作家でごはん!鍛練場
R

ふたたび虚構の住人

       1

「私たちは虚構の住人なのです」
 私が働いていた会社の部長の発言である。現在という時間はつねに流れており、今という瞬間も過去と同義であり、現在は過去に包含される。過去という、再現不可能な時間を"虚構"だとするのならば、いまを生きる私たちは虚構の住人だと……そう無理やり解釈してみると解釈できなくもない。しかし今もってその真意はつかめかねる。真意というのは、なぜそんな発言をしたのか、という点である。虚構という言葉がもつ意味を、"過去"と等しく扱うことに何か疑問を持ち始めていた私は、何度も考えていた。

 ちなみに私はいま会社を辞め、フリーランスで稼いでいる。離婚もして、子供とも別れ、一人暮らしに戻った。
 離婚の話を持ち出したとき、妻も、子供でさえも「そのほうが良いと思う」と言われたのには驚いたが。

 私はいまとても自由だと感じる。こんなに人生が気持ちよく過ごせるものだとは、知らなかった。なぜ今までこの生きかたを選択しなかったのか、自分で自分を疑うほどである。

 会社を辞めて、しばらく家で休んでいた。会社で働いていたときは、一週間は帰ってこれないし、夜中に家に帰れてもまた翌の早朝には出社していたので、妻も子供も私が家にいること自体に慣れていなかった。私もそうだ。何をしていいかわからない。とりあえず私は自分の部屋で、妻も子供もいない日中に、何もしないで横になっていた。そんな日々を過ごすうちに、内なる声が聞こえたというか、自分は本当は何を望んでいるのか、わかりはじめたのだ。内なる声を聞くことに私は注力した。そんなとき、妻や子供の声は雑音にしか聞こえなかった。私は一人になりたかった。
 内なる声に、部長の発言がたびたび顔を覗かせることに気がついた。私は気にって仕方がなかった。内なる声を解く重要なヒントだと感じた。しかし会社に電話をしてみると、いつも「部長はいま会議中です」との返答だった。取り引き先の重役を演じても同じ結果で、会議室への直通電話も通じなかった。

 妻も子供も寝静まった夜中に会社に赴き、屋上によじ登り、ベニヤ板で塞いだ3階の会議室に繋がる穴(私が以前ドリルで開けた)をのぞくと、やはり会議中で、私のちょうど真下に部長がいた。私は持ってきたドリルで穴を大きくし(そんな音にも彼らは気づかなかった)、釣竿から釣り糸を垂らし、部長の首をくくると、全力でリールを巻いて引き上げた。

       2

 つねに私たちは虚構のなかに浸っている。過去や未来、社会通念、そんな要素が頭のなかにこびりつき、そもそもの個人的な根源的欲求を忘れてしまいがちである。

目に映るもの
手に触れたり 感じるもの
それが僕らの世界のすべて
どんなに夢見ても
(Mysterious Eyes/GARNET CROW)

 虚構を生きている人間に、虚構を生きるな現実を見ろと言っても無理な話で、これは本人が気づく以外にはどうにもならない。死ぬまで虚構に生きる人もいれば、早くから虚構に見切りをつけるか現実をよく知っている人もいる。

 私たちの脳は、虚構と現実の区別がつかない。レモンの絵を見ると唾液が出てきたり、妄想のなかの出来事を現実と錯覚することもまれにある。

 過去や未来、つまるところ時間というものはこの世界に存在しない。ただ"エネルギーの流れ"を、私たちの脳が勝手に時間という概念に置き換えているだけである。ただ、今はその話をするとややこしくなるので避けよう。 過去は完全に再現することが出来ず、思い出すたびに脳内で再構築を繰り返し、だんだんと劣化していく。未来の予想や想定は、たとえば五分後のことであっても、現実と少なからず差異が生まれる。当たり前の話のようで、これにはいろいろなバイアスがかかっている。しかし私たちはあたかもそこに現実があるかのように、過去を思い出したり、未来を夢想する。たんなる幻想に過ぎないのに。私たちが実感できる、たしかなことは"今"しかない。

