作家でごはん!鍛練場
青木 航

坂東の風 第一話 襲撃(改訂版)

◎歴史・時代小説を敬遠し勝ちな方にも読んで頂きたいと思い、馴染みの薄い単語の簡易な解説を入れますが、下までスクロールして確認するのは煩わしく、読もうと言う気力を削ぐことになると思い、最初に一覧として掲載することにします。

○分かる方は無視して本文に入って頂けば良いし、いくつか馴染みの無い単語が有れば、それだけ確認して本文に入って下さい。

 後からでも検索出来るように、単語の後ろに番号を振ります。

※もし、プリントして読んで下さる場合に、コピーしてwordに貼り付け、それをプリントされるなら、下記のリンクをご参考に、空白行の一括削除が出来ます。(お手間とは思いますが)

http://office-qa.com/Word/wd394.htm

     ~~~~~~~~~~~~~~
①蝦夷刀
【蝦夷刀】【蕨手刀】
・蝦夷の古墳や遺跡に副葬され、蝦夷文化の特徴のひとつとなった刀の形態。握り手が蕨のような形をしている事から現在は蕨手刀と呼ばれている。当時どう呼ばれていたかは不明。
 9世紀後半ごろとされる蕨手刀には刀身に反りがあるものが確認されている。

②猶子
・(公卿・武家の社会で)兄弟や親族の子などを自分の子として迎え入れたもの。義子。

③物見
・偵察(偵察隊)

④短弓
・和弓の長さによる分類。7尺3寸(約221cm)の大弓(通常の和弓)より短い。

⑤直垂(ひたたれ)
・平安時代後期からは武士の正装となるが、この時代は庶民の平服だった。

⑥【下野】
・古代の毛野国(けぬのくに)が上と下に別れ、下野国(しもつけのくに)は、ほぼ、現在の栃木県。上野国(こうづけのくに)は、ほぼ、現在の群馬県。

⑦【家の子】
・郎等と同様、兵(つわもの)に従いながら戦闘に参加したのが「家の子」(子弟)である。家の子と郎党の差異は、家の子が兵(つわもの)の一族・子弟であり、血縁関係を有していたのに対し、郎党はそうでなかったという点にある。

⑧【鳥取氏】
 下野国史生郷の土豪。
 藤原秀郷の祖先は左大臣・藤原魚名(ふじわらのうおな)とも鳥取氏であるとも言われる。

⑨【承平の乱】【承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱】
・平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱(たいらのまさかどのらん)と瀬戸内海での藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)の総称。

⑩【坂東】
 律令制に於いて関東地方の古名。「坂」は令制で駿河と相模との境をいい,『常陸国風土記』にも「相模国足柄の坂より東」とある。相模,武蔵,上総,下総,安房,常陸,上野,下野の関東8ヵ国を坂東八国という。

⑪【国司】(こくし・くにのつかさ)
 古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。

⑫【除目(じもく)】
・平安時代中期以降、京官、外官の諸官を任命すること。 またその儀式自体である宮中の年中行事を指し、任官した者を列記した帳簿そのものを指す(除書ともいう)。 「除」は前官を除いて新官を任ずる意味で、「目」は目録に記すことを意味する。

⑬【考課定(こうかさだめ)】
・論功行賞。手柄に対する恩賞を決める為に太政官で行われる会議

⑭【公卿詮議】
・公卿が集まって開く会議。

⑮【毛抜形太刀】
・毛抜形太刀(けぬきがたたち)は、平安時代中期頃に登場した太刀の一様式。日本刀の原型(起源)と考えられている刀である。
 蕨手刀の刃反りが発展し、毛抜形蕨手刀、毛抜形太刀に変化するとされてきたことから、日本刀の祖型の一つとして言及されることもある。

⑯【胴丸】
・武者が身に付ける大鎧に対して、徒歩で戦う中位及び下位の武士が用いた、より軽く動きやすさを追求した防護具。

⑰【小具足】
・日本の甲冑において、その主体をなす鎧・兜・袖以外のものを指す。具体的には、籠手や脛当などのこと。

⑱【源平藤橘】
・代表的な名家とされる、源氏、平氏、藤原氏、橘氏。

⑲【検非違使】(けびいし)
・律令制下の令外官の役職である。「非違(不法、違法)を検察する天皇の使者」の意。
 平安時代の弘仁7年(816年)が初見で、その頃に設置されたと考えられている。当時の朝廷は、桓武天皇による軍団の廃止以来、軍事力を事実上放棄していたが、その結果として、治安が悪化したために、軍事・警察の組織として検非違使を創設することになった。

(21)【受領】(ずりょう)
・国司四等官のうち、現地に赴任して行政責任を負う筆頭者を平安時代以後に呼んだ呼称。 実際に現地に赴任する国司が前任者から文書や事務の引継を受けることを「受領(する)」と言い、それが職名になった。

(22)【国衙】(こくが)
・各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。

(23)【青公家】
身分の低い公家。また、公家を卑しめていう語。

(24)【東蝦】
 荒々しい武士、情を理解しない荒っぽい人、風情が無く、教養・文化に欠ける人、特に東国の武士を京都の人から見て「あずまえびす」「えびす」と呼称した。


(25)【狩衣】
 狩衣はもと民間の服であった。狩りに行く時、鷹狩等に行く時に着る、という意味で、もとは布製のものであったので布衣(ほい)ともいわれた。
 それが時代の推移に従い、堂上家の内々の服となり、ついで六位以下(地下)の正装ともなり、地質も絹の綾や紗が用いられるようになった。

============ 以下 本文 =============

 夜叉丸(やしゃまる)が草や雑木を蝦夷刀(えみしとう①)で切り払いながら先導し、千方(ちかた)、秋天丸(しゅてんまる)の二人が続いて急な斜面を登って行く。

 崖の上まであと二間ほどの所で夜叉丸が止まった。
 一旦、千方と同じ位置まで降りて来て、体を寄せて囁(ささや)く。

「この上で御座います。様子を見て参ります。ここでお待ちを」

「悟られぬよう用心致せ」

「はっ」

 夜叉丸は再び身軽に登って行く。
 体中の血が沸き立つような感覚を千方は覚えていた。

 藤原千方は、平将門を討った功により、下野守(しもつけのかみ)、武蔵守(むさしのかみ)、並びに鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)と成り、従四位下(じゅしいのげ)に上(のぼ)った藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の六男である。
 周りの者は『六郎様』と呼ぶが、今は兄・千常の猶子(ゆうし②)と成っている。

 父・秀郷がこの三つの官職に在った事が千方の幼年時代とこれからに、実は大きな影響を与えている。

 再び降りて来た夜叉丸が千方に告げた。

「数はおよそ十五。車座(くるまざ)になってのんびりした様子で御座います。
 恐らく、下に放った物見(ものみ③)が戻るのを待っているものと思われます」

「馬はどこに繋いでおる?」

 千方が尋ねる。

「十間ほど離れた所に繋いであります」

と夜叉丸が答える。

 左手で雑木を掴んで、急な斜面で体を支えながら、千方は天を仰いだ。
 茂った木々の隙間から見える空からは陽光が容赦なく照り付けており、僅かな風に乗って薄い雲が流れているが、体中から汗が噴き出る暑さだ。

「下に出した物見が戻って来た処を襲う。だが、そう長くは待てぬな」

 上腕を覆う袖に吹き出す汗を擦り付けて拭いながら、千方が言った。

 夜叉丸が黙って頷く。
 千方の兄であり養父と成っている千常に寄って童(わらべ)の頃付けられた名だ。
 生まれた時付けられた名は『姫王丸』と言った。山中で山賊に襲われ犯された都の女を、夜叉丸の父が連れ帰り妻とした。
 父は都の姫だと言い張っていたが、姫は殺されており、連れ帰ったのは付き添っていた侍女であるとの噂が有った。しかし父は飽くまで『姫だ』と言い張り、一年後に生まれた子に『姫王丸』と言う名を付けた。
 その子は逞しく育ち、眼下が窪んで恐ろしげな顔をした郷一番の暴れ者となった。
 姫王丸は、己の名が笑い物になっていると思い込み、その名を嫌っていた。
 千方を鍛えようと蝦夷の隠れ郷(ざと)に伴った時、千常はその想いを知り、『夜叉丸』の名を与えた。本人は新しい名を気に入った。千常に寄る改名とあって、父も異論を唱える事は出来なかった。

