作家でごはん!鍛練場
ルイ・ミモカ

チア

 太郎は駅前の食堂で塩サバ定食を食べていた。
「あいつ、生きがいを見つけられたのかな」
 と、ある人のことを心に思い浮かべながら、箸の先でつまんだサバの身を口に運んだ。
 テレビで、大学野球の試合が放送されていた。
 太郎はその画面をぼんやり眺めていた。
 バッターがホームランを打った。沸き起こる歓声の中、ランナーは2塁、3塁と回って、本塁に戻った。ベンチでチームの仲間が迎え、ハイタッチしている。
 太郎はそんな風景を見て、自分が小学生の頃、少年野球のメンバーだったことを思い出した。あの頃は、自分も輝いていた。
 いつからだろう。気が付けば、自分はあまり人と関わらなくなって、孤独を愛するようになっていた。
 小学6年生の頃だったろうか、空想の世界に入り込むことが多くなった。そこは、少し寂しいけれども、居心地の良い場所だった。ただ、「暗いね」と自分のことをひそひそ言う人がいるのも知っていた。周りとあまりうまくコミュニケーションがとれなくなって、自分の性格の暗さに気が付いた。
 中学・高校とテレビゲーム三昧だった。それはみんなわいわい楽しむものではなく、一人で打ち込むタイプのゲームだった。
 文学に親しむようになったのは社会人になってしばらくしてからだった。
 それは会社帰りにたまたま立ち寄った本屋で、太宰治に出会ったことがきっかけだった。
 文章がやさしかった。その頃はまだ基本的な読解力が足りなかったので、内容を理解するまでは何度か読み直す必要があったが、何より、その文章のやさしさに、心が慰められた。それは、知識とか理屈ではなく、すうっと心に沁み込んで来るものだった。親友に出会えた気分だった。そんな親友がずっと欲しくて、そして、得られなかった。でも、太宰が残してくれたことばを通して、長い年月を超えて、彼が、自分の心のそばにいる。
 それから、太郎はもう10年もの間、文学を趣味として来た。執筆にも励んだ。
 いつしか、文学が自分の生きがいになっていた。
 そんなことをしみじみと思いながら、彼は味噌汁をすすり、着色料で明るく輝く黄色いたくあんをボリボリと齧った。せめて、このたくあんのように、自分の心も明るい色になれたらいいのに、と思いながら。だが、そのために何か努力する気にもなかなかなれなかった。
 ふと、テレビに、チアガールの女の子たちがうつった。ミニスカートからきれいな長い足を露出し、元気いっぱいに飛び跳ねている。
 その中に、ふと見おぼえのある人物を見たような気がして、太郎は思わず箸をテーブルの上に置いて、身を乗り出した。
 まさか……!
 という風に、彼は目を見開いた。
 彼は無意識にふらっと席を立って、テレビに近づく。
 間違いない。加茂だ。チアガールの女性たちの中に、一人だけ、中年のおばさんが混じっている。両手にポンポンを持ち、ありったけの笑顔でダンスしている。以前よりも足が太くなっていた。隣の若い女性の足と比べてみても、木の枝と幹くらいの違いがある。
「加茂……お前、こんなところで、何やってんだよ?」
 太郎は自分の声が加茂に届いているかのように、そうつぶやいた。
「おい、あんちゃん、邪魔だよ。見えないよ」
 と他の客から注意された。太朗は視線をテレビに張り付けたまま、脇によけた。
 カメラは若いチアガールたちの中に、一人だけ中年女性がいることに気づいたのか、加茂にフォーカスを当て、ズームして行く。
「おい、加茂……お前、恥ずかしいぞ。全国に見られてるぞ。ていうか、お前なんで、そんな場所にいるんだよ」
「おや、一人だけ年配の方がいらっしゃいますね」
 と実況のアナウンサーが言った。
「やばい、加茂、お前、注目されてるぞ。醜態さらしてるぞ。逃げろ……そこから、逃げろ、今すぐ」
 観客席の後ろの大画面スクリーンに、加茂の生き生きと踊っている姿が映し出された。わあっと、場内全体が沸いた。
「いやあ、しかし、年齢をものともせず、チームの中で一番輝いていますね。笑顔もいい。踊りも若い子たちに全然負けていない」
「いいんじゃないですか? 私は、いいと思いますよ!」
 と隣のスポーツ解説者が嬉しそうに意見を述べた。
 カメラの視点は左から右へと流れ、観客席やベンチの人々を次々と映した。皆、加茂の存在に気づき、大画面スクリーンの方を注視したり、実物のチアリーダーたちに視線を向けている。あたかも、ハーフタイムショーが始まったかのようで、人々の関心は試合よりも加茂のダンス、いや、その異様な存在そのものに向けられていた。
 球場にいる人々は皆、加茂のはちきれるようなダンスから元気とエネルギーをもらっているようだった。
 チアリーダーたちがダンスを踊り切り、音楽がいったん止まると、場内は雷鳴のような拍手と歓声で包まれた。
「いや、素晴らしいダンスでした。おかげで、今日の試合は歴史に残る名試合になることでしょう」
 とアナウンサーがしめくくった。
 いつの間にか、チアガールたちの中から、加茂の姿が消えていた。まるで手品のように。ちょっと目を離した隙にいなくなっていたので、観客たちの間から「どこ?」「いる? いない?」という声が上がった。彼らは落胆していた。
 人々はまたグラウンドの方に向き直った。秩序が戻り、試合は粛々と再開された。
 太郎は定食屋の床に、がくっと跪いた。
「加茂……お前……そうか、お前、自分の居場所をやっと、見つけたんだな」
 太郎の目には涙が浮かんでいたが、その口元は優しく微笑んでいた。

