作家でごはん!鍛練場
古代ローマ市民

ミカモール州クスマール村を旅した記録の断片

 僕は、とある村に旅行した。
 旅行したのは確かである。
 僕はその時のことをしっかりと覚えている。
 だが、不思議なことに記録と呼べる物が何もない。
 自分が何年何月何日にその村に旅行したのか、明確な記録が残っていないのである。航空券も、店舗で買い物をした際のレシートも、何一つ手元に残されていないのだ。だとしたら、どこにも行っていないのではないか、と自分で自分の記憶を疑ったりもした。だけど、僕は確かに旅行したのだ。それは、きっと、間違いない。だけど、証拠は、と言われたら、それらしきものは何一つ無いのである。
 記録はないが記憶は明瞭だし、鮮明ですらある。
 時に、記録以上に記憶が真実を語る場合もあるのではないだろうか? 
 たとえば、どこかの組織が、僕の旅行の事実をもみ消すために、航空券もレシートもお土産も全て僕の身の周りから消去し、まるで旅行なんかしていなかったような状況を作り出すとか。そういう時、真実を語れるものは僕の記憶しかないではないか?
 だが、確かに、自分でも一つだけ気になることがある。それは、旅行先の国の名前だ。自分が旅行した先の国名がぼんやりしていて、どこの国だったかと、あいまいなところがある。州と村の名前は明確すぎるほどに覚えているのだが……これは一体……?
 もしかしたら、僕は寝ている間に、精神に作用する何かしらの施術を受けて、旅行先の国名を忘れてしまうように一部記憶を改変されたのかもしれない。いや、本当は州と村の名前まですっかり忘れるようにするのが彼らの(その彼らというのが何者なのかすら分からないのだが)目的だったのだが、記憶消去の技術が未熟で、州と村の名前の記憶だけはしっかりと僕の記憶に残ってしまったのだ。
 それに、事実を語っているのは僕の記憶だけではない、この体が一つの優れた記憶装置として、ちゃんと覚えている。あの時の経験を。僕は確かに、素晴らしい、決して忘れることの出来ない旅行をこの身を持って経験したのだ。
 それでも、一部の読者は、何だ、それは、どういうことだと訝しむかもしれない。記憶は確かだと言いながら、旅行先の国名が分からないとはどういうことだ、州と村の名前は分かって、国の名前が分からないなんてそんなことがあるのか、本当にそんな国が存在しているのか、と。一部記憶を改変されたとして、一体誰が、どんな組織がそんなことをするのか、と。
 それに対する答えは僕の方では用意出来ない。僕自身、いまだに分からないことだらけなのだから。だが、僕は自分の記憶を信じている。現実であろうとそれ以外の何かであろうと、僕は確かに、あの旅行を経験したのだ、やり遂げたのだ。
 それでも言いたければ言うがいい。州と村の名前ははっきりしているが、国が分からないなんておかしい、と。旅行したと言いながら、その国名も、旅行した日付も分からず、記録も残っていないなんて。そもそも、お前は、話の冒頭からして、何を語ろうとしているんだ、と。
 確かに、僕の方も、いささか混乱している。困惑もしている。僕が語ろうとしていることは、そもそも語る必要のあることなのだろうか、と。
 語り終えたところで、要するに、夢でも見たんだろう、あるいは、想像の世界の出来事だったのだろう、と言われておしまいかもしれない。
 それでもかまわない。
 たとえ、虚構の旅行に過ぎないと思われても、僕にとって、あの国で過ごした数日間はあまりに素晴らしい経験だったのだから。
 だから、僕がその国でどんな経験をしたかを、これから、語ろうと思う。いや、語らずにはいられないのだ。

