作家でごはん!鍛練場
エア

執事の専属娼婦として買われました(R-18)

執事の専属娼婦として買われました

プロローグ
「……こ、これからは私を思う存分に嬲ってくださいっ!」

 私は込み上げる恥ずかしさを堪えて口にした。

「そうです。物分かりの良い人は好きですよ」

 そんな私の前にいるのはスーツを着た端正な顔の男性だった。
 彼は満足気に笑みを浮かべたが、その瞳の奥には悪意を感じた。

「では、あなたには今から私の言う通りにしてもらいますね」

 そう言って、男性は手袋を外して細く色白な手を見せて、私の服をゆっくりと脱がせた。

 何で、私がこんな目に遭ったかというと、話は数時間前に遡る。

第1話

 私、リリィ・ヴァリーの半生は、不遇だった。貧しい家庭に生まれ、14歳で父を、18歳の時に母を亡くし、独りで生きる事を余儀なくされた。
 当初は母親が以前働いていた食堂で働かせてもらっていたが、経営不振に伴い、一年で閉店してしまった。そして、次の就職先を探していた時だった。
「お嬢さん、可愛い顔をしているね。せっかくだからウチの店で働かない? ウチは給料が弾むし、住み込みで働く事が出来るよ」
 道端で若い男性から、突然誘われた。最初は、ちょっと怪しいと思ったけど、生活に困窮していたので、藁にもすがる思いで男性に着いて行ってしまった。その結果……。

「お嬢ちゃん、新入りなの? それにしては、良い反応をするじゃないか」
「そ、そんな事は……あぁっ……」
 ……騙された。
 着いて行って辿り着いた先は、娼館だった。男に抱かれて、彼らのストレスと性欲を発散させるのが今の私の仕事である。
 建物自体は、娼館らしく派手な看板を掲げているけど、年季が入っているせいで色が剥がれ落ちている。おまけに建物のメンテナンスをしていないのか、外観はボロボロである。大災害が来たら、あっという間に壊れそうな気がする。
 それに、ドレスやメイクは自腹で購入しなければならない。
 でも、それを出すお金は貧しい娘達には無かった。そこで娼館のオーナー・リチャードさんが代わりに支払ってくれるのだけど、その代わりに私達はその代金を返済しなくてはならない。
 でも、幾ら稼いでもほとんどが借金返済に充てられ、それを差し引いた給料は雀の涙程度。
 それに、服もメイク、コロンも消耗されていくから、しばらくしたらまた買い直さないといけない。
 私達がここから逃げ出さない様に娼館に閉じ込めているのではないかと思った。
 もちろん、私の他にも生活の為に働いている人達だって大勢いるから、娼婦自体を否定する事は出来ないけど、それでも見知らぬ男性に抱かれるのは正直抵抗がある。
 中には、梅毒をうつされて命を落とした人や所帯持ちの客と本気の関係になってしまい客の妻が包丁を持って押しかけて来た人、借金が返済出来ず夜逃げをした人もいる。
 私だって、いつまでもこんな所で生を終わらせる訳にはいかない。何としてでも、こんな生活をから抜け出さないと。
 そう思いながら、今宵も淫らな男に抱かれるのであった。

「リリィ、ご指名が入ったぞ」
 オーナーからの呼び出しが入ったので、私はラウンジにやって来た。
 そこにいたのは、丸々と肥えた体型の中年男性だった。
 今日、私が相手をする客は、ソリッツ・バロッソである。彼はこの娼館の常連客で雑貨屋の店主だが、肥えた体型で肌も脂ぎっているし、体臭と葉巻の臭いが合わさった悪臭も鼻について気持ち悪い。おまけに、全身を舐め回す性癖があり、プレイもかなり強引かつ乱暴だ。
 以前バロッソさんと行為をした先輩の娼婦も、彼から乱暴に扱われた事からショックを受けて、しばらく寝込んでいる。
 その為、娼婦達からは影で嫌われており、「あんな男、今すぐ出禁になれば良いのに」と陰口を叩く者もいる。私も、ああいう男とは関わりたくない。
 しかし、オーナーはせっかくの羽振りが良い客を切り捨てる訳にもいかないと言っており、今でもこの娼館に通っている。
 ウチのオーナーは従業員よりも儲けを優先したのである。大事な従業員を蔑ろにするなんて、薄情な人だ。
「今日は、バロッソさんの相手をしなさい。くれぐれも、またお客様に失礼な事はするなよ」
 オーナーから釘を刺され、私は弱い笑顔で「はい」と頷いた。
 正直、こんな男にも相手をしなければならないなんて、苦痛でしかない。だけど、下っ端の私にそれを拒否する権利は無かった。
 拒否したら、今月のノルマを達成する事は出来ない。出来なかったら、オーナーからどんな辱めを受けるか分からない。
 だから、私はいつもの様に接客用の笑顔を作りながら言った。
「はい、分かりました。バロッソさん、よろしくお願いします」

 そして、私は部屋に入った。部屋にはベッドがある。娼館だけにツインベッドが用意されているが、所詮は平民向けの娼館。高級娼館の様な豪奢な造りではない。
 一応、お客さんの為に部屋は掃除しているけど、木造の簡素なデザインである事には変わりない。
 バロッソさんは、部屋に入った瞬間、すぐさま私をベッドへ強引に押し倒した。
「フヒヒヒヒヒ……お嬢ちゃんは、随分と良い顔をしているね。その怯えた姿が凄くそそるよ」
 バロッソさんは、厭らしい笑みを浮かべながら舌を舐め回しながら、私の左胸を乱暴に揉んだ。
「胸も、それなりにあるみたいだな。柔らかくて揉み応えがある」
「バ、バロッソさん……そんな強引すぎます……!」
「何を言うか、春を売るのがお前達の仕事だろ。さてさて、肝心の服の下はどうなっているのかね?」
 バロッソさんは、そう言いながら私の胸元に手を掛けた瞬間、悪寒が走った。
「イヤッ!」
 私は恐怖心のあまり、思わず手で男性を突き飛ばしてしまった。あまりにも、強い勢いだったのか、男性はそのまま倒れて、床に頭を打ってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
 客に対して、酷い扱いをしてしまった。ハッと我に返った私は必死で謝った。
 だが、バロッソはすぐさま起き上がると先程までの下衆な笑みから一変、突如として私を睨みつけてきた。
「この野郎……娼婦の分際で、俺に逆らいやがって! 所詮、男に抱かれないと生きていけない癖に! 誰のおかげで生活出来ていると思ってるんだ!」
 バロッソは、怒りを露にして私に手を上げ、私の頬を思い切りぶった。
 私は思わず、当てられた左頬を手で押さえた。
 もう駄目だと思い、恐怖のあまり目を閉じた。
「やめなさい」
 ぶたれるかと思いきや、突然テノールボイスが現場の空気を切り裂いた。
 こんな時に誰だろう? 頭を横に動かすと、そこに立っていたのは一人の若い男性だった。
 切れのある青い瞳、短く切り揃えられた艶のある黒髪、そして立派な黒い紳士服をピシッと着こなしている。
 こんなに素敵な人が、何で農夫や大学生しか来ない店に来たのかを尋ねたいけど、それすらも忘れさせてしまう程、綺麗な男の人だった。それくらい、見惚れていた。
「兄ちゃん、こんな所に無断で入るとは何の用だ?」
 突如入り込んで来た男性に邪魔されたバロッソさんは、若い男性を睨みつけた。
「あんなに大きな怒鳴り声を上げたり乱暴したりしていたら、ラウンジからでも十分に聞こえますよ」
 男性は、爽やかな笑みを浮かべながら嫌味を言った。
「それに、いくら自分が常連客だからと言って、暴君の様に振る舞い、女性に乱暴するのは感心出来ませんね」
「何を……」
 バロッソさんは、激しい怒りを露にするが、男性は涼しい顔のままだった。
「それにあなた、娼婦の間で随分と有名なのですね」
 それを聞いて、バロッソさんは目を見開いた。
「どういう事だ?」
 バロッソさんの質問に、男性は答えた。
「娼婦に乱暴な行為をするモンスターとでも言いましょうか。以前、似た様な被害を受けた娼婦がいて、彼女はすっかりと心を病んでしまったそうですね」
「その犯人が俺だと言いたいのか?」
 バロッソさんの表情は、緊張が見られた。
「まぁ、所詮は噂ですけどね。違うと言い切るのであれば構わないですけど、この事が明るみになったら、あなた、どうなりますかね?」
 温厚な笑みで物騒な事を言われて、先程まで荒れていたバロッソさんの顔は一気に青ざめた。
 そして、彼は「チッ」と舌打ちをした後、服に着替え荷物を持って部屋を出て行った。
「あ、あの……助けて下さってありがとうございます」
「いえいえ、ああいう客まで相手にしなければいけないなんて、さぞかし大変でしょう」
「そうですね。でも、私借金があって……」
「借金?」
「はい。衣装代や化粧代の前借り、生活費もあって、なかなか完済出来ないんですよ」
 苦笑いを浮かべながら話す私に、男性はふむふむと頷いた。そして、驚きの提案を出してきた。
「でしたら、私があなたを買って差し上げましょうか?」
「えぇっ?!」
 まさかの発言に、私は目を丸くした。
「あ、あの……申し訳ございませんが、さすがに買収というのは、ちょっと……」
「でも、あなたは今借金を抱えていて、店からは出られない。生活にも行き詰っていて、店でのランクもそれ程高くない様ですしね。容姿は悪くないのに、接待が苦手なのですか?」
「うっ……」
 痛い所を突いて来るな。確かに、お客さんから顔を褒められる事はあるけど、人前で裸になる事には未だに慣れず、接客も苦手だからだ。オーナーや先輩の娼婦からもよく注意される事が多い。
「ですが、あなたはこのままこの店で男達から性欲の捌け口にされて、一生を終えるつもりなのですが、それってあまりにも惨めで辛くないですか。決して、悪い話ではないと思うのですけどね。ここより良い住処も提供しますけど」
 上手く私の心に付け込んでくるなぁ。もしかして、口の上手さで商売を繁盛させていたのかな。
 だからと言って、今の生活に満足しているか、ここで生涯を終えても良いのかと聞かれたら、当然NOである。
 やっぱり、ここから抜け出したい。そんな気持ちが勝っていた。
「わ、分かりました……私を買ってください」
 そんな事を口にするのは抵抗があるが、それくらい私の心は追い詰められていたのだと思う。これ以上、下衆な男達に嬲られるのは嫌だった。
 その言葉に、男性はニッコリと笑顔になって、
「分かりました。それでは、オーナーと話を付けに行き来ましょう」
 と告げた。

「えぇっ、良いのですか?」
 男性が私を買いたいとオーナーに申し出ると、彼は目を丸くした。
 高級娼婦を専属として雇う事はあるけど、農夫や貧しい学生しか来ない店の娼婦が買われた話は、聞いた事が無い。
 それでも、男性が鞄から札束をバラバラと机の上に置くと、オーナーの顔はパアッと明るくなった。
 本物の札束なんて初めて見た。パッと見積もって、1000万エラン。
 ポンと出された札束の数に、先程まで困惑していたオーナーは一変、目を輝かせながら、札束を手に取った。
「それだけの金額を支払うのであれば、ウチは何も言いません」
 オーナーは、ヘコヘコと笑顔で頭を下げた。この人、やっぱりお金が大事なんだな……。
 それでも、借金も全額返済で来たし、こんな生活ともおさらば出来るのだから、それを口にはしなかった。
「それでは、こちらにサインを」
 そう言ってオーナーは領収書を差し出すと、男性はサインを入れた。私も、自分の買い手の名前が気になったので、覗き込んだ。

リリィ・ヴァリーを1000万フランで買収します
ジーク・フィース

「ジーク・フィース様ですか……あまり聞いた事が無い名前ですが……」
 見覚えの無い名前に、オーナーは眉を顰めるが、ジークさんはオーナーの耳元で何かを囁いた。すると、オーナーの顔は驚愕した。
「ま、まさかあなたが……」
 ジークさんの口がオーナーの耳を離れた瞬間、オーナーは謎の美男子に指を差しながら口をパクパクとさせつつ何か言おうとしたが、彼はオーナーの口に、人差し指を当てて、
「おっと、それ以上漏らすと近所が大騒ぎになってしまいます。この事は、くれぐれもご内密に」
 と微笑んだ。
 ジークさんって、そんなに凄い人なの? 恐らく、どこかの貴族か富裕者なのかな。だとしたら、何で貴族がこんな店に?
 そんな疑問を口にする間もなく、ジークさんは私に手を差し伸べた。
「では、行きましょう。あなたはもうこんな牢獄に住む必要はありません」
 あまりにも振る舞いが優雅過ぎたので、私は思わず手を取ってしまった。
 身分が低い私をまるでお姫様の様に接してくれるなんて、きっと彼は私の運命を変えてくれる王子様なのかもしれない。そんな気がした。

 突如現れたハンサムな謎の紳士・ジークさんに連れられて、今まで息苦しく感じていた娼館を出た私は、すぐさま馬車に乗せられた。そしてジークさんは、御者席に座ると手綱を打って馬を走らせる。
 ……って、あれ? てっきり貴族だと思っていたけど、違うのかな。
 昔の絵本で白馬に乗った王子様の絵を見た事はあるけど、馬車に乗るなんて事は……無いよね。
「あらかじめ言っておきますけど、私は貴族ではありませんよ」
 私の内面を読んだのか、ジークさんが丁寧に答えた。
「えっ、そうなのですか?」
「はい。でも仕事柄、数多くの貴族や富裕者と関わっていますけどね」
 そうなんだ。でも、そんな人達と関わるジークさんもかなりのエリートなんだろうな。セレブ以外でセレブと関わるなんて、余程有能な人でないと無理だもの。
「じゃあ、ジークさんは何をしているのですか? もしかして、高級娼館へのスカウトとか?」
 高級娼館はセレブ専用の娼館で、余程の美貌に優れた女性しか入れず、更に政治や芸術など様々な知識にも通じている必要があるという。大したルックスも知識も無い私が足を踏み入れる様な場所ではない。
「違います。実は私はジェンド家の執事をしています」
「執事……?」
「フェイド・ジェンドという方はご存知ですか?」
「えっと……申し訳ございませんが、聞いた事が無いです」
「ならば、フェイド社という店は?」
「フェイド社って、確かセレブ御用達の宝飾・美術会社……って、もしかして!」
 その言葉を聞いて、ジークさんはニコリと笑顔で「ご名答」と頷いた。
 つまりジークさんは、あのフェイド社の社長の執事なのか。それなら、あの上品な振る舞いも納得がいく。
「でも、それなら私なんかよりも高級娼婦を雇った方が良いのではないですか? どうして、庶民向けの娼婦である私を選んだのですか? それともメイドとして雇いたいとか?」
「まぁ、それには色々と深い事情がありましてね」
「深い事情?」
 意味深な含みを持って話す執事に私は首を傾げたると、ジークさんは
「それは中で説明します」
 と答えるだけで、それ以上は何も言わなかった。

 馬車に乗って一時間後。見えてきたのは、大きな屋敷だった。威厳を感じさせる立派なものだ。あそこに住むのだろう。
「着きました」
 馬車を止めて、ジークさんは席から降りると、扉を開けて私の手を取った。
 馬車から降りた私は、あまりにも大きな屋敷に口を開けた。
「ま、まさかここに住むと言うのですか?」
 私は驚きの表情を隠せないまま、ジークさんに尋ねた。
「そうです」
 はっきりと答えられた。まさか、私はここでこの屋敷のご主人を相手にするのだろうか。お金持ちの人を満足させられるかどうかは全然自信が無いけど、せっかくのチャンスを踏みにじる訳には行かない。頑張らないと。
 私は、両手を拳にして奮起した。

「こちらです」
 中に入ると、そこには美しい空間が広がっていた。芸術品を扱う会社なだけあって、やっぱり壁や天井にもデザインにこだわりが見られる。まるで、空間にもアートの様な作品が施されている。
 玄関の天井にはステンドグラスがあり、目を惹きつけられる。壁には神話をモチーフとした絵画が描かれており、芸術館に入ったかの様だ。
 私は執事に案内されながらあらゆる芸術に目移りしていた。
 ジークから聞いた話によると、屋敷には主人が一人で住んでおり、一緒に暮らしている家族はいないそうだ。
 あまりにも広いから最初は家族で住んでいるのかと思ったけど、それだけ広い部屋を持っているなら、一部屋くらい私に恵んでくださいよ。

 そんな中、気が付くと芸術的な装飾が無い場所まで来ていた。もちろん、決して汚れてはないのだけど、肝心の当主の部屋までの道にしては質素すぎる。こんな所にいるのだろうか。
「こちらです」
 執事がドアを開けながら、私に中へ入る様に招き入れた。
 中は綺麗で、きちんと掃除が行き届いている事が分かる。ベッドやドレッサー、タンスもきちんと揃っている。
 でも、少し疑問がある。
 私が以前住んでいた古い木造の部屋と比べたら大分綺麗だけど、当主が使う部屋ならもっと豪華な造りでも良いと思うのだけど。
「あの……肝心の当主がいないのですけど、どちらにいるのですか?」
 私は恐る恐るジークさんに尋ねた。
「当主は今仕事で出張に出掛けておりまして、戻るのは約二ケ月後になります」
「えっ、それなら挨拶をする事が出来ないじゃないですか。」
「当主に挨拶をする必要なんてありません」
「どうしてですか? 当主の夜伽をして欲しいとか、屋敷のメイドになって欲しいのでしょう。だったら、挨拶をする必要があるでしょう」
 屋敷に招かれたという事は当主の夜伽をするという事なのだろう。そうでなければ、メイドとして雇うの二択しかない。セレブの舌を満足させる様な料理を作るのは難しいけど、掃除くらいならどうにかなると思う、多分。
 私の言葉に、執事は驚きの回答をした。
「いえ、あなたの仕事は当主の夜伽でも屋敷のメイドになる事でもありません。あなたの仕事は、私の娼婦になる事です」
 予想外の回答に、私は目を丸くした。私がジークさんの娼婦になるって……。
「あ、あの申し訳ございませんが、私がジークさんの娼婦になるって、どういう事なんですか?」
 回答の内容が理解出来ず、私は質問した。
「その言葉通りですよ。使用人が娼婦を雇っているという事がバレたら、主人共々社交界で悪い噂になりかねませんからね。高級娼婦だと、その事が世間に伝わりやすいのですよ」
 確かに、高級娼婦はああ見えて、政治や芸術の知識が深い事はもちろん、有名人のゴシップにも詳しいと聞いている。その結果、上流界だけではなく街中で悪い噂が広まってしまい、そのまま没落した人もいるらしい。
「それなら、上流の人間は絶対に踏み入れない場所で買った方が安全でしょう」
 そう言ってジークさんは、虫一匹も殺さない様な爽やかな笑顔で答えた。
 そんな理由で、ウチの店にやって来ていたなんて。
「だったら、どうして私なんかを……」
 その言葉に、彼は悪びれる事無く答えた。
「だって、そこらの道端に生えている花を踏みにじっても誰も咎めないでしょう。まぁ、あなたはその中でも可愛らしい方ですが……」
 彼が話を終える前に、私の中で怒りが一気に込み上げ、紳士の仮面を被った下衆な男の顔を強く引っ叩いてやった。
 彼は叩かれて腫れた左頬を抑えつつ、怒りや悲痛など不快な感情は見せなかった。
「どうして引っ叩くのですか? あなたは、今まで数多くの男を抱いてきたのでしょう」
「うるさい!」
 私は思い切り怒鳴りつけた。
「アンタねぇ、さっきから娼婦を舐めた口叩いているけどね、私達だってただ生きる為に仕事をしているだけなのよ! 下心丸出しのスケベなオヤジが相手でも無理やり笑顔を作って接客して身体を張って男に抱かれて、でもいつしか病気になったり借金を返しきれなくなったりしていなくなった子だっているのよ。それでも、いつかここから抜け出せる日が来るかもしれないと思って頑張っているだけなんだから!」
 生きる為に必死で頑張っている自分や自分達の仕事を愚弄されて、腹正しく思えた。確かに、私達はセレブに見初められる様な立場ではない。だけど、そんな理由で私を選んだ事も許せなかった。
 こんな最低な男に、さん付けで丁寧に話す程の礼儀は無い
「生きる為に、ですか……」
 必死で吐いた言葉もジークは涼しい顔で受け流すだけだった。だが、その言葉には何か意味深な含みがあった気がした。
「そうよ! そんな奴にほいほいと抱かれる程、こっちだって軽くはないわよ!」
 言いたい放題言って、少しばかり楽になった。
 執事は妖しい瞳で私を見つめながら微笑んだ。
「だったら仕方ありませんね。あの店の主人には、『せっかく買った娼婦が買主の顔を引っ叩いて乱暴なので、お返しします』とお伝えしておきますか。あと、払ったお金も全額返してもらわないといけませんねぇ」
 それを聞いて、先程まで怒りで真っ赤にした私の顔から一気に血の気が引いて行った。
 儲けの事しか頭にないオーナーが、この事を知ったら物凄い剣幕で激昂して、すぐさま私をクビにしてもおかしくない。そうでなくとも、私は借金返済及び客に不義理を働いた罰として馬車馬の如くタダ働きをさせられるに違いない。もしかしたら、この事が街中に広まって店の評判がガタ落ちして店が潰れるかもしれない。そうなったら、他の娼婦にも申し訳ないし、近所の人達とも合わせる顔が無い。
「まぁ、先程の無礼をきちんと詫びて、私の玩具になるというのであれば、撤回しても構いませんけど」
 ジークは、威圧感のある恐ろしい笑みを浮かべながら言った。
 こんな男に従うなんて、あまりにも屈辱的過ぎる。でも、私は既にこの男に買収された身。噛みつく事は許されない。
「……わ、分かりました」
「えっ? よく聞こえませんでしたね」
「先程の無礼な振る舞い、誠に申し訳ございませんでした」
「『これからは私を思う存分に嬲ってください』も付け加えてくださいね」
「……これからは私を思う存分に嬲ってくださいっ!」
 私は込み上げる恥ずかしさを堪えて口にした。もはや、私は悪魔の様な執事に逆らう術は無かった。
「そうです。物分かりの良い人は好きですよ」
 ジークは満足気に笑みを浮かべた。
 この男の顔をもう一発殴りたくなったが、今の私は買収された身。ここで逆らったら確実に返品されるので、腹の底で煮えたぎる怒りを堪える事しか出来なかった。
「では、あなたには今から私の言う通りにしてもらいますね」
 そう言って、執事は手袋を外すと、私の服をゆっくりと脱がせた。胸元がハート型に開かれたワンピース風のドレスを着ているおかげか、簡単に脱がされてしまい、丸みを帯びた私の乳房がさらけ出された。
「ほぅ、大きさは普通ですが、なかなか良い形をしていますね。肌もキメ細やかで乳首の色も綺麗な色ですし。くびれもあって、スタイルも良いですね」
 執事は、目を細めながら私の胸を指でなぞった。褒められているのに、ちっとも嬉しくなかった。
 胸やスタイルは前の店の客からも誉められた事は何度かあったけど、やはり彼らも厭らしい手つきで乱暴に身体を触って来るので羞恥と不快感しかなかった。
 コイツに触られるのも気持ちとしては嫌だけど、やり慣れているのかあまりにも触った時の手付きが気持ち良くて、思わず声を漏らしそうになった。ここまで上手い人は、初めてだ。とても気持ち良い。
 ……いや、ダメだ。こんな所で簡単に喘ぎ声を出したら負けだ。こんな悪魔の様な男に屈したくない。そう思って、私は歯をグッと食いしばりながら必死に耐えた。
「ほぅ……すぐには声を上げないのですねぇ」
 初めて男に抱かれるならともかく、今の私は娼婦ですから。お客様を喜ばせる為に、喘ぎ声を上げる事はあるけど、これくらいの事なら既に客と何度もやっている。とはいえ、今の手の動かし方は本気で反応しそうになってしまった。こんな事で感じてしまったら、奴の思う壺だ。
「乳房の柔らかさもちょうど良いですね」
 乳房をマッサージするかの如く優しく揉まれた。きっと、柔らかさを調べているのだ。乱暴に揉みしだかれないだけマシだけど、やっぱり来る。
「うぅっ……あぁっ……」
「乳首の方も調べましょうか。どれどれ……」
 ジークは、乳首を指で摘まんだ。
 さすがに、そこを摘まれると思わず身体が感じてしまう。
「ほぅ……乳首は割と弱いみたいですね。しかも、結構固くなっていますし。さっきの行為でもう感じてしまいましたか?」
 クスッと笑う執事に、私は羞恥心を隠さずにはいられなかった。こんなに感じているところを嫌な男に見せてしまうなんて……。
「もう音を上げるのですか? まだ、遊戯は終わっていないのですよ。最後は下の方を見せてもらいましょうか」
 そう言って、ショーツも脱がして股をグイっと開かせると、ドレスをまくり上げて中を覗き込んだ。
「ほぅ……膣も意外と良い色をしていますね。他の男と抱かれているから、若干色がくすんでいると思っていたのですけど」
 その理由は、膣が汚いとお客さんが嫌な顔をするので行為の後は必ず風呂で洗ったり薬でケアをしたりしているから……と言いたいところなのだけど、本当は恥ずかしながら店での人気がそれ程高くないので、実際に相手をしてくれる人がそんなに多くないからである。
「では、早速入れますね」
「入れるって……何を……?」
 こちらの疑問に答える前に、ジークは指を蜜壺に入れた。
 深く、深く、二本の指が私の壺の中にずぶずぶと入っていく。
「あぁぁっ……そ、そこは……やめてぇ……」
 中でくちゅくちゅと音を立てているのが微かに聞こえた。前の店の客からも、同じ様な事をされた事は何度かあったけど、この男はその手の才能があるのか、今までに感じたことが無い感覚が込み上げて来る。
「ほぅ、大分濡れてきていますね。これくらいの事で感じてしまうなんて、随分とイキやすい体質である様ですね。」
 それを言われると、否定する事は出来なかった。実際、今の状況でも凄く感じている。客からも、似た様な事を言われた事があったけど、ここまでイキそうになったのは多分初めてだ。まるで、今までの行為が幼稚なものだったとしか思えない。そんな気がする。
 マズイ、このままだとイッてしまう。
 中を弄られて、恥ずかしさと今までに感じたことが無い感覚を味わうあまり、私の頭の中はだんだん混乱していき、理性が失われそうになって行く。
「もしかして、本番をして欲しかったのですか? だったら、最初からそう言えば良いのに……」
 執事が人を嘲笑するかの様な笑みを浮かべた。
 まだ、そんな事は全然口にしていないわよ! と言い返してやりたいところだけど、今の状況でそんな事を口にする事は出来なかった。
 しかし、こちらが返事をする前に執事は服を脱いだ。上着を脱ぎ、シャツを外す姿が様になっている。
 そして、一糸まとわぬ姿を私の眼前でさらけ出した。
 細身ながらも著名な大理石像の様に引き締まった肉体に、思わず見惚れてしまった。普段から鍛錬しているのだろうか。
「では、いきますよ」
 そして、ジークは私の中へとモノを入れていく。先程の前戯ですっかり濡れたせいで、中が浸食されていく。
「うぅっ……」
「ほぅ、まだ先端しか入れていないのに、女性が恥じらう姿は悪くないですけど、せっかくなのですから、もっと喘いでください。せっかく大金を払ったのですから、それ相応の見返りはしてくれますよねぇ」
 執事が悪魔の様な笑みを浮かべながら囁きながら、熱いものを注ぎ込んでいく。
 凄く熱くて、身体が溶けてしまいそうである。
「あぁ―――っ……!」
 遂に、私は悪魔の様な執事の前に堕ちてしまったのであった。

「まぁ、なかなか楽しめましたね。あんな庶民しか来ない店にいるのは、もったいない位です。これなら、当分は退屈せずに済みそうです。他の使用人にも、彼女の良さを広めたいですね」
 一連の行為を終えて、ジークは満足気な笑みを浮かべながら服に着替えた。
「あ、あの……退屈せずに済みそうって、さすがにこれは激しすぎると思うのですけど」
「黙れ、玩具」
 とうとう罵倒までされてしまった。さっきまで、その玩具にも敬語で話していたのに。この人、紳士的で物腰の柔らかく接していた時のギャップが激しすぎるよ。
 執事って、誰にでも親切に接してくれるものだと思っていたのに。今まで抱いていた執事のイメージがガラガラと音を立てて壊れていく気がした。
 そんな私の内面を読んだのか、ジークはすぐさま言い返した。
「仕事とは関係の無い他人にまで、腰を低くしながら笑顔を向けてはいませんよ。というか、そんな事までしていたらストレスで精神が壊れてしまいます」
 それにしたって、仕事のストレスの捌け口として私をここまで嬲るのはどうかと思いますけどね! 捌け口にされている側の身にもなってくださいよ。こんな男から一生やられていたら、先にこっちの精神が壊れてしまいますよ。
「だけど、それも受け入れてくれるのが娼婦の務めでしょ。私が買収した以上は、きっちりと働いてもらいますからね」
 ジークは仕事用の笑顔を浮かべながら言った。
「そろそろ、寝ましょうか」
「寝るのは良いけど、私の寝床はどこなの?」
「寝床なら、こちらにあるじゃないですか」
 ジークは、窓を指差しながら言った。
「……それは、私に外で寝ろと?」
 さすがに、それは酷すぎると思います。立派な虐待です。
「何を言っているのですか。性奴隷のあなたにはこれで十分……と言いたいところですけど、私もそこまで鬼ではありませんよ。今回、あなたを甚振って満足しましたから、そのご褒美くらいは差しあげますよ」
「ご褒美?」
「今晩、私と一緒に寝させてあげます」
「えぇっ?!」
 それを聞いて、私は顔を真っ赤にしながら後ずさりした。
「一緒に寝るって、何か企んでいるの?」
「大丈夫ですよ。何もしませんから」
「そんな事を言う男に限って、絶対に何かして来るものだけど」
「それなら、外で寝ますか?」
「……分かったわよ」
 さすがに、外でゴロ寝は寒くて風邪を引くので、仕方なくベッドに入った。
 そして、執事も布団に潜り込んだ。シングルベッドなので、二人で寝るには窮屈だった。彼の顔が非常に近い。しかも、私よりも肌が陶器の様に綺麗な気がする。正直、嫉妬しちゃう。
「ふふふ……男の人と一緒に寝るのは緊張しますか?」
 ジークは小悪魔な笑みを浮かべた。息が近くて、少し興奮する。
「そりゃあ、こんなに近くで寝るのは緊張しますよ」
 しかも、めちゃくちゃカッコ良いし。睫毛も数えられそう。
 仕事で客と一緒に寝る事は何度もあったけど、こんなに心臓が鼓動を打つのは初めてだ。
「先程まで、私からあんなに虐められていたのに?」
「言葉に悪意を感じるわよ」
 今すぐ、この悪魔から逃げ出したくなった。
「あっ、もし屋敷から逃げ出したら、たとえ汚い手を使ってでも完全犯罪であなたを殺害しますよ」
「笑顔で脅迫をするのは良くないです。それにしても、どうして私を選んだのですか? 人を痛めつける事でストレスを解消したいなら、私の様なノーマルよりもマゾな娼婦を買収した方が良いと思いますけど」
 虐められてばかりなのも嫌なので、反撃を試みた。
 するとジークは、躊躇する事無く答えた。
「そうですね。一言で言うと一目惚れというものですかね」
「ひ、一目惚れ?」
 恥ずかしげもなく理由を語るジークに、私は拍子抜けした。
「それは、私がお客さんから襲われそうになっていた時ですか?」
「いえ、それより少し前です」
「少し前……?」
「具体的に言うと、娼館の壁に飾られていた娼婦の写真を見ていた時ですね。他の人は、いかにも男慣れしていそうな雰囲気でしたが、あなたにはそれが無かった」
「男慣れしていなくて悪ぅございましたね!」
 不本意な理由に、嫌味を返してやった。
「その割に無礼な客に対しても毅然とした対応が出来るのは、ある意味尊敬します」
「それ、誉め言葉なのですか?」
 私がジトッと睨みながら尋ねた。
「男性との性行為を合法で認めている職に就いているのですから、普通は泣き寝入りするしかないでしょう」
 それを言われて、私はハッとした。
 この国では、本来未婚者同士のセックスとはタブーとされているが、強姦や姦通の罪の増加を防ぐ目的で、国は娼婦との性行為を黙認している。その為、性欲を発散したいがあまり強姦同然のプレイを要求してくる人もいる。
 もちろん、あまりに酷い場合は、店に相談した上で出禁にする事も出来るけど、逆恨みされた客から襲われたり「娼婦が客とのセックスを拒むなんて!」と陰口を叩かれたりして、悪評が広まってしまい、最悪店が潰れる事態にもなりかねないので、大抵被害に遭った娼婦は泣き寝入りをするしかない。
 本来なら、私がバロッソさんにした行動は咎められてもおかしくないけど、それを褒めてくれるのは素直に嬉しい。
 もしかしたら、そんなに悪い人ではないのかもしれない。
「それに、それくらい強気な人をじわじわと手懐けていった方が、調教し甲斐がありますからね。最初から素直に言う事を聞く人では、つまらないですし」
 前言撤回。少しばかり心をときめかせてしまった自分が馬鹿だったと悔やんだ。コイツの娼婦になったら、徹底的に弄ばれて虐げられて、雑巾の如くポイ捨てられそうだ。
「安心してください。買収した以上は最後まで可愛がってあげますよ。今は恐怖しかなくても、いつかあなたが私に心の底から服従したくなるまで、みっちり躾けてあげますから」
 そんな事を口にする執事は、どこか楽しげに微笑んでいたが、私は不安しかなかった。
 こうして、平民向けの娼婦として働いていた私は、この鬼畜執事から専属娼婦として買われたのであった。

第2話

「ふふふ……身体を締め付けられているのに、もう目がとろ~んとしていますね」
「いやっ、そんな事は……」
「口では抵抗していても、乳首はこんなに固くなっていていますよ……この状態なら膣の方も濡れているかもしれませんね」
「もうやめて……ジーク……」
「この場に及んで主人の名前を呼び捨てにするとは不遜ですね。そんな輩にはオシオキが必要ですね」
「も、申し訳ございませんでした、ジーク様! だから、鞭を撃つのはお止めになっ――イヤアアアッ!!」
 私の必死の謝罪もむなしく、執事は縄で緊縛された私の裸体に鞭を入れ込んだ。
 悪魔執事の専属娼婦となってから、早一週間が過ぎた。
 あれ以来、私はジークからストレスの捌け口とされんばかりに、鞭打ち、三角木馬、蝋燭プレイ、手錠拘束、ダブルピンホイール、目隠しなど、あらゆるSMプレイをやらされる日々を送っていた。
 こんな事をして、他の使用人に怪しまれないかと聞いたら「完全防音なので大丈夫です」と返された。

