作家でごはん!鍛練場
もんじゃ

あっまあい!(十四枚)

 私は辛(から)いのが苦手なんだけど、でも夫は辛いの好きだし、それに知らないお店はちゃんと知っておかなきゃ、なんでアユタヤ・なべ・ガーデン。
 アユタヤ・なべ・ガーデンっていうのは苗代町にあるタイ料理屋で、仕事が忙しい夫のために、夫の会社がある苗代町に引っ越してきてから私はそこを知った、美容室で捲った雑誌で。近所なんだし連れてってよ、と頼んだら、いつも行ってるとこなんで嫌だ、って夫は言ったけど、私は初めてなんだよ、って言ったら、そりゃまあそうか、って言って連れてきてくれた。
「うまい?」
 と夫が尋ねる。
「うまいよ」と夫の言い方を真似して応える。「でも辛い」
「それがタイランドの、切なくもうまい辛さだ」
 夏が過ぎ、いくらかは涼しくなったから鍋もまあ悪くない。タイ野菜の炒め物――これはひどく辛い――を食べて、タイ風さつま揚げ――これは辛くなくってほっとする――を食べて、春雨入り海老の土鍋蒸し――ココナッツ味がしてむしろ甘い――を食べてから店の名物アユタヤ鍋のミックスコースを注文した。
 夫が空芯菜をちぎる。ぱらぱらと鍋に投入する。
 底の深い赤銅色の鍋は、その真ん中に、丸くて短い煙突をはやしていて、そこからほわほわと白い蒸気を吐き出している。
 金魚すくいのやつみたいな、でも金属でできてる網に練り物を入れ夫は、あっちきちい、だなんて言って、煙突から出てる蒸気をよけながら、鍋のふちにそれを立て掛けた。
「それは何?」
「魚のすり身だな」
「なんの魚?」
「わかんないけど、たぶんタイの魚だ」
「鯛?」
「じゃなくてタイランドの」
「ピラニア?」
「そりゃアマゾンだろ?」
 それから夫は、厚みのある葉っぱに盛られたピンクの肉を、木製のトングで摘まんで鍋に入れた。
「なんの肉?」
「タイの動物の、だろ?」
「ベンガルタイガーとか?」
「ベンガル地方はタイじゃない」
「じゃあ何? サーベルタイガー?」
「虎から離れろよ」
 大トカゲとかだったらどうしよう、と思いながら食べてみたら、なんのことはない、普通の鶏肉だった。
「はっぴばっすでいとぅゆう」
 と、どこからか大声。
 辺りを見回す。
「はっぴばっすでいとぅゆう」
 何人かの歌声だ。
 向かいの夫が、私の後方に向けて顎をしゃくった。
 振り向くと横長のテーブルに、学生さんだろうか、少なくとも私たちよりは若い男女の集団が見えた。背中の合間からちらちら覗く顔は満面の笑みで、人によっては目を漫画みたいに三角にして、高らかに笑い、歌い、誰かの誕生日をお祝いしていた。
「はっぴばっすでいでぃあみゆきちゃあん」
 みゆきって子の誕生日らしい。ずいぶんと賑やかなパーティーだな。
 マダムなイメージの、おそらくは店の支配人かそれに近い立場の人なのだろう、色の浅黒いアジア美人がやってきて、夫に何か言い、それから私に向かって、眉を八の字にしながら手の先で誕生日会の一行を示し、ごめんなさいね、と言った。マダムは気を遣ってくれたのだろう、二階席に移りますか? と尋ねてくれた。
 向かいの夫を見ると彼は眉を上げ、どちらでも、という感じで私を見た。
 散らかしてしまったテーブルを見てお店の人に悪いと思い、だからマダムに向かって首を横に振った。