 僕は長い長い道路の上を、ガタゴト激しく揺れながら走る車の後部座席に乗っていた。
 道路の左右は、高さ10メートルくらいの赤茶けた岩山で囲まれていた。道路はその谷間をまっすぐに走る自然の平地を舗装したものであった。
 その風景からすると、砂漠地帯のどこかを走っているように思えた。
 運転手は、50代くらいの男性で、寡黙な人だった。顔のつくりや肌の色からすると、自分と同じアジア系のようだったが、日本人よりもだいぶ彫が深いように思えた。
 彼があまり喋らないのは僕にとっては嬉しかった。僕は人と話すのがもともと苦手で、テレビ番組で時々見るみたいに、運転手が乗客に活発に陽気に話しかけて来たらどうしようとそればかり不安だったのだ。だが、今回の運転手はとても物静かだったので、僕としても安心して窓の外の景色に集中していられた。 
 車内は僕とその運転手の二人だけだった。最初、助手席に若い女性が座っていた。だが、彼女は僕にとって赤の他人で、駅で同じ車に乗り合わせただけだった。彼女は途中の小さな町で降りた。
 彼女が降りてからも2時間ほど、僕を乗せた車は走り続けている。途中で、小さなガソリンスタンドで給油した以外はずっと走り続けていた。
 単調な景色がずっと続いているので、僕はうとうとしかけていた。
 ふと、
「お客さん、到着しやしたぜ」
 といったようなことを、現地の言葉で運転手が呼び掛けた。
 僕は目を開いて、窓の外の景色を見た。
 そこは、質素な石造りの家屋が点在する小さな集落だった。
 だが、決してみすぼらしい感じはなく、村全体が小奇麗に整備されていて、むしろお洒落な感じさえした。
 僕は運転手に料金を払って、車から降りた。

 その村は、ミカモール州の西の州境に面した、クスマールという村だった。
 僕が車から降りると、一人の老人が僕に笑顔で近づいて来た。
「あなた、ニッポンジンのササキさんね。ようこそ。お待ちしておりました。私、クスマール村の村長、エンスルーゲと申します」
 といった感じのことを、現地の言葉で言った。僕は翻訳機を使い、画面に表示される日本語を読みながら会話していた。この150ヶ国の言語に対応する翻訳機は実際の会話を重ねるごとに機械的に学習し、次第になめらかな日本語に訳せるようになるらしい。また、こちらの言葉も向こうの言語に訳して画面に表示してくれるのだが、まだそれほど回数を重ねていないので、最初はたどたどしい訳になってしまうようだ。
 エンスルーゲは、僕を連れて村を案内した。

