作家でごはん!鍛練場
萩原杏子

わすれもの

「ねぇ、この前すっごい可愛いクマのヌイグルミを見つけたんだけど、晴彦はそういうの好き?」
 車で市外の天文台まで向かう詩織が、助手席に座っている晴彦にそう尋ねた。詩織はもう何日も前から、この日を心待ちにしていた。小高い山の頂にあるその天文台は、デートスポットとして観光ガイドにも取り上げられている場所で、天体観測にも最適な場所として評判だった。天文台には宿泊可能なペンションも隣接しているので、二人は今夜そこで一泊する予定だった。
「あぁ、昔そういえば持ってた気がする」
 晴彦はぼんやりとそう返した。彼は幼稚園よりもまだ幼い頃に、祖父から犬のヌイグルミを買ってもらったことがあった。中に綿が入っている柔らかい黒白模様の子犬で、いつも肌身離さず――絵本に登場する子どもがよくそうするように――抱いていた。
 ヌイグルミの名前は、晴彦がそのヌイグルミを見て最初に洩らした「オセロ」だった。彼の隣にはオセロがいて、堤防に行って遊んだり、近くの公園で走り回ったりする時も、いつも背中にリュックみたいにして背負っていた。
 ある日、お風呂場にオセロを連れていった時、誤って父親の髭剃りの錆が付着してしまったことがあった。晴彦は大粒の涙を流した。彼にとって、その犬のありふれたヌイグルミはもう一人の自分――あるいは動物化された分身――みたいな存在だった。
 小学生になると、さすがに部屋の置物の一つになってしまったが、それでも彼がひどく落ち込んでいる日などには、密かに心の話し相手になってくれた。晴彦にとって、オセロはつねに変わらない自分らしさであり、懐かしさそのものであり、目に見える一つの圧縮された魂の故郷のような存在だった。
 それから引越しが相継ぎ、いつのまにか晴彦自身もヌイグルミにほとんど気を配らなくなってしまった。意識しなくなったどころか、晴彦は次第にオセロをどこに置いたかさえ忘れてしまった。おそらく間違って、粗品用のダンボール箱に入れてしまったのだろう。オセロだけを唯一の心の友達だと感じていた晴彦なら、いなくなったことにもう少し早く気付いていてもおかしくなかった。自分から捨てるはずがなかったので、どこかにしまったままわからなくなってしまったのだろう。
「へぇ、そうなんだ。そのヌイグルミって今も実家にあったりするの?」
 思い返していた晴彦のそばで、詩織がそう聞き返してきた。
「いや、もうたぶんないだろうな。もう長いあいだ全然見た記憶がないからさ」
「そうなんだ」
 詩織がやや残念そうにそう言った。
 晴彦は現在、映画制作の補助スタッフとして働いている。給料は微々たるものだが、彼が今アシスタントとしてついている監督は国内でも高名な存在で、技術を身につけられるチャンスだとも思っていた。撮影は毎日行われるわけではないので、空いている日にはアルバイトを入れて生計を立てている。映画学校を卒業した彼の夢は、ゴダールやタルコフスキー、黒澤明のように映画史に自分の名を刻むことだ。
 詩織はそんな夢を持っている晴彦が大好きだった。詩織は今、地元の薬局で薬剤師として正社員で働いている。給料は良いので、いつも詩織の方がお金持ちだ。そんな詩織も、やはり晴彦と同じで映画好きで、特にシュヴァンクマイエルとキューブリックのファンだった。
「でも考えてみたら、男の子って、ヌイグルミではあんまり遊ばないかもね」
「俺の場合、本当に小さい頃はよくヌイグルミを持ち歩いたりして大事にしてたはずなんだよなぁ。ただ、どこかにポンと置き忘れて、そのまま行方不明になってるんだ」
「そういえば、シュヴァンクマイエルの『アリス』で、ウサギのヌイグルミが動いてる映像覚えてる? ああいう雰囲気、わたし好き」
「シュヴァンクマイエルはけっこうグロくないか? 食べてる食事シーンとか、口の中どアップになるし――」
 晴彦は助手席でそういった直後、不意に反対車線で彼女を乗せて走っている同年代の青年の姿に目をやった。本来、運転席に座って彼女の率先役になるべきなのは自分自身のはずだった。詩織が運転していること自体、男として情けない。ペーパードライバーである晴彦は、毎日出勤で車を使う詩織に引け目を感じていた。色々な点で、晴彦は自分の彼女に負けていると思うことが多々あった。同じ年齢で、同じ高校だったのに、なぜ自分はまだ中途半端なままなのだろう。映画が愛しいばかりに、社会人としてのスキルを見た時、明らかに自分はまだ成人していない気がしてならないのだ――それこそ、ヌイグルミを抱いていたあの少年時代の面影をいまだ引きずっているかのように。