 マダムは、いーをするみたいな口元で、でもとても優しそうな、ちょっと象のような目で笑って頷いた。
 あのとき二階に移動していたら、と今になってから私は思う。そうしたらみゆきさんを、あの奇跡みたいな人を見詰めることもなかったのだろう。
「みんな、ありがとう!」
 と背中で、南の島の朝を伝える鳥のような声が響いた。
 鍋の中の練り物を掬い、甘くて辛くて、そして酸っぱいスープに浸しながら私はじっと聞き耳を立ててしまった。
「これがたぶん最後の誕生日だから」
 と、続けてみゆきさんは言った。
「きっとそうだね!」
 と、別の若い女の声が言った。
「みゆきとタイ飯食った思い出、死ぬまで忘れねえから!」
 元気のいい少年みたいな声が響く。
 向かいの夫を見ると彼は、ビー玉みたいな目をして、顎を引き、シンハービールをグラスに注がず瓶のまま握って黙っていた。
「もう冬は越せないと思うんだ」
 みゆき嬢の声が明るく言った。
「結局スキーはできなさそうだね」
 別の声が応えている。
「死にきれないけど、ちゃんと死ぬよ」
「おまえの分まで俺らは生きるよ」
「みゆきにね、私、手紙書いたんだ」
「ほんと?」
「お、マジかよ」
「これ? 今読んでいい?」と、みゆきさんの声。
「恥ずかしいから、あとで」
「わかった、あとで読むよ、そんで何回も読み返すよ、棺桶の中にも入れてもらうよ」
「んじゃあみゆきの」とよく通る男の声が言った。「なんだろ、ええと、安らかな旅立ちを祈ってえええ」
 信じられない、と私は思う。ふざけているのだろうか。悪趣味。
「かんぷぅああああい!」
 グラスや瓶をかち合わせる音。
 私はまた振り向いた。
 男性の背中が一つ、二つ、女性の背中が二つ、三つ、手前に五人、その向こうにやはり五人くらいの若者がいる感じ。でも座高の高い男子が壁になり、向こうの真ん中にいるのであろう主役の姿は確認できなかった。
「こんなに辛いもん食って平気なのかな」
 と夫が、ちょっと不思議な声で言った。
 聞こえるはずのないその小さな声に応えるかのようにみゆきさんの声が響いた。
「あんなになんにも食べられなかったのに、またいろいろ食べられるようになるなんて夢みたい!」
「よかったな!」
「でもまたすぐ食べられなくなるんだ。数値ってよくなってもまたすぐに悪くなるから、だから……」
 一瞬だけ、静寂。
 その静寂の意味に私は気付いた。悪ふざけじゃないんだ。
「だから今のうちに食べまくるぞお、甘いのだって、辛いのだって!」
「おお、食え食え!」
 そして歌声が響いた。懐かしい歌謡曲だった。みゆきさんの声だった。
 マダムがやってきて夫に眉で尋ねた。夫は掌で作った壁をマダムに優しく押し出すみたいにして応えた。
 男の子にふられた女の子が親友の女の子に泣き言をいうみたいな歌詞の歌だった。
 あちこちに神秘的なレリーフが施された、赤に近い茶色の、つややかな木製の壁。つるつるとした触感を視覚で味わうようになぞって、壁の端に視線を進め、アレカヤシの鉢植えの緑に据え置いた。その葉の一枚一枚を人差し指や中指で撫でるみたいに見詰めて、それから下を向き、壁と同じ木材が敷かれた床を、打ち寄せる波のように眺めながら視線を私たちのテーブルに戻した。剥かれたエビの殻。ちぎられた空芯菜の切れ端。シンハービールの茶色い瓶の内側で上昇している気泡。
 歌が終わって、みゆきさんは言った。
