作家でごはん!鍛練場
シンジみらい

根源にあるもの

 神戸の街は賑わいで包まれる。ワクチン接種が急速に広がり、人の波も段々と以前の状態が取り戻されてきた。お店は時短営業が解除され、アルコールの提供も解禁された。ここ数年の鬱憤を晴らすべく、居酒屋には大勢の人が集まって、都会の騒音の一端をなす。若者から中年まで、あらゆる人々の感情の共鳴が都会の夜の独特な雰囲気を作り上げる。
「いらっしゃいませ」
「今から二名でいけますか? 連れははまだ来ていないですが」
「大丈夫ですよ、奥のお席でお待ちください」
「ありがとうございます。あと十五分くらいで来ると思います」
「ごゆっくりと」
 賑わう中心街から少し外れたところにあるひっそりとしたカフェにタムラという男が来た。彼は相方との待ち合わせ時間より少し早くに来て、これから自分が告げる重大な告白に向けての準備をしていた。リップクリームを塗り、少し乱れた髪を整える。外見の準備が整えば、心の中で今日の対話のシミュレーションを行う。
<大丈夫、話すべきことは何度も確認してきた>
 彼は心の中でそうつぶやいて、少なくなったお水のおかわりをウェイトレスに頼む。タムラは二十四歳だった。大学四年間を終えた後、どうしても働く決心ができず、就職をせずに一年放浪の日々を過ごしていた。彼が今の自分の立場を人に説明する時は「就活浪人」ということにしている。だがその実、彼には就活をする気が毛頭なかった。
「いらっしゃいませ」
 午後七時ちょうど、相方の男が店にやってきた。男の名前はオオシマ。タムラはオオシマが来たことが分かると、急に体に緊張が走ったが、平静を装うように努めた。
「ようタムラ。久しぶりだな。大学卒業する前に会った以来か。相変わらず何にも変わってないな」
 オオシマは意気揚々と明るく話しかけた。久しぶりだったが何の気まずさもなく話しかけるオオシマにタムラは少し安心した。二人は小学校からの旧友だった。中学、高校も同じ学校へと進み、同じ青春の日々を過ごしたまさしく親友だった。大学は別々の大学へと進んだが、関係は途絶えることなく、大学時代も頻繁に会っていた。しかしオオシマは大学を卒業すると大阪の企業へと就職し、社会人となった。それからはなかなか会う機会を作れず、今日がようやく一年ぶりの再会だった。
「忙しいのに来てくれてありがとうな」
 タムラは笑顔でそう言った。二人はごく手短に注文を済ませた。
「珍しいな。お前が誘ってくるなんて」
「まあな」
 この会見はタムラがオオシマを誘って実現したもので、いつもはなかなか自分から人を誘わないタムラだったので、オオシマはどうやら不思議がったらしかった。お互い軽い、あいさつ代わりの近況報告を済ませると、タムラはいよいよ本題に入ろうと、グラス半分程度になったお水をグっと飲んで最後の準備を済ませた。
「今日お前を呼んだのは実は話したいことがあって呼んだんだ。大事なこと。俺にとって大事なことについてだよ。お前には話しておこうと思ってな」
 そう言い出すと、タムラは自分の顔がひどく紅潮しているのを感じた。それをみたオオシマは一体どんな話だと食い入るように、少しニヤニヤしながらタムラの方を見ている。
「と言ったものの、これは一言で済ましてしまうと多分誤解されるから、いろいろ順を追って話していきたい。話全体から俺の言いたいことを分かってほしいんだ。今日は長くなるかも」
「今夜はとことん付き合うぜ。なんとなくお前が喋りたいことがあるんだろうなと思ってたから」
「ありがとう」