 詩織の運転する車は、あと一時間ほどで天文台に到着する。途中、コンビニでジュースや菓子パンなどを買って、そのまま談笑しながらトンネルにさしかかった。しばらく走行していて、晴彦はふと奇妙なことに気付いた。反対車線に車が一台も走っていない。そればかりか、先刻まで後方を走っていた何台もの車が、突然消失しているのだ。詩織も運転席で首を傾げ始めた。
「それにしても、このトンネル長いわねぇ。カーナビどうなってる?」
 詩織が整った眉の形をへの字にしながらそういった。
「さっきから映ってないな」
 晴彦は妙な胸騒ぎを覚えた。そういえば黒澤明の『こんな夢をみた』の中に、トンネルの奥から死んだ戦隊が行進してくる話があったことを、晴彦は思い出した。その時彼は、トンネルという空間には、この世界とあちら側を媒介する役割があるのではないかと空想に駆られたものだった。
 結局トンネルを抜けたのは、それから三時間後であった。その間、元来た道を引き返してみたり、車から出て周囲を確認したりしたが、このトンネルを進まない限り目的地には到着しないことに変わりはなかった。トンネルの内壁には、オレンジ色のあまりリラックスできないライトが等間隔に、果てしなく奥へ奥へと続いている。内壁は他のトンネルと同じタイプのものだったが、このトンネルは決定的に他のものよりも長過ぎた。前に二人が天文台まで走らせた時、到着までの所要時間はせいぜい一時間弱である。トンネルがあるといっても、せいぜい入口から出口付近に設置された自販機がすでに見えている程度の短いものだけだった。
 トンネルを越えた二人は、明るい昼下がりの見知らぬ海岸に出た。突然、車道が砂浜に掻き消されていたのだ。ここから先は歩いて進め――そういわんばかりに車道は砂の下に埋れてしまっている。前方に広がるのは、澄み渡った空と海、そして足下には靴底にまで伝わる熱せられた砂だけだった。二人は途方に暮れながら、波打ち際をしばらく歩いていた。
 岩場の近くには、様々な漂流物が集中していた。潮風に曝されるがままに、そこには古びた家具、家電、建築資材、日用品、廃車まで、生活に関わるありとあらゆるものが雑然と散乱していた。岩場の向こうの砂浜には、さらに堆く積まれた漂流物の山ができていた。その山の上を、海鳥たちが何十匹と飛び交っている。中には、つい最近までショーウィンドーに並んでいたのではないかと思しきマネキン人形もあった。
「ねえ、晴彦、ここダメだよ。帰ろう、今すぐ」
 詩織が不安な表情を浮かべながらそう言った。次の瞬間、晴彦は漂流物の中からあるものを発見した。彼は思わず駆け出した。詩織も追いかける。輝彦がそこで発見したのは、失くしてしまっていたはずの、あのヌイグルミのオセロだった。晴彦はオセロを拾い上げ、その状態を仔細に観察した。母親が刺繍で、足の裏に「Othello」と縫ってくれた跡、錆が付着してしまった口元の部分まで、完全に一致していた。あたかも、数分前に失くしてたった今見つかったばかりとでもいわんばかりに、あの当時のままだった。
「どうしてこんなところに……」
 その時、輝彦はなにか畏怖すべき領域に踏み込んでしまったような身震いを感じた。懐かしさの反面、どこか得体の知れない不安を掻き立てられるような不穏な感覚に支配された。遠くから、沈黙したマネキン人形が悲しい目でこちらを見つめていた。
「ちょっと、ウソでしょあれ」
 今度は詩織が、波打ち際の傍にある小さな写真立てを拾い上げた。前のガラス部分には亀裂が入っている。詩織はその写真を見て、跪いて泣き始めた。
「どうしたんだ、詩織」
「これ……おばあちゃんと小さい頃のあたしよ……なんで、こんなところに……」
「このヌイグルミ、さっき車で話してたやつだよ」
「いったいどうなってるんだろう……」
 二人はしばらく、その場に立ち竦んでいた。記憶のどこかに空白が忍び入るような、奇妙な感覚が意識の奥深くから込み上がってくる。失くしたはずのものがなぜ、この海辺に存在しているのだろうか。晴彦のものだけでなく、詩織のものまでこの砂浜に転がっている。もしかすると、ここに置かれている一見漂流物のような物たちは、すべて都市で生きている人々が、どこかで置き忘れてきた遺失物なのかもしれなかった。