「楽しい夜を、みんな、本当にありがとう!」
「どういたしまして!」
「あたし、元気に死ぬからね!」
「おう!」
「タイ野菜の辛さ、死ぬまで忘れないからね!」
「うんうん!」
「まあ、すぐに死ぬんだけどね!」
「あと、どのくらい?」
「わかんない、でもまあ早けりゃ来週にでも」
「食い足りた?」
「うん」
「いや、まだデザート来てないじゃん」
「あ、食べる食べる!」
「俺、もち米マンゴーね」
「あ、じゃあ私、ココナッツカスタード。みゆきは?」
「あたしもココナッツカスタード」
 しばらくしてから私は二階に上がった。アユタヤ・なべ・ガーデンの化粧室は二階にあるのだった。
 化粧室の鏡に映っている私は変なふうに眉を寄せていた。首を傾げてみてから、えいやっと眉を開き唇を尖らせると、ふふふ、と声に出して笑ってみた。そんなふうにして私は私を整え直した。
 化粧室を出て、狭い、けれども短くはない廊下を歩み、一階に降りる階段を下ろうとしてそれを見た。
 筒みたいな手摺を握ったまま私は硬直してしまった。
 下から上がってくる人がいる。すごく小柄で、医療用のワッチキャップを被っている。誰だか勿論すぐにわかった。これがみゆきさんなんだ。
 羽衣みたいな服をふわっと着てたけど、手摺を掴む手はまさに枯れ木のようだった。あの元気な声の主だなんて到底思えない。
 みゆきさんは下を向いたまま階段を一段上がって、呼吸を整え、また次の一段を上がることを躊躇っている。が、意を決したかのようにまた一段……。
 誰も付き添っていない。十名ほどいた、あの馬鹿騒ぎに興じていた男女の誰一人として彼女を助けていない。それからマダムも……。
 手を貸してあげなきゃ、そう思いながら私は階段を下った。
 音に気が付いたのだろう。みゆきさんは顔を上げた。
 ぎょっとした。形容できない顔だった。
 思わず止まってしまいそうな足を励まして私は一段一段彼女に向かって近づいた。
 みゆきさんは私を見た。その目は奇跡のようにしっかりしていた。
 見詰められて足がすくんだ。
 そしたら笑った、彼女が笑ってくれたのだ。その笑みをどう表現したらいいのだろう。
 彼女のすぐ上まで降りて、目を逸らしようもなく彼女を見詰めたままもう一段降りた、そしたら、すべてがわかった。
 上がろうとする彼女に下ろうとする私は笑い掛けた、ただ笑い掛けた。それで正解だった。誤解されようがない笑みを私は、ちゃんと浮かべられたように思う。
 みゆきさんは小さく頷き、そして、薬のせいかもしれない、黄色くなった歯をしっかり剥き出して、世界一私は幸せよ、って顔でまた笑った。ほんと、花みたいに笑ったんだ。
 頷き返すしかなかった。
 階段の真ん中で笑顔を交わしたあと私は、夫の待つテーブルに戻った。
 グリーンカレーをシェアして、デザートを頼んで、デザートが来て、それを平らげたころになってやっとパーティーの主役が戻った。
「おっかえりぃ」と陽気な声が主役を迎えた。「ココナッツカスタード冷めちゃったよう」
「最初から冷たいっつうの!」
 夫が伝票にサインしているのを見ながら私は、ベンガル虎や大トカゲのことを考えていた。
「じゃ、行きますか」
 と言って夫が立ち上がり、私も立ち上がったところで背中から声がした。
「あっまあい!」
 みゆきさんの声だった。