 因みに、当時の千方は、幼名で千寿丸と呼ばれていた。夜叉丸、秋天丸らにも成人名は与えられているのだが、私生活では、千方は彼らを未だに幼名で呼び、朋輩同士でもそう呼び合っている。当時良く有ることではあった。

 秋天丸が千方に近付いて、背負っていた短弓④を外しながら、

「我等が見て参った場所から察しますと、荷駄隊はもう近くまで来ているものと思われますので、物見も間も無く戻りましょう」

と告げる。

 汗が滴り落ちるが、顔に滴る汗は拭おうともしない。ただ、しきりに、両の掌(てのひら)を衣服に代わる代わる擦り付けて拭う。

 秋天丸は、夜叉丸とは違って、地味な農夫のような平たい顔の男だが、良く見ると小柄な体は引き締まっており、普段は陽気な男なのだが、今はどこか殺気を帯びている。
 本来『しゅうてんまる』の筈で、その名は秋に生まれたことに由来するのだが、父は何故か『しゅてんまる』と呼んでいた。そして、その名を聞いた時の千常も『酒天童子』の"酒天"と聞き違えた。

『酒天丸とは何と勇ましき名であるな』

 千常がそう呼んだ事に寄りその呼び名が定着してしまったのだ。十六歳で早世した姉・芹菜は千方の初恋の相手である。
 千方、秋天丸らが陸奥(むつ)に行っていた夏に芹菜は死んだ。親しくしていた女から、死因は千方の子を流したことではないかとの情報が郷長(さとおさ)にもたらされていたが、郷長が箝口令を敷いた為、二十七才と成っているこの時点でも、千方はまだ、そのことを知らない。

 夜叉丸、秋天丸を含めて五人の郷の若者が、千方の郎等と成ったのは、千方十五歳の年の初冠(ういこうぶり=元服)を期しての事である。


 千方は、粗末な直垂(ひたたれ5⑤)の上から締めた革の腰紐に挟んで吊るした竹筒を取り、水を口に含み、その涼しげな目で、もう一度空を見上げた。
 二十七歳にしては幼げな面影を残しており、とても、修羅場を潜って来た男とは思えない面立(おもだ)ちである。それも、二度や三度の経験では無い。
 十四才の時、襲って来た年上の童を返り討ちにして以来、陸奥で巻き込まれた蝦夷同士の戦い、下野⑥に戻ってからの土豪相手の争いなど、この年齢にしては経験は豊富だ。だが、やはり戦いを目前にすると緊張する。
 少し下の狭い平場で、放尿は既に済ませていた。

「間に合って良かった」

 千方が呟く。

     ~~~~~~~~~~~~~

 荷駄隊の一行を見送ったのは、昨早朝、舘の前であった。

「本来なら麿が行かねばならぬ処だが、造作(ぞうさ)をお掛け致す」

「何の、我等、六郎様の"家の子⑦"。もはや、叔父・甥と言う立場はお忘れ下され。
 亡き将軍様に受けたご恩を思えば六郎様のお役に立てることが、何よりの仕合せと心得ております」

 豊地は人の良さそうな笑顔を見せて頭を下げた。母・露女(つゆめ)の二人の弟のうち上の弟である。

 露女の父は武蔵国の内の北東に位置する草原郷(かやはらごう:現:加須市、羽生市と北埼玉郡の一部)の郷長(さとおさ)・草原久稔(かやはらのひさとし)で、千方の実父・秀郷(ひでさと)の祖母の実家である下野(しもつけ)の鳥取(ととり⑧)氏との縁を持っていた。

 承平の乱⑨当時の草原(かやはら)は、将門の拠点と伯父の一人・平良文(村岡五郎)が拠点を置く埼玉郡(さいたまごおり)村岡(現・熊谷市村岡)とを繋ぐ路の導線上に在った。
 平良文は、『今昔物語集』に源宛(みなもとのあつる)との一騎討ちの逸話が残るほどの剛者(ごうのもの)である。良文が将門に味方するにしても敵対するにしても、草原(かやはら)が戦乱に巻き込まれる可能性が有った。
 当時の草原(かやはら)は、本家である私市(きさいち)氏との縁も薄れており、当主・久稔は、強力な後ろ楯を求めていた。

 一方秀郷も早くから将門の戦い振りに注目しており、まだ、身内の間での抗争を繰り広げていたに過ぎない将門に付いての情報収集を始めていたのだ。
 
 そんな折秀郷から久稔に、
『物見遊山の為そちらを訪れたいが、一夜の宿を貸しては貰えぬだろうか。僅かな縁を頼っての願いだが』
と言う便りが届いた。

『こんな何も無い郷に物見遊山とは』

とは思ったが、久稔は直ぐに秀郷の意図を察した。久稔に取っては、正に『渡りに舟』の申し出であった。
 そんな関係で承平(じょうへい)の乱の折、将門の動向を探っていた秀郷が寄宿した際、伽(とぎ)に出たのが露女であった。

 当時、賓客を接待する手段として、酒食の持て成しと並んで、伽(とぎ)若しくは夜伽と称して女性を床に侍らせる習慣が有った。
 儒教的倫理観がまだ確立されておらず、女性もそれを、それほど屈辱的な事とは捉えていなかったものと思われる。娘どころか妻を差し出す者さえいた。
 久稔は最初、郷の美しい娘を選んで、養女として伽に付けるつもりでいた。

 ところが、

『何故、僅かな縁(えにし)を頼って、父上に話を持ち込んで来たのでしょうか? 
 秀郷様も父上と強い絆を結びたいと思っておられるのではないでしょうか? 
 もし、そうならば、俄(にわか)な養女などよりは、例え見目麗しく無くとも、父上の実の娘である麿の方がお心に沿うのではありませぬか』

と露女自身が申し出たのだ。

 たったひと夜の契りにより露女は千方を生んだ。
 千方は草原郷の久稔の舘で育ち、幼い頃文武を教えたのが叔父である豊地なのだ。

「道中の無事、祈っております。都に着きましたら、兄上に宜しくお伝えください。六郎も近いうち参りますと」

「心得ました。都の殿もさぞかしお喜びでしょう」

「さて、それはどうかな」

と千方はぼそっと言った。

 言上(ごんじょう)を聞いた時の兄・千晴の表情が目に浮かんだ。恐らく、無表情に、

「大儀(たいぎ)」

と言うだけであろう。そう思った。

 豊地が急に険(けわ)しい表情と成る。

「六郎様、そのような物言いはなりませんぞ。
 兄君・千晴様は都でご出世され、千常(ちつね)様が坂東⑩を治める。この両輪が揃ってこそ、ご一族が繁栄すると言うものです。
 亡き将軍様(秀郷)のご威光は衰えていないといえども、村岡五郎(平良文(たいらのよしぶみ))の子、次郎(平忠頼(たいらのただより))など油断のならぬ輩(やから)は多ございます。
 ある意味、国司⑪とも戦わなければなりませぬからな。一族の結束が何より肝要で御座います」

「分かっておるわ。他の者の前では言わん」

 己の発した言葉に少し後悔の念を滲ませながら、自嘲気味(じちょうぎみ)に千方が呟く。 

「どうかそのようにお願い致します。
 口から出た言葉は放たれた矢と同じ。もはや弦(つる)には戻せませぬ。宜しいな。御身(おんみ)を大切になさいませ」

 千方は、別に長兄の千晴を嫌っている訳では無かった。
 只、千晴は、千方に取って父の秀郷以上に遠い存在に思えているのだ。

 秀郷は、太政官から見て、元々は好ましからざる人物であった。それが、将門追討と言う大功を上げたことに因り、朝廷はその扱いに悩まされることとなった。

 除目(じもく⑫)を前に、考課定(こうかさだめ⑬)を兼ねた公卿詮議(くぎょうせんぎ⑭)の席で、乱後の論功行賞は揉めた。
 下野守は仕方無いとして、武蔵守兼任も危ぶむ声が有った。その上、鎮守府将軍となると、秀郷は、陸奥、下野、武蔵という広大な勢力範囲を構築する機会を得ることになる。甚だ危険であると言う意見が多く、一旦は、鎮守府将軍は与えるべきで無いということになった。
 秀郷にこれ以上の力を与えることの危険性を強調する意見が多かった中で、秀郷が恩賞に不満を持ち、再び乱となることの危険性を具申(ぐしん)したのが、前年参議に成ったばかりの二十七歳の源高明(みなもとのたかあきら)だった。
 
