帰った。広田と俺は処分を受けた。広田は二度と教師に戻れないようだったが、俺は少しの謹慎期間のあと学校に戻れた。教育委員会の誰だったかに、父ちゃんの目に似た目で見詰めてもらえて俺は泣いた。真面目に勉強して高校に進学し、同じ校舎で三年間を過ごした。十八の春半島を出た。東京で大学生を相手にパー券を売る仕事を始めた。三年で三人の学生を使う会社の社長になった。しかし設立後一年で会社は潰れた。ダンパでナンパしたメスの部屋を転々とした。女が怖くてメスとしか付き合えなかった。その内の一人に誘われて雑誌の記事を書く仕事を手伝い始めた。あいつがモデルになって活躍していることを知った。決まった場所で眠らない生活を卒業してアパートを借りた。本を沢山読まされた。本の中には色んな女が居た。けれどもホンモノの女は居なかった。そう感じていた。三十かそこらになった頃だったと思う、駅のガード下で焼き鳥を齧って店を出た所でそいつに出会した。女は俺の正面に立ち、下を向いたまま早口で言った。「あたしを買ってください」
 若い女だった。細くて、小さくて、黄色いワンピースを着ていた。薄茶のサンダルを履き、髪はボブで、肌は白く、下を向いているので表情ははっきりしなかった。格好とはまるでちぐはぐなブルーのボストンバッグを提げていた。どう見ても家出娘だった。或いは何かの罠かもしれない、と思った。それ程女は無防備だった。駅のそちら側の出口には厚化粧の外国人が多かった。タンポポが咲いていていい場所じゃない。そう思い、だから尋ねた。「幾ら?」
 女は顔を上げた。平凡なルックスだった。俺を値踏みしているように見えた。用心深い野良猫みたいな表情だった。でも相場が分からなかったのだろう。頓珍漢な金額を言った。何かが疼いた。タクシーを止めた。ボストンバッグをトランクに仕舞ってやろうとしたが、女はそれを頑なに拒んで車内の自分の膝の上に置いた。JRの駅を幾つか手繰って、適当なネオンの下で降りた。バッグを持ってやろうとしたが矢張り断られた。ホテルのフロントで一番安いパネルを選んだ。それでも女の値段より高かった。部屋に入って直ぐにシャワーを浴びた。考えを整理する必要があった。シャワーから出ると女は既にベッドの中に居た。ベッドの直ぐ脇にブルーのボストンバッグが置かれていて、その上にきちんと畳まれて黄色いワンピースがあった。
「先にお金を頂戴」
 引っ張り上げられた布団に隠れて女の顔は見えなかった。声には偽悪的な、しかし切実な調子が感じられた。
「金が入り用なのか?」
「うん」
「どうして?」
「色々と事情があるのよ」
 小さな肩が背負っている事情について想ってみた。青いボストンバッグに詰められた秘密についても想ってみた。でも何も分からなかった。が、それで構わなかった。
「払うなら抱かない。抱くなら払わない」
 シャワールームで考えた結論を伝えた。
 少しの沈黙のあと、予想とは真反対の応えが返ってきた。
「只で抱かれたげるよ」
 女の意図は分からなかったが、声のトーンが懐かしい何かを思い出させた。同時に思った。こいつはメスじゃない。なのに何故だろう、怒りも恐怖も感じなかった。ブルーのボストンバッグと几帳面に畳まれた黄色いワンピースの横で女に重なった。いつになくリラックスして、伸びやかに交われた。鼓動を波のように、呼吸を風のように感じながら、窪みや、隆起や、陰りや、段差を、指で、舌で、丹念に探っていった。指の畝り、喉の震え、瞳に浮かぶ色や影、時に零れるくぐもった声、一つ一つを確かめ、追い掛け、楽しんだ、とてもナチュラルに、溶けゆくように。それは遠い日の何かに似ていた。幾つかの波を迎えたあと体は、弓のようにしなって、それから落ちた。魚のジャンプに似ていた。青い空を見たような気がした。だから気持ちを真っ直ぐ吐き出した。「すごく良かった」
「あたしも」
 別人のように柔らかな表情をしていたので、嘘ではないことが分かった。
「あんた、おっきな人だね」と娘は言った。「全然ケーベツとかしてないだろ?」
「してないな」
「どうしてかな?」
「年寄りだから」
「年寄り?」
「長く生きてりゃ色々あるさ、そうだろ?」
「うん、色々あるね」
「おまえさ……」
「何?」
「綺麗だよ」
 女は黙った。そして疑わしげに目を擦った。
「海はな」と口を衝いて出た。「ひれーんだ」
「町の爺ちゃんみたいなこと言ってら」
「おまえ、どっから流れて来た?」
 町の名前を聞いて驚いた。俺の町だった。黒潮の里だった。女を改めてまじまじと見詰めながら尋ねた。
「海の中、知ってるか?」
「知らないよ、だってクラゲが居るんだ」
 そうか、そりゃクラゲは居るわなあ、と思った。でも回遊魚もいる、鮮やかで、自由で、綺麗な。
「ゴムがもうない」
 と枕元を確かめながら俺は言った。
「うん」
「でも、もう一泳ぎしたい」
「あたしもしたい」
 娘は瞳を輝かせていた。
「いいのか?」
「いいよ」
「今度はもっと深く潜れそうだ」
 娘はけらけらと笑った。
「じゃ、素潜りで抱くぞ。その代わり……」
「その代わり?」
「明日になったら連れてってやる」
「どこに?」
「海に」
 返事を待たずに唇を塞いだ。肉体の波に揺られながら、静かに、懇ろに沈んでいった。追い掛けて、潜って、また追い掛けて、更に潜った。
 と、深い所で声がした。尋ねられた。
 綺麗?
 ……礼奈の声だった。
 眼下の顔を見た。眉が悩ましく八の字を描いていた。目が左右に引き伸ばされて線になっていた。鼻の穴がひくひくと痙攣していた。唇が上下に分厚く膨らみぬらぬらと輝いていた。女の顔だった。
「綺麗?」
「ああ」と応えた。「綺麗だ」
 本当に?
 と、また女達は尋ねた。
 本当だとも、と強く思った。
「全部引っ括めておまえは綺麗だ」
 体が震えた。
 安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。