「大学卒業前に俺がお前に言ったこと覚えてるか?」
 タムラは、頭で描いた通りに最初の投げかけを決めた。
「覚えてるよ。就職をしなかったお前が、『俺はまだ就職をするべきじゃない。まずは何をすべきか見つける必要がある』ってな。どうだ? やるべきことは見つかったか?」
「ああ結論から言うと見つかったということだ」
「おおそれはおめでたいね」
「だが相変わらず俺は就活をしていないし、これからしばらくするつもりもない。まず働くってどういうことなのか、この期間そのことについても考えていた。なあお前はなんで働いてるんだ、それを聞かせてくれないか」
 タムラは少し興奮気味に問いかける。
「なぜ働くかか。そもそも労働は義務だろう。それに働いてお金を稼がないとまともな現代生活は送れない。しかも働くってのはそれほど悪いことばかりでもねえぞ。確かにつらいことも多いが、ほんの少しの楽しさを感じる瞬間もある。ほんの少しだがな。けどこれは俺の持論なんだが、人間みんな基本的にドMなんだと思うんだ。そのほんの少しの楽しさの瞬間のために長い人生を賭けれるんだと思う。その瞬間が生きがいになるんだと。どうした? やっぱりまだモラトリアム期ということか?」
 オオシマが少し皮肉を込めた言った。
「なるほどな。まあでも俺は別にしんどいから労働したくないわけじゃないんだ。これまでだって身体的にきついことは乗り越えてきたし、そこに関しては大丈夫だと思う。俺がここで言いたいのは、労働によって自分の尊厳を失いたくないってことだ。感情労働で自由な感情を束縛されたくないんだよ。この違いははっきりしておきたい。精神的に自由でいたいんだ。労働でその自由を奪われるのが何より恐ろしいんだよ」
「じゃあお前にとって自分の精神的豊かさを奪われずにできる仕事が最もふさわしいということだな」
「そうだよ。けど今の世の中に果たしてそんな仕事ってどれほどあるのだろうか。少なくとも俺の場合に限ってはそんなものほとんどない。なぜか。それは資本主義の中にあるいかなる組織が目指すものを俺はそれほど重要視していないからだよ」
「それはつまりどういうことだ?」
 オオシマが少し真剣な表情で見つめていた。
「俺は最近思うんだけれど、今の世の中は追加点ばかりを求めている気がするんだよ。どんどん先へ先へ。けれども失点を防ぐことをまず先にしなければならないんじゃないか? 絶対に失っちゃいけないものがあるんじゃないか。俺はそう思うんだよ」
「じゃあその絶対失っちゃいけないものって何なんだ?」
「人間が人間であるための最低限のもの」
 この答えはあまりに抽象的で、オオシマにはよく理解できず、明らかに納得のいっていない表情を浮かべていた。一方のタムラはすっかり熱くなっていた。これは彼が今日オオシマに伝えたかった一つの核心であったわけだが、彼の中で燃えるように熱くなっていたこの考えをつい言葉にして口に出すと、その熱気が急激に冷やされていくような感覚を味わった。その時、タムラはどうしようもなく恥ずかしくなった。まるで外気が瞬間冷却器のようで、思考の中で温まったとっておきの考えは、相手の鼓膜に届くまでにその温度を急激に奪われてしまった。だがタムラは今日の対話で、ある程度その現象が起こることは想像できていた。話を変えることでその羞恥を乗り越えた。今日の対話はある意味この羞恥との闘いであった。