 太郎が夜、眠りについていると、ドアがかちゃっと開く音がして、それで目が覚めた。
 ドアの方を見ると、誰か立っている。起き上がろうとするが、金縛りにあって動けない。ただ目だけを見開いて、闇の中にぼんやり浮かぶ人影を見上げるしかなかった。
 部屋は真っ暗だったが、太朗がその人物をじっと見つめているうちに、その人物の姿がだんだんはっきりと浮かび上がって来た。どこからともなく青白い照明の光が放たれ、その人物を照らしているかのようだった。
 彼は、若いようで、どこか老いている感じの男性だった。年齢で言えば、30歳から50歳くらいまの幅が取れそうだった。明るく輝く青い瞳は若い青年のようだが、口元は威厳をそなえた老人のように見えた。
 それは、口に生やした髭のせいかもしれなかった。それは、いわゆるカイゼル髭という、両端がぴんと反り返った形の髭だった。
 かつらと思われる豊かな金髪は頭から肩まですっぽり覆い、優雅にカールしていた。
 大柄な体には赤い軍服をまとい、足には白いズボンを履いていた。胸にはきらびやかな勲章がいくつも下げられていた。
 腰にはサーベルを帯びていた。
「私は、ルイ・ミモカ。かつて私は文学の忠実なしもべだった」
 とその人物は言った。低いがよく通る、中年男性の声だった。
 しばらくの間沈黙が訪れ、そのルイという男も、太郎も何も言葉を発さなかった。
 5分ほど沈黙が続いた後、ルイは、もう一度、こう呟いた。
「私は、ルイ・ミモカ。かつて私は文学の忠実なしもべだった」
 そう言いながら、彼の姿が一瞬眩しい光に包まれると、そこからゆくりとフェードアウトして行った。部屋は真っ暗になった。
 太郎は全身の緊張が解け、また深い眠りへと戻って行った。

チア

執筆の狙い

作者 ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

私は、ルイ・ミモカ。かつて私は文学の忠実なしもべだった。

コメント

茅場義彦
133.106.142.54

かもちゃn 見つけた

(久)
240.133.31.150.dy.iij4u.or.jp

ええー!
チアのくだり、ドキドキしました!