あっまあい!(十四枚)

執筆の狙い

作者 もんじゃ
KD111239170119.au-net.ne.jp

習作です。つるっと読めちゃうと思います。喉越しの快不快と、味わいの良し悪しについて教えてください。今回は解説とか一切いたしません。読み手さんより頂戴いたしましたコメントを、肯定的なものであれ否定的なものであれ、そのどちらでもないものであれ、ただそのまま受け止める所存であります。コメントがなければ、その反応もまたそのまま参考にさせていただきます。ありがとうございます。

コメント

黒沢ひろひと
M014008035162.v4.enabler.ne.jp

全体的に読みやすい、軽いタッチで書かれていると感じました。にもかかわらず「みゆきさん」の強い意思が、伝わってきたように思います。
誰に頼るでもなく、ともすれば助けを拒んだのかもしれません。たった一人で二階の化粧室に向かう。それは「生きる意思」であり、「死ぬ意思」でもあったように感じました。
変な言い方ですが、見習わなければ、なんて思いました。

もんじゃ
KD111239165061.au-net.ne.jp

黒沢ひろひとさま

ありがとうございます。

>軽いタッチで書かれていると感じました。にもかかわらず「みゆきさん」の強い意思が

そうなのです。辛い(つらい)ことを重くなく軽く、みたいなギャップを狙ったのですが、どうでありましょうね、重いことは重厚な文章スタイルで表したほうが確かにカップリングとしてはイージーで呑み込んでいただきやすいのかもしれず、軽いスタイルの良し悪しを皆さんにうかがえたら、と思っていました。

>ともすれば助けを拒んだのかもしれません。

はい。そんな気がしますね。

>「生きる意思」であり、「死ぬ意思」でもあったように感じました

生きる意思であり死ぬる意思でありますか。確かに。

>変な言い方ですが、見習わなければ、なんて

いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか。僕も書き上がったの見てそんなことを思いました。

ところで、この場をお借りしまして(失礼して)、さっき改稿いたしました部分を掲載させてください。

妻に朗読して差し上げたら三点ダメ出しされまして……。

一、鍋中央の煙突ってたぶん蒸気を吐き出すんじゃなくて単に熱を吐き出すんだよ。←マジすか?

二、夫が優しくなくてなんだかイヤな感じ。←なるほど、それが女性の読み方でありますか。

三、息継ぎがちょっと多いかも。←読点のことでありますね。

三点を参考に冒頭の鍋シーンを以下のように改稿しました(読点の間引きは冒頭についてのみならず全般において実施いたしましたが長くなるので全文は掲載しません)。


 夫が空芯菜をちぎる。ぱらぱらと鍋に投入する。
 銅色の鍋はその真ん中に丸くて短い煙突みたいなのをはやしていている。
「この煙突は何?」
 と夫に尋ねた。
「なんだろね」と手を休めずに夫は応える。「熱さを逃がしてるんじゃないかな?」
 金魚すくいのやつみたいな、でも金属でできてる網に練り物を入れ夫は、あっちきちい、だなんて言って煙突から出てる熱気をよけながら鍋の私側のふちにそれを立て掛けてくれた。
「これは何?」
「魚のすり身だな」
「なんの魚?」
「わかんないけど、たぶんタイの魚だ」
「鯛?」
「じゃなくてタイランドの」
「ピラニア?」
「そりゃアマゾンだろ?」
 それから夫は厚みのある葉っぱに盛られたピンクの肉を木製のトングで摘まんで鍋に入れた。
「なんの肉?」
「タイの動物の、だろ?」
「ベンガルタイガーとか?」
「ベンガル地方はタイじゃない」
「じゃあ何? サーベルタイガー?」
「虎から離れたまえよ」
 大トカゲとかだったらどうしよう、と思いながら食べてみたら、なんのことはない、普通の鶏肉だった。


てな感じで脳内で差し替えて読んでいただけますと幸いです。

話を戻します。ご感想、参考にさせていただきます。

読んでくださり、ありがとうございました。

いかめんたい
pw126253061143.6.panda-world.ne.jp

こんばんは。拝読しました。それで感想ですが、確かにつるっと読めて、それでいて深い味わいがあると感じました。
私は元来腹黒いので、みゆきさんのお友達の態度や様子なんかを見ていて、「こんなこと、現実にはあり得ない」と疑ってしまうところがなかったわけではないのですが、舞台の設定が絶妙なためか、この現実と非現実の狭間のような場所(と私は感じました)での出来事だけに、素直に受け入れることができたように思います。
面白かったです。ありがとうございました。

もんじゃ
KD111239165061.au-net.ne.jp

いかめんたいさま

ありがとうございます。

>つるっと読めて、それでいて深い味わい

味わい。甘いのか辛いのか酸っぱいのかそのぜんぶのごった煮かわからないけど、さらに美味しかったのかそうでもなかったのかわからないけどでもあの味が残ってる、みたいな感じになってたらいいよなあとか思ってしまいました。塩キャラメルって美味しいからそれを目指したかったような気もします。

>現実と非現実の狭間のような

なるほどです。上手いことをおっしゃいますね。現実にありそうなことにウルトラ現実的に寄り添っても現実には絶対ありえない荒唐無稽なことに振り切ってしまっても話としてはどちらもつまらないものになってしまうのかもしれず、マングローブが生えてそうなあたりを場にして書くことが一つの方法論として有効に機能するのかもしれないですね。僕はそれを狙って書いたわけではないけれど、ご指摘を受けてヒントをいただけた気がして、ふうむ、とか思いつつにんまりさせていただきました。勉強になります。