 社会通念というのは、一般的とか常識や慣習などいろいろな言葉が当てはまるが、ここではとりあえず社会通念としよう。
 社会の目的と、個人の目的が一致することはあまりない。ただ、社会の目的を個人のそれに重ね合わせようとするのが社会である。これを"ゆるやかな全体主義"と私は名付けている。いまの日本の資本主義制度のなかでは、社会の目的、つまり生産性を上げる点において、たくさん会社のために働いて結婚して子供を産めばとても良い人生になるという風潮を前面に押し出してきた。しかしそれが以前から転換期をむかえている。終身雇用制度の破綻やブラック企業、最近始まった同一賃金同一労働など、正社員神話は崩壊しつつある。フリーランスや非正規で働く人が増えた。結婚も昔はそれなりの意味があったが、現在ではその意味が全くなくなり、結婚しない人も増えている。結婚しなければ子供の数も減る。子供だけ欲しいと言っても、それなりの収入が得られなければ大きな負担になる。
 人生の幸福度についての研究が盛んに行われている。収入はある程度までは幸福度を上げるが、それもその人が必要とする額を超えると幸福度はそれ以上は上がらない(一般的には800万円とか言われているが、やたらと派手な趣味や、扶養する人間がいないのならもっと低くなるだろう)。自分に向いていない仕事や、割りに合わない仕事ほど人を不幸にするものはない。
 人とのコミュニケーションは幸福度を上げると言われている。つまり家族や友達や恋人の存在、コミュニティに属すること、SNSやネット上での付き合い、そういうものは幸福度を上げる傾向にある。しかし結婚は幸福度にはあまり関係がない(結婚、つまり他人との共同生活に向いている人は幸福度は少し上がる場合もあるが、向いていない人にとっては幸福度を大きく下げてしまう。現在の社会は結婚しなくてもコミュニケーションの場がたくさんあるので、結婚しないほうが幸福な人もいる)こと、子供は一般的には幸福度を下げてしまうこと、そんなこともわかってきている。これは社会通念とは逆である。私はなにも社会通念を完全否定するわけではない。大切なのは根源的欲求であり、個人の目的が社会通念と重なるところがあるならば、それは実行すれば良いのだ。

 個人の根源的欲求に気づくには、ひたすら自分と向き合うことである。自分の心の声、本音を聞きとるのである。そのときにはじめて、他人の目、つまるところ世間に生きていた人は、そんな馬鹿らしさに気がついて、自分自身を生きることができるだろう。

       3

 以上(2)が部長に聞いた話をまとめたものだ。私は引き上げた部長を無理やり近くのセブンイレブンに連れて行き、イートインコーナーに座らせた。
「きっと君はこの会社の仕事も結婚も向いていなかった。本来の自分を生きていなかった」
 私はイートインコーナーから、ガラス張りの向こうの道路を走り去るタクシーを見た。こんな夜中でも働いている人がいる。セブンイレブンに入って何も買っていないことに気づき、申し訳ない気持ちになった。
「生きかたを見直してみようと思います」
 先ほどテーブルの上に部長の胸ポケットから、ふわっと置かれた、GARNET CROWの歌詞カードを私は再度確認する。
「部長がこんな曲を聴くなんて驚きました」
「偶然ラジオでね。歌詞を聴いて驚いたんだ。こんな若い人たちが、しかもけっこう前の曲じゃないか」
 そのとき部長の社用スマホが鳴った。
「すまない、そろそろ戻る時間だ」
 立ち上がる部長の首から、釣り糸を外してやった。首には生々しい跡が残っている。
「もしかして部長はもう死んでいますか」
「ああ、死んでるよ。あそこにいる、たいていの連中は死んでる」
 唐突な質問にも、何食わぬ顔で部長は答える。
「君が辞めてからかな。まず社長が死んで、私が死んで、課長や部下も。若い連中はまだ生きている。でも徐々に死んでいくだろう。それがゆるやかな全体主義だ」
 部長はもうセブンイレブンの自動ドアのセンサーにも反応していない。私は座ったまま、しばしあっけにとられていた。
「……なぜ辞めなかったのですか」
「社会の構造だからね。あの会社は構造そのものなんだ」
「はあ……」
「しかし君は退職願いを出して、それを打破した」
「でも二度ほど引き止めましたね、部長」
「それも構造のうちだからね」
「……なるほど」
 私は出口のセンサーに近づき、自動ドアを開けてやった。
「みんなが死んだら、終わるのですか?」
 部長は振り返らず、
「わからない」と言い、去っていった。
 私ははじめて、去られる側なのに、取り残されるという感覚が全くないことに気づいた。むしろその逆、去る側が取り残されるという事実に、どうしようもない気持ちになった。

ふたたび虚構の住人

執筆の狙い

作者 R
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また新しい議論となれば、長くなることは必須で、議事録を書く手帳を私は新調しなければならない。そして、それをワードに入力する際には、表題を新しくし、場合によってはファイルを既存のものと分けなければならなかった。

コメント

茅場義彦
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なあああああああん  難解 アホにはむずかった 

大丘 忍
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現代の人は難しいんやなあ。私など女房とセックスしていれば幸せやったけどなあ。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