 ――後書き。
 タンポポみたいな娘とそのご両親の握手を見届けた翌日、黒潮の町から、礼奈の所属する事務所に電話を掛けた。二つの夏を共に過ごしてから入籍した。更に幾つもの夏を数えて後のこの夏、妻に向かって、書き上げたばかりのこの原稿を朗読して聞かせた。タンポポに嫉妬されてやや閉口した。

もんじゃ
KD111239164100.au-net.ne.jp

カルナックさま

ありがとうございます。

>このエンディングなら、主人公は礼奈という存在をある意味、克服できていることになる。

その通りでありますね。主人公は十五年の後礼奈を受け入れ、メスに対して苛立ちながら関係するのではなく、女に対して伸びやかに関係できるようになった。それはタンポポに似た娘に、回遊してきた礼奈を見たからであり、あるいは単に十五年の人生経験を経たからである、みたいなことを終章で表したつもりでいて(若干の、しかし重要な訂正を経たものを一応、一つ前のコメントに掲示しています)、だから……

>ならば、その過程に触れなければ、やや唐突に感じられる、つまり無理のあるハッピーエンドになるように思える。そうならないようなエピソードも追加されているのかもしれないが。

この点については、タンポポ娘との海中散歩にも似た性交こそがエピソードであると、書き手は感じているのでありました。が、やはり、それだけでは唐突かもしれませんね。礼奈を可哀想に感じ、それゆえの番外付け足しパートとして、やたらと中身を省略した、想像の余地ありまくりの後書きを付すのは、もしや蒲田行進曲的になって面白いかも、とか感じつつ自信がなかったのでご意見に照らされたかったのであります。一つ前のコメントに掲示させていただいたテキストを精読していただけてなお「唐突さ」が否めないものであるなら、礼奈はモデルになりましたってその点だけを礼奈対策にして、むしろタンポポとの今後の可能性を匂わせてもいる終章で打ち止める選択がベターかもしれませんね。冒頭に書かれている「もう一度あのプラスティックの指輪を探そう」っていうのは、礼奈のために、とも読めるし、新しく回遊してきた礼奈的なタンポポのために、とも読めるわけでそこは限定しなくてよいのかと。主人公が再び女を好きになる旅を始めたってそこで打ち止め、その方が確かにいいかもしれませんね。
書き直した後書きはさらにご都合主義になっちゃって(タンポポのその後にまで配慮しつつ礼奈との……、って書いて、なるほど、わかりました。礼奈と入籍するまでの二年間を具体的に書かなきゃ、というのがカルナックさんのご指摘だったのかもしれませんね、ともあれ書き直した後書きはタンポポにも礼奈にも配慮した必要最低限のテキストになっちゃって)る気がします。これをよしと捉える感性もあるような気もするのだけれど、よろしくなく捉える方が多いのかもしれず、後書きはばっさりカットでよいのかもしれないなあ……。