 ちなみに、初日の夜はジークと同じベッドで寝るという傍から見れば夢の様なシチュエーションだったが、そんな甘い日々が続く筈もなかった。
 二日目の朝。私が目を覚ますと、ジークは既に執事服に着替えていた。
「あれ、もう仕事なのですか?」
「はい。今から他の使用人を起こさなければいけないので」
 時計を見ると、時間は六時。いつもの私だったら、ようやくベッドから身体を起こしている頃だ。
「それでは、今から私は仕事に出るので、あなたはしばらくこの中で大人しくしていてください」
 と言われ、小さな檻を用意してきた。
 私が自分の寝床を尋ねると、「性奴隷のあなたには、これで十分」と言って、小さな檻を用意された。
 当然、私は人権侵害とパワハラを主張したが、「奴隷に人権なんぞありません。これ以上、主人に生意気な口を叩く奴隷にはオシオキが必要ですね」と脅してきたので、仕方なく檻の中に入る事にしたが、当然牢屋に鍵を掛けられて放置されてしまった。
 おまけに、食事もパンの耳を切り取ったものや皿に入った水、野菜の皮、ビーフジャーキーなど、悪意のこもったものばかりである。しかも、たまにそれを牢屋から少し離れた位置に置いて、私が手を伸ばしてもなかなか届かなくて苦闘する姿を見て楽しんでいるのだから、余計に性質が悪い。
 これじゃ、まるで囚人かペット、或いは玩具だよ。今すぐ弁護士を呼びたいわ。
 そして、夜になると、牢から出られるのだが、当然その時も地獄である。

 そして本日のプレイは、緊縛プレイとしては定番の亀甲縛りである。もちろん、丸裸にされた状態での緊縛である。
 しかも、今回は天井に付けられたフックで宙吊りにされるという辱め付である。まるで凶悪犯罪者に誘拐された被害者になった気分である。
 しかも、そこへジークが鞭で思いきり強く撃つというSMプレイである。
 そういうプレイがある事は聴いた事があるけど、もちろん前の店でこんな過激なプレイをした事は一度も無い。
 実際にやられてみると、ただジッとしているだけなのに結構キツイ。縄が皮膚に食い込まれ、しかもそこに鞭による追撃が来るのだから、痛みが伴うので動いていないのに体力が急速に奪われていくのが分かる。
 私は、悪魔執事から何度も鞭で存分に痛めつけられた。
「あ、あの……申し訳ございませんが、そろそろ止めにしませんか? そろそろ体力的にも限界が……」
 私が恐る恐る中断を頼んでみたが、こちらの方はまだ余裕がある様だ。
「まだ三十分も経っていないのに、音を上げるとは情けないですね。これ以上文句を言うと、逆さ吊りにして放置しますよ」
「放置って……」
「長い時間放置すると、心臓が血液を送り出す力が弱くなって、最期は心不全で死に至るらしいですよ」
「ちょっと、それ本気で言っているの?!」
「冗談ですよ。死んだら啼かせる事が出来ないじゃないですか」
「そうだよね、いくら何でもそこまでは……」
「でも、あなたがこれ以上文句を言うと、本気になるかもしれませんよ」
 執事の目は、どこまでも本気だった。
「分かりました、分かりました! どうかジーク様の気が済むまで鞭を撃ってください!」
 脅迫じみた言葉を言われて、私は恐怖のあまり服従せざるを得なくなった。
 買収されてからまだ数日しか経っていないけど、この人なら本気でやってもおかしくない気がする。
 しかも、この人の場合、きっと完全犯罪を狙って遺体を地面に埋めたり海に沈めたりするに違いない。もはや、ヤクザや凶悪犯罪者の領域だよ。
「まだ、口調に保身が含まれていますね。これでは、命乞いと変わらないので、不合格です」
 そんな……この人、完全に私を痛めつける事を楽しんでいるよ。
 ジークはサディスティックな笑みを浮かべながら、鞭をもう一発私に入れようとした途端、突如部屋の扉が開いた。
「すみません、ちょっと仕事について相談したい事が……」
 向こうには、簡素なスーツを着た男の子が立っていた。服装からして、この屋敷の下僕かもしれない。年齢は恐らく私と同い年か年下くらい。ライトブラウンに茶色い瞳の可愛らしい顔立ちで、あどけない印象がある。
 男の子は、扉を開けて視界に入った光景を見た途端、呆然とした。
 縄で緊縛された状態で宙吊りにされた全裸の女に鞭を振るおうとする執事。
 突然の情事を目の当たりにした下僕は、部屋の中の状況を把握すると、みるみると顔が赤くなっていき、顔から火が出そうになっていった。
「あ、あ、あ、あの……ごめんなさい! お、お取込み中失礼いたしまひたっ!」
 上司のトンデモな状況を見てしまった、いたいけな下僕は慌てるあまり言葉を噛みつつも釈明した後、扉も閉めずに脱兎の如くその場から走り去って行った。
 どうしよう……こんな所、人様には絶対に見られたくなかったのに。もうあの子と会わせる顔が無いよ。
「全く、ノックもせずに扉を開けっ放しにしたまま逃げ出すなんて、マナーが悪いですね」
 突然のアクシデントが起きたにも関わらず、ジークは溜息を吐きつつも冷静な表情を崩さず扉を閉めた。
「そんな事言われたって、あんなものを見たら、誰だって驚きますよ! というか、この事が他の使用人に知れ渡ったらどうするのですか!?」
「使用人に見られたところで、私の立場が危うくなる事はないですよ。広まったところで『ストレス解消の為に娼婦を買った』と言えば済む事です。別に娼婦を持つ事自体は悪い事ではないでしょう」
 サラッと言っちゃったよ、この人。扱いの方は最悪ですけどね。愛玩動物だって、痛めつけられるのは嫌ですよ。
「とはいえ、さすがに主人や世間様に知られると、マズイですね。ジェンド家の執事が娼婦を私的に所有している事が噂になったら、私だけではなく家の評判に影響が出ますから」
 やはり家の評判を悪くするのは、執事としても避けたい様だ。その辺は、きちんと考えているんだな。
 だったら、これを機に待遇の改善を求める事が出来るかもしれない。
「そうですよね。だったら、もっと私を優しく扱って……ひぃっ!」
 こちらが話を言い終える前に、ギロリと睨みつけられた。
「人に買われた分際で、人の心に付け込んで待遇の改善を求めるなんて、何と浅ましい」
 思い切り蔑まれた。
「何を言っているんですか! 初日に散々甚振った後にベッドで『もし屋敷から逃げ出したら、たとえ汚い手を使ってでも完全犯罪であなたを殺害します』と笑顔で脅してきた人がそんな事を言える立場なのか甚だ疑問ですけど!」
 実を言うと、昨晩ベッドで翌日から訪れる加虐の日々に恐怖していた私に、この悪魔は笑顔で脅迫してきたのである。
 あの時、本気で逃げようかと思っていたけど、その考えも見抜かれていた。
 さすがに、ここまで来ると文句の一つもぶつけたくなるので、言ってやった。それを聞いて、ジークは一瞬ピクッと眉が吊り上がったが、指に顎を当てて少し考えた後、
「では、こうしましょうか」
 と、ある提案をしてきた。

「今日からこの屋敷でお世話になります。リリィ・ヴァリーと申します」
 使用人達が並ぶ前で、メイド服に着替えさせられた私は、笑顔でペコリとお辞儀をした。
 娼館でドレスを着ていた頃の様に、ついスカートの裾を手で広げそうになったけど、そこはどうにか堪えた。
「リリィさんは以前食堂で働いていたので、賄いや清掃は出来ますが、メイドとしての仕事は初めてなので、よく分からないところもあります。皆さんは、彼女に親切丁寧に教えてあげてくださいね」
 ジークは仕事用スマイルで、使用人に伝えた。外面は良いんだな。
「はい、分かりました」
 使用人の人達は、笑顔で了承してくれた。

 ジークが出した提案とは、私がフェイド家のメイドになる事だった。私が娼館で掃除や賄いをしたり食堂で働いていたりしていた経験を買ったのである。
 最初は不安だったけど、お給料も払うと聞いて即座にOKした。やっぱり生活の為に、お金は必要だ。
 他の使用人が礼儀正しく挨拶と自己紹介をする中、一番右端にいた下僕の番がやって来た。
「はじめまして。僕は、フェイド家の下僕・エドワード・ユフェンと言います」
「ユフェンさん、はじめまして」
「あぁ、エドで良いです」
 エドさんって、気さくで良い人だな。あの冷酷執事とは大違い。
 でも、この人、どこかで見た事がある様な気がするんだけど、どこだったかな。後で聞いてみる事にしよう。

 一人でこんなに大きな屋敷を使うってどんな考えなんだろう。私にも一部屋恵んでくれると良いのに。
 メイドの仕事は、主に屋敷の清掃、そして調理、洗濯などの家事全般だそうだ。
 そして、今回私が任された仕事は、部屋を掃除する事だった。
 まず、私が最初に掃除する事になったのは、寝室。今回は、初めての掃除という事で、エドさんと一緒に掃除をする事になった。
 扉を開けると、中は非常に豪華で、いかにも上流貴族という雰囲気が出ていた。
 ジークさんの部屋も綺麗だったけど、こちらのベッドは天蓋カーテンが付いており、ベッドもふかふかである。まさに、私が昔見た絵本のベッドと似ている。
 私も昔、こういうタイプのベッドが欲しいと憧れたよなぁ。こんな所で眠れたら、きっと毎日素敵な夢が見られそうな気がするな。
 さすがに、こんなベッドを強請る事は出来ないけど。
 それにしても、これだけ広い部屋を一人で掃除するのは大変そうだな。とはいえ、手を付けない訳には行かないので、早速掃除を始める事にした。
「それにしても、主人がまだ帰ってきていないのに、ジークさんの裁量で採用されるなんて珍しいですね。リリィさんはどうやって採用されたのですか?」
 それを聞かれて、私は返答に詰まった。
 さすがに、自分は元々娼婦でありジークからストレスと性欲の捌け口として買収されたと正直に話す事は出来なかった。だから、嘘を吐くしかなかった。
「えっとね、実は以前働いていた食堂が潰れて、次の仕事を探していた時に、ジークさんから良い仕事があるとスカウトされたのです」
「あのジークさんがですか?」
「そうそう。こんな私にも仕事を提供してくれるなんて、まさに恩人です」
 自分を虐める執事を持ち上げていて、何だかむなしくなってきた。
 それを聞いて、エドさんは満面の笑みを浮かべた。
「そうなのですか。やっぱり良い人ですよね、ジークさんは」
 と言った。それを見て、私の中で罪悪感が生まれた。
「そういう、エドさんもジークさんから恩があるのですか?」
「はい。意外かもしれませんけど、実は名家の生まれなのです」
「えぇっ?!」
 それを聞いて、私は驚いた。エドさんがそんな凄い所の生まれだったなんて!」
「そ、それ本当なの?」
「はい。と言っても、地位は男爵レベルで、そこまで有名な家柄ではなかったのですけどね。でも、父が事業に失敗して家が没落して路頭に迷っていたところを、今のご主人様に拾われて、ジェンド家の下僕として雇ってくれたんです」
「そうなんだ。それで、ジークさんとはいつ知り合ったの?」
「僕が使用人として雇われた時ですね。でも、僕はあまり要領が良くないし、この手の仕事は全く経験がありませんでしたから、最初は失敗ばかりでしたね。掃除に使うバケツをこぼして床を水浸しにしたり高価な絵画を落っことしたりして、大変でしたね。でも、ジークさんがいつもフォローしてくれていたので、本当に感謝しています。彼がいなければ僕はとっくにクビになっていましたね」
 そうなんだ。エドさんはジークさんから色々とお世話になっているから、まさに彼は恩人なんだ。
「でも、今日のジークさんは変でしたね」
「えっ?」
「さっき、ジークさんに仕事の相談をしようと、彼の部屋を訪れていたのですけど、ドアを開けたら縄で縛られた全裸の女性が宙吊りになっていたのですよ。あまりにも刺激が強すぎてすぐに逃げちゃいました」
 それを聞いて、私の背中に悪寒が走った。
 もしかして、さっき部屋を覗いていたのはエドさんだったの?
「ま、まさか、その事は他の使用人に相談したの?」
「いえ、それはまだ誰にも言ってないですけど……」
 それを聞いて、私は安堵の息を漏らした。
 良かった。もし、あんな事が知れ渡ったら、他の使用人からどんな目で見られるか分からないもの。
「それにしても、あれは一体何だったのでしょうか?」
 エドさんの呟きを聞いて、私の額から冷や汗が流れた。
「あっ、そ、それは……多分、泥棒を懲らしめていたんじゃないかな?」
「泥棒ですか?」
「そ、そうだよ。この家って凄いお金持ちだから、よく泥棒や強盗から狙われるでしょ。だから、ジークさんが二度と悪さをしない様にと泥棒を懲らしめていたんじゃないかな?」
 私は必死で誤魔化すと、彼は「なるほど、さすがジークさんだな」と感心した。
 純粋なエドさんに、私がジークから娼婦として色々とエッチで酷い事をさせられている事がバレたら、絶対に軽蔑されちゃうよ。自分が尊敬している人を悪く言われるのは嫌だろうし。
 でも、エドさん。君が尊敬している人は、本当は悪魔の様な男ですよ。完全に騙されていますよと伝えたい。

 ハウスキーパーのダリアさんから事前に掃除の説明を受けた通り、まずははたきでカーテンの埃を払っていく。
 埃は上から下に移動する。だから、最初に埃を落とした後、最後にモップで拭き取るのだと言う。
 とはいえ、カーテンはあまりにも高く、私の背丈では届かないので、カーテンに埃が付かない様に、カーテンを開けた後、事前に倉庫から持って来た椅子に登って、掃除を行う事にした。
 埃を払う度に椅子を少しずつずらして移動しなければいけないのが面倒だ。ジークの様に、背が高い人ならこんな物を使わなくても済むんだろうけど。
 そう思いながら、埃を叩いていた時である。
「キャアッ!」
 私はバランスを崩して、大きな音を立てながら椅子から倒れ落ちてしまった。
 仰向けに倒れて、背中を強く撃った私はどうにか身体を起こすと、さっきの音を聞きつけて来たのか、向こうから走る音がこちらに近付いて来る。マズイ、現場を見られたら何か言われるかもしれない。私は、慌てて身体を起こそうとした時に、一人の使用人がドアを開けた。
「さっき、ジークさんに仕事の相談をしようと、彼の部屋を訪れていたのですけど、ドアを開けたら縄で縛られた全裸の女性が宙吊りになっていたのですよ。あまりにも刺激が強すぎてすぐに逃げちゃいました」
 それを聞いて、私の背中に悪寒が走った。
 もしかして、さっき、部屋をのぞいていたのはエドさんだったの?
「大丈夫ですか?!」
 恐る恐る振り返ると、そこにいたのは悪魔執事……かと思いきや、先程挨拶した下僕・エドワード・ユフェンだった。
「あっ、大丈夫です。ちょっと、バランスを崩して倒れただけなので……」
 私はエドさんを心配させない様に大丈夫さをアピールしようとして、身体を動かそうとしたが、
「痛っ!」
 身体中に痛みが走り、その場に座り込んでしまった。
「全然、大丈夫じゃないでしょ。ホラ、痛い所を見せてください」
 エドさんはそう言って、半ば強引に私のメイド服を脱がせようとした。
「あっ……」
 エドさんが声を漏らした。
「どうしたのですか?」
 私がエドさんに尋ねると、彼は私の首を指差した。
「首に何か腫れた様な跡が残っていますけど、これは何ですか?」
「えっ?」
 それを聞いて、私はエドさんから一歩後ずさんでしまった。
 鏡が無いので確かめる事は出来ないけど、多分先程ジークから、緊縛プレイを受けたから、縄や鞭の痕が未だに残っているんだ。
 こんなものをエドさんに知られたら、間違いなくドン引きされてしまう。
「あっ、だ、大丈夫です。ちょっと、怪我をしただけなので……」
「そうなのですか? だったら、きちんと見てもらった方が良いと思いますけど」
「これくらい、唾を付ければ治るから!」
「そんな、もう子供じゃないのですから無理はしない方が良いですよ」
 エドさんがそう言って、私の左肩に触れると、
「痛っ!」
 傷口に触れられて、私は小さな悲鳴を上げてしまった。
 あの後、痛み止めの薬を塗ってもらったけど、それでも未だにヒリヒリとした痛みは残っていた。もしかしたら、今の事故で先程の痛みがぶり返してきたのかもしれない。
 それを見て、エドさんは私の服の左肩の部分をめくった。そこには、先程の鞭で痛めつけられた痕が残っていた。
「……この傷、まさか」
 ミミズ腫れした傷にエドさんは呆然とした。そして、ハッと気づかれてしまった。
「もしかして、ジークさんから鞭で撃たれていた泥棒って……」
 エドさんは、血の気を引きながら尋ねた。
「ご、ごめんなさい! きちんと本当の事を話しますから、警察に通報するのだけは止めてください!」
 ここまで来たら、もう隠し通す事は出来なかった。
 私は観念して、自分が屋敷に来た経緯を含めて本当の事を全て打ち明けた。

 正直、エドさんが信じてくれるのかどうか不安だったが、意外にもエドさんは
 私が本当は娼婦である事、エドさんが尊敬しているジークに買収されて彼からストレスの捌け口として虐げられている事を話しても信じてもらえるかどうか不安だったけど、意外にもエドさんは私の話をきちんと最後まで聞いてくれた。
 本来なら嫌われたり軽蔑されたりしてもおかしくないけど、ちゃんと話を聴いてくれるのはありがたい。
 その後、エドさんはダリアさんに、私が掃除中事故で怪我をした事を伝えると、私はエドさんの部屋で、傷薬を塗ってもらう事になった。

「それじゃあ、今から薬を塗りますから服を脱がせてください」
「良いですけど、服を脱ぐってまさか……」
 エドさんの言葉に、両腕で胸を隠す私に彼はハッと気づき。
「あっ、恥ずかしかったら下着は着たままでも結構です」
 人前で服を脱ぐのは恥ずかしいけど、娼館の仕事で多少の免疫は付いたし、エドさんからは下心や悪意は全く感じられなかった。
 少なくとも彼ならジークと違って薬を塗っている最中に厭らしい事は仕掛けてこないだろう。
 なので、私は下着を含めて服を全て脱いだ。実際、胸やアソコも傷だらけだし。
 全身に隈なく刻まれた縄と鞭の痕が何とも痛々しい。こんなものを見せたら、大抵の人は卒倒されてもおかしくないけど、エドさんは驚きつつも指で薬を掬った。
「それじゃあ、今から塗りますよ。薬が沁みて痛いかもしれませんけど、我慢してくださいね」
 そう言うと、エドさんは私の背中に、傷薬を塗った。
「うぅっ……」
 薬が傷口に沁み込み、私は声を漏らした。
「あっ、ごめんなさい。少し沁みましたか?」
「だ、大丈夫です。気にしないで」
 私が声を掛けると、エドさんは「はい」と言った。
 エドさんは、あの執事なんかと比べて丁寧に塗ってくれるので、少しだけ心地良い。本来なら、沁み込んだ際に感じる痛みも、少しだけ和らいでいる気がする。
「前の方も塗りましょうか」
「はい」
 本来なら自分でやった方が良いのだけど、薬が全身に沁みて身体を動かす事が難しいので、エドさんにやってもらう事にした。
「あぁっ……」
 胸に薬を塗りたぐられていく最中、何だか不思議な気持ちになった。何というか痛みの中でも何だか痺れる甘美を感じてしまう。
 そんな趣味は今まで全く無かったのに。これはきっと、エドさんが私を懸命に看病してくれているからなのだろう。
 さすがに、あの執事から痛みを快楽として感じる様に刷り込まれてしまったなんて事はないだろう。

「ふぅ……これで、とりあえずは安心かな」
 薬を塗った後、身体を包帯で巻き終わると、エドさんは大きく一息を吐いた。おかげで痛みはすっかり引いた。
 目を覆いたくなる程に痛ましい傷痕をエドさんは、拒絶する事無く最後まで優しく治療してくれた。
「ありがとうございます、包帯まで巻いてくれて」
「いえ、これくらいの事は大した事ないです」
 エドさんは爽やかな笑顔で謙遜を言った。
「それにしても、私がジークさんの事を話しても、エドさんは全く嫌な顔はしませんでしたね。エドさんはジークさんの事を尊敬しているから、こんな事を言ったら嫌われるかもしれないと思いましたけど」
「まぁ、ジークさんがそんな事をしていると聞いた時は驚きましたけど、やっぱりあの人も相当なストレスを抱え込んでいたんだなと思いましたから」
「やっぱりって、どういう事?」
 すると、エドさんは少し戸惑いつつも口を開いた。
「自分の主人を悪く言うのはとても失礼な事なのですけど……実はウチの主人は外面こそ良いのですけど、屋敷では非常に傲慢不遜で物凄く人使いが荒いのですよねぇ。僕が屋敷に入ってから、辞めて行った使用人がざっと十人を超えています」
「じゅ、十人も?!」
 それはあまりにも酷過ぎる。というか、それって完全にパワハラだと問題になるよね。
「そうなんです。例えばテーブルセッティングの際、フォークとナイフの位置が入れ替わっていただけで、即クビになった人もいました」
「それだけで、クビって厳しすぎないですか?!」
「確かに厳しいですけど、他の家でも同じ様な理由で解雇されたケースは少なくないですよ。使用人がちょっと口答えしただけでご主人様が機嫌を損ねてしまって、即追い出された人もいました。もちろん、パワハラに耐えかねて夜逃げ同然で逃げ出した使用人もいると聞いています」
 それを聞いて、私は驚きのあまり声も出なかった。そんな事でクビにされていたら、幾ら人手があっても足りないだろう。
 というか、そこまで大勢の人が辞めていったら、さすがに問題になるんじゃないのかな?
「それでも、皆さん生活や家族の為に必死なので、簡単に辞める事は出来ないというのが現状なのですよね。僕達の様な使用人なんて、雇い主からすれば所詮使い捨ての存在ですから」
 そんな事を口にするエドさんは、物憂げながらも既に悟っている様子だったけど、それでも私としては簡単に受け入れる事が出来なかった。
 いくら私達が使用人だからと言って、上の人間が下の人間を物みたいにこき扱って使い捨てるのは間違っているよ。
「それでも、ジークさんはとても立派な方ですよ。主人からどんな命令や無茶振りをされても完璧にこなしてしまうのですから。まさに超人です。僕も今まで、ジークさんから何度もフォローしてもらって助かっているので、今でもこの屋敷で働けていますけど、もしジークさんがいなかったら僕もとっくにクビになっていたかもしれませんね」
 なるほど……ジークが言っていたストレスとはそういう事なのか。屋敷の主人にはまだ会った事はないけど、あんな酷い扱いを受けていたら大変だと思う。私なら速攻で逃げてしまっていたに違いない。もちろん、裸足で。
 エドさんの話を聞いて、私もジークにほんの少し同情してしまった。
「でも、そんなジークさんを支えているリリィさんも本当に立派だと思いますよ」
「立派って……あれは単に私を虐めて楽しんでいるだけだから」
 私は苦笑しながら謙遜した。
「そうでも無いと思いますよ」
「えっ、どうして?」
「ジークさんは、普段は完璧な執事として動いていますけど、何というか、時折寂しげというか、憂い気がある気がするんです」
「憂い気……?」
「ジークさんは、他の使用人に対しても対等で分け隔てなく接しているのですけど、何というか、他人に対して心を許していない気がするんです。やっぱりあんな事があったのかな……?」
「あんな事って?」
 それを聞いて、エドさんは
「ご、ごめんなさい。この話をリリィさんに打ち明けるには、まだ早いですから」
 と上手くかわされてしまった。
「でも、もしリリィさんに困った事や辛い事があったら、いつでも僕に相談してくださいね」
 エドさんの優しい微笑みを見て、私は温かい気持ちになった。
 ジークからの買収とメイドの仕事で不安だったけど、頼れる仲間が出来て私は安心した。人生決して辛い事ばかりじゃないんだな。

 エドさんからの治療を終えた後、特に滞りなく掃除をこなし、その後も特にトラブルに見舞われる事なく仕事初日を終えた。
「ふぅ、やっと終わったー」
 自分の部屋に戻ると、私は寝間着に着替えず自分のベッドにばたんと倒れ込んだ。
 メイドとして住み込みで仕事をする事になったので、ジークが部屋を用意してくれたのである。
 本来は二人部屋なのだが、現在使っているのは私一人しかいない。きっと、私がジークに買われているという事がバレないが為の対策なのだろう。
 使用人の間だけならともかく、主人や近所に知られるのは困ると言っていたし。
 そんな時、ドアのノック音が聞こえた。
「どうぞ」
 そう言うと、ジークが入って来た。
「仕事初日、お疲れ様でした」
 ジークが労いの挨拶をしながらお辞儀した。中身は最悪だけど、礼儀はきちんとしている。
「初めてのメイドの仕事はどうでしたか?」
「まぁ、意外と大変だったけど、どうにかやれそうかな。屋敷の中が豪勢である事を除けば、何とかやれると思う」
「それは良かったですね」
 ジークは満足気な笑みを浮かべた。
「ところで、ダリアさんから聞きましたけど、あなた、掃除中に椅子から倒れて怪我をしたそうですね」
「はい。でも、あの後でエドさんから傷薬を塗ってもらったので、もう大丈夫です」
 それを聞いて、ジークは何やら不満げな表情になった。
「まさか、その時にあの傷も見せたのですか?」
「当然ですよ。誰かさんが私を縄で縛って宙吊りにした状態で鞭を撃ったせいで、その時の傷痕もバッチリと見せる破目になりましたから。もちろん、エドさんはその時の手当てもちゃーんとしてくれましたよ」
 朝のオシオキの仕返しとばかりに、嫌味を言ってやった。
 それを聞いて、ジークは気に入らないと言わんばかりに黒い雰囲気が立ち込め始めた。
「ほぅ、手当てですか……」
「そうですよ。痛み止めでは全く効果が無かったので」
 ここぞとばかりに追い打ちを掛けると、ジークは静かに怒りを見せた。
「さっきから随分と攻撃的な口調で話しますね」
「そりゃ、そうですよ。エドさんはアナタと違って、優しい人でしたよ。私の話をちゃんと聞いてくれましたし、丁寧に治療もしてくれましたから」
 それを聞いて、ジークは私をベッドへ乱暴に押し倒した。
「突然押し倒して、どういうつもりなの?」
「エドについて、随分と楽しそうに話しますね」
「はは~ん、もしかして、ヤキモチですか?」
 ジークは笑みを浮かべているけど、目は完全に怒りが込められている。しかし、私に挑発されても手を上げなかった。かなり怒りを堪えているのだと思う。
 私からの口撃で彼が腹を立てた事はすぐに分かり、押し倒されているにも関わらず不思議と恐怖は湧いてこなかった。
「押し倒されているにも関わらず、減らず口が叩けるとは良い度胸ですね。ですが、これ以上生意気な口を叩くと、私はたとえ女性が相手でも容赦しませんよ」
「容赦しないって、アンタは私の彼氏じゃなくて買い主でしょ! 娼婦が他の人の傍にいて何が悪いのですか?」
 買い主と娼婦の関係である以上、たとえ私が他の男と恋仲になろうとモラルには反しない。彼氏でもない男の嫉妬に構っている暇は毛頭無い。
「ほぅ……そこまで言うなら、こちらにも考えがありますよ」
 そう言って執事は私の服を強引に捲し上げた。そして、私の首筋に乱暴に噛みついて来た。
「痛っ!」
 殴られたり引っ叩かれたりする事は覚悟していたけど、まさか首筋に噛みついてくるなんて。
「ちょっと、どこを噛みついて来るの! 離して!」
 私はジークを突き離そうと暴れるが、彼は私の首筋に噛みついたまま離れようとしなかった。
 その時である。
「リリィさん、どうしましたか?!」
 先程の声を聞きつけて、エドさんが扉を開けて駆けつけて来た。
 それに気付き、ジークもすぐさま身を離した。
「あっ、エドさんちょうど良かった。さっきジークから首筋を噛まれて……」
 私がエドさんに助けを求めようとしたが、エドさんは私を見て呆然としていた。
「あ、あの……リリィさん……?」
「どうしたのですか? エドさん」
 私がエドさんに尋ねると、彼は
「ご、ごめんなさいっ!」
 エドさんは顔を真っ赤にして、そのまま走り去って行った。どうして? 困った事があったら相談に乗ると言ったのに……。
 一連のやり取りを見ていたジークさんがクスクスと笑っていた。
「ちょっと、私に何をしたのですか?」
 私がジークさんに問い詰めると、彼は無言で鏡を指差した。
 鏡を覗くと、そこには先程ジークが噛みついた箇所に唇の形をした痣が付いていた。
 私がハッと振り返ると、彼はお返しと言わんばかりのあくどい笑みで言った。
「これは、どういう事なのよ?!」
「これはあなたが私の所有物である事のアピール、いわゆる目印ですよ」
「目印ってね。アンタは娼婦に対してもそんな事をするのですか! それに、どうせ一晩寝ればすぐ消えるし……」
「そうなったら、また私が付けてさしあげますよ」
「こんな余計なもの、いらないわよ! というか、もしこんなものが他の使用人に見られたらどうするのよ。アンタが私の買い主なら、きちんと責任を持ちなさいよ!」
 すると、執事は悪びれる事も無く言った。
「今朝、言ったでしょ。『ストレス解消の為に娼婦を買った』と言えば事足りると」
「あぁ、そっか……って、それで私の評判が落ちたらどうするんですか!」
「既に、エドには打ち明けているでしょ」
「確かにそうだけど……って、何で知っているの?」
 ジークと私の関係をエドに打ち明けた事は一切話していない筈なのだけど。
「エドから治療を受けたと言ったついでに、私の事も話したのではないかと思いました。それに、あなたは嘘を吐く事は得意ではなさそうですし」
 何なのこの人、まるで今日私の身に起きた出来事を間近で見ていたかの様に話している。この人、もしかしてエスパーなの?
「それにしても、エドさんから聞きましたけどジークさんは時折何だか寂しげな雰囲気だと聞いていますよ」
「それは気のせいでしょう。彼は少し思い込みが激しくて心配性なところがありますから」
「それに、何か訳アリな過去があるとも聞きましたよ」
 それを言うと、ジークの表情に余裕が消えた。
「それもエドから聞いたのか?」
 ジークは私を睨みつけた。口調も敬語からタメ口になっている。
「はい。さすがに肝心の内容は教えてくれませんでしたけど、その様子だと図星の様ですね」
 私はしてやったりの笑みを浮かべた。
「ですが、そんな辛い過去のせいで裏表の激しいドSな性格になってしまったというのであれば、今から娼婦の私が話だけでも聞いてあげますけど」
 私がからかう様に挑発すると、ジークは
「お前には、関係の無い事だ」
 と吐き捨てて部屋を出て行った。
 扉を叩きつけるかの様に勢いよく閉めた事が、彼の怒りの強さを物語っている。
 ちょっとからかい過ぎたかもしれないと今になって反省した。
 でも、エドさんの言葉とジークの取り乱した態度。きっと何かあるのだろうけど、ジークの過去には一体何があるのか気になった。

第3話

 フェイド家のメイドになって、二日目。
 娼婦と買い主という関係を隠す為、ジークの手でフェイド家のメイドとして働く事になった私は仕事に戸惑いつつもエドさんという理解者を得て、屋敷での生活に希望の光が差し込んだかと思ったのだが、人生なかなかそう上手くは事が進まない様だ。
「ねぇ、あの子って確か……」
「昨晩、部屋に男を入れていたんだって」
「まぁ、今時の若い子ってお盛んね」
「しかも、あの子。前は娼婦だったらしいわよ」
「やだぁ、不潔よねぇ。ジークさんも、どうしてあんな女をメイドにしたのかしら?」
 裏でメイド達がこそこそと陰口を叩いているのが聞こえた。私が振り向くとすぐに目を反らして話題を変えているが、完全に私をハブっているのは分かった。
 昨夜のキスマーク事件のせいで、私は完全に職場から浮いてしまっていた。
 人の口に戸は立てられぬとは言うけど、たとえそれがデマであっても変わりは無かった。
 全ては、あの悪魔執事・ジーク・フィースのせいだ。
 しかし、事件を起こした張本人であるジークは、今も私をシカトしている。あの後で私が彼の過去をネタに挑発した事に対する怒りが未だに鎮まっていない様だ。
 さすがに、他の使用人の前では平然としているけど、やっぱり口調には今までの落ち着きが無く、少し刺が感じる。
 さすがに少しばかり言い過ぎたかなと思ったけど、元はと言えばアンタが私に悪戯した事が原因ですからね!
 それでも屋敷を追い出されなかっただけマシなのかもしれないけど、やっぱり周囲から陰口を叩かれるのは居心地が悪い。
 もしかしたら、私が自ら屋敷から出て行く事を狙っているのかもしれない。でも、私だってこんな所で挫ける訳には行かない。
 本日最初の掃除は、主人が使うトイレである。もしかしたら、先程の嫌がらせが続いているのかもしれない。とはいえ、与えられた仕事はちゃんとこなさないといけないので、とりあえず掃除をする事にした。
 使用人用とは違って、トイレは大理石を使っているのか、かなり高級感がある。セレブが使うトイレって、こんなに立派なんだな。普段から掃除が行き届いているおかげで、綺麗だし。
 狭い個室の中で、私は一人ブラシでトイレをこすった。