読んでくださり、ありがとうございました。

u
opt-220-208-25-236.client.pikara.ne.jp

読みました

3段階

冒頭は漫才のかけあいみたく軽いノリのかけあいww

次に他席若いグループの様子が耳に入ってきて(対象の映像なし)
話の内容がだんだん重くなり

最後に対象が映像として現れ
主人公と柔らかくかかわる

計算されて構成ですね

もんじゃ
KD111239164154.au-net.ne.jp

uさま

ありがとうございます。

三段階でありましたか。あまり計算してませんでした(階段シーンが「転」になるかな、くらいにしか考えてませんでした)。

軽さから始まりだんだん重くなる、ってのは意識してました。でも重くはなりきらない。

読んでくださり、ありがとうございました。

みにまる
sp49-97-105-108.msc.spmode.ne.jp

もんじゃさん、まだ見ているかわかりませんが、感想書きます。
正直に言って、面白くはないです。既視感強めというのが一番です。

もんじゃさんのここ最近の作品は読んでますが、いずれの作品も既視感がある。もんじゃさんも使い古されたものはもちろん書きたくないから、あるパターンとあるパターンを組み合わせて、またパターンを脱臼させて、そこから逸脱しようとしている気がする(御作が特にそう)。でも既視感からは逃れられていない。

原因のひとつに、身体性に乏しいことが挙げられると感じます。文章がやけに端正なのは、その証拠か? たしかに滑らかに読める。でも、さらさら流れていくだけで、どこにも凹凸がない。読み手を躓かせるための凹凸が欲しい。もんじゃさんの目指すものとはちがうかもしれないですけど。

もんじゃ
KD111239165017.au-net.ne.jp

みにまるさま

ありがとうございます。

>正直に言って、面白くはないです。

このような感想、とても参考になります。拙作みたいなのを書き手は一読み手として面白いと感じているのですが、たいていの読み手さまにはあるいは面白くないのでありますね。

>既視感強め

既視感、でありますか。特に何かを真似したり、あるいは下敷きにしたりして書いたわけではなく、自分としてはまったくのオリジナルのつもりだったのでありますが、テーマでありましょうか、構成でありましょうか、文体でありましょうか、キャラでありましょうか、台詞でありましょうか、既存の何かに似ているのでありますね。例えば何に似ているのか教えていただけますとより参考になります。ともあれ、既視感、というご指摘は予想しておらず大変参考になりました。ありがとうございます。

>もんじゃさんも使い古されたものはもちろん書きたくないから、あるパターンとあるパターンを組み合わせて、またパターンを脱臼させて、そこから逸脱しようとしている気がする(御作が特にそう)。でも既視感からは逃れられていない。

そのあたりはまったく意識化していませんでした。無意識のうちにそのようなことをしていたのかもしれませんね。

>原因のひとつに、身体性に乏しいことが挙げられると感じます。

新体制、じゃないですね、いきなりそんなふうに変換されちゃいました、身体性。これが乏しい。五感、ということではなさそうですね、味わいや匂いや手触りや視覚聴覚などの不足ではなさそうです。自らの体躯に対する意識でありましょうか。弱虫ペダルみたいな漫画は身体性がありそうですね。肉体性みたいなことでありましょうか。三島由紀夫的な? 違いそうですね。観念的であることの対極……ってのは感覚的ってことでありましょうから、これも身体性ということとはまた違うような気もいたします。身体性とはなんでありましょう? 広漠たる荒野をガンマンが独り黙々とさすらってるみたいな話は身体性がありますでしょうか、大地や砂や風と触れ合う肉体が描かれそうなので。ともあれ、身体性なるものの不足によりデジャ・ビュが生じていると? ってことは身体性を表したものが希少である、ということでありましょうか? 身体性、という言葉、覚えておきます。ありがとうございます。