 エンスルーゲは村の様子を指で指し示しながら、僕に説明して聞かせた。
「この村、みんな、平等ね。みんな、同じように、仕事励んでる。みんなで手分けして食物を植えて栽培し、家も、みんな協力して建てるよ。服を作るは女たちの仕事。家建てるは男たちの仕事。それぞれ、自分の特性を活かした役割を果たしているね。もちろん、女でも力強いは家建てるし、手先器用な男は編み物もするよね。みな、個性大事ね」
 まず僕は、農場で働く男たちを見学し、それから裁縫工場で衣服を作る女たちを見学した。エンスルーゲの言う通り、農場の力仕事をする屈強な男性の中に何パーセントか体の丈夫な女性も混ざっていたし、裁縫工場の女工の中に、線の細い、色白な男性も混じっていた。その華奢な男性の10本の細い指の動きはピアニストのようにしなやかだった。
 村に建ち並ぶ家々は、どれもこじんまりとした建物だった。平屋建てが多かったが、時々二階建ての家もあった。
 老人夫婦や一人暮らしの人は平屋を好み、子供が二人以上いる家族などは寝室の数も多く必要となるから、二階建てに住む傾向があるようだった。
 だが、三階以上の家は全く見られなかった。つまり、村全体を見回しても、二階建てを超える建物は見られず、高層建築と呼べるものは一つも見られない。そのおかげで、青々とした空全体を見渡すことが出来るのだった。それを見上げていると僕の心は、日常生活の中でこびりついてしまった塵芥が隅から隅まで洗い流されるように、おおらかになるのであった。また、夜は満天の星空だった。CGでしか見たことのないような、まるで銀河旅行でもしているような、何千何万という星々がそこに輝いているのだ。 
 その壮観に比べたら、大都会のイルミネーションが何だと言うのだろう。大自然の美しさの前には、人類の英知の結集であるハイテク構造物群の煌めきさえ霞んで思い出された。
 二日目は、エンスルーゲの家に招待された。
 その家は小さな平屋建てで、寝室と、居間と、トイレと風呂があるだけだった。間取りも決して広いものではなく、質素そのものだった。
「狭いでしょう?」
 とエンスルーゲの妻、ローザは照れるように僕に言った。
「いえ、日本のマンションもこんなものですよ」
 と僕は言った。事実、僕が住んでいたマンションは、一人暮らし用ということを差し引いて考えたとしても、これよりもっとみすぼらしかったのだから。
「家というものは、村人みんなで建てるものだから、贅沢する人が現れてはいかんのです。誰かが、俺のところももうちょい装飾的にしてほしいな、なんて言い出したら、次々とわがままを言う人が現れてしまいますからね。そうすると、そのわがままの分だけ村人全員の負担になります。そういうことが、やがて諍いのもとになるものです。我々は雨露さえしのげればいいのです」
 とエンスルーゲは言った。
「でも、人間の欲というものは、なかなか掟や伝統だけでは抑えきれないところもあるでしょう。自分の住居をもっと広くしたいとか、もっと豪華にしたいという人は現れたりしなかったのですか?」
 と僕は聞いた。
「そういう要望をほのめかす者は時々現れます。しかし、村の集会で、そういう考えを捨てるように説得されます。それでも贅沢や華やかさを求める者は村から追放となります。厳しい手段ですが仕方ないのです。この村では、必要以上の欲は持たない方がいいと考える人たちが大多数なのです。贅沢を肯定する共同体なら世界中いくらでもあります。何もこの村でそれを行う必要はないのです。この村は質素倹約を愛する村人のために存続しているのです。その文化を壊す権利は誰にも与えられてはいないのです」
 とエンスルーゲ。
「そういった考えは、何らかの思想から来るのでしょうか、それとも宗教でしょうか?」
 と僕。
「今から千年前、この地に移住を開始した一団がありました。我々の直接の祖先にあたる方々です。彼らは金儲け主義の国の文化が肌に合わず、この閑散とした砂漠の一角で発見されたオアシスに移住を開始しました。彼らは建国の精神を、質素・倹約として掲げました。それから千年間、村の人々は、ずっとその精神を受け継ぎながらこの村の伝統とそれに支えられた生活を守っております」
 とエンスルーゲ。
 僕は、千年前、この地にそんな集団がいたことに感心した。そして、こう感想を述べた。
「ここには電気も通らず、通信機器も電波が届きません。最初はどんなに生活が不便だろうと不安を抱えながらここを目指したのですが、この村で一晩過ごしてみたら、とても気分がいいのです。電気に頼らず、自然の光の中で暮らし、夜の闇と共に眠る。だから、昨晩は、夜更かしの孤独や、炭水化物過剰な夜食の習慣に苦しまなくて済みました。本来、夜は寝る時間なのですね。僕のサーカディアンリズムが覚醒したって感じです。夜は寝るべきなんです。闇が怖いなら目を閉じればいいんです。そして安逸な眠りの中に逃げ込めばいいんです。寝ないから、寂しくなったり、腹が減ったりする。電気を消せば、光熱費だって節約出来る。どうして、僕たち文明に暮らす人間は、自然の摂理に逆らってまで、娯楽を楽しむ時間を極限まで増やそうとしてしまうのでしょう」
 僕がそう語ったのを聞いて、エンスルーゲとローザは微笑んだ。
「でも、長く暮らしていると、不便に思うことはいろいろあるかもしれませんよ」
 とエンスルーゲ。
「どうなんでしょうね。今のところ、僕にはここでの暮らしが合っているようです」
 と僕が言うと、老夫婦はまた満足気に笑った。