>このラスト以外、例えばもしふたりがのちに再会して、そして再び別の居場所に戻るならば。
主人公はようやく一歩前に進むことができる。そんな気もする。

なるほど。何年か後に二人が東京の片隅で再会し、わずかな時間をコーヒーショップで過ごす。受け入れ合った二人は店を出て、片や東に、片や西に進む。それぞれがそれぞれの海に漕ぎ出して行く、そういう終わり方は実に自然で無理がなく、受け入れられやすい終わり方かもしれませんね。大人な感じ。家出娘との性交に海をダブらせる、みたいな終わり方はやんちゃに過ぎるかもしれません。参考になります。

>カエル人間にも、この作品のようにままならないもがきがあったら

なるほど。比佐子は内的葛藤をほとんどモノローグしていませんでしたね。乖離しちゃってる感じだったかと。今回は主人公の心情がいくらか熱くるしいほどに語られているので、もがきもビビッドだったのかもしれません。異境に還るなんてのは心情がほぼ百パー語られてないから体温ゼロな話であったように思うし。ベタに振りすぎかな、って書き手が思える辺りがベストなバランスである、のかも、しれませんね。とても参考になりました。

図々しいリクエストに応えてくださり、本当にありがとうございました。

5150
5.102.22.168

一応の決定準備稿とやらを初稿と合わせて読みました。が、あれ、これ、どう思うと聞かれましても、私にはどれと決めることは無理でございます(笑)。

初稿での初読したときに思ったのは、最後のゴツゴツ感がよくわからないんだけど、なんか手触りあるなあ、みたいに感じられました。終わりはあれで好きなんですけど、プロローグだけ浮いているかな、とは感じていました。ということを踏まえて、では決定準備稿の方はというと、整合性がありますね、という全体的な手触りはよくなったと思います。でも、どちらがいいかとは答えづらいですね。個人的には、後書き自体がなくシンプルな形で終わらす方が好みなもので。後書きがある稿だと回想に終わるので距離感を感じますけど、ないと今の俺くんを感じることができるんですよね、なんて、そんなこと書いてしまっていいものなのか…。よく読み込んでないかもしれません。すみません。

たまゆら
p1817002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読み応えのある作品でした。
他の自作品と比べてどうかと気になされていましたが、車椅子の少女の物語は別の味わいがあり、またこういった奥深い物語も格別です。
本作品は立体感、臨場感に満ち、リアルに映像が喚起されます。ストーリーもさることながら、特に岩場と海、海中の描写に引き込まれました。
 
>あの街に帰ったら探してみよう、と思った。いつかのあのプラスティックの指輪を。
・東京で、ようやく落ち着きを取り戻した主人公がふっと思う。
捜して誰に渡すのだろうか。モデルになって成功した礼奈に? それとも同郷の家出娘に? たぶんどちらでもなく、自堕落な生活を経てやっと主人公は吹っきれたのだと思います。プラスチックをホンモノに変える女性には出会えませんでしたが、読み終えて強烈なノスタルジーを感じさせられました。決して当時の主人公には共感できませんけど、30歳を過ぎた主人公にならばできます。
いい作品でした。
 