『武蔵守、鎮守府将軍に付いては一期のみとし、重任(ちょうにん)させないということにしてはいかがか。僅か四年では何も出来ますまい』
 
 新任の参議ではあるが、高明は自身が親王から降下した高貴な身分であり、学問に優れ朝儀にも通じており、それは衆目の一致するところであった。公卿達も折れた。

『秀郷も満足するであろう。だが、都に住まわせる。そして、遥任として都に留め置き、坂東には置かぬ。都に上らせれば従四位下(じゅしいのげ)など、いかほどのこともあろう。軽輩じゃ。坂東に置けば、朝廷のご威光に因り、その力は大きなものとなる』

 それが、秀郷の力を骨抜きにする為の摂関家の策であった。

 しかし、秀郷の上洛は遂に果たされなかった。
 体調の優れぬことを理由に、ある時はのらりくらりと、又ある時は断固として、秀郷は上洛を拒み、結局、長男の千晴を代わりに上洛させることでお茶を濁してしまったのだ。
 従六位上(じゅろくいのじょう)・相模介(さがみのすけ)に任じられていた千晴は、その任期を終えると、都に上り高明に仕え、従者(ずさ)と成った。私的従者に俸給は無い。
 そこで秀郷は、千晴の上洛に際して、多くの郎等を千晴に着けてやり、その費用は下野藤原家全体で支援する事としたのだ。
 そのお陰で千晴は、今では都で、源満仲と勢力を二分する(つわもの)と成っている。

”家の子” である千方に取って千晴は、兄と言うより、むしろ主(あるじ)に近い存在として心の中にある。
 比べてすぐ上の兄であり、大きな後ろ盾(だて)の無い千方の養父となってくれた千常は、その母の出自(しゅつじ)の良さに反して、がさつで乱暴な男ではあるが、常に千方のことを心に掛けてくれていた。
 十四の歳に父との対面の段取りをしてくれたのも、父の手で元服出来るよう計らってくれたのも、千常であった。
 その代り何度殴られたか分からない。

 最初に殴られたのは、千常に従って隠れ郷に向かう途上であった。

「千寿丸。この坂東ではな、真に強き者しか生き残れぬ」 

との千常の言葉に、

「はい。麿も兄上のように猛(たけ)き兵(つわもの)に成りとう御座います」

と答えた。
 千方とすれば、型通りのお世辞を言っただけの事だった。

「思っているだけでは駄目だ。真に、心も体も強く鍛えねば生き残れぬ。誰ぞの足許に平伏し、何もかも差し出すならば、命だけは永らえることが出来ようが、それはもはや男子(おのこ)では無い。分かるか?」

と被せる千常に、大した事とは思わず、「はい」と気の抜けた返事をしてしまった時の事である。
 殴り倒されて、千常に着いて来たことを心の底から後悔した。
 千常は、意図が伝わらなかったり、千方がいい加減に聞いていると、口より先に手を出す男だった。
 最後に殴られたのは、元服後の十五歳の頃である。陸奥からの帰国の挨拶を済ませ、その足で、田沼に隠居している父・秀郷の許へ挨拶に行くつもりと伝えた時、何故か千常に、直ぐに隠れ郷に戻るよう強く言われた。

 当時陸奥守を努めていた平貞盛に世話になった事を父に伝えたいと思っており、他にも願い事が有った。

『それは、麿から申し上げて置く』

と千常は言った。

『しかし、…… 』

と千方が言い掛けた時、立ち上がって近寄って来た千常に、行きなり郎等達の前で殴られたのだ。

 この時ばかりは千方も腹に据えかねたのだが、初恋の相手である芹菜の死を知っていた千常が、千方を少しでも早く郷に向かわせようとしての事だった。
『千方が手を付けた蝦夷の娘が死んだだけのこと』
 それは、当主である自分が態々千方に告げるべき事では無いと言う考えが千常には有り、一方では、少しも早く、その事実を知らせたいと言う気持ちが有っての成り行きだった。

 たった一夜の交わりで、露女は千方を孕(はら)んだ。しかも、当時の秀郷は、既に五十三歳。周りの者達は疑った。しかし、月足らずでの出産では無い。
 調べてみても、当時露女の許(もと)に通っていた男は無く、露女の身持ちも固いと言う情報しか得られない。
 秀郷も我が子と認めた。だが、名を付けてくれた以外は、言わば養育費代わりの品々が送られて来るのみで、千方十四の年に千常が取り計らってくれるまで、対面することも無かった。

「では、都で会おうぞ。我等も所用を済ませたら、急いで参る」

 千方は、千晴に感じる違和感を振り払うかのように、話を本筋に戻した。

「はい。それまで、都の女子(おなご)など眺めて日を過ごしてお待ちします」

 大柄な体を深く折って千方に挨拶した後、豊地が荷駄隊の方に体を向けて、

「参るぞ! 出立(しゅったつ)じゃ!」

と良く通る声を上げた。



 荷駄隊の一行は、まず、府中に向かう。府中には秀郷が武蔵守時代に建てた舘が有り、露女の下の弟・豊水(とよみ)が預かっている。
 そこに、千晴が相模介時代に手に入れた私領からの上がりが集積されており、それを荷駄に加えて一泊し、翌朝、都に向けて旅立つ予定になっていた。
 ところがその晩になって、府中の様子を探らせていた細作から緊急の報せが入った。
 数日前に、旅姿の男達が数人づつ、時を置いて数組、満仲の国士舘(こくしやかた)に入ったのを目撃したと言う。不審に思い色々探ってみると、それ以前に、相模から藤原舘に米を運んで来た人足の一人が博打で負けて脅され、今回の荷駄輸送に付いての情報を喋らされていた事実を掴んだ。脅した男達の中の一人は、何と満仲の郎等だったと言う。

 これらの事実を突き合わせ、満仲が何者かを使って藤家(とうけ)の荷駄隊を襲わせようとしているのではないかと言う結論に至ったと言う。
 報せを聞いた千方は、夜叉丸、秋天丸の二人を先に相模に向かわせ、自身は朝鳥のみを連れて相模に向かった。途中、一旦間道に逸れて荷駄隊を抜いて来た。報せずに密かに処理するつもりなのだ。

 東海道を辿って相模に入ると細作の男が道端で千方らを待っていた。いつかの男達がやはり数人づつに別れて国士舘を出た跡を着けて、待ち伏せが予想される場所を掴んでいた。
 夜叉丸、秋天丸の二人は既に合流ししていた。

 左手からは少し高い山が連なっており、街道から少し上がった辺りから右に、また、小山が連なっている。
 左手の山のこちら側は崖に近い急斜面となっているが、半ば辺りに肩のように張り出した部分が認められる。

「奴らが潜んでいるのは、あそこで御座います。登り口はこの少し先で、馬が通れるほどの路が、山合を縫うようにして甲斐の方に向かっておりますが、途中獣道のような路が別れてあの台地に続いております」

「馬で通れるのか?」

 千方が尋ねる。 

「はい、何とか」

「その分かれ道で待ち伏せますか? 狭い路ちなら、大勢居ても縦に並んで出て来ざるを得ません。十分戦えます」

 夜叉丸がそう千方に尋ねる。

「あの崖を登れぬことは無いな」

「はっ、身一つなら何とか」

 答えたのは細作の男だ。

「隙を衝いて一挙に方を付ける。馬に乗っている状態で戦って一人でも逃せば、報せに走られる。出来れば馬に乗らせぬようにしたい」

「はっ」

 夜叉丸、秋天丸の二人が揃って返事をする。

「汝(なれ)は武蔵に戻り、国府の動きを見張れ。万が一動きが有れば、舘(下野藤原家の武蔵舘)と草原(かやはら)に急ぎ報せよ」

「はっ」と一つ返事をして、細作の男は武蔵に戻って行く。

 表面を平に削って『このさき みずば あり』と書かれた杭が道端に立っており、草を踏み付けて自然に出来た路が奥に向かって続いている。
 旅人が水を補給する為に入って行くのだろう。

