作家でごはん!鍛練場
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人間未満

 俺の計画は高層タワマンから飛び降りることだった。

 念頭にあったのは、どのように飛び降りるかということだった。する、しない、ではなく、できる、できない、でもなく。頭から突っ込んで、そのまま地面にぶつかり、脳骸骨が粉々になるように落下したかった。
 しかしいざ、その場に立つと、そんなことはどうでもよくなった。ひたすら怖いのだ。怖いと感じられるくらいには、まだ自分に精神的な余裕がたっぷりあったということだ。それでも慄く身体を少しずつ前に進めることを強いた。
 いまさらもう後には引けなかった。窓を隔てた、すぐ近くに不動産会社の案内人の影が見えている。真っ青な顔でいることだろう。俺に残された時間はわずか。やらなければいけない、という声だけに背中を押されて、一歩一歩と前へ進んでいった。
 学生の頃、飛び込みジャンプを少しやった経験がある。あの頃、高いところからジャンプするのなんか、ぜんぜん怖くなかった。あの頃に戻れたらいいな、と、どうしてか思えた。そんないい学生時代じゃなかったはずなのに。
 身体を支える足が、もうあと十センチというところまで進んだ。ふと、晴れ渡ったいい天気だと思えて、富士山が拝められるかな、とそんなことが頭をよぎった。余計なことだった。
 邪念……。
 でも、それは俺のせいじゃない。晴天のせいだ。
 いや、いつもいつも頭の中で、何かを考えずにいられない俺が悪いのか。

 ……こびりつく思考のせいだ。

 それから、俺はあちら側にいく岐路に足を踏み入れた。跨いだ。

うぉぉぉぉーーーーーーと、叫んでいた。

 海側からの意外に強く吹く風が、首元のネクタイを舞い上がらせた。それで不覚にも足を滑らせてしまい、縁に尻が当たって、俺の身体はタワマンから離れてしまった。
 これ以上ないくらい滑稽な姿であったに違いない。スーパーマリオが無残に落っこちるみたいに。せめて死に際くらい、思うようにやってみたかったというのに、それすらかなわなかったらしい。
 落ちるまでの時間はどれくらいあったか。五秒、あるいはもっと短い、いやもう少しあっただろうか。とにかく人生の最後を惜しいと思う瞬間さえないのは、たしかだった。

 落下する中で、少しだけ光に近づいていったのかもしれない。

 足が離れ、宙に浮き、やがて自分の体重プラス、重力、加速度、と。物理法則の真っ只中に俺はいたはずだ。ほんの一瞬でも、何かが頭をよぎったことがあったのだろうか。地球にいるときの一切の制約の縛りを自らほどいて、人間ではない他の生き物、例えば鳥とかに近づいていっているような感覚だったといえるかもしれない。
 落下してゆく中で、周囲に当たり前のように映っていたはずの、空に浮かぶ高層ビルの輪郭やら、縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路だったり、見慣れているはずの車のサイズが豆粒のようだった。ゴジラの視野にいたのだろう。
 自分の体重の倍、何十倍とスピードが加算するにつれて、あらゆる感覚という感覚が麻痺していったのだろうか。光のスピードに近づくと、その先にあるのは、静謐さというか、無というか、妙な静けさの中に辿り着いた。
 諸々の法則というものに夥しく、がんじがらめになるという体験をすると、すべての感覚を超越してしまうのか。子供のころ観た、スーパーサイヤ人に変身するプロセスを踏んだというか、なんというか。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 俺はどうやら別世界にたどり着いたようだった。
 ここは黄泉の国かもしれない、と思った。あるいは夢の中なのかもしれない、とも。でもどっちでもよかった。言えるのは、もしここが黄泉の世界だったとしたら、黄泉の世界ということをすぐには悟りたくなかったし、もし夢の中であったなら、夢だと感づきたくなかった。夢オチならば、そのカラクリを知らされない方が、よほどマシだと思えた。
 むろん、それは俺がまだ人間であるという前提のことであろうが。
 俺はいったい誰なんだろう、という問いが浮かぶが、もちろんわからない。そもそも記憶がやけに曖昧で、そんなことすらまだよく自分で掴めてすらいない。
 あるいは、誰ではなくて、何か、と問うべきか?
 というような怪しい疑問はおいておき、周囲に浮かぶ景色を頼りにしてみることにした。見えてくるものは黄色い光に包まれた世界。太陽の眩しさではない。何かのフィルター越しのような世界が見えているのだ。
 信号機の灯りだけがやけに目立ってばかりの、誰もいない交差点だったり、アパートなどの建物にはところどころ灯りがついてはいても、そこに人影が一向に見えない。眩いばかりのコンビニがポツリと立っているのに、棚という棚がみごとに空っぽだったりする。
 人が住むために必要な店だったり、マンションだったり、道路が通っている。でも、肝心な人が一人もいない。しばらくたっても、人間の影すら、車の一台すら通っていないことに気がつく。
 俺は、いってもいっても空虚なばかりの街の佇まいに違和感を覚えて、どんどんと突っ走ってゆき、駆け抜ける。空を飛んでいるようにも思えた。

 そうやって無人の街の中を一人で彷徨っていた。この街はかつて俺が住んでいた街でもあったはずだ。そんな気がする。でも、人っ子ひとりいない。空気がセピア色に変色した世界。この世界がまったく別の惑星にいるような感じさえした。
 場所をぐるぐると回ってみても、見覚えがある場所らしいというのはわかるけれど、それがどこかはわからない。地名が書いてあるはずだが、電信柱はのっぺらぼうであり、番地の一つも書いてない。道路にも何々通りだとか書いてあるはずだし、信号機にも記されてあるものがまったくない。とても奇妙な感じだった。
 時計を探してみる。ビルのてっぺんなどに会社名と時刻が表示されているのを見る。十一時五分を差している。でも、他のを見ると違う時刻だったりする。俺はまた歩き出した。手がかりになるようなものを求めて。数字はデタラメだし、文字は書いてあることはわかるものの、輪郭がぼやけていて文字としての体をなしていない。
 俺は自分の身体を触ってみる。確かに腕はある。いや腕という形があっても、別の手で握ろうと思ってみても、ぐにゃとなるだけだ。すっぽ抜けるわけではないが、皮膚という感触はどこにもなかった。そもそもひねるということすらできなかった。ひねることができれば、痛いという感触もあることが確かめられるのに。
 服装はTシャツとジーンズという格好だし、それが飛び降りる前にしていた格好なのは間違いない。でも、なんか服を着ているという感触がない。俺は近くに大きなガラス扉があり、その前で自分の姿を映し出してみた。

 ガラス扉には何も映っていなかった。

 俺はついに霊になったか、と思った。なんだ、もし俺が本当に霊になったのだとしても、案外霊でいるのは悪くないな、と思ったりもする。なんか、透明人間に近い感じだろうか。
 もし透明人間だったとしたら、いろんなイタズラもできるだろうし、とんでもないことだってできる。でも、ここには人間がいない。それが問題だ。
 例えば、ブティックなどの着替え室にでもはびりついていれば、きれいな女たちの裸がいくらでも覗き放題になる。でも、そういう願望というのは、あまりに人間的すぎるんだよな、というふうに今の俺には思えたりする。
 俺は、たぶんだけど、もう人間じゃあないはずなんだ。そんな気がしてならない。だったら人間的な欲望も持ち合わせていない、ということなのか。
 じゃあ、俺はなんなんだろう。
 けれど、そんなことは人間であったときにさんざん考えてきたじゃないだろうか。少しだけ思い出したような気がする。たぶん、俺は自分がどうしようもない人間だった。自分自身のことについて悩んでいたのかもしれない。俺はなんなんだろうと、いつも考えて時間を無駄に過ごしてきたような気がしてしかたない。
 そんなすべてがアホらしい、と、人間ではない今でなら、いうことができるのではないか。