 どうにかトイレ掃除を終えて、トイレから出るとエドさんに遭遇した。
「あっ、エドさん……」
 私はエドさんに話し掛けた。昨晩出来事もあり、朝礼の時も何だか気まずい雰囲気で話し掛ける事すら出来なかったからな。今でも若干ぎこちない空気が漂うけど、ちゃんと事情を説明した上で謝らないと。
「ごめんなさい、昨日は驚かせてしまいまして」
「いえいえ、こちらこそ御免なさい」
 心配していたとはいえ、エドさんもあっさりと受け入れてくれた。
「でも、意外でしたよ。リリィさんに恋人がいたなんて」
「こ、恋人って……あの人とはそういう関係じゃないですから!」
「だって、胸元にキスマークを付いていましたし……」
「あれは、ジークさんが悪戯で付けただけですから!」
「良いんですよ。僕を気遣おうとして、あんな嘘を吐いたのですね」
「だから、そういうのじゃないって!」
 やっぱりこの人、ジークが言っていた通り思い込みが激しい人だな。
「それに、昨晩ジークさんが僕の部屋に入って来たんですよ」
「えぇっ?! それで、何かあったのですか?」
「『リリィと何があったのか』とか『リリィに俺の事を話さなかったのか』って問い詰めて来たんですよ。あの時は物凄く激高していたので驚きましたけど、『特に何も無いですけど』と答えたら、少しだけ落ち着きました。でも、最後に『これ以上、余計な事をするな』と怒られて、そのまま部屋を出て行きました」
 どうやら、私はあの時にパンドラの箱を開こうとしていた様だ。何か、マズイ事を聞いてしまったのかもしれない。
 実際、一人称が『私』じゃなくて『俺』になっているし。よっぽど、知られたくなかったのかな。
「どうして、あんなに怒っていたのでしょうか?」
「……実を言うと、ジークさんの過去について、尋ねようとしただけなんです。そうしたら、突然怒りを露にして『お前に関係は無い』と言われて、そのまま部屋を出て行ってしまいました」
 さすがに、それをネタに彼を挑発した事までは言えなかった。でも、エドさんの名前を出してしまったのは、ちょっとマズかったな。
「何か……変な事に巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「いえいえ、謝る必要は無いですよ。元はと言えば口を滑らせた僕が悪いのですから。でも、ジークさんがあんなに取り乱すなんて珍しいですね。普段は物腰が柔らかくて、誰にでも優しかったのに。あんな姿を見たのは初めてですよ」
「えっ?」
「あの後、ジークさんが苛立った様子で自分の部屋に入って行くところを他の使用人が目撃したんです。おまけに、今朝の朝礼の時も何だかいつもよりも落ち着きがないと言われていました。何だか近寄りがたい雰囲気があったから、話し掛ける人はいませんでしたけど、二人の間で何かあったんじゃないかと専ら噂になっています」
 それを聞いて、私は閉口せざるを得なかった。やっぱり、他の使用人からも気付かれていたんだ。
「とにかく気を付けてくださいね。多分、下手をしたら他の使用人からも狙われると思いますから」
 それを言われると、何とも言えないな。でも、こんな状況でも忠告してくれるのはありがたい。
「はい、分かりました。気を付けます」
 そう言ってエドさんと別れた。彼の姿が見えなくなると、背後から声が聞こえた。
「随分と楽しそうに、話していましたね」
 振り向くとそこにいたのは、ジークだった。未だに不機嫌な顔をしている。
「誰が悪戯でキスマークを付けたと言うのですか?」
「その言葉は、もしかして最初から聞いていたの?」
 こっそりと盗み聞きしていた様だ。
「まぁ、エドからはまだ何も聞かされていない様ですけど、興味本位で人の過去を尋ねるのは感心出来ませんね」
「過去って……少なくとも、エドさんには既に知られているみたいですけど」
「彼が私の過去をどこで聴いたのかはともかく、聞いた話が真実とは限らないでしょう」
「そうでしょうか。使用人からも今朝からあなたの様子がおかしいと噂になっていた様ですけど、普段温厚なあなたの口調に余裕が無くなっていると聞きますよ」
「そういうあなたも、先程のキスマークの件で噂になっているじゃないですか」
「あれは、あなたが付けたものでしょう」
「他の男に靡いた罰ですよ。それ以上私に文句を言うなら、また印を付けますよ」
「そんなものは、いりません!」
「ところで、トイレ掃除の方はどうでしたか?」
「はい、とりあえず掃除は終わりました」
「便器だけではなく、壁や手洗い場も全て拭きましたか?」
「とりあえず、出来るところは全てやりました。天井も椅子を持ってきてはたきで埃を取っておきました」
 それを聞いて、ジークさんは少し不満げな顔になった。やっぱり、嫌がらせが上手くいかなくて、ちょっぴり悔しい様だ。だが、すぐさま平常に戻り、次の命令を下した。
「そうですか、それだけの力があるなら次は浴室も一人で掃除してくださいね」
 この時、身体の中の血液が逆流するかと思った。

 一人で使うにはもったいない程の広さを持つ浴室を掃除し終えて、クタクタになりながらも、ようやく掃除の時間を終えた頃、時計は午後一時を回っていた。お腹が減ったので、そろそろお昼にしよう。
 使用人専用の食堂には、人がいなかった。他の使用人は、もう昼食を食べ終えている様だ。
 確か、食料庫の中にまだ材料が残っていたはずなので、それを使って料理をしてから食べよう。

 卵と野菜炒めをパパッと作ると、席に座り一人で食事を摂る。味は、まあまあだ。食堂で働いていた経験は活かされている。
 そんな時だった。
「お疲れ様」
 話し掛けられて、顔を上げると、メイド服を着た少しふくよかな中年女性――ハウスキーパーのダリア・フランソワーズさんだった。
 ダリアさんは、平民の生まれだけど、十年前に旦那さんを亡くした事がきっかけで、現在は子供達を実家の両親に預け、この屋敷に住み込みで働いている。
 独身時代に、宿屋で働いていた経験があった他、要領も良いので、ハウスキーパーにまで出世している。地位の高さでは、ジークと双璧を成している。
 それに、朗らかな性格で面倒見も良いので、使用人達からも慕われている。
 私が席に着くと、ダリアさんも席に座り、話し掛けて来た。
「リリィちゃん、屋敷の仕事はどう?」
「はい。仕事の方は上手くいけそうなんですけど、周りの人達からはちょっと……」
「まぁ、仕事上、恋愛禁止とはいえ、要求不満になるわよね」
「ジークも良い男よね。あと、エドくんも結構可愛いでしょ。あの子、凄く素直で良い子だからウチの養子にしたいわ」
「ダリアさんは、もう四人のお子さんがいるのですから、もう十分でしょ」
 そんな軽いやり取りを終えると、ダリアさんは私に質問してきた。
「ところで、一つ聴きたい事があるのだけど」
「何でしょうか?」
「ジークとは、一体どういう関係なの?」
 ダリアさんが嬉々としながら尋ねて来る。ゴシップや噂話が大好きなおばさんのノリだ。
「いえ、特に怪しい関係はありませんよ。周りの使用人さん達は私とジークさんが付き合っているのではないかと勘違いしていますけど、あれは単なるデマですよ」
 さすがに、元々ジークのストレスと性欲の捌け口として買われた事までは言えなかった。
「えぇっ、そうなの? 昨晩、ジークがあなたの部屋に入って熱~い夜を過ごしていたんじゃないかって話があったけど」
 ダリアさんは、からかう様に追い打ちを掛ける。
「そ、そんな……あれは彼の悪戯ですよ」
「それくらい可愛いらしいものじゃない。男の子が女の子に悪戯をするのは、好意があるからよ」
「あんなものが通用するのは、子供の間だけですよ。良い歳した大人が、やるものじゃないですから」
 裏で、過激なSMプレイを仕掛けて来る様な大人に、可愛げなんてありはしない。
 私の言葉に、ダリアさんは「それもそうよね」と言いつつも、少し神妙な表情になった。
「でも、あの人は昔、色々とあったみたいだからね」
「色々……って、何があったのですか?」
 ダリアさんの意味深な言葉に、私は尋ねた。
「あの子、ここに来る前は男娼だったらしいのよ」
「ぷーーーっ?!」
 その言葉を聞いて、私は思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「だ、男娼って……本当なのですか?」
 執事の意外な経歴に、私は恐る恐る尋ねた。
「まぁ、詳しい事は私も知らないけど、当時の雇い主から色々と仕込まれていたらしいわよ。見て分かると思うけど結構良い顔をしていたから、働き出してからあっという間に女性客から人気を集めて高級男娼になったらしいわ。男色家の相手をした事もあったそうよ」
 そんな事までしていたんだ。その手のテクニックやプレイが凄いのは、そうした過去があったからなんだ。そう考えると、納得がいく。
 だったら、何で娼婦の私を買収して、あんな過激な事をしていたんだろう。誰かに遣える事に嫌気が差して、誰かを支配したいという反動が起きたのかな。
「リリィちゃんだって、前の店では面倒な客に絡まれて大変だったでしょう」
 確かに、実際娼館に来た客は、仕事や家庭の不満をぶちまけたり下心丸出しでセクハラをして来たりする人達ばかりで、まともな客はほとんどいなかった。
 もちろん、この仕事をする以上、たとえ客がロクでもない人間であろうと、接客をしなければいけないという事は覚悟していたけど、それでも相手にしているうちに、だんだんとメンタル的にしんどくなっていって、遂には娼婦を辞めてしまった人達を実際に何人も見て来た。
「それにしても、どうして入ったばかりの私にジークさんの過去を話してくれたのですか? この事をジークさんが知ったら、物凄く怒ると思うのですけど」
 私からの指摘に、ダリアさんは「確かにね」と苦笑した後、悲しそうな表情に変わった。
「実を言うとね、あの子は元々親の借金返済の宛として売られたらしいのよ。親に捨てられて、子供の頃から欲望に塗れた大人の汚い一面を見てきたせいかもしれないけど、今でこそ紳士的に振る舞っていても未だに心を閉ざしている」
 私としては、そんな風には見えないけどな。まだ、付き合いが浅いからかもしれないけど、私から見れば外面は良いし物腰も柔らかい。大抵の人は、すぐに騙されると思う。実際、私も見事に騙されたし。
「リリィちゃんには想像出来ないかもしれないけど、七年前に彼が使用人として屋敷にやって来た時は、少年の割に綺麗で大人びた顔なのに、何というか少し寂しそうだった。でも、仕事はよく出来る子だったから主人や他の使用人にも認められて、あっという間に執事に出世したけど、それでも積極的に他人と関わろうとはしなかったわ」
 エドさんからも、その様な話を聞いた事があった。ダリアさんはジークよりも長く仕えているから彼との付き合いも長い。だから、彼の性格もよく理解している筈だろう。
 そして、ダリアさんは私を見つめて言った。
「でも、リリィちゃんと出会ってから、彼は何だか変わった気がするわ」
「変わった?」
「何というか、表情が柔らかくなった気がするのよ。今まではクールで平静だったけど、あんなに楽しそうな彼は初めて見た」
「楽しそうって……あの人は、単にストレスの捌け口として私を虐めて楽しんでいるだけですよ。ああいうのって、どうせしばらくしたら飽きてポイ捨てするに決まってますよ」
 エッチで過激なプレイを仕掛けて来るし、エドさんと仲良くなった事にヤキモチを妬いてくるし、こんな面倒な人と関わっていたら、メンタルが幾つあっても足りない。
 もしかしたら、今までに彼の餌食となって捨てられた娼婦だって大勢いるかもしれない。
「まぁ、確かに今までの彼と全然イメージが違うから驚くかもしれないけど、本当に弄んでいるだけだったら、昨晩でポイ捨てされてもおかしくないわよ」
「そうですか? キスマークを付けられただけでも、十分にダメージは大きかったですよ。エドさんからも恋人だと勘違いされちゃって、他の使用人からも陰口を叩かれて孤立しちゃっていますし」
 このまま私が屋敷から出て行く様に仕向けているんじゃないかと思う。
「それに、表情が豊かって……まだ、出会ってしばらくしか経ってないのに人間ってそんなに変わるものなのですか」
「そうよ。人間きっかけ一つで、案外すぐに変わるものなのよ。それに、あの人。普段は平静を装っていたから、あれだけ感情が顔に出るとすぐに分かっちゃうのよね」
 ダリアさんはクスッと笑いながら言ったけど、すぐさま真剣な表情になった。
「私があなたにジークの過去を話したのは、あなたがジークを変える存在になるかもしれないと思ったからよ」
「えっ……私がですか?」
 私があんな冷酷悪魔執事を変える存在になるだって? そんな事は、まず有り得ない。
 そんな理由があるとしたら、ストレスと性欲の発散が上手くいっているだけでしょう。
「あの人は、普段は物腰の柔らかい完璧な執事の仮面を被っているけど、中身はとても繊細で孤独だったのだと思う。その闇は私が思っている以上に深いと思う」
 真剣かつ悲痛な表情で語るダリアさんに、私は返す言葉が出なかった。
 エドさんからも、ジークは時折寂しそうな顔をしていると言っていた。あの二人に言われるのだから、やっぱりジークも何かしら心の闇を抱えているのだろうか。
「でも、リリィちゃんと出会ってから彼、何だか変わった気がするわ」
「変わった?」
「何というか、表情が豊かになった気がするのよ。今まではクールで平静だったけど、心に余裕が出来た気がする。あんなに楽しそうな彼は初めて見た」
「楽しそうって……あの人は、単にストレスの捌け口として私を虐めて楽しんでいるだけですよ。ああいうのって、どうせ散々甚振ったり虐めたりした挙句、飽きたらポイ捨てするに決まっていますよ」
 エッチで過激なプレイを仕掛けて来るし、エドさんと仲良くなった事にヤキモチを妬いてくるし、こんな危険人物と関わっていたら、メンタルと身体が幾つあっても足りないよ。
 もしかしたら、今までに彼の餌食となって捨てられた娼婦だって大勢いるかもしれない。
「そうかしら。でも、もしあなたが本当に危険な目に遭ったら、必ず助けてくれると思うはずよ」
 ダリアさんは、ジークを庇っているけど、彼が助けてくれるとは思えない。寧ろ、私が危険な目に遭ってもその様子を楽しんでいると思う。あの人も、彼の危険な本性を知らないのだろう。
 なので、私は
「そうかなぁ……」
 と、溜息を吐いたのであった。

 休憩時間が終わり、午後の仕事も終えて部屋に戻ると、部屋の扉に白い封筒が挟まれてあった。部屋には鍵を掛けているし、郵便受けも無いので、封筒が挟まれても不自然ではないが。誰からの手紙なんだろう。
 封筒を取り出して、中を開けると、中には便箋があり、短い文章が書かれてあった。
『午後四時、あなたにお話したい事がありますので、必ず一人で屋敷の裏庭まで来てください。』
 送り主の名前は書かれていなかった。誰が手紙を書いたのだろう。そんな事をしなくても直接私に言えば良いのに。
 そもそも、こんな手紙を送って来た人物の心当たりが無かった。
 ジークだったら直接伝えて来るだろうし、エドさんだったら、律儀に名前も書くだろう。
 誰が何の為に書いたものなのか分からないので何とも怪しいが、四時ならまだ陽はそんなに沈んでいないので、下心を抱いた男に襲われる心配はまず無いだろう。
 そう思った私は、手紙をエプロンのポケットに閉まった。

 そして、午後四時。お茶の時間からこっそりと抜け出して、私は時間通り人気のない屋敷の裏庭にやって来た。もちろん、付き添いはいない。
 だが、肝心の送り主はいなかった。まだ、遅れているのかな。
 そう思って、送り主を待っていた時である。
「おっ、本当に時間通りに来たぜ」
「スゲーな。マジかよ」
「普通は、無視すると思ったけどな」
 向こうから声がした。しかも、一人ではない。
 誰かと思った直後、向こうから現れたのは、この屋敷の下僕三人組・ウィル、キース、アランだった。彼らの事は事前にダリアさんから聞いていた。
 三人は、仕事は出来るそうだが柄が悪く、男性の立場を利用して女性使用人にセクハラをしているらしく、メイド達からの評判が悪い。
 私も初日にダリアさんから「あの三人には気を付けて」と釘を刺されていた。何で、あんな連中がクビにならないのか、甚だ疑問である。
 私は警戒しながらも、彼らに問い詰めた。
「……もしかして、あの手紙を出したのって、あなた達?」
「そうだよ。そんな怖い顔をするなよ。俺達は、君に聴きたい事があって呼び出したんだ。本当の名前を出したら、かえって警戒されるかもしれないからさ」
 三人は、ニヤニヤと笑いながら答えた。怪しいと思ったけど、やはり騙されたか。
「こんな事をして私をこんな所に呼び出して、一体何の用なのですか?」
 すると、左にいた赤髪の男性・キースが言った。
「おいおい、そんな怖い顔で睨むなよ。俺達はお前に聴きたい事があって呼び出したんだ。室内だとダリアやジークに睨まれるかもしれないからさ」
 三人は悪びれる事無く、答えた。そして、私が口を挟む暇も無く彼らは本題に切り込んだ。
「お前、ジークの娼婦をやってるんだって」
「……えっ?」
 コイツ、何でそんな情報を知っているのよ。いや、他の使用人の間でも既に噂になっているから、彼らが知っていても当然か。
「そうだけど、そんな事を聞いてどうするつもりなんですか?」
 すると、右にいた茶髪の男・アランは「へぇ、意外と素直に認めたな」と感心した。そして、話を続けた。
「実を言うとさぁ、俺達も仕事のストレスが溜まり過ぎて、メンタルがイカれそうなんだわ」
「そうそう。おまけに、最近女の子達も相手にしてくれなくってさー、アソコもパンパンで今にも爆発しそうなんだよ。そうなったら、もうセックスが出来なくなっちゃうよ。去勢だよ」
 キースが膨らんだ股間に手を置きながら言った。最後の言葉の意味が全く分からない。
「リリィちゃんって、前の職場では娼婦だったんだろ。だったらさ、俺達の相手をする事くらい余裕だろ」
 ウィルが手を伸ばして、私の頬に触れようとしたが、当然私はそれを強く振り払った。
「申し訳ございませんが、私は下衆な連中との性的サービスは一切受け付けておりませんので、他を当たってください」
 毅然とした態度でハッキリと告げて、私は駆け足でその場を立ち去ろうとしたが、
「おい、逃げる気かよ」
 ウィルが私の手を乱暴に掴んだ。やはり、そう簡単に引き下がってはくれなかったか。
「てめぇ、娼婦の分際で生意気な態度を取るとは良い度胸だな」
 断られた事に腹が立った三人組は、女性の私を強く睨みつけた。どうやら、本気で怒らせてしまった様だ。
 そして、私が「離して」と抵抗しようとしたが、三人は私を壁に押し倒した。
 さすがに、素手の取っ組み合いで女一人が男三人を相手に敵う訳が無かった。
「俺達を舐めると、どうなるか思い知らせてやる!」
 そう言って、三人は激しい怒りを露にして私の方に手を伸ばし、服の胸元を乱暴に引きちぎった。下着に包まれた胸が奴らに晒された。
「おーっ、意外とスタイル良いじゃねぇかよ」
「おっぱいの形、キレーじゃん!」
「すぐ、気持ち良―くしてやるからよ!」
 私の身体を目の前にして、興奮する雄猿達。
「ちょっと、やめてください!」
「るせぇ! 娼婦の癖に抵抗すんじゃねぇ!」
 激昂したウィルは、反抗する私を黙らせようと拳を構えた。
 もう駄目だ。私は恐怖のあまり、強く目を閉じた。
「いててててててて……何するんだよ!」
 目の前が真っ暗になった瞬間、ウィルの悲鳴が聞こえた。誰かにやられている様だが、一体何が起こったのだろうか。
 恐る恐る目を開けると、そこに見えたのは腕を捻りあげられたウィルの姿だった。そして、近くにいた二人は、予想外の展開に唖然としている。
 そして、最も予想外だったのは、ウィルの腕を捻り上げていたのがジークだった事である。
 かつて私が挑発して怒らせた時の鋭い目つきも凄みがあったけど、こちらは激高や威圧という言葉に近い。瞳孔が開いているから、その度合いもはっきりと分かる。
 そしてジークはウィルの足を掬い、彼を転倒させた。
「全く、三人で一人の女性を手籠めにするなんて、見苦しいですね」
 睨みつけるジークに、下僕達の顔は青ざめた。
「てめぇがそんな事言える立場かよ! お前ばっかりリリィで遊ぶなんて、ズルいぞ。コイツは娼婦なんだから、俺達が手を出したって別に良いだろう」
 アランが口答えをするが、ジークは冷静な口調で返した。
「えぇ。確かに、彼女は娼婦です。しかし、彼女はあくまで私の専属として既に買収しています。ですから、あなた達が私の許可無く勝手に彼女に手を出す事は禁止です。それでも、このまま彼女に手を出すというのであれば……」
 ジークは、両手を組みながらボキボキと関節を鳴らした。
 強烈な威圧感を放つ執事を目の前にした、下僕三人組の顔は一気に青ざめて、「失礼しました!」と告げると、そそくさと走り去って行った。
「た、助かった~……」
 危機が立ち去って私とジークだけが残ると、私は安心のあまり一気に緊張が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「服は破けましたけど、身体の方はどうやら無事の様ですね」
 そう言いながら、手を差し伸べるジークに、私は「……あ、ありがとうございます」と、彼の手を受け取った。
「それで、身体の方は無事でしたか?」
「身体? 怪我は無いですけど」
「下の方もですか?」
「し、下の方って……それも無いですよ」
 恥ずかしい事まで、言わせないで欲しい。
「本当に、そうなのでしょうか?」
 首を傾げるジークに、私は「本当ですよ」と訴えた。
「では、確かめさせてください」
 そう言って、彼は妖しい笑みを浮かべながら抵抗する私の服を脱がした。昼前であるにも関わらず、服を脱がされるなんて。
「ちょっと、止めて……」
「ダメです。人を心配させたのですから、あなたにもオシオキでもあるのです」
「それは、あなたが意地悪ばかりするから」
「人に迷惑を掛けておいて、その態度ですか。これ以上、逆らうとさっきの三人を呼んで輪姦しますよ」
「そ、それも……勘弁してください」
 私の羞恥心もお構いなしに、彼は乳房を手で優しくマッサージをする。
「あっ……ちょっと、やめてぇ……」
 触れられて喘ぐ私に、ジークがモノを入れてきた。
「ダメですよ。人を心配させた癖に抵抗するなんて」
 責められているにも関わらず、
「あぁっ……」
 最初に入れられた時と違う気がした。中に太いものがギチギチと入って行く。屋敷に来た初日も入れられたけど、前よりも大きい。
「い……痛いっ……!」
「痛い? あなたがやらかした事と比べたら、このくらい軽いものですよ」
 一定の行為を終えると、ジークは身体を離した。
「――どうやら、下の方も無事だった様ですね。感じやすくなっていますし。していない証拠です」
「そもそも、そんな事で分かるものなのですか?」
 ジークの笑みには安堵が見えた。
「もし、あなたが本当に彼らに犯されていたら、抱いた時にすぐ分かりますから」
 マジで?! そんな事で、すぐ分かるものなの? でも、やられた直後なら多分分かるかもしれない。少なくとも、彼なら出来そうな気がする。
「それにしても、どうしてここにいると分かったのですか?」
「実を言いますと、ダリアさんからリリィがウィル達から呼び出されたと言われたのですよ」
「えぇっ?! どうして、そんな事をリリィさんが知っているの?」
「ウィルがあなたの部屋に手紙を入れるところを目撃したそうです。最初は、他の男からの呼び出しと聞いて腹が立ったので見捨てようかと思いましたけど、ダリアさんに言われましたよ。リリィが彼らに襲われても良いのかと。それを聞いて、いてもたってもいられなくなって、屋敷中を隈なく探し回りましたよ」
 まさか、私なんかの為に心配してここまで探して来ていたなんて。
 今まで、ジークをどうしようもない最低ドSで悪魔の様な男だと思っていたけど、本当は優しい人なんだな。
「それに、せっかく買った商品が他の男に抱かれるのは、一番不愉快ですから」
 それが一番の理由ですか!
 私は心の中で、思わずツッコミを入れた。
「何よ、せっかく助けに来てくれたと思ったのに、そんな言い方はないんじゃないの?」
「助ける? 私は商品を穢す輩を退治にしただけです。主人との契約を放棄して、名前も顔も知らない男に付いて行ってしまう様な娼婦を助ける程、私もお人好しではありませんよ」
 それを聞いて、怒りが込み上げてきた。確かに、付いて行った私にも非はあるけど、そこまで酷い事を言う必要は無いじゃない。
「だったら、代わりの子を選べば良いでしょ! 私だって、幾ら買収されたからと言って、アンタみたいな男を相手にするだけの余裕は無いわよ! 散々、酷い事ばかりするから、逃げられるんじゃない! あれだけ酷い事をされていたら、身が持たないわよ!」
 助けられて少しは見直したのに、商品を穢す輩を退治しただけとか、他の男に抱かれるのは不愉快とか言われても、ちっとも嬉しくない。
 こんな男にときめいた自分がバカみたいに思えて来て、泣きたくなってきた。
 こんな事なら、アイツらに犯された方がマシだ。いっそ、このままクビにしてほしいとすら思った。
 それを見て、さすがのジークも戸惑いを見せた。
 そして、彼は深く溜息を吐いた後、私の頭をポンと優しく手を置いて、告げた。
「分かりましたよ」
「えっ?」
 まさかの言葉に、私の涙はピタリと止んだ。
「今までの非礼な振る舞い、誠に申し訳ございませんでした」
「えっ? えぇっ?!」
 突然、掌を変えたかの様な振る舞いに、私は戸惑った。
「ちょっと、泣き出しからと言って、突然掌を返さなくても……もしかして、何か企んでいるの?」
「いえいえ、今回の件で、あんまり奴隷を虐めてばかりだと裏切られたり噛みつかれたりしてしまう事が分かりました。ですので、お詫びの印と仲直りの記念にデートをしてあげますよ」
「本当に?」
「とはいえ、すぐには無理ですから、今度の休みに二人でどこかに出掛けましょう」
 まさかのデートのお誘いに、私は眉を顰めた。
「デートをしてあげるって、何だか虫の良い事を言っているけど、それ……ただの機嫌取りよね」
 今まで散々酷い目に遭わせてきた奴が急に優しくなると、腹に一物を抱えているんじゃないかと勘繰ってしまう。
 すると、ジークが困った様な笑みを浮かべながら尋ねてきた。
「それなら、デートは止めにしますか?」
「……行きたいです」
 こうして、私はジークと仲直りの記念としてデートをする事になったのであった。

第4話

 ジークが今まで散々私を虐めたお詫びの印と仲直りの記念として、彼からデートの約束を受けた。
 あの悪魔執事からのデートのお誘いに、当初は裏があるのではないかと勘繰ったけど、やっぱり取り消す訳にもいかず、つい了承してしまった。
 せっかくのお誘いをフイにするのは、何だかもったいない気がしたからだ。悔しいけど、あの時の顔は、死ぬほど素敵だったし……。
 とはいえ、さすがに仕事をサボって出掛ける訳にもいかないので、月に一度だけ訪れる貴重な休日に出掛ける事になり、私はその日を待ち詫びていた。

 ちなみに、あの事件の後、私とジークの関係は、職場の皆には知れ渡っている。
 事件の翌日、ジークが朝礼で私との関係をカミングアウトしたからである。
「今回は皆さんの間で、噂になっている件について、お話ししたいと思います」
 そう前置きした上で、ジークは事の真相を話し始めた。
「先日の件で私とリリィの関係が噂になっていますが、実を言いますと、私は十日程前からリリィ・ヴァリーを私の専属娼婦として買収していました」
 この衝撃的な発言を聞いた瞬間、私を含め皆は一斉に、ざわついた。だが、彼はすかさず「騒いではいけませんよ」と手を叩き、周りを静めた。
「既に、お察しの方もいるかと思われますが、彼女は元々生活の為に庶民を相手にする娼婦として働いていましたが、私のストレス解消の為に専属娼婦として買収したのです。当初は、色々なプレイを仕掛けて十分に楽しませてもらいました」
 それを聞いて、周囲は「出会いのきっかけは?」「今まで、どんな事をやったの?」「どこに惹かれたの?」と、興味津々に聞いてきた。
 私がいる前で、そんなぶしつけな事を聞かないで欲しい。恥ずかしいから。
 でも、彼は爽やかな笑顔で。
「それをここで言ったら、皆さんが卒倒して仕事に支障が出てしまいますので、ここで申し上げる事は出来ません。でも、虐めた時の彼女の反応は非常にエロくて良かったという事だけは伝えておきましょう」
 と、かわした。エロくて良かったという事だけって、それでも十分な破壊力だよ。
 周りの人達も、「おーっ!」と感嘆の声を上げちゃっているし。本当に止めて欲しい。
「じゃあ、俺達も一緒にやっても良い?」
「僕もやりたーい!」
「ジークさんだけ、ズルイですよ!」
「じゃあ、せめて見るだけでも……」
 ジークの話を聞いて、興味を持った下僕が乗っかって来た。
「おっと、それはダメですよ。彼女は既に私の専属娼婦として買収しているのですから、他の人が手出しをするのは厳禁です。彼女が絶頂を感じた時の顔を他の誰かに見せるのは、もったいないですから。もし勝手に彼女に手を出したら、この私が承知しませんからね」
 ジークの笑顔から強烈な威圧感が放たれて、先程までジークの話に興奮していた下僕は、一気に震え上がった。
「でも、今まで皆さんに隠していたお詫びも兼ねて特別に、彼女のエロい表情を皆様に見せるくらいなら、よろしいかなと……」
「それは、無理です!」
 人前で、そういうプレイを見せつけようとするなんて、一体どういう神経をしているの?! あんな事されたら、一生部屋に引き篭もらざるをえないよ。
「冗談ですよ」
「ちょっと、それ以上言うと恥ずかしくなるから、止めてくださいよ」
 暴露話で盛り上がる中、耐えきれなくなった私が止めようとした瞬間、彼はすかさず言った。
「ですが、彼女が私の娼婦にしたおかげで、今の生活が楽しくなりました。彼女、何かとトラブルに巻き込まれやすい体質である様ですけど、それを差し引いても彼女と一緒にいると、賑やかでとても楽しいですね。ただ、あんまり乱暴に扱うと、噛みつかれてしまいますが、彼女の存在は今や私にとってかけがえの無いものとなっております。今の私がこうして仕事に取り組めるのも全て彼女のおかげです」
 それを聞いて、皆はしんと静まった。
 そして、ダリアさんがニヤリと笑いながら尋ねた。
「それで、本当のところリリィちゃんの事はどう思っているの?」
 少し意地悪な質問をされて、ジークさんは、
「はい。彼女は、とても素敵な女性だと思っています。だって、彼女はこの私を退屈させませんから」
 恥じらう事なく笑顔で口にした彼の言葉に、私は顔から火が出そうになり、現場は騒然となった。
 この人には、羞恥心というものが無いの? 大勢の前で言われる側としては、物凄く恥ずかしいんですけど。
 それを聞いた周囲は、ヒューヒューと指笛を鳴らしながら、私とジークを冷やかし交じりの祝福を送ったのであった。
 それ以降も使用人達から、「今まで、どんなプレイをしてきたの?」「どこまで進んだの?」「乳首が感じやすいって本当?」と、からかい半分で尋ねられる様になったけど、ジークからSMプレイをされる事は無くなったし、陰口を叩かれて孤立したり襲われそうになったりした時と比べれば、まだマシと思う事にした。そうしないと、やっていられない。

 そんな中で、迎えたデート当日。天気は雲一つない快晴となった。昨日は雨が降っていて不安だったけど、まるでそれは幻であったと思える程の青空である。
 私は、娼館から使っていた桃色のワンピースを着て、姿見の前に立っていた。この洋服を着るのは、久しぶりだ。せっかくのデートなのだから、これくらいのおめかしは必要だろう。
 それにしても、今回のデートは、一体どこに連れて行ってくれるのかな。
 間違っても、怪しいホテルでエッチな事をさせられる……という展開が無い事を祈ろう。

「ようやく、準備が終わった様ですね」
 屋敷から出ると、玄関で待っていたのはジークだった。
 今日は彼も休日という事で、代わりの指揮をダリアさんに任せている。
 彼は、白のブラウスに紺のジャケットを羽織り、群青色のズボンを着ている。そこへ、黒革の手提げ鞄を提げている。
「どうしましたか? 服に何か埃が付いていますか?」
「……いえ、普段は執事服を着ていたから……何だかギャップがあるなって」
「言われてみれば、そうですね。もしかして、私の私服に見惚れていましたか」
 ジークは悪戯気に微笑んだ。この人、最初から分かっていて尋ねたな。
 見惚れていたのは、認めるけど。
「でも、あなたのワンピースも似合っていますよ」
「えぇっ、本当に?」
「えぇ。馬子にも衣裳とは、まさにこの様な事を言いますね」
「それ、嫌味で言っているの?」
 褒められて嬉しかったのに、いつも余計な一言多いな。
「ところで、肝心のデートの場所はどこなの?」
「屋敷の近くに、セリーナ通りがあります」
「あそこを選んだんだ」
 セリーナ通りは、華やかな街並みと評判の通りで、デートの定番スポットである。
 それだけではなく、街道にはおしゃれな店やレストランが立ち並んでいるので、セレブや観光客も数多く訪れている。
 私は名前こそ聞いた事はあるけど、実際にそこまで足を伸ばした事は無い。その為、一度で良いから行ってみたいと思っていたのだけど、それがまさか実現するなんて。
「それで、何をする予定かは決めてあるの?」
「いえ、特には。あそこで、あなたが行きたい店に行ってください。私はあなたと一緒に着いて行きますから」
「でも、私はあそこに行った事は一度も無いのよ。そんなので大丈夫?」
「もし、どこに行こうか迷う様なら、私がオススメの場所に案内して差し上げますよ」
 まるで、ガイドさんみたいな事を言うな。きっと、以前にも行った事があって店の事もきちんと把握しているだろう。
「それで、手持ちのお金は大丈夫なの?」
「はい。今回の為に余分に持ってきましたので安心してください。今日は思う存分に楽しみましょう。あなたは、娼婦ではなくお姫様として振る舞って結構です」
 それを聞いていると、とても楽しみだな。今日は、何だかとても素敵な思い出になりそうな気がする。
 そんな思いを馳せながら、私はジークと共に徒歩でセリーナ通りに向かったのであった。

