作家でごはん!鍛練場
茅場義彦

転生したらザネ(氏真)ってた

時は永禄三年九月十八日。桶狭間の戦いで今川義元が信長に仕留められて四ヶ月が経過していた。

「殿、大殿の弔い合戦の下知を早く」
と朝比奈とかいう今川家の家老のおっさんが、俺に掴みかかるように言ってくる。
「と、時まだ至らず、皆の者しばし辛抱いたせええ」
 俺は独りカラオケで鍛えた美声を生かして叫んだ。ところが、オーディエンスの反応はショボかった。

「……」

 今川侍全員が給料遅配の発表を受けたリーマンみたいに無言かつ不満顔をさらす。
「な、何ゆえ、今、合戦を起こさぬのですか」
 ヘタレなのかてめえはという目で、大河ドラマの一場面みたいに宿老一堂が俺を見つめる。
「あっちは調子乗ってるんだ。勢いに乗ってる奴には手を出すなってことだよ」
 どんどん評定の場のテンションが下がっていくのが分かった。あちこちからため息と私語が半端なく聞こえてくる。
「だが、無策でただ待つわけじゃないんだ、策はある」
 僕は慌てて言ってみた。さすがに、家臣団半分が明日にも寝返る事態は避けたい。
「ほう、どのような」
 二番家老の由比某という爺さんが聞いてきた。
「楽市楽座をやる」
「楽市、何ですかそれは」
「誰でも駿府で商売をすることを許す。特権商人の独占を改めて、それで駿府に人を集めて商業を活性化させる」
 私語はかなり減って、俺の声はその場に武将たちに届いていた。
「それで税収を増やして、銃を買い鉄砲隊を編成して信長に復讐する」

「そ、それはちと悠長過ぎるのではないですかね」

つ、ついに奴が発言してきた。この氏真の転落のファーストトリガーとなったスーパー危険人物にして、日本史最大の英雄。

松平元康、後の徳川家康であっる......

「た、確かにな」
 俺は咳払いして、奴の大きな目を見返してやった。
(まるで、値踏みするように、見てやがる)
「そこで思いきって、元康どのに対織田戦略の司令塔になって頂く」
 俺は思いきって言ってみた。まずは英雄に相応しい仕事与えたつもりだったが......
「また三河兵を織田の盾にされるおつもりですか」
(うわあ、全く信頼されとらんわ、義元おとんのアホ)
「い、いや、いくさは今川兵が先鋒になってもいい。それより今川家の今後の外交諜報戦略を主導してほしい」
「外交ですか、今後はどこと結ぶおつもりか」
 元康は少しやる気を出して言った。自分の手駒が今川の戦争で消耗するのが心底不愉快なんだろう。気持ちは分かる。
「美濃(岐阜)の斎藤と結ぶ。あれは織田の次の標的だからな」
「斎藤義竜に、北から織田を攻めさせますか。しかし、桶狭間の英雄相手に動きますかな」
 そこで、俺は元歴史教師ならではの、マニアック知識を活用する。
「義竜は父の道三を殺して美濃を手にいれた男だ。父殺しの罪悪感は今も強い。そうだろう」
「確かに、あの男は斎藤を名乗らず母の実家の一色家を名乗っているとか。父の血脈を否定しようと足掻いておりますな」
「そうだ。しかし、それは偽りの名乗りだ。美濃国外で認めている大名などおらん。あいつは所詮元油商人、道三の種だ」
「しかし、噂では母親は道三の旧主土岐頼実の側室で一色家の者だとか」
「うむ、父親も本当はその土岐頼実だという噂はある。しかし、それが本当なら父殺しの罪の意識を持たない。どうだ」
 土岐頼実から美濃を奪った道三を見事に成敗して、うじうじ悩んでいるのは、奴が道三の実の息子である証拠ではないか。

「仰せの通りですな」

 元康は分厚い顎の肉にシワを走らせた。うっすら笑ってるのだろう。
「一色家と元は同族である我が今川家が、奴の一色家の名乗りを率先して認めてやるのだ。更に足利将軍家にも働きかけて恩をうる」
「なるほど、将軍家のお墨付きを殿が義竜の為に取得してやれば、奴は殿に恩を感じるだろうと」
「勿論義竜が織田に攻める時は、今川が主力となって東方から支援する」
「なるほど、良き案かと」
 元康は大げさに感心して見せる。勿論本音はそうじゃないだろう。妻子をこの駿府に人質に取られている限り、大人しく俺の命令に従うつもりなのだ。それもいつまで続くか分からない。ただ、今川は歴史の本を読むと、名家というプライドに縛られてプライドゼロの野生動物(織田、徳川)に食い殺された印象があった。でも、名家ならではの武器も活用できるはずだ。

 やっと夜になって評定(会議)が終わり、俺は大好きな元教え子と二人っきりになれた。でも、不満なのは彼女がもう以前ほどロリ外見じゃないってことだ。前はそばかすがあって、小顔で如何にも田舎の素朴な炉中って感じだった。しかし、この戦国時代に俺と転生して姫となって、外見が別人になってしまった。とにかく美人過ぎてまっすぐ見てると照れ臭くて、むやみに喉が渇く。俺は手酌で酒を飲んだ。瑠璃も中身は世間しらずのガキだから酌とかしない。

「先生疲れてますね」

そういってクスクスが瑠璃が笑っている。学生時代から美人に優しくされる時は、利用される時と決まっていたけど.....
「まじで、今日は失神するほど疲れた」
俺の膳には大きな鯛の塩焼きが載っている。この時代には贅沢品なんだろうが、魚ばっかりで飽きてしまった。
「肉食いてえ」
「あ、そっちかあ」
瑠璃がため息つく。
「そっちって、何だよ」
「食べたいのは、私かなあって、てへへ」
「ええっとお......」
俺は元教え子の恥をかなぐり捨てた、必死のアピールに目が点になった。
「だって侍女たちが、先生に夜、愛されてるか結構聞いてくるんだもん」
 拗ねた表情はなかなか子供っぽくて悪くない。でも、言ってる内容が生々しくてやりきれない。
「あ、侍女って北条氏の実家から付いてきたやつか」
 瑠璃は少し顔を紅潮させて、泣きそうな声で訴える。
「先生変態ロリコンだから、大人になった私に興味ないんでしょ」
「そんなことねえって」
「じゃあ、私は何で今だにエッチ知らずなのよお」
「お前15歳のくせに、言うことがませてるぞ」
 俺は思わず教育者の気分で言った。つっても、非正規の女子高の貧乏講師だったんだが。
「もう15歳の瑠璃はあの地震で死んだの」
「じゃあ、目の前にいるお前は何なんだよ」
「なんか夢みたいなもんでしょ」
「夢って誰のだよ」
「わかんないけどオー、現実じゃないよお。何で私が北条の瑠璃姫で、今川氏真の奥さんなのお」
「まあ、そんなにパニクるなって」

