とうとう巡ってきた
「先生、きょうのお茶マズかったって。さーちゃんがいってた」
小さいカウンターを模した窓――給食室の下膳場の向こうで、声がした。
目はくりくり。
頬はリンゴ。
長い髪は錦糸のよう。
そんな可愛い女の子でもさ、接点がほとんどない大人に真摯な目を向けてくるから、三歳ってだいぶタフなのかも。
しかし。
まー、これまた返答に困ることを!
トゲがある言葉を咎めるのは私の役じゃないから、どうしたもんかと国語が嫌いな頭を絞って絞って、と。
うむむむむ。
この子――本名は出せないのでゆーちゃんということにしておく――ゆーちゃんは、友だちのさーちゃんが「マズいお茶」と言ったことになにかを想い、私に訴えに来ている。
が、私はそっちが専門じゃないし子供もいないし結婚もしていないので(ついでに彼氏もいない! 数年前にフッたきり!)今一つピンとこない。
困った困った。想像は苦手だ。昔っから国語は全部苦手。大嫌いだ。あいつら、登場人物の心境を200字で書きなさいとか、『』という言葉を使って書きなさいとか言ってくるんだ。
間違えたら教師はため息ついて、「もっと人物になりきりなさい」とか「前後の状況を把握なさい」とか言ってくる。状況は理解できるけど、なりきるって無理だろってその度に思ったよ。
完全にグチだけど、羅生門の老婆やこころの圭や舞姫……みたいなのに「わかりみがふかい~」とかなる10代半ばって絶対前世の記憶あるでしょうよ。
そんなんについていけるってのは、そういう強くてニューゲームか似たような境遇か単なる博識かのいずれかで。
残念ながら、私はどれにもなれない。
「あ、わかった。さーちゃんはいつも水筒でお茶を持ってきてるから、ここのお茶は飲みなれてなかったんだ。だからだよ」
なんて。
お茶が入ってたコップを指先でひょいと摘まんで、ざぶざぶ洗いながら。
みっともない応えをしちゃうんだ。
途端。
ゆーちゃんは顔をしかめて俯いた。
髪がしゃんと鳴ったから、私はそれに気づくことが出来た。
まあ、ちょっと予想はしてた。
でも早く答えないと子どもは待ってくれない。いつも「早く」って大人にせかされてるからだ。だから大人は毎日毎日早くを更新していかなきゃならないんだ。
ああ、この光景。
ここで働きだしてから、何度みてきただろう。
どんな先生でも一度はされる、「そうじゃないよ」って表情だ。専門のベテランさんだって月に数十回はされる顔だ。
けどこれは――ここに来る限り、避けられないことだ。
彼らは言葉を巧く扱えない。
大人が引き出してあげなきゃならないんだ。これをサボると大人は大人じゃなくなる。
身勝手だなぁ。めんどいなぁ。重い、重いんだよなぁ。
私は専門じゃないんだってば。先生なんて、やめてくれ。国語が苦手なせんせいなんて、ちっとも先生らしくないだろう?
「うーん、先生、次は美味しいお茶をつくるよ」
自分でも訳が分からないまま、こう口が滑った。もう、脊髄反射ってくらい。
ゆーちゃんは花が咲いたように笑って、何も言わずに駆けていった。小さいカウンターからじゃ、すぐに姿は見えなくなる。
今日は砂場遊びをするから、靴を取りに行ったのかも。この部屋からは見えないけれど。
数分も経たぬうちに歓喜を通り越して絶叫が耳をつんざいて。
あんまりにもカウンターのガラスががたがた呻るから、閉め切らずにちょびっとだけ開けておいた。
大人何人分の声量だろう。
「すごいなぁ」
感嘆の声を漏らし、続けて――
いや、やめだ。
あーあ。
ずるい、ずるいなぁ。
答えばっか暗記してさ。エセものだよ。完全な。
誠が伴わない心なんて、ちっとも実になりやしないだろう。
とうの昔に身に染みてるんだろう。
けどさ、ここの職場、抜け目ないんだよ。
先生は写真という写真に写らなくていいんだって。もちろんビデオも禁止。
「今は子どもが主役だから」だとかなんとか言って、足がつくものは残さないようにしてるんだ。
だから、砂場にあるのはきっと全部、子どもの足跡だけだよ――
執筆の狙い
初投稿です。皆様どうかよろしくお願いします。
自分の過去に風穴を開けるつもりで書きました。
もっと別の大人になりたかったんです、という懺悔を前面に押し出せていれば幸いです。
エッセイをライトノベル、読み物にするべく挑戦しています。