 水平線の向こうには、饐えた柘榴の果肉色を孕んだ夕陽が輝いている。その夕陽を見続けていると、二度と街へは帰れないような気がした。スマートフォンで現在地を確認しても、この海辺の表示はいっこうに出てこなかった。そもそもあの長いトンネル自体、設定していたルートには存在していなかった。
「ここに落ちてる色んなもの、安易に持って帰らない方がいいかもな。長居しない方が良い気がしてきた」
「うん。あたしもここなんか怖い。早く車に戻ろう」
 砂浜を元来た方へ引き返していると、色褪せた安楽椅子に腰掛けている一人の老人に出会した。麦藁帽子を目深にかぶったその長い白髭の老人は、穏やかな微笑を浮かべながら二人を眺めていた。
「お前さんたち、なぜここへ来たのかね?」
 老人はそう嗄れた声で尋ねた。
「俺たちにもわからないんです。車でトンネルを抜けると、いつのまにかこんなところへ出てしまって……」
 晴彦がそう返すと、老人は黙って頷いた。
「ここはのぉ、忘れていたはずの記憶が見つかる場所じゃよ。どんな人間にも、思い出したくない過去のひとつやふたつはあるもんじゃろう? お前さんが手にしとるそのヌイグルミも、ずっとお前さんのことを探しておったよ。お前さんが忘れてちまった記憶を呼び戻すためになぁ」
 老人はそんな曖昧な謎かけにも近いことを口にした。
「あの、私たちもうここから引き返したいんです。急いでいるので失礼します」
 あいだから詩織が割って入った。だが、晴彦の意識はこの老人の言葉に促されてか、奇妙にもある情景を掬い上げつつあった。それは晴彦が苦しみのあまり、心の奥深くに封印してきた記憶の断片であった。
 晴彦が思い出したのは、彼の母親が出奔する前日に取った行動だった。母親はいつものように夕食の準備をして、リビングルームから晴彦の名を呼んだ。彼が自分の部屋から出てきて、リビングに顔を出すと、母の姿はなかった。テーブルにはできたばかりのビーフシチューとポテトサラダが並べられていた。普段は父親も含めて三人分用意されていたが、この時はまもなく帰宅する父の分と、晴彦の分だけだった。
 玄関で靴の音がしたので向かうと、そこには笑顔でこちらを見つめている母が立っていた。母は奇妙にも直立不動で、半ば疲れた面持ちだったが、口元には笑みを浮かべていた。
 ――お母さん、ちょっと出かけてくるから。
 そう言った母が手にしているバッグからは、ヌイグルミのオセロの頭がほんの少しだけ覗いていた。晴彦はなんだか妙な気がしたが、シチューに入れるコロッケでも買いに行くのだろうかと思い、その時はそれ以上の会話をしなかった。
 それから数日後、晴彦の父親が母親の失踪届を出した。そして二十日後、母親はオセロを抱き締めた状態で、青木ヶ原樹海の有名な洞窟で死亡しているのが発見された。死因は薬物による自殺と断定された。遺書はなく、父親との関係も良好だった。パートで働いていた薬局での評判も良く、誰にも彼女の死の究極的な理由がわからなかった。
 それ以後、父親は失った心の支えを仕事に没頭することで忘れ去ろうとするようになった。出世は早くなったが、その分転勤が増えた。葬儀の際、父親は最期まで彼女が抱いていたヌイグルミをお棺に入れてそのまま燃やすことを希望していた。だが、当時の輝彦が猛烈に反発して、結果的にオセロは自分の部屋に引き取ることになった。
 輝彦は毎晩のように母と樹海へ向かう夢を見るようになった。夢の中の輝彦はオセロを抱いていて、たえず母の顔色を窺っている。母と息子は真夜中になって、樹海の洞窟に辿り着く。そこで母が「これでやっと眠れるね」と言ったところで夢は覚め、ベッドから汗みずくで飛び起きるということが繰り返された。
 そのことを父親に話してから数週間後、引っ越しの準備をしている時に晴彦はオセロがいなくなっていることに気付いた。父親は曖昧に首を傾げていたが、もしかすると息子の悪夢の話を聞いた彼が、気味悪がって捨ててしまったのかもしれない。案の定、オセロがいなくなると晴彦の悪夢も晴れた。
 こういう一連の記憶が、オセロと名付けられたヌイグルミには宿っていた。晴彦にとってオセロは、理由のわからない死に方をした母との記憶を否応なく呼び覚ます存在だった。物心ついてまもない時期に母を亡くした苦しみが、その過酷さのあまり、晴彦の記憶に空白を作り出していたのだ。晴彦は母がいなくなる前のやさしげな笑顔を思い出すたびに、心を焼き尽くされる思いだった。他のクラスメイトが、参観日に着飾った母親たちと視線を交わし合っている姿を見るたびに、晴彦の心は真夏の病み果てた向日葵の死骸のように、がっくりと地に頽れるのだった。