「まあいい、少しアプローチを変えよう。言ったように俺は働くこと自体に懐疑的であるわけだが、実はその考えが強くなったのはここおよそ二年間のコロナ禍がかなり影響しているんだ。コロナ禍が与えてくれたのは溢れんばかりの時間だ。世間のみんなはぽっかりと空いてしまったこの時間を嫌い、暇な時間と捉えていたが、俺にとってはこの時間は好都合でしかなかった。これほどまで自分を見つめなおす時間はないからな」
 約二年間に渡って世界中を席巻したコロナウイルスの脅威。その影響が世界の根源的な何かを変えてしまったのはもはや自明のことであった。しかし、では何が変わってしまったのか、その実態をうまくつかめている人物はほとんどいなかった。
「確かにこのコロナ禍の脅威は良くか悪くか世界のなにがしかの運命を変えただろう。その答えを知ることになるのはもう少し先の事だろうが、個人レベルにおいても、お前の様にこの機をチャンスと捉えた者と、絶望の闇に沈んでしまった者と明暗が分かれただろうな。お前は自分を見つめなおす時間を得れたと言うが、一体どんないいことを発見したんだ?」
 オオシマは真っ直ぐタムラの方を見て、問いかけた。
「ライフスタイルの変化から世界に対する見方が変わったんだ。一日中家にいることもざらにあったこの期間、あらゆる標準が標準ではなくなった。例えば、学校に毎日通う事だって、今では当たり前ではなくなったたし、仕事もそうだろう。そういやどこかの政治家が『これからはニューノーマルの時代』って言ってたな。まさしくその通りだと思うんだが新しくなったのは単に生活の仕方だけじゃないと俺は思ってる。より重大なのは『記憶』じゃないかと。つまり人々はもはや標準ではない世界の記憶を味わってしまった。人類は資本主義にとっての禁断の果実の実を食し、善悪を知る者になってしまった。資本主義にとってこれは脅威だろう。俺としては、世界はあるべき方向に進んでいると思っているがね。まあつまり、新しい想像力の次元に到達できた、これは自分にとっての成果なんじゃないかと思っているわけだよ」
 創世記の比喩は正直喋りすぎたかとタムラは内省しながら、またしてもあの羞恥の風にやられ、顔が熱をもったりんごのように赤く火照っていた。
「いまいちしっくりこないな。たしかにお前の言う通り、偶然の導きで人々は一度標準から外れた世界を体感したのかもしれない。だがそれはお前にとってどんな実際的な良いことを生み出したんだ」
 オオシマは納得のいっていない、不満そうな表情でもう一度同じ質問をした。
「俺が言っているこのコロナ禍の成果は想像力におけるものだ。元々、毎日毎日働かせるような社会の在り方が気に入っていなかったが、それがこのコロナ禍で再確認された。そしてもはや標準の外を味わってしまった以上、元に戻る気はないんだ」
「つまり働く気はないと?」
「そう。だからさっきの話につながってくる」
 オオシマはタムラが先ほど言っていた、今もやはり就職する気はないという発言を思い出しながら、次に問うべき質問を考えるため少し間を開けた。
「だが、お前はさっき、するべきことは見つかったと言っていたよな? 就職する気がないのならあれはどういう意味だ」
 オオシマが問う。タムラは待ってましたかといわんばかりに、自信ありげな物言いで答える。
「そう。その点が今日俺がお前に伝えたかったことの一つだ。原理的にはやはり今の資本主義社会の中で俺が出る幕はない。というより就職をしても結局俺はそれほど成果を出すことができないと思う。ただ誰にも伝わらない、周りから見ればゴミのような無駄な心の葛藤を抱えて精神をすり減らしていくだけだ。だが俺は自分の価値を見失ったわけではない。そこは俺が活躍できるフィールドではない。社会が求めていることと、俺の得意分野は一致していないだけなんだと思う。かと言って今を生きていくにはお前が言うように働かなければならない。そこで見つけた唯一の道が」
 タムラは少し水を飲み、十分にためを置く。唇は無意識に震えていた。彼が緊張していることは誰が見ても分かった。オオシマも、タムラが羞恥に苛まれながらも自分に対して一生懸命話そうとしているということを十分に理解して、見守るようにして彼の長い間を待った。
「俺は小説家になろうと思っているんだ」
 オオシマは十分身構えていたにも関わらず、全く想定していなかった思わぬ答えに啞然とした表情を隠せずにいた。一方のタムラは、今日彼が一番に伝えようと思っていたことを何とか伝えられたことに対する安堵と自分の内で守り続けた砦をついに解放してしまったことに対する羞恥とで、すっかり興奮していた。それでもタムラは続ける。
「自分の尊厳を守りつつ、社会の中で生きていく。社会学流に言えば、個人と社会の結束点として、俺にとっての理想的な仕事が物語を書くことなんだ。俺の価値は自分の内にあると思ってる。物語にそれを乗せ、誰かに読んでもらうという相互行為を通して、内に秘める形のない概念は、実体を伴った存在として外へと表出される」
 さすがに相手を無視して喋りすぎたとタムラは後悔した。オオシマは熱くなったタムラを見て、話を整理するように答える。
「ちょっといきなりでびっくりしているが、それが今日お前が一番伝えたかったことなんだな。確かに夢を持つことはいいことじゃないか。純粋に応援したいと思うよ。だが一つだけ言うとしたら、見切りだけはつけておくべきだ。いつまでもずるずる何となく書くことを続けるべきではないと俺は思う」
「ああ。だが夢というのとは少し違う気がするんだ。何と言うべきか、もはや書かざるを得ないという感覚なんだよ。小説家になりたいが先にあるんじゃなくて、自分を表現する場として小説を用いるというか」
 タムラは自分が言ったことに納得がいっていなかった。オオシマに自分の真意を分かってもらいたいと何とか言葉をひねり出しても、それらはすでに世間にありふれた言葉へと還元され、流されてしまった。
「小説を書くことは単なる手段であって、目的じゃない。俺が小説を書きたいと思う根源的な理由は......」
 ふさわしい言葉が出てこなかった。タムラの思考の中で浮かんでは消え、消えては浮かぶ彼の真の言葉は都合が悪いもので、いざというときに消えていることが多い。いくらかその真の言葉に近い言葉を思い浮かべたとしても、それらはみなどれも浅はかな軽い言葉に思えてくる。タムラは明らかに具合悪そうに顔を引きつらせており、見かねたオオシマは、お前の言いたいことは分かったと言って彼を励ました。けれど、タムラにはオオシマが本当に自分の言いたいことを分かっているとは思えなかった。もはや羞恥の風は彼を覆いつくしてしまい、タムラはそれ以上話を深めることはしなかった。
 その後しばらくして今日の会見は終わった。二人は三ノ宮駅の改札で別れを告げ、お互い別々のホームへと向かっていった。ガラガラの車内で、窓越しから見える夜の街並みを薄ら目に見、タムラは程よい揺れを感じながら、物思いにふけっていた。今日のオオシマとの対話を振り返る。ある程度の事実を伝えれたことにそれなりの満足はしつつも、そこに至るまでの思考のプロセスや自分なりの哲学を相手に伝えることの難しさを感じていた。会見が始まる前のタムラにはそれなりの自信があった。相手に今の自分すべてを理解してもらえるという自信が。だが今の彼は、たった一度の対話ですべてを理解してもらえるはずがないということを十分に悟っていた。それでも落胆することはせず、むしろより一層小説を書くことに対する思いが強くなっていた。自分というものが相手に伝わらないもどかしさは、彼の小説家としての根源に触れている気がしたからだった。ふとオオシマに伝えれなかった最後の言葉が浮かんできた。取りこぼさないように心の中で復唱する。
<俺が小説を書きたいと思う根源的な理由は、お前に俺を知って欲しいんだ>