それでも気になる箇所を、細かいところは省いて簡単に書かせてもらいますね。
 
>「藪では二回だけ」
「他では?」
「他の場所でもう一回」
・一度だけなら主人公に対する一途な思いが伝わってきます。でもそれが複数回であれば、もう浴衣の範疇を越えていると思うんですよね。モデルで成功するというキャラを考えれば普段着ではありえないし、広田と秘密を持つのもかまわないのですが、もんじゃさんが美少女の値段をどのくらいに設定していたのか気になります。
いずれにしても主人公への思いよりも、目的のために手段を選ばない礼奈のしたたかさを強く感じさせられました。モデルになって成功するのも肯けます。
ただ現実を考えて、高校生が、知り合ったばかりの中学生のために教師に身体を売ってまで浴衣を手に入れようと思うでしょうか。ここらがいかにもって感じがしないでもないです。同じ高校生で、深い関係であればわかる気もするのですが。
 
>安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。
・過去の亡霊を振り払った前向きなリスタートを暗示している気にさせられ、とても読後感がよかったです。
ただ感想欄を読むと、かなり読み違えている気もしますが、そこは初感なのでご容赦を。

もんじゃ
KD111239164191.au-net.ne.jp

5150さま

ありがとうございます。

お手間を取らせてすみませんでした。参考にさせていただきます。

>私にはどれと決めることは無理でございます(笑)。

誤解をさせてしまってすみません。決定準備稿を決定稿に決定する決定は無論もんじゃによりなされるわけでありまして読み手のどなたかに決定していただくつもりはないのであります。ただ、自ら決定をいたします際の参考データとして出来るだけ沢山の主観に照らされたいと思うのでありました。自然科学的な法則のあることではないのでより沢山の主観に照らされた中心点が客観であろうと思うからであります。しかし客観を認識した上でも、もんじゃは確かに自分の主観を客観よりも優先するのでありますが、客観により照らされた主観と、客観を浴びることなく意識化されております主観とでは主観に対する主観的信憑性が異なるように思われますので、やはりなるたけ沢山の主観に照らされたいと欲してしまうのでありました。5150さんに何かを決定していただこうと何かを放り投げたつもりはないのです。人様の意見に照らされまして改稿を繰り返しておりますのも、自分が自分に課した鍛練メニューでありまして、誰かに何かを決めてもらい楽をしようという行為ではないのでありました。不快にさせてしまっていたらすみません。

>プロローグだけ浮いているかな

なるほど。終章→序章の想起、しかし、指輪を探す、という決意がどこに向かうのかわからず浮いてしまう。しかし、後書きがあると、指輪なるものが礼奈に到着し得たのだと、受け皿が用意されることになる、とそんな感じでありましょうか。だとしたら、浮かしたままでもよいのかもしれませんね。指輪の行方というか、誰のための指輪かも特定されなくてよいのかもしれない。タンポポのための指輪かもしれない。主人公が好きだと思える者に対しての指輪なのでありましょう。主人公はまた女を好きになろうと思ったようだ、ってだけで終わった方がむしろよいのかもしれない、という気もしてきました。終章→序章→後書き、って道筋は確かに矢印が多すぎますしね。

>整合性がありますね、という全体的な手触りはよくなったと思います。

整合性、という手触りのよさ、というのは盲点でありました。温かな意外性を狙った感じではあったのだけど、そうですね、整合しちゃうって側面があるのですね。かもしれません。これは美点ではなく、その逆かもしれない。限定、に繋がり、海の広さを損ねるかもしれない、と、そんなふうに今思いました。清濁を超えた海への帰結まで描いちゃうか、その手前で未来にまだ不確実な広がりを残すか、まだもう少し考えてみます。読む人の年齢によっても求められるものは違ってくるのかもしれない……。

>後書きがある稿だと回想に終わるので距離感を感じますけど、ないと今の俺くんを感じることができるんですよね

今、というのは十五歳でもなく、三十歳でもなく、しつこく「たたた」で強調してもおりますように、後書きがあろうがなかろうが全ては昔の話なのでありまして、そういう今に、読み手を、はっと目覚めさせるかの問題だけが残るわけですが、なるほど、読み手が十五歳だったり三十歳だったりした場合は未来を決定されちゃうみたいで嫌かもしれませんね。というか未体験の未来になんて誰も目覚めようがない。海なるものとはこういうものだ、という答えみたいなものも、よしんばもんじゃにはあっても、それを読み手に押し付けないほうがいい、と、かなり確かな直感が今閃きました。海なるものを表すのに終章は必要だけど、後書きは必要じゃない。後書き部分はそれを想像したい読者だけが想像すればよい(主人公がライター稼業を始めて沢山本を読むようになったとか、礼奈がモデルで活躍しているとか、そういう断片的な匂わせを足掛かりにして)、とそう思えてきました、現状。また別の風が吹くかもしれませんが。

