言えない言葉
この世の中には、なかなか言えない言葉がある。悪いことをした時に『ごめんなさい』、感謝したい時に『ありがとう』、愛する人に、『愛してる』。相手にどう思われるかと悩んでしまうと、素直に自分の気持ちを言い表せないことばかりだ。
しかし私は、これよりもよっぽど言えない言葉があるのを知っている。先ほど例に挙げた言葉は、最悪言わなくてもいい可能性がある。ものすごく頑張れば回避できないこともない。でも、私の思う言えない言葉ワースト一位は、必ず言わなければならない。そうしないと人に迷惑がかかる。
私の思う言えない言葉ワースト一位、それは『自転車来てます』だ。これは言いづらい。本当に言いづらい。前の人達が歩道を横に広がって歩いているのを想像して欲しい。そこに後ろから明らかに歩行スピードを上回る自転車がきている。道幅的に右にも左にも追い越すことができない。この状況で、自転車と前の人達の間に挟まれている私はいかにして『自転車来てます』と言えたものか。いや、言えない。
そして今、社会に出て二年、生まれ落ちて二四年、道を歩くようになって多分二二年、ついに私はその言わざるを得ない状況が差し迫っている。
4対4の合コンに私は誘われた、その帰り道。私は明らかに人数合わせで呼ばれた感が凄かった。なんで俺なんだ、と尋ねても「だってお前おもしれーじゃん!」とか何とか言われて無理やり引っ張ってこられた。しかし実際は合コンの最中、私の仕事での失敗や、何故か広まっている学生時代の失敗を事細かに離され、「ちょ、やめてくれよ〜」とお茶を濁しつつダシにされただけだ。お茶を淹れつつ、ダシもとる。私は昆布か。しかも、こう言ってはなんだが、女性陣の中にも人数合わせと呼称されているのではないかと想像に難くないお方が一人いた。私は思う。だったら最初から3対3でよかったのではないか!? 何を無理して4対4にまで持っていきたかったのだろうか。翌日も仕事や用事がある面々が多かったので、駅まで歩いてそこで解散という運びになったのだが、人間とは不思議なものだ。合コンの帰りは大概横に広がって歩く。これはおそらく万国共通の事象ではないだろうか? 道を歩くフォーメーションとしては、3-3-1-1。スペインサッカーもびっくりな、前線に人を集めた攻撃的配置。最前線に男2、女1。二列目に男1、女2。女1。私。正直私が一列上がって3-3-2に持ち込んでもいいが、あいにくそんなオフェンス力は持ち合わせていない。
そこに、だ。後ろから気まずそうに、一人のおっさんが自転車に乗って近づいてきた。右にも左にも抜けない。気づいているのは私だけ。『自転車来てます』が言えるのは私だけ。私以外の人間なら、この状況をどう乗り切るのだろうか。少なくとも、私は今のところ何も言葉を発せていない。
では、なぜ何も言えないのか。簡単な話、『自転車来てます』のこの言葉本体の特性に考えると、何も得をしないからだ。例えば、『ごめんなさい』の言葉は、人によっては屈辱感や敗北感があるだろう。しかし、その代わりになにかしら許してもらい、今後の言われた側との関係性を維持あるいは改善等の可能性があるのだ。
だというのに、『自転車来てます』ときたら。これは最悪の言葉だ。言ったらどうなる? 前の、話が盛り上がっている方々の邪魔をする。となると「なんだよ盛り上がってるのに」なんて目で見られる可能性もある。日本において空気が読めないというレッテルは恐ろしくてしょうがない。この一言で職場から締め出される場合も考慮しなくてはならない。さらには、声のボリュームが足りなかった場合だ。それにより『自転車来てます』が前の人達に聞こえなかった場合、自分の声量の調整の下手さに自己嫌悪に陥ること間違いなし。さらには私の現状の場合であれば、前の女性にだけ『自転車来てます』が聞こえる可能性がある。となると、「うわ、こいつ声量調整ミスってますやん。あれ? もしかして合コンで喋らなさすぎてそのあたりの調整の仕方忘れちゃった? ああ、話の盛り上がらない男って、これだからダサいよね。」と思われても仕方がない。あと自転車のおっさんにもそう思われる。と、なると、『自転車来てます』には何もメリットがないのだ!
しかし言わないわけにはいかない。何故ならおっさんは「いやお前が前の人に声かけてくれよ」と言わんばかりの目で見てきている気がして仕方ないのだ。ではどういうメンタリティで『自転車来てます』を発すればいい? 私は考えた。仮に、だ。あくまで仮の話だが、このおっさんがアサシンだとしよう。その場合、このおっさんは相当優秀なアサシンだ。音もなくこの距離まで近づき、徒手で我々を屠る距離まできている。私が思うに、銃は確実に殺害できるが、音が目立ちすぎるし入手ルートから身元がバレる。刃物類もそうだ。切り傷からどんな刃物を使ったか判りそこから個人を特定できると思う。結局の所道具に頼る時点でまずいのだ。徒手であれば証拠も残らず持ち運びもすごく便利。使用者は限られるが、理想的な武器だ。現状、その徒手で攻撃を加えられる位置まできている。ここで私が『自転車来てますッ!』と発すれば、全てを察した前の7人は、私に加勢するかすぐさま逃避、回避などの生存のための行動に移るだろう。私が足止めもすれば、おおよそ残りの7人は生きられる。犠牲は私一人で済むのだ。こうなれば、7人の、前を進む彼ら彼女らは私に感謝し、ある種英雄的な扱いをしてくれる。間違いなく感謝してくれる。となると『自転車来てます』と言って、私が損をすることはない。
しかし一つ問題がある。それはこのおっさんはそらくアサシンではないということ。いや、九割がたアサシンではないだろう。武器も持っていないし、だからといって徒手を武器化できる筋力はなさそう。間違いなくアサシンではない。
私は完全に手詰まりだった。
そこに、心地良い高音が鳴り響き、その発生源に私を含めた皆は注意を引かれた。チリンチリンだった。これによりおっさんは自らの存在を主張し、そして前の道を塞いでいた男女は、「すいません」と言いながら歩道の右側を開けた。私は、『自転車来てます』を言わずに済んだ。
今になって思うと、あのおっさんは我々を殺しにきたアサシンではなく、『自転車来てます』を私に言わずにように運命を変えてくれた、メシアだったのかもしれない。あの日の出会いに、今でも感謝し続けている。
あと、あの後7人で二次会に行ってたらしい。
執筆の狙い
いかにしてどうでもいいことを長々と悩み続けるのかにチャレンジして書いてみました。
基本的に、『ギリギリ共感できない』のラインを狙って設定を考えています。本作はどうでしょうか。
悩みっぷりを楽しんでいただけると幸いです。