「うわー、凄い賑わっている!」
 歩く事約十五分。目に入った瞬間、私は感嘆の声を上げた。
 セリーナ通りは、活気に満ち溢れていて、おしゃれな店が立ち並んでいた。そして、午前中であるにも関わらず、腕を組みながら歩くカップルも目に付いた。
 さすが、デートの定番スポットと言われるだけの事はある。
 そして広場では、ピエロが子供達に風船を渡して喜ばせていた。
 しかも、おしゃれな服を着た人達が歩いている。もしかしたら、ここにいる人達は全員、お金持ちの人間なのかもしれない。
「そうですね。この辺りは、セレブがよく来ますし、貴族がお忍びでやって来る事も多いそうですよ」
「本当に?」
「はい。この通りには、老舗のブランドショップやセレブ御用達の人気店があります」
 そんなに凄い所なんだ。こんなに華やかな場所にいたら、私なんか雰囲気に飲み込まれて動揺してしまいそうである。
「あと、ウチの主人が経営している店もあります」
「えっ、そうなの? だったら、せっかくの機会だし、その宝飾店に行ってみたいのだけど、大丈夫?」
 その質問に、ジークは温厚な笑みを浮かべながら答えた。
「えぇ、構いませんよ。今日のあなたは娼婦や性奴隷でいる必要は無いのですから」
 この時、心を射抜かれたとは、まさにこういう事なのかと実感した。

「これが、ご主人様が経営しているブランド店ですか?」
「はい、そうです。当店では、ルースの宝石を始め、アクセサリーも販売しております」
 最初に訪れたのは、ジェンド家の当主が経営しているという宝飾店・ジェンドジュエリーである。
 上述の通り、この店は高級な宝石を取り扱っている他、当店限定のアクセサリーブランド・フローラルレディがある。こちらは花と宝石をあしらった芸術的で緻密なデザインで、幅広い世代の女性から人気を集め、貴族やセレブの間でも愛用者が多い。
 店の名前は、前々から聞いた事はあるけど、実際に訪れた事は一度も無かったけど、実際に店に入って商品を見てみると、
 ショーケースに並んだアクセサリーには、大粒の宝石を使ったペンダントや蝶を模したブローチがある。
 どれもキラキラと輝いていて、目移りしてしまいそう。
「お気に召した様で光栄です。それで、どれにしますか?」
「これなんかは、どうですか?」
 ジークが指差したのは、チョーカーだった。白い革のベルトに鈴蘭の花を模した飾りが目を惹く。
「それ、もしかして私の首に付ける為の首輪じゃないでしょうねぇ?」
 若干趣味の悪いセレクトに訝しんだ私にジークは、
「とんでもございません。鈴蘭は、あなたにピッタリの花じゃないですか。あなたの名前も、その花から取ったものなのでしょう」
「そうだよ。色々とあって名前負けしちゃったけど」
 自虐的な苦笑いを浮かべながら言った。
 鈴蘭――英訳:lily of the valley。
 子供の頃、両親から自分の名前の由来を聞いた際、鈴蘭の花言葉を教えてもらった。何でも、純粋という意味があるそうだ。
 純粋な子に育って欲しいという意味を込めて名付けたのだそうだ。
 でも、娼婦になった時に、その純粋さは捨て去ってしまった。生きる為とはいえ、せっかく思いを込めて名前を付けてくれた両親には、申し訳ない事をしてしまった。
「そんなに自虐するものではありませんよ」
「えっ?」
「穢れを知らずに育った純粋なだけの大人は、弱くて脆いだけです。些細な事で傷付いたり壊れたりしてしまう様では、使い物になりませんよ。たとえ、醜くても穢れても逞しく前へ進み続けられるだけの強さを持っている人の方が十分に立派だと、私は思いますよ」
「それは、自虐している私への慰め?」
「いえ、慰めではございません。鈴蘭は寒さや日陰にも強いのですよ。地面の下に茎を伸ばして、その先から毎年新しい芽を次々と出すのですから、純粋という花言葉を冠していますが、生命力は強かですよ。あなたの両親も、きっとあなたが純粋な心を持つだけではなく、社会の汚さや穢れに屈しないという願いも込めて、名付けたのだと思います」
 そんなに強い力があったとは、知らなかったけど、そう言えば、庭に咲いている鈴蘭の花も何の手入れもしていないのに、枯れる事は無かったよな。
 そう考えると、納得がいく。決して純粋さを求めている訳ではなかったんだな。
「鈴蘭をモチーフにするなら、わざわざチョーカーにしなくても良いんじゃないの? 例えば、イヤリングとかペンダントとか」
「やはり、チョーカーはお気に召しませんでしたか」
「うん。せっかく選んでくれたのに悪いけど……」
 そう言うと、ジークは少し残念そうな顔をして、チョーカーを戻した。何か、ちょっと傷つけちゃったかな。
 そして、私がふとイヤリング値段を見ると、
『500,000フラン』
「高っ!」
 まさかの高額値段に、私は思わず驚きの声を上げた。

「あーあ、せっかく良い商品が見つかったのになー」
 あの後も、様々な宝石やアクセサリーに目を輝かせたけど、どれも値段が高かったので、結局今回の購入は諦めて、店を後にした。
 どれも綺麗なデザインだったけど、やっぱり庶民が手を出すには、まだ十年早かったか。
「でも、リリィさんにも主人の店の商品を気に入ってもらえて、本当に良かったです」
「ジークも、この店を利用した事はあるの?」
「いえ、たまに仕事で訪れた事はありましたけど、自分の為に購入した事は無いですね。あまり贅沢していると、主人から嫌味を言われる事がありますので」
「嫌味?」
 すると、ジークは苦笑しながら言った。
「『お前、使用人の癖に随分と贅沢をしているじゃないか?』と言われるのですよ。それで、贅沢品を取り上げたりクビにしたりするのですよ」
 それは怖いな。イラっとする気持ちは分からなくもないけど、さすがに奪い取ったりクビにしたりするのはやり過ぎじゃないかな。
 だったら、今日買ったイヤリングも、バレない様に隠しておこう。
「じゃあ、普段の休日はどの様に過ごしているのですか?」
「そうですね。私の場合、普段は読書をしている事が多いですね。
「読書ですか?」
「はい。私の場合、宗教や実用書を読む事が多かったですね」
「それ、ちょっと小難しくないですか?」
「いえ、内容によっては割と興味深い内容が書かれていてタメになりますし、読んでみると案外面白いですよ」
「そうなんだ」
「ただ、メイド達はロマンス小説や推理小説を好む人が多かったですね」
「そんなものまで、置いてあるんだ!」
「まぁ、さすがに主人に見つかるといけないので、大抵は部屋でこっそりと読んでいましたけどね」
「へぇ、使用人さん達も裏でそんな事をして楽しんでいるのですね」
 そんな雑談で、盛り上がっていた時である。
 道を走る馬車が水たまりを通った事で水が飛び跳ねた。
「きゃあっ!」
 当然、それは水しぶきを上げて、こちらに掛かって来た。
 私は思わず腕でガードした。
「大丈夫ですか?」
 ジークが心配そうに尋ねる。
「うん。私は大丈夫だけど……あぁっ!」
 服を見て私は愕然とした、何と先程の水しぶきがワンピースに掛かって汚れてしまったのである。
「そんな……せっかくのお気に入りの服だったのに」
「安心してください。近くに洋服店がありますので、そちらで新しい服に着替えましょう」

「うわぁ! このドレス、凄く可愛い!」
 ジークが選んでくれたドレスに、私は歓声を上げた。
「気に入ってくれた様で光栄です。とてもよく似合っていますよ」
 ジークも、私のドレス姿を見て褒めてくれている。
 店に着いた途端、数々のドレスが目に飛び込んできた時も、私は感銘を受けた。
 名前だけは聞いた事はあるけど、肝心の商品を間近で見るのは初めてだ。
 店内にあるおしゃれな服は、どれもパーティーで着て行く様なドレスばかりで、見ているだけでドレスを着たお姫様達が舞踏会でダンスをしている光景が目に浮かぶ。
 あの時、今は目の前のドレスに見惚れている場合ではないという事をすっかりと忘れてしまっていた。
 そんな中で、ジークが選んでくれたのは、薄紫色のミディアム丈ドレスである。
 ふんわりとしたレース生地で、胸元に飾られたワインレッド色のバラのコサージュも映えていて、私も一目で気に入った。
「これを購入しますか?」
「うん」
 そう言うと、ジークは店員さんに
「すみません。こちらの服の会計をお願いします。服はこのまま着ていきますので、よろしくお願いします」
 と告げて、会計を済ませた。

「ごめんなさい。迷惑を掛けちゃって」
「いえいえ、あなたのせいではありませんから気にする必要はありませんよ」
「でも、大丈夫なのですか? 買ってくれたドレス、結構高かったんじゃないですか?」
 実際、ドレスの値札をこっそりと見てみたら、十万フラン以上のものがほとんどだった。かなりの出費で、財布が大丈夫なのかと不安になった。
「いえ、せっかくの服が台無しにされて、あなたが悲しむくらいなら、新しいドレスを買う事くらい大した事ありませんよ」
 そんな台詞を笑顔ではっきりと言ってくれるなんて。私は嬉しさのあまり身震いしそうになった。何だか、涙が出てきそうになった。

 そして、お昼を回ると、私達は昼食を取ろうと、近くのレストランに入った。
 店内は、城の様な雰囲気で、格式が高いデザインである。もしかして、高級レストラン?
 そう思うと、先程注文したサイコロステーキも、なかなか手が付けられない。
「あ、あの……質問ですけど、ここってもしかして庶民には入れない様な場所ではないでしょうか?」
 気後れする私は、サラダスパゲッティを優雅に堪能しているジークに尋ねた。
「いえ、確かに城の中をイメージした内装ではありますが、実際は庶民向けにリーズナブルなメニューもたくさん用意してありますから、庶民でも利用している方が多いです。それに高級な場所だと、あなたが委縮してしまうでしょう」
 言われてみればそうだな。よく客を見渡してみると、店内には観光客らしき人達や家族連れも混じっていた。
 そういう事なら、大丈夫かな。そう思って、サイコロステーキをスプーンですくって口に入れた。
「んっ?!」
 食べ物が喉を通った瞬間、違和感が起きた。そして、私はその場で咳払いをした。
 店員さんが「大丈夫ですか?」と心配して駆けつけて来たので、私が「むせただけです」と言った。
 むせが治まった後、ジークがクスクスと笑いながら話しかけて来た。
「あなたといると、何かと面白いハプニングが絶えませんね」
「ハプニングって……それって私が災難体質とかトラブルメーカーだと言いたいの?」
「いえ、決して嫌味で言っている訳ではありません。あなたといると、とても面白い事がよく起きるという意味で言っているのです」
「それ、褒めて言っているの?」
 別に期待に応えている訳ではないのだから、そんな事を言われても嬉しくない。
「そうですよ。それに、私とのプレイでも良い反応をしてくれますし」
「良い反応って……」
「例えば、喘ぎ声は男のオスの部分をとても刺激しますし……」
「そういうのをこんな所で言うのは止めて!」
 私が大声でツッコむと、周囲にいた客と店員が一斉に私達へ視線を向けた。
 しまった。ジークに嵌められて、マズイ事をしてしまった。
「皆さん、お騒がせしました」
 ジークが周囲の不安を吹き飛ばす爽やかな笑顔で返すと、周りにいた人達はホッと安心して、食事に戻った。
「そういうところですよ」
「元はと言えば、アンタが仕掛けて来たのがいけないんじゃない」
「ふふっ、ごめんなさいね。でも、きちんとフォローはしましたからね」
 小声で口を尖らせる私に、ジークはクシャッと微笑んだ。悔しいけど、あんな素敵な笑顔を見ると怒る事が出来なかった。

 昼食を終えた後、レストランを出て近くの広場のベンチに座った。
「午後からは何にするの」
「映画は、どうでしょうか?」
「エイガ?」
「はい。シネマトグラフという機械を使ってスクリーンに映像を映し出すのです。最近、この辺りでも、不定期で映画鑑賞が開かれています。かなり人気があります」
「そうなの?」
「はい。私も主人と同伴した時に、一度だけ見た事がありますが、とても楽しかったですよ」
 だったら、私も映画というものを見てみたい。そんな思いが込み上げて来た。
「じゃあ、映画にしましょう」

 長い行列に並んで一時間以上も待った末、ようやく館内に入れた。
 やっぱり、中は大勢の人で混雑している。未知の娯楽が一体どんなものかと楽しみに待ち構えているのだ。
 そして、映画開始のブザーが鳴ると、館内が暗くなる。そして、スクリーンには真っ白な画面が映し出された。
「さぁ、もうすぐ始まりますよ」
 ジークが私の耳元で告げた瞬間、画面には突然、蒸気機関車が現れた。
「凄い……」
 写真や肖像画とは違い、スクリーンの中で動く画像に私は目を奪われた。
 駅員に見送られながら、駅を発射する蒸気機関車。それは、こちらに向かって来る。
「きゃあっ!」
 私は、迫りくる蒸気機関車から逃げ出そうとした。
「安心してください」
 ジークが私の手を掴んだ。
「いや、あんなものがこっちに来たら……」
 慌てふためく私にジークは、
「驚くのは分かりますけど、あれはあくまで映像ですから、実際に飛び出す事はありませんよ」
 ジークの言葉に、私は「えっ?」とスクリーンへ視線を向きなおすと、蒸気機関車がスクリーンから飛び出ず、途中で切れて見えなくなっていた。
「……何だ、びっくりした」
 蒸気機関車が飛び出て来ない事が分かると、私は安堵の息を漏らした。
 良かった、てっきり轢かれるかと思った。
「まぁ、私も最初に見た時は驚きましたよ。こちらに向かって走って来るのですから」
 ジークは笑いながら言ったが、今までの様に私を蔑んだ時の表情は無かった。

 そして、次の映像は工場から労働者の女性達が一斉に帰る場面が映し出されている。仕事終わりで、これから家に帰るところなのだろう。
 こんなものまで、映し出せるんだ。
 そんな風に、映像を見ていた時である。
 何だか、胸の中から汚いものが沸きあがって来た。とても気分が悪く感じる。喩えて言うなら、胸やけの様な感覚である。
「どうしましたか?」
 私の異変に気付いた、ジークが心配そうに尋ねてきた。
「何だか……気持ち悪い……」
 私は、酔いによる吐き気を抑えながら声を出そうとしたが、大勢の人がいるせいで上手く声を出すことが出来ない。
 目の前のスクリーンがぼやけて二重に見えてきた。一体、どうしちゃったんだろう。
 そう思っているうちに、目の前が急に真っ暗になり私の意識は一旦そこで途切れた。

「……ここは?」
 目を覚ますと、そこにあったのは映画のスクリーンではなく、ベージュ色の天井だった。
 そして、重い身体を起こして辺りを見渡すと、見慣れない光景があった。
 白いカーテンレールで遮られた空間、真っ白な壁、それに薬品の独特な臭いが鼻につく。
 もしかして、ここは……。
「中に、入らせて頂きますよ」
 カーテンの向こうから聞き慣れたテノールボイスが聞こえた。
「ジーク?」
 私が声の主の名前を呼ぶと、カーテンを開けて、ジークが入って来た。
「返事が出来たのは、どうやら意識が戻った様ですね」
「ここは……」
「病院です」
「えぇっ?!」
 まさかの病院に、私は小さく驚いた。まぁ、部屋の様子からして何となく予想は付いていたけど。
「びっくりしましたよ。あなたが映画館で倒れた後、すぐさま病院まで運んだのですから」
「そっか……心配させちゃって、ごめんね」
「いえ、今日は気にしなくても良いですよ。医者の診断によりますと、単に眩暈と吐き気を起こしただけで、特に問題は無いそうです。大事にならなくて良かったですね」
「そんな事を言われても、せっかくのデートなのに良い思い出がほとんど出来なかったし」
 アクセサリーは値段が高すぎて買えなかったし、ワンピースが汚れるわ、レストランで失態をやらかすわ、映画館で失神するわと、ハプニングだらけで、良い思い出が何一つ作れなかったな。
 ジークが全て上手くフォローしてくれたし、本人は特に気にしていない素振りを見せているけど、それでも罪悪感は残ってしまう。せっかくのデートだから、何か一つくらい良い思い出を作っておきたかったのにな。
「そういう事でしたら、私がとびっきりの思い出になりそうなものを差し上げますよ」
「とびっきりの思い出になりそうなもの?」
「はい。お金は掛かりませんし、今までのハプニングもチャラにするだけの悦びをさせてあげますよ」
「そんなものがあるの?」
 そんなものがあるなら、何ですぐにやらなかったのかが気になるけど、これまでのハプニングを全て帳消しに出来るのであれば、やってみる価値はあると思う。
「はい。でも、それは屋敷に戻って夕食を終えてからにしましょう。それと、シャワーで身体も洗ってくださいね」

 屋敷に戻って夕食とシャワーを終えると、私はジークの部屋にやって来た。
 夜十時頃に来て欲しいと言われたので、時間通りにやって来たけど、何をやるんだろう。
 今まで、彼から色々なSMプレイをやらされていたせいで若干トラウマになっていたけど、今回はその手の玩具や今まで私を監禁していた檻は一切見当たらない。事前に片付けたに違いない。
「お待たせいたしました」
 ジークはバスローブを着ていた。きっと事前にシャワーを浴びて来たからだろう。
「バスローブを着ているけど、一体何のつもりなの?」
「えぇ、これからセックスをするのですよ」
「……!」
 執事の口から躊躇なく発せられた言葉に、私は顔を真っ赤にした状態で閉口した。
「おやおや、何を恥じらっているのですか? 前にもやった事はあるでしょう」
「そ、そうだけど……さすがにこういうのって……」
「確かに、今まではあなたを散々痛めつけて楽しんでいましたけど、甘いムードで行うのは初めてでしょう」
「言われてみれば……」
「でしたら、今夜はとびっきり甘い夜にしましょうよ。振り返った時に、今日という日がとても幸せだったと思えるくらいに」
 ジークは優しい笑みを浮かべながら、蠱惑的に囁いた。
 そこまで言われてしまったら、こちらも断る理由は無い。
「分かった……」
 私はそう言って、服を脱ぎ、ベッドに入った。
 ジークはまず、私をリラックスさせる為に一糸まとわぬ姿となった私の蜜壺を舐めた。
「あぁっ……」
 舌で舐められる感触に、私は破廉恥な声を上げてしまった。
「イキますか? でも、まだ序の口ですよ」
 そう言って、ジークは局部を舐めた。とてもくすぐったくて、恥ずかしい。
「……まだ、舐めるの?」
「更に感じると、蜜の酸味が無くなるそうですから」
「そ、そうなんだ……」
 最初に舐められた時点で思わず反応してしまったけど、蜜でそんな事が分かるんだ。
 そして、十数分後。ジークは局部から舌を離して体を起こすと、大きく勃起したモノを私に見せつけた。
「それじゃあ、入れますよ」
 そう言うと、いよいよジークは私の中にモノを入れた。
「……っ!」
 客とセックスをした事はあるけど、今までの様な強い羞恥心や不快感は無かった。
「痛いですか?」
「ううん……痛くない」
「そうですか、良かったです」
 そう言いながら、ジークは私を抱きしめて私にキスをした。
 しかも
 身体が密着して、彼の体温を感じる。
 何というか、温かい愛に包まれている事を実感出来る。今まで色々な男の人に抱かれてきたけど、セックスって本当はこんなに気持ち良いものだったんだ。
「あぁっ……いくぅ……」
「良いんですよ、イッても」
 感じる度に私は腰を激しく揺らした。
「あぁぁぁっ!!」
 ジークも、興奮している様で彼も腰を動かしている。
 絶頂を味わう中で、彗星が走る姿が目に浮かび、私は何度も喘いだ。
 これだけ気持ち良いものなら、いっそ時間が止まってしまえば良い。そう思った。

 二時間後。
「どうでしたか?」
 甘くて夢の様なセックスを終えて、ベッドでジークが尋ねて来た。
「うん。痛さとか全然無くて、とても気持ち良かった。こういう事も出来るんだ」
「そう言って頂けて、光栄です。そして、今日のデートはいかがでしたか?」
「うん。色々とハプニングはあったけど、楽しかった。こんな日々が、毎日続けば良いのに」
「とても無茶な要求をしてきますねぇ」
 ジークは笑いながら答えたけど、そこに嫌悪感は無かった。
「ところで、ジークさんが朝礼で私との関係をカミングアウトした時、ダリアさんから『どう思っているの?』って聞かれたけど、本当のところはどう思っているの?」
「あの時に言ったじゃないですか。大切な存在ですと」
「そうじゃなくて、どういう意味で大切な存在なのかと聞いているのよ」
「どういう意味で、と言いますと?」
「例えば自分の性欲を満たす為の娼婦? ストレス発散の為の玩具?……それとも、少しは本気になっているの?」
 その言葉を聞いて、ジークは少し考えた後、回答を出した。
「そうですね。やはり一緒にいるだけで幸せだと感じられる存在だと思っています。私を楽しませる存在だと思っております。どんなものでも大切なものは、常に自分の傍に置いておきたいものでしょう」
「そりゃあ、そうだけど。じゃあ、今の私はどれに当てはまるの?」
「気になりますか?」
「気になるよ」
 それを聞いて、ジークは沈黙になった。そして少し考えた後、口を開いた。
「好きですよ」
 その言葉を聞いて、私の胸がトクンと鳴った。
「それ、本当?」
「はい。私はリリィのことが好きです」
 その瞬間、遠くから鐘の音が聞こえて来た。
 街の中心にそびえ立つ時計塔が、夜十二時の鐘を鳴らしたのである。
「ようやく日付が変わりましたか」
 鐘の音を聞くと、ジークは答えを口にせずベッドから降りた。
「――さてと、これで餌はたらふく与えましたね。ふう……今日は、色々とトラブルに遭って、本当に疲れましたよ。全く、慣れない事はするものではありませんねぇ」
 今までの執事の様な優しい人柄から一変、物凄く不満げな態度を露にした。というか、何だか私に八つ当たりしていませんか?
「あの、ジークさんどうしたのですか? 急に怖い顔になっちゃって」
 嫌な予感をしつつも、私が尋ねるとジークは言った。
「楽しいデートの一日はもう終わりました。シンデレラの魔法は解けて、綺麗なドレスは消えて、馬車もただの南瓜に戻る時間です」
「あの、おっしゃっている意味が、よく分からないのですけど……」
「分からないのですか? 私があなたをお姫様扱いする日は、終わったのですよ。あなたは私の性奴隷に戻ったのです」
 それを聞いて、私は顔面蒼白になった。
「じゃあ、今日のデートはひょっとして……」
「決まっているじゃないですか。あんなもの、ただの機嫌取りですよ。性奴隷の機嫌取りをするのは、かなり苦労しましたけどね」
 そんな理由でデートをしていたなんて。
「じゃあ、さっきの答えは嘘だって事?」
「あっ、でも、あなたの事が好きな事は本当ですよ。大切なものは奴隷だろうと玩具だろうと、傍に置きたいものでしょう」
 そう言えば、今になって思い返せば心当たりのある台詞は幾つもあった。

「まぁ、今回の件であんまり奴隷を虐めてばかりだと裏切られたり噛みつかれたりしてしまう事が分かりましたので、たまには餌をあげた方が良いと思いましたのでね」
「えぇ、構いませんよ。今日のあなたは娼婦や性奴隷でいる必要は無いのですから」

 おまけに以前職場でカミングアウトした時も私からの質問にも、恋人であるとは一切言わなかった。
 最初、何か裏があるかもしれないと勘繰ったけど、まさに予想通りだった。
 それを聞いて、私の中で怒りが込み上げてきた。
「この最低下衆男!」
 私は、ジークに大きく手を振り上げた。
 しかし、彼はすぐさま私の腕を受け止めた。
「二度もぶたれる様な真似はしませんよ」
 そう言って、私の腕を後ろに回してバスローブの紐で縛り上げると、そのまま私をうつ伏せにしてベッドに押し倒した。
「さてと、今度は私の番ですね。今まで溜まっていた分、たっぷりとお返しさせてもらいますからね……」
 後ろを振り向くと、美味しそうな獲物を見つけた狼の様な目つきでペロリと舌を出す執事がおり、大いなる恐怖を感じた。
 まるで、肉食動物に追い詰められて恐怖に怯える小ウサギになった気分である。
「あ、あの……幾ら何でも、あんまり乱暴な扱いは……」
「問答無用!」
 そんな私の必死の懇願も空しく、ジークは今までの仕返しとばかりに、私を乱暴にベッドへ押し倒した。
 そして、モノを強引にねじ込まれた。
「あぁぁぁぁぁっ!!」
 激しい挿入に、私は悲鳴を上げた。先程の甘いセックスとは違い、激痛が全身を駆け巡る。
「ちょっと、こんなの身が持たないよぉ!」
「何を言っているのですか。こちらだって、随分と溜まっていたのですよ。それに今日は終わったのですから、これからはあなたが私を満足させてください」
「こんなにキツイのは、無理ぃーーー!」
 その後、私はジークから三時間にも渡って、半ば強制的な性的暴行……もといオシオキを受けたのであった。
 その後の事は二度と思い出したくないので、何をやらされたのかは一切聞かないで欲しい。

幕間

 夜が明け、ベッドから身体を起こすとすぐさま部屋のカーテンを開けた。
 朝の眩しい光が差し込んできて、思わず手で目を覆った。
 そして、陽の光が目に慣れて手を下ろすと、ふとベッドで寝ていた女性に視線を向けた。
「も、もう勘弁してください~……」
 彼女は、悪夢にうなされている様です。元はと言えば、私が、自分に噛みついた仕返しをしたからですけど、普段気が強い彼女が弱々しく寝言を呟く姿は何とも興奮しますね。

 あぁ皆様、こんにちは。私、ジェンド家の執事・ジーク・フィースと申します。
 七年前からこの屋敷の下僕として働き始め、現在は執事という身分となりました。
 私の主人・フェイド・ジェンド様は、優れた容姿と商才があり、人付き合いも良いのですが、あれは外面が良いだけ。
 屋敷では、傲慢不遜、傍若無人、好色、放蕩で、人使いが荒く、今までに辞めさせられたり逃げ出したりした使用人は数え切れません。こんな状況下の中、現在ベテラン勢で残っているのは、私とハウスキーパーのダリアさんだけでございます。
 自分で言うのもなんですが、私の仕事ぶりは、使用人からは「完璧」と評され、大勢の使用人から慕われていますが、私とて一人の人間。あんな糞野郎にこき使われていたら、身が持ちません。ストレスMAXです。このままだと、下手をしたら血を吐いてくたばってしまいます。
 という事で主人が出張している間に、専属の娼婦を雇う事にしたのです。
 娼婦を雇った理由は、誰かに遣われる事に嫌気が差したから。
 自分の生い立ちはあまり話したくないのですが、実はこの屋敷に入る前にも色々な人に仕えてきたのです。過去には、男娼として男色家や女性の相手をした事もありました。
 まぁ、配偶者以外との性行為が禁忌とされている時代ですから、今まで相手をしてきた人達はどれもロクでもない連中ばかりでしたけどね。
 そんな生活に嫌気が差して、誰かを隷属させたい、虐めたい、嬲りたい、犯したいと思う様になり始めたのです。
 いわゆる、今まで従者としてこき使われてきた故の反動というヤツですね。
 街の高級娼館を使うと、すぐに街や社交界で噂になってしまいますので、街から遠く離れた平民の娼館で娼婦を買う事にしたのです。
 そこで出会ったのは、リリィ・ヴァリー。写真を見て、一目で気に入りました。いかにも男慣れしていて純潔さを既に捨てた様な娼婦と違って、純情でいかにも嬲り甲斐がありそうな女でした。
 その時に、叫び声が聞こえたので、駆けつけると何とそこにはリリィ本人がいました。やはり、実物の方が綺麗だと思いました。
 彼女は色々と事情があって止むを得ず娼婦として働いていたそうですが、そこを私が上手く付け込んで100万フランで買収しました。あの時は、きちんとお金を貯めて良かったと思いましたよ。
 ですが彼女、思った以上に気が強い女性でした。高級娼婦でないにも関わらず、この私の頬を思い切り引っ叩いて来たのです。
 やはり、人は見た目によるものではありませんね。まぁ、気が強い方が、躾甲斐があって良いのですが、せっかく高い金を払って買収したからには、きちんとそれ相応のサービスをしてもらわないといけませんからね。
 その後の事は、皆様もお察しの通りです。
 肝心の反応についてですが、強気な性格とは裏腹に、反応や喘ぎ声が非常にエロティックで私のオスを刺激させました。
 そこは、さすが娼婦と言いたいところですが、これは恐らく彼女自身が元々セックスで感じやすい体質なのでしょう。普通の女性なら、あれだけの絶頂を感じる事はありませんから。
 純情な外見とセックス時の淫猥な反応とのギャップは、非常に魅力的です。
 えっ、それはあなたのテクニックが上手いからではないかって? ふふっ。そう褒めて下さるなんて光栄です。
 しかし、彼女は見ていて危なっかしいところがあります。他の男に靡いたり主人である私に噛みついたりして、何かと主人をヒヤヒヤさせます。
 挙句の果てに、下僕に乱暴されているところを私が助けてやったにも関わらず、責められました。私に助けられたにも関わらず、不満をぶつけてくるとは恩知らずですね。
 仕方がないのでお詫びの印……もとい機嫌取りに彼女とデートをしてあげましたよ。奴隷に餌をやるのは不本意でしたし、行く先々で色々なハプニングがあって、すっかりくたびれました。
 でも、デートの感想は悪いものではありませんでしたね。寧ろ、これだけ楽しい思いをしたのは初めてかもしれません。たまには、こうやって餌を与えるのも悪くないかもしれません。
 それに、デートの後に彼女とセックスをした時は、とても気持ち良かったですね。彼女がこんなに幸せそうな表情を見せるとは思いませんでしたし、私も何度も絶頂を感じましたよ。
 まぁ、日付が変わってから、私を散々振り回した仕返しに思いっきりイカしてやりましたが。
 やっぱり、彼女は虐めたり痛めつけたりした方が面白いですね。

 そんな事を回想しているうちに、先程まで恐怖に怯えていた彼女は、すやすやと寝息を立てていました。もう悪夢は終わったのでしょうか?
 無垢な赤子の様に穏やかに眠る彼女。とても安らかで可愛らしく見ていて、今までの疲れがすっと癒されます。私はそっと彼女の頭を優しく撫でました。
「ふふっ……やめてよぉ~」
 彼女は嬉しそうな顔になり、にやけました。それを見た私も思わずクスッと顔がほころんでしまいました。
 最初に彼女とセックスをした時は、彼女の生意気な態度に非常に腹が立ちましたけど、何だか憎めないですね。寧ろ、面白おかしい出来事だらけで、ちっとも退屈しません。それが彼女の魅力ですね。
 いっそ、彼女が自分の傍にいてくれたらとさえ思います。
 ……もしかしたら、彼女が私の閉ざされた心を開ける鍵を持っているのかもしれませんね。

第5話
 ジークとせっかく仲直りのデートが終わったにも関わらず、日付が変わった途端、元の態度に戻ってしまい、再び主人と娼婦という関係になってしまった。
 ちなみに、あの後今までの仕返しと言わんばかりのオシオキを受け、私はフラフラになりながら自室に戻った。
 やっぱり、彼は口では私の事を大切な存在と言っていたけど、ストレスを発散させ性欲を満たす娼婦、退屈を紛らわせる面白い玩具としか思っていなかった。
 乱暴されているところを助けてくれた理由も、単に他の男のものにされるのが嫌だから。
 こんな事なら、まだ娼館で下衆な男に抱かれていた方がマシだ。そっちの方が、まだ仕事だと割り切れる。
 そんな歪んだ愛情なんて、私は求めていない。そもそも、彼が私に愛情があるのかどうかも怪しい。
 このままだと、私は一生あの悪魔執事に虐げられたり嬲られたりした挙句、ポイ捨てられる破目になってしまいそうだ。
 こんな時に、私を救い出してくれる王子様が現れてくれたらなと、また思ってしまう。
 そんな事を願いつつも、やっぱりそう簡単に都合の良い事が起きる訳が無いとも半ば諦めていた。あの日が来るまでは……。

 それはデートから数日が過ぎたある日の事である。朝礼で、ジークが口にした。
「皆様にお知らせがあります。今日は、主人が帰って来ます」
 それを聞いて、使用人は驚きの声を上げつつも、緊張感が見えた。
「それ、本当なのですか?」
 エドさんがジークに尋ねる。
「はい。昨晩、秘書から電話があったので、間違いありません」
 それを聞いて、使用人達がどよめいた。本来は、もう少し長く滞在する予定だったそうだけど、仕事が早く切りあがった事で、本日の夕方頃に戻るそうだ。
 私が屋敷に来た当時、主人は出張に行っていたのでまだ面識は無いけど、ジークやエドさんの話を聞くと、主人・フェイド・ジェンドは、仕事は出来るし外面は良いのだけど、使用人に対する扱いが酷いと聞いている。噂によると、些細な事で主人の機嫌を損ねて解雇された使用人や彼のパワハラに耐えかねて逃げ出した使用人も少なくないとか。その為、今までちょっぴり気持ちが楽になっていた使用人達は気が抜けない状態になっていた。
 ここにいる人達は生活の為に止むを得ず使用人として働く事になった人達ばかりだから、主人を選べない立場なのだけど、そうじゃなかったら絶対に辞めているだろうな。
「今日は忙しくなるかもしれませんけど、皆さんもきちんと我が主人をお迎え出来る様に万全の準備をしてくださいね」
 という事で、私達は普段以上に屋敷を掃除する事になった。せっかく主人が帰って来たのに、部屋が汚かったらマズイからね。そして、掃除が終わった後、私は夕食の準備をする為に一人で市場へ買い物に出掛けたのである。
 予算となるお金と買い物のリストが書かれたメモを手に市場へ行き、そこでお目当ての品を全て買ったのだが、思ったよりも量が多い。主人の為に豪華な料理を作るのだから高級食材を買うのは分かるけど(ちなみに、これらは業者からのお取り寄せにしている)、まさかここまでの量になるとは思わなかった。使用人を除けば一人暮らしなのだから、これだけの量は食べきれないんじゃないのかな?
 とはいえ、早く帰らないと、ジークからオシオキされてしまう。
 私は両腕に大量の品を抱え込みながら、駆け足で向かったその時である。
「きゃあぁぁっ!」
 人通りが多い道端で派手に転んでしまった。周りにいた人達が一斉に、私へと視線を向ける。……恥ずかしいっ!
 しかも、転んだ拍子で野菜を路上にぶちまけてしまい、買ったジャガイモや玉ねぎがゴロゴロと転がって行ってしまった。
「いけない!」
 私が、慌てて野菜を拾おうとした時である。
「君、大丈夫?」
 突如、男性から手を差し伸べられた。
 話しかけてきたのは、サラサラとしたゴールドブラウンの髪、スモーキークォーツの様な瞳、あらゆる女性を魅了してしまいそうな端正な顔立ち。まさに絵に描いた様な王子様だ。
「大丈夫ですけど」
 私は男性の手を受け取って、立ち上がった。
「さっき、転んだ拍子に食材が転がって行っちゃったけど、良かったら手伝ってあげるよ」
「お願いします!」
 私が頭を下げると、男性は一緒に野菜を拾ってくれた。