非常に参考になりました。また暫く考えてみたいと思います。で、自分の中でなんらかの形を決定稿にいたすつもりであります。

ご指摘に感謝いたします。ありがとうございました。

アン・カルネ
219-100-29-85.osa.wi-gate.net

ごめんなさい…。
もうね、私の中では主人公と礼奈ちゃんは30過ぎて再会果たす、は無しなんで。私の手元にある小説「海のまんま」ではもうそこ譲れないんで(笑)。

でもって「春を待たずに女は東京に帰った」からは初稿の「春を待たずに女は東京に帰った。広田と俺は処分を受けた。広田は二度と教師に戻れないようだったが、俺は少しの謹慎期間のあと学校に戻り、中学を卒業して、そのまま同じ校舎で三年間を過ごした。沢山のメスと遣って沢山のオスを殴った。それだけの高校生活だった。(略) 敵意や恐怖をまるで感じなかった。」の方が良いと思うかな。
その後に
「お金を頂戴」
 引っ張り上げられた布団に隠れて女の顔は見えなかった。声には偽悪的な、しかし切実な調子が感じられた。
「そんなに金が入り用か?」
「うん」
「どうして?」
「色々と事情があるのよ」
 小さな肩が背負っている事情について想ってみた。青いボストンバッグに詰められた秘密についても想ってみた。でも何も分からなかった。

と続けてもらいたい。


私としてはね、主人公君にはこのタンポポ娘の中に、かつてのうぶな自分を見て欲しいの。礼奈ちゃんだけじゃなく。
だから次のセックスに至るまでのところを要工夫でよろしくお願いします。

で、タンポポ娘を両親の元に返すのも無しでお願いしたいです。てか親元へ返すのであれば彼女の事は抱かないままにして欲しいかな。
そんな感じです。

アン・カルネ
219-100-29-85.osa.wi-gate.net

追記。
タンポポ娘との2度目のセックスは彼自身、彼女を通して自分の中にあった“怒れるこども”との和解でもある、そういう風になってると良いのかな、と思ってるので。てか、そんなふうにも受け取れていたので。

もんじゃ
KD111239165231.au-net.ne.jp

たまゆらさま

ありがとうございます。

>本作品は立体感、臨場感に満ち、リアルに映像が喚起されます。ストーリーもさることながら、特に岩場と海、海中の描写に引き込まれました。

一読み手としての書き手の読み方に重なるご感想でありました。ストーリーの重苦しさとの対比できらきらした海が、人間模様を超越した海が、なんかすごく明るくて、厳しくも明るくて、寛容で、それを皮膚感覚レベルで主人公は体感してるんだなって読めました。身体性という言葉をある方より教えていただきまして、しかし身体性とは何かがわからず、頭でっかちじゃない体感のことかな、と。だとしたら思考や直観じゃなくて感情や感覚に思い切り振った話を書いたら、日頃書き手が考えている深みとは別の、なんか寛さみたいな、奥行きみたいなのが、温度を伴って表出してきて、あるいはそれが身体性ってやつなのかな、とか考えたのでありました(が、違うかもしれません)。

>>あの街に帰ったら探してみよう、と思った。いつかのあのプラスティックの指輪を。
・東京で、ようやく落ち着きを取り戻した主人公がふっと思う。
捜して誰に渡すのだろうか。モデルになって成功した礼奈に? それとも同郷の家出娘に? たぶんどちらでもなく、自堕落な生活を経てやっと主人公は吹っきれたのだと思います。プラスチックをホンモノに変える女性には出会えませんでしたが、読み終えて強烈なノスタルジーを感じさせられました。決して当時の主人公には共感できませんけど、30歳を過ぎた主人公にならばできます。