「先導します」

 そう言うと、夜叉丸が先に立って入って行く。
 少し登ると、成る程小川が有り、清らかな水が流れている。水量は意外と豊富だ。岩伝いに水辺まで容易に降りられる場所も有った。流れは湾曲し街道とは別の方向に向かっているので街道から気付く事は難しい。
 その為、誰かが案内の標識を立てたのだろう。

「ここには人が入って来る。目立たぬ場所を探そう」

 目立たぬ場所を探して四人は奥へと進む。

「秋天丸。先ほど抜いて来た場所からすると、まだ時は有ると思うが、念の為、今一度荷駄の位置を確かめて参れ」

 馬を返して、秋天丸は直ぐに走り去った。

 そして、秋天丸が戻って来るのを待って、三人は崖を登り始めたのだ。

     ~~~~~~~~~~~~~

「参りましたぞ」

 夜叉丸が押し殺した声で告げた。千方にも、向こう側の坂道を駆け上がって来る馬蹄(ばてい)の響きが聞こえた。 

 千方ら三人は崖の上によじ登り、雑草の中に身を伏せた。
 左手にはいずれも短弓と二本の矢を持っている。
 機は一瞬である。男達が馬に駆け寄る前に倒さなければならない。

     ~~~~~~~~~~~~~

 崖の上の台地。

「来おったか。で、護衛は?」

 頭(かしら)らしき大男が物見から帰った男に聞く。

「五人にござる」

「ふん、五人か。ま、そんなものだろう。半数はここで昼寝をしていても良いかも知れんな。はっはっはっは」

 修羅が迫っているとも知らず、男は高笑いをしている。

 その瞬間、千方ら三人が、叢(くさむら)の中から躍(おど)り出た。 

 驚いた男達がその方向に顔を向けた時には、三本の矢は既に放たれていた。
 頭(かしら)らしき男は正確に首を射抜かれて卒倒した。他にも二人、同じように首を射抜(いぬ)かれて倒れる。
 悶絶する暇も無く声も上げない。動脈に矢が刺さった二人の首からは、矢を朱に染めて、赤い糸のように血が噴き出している。
 他の男達が唖然とした瞬間、もう二の矢が放たれていた。更に三人が倒れる。

 やっと我に返って、何が起きたかを悟った男達が、太刀を抜き掛けた時、短弓と矢筒を男達に向かって投げ付け、太刀を抜き放った千方達が、既に飛び込んで来ていた。

 弓と矢筒をその場に捨てず、戦いの場に投げ込んだのは、逃げ出す者が出た時、素早く拾って射る為だ。武具を投げ付けるなどと言うのは、当時の常識としては論外である。

 先頭の男は太刀を抜き掛けた腕を千方の振るった毛抜形太刀(けぬきがたのたち⑮)で斬り落とされ、悶絶して倒れ、大地を転げ回る。
 赤い血が土に振り撒かれ、千方の頬や直垂(ひたたれ)にも掛かった。
 わずかな血の飛沫はすぐに地に吸い込まれ、腕の切り口から流れ出る鮮血は土の上で盛り上がって、少しずつ、不気味に色を変えて行く。

 夜叉丸と秋天丸もそれぞれまた、一人ずつ倒していた。

 男達は一斉に後退(あとずさ)りし、両者の間に間合いが出来た。
 奇襲を受け混乱した状態から、やっとのことで一瞬脱け出ることが出来たのだ。 

 千方に右腕を切り落とされた男は、喚きながら地を転げ回っている。既に大量の出血をしている為、放って置けば、やがて失血死するだろう。その様(さま)が、男達の恐怖心を煽った。

 間合いを取ったとは言え、山の中腹に開けた台地でのこと、それ以上下がる余地は無い。
 おまけに、千方達はいつの間にか、男達と馬の間に入り込んでいる。
 彼等を倒さない限り、男達に逃げ道は無いのだ。
 戦(いくさ)でも無ければ、遺恨を持った果し合いでも無い。逃げられるものなら、彼等は逃れたい。命まで懸ける理由など無いのだ。
 しかし、逃げられないと分かったら肝(きも)が据わる。
 転げ回っている男を含めてあっと言う間に九人が倒されたとは言え、自分達は六人も残って居るのだ。

『二人一組で相手一人に当たることが出来るではないか』

 男達の誰もがそう思い始めた。

 異様な騒ぎに怯(おび)えた馬達が騒ぎ出し、その内の一頭が、甘く結んだ手綱を振り解いて駆け去った。

 命を懸けた接近戦で、奇襲を受け混乱し逃げ惑う敵を討つ場合を除いて、一人で複数の敵を相手に闘うなど出来るものではない。

 一旦動きが止まり、相手に状況を判断する余裕が出来たら、やはり数が物を言う。
 まして、この時代にはまだ、『剣術』などと言う体系的な技術は生まれていない。個々に戦いの中で会得した術(すべ)は持っているにしても、要は、体力と気力が勝負を決する。 

 一対一の戦いでは、先に息切れした方が負ける。疲労により体の動きが鈍くなり、相手の攻撃を避けられなくなる。まして、一時の混乱を脱して腹を括(くく)った男達と、二対一となるこの戦いでは、千方側に勝ち目はまず無い。

 気持に余裕が戻ったのか、男達のうちの一人が不敵に笑った。 

「たった三人で、良くもここまでやってくれたものだな。だが、これまでだ。仲間の仇(かたき)は取らせて貰う」

 その言葉に勢い付いてか、他の男達の表情にも余裕が浮かび上がる。

 男達は、野伏(のぶ)せりや野盗の類(たぐい)では無い。
 柄(がら)の悪い者も居るが、明らかに主持(あるじも)ちらしい者も居る。直垂の上に胴丸⑯、小具足(こぐそく⑰)といった出(い)で立ちだ。

 男達はじりじりと間合いを詰め始めた。互いに汗が吹き出す。目に入らぬよう、眉根(まゆね)に力を入れ、盛り上げる。

 その時、千方がいきなり大音声(だいおんじょう)を発した。

「吾は前(さきの)鎮守府将軍・藤原秀郷が六男にして、今は千常が猶子(ゆうし)、藤原朝臣(ふじわらのあそん)・六郎千方なり。
 うぬら、ただの野盗とも思えぬ。主持(あるじも)ちであろう、名乗れ!」

 まるで、戦場(いくさば)で一騎討ちに際しての名乗りだ。

「何を抜かす。いきなり襲って来て、これだけの者を殺して置いて、我等を野盗呼ばわりするなど片腹痛いわ。
 野盗、海賊の類(たぐい)まで、源平藤橘(げんぺいとうきつ⑱)を僭称する昨今(さっこん)、何が藤原か。
 うぬらこそ盗賊であろう。我等、公(おおやけ)に仕える者。さて、八つ裂(ざ)きにしてくれようか。それとも、ひっ捕らえて、検非違使(けびいし⑲)に引き渡そうか」

 目のぐりっとした小柄な郎等風(ろうとうふう)の男が恐怖心を押し殺して言い放った。

「何? 公(おおやけ)に仕える者とな。それはそれは。
 そう言えば、武蔵権守(むさしのごんのかみ☆)(権守:長官である『守』に準ずる官職)・源満仲(みなもとのみつなか)殿の郎等に、確か似たような顔付きの男がおったような気がするな。
 とすれば、満仲殿が我が家の荷駄を襲えと命じたと言うことか? そんなはずは有るまい」

 満仲と言う名を聞いた途端、男達の顔が一斉に強張(こわば)ったのを、千方は見逃さなかった。
 元よりこの男の顔など見たことは無い。鎌をかけて動揺を誘ったのだ。

 男達が互いに顔を見合わせた瞬間、夜叉丸、秋天丸の手から、褐色の玉が同時に飛び、二人の男の顔にそれぞれ当たった。

 玉は弾(はじ)け、茶褐色の粉が舞い散った。 
 当たった男達は、両手で顔を覆ってしゃがみ込み、傍に居た二、三人も、舞い上がった粉で目を開けて居られない様子。

 すかさず、夜叉丸と秋天丸がしゃがみ込んだ男達の側に居た二人に飛びかかり、胴丸の隙間から突き上げるように蝦夷刀で刺した。

 そして秋天丸は、振り向きざま、もう一人の男の膝を蹴り、転倒させ、馬乗りになって喉笛を切った。 

 漏れる息が血を潜り、ひゅるーと言うまさに笛の音色に似た音がして吹き上がり、秋天丸の顔を襲ったが、予期していたのか、予(あらかじ)め顔を背けていたので血が目に入ることは免れた。 