 俺は自由なのだ。飛ぶことだってできる。嘘じゃない。

 さすがにスーパーサイヤ人ではないだろう。生身の身体じゃないはずだ。魂か霊だか何だかんだになって、そう時間がたっていないはずだが、それでも自分の身体の身軽さには慣れてきたように思える。少しくらいなら飛ぶことができるのだ。いちいち歩いてゆくこともない。飛んだ。
 飛んでいると身体の重さが感じられない。重力から解放されたような気がする。そう、俺は何かから解放された身なのだ、と感じられる。
 この新しい身体、と厳密には言えないのだろうが、ともかく俺は自分の新しい身体がとても気に入っていた。自由だと感じられる。自由。というか、縛られているものがすごく少なく感じられる。
 そうだ。けれど、自由に何かができるとしても、ここにはしたいことが何にもないような気がした。何もないし、誰もいない。欲さえない。それでは意味がないな。
 だから、寝ることにした。あたりを見回し、ビルの入り口あたりで身体を丸めた。どうせ誰もいないわけだし、どこで寝ようが勝手だとは思ったが、たぶん人間だったときの考えの癖がまだ残っているのだろう。
 俺は寝た。目を閉じて。それから、また目を開ける。三分くらいしか目をつぶっていたような気もするし、軽く三十時間くらいは寝ていたような感じでもある。寝すぎたとか、寝不足とか、そんな感覚ではない。あくびのひとつさえ出ないのだから、寝たという感じがしないのは当たり前か。
 相変わらずのセピア色で世界が覆われている。空のようなものはあっても、幕がひとつあって遮られている感じがする。太陽とか、月とか、雲とか、そんな当たり前だったものさえ、どこにもない。いや、形はあるのだろうが、なんか違うのだ。
 ちくしょうめが。俺はそんな気分になってくる。何一つ、この地球が動いていて、生きているという兆候が何もないように感んじられてしまう。

 俺はただここにいる。でも、それだけで十分なのではないのか?

 あーあ、と口にする。また考えすぎたのかもしれない。
 俺は周囲の同じような建物ばかりの間を、飛んだり、歩いたりしていた。ビルを抜け、道路に沿って移動し、住宅地をグルグル回る。誰もいない公園が見える。それから、抜けてゆくと、また同じようなビルばかりが立ち並ぶ場所にくる。それから住宅地を抜け公園へと出る。
 ぐるぐると同じような場所を回っているような気がしてきた。
 また余計なことを考えてしまいそうなので、もう一度寝ることにした。
 人間じゃないはずだから、もう考えなくてもいいはずなのに、と思いながら、俺は公園のベンチで横になって寝ていた。

 誰もいない公園。
 砂場があり、小さな池がある。散歩道があり、緑もある。でも、砂場があっても小さい子供はいないし、小さな池があってもそこに生きているものが皆無だし、散歩道があってもそこを歩く人の姿はどこにもない。
 大きな公園で、木々があちこちとあり、都会のオアシスみたいだけれど、実際のところは、空虚で無意味な空間が広がり、木々には生命力のかけらも感じられず、都会のオアシスどころか、都会の墓場みたいにしーんと静まり返っている。

 俺は何をこんなにも寂しがっているんだろう? こんなものになってなお、まだ何かを求めているのだろうか?
 
「お前は着いたばかりなのか?」という誰かの声がした。

 その声は少なくとも俺のことが見えている。声をかけてきたその誰かは、 俺を認識することができている。俺はその声の主にすがりたい一心で、顔をそいつの方へ向けた。

 目を開けると、そいつは俺を凝視していた。
 フサフサで風に揺れているような短い髪の毛、ボロ布に包まれた汚らしい服、そこから出た短い手は、とても小さい。しかも、ちゃんと五本あり、ふっくらとしている。
 そいつは、ベンチに転がった俺の視線と同じくらいの丈しかない。
 子供だった。
 背丈からすると六、七歳くらいだろうか。
 しかし、俺はまだ焦点が定まらない目をこすって、目の前にいる子供の顔を見て、ひっくり返りそうになった。
 たしかに背丈と体型は、幼い子供だった。
 でも、顔は何重にも及ぶ皺に覆われ、消えかけのような瞳もだぶついた皮膚に埋もれているし、およそ子供とは似ても似つかないゴツゴツとした肌触りに見える。
 子供の体型をした老人というべきものだった。
「こんなところで何をしている?」と、そいつが聞いた。
「何って、見りゃあわかるだろ、寝てたんだ。そういうお前は誰だよ」
「私の声がよく聞こえるようだな。ふむ、そうか。初めて見かける顔だな。私の名はグルじゃ」
「グルだって、はっ」
「お前、どこから来た?」
「どこって言われてもよ、ほら、あそこだ。あそこ」
 と、俺は上を向いて、周囲に聳え立っている一番高いビルのてっぺんを指した。
「俺はよ、自殺したんだよ、自殺」
 と、自分で口にしておきながら、そんなふうな記憶がどこから出てくるのか不思議だった。さっきまで名前さえわからなかったというのに。
 まるで湧いてくるように、いや、何かに感応して、記憶が引き出されているような感じだ。
「あんたには見えるかい? 自分がなぜ死を選んだのか。以前はどういう環境にいて、引き金を引いたものは何だったのか? そこまでちゃんと」
 俺のすぐそばにいる老人の顔をした子供の目を睨めつけていた。そこに表情というものはなく、あるのはただ吸い込まれてゆくような乾いた瞳の輝きだけがあった。
 だからなのだろうか。幼子と老人という矛盾した時間の経過が、一つの体に共存している。その矛盾したグルという存在を見ているだけで、こっちまで頭がおかしくなってきそうだ。
 グルの問いかけに答えようとする俺がいる。しかし、深い記憶は遮断されたままで、いっこうに欲っしている答えを引き出してはくれなかった。

 そうやって俺は呆然としていた。そして、考えることをやめた。
 言葉が浮遊した。ちりのように、宙にふわふわしている。

 ……思考とは磁石なり。吸着面の広さが強さとなる。極の力によって二つの異なった力を持ち、磁石同士が引き合う力なり。吸収力は強くて、一度吸い付いたら離れない。思考こそが、人間を縛っているもの。一度ついたら離れることができない。世の中での引き合う、ありとあらゆるものを探し出す力の源……。

 ……言葉は、黒い芯となった。
 あるのは、ただのガスの塊のようなもの。目には見えても、触ることはできない。真っ黒で、ただの真っ黒。意味などない。ただそこにあるだけ。そこにいるだけ。塵のようになって、セピア色の宙に消えてゆく。