根源にあるもの

執筆の狙い

作者 シンジみらい
133.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

短めです(6000字程度)。元々実際の対話のシミュレーションのつもりで、けっこう勢いで書きました。あんまり小説っぽくはないです。

コメント

椎名
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全体的には一応小説になっていると思います。タムラがどうしても働きたくない理由がいまいちわかりませんでした。資本主義がどうのこうのという理由で大学を出ているのに働きたくないという人はほぼいないような気がします。タムラを病気にして、働けないけど小説家を目指しているみたいにするのはどうでしょうか。

シンジみらい
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椎名さん

コメントいただきありがとうございます。
タムラのような人間がほとんどいないとしても0ではないと思います。またその他大多数のいわゆる一般的な人にとっても彼の言い分は全く理解できないものでもないかなと思います。

そして提案していただいたような、病気の設定にするというのは、若干物語の趣旨がずれてくるように感じます。病気で仕事が出来ないから仕方なくではなく、彼の人生の当然の帰着として小説家があるといったイメージなので。

ただ、タムラ、オオシマのそれぞれの人物がどういう思考の持ち主なのかといった細かい説明なんかはやはり課題だなと思います。

提案までして頂き改めてありがとうございます!

みにまる
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> 自分というものが相手に伝わらないもどかしさは、彼の小説家としての根源に触れている気がしたからだった。

タムラらしさが伝わってくるフレーズです。これをキーにして、これから書かれるタムラの小説を読みたいと思いました。

> お前に俺を知って欲しいんだ

ここは響いてきませんでした。何やら大切なフレーズらしいのですが、二人の関係の特異性の乏しさによって、まだ書かれるべきフレーズではないと思いました。

良くも悪くも、それ以外の文章はごく平凡なことしか書かれていない、といった印象です。

シンジみらい
om126212242167.14.openmobile.ne.jp

みにまるさん

コメントありがとうございます。
自分でも良い表現ができたところと、あまりパッとしない表現と両方あるなと思います。

2人の関係性をもっと具体的に示していくことで、同じフレーズでも刺さり方が違ってくるから、言葉を放つタイミングが大事だなと思いました。

平易な文章ばかりですが、まずは読んでくれたことに感謝です。

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