 男性からの協力もあって無事に拾い終えた後、私は通りすがりの男性にお礼を言った。
「……ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。ところで、君の名前は何て言うの?」
「リリィ・ヴァリーと申します」
「リリィって言うんだ。可愛らしい名前だね」
「ありがとうございます」
 男性から名前を褒められて、少しだけ嬉しくなった。もしかしたら、私の顔が少しだけ赤く染まっているかもしれない。
「リリィは、どこで働いているの? その服装からして、メイドとして働いている様だけど。もしかして、ジェイド家の人?」
「はい、そうですけど……どうして分かったのですか?」
「だって、メイド服の左胸にジェイド家の家紋が刺繍されているからさ」
 それを言われて、ハッと左胸の刺繍を見た。ジークから聞いた話によると、ご主人様が美しいものが好きという理由で、美の象徴であるバラの花をあしらったデザインにしたらしい。
「それにしても、君ってとても可愛らしい顔をしているね。こんなに素敵なメイドさんが屋敷にいたら、ご主人様はとても幸せだろうね。僕なら今すぐお嫁さんにしちゃいたいくらいだな」
 と、まじまじと私の顔を見つめながら言った。顔の距離が近いので、物凄く緊張する。
「じょ、冗談は止めて下さい」
 私は、恥ずかしさを堪えながら、男性から目を背けるが、
「冗談やお世辞じゃないよ。もし、君の様な人が舞踏会に来たら、すぐに殿方からお声が掛かると思うけどな。せっかくだから、僕と一緒に行かない?」
「お断りします。それに、今日は大切な用事があるので早く帰らないとジークさんに怒られてしまいますから……」
「ジーク?」
「あっ、私の上司の名前です。仕事は出来るのですけど、腹黒くて意地悪で変態で、いつもあの悪魔から性欲とストレスの捌け口にされて虐められているのですよね……」
 男性に気を許してしまった他、今までの鬱憤が溜まっていたせいで、つい愚痴を零してしまった。私の話に、男性は真摯に聞き入れながら深く頷いた後、にやりと笑みを浮かべながら、誘ってきた。
「だったら、そのジークという人から君を解放してあげようか?」
「えっ? どうやって?」
「簡単な事だよ。君が僕の婚約者になれば良いのさ」
 その発言に、私は閉口した。素性どころか名前も知らない男性の婚約者になるなんて、完全に裏があるとしか思えない。
「……あの、申し訳ございませんが、どうしてそうなるのですか?」
 私はぎこちなく質問した。
「自分で言うのもなんだけど、僕はこう見えて、社交界では顔が広いんだ。もし、君が僕の婚約者になって結婚すれば、使用人の仕事から解放される。そうすれば、あのジークとかいう人でも手出しをする事は出来ない」
「婚約者って……まだ、名前も名乗っていない人の言葉なんて、信用出来ませんよ。具体的な根拠も無いですし……」
 確かに身なりは良いし品もあるけど、素性も知れない人の言う事を聴こうとなると、不信感と警戒心が働いてしまう。私の返答に、男性は「そうだったね」と苦笑すると、素性を明かした。
「僕は、フェイド。実業家なんだ」
「えっ、実業家?」
「そうだよ。主に絵画とか彫刻とか宝石、アクセサリーを取り扱っているんだ」
 それを聞いて、私は感嘆の声を上げた。
「うわー、それって凄いですね。有名な芸術家が描いた絵画とか人気ブランドの商品も扱っているのですか?」
「そうだよ。お客様からの評判も良いし、貴族御用達の品も取り扱っているよ」
 さすが、お金持ち! それだけ凄い人気があるなら、是非私もその商品が欲しい(値段は、高そうだけど)!
 でも、名前とか絵や宝石を扱っているとか、どこかで聞いた事がある様な気がするな……多分、気のせいだろう。
「それにしても、どうしてまだ出会ったばかりの私に対して、こんなに親切にしてくれるのですか?」
 私の質問にフェイドさんは答えた。
「だって、僕は君に一目惚れしちゃったからさ」

 実業家・フェイドさんからの誘いについ乗っかってしまった。未だに緊張は拭えていないけど、助けてくれたし、私の愚痴もちゃんと聴いてくれたのだから、決して悪い人ではないと思う。間違っても、人気の無い怪しい場所に連れ込まれてチンピラやヤクザから襲われるという展開は無いだろう。
 フェイドさんの案に同意した後、私は彼と一緒に、近くの仕立て屋に入った。フェイドさん曰く、「僕の婚約者なのだから、メイド服ではなくてもっと綺麗な服を着た方が良いよ」と勧められたからである。
 以前ジークとデートした時とは違う店だけど、やっぱり豪華な服が並んである。どれも高級なブランドなんだろうな。素人目で見ても、はっきりと分かる。
 フェイドさんは、店内にある服をじっくりと見渡すと、目に入った服をすぐさま手に取った。
「これを着てごらんよ」
 そう言って私に勧めてきたのは、ドレスの様なワンピースだった。桃色の柔らかい生地で温かみがあり、後ろには蝶結びの大きなリボンが印象的である。
「あ、あの……お気持ちは嬉しいのですけど、さすがに仕事中ドレスを着るのはちょっと……それに荷物もありますし」
 ちなみに、荷物はフェイドさんが乗っていた馬車の中に、置いてきたままになっている。
 私は遠慮しながら後ずさりして、その場から逃げようとしたが、
「大丈夫だよ。荷物なら僕の秘書に任せておけば良いだけの話だから。それに、もしここから屋敷まで戻っても、あのジークという執事に遅いと叱られてオシオキされるかもしれないよ」
 爽やかな笑顔で発せられた言葉に、私は青ざめた。ジーク以上に逆らえない威圧感を感じる。観念した私は渋々と試着室に入って服に着替える事にした。

「終わりました」
 数分後、着替え終えた私は試着室のカーテンを開けた。
「うん、凄く似合っているよ」
 フェイドさんは、ドレスに身を包んだ私を見て褒めてくれた。
「あ、あの……褒めてくれるのはありがたいのですけど、早く屋敷に戻らせてくれませんか? 早くしないと、使用人の皆さんにご迷惑が掛かりますので……」
「そうだったね。じゃあ、今から君が働いている屋敷に行くとするか」
 という訳で、私達は馬車で屋敷へ向かう事になった。
「それじゃあ、今から場所を教えますけど」
 私が屋敷までの道を説明しようとしたが、フェイドさんは
「あぁ、場所は分かっているから良いよ」
 と、あっさりと断ってしまった。場所は分かっているって……以前にも、行った事があるのかな? そして、フェイドさんが馬車の御者にジェイド邸までの行き先を説明すると、御者は笑顔で頷き、馬車を動かし始めた。

 十数分後、辿り着いたのは、私の職場・ジェイド邸である。
「こちらで、よろしいでしょうか?」
 馬車の御者が尋ねると、
「はい。こちらで合っています。どうも、ありがとうございました」
 と笑顔で運賃を渡すと、馬車を降りた。
「到着しましたけど、良いのですか? まだ、連絡も入れてないのに勝手に屋敷に入っちゃって」
 私が心配そうに尋ねると、フェイドさんは、
「大丈夫だよ。僕が来ても、誰も口出しする事は出来ないから」
 と得意げな笑みを見せて、門を潜った。

 門を潜った先には庭師が庭の手入れをしていた。大分、綺麗に整えられている。そして、向こうの玄関にはエドさんが一人、箒で掃除をしていた。
「あっ、エドさん」
 私が声を掛けると、エドさんは私の方を振り向き、目を丸くして開口一番……。
「り、リリィさん?! どうしたんですか? リリィさんまで何でこんなおしゃれなドレスを着ているのですか? 買い物に出掛けたはずなのに、どこで何をやっていたのですか?」
 まぁ、自然な反応だよね……。
「えーと……買い物から帰る途中でフェイドさんと偶然出会って、強引に店に連れ込まれて、服を着せられちゃって……」
 フェイドさんの名前を告げると、彼は隣にいたフェイドさんに視線を向けた。彼の顔を見た瞬間、顔を真っ青にした。
「ご、ご主人様?! どうして、こんな時間に?!」
 突然の来訪にエドさんは驚いた。
 でも、エドさんの言葉を聞いて、私は耳を疑った。さっき、フェイドさんをご主人様と呼んだ気が……。
 しかし、エドさんの言葉に先程まで優しい笑みだったフェイドさんは突如ムッとした表情に変わり、
「おい、エド。主人が帰って来たのに、幽霊が現れたかの様な驚き方は止めろ。そこは丁重に『お帰りなさいませ、ご主人様』と頭を下げるところだろう?」
 と、エドさんの頬を思いっきり引っ張った。
「しゅ、しゅいまへん……あまりにも、とちゅじぇんだったので……(訳:す、すみません……あまりにも、突然だったので……)」
 頬を引っ張られて、エドさんは涙目になっている。
「あ、あの……フェイドさん。エドさんが痛がっているので、離してあげた方が……」
 それを聞いて、フェイドさんは「分かったよ」と言って手を離した。エドさんの左頬に引っ張られた箇所が赤く腫れあがっている。何だか可哀想。
 解放されたエドさんは、腫れた箇所を手で抑えながらフェイドさんに尋ねた。
「ところで、ご主人様。リリィさんと偶然出会ったとか、彼女に強引に服を着せたとか、どういう意味なのですか?」
 すると、フェイドさんは笑顔で答えた。
「あぁ、だって彼女は僕の婚約者だからさ」
 それを聞いたエドさんは、
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ?!」
 と、悲鳴を上げた。
「ちょちょ……ちょっと、どういう事なのですか? 主人が使用人と婚約だなんて、有り得ない事ですよ! こ、こんな事がバレたら一大スキャンダルですって!!」
 エドさんは、動揺しつつも反発していた。
「あの……さっきから、フェイドさんをご主人様と言っているけど、そんなにおかしな事なの? 確かに、出会って突然に婚約なんてまず有り得ないかもしれないけど……」
 私はエドさんを宥めつつ説得するが、彼はとんでもない事実を私に告げた。
「フェイドさんって……この人はジェイド家の当主で僕達の主人・フェイド・ジェイド様ですよ!!」
 その言葉を聞いて、私は一瞬固まった。フェイド・ジェイド――この人が私のご主人様? その事に私はエドさんと同様の驚愕の叫びを上げた。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ?!」
 とんでもない事実を明かされて驚く私に、颯爽と駆けつける足音が近付いて来た。
 家から回って現れたのは、ジークだった。私とエドさんの悲鳴を聞いて駆けつけて来た様だ。そして、玄関の前にいたフェイドさんや私達を見て、すぐさま状況を理解しつつも、私に問い詰めて来た。
「おや? 何だか大きな悲鳴が二回も聞こえたので駆けつけてみたら、一体何をやっているのですか? あなた達は」

 事の整理と状況を説明する為に、とりあえず私達は屋敷に戻り、他の使用人達も集めた。
 皆、表向きはご主人様が無事に帰って来た事を笑顔で受け入れていたけど、内心では面倒な人が戻って来て、気が抜けない空気が立ち込めていた。普段から、こんな調子なのかな?
「それにしても、ご主人様。夕方に戻ると聞いていましたけど、予定よりも随分と早く帰ってきましたね」
 ジークはフェイドさんに問い詰める様に話し掛けた。しかし、ご主人様(ご主人様には「君は僕の婚約者なのだから、フェイドさんのままで良いよ」と言われたけど、やはり躊躇してしまうので、ここでは本人と話す時を除き、ご主人様と呼ぶ事にする)は、
「君達が僕のいない間に、気が緩んでいないかを調べる為だよ。それに、予定より主人が早く帰って来れたのだから、そこは君も笑顔で迎えるべきところじゃないのかい?」
 と返した。自分が使用人からよく思われていない事を自覚しているのかな?
 それに対してジークは、
「そうでしたね。いつも使用人をこき使う暴君がいなくなって、屋敷が平和になっていたので、我々はすっかりと気が緩んでいました。予定時刻より早く仕事を片付けられるとは、さすがでございますね。どうせなら、もっとゆっくりとバカンスを堪能しても良かったのですけど」
 口では褒めているけど、口調からして明らかに嫌味があった。何か、一生戻って来るなと言わんばかりの辛辣な口調である。
「ところで、リリィ。どうして、買い物に出掛けたはずのあなたがどうしてドレスを着ているのですか? もしかして、仕事をサボっていたのですか?」
 エドさんから同じ質問をされたので再び答えようとしたが、フェイドさんが代わりに答えた。
「あぁ。彼女は、もうメイドじゃないから」
 ご主人様の言葉に、ジークの表情は険しくなった。
「メイドじゃない? それは、どういう意味ですか?」
 ジークの問いに、ご主人様は答えた。
「だって、彼女は僕の婚約者だから」
 それを聞いて、今まで冷静だったジークの眉がピクッと動いた。無論、他の使用人達もざわついた。
「どういう事なのですか? ご主人様、リリィ」
 ジークはすぐさま私とご主人様を睨みつけながら問い詰めた。
「えっと……買い物から帰る途中で、その……」
 私がしどろもどろになりながら、説明しようとすると、更にご主人様が続けた。
「あぁ、僕が申し込んだんだよ。帰り道に出会って、一目惚れしたのさ。どこかの誰かさんが、ストレスの捌け口にメイドを甚振っているという話を聞いたから、憐れに思った僕が救いの手を差し伸べてやっただけの話さ」
 さすがに、私が商品をぶちまけた事、ご主人様が当初自身の正体を隠して近付いた事は伏せていた。
 それを知ったジークは、臍を噛んだ。そして、私を睨みつけながら尋ねた。
「それは、本当なのですか?」
 ジークの睨みに私は一瞬たじろいだが、
「そ、そうですよ。アンタみたいな男に性欲とストレスの捌け口として一生虐げられるくらいなら、ご主人様と結婚して社長夫人、ゆくゆくは貴族の妻になった方がよっぽど幸せになれると思いましたので!」
 と啖呵を切ってやった。
「それだけですか? たとえ私から解放されたところで、後から更に恐ろしい目に遭うだけだと思いますけど」
 物凄く辛辣な嫌味を返してきた。
 私が更に反論しようとしたところ、ご主人様が喰って掛かってきた。
「おい、ジーク。僕の婚約者に向かって、そういう口の利き方は無いんじゃないかい? もしかして、今まで可愛がっていた奴隷が主人に奪われて、焼餅でも妬いているのか?」
 ご主人様がジークを挑発するかの様に、問い詰める。
「別に妬いてはいませんよ。気紛れで傲慢なご主人様の事ですから、どうせ道端で出会った婚約者に不誠実な扱いをするのではないかと思いましたのでね」
 平然とした口調で切り返しているけど、何だか強がっている様にしか見えなかった。実際、エドさんの時も激しい嫉妬を露にしていたし。そもそも、アンタがそんな事を言える立場じゃないでしょ。
「安心しろ。別に君が苦しむ姿を拝む為に彼女と婚約した訳ではないんだからさ。それに、彼女は僕の婚約者なのだから、『リリィ様』と呼んで丁重に扱うべきじゃないのかい?」
 ご主人様が、さぁ、やってみろ。と言わんばかりにジークを挑発する。
 今まで奴隷扱いしてきたし、デートをした時も様付けは一切してこなかったから、かなり難しいんじゃないかな。
 それに対して、ジークはギリッと歯軋りを立てつつも、頭を下げた。
「分かりました。ご主人様、リリィ様」
 遂に彼は主人の命令に従った。でも、何というか悔しそうな表情を浮かべている。だって、表情がぎこちないもん。
「そうそう。よく出来たね。これからは、僕の婚約者に粗相をはたらく様な真似はするんじゃないよ」
 ご主人様は、あくどい笑みを浮かべながら、ジークに告げた。
「分かっております。ご主人様の大切な婚約者に私が手出しをする様な真似はしませんから」
「そうだよね。それじゃあ、今から彼女を部屋に案内してくれないか?」
「かしこまりました」
 ジークは丁寧にお辞儀をすると、「さぁ、今から私がお部屋にご案内します」と言って、部屋まで案内した。

 案内すると見せかけて、拷問器具や性玩具が置かれたジークの部屋に連れて行かれるかと思ったけど、実際に辿り着いた部屋は高級旅館のスイートルームを思わせるおしゃれな客室だった。使用人部屋と違って、立派な造りになっている。掃除をした時に、何度か部屋に入った事はあったけど、客として入ったのはこれが初めてだ。これから、この部屋に住むと思うと、かえって緊張してしまいそう。
「ところで、リリィ」
 部屋に入って二人きりになった途端、ジークが私に尋ねて来た。様付けを止めた辺り、やはり完全に主人に屈服していなかった事がよく分かる。
「一使用人であるあなたがご主人様と婚約されるとは、どういう意図なのですか?」
「さっき言った通りよ。私はご主人様……じゃなくてフェイドさんと婚約する事で、アンタの奴隷を辞めるのよ」
 私は躊躇する事無く、自らの意志をはっきりと告げた。
「ほぅ……もしかして、私の事をご主人様に告げ口したのですか?」
「そうよ。このままだと、私がストレスで倒れてしまいそうでしたので!」
 その言葉に偽りは一切無かった。事実上の退職宣言である。
 これくらい、はっきりと言えば向こうも手を引いてくれるだろう。
 それを聞いて、ジークは溜息を吐きながら、
「そこまで言うのであれば、仕方ありませんね」
 と溜息を吐いた後、ジークは営業用の笑顔で応じた。
「分かりましたよ。専属契約は破棄します」
 逆上されるかと思ったけど、意外とあっさり受け入れてくれた。
 だが、
「その代わり、あなたには身体で手切れ金を支払ってもらいましょうか」
 と、私をベッドの上へ乱暴に押し倒した。
「ちょっと、これはどういう事なの?!」
 突然の行動に私は叫んだが、ジークは。
「フフフ……当主と婚約すれば、この私から無事に解放されると思っていたのですか? そんな事でこの私がすんなりと身を引くと思ったら、大間違いですよ」
 と口にした。
「あなたが隷属するのはフェイドではなくて、この私。奴隷のあなたが主人を裏切ったら、どうなるかを思い知らせてやりますよ」
 ニヤリと相手を見下す下衆な顔で、私のドレスを無理やりひん剥いた。
「ちょっと、離し……!」
 私が声を上げようとしたら、執事は私の喉を手で強く締めた。
「おっと、ここで悲鳴を上げたら、このままあなたの喉を潰しますよ。せっかく婚約者が出来たのに、この場で他の男の手で無様に殺されるのは嫌でしょう」
 不敵な笑みを浮かべる執事に、私は恐怖を感じた。
 そう言えば、彼は私を買収した初日に笑顔で脅迫した。

「もし屋敷から逃げ出したら、たとえ汚い手を使ってでも完全犯罪であなたを殺害しますよ」

 今回は屋敷からの逃亡ではないけど、この男ならそれ以外の理由でも間違いなくやりかねない。そして、これがその時である。
 彼は私の下着も強引に引きちぎり、私の乳房が露になると、ジークは私の乳首を噛んだ。
「痛っ……!」
 敏感な個所を噛まれて、私は痛みのあまり、思わず悲鳴を上げた。
「フフッ、甘美な悲鳴ですね。とてもそそられますよ」
 ジークは薄気味悪い笑みを浮かべながら私の耳元で囁いた。
「あっ、そうそう。女性器って、男から乱暴に扱われても防御反応で膣が濡れて、感じる様になるらしいですよ」
「そんなのガセネタに決まっているでしょ!」
 一体、どこでそんな話を聞いたのよ! 官能小説の読み過ぎじゃない。あんなの実際に起きたら、一生もののトラウマになるだけよ!
「だったら、今ここで試してみますか?」
 そう言って、ジークはズボンのチャックを下ろして勃起した男根を見せつけた。
「こんなところをご主人様や他の誰かに見られたら、あなたは一体どうなるでしょうねぇ……」
 それを聞いて、私の額から冷や汗が流れた。こんなところを見られたら、フェイドさんから浮気と誤解されて、一方的に婚約破棄されて彼の命令で使用人達からオシオキされて、挙句には……そんなの、あまりにも地獄的すぎる!
 もうダメなの? 私はこんなところで身体を穢されてしまうの? 私は恐怖のあまり目を閉じた。
「そこまでだ!」
 絶望で覚悟していたところ、向こうの扉がバンと開いたと同時に聞こえて来たのは、私の婚約者・フェイド・ジェイドの声だった。
 そして、ジークはご主人様が連れていた下僕達に取り抑えられた。
 以前、私が三人の下僕達に襲われそうになったところに駆けつけて彼らを成敗するだけの戦闘力はあるけど、さすがに大勢を相手に一人で立ち向かうには敵わなかった。
 取り押さえられたジークを見て、ご主人様は言った。
「やっぱり、君が日頃からメイドに性的暴行を加えていたのは本当だった様だな。こっそりと後をついて盗み聞きして正解だったよ」
 そして、ご主人様はジークに歩み寄り罪人に判決を下す裁判官の様に冷徹な表情で告げた。
「君は、クビだ。今すぐ、荷物をまとめて出て行け」
 その言葉に、ジークは下唇を噛んだが、その後恐ろしく皮肉めいた口調で
「分かりました。そういう事でしたら、喜んで出て行きますとも。せいぜい二人が末永く幸せに暮らす事を祈っていますよ」
 と吐き捨てて、抵抗する事無く下僕に連行される形で部屋から出て行った。
 後から思えば、
「良かったぁ……」
 絶体絶命のピンチから解放されて、私は安堵の息を漏らした。身体の力も抜けていった。
「大丈夫かい? 怪我は無い?」
 悪魔がいなくなってご主人様が心配そうに、私に駆け寄る。
「私は大丈夫です。襲われそうになった時は、正直怖かったですけど……」
 私が話すと、ご主人様は私を抱きしめたのであった。
 ジークの時よりも、とても強い力が込められている。
「もう、君をあの男から寄せ付けはしないよ。今までの辛い思いは全て僕が消してあげるから」
 その言葉を聞いて、私はご主人様を抱きしめ返した。
 もうあの執事に弄ばれる事は無い。甚振られる事も無い。牢屋の中で寝過ごす事も無い。エッチなプレイやオシオキをさせられる事も無い。私はもう晴れて自由の身なんだ。
 それなのに、どうしてだろう。もうあんな生活からは解放されたのに、どうして心はこんなに苦しいのだろう。

 そして、夜。私とフェイドさんは一夜を共にする事になった。せっかく、奴隷生活から解放されてフェイドさんの婚約者になったのだから、喜ぶべきだ。
 私は服を脱ぎながら、私はフェイドさんに聴きたい事が幾つかあったので、尋ねる事にした。
「それにしても、私と最初に出会った時はどうして正体を伏せていたのですか?」
 すると、ご主人様は答えた。
「だって、もしあそこで本当の事を打ち明けたら君が驚くと思ったからね。まだ、屋敷で正式に挨拶をしていなかったし」
 確かに。仮に、あの場で自分が私の主人だと打ち明けたところで、驚くか困惑するかのどちらかになって疑っていただろう。実際、エドさんから正体を聞かされた時は、凄く驚いたし。
 それにしても、私と使用人に接する態度が全然違うな。エドさんには彼の頬を引っ張っていたし。
「使用人からはウチの主人は傲慢で我侭な暴君と評していたので、てっきり怖い人だと思っていましたけど、意外と優しい人だったので安心しました」
 ジークやエドさんからも主人は凄く人使いが荒いと聞いていたけど、そんなに悪い人では無かったし。
 その言葉に、フェイドさんは「そうか……」と苦笑した。
「でも、どうして使用人にはぞんざいな扱いをするのですか? どうせなら、私だけではなくて使用人にも親切にしてあげてくださいよ」
 すると、フェイドは自虐的な口調で理由を告げた。
「つい甘えちゃうんだよね。子供の頃は自分の我侭や甘えを受け入れてくれる人がいなかったから」
「えっ……?」
 突然明かされたフェイドさんの過去に、私はぽかんと口を開けた。
「それ、どういう意味なのですか?」
 すると、フェイドさんは意外な過去を明かした。
「実を言うとさ……僕はかつて貴族だったんだ」
「えぇっ?!」
そんな凄い(元)貴族様がフェイドさんだったなんて。
「……そ、それって……羨ましいというか凄すぎますね」
 私は恐れ多くも羨んだ。けど、
「そうでもないさ」
 と流された。
「どうしてですか? 貴族に生まれたのであれば、かつては色々と裕福な家庭で何不自由なく暮らしていたでしょう」
 すると、フェイドさんは自らの生い立ちを話し始めた。
「確かに周りと比べれば裕福な家庭ではあったけど、両親や使用人達は僕より病弱で出来の悪い弟を可愛がっていたよ。そのせいで、自分は誰からも構ってもらえなくて寂しかった。だから自分も周りから認めてもらいたくって、次期当主に相応しい人間になれる様、帝王学や馬術、武術……色々と勉強をしたよ。武術大会にも出場して、優勝した事だってある。そうすればきっと周りも僕を認めてくれる。そう信じて必死で努力を積み重ねてきた。それで学校でも一目置かれる様になったけど、家族には振り向いてもらえなかった。何で弟ばかり可愛がられているのかと悩んで、酷く妬んだよ。そして、15歳の時に父親から次期当主を弟にすると告げられて、僕は貴族の身分を剥奪されて家を追い出されたよ……」
 その言葉を聴いて、私は返す言葉が無かった。
 きっと、フェイドさんはいつも誰かに自分を認めてもらいたいと常に思っていたのだろう。その為に、必死で努力をしてきた。
 それなのに、病弱で出来が良くない弟ばかりが可愛がられるばかりだった。それが原因で兄の人格がどんどん歪んでいったに違いない。
 そんなのは酷過ぎるよ……!
「その後は失ったものを取り戻して、アイツらを見返す為に必死だったよ。勘当された時に手切れ金として渡されたお金で破産寸前だった宝石店を買収して、経営再生に成功して一気に有名ブランドにまで、のし上がった。そして、豪邸を手に入れて使用人を雇う事も出来る様になった。貴族の名を借りずに自力で大成したのだから声を掛けてくれると思ったけど、全く返事が来なかった。こちらから家族に手紙を送ったけど、返事は一切来なかった。人使いが荒いのは、甘えられなかった反動なのかもしれないな」
 フェイドさんの話を終えると、私は複雑な気持ちになった。
 一生懸命頑張ったにも関わらず、誰からも認めてもらえないのは非常に辛い事だ。勘当したとはいえ、自分の子供が成功したら、素直に喜んであげようよ!
「……ちょっと嫌な思いをさせちゃったかな?」
 何とも言えない表情の私に気を遣うフェイドさん。
「いえ、大丈夫です。寧ろ、フェイドさんが私に本心を打ち明けてくれたのは、嬉しかったです」
 その言葉に、フェイドさんは意外そうな顔をするも、すぐに安堵の笑みを見せた。
「君がそんな事を言ってくれるなんて思わなかったよ。やっぱり僕が一目で気に入っただけの事はあるよ」
 そう言って、フェイドさんは私に口付けをした。情熱的であるにも関わらず、甘い味がする。
「君がそういう優しい人で良かった。それじゃあ、これからは僕を愛してくれる?」
「もちろんです」
 自分の言葉に、偽りは無かった。私の返事に、フェイドさんは言った。
「……じゃあ、今からその対価を身体で払ってくれても良いよね」
 今までの優しい笑顔から一変、突如下衆な笑みを見せながら、彼は私の股を強引に開いた。
「えっ……?」
 突然の事態に、私の頭の中は一瞬混乱した。
「ちょっと……どういう意味なんですか……!?」
 フェイドさんの言葉の意味が分からない私は叫び声を上げながら彼に尋ねた。
「簡単な事だよ。君は、僕の婚約者になったおかげで、ジークから解放されて僕の所有物になったのだから。これからは、僕が君を可愛がってやるという事さ」
 その言葉の意味を思考した。
 つまり、フェイドの言う婚約は、私がジークから解放される為にでっち上げた嘘であり、私はまんまと彼の口車に乗せられたという訳か。
「何ですか、所有物って……話が違うじゃないですか!」
 理解した私はフェイドに異論を唱えた。
「違わないさ。僕の婚約者になったからには、僕の言う事をきちんと聴いてもらうからな」
「何よ、それ……! それじゃあ、メイドの時と変わらないじゃない!」
 フェイドは私の頬を撫でながら告げた。
「メイド? 安心して。家事や雑用は命じないから。君の役目は、僕のモノになる事だから……」
 助けた相手に求めるのが、それ? 嘘とはいえ、アンタは自分の妻を何だと思っているのよ!? 単に、人の弱みに付け込んでいるだけじゃない!
 腹が立った私は、フェイドの顔を思い切り引っ叩いた。
「アンタねぇ、女を一体何だと思っているのよ!?」
 私は続けて言った。
「アンタがジークから解放してくれた事には感謝している。でもねぇ、生活に苦しいとか窮地に陥っているところに付け込んで、女を利用して弄んでも良いと思ったら大間違いよ!」
 自分でも、よく言ったと思った。だが、
「この恩知らずめ!」
 フェイドは自分を引っ叩いた仕返しと言わんばかりに、私の顔面に拳をぶちこんだ。
 これじゃあ、ジークに襲われた時と変わらないじゃないじゃない!
「助けたお礼を忘れて、よくも生意気な口を叩けるな! 今のお前がどういう立場かを思い知らしめてやる!」
 フェイドはそう言って、私の股を強引に開くと、愛撫もせずに自身の男根を押し込んだ。
「……!」
 膣に入れた瞬間、フェイドは何かを感じた様だ。
「……お前、処女じゃないのか?」
 目を強く見開きながら問い詰めるフェイドに、毅然としつつも開き直る形で言い返した。
「そうよ。ジークから色々な事をやらされましたのでね」
 すると、フェイドは悔しそうに下唇を噛んで私の肩を乱暴に掴んで問い詰めた。
「今まで、ジークと何回やったんだ?! どんなプレイをしてきた?! 何回イッた?! 僕とどっちが気持ち良かった?!」
 激しく問い詰めるフェイドに、私は平然と答えた。
「……まぁ、アイツには今まで酷い目に遭わされましたからね。彼は仕事と性欲のストレスの捌け口とぼやいて、私を散々と甚振ってきましたから。今更、向こうから許しを請いでもダメだと思う」
 しかし、私は毅然とした態度で恩人に嫌味を口にした。
「……でも、今になって彼の気持ちがちょっとだけ分かったわ」
 使用人もとい愛奴隷に、嫌味を返されたのが癪に障ったのだろう。それを聞いたフェイドは更に激しい怒りを燃やした。
「このぉ……! せっかくの恩を仇で返すとは……!」
「恩を仇で返す? 恩に付け込むなら、話は別ですよ」
 幾ら恩人であろうと、邪な事を企んでいる様な奴の言いなりになる気は更々無い。助けたからと言って、そこに付け込んで良い理由にはならない。
「へぇ、そこまで言うんだ。だったら、僕にも考えがあるよ……」
 そう言うと、フェイドは呼び鈴を鳴らした。すると、下僕が二人駆けつけて来た。そして、私の両腕をガシッと掴んだ。
 そして、フェイドは私に指を差して下僕に命令した。
「命令だ。この女を地下牢に閉じ込めろ」
 その言葉を受けて、下僕達は私を拘束したまま、フェイドの部屋から連れ出して行った。
「ちょっと……離して!」
 私は、身体を揺すりながら抵抗するが、「しばらく、大人しくしていろ!」と怒鳴られた。

 安っぽい布切れ同然の服を掛けられて、下僕達に連行される形で地下に続く暗い階段を降りた先には、牢屋があった。実際に見るのはこれが初めてだけど、想像していた通り、石で出来た壁に鉄の檻が、いかにも薄暗くて冷たく衛生が悪い空気が出ている。
 貧しい実家や娼館でも、ここまで酷いものではなかった。
 下僕達は牢屋の扉を開けると、私の背中を強く押した。突き飛ばされた形で、私が牢屋の中に入れられると、立ち上がる前に向こうは牢屋の鍵を閉めてしまった。
「ちょっと、これはどういう事よ!」
 私は強く反論した。
「お前は、当分の間ここで大人しく過ごすが良い」
 とだけ告げて、その場から立ち去って行った。
 天国から地獄に一変した。
 これで、解放されたと思ったのに……つくづく不運な自分の境遇を恨んだ。
 こんな事なら、アイツに飼われていた方が良かったのだろうか。
「ジーク……」
 牢屋の中で独りだけ取り残されて、ふと今まで嫌っていた男の名前を呟いた。
 不幸のどん底にいた私を助けてくれた彼。
 腹黒くて意地悪で捻くれていて焼餅焼きで気性が荒くて厭らしい事を仕掛けてくるけど、いざという時には何だかんだ言いつつ助けてくれた。
 その後は、デートもしてくれたし、夜は甘いセックスだってしてくれた。これが機嫌取りじゃなかったら、良かったのに……。
 それでも、彼との楽しかった時間を思い出すと、身体が疼いてしまう。セックスだってフェイドなんかよりも、ずっと上手かった。
 でも、彼が屋敷を追い出された今、もう彼の救いはもう来ない。
 私は、一体どうすれば良かったの……?
 再び絶望のどん底に陥れられて、どうしようもなくなった私は嗚咽を出しながら涙を流すしかなかった。