スクリプト
119-170-238-65.rev.home.ne.jp

間違いない。加茂だ。/ここで爆笑。あいかわらず小説書くのが上手いですね。

青井水脈
om126208170063.22.openmobile.ne.jp

「私は、ルイ・ミモカ。かつて私は文学の忠実なしもべだった」

二度言われたので、大事なことなのですね。また現れることを期待しますね。

ルイ・ミモカ
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茅場義彦様

ありがとう。
私は文学を愛している。
ただ、その愛し方を模索しているんだ。

ルイ・ミモカ
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(久)様

人間、情熱があれば何だって出来ると思う。
輝きに年齢は関係ない。
内面の輝きが、その人の輝きなんだ。
だから、遥かな時を超えて輝いていたい。
果てしない闇に希望を灯す、夜空の星たちのように。

ルイ・ミモカ
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スクリプト様

>あいかわらず小説書くのが上手いですね。

ありがとう。
でも、私は全然上手くなんかない。
この作品をもう一度読み直してみたけど、誤字脱字だらけだし、もうちょっと読みやすい書き方が出来ただろうっていう箇所もたくさん見つかる。
でも、作品で伝えたいことが読者に伝わったなら、何よりもそれが嬉しくて。

>ここで爆笑。

ああ、君は、笑ってくれたんだね。
誰かに笑ってもらえたらなら、僕はそれだけで、この世に生まれて来た価値があったと思えるんだ。
つい最近まで、僕は、自分がこの世に生きる意味を見出せなくて苦しんでいたんだ。
でも、この殺伐とした世界の片隅でもいい、小さなろうそく程度の灯りでもいい、それを見つめる誰かの瞳の中に、光を生み出すことが出来たなら……
たとえ、どれほどはかない光でも……
僕はそこに愛を見つけられるのかな。

ルイ・ミモカ
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青井水脈様

>二度言われたので、大事なことなのですね。

一度目は太郎に、そして二度目は自分自身に言い聞かせたのかもしれない。

>また現れることを期待しますね。

伝えるべき何かがある時、ことばはあなたの前に現れるだろう。
伝えられるべき何かある時、ことばはあなたの心に届けられるだろう。
ことばは電気に似ている。
それは人々の生活に灯りをともすだろう。
それは、未来を切り開く力を生み出すだろう。

もんじゃ
KD111239165057.au-net.ne.jp

 ルイ・ミモカさま

 拝読しました。

 チアというタイトルが端的でかわいらしくて響きもよくて好きだなと感じました。

>親友に出会えた気分だった。

 太郎にとっての、これが文学なのですね。太郎は孤独で、あるいは愛されたいのかもしれない。
 太郎は愛されていないのでしょうか? たぶんそんなことはない、と思います。もしかしたら太郎は、自らの意で、深いとこにある意で、他者からの愛を拒んでいるのかもしれない。それは太郎が自らを憎んでいるからかもしれないし、愛し過ぎているからかもしれない。濃厚すぎる自我に太郎は苦しみ、滅却したい自我を滅却できずに悶えて、文学を麻酔として利用したいのかもしれない。利用、じゃないですね、頼りたい、すがりたい、で、溺れ掛けているようにも見えなくない。というようなことをつらつらと思いました。親友ができさえしたらするっとほどけちゃうむすぼれなのかもしれないけど、そう簡単に親友はできない。文学は実は親友のかわりにはならない。なら何が彼を救うのか、解答を述べよ、と迫られたら一言、インディペンデント、と答えたい。文学にも、親友にも、宗教にも頼らず、自らのみに依りて立てばいい、というかそれしかない。仏陀も入滅されんがときにそんなことをおっしゃられたようです。だから思うわけです、強くなるしかないんじゃないかと、自分に対してもいつもそう思っているので、考え方のシェアのつもり。で、そのためには現実を具体的に一つひとつ生きるしかないんじゃないか、だなーんてえらそーなこと言ってしまって動揺してます。

 このサイトに集うやさしい書き手も、いさましい書き手も、ななめっちゃってる書き手も、わかってるような書き手も、そしてこの書き手も、この読み手も、みんなみんな孤独なのかもしれない。そこが愛らしいんじゃないかと、自分も含めちゃってすみませんがそんなふうにも思ったり。つるんだり、悪口言ったり、孤立したり、どれも寂しさの発露かもしれない。文学ってのは孤独の代名詞なのかもしれない。でも、というか、だからこそ、自分の足でとにもかくにもしっかり立たなきゃならんのじゃないか、それができて初めて欲しがるばかりじゃなく与えることもできる、シェアしうる。だなんて以上は半ば以上自戒。加茂作品は読み手をして内省的に導くようであります。