 3日目、僕は畑仕事に参加させてもらった。
 そこでは、完全栄養食と言われる幻の植物が栽培されていた。
 それを植えるために土をくわで耕すのであった。
 僕は生まれて初めて畑仕事をしたが、案外楽しかった。
 黙々と土を耕したり、種を植えたりするのが自分の性に合っているのかもしれない。昔、そういうシミュレーションゲームに夢中になったことがあったから。
 しかし、夜は筋肉痛が答えた。
 だが、それも嬉しい痛みに感じられた。
 心は晴れやかだった。
 都会で仕事をしていた時は、どんなに給料を稼いでも、満足感が得られなかった。もっといいマションに住みたい、もっとおいしい料理が食べたいと、果てしの無い欲とそれを満たせない不満ばかりが募っていた。
 まるで何かにとりつかれているみたいだった。
 僕は簡素な宿の質素なベッドににあおむけになって、この村で過ごした3日間を振り返ってみた。
 ストレスといったものを全然感じていない自分がいた。
 もちろん肉体労働など、大変なことはある。
 それでも、死んだ目をして半分ゾンビと化しているような大勢の人間たちに囲まれていた暗灰色の生活に比べたら、ここは何と明るい、祝福された楽園なのだろう。
 村人みんなが活き活きして、礼儀正しく、節度をわきまえていた。欲しがらず、それでいて心は完全に満たされていた。
 芸術も娯楽もほとんどない世界だ。それでも、晴れた日に青空を見上げれば遠くにそびえる雄大な入道雲が、どれほど高名な画匠にだって描けない崇高な風景画をそこに描いている。そして、一つとして同じ作品はないのだ。
 日々豊かに表情を変える空の色や雲の形を見て、そこに何の神秘も驚き感じられない現代人の感性の貧しさよ。彼らは自分の目で見ず、自分の耳で聞かない。ただ形骸化した集団の一部としてふるまう方法を知っているだけなのだ。
 僕はあの空を何時間でも眺めていられる。天空の彼方、背中に翼を持つ天使たちの奏でる笛の音が、天上のハーモニーを奏でている。刻々と形を変えて、そこに壮大な絵巻物を展開させる雲は、天才的なパフォーマーだ。今更どうして、人間たちが作り上げる安物の娯楽などを必要とするだろう。
 夜は完全な調和に彩られた、満天のプラネタリウム。怖いくらいの美しさに圧倒されて、言葉さえ失う。大宇宙の法則の息吹をすぐそばに感じられる。高等な物理の数式なんか理解できなくたって、宇宙の真理を手に取るように体感することが出来るんだ。
 どうして、人類は、こんなにも素晴らしい、息を飲むほどに美しい光景を捨てたのだろう。この大自然が生み出す絶景を遠くに押しやって、その代わりにどこまでも単調に続く人工的なイルミネーションの光の行列を崇めるようになったのだろう。
 僕はこの原始的な生活を営む村にずっといたい、ここから離れてもうどこにも行けないと思った。

 翌朝、
「僕はこの村に住みたい。この土地に骨を埋めたい」
 と僕はエンスルーゲに相談した。
「それは我々にとっても大変光栄なことなんじゃが、そう簡単にはいかないのじゃ」
「どうしてですか? 広々とした土地ですし、一人くらい移住したって問題ないんじゃないでしょうか」
 と僕はすがるように聞いた。
「この村の広場にはな、建国の精神を刻んだ石碑が建てられてあるのじゃ。そこにはこう書かれておる。『文明世界から訪れた人間は一週間以内に立ち去らせよ』とな。だからな、すまないがな、村の掟として、そういうことになっておるんじゃよ」
 とエンスルーゲが言った言葉を聞いて、僕は肩の力を落とした。
 そうか、この村は排他的なんだな、とがっかりすると同時に、そういう純潔性を守っているから、この土地はいつまでも美しい自然と人間のありのまま生活を守っていられるのかもしれないとも納得した。
「そうですか。残念です。僕はこの村に生まれたかった」
 と僕が涙ぐむと、エンスルーゲ夫妻も涙ぐんだ。

 出発の朝を迎えた。
 僕はこの村を去るのがあまりにも名残惜しくて、子供のように泣きじゃくりたかった。でも、そうしてしまえば、別れが余計悲しくなるだけだから、こらえた。
 迎えの車が到着して、僕はその助手席に乗った。
 少し離れた所で、エンスルーゲ夫妻が手を振っていた。僕も軽く手を振り返した。
 車は長い砂漠の道を進んだ。ガタゴト揺れたが、慣れて来ると、気持ちよく感じられて、次第に眠くなった。
 そして、いつしか僕は眠ってしまった。