ノスタルジー。そう読んでいただける、ということを知れて心底安堵いたしました。別に迷っておりました後書き問題なるものがあるのですが、そちらについても、たまゆらさんよりのこのご指摘を受け、後書き不要をかなり強く確信できた次第であります。一方で、終章はやはり当然必要なのでありますね。十五歳の少年のままで終わっていては読み手も彼自身も彼を到底受け入れられない。でも三十歳になった彼なら読み手になんとか受け入れて(理解して)もらえる。非常に参考になりました。感謝いたします。

それと……、また全く別のことなのだけど、投稿後に実は漢字の間違いに気が付きまして、「街」ですが、これは「町」であるべきだったなと。商店街は街だけど、漁師町は町だから。って気付いて書き直したのですが、今回のたまゆらさんのコメントの中に「捜」を発見いたしまして、あれ? そうか、失くした指輪は「探す」んじゃなくて「捜す」んだよな、と気が付きました。同時に、主人公がさがす「プラスティックの指輪」とは本当に「捜す」べきものなんだろうか、あるいは「探す」べきものなんじゃないか、とか考えたりもしたのでありました。「いつかのあの」って限定してるから「捜す」でしかるべきなんだけど、「いつかのあの」を取っ払い、

――「刺されても」と俺は応えた。「ションベン引っ掛けたら、それでオッケーだからよ」
 もう一度さがしてみよう、と思った。プラスティックの指輪を。

 とするなら、これは「探す」が正解なのかもしれない。遺失物を捜すんじゃなくて、新たに再び手に入れようとするわけだから「探す」が相応しい気がします。
だなんて、誤字を発見できたのみならず、「プラスティックの指輪」なるものの持つ意味をより明確に深掘りするためのきっかけをいただけちゃいました。感謝いたします。

>>「藪では二回だけ」
「他では?」
「他の場所でもう一回」
・一度だけなら主人公に対する一途な思いが伝わってきます。でもそれが複数回であれば、もう浴衣の範疇を越えていると思うんですよね。

確かに!
カマジーで、俊二が一度、主人公が一度、計二回広田が目撃されてるから、ってことと、「回数にこだわる」少年の愚かしくも必死な様が表せそうだから(少年をより激しく傷付けたかったから)、と、複数回にしたのだけれど、ご指摘を受け失敗に気が付きました。少年の愚かしさや必死さなんてどうでもいいから少女のらしさを守らなくては。カマジーでの目撃談も含めて書き換えます。ありがとうございます。

つづきます。

もんじゃ
KD111239165231.au-net.ne.jp

たまゆらさま

つづきました。

>現実を考えて、高校生が、知り合ったばかりの中学生のために教師に身体を売ってまで浴衣を手に入れようと思うでしょうか。ここらがいかにもって感じがしないでもないです。同じ高校生で、深い関係であればわかる気もするのですが。

礼奈の心情が書かれていないので、礼奈がなぜピンクのイルカくんに「綺麗だ」と言われたいがためにそこまでしたのかわからない、ということでありますね。
礼奈にも何か強烈な傷がありそうです。ピンクのイルカくんに「綺麗だ」と肯定してもらうことが生死を分けるほどの重大事だったのでありましょう。ただそういう必死さを礼奈は表さない。
「そんなことでそんな礼なんかすんな」と田舎の少年は、都会の女のキスの安さに呆れるわけですが、礼奈が奔放だ(出し惜しみしない)というだけでなく、見合わない「お礼」に礼奈のなんらかの傷がかいまみえるような気もいたします。
そのあたりを、礼奈視点のスピンオフで詳しく書いてみるのは面白い気もするのですが、拙作内の、少年から見た礼奈は、未知の大海原で泳ぐ人魚でありますから、その心中ははかりがたいものであり、その少年の限られた視界で読み手にも、これは読んでいただいたほうがいいのかな、とも思い、だから礼奈が自らの肉体に付けている値段の安さを、あれ? なんで? って不思議に思ってもらえちゃうのでいいのかな、とか思ったりも。たぶん礼奈は、「主人公の少年への愛着」で脱いだんじゃなくて、「ピンクのイルカに対する強烈な何か」のために脱いだんだろうな、と。だから、そのことゆえに少年によからぬものを引っ掛けられても、その程度には屈することなく東京で身を立てたのだろうな、と。そんな礼奈から見ると少年はやはり守ってやらなきゃならない真っ直ぐさんだったんだと思われますし、少年が自分に投影してくれた理想は彼女にとってプライスレスな勲章であり、傷に巻かれる包帯だったのだろうなと思われます。