 だなんてなんてなんて、ちょっと作品についての感想からはみだしたみたいなことをわかったふうに書いちゃいました、すみません。

 さて、面白かったかと問われたら面白かったです。感動はしなかった。でも共感できるところがあった。カタルシスには足りなかった。でも余韻はあった。読後感はあまりよくなかった、あまりに独語感があったからだと思う。開かれてなくて閉じている、これが加茂文学の持ち味なのかもしれないとお見受けするのですが、このテイストはたぶん好かれる人にはとことん好かれて、嫌われちゃう場合はとことん嫌われちゃうんじゃないかとか感じました。うがった感想をすみません。で、この読み手はこういうテイストを好むたちであります。なので面白かったです。

 よいなあと感じたのは一にも二にも文章力。構成もよかったように感じました。ストーリー性はあまりなかったかもだけど物語の要素はあったような。キャラは立ちまくってたかと。

 よくない、と目についた箇所はほとんどなかったのだけれど、書くことに酔ってる感じがはなにつく、というような感想はありうるかもしれない。太郎がときに太朗になるのはご愛敬かと。

 だなんてわかったふうな書き込みをほんとにすみません。書き手さまのトリッキーなところにいくらか傷ついたことのある読み手だったりするのですが、加茂文学は好きです、でも同時にもどかしくもあります。

 諸々うまくいくといいですね。

 読ませてくださりありがとうございました。

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

もんじゃ様

>もしかしたら太郎は、自らの意で、深いとこにある意で、他者からの愛を拒んでいるのかもしれない。

すごい、よくそこまで読み取れましたね。
私自身、そこまで意識しないで書いていたのですが、読者には読み取られていたんですね。

>それは太郎が自らを憎んでいるからかもしれないし、愛し過ぎているからかもしれない。

すごい洞察力だと思います。
何でそこまで見破られているんだろう?

>溺れ掛けているようにも見えなくない。

まさにそこなんですね。
依存、ではなく、利用でもなく、適切な関係を求めている。

>現実を具体的に一つひとつ生きる

原理にとらわれず、一つ一つのケースに合わせて自分の原理も変えて、臨機応変に対処する能力なんでしょうね。
私には確かに足りないです。

>加茂作品は読み手をして内省的に導くようであります。

なるほど。
そうして私はとりあえず書くだけ書いてみてから、自分では洞察できない内面を、読者の手ほどきで解説してもらっているのかもしれない。

>よいなあと感じたのは一にも二にも文章力。

最近、自分の文章力が他の人に比べて劣っているように感じて、悩んでいたのですが、そういう意見も聞けて、少しうれしいです。自信を持つことも大事ですよね。

>書くことに酔ってる感じがはなにつく、

そこは気づきませんでした。
酔っているのかな。
何となく、文学的な雰囲気を出そう、というのはあると思います。
それは、日常の感じよりも、何というか、ファンタジックでありながら格調高いと言うのでしょうか、確かに現実の会話で使ったら、「こいつ何か自分に酔いしれてる」って思われるような何かだと思います。
ある種のロマンティシズムに浸っていると思います。

>書き手さまのトリッキーなところにいくらか傷ついたことのある読み手だったりする

それは、どういう点でしょうか?
もしさしつかえなければ、どういうところがトリッキーなのかを教えていただけるでしょうか。
その点について反省したいと思います。

甘酒
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何を表現しているのか、正直分からなかった。三回読んだのですが……。他の方は分かっているみたいですが……。

ルイ・ミモカ
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甘酒様、感想ありがとうございます。

深い意味はありません。
その時の勢いで書いた感じです。

たぶん、他の方々は、私がそういう人間であることを知っていらっしゃるから、
大目に見てくれているのではないかなという気がします。

でも、そんな中にも、私なりの、何というか、憂鬱というか、切なさというか、やりきれなさみたいなものが、
込められていて、そういう部分を理解してくださる方もいて、そういう方々のやさしさのおかげで、
私はこれまでやって来れた気がします。

この作品で私が何を伝えたいのかというと、
オタクだった加茂という人間が、チアガールで自己実現に挑戦しているということなんですけど、
それは私の、これまでの暗い自分を変えたいという願望がそこに表れているのだと思いますし、
と同時にこの太郎の半生は私自身の半生にもなぞらえているところもあって、
いろんな形で私という人間の人生が描かれているんじゃないかなと思っています