>文章がやけに端正なのは、その証拠か? たしかに滑らかに読める。でも、さらさら流れていくだけで、どこにも凹凸がない。

凸凹。抑揚みたいなことでありましょうか? リズム的な抑揚ないしは緩急ではなく、むしろわざと躓かせるような表現が不足しているということでありましょうか?
起伏に乏しい、ということかな? 盛り上がりや消沈、そういったアップダウンがないということでありましょうか?
凸凹、という言葉も心に留め置くことにいたします。ありがとうございます。

>読み手を躓かせるための凹凸が欲しい。もんじゃさんの目指すものとはちがうかもしれないですけど。

あ、やはり、これでありますね。読み手を躓かせるのでありますね。段差を設ける、みたいなこと。外連味に通じる何かでありましょうか。近いうちに段差を設えた習作に挑戦してみますね。躓かせることの必要性、みたいなことについて実践しながら考えてみたいと思います。ヒントをいただけたことに感謝いたします。

読んでくださり、また示唆に富むいくつかのご指摘を賜りまして、ありがとうございました。

もんじゃ
KD111239165017.au-net.ne.jp

改稿してみました。


 私は辛(から)いのが苦手なんだけど、でも夫は辛いの好きだし、それに知らないお店はちゃんと知っておかなきゃ、なんでアユタヤ・なべ・ガーデン。
 アユタヤ・なべ・ガーデンっていうのは苗代町にあるタイ料理屋で、仕事が忙しい夫のために夫の会社がある苗代町に引っ越してきてから私はそこを知った、美容室で捲った雑誌で。近所なんだし連れてってよ、と頼んだら、いつも行ってるとこなんで嫌だ、って夫は言ったけど、私は初めてなんだよ、って言ったら、そりゃまあそうか、って言って連れてきてくれた。
「うまい?」
 と夫が尋ねる。
「うまいよ」と夫の言い方を真似して応える。「でも辛い」
「それがタイランドの、切なくもうまい辛さだ」
 夏が過ぎ、いくらかは涼しくなったから鍋もまあ悪くない。タイ野菜の炒め物――これはひどく辛い――を食べて、タイ風さつま揚げ――これは辛くなくってほっとする――を食べて、春雨入り海老の土鍋蒸し――ココナッツ味がしてむしろ甘い――を食べてから店の名物アユタヤ鍋のミックスコースを注文した。
 夫が空芯菜をちぎる。ぱらぱらと鍋に投入する。
 銅色の鍋はその真ん中に丸くて短い煙突のようなのをはやしていている。
「この煙突は何?」
 と夫に尋ねた。
「なんだろね」と手を休めずに夫は応える。「熱さを逃がしてるんじゃないかな?」
 金魚すくいのやつみたいな、でも金属でできてる網に練り物を入れ夫は、あっちきちい、だなんて言って煙突から出てる熱気をよけながら鍋の内の私側のふちにそれを立て掛けてくれた。
「これは何?」
「魚のすり身だな」
「なんの魚?」
「わかんないけど、たぶんタイの魚だ」
「鯛?」