「お前さんは、母を失った苦しみを忘れるためには、ある儀式をしなければならないということに気付いたはずじゃ。それは、母の記憶とわかちがたく結ばれているある物を、みずからの手で捨て去るという儀式じゃよ。そうすることで当時のお前さんは、この苦しみから解放されるはずだと、ほとんど本能的に直観したんじゃろう。そして、それは意外にもうまくいった。引っ越しのどさくさにまぎれて父親が捨てたという作り話まででっちあげて、お前さんは母の死を記憶の片隅にしまいこんだわけじゃ」
 麦藁帽子の老人は、そう静かな低い声で晴彦に語りかけていた。
「じゃがな、記憶を完全にコントロールできる人間などこの世界に一人も存在せんよ。実際、物というのは、それが置かれていた当時の心象風景と結び付いている。お前さんは、デパートのオモチャ売り場になにげなく並んでいる動物のヌイグルミを見ただけで、あの洞窟で蹲る母の哀れな姿がちらつくのを経験してきたはずじゃ。記憶はのぉ、本当に厄介じゃよ。記憶――これほど人を死に追いやるものがほかにあるじゃろうか。お前さんは、母の死の理由をずっと探してきたんじゃろう? そのヌイグルミがひとつの答えじゃよ。お前さんの母も、同じくある記憶を背負っていたんじゃ。その記憶は、たとえ現在がどれほど幸せで平穏さに満ちていたとしても、凄まじい痛みとともにたえず蘇ってくる。お前さんの父親とまだ出会う以前の、もっともっと古い、ある痛ましい記憶――涙なしには語れない記憶、だが誰一人としてその痛みを共有することのない記憶――こういう記憶が、この忘れ去られた寂しい海辺には、どこまでもどこまでも広がっておるんじゃよ」
 老人はそこまで話し終えると、柔らかい微笑を麦藁帽子の下から覗かせた。
「置いていきなさい、そのヌイグルミを。重荷を減らして街へ帰りなさい」
 晴彦はオセロを片手に、しばらく沈黙したまま立ち尽くしていた。頰には涙が流れていた。結局、彼はオセロを握っていた手を放した。晴彦の隣で一部始終話を聞いていた詩織も、同じように祖母の写真を手放した。人生には、時宜に応じて捨てるべきものがある。執拗にある対象に付き纏うと、物の方から捨て去るように促してくるだろう。二人がこの謎めいた老人から学んだのは、そんな教訓だった。
 二人は車に乗り込み、海辺を離れた。バックミラーを見ると、二人が捨てた物に老人が火をつけている最中だった。おそらく、彼はそうやって人間の記憶の生成消滅を司ってきたのだろう。燃やすことでしか、次に進めないような記憶というものもあるのだ。
 不思議なことに、トンネルを走り出して五分と経過しないうちに、自販機が傍に置かれた出口まで到達した。対向車線でもいつものように車が走っている。二人はようやく緊張感から解き放たれた。
 天文台の旅館であらためて調べた結果、やはりこの辺りに長いトンネルなど存在しないことが判った。ネット上では、三十年ほど前の都市開発の一環で、この辺りに途中まで長いトンネルが作られていたという話が流れていたが、何らかの理由で頓挫したということだった。
 夜は気分を切り換え、星空観測を楽しむことにした。輝く星々を眺めているうちに、自然と晴彦の心を覆っていた暗雲は晴れていった。
 後日、まだ記憶が新しいうちに、二人は実際にトンネルの所在を確認してみることにした。トンネル自体は確かに存在した。入口には平凡な自動車工場と民家が広がり、出口にはガソリンスタンドやコンビニなどが並んでいる。だが、長さは三分で通り抜けられるほどの短いものだった。長大なトンネルも、広大な海辺も、この辺りにはまったく存在しなかったのである。
 晴彦はふと考えた。都市空間の中には、何らかの拍子で次元の異なる別の空間と接続する瞬間があるのかもしれない。不可視の空間は、突然平凡な日常世界に侵入する。とはいえ、そのように合理化して捉えたところで、晴彦と詩織があそこで経験した出来事の特異さを説明することなどできようはずもなかった。
 ただ一つ言えることがあるとすれば、詩織が五年ほど前に亡くなった祖母のお墓参りに行ってきたということだろう。詩織の話によれば、線香をあげていると、祖母が涼しい微風になって、自分の髪を撫でてくれるのを感じたのだという。晴彦も近々、母の眠る墓地を訪れようと思っている。