つまり、ちょっと分かりにくいのではありますが、
結構私は私自身を登場人物に素直に投影しているのかなという気もしています。
そういうのを読み取ってくれた読者の方々が、私のことを大目に見てくれたのかもしれません。

最後のルイが登場するシーンも、特にこれと言ったみたいはないのですが、
ある意味、誇り高いルイは、私自身のプライドの高い性格を投影しているのだと思います。
「文学の忠実なしもべだった」
と過去形なのは、これまでずっと文学だけにしがみついて来たということを意味しつつ、ちょっと今後は、方向転換して、チアガールみたいな、はちきれんばかりの明るさと元気さで踊ったりしてみたいという気持ちが芽生えていることを意味しているのかもしれません。

青井水脈
om126193168190.23.openmobile.ne.jp

>伝えるべき何かがある時、ことばはあなたの前に現れるだろう。
伝えられるべき何かある時、ことばはあなたの心に届けられるだろう。
ことばは電気に似ている。
それは人々の生活に灯りをともすだろう。
それは、未来を切り開く力を生み出すだろう。

私個人にくれたメッセージのようで、すごく嬉しいです♪個人に、というのがポイントです。なんか今の心境にしっくりくるので。
例えば、街頭で似顔絵を描いてもらって、更に一言メッセージも書き添えてあったような温かさを感じています。伝えるのに遅くなりましたが。

富山晴京
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ルイ・ミモカさん、拝読させていただきました。
この小説の中で、ルイ・ミモカの存在はいらなかった気がしますね。
ただ一方で自分の書きたいことを書くというのはこういうことなのだな、と学ばせていただいた気がします。素晴らしい作品でした。
これはあくまで僕の感想ですが、この小説は売れるんじゃないかっていう気がします。面白い作品だと思いますし、作家でごはんのコミュニティの中でも加茂文学っていう言葉ができる程度にはファンを獲得しているような状況でもあるわけですから、少なくとも受け入れてくれる人は存在するわけです。もしこの作品を長編として書けるのであれば、応募してみてもいいのではないかという気がします。
もしこれで、すでに投稿してあって落選しているとか、応募してみたけど落選したというようなことになったらすいません。でも挑戦する価値はあるという気がしました。

ルイ・ミモカ
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>青井水脈様

ありがとうございます。
ことばも電気も、この世界を動かす原動力だなって思います。

ルイ・ミモカ
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富山晴京様、感想ありがとうございます。

この作品が売れるなんて、嬉しいです!
でも、売れないんじゃないかなあって諦めています。

でも、加茂を主人公にしたギャグ小説とかは面白いかなって気がしてきました。
スターを誕生させる番組のステージに立って、「アメイジンググレイス」を歌って、優勝して、大スターになって世界を飛び回るとか面白そうかなって思います。
それは、たぶん、私自身がアメイジンググレイスを大衆の前で歌ってみたい気持ちがあるし、拍手喝さいされたいし、自分のそういう思いを主人公の成功に重ねて、あたかも自分が大スターになったような気持ちを味わえそうな気がするからかもしれません。

南風
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ルイ・ミモカ様

読ませていただきました。
読んでいて、私が書いた作品と方向性が同じだな、と感じました。実は私は自分の作品を書いていて「理想を追うストーリー」の先にはいったい何があるのだろうと思うようになりました。結局は現在でも地に足が着いていない、将来もなんとなく霞がかかっている。そんな状態から抜け切れないのではないかと。そこで、今書いている作品の最終章を全面的に書き直しています。人間の弱さを書かなければ、人間らしくないだろう、と思い始めたのです。小説ですから最終的には希望が見え隠れする設定も必要でしょうが、理想を追うことばかりの展開は止めようと思ったのです。主人公がどーんと沈むことこそ、真実ではないのか。なかなか階段を上れない、一歩も半歩も上れない、進めない、それが本当だろうと、思うようになりました。そうであるなら、作者自身が、頭を抱えて悩み、天井を見て涙ぐむことが人間らしいのではないか。自分は人間だ、という実感こそ、生きる希望につながるのではないかと思います。御作を読んで、そんな作品を書いてみたいと思いました。有難うございます。フェードアウトする終り方は好きです。