 その間千方は、先ほど問答を交わしていた男と太刀打ちし、左肩から袈裟懸(けさが)けに斬り倒していた。

 承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱以前には、主に直刀が使われており、斬るよりは突くことが多かったが、蝦夷(えみし)の蝦夷刀を模した、反りを持った太刀が使われるように成って以来、胴丸のような軽易な具足を着けただけの相手に対しては、このような、斬り裂く刀法が多く用いられるようになっていた。

 礫(つぶて)を受けて顔を覆ってしゃがみ込んだ二人は、もはや戦う気力は全く無くなり『助けてくれ』を繰り返し始めた。

 腕を切り落とされた男は、相変わらず呻(うめ)きながら転げ回っている。 

「ならば、まずは名乗れ。
 そして、何もかも白状致せば、命だけは助けてやらぬものでも無い。言ってみろ」

 千方は押し殺した声で言った。

 実は、息が上がっている。それを悟られまいと、声を押し殺しているのだ。

「わ、我等は、満季(みつすえ)様の郎等」

「何? 満季? 満仲の舎弟の満季か。彼(か)の者は今、京に在(あ)るのではないのか?」

「我等だけ、つい先日、下って参った」

「満仲に呼ばれてか?」

「左様(さよう)」

「満仲め。さすがに自(みずか)らの郎等を使うのはまずいと思ったのだろうな」

「満仲様は武蔵権守の任を終えられた後、都に戻り、左馬助(さまのすけ)に任じられることを望んでおります。ついては、何かと物入りとなります」 

 もうひとりの方が卑屈に、千方に取り入ろうとし始めた。

「ふん、聞かぬことまでぺらぺらと喋りおるのう。それほど命が惜しいか」

「何卒(なにとぞ)」

 いずれ、満仲とは一戦交えなければならないと千方は思った。

 だが、現職の武蔵権守である満仲と正面切って戦うのは、今はまずい。
 朝廷を敵に回せば、それこそ、将門の二の舞となることは必定(ひつじょう)であろう。そう思った。

 千方はふたりに背を向けて数歩離れた。

 敵に背を向けるなど、このような時、絶対にしてはならないことだが、それほど、夜叉丸、秋天丸を信頼しているのだ。

 そして、千方は、息を整えるように大きく呼吸をした。

『どうしたものか』

 そう思った時、 

「ぐわーっ!」

と言う声がふたつほぼ同時に上がった。

 振り向くと、夜叉丸と秋天丸が既にふたりを斬り倒し、夜叉丸が、腕を切り落とされた男の傍に走り、刺し殺そうとしているところだった。

「夜叉丸!」

と千方が叫んだが、構わず夜叉丸は男にとどめを差した。

「夜叉丸、なぜ殺した!」

 咎(とが)めるように、千方が強く言った。

 だが、夜叉丸は表情も変えない。そこに秋天丸が口を挟んだ。

「戦(いくさ)とはなりませんでしょう。
 こちらも武蔵権守に正面切って戦を仕掛ける分けにも参りませんが、向こうも、六郎様に正面切って戦を挑む力は御座いません。
 何しろ後ろには、下野(しもつけ)一国が控えているのですから…… 。
 となれば、夜叉丸の申す通り、六郎様のお命を密かに狙うことになりましょう。
 我等ふたりだけで、六郎様のお命を守り抜くことは出来ません。
 郷(さと)から人数を呼び寄せ、交代でお傍(そば)を守らねばならぬと言うことになります。
 我等、根が横着者ゆえ、出来ればそうならぬようしたいと思っております」

 童(わらべ)の頃から千方に従っている二人。
 黙って従うだけの郎等では無い。
 千方に取ってその方が為に成ると思えば、遠慮なく直言する。
 そして、千方もまた、それを聞く耳を持っている。

 暫くの間、千方は身動きもしないで立ち尽していた。

 殺戮を悔いている訳では無い。この坂東で生き抜く為にはやむを得ないことと思っている。

 荷駄を奪われれば、埋め合わせなければならない。
 その負担は民の肩に伸(の)し掛る。それを避けたいなら、何としても奪われないこと。或いは、自らが他の者から奪う外に無い。

 そんな時代だった。中途半端なことでは、何度でも襲われる。籐家(とうけ)の荷駄を襲うことに恐怖を覚えさせなければならない。

    ~~~~~~~~~~

 都から下(くだ)って来る受領(ずりょう(21))は、任期の間にいかに私腹を肥やすかに専念し、民から搾取する。 
 その蓄えた私財を都の有力者に献じて、次にもっと豊かな国の国守(くにのかみ)に任じて貰うよう運動するのだ。

 だが、坂東のような疲弊した国に赴任した場合は、私財を蓄えるどころか、都に納めるべき米や布を調達することさえ困難な場合が多い。
 完納し、引き継ぎを済ませて、後任の国守から、国衙(こくが(22))の財産の引き渡しの確認をした旨の証書、解由状(げゆじょう)を貰わない限り、二度と受領の職を得ることが出来なくなってしまうのだ。

 受領の搾取が激しくなり、官人(つかさびと)や有力者が同時に群盗でもあると言う異常な状態を作り出したのは、朝廷の責任だった。

 土地と民を直接管理し、定期的に田畑の状態や戸数・民の数を調べて、それに応じた租庸調(そようちょう)を課すと言う面倒な手続きを放棄し、受領に丸投げして、受領個人の責任に於いて決まっただけのものを納めれば出世させ、納めなければ罷免し登用しないと言う、至って簡潔で楽な方法に変えてしまったことにすべて起因していた。

 短期的に稼げるだけ稼いで、さっさと都に帰りたがる受領が居る一方で、王臣貴族の家系の者が地元の勢力と姻戚関係を結び、退任後も、『前(さきの)何々様』と呼ばれ、地元に勢力を扶植して行くと言うことも片方には有った。

 十世紀の坂東は己(おの)が力のみが頼りの、正に“自力救済” の世界だったのだ。

    ~~~~~~~~~~

 昨年、平将門の子が入京したとの噂が有り、満仲は、検非違使や大蔵春実(おおくらのはるざね)らと共にこれの捜索を命じられた。

 兵(つわもの)と呼ばれた者達は、本来の官職以外に、こう言った場合、駆り出される。
 皇族や、三位(さんみ)以上の位(くらい)の、公卿(くぎょう)と呼ばれる者達の為に良く尽した。
 もちろん、それは、猟官の為であり、惹(ひ)いては蓄財の為である。

 特定の公卿に対してと言うよりも、特に満仲などは、万遍(まんべんな)無く奉仕し、また、貢物(みつぎもの)なども、各方面にばら撒くのだから、源経基(みなもとのつねもと)の子と言うこともあって、朝廷内での評判は至って良い。

 その代り、財はいくら有っても足りない。 

 だが、富んだ国の受領に成り、民や富裕層から搾り取れば元は取れるし、それどころか、何期か勤めれば、莫大な財を築くことも出来るのだ。

 何しろ、決まっただけの物を官に納めさえすれば、後は、すべて、自分の懐(ふところ)に入れることが出来る。
 そう言う制度になってしまっていたのだから、搾取に歯止めは掛からない。

 そんな時、武蔵守を拝しながら、やれ、体の調子が優れぬだの、今年は方位が悪いだのと言って、なかなか赴任しない者が居ると言う話を耳にした満仲は、上手く工作して、まんまと、武蔵権守の職を手に入れたのだ。