わすれもの

執筆の狙い

作者 萩原杏子
dhcp-1051.nava21.ne.jp

むかし持っていたけれど、いまはなくしてしまって思い出せない、そういうことをテーマにしてみました。文章のおかしかなところ、読みにくいところなど、何でもかまいませんので、ご感想・ご意見おまちしております。

コメント

時乃
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萩原杏子様


こんにちは、時乃と申します。
御作『わすれもの』読ませていただきました。

こうした方がもっと良くなるのではないかと感じた部分を、僭越ながら指摘させていただきます。
あくまで個人の意見なので、参考にできない部分もあるかもしれません。


まず部分的な指摘ですが、下記の文章から3点


[引用]
 詩織の運転する車は、あと一時間ほどで天文台に到着する。途中、コンビニでジュースや菓子パンなどを買って、そのまま談笑しながらトンネルにさしかかった。しばらく走行していて、晴彦はふと奇妙なことに気付いた。反対車線に車が一台も走っていない。そればかりか、先刻まで後方を走っていた何台もの車が、突然消失しているのだ。詩織も運転席で首を傾げ始めた。
「それにしても、このトンネル長いわねぇ。カーナビどうなってる?」
 詩織が整った眉の形をへの字にしながらそういった。
「さっきから映ってないな」
 晴彦は妙な胸騒ぎを覚えた。そういえば黒澤明の『こんな夢をみた』の中に、トンネルの奥から死んだ戦隊が行進してくる話があったことを、晴彦は思い出した。その時彼は、トンネルという空間には、この世界とあちら側を媒介する役割があるのではないかと空想に駆られたものだった。
 結局トンネルを抜けたのは、それから三時間後であった。その間、元来た道を引き返してみたり、車から出て周囲を確認したりしたが、このトンネルを進まない限り目的地には到着しないことに変わりはなかった。トンネルの内壁には、オレンジ色のあまりリラックスできないライトが等間隔に、果てしなく奥へ奥へと続いている。内壁は他のトンネルと同じタイプのものだったが、このトンネルは決定的に他のものよりも長過ぎた。前に二人が天文台まで走らせた時、到着までの所要時間はせいぜい一時間弱である。トンネルがあるといっても、せいぜい入口から出口付近に設置された自販機がすでに見えている程度の短いものだけだった。
[引用終わり]