ルイ・ミモカ
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南風様、感想ありがとうございます。

人間が完全な状態になるということは、ないのだと思います。
いろいろな哲学書を読んで来ましたが、哲学の中でよく言われるのが、人間は不完全である、ということだという気がしました。
偉大な哲学者たちは、人間が不完全であることをしっかり認識していて、
そこから、「完全になれない人間が、不完全性の中で何を求めるべきか」を考えているような気がしました。
哲学者たちも、ある意味では理想を追っていたと思います。
でも、彼らはその理想に決してたどりつけない、ということを、最初から知っていて、ただ、不完全と完全の関係性について熟考していたようにも思えます。
完全な答えにたどりつける、と思っているとしたら、それはたぶん哲学者よりも、むしろ科学者の方が、そういう前向きな気持ちになることが多いのではないかなという気が私はしていて、過去の偉大な哲学者は、完全な理想にはたどり着けないけれど……という諦めから始まっているような人も少なくなかったのではないかと思います。哲学が持つ、ある種のメランコリーはそういうところに根源があるのではないかという気がしています。
哲学者の場合は、「人間は決して完全にはなれない」ということをまず最初に分かっていた上で、論理を繰り広げているような感じがあったのではないかと思います。
けれども、その不完全を容認しているのは、人間として、罪の状態だと彼らは感じていたのではないでしょうか。
「不完全」の中にあって、「完全」には決してなれず、それでいて「完全」を夢見ているかというとそういうわけでもなく、「完全」を完全に諦めているんだけれども、それでも「不完全」からは抜け出したい、せめて抜け出すためにあがいていたい、というのが、哲学者たちの努力だったのではないでしょうか。
哲学というのは、決して完全にはたどり着けない人間の思考が、不完全性の罪からいかに救われるのかという、その道筋を順序だてたものなのかもしれません。
そのために、論理をつくし、「不完全な人間」が、その不完全という罪を、完全の観点から、どのようにして許されることが出来るのか、ということをひたすら考えるのが哲学だったのかもしれないという気がしました。
これはあくまで、ちょっと哲学を入門レベル程度にかじってみた私の私見なので、間違っていたらごめんなさい。
完全を信じて、完全の完成に邁進した哲学者も、もしかしたらいるかもしれません。もしいたら、その哲学は明るくて前向きなものなのではないでしょうか。そういう哲学も読んでみたいです。

南風
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ルイ・ミモカ様
>完全を信じて、完全の完成に邁進した哲学者
ニーチェはどうなのでしょうか。彼は「明るくて前向き」なんてとんでもなく、精神病院へ入院しました。それでも、永劫回帰の思想はこの時代だからこそ必要かもしれせん。

ルイ・ミモカ
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>南風様

あまり詳しくないのですが、ニーチェ哲学というのは、人間として自分の信念を持った生き方について語っているのかなという風に感じていました。
自分で目標を打ち立て、それに向かって自分の意思で邁進する、みたいなイメージなのかなとぼんやりと思っていたのですが、そういう感じでしょうか?
人々が宗教的な救済に頼っていた時代に、自分の意思に依って立つ人生を主張したのかな、と捉えていましたが、そんな感じの解釈でよろしいでしょうか?

明るい、というか、力強い感じがするなあと個人的には思いました。
でも、やっぱり、この世界で自分の意思だけを頼みに生きて行くのはとても大変なことですね。
現代人でさえも、結局は、大衆の中に埋もれていればそれが一番安全で安心、という気持ちになるところはあるんじゃないかなという気がします。
自分の頭で考える知識も教養があっても、それでもやっぱり大衆の中に埋もれて安心するのは、やっぱり、この世界があまりにも大きすぎるからなのでしょうか?

私が哲学者が完全と不完全を明確に分けて考えていたという印象を持ったのは、
プラトンやデカルトの著作を読んだからだと思います。
彼らの著作の中では、完全と不完全が明確に分かれて考えられていたと思います。

でも、近代とか、現代だと、またいろんな視点からの哲学があると思いますが、私はあまり詳しくないみたいです。
この間サルトル読んで難しいなって思いました。
でも、存在が余計なものとして存在しているっていう考えには、何となく共感しました。

甘酒
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心象風景的な作品だったのですね。丁寧な説明を、ありがとう。

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