 ……ただ、そこに。

 俺はグルの瞳を見る。無垢に包まれた老境なる光。俺はそこに引き込まれてゆく。

 さらなる思考の放出へと。

「……俺がこれまでに一生懸命やってきたこと。仕事もそれなりにやったさ。でも、だからってどうなる。仕事をするのは報酬のためだ。でも、あれだけ働いても貰えるのは、たかが知れている。悔しいから、もっと働いて、働いて、身体に鞭打って、寝るのも惜しまずに働き、人が嫌がる仕事を率先してやり、唾を吐きかけたいやつの機嫌をとり、仕事をとる。成果が出たと喜ぶ。これで小憎い上司にも認めてもらえると思いきや、向こうは当たり前の顔をして、もっともっとと要求してくる。そうして、そうやつに限って、俺のやったことをさも自分の手柄のように見せかけ、状況が悪い方へと傾けたり、何か損失が出たりすれば、やってもいないようなことまで、こちらの手違いとミスだと仕向けて、そう思わせる術に長けている。自分が根性や忠誠心とかいう古い価値観に縛られていることも知らずに、ぬけぬけと報酬型だの、自己責任だの、自分だけのスペシャリティを持てだの、どっかのビジネス本をそのまんま借りてきたことばかりを抜かす。空虚な言葉。矛盾した理論。そこにあるのは労働という名の搾取であり、資本主義の皮を被った奴隷制度であり、そこに待っているのは永遠と続くラットレースでしかない。頑張れば頑張るほど、自らで、どんどんとその輪の中に入ってゆくだけ。俺は何もかもが嫌になってたんだ。仕事で成功して何が得られる? もらった金で家買ってしまえばもう一生出口はなし。いくら給料を入れようとも、女には欲の底というものがない。子供の可愛さって何だ。いればゴミ扱いされ、いなければいないで、気がついてもくれない。外へ出かければ、俺は財布の役割でしかない。愛って何だ? へっ、幸せって何だ? そもそもそんな形のないものばかり願っているから、人は路頭に迷い込んでしまうんだ。気がついたら、愛とは、ただの欲望の塊でしかなく、幸せとは利己主義の向かう形でしかない。その程度なんだ。実態なんてないものにどうしてここまでこだわるんだ。すべてのものには裏と表がある。あることがらには法則というものが作用している。手にしようとすればするほど、それは逃げてゆくだけ。踏ん張れば踏ん張るほど、沈んでゆくだけ。願えば願うほど、遠くへゆく。生きたい、愛したい、幸せになりたいと思えば思うほど、近くにあったものでさえ、自分の手で払いのけてしまい、手の届かないところへと、自ら追いやってしまうんだ。それに気がつきもしない。残るものは、無価値と、くだらないという言葉ばかり。がんじがらめになって、すべてのことに嫌気が差してくる。くだらねえ。どうしようもねえ。面白くね。くそっくらえ。どいつもこいつも。くだらねえ。くだらねえ」

 俺の頭は割れるように痛かった。ひたすらガンガンと割れるような痛みが繰り返させる。
 この場所にきて、頭痛というものに初めて襲われた。
 痛み。
 そんなものが今の俺にある、それがわかっただけでも、何だか不思議な気分になる。
 俺はその場に膝まづいた。立っていられないほどだったから。

 「ワッハハハハハハハハッハハハハッハハ」

 グルの笑い声が鳴り響く。

「なかなかのものを溜め込んでおるようじゃな。詰まっとる、詰まっとるのう」

 グルは嬉々とした声を発した。子供のはしゃぐのと、いい年をした老人がはしゃぐのはどこか似ている。それは引き寄せられるような笑い。芯から発せられる振動のような笑い声。
 すべてが色褪せて見える、誰も、何もない世界において、グルの存在だけは唯一、掴みどころがあるものであるように見える。グルは人間か、そうではないのか。有機物か、無機物なのか。
 
「お前は相当なものを、あの高いビルから落ちるときに持ってきたようじゃな。まあ、そもそも自分の思考にがんじがらめになって、身動き取れないくらいにならないと、あんなところから飛び降りようなんて普通は思わないものな。ところで、お前、名前は? って、来たばっかのやつに聞いてもわかるわけねえよなぁ。あ、でもそういや、お前自分で言ってなかったっけ。ほら、シンとかだったろ?」
「俺の名前? シン?」
「まあ、ピントこないのもムリねえはな」
「なあ、グル。どうして俺は記憶がないんだ? ぼんやりとはわかるかもしれないけど、ほとんど覚えてないんだ。俺が誰で、何をしてきて、どうしてここにいるのかが?」
「ふーむ、まだまだお前は引きずっておるな。わしがどうしてお前を見つけられたと思うのじゃい? よいか、ここは人間の世界とは違うのだ。そうしてシン、お前のようにこちらの世界に来ておきながら、まだ人間であったときのことが忘れられず、カルマに引きずられながら、この世界で彷徨っておる。いいか、シンよ、『プーロ』になれ。過去を断ち切り、カルマを寄せつけるな。でなければこの世界には居場所などない。こちらの世界へ来てまで、現実世界にはない居場所を求めてるのか、それとも人間だったときの鎖を断ち切るか」

 グルは赤ん坊だけが持つ無垢としたオーラを放ち、長く生きた人間の老人だけが手にすることのできる含蓄ある言葉を吐いた。

 「『プーロ』になるには、捨てねばならぬ。所有は貧なり。現在のみに生きよ。有にしがみつかずに、無に頼れ。シンよ、お前はまだプーロには程遠いことがわかったろ。お前の口から吐き出された言葉の数々。あれが証拠じゃ。プーロとはそれと対極に位置するものじゃ。それを覚えておくがよい」

 このグルの目がいけないのだろうか。
 覗き込んでいるだけで、俺はそこにある別の自動巻き時計による、歯車によって時計が巻き上げられるように感じる。別の時計ということは、異なる時間の経過を指していて、当然ながら、異なる世界が存在しているわけだ。そんな気がする。
 今、俺の目に写っているのは、以前と同じ世界に似てはいても、ここはほとんど地球外にあるそっくりな惑星みたいだ。家々が建っている。しかし、手の届くところにはなく、遥か何光年も隔てた彼方にあるような気がする。
 アスファルトが真っ直ぐに続いていて、白い中央線が伸びていて、三色の信号機がある。それらには何の意味もなく、海底に沈んだ船のようでもある、というような。
 俺は、鏡を見てもそこに映らなかったし、俺の目で自分の身体を見ても、ジーンズとスニーカーを履いていたとしても、果たして本当に、足というものがあるのかさえよくわからない。たとえ、ジーンズの下から生身の足が覗いていたとしても、その皮膚の下には果たして血が通っていて、骨があるのかさえ、定かではない、そんな感じ。

 ……思考は巡る。ぐるぐると。

「あら、またここへ新しい人が来たのね。そんでもって、グルと会うことができただなんて、あなた、幸せものね」

 声がした。別の声だ。俺は反射的にそちらへ顔を向けた。
 地面から少し浮いたところで立った格好でいる。だからなのだろうか、そいつはかなり背が高い。俺より背が高い。宇宙服みたいな白い服に身を纏っていて、身体の線がぴったりとしている。とても細い身体をしている。いや、細いなんてもんじゃない。
  肉がない。身体の内部が浮き出ているみたいだ。
  若い女。二十歳くらいか。
  拒食症なのだろうか。

「プーロとはね、この世界におけるわたしたちの一つの在り方なのよ」
「在り方っていっても、俺にはそもそもここがどういう世界なのかもまだわかってないし」と、俺は言った。
「わたしたちはね、現在によって生かされているのよ。ただ、それだけなの。過去でもなく未来でもない。でも、人間の世はそうじゃなかったでしょ、覚えている? そんな当たり前のことさえ、誰も気がつかないでいた。あっちの世界で人間が動かされているものは、思考、欲望、そんなものね。現在という時制はやたらと無視されがちで、ただのプロセスだとしか見なされない。シンプルすぎるのかもしれないわ。過去は美化されすぎるし、未来には過度な期待ばかりする。絶望的なほどにプーロとはかけ離れたものが人間という存在なのよ」