大岡さんl 温暖化と少子高齢化、格差、政府の無能 闇っすよ 希望なす コロナで地球の人口半減して初めて持続可能な社会くるんでしょおな 人間多すぎてもう尾張

夜の雨
ai194004.d.west.v6connect.net

「ふたたび虚構の住人」読みました。

>「私たちは虚構の住人なのです」
 私が働いていた会社の部長の発言である。<

御作は「私たちは虚構の世界」の「住人」という設定になっています。
しかし、御作を読んでみても「まったく説得力がありません」。
上にある部長の言葉は、導入部にあるわけですが、それなら以後の話でこの話を説得力があるエピソードで書かなければならないのに、それが書けていません。

具体的なエピソードの展開により「私たちは虚構の世界」の「住人」であるということを「ミステリー」であれ、「SF」であれ、「ファンタジー」であれ、目に見えるように書けば、それなりに面白くなります。

御作はほとんど説明です、それもわかりにくい説明なので説得力がありません。

●今回の作品を「映像化」するべく具体的なエピソードで書いてください。
映画にしたらどうなるのか、ということです。


それでは、頑張ってください。

中野太郎
M014009196000.v4.enabler.ne.jp

正直言って出だしで呆れて読まなかったのですが
虚構の住人
というタイトルは結構いいです。
それだったらまず書き出しで繰り返しではなく
もっち技巧的な小説をみなしましょう

評定
タイトル なかなかプロレベル
中身ただの作文です。
もっと推敲してください。
推敲は30回書き直すのが偏差値50です。
一次予選合格評定実力レベルが高くて驚いた 中野太郎
皆さん感想には一次とか公募の実績を書きましょう。

ブロンコ(ちゃいのひ
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おーい、じきに青木がくるから心の準備おねがいしまぁす


出鱈目ばっかでこてんぱんにやっつけられちゃったらあたしのせいだけどごめんね
あたしがお返しにこてんぱんにしとくから気にしなくていいよお

青井水脈
om126204241000.3.openmobile.ne.jp

夜の雨さん、Rさん。こちらを借りて申し訳ありません。どなたでも、伝言板の流れをそろそろどうにか出来ないでしょうか。

ブロンコ(ちゃいのひ
softbank221022130005.bbtec.net

ごめーん
やっぱ青木ムリだってさわかってたけど







あおいはうるさい
下手な捨てハンどうした余計な首つっ込んでない他所で遊んでなさい

R
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茅場さん
難解でしたか。そういうふうに伝わるとは意外だったので、それだけでも知れて良かったです。

大丘さん
少しでも伝わりましたでしょうか。世代の違いについては不案内ですが、たしかに定年されるくらいの世代の方から「今の若い人は大変だね」とよく言われます。

夜の雨さん
わかりにくかったですか。アドバイスありがとうございます。でも、もともと物語を書こうという気があまりないのかもしれません。小説は物語と必ずしもイコールでないと思いますが、物語を排除してどこまで書けるのか、というのをやってみたいのかもしれません。とりあえず平易さを心掛けます。

中野さん
タイトルいいですか。推敲30回はきついですね。

ブロンコさん
よくわかりませんが、心の準備は大切ですね。

青井さん
どうにもならないので、何もしないのが賢明かと。

しまるこ
133.106.51.47

パッと読み出して、パッと最後まで読めたのは、あまりないことなのでびっくりしました。

前作といい、今作といい、だんだんと作風のようなものを変えていってるようですね。私は最近のRさんの作品が好きです。一作一作、実験的に作風を変えていっている姿勢も好きです。自然と引き込まれました。エッセイ調だからかもしれませんが。最後の、むしろ〜以降ははないほうがすっきりするような気が私はしましたが、まぁ私の個人的感想ではあります笑。良い読書体験をさせていただきまして、ありがとうございました。

5150
5.102.13.217

拝読しました。

なかなか興味深い題材でした。観念的というか。個人的には、こういうのは嫌いではないです。

コロナ禍にあったここ一年半くらいは、多くの人が、自分の置かれた位置や、これまでのことを考える機会を与えられたような気がします。5150はそうでした。コロナは、人が各々隠し持っている(固執している)ものを極限まで炙り出したようにも思えました。

ってな感じで、5150は割と現在の状況とリンクして読んじゃったりしましたね。

しかしながら、御作での不満はというと、この主人公が作中ではあまりにpassiveすぎて、まるで村上春樹のキャラみたいに見えたことでした。5150としては、こういう人が、実際に(作中で)どんなふうな言動をとるのか、あるいは行動せずただ考えているだけなのか、そのあたりをもう少し描いて欲しかったです。