トンネルに入った(文中では「さしかかった」とありますが、素直に「入った」で良いのではないかと思います。「車内がオレンジ色に染まった」でも良いかもしれませんね)晴彦と詩織は違和感に気づき始めます。この場面から話が動き始めるわけですが、違和感を感じ始める描写をもう少し工夫できるのかなと思いました。


「反対車線に車が一台も走っていない。そればかりか、先刻まで後方を走っていた何台もの車が、突然消失しているのだ。」
→最初に描写される違和感です。作中では晴彦が気づいたことになっていますが、これはむしろ運転している詩織が先に気づいたほうが自然ではないかなと感じます。個人的には、先に「このトンネル長いわねぇ」という時間の感覚が先に来て、そういえばカーナビが映っていないとか、車が消失しているとか、後追いで異常に気づいていくほうがスムーズに感じます。また、詩織と晴彦は前にも天文台まで走らせてこのトンネルを通っていることが後で明かされるのですが、それであれば「このトンネル、こんなに長かったかしら?」と言うセリフの方が良い気がします。


「そういえば黒澤明の『こんな夢をみた』の中に、トンネルの奥から死んだ戦隊が行進してくる話があったことを、晴彦は思い出した。その時彼は、トンネルという空間には、この世界とあちら側を媒介する役割があるのではないかと空想に駆られたものだった」
→一番はじめにこれを持ってくるのはちょっとまずいのではないかなと思います。今から起きることをあらかじめ説明してしまう形になりますし、以下はこれに引きずられる形で読んでくれという作意が出てしまってます。


「結局トンネルを抜けたのは、それから三時間後であった。その間、元来た道を引き返してみたり、車から出て周囲を確認したりしたが、このトンネルを進まない限り目的地には到着しないことに変わりはなかった。トンネルの内壁には、オレンジ色のあまりリラックスできないライトが等間隔に、果てしなく奥へ奥へと続いている。内壁は他のトンネルと同じタイプのものだったが、このトンネルは決定的に他のものよりも長過ぎた。前に二人が天文台まで走らせた時、到着までの所要時間はせいぜい一時間弱である。トンネルがあるといっても、せいぜい入口から出口付近に設置された自販機がすでに見えている程度の短いものだけだった。」

→三時間後にトンネルを抜けた、元来た道を引き返してみたり、車から出て周囲を確認した、とありますが、ここはサラリと流さずに1段落ぐらい使ってしっかり描写してあげるべきではないかなと思いました。せっかく晴彦が胸騒ぎを覚えて感情が動き始めている部分なのですから、もう少し臨場感を持たせてあげたほうが良いのかなと思います。また、トンネルを抜けるのに三時間もかかっているのですから、あえて「このトンネルは決定的に他のものよりも長過ぎた」と書くのは不要に思えます。


以上が部分的な指摘です。



続いて全体的な指摘ですが、終盤で老人が出てきて一方的に喋らせる形は、どうしても教訓めいた感じが出てしまって勿体なく感じます。題材はすごく良いと思いますし、表現したいことが明確に文章にできているのですから、それをそのまま書くのではなく、人物の行動と場面でうまく表現してほしいと思います。老人を出すとしても、すべてを喋らせるのではなくヒントをほのめかす感じにして、晴彦自身が自らの真実に気づく終わり方をすれば、非常に高い完成度になると思います。

また「トンネルを抜けたら異世界」というのは、発想としては正直ありきたり過ぎると思います。もちろんそれ自体が悪いわけではないのですが「都市空間の中には、何らかの拍子で次元の異なる別の空間と接続する瞬間があるのかもしれない」といったようなことは、むしろ書かなくても読者は理解できるだろうと思うのですが、いかがでしょうか。