瑠璃は昔みたいに無防備に泣き出した。俺はどうしたものかと、鯛のお頭の白濁したメン玉を見て悩んでしまう。
「とにかく鯛食えって、焼きたてで旨いぞ」
俺は無理やり笑顔を作って勧めた。
「あああん、マック食べたい、熱々の牛丼も欲しいよお」
「泣くなって、瑠璃、俺だって泣きたくなるだろ」
「じゃあ、せめてナデナデして」
「いいよ、ナデナデしてやる、こっちこい」
艶やかな黒髪美人の瑠璃がおずおずと、俺ににじり寄る。若い女の魅力的な香りが俺の鼻腔を暴力的にくすぐる。
「瑠璃もすっかり典雅な姫様だな」
瑠璃は無言で俺の膝に頭を置く。北条方の侍女たちが、見たらまずい光景ではある。
「もう、二人だけなんだよ。私たち」
「あの地震で俺たちは、校庭に飲み込まれたんだよな」
この世界に来る前に住んでた福島は崩壊していた。
「そう、でも、ここにこうして生きてるっぽい」
「確かにもう二人だけだな」
「お母さんに会いたいよお。弟にも」
「お父さんは会いたくないのか」
俺は不思議に思って聞いてみた。
「お父さんの代わりがいるもん」
「はあ、俺のこと? 俺は旦那様だよ。保護者じゃねえって。瑠璃姫さんよ」
俺は馬鹿馬鹿しくなったが、瑠璃が離れようとしないのでずっと頭をナデナデしてあげた。腕が痺れてきた頃には、瑠璃はすうすう寝息をたてていた。美人も寝顔は隙だらけだ。元々が田舎の中学生だからなのか。
「おーい、寝るなこんなとこで」
彼女の耳元で言ってみたが、彼女の寝息は大きくなっていく。ふと目元を見るとうっすらと濡れていて、俺は元教え子が不憫になってしまう。仕方ないので彼女の髪をしばらく撫で続けた。


「ほお、奥方が綺麗すぎて上手く欲情出来ない?」
鷹狩の最中に元康は大声でいった。戦国時代を終結させた英雄もまだ二十代で、年相応に軽率なところもあるみたいだ。
「ちと、声が大きいぞ」
 俺は周りの連中に聞こえないかと周囲を見渡す。
「これは、元康粗相を致した」
鷹狩はこの英雄が目茶苦茶好きなアクティビティらしくて、俺はたまに誘われる。天気がいいし、富士山を背景にヒョーっと気持ちよく獲物を狙って空を旋回している鷹を、下から仰ぎ見るのはなかなか気持ちいいものだ。周りに親衛隊である小姓たちが俺を守るように完璧な乗馬で移動する。
「なんか、美人って緊張するだろ。ちょっと隙があるほうがいいっていうか......」
俺は目茶苦茶正直に弱みをさらけ出す。これくらいスペック高い英雄に虚勢は無駄だろう。ところが
「実はこの元康も美人は大変苦手でござる」
 と、意外な返事が返ってきた。
(そうだ、この人恐妻家だったんだ)
俺ってこんな記憶力ひどかったっけ、と思いながら俺は元康の恥ずかしそうな表情を見る。
「我が妻は今川三河で一番の見目麗しき者。しかしながら気性が激しく難渋しております」
「瀬名はなあ、美人を鼻にかけてるからなあ」
 俺は適当に話を合わせる。ちなみに元康の嫁は瀬名の方と言われる。彼女は関口氏と呼ばれる今川一門の出身で、義元おとんは元康を結構大事にしてたってことだ。
「仰せの通りで。それに比べればお舘様の奥方は我が妻に相当見劣るにせよなかなかの美人。しかも、性質は穏やかで元康羨ましい限りでござる」
(何気に嫁のスペックでマウントとってきてるよね、あんた)
「でも、そっちは既に子が二人もいるであろう」
「実はコツがあるのです」
俺たちはいつの間にか切り株に腰を下ろして、熱心に美人妻対策について協議していた。
「妻の美に馴れるためにはまず、絵師に妻の絵を描かせるのです」
「え、そんなことするの?」
この英雄兄ちゃんは突然何を言うんだろう。
「そして、描かせた顔に髭とか鼻毛とか、唾液が垂れた無様な様子を加えさせるのです。さすれば、妻の美貌等何ほどのことも、思わなくなりましょう」
「そ、そんなやり方でいいんだ」
 俺はあまりにも馬鹿馬鹿しくて、他の人から聞いたら笑って取り合わないその方法も、英雄から受けた指南ってことでやってみようと思った。
「拙者も家来に勧められて半信半疑で、やっておりましたが今は上手く夜を楽しめております」
「へ、へええええ」
英雄の下世話な告白にちょっと引いたが、俺は基本前向きだった。瑠璃の美貌に慣れないとせっかく夫婦になったのに楽しくもなんともない。俺が昔の瑠璃の顔がいいって感じるのは、それに戻れない彼女にとっては、迷惑でしかないはずだ。