 青公家(あおくげ(23))であれば、鬼や東蝦(あずまえびす(24))の住むと言われる亡幣の国などに赴任したく無いと思うのは、当時としては無理からぬこと。

 しかし、満仲は、播磨(はりま)や畿内諸国ほどの利は望めぬまでも、坂東は、言われるほど疲弊していないと言うことを知っていた。

 亡弊の国として、税の半分が免除されている上に、有力者達の内で、秘かに、新田開発が進められているのだ。

 満仲が武蔵権守として赴任して来たのには、そんな事情と思惑が有った。

    ~~~~~~~~~~

「時を移してはなりませぬ」

 秋天丸が千方を急かせるように言った。

「うむ」

 千方が頷くと同時に、夜叉丸は、短弓と矢筒を拾い、崖に向かって走り出していた。

 短弓と矢筒を投げ落とすと、血塗られた抜き身を引っ提げたまま、細い雑木を左手で掴み、そのまま崖に沿って体を滑らせる。 

 降りると言うよりは、草や雑木を掴んだり、石や岩を軽く蹴ったりして減速しながら滑り落ちて行く。
 千方が続き、秋天丸が続いた。

 あっと言う間に、下の沢に降りると、ことさらに退屈そうな表情を浮かべた朝鳥が迎えた。 

「おお、阿修羅の殿のお帰りですな。遅いので、成仏(じょうぶつ)してしまわれたかと、心配致しましたぞ」

「ふん、相も変わらず、口の減らぬ年寄よな」

 手頃に束ねた藁束(わらたば)と端布(はぬの)を朝鳥から受け取ると、千方は傍(かたわ)らに流れている谷川に入り、太刀を洗った。
 夜叉丸と秋天丸のふたりは、手で洗い直垂の袖で拭く。

 太刀を洗い終えると、三人は一旦岸に上がり、千方はそれを布で拭った後、鞘(さや)に納め、待っていた朝鳥に渡す。
 他のふたりは、そのまま小岩の上に置き、三人とも素っ裸になり、一斉に水の中に走り込んだ。

 河原遊びに来た童達(わらべたち)のように、水飛沫(みずしぶき)を上げ、頭から水を被(かぶ)る。気持ち良さそうに血と汗と泥に塗(まみ)れた体を洗いながら、夜叉丸の顔にさえ安堵の色が浮かんでいる。

『今日もまた、命を繋げた』

と言う感慨であろうか。

『昔、この者達と良くこんな風に水遊びをしたな』

と千方は思った。

 朝鳥から受け取った新たな乾いた端布で体を拭くと、千方は狩衣(かりぎぬ25)に着替えた。

 血と汗と泥に塗れた直垂を、朝鳥が掘って置いた草陰の穴に手早く埋めると、さっぱりとした直垂に着替えた夜叉丸達は、千方が乗るのを待って馬に乗った。

「上におる馬は惜しゅう御座いますな」

と秋天丸が言った。

「欲をかくと碌(ろく)なことは無い」

 いつもの千方の答え方だ。

「左様(さよう)」

 朝鳥が千方の言葉を引き取る。

「では、我等はひと足先に参ります」

「裏道を抜けて、下野(しもつけ)の郷へ参るか? 夜叉丸。長老に宜しくな」

「はっ。ところで朝鳥殿。穴掘りで、腰に来てはおりませぬかな。お年ですから、余り無理はなさいますな」

 そうからかったのは秋天丸の方だ。

「何を抜かすか。汝(なれ)の墓穴も掘るつもりでおったわ。それは、又のことになったようじゃがな」 

「では、御免」
     
 夜叉丸が馬の腹を蹴って駆けだした。秋天丸も千方の方に頭を下げて、後を追う。

    ~~~~~~~~~~~~

 千方と朝鳥、それに、朝鳥の乗る馬の鞍(くら)に手綱(たづな)を結んだ、振り分け荷物を載せたもう一頭の馬は、ゆっくりと街道に向って下って行く。

 少し陽(ひ)も落ちた東海道を、残照を背に、のんびりと武蔵に向かう主従の姿は、どこぞに用足(ようた)しにでも行った帰りのような風情(ふぜい)だ。

 西暦九百六十一年、応和《おうわ》元年、癸亥《みずのといぬ》の年の夏。我が国は平安中期にあり、承平《じょうへい》の乱が終結してから二十年の歳月が流れていた。
=========================

☆千方系図
https://7496.mitemin.net/i405218/

☆官位相当表(抄)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~yochicaz/doc/kandjst.html#kokusi

☆千方神社縁起
https://7496.mitemin.net/i337519/

☆毛抜き形太刀
https://7496.mitemin.net/i73653/

☆秀郷流藤原氏家系図
https://7496.mitemin.net/i66226/

坂東の風 第一話 襲撃(改訂版)

執筆の狙い

作者 青木 航
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 藤原千方は、秀郷流藤原氏の多くの支族の中で、一部の系図にのみその名を残す存在です。多くの系図からその名が消された理由?
『尊卑分脈』には、兄・千常の猶子と成ったこと、鎮守府将軍に任じられたとの記載が有ります。
 その他の記録の殆ど無い人物なので、歴史の流れに従い、実在の人物と創作上の人物が関わってエピソードが繰り広げられて行きます。

1 長期に渡ると言うリスクを覚悟の上で、読み易さを優先し、一回の掲載量を一万字(25枚)前後に抑え、且つ、空白行を入れます。
2. 歴史・時代小説を敬遠し勝ちな方も少しでも読み易くなるように、馴染みの薄い単語の簡易な解説を入れますが、下までスクロールして確認するのは煩わしく、読もうと言う気力を削ぐことになると思い、最初に一覧として掲載することにします。
 後からでも検索出来るように、単語の後ろに番号を振ります。
3. 掲載間隔が長く、流れを掴み難いリスクを少しでも緩和する為、最初にコメント欄に、簡単な『あらすじ』を掲載してしまいます。

コメント

坂東の風 あらすじ
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 藤原秀郷の落とし種、六郎・千方は、相模の山中で自家の荷駄の列を襲おうと待ち構えていた十五人の男達を逆に急襲し、皆殺しにしてしまう。

 男達の正体は、武蔵権守・源満仲の弟・満季の郎党と手の者達だった。
 源満仲は、都では、千方の長兄・千晴と勢力を二分し、共に源高明を私君と仰ぐ兵(つわもの)である。

 京に上った千方は、兄・千晴と主・高明のお陰で修理職(しゅりしき)に奉職し、順調に出世を重ねる。

 だが、『安和(あんな)の変』で主・高明は失脚し、兄・千晴は遠島となってしまう。

 謀反をも覚悟して起こした、世に言う『千常の乱』。

 参議・藤原兼通の大幅譲歩による密約を以て乱は終息する。

 その後、修理職に復帰を果たした千方。
 まだ遠いが、微かに修理大夫の座も視界に入って来た或る日、修理大夫であり参議でもある源惟正から、鎮守府将軍に転出するよう打診を受ける。

 だが、鎮守府将軍の任が明けた後は…… 
 
 一方、摂政・藤原兼家の命により、花山天皇を騙して退位させることに手を貸した満仲は、凡そ一年後、突然、出家してしまう。

 満仲・満李兄弟との因縁の確執。更に、藤原摂関家との駆け引きを軸に物語は進み、歴代の帝、摂関家の人々。更には、ほんの少しだか、安倍晴明も描かれる。

 満李の謀により、平忠常から圧迫を受け、甲賀三郎の招きに応じ甲賀に逃れた千方は伊賀に新しき土地を得る。

 伊賀の青山に伝わる、四鬼を操る伝説の悪の将軍『藤原千方』と、この物語の主人公との関係は?