が、しかし、と今思い直しました。少年には明かされなくとも、読み手には明かされるべきかもしれませんね、礼奈の秘密(家出娘の秘密はボストンバッグの中のままでいいけれど)。

父親が事業に失敗して、だから「お金ないんだ」って礼奈が呟いたくだりで、もう一言追加で礼奈に言わせることにいたします。

「そうか、それでこっちに来たのか?」という少年に対して、頷き、しかしさらに加えて、
「それにね、あの人とはもう父娘の関係じゃ暮らせないから」とか。

さらに、「いいだろ、減るもんじゃなし!」って礼奈が叫んだくだりにも、もう一言付け加えさせようかと。

「いいだろ、減るもんじゃなし! こっちに来る前からどうせわたしは汚れてたんだよっ!」

これくらい、にしておこうかと。これなら純真無垢なる小便小僧にはなんのことやらわからない、かもしれない。でも読み手は想像する。もしやファザーファッカー的な? 少なくとも礼奈ちゃんは自分を汚いと感じていた。だからこそ少年の真っ直ぐな瞳に照らされる自分の綺麗な像を死守したかった? ピンクのイルカの純朴さを慈しみたかった?
そういう辛い礼奈の過去をイルカのおしっこは、もしや洗い流してくれたのかもしれない、清めてくれたのかもしれない。だから礼奈は東京で、自分の綺麗さを売る仕事で大成できたのかもしれない、みたいな。
そうしたほうがよい気がしてきました。重大なるヒントをありがとうございました。

>>安心したかのように女達は、俺の腕の中で溶けていった。
・過去の亡霊を振り払った前向きなリスタートを暗示している気にさせられ、とても読後感がよかったです。

うーん。ありがとうございます。これでもう決定できちゃったかもしれない、後書きは付け足さない、ってことを。終章までで、よい読後感を得てくださる読み手がいらっしゃるなら十分であります。
ただ、主人公に買春を既遂させちゃうのはなんか違う気もいたしましたので、そこは改めました。そこを改めても読後感に影響はないと思うので。だから構成という点では、序章と終章をマイナーチェンジして、しかし後書きは付け足さず、もってそれを目下の決定稿にいたします決意をいたしました。

とても参考になるご指摘をありがとうございました。

もんじゃ
KD111239165231.au-net.ne.jp

アン・カルネさま

ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

ありがとうございました。

5150
5.102.22.168

こちらも書き方が悪かったです。私の主観で照らすつもりではいたのですが、ときに自分の主観がどこにあるのかわからない、というか、たんに優柔不断なんです。スーパーでものを買うのにやたら時間がかかったりするもので。いやそれはさておき、前回での書き方が抽象的すぎたように思えました。が、返信をみると概ね理解していただけたようでホッとしております。もちろん最終稿は作者さん自身で決定することは当たり前であります。自分の作品でも、どちらにしようと迷って、違う方を選んで後悔することがよくあり、自分の選別力に自信がなかったもので、はっきりしない書き方になってしまいました。

ともあれ再訪したのは、改稿案とはまた別のことで書きたいと思ったので。皆さん書かれているように、私も初読では海の描写に惹かれました。で、真っ先に思い浮かんだのが、拙作の「弟が溺れた海で」でして、もんじゃさんにちょうど海に潜る描写について書いていただいたことが頭をよぎりました。

まず御作について。率直な感想だと、これまでとは違う感じを受けました。描写の仕方に、です。作品の中では、この海の描写が私にとって、一番印象に残っている箇所であります。さらに踏み込んで書くと、同じ書き手としてジェラシーを感じてしまってました。どちらかというと、いくつかのもんじゃさんの作品では描写が少し頭を主体にして書かれすぎていると感じることがありました。でも返信を読んで納得しました。身体性、これを意識して書かれたのですね。成功していると思います。私的には、これ、もんじゃさんの中で、何かブレイクスルーがあったのかな、と読んでいて思えたのです。なんか掴みかけているなあ、と。身体的感覚、臨場感、主観と、とてもいいバランスで気持ちよく読むことができました。