あとがき
実際は、犯された時に防御反応で膣が漏れる事はありません。あれは、あくまでフィクションですからね。

幕間2

「くそ、あの女……娼婦の分際で主人の俺に逆らいやがって……」
 ジェイド邸を追い出された私は、誰にも聞こえない様に独り言を呟いた。
 おっと、これは失礼。皆さんに恥ずかしい姿を見せてしまいましたね。
 これも全てはあの女・リリィ・ヴァリーのせいです。
 あの女、偶然あのクソ野郎(フェイド)と出会った時に私の事を告げ口したのです。
 その話に興味を持ったフェイドが私から解放させる為にリリィと婚約をしたのですが、腹が立ったので手切れ金代わりに彼女を犯そうとしました。しかし、それはあの男の罠であり、まんまと嵌められる形でその場に取り押さえられてしまいました。
 結果、私は主人の婚約者に手を出した罰として、執事をクビにされてしまい、屋敷から追い出される事になってしまいました。
 えっ? それは完全にお前の自業自得じゃないかって?
 フン! 専属娼婦として買収された身であるにも関わらず、主人との契約を一方的に放棄して他の男と関係を持った方が悪いのですよ。
 でも、執事をクビにされて契約を破棄された以上、もう私と彼女は関係ありません。せいぜい二人で末永く幸せに暮らしてください。
 まぁ、後であの女が鋭い牙と凶暴な本性を剥き出した狼に襲われる中で、主人であるこの私を捨てた事を骨の髄まで後悔すれば良いだけの話ですから!
 ……と開き直ったところで、失ってしまったものはもう戻って来ないのですけどね。
 せっかく、久しぶりに幸せな気持ちになれる相手に巡り合えたのに。
 こういう事なら、たとえ腑に落ちなくても彼女に優しくしてあげれば良かったのかもしれませんね。今となっては、もう手遅れですけど。
 でも、いつまでもくよくよしている訳にはいきません。
 幸い私はそれなりに蓄えがあるので、どこか近くの宿屋にしばらく泊まりながら次の就職先を探す事にしましょう。
 次の就職先は、人にこき使われる心配の無い職場が良いですね。
 そう思って私が宿泊先の宿屋を探していると、
「あの……すみません……」
 一人の男性が私に声を掛けて来ました。外見は、ゴールドブラウンの髪にスモーキークォーツの瞳。あのクソ野郎と似た顔立ちですが、彼の様な傲慢な印象はありません。
 心配そうに声を掛ける辺り、寧ろ彼とは違って善良かつ礼儀正しい人とお見受けします。
「どうなさいましたか?」
 私は奴隷に裏切られた上に解雇されたストレスを八つ当たりがてらにぶつけない様、苛立つ気持ちを抑えながら男性に尋ねました。
「さっき、屋敷からあなたが出て行くところを目撃しましたけど、もしかして、あなたはフェイド・ジェイドの使用人の方ですか?」
 まさか、こんなところであの男を知っている人物に出会うとは。と思いましたが、外面が良くて社交界にもよく出席している彼の事ですから、彼を知っている人に出会っても不思議ではないですね。実際に、彼と面識・会話をかわした事はありませんが。
「はい、そうです。とはいえ、実はお恥ずかしながら、本日で仕事先をクビになってしまいましたけどね」
 男性は私が持っていた大きなトランクを見ながら、頷きました。
「クビ……ですか……」
「はい。でも、ちょうど良い機会でしたよ。あの傲慢なお坊ちゃんから、ようやく離れる事が出来たのですから」
 強がりを言っている様に聞こえるかもしれませんが、これは正直な気持ちでありました。あの男をギャフンと言わせられなかった事が心残りではありますが。
「傲慢なお坊ちゃんって……あのフェイドって人、やっぱりそんなに酷い方だったのですか?」
「はい。あの男は使用人をこき使って甚振る事しか頭にない暴君で、挙句には私の奴隷を婚約者にして、この私を追い出したのですよ」
「奴隷?!」
 おっと、私とした事が。何も知らない彼に余計な事を漏らしてしまいました。
「あぁ、失礼。間違えました。正しくは部下です」
 どうにかその場を誤魔化すと、男性は私に尋ねて来ました。
「ところで、そのフェイドって人に婚約者が出来たと言っていましたけど、本当なのですか?」
「はい、そうです。彼女は屋敷のメイドだったのですが、純情な見た目に合わず、かなり生意気な女でしてね。調教……じゃなくて躾けようとしましたが、彼女には散々手を焼きましたよ。しかし、彼女がフェイドに私の事を告げ口したのですよ。それに興味を持ったフェイドが喰いついたのでしょう。自分と婚約した事に、怒った私が彼女に手を出したところを見事捕らえられて、追い出されてしまった訳なんです」
 主従関係が解消された以上、もう恭しく『ご主人様』と呼ぶ必要は無いので、呼び捨てにしてやりました。ささやかな反抗というものです。
 その言葉に、男性は少し考えました。
「その女性って、どんな人なのですか? 今すぐ、止めさせないと……」
「無駄ですよ。あの女は今頃あの男にベタ惚れですから」
「それでも、止めに行かないとダメなんです! あの男が真剣に結婚を考える訳がありません! というか、確実に何かを企んでいるに違いありません!」
「そうでしょうね。あの男は舞踏会でも毎回、違う女を部屋に連れ込んでいましたから。きっと、彼女もあの男に利用された挙句に捨てられるのがオチですよ」
 真剣に語る男性を私は適当に受け流しながら返しましたが、男性は更に強く言いました。
「そうじゃなくって、もっとマズイ噂があるのですよ!」
「もっとマズイ噂?」
 それを聞いて、私は今までの落ち着きを失いました。
「あなたは、あの男について何か知っているのですか?」
「はい。こんな事を人に打ち明けるのは吐き気が出る程、非常に心苦しいのですが、実を言いますと……」
 男性は周囲に聞かれない様、私の耳元で小さくその噂を話しました。
「……何ですって、それは本当なのですか?!」
 男性の話に、私はとても驚きました。とてつもない衝撃が走りましたよ。使用人の間でも、その様な噂は一切上がっていませんでした。
 これを聞いたら、それこそリリィとエドが更に大きな悲鳴を上げるでしょう。
「はい。まだ確証はありませんけど、恐らく彼は何かを企んでいるに違いありません。早く止めないと、僕達まで恐ろしい目に遭うと思われます」
「分かりました。では、私も一緒に協力します」
「そうしてくれると、助かります」
 こうして、私は男性と協定を結ぶ事にしたのです。
 一刻も早く、あの男――フェイド・ジェイドを止めないと。

第6話

まえがき
今回は、リリィとジークの視点で書いています。

Side ジーク

「……それで、フェイドさんの噂について、詳しい話を聞かせてくれませんか? フィンさん」
 執事をクビになって路頭に迷った私を拾ってくれた男性・フィン・シュビリッツ氏。
 家は名門貴族・シュビリッツ家で、彼はゆくゆくこの一帯を仕切っていく次期当主です。こんな人に拾われるなんて、世も捨てたものではありませんね。
 話によりますと、フィンさんは訳あってフェイド・ジェイドを観察していました。
 実は、あの男はかつてシュビリッツ家の人間だったそうです。フィンさんとは、いわゆる親戚にあたります。
 彼がシュビリッツ家の人間だと知った時は驚きましたが、通りで顔立ちが似ています。性格は、真反対ですけどね。
「それで、あの男が当家の権利を剥奪しようと考えているという話は、どこで耳にしたのですか?」
「その辺は憶測も入っているのですけどね……」
「憶測と言いますと?」
「はい。こんな事を語るには反吐を吐きそうな位に心苦しいのですが、彼は幼少期から自身の身分に鼻を掛けていて、非常に素行が悪い人間だったのです。才能や容姿にも恵まれていたとはいえ、それを過信していつも他人を見下していて、取り巻きはいましたけど、周囲からは恐れられていました。それで、見かねた父親が8年前に彼を勘当したのです」
「そうですか……確かに、彼の素行は目に余るものでしたね。私がかつて働いていた屋敷の使用人も彼の不満を頻繁に口にしていましたし、あの男のせいでノイローゼや鬱病になった人や夜逃げをした人を何人も見てきましたよ。些細な失敗で機嫌を損ねさせてしまった事が原因でクビになった人も大勢いました」
 私の愚痴に、フィンさんの表情は一気に青ざめて頭を抱えました。
「あああああ……あんな出来事があったにも関わらずあの男が懲りずに今でも使用人に非道な振る舞いをしていたなんて……辞めていった使用人さん達には本当に申し訳ないです……一体、何とお詫び申したら良いか……」
「いえ、わざわざそこまで謝る必要は無いですよ」
 必死に頭を下げるフィンさんを私がどうにか宥めると、本題に戻す事にしました。
「それで、あの男が当家の権利を剥奪しようとしているのではないかと憶測した理由を是非教えていただきたいのですが」
「はい。勘当した後は、一家の恥が消えて安堵していたのですが、数年後に彼が実業家として名を馳せている事を知ったのです。当初は更生したと思っていたのですが、商品の横流しやマフィアとのコネがあるという噂を聞いて、彼は何かを企んでいるのではないかと考えたのです」
「なるほど。つまり、フェイドさんはかつて自分を勘当した一族に復讐しようと考えているのではないかと」
「はい。恐らく彼の目的はシュビリッツ家の没落です。我々が何らかの理由で所領経営を手放した時に、彼がそれを手に入れようと狙っているのでしょう」
「なるほど。それなら納得がいきますね。それで、あなたは私に何を求めているのですか?」
「はい。あなたにはシュビリッツ家の執事になる代わりに、フェイドの陰謀を阻止して欲しいのです」
 それを聞いて私は、腹の底でニヤリと笑みを浮かべました。
 ふふふ……なるほど、面白い計画ですね。だったら、この機会に元主人に今までの恨みを晴らせそうです。
「分かりました。では、その役目を引き受けましょう」
 私は自信に満ちた表情で答えました。
 私は今まで何度も溝 (どぶ)に落ちて這い上がった身。でも、捨てる神あれば拾う神ありですからね。まぁ、以前の神は邪神でしたけど。
 でも、これは邪神に復讐する絶好の機会。そう思った私は、興奮がさめやりませんでした。
「ところで、フィンさん。親族という割にフェイドさんについて色々と詳しいですが、彼とは具体的にどういうご関係なのですか? もしかして、過去に彼と何かあったとか?」
 すると、フィンさんは苦虫を噛んだ様な表情を浮かべながら毒を吐き捨てる様に言いました。
「……あの男の存在は、僕にとっては害悪です!」

Side リリィ
 地下牢に監禁されて、一夜が明けた。
 せっかくジークから解放されて喜んだはずなのに、また襲われて手を出した結果、地下牢に連れて行かれた。
 突然の転落劇で、あの後の私は子供の様に泣き疲れてそのまま布団に入って眠りに就いた。
 これがただの悪夢で、目が覚めたらいつものメイド部屋だった……というオチなら良かったのだけど、冷たい石の壁と鉄の檻で囲まれた部屋、藁で出来た寝床を見て、これが現実である事を理解すると、私は鉄の様に重い溜息を吐くしかなかった。
 つくづく、私って運が無いな……。一体、どこで間違えたのだろう。
 そんな時、遠くから扉が開く音が聞こえた。誰かが来たのかな? もう陽が明けたし、そろそろ朝食の時間だろうと考えた。でも、ロクな食事はまず出ないだろうな……。
 そう思っていると、だんだんと足音が近付いて来て、曲がり角から現れた人物の名前を私は思わず口にした。
「ダリアさん……?」
 現れたのは、意外にもダリアさんだった。手に持ったお盆には、今日の朝食が並べてある。ダリアさんは、それを牢屋越しに置くと、牢屋の鍵を開けて食事を入れてくれた。
「リリィちゃん、大丈夫?」
 心配そうに尋ねるハウスキーパーに、私は「はい、何とか……」とぎこちない笑みで答えるしかなかった。
 お盆の上には、バターロールとジャガイモのポタージュ、コップに入った水があった。
 私はそれを食べた。刑務所の飯はマズイと噂で聞いていたのでここでの食事も覚悟していたけど、それなりに美味しかった。
 食事をしている最中ダリアさんは、私にしか聞こえない程の声量で心配そうに声を掛けた。
「ところで朝礼の時、ご主人様から聞いたわよ。あなた、ご主人様から助けてもらった恩を仇で返した罰として、地下牢に監禁されたんですって?」
 そんな事がもう使用人達の間で話題になっていたなんて。きっと、フェイドは相当立腹しながら話を盛って暴露したに違いない。
「恩を仇で返したって……向こうが助けたお礼に僕の忠実なる愛奴隷になってもらうと言ってきたんですよ! 私は、それにムカついたから殴っただけです!」
 私は強く反論した。その後、殴り返されて犯されて処女でない事がバレて消毒された訳だけど……。
 それを聞いたダリアさんは、呆れながら溜息を吐いた。
「……確かに、ご主人様はロクでもない人ではあるけど、だからと言って相手を逆上させたら元も子もないわよ。リリィちゃんは面識が無かったとはいえ、彼の事は既にジークやエドくんから聴いていたでしょ。ああいう人に下手に噛みついたら、後で自分がどうなるかくらい目に見えたはずよ」
 それを言われると、ぐうの音も出なかった。
 確かに、面識が無かったとはいえ、フェイドの性格はジークやエドさんから既に聴いていた。外面は良いし仕事は出来るけど、傲岸不遜で裏では使用人に対する扱いが酷いと話しており、他の使用人からの評判も悪かった。それでも、皆、生活の為に辞める事が出来なかったのだけど。
 今思えば、フェイドが自分の正体を隠して近付いたのも、私を信用させる為の演技だったのかもしれない。
 きっと、自分から恩を売る事で上手く付け込んだのだろう。その結果、まんまと騙されてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
 私はしゅんとした表情で、頭を下げた。
「ところで、ダリアさんの方も大丈夫なのですか? ジークさんがクビになって大変な事になっているんじゃないですか?」
 アイツも腹黒さではフェイドと双璧を成しているけど、仕事は出来るし使用人からの評判も良かった。そんなエース的存在を失ってしまって、他の使用人達は大丈夫なんだろうか?
「そうね。今は他の下僕が代理を務めているけど、やっぱり突然の解雇だったから皆、混乱しているわ。エドくんもジークがいなくなって、かなり落ち込んでいたわ」
 そうだよね……。エドさんはジークさんを非常に慕っていたからな。突然解雇されてしまうのはショックが大きいだろう。
「でも、どうにかこれまで通り仕事はこなすわ。あなたの脱獄を手伝う事は出来ないけど、あなたは娼婦をやっていたし、ジークやご主人様を一目惚れさせるだけの魅力はあるのだから、それを利用すれば上手く行ける筈よ」
 利用するって……どうすれば良いのか分からなかった。
「さっきから何を話している?」
 向こうから叱る声が響いてきたので、ダリアさんは毅然とした態度で「分かりました」と返すと、空になった食器をお盆で運んで行った。
「それじゃあ、頑張ってね」
 と私に告げると、ダリアさんはその場を去って行った。
 主人に手を出した事を知って幻滅されてもおかしくないと思ったけど、私の事情を察してくれたので安心した。でも、こんなところで終わる訳にはいかない。どうにかここから出る為の策を考えないと。
 地下牢に窓は無いし石で出来た壁に穴を掘って脱出する事も出来ないので、脱出するには牢屋の鍵穴をこじ開けるか看守役の下僕を説得して扉を開けてもらうしかないが、脱出に使える道具は無い。
 そんな時、ダリアさんが告げた言葉を思い出した。

「あなたは娼婦をやっていたし、ジークやご主人様を一目惚れさせるだけの魅力はあるのだから、それを利用すれば上手く行ける筈よ」

「これだ……」
 私はある作戦を思い付いた。でも、これを実行するのはかなりのハイリスクである。仮に成功したところで、その後の身の保証は無い。万一、失敗したらタダでは済まないだろう。最悪の場合……。
 ……いや、ダメよ私。弱気な事を考えちゃいけない。あなたは、こんなところで終わる訳にはいかない。どうにか、ここから抜け出さないと。
 そして、私は遂に腹を括った。
 でも、それにはまずフェイドがここにやって来る必要がある。彼は私が苦しむ姿を拝もうとここにやって来るはずなので、その時を狙おう。

 夜になって、仕事から帰宅したフェイドがようやく地下牢にやって来た。背後には、護衛の下僕も付き添っている。
「まだ一夜しか明けていないのに、相当応えているみたいだね」
 突然の転落に憔悴している私を見て、フェイドは嘲笑った。でも、ここで反発する事は出来なかった。
「どうする? 君がここで謝罪の言葉を口にするというのであれば、出してあげても良いけど?」
 フェイドが、悪魔の誘いを持ちかけて来る。返す言葉は決まっている。
「……分かりました」
 私は意を決しながら答えると、続けて言った。
「はい。フェイドさんからの御恩を仇で返し、非礼な振る舞いをした事を深くお詫びします」
 私は、フェイドの前で膝をついて両手を組んだ。
「じゃあ、君はこれから僕の言う事をちゃんと聴くという事だね」
 フェイドは勝ち誇ったかの様な笑みを浮かべたが、すかさず挟んだ。
「はい。ジークの事は忘れます。これからはフェイドさんの事を一生愛します」
 私の言葉に、フェイドはにやりと不気味な笑みを浮かべた。
「そうか、分かった。そこまで言うなら解放してあげるよ」
 そこへ、フェイドの下僕が心配そうに声を掛けた。
「良いのですか? この女の言葉を信じて。何か裏があるかもしれませんよ」
 下僕は何か警戒している様だが、
「大丈夫だ。仮に裏があったとしても、逃げ出したり反撃したりするだけの力は無いだろう。彼女を牢屋から出せ」
 フェイドの命令に下僕は戸惑いつつも牢屋の鍵を開けた。鉄の扉が開かれて、私はようやく牢屋の外に出る事が出来た。
「でも、きちんと消毒はさせてもらうからな。お前、膣が緩んでいたからな」
「その件につきましては、理由があります」
「何だ? その理由とは?」
「はい。実は私、かつては娼婦として働いていました。両親を失って生活の為とは言え、平民の男に身体を売る事で生計を立てていました。そこをジークが娼館にやって来てこの私を専属娼婦として買収しました。しかし、この事が公になると社交界でフェイドさんの評判に悪影響を及ぼすと考えましたので、ジークさんの計らいで屋敷のメイドとして働いていた訳であります」
「それは本当なのか?」
「はい。この事は使用人の間では周知の事実となっています。もし、私の話が信用出来ないのでしたら、隣の使用人に尋ねてください」
 フェイドが「彼女の言っている事は本当なのか?」と下僕に尋ねると、彼らは躊躇しつつも「えぇ、ジークさんが朝礼で我々に打ち明けておりました」と認めた。
 それを聞いて、フェイドさんは
「へぇ……じゃあ、君が処女を捨てたのは、そういう理由だったのか」
 と頷いた。
 もし、フェイドから初めて抱かれた時に娼婦とバレていたら、更に詰られてもおかしくなかったけど、意外にもすんなりと聞いてくれた。
 『生活の為』にという言葉が効いたのかもしれない。
「確かに、処女は捨てていますが殿方を相手にする事は得意です。あなたを満足させるだけの事はして差し上げられます」
 私は、ニコリと笑みを浮かべた。もちろん、これはハッタリだけど、実際に今まで何人もの男を相手してきたのだから、どうにかなるだろう。
「ご主人様、良いのですか? こんな女の言う事を信用して」
 後ろの下僕が懸念を示したが、フェイドは少し考えた後、
「分かった。そこまで言うなら君を解放してあげよう。その代わり、もし逆らったら承知しないからね」
「ありがとうございます」
 覚悟は、とっくに決まっている。何としてでも、目的を達成しないといけない。
「彼女を牢屋から出せ」
 フェイドの命令に下僕は戸惑いつつも牢屋の鍵を開けた。鉄の扉が開かれて、私はようやく牢屋の外に出る事が出来た。
「分かっているとは思うけど、安心するのはまだ早いからな。君にはこれから僕の駒として動いてもらうのだから。裏切って逃亡する様な真似はするなよ」
 フェイドから釘を刺され、私は「はい」と返事をした。

 地下牢から解放された後、連れて行かれたのはフェイドの部屋かと思いきや何と脱衣所だった。
「あの……ここで何をするのですか?」
 私が恐る恐る尋ねると、フェイドは勢い良く服を脱ぎながら言った。
「決まっているだろう。君の身体を消毒してあげるのさ」
 そして、下僕が浴室の扉を開けると、浴場並みに広く大理石で出来た立派な浴槽が目に入った。
 使用人用のものとは全然違う浴室に、私はぽかんと口を開けた。
 こんなところで毎日洗っているのか。一人で使うには、もったいない気がする……。
「それじゃあ、今から消毒を始めようか。娼婦の頃もジークに躾けられていた頃も全て綺麗にしてあげるよ」
 フェイドは、そう言ってあくどい笑みを浮かべた。

 早速、フェイドと二人で浴槽に入る。バスタオルを身体に巻いた私は、フェイドに話しかける。
「よ、よろしければ、お背中を流しましょうか?」
「あぁ、ありがとう」
 私はフェイドの背中をタオルで丁寧に洗う。こういう作業は、客だけではなく先輩娼婦を相手にした事もあったので、慣れていた。
「うーん。まあまあだな」
 フェイドは、鏡が湯気で隠れていて彼の顔よく見えないけど、声からして満足している事が分かる。
「それにしても、フェイドさん。大丈夫なのですか? 今まで使用人達に身体を洗ってもらっているあなたが人を洗う事って出来るのですか?」
 かえって怒り出すかと思ったけど、試しに聴いてみた。
「大丈夫だよ。子供じゃないんだから」
 と口を尖らせつつ、石鹸とタオルで泡立てた。そして、濃密な泡が出来ると、それをいきなり私の膣に当てて撫でまわした。
「あぁっ……」
 泡との感触に、私は思わず声を上げてしまった。
「こんな事で感じるんだ。淫乱だね」
 フェイドが私の耳元で囁く。
「もしかして、一人で身体を洗う時も、こんな事をして感じていたのか?」
「そ、そんな訳ありませんよ!」
 もちろん、自分で洗う時はこんな声は上げない。しかし、他人に身体の、しかも外側ではなく中を洗われる行為により感じてしまうのである。
「試しに、感じているのか確かめてあげようか」
 フェイドはそう言って、指を私の膣の中に入れた。
 くちゅくちゅと音を立てながら、刺激させる。
「くふぅっ……ちょっと……やめて……」
「ふふっ、下衆な男に穢されたものを綺麗に全て洗い流してあげるよ。もちろん、ジークもね。その後で、僕を君の身体に覚えさせてあげるから。もう二度と他の男で感じない様に……」
 そう言って、彼は私の指を動かした。ジークともした事があったけど、やっぱりかなり感じてしまう。
「へぇ……誰にでも感じちゃうのか。こんな事をジークに知られたら、軽蔑されるだろうな。どんな男にも感じちゃう淫乱女だと思われるかも」
 意地悪な事を言われてしまったけど、否定する事は出来なかった。そんな事をしたら、また逆上されるに違いないと恐怖した。
 仕事じゃなかったら、確実に裸で逃げたいところだけど、今はそういう訳にはいかない。私は必死に耐えながらフェイドとの前戯に耐えたのであった。
「それじゃあ、ここで入れちゃおうか」
「い、入れるって……ここお風呂ですよ?!」
 フェイドから突然誘われて、私はたじろいだ。
「何を言っているの? 君は僕の言う事に何でも聞くのだろ?」
「そ、そうですけど……」
「じゃあ、ここで入れても良いよね」
 フェイドが三日月の様に笑った。明らかに悪巧みを楽しんでいる。
「わ、分かりました……」
 恐怖に怯えつつも、私は自分に暗示を掛けた。
 大丈夫よ、リリィ。これはあくまで仕事。今まで、他の男と抱かれた事があるじゃない。それに、ジークの時だって仕事で抱かれていたし、彼にも満足してもらえたでしょう。
 だから、フェイドの時もきっと上手くやれるはずよ。彼を満足させられれば、高級娼婦としてもやっていける。
 そう思いながら、私は目を閉じた。
 ゆっくりと男根を入れられていく。
「あぁっ!」
 私の身体が反応した。
「そうだ。凄く反応が良い……何てエロい顔をするんだ。ジークの時もそんな顔をしていたのか?」
「そ、それは……」
 入れられている最中に、フェイドからの質問に答える事は恥ずかしくて出来なかったので、横を向いてしまった。
「その反応からすると、どうやら正解の様だな。でも、これからは僕だけのものになったのだから」
 フェイドは嬉しそうな顔で、更に男根を深く入れる。
「あぁっ……イクぅっ! もっと欲しいですぅ~」
 フェイドを満足させる為に、私もなるべく大きなリアクションを入れた。今までの男達も、そうする事で悦んでくれたから。
「……らしいな」
「えっ? 今何て……」
 私の質問に、フェイドは躊躇せずに答えた。
「わざとらしいと言ったんだよ」
「わ、わざとらしい……ですか?」
「娼婦としてのサービスでやったんだろうし、セックス中に無反応なのも困るけど、あんまりわざとらしいリアクションをされると、逆に萎えるんだよ。お前、娼婦だから仕方なく相手をしているだけなのか?」
 まさか、客にリアクションをダメ出しされるとは思わなかった。
「そ、そんなつもりは……ご、ごめんなさい……」
 申し訳なさそうに頭を下げると、フェイドはそれを打破する為にある事を思い付いた。
「そうだ。せっかくセックスをしているのだから、ここで僕への愛を告白してもらおうか?」
「えっ?」
 まさかの要求をしてきた。
「地下牢にいた時は、僕と婚約すると言ったけど、愛の告白はまだ言っていなかったよね。だから、ここで僕への愛を口にしてもらおうか」
 ジークが、さぁやってみろと言わんばかりに命令した。私は恐怖と緊張で、唇が震えながらも告げた。
「わ、私は……フェイドさんの事が……好きです……」
 私は、フェイドへの愛を口にした。
「……それじゃあ、ダメだ。それじゃあ、まるで僕が無理やり言わせているみたいじゃないか。もっと、自然な口調で言いなよ」
「私は……フェイドさんの事が好きです!」
「ダメだ、演技臭い」
「大好き!」
 フェイドを満足させるまで、私はぎこちないながらも、私をジークから助けてもらった事を思い出しながら懸命に想いを伝えた。
 でも、幾ら必死に伝えようとしても、空回りするばかりでフェイドの不満は募る一方だった。
「……ったく、それじゃあダメなんだよ。怯えながら好きと言われても、ちっともときめかない。これじゃあ、娼婦としては三流だな」
 呆れ果てたジークは、そのまま浴室から出て行ってしまった。
 一人残された私は内心安堵したが、直後に寒気が走った。
 客を満足させられないなんて、娼婦として失格だ。
 でも、せっかく想いを伝えているのに、どうして上手く伝えられなかったのだろう。
 必死の告白も空しく終わり、どうすれば良いのか分からなくなった私はただぽろぽろと涙を流すだけだった。

第7話

 浴室での一件から一夜明けて、私は客室のベッドで目を覚ました。思い出すのは、浴室での出来事。
 フェイドに愛を告げようとしたけど、フェイドに喜んでもらえず、かえって失望させてしまった。
 これでは、娼婦として三流と言われても仕方ない。
 でも、どうすれば良いのか全く分からなかった。
 そもそも、どうして上手く伝わらなかったのだろう。
 考えられるのは、あの一夜に乱暴されそうになって怒った私が地下牢に閉じ込められたのが原因だろう。きっと、あれがトラウマになっているのである。
 ジークから解放された直後だったら、もっと上手く愛を告げられたかもしれないけど、その事を思い出しながら告げても、ダメだった。
 あの後、毎晩フェイドの部屋に呼ばれてセックスをした。そして、何度も「俺を好きと言え」と命じられたのでそれに従ったが、やはり満足させられなかった。
 地下牢に逆戻りになる事も覚悟したけど、実際にそんな事は無かった。何があったのだろう。
 そんな時の事である。

「ねぇ、パーティーの招待状が届いたんだ」
 フェイドが招待状を見せながら私に言った。
「まぁ、いつものお誘いですか」
 あそこには、あらゆるセレブや貴族が集まって来る。きっと、そこでダンスやお食事をするのだろう。
「何を言っているの? 君も一緒に来るんだよ」
「えっ、私もですか?」
 まさかの発言に、私はきょとんとした。
 子供の頃は、一度で良いから行ってみたいと憧れていたけど、こうして現実になる日が来るとは思わなかったな。
「でも、貴族でもない高級娼婦でもない平民の私がパーティーに来ても大丈夫なのですか?」
 しかし、フェイドは自信に満ちた笑顔で答えた。
「大丈夫だよ。僕の婚約者として同伴すれば何の問題も無い。それに、君はルックスも良いからね。少なくとも、周りから陰口を叩かれる事は無いと思うよ。僕と一緒にいる間は、何も話さなくて良いから」
 確かに、富裕者の婚約者となれば、たとえ平民であってもそれだけで一目置かれる。パーティーの時に、彼と同伴しても何ら違和感は無いだろう。正直、上手く行けるかは分からないけど、せっかくの機会なのでパーティーに行ってみたい。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
 私の返事に、フェイドは笑顔を見せた。
「君が喜んでくれて本当に良かった。それじゃあ、君にはこれからパーティー当日まで、周りに失礼の無い様にきっちりとレッスンを受けてもらうからね」
 その言葉を聞いて、私は「えっ?」と目が点になった。
「そ。それは……どうしてなのですか?」
 私はフェイドに理由を尋ねると、彼は私と最初に出会った時と同じ笑顔で答えた。
「簡単な事さ。いくら平民とはいえ、せっかくの会場で周りに粗相をはたらいたら、その時点で僕のメンツが丸潰れになるし、下手をしたら社交界から出入禁止にされちゃうからね」

 それから約一ケ月の間、私は社交界で恥じない立派な淑女になる為にフェイドが連れて来た家庭教師から毎日レッスンを受ける事になった。
 社交ダンス、食事の仕方や立ち振る舞い、ウォーキング……色々な事を訓練した。
 どれも、あまりにハードな内容であり、おまけに失敗すると教師から鞭を打たれるので心身共に疲労しきってしまい、一時は挫折しそうになったけど、フェイドから「もし、当日までに上手くいかなかったら、地下牢に逆戻りだからね」と笑顔で脅されたので、ひたすら耐え忍ぶしかなかった。

 そんな厳しい訓練を何とか乗り越えて、迎えたパーティー当日。
 使用人によって、私は色鮮やかなスカーレットのボールガウンを着せられた。まるで、ロマンス小説に出て来そうな煌びやかで妖艶なドレスである。
 もちろん、事前にドレスのフィッティングを行っているので、サイズはピッタリである。娼館にいた頃とは違うドレスに、私は当初躊躇してしまった。デザインも豪華でいかにも高級感があるからだ。
 おまけに、中に着けられたコルセットがウエストを締め付けてきて結構苦しい。もしかしたら、肋骨が歪んでしまうのではないかと思った。
 プロから受けた化粧も娼館で働いていた時に自ら施していた化粧をしていたものと違いが歴然だった。鏡を見た時は、これが私なのかと驚いたくらいだし、フェイドや使用人達からも「とても似合っています」と大絶賛された。
 周りからこんなに褒められると、何だか照れくさいな。
 もし、ジークにこれを見せたら彼らと同じ様に褒めてくれたのだろうか。
 デートの時に私の服が汚れて新しい服を見せた時には「似合っていますよ」と笑顔で褒めてくれた。
 アイツがいなくなってせいせいしたはずなのに、何だか心がもやもやする。でも、皆を心配させたくなかったので、そんな様子は一切見せない事にした。