「え、私の姿を描かせる?まさかヌードじゃないよね」
 瑠璃は少し怯えを声に滲ませて呟く。
「そんなことはございません。元教え子をヌードにして写生なんてkuzu行為しねえよ」
「本当にい? 先生大名やってるストレスで最近目付き悪いからなあ」
「絶対、着衣だよ。安心しろって」
「なんで絵なの、ていうか、元美術部員の私としては自分で描きたいんだけど」
瑠璃は俺の隣の布団に入ってゴニョゴニョ言ってる。たまに一緒に寝ないと北条の侍女たちに実家に報告がいって、まずいんだとか。でも、美人が苦手な俺は全く瑠璃に触れない。我ながら無様だ。元教え子だからってのも、あるけど。いつかキスくらいはしてみたい。もう夫婦なんだし........。
「絵は今度道具買って描かせてやるよ」
「おおお、いいね。ばりばり描いちゃうよ」
 瑠璃は県の絵の賞をかなり取ってて、将来は美大に行きたいといってた子だ。俺はちと不憫になる。
「もし良かったらその絵師からこの時代の絵の書き方学んだらどうよ」
「え、いいの? 楽しみっす。放課後の部活みたいだね」
「部活再開だぞ、こりゃ」
瑠璃の幸せそうな顔を見て、俺は美術部の部室で鰹節を必死に写生していた彼女を思い出す(何で鰹節だったのか今も謎)。大名なんか、やめて庶民として暮らす方法はないものだろうかと、思いつついつのまにかグウグウと寝る。

「美濃がこちらに、尻尾を振ってきました」
翌朝、俺が奥の部屋の掛け軸の雪舟の絵(流石、今川家本物らしい)を見て、ぼんやりしてると、元康が最高のニュースを持って来てくれた。
「本当か、元康どの。でかしたぞ」
「今川が織田を攻めた場合は必ず尾張を西から突くという密約を得ました」
 義竜はどれだけ父道三を殺して道義的に苦しんでるのかが、分かる。全てが俺の読み通りだ。
「そうなると、義竜の気が変わらぬうちに攻めたいところだな」
 俺の興奮する顔を元康は頼もしそうに見ている。ただのボンクラ息子の印象は少し消すことが出来たみたい。
「駿府から尾張国境に兵を動かすと、相当警戒するでしょうが」
「はは、臆病者の俺が動くってことは同盟国が増えたとばれるか?」
「まあ、何かが動いたと察せられる可能性はあるかと」
「ふむ、美濃との密約はばらしたくない。よし、信長に進物を送ろう」
「なんと、父の敵に進物をでござるか」
「わしは、和歌と蹴鞠に興じる阿呆ゆえ、信長にご機嫌とりの進物を送っても不思議はあるまい」
元康は何とも言えない顔で、俺の自虐戦略を聞いている。
「敵を油断させるなら、何でもやるさ」
「しかし、信長殿は銭を持っているので当たり前の進物じゃ満足せぬかと」
 元康は気を使いつつ言ってくれた。
「そうだな、普通のものではいかんだろう」
 俺はその頃には信長に何を送ろうか思い付いていた。
夜になって俺はしし鍋を瑠璃とつついていた。
「美味い、しし肉うまいー、鯛の5倍うまい」
「ひさしぶりの肉だよなあ。駿河の太守っていっても、肉食えるのって1ヶ月に一度かあ」
 俺は思わず愚痴ってしまう。まあ敗戦で領土が減ってるのに贅沢はいえんだろう。領民の皆さんはもっと、我慢してくれてんだから。
「でも、うまいー。お肉っていいね」
「まあなあ、舌への衝撃が違うよな」
「ああ、謎が一つ解けたわ。ふうむ、そっかそっか」
脂身の部分を舌にのせてそのプニュプニュ食感を楽しんでると瑠璃がしきりに頷いてる。
「何を納得したんだよ」
「この時代の人が貧乳な訳っすよ。肉食わないからだわ」
「ごほ、鍋つついてそんなこと考えてたのかよ」
 俺は元教え子の色っぽい着物姿を思わず見つめる。
「だって、相変わらず先生私とエッチなことしないじゃん。貧乳だからかなって」
 己の胸部を見ながら瑠璃が残念そうに言った。俺から見るとなかなかの膨らみなんだけど。
(確かに昔の瑠璃のほうがふくよかだったかも)
「信長問題片付けたら、落ち着いて旅行でもしようぜ」
 俺は瑠璃に思わず言っていた。せっかくタイムスリップしたんだから色々と駿河の風景とか楽しんでみたい。
「デートもなく、いきなり旅行っすか......」
 瑠璃はちょっと上擦った声で言って黙りこむ。
「とりあえず食えよ」 
 妙な雰囲気になりそうで俺は慌てて言った。
「はあい」
ませたこと言うくせに、肉を大口開けて頬張る姿はやっぱりクソガキにしか見えない。
 瑠璃の姫顔には元康の奨めた特訓のせいかだいぶ慣れた。そもそも瑠璃は転生して、美人になってもやっぱり瑠璃だった。おっちょこちょいで、情に脆くて、甘ったれで、絵が好きだった。好きどころか目茶苦茶上手い。駿河一の絵師を付けたが飲み込みが早くて、デッサン力が半端なくて絵師のほうが瑠璃から学ぼうとする始末だ。その才能を活かさぬ手はない。

「味噌の味はうちらの世界のと同じだね」
味噌汁にネギとか白菜の中に猪の赤い肉が見え隠れしている。俺は夢中で汁から見つけて肉ばかり食ってしまった。
「今度牛丼作ってもらおうよ」
「そもそも砂糖がないから、牛丼は無理だろ。醤油の味が強い牛丼が出てくるぞ」
「いや、それでもいいっすわ。毎日食べたい」
 瑠璃は畳み掛けるようにいってくる。
「牛は大事な耕作機なの。だから、そんなに食ったらダメなんだよ」
「じゃあ、毎日猪肉でいいよ、先生」
「猪が山から消えるわ」
 俺は呆れて酔眼を瑠璃に向けた。
「おおこわ......じゃあ、焼き魚で我慢するわ」
 瑠璃がため息まじりに言った。そして未練がましそうに胸をみる。
(牛乳でも飲ませるかな)
「ところで信長に瑠璃の絵を送りたい」
「はああ、冗談だしょう。うちのお師匠の絵でいいじゃない」
 瑠璃は予想通り、断ってきた。でも、そんなことで引き下がる俺じゃない。
「いや、お前の近代的な絵画がいいんだ」
「何を描くんすか」
 俺の気迫に押されたのか、瑠璃が折れてきた。元教師の威厳ってやつだろうか。
「俺が蹴鞠をやってるとこを迫力満点に描いてくれ」
 蹴鞠どころかフットサルもサッカーもやったことがなかったのに、俺はこの世界では蹴鞠の名手だった。プロリーグがあれば、さっさと駿河の太守なんて辞めてしまいたい。
「信長さん、新し物好きだったね、どうせなら漫画っぽくしようよ」
 俺は瑠璃の大胆さに舌を巻いた。
「その発想いい」
「じゃあ、適当に漫画風でまとめるわ」
 瑠璃は右手の親指だけたてて、外人みたいに仕事を請け負った。
 