何を考えているかプラス、どんな行動をとるかってことで、その人がより見えてくることってすごく多いと思うからです。まあactionと言っても大したことではなくて、せめて奥さんと子供のくだりはもう少し詳しく、エピソードで描いてもらえたら、もっと入っていけたような気がします。

作中で唯一あるのが、部長とのやりとりですが、主人公はとことん受け身になっているだけですし。というか、部長の考えをそのまま取り込んだだけ、という感じに御作はなっていますもんね。なので意図としては観念を捉えようとしただけ、だったのかもしれませんが。

R
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しまるこさん
最後まで読んでいただいてありがとうございます。たしかに作風はいろいろと試行錯誤、暗中模索しております(あたたかく見守ってください笑)。時間を置いて冷静に読み返してみたところ、今作はいろいろな要素が錯綜していて、ごった煮状態だったかなと感じたので、次は焦点をもう少し絞りたいと思います。
ご指摘の通り、末尾は蛇足でしたね。今作だけでなく、私は結末近くになると書きすぎる癖があるようです。次からは気をつけたいと思います。

5150さん
たしかに私も、人生とか、世の中とか、じっくり考えるようになったきっかけのひとつはコロナだったと思います。コロナ前まではよく考えているつもりでも、実のあることは何も考えていなかったのだと思います。
拙作の主人公は受動的すぎたかなと、指摘されて気づきました。奥さんのところはもっと書けば良かったですね。次作では能動的な一面も見せていきたいと思います。ありがとうございました。

アフリカ
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拝読しました

最近、光について気になり少しだけ落とし込んでみたのでした。

調べると面白い。

目に入るものと目に写るもの
感覚ではない理屈がストンと落ちてくる感覚。

Rさんの興味が向いてるのは最近どんなものですか?

ありがとうございました

偏差値45
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完璧には理解してはいないけれど、なんとなく共感できる部分はありますね。
それは理想とする自分と本来の自分と言ったら良いでのしょうか。
この両者の距離が近い人と遠い人がいるわけです。
近い人は問題ないのですが、遠い人はかなり無理をしています。
簡単に言えば、やりたいことと出来ることは違う、ということですね。
その逆もあります。やりたいことが出来なくなっている、ということもあります。
言わば、理想とする自分は呪縛のようなもの。
その呪縛から解放されることによって、
本来の自分を取り戻すことが可能になるわけです。
とはいえ、一般人には呪縛からの解放はなかなか難しいですね。
ある種の洗脳にもなっているので、大概の人は気が付かないものです。
そういう人は過労死になっても、それすら気が付かないかもしれないですね。
そんなふうに思った次第です。

R
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アフリカさん
「光」って物理学でいうところの「光」ですよね。物体が発する光を、私たちの神経は特別なエネルギーに変換し、それが何か認識できるようになる。こんな単純な理屈しか知らないですが、よく考えてみればとても不思議なことですね。複雑なシステムなんだと思います。もしかしたら、いま見えているものに、妄想(虚構)としての像が映り込むこともあるのでしょうか。
私は、いま「社会」というものに興味があります。多様な個人個人から分泌されたり作り出された社会というものが、散らばりすぎないようある程度一元化されるのは仕方ないと思いますが、ときおり度を越して同調圧力になったりするのはよくないと思います。ただ、ほんの一例ですが、去年の行き過ぎた自粛警察だったり、社会の暴走がその程度で済んでいるのは幸いなことです。私たちの多くは社会の暴走(虚構)を見抜く力を持っている、と私は感じています。世の中には賢い人たちがたくさんいる。そう感じることは、社会を生きていく上で喜ばしくもあり頼もしいものでもあります。
話が長くなりすみません。ありがとうございました。


偏差値さん
そうですね、わかっていただいて嬉しいです。「理想」とは、たんなる幻想であり、私のいうところの虚構そのものです。少なくない人が虚構に気付かず生きている。過労死もその例でしょう(雇用者や上司が100%悪いというケースもあると思いますが)。『ホモ・サピエンス全史』を書いたハラリさんが読者に「物語を生きるな」と警告したのにも私は大きく頷きました。
「洗脳」という言葉が出たのには驚きました。私がいま考えていることに、学校の勉強や教育が子供たちに対する一種の洗脳ではないか、との疑念があるからです。さすがにナチスとまでは言いませんが、あまりにも多くの社会通念(虚構)を押しつけているような気がします。私たちは子供たちにちゃんと現実を教えた上で、社会に送り出してやるべきでは? というのはちょっとお節介でしょうか。
ありがとうございました。

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