色々指摘しましたが、このサイトの中では上位に入る実力だと思います。かなり書き慣れている方だと思いました。
ありがとうございました。

ブロンコ(ちゃいのひ
KD111239125003.au-net.ne.jp

オセロがどのくらいの大きさなのか、こちらが読み手として単純に馬鹿なだけなのか結局のところよくわからなかったし、晴彦がかつては輝彦だったらしいことすらも“記憶”というパラレルに潜む何ごとかであるらしく惑わされた、なんてことを本気で指摘したがるつもりはないです。


書きたかったらしいことはわからなくもない気はしているんですけど、余計な情報が多い割に必要なことが案外書かれていないのではないのか、なんて気にも一読者としてはかなりさせられています。

謎の老人が居なければ一気に破綻してしまう世界、なんて言い方はさすがに意地悪すぎでしょうか。



序盤から件のトンネルに至る前までの書き込みはすべてが無駄とは言わないですけど、結構余分な情報で紙幅を稼いでるくらいの印象しか与えていない筆致が少なくない気がするし、晴彦、詩織ともに映画好きであるような情報は何故必要なのか、あるいはそれを材料として有効に扱う意識を上手く働かすことが出来ていないのではないのかという疑いの方が、むしろ創作という態度においては当然のようにあてこすられる事実のような気にすらさせられるわけです。


トンネルを引き返すとか三時間迷いまくるといった奔放な違和感にはいちいち触れても仕方がない気はするのですが、信頼というリーダビリティにおいてやはり馬鹿にもならないことではあるはずですし、書き手側の思いつく世界にばかりに期待が傾きすぎることは案外読み手の理解を突き放すことになりがちのような気もするので、つまらない言い方をするなら整合性とか、要するにその世界なりにも整い方としての丁寧さはやっぱり欠かせないような気がします。


個人的には同じことを書くのにトンネルも謎の老人も、ひいては奇妙なパラレルワールドさえも必要ない気がしないでもないですし、むしろトンネルに迷い込んだことでこのおハナシそのものが迷子になったというか、テーマに対する強度を失ったのではないのかと、個人的には感じさせられているわけです。


めちゃくちゃ失礼なことを言ってしまうと、あたしがもしこのお話を書き換えるならきっと映画館のスクリーンの前という一場面、そのシチュエーションのみで書き切れる気がします。
言ってること、わかりますかね。



“伏線回収”みたいなことはこの世界ではよく言われることなんですけど、それって個人的には構造とか仕組みとか言う以前に、“小説”足り得るためのまったく基礎的な強度っていうその魂胆の見通し方のようなことだと思ってるんですね。
設計とか、そういうのともちょっと違うニュアンスさえ含む言い方をしてるつもりなんですけど、わかりますかね。


それって単純に、“面白さ”ということに繋がる基本的なコツのようなもののはずなんだと思うんですね。


このおハナシには、そういった“面白さ”という意味での仕掛けや仕組みがないのか不十分なのか知らないですけど、明らかに足りていないことは明らかなような気がするわけなんです。


このテーマにおけるパラレルワールドは、例えばスクリーンに流れる映画ってことだけでも全然いいじゃん、ってことなんですけどわかりますかね。
あくまでもあたしなりの、個人的な想像っていうか創造ってことでもいいと思ってるんですけど。


晴彦と詩織っていう映画好きが各々にスクリーンに見入りながら連想の如く掘り起こされる記憶っていうおハナシ。
“記憶”という違和感にそれぞれが辿り着いて気付かされる、映画終演後に二人ばっかが共有するパラレルワールド的解決のためにあるのが例えば“伏線”という回収されるべき種のはずで、つまり例えばあたしはこれ、晴彦と詩織がただ仲直りするだけのおハナシとかに全然書き換えてもテーマを負う強度として十分のような気がしています。
正体不明の老人もパラレルワールドもいらない、晴彦と詩織、という二人のそれぞれの記憶が作用して解決する世界を書きたい気がします。
違う意味での並行世界を成立させられなくもないというか。