 俺は瑠璃に翌日蹴鞠を側近たちとプレイする姿をデッサンさせた。同時に、美術に素養がある者を堺に派遣して油絵の具を買わせる。それを瑠璃に自由に使わせた。

 完成した瑠璃の絵はぶっちゃけ絵画じゃなく、屏風に描かれた漫画と言えた。空間はコマ割で分割されている。
 最初のコマは、俺がボールを睨むスポーティーな横顔。次は逆光で毬が青空をバックに空で浮かぶ場面。その後は毬に向かって華麗なステップで落下地点に俺が移動する姿。
 全てのコマが遠近法を使って、立体的かつ写実的に描かれていた。圧巻なのは毬が右足に捕らえられる五番目のコマ。じっと見てると、屏風からバシュッっと毬を蹴る音が聞こえてきそうなほど、迫力があった。
(これは信長を誘いだせる)
俺はその絵を見て、自分の妄想が現実に変化する確かな手応えを感じた。
「でかしたぞ、瑠璃」
「こ、こんなんでいいの?」
 瑠璃のきょどった返事が可愛いかった。
「ったりめえだって。誰も見たことねえ、アートだよ」
「まあ、美大の試験じゃ、絶対落ちるだろうけど」
「まあな」
 俺は元教え子の頭を優しく撫でてあげた。

絵を信長に送って二週間ほどすると元康が俺の所に報告にきた。
「信長殿は親方様の進物(プレゼント)を大変気に入ったようです。というか、何も語らずじっと見つめていたとか」
(おおお、信長らしいや)
「どうやら信長は駿河の蹴鞠に興味を持ってくれたようだな」
「仰る通りで......返礼の使者を送って来るとか」
「勿論その使者に蹴鞠を見せてやるわ」
「なるほど、蹴鞠に狂った姿を見せて相手を油断させるのですな」
「その詳細は、猪鍋でもつつきながら今宵話そう」

「三河様は、猪肉はお嫌いですか」
瑠璃が箸の進まない元康に聞くと
「この人は珍味とかまるで受付ないの、根っからの田舎者ですから」
 瀬名が夫に代わって答える。元康は苦笑しつつ、杯を豪快に干した。瑠璃が気を利かせて奴の杯に酒を注ぐ。
(瀬名は美人なんだけどなあ、空気が読めないっていうか......)
 俺は顔をしかめて、肉を頬張る。猪肉は相変わらずゼラチン部分が官能的に舌を楽しませてくれる。
「元康殿は用心深いだけだ。大望の主とはそういうものだ」
 俺は目の前で妻に弄られる男を思わず誉めてみた。
「買いかぶり過ぎですよ、この人信長に何も出来ないんですよ」
 相変わらずの(旦那下げ)の瀬名様である。元康はニコニコ笑って聞いているばかり。
「信長を倒すのは至難の技だ、三河殿単独でやらせるつもりなどない」
と俺が諭すように瀬名にいうと
「先祖がどこの馬の骨とも知れぬ出来星大名ですよ」
 と、瀬名は嘲笑する。
「奇襲とはいえ父義元を見事に撃ち取った男だ。奴を侮るのは我が父を貶めることと同じぞ」
俺は思わず瀬名に厳しく言ってしまう。
「親方様、ご、ご無礼申し上げました」
瀬名は言葉では謝ったが、顔を見るとそれほど恐縮した様子でもない。
「とりあえず、鯛の天ぷら食ってみてよ。カラっと揚がって美味いから」
俺は場の雰囲気を和らげようと慌てて言った。
元康が躊躇いなく箸を付ける。
「これは旨い」
「熱々だけど、旨味がすごい」
瑠璃もご満悦だ。瀬名だけが、不審そうに箸をつけようとしない。
「なんか魚が布団被ってるようで暑苦しいですわ」
「それ衣だって、旨いから」
「私は鯛が普通に焼いたもので」
(あんたも保守的やないか)
「それにしても、相変わらず瀬名は美人だなあ。元康殿がうらやましい」
「何をいってるんですか親方様。この人は絵師に私の姿を描いて、それに髭を加えて遊んでるんですよ」
 瀬名が予想もしない爆弾を、和やかな夕食に投下する。
「ええ、三河様が! 氏真様もですよ」
 瑠璃がいきなり瀬名と同調。悪事ってのはやはり露見するものらしい。
「ええっと、それはだねえ......ごほ、ごほ」
 俺はどうやって誤魔化そうと焦って、ご飯を喉に詰まらせる。
「氏真様、落ち着いて」
瑠璃が優しく背中を叩いてくれた。
「これは唐で伝わる教えなのですよ、実はですな」
いきなり元康が俺に助け舟を出してくれた。
「詭弁など聞きたくありませぬ」
女子は声を揃えて結構失礼なことを、将来の江戸幕府の将軍にいい放つ。
「いやいや、美貌の妻をもらった者は幸福を独占することで逆に不運を呼び込むという唐の国の教えがあるのです」
「えー嘘でしょお」瀬名が言った。
「それを予防する方法として風水の書に紹介されとるのです、妻の似顔絵をわざと汚せと」
 普段ゆっくり話す元康が、早口で演説するのがおかしかったし、新鮮だった。
「瀬名さま、美貌の妻を持つと殿方は大変みたいですよ」
瑠璃がウキウキ声で言うと
「どうも納得できませんが、そういうことにしましょうか」
 瀬名も機嫌は悪くなさそうで安心する。
 俺は機嫌を直して天ぷらに箸をつける瀬名を見て嬉しくなった。歴史が俺の知る方向で進めば、彼女には過酷な運命が待っている。俺はそれを変えたい。どうやら俺はただの信長や秀吉の勃興の踏み台にされてしまう今川の人に愛着を強く感じてしまってるようだ。