「人間がな、人間として誤った道を歩み始めたのが、『思考』を持ち始めてからじゃ。パスカルの考える葦というやつじゃな。それを土台にした構築してきたことが間違いの根本なのじゃ。それが人間の歪んだ未来へのベクトルとなってしまった。呪いじゃ。よいか、未来などない。理想などない。未来だと思っているものとは、単に過去の積み重ねでしかない。一歩一歩の階段が続いてゆくだけなのじゃ。行く先を無理に知らなくても、辿ってゆけるだろ。未来など思い描くから、先に進め無くなってしまうというのに。人類は未来へ希望を託しすぎなのじゃ。未来を向きすぎているから、過去もまた気になってしまう」

 俺はただきょとんとして、老人の顔をした幼子と拒食症みたいな女の顔を、交互に見やっていた。こいつらのわけのわからない議論なんぞ、あまり興味はなかった。プーロが何だ。偉そうにそんなことを語るけれど、俺はどうしようもなく新参者だし、この世界で生きるということが何もわかってはいない。
 理想が何だ。なりたい自分。頑張ること。そんなものはとっくに、どこかの遠い世界で、誰かに入れ知恵されて、さんざんやってきたばかりではなかったのか。今は俺のやってきたことが、うっすらと見えてきている。過去の俺がどうだったか。人間だったときの俺は、どうやって人生を無駄なものばかりに使い、いつも真実から目を背けてきたのか、が。

 たぶん会社というところに勤めていたはずだ。だいたいこの国ではほとんどがサラリーマンだというし、俺だってその中の一人だった。死ぬ前のことはよく思い出せないが、それでも覚えている感触みたいなものはあった。
 会社のためとか、頑張れとか、そういう実態のないものに散々、追いかけ回されてきたような気がする。俺は生き詰まっていたのだろうか。だから、自殺を選んでしまったのか。

「思考、思い込み、固定観念、道徳、教え、教育。そんなもの、人間の世界では大層大事に扱われていたけど、こちらの世界では正反対なのよ。それらのものは、たんに、人間を自由に操るための手段でしかないのに。刷り込んだ思考というものは、こびりついて、離れにくく、扱う側にとっては、思い込みに駆られた人間ほど扱いやすく、支配するのに好都合なことはないのに。そういうのを、誰も気がつかないし、気がつきたくもない、ってわけよね。白人主義に拍車をかけて、裏での真の歴史における悲劇の一つが、コロンボの新大陸発見じゃ。あれが白人の優越主義を増長して、世界は西洋社会一辺倒に傾いてしまい、その反動として現在の欧米各国に移民逆輸入を招いた。つまり、今日における人種間の抗争の源になってしもうた。世がグローバルになろうが何だろうが、根っこは変わっておらん。つまりは白人たちの傲慢な思い込みのおかげってわけだ。思い込みってのは、凄まじいエネルギーを孕んでおるのじゃよ」

 ルイは腕を組んで、ツンとした目をしていた。その細い身体を見る。アンバランス。背は高めなのだろうが、身体の各部位はか細い。腕も握れば折れそうなくらいだし、手足が身体と比べてやたら長い。それはどこか蟹とか、昆虫とか、そういうものの身体を思い起こさせる。

「あ、おねえさん、すごく身体細くてさ、モデルみたいな体型じゃない。すごくセクシー」

 グルの言葉がやけに人間っぽく感じられた。説教みたいに。だからなのか俺は反動として、ルイに、わけわからない言葉を発していた。俺はもしかしたら、そういうことを人間だったときに、よくいっていたのだろうか。そういう軽いタイプだったのか。

「え、な、なんていった? わたしがセクシーだって?」
「そう。いい身体だ、っていったんだよ。痩せていてセクシーだってさ」
「わたし、痩せている? そういったの?」
「そんなの一目瞭然じゃないか」

「ワッハハハハハハハハッハハハハッハハ」

 グルの笑い声が鳴り響く。

 ルイはさっきまでのお高く止まっていた格好が崩れて、狼狽を見せていた。

「ルイよ、お前もまだまだじゃの。しばらく姿を見ないと思ったら、その間にまたこんなにも『思考』を溜め込んでいたとはのう。また吐き出してみるか、え。シンのような新参者だからこそ、痩せているなどということが聞けたんじゃ。ワハハハハ」

「わたし未だに溜め込んでいるのかしら。ここにきてもうけっこう日数がたっているはずなのに」
「『思考』はたえず吐き出しておかないと、溜まってゆくものなんじゃよ」
「まだカルマが廻っているのかしら」
「シンと会ったのも、まあ人間たちがいうところの、縁というやつじゃな」
「まあ、こんな世界で出会ったんだもの」

「案外、お前たち二人は似た者同士だったりして」と、グルが子供らしい無邪気な声で笑った。

 グルの声が響き渡る。

 誰もいない公園。俺の目に入るセピア色の景色のすべては、何かのフィルターに包まれているようでもあり、過去の景色のようでもある。
 俺は何となく、ベンチに腰掛けた。飛んでいるのはかなり力がいるものだ。こうして座っていると、それはそれで、そこにベンチのある意味がわかったように思えて、なかなかな感じになれた。