青井水脈
om126208244215.22.openmobile.ne.jp

年始の挨拶もそこそこに、今回はきちんと読ませて頂きました。皆無と言っていいくらい外来語、カタカナが出てこなくて、歴史小説らしい雰囲気を感じられました。

>西暦九百六十一年、応和《おうわ》元年、癸亥《みずのといぬ》の年の夏。我が国は平安中期にあり、承平《じょうへい》の乱が終結してから二十年の歳月が流れていた。

こちらの改訂版では、↑この段落が丸ごと最後に移動になりましたね。こっち方がいいと思いました。長編ドラマの第一話を観て、これから始まる物語を予感させる、続きが楽しみになる演出みたいで。
サイトのシステム上、隔週で長期連載ということになりますが……。歴史小説に疎い読み手の一人としては、安倍晴明が出てくるのを楽しみにしつつ気楽に構えているので、よろしくお願いします(笑)

青井水脈
om126208170063.22.openmobile.ne.jp

前のコメントが言葉足らずかもしれないので、連投。
平将門を討った藤原秀郷の六男という出自、二十七歳という若さで数々の修羅場を潜ってきた。
こう書かれていて思い浮かべる人物像より、こちらでは千方の仲間にふと見せる素顔など、人間ドラマとしても良く描けていると思いました。

青木 航
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青井水脈様、有難う御座います。

 二週間に一度の掲載では、三年ほど掛かる計算になります。今回のように書き直したりしていたら、最後まで掲載出来るかどうかも分かりません。そこまで気長に読んで下さる方がいるかどうか分かりませんね。チラッと見れば何十話あろうと、全部分かる方もいらっしゃるようですが、有り得ません。

 急いで掲載するよりも、むしろわ勉強のつもりでじっくり行きたいと思います。

 大分先なので、『14 晴明との出会い』のリンクを貼っておきますので、興味が有ればチラ見してみて下さい。

https://ncode.syosetu.com/n4578gf/14/

夜の雨
ai192132.d.west.v6connect.net

「坂東の風 第一話 襲撃(改訂版)」読みましたが、半分は頭に入っていない(笑)。

かなり時間をかけて読んだのですが、御作は内容が頭に入ってきません。
どういうことかと言うと、導入部をエピソードで入り、文章にねじれもなく、今回は読めるかも、と思いましたが、Aから説明に突入です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
A
 荷駄隊の一行を見送ったのは、昨早朝、舘の前であった。

「本来なら麿が行かねばならぬ処だが、造作(ぞうさ)をお掛け致す」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
このAの説明がまた長くて、説明の説明が書かれているような状況になっていました。
すなわち、「主要登場人物の背景」やら「導入部のエピソードの襲撃の背景」やらが、書かれているのですが、かなり立て込んだ内容になっていました。
何が立て込んでいるのかというと、登場人物が半端ではない。次から次へと出てくる。
襲撃の背景も当時の歴史にまつわる時代背景が書かれているような感じで、内容が頭に入ってきません。

要するに、構成が悪いのだと思います。
御作は「本文原稿用紙57枚」です。
そのなかで「いろいろなことを詰め込み過ぎ」ではないかと。

>「登場人物が多すぎ」。
>「時代背景などを一気に説明しすぎ」。
「原稿用紙57枚」というと映像としてのシナリオだと「1時間ドラマ」です。
1時間のドラマだと主人公たちが15人の敵といかに戦うかという話に、単純な背景を書きこむぐらいのものだと思いますが。

時間をかけて読みましたが、あまり頭に入っておりません。
頭に入ったのは主人公たちが15人の敵と戦うエピソードの場面とその周辺の説明ぐらいのものです。

ということで青木さん。
「構成」に力を入れたほうがよいと思いますが。
エピソードを中心に構成して「起承転結」のバランスが必要ではないかと。
御作の場合は歴史ものでそのあたりが背景にあるので、わかりやすい内容にすべきかと思います。

以上です。

茅場義彦
133.106.142.54

夜雨さんの言うとおりなんだよね。
ムーブの途中に 大量の説明入るからスムーズじゃない。

せめて冒頭はもっと整理したほうがいいかと

キャラ絞ったほうがわかりいい

青木 航
sp49-98-146-197.msd.spmode.ne.jp

 夜の雨様、有難う御座います。
 
>頭に入ったのは主人公たちが15人の敵と戦うエピソードの場面とその周辺の説明ぐらいのものです。

最初の狙いは正にそれだけだったのです。

 やはり、小説は難しいですね。

 前稿では、第一話はプロローグのような形で提示し、襲撃の描写と大雑把な時代背景の説明だけで良いと思って書きました。

 表記などのご指摘は別として、登場人物やエピソードの描写が不足している為分かり難いと言うご指摘が複数有ったと思います。

 先に行けば分かる事なのでと思ったのですが、誰が誰やら分からない、エピソードの書き込み不足とのご指摘も有りました。

>第一話を書き直して、次回、再掲載する事にします。
 勿論、感じ方は人により千差万別ですから、全てを受け入れることは出来ませんし、誤解も有り、先を読んで頂ければ分かる事も有るかとは思いますが、取り敢えず書き直します。 

と言うことで書き直したのが本稿です。
 通常、校正と言えば削って削って行くものですが、結果、二倍にもなってしまったと言う前代未聞のこととなってしまいました。

 しかし、改善されていないとなれば、矢張、失敗と言うことですかね。

南風
softbank060091003055.bbtec.net

青木 航様

プリントしてしっかり読ませていただきました。
現場の緊張感がとてもよく描かれていて、読みやすかったです。何よりも感じたのは青木様のこの作品にかける情熱です。 

動作や状態を修飾する言葉の量のほどよい感じが、気持ち良かったです。最近は良いか悪いかわかりませんが、文章は短いもの短いものと考えています。 私は短歌に若干関わっていて、今までは小説というのは修飾語を書けば書くほどいいのかなと思っていたくらいでした。今はやはり「行間を読ませる」というのは短い文章の方が良いのではないかと感じています。難しいですけど。

さて、細かいことですが、気がついたことを独断と偏見で書かせていただきます。

>上腕を覆う袖に吹き出す汗を擦り付けて拭いながら

これは、吹き出す汗をー上腕を覆う袖でー拭う。ではないのかな?と思いましたが、別の動作なのでしょうか?

>眼下が窪んで恐ろしげな顔
の「恐ろしげな」は、文を短くすると言う意味では、私なら削除するなと思いました。 

>地味な農夫のような平たい顔の男だが

これも同様の意味で、「地味な」は削りたいところです。

>『それは、麿から申し上げて置く』
この場面の文章が二重括弧になっていますが、何か意味がありましたでしょうか。 

>一方では、少しも早く、その事実を知らせたいと言う気持ちが有っての成り行きだった。

「少しも早く」は「少しでも早く」の書き間違い? 「が」は「も」でしょうか?
別のコメントでも書きましたけれども、助詞の扱いはとても大切だなと思い始めました。
先程文章は短い方が良いと考えていると書きましたが、ここは大切だなと思うところは長めに書くようにしています。その代表的な場面は心の葛藤です。心の葛藤は二律背反です。 その場面には「は」とか「が」とか「も」などの助詞の選択がとても大切だなと思っているのです。



以上勝手なことを書きましたが、お許しください。
私の作品に書いていただきましたコメントにつきましては、また後日書かせていただきます。

いつも有難うございます。

青木 航
sp49-98-133-203.msd.spmode.ne.jp

 南風様、有難う御座います。

 色々な方のご意見を踏まえて書き直したつもりなのですが、冒頭の年号表記を最後に持って行った。現代に例えた比喩を削除、この辺は明らかに改善出来たと思うのですが、全体としては失敗したと言う印象です。

 文字数が倍になってしまったのが、その明らかな傍証になると思います。

 言われた事をあれもこれもと取り入れようとする過程で、自分の芯がぶれてしまったのだと思います。冒頭にに述べた訂正を除いて、前稿の方がシンプルで良かったのではないかと考えたりもします。

 繰り事は兎も角、ご指摘頂いた点についてですが、

>上腕を覆う袖に吹き出す汗を擦り付けて拭いながら
『上腕を覆う袖に』を強調する為に先に持って来ました。

>吹き出す汗をー上腕を覆う袖でー拭う。
だと"何処から吹き出す汗か"を入れなければならないと言う感覚です。
>上腕を覆う袖に が来れば、届くのは顔しかありませんから。

>>眼下が窪んで恐ろしげな顔
の「恐ろしげな」は、文を短くすると言う意味では、私なら削除するなと思いました。

『恐ろしげな顔』と言いたいのです。『眼下が窪んで』はそれを形容しています。無駄な形容詞は使いたく無いのですが、『恐ろしげな顔』だけでは逆に色々言われると思います。短い形容詞ひとつで済ませたかったのです。

>地味な農夫のような平たい顔の男だが
これも同様の意味で、「地味な」は削りたいところです。

 農夫は皆地味な顔をしているのか? と言うことになりますよね。地味なと付けることによって、そな中に多く居る一定のイメージを絞り込んだつもりです。

>『それは、麿から申し上げて置く』
この場面の文章が二重括弧になっていますが、何か意味がありましたでしょうか。

『ふくろかぎかっこ』は、生の台詞意外に使っています。回想場面での台詞や口に出さない心の声、単語の強調にも使います。
・これは、このサイト内の『執筆の基礎』にも書かれている使い方です。

>「少しも早く」は「少しでも早く」の書き間違い?