「ただ蹴鞠を披露するのも味気なくはないですかお館様」
と瀬名が言ってくる。
「どういうことだ」
「この人結構織田から誘われてるでしょ。でも私にぞっこんだから親方様についてる」
「な、何を言い出す瀬名」
 元康が焦った声を上げた。
「元康には感謝してるよ、まじで」
俺は神妙な口調で言う。

「いっそ、この人に蹴鞠でおお恥かかせてやって欲しいんですよ」
俺は義元の姪だったこの女が策謀好きであったというウィキ情報を思い出す。
「恥かかせてどうなる」
と、俺は得体の知れない興奮を感じながら問うた。
「そしたら、織田に色々期待させられますわよ」
「……なるほど。そういうことか」
俺と元康は同時に声を上げた。
「え、どういうこと」
瑠璃は一人話が見えないようで、皆の顔をうかがっている。
「織田の使者の前で蹴鞠で恥をかかされ私は、親方様を深く恨む」元康は愉快そうに盃を揺らす。
「あんたはぶち切れて、今川の支城をおそい、織田に後詰め(援軍)を頼むのさ」瀬名はペシリと年下の夫の背中を叩いた。

 信長の使者を呼んで蹴鞠で呆けている姿を見せて、信長を油断させるシンプルプランは大幅に加筆修正されることになった。瀬名からもらった名案に俺と元康は感動さえしていた。


「親方様、パスいきますよおー」

 本来運動が嫌いなのに、毬を見ると俺の肉体は球(たま)に触れたくて、戦慄(わなな)きだす。ボールは友達的な禁断症状か? 小姓の蹴った毬が天から降ってくる。俺は華麗なフットワークでフィールドを軽やかに移動した。蹴鞠のルールは三回蹴りだ。

最初の蹴りは他のプレイヤーから受けとる蹴り。
次は自分の技量をアピールする蹴り。
最後は他のプレイヤーに向かってパスする蹴り。

 俺は右足のサイドで小姓からの毬を最小限のバウンドでトラップする。そして二番目のキックで正確無比に自分の頭上に蹴り上げた(四方に植えた約4.5mの樹木の高さまであげないと失格)
そして最後に落下してきた毬を右となりの元康に、回転がかかったくせ球でパスした。元康は必死の形相で受け取ろうとするが、上手くキャッチ出来ない。俺は館の軒下に座って蹴鞠を見学する織田の使者の表情を見ながら、元康に罵声を浴びせた。
「元康、せっかく織田殿の使者が見えられてるのにその体たらくはなんだ」
「申し訳ござらん」
元康が顔を紅潮させて俺に詫びをいれる。
「日頃貴族の猿真似だと抜かして鍛練を怠るからじゃぞ」
「しかし、親方様の毬が尋常じゃない回転が掛かっておるから」
「また、言い訳か。あのような回転誰でも処理できる、見ておれ」
俺はやつの足もとにある毬を拾って、向かい側のもう一人の小姓に蹴ってパスした。
「よき球」
小姓は楽々と胸でトラップしている。他の小姓たちも華麗な技を見せて毬はスムーズに渡っていく。
「ほうれ三河よ」
俺の番になり、めちゃくちゃとりにくく癖毬を元康に放った。無様にそれを避けて尻もちをつく元康を見て、小姓が笑いだし、俺もつられてゲラゲラ笑った。すると元康が叫んだ。

「父親を殺されて、復讐もせず。仇の使者の前で蹴鞠を興じてみせるとは。足利が尽きれば吉良、次に今川と称された誉れの家も命運付きたわ」
何だか奴の真の姿を見た思いで、びびって小便漏れそうになる。
「も、元康。この今川の家を愚弄するか」
俺はやつの迫真の演技に圧倒されながら、かろうじて気力で対抗してみせた。
(これ、元康の本音じゃないよね?)
気を取り直して小姓に目配せさせて毬をパスさせる。
「お館様、いきますぞ」
 俺は華麗なトラッピングで小姓からの毬を胸で受け止め、落ちた毬を力を込めて右足で蹴った。
「蹴鞠が憎いなら、たんとくれてやるわ」
 毬は真っ直ぐ元康の顔面めがけて飛んでいく。自分の蹴鞠史上最高レベルの強打だった。
「お、おのれ」
顔面に毬をまともに受けて、未来の将軍はいじめられっ子のように鼻血を流して俺を睨んでいた。
「氏真この恨み忘れぬぞ」
やつは怒りで、顔面を蒼白にさせて戦慄いていた。アカデミー賞ものの演技だ。そんだけ顔面が痛かったのかもしれない。
「お館様に無礼な」
何も知らない小姓たちが、元康を囲んで奴を咎める。
後方で見物する織田の使者たちは、何事かとぬれ縁から身を乗りだしている。
「もはや、松平と今川とは手切れよ」
 捨て台詞をはいて、元康は肩をいからせて蹴鞠の会場を後にした。
「さても蹴鞠とは恐ろしいもの」
織田の使者たちが呆れた声で語っている。こうして元康の偽装反逆が始まった。それは俺の信長への復讐の第一歩でもあった。

 織田の使者の前で面目を失った元康は、早速領国の三河に戻り兵をあげた。ターゲットは俺の大切な従兄弟である鵜殿氏長。元康は奴の上ノ郷城を火のように攻めて、落城させ彼らを人質に取った。現実の歴史通りに自分の家族(瀬名と子供二人)との人質交換を俺に求めてきた。勿論俺は怒ってみせながらも、その要求にしぶしぶ応じる。それと同時に元康は信長にアプローチを試みる。