 足元に広がる土に足を乗せるというのも、それはそれでなかなかのものだ。足をぴったりと大地にくっつける。

 ルイは、俺のすぐ近くにいた。その周りだけが、違う空気の流れがあるように感じられた。

 やがて、渦のように強力になって、ルイはその渦の中にいて、目を閉じてひたすらじっとしている。

「さあ、解放せよ!」と、グル。

 ……言葉が吐き出された。

「……鏡が大嫌いだったわ。あんなものこの世からなくなってしまえばいいと思っていたの。だって鏡という鏡が、わたしの身体についている不要な肉という肉を、すべて写し出しているように思えたから。へこんでいなくちゃいけないところに、いつも余計な贅肉がついている。あるべき平面な部位のはずなのに、丸くなっていたりする。かといって、丸みが欲しいところにはそのような丸みはついてくれない。わたしはことごとく自分の身体のあらゆるところが嫌いだったの。すらっとした太ももではなくて、ふっくらとしていたし、特に、胴回りはそう。お腹なんて、すぐに出ちゃうんだもの。いくら食べるのを抑えていても、そう。どうしても平らなお腹にはならないの。食べなきゃいんでしょうけど、そうもいられないし。って、ずっと思っていて諦めていたんだけど、それが悪いってことに気がついて、それで、じゃあ、食べないようにしよう、って思ったんだ。なんだ、そういう簡単なことだったのか、って。で、食べないでいると、けっこうすぐ痩せちゃったんだよね。それがいけなかった。これまでは間食はしていたし、甘いもの好きだし、夜も食べちゃうし、ってわけで、そういうのをぜんぶ我慢したのよ。これまで、わたしにはそんなことできるわけないとずっと思っていた。意志が弱いって、学生時代からざんざんいわれてきたもん。でも、意外にできちゃった。そうやってお腹の肉はけっこうすぐに、鏡の中には写らなくちゃったのよ。鏡の前で、ぐるりと回ったり、違う角度で見ても、お腹はぺっちゃんこになったわ。すると、たったお腹だけなのに、まるでわたしを取り巻いていた世界が百八十度ぐるりと変わってしまったの。てっとり早くわかるのが、当たり前だけど、服ね。指を入れても、まだ余裕があったりする。あるいは、新しい服も、けっこうこれいけるかも、というように、冒険ができるようになったのも大きかったわ。簡単にいうと、自信がつくのよね。だから、身体の線がでるものは避けていたんだけど、痩せるとちゃんと着られるし、それが嬉しくってしかたなくなるのよ。新しい自分を発見したというか、ね。それによって、新しい男もすぐにできちゃったわけよ。けっこうカッコいい男でさ、でもスタイルに自信がでてきちゃうと、わたしこんなに痩せているんだから、もしかしたら当たり前なのかもね、なんて思うようになってしまったの。痩せていることに、わたしの価値観がすべて凝縮されていったの。もしかしたら性格も変わっていったかもしれない。ちょっと嫌な感じの女にね。でも、それが当たり前だと思っていた。いいオンナなんだから、それぐらいは求めてもいいんだって。でも、いい時期は続かなかった。それからはずっと鏡との戦いだったわ。シャワー浴びたあととかは、身体が冷えちゃうくらいまで、ずっと鏡の前で裸のわたしの身体ばかり見ていたくらいなのよ。デブデブデブデブ。いけないいけないいけない。食べちゃダメ。我慢我慢我慢我慢我慢ってね。まるでマンダラね。わたしね、鏡ばかり見て過ごすようになっちゃったの。もうこの世界に誰も住んでないくらい。わたしと鏡の中のわたしだけ、みたいな。もう男なんてどうでもよかったし、食べるものに興味がなくなってきた。というかね、人があんなに、たかが食べるものに固執しているのを見ていて、けっきょく人間って、飼育されているようなもんじゃん、って思うようになったの。食べるのが楽しいなんて大嘘。人間が食べていかなくちゃ死んじゃうなんてのも嘘。むしろ、食べ過ぎて死んじゃうのが今の世の中なのに。世の経済の半分以上は、食べ物とセックスに関わることが占めている。もしかしたら半分以上なんてもんじゃないかもしれない。私たち人間はね、欲望を餌にして、飼育されているようなもんだわ。ただ、誰に支配されているかなんて、これっぽっちも感じられないだけ。いい気なもんよね。与えられた飼育場で、人間って、自由だとか愛だとか、そんなことを感じながら生きていれば、十分幸せだと思えるおめでたい生き物なのよ。人間だったときに観た『マトリックス』っていう映画に出てきてさ、人間ってただエネルギーの供給源でしかない、っていうアレよ。牛と同じもんよ。いいもんタダで食わせてもらって、マッサージなんかしちゃってさ、でも、生きているのはたんに、人間の無限なる食欲の犠牲になるだけっていう。そんでもって、牛も殺される前までは、それなりに人生を謳歌しちゃって幸せだったり、なんて……」

  ……言葉というものには、それだけでエネルギーがある。力がある。蓄積された熱量というものが。

 空気中にまたもや渦ができる。
 周りに空圧の歪みができて、流れが急激になる。その中心では変化が起こる。

 ルイの吐き出した思考という思考が、チリとなって、しばらく宙に漂いながら、やがて彼方にある濁った大気層の中へと消えていった。

 ルイは宙に浮いていった。

 まるで水の中にいて浮かんでいるような格好で、宙に浮いていた。身体は弓のように曲がっていて、手足はぶらりとしている。首は垂れていて、目が閉じられていた。細長い手足で、長い髪をぶら下げている姿は、空に浮く人魚を思わせた。
 しかし、ようく見ればバランスが崩れている。頭でっかちに見える。優雅であるはずの身体つきは、ただ細いだけで肉つきがないため、ひ弱に見えるし、そもそもこれだけ棒のような体躯では魅力的とは程遠い。いや、憐れみさえ、その身体には漂わせているくらいだ。
 
 どこか幽閉された姫のようでもある。

 身体が何か透明なフィルターにでも覆われているようでもあった。浮遊して、さらに上昇しているような気がした。

「蓄積された大量の思考を吐き出すと、あのように透き通ってみえるんじゃ。つまりはな、ルイはより一層プーロに近づいたということじゃ。より純粋なるプーロになれたのなら、身体はもっと透明になってゆくのじゃ」

 俺は手を伸ばした。宙をふわふわと浮いているルイの身体をつかまえなくてはいけない。そのまま上昇してゆくような気がしたからだ。
 手が届かないどこかへいって欲しくなかった。

 宙に浮いているのはまだ完全には慣れていないのだが、それでもなんとか流されずにかろうじて身体をコントロールできていた。
 俺はルイの身体を掴んだ。それから、そっと身体全体を包み込むようにして、その場に引き止めた。

 すぐ近くで見るルイに、俺はどうしようもない親近感を抱いていたように思う。痩せこけた身体をただ見るだけではなくて、そこにあったもの、かつては存在していたものが、俺をどうしようもない気持ちにさせるのだった。
 もちろん、俺はルイのことは知らないし、おろか自分のしてきたこともよくわからないでいる。それでもなお、俺は、ルイにわけがわかないくらいに惹かれるものがあった。目に見えるものじゃない。確かな過去とも直接的には関わりのないことかもしれない。
 それは太陽の日が当たる方向へと向いている向日葵であり、遊泳の末に自らのルーツを忘れずに生まれ育った川へと戻ってくる鮭でもあり、土の中で幼虫として何年も過ごしながら成虫になってからは、夏のほんの数週間をひたすら鳴いて死んでゆく蝉みたいなものかもしれない。
 俺とルイとはなんの繋がりはなくても、それでもなおかつ、どこか深いところではやはり繋がりが見えてくるような、そんな何か。
 目を閉じているルイの表情に宿っているのかもしれないし、ツヤがなくて乾いたルイの肌の懐かしい感触なのかもしれないし、あるいは俺の手に触れているルイの実在そのものなのかもしれない。

 俺はルイの身体に触れることができないんじゃないか、と思っていた。自分で自分の身体さえ掴んでもよくわからないのに、ましてや他人の身体など掴むことができないとばかり思っていた。でも、むしろ自分のあるのかないのかわからない身体よりも、ルイのたとえ細長い棒のような身体であっても、たしかに在る、という実感がこちらにどんと伝わってくることが、なんともやるせなかった。
 だから、俺はずっとルイの身体を掴んでいた。包み込むようにして。しっかりと。強く。

 ……俺たち、たぶん頑張りすぎたんだろうな。生きてゆくことに。どこまでも真面目すぎたのかもな。

 ……それで、思考にがんじがらめになっちまったのかも。

 ……くたくたなんだ。誰も気にしないし、何にも興味すらない。あるのは、毎日毎日、同じようなことばかり、頭で考えながら、昨日と同じようなことを今日して、また明日もする。同じことの繰り返し。果てしなく続く、何にもない平坦な日常。

「ひゃあ、どうしたの、あんた、こんなところで何してんのよ」

 俺は宙で横になっているルイの腕をがっしりと掴んでいて、自分の体でどこかへ飛んでいかないように、ルイの身体にぴったりとくっつけていた。
 目を開けたルイの黒い瞳がこんなにも近くにあり、俺はその輝きに狼狽した。ただ動いている様を少しだけ見ているだけで、こちらの心臓あたりがやけに騒がしい気がしたからだ。

 俺はルイの瞳の中に、何かかけがえのないものを発見したように思えた。目を見ているだけで、理解できるものがあった。言葉じゃなくて、過去でもなくて、それらをもっと超越した違う次元で見える風景に、俺は憧憬を抱いたのだと思う。