というわけで、拙作「弟が溺れた海で」のもんじゃさんの言葉は、もっと海のいろんな美しさを書くことによって、絵画的になる。私のは少し観念を混ぜすぎ、と解釈してました。その意味を、御作を読んでそのまま体感した次第であり、私のものとは比べられないほど素晴らしいものであります。とは言いつつも、アリアドネの糸さんには、逆にあの海の描写がいいとベタ褒めされた箇所であり、氏にあそこまで褒められたことはなかったとも思います。ともあれ、精進しなくてはいけないと強く感じさせられました。

もんじゃさんの作品はこぞって読んできましたが、御作は自分のランキングでは間違いなく五本の指に入っています。しかも、かなり上位です、ということもお伝えしたかったです。

もんじゃ
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5150さま

ありがとうございます。

>もちろん最終稿は作者さん自身で決定すること

たった今改稿し終わりました。結構直しました。後書き、全くの蛇足であることにも気が付きました。現時点に於ける自分なりのベストが仕上がったように感じています。5150さんをはじめご意見を寄せてくださった皆さまに心から感謝しています。

>「弟が溺れた海で」

覚えています。海に潜る描写について何か書かせていただいたような気もいたします。

>もんじゃさんの作品では描写が少し頭を主体にして書かれすぎていると感じることがありました

同意いたします。

>ブレイクスルー

というか、実は回帰なのでありました。

>御作は自分のランキングでは間違いなく五本の指に入っています。しかも、かなり上位

とてもきわめてすこぶる参考になります。

ありがとうございました。

……
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0248 この名無しがすごい! 2021/09/01 11:17:22
>>245
何故気取っているだけといいきったか、蛇足だが補足しておこう。

>黒潮の町で生まれた。
と言う俯瞰から入って、
例えば『紀伊半島の先端にある小さな町だ』
>町の空は広かった。
ビルらしいビルは無く、建物は精々三階建てまで。学校の校舎がそれだった。……

と素直にフォーカスとしてに絞り込んで行くなら意味が有る。

>時に青く、時に白かった。
>でもいつも変わらず広かった。

 これらが、単なる気取りで無意味な記述であるといっているのだ。

 例えば、黄砂がふることが有ることを描くなら意味が有るが、何かに繋がる訳でも無いのに、空が青いだの白いだの
四角いだのと書く必要は全くないのだ。

……
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0245 この名無しがすごい! 2021/09/01 00:22:01
>黒潮の町で生まれた。

 日本の太平洋側1/3は該当する。

>町の空は広かった。 

 単にビルの谷間じゃ無いっていいたいの?

>時に青く、時に白かった。
 どこでもそうだろう。

>でもいつも変わらず広かった。
 
なるほど、単に田舎だったと言いたく無い訳だ。

なんの為の表現か分からん。 

>町並みは低かった。ビルらしいビルはなかった。精々三階建てまでだった。学校の校舎がそれだった。……

こっからでいいだろう!

……
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 読者の立場でどう入ってゆくかを考えず。 
『どうだ、私は文章が上手いでしょう』なんだよな。

別の箇所について言えば、
 比喩は難しい。ダイレクトに映像が入ってくるのが優れた比喩だ。読み手が? となるような比喩は止めて、シンプルな文章で書くのがまともな小説。

 文章を飾ることばかりしか考えていないのが見え見え。

もんじゃ
KD111239165162.au-net.ne.jp

5ちゃんねるからの流用3コメントさま

頭のその部分の広さや、青さや、白さや、変わらなさ、それから黒潮が何を表しているのかは、話を通して読んでいただけたらわかるかなと。
それに、とりわけ一人称視点は三人称視点ではないのだし。

ともあれ、5ちゃんねるでじゃなくてこちらでご指摘いただければ、感謝も反論もできたのに……。

それはそうと、5ちゃんねるに誘導してくださりありがとうございます。
作品へのダメ出しどころではないエグいこと書かれてますね。我が事だけではすまない内容も散見されましたので、伝言板において自分の考えを明示し、きっちり抗議させていただきます。

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