 松平の今川への恨みを蹴鞠の会で部下に目撃させた信長は、元康の俺への離反を信じた。しかし、交換された元康の子供のうち男の子(後の信康)はニセモノで、本物は駿府に人質に残ったことを信長は知らない。俺は信長を倒したあかつきには、元康に信長の領国尾張の北半分を譲ることを約束していた。更に俺は元康が京に上洛して、日の本一の鷹狩選手権を開催する全面支援まで確約している。

半年後に俺は元康と三河の国境にある寺で、ひと目を避けて密会する。

元康は相変わらず、戦国の世に千年も生きてきた男のように泰然と寺の茶室で待っていた。俺を見ると慇懃に礼をする。
「信長はどうだい」
 俺は茶をすすりながら、さぐりをいれる。お寺の小僧が煎れてくれた茶は少しぬるめだった。
「頭のいい方ですが、幸い当方を信頼してくれています」
「人質を俺から奪回したから、お前さんを反今川だと思ってるだろうな」
「それで今後の計画はいかに」
元康はいつものように俺に知恵を求めてくる。英雄なんだからもっと自分で考えて欲しいものだが。
「俺の領土を掠めとろうとするそなたにブチ切れて俺は三河を攻める。そなたは信長を誘って今川を迎え撃つ、そして合戦の最中に奴を裏切る、本筋はこうだ」
「信長殿をおびき出すのは、至難の技ですよ」
と、女の声が広間の奥から聞こえてきてぎょっとする。瀬名が、西瓜を盆にのせて姿を表した。格好が若侍風で頭巾を被っている。
「瀬名も来てたのか、あぶねえな」
信長の間者(スパイ)に目撃されたらおしまいだと思って俺が顔をしかめると
「殿の従者のふりをして参りました」
人妻はぺろりとピンク色の舌をだした。
(俺もこういう人妻の色気が分かるようになったなあ、瑠璃ともそろそろ上手くやれるかも)
「親方様ボーッとしてないで信長をどうおびき出すか、考えないと」
瀬名は西瓜の載った盆を俺に寄越しながら、厳しく言った。
「信長は俺を討ち取るチャンスだと知ったら来ないかね?」
俺は西瓜を頬張りつつ、種を吐き出す。この時代の西瓜は甘味が少なくてさほど旨くない。
「妻が言うとおり、信長殿は美濃を攻めることで頭がいっぱいで駿河など気にしている余裕はなかろうかと」
確かに歴史の教科書見ても信長は京を目指して西に勢力を拡大していき、東の防衛は徳川に任せていた。この世界線でもその行動原理は変わらないようだ。
「では斎藤義龍殿に重病を患ってもらいましょう」
 相変わらず瀬名は謀略を考えるときは活き活きしている。女に生まれたのが勿体ないくらいだ。
「ふうむ、それなら信長は元康を支援する余裕も出るか」
俺は瀬名の悪知恵に感心する。
「しかし、それでも信長殿が自ら兵を連れてくる旨味がなかろう。せいぜい一千ほどの援軍を送るのが関の山では」
元康は妻のアイデアの欠陥を不安そうに指摘する。
「そうだよなあ、来てくれないよなあ」
武田信玄が来ても、徳川に三千のやる気のない援軍を送っただけの信長だ。
「殿方二人揃って馬鹿ですか」呆れた声で瀬名が言う。西瓜の種をぶつけてきそうな形相だ。
「何か策はあるかな」
俺たちはビビりつつ、瀬名の答えを待つ。確かに夏の暑さで俺の頭は上手く働いてくれない。
「信長が欲しいものを約束してあげるんですよ」
「信長は美濃を欲しがってるよな」
俺がすかさず言うと
「お館の言うとおりで」と元康が相槌をうつ。
「でしょ。で、美濃を攻略するには何が必要ですか」と瀬名がたたみかける。
「強兵のほまれ高い三河兵の援軍か」
やっと俺は瀬名の意図が分かった。今川を滅ぼすことを信長に手助けさせるかわりに、斎藤義龍の攻略に三河兵が信長を全力で手助けする。そういった約束をすれば、信長も自分で遠江(俺の西部の領国)までやってくるかもしれない。弱い敵である俺を倒すだけで、京へ洛上するまで三河兵を無料レンタル出来るなら、信長のメリットは大きい。

「では、そのように織田と交渉しましょう」
元康は心よく請合ってくれた。大名が二人もいて、結局女の瀬名の方針で動いてしまうのが、悲しくもあり愉快でもあった。

瀬名のプランに従って、俺は斎藤義龍に手紙を書いた。詳しい話を聞かせろってことで早速義龍がわざわざ使者を送ってきてくれた。
「なんですか、この絵は」
斎藤義龍の使者は意外にも高名な竹中半兵衛だった。後に羽柴秀吉の軍師となり、その帷幕で活躍するスーパー有名人だ。
「我が御台(奥さん)が描いた絵ですよ、竹中殿は絵画に興味がおありですかな」

竹中半兵衛が感心して見ているのは、瑠璃が描いた俺の蹴鞠の朝練の様子を描いた絵だった。
「特に興味はござらんが、これは不思議な屏風絵ですな」
信長も驚いた"漫画絵"は、やっぱり誰に見せてもウケるので楽しい。この作品は信長に送ったものとは別に瑠璃が描いてくれた。