言ってもただの一例としてのハナシには違いないんですけど、要するに書き手が書こうとした世界がこういった奇妙な世界に迷い込んでこそのものであるべきなら、そうあるべきなりのれっきとした伏線回収的構造がまずはないよりはあって然るべきのような気がするわけで、そういった背景の豊かさにおけるこのおハナシの読後感としての納得というか満足度のようなものは個人的にはわりと乏しい気がするし、テーマと背景と世界という根拠が案外スムーズな関係にない気がします。


勘違いしてほしくないのは、それってこのおハナシだからということではなくて、“小説”っていうまったく基本的な視座のハナシだと思うってことです。
真面目に考えて書かれたおハナシだということはもちろん受け止めています。

ブロンコ(ちゃいのひ
KD111239125003.au-net.ne.jp

>明らかに足りていないことは明らか



馬鹿な日本語がエラそうにすみませんでした何しろキラワレモノの言うことなので堪忍してくだしゃい

真弓 剛太郎
i220-221-21-55.s41.a040.ap.plala.or.jp

読ませてもらった。

書こうと思ったものはほぼ先に書かれてしまっていた。
なるほど、人物は居るなと思った。


筆順や自然な思考の仕方は、立ち止まり読者側に立って読み返せばなんとのう知れてくるもので、少し置いて他人の書いたモノとして自作を客観視すれば会得できると思う。
本作は文章としてのスキルは感じられるのだが、いかんせん念押しするために押し付けがましくなっている。
簡易な文で「今起きていること」と「それを見て作中の人物がどう感じたか」それだけを描くだけで、信頼できる読み手は拾ってくれるはずだと信じて欲しい。
また、上で時乃さんが書かれているが、時系列と書き順には留意して欲しい。
Aという物事を見てBと思う。
ならば、それらが入れ替わることは無理であり、この簡素な構造にCを割り込ませてはならない。

また、物語は全ての事柄を開陳させなければならないわけではない。
謎を全部解く必要などない。
実生活に置いて他人の心が読めないのと同じように、人は自分のことでさえきっぱりと割り切って理解できるものではない。
謎の老人は語り過ぎ、説教臭く、全てを知っている。
そのような存在は物語の意味を喪わせるし、害悪でしかない。
必要なのは説明や説教ではなく、物語の初めから終わりまでの流れで、読んだ人に何を感じさせるかということだ。
そこいらのことを考えてみれば、自ずとどうすればいいか啓けるのだと思う。

意欲もスキルも感じられた。
どうか工夫しながら前に進んで欲しい。
次の作品を期待する。

萩原杏子
dhcp-1051.nava21.ne.jp

時乃様へ

御感想どうもありがとうございます。
まず、1〜3についての親切で具体的な御指摘、これから推敲するうえでとても参考になります。


>続いて全体的な指摘ですが、終盤で老人が出てきて一方的に喋らせる形は、どうしても教訓めいた感じが出てしまって勿体なく感じます。題材はすごく良いと思いますし、表現したいことが明確に文章にできているのですから、それをそのまま書くのではなく、人物の行動と場面でうまく表現してほしいと思います。老人を出すとしても、すべてを喋らせるのではなくヒントをほのめかす感じにして、晴彦自身が自らの真実に気づく終わり方をすれば、非常に高い完成度になると思います。
また「トンネルを抜けたら異世界」というのは、発想としては正直ありきたり過ぎると思います。もちろんそれ自体が悪いわけではないのですが「都市空間の中には、何らかの拍子で次元の異なる別の空間と接続する瞬間があるのかもしれない」といったようなことは、むしろ書かなくても読者は理解できるだろうと思うのですが、いかがでしょうか。

そうですね、老人の部分は他の方からも御指摘があり、くどい印象を与えてしまうのだなと思いました。
当初、この老人は書いていなかったのですが、読み直しているうちに、書き加えていました。
私としては、映像化したら「世にも奇妙な物語」みたいな感じになる、ショート幻想小説という方向性で書いていました。
トンネルについては、たしかによくある設定ですよね(「千と千尋」とか、「犬鳴トンネル」とか)。
文体が説明調でくどいところは、私のクセなのでなおしていきたいです。

このたびは御意見どうもありがとうございます。

萩原杏子
dhcp-1051.nava21.ne.jp

ブロンコ様と真弓様への返信は、あらためて書かせていただきます。

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