 これが一部始終である。
 確かに、僕はこの旅行を経験した。
 あの時見た空の青さは、この網膜に焼き付いているくらい、鮮やかに記憶している。
 それなのに、他人にこの旅行の存在を証明出来る記録が何一つないのだ。
 インターネットで、あの村の存在を調べた。しかし、何一つヒットしない。
 ミカモール州という行政区画も、クスマールという村も、エンスルーゲという村長がいる集落も見つ出すことが出来なかった。
 でも、僕は確かに経験したのだ。あの村での生活を、土の香りを、星の輝きを。
 だけど、何一つ、証拠が残っていない。
 どういうことなのだ。
 でも、それでも構わない。
 別に、あの村の素晴らしさを誰かに話したところで、きっと共感などしてもらえないだろう。
 みんな、高級な家、高級な車、豪華な旅行とグルメ、映画を真似た盛大なロマンス、そんなことばかり人生の目標にしている。
 そんな環境の中で日々虚栄に満ちた欲を満たすことに一生懸命になっている人ばかりの世界で、あの村の生活に価値を見いだせる人間がどれほどいるというのだろう。
 あの思い出は、僕の胸の中にそっとしまっておこう。
 僕だけが知っていればそれでいいのだ。
 決して色あせることのないかけがえのない思い出。僕はそれをを殺伐とした日常の孤独の片隅で抱きしめる。
 すると、いつだって心の中に浮かぶんだ。
 あの夜空の星たちが今も眩い光を放ちながら、静寂の彼方で時を刻んでいる姿が。

ミカモール州クスマール村を旅した記録の断片

執筆の狙い

作者 古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

理想郷に旅をした人間の心の記録の物語です。

コメント

ぷーでる
45.92.32.2

拝読しました、すみません、イメージが沸きませんでした。
多分、夢の中的な話なんでしょうが、恐らく多くの読者はついていけていないと思います。
ところで平屋建ての家って、どんな素材で出来ていたんでしょう?
架空の国?っぽいのでイメージできません。

トルコとかだったら、土系的な壁の家だろうし、ヨーロッパならレンガ的な何かだろうし。
現実に存在する国であれば、平屋建てだけでも、大体イメージつきますが、完全な架空だと
おせっかいなまでに説明と描写が必要な気がします。

青井水脈
om126179240076.19.openmobile.ne.jp

読ませていただきました。ミカモール州って、どこだろうと思いつつ(笑)
前置き、いざ旅の話を始めるまでが少し長いと思いました。

>『文明世界から訪れた人間は一週間以内に立ち去らせよ』

どうしても、仕方ない部分はあるかな。オアシスのような村に、影響を与えるかもしれませんし。

>あの思い出は、僕の胸の中にそっとしまっておこう。

ここからラストまで。日常に戻っても月日が経っても、忘れられない記憶(記録ではなく)が残るでしょうね。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>ぷーでる様感想ありがとうございます。

たぶん、自分が書きたかった中心的なテーマは、「平等な社会は可能なのか?」ということだったかもしれません。
けれど、書いているうちに、主人公の個人的な旅行記みたいになり、中心的なテーマから逸れてしまったかもしれません。
本来は政治的なことしゃ社会的なことについてもっと掘り下げて書きたかったのですが、
主人公の厭世的な気分についての物語になってしまった感があります。
平等な社会は可能なのか、という点については、そのためには一人一人が贅沢を言わず、質素倹約に徹することなのかなと思いました。
私は、小説を書こうとすると、主人公の個人的な視点から、具体的な描写のリアリティなどに気を遣うのですが、そちらに気を取られて本題の中心的なテーマを読者に伝えることがおろそかになっていないか、注意しないといけないなと思いました。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>青井水脈様感想ありがとうございます。

>前置き、いざ旅の話を始めるまでが少し長いと思いました。

これは、読者を話の中に引き込む効果があるのかなと思ったのですが、長たらしかったでしょうか。
導入部で自分自身が話の中に入り込んだのですが、それは自己満足的なもので、読者はどう感じるかという点については、もう少し冷静に客観的にとらえていきたいなと思います。

>どうしても、仕方ない部分はあるかな。オアシスのような村に、影響を与えるかもしれませんし。

みんなが平等に暮らすというのは、簡単なようで簡単ではないのだと思います。
他者への思いやり、自己の抑制はもちろん大事ですが、構成員の素質という点も厳しく審査しなければならないのでしょう。