「ちょっと離して、ってば。一人で大丈夫だから」

 落ち着いた様子に戻ったルイは、一人でゆっくりと、宙に浮いていた長い二本の足を地面に降下させてゆき、やがて地の上に立った。

「すべての思考から解放されたとき、どうなると思う? それはな、あのベールがかった砂漠の色をした空気となるのじゃよ。それが究極なるプーロの形じゃ。無じゃな。ただ湧いてくる。ただそこにある。意味などクソくらえじゃ。そこに論理は皆無だ。プーロはラテン語で、純真という意味じゃ。人間がなぜこれまで滅びなかったのか、それはな、カルマじゃ。それが生命なるものの鎖であり、環なのじゃよ。人間はどうして空を飛ぶことができなかったと思う? 人間は自分の力で飛ぼうとせずに、他のものに依存する形でしか飛ぶことができないんじゃ。それが人間というものの本質であり、また限界でもあるわけじゃな。動物にだってカルマはある。むしろ、彼らは無意識的かつ、本能的ににカルマの環の中で、自発性を持って生息しておるのじゃ。しかし、人間は違う。苦しむ。葛藤する。苦悩する。不安に怯える。そうやってもなお、カルマから逃れることは難しいのじゃ。人間はな、誰もが空を飛びたいという願望を心の底に抱いておるものじゃ。しかし、飛べない、いや飛びたくないとも思ったいる。矛盾じゃよ、矛盾。相反する二つの要素。それがな、人間たちが終始、対峙しているのじゃ。空の星たちであり、大地であり、太陽の光によってできた影である。大地の深淵さには、根源的な畏れが潜んでおるからなのじゃ」

 「でもさ、グル、俺たちは人間じゃないんだろう?」

「イエスでもあり、ノーでもあるな」
「わたしさ、ずっと不思議だったんだけど、グル、あんたって何者なのよ。そんなふうに、人間みたいに考えることができてさ、それでいて人間のような形を、この世界においても保っていけてる。それはどうしてなのよ? 」
「おい、人間のような形じゃないだろ。だって、グルは子供の身体で、顔と考えることは老人だ。そんなやつ、もとから人間じゃねえよ」

 「ワッハハハハハハハハッハハハハッハハ」

 「わたし、何だかとっても身体が軽くなった気がするわ」

 そうして、ルイははしゃぐ子供みたいにぐるぐると回ってみたり、身体を平行にして浮かんでいたり、素潜りをするように宙を飛んでいた。嬉々とした声を出しているルイは、まるでプールで無邪気に遊ぶ子供そのものだった。
「なんかいいよな、そんなに簡単に、軽く浮かぶことができて。やっぱり、身体が細いからその分、身軽なのかな」
 そんなふうに俺はいってみたが、ルイは見逃さなかった。
 じろりと俺を睨めつけた。
 まずいと思い、自分の軽口に後悔した。

「こっちへきたら」と、ルイは俺の手を求めて、差し出してきた。

 宙に浮いているのは、海で泳ぐのと似ている感触だった。気合いを入れていれば、ずっと中で浮いていられたが、しばらくずっと浮いたままでいると、地に足をつけたくなってくる。
 やはり、大地にどしんと足を置いている方が、楽なのは楽なようだった。

「いつまでも、そうやっとるがよい」と、言い残して、グルは去っていた。

「わたし、こうやってずっとずっといられるようが気がするの。そんでね、土に足つけなくなって、鳥みたいに暮らせるのかも。そんでもってさ、あの塵といっしょになって、何にも考えずに、ただふらふらと漂いながら、在り続けてゆくのもいいかもなんて、思っちゃったりして。まあ、そんなことだから、わたしにはどうせプーロにはなれないんでしょうけど。けっきょく、この世界でも中途半端なままなんだわ、きっと。わたしってそういうカルマを背負っているんだわ。ねえ、人間だったときにさ、恋人とか奥さんとかいたの?」
 そんなふうに聞かれて、俺は狼狽した。
「いや、まあ、まだその記憶みたいなのが曖昧ないんだけどさ、たぶん、いなかったと思うよ。結婚とかしていなかったような感じがする」
「まあ、どっちでもいいんだけどね。ねえ、もっとあっちの方へいってみない? 」
「やめとけよ、なんか風とかがやけに強くなってきたし、いったきりもう戻ってこれないかもしんないぜ」

 この世界で吹く風は風であるけれど、でもどこか閉じられた中での吹く風だという気がしてならない。雲も浮いていることは浮いているけれど、距離感とかのスケールを感じさせてはくれない。
 急激に黒い雲に襲われつつあった。
 やけに黒々とした雲があっという間に、空を覆った。黒はどんな色にでも黒に塗り替えてしまうことができる。まさにそんな雲だった。

「おい、もういい加減、浮いてるの疲れたぜ。こっちへこいよ。ちょっと休もうぜ、なあってば」
 俺はやや高くに浮かんだままの、ルイを見上げてそういった。
 まるで蝶々みたいなやつだな、と思った。ひらひらと翼があるばかりに、どこへともなくふらふらと漂うだけ。掴もうにも掴めない。
 周囲に流されているだけに見えるけど、意外とそうじゃなかったりする。ぎりぎりのところで逃げてしまう。あるいは近くによると、蝶の羽根の可憐さに惑わせれてしまう。
 そうやって無防備であるみたいに振る舞いつつも、本心はどこにあるのかさえわからないような、そんな存在。あるいは、見ているのが一番いいといえるかもしれない。
「ルイーー! 聞こえてるのかよ、オーイ!」
 
 俺は声を張り上げた。
 声は黒い雲の中に吸い込まれてゆくかのようだった。思いっきり声を張り上げてみる。しかし、宙に浮かんだままのルイは、一向に降りてくる気配がなかった。
 嫌な予感がした。
 予感などというものがあろうとは思わなかったが、そうとしか思えなかった。それは俺の身体を震わせるほどだった。がっちりと誰かに掴まれたような気分だった。掴まれたまま、身体ごと震わされているような感じだった。
 脳裏の奥には、見てはならないものの映像が写るのを拒否しているようでもあった。頭の裏側でズキズキとしてくる。何かを伝えようとする兆候。サイン。
「ルイーー!」と、さらに俺は声を張り上げた。

 ややあって、ルイの身体が降りてきた。
 雲の向こうに粒くらいにしか見えなかったのが、ようやく身体の輪郭がわかるくらいには降下してきていた。

 俺はふいに思い出した。
 ルイはたしかに、どこかで会ったような気がした。強烈な既視感。記憶というほどたしかなものではないにせよ、俺はこの世界にくる前に、どこかでルイと会っていたのだ、と。
 思い出したといっても、記憶の断片が映像として引き出されたわけではない。ただ、それでも俺はやっぱりどこかで思い出していたのだ。俺の身体のどこかに残滓のように、ルイが細胞に染みついている。そうに違いなかった。
 それ以外は考えられなかった。

 ルイの顔がもうすぐ見えそうなところまできていた。

 鼓動の鳴るのが聞こえた。心臓なんてものがあるのかさえ疑問だったが、今は、その高鳴りをどういうわけか感じることができた。上半身の右側にある。アリストテレスが心と呼んだものがあると位置づけた場所だ。
 仮にだ、ルイと出会っていたとしても、俺はどちらでもよかった。かつての恋人であったかもしれない。そして、それはとっくに壊れていたのかもしれない。それでもよかった。あるいは、俺の一方的な恋によってかもしれない。
 もしかしたら、恋とはぜんぜん関係なくて、ただの知り合いだったかもしれない。どこかのレストランのウェイトレスだったかもしれないし、たった一度だけデートして終わったのかもしれない。それはどうでもいいことだった。
 