下記2.の使い方で、『少しでも』の意味で肯定的に『少しも』を使うことは有ります。

すこし‐も【少しも】 の解説
[副]
1 (下に打消しの語を伴って)全然。まったく。ちっとも。
2 少しでも。わずかながら。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

もう【見るからに異常な人が書いた、異常なもん】でしかなくて、

見てて「怖い」もんだから、

開けて即「どんびき」。




「これまでの青木欄常連だった人しか寄り付けない」異常世界でしかないんだけど、

青木本人は「それに気づかない」あたりに、『バカの壁』がありますね。




って、「感想」を、ワタシが遠慮してたところで、

異常性格青木は、ワタシへの「陰湿誹謗中傷、人格否定攻撃をやめない」だろうから、



サービスに、感想欄に書きましたが・・




異常性格者からの異常レスは要らんので、「見ない」と思う。




↑ ってコメントを、どこ見て書いてるのかと言えば、

『バタビア……』の感想欄で、たまゆらさんがワタシを引き合いに出した意見に対し、
「それは完全に間違いです」と、全否定してた箇所。

(うんざりしてるんで、一部見ただけだけども)


異常性格青木、「たまゆらさんはそう思った」ってだけのことだから、

その人の感想はその人の感想として「尊重」して、
『自分はそうは思いません』だったら、それもアリかと思うんだが、

「上の人の書いてるのは完全に間違いです」とか、

あまりに「不遜」だし、感じ悪い。



【ただの下手の横好きワナビである自分】ってのを、完全に忘れ果てて、

ひたすらに「異常なマウント取ってくる」青木・・



あんまり異常。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

しかしこの「あんまり異常なドン引き原稿」、

「作者の度を越した異常気質が前面に……いかんなく丸出しになりまくっている、異常事態」に、


誰ひとり「普通の(まともな)ことは言えないで、口を噤んでしまっている現状」が、


とっても《いまのごはん》なのだ。



言えんわなー、

この異常青木ワールドに「まっとうに物申す」なんてことしようもんなら、

青木による【怒りに任せた、長期継続・陰湿粘着報復行動されまくり】が百も分かっているから。



現状、「身の安全確保」のためには、

こんな青木の異常全開原稿にも、「お追従を書く」ことが求められる。



「小利口」な人は、そうしてるか、「完全にスルー」なんだよな。



ワタシも『そうしとこう』と思って、直に物申すのはかなり控えてたんだけど・・


さすがに「この異常原稿ぶり」を晒しまくられて、その異常性に本人まったく無自覚だと、

某「青葉」を彷彿した。



あくまで個人の感想です。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

青木は・・

『このまま行ったら、もう青葉になる道しかないような気がする〜』と

ワタシが強烈に感じている「理由」が、


ここまで書いても「読み取れない」のかもしれないなー。



この画面〜原稿体裁の『何が、どう異常すぎるのか』、

開けたなり(見たなり)2秒で分かること! なんだが。。



外野も、「分からない」って人は、

感覚がもうヤバいと思う。


「余計ごと一掃」して、一旦完全にリセットして、

まっさらな目で、この画面眺めてみ?



あまりにもあまりにも異常すぎるのだ! ってことが分かるから。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

「単に青木が嫌いだから」〜「青木への報復のみで書いてる」のだと、青木は思うのだろうし、
【そうとしか思わない】んだと思うんだけど〜、


ワタシはこれまでも、「ここのサイトで滅茶苦茶喧嘩した人の原稿」であっても、
『いい』と思った点は、そこは正直にあげて(書いて)来た。


『書き手の性格と、作品とは別』だと捉えていて、
「作品のみを、シビアに傍観している」から。。



その上で、【この画面〜原稿は、はっきりイカン】と確信し、警鐘を鳴らしている。

青木本人にそれは理解できないであろうこととともに。

青木 航
sp1-66-102-188.msc.spmode.ne.jp

>作品のみを、シビアに傍観している

 あなたの価値観に基づき、自己の優越感を満足させる形で、と付け加えたらいいと思います。

 私自身が貶められたからでは無い。見ていて、他人に対する態度が不遜に過ぎるから我慢出来なかった。
 まるで、自分に従っていれば、一時審査が通るかのような吹聴する態度に我慢出来なかった。
 書いたものを見て分かったんですよ。あなたの価値観は最早通用しないものになっている。

 私自身はそんなもの目指していないからいいんだけどね、

 あなたに評価されて有り難がる人がいる限り、あなたは、自分の態度が不遜だとは夢にも思わないでしょう。

青木 航
sp1-66-102-188.msc.spmode.ne.jp

>×要するにそれは【青木だけが正義なのだ】って言ってるに等しく、

・表現が不正確なので訂正します。⬇️

 ○要するにそれは【貔貅がくるだけが正義なのだ】って言ってるに等しく、

作家でごはん!鍛練場について

【作家でごはん!鍛練場は三つの鍛練を目的として創立されました。
それは書く鍛練、読む鍛練、感想の鍛練】

『感想の鍛練』も目的に入っているので、あなたの感想が的外れと言う感想を書いても、サイトの主旨に反していないのです。

 怒るのは筋違いと言うことを覚えて置いて下さいね。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

↑ 怒りまくって、言葉尻に噛みついてる風な青木、


まあ、【この画面〜原稿の、一目瞭然に顕著な異常ぶり】には、

意図的にスルーってよりは、

「気づけない」

理解不能なんだろうね。。



そこに『バカの壁』がある。

青木 航
sp1-66-102-188.msc.spmode.ne.jp

 ワナビ、マウントわそんな死語をいつまで業界用語っぽく使ってるあなたはわ最早過去の人です。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

【書いてる罵倒が、逐一ブーメランな青木】でしかなくて・・


そのへんが「所詮青木」で「限界」なんだよね。


「ワタシが書いた感想を、一々執拗に全否定で潰しに来る青木のコメント」とか、

お寒すぎて、さらさら読む気しない。


そんな「お寒い陰湿コメント」に、丁寧レスしてる人はご苦労だと思う。



常駐して張ってて、「即座に」やっきになって潰しにかかって来ている(らしい)青木は、

『ごはんの権威』になりたい! んだろうけど・・


無理だから。



ごはんにおいて【感想が喜ばれる存在】(確かな実力者だと認められている人)は、

1 にブロンコさん、

2 にちくわ。

だろうと思ってる。

(それはもう、何年もずーーっと、迷うことなく明確にそう思ってる)



だから、ワタシごときに陰湿人格攻撃をどんだけ繰り返しまくったところで、

青木は、異常青木以上のものになれない。

なりようがない。

青井水脈
om126208170063.22.openmobile.ne.jp

貔貅がくるさん

>しかしこの「あんまり異常なドン引き原稿」

>この画面〜原稿体裁の『何が、どう異常すぎるのか』、

開けたなり(見たなり)2秒で分かること! なんだが。。



外野も、「分からない」って人は、

感覚がもうヤバいと思う。

私もさっぱりわからないです。貔貅がくるさんは、どうしてそのように思われたのですか?個人への批判は抜きにして、お尋ねしてもよろしいでしょうか?

青木 航
sp1-75-233-204.msb.spmode.ne.jp

 貔貅がくるさんの文章、感情と空白行しかないことに誰でも気付くでしょう。

 到底、他人の文章を分析出来るような論理性は感じられませんよね。

5150
5.102.2.242

拝読しました。

前回では、冒頭部分をこちらでいきがっていろいろ書いてしまったので、あれからかなり気になっていました。改訂版は、ほんとに出だししか読んでいないのですが、見違えるようになったと思います。

ちょうどいい場面を掴んで、流れを重視しているため、すっと入ってゆくことができました。前回に比べ、かなり整理されていると思います。襲撃という章にふさわしい緊迫感のある出だしになっていると思います。

と書きつつも、冒頭の、ほんの数枚くらいしか読んではいないので、時間のあるときに全部読もうかと思います。

青木 航
sp1-66-100-106.msc.spmode.ne.jp

5150様、有難う御座います。

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