えんがわ
p2215247-ipngn9802souka.saitama.ocn.ne.jp

冒頭の説明がちょっと長い気がします。

やはり読んでいて楽しいのは、旅の部分で、人との交流や発見の部分なので。

そこに行きつくまでの間で、硬くなってしまい、損をしている気がします。


でも、それも含めて主人公のキャラっぽいものが伝わるし、
なんだろう、神秘的なものを感じるし。

もうちょっと村の楽しいイベントや宗教儀式を見てみたかったなと言う、
旅の終わりのロスを感じるくらい、なんかいいなカモミール州、いやミカモール州でしたっけ。

こういうの好みですよ。なんか不思議な雰囲気があって、ピアニストのように織物を作る青年とかイイ感じで。
翻訳機も成長するんですね。

面白いお話、ありがとうございました。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

えんがわ様、感想ありがとうございます。

冒頭の部分は、読者を物語の世界へ引き込もうとする狙いがあったのですが、ちょっとしつこかったかもしれません。

>もうちょっと村の楽しいイベントや宗教儀式を見てみたかったなと言う

そう言われると、確かにその通りだと思いました。
もう少し、いろんな村人と主人公を交流させれば、世界が深まったと思います。

ただ、この村の基本的なコンセプトとして、
質素倹約を理想に掲げるシンプルな政治形態なので、
余計なことは何一つしない村民生がありそうな気もします。
働いて、食べて寝るだけ。
365日、ただその繰り返し。
そんな村人の日常が思い浮かびます。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>村民生

村民性の間違いでした。

椎名
KD027083171050.ppp-bb.dion.ne.jp

全体的にある程度面白さを感じました。平和で平等な理想郷というところでしょうか。あとは自然の大切さも描かれている気がします。資本主義で犠牲になった人がこの村を訪れて救われるとかそういう話にしてもいいかもしれません。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

椎名様ありがとうございます。

平等な世界は理想だと思うのですが、歴史を勉強して分かったのは、平等というのは当たり前にあるのではなくて、人類の努力の成果として少しずつ実現されて来たんだなということです。
そうやって実現されて来た平等に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。
だから、わがままは慎みたいと思いました。
そして、平等のために戦った人々に感謝したいと思います。

茅場義彦
172.24.232.153.ap.dti.ne.jp

悪くないですが。テンポ悪いっすね。志はいいです。このまま格差広げて大企業の社員と公務員だけが安心して子育てできる社会でいいのか。そう考えたら平等も重要ですな

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

茅場義彦様、ありがとうございます。

現代でも格差の問題はいろいろと言われることはあると思うのですが、古代や中世の格差社会に比べれば、現代はだいぶ平等を実現しつつあるのかなという気がしました。
貧しいとは言っても、出来るだけ質素に暮らす努力をすれば、
科学技術などのおかげで、社会インフラも発達しているし、古代や中世の社会に比べれば、かなり生きやすい時代になっているのではないかと思います。
全ての人が贅沢とまではいかなくても、
ギリギリ生きて行くだけの物資だけは最低限、全ての人に行きわたるような政策がされるといいなという気がします。
たとえば、現物支給でいいなら、最低限の食料や物資は供給するというような政策があれば、それで救われる人もいるんじゃないかなと思いますが、現実的そういうのは可能なんでしょうかね。

5150
5.102.1.182

日本にいると何の疑いもなく、便利なことはよいことだ、と思ってしまいます。でも、世界のほとんどの国では日本のようなサービスを受けられるわけがなく、むしろ不便が当たり前というのが現実ですよね。日本はいささか便利信仰がいきすぎているように思います。ツケは働くみんなにのしかかってきます。恩恵を受けて生活しているのと同時に、便利神話があるために生活も少しずつ蝕んでゆきます。

コロナ禍でありますが、シンプルな生活がもっと見直されてもよいような気がします。あんまり作品に関係ない感想になってしまいました。私は以前からベーシックインカム推奨派なのですが。

古代ローマ市民
p1435003-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

5150様、感想ありがとうございます。

ふと思ったのですが、
つまらない娯楽に膨大な時間を費やいて精神的に堕落してしまう人生よりは、
ある程度緊張感のある勤労に長時間励む人生の方が人間って実は幸せなんじゃないかなって時々思うようになりました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内