「南蛮の絵を真似て、描いたものです」
「ところで、我が殿義龍にわざと大病を患ってみせろという話ですが」
「ああ、そのこと」
 俺の言葉を受けて後に天才軍師と言われる男の顔に、子供っぽい笑顔が浮かぶ。
「織田殿を油断させて、反撃にでるのですか。負け犬の今川様が」
紳士ヅラしてあまりにも強烈な一言で、絶句する。俺は落ち着くために温い茶をすすった。ふう。
「まあ、負け犬なりに策を練っているところだ」
「なかなか勝算がありげですな。……もしや、三河の裏切りは偽装ですかな」
おしっこもれそうになる。やっぱり天才は天才だった。
「何を言われる。元康は父の復讐も出来ぬ我に愛想を尽かしたのだろう」
俺はとっさに言い訳する。
「嘘は申されるな。幸い我が殿、義龍は何もきづいておりませぬ。今川殿の表情では…....」
俺はどう対処すればいいか分からなかった。救いは竹中半兵衛まだが秀吉の家来じゃなく、信長の敵側にいるということ。やりようによっては別の未来が生まれるかもしれない。
「それなら……話が早い。茶室にてじっくり話そうではないか」
「あながち間違った想像でもなかったようですな」
俺は開き直って、半兵衛に真実を語って助言を求めることにした。
高等クイズに正解した子供のように半兵衛は満足そうに笑って立ち上がる。
茶室で俺は天才軍師様に今後のプランを検証してもらうことにした。
「三河殿がいきなり織田殿の遠江への出馬を要請するのは、無理がありましょう」
「では元康は何度かは織田と美濃攻めをすべきだというのだな」
 偽装同盟も大変だと、俺は元康が気の毒になる。
「当たり前です。そうしないとあの信長に心から信頼されないでしょう」
半兵衛ははっきりとプランの弱点をついてくる。瀬名のアイデアは悪くはなかったが、プロの軍師に戦略修正してもらえるのは有り難い。
「しかし、それは岐阜殿に迷惑であろう。織田松平連合軍が攻め寄せてくるというのは」
「そのつど、今川様が三河や清洲に兵を出して牽制してくれれば織田もすぐ撤収するでしょう」
 確かに信長はどっちみち美濃が欲しいから、俺が何をしようと攻めるだろう。義龍にとっても織田は天敵なのだ。
「なるほど、そうやって元康は信長の信頼を得て信長を騙せるということか」
「まあ、そういうことですが……」
半兵衛は言葉を濁す。
「信長を殺すのが反対なのか」
「そ、そうですな。あれは、なかなかの英雄かもしれませぬ。殺すには惜しい」
「父の仇なのだ」
俺は断固とした口調で言った。
「確かにそうでしょうが」
半兵衛は焦らすように茶碗をゆっくり持ち上げた。
「何が言いたいのだ」
「今川様にはもっと気をつけるべき敵がいるのではないかと思いまして」
「織田以外に敵? ええっと」
「甲斐の武田です」
俺はすっかり忘れていた。氏真を駿河の国から追い払ったのが信長でも家康でもなく、武田信玄だったことに。しかし、武田を叩くのは信長を倒した後にしよう。それくらいの時間はある筈だ。

 
木下藤吉郎が出世の足がかりにした墨俣一夜城の成功に気を良くした信長は、積極的に美濃に侵攻していった。信長の信頼を得るために元康は何度か500ほどの三河兵を美濃攻めに提供した。半兵衛の知恵は流石で、信長の元康への信頼は自然に高まっていった。

俺がいた世界では、信長は幾多の困難を克服して美濃を攻略して、その強兵を用いて天下布武に乗り出す。しかし、この世界線ではそうはならなかった。言うまでもなく、松平元康が我が今川サイドについたからだ。しかも、斎藤氏は今川と同盟関係にある。愚かにも信長は今川、松平氏、斎藤氏という3つの敵を同時に相手していたことになる。

「まずは我が殿義龍様が、病となることで織田兵を誘い込みましょう」

義龍の使者である半兵衛は作戦の概要を駿府に再びやってきて説明してくれた。信長が美濃攻略を本格化したのは、義龍の死がきっかけだった。俺は駿府一の名医を派遣して、奴が長生きできるよう徹底的にアドバイスさせた。義龍は太り気味で、高血圧の体質であることが判明したので、酒を減らさせ、運動と野菜を積極的に取らせてダイエットさせた。これで信長の成功因子の一つを消したことになる。

「織田は当然好機として兵を北に向けるよな」
「そこで松平と今川は同時に尾張に攻め込んでもらいましょう」
「織田の留守居役は誰になろうな」
「宿老の柴田か、丹羽でしょうな、兵は三千ほど清洲に残していくことでしょう」
「勝負の鍵はいかに今川兵を目立たず三河に送り込むかか」
「その通りです。三河兵単独では無理でしょうから」

夜になって酒を飲みながら俺は瑠璃に、兵の輸送問題について話してみた。相談というか、愚痴みたいなもんだ。

「先生、悩み事だらけですねえ」
瑠璃の美貌にもだいぶ慣れて、俺は瑠璃とキスしたりハグ出来るようになっていた。しかし、エッチは最後までしたことない。何故なら俺は転生するまで素人童貞だったからだ。でも、そろそろ瑠璃とエッチしたいとは思っている。キスするともっとすごいことしたくなるというもんだ。

「先生、本当に信長さん殺しちゃうんですか」
「俺はしたくないけど、家臣まとめるには必要なのよ」
俺は暗い気持ちで話した。
「でも、可哀想じゃないですか」
 瑠璃は歴史の教科書の信長のイケメン顔を思い出しているかもしれない。
「まあ、信長は近江に逃げるんじゃないかな。浅井氏は同盟国だから」
「妹さんが嫁いでるんでしたよね」
「そういうこと」
「ところで、どうやって今川のサムライを三河に送るか悩んでるんすよね」
 瑠璃は切れ長の瞳を見開いて言った。
「多分織田からのスパイがいるからな、こっちから人が移動したらバレちまう」
「元康さんも信長にしっかり見張られてるんですねえ」
「じゃあ、奇跡を演出すればいいんですね」

瑠璃はにっこり笑った。翌日から屏風に高僧の奇跡を伝える絵を作り出した。目が見えない人や歩けなかった人が歩けるようになる絵を油絵でものすごくリアルに描いて今川と松平の領国に配った。戦乱で人々の心は、自分たちの惨めな生を癒やしてくれる奇跡に餓えていたんだろう。奇跡の聖人は、戦乱で傷ついた人々に説法するために三河に現れるという噂を流させて、俺は兵士たちに庶民のふりをして一人ずつ旅をさせた。

三河と今川の連合軍二万五千が国境を超えたのは永禄七年五月十九日。義元おとんの四年目の命日だった。率いる軍勢もおとんが桶狭間に率いていった同数だった。

瑠璃は悲しそうに言う。戦国の世なんだからそれはしょうがない。同盟国だっていつ裏切るか知れたもんじゃない。

「有名人のコンサートとかあれば、人が動いても自然ですよね」
瑠璃は駿河湾で採れたカレイの干物を箸でほじってる。海が汚れてないせいか、魚介類はこっちのほうが美味い。肉が食えないのもだいぶ慣れてきた。