 そして、夜を迎えると私はフェイドと共にパーティーの会場である屋敷にやって来た。
 入口でフェイドが招待状を門番に見せると、笑顔ですんなりと通してくれた。
 ホールの中には、豪奢なドレスを身にまとったレディやボルドーやタキシードなどをピシッと決めた紳士達で溢れ返っていた。
 ここにいる人達って、皆セレブの人達なの? 目の前がキラキラと光り輝いていて、貧しい平民の生まれで高級娼婦ではない私がこんな所にやって来て良いのだろうかと不安になってしまった。
 煌びやかな別世界に突然放り込まれた私が挙動不審になりつつも辺りを見渡したが、皆は優雅に食事や会話を楽しんでいる。あんなところにいて、緊張しないのだろうか。
「大丈夫?」
 フェイドが、心臓が飛び出しそうなくらいに緊張している私に声を掛ける。
「だ、大丈夫です」
 と言って、誤魔化した。
 向こうでは、黒いタキシードを着た白髪の男性が見えた。お酒を嗜みつつ若い女性と朗らかに楽しんでいる。そして時折ジョークを挟んでいるのか話し相手の女性が笑っている。
 別の所では、マダム達が話題に花を咲かせ、更に別の所では紳士達が事業について語っているのが目に映った。
 皆、こんな場所でよく緊張せずに楽しめているよな。きっと、何回も訪れているからすっかり慣れているのだろうけど。
「な、何だか緊張しますね。こんなに華やかな場所に放り込まれて、上手くやって行けるか不安になって来ましたよ」
「まぁ、最初は皆そうだけど、あんまり緊張していると壁の花になるよ」
「かべのはな?」
「そう。でもまぁ、初めてやって来た君が誰かに話しかけるというのは酷だから僕が一緒に付いてあげるよ」
 手助けをしてくれるのは、ありがたい。決して人見知りするタイプではないけど、セレブ様に話しかけるのは気後れしてしまう。ここは、お言葉に甘えた方が良いだろう。
「こんにちは、アランさん」
 フェイドは、白髪の男性に話しかけた。先程、女性と一緒に楽しく会話していた人だ。
「おぉっ、フェイドくんじゃないか。君も来ていたのか。しかも、可愛らしい女の子まで連れちゃって!」
 アランさんと呼ばれた男性は、親し気にフェイドさんに話しかけて来た。大分年齢が離れているのに、結構気さくな人だな。
「はい。彼女はリリィ・ヴァリーと言いまして、僕の婚約者です」
「は、初めまして。リリィ・ヴァリーです」
 私はドレスのスカートの両裾を摘まみながら、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。可愛らしいお嬢さんだね」
 アランさんは私を褒めた後、私の手の甲に軽く口付けをした。やっぱり、こういう挨拶は普段から慣れているんだろうな。
「紹介するよ。この人は、アラン・フィレンツさん。ファッションブランド・フィレンツローズの創始者だよ」
 それを聞いて、私は内心驚いた。
 レディを中心に人気で、海外からも絶大な支持を集めるエルファッションブランド創始者とこんな所で対面出来るなんて。こんな超VIPと会話する日が来るとは、夢にも思わなかった。セレブのパーティーには、こんな人達が集まっているんだ。
「ところで、リリィちゃんはどこのお嬢さんなのかな?」
「そ、それは……えっと……」
 しまった! 全く考えていなかった。
 これって、『元は貧しい家の生まれでしたが、色々とあってフェイドさんに見初められて彼の婚約者になりました』と正直に話しても大丈夫なのかな? でも、そんな事を話して軽蔑されたらどうしよう。私の中で、そんな不安が沸いてきた。
 そこへフェイドさんが代わりに話した。
「はい。彼女は、元は平民の生まれだったのですけど、偶然街で見かけたところを僕が一目惚れして、そのまま婚約した形です」
 フェイドが、まさかのフォローを入れてくれた。
「ほう、つまりフェイドくんの一目惚れというやつか。また、女の子に手を出しちゃってー」
 フィレンツさんがフェイドさんを冷やかしたが、
「フィレンツさんだって、人の事を言える立場じゃないでしょう」
 と笑って受け流した。
「じゃあ、リリィちゃんはフェイドくんのどこに惚れたのかな?」
「えーっと……悪い男に絡まれていた所を助けられたところ……です」
 と、ぎこちない返事をした。
「そういうところは、ぎこちない返事をしちゃダメだよ。もっとはっきりと言わないと」
 喝を入れられてしまった。
「すみません。彼女、パーティーに来るのは初めてなので、かなり緊張しているのですよ」
「そうかー。でも、もしフェイドくんと結婚したら、更に大変になるよ」
「えっ?」
「パーティーっていうのは、基本的に夫婦同伴がマナーだからね。こういう場は、早く慣れた方が良いよ」
 うっ……ユーモアがある様に見えたけど、意外と厳しい事を言って来るな。
「どうしても心配なら、今度おじさんがリリィちゃんの為だけに美形御曹司だらけのパーティーを開いてあげようか」
「えぇっ?!」
「うん。色んな殿方とヤりたい放題だよ」
「それは、お断りします!」
 そんなところに女性の私が一人放り込まれたら、心身共に擦り切ってしまう。幾ら娼婦をやっていたとはいえ、大勢の男性を相手にしていたら身が持たないよ。
「冗談だよ」
 アランさんはニッコリと笑った。
 何だ、冗談か。驚かさないでしょ。
「それにしても、君達は本当にお似合いだよ。もし、二人が結婚したら是非招待してよね」
「はい。楽しみに待っていてください」
 フェイドが笑顔で答えると、アランさんは笑顔で手を振りながらその場を去って行った。
「お、思っていたより奔放な人でしたね……」
「まぁね。けど、センスとユーモアはあるし、常識は弁えているからね。だからこそ、大成したのだろうけど」
 なるほどね。セクハラ発言はあったけど、それ以外は不思議と不快感は無かった。ダンディで気さくな人柄が理由かもしれない。
 その後も、会場の客を見渡していると、向こうで人だかりが出来ていた。中で何か盛り上がっているのかな? そんな中、見覚えのある男性を見つけた。
 切れのある青い瞳、短く切り揃えられた艶のある黒髪、そして立派な黒い紳士服をピシッと着こなした男性――まさか?!
「どうしたの?」
 フェイドさんが尋ねて来た。
「あの……向こうに前の職場にいた人がいるんですけど……」
「前の職場って、誰なの? 今どこにいるの?」
 フェイドは遠くを見るが、分からない様だ。
「えーっと、今ボルドーの燕尾服を着た明るい茶髪の男性の隣にいる執事服の男性ですけど……」
 私がどうにか執事がいる場所を教えるが、その途中で男性と目が合って、私は声を失った。そして、男性も私に気付いたのか隣の男性に耳打ちした後、人混みの中をかき分けながら、こちらに近付いて来た。
 ……マズイ!
 危険を察した私はドレスの裾を上げると、フェイドを置いて慌てて人混みを潜り抜けながら、その場から逃げ出した。

 ホールを抜けて、屋敷の廊下を懸命に走った。途中で使用人が驚く様子が見えたけど、それをも振り切ってひたすら逃げた。
 何で、こんな所にジーク(アイツ)がいるのよ? この前、執事をクビになって屋敷を追い出されて路頭に迷っているはずなのに。
 しかし、向こうからは私を追いかける駆け足が近付いて来る。
「待ちなさい!」
 男性がすぐさま私の後を追いかけて来た。予想はしていたけど、かなり足が速い。
 一方でロングドレスにハイヒールの私は、懸命に足を動かすが、やっぱり動きづらい。それでも、追手に捕まらない様にどこか隠れる場所を探していたら、女性用トイレを見つけた。
 ここに隠れたら、安心だ。そう思った私は、すぐさまそこに駆け込んだ。

 用を足したフリをする為に、しばらく個室に篭ってトイレの水を流し、怪しい人影がいなくなった事を確認すると、私はこっそりとドアを開けて、トイレから出た。
 だが、その瞬間に出口からいきなり腕が伸びてきて、私の顔を手で鷲掴みにした。更に、その場で私を床に押し倒し、身体を覆い被さる様に馬乗りになった。
「ちょっと、離して! 変態! ここは、女性用トイレよ! 誰か助けてー!」
 突如捕らわれてしまった私が悲鳴を上げながら身体をばたつかせて必死に抵抗するが、それを遮るかの様に聞き覚えのあるテノールボイスが聞こえた。
「たとえ女性用トイレだろうと、その中に怪しい人物が隠れているなら話は別です。これ以上、騒ぐとあなたを不審者として捕らえてあなたを警察に突き出しますよ」
「不審者って……私は別に怪しい事なんてしていないわよ!」
 私は犯人の腕を強引に振り払うと、相手の顔を睨みつけた。
 犯人は、ジーク・フィースだった。やっぱり、彼もここに来ていたんだ。
 しかもコイツ、私を捕まえる為に女性用トイレの入口でずっと待ち伏せていたんだ。もし、こんなところを他の誰かに見られたら、どうするつもりなのよ。
「やれやれ。目が合った瞬間に逃げ出すなんて。そんなに私と会うのが嫌だったのですか?」
「そりゃ、私に乱暴しようとした男と偶然出くわしたら本能的に逃げたくなりますよ!」
 下手をしたら、フラッシュバックを起こしてその場で倒れていたかもしれない。
「でも、あなたの場合は随分と敵に生意気な口が叩けますね、それだけ文句が言えるのであれば、もう傷は癒えたみたいですね」
 傷は癒えたって……本当はまだ完全には癒えていないんですけどね。喩えて言うなら古傷が疼いたと言った方が良いかもしれない。
「そもそも、何で私に近付いてきたのよ? 私とは、もう契約破棄をしてお別れしたんじゃなかったの?!」
 普通、あんな別れ方をした相手を偶然見かけたら険悪な空気になる事を避ける為に、お互いに目線を合わせず極力関わらない様にしていると思う。少なくとも、私だったらそうする。
「あれはあなたがフェイドと一緒に他の客と楽しそうに会話をしていたところを見掛けたので、こちらも久しぶりの挨拶をしようとしただけですよ。それなのに、その場から逃げ出すなんて相手に失礼ですよ」
「以前、私を乱暴しようとした人に対する礼儀は無いと思っていますので」
「乱暴? あぁ、もしかしてこの前の出来事を未だに根に持っているのですか? だとしたら、あの時は本当に申し訳ございませんでしたね」
 コイツ、ヘラヘラしている辺り絶対に反省してないわよね。捕まえた時は私を不審者扱いした癖に。結局、私をからかいに来ただけじゃないの。
「それに、あなたのドレス姿に少しばかり見惚れてしまいましたのでね」
「ぐっ……紳士的な笑顔で褒めても、もう騙されないんだからね!」
 コイツ、今まで私に散々意地悪な事ばかりしてきた癖に、再会してから急にお世辞を言う様になったわね。腹に一物抱えているんじゃないの?
「何も抱えてはいませんよ。いっそ、この場で襲いたいくらいに魅力的ですよ」
 そう言って、強引に私を床に押し倒した。
「ちょっと、いきなり何をするの!?」
「決まっているじゃないですか。私の言葉がからかいでは無い事を証明してあげるのですよ」
 ジークがオスの顔を浮かべながら告げた。
 こんなところを誰かに見られたらどうするのよ?! 私は、助けを求めるべく悲鳴を上げようとしたが、そんな内面を察したジークが先手と言わんばかりに返答した。
「大丈夫ですよ。万一誰かに見られたら、『不審者を見つけたので、取り押さえるついでに二度と悪さが出来ない様にオシオキをしていただけです』と言って警備員に突き出せば済む話ですから」
 そんな脅迫に、私は青ざめた。コイツ、私を犯罪者に仕立て上げる気なの? というか、そんな説明で相手が信じてくれるの?
「これ以上、反抗するとあの時の続きをしますよ。婚約者がいるにも関わらず、他の男に身体を穢されるのは嫌でしょ。酷い目に遭うのが嫌なら、ここでジッとしていてくださいね」
 そう言って、露になった私の乳房を眼前に舌を出しながら顔を近付けた。
「はぁっ……」
 敏感な乳首を舐められて、私は喘ぎ声を漏らした。
「フフッ、感じやすいところも相変わらずですねぇ」
 更に、ドレスの下に手を入れられて、あそこをまさぐってくる。
「うっ……あぁっ……」
 指で中を弄られる感触に、私は駄目だと思いつつも反応してしまう。
「アソコも随分と濡れていますね。嫌な相手でも、反応してしまうというのは本当みたいですねぇ」
 頭の中が真っ白になった私を見て、ジークがニヤリと笑う。

 淫らなシツケが終わった後、くたくたになった私に、ジークは尋ねてきた。
「ところで、フェイドとの関係はどうなのですか?」
「それなりに上手くやっているわよ」
「ベッドで襲われて乱暴される事はありませんでしたか?」
「……まぁ、最初の時は強引でびっくりしたけど、今ではすっかり慣れたわ」
 実際はフェイドから犯されそうになった事に腹が立って、アイツの顔を引っ叩いてやったら逆上されて地下牢に閉じ込められてしまったけど、そこから解放される為に、フェイドと婚約する事になったのだけど、それを正直に打ち明けたら、嘲笑われるのは目に見えているので、見栄を張る事にした。
「そうですか。てっきり、彼に脅されて仕方なく婚約しただけかと思いましたよ。思っていたより、二人の仲が良い様で安心しましたよ」
 この人、かなり鋭いところを突いて来るな。しかも、皮肉で言って来るから厄介だ。
「そういうアンタはどうしてこんな所にいたの? あなたは執事をクビになったのでしょう?」
 すると、ジークは笑顔で理由を説明した。
「はい。実を言いますと、私新しい就職先が見つかったのです」
「就職先?」
「えぇ。私が新たな住まい探しをしていたら、シュビリッツ家の御曹司に偶然拾われたので、そこに執事として就職させてもらう事になりました」
 爽やかな笑顔で悠長に語る辺り、どうやら執事として拾われたのは本当みたいだ。
 しかも、あの名門貴族・シュビリッツ家の執事になるなんて……。つくづく悪運の強い奴だな。
 いっそ、路頭に迷ってホームレスになっていれば良かったのに!
「……何か物凄く失礼な事を思っていたみたいですね」
「全然。気のせいですよ」
 白を切ったところで、ジークが尋ねて来た。
「ところで、リリィ。フェイドについて、何か話は聞いていますか?」
「話って?」
「フェイドを夫にするのであれば、彼の事は色々と調べた方が良いですよ」
「えっ? それって、どういう意味なの?」
「実を言いますと、彼はかつてシュビリッツ家の人間なのですよ」
「えっ?!」
 ジークから明かされた話に、私は驚いた。貴族である事は聴いていたけど、そこがシュビリッツ家である事は一切知らされていなかった。他の人に聞こえるとマズイので、小声で話す事にした。
「それ、まさかシュビリッツ家の人から聞いたの?」
「はい。彼は当時から文武両道で優秀な成績を収めていましたが、素行が悪い事が原因で、彼の父親から勘当されたそうです」
「それは、両親や使用人達はフェイドさんより弟を可愛がるばかりで、自分は誰からも構ってもらえなかったからと言っていました。幾ら優秀な成績を残しても全く相手にされてもらえなかったからと聴いています」
 私が異議を唱えると、ジークは
「ほぅ……あなたもあの男から直接聴いていたのですか」
 と呟いたが、
「成績は優秀でも、それを帳消しにする程、目に余るものだったのかもしれませんね。傲岸不遜で反抗的で、両親や使用人も彼には手を焼いていたのかもしれませんね。寄宿学校でも取り巻きはいましたが、基本的に生徒や教師からも恐れられていたそうです。その苛立ちと周囲から評判の良い弟への嫉妬から弟を虐めていた事が父親にバレてしまって、勘当されたそうです」
 そんな……最初に聞いた時は、可哀想な人だと思ったけど、結局は自業自得だったんだ。それでも、何らかの事情があったのかもしれないけど、自分を棚に上げて悲劇の主人公であるかの様に話すのはズルイよ。
 更に、ジークは続けて質問した。
「では、彼が爵位を取り戻す金を集める為に商品を横流しにしたり、シュビリッツ家を没落させる為にマフィアと交友関係を結んだりしているという噂はご存知ですか?」
「えぇっ?!」
 そんな話は聞いた事が無いし、彼もその様な事は一切話していなかった。私の反応にジークは、
「そこまでは、ご存知なかったのですね」
 と冷たく返された。
「でも、爵位ってお金で買えるものなの?」
「はい。昔はともかく、今では値段は張りますけど、爵位を買う事で爵位を手に入れる事が可能です。道楽目的の人がほとんどですけどね」
「でも、他人の所轄経営の権利ってそう簡単に手に入るものなの?」
「そうですね。最も多いのは、家が破産して権利を手放さざるを得なくなった時。そうすれば、権利が競売に賭けられます。彼は、恐らくそれを狙っているのでしょう」
 そう言えば、私がフェイドと初めて一夜を共にした当初、私が使用人からの評判が悪い事について尋ねたところ、彼はこんな事を私に打ち明けていたっけ。

「その後は失ったものを取り戻して、アイツらを見返す為に必死だったよ」

 彼は貴族の爵位を剥奪されて家を追い出された後、倒産しかけていた宝石店を買収して、人気ブランドにまで成長させた。
 でも、その見返すという内容が自分を捨てた家族に復讐するというものだとしたら……。
 そう考えると背筋が凍り付いてゾッとするけど、彼が必死に仕事をこなしていた理由も納得出来る。
「でも、決定的な証拠がある訳ではないですよね?」
「確かに、決定的な証拠はまだありません。でも、今からそれを探しているのです」
 彼の決心は非常に強かった。
「それで、どうしますか? あなたは、彼を止めますか? それとも、黙って見過ごすのですか?」
 その質問に、私は答えを出せず沈黙するしかなかった。
「良いですよ、すぐに答えを出さなくても。でも、かつての主人の顔を引っ叩いて歯向かった女が悪事を前にすると急に弱気になって、ただ黙って見過ごしているのは、本当に情けないと思いますけどね」
 と吐き捨てると、その場から去って行った。
 一人取り残された私は、ドレスの裾をキュッと握りしめながら、俯いた。
 アイツの言葉を信用した訳ではないけど、最後の言葉がとても意味深だった。
 もし、ジークの言う言葉が本当だったら? もし、フェイドが裏で悪い事を企んでいたら? そんな疑念が渦巻いた。
 だとしたら、今すぐに止めたい。そんな思いが強く込み上げた。

Side ジーク

「お疲れ様でした」
 フィン (ご主人様)と共にパーティーから帰宅して、私はご主人様に挨拶を告げました。
「ふぅ……つ、疲れた……」
 ご主人様は、部屋に入るとぐったりとした様子で、ソファに倒れ込みました。余程、精神的に参ったのでしょうね。
「ところで、パーティーはどうでしたか?」
「……あの男がきっと参加すると睨んで参加したとはいえ、やっぱり人が多い場所は向いてないな」
 ご主人様は、あまり人見知りはしないタイプなのですが、人が多いところが苦手なので今までパーティーはもちろん、舞踏会にも滅多と参加しませんでした。しかし、今回はフェイドの様子を探る為に、敢えて彼の関係者が主催しているパーティーに参加したいと、こちらから申し出たのです。もちろん、主催者は卒倒していました。
 会場に来た時も、皆滅多と現れないセレブに衝撃を受けており、注目を集めてしまいましたので、ご主人様も非常に困惑していました。
「ところで、ジークさん。リリィさんという名前でしたっけ? かつての部下と会ったそうですけど、彼女はどうでしたか?」
「はい。相変わらず、元気そうでしたよ。しかも、フェイドの前でセレブを気取っていたので、とても胸糞が悪かったです」
 元娼婦の癖に、腹が立ちましたね。
「でも、リリィさんのドレスの姿を見た時、あなたはちょっとだけ見惚れていませんでしたか?」
「……まぁ、その辺は否定しませんよ」
「どうせなら、自分がエスコートしたかったとか?」
「エスコートなら既にやっていますよ(第4話参照)」
 この男、何かと人の痛いところを突いてきますね。あの男と違って悪気が無い分、厄介です。
「ところで、フェイドの噂については、もう彼女には話しましたか?」
「はい。ですが、まだ彼女もこの事は一切知らなかった様で突然私が話を持ち出したら結構動揺していましたけどね」
「やはり、そうでしたか。あの男は自分に不利になる様な事は婚約者にも一切話さなかったのですね」
「はい。でも、彼女ならきっと彼を止める為に動いてくれると思いますよ。彼女はあなたが思っている程、臆病な女ではありませんから」
 あくまで噂なので確証はありませんし、彼女が私の話を信用するかは分かりませんが、気が強くて生意気で正義感が強い彼女なら、きっと動いてくれる。私はそう信じていました。

第8話

 ジークからフェイドの噂を聞いて以来、私の中で不安が渦巻いていた。
 フェイドが裏で悪事に手を染めている? 確かに、粗暴でおっかない人ではあるけど、裏との繋がりがあるという話は使用人の間でも特に流れていなかった。
 そんな噂があったら、これを弱みに脅す人がいてもおかしくないと思うけどな。

 ちなみにジークが去った後、彼と入れ替わる形でフェイドがやって来た。
 突然、ホールを抜け出していなくなった私を探し回っていた様だ。迷惑を掛けてしまって、申し訳ない事をしてしまったと反省した。
 突然逃げ出した理由については場所がトイレだった事もあり、「急にトイレに行きたくなったので、慌てて駆け込んだ」と誤魔化した。
 さすがに、会場で偶然ジークを見つけてしまった事、彼から逃れる為に離れた事、そこでエッチな辱めを受けた事、そしてジークからフェイドの噂を聞いた事については、打ち明ける事が出来なかった。だって、そんな事まで話すのは恥ずかしいし、噂について真相を訊いたところで白を切られるのは目に見えているもん。
 その後、私とジークが関わる事は一切無く、それ以降も何のトラブルも起こらずパーティーは終わり、私達は屋敷に帰った。

 あれから、数日後が過ぎたけど、あの噂は未だに気になっていた。
 婚約者を疑うのは気が引けるけど、やっぱり真相を調べないと。
 色々と迷った末、私はようやく決意を固めた。
 フェイドの噂が本当なら私は何としてでも止めないといけないが、何から手を付ければ良いのか全く分からなかった。
 考えた末に、とりあえず使用人に聴いてみる事にした。

「えっ? ご主人様に悪い噂があるって? その話、一体誰から聞いたの?」
 まず、最初に聞いたのはダリアさんだった。彼女なら、長い間ジェイド邸に務めているので、彼について何か知っている事もあると考えたからだ。
「はい。この前、パーティーでシュビリッツ家の人から聴いたのですけど、真相を知りたくて。ダリアさんは何か詳しい事は知っていますか?」
 私の質問にダリアさんは、人差し指を顎に当てながら何かを思い出そうとしていた。
「うーん……私もこの屋敷で働き始めてから大分経つけど、その様な噂は聴いた事がないわね。あの人は、仕事とプライベートは別々にしているから、仕事の話を持ち出す事もしていないわ」
「そうですか……」
 ゴシップに詳しいダリアさんなら何か詳しい話が聞けると思ったけど、さすがにそこまでは知らないか。
 がっくりと肩を下ろす私にダリアさんは、
「でも、もし商品の横流しの噂が本当なら、どこかに極秘資料が置いてある筈よ。気になるなら調べてみたら?」
 それを聞いて、とりあえずフェイドが戻って来るまでの間、彼の部屋を調べる事にした。部屋に入った事はあるけど、こうしてじっくりと見渡すのは初めてだ。
 部屋には、海外の家具職人の手で造られたと思われる家具が置かれてある。さすが、当主の部屋というだけの事はある。
 そんな中、とある家具に目を惹いた。大きな布で覆い被された棚である。使用人だった頃は、仕事上主人の物を使うのは禁じられていたけど、一体何があるのだろう。
 気になった私は布を捲った。
 そこには、大量の本が敷き詰められた本が並べられていた。どれも会社・経営関連のものばかりだ。さすが、実業家。
 何で、こんなものを布で覆っていたのだろう。埃が付かないようにする為かな?
 そんな中で、一番上の棚にある一冊の本が目に入った。

『リチャード・フィンドルの復讐』

 こんな小説まで、読んでいたのか。この話は昔、図書館で一度だけ読んだ事がある。
 具体的な内容は覚えていないけど、確か主人公の貴族のリチャード・フィンドルが爵位を剥奪されて一族から勘当された恨みを晴らそうと、復讐するものだったと記憶している。
 しかし、主人公が苛烈な乱暴者で、持ち前の怪力を武器に度々喧嘩や暴力沙汰を起こしていた。その結果勘当されたのだから、客観的に見れば仕方ないものだ。
 それでも、彼は懲りるどころか逆恨みをして一族に復讐する為に殺人事件を起こした。しかも、手段は普通の人間では到底真似出来ない、かつえげつないやり口であった。
 当然、その結果最期は駆けつけた兵士によって、その場で銃殺された。これだけだと、スカッとするけど、暴力的なシーンを呼んでいる最中に気分が悪くなったので、途中のページを飛ばして最後のシーンだけを読んで終わり、以後その本は一切読んでいない。
 ただ、こんなに胸糞が悪くなる内容にハマる人が果たしているのだろうかと疑問に思った事だけは覚えている。
 もしかして、彼はこのリチャードの様に、自分を捨てた一族に復讐を考えているのではないか?
 そう考えた私は、恐怖を胸に本を開いた。
 そこには、あらゆる会社との取引先の記録が書かれてあった。
 つまり、この本のカバーで取引のファイルをカモフラージュしていたという訳か。
 証拠を掴んだ私は、それを持ち去って行った。

 その後、私は探偵事務所を訪れた。フェイドに関する怪しい情報を見つけたので、調べて欲しいとお願いした。
「……婚約者の部屋に、取引先のファイルがあったのですか」
 探偵さんは、私が渡したファイルをパラパラとめくりながら尋ねてきた。
「はい。決定的な証拠になるかは分かりませんが、重要なアイテムになると思います。取引先の会社を調べれば、分かると思うので、きちんと調べてください」
 私は、メイドとして働いていた分の給料を調査料として支払い、探偵に頭を下げた。
 私が出来る事はここまでだ。後は、向こうの調査結果を待つだけだ。
 探偵事務所を出た私は、ようやく緊張感から解放されて安堵の息を大きく漏らした。
 でも、肝心の本がなくなった事をフェイドに気付かれるとマズイので、帰り道に本屋で本物の『リチャード・フィンドルの復讐』を買って、屋敷に戻ったらこれにすり替えれば安心だ。
 そう思いながら、帰路に着いた。

 それから夜になって、私がいつもの様に風呂に入って眠りに就こうとした時である。
 扉の向こうからノック音が聞こえた。
「はい」
「私は返事をした」
 すると、蝋燭を持ったフェイドが中に入って来た。
「どうしたんですか? こんな夜遅くに一人で」
「ごめんね。実は君に大事な話があるんだけど、しばらく良いかな?」
「……良いですけど」
 嫌な予感がしたけど断ったら更に酷い目に遭いそうな気がしたので、私はフェイドに案内される形で彼の部屋に向かって行った。
 フェイドの傍には、必ず使用人が傍に付いていたけど、今回はそれがいない辺り何か重大な事があるのかもしれないと思った。

 部屋に入り、彼の机の上に置かれていたのは、『リチャード・フィンドルの復讐』の本である。私がカモフラージュの為に買った本である。
「あの……この本がどうしたのですか?」
 私は恐る恐る尋ねた。
「君、この本は読んだ事がある?」
「えーっと……昔、図書館で読んだ事がありますけど、あまりにも気分が悪い物語だったので、途中で読むのを止めてしまってそれ以来全然読んでないです」
「へぇー、そうなんだ……」
 フェイドが小さく頷いたが、声に温かみが無くて恐怖を感じる。
「この本はね、僕のお気に入りだったんだ。家を勘当された時に、たまたま目に着いたんだ。最初は立ち読みだったけど、まるで自分と似ている気がして、すぐにのめり込んだよ。買った後もこの本を何度も何度も読んだ。おかげで、この本が無くても内容を流暢に説明する事も出来るよ」
「昔の自分を見ているって……あんなに乱暴な人をですか?」
「あぁ。昔から周りから嫌われて誰にも愛されずに育って、家族から勘当されて、それってとても辛い事なんだよ」
でも、あの人は復讐をしようとしたけど失敗して最期はその場で射殺された。ほとんどの人からすれば、リチャードのした事は自業自得としか思えないかもしれない。けど本当は彼、自分の本性を受け入れてくれる人を純粋に求めていたんだと思う」
「受け入れるって……あんな乱暴者を受け入れるのは無理ですよ。誰だって、酷い目に遭うのは嫌ですし」
 神様でもあんな危険人物を受け入れるのは無理な気がする。
「傲慢だろうと乱暴だろうと、自分の醜い面を受け入れてくれる人がいないのは辛い事なんだよ。酷いと、その人の心が壊れてしまう。もし、彼が自分を受け入れてくれる人と出会っていれば、また違う人生を歩んでいたと思うよ」
 だからと言って、他の人達を傷付けるのはいけないと思う。それで心が壊れてしまうのであれば、その程度の人間だったという事でしかない。そんな人の為に、自分を犠牲にする事は到底出来ない。
「それで、何が言いたいのですか?」
「この本、誰かの手で擦り返られていたんだ。他の使用人に尋ねても、誰も知らないと言った。それに、この本は使用人には一切触らせていない」
「じゃあ、どうして擦り返られていると思ったのですか?」
 すると、フェイドは淡々と説明した。
「僕が持っていたものと比べて、カバーに傷や汚れが無くて、中の紙も随分と新しくなっている。きっと、本が無くなっているとバレない様に近くの本屋で買って来たんだろう。そして、何より……」
 そう言って、本の最後のページ――奥付を開いた。そこには、作者や出版社の名前などが記載されている。
 フェイドは、その中の印刷日を指差した。
「僕が持っていたのは第1刷だったんだけど、この本には第17刷と明記されている。これが動かぬ証拠だ」
 全く気にしていなかったところを指摘されて、私の中で緊張感が走った。
「それで、どうして私を呼び出したのですか?」
「ウチの使用人が僕の部屋から出て行くところを目撃したんだよ。君はあの部屋で何をしていたんだ?」
「えっと……フェイドさんの部屋がどうなっているのかが気になって、色々と見渡していただけであって、特に本には全く触れていませんけど……」
 本当の事を話したら、何をされるか分からないので、私は嘘を吐いてでも白を切るしかなかった。
 しどろもどろになりながら話したので、色々と怪しまれたんじゃないかと思った。
 しかし、フェイドはゆっくりと二回頷いた後、
「だったら、良いんだ」
 とだけ告げると、ようやく私を解放してくれた。
 どうにか、最大のピンチは回避出来たけど、まだ油断は出来ないな。だって、フェイドが頷いた時の目が笑っていなかったんだもん。
 もしかすると、バレてしまったのかもしれない。だけど、それ以降何もしなかった辺り思うところがあるのかもしれない。
 とりあえず、しばらくの間は細心の注意を払っておこう。

 数日後、私が部屋で読書をしていた時である。ノック音が聞こえたので返事をすると、ドアが開き、下僕が現れた。
「リリィさん、探偵事務所からあなた宛てにお電話です」
 きっと、以前の調査について結果が出たのかもしれない。私は電話のある玄関まで行って、受話器を手に取った。
「お電話代わりました、ヴァリーです」
「あっ、ヴァリーさんですか? この前、あなたが依頼したメモ帳の記録についてですけど、結果が出ました」
「えっ、本当ですか?」
「はい。至急、こちらまで来てもよろしいでしょうか?」
「はい、分かりました」
 私は受話器を置くと、すぐさま探偵事務所に向かった。

 探偵事務所に辿り着くと私は扉を開けたが、誰もお出迎えしなかった。しかも、向こうから異臭が漂っている。以前来た時は、こんな臭いはしなかったのに。
「すみません。リリィ・ヴァリーです」
 私は少し大きな声で呼んだが、誰も返事はしなかった。
 仕方ないので、部屋まで歩いたが、何だか部屋の中から異臭が更に強くなっていく。どうやら、あそこから異臭が出ているのかもしれない。
 そして、部屋に入ると、そこに出迎えてくれたのは探偵……の亡骸だった。
 刃物や銃でやられたと思われる深い傷跡が残った遺体は3つともソファや床に横たわっており、部屋の中も荒らされていた。
「何、これ……?」
 予期せぬ事態に私が唖然としていると、突如後頭部から鈍器の様な物で強く殴られ、私の意識はそこで途切れた。