「じゃなくてタイランドの」
「ピラニア?」
「そりゃアマゾンだろ?」
 それから夫は厚みのある葉っぱに盛られたピンクの肉を木製のトングで摘まんで鍋に入れた。
「なんの肉?」
「タイの動物の、だろ?」
「ベンガルタイガーとか?」
「ベンガル地方はタイじゃない」
「じゃあ何? サーベルタイガー?」
「虎から離れたまえよ」
 大トカゲとかだったらどうしよう、と思いながら食べてみたら、なんのことはない、普通の鶏肉だった。
「はっぴばっすでいとぅゆう」
 と、どこからか大声。
 辺りを見回す。
「はっぴばっすでいとぅゆう」
 何人かの歌声だ。
 向かいの夫が私の後方に向けて顎をしゃくった。
 振り向くと横長のテーブルに、学生さんだろうか、少なくとも私たちよりは若い男女の集団が見えた。背中の合間からちらちら覗く顔は満面の笑みで、人によっては目を漫画みたいに三角にして、高らかに笑い、歌い、誰かの誕生日をお祝いしていた。
「はっぴばっすでいでぃあみゆきちゃあん」
 みゆきって子の誕生日らしい。ずいぶんと賑やかなパーティーだな。
 マダムなイメージの、おそらくは店の支配人かそれに近い立場の人なのだろう、色の浅黒いアジア美人がやってきて夫に何か言い、それから私に向かって眉を八の字にしながら手の先で誕生日会の一行を示し、ごめんなさいね、と言った。マダムは気を遣ってくれたのだろう、二階席に移りますか? と尋ねてくれた。
 向かいの夫を見ると彼は眉を上げ、どちらでも、という感じで私を見た。
 散らかしてしまったテーブルを見てお店の人に悪いと思い、だからマダムに向かって首を横に振った。
 マダムは、いーをするみたいな口元で、でもとても優しそうな、ちょっと象のような目で笑って頷いた。
 あのとき二階に移動していたら、と今になってから私は思う。そうしたらみゆきさんを、あの奇跡みたいな人を見詰めることもなかったのだろう。
「みんな、ありがとう!」
 と背中で、南の島の朝を伝える鳥のような声が響いた。
 鍋の中の練り物を掬い、甘くて辛くてそして酸っぱいスープに浸しながら私はじっと聞き耳を立ててしまった。
「これがたぶん最後の誕生日だから」
 と、続けてみゆきさんは言った。
「きっとそうだね」
 と、別の若い女の声が言った。
「みゆきとタイ飯食った思い出、死ぬまで忘れねえから!」
 元気のいい少年みたいな声が響く。
 向かいの夫を見ると彼はビー玉みたいな目をして顎を引きシンハービールをグラスに注がず瓶のまま握って黙っていた。
「もう冬は越せないと思うんだ」
 みゆき嬢の声が明るく言った。
「結局スキーはできなさそうだね」
 別の声が応えている。
「死にきれないけど、ちゃんと死ぬよ」
「おまえの分まで俺らは生きるよ」
「みゆきにね、私、手紙書いたんだ」
「ほんと?」
「お、マジかよ」
「これ? 今読んでいい?」と、みゆきさんの声。