「この世界で一般の人が集まる影響力ある人って誰かいますか」
「偉い坊さんとかだろうなあ」
 俺は手酌で盃を傾けつつ答える。日本酒も癖があるが悪くない味だ。
「じゃあ、三河にお坊さんを連れていけばいいではないですか?」
「うむ、でも一人の坊さんの為に二万もの人が移動するのは不自然だぜ」
「じゃあ、奇跡が起きればいいんですね」

瑠璃はにっ翌日から屏風に高僧の奇跡を伝える絵を作り出した。目が見えない人や歩けなかった人が歩けるようになる絵を油絵でものすごくリアルに描いて今川と松平の領国に配った。戦乱で人々の心は、自分たちの惨めな生を癒やしてくれる奇跡に餓えていたんだろう。奇跡の聖人は、戦乱で傷ついた人々に説法するために三河に現れるという噂を流させて、俺は兵士たちに庶民のふりをして一人ずつ旅をさせた。

三河と今川の連合軍二万五千が国境を超えたのは永禄七年五月十九日。義元おとんの四年目の命日だった。率いる軍勢もおとんが桶狭間に率いていった同数だった。

「ついに氏真殿の復讐戦が始まりますな」
「元康殿、ボンクラの俺に味方してくれて有難う」
俺は元康の手を握って心から感謝した。
「今川殿は人可愛げがある。さあ、織田殿に一泡ふかせましょうぞ」
元康は力強く言ってくれた。
「まずは清洲城を落としましょうぞ」

転生したらザネ(氏真)ってた

執筆の狙い

作者 茅場義彦
133.106.189.97

あけましてええええおめでとうございまするうううう

コメント

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

途中で間違えて一人称僕にしてもうた

青井水脈
om126208244215.22.openmobile.ne.jp

あけましておめでとうございます、読ませて頂きました。主人公と瑠璃の今後が気になるところです。絵を描いてウケるシーンが印象的でした。

>松平元康、後の徳川家康であっる......

日本史の授業の記憶は最早曖昧ですが、こちらは興味深く知識がスッと入ってきました。

茅場義彦
133.106.148.237

青井さん 読んでくれてありがとっす

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

私も戦国時代には興味があるのですが、茅場さんはとても詳しいなあと感心しました。
たくさん読んでいらっしゃるんでしょうか?
自分も戦国時代の小説を書きたいなと思っていたのですが、
もっと勉強してから書かないと、恥をかくなって思いました。
茅場さんを目標にして、私も戦国時代に詳しくなれたら素敵だなって思います。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

戦国も春秋戦国もハプスブルク家 ロマノフ王朝も好きです

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

すごい。
そんなに範囲が広いの。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

好きなだけって ことだよおおおおおn

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

才能もビンビン感じるよ

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

タイトルにセンスを感じた

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

そう言ってくれるのは鴨ちゃんpくらいdね

ルイ・ミモカ
i118-16-247-88.s42.a014.ap.plala.or.jp

ほんと? ありがとう。

甘酒
softbank126241209202.bbtec.net

僕は歴史に詳しいというほどではないけど、戦国時代は好きです。そんな僕が知ってる限りでは、歴史的な間違いはなかったと思います。一色家というのは、太平記に出てくる、あの一色家ですよね。大河の太平記は全部見てます。三回くらい見ました。ひょっとしたら四回見てるかも。
作品は軽い調子で面白かったです。読むのに苦にならなかったので文章も上手だと思います。アニメとかで売れるんじゃなかろうか? マジで。

茅場義彦
133.106.182.29

甘酒さん

あっしも太平記大好きでづわ

読んでくれてありがと。。人気ないんで ここじゃ。。。

青木 航
sp1-66-100-106.msc.spmode.ne.jp

 茅場様、拝読しました。
 うーん、実は私も最初悩んだんですよね。その時代には、その時代の現代語で喋っていた訳だから、現代語でいいんじゃないかったね。
 私、時代劇っぽく書いてますけど、あれ殆ど江戸時代劇以降の喋り方で、実際、平安時代にはどんな喋り方していたのか分からない訳ですからね。
 確かに、書かれたものは沢山残ってますが、昔であればあるほど書き言葉と話し言葉は違ったと思います。録音でも無い限り分かりません。
 歌会始めみたいな間延びしたしゃべり方だったとも思えませんしね。
 
 そんな訳で、現代語アリアリだとは思ったんですが、私には上手く書けません。設定が難しいのと、有り得ない話が入って来てしまうところですかね。

 一人称、『俺』だと思うんですが、一ヶ所『僕』が入ってますね。

 蛇足ですいませんが、元油商人だったのは道三の父と言う説が最近強いようですね。岐阜県史には松波庄五郎と道三は別人と記載されたようです。

 氏真と瑠璃の関係辺りになると、ちょっと着いて行けなくなって、感想になっておらず、ごめんなさい。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

青木さん イヤイヤでも冒頭読んでくれてどうもです。無理をさせて面目ない。今後は無理せずスルーでいいっすよ

私も人の歴史ラノベは絶対読みません

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

道三の父説知ってます。早雲も室町の高給官僚だったみたいだし 新事実でてきて楽しいよね

青木 航
sp49-98-144-126.msd.spmode.ne.jp

 ご存知かなとは思ったんですが、知ったかぶりっぽくすいませんでした。

南風
softbank060091003055.bbtec.net

茅場義彦様
拝読いたしました。
戦国時代の物語を現代の言葉でリメイクする、その発想が素晴しいと思います。時代物だから従来ある雰囲気で書く必要もなく、このような文章でもいいなあと思いました。ただ、これは私の好みですが、もう少しファンタジー的な場面もあった方が良かったのではと思いました。楽しく読ませていただきました。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

南風さん フォロワー多いっすね ファンタジー要素って具体的にどんな要りますか? 読んでクレテおおきに

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内