「ん……こ、ここは?」
 ようやく意識を取り戻して目を覚ました私だった。身体を見ると、何と両手首がロープで拘束されていて、左足が鎖の付いた鉄球と繋がっていた。これでは、全く身動きが出来ない。
「何なの、これ?」
 突然の事態に私が混乱していると、どこからともなく聞き覚えのある声が聴こえた。
「やっと、目が覚めた様だね」
 声と共に現れたのは、フェイド・ジェイド――私の婚約者である。
「一体、どういうつもりなんですか?」
 私は内心怯えつつもフェイドを睨みつけた。
「やっぱり、君があのメモ帳の事も含めて探偵にチクっていたのか。君を誘き出す為に探偵のフリをして電話を掛けたのだけど、見事に引っかかってくれたね」
 やっぱり、私の行動は見抜かれていたんだ。しかも、それに付け込まれて探偵を騙る連中の罠にハマってしまうなんて……完全に油断してしまっていた。
 後悔と絶望に陥れられた私は唇を強く噛み締めるしかなかったが、それでもフェイドは話を続けた。
「婚約者を手に掛ける様な事はしたくなかったんだけど、バレた以上は仕方ないな。本来なら、あそこで口封じに殺したかったんだけど、取引先のマフィアがお前の事を気にいっちゃったんだよね」
 フェイドが薄ら笑いを浮かべながら答えた。
 よく見ると、彼の背後にはマフィアの男達が大勢立ちはだかっていた。サングラスをしているので目の奥は分からないけど全員下品な笑みを浮かべているのが見て分かる。
 まさか、私はここでコイツらに犯されるって事?!
 フェイドは黒い笑みを浮かべながら、私に指を差して狂った男達に告げた。
「ソイツはもうお前達のモノだ。後は好きにしろ」
 その言葉を聴いた男性達は、フェイドの命令を聞いた途端に身動き出来ない私に向かって、タガが外れたかの如く一斉に襲い掛かって来た。
 マフィアの男達は私の服を乱暴に引き裂いて脱がすと、太くて武骨な手が何本も私の身体を覆い尽くしていく。
「コイツ、娼婦なんだって? スゲー上玉じゃねぇか」
「まず、俺から抱かせてくれよー!」
「淫乱体質らしいじゃないか。どんな男にでも感じるって聞いたぞ」
「娼婦なんだから、俺達を楽しませてくれよー?」
 男達は下品に笑いながら、私を犯していく。こんな男にヤられて、心が千々に引きちぎられていく。
「ぐふふ……下着もぐしょぐしょに濡れているじゃないか」
「乳首も立っているぞ」
「こりゃあ、良い性玩具になりそうだな。ガハハ……」
 マフィアの男達は淫らな事を私に仕掛けて来る。乳首を吸ったり胸を揉みしだいたりアソコに指を入れて蜜を舐めたりと乱暴な扱いをした。
 こんな連中、相手にも感じてしまうなんて……!
「止めて……!」
 私は悲痛な呻き声を上げつつ抵抗したが、彼らは私の身体をどうやって嬲ろうかと盛り上がるばかりで全く耳を貸さなかった。
 私は、こんなところでこんな下衆達に犯されてしまうの?
 私の中で絶望という言葉が頭の中をよぎり、恐怖のあまり目を閉じた。
 その時、突如扉が開いて大勢の警官が現れた。その先頭に立っていたのは、刑事ではなくて……。
「ジーク……!?」
 敵に捕らわれたヒロインを助けに来たヒーローの如く颯爽と登場した彼に、私は心を奪われてしまっていた。
 まさか、ジークがこんなところまで駆けつけてくれるなんて。でも、どうして彼がこんな所に?
「マフィア・ルキアーノ! ここにいる者を全員、横領、誘拐、殺人等の容疑で逮捕する!」
 私が問う暇も無く、警察の掛け声と共にジークは警察と共に一斉に突撃して、マフィア達を次々と退治・逮捕していく。
 そんな中、ジークの仲間と思われる青年が駆けつけて来た。
「大丈夫ですか?」
 男性は私を拘束していた手首のロープを解いた。それにしても、この人フェイドと顔立ちが似ている気がするな。髪と目の色も一緒だし、どこかで見た事がある様な気が……。
「大丈夫ですけど……どうしてここが分かったのですか?」
「実は、僕達もジークさんと一緒にフェイドの事を調べていたのです。そして色々と調べていたら、マフィア・ルキアーノと繋がりがある事が判明しましたが、警察に通報する為の決定的な証拠が無いので、難航していたのですよ。そこで、ジークさんからフェイドの事を調べて欲しいとお願いされましたよね」
「お願いって……?」
「ほら、この前ジークさんとパーティーで再会したでしょう。あの時ですよ」
 それを言われて、その時の出来事を思い出した。確かにあの時ジークは、フェイドに悪い噂があると私に打ち明けたのである。
 あれが私に対する協力の申し出だったのか。
 あの時に、私を不審者呼ばわりされて怒ったけど、今思うとあの発言も何だか皮肉めいているな。その後で急にお世辞を言い出して襲ってきたから、腹に一物抱えていると思ったけど。
 フェイドは裏表が激しくて乱暴な人だったから、実際に裏で何か悪い事をやっていてもおかしくないと思ったから動いたのだけど、こうして彼の犯行が明らかにされるとやっぱり複雑な気持ちになるな。
 それも実家の復讐の為だと考えると、その気持ちが余計に増す。
 もし、私がジークの言葉を信用しなかったら、彼が逮捕された時に私は世間から「犯罪者の婚約者」と叩かれて肩身の狭い思いをしたに違いない。
 謂れのないバッシングは勘弁である。
「でも、ジークさんからリリィさんの身が危ないという連絡を受けたのです。そこで、リリィさんが行ったという探偵事務所に行ったのですけど、その時は既にあなたが車で連れ攫われていました。その後は、向こうにバレない様にこっそりと車で尾行して現場を押さえた上で、警察に連絡しました」
 そんな背景があったのか。
 てっきり、彼が私に近付いたのは嫌がらせだと思ったけど実際はそうでも無かったんだ。いわゆる警告だったんだな。だったら、もっと真剣に伝えてほしかったけど。
「それにしても、どうしてジークは私にそれを打ち明けたんだろう」
 てっきり、私の事なんてもうどうでも良いと思っていたのに……。
「それは、きっとあなたの事を信頼していたからだと思いますよ」
「えっ……?」
 あの男が私を信頼? いやいや、アイツは単に私を面白い玩具と見ていただけですよ。
「あの……お言葉ですけど、彼は私の事をそんな風には思っていないですよ。それに、あの時はジークをクビにして屋敷から追い出したから信用に足りる人間では無いと思いますよ」
 私が遠慮しがちに否定すると、
「そんな事は無いと思いますよ」
 と返された。
「えっ? それって、どういう意味ですか?」
「まぁ、最初に会った時はクビにされた事について少し怒っていた様子でしたけど、フェイドの話を耳にした途端、顔色を変えましてね。フェイドを止めようと協力して下さったのですよ。それに正義感の強いあなたならきっと動いてくれると、彼はおっしゃっていましたから。予想外のアクシデントはありましたけど、ほとんどこちらの思惑通りでした」
 そんな風に私の事を褒めていたなんて。てっきり、私の事なんてどうでも良いと思っていたけど、そこまで思ってくれていたんだ。
 男性の説明を終えた頃には、マフィア達はほとんど捕らえられていた。
 そして、残ったのはボス一人。
 窮地に追いやられて絶体絶命になったボスは銃を発砲したが、すぐさまジークは銃弾を避けた。そして、勢い良く回転を付けて彼の頭に強烈な蹴りを一発入れた。
「ぐはっ!」
 ボスは悲鳴を上げると、そのまま後ろに倒れて気絶してしまった。
 その隙に、警察官が手錠を掛けると数人掛かりで抱きかかえながら連行していった。
 ――カッコ良すぎるじゃない。私はこの悪魔執事にすっかり心を奪われてしまっていた。
 マフィアを壊滅させた後、ジークが駆け寄って来た。
 そして、ポカリと私の頭を軽く小突いた。
「……全く、あなたは本当に無茶をしますね」
「それはアンタも同じでしょ。それにフェイドの事を調べてこいと言ってきたのは、そっちじゃない」
「だからと言って、そこまで無茶をしろとまでは言っていませんよ。寧ろ、どういう捜査をすればそういう展開になるのか私が知りたいくらいですよ」
「別に、アンタが思っている様な危険な真似はしていないから」
 私がした事は、フェイドの部屋を調べてそこで見つかった手帳を探偵事務所に届けただけである。さすがに一人でマフィアのアジトに乗り込む様な真似は出来ない。
「まあまあ、リリィさんをそんなに責めないでくださいよ。彼女だって、今回の事件の為に命がけで動いてくれたのですから、その辺で許してあげましょうよ」
 男性がジークを宥めると、彼は私から身体を離して、
「分かりました、ご主人様」
 と、礼を払った。
 って、あれ? 今、ジークはこの人を「ご主人様」と呼んだ気が……。
「あぁ、そう言えば、あなたは彼と会うのは初めてでしたね。この方は私の新しい主人・フィン・シュビリッツです」
「えぇっ?!」
 つまり、この人がジークの新しいご主人様……。確か、パーティーでジークが新しい就職先を見つけたと言っていたけど、この人がシュビリッツ家の御曹司?
 まさか、こんな所で名門貴族の方とお会いするとは……。
「何か、色々とお騒がせさせてしまった様で誠に申し訳ございませんでした」
「いえいえ、そんなに謝る必要は無いですよ。ところで、フェイドはどこにいるのですか?」
 それを言われて、私はハッとして辺りを見渡したけど、フェイドの姿はどこにも見当たらなかった。
「えっ……私が襲われている最中にどこかに去って行きましたけど、マフィアと一緒に捕まったんじゃないのですか?」
 警察にもフェイドの事を尋ねたけど、彼の姿は無かったと言うばかりだった。
「……どうやら、先程の騒乱があった時に、どこかに逃げたみたいですね」
 こんな騒乱に逃げ出すなんて、往生際の悪い奴。
「でも、彼はまだそこまで遠くへは逃げていない筈です。一刻も早く、彼を探し出さなくてはいけません」
 そうだ。早く彼を捕まえないといけない。そして、私を陥れた分を含めてきっちり懲らしめてやらないと!

第9話

Side フェイド

「はぁ……はぁ……はぁ……どうして、僕がこんな目に……」
 予想外のアクシデントに巻き込まれた中、僕は懇意にしていたマフィア・ルキアーノのアジトから命辛々逃げた。
 もうどれだけ走ったかも分からない。元々体力には自信があったけど、さすがに長い距離を全力で走るには無理があった。
 長い時間、走ったせいで息も切れて大分疲れも溜まって来た。
 既に、街では警察が一斉捜索に出されていて、住民にも警戒を呼び掛けている。下手に動く事は出来ない。武器は、混乱に乗じて盗んだ拳銃1丁だけだが、弾はそんなに入っていない。
 狩猟で長銃を使った事はあったけど、拳銃なんて使った事が無い。
 しかも、アイツはボスが撃った弾も見事に避けて倒している。
 あれを見た時、こんな事があるのかと開いた口が塞がらなかった。
 当たる保証は無い。だからと言って、ここで自首する訳にはいかない。何としてでも生き延びて、計画をやり直さないといけない。そして、達成させないといけないのだ。自分達を陥れた連中を叩き潰す事を――。

 思えば、自分の人生は他人から見れば恵まれている様だけど実際はあまり幸福とは呼べなかった。
 名門貴族に生まれて裕福な環境に育ったけど、両親は弟に構いっ放しだった。
 弟は自分よりも病弱で出来が良くない癖に、周囲から可愛がられていた。
 人当たりが良いので庇護欲をそそる可愛げがあったからかもしれないけど、そんな人間が当主に務まるとは思えなかった。
 貴族になるには、それ相応の能力が必要だ。幾ら人当たりが良くても、無能であれば全く意味が無い。
 だから、僕は弟を見下していた。時折虐めもした。その為、両親から注意される事も度々あった。
 それでも次期当主となれば周りも一目置いてくれると思って、英才教育を頑張り常に高い成績を収めた。
 それだけではない。貴族として、他人から認められる為に色々と成果を出した。
 成績だって学年主席を何度も取った、武術大会でも史上最年少で優勝し、学校では一目置かれる様になった。
 これだけの実績があれば、家族も僕を認めてくれると信じていた。
 だが、その期待は15歳の時に奇しくも砕け散った。

 ある日、僕が家に呼び戻されて、部屋に入ると父が僕に宣告したのである。

「お前は、シュビリッツ家の当主に相応しくない。手切れ金を渡すから、今すぐ荷物をまとめて出て行くが良い。二度とこの家に近寄るな」

 突然の勘当だった。成績は良かったし、武術大会でも優勝を果たした。なのに、何故ダメなんだ。
 僕は父親に理由を問い質したが、「お前の素行は目に余る」「これ以上、お前に好き勝手させられては、シュビリッツの名が穢される」と告げるだけだった。
 弟ばかり可愛がってばかりで自分を一切褒めなかった癖に、何て無責任な奴なんだ。だったら、せめて誉め言葉の一つくらい掛けてくれよ。
 あの時は、腹が煮えくり返って父親の顔を一発ブン殴ってやろうとしたけど、付き添いの下僕に取り押さえられた。

 結局これが決定打となって僕は200万フランの手切れ金と荷物を渡された後、訳も分からず家を追い出され、今まで通っていた寄宿学校も退学させられた。
 それ以来、僕は自分を勘当した家族に復讐してやろうと思った。アイツらに僕を陥れた事を後悔させる事を誓ったのである。

 とはいえ、最初から彼らを陥れようとは思わなかった。
 最初は、貴族の名を借りず自力で名を上げればきっと振り向いてくれると思った。
 だから、まずは破産寸前だった宝石店を買収して事業を起こす事にした。
 元々、宝石や美術が好きで知識にも自信があったので、そちらの方がやりやすいと思ったからだ。
 しかし、会社経営の仕方は分からなかったので、休日に図書館で経営の本を読み漁って知識を身に着け、すぐにそれを仕事で活かした。
 結果、買収から僅か一年足らずで再生に成功。今では一流企業にまで成長した。その後も美術界にも進出して、そちらも成功した。
 そのおかげで自ら豪邸を買って使用人も雇える様になった。
 これなら、アイツらを見返す事が出来る。和解の手紙も送ってくれると思ったけど、その期待は見事に外れた。
 こちらから和解の申し出として手紙を送ってみたけど、返事は一切来なかった。
 実業家として成功してもダメなのかと肩を落とすと同時に苛立ちが沸いてきた。
 そして、いつの間にか僕は周りにストレスをぶつけていった。痺れを切らして辞めていった連中もいた。
 その為、使用人から陰口を叩かれたり痺れを切らして逃げ出して行ったりした事もあったけど、気にしなかった。
 もし、僕に面と向かって口答えすればクビに出来るからだ。アイツらは生活に困窮していて路頭に迷っていた連中ばかりだ。そう簡単に辞める事は難しい。
 使用人なんていつでも切れるし、アイツらの代わりだって幾らでもいる。
 それでも、僕の内面を理解してほしかった。受け入れてほしかった。そうしないと、心が潰れてしまいそうだった。

 そんな中、メイドの女性と出会った。僕が出張から我が屋敷に帰る途中、買い物からの帰り道に派手に転んでジャガイモをぶちまける失態をやらかしたのである。
 あの時は一時の気紛れで助けてしまったが、彼女の顔を見た瞬間、落ちてしまった。
 いかにも純情で世間擦れしていない印象で、いかにも愛らしい女性だったのである。
 彼女なら、きっと僕を受け入れてくれるのではないかと直感した。
 だが、彼女は僕のメイドだった。僕がいない間に雇われたという。
 最初は身を引こうと思ったが、彼女が僕に悩みを打ち明けたのである。

 執事のジークからストレスの捌け口にされている。

 ジークは七年前に僕が使用人として雇った男だ。元々親の借金の宛に売り飛ばされて、その後は下僕として雑用などをこなしていたが、当時の主人が詐欺を働いていた事が発覚して逮捕。
 その後は高級娼館のマダムに拾われて男娼をしていた。男色家や貴婦人の夜伽をした事もあったという。かなり人気が高かった様で、マダムからもお気に入りだったらしいが、若くして癌で他界した。
 僕がジークを拾ったのは、その後だ。

 異色の経歴があって、使用人の経験もあるので割と仕事もこなせると思って採用した。
 ただ、人柄は良くなかった。経験があったので礼儀正しく仕事こそ出来たが、不遇な境遇故か妙に生意気で醒めたところがあり主人に対して皮肉を度々口にするので、何度も僕を苛立たせた。
 コイツをクビにしてやろうかと思った事が何度もあったが、他の使用人からの評判は良いし彼くらい仕事の出来る奴はなかなかいなかったので黙認するしかなかった。
 でも、リリィの愚痴を聞いた瞬間、僕はある事を閃いた。
 ジークを追い出してしまえば、完全にリリィを自分の物になると思った。
 そして、ジークから解放させる為に僕が思い付いたのは、メイドの彼女を僕の婚約者にする事だった。
 幾ら優秀な使用人でも、主人の女となれば手を出す事は出来ない。万一、手を出したらその時点で彼をクビにする事が出来ると考えた。
 目論見は当たった。実際、リリィがジークに契約解消を申し出ると、怒った彼は手切金代わりとしてリリィを犯そうとした。
 その現場を僕が押さえた事で遂にジークを追い出す事に成功した。
 これで、彼女は完全に僕のものになった。
 内心は非常に喜んだ。
 そして、夜は彼女と早く一つになりたいという一心で、前戯も無しで強引に押し倒して股を開かせた。
 だが、モノを入れた瞬間、彼女の膣が緩かった。コイツ、純情な顔をして男を知っているのか。
 僕は彼女を激しく問い詰めた。
 彼女はあっさりと認めた。
 おまけに乱暴だと拒絶され、「今なら彼の気持ちも分かる」と詰られた。
 せっかくの恩を仇で返されて腹が立ったので、彼女を地下牢に閉じ込めてやった。当然の報いである。
 その翌日、憔悴しきった彼女の様子を拝もうと地下牢を訪れたら、彼女は十分反省していた。
 実は彼女はかつて娼婦として働いていたところをジークに買収されたという。これを聴いた当初は「やっぱりな」と思ったが、「男を満足させる事は出来る」と言われた。満足させる事が出来るのであれば、是非そうさせてもらいたいと思ったので解放してやった。彼女はようやく僕と婚約する事を認めたのである
 とはいえ、元々彼女とはジークから解放させる為に婚約したもの。別に情愛があった訳ではない。
 せっかくリリィを自分のものにしたのだから、セックスをして愛の言葉も告げてもらおうと考えた。
 娼婦なのでそれくらいの事は出来るだろうと考えた
 確かに彼女は僕に愛の言葉を告げてくれたし、セックスもしてくれた。だが、今ひとつ物足りなかった。声や動きにわざとらしさがあったのである。
 いかにも娼館で他の男とも同じ様な事をして来た印象があって、満足出来なかったのである。
 それ以降は、彼女を本気にさせようと躍起だった。
 毎晩、彼女を部屋に呼んでセックスさせた。膣も濡れてはいたけど、思った通りのリアクションが得られなかった。
 寧ろ、彼女を本気にさせたいという思いを燃え上がらせた。
 なかなか満足させられずに悩んでいると、パーティーの招待状が届いた。
 これで彼女を満足させられると考えた。
 だが、セレブとしてのメンツもあるので、庶民の彼女にマナーレッスンを受けさせた。その間、セックスは一時中断したが、しばらくすれば自ずと僕を求める様になると思った。
 それに、パーティーに行けば彼女も満足させられると思った。
 だが、途中で彼女の様子がおかしくなり突然彼女がトイレに行ってしまうというハプニングが起きてしまい、それ以降も大した進展は見られなかった。

 そんな中、彼女が僕の行動を調べようと、あの本を開いた事を知った。
 この時、僕の思いは完全に冷めた。せっかく惚れた婚約者を手放すのは惜しいが、僕の計画を邪魔するとなれば話は別だ。計画を達成する為には冷徹、冷酷にならなくてはいけない。
 口封じをしなくてはいけない。
 だから、マフィアに探偵事務所の職員を殺害させた後、探偵のフリをしてリリィをおびき寄せて、彼らの遺体を見せた後、彼女も殺害する計画だった。
 ところが、マフィアのボスがリリィの写真を見せた途端、こんな事を口にした。
「コイツ、いい女じゃないか。コイツを捨てる位なら俺達にくれよ」
 コイツらの性玩具になるとはいえ彼女を生かす事には些か不安があったが、いずれにしても切り捨てる事に変わりは無いし、彼女が男達に犯されて苦しむ姿を拝めると思ったので了承した。
 そして本番当日。その場を去って高みの見物でもしようかと思ったところに警察がやって来た。しかも、先頭にはこの前追い出したアイツと弟がいた。アイツらが警察を引き連れて来るなんて……一体、どうやってここを探し当てたんだ?
 でも、あれこれ考えている暇は無い。早くどこか遠い所に逃げないと。
 そう思って、路地裏に入ると、そこは行き止まりだった。僕とした事が何たる不覚。急いで戻ろうと振り向いたが、そこには執事と娼婦と弟の三人が立っていた。
 執事は告げた。
「やっと見つけました」

Side リリィ

「やっと見つけました」
 逃げたフェイドを追いかけて、ようやく私達はフェイドを追い詰めた。
「さぁ、マフィア・ルキアーノの人達は全員逮捕されました。あなたの計画はここまでです。もうすぐ警察も辿り着きます。あなたがここで観念すれば、私達もこれ以上の攻撃はしません」
 ジークは犯人を追い詰めた刑事の如く冷静にフェイドを説得した。
「嫌だ。俺はこんなところで終わる訳にはいかないんだ。使用人がかつての主人を裏切るなんて事は在り得るのか?」
 追い詰められたにも関わらず、未だに抵抗している。
「自分でクビにしておいて、よくもまぁそんな口が叩けますね。もうあなたとの主従関係は終わったのですから、もうあなたに従う義務なんてありませんよ」
「うるさい! それがどうしたって言うんだ! 身寄りも無くて路頭に迷っていた所を僕に拾われた分際で、どの口を叩くんだ!」
 フェイドは感情的な口調で、ジークを威嚇する。だが、彼は平然とした態度を崩さなかった。
「えぇ。確かに、前の主人を亡くして路頭に迷っていた私を使用人として雇ってくれた事には非常に感謝しております。でも、それに付け込んで使用人をぞんざいに扱うとなれば話は別です。ましてや、親に認められなかったストレスを闇雲にぶつけられたら溜まったものではありませんよ」
「それでも従うのが使用人の役目じゃないのか?!」
 フェイドは、すかさず反発した。もう人の声が耳に入らない。
「……フェイドさん。あなたは私に自分の過去を話してくれましたよね。私も最初はあなたに深く同情しました。でも、あなたが勘当されたのは素行に問題があったからだとジークさんから聴きました」
「素行? あれだけ結果を出し続けたのに弟ばかり可愛がられていれば、性格だって歪むよ。どうして僕は認められなかったんだ? 一体何がいけなかったんだ?」
 自虐的な事を口にしながらも激しく問い詰めるフェイド。その問いにフィン様が答えた。
「フェイド、確かにあなたは僕とは違って優れた優秀な人です。病弱な僕とは違って両親や使用人の手を借りる必要も無いくらい素晴らしい才能を持った人だった。能力だけなら次期当主として相応しいでしょう。しかし、それを鼻に掛けて他人を見下す人間に次期当主が務まる訳がありません!」
 フィン様は力強く一刀両断した。それを聞いて、フェイドは唖然とする。フィン様は続けて言った。
「気付かなかったとお思いだったのですか? たとえあなたが実業家として成功しても肝心の原因が改善されていなかったら全く意味が無いのですよ。それに、こちらも万一に備えて手は打っていましたから」
「手を打っていただと?」
「はい。あなたの屋敷にハウスキーパーのダリアさんがいますよね?」
「ダリア? あのハウスキーパーか……まさか!?」
 フェイドは気付いた様だ。
「そうです。ダリアさんにはあなたの行為を監視してもらって、逐一こちらに報告させてもらっていたのですよ。と言っても、彼女が監視を始めたのは使用人として働き始めてしばらくしてからでしたけどね」
「……いつからダリアに僕の監視を命令していた?」
 フェイドはフィン様に尋ねた。
「あなたが和解の手紙を送った時ですね。あの頃のあなたは貴族の名を借りずに懸命に頑張っていたので、彼の評判を聴こうと電話を掛けたのです。その時に偶然ダリアさんが受け取ったのですよ。そして、彼女からあなたの話を聴いたのです。そしたら、彼女は何と答えたと思いますか?」
 フィン様からの問いに、先程まで激高していたフェイドの顔がみるみると青ざめていった。もしかして、心当たりがあったの?
「完璧主義で使用人にも同様のレベルを強要するばかりでほとんどの使用人が手に負えない。あの人は使用人への優しさが無いと答えたのですよ」
 その答えに、フェイドは唖然とした。
 手紙の返事を拒んだのは、それが理由だったんだ。でも、それが原因で彼の人使いが更に荒くなったとなると、何とも皮肉だな。気持ちとしては分からなくないけど、八つ当たりされた側としては溜まったものじゃない。
「それ以来、彼女には今後もフェイドを監視して、報告して欲しいと頼みました。彼女はよく頑張りましたよ。傲慢極まりない暴君の下で長年この仕事をこなしつつこちらからの依頼も請け負ってくれたのですから」
 そこまで言われると、さすがのフェイドも反論する事が出来なくなり、彼はガクッと膝を落とした。
「そんな……じゃあ、僕が今までやって来た事は全て間違っていたという事なのか? 僕がしてきたことは全部無駄だったという事なのか?」
 地面に手をついて、涙を流すフェイドに私は声を掛けた。
「フェイドさん。あなたの気持ちはよく分かりました。フェイドさんはただ自分の事を認めてほしかっただけなのですよね。だからと言って、あなたがして来た事は許されるものではありません。これからしっかりと罪を償って、そしてまた戻って来て下さい」
 その言葉にフェイドが観念した頃には、ようやく警察が追いついた。

 こうして、フェイド・ジェイドは警察に逮捕され、一連の事件は幕を閉じた。
 ちなみにジークとフィン様の話によると、フェイドはシュビリッツ家を勘当された後、実家に復讐する計画を立てていたそうだ。
 彼はマフィア・ルキアーノにシュビリッツ家を襲撃させようと考えていたという。
 実際、ルキアーノのボスは宝石や美術品に目が無い人だったので、フェイドがそれに付け込んだのだろう。
 もし、私の行動があと少しでも遅かったら、計画を実行に移されたかもしれない。そう考えると、私の行動は決して無駄ではなかったと思った。

 ちなみに、これは後でジークと警察から聴いた話。
 実はフェイドとフィン様は、実の兄弟だったのである。フェイドもチラリと口にしていたけど、通りで二人の顔立ちが似ていると思ったらやはりそういう関係だったのか。
 ジークは薄々とその事に気付いていたみたいだったけど、フィン様が頑なに兄の存在を否定していたのでそれ以上は追究しなかったそうだ。
 多分、フィン様にとって傲慢不遜で自分を虐めてくる乱暴な兄の存在は黒歴史になっていたのかもしれない。
 私もお兄さんについて訊こうとしたら凄く嫌な顔をされて怒ってきたし。余程、酷い目に遭わされたんだろうな……。

 フェイド・ジェイドの逮捕を始め、マフィア・ルキアーノの壊滅後、警察の調べとフェイドの会社の社員や使用人達からのリークで、他にもフェイドがパワハラや横流しなどあらゆる不祥事を起こしていた事が発覚して、フェイドは再逮捕された。
 彼らには厳しい判決が下されて、刑務所を出た後も世間から厳しい目に晒される事だろう。
 でも、ようやく自分の過ちを悔い改める事が出来たのだから、きっとまだ立ち上がって来られると思う。実際、勘当された時も自力で這い上がって来れたのだから、必ず出来るだろう。
 なお、ジェイド邸は売り払われ、フェイドが立ち上げた会社はシュビリッツ家が全て引き継ぐ事になった。
 経営者が逮捕されたとはいえ、せっかくの人気店を潰すのはもったいないという客からの声もかなりあったし、勘当したとはいえ身内だからね。
 逮捕された敏腕実業家がかつて名門貴族の御子息だった事が世間に知れ渡った時はスキャンダルになったけど、シュビリッツ家が彼との関係を認めた上で謝罪したので特に大きな痛手には至らなかった。
 自分達が息子をよく見なかった事が事件の原因となったのだから、彼らもケジメを付ける事にしたのだろう。
 そして、フェイド邸で働いていた使用人達もシュビリッツ家で働く事になった。
 とりあえず、皆が路頭に迷わずに済んだのでホッとした。

「……といったところで一件落着かな」
 と私がまとめていると、
「何を言っているんですか? まだ、終わっていませんよ」
 ジークが口を挟んで来た。
「終わっていないって……何が?」
 すると、ジークが意外な言葉を口にした。
「あなたにはオシオキを受ける必要があるんですよ」
「オシオキって……あの時、フィン様からその辺で許してあげてと言われたじゃないの」
「それはそれ、これはこれです。確かに、あの方は私の主人ではありますけど、
「人を心配させておいて、よくもまぁ反論が出来ますね」
「それは悪かったけど……無駄ではなかったんだからそれでチャラで良いじゃない!」
「無駄でなくても無茶をした時点でアウトですよ。というか、もしダリアさんからの電話が無かったら、それらも無駄になったかもしれないのですよ」
「何で、そこにダリアさんが出て来るの?」
「あなたが探偵事務所に出掛けた直後に、こちらへ電話を掛けてきてくれたのですよ。『探偵が数日でマフィアの情報を得るには早すぎる。これは罠かもしれない』と連絡してくれたのです。それを聴いて主人に頼んだのです。あの時、彼女からの連絡があったからこちらも駆けつける事が出来たのですから」
 あの時に、ジークに連絡を入れてくれたのもダリアさんだったんだ。どこまで凄いんだ、この人。
 それを言われると反論出来ないな。それでも、せっかく頑張ったのだから誉め言葉くらい掛けても良いと思うんだけど。
「仕方ありませんね」
 とジークは深い溜め息を吐いた後、私にある事を告げた。
「だったら、あなたを俺の女にしてやるよ」
 ジークから出た言葉に私は耳を疑った。
 俺の女にしてやる――? しかも、さっき自分の事を「俺」と言っている。今までは、余程感情が乱れている時しか言わなかったのに。
 鼓動が早く打つ中で私は尋ねた。
「それ、機嫌取りじゃなくて本気で言っているのですか?」
「そうだ。それで、今までの件は全てチャラにしてやるよ。お前の様な生意気で危なっかしい女を受け入れてくれるのは、俺くらいのものなんだからな」
 それを言われて、私の胸から嬉しさが込み上げてきた。
「ジーク……!」
 私はジークを強く抱きしめた。こんなに幸せな気持ちになったのは初めてだった。

 ようやく結ばれた私達はシュビリッツ邸のジークの部屋でセックスをする事にした。
 本格的にセックスをするのは二回目だけど、晴れて交際してからのセックスはこれが初めてである。

「じゃあ、入れるぞ?」
「うん」
 そう答えると、ジークは私の膣にモノを入れた。
「うぅっ……ひゃうっ……」
 中をまさぐられて、私は思わず声を漏らした。そして、中から熱いものが込みあがって来る。
「意外と簡単に入りましたね。もしかして、私がいなくなった後も他の男とやっていたとか?」
「そ、それは……」
 悪戯っぽく笑う彼の質問に、私は恥ずかしさのあまり答える事が出来なかった。実際、あの後でフェイドとセックスしちゃったし。
「どうやら図星の様ですね」
 てっきりヤキモチを妬いて怒るかと思いきや、ニヤリと笑みを浮かべた(それだと逆に怖いんですけど)。
「だったら、もう他の男でイカない様にしてあげますよ」
 そう言って、私に口付けをしてきた。前にもキスされた事はあったけど、舌まで入れられたのは初めてだ。しかも、それは口の奥まで侵入していく。
 息が出来なくて苦しい……。
 でも、不思議と不快感や恥ずかしさは無かった。
「中で出しても良いか?」
「そ、それは……ダメですよ」
「こんなに漏れているのに?」
「子供を作るには、まだ早いですから」
「この前の時は平気だったのに?」
「その時は出していなかったでしょ」
 その言葉に、ジークは「フフッ、それもそうだな」と微笑んだ。
「じゃあ、代わりにもう一度だけキスをしてやるよ」
 そう言って、彼は私に情熱的な口付けをして、私を優しく抱きしめた。
 彼の身体の体温が一気に伝わって来る。
 何度も絶頂を感じたのであった。

エピローグ

 ジークと交際してから一年後。私は遂に結婚する事が決まった。
 私達の関係は周知の事実となっていたし、フィン様も私達の関係を快く認めてくれた。
 もちろん、披露宴には使用人や娼館時代の仲間など大勢の人達が駆けつけて来た。

 純白のウエディングドレスを着た私が控室で待っていると、ダリアさんが入って来た。
「リリィちゃん、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
「色々と会ったけど、二人が結ばれて良かったわ」
「いえ、ダリアさんも色々とありがとうございます。裏で色々と気を回してくれて」
 ダリアさんは嬉しそうな顔をしていたけど、すぐに申し訳なさそうな顔に変わった。
「そんなお礼を言う必要なんて無いわよ。それに、実を言うと私もリリィちゃんに謝らないといけない事があるの」
「謝らないといけない事?」
「リリィちゃんがフェイド様の屋敷で働いていた時、ウチの下僕から乱暴されそうになったでしょ。実はアレ、私がジークの反応を確かめる為に私が仕掛けたものなの」
「えぇっ?!」
 衝撃の事実を明かされて、私は驚愕した。
「まぁ、確かに昔はあの子達の素行は悪かったけど、私がきっちりとオシオキしてからは、口では文句は言っているけど特に悪さはしていないわ」
 その言葉に私は絶句しつつも恐る恐る尋ねた。
「じゃあ、もしその時にジークが助けに来なかったら……」
「そうなったら私がご主人様に、ジークが娼婦を買って虐めている事をこっそりと告げ口していたわね。彼は仕事が出来るからクビにする事は難しいけど、二度とリリィちゃんに会わせない様にしていたわね」
 怖すぎる。もし、この事をジークが知ったら一体どんな顔をしていたかな? でも、これは私が墓場まで持って行った方が良さそう。
「でも、あの時ジークがリリィちゃんを助けに来てくれて本当に良かったわ。彼は本当にあなたの事を愛していたのね」
「うん。私もその事がよく分かった」
 意地悪で捻くれているけど、それでもいざという時は助けに駆けつけてくれるし、ちょっぴり優しいところもある。
「もう二度と彼を手放しちゃダメよ」
「はい、大丈夫ですよ」
 ダリアさんの言葉に私も深く頷いた。

 ダリアさんが控室を出て数十分後、ようやく披露宴の時間が近付いて来たので控室から出ると、白いタキシード姿のジークが立っていた。私が出て来るのを待っていた様だ。
 髪も綺麗に整髪されていて、今まで黒い執事服を着ていたから非常に際立ってカッコよく見える。
「まぁ、馬子にも衣装ってやつだな」
 ジークは私のドレスを見て、ニヤリと笑った。
「馬子にも衣装って、それ嫌味で言っているの?」
 私が膨れっ面で文句を言うと、
「でも、見違えるくらい似合っているよ」
 と笑顔で褒めてくれた。これくらい素敵な笑顔で言われたら、反論出来ないよ。
「そうだ。もう本番が近いから、花束を渡さないといけないな」
 ジークから「当日お前に渡すから楽しみにしてくれ」と言われたので、きっちり守っていた。破ったらオシオキされそうだし。
「きちんと守ってくれたご褒美だ」
 そう言って、花束を渡された。
「これは……鈴蘭の花束?」
 まさか鈴蘭の花束とは思わなかった。
「あぁ、お前の名前にピッタリだと思って」
 私の名前は鈴蘭から取ったものだけど、鈴蘭って花束に出来るんだ。
 癖のある形をしているから花束にするには扱いにくそうな花だと思っていたけど、意外とおしゃれになっている。水色のリボンも合わさって涼やかなデザインだ。
「ところで、鈴蘭の花言葉は知っているか?」
「えっ? 確か純潔という意味だと両親から教わりました」
 両親は、私が純粋な子に育って欲しいという意味を込めて名付けたものだと聴いている。
「そうか。でも、実はもう一つ意味があるんだけど、知っているか?」
「いえ、それは知りませんけど……何ですか?」
 すると、ジークは微笑みながら教えてくれた。
「再び幸せが訪れる」
「再び、幸せ……?」
 首を傾げる私に、ジークは笑顔で答えた。
「そうだ。お前には再び幸せが訪れた。そして、お前はこの先二度と不幸になる事は無い。だって、これからはこの俺がずっと傍にいるのだから」
 それを聴いて、私は嬉しさのあまり涙を流し、彼を強く抱きしめたのであった。

執事の専属娼婦として買われました(R-18)

執筆の狙い

作者 エア
ttn202-127-89-247.ttn.ne.jp

昔、性描写及び長編(10万字以上)の練習として書いたものです。
ポイントは、そこそこ入るのですが、感想が来ないので、こちらに投稿することにしました。
性描写には、全く自信が無いので、皆さんのご意見・ご感想が聴きたいです。
もしダメだった場合は、改善案や描写例を書いて下さい。それ以外でも気になる場所があった場合でも、改善案を書いて下さると助かります。
なお、TL(女性向け官能小説)なので、未成年の人やエロが嫌いな人は閲覧・コメントを控えてください。

以下のURLにも投稿しています。
https://novel18.syosetu.com/n3209fo/

コメント

上松煌
p752103-ipngn13901marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

エアさん、こんばんは

 拝見しました。
物語としては悪い話ではないのですが、長すぎます。
公募か何かの練習なのでしょうか?
この半分で事足りるお話を無理に引き延ばしている感じがします。
題名からしてこれは官能小説(エロ)ですよね。
それにしてはHシーンが短く、少なすぎます。

 いくら女性向けでも主人公の身の上や心理描写、周りの情景や人物の形態が中心になっていて、肝心の性描写がありきたりでは読者は飽きてしまいます。
エロはエロに徹しなければいけません。
きっと、少々テレ臭いのかもしれませんが、思いっきりHな描写を研究して書かないと、この形ではいかにも中途半端です。
挿入されて感じると身体がのけぞったり、ビクンビクン跳ね上がったりしますよね。
膣が、モノを子宮方向に吸引もしますよね。
膣壁が絞り上げる様に締まったり、淫唇や膣口が充血してプリプリになったりしますよね。
乳首ももちろん、固くツンと上を向きます。
生身のそれを書かなければいけません。

エア
ttn202-127-89-247.ttn.ne.jp

>上松煌さんへ

コメントありがとうございます。
そうですね。公募として応募する事を前提としていましたが、肝心のエロが少なかったですね。
何とか性描写を充実させたいのですが、難しいです。

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