(つづきます)

もんじゃ
KD111239165017.au-net.ne.jp

(つづきました)


「恥ずかしいから、あとで」
「わかった、あとで読むよ、そんで何回も読み返すよ、棺桶の中にも入れてもらうよ」
「んじゃあみゆきの」とよく通る男の声が言った。「なんだろ、ええと、安らかな旅立ちを祈ってえええ」
 信じられない、と私は思う。ふざけているのだろうか。悪趣味。
「かんぷぅああああい!」
 グラスや瓶をかち合わせる音。
 私はまた振り向いた。
 男性の背中が一つ、二つ、女性の背中が二つ、三つ、手前に五人、その向こうにやはり五人くらいの若者がいる感じ。でも座高の高い男子が壁になり、向こうの真ん中にいるのであろう主役の姿は確認できなかった。
「こんなに辛いもん食って平気なのかな」
 と夫がちょっと不思議な声で言った。
 聞こえるはずのないその小さな声に応えるかのようにみゆきさんの声が響いた。
「あんなになんにも食べられなかったのに、またいろいろ食べられるようになるなんて夢みたい!」
「よかったな!」
「でもまたすぐ食べられなくなるんだ。数値ってよくなってもまたすぐに悪くなるから、だから……」
 一瞬だけ、静寂。
 その静寂の意味に私は気付いた。悪ふざけじゃないんだ。
「だから今のうちに食べまくるぞお、甘いのだって、辛いのだって!」
「おお、食え食え!」
 そして歌声が響いた。懐かしい歌謡曲だった。みゆきさんの声だった。
 マダムがやってきて夫に眉で尋ねた。夫は掌で作った壁をマダムに優しく押し出すみたいにして応えた。
 男の子にふられた女の子が親友の女の子に泣き言をいうみたいな歌詞の歌だった。
 踊る炎か荒ぶる風か、あちこちに神秘的なレリーフが施された、赤に近い茶色のつややかな壁、そのつるつるとした木肌を目で味わうようになぞって視線を進め、アレカヤシの鉢植えの緑に据え置いた。葉の一枚一枚を人差し指や中指で撫でるみたいに見詰めて、それから下を向き、壁と同じ木材が敷かれた床を、砂浜に伸びる波のように眺めながら視線を私たちのテーブルに戻した。剥かれたエビの殻。ちぎられた空芯菜の切れ端。シンハービールの茶色い瓶の内側で上昇している気泡。
 歌が終わってみゆきさんは言った。
「楽しい夜を、みんな、本当にありがとう!」
「どういたしまして!」
「あたし、元気に死ぬからね!」
「おう!」
「タイ野菜の辛さ、死ぬまで忘れないからね!」
「うんうん!」
「まあ、すぐに死ぬんだけどね!」
「あと、どのくらい?」
「わかんない、でもまあ早けりゃ来週にでも」
「食い足りた?」
「うん」
「いや、まだデザート来てないじゃん」
「あ、食べる食べる!」
「俺、もち米マンゴーね」
「あ、じゃあ私、ココナッツカスタード。みゆきは?」
「あたしもココナッツカスタード」
 しばらくしてから私は二階に上がった。アユタヤ・なべ・ガーデンの化粧室は二階にあるのだった。
 化粧室の鏡に映ってる私は変なふうに眉を寄せていた。首を傾げてみてから、えいやっと眉を開き唇を尖らせると、ふふふ、と声に出して笑ってみた。そんなふうにして私は私を整え直した。
 化粧室を出て、狭い、けれども短くはない廊下を歩み、一階に降りる階段を下ろうとしてそれを見た。
 筒みたいな手摺を握ったまま私は硬直してしまった。
 下から上がってくる人がいる。すごく小柄で、医療用のワッチキャップを被っている。誰だか勿論すぐにわかった。これがみゆきさんなんだ。
 羽衣みたいな服をふわっと着てたけど、手摺を掴む手はまさに枯れ木のようだった。あの元気な声の主だなんて到底思えない。
 みゆきさんは下を向いたまま階段を一段上がって、呼吸を整え、また次の一段を上がることを躊躇っている。が、意を決したかのようにまた一段……。
 誰も付き添っていない。十名ほどいた、あの馬鹿騒ぎに興じていた男女の誰一人として彼女を助けていない。それからマダムも……。
 手を貸してあげなきゃ、そう思いながら私は階段を下った。
 音に気が付いたのだろう。みゆきさんは顔を上げた。
 ぎょっとした。形容できない顔だった。
 思わず止まってしまいそうな足を励まして私は一段一段彼女に向かって近づいた。
 みゆきさんは私を見た。その目は奇跡のようにしっかりしていた。
 見詰められて足がすくんだ。
 そしたら笑った、彼女が笑ってくれたのだ。その笑みをどう表現したらいいのだろう。
 彼女のすぐ上まで降りて、目を逸らしようもなく彼女を見詰めたままもう一段降りた、そしたらすべてがわかった。
 上がろうとする彼女に下ろうとする私は笑い掛けた、ただ笑い掛けた。それで正解だった。誤解されようがない笑みを私はちゃんと浮かべられたように思う。
 みゆきさんは小さく頷き、そして、薬のせいかもしれない、黄色くなった歯をしっかり剥き出して、世界一私は幸せよ、って顔でまた笑った。ほんと、花みたいに笑ったんだ。
 頷き返すしかなかった。
 階段の真ん中で笑顔を交わしたあと私は夫の待つテーブルに戻った。
 グリーンカレーをシェアして、デザートを頼んで、デザートが来て、それを平らげたころになってやっとパーティーの主役が戻った。
「おっかえりぃ」と陽気な声が主役を迎えた。「ココナッツカスタード冷めちゃったよう」
「最初から冷たいっつうの!」
 夫が伝票にサインしているのを見ながら私はベンガル虎や大トカゲのことを考えていた。
「じゃ、行きますか」
 と言って夫が立ち上がり、私も立ち上がったところで背中から声がした。
「あっまあい!」
 みゆきさんの声だった。

 了

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