 もし、今の俺に魂というものがあるのだとしたら、魂のレベルで、俺はルイに感応したに違いなかった。意味なんて、記憶なんてどうでもよかった。ほんとうに。

 大事なのは、すぐ近くにルイがいるということだけで十分じゃないのか?
 それが一番大切なことではないのか。

 ぽつりぽつりと雨が降り出した。
 俺の火照った身体のほとぼりを冷ますように、しくしくと雨が降ってきた。
 
 ルイが何か叫んでいるのがわかった。
 頭から前に進むように、こっちへと向かっていた。吹きすさぶ風にかき消されて、ルイの声は届かなかった。
 俺はルイの方へ向けて、飛んでゆきたかったが、どうにも身体は鉛のように重かった。

「逃げて! 早く!」というルイの声が聞こえた。

  近づいてきたルイの顔が見えた。
 目が開かれていて、驚きの表情をしていた。
 俺は何が起こっているのかまったくわからず、ただ唖然としているだけだった。

 迫っているものがあるなんて、これっぽっちもわからなかった。
 懸命にルイが何かを伝えようとしていることだけはわかった。
 なので、俺は後ろを振り向いてみた。

 そうして、俺は知らずのうちに迫ってきていた、それの片鱗を見ることができた。

 公園の何の変哲もない遊歩道あたりから、太くて、長い触手が何本も出ているのが見えた。それは巨大タコそのものであり、濃緑色に覆われていた。

 まだ距離がある。急げ。俺は走り出した。

 そのときに、ちらっとルイの顔が目に入った。

「飛ぶのよ! 捕まったらもう最後よ。ここでは生きてゆけないわ。ジ・エンドなのよ!!! お願いだから」

 そうか、俺は人間じゃないんだ、と思った。
 人間未満。
 人間の身体を持っているけれども、実体がよくわからないし、これがほんとうの身体なのかわからない。血が通っていないかもしれない。ただの塊なのかもしれなかった。
 でも、そんな俺でも、ルイのことが妙に愛しく感じられた。
 そして、俺はルイのところに行きたかった。
 だから、飛ぼうとした。一度は身体が浮かび上がった。しかし、背後から迫ってきた巨大タコの触手の先に捕まってしまった。ちょうど身体が地から浮き上がったところで、行かせないとばかりに、タコの手が俺の足首をがっちりと捕まえていた。
 力は思ったよりも強くて、とてもじゃないけど抜け出ることなど不可能に思えた。タコの巨大な身体が公園の土からのっそりと出ていた。いかにもふにゃふにゃしていそうな頭部は、やたらと大きくて柔らかそうだった。頭だけでも俺の何倍もの大きさがあった。
 身体を地底から全部出して、その体躯を晒していた。
 巨大な要塞のような頭の付け根には、二つの目が光っていた。小さい目でこちらを見ているのか、そうでないのかわからない。
 俺は足をがっちりととられていた。
 でも、不思議と恐怖はなかった。
 あるのは悔しい思いだけだった。

 またもや、俺はこの世界でも、その最後に思うのは、悔恨だった。たぶん、タワマンから飛び降りたときもそんな気分だったのかもしれない。いや、悔恨という感覚さえ麻痺していて何も感じないでいたかもしれない。
 でも、俺は今、巨大なタコにつかまれて、俺ははっきりと自覚していた。

 ルイを置いていってしまってはいけないんだ、と。
 せっかく何かを掴みかけていたというのに、またしても俺はこの手にすることができずに終わってしまうような気がする。
 いつまでたってもそうだし、どの世界であっても、終わりは同じようなんだと思えた。

 緑色の巨大タコの吸盤をくっきりと見た。

 ……その数多ある吸盤の一つひとつが、人間の顔でできていた。

 それが、生きているのか、死んでいるのか、あるいは生命ですらないのかわからないが、ともかくそれは人の顔なのは間違いなかった。
 それも一人だけではなく、数百個に及ぶ人間の顔が、タコの吸盤として、緑色の皮膚から浮かび上がっていた。
 それのどれもが苦痛で叫んでいるような表情だった……。





 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 
「完璧な小説などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないように。むしろ、不完全さこそが小説の本質的な強度となり、人間性に迫るに必須な要素となる。もちろんそこまで達するには、相当高度な文章力と技術を身につけられてはじめて得られる境地なのは、強調しておくべきだろうが……」

 村垣春木、国民的作家のデビュー作『海風の音に耳を澄ませ』からの、冒頭の一文だ。

 ※※※※※

  阿部由伸。三十二歳。小説家。まあ、小説家と堂々と呼べるだけの著作があるわけではない。あるのは鳴り物入りで某新人賞を取ってデビューした処女作があるのみだ。タイトルは『人間未満』。
 タワマンから飛び降り自殺をした男が、身体から自由になり霊の存在となって、その世界を浮遊するように漂ってゆく、という内容だった。霊の存在になることで、非人間として生きるとはどういうことかを、軽快な文体で描いたものだ。
 どういうわけか新人賞の最終候補に残り、審査員の大激論の末に大賞を獲った作品だった。まさかの受賞にすべての経過が、夢の中での出来事であるかのように由伸には思えていた。
 ここまで至る経緯も、由伸には何か自分の人生に起こっているのではなくて、誰か違う人のものであるように感じられたものだった。

 阿部由伸の夢は作家になることだった。大学を出て普通に就職をしてからも、その志は変わらず保ち続けていた。日常に揉まれ、やる気は日々蓄積される疲労に吸い取られてゆく。果てしなく続く日常。どこまでいっても同じような日々の繰り返し。その中で書き続けるということがいかに大切かを思い知った。
 モチベーションを維持するために、由伸は「作家でごはん」というサイトをちょくちょく利用した。
 完璧な作品を書くことではなかった。いかに作品を書き続けられるか、だった。書いてゆく中で足りない部分を調節し、よい部分を強調させる、あるいは他人の反応を客観的に見ながら、手探りで進んでゆくのが、由伸の得たポリシーだった。
 長所が薄くて破綻のない作品は悪くない。しかし、やはり悪いところは多々あるが、やけに読ませる魅力のある作品を書きたい。それが理想だった。
 とてもよいサイトだったが、あるときから疑問を感じてもいた。弱点を指摘されないようにということと、他人から褒められなくてはいけない、という思考の環に入ってしまうのだ。いわば書く作品自体が自意識過剰になりすぎて、外にベクトルが向いてゆかない。思考がそういうふうに閉じてしまうからかもしれない。
 やがて蜘蛛の巣のように、いつか思考に囚われすぎて、身動きができなくなる日がくる。書けなければおしまいだ。たいがいの人はいいものを書こうと背伸びしすぎて、何かを掴みきれなくなり、一人相撲となった果てに、書けなくなり自爆する。その環に入ってしまったら抜け出すことは容易ではない。

 由伸の場合、勤めていた会社での女子社員と恋に落ちて、結婚をした。社内でもなかなか評判の美人だった。由伸はどうしてあんなきれいな人が自分のことを好きになってくれたんだろう、と不思議に思わないでもなかった。とんとん拍子にことは進んでゆき、結婚して二人で新居に暮らすことになってからは、もう小説のことはすっかり過去のことになっていた。

 由伸のしあわせな生活はたった二年で急転した。二人で山へとドライブ中に対向車を避けそこなって、車ごと川岸に落ちてしまった。助手席には由伸の妻がいたが、即死だった。
 由伸も助けが来たときは瀕死の状態だった。二日ほど意識が戻らなかった。身体のいたるところで骨折しており、健康状態は芳しくなかった。それでも由伸は奇跡的な回復力を見せることになった。

 長い間というもの病院と自宅で療養生活を送った。幸いにして腕はわりかし自由に動かせたので、読書の他に、昔書いていた小説を書き始めた。とうに忘れていたはずの小説への情熱が蘇ってきた。というよりも、事故での体験が由伸に、もう一度書くことを強いられたとでもいえる。
 妻をなくし、人生が急変したことが理由ではない。妻をなくしたのは悲劇だったが、由伸に書く力を与えてくれたのは、悲劇的な事故を超えた、もっと精神的な何かだった。

 由伸は事故についての記憶があまりない。妻についても、自分で求婚して掴んだ幸せなはずなのに、やはり自分の人生ではない気がしてしかたなかった。もちろん、根拠があるわけではなかった。いや、根拠がないからこそ、由伸は追求するために、得体の知れない何か巨大なものを少しでも汲みとろうとして、ベッドの上で言葉を紡ぎ出したのだった。
 書いた小説はある意味で、由伸が見ていた長い夢の続きであるような気がしていた。ずっとどこか違う世界を漂っているような心持ちが残滓としてあったわけで、それを言葉にして残してゆくことに、意味があるのかはわからかったが、とても大切なことであるような気がしていた。

 そうしたわけのわからないものが、由伸に書く動機を与えていた。

「完璧な小説などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないように」

 この村垣春木の言葉は、由伸が『人間未満』を書くプロセスにおいて、座右の銘のようにして自分に言い聞かせていた言葉だった。

 そうして書き上げた『人間未満』は、由伸自身にとっては、とてもリアルなものとなった。事故の前の生活よりも、少なくとも確かな肌触りのある物語だったのだ。
 しかし、これを読んだ人たちの感想は正反対で、非常に幻想的で、別世界の出来事なのに、まるで実生活での経験のように、筆はポップな筆で恐ろしいほどリアルに書かれている、と評された。その幻想性が受賞の大きな理由でもあった。

 あれは作者ができる限りの想像力をもってして、書かれたストーリーです。

 そう由伸はインタビューで答えてしまった。

 無名の新人にしては売れ行きはまあまあで、批評家たちからの反応もそこまで悪くはなかった。編集者からは当然のことながら、自作の書き下ろしについて、期待しているぞといわれている。作家としていい出だしをしたので、会社からもそれなりの期待はかけられていたのだ。
 けれども、由伸はそこから急激にスランプに陥ってしまうことになる。いろいろと試しながら書いてはみるものの、どれもが由伸にとっては偽物のように思えてならなかった。そう思っているので、当然ながら書いていても筆が乗ってくるどころか、たいがいは失速してそれきりになってしまった。
 昔に書いたものもあったが、とても使えるしろものではなかったし、由伸にとって書くということは、リアルな感触を手すりとして一歩一歩階段を登ってゆく行為に似ていた。リアルさを掴んでいなければ、階段の足腰だってどこか脆弱だった。すぐに不安定となり行くべき方向性を見失うことになる。
 
 処女作で書いたときのようなリアルな手触りは、どうやっても蘇ってはこなかった。というか、そもそも、由伸がこうやって事故から生還して、本を出したということ自体が、やけにリアルさを伴わない長いトンネルのような夢であるような気がしてならなかった。

 由伸は考えに考えた。小説や映画から刺激をもらうよう努めた。編集者の助言に耳を傾けた。それでも次作はまったく書けなくなった。完全に行き詰まりとなった。

 それから、由伸は以前に何度も投稿していたサイトでの反応を見てみることにした。自分ではよいと思ったものの、編集者に見せてもボツにされた新作の小説だった。
 厳しい評価で有名なところで、鍛錬場という名がついていた。以前いろいろと批評してくれて創作の刺激になったサイトだった。
 しかし、結果はさんざんだった。酷評された。それどころか、中傷まがいの言葉で堂々とコケおろしにされた。

 以前同サイトに投稿した作品はけっこういい評をもらえていたように思えた。由伸は軽い気持ちで、たんに他の読者から、たとえお世辞でも、いいですね、面白かったですね、と書いてきてもらいたかっただけの自分の本心に、あとになって気がついた。
 批評ではなく、たんに緩い慰めを必要としていたのだ、と。そんな不純な動機での投稿だったことすら、由伸は露ほども自覚していなかった。

 極めつきは、ふと見てしまったアマゾンでのレビューだった。『人間未満』に対しての一般人からのレビューは、いいものもあったかもしれなかったが、圧倒的に批判的なものが多かった。しかも、読んでみると、素人なはずなのに、知ったかぶりであたかも批評家気取りで、みんな書いていることだった。
 あきらかに素人で、若輩者のように思えても、貶すことにかけてはみな、とても熱心なように思えた。あるレビューアーからは悪意さえ漂うほどだった。
 評判は決して悪くなかったはずの『人間未満』だったが、こうしてアマゾンだと、やたら批判のオンパレードだった。こうなってくると、村垣春木の言葉さえも、まるで効果がなかった。由伸は悔しくて悔しくてしかたなかった。

 素人のレビューにはとにかく腹が立った。あまりにもノンセンスなことを堂々と書いている。星はわずかに一つしかなかった。
 由伸はこのところの不調で疲れ切っていた。どうやっても出口の見えない迷路をぐるぐると彷徨っている気分だった。
 
 酷評の言葉の一つひとつが、由伸の頭の中にこびりついて、しつこいカビのように居すわった。嫌なことは忘れろ、他人のいうことをすべて間に受けるな、人の感想にブレない軸を作っておけ、とは、不況の出版界で編集者に何度かいわれた言葉だった。

 しかし、由伸はあまりにも頭の中で考えすぎていた。

 思考、思考、思考。

 由伸は誰かと腹を割って話したかった。そうすればいくぶんか、やりきれない思いはなくなるような気がした。けれど、由伸は愕然とした。周囲には誰も本音で話すことのできる人間がいないことに、あらためて気がついたのだった。
 
 そうして、由伸は一人で街の中をただ彷徨った。

 歩いていると、街からすべて色彩が褪せていったかのように、由伸の目には写っていた。横断歩道の太い白線が霞んで見えたし、けばけばしい※※電気というどデカい看板も目には入らない。街を歩く中で店内から伝わる活気と眩い光も届かなかった。
 それどころか、若さと色気を漂わせた女たちの歩く姿も、なんら刺激を与えてはくれない。道端の屋台の鉄板からの香ばしい焼きソバの臭いさえも、由伸の嗅覚を刺激してこなかった。

 街はすべてセピア色に包まれていた。

 俺は人間ではない。人間未満だな、と思った。
 こうして生きてはいても、血が通い、心臓は動いていても、気にするものは何もなくて、気にかける人も誰も一人としていない。

 そうやって、一人で歩きながら、駅の入り口近くのコンビニから出てくる、一人の女とすれ違った。由伸はふと、振り返った。
 どういうわけかその女にだけは、どこかで会ったことがあるように思えたからだった。やけに細身だった。ぴっちりとしたスリムのジーパンを履いていて、そのあまりに細すぎる女の足を逆に強調させていた。
 上は身体の線を思いきり出した、ニットを着ていた。口紅がやけに赤い。それに黒髪。

 その拒食症のような女を見かけたときだけ、由伸の感覚は戻ってきていた。色彩が戻ったように。女は駅の改札を入っていった。由伸も追いかけるように、スイカカードで中へと入ってゆく。
 エスカレーターを登り、右側に立つ人を通り越して、ホームへと出た。人はまばらだった。由伸はぐるりと周囲を見回した。女の姿を探すがどこにもいない。なにせあの体躯はやけに目立つ。いればすぐにわかるはずだった。

 由伸は他の人の姿は何も目に入らなかった。あの女の外見や、あるいは性的に惹かれたわけではなかった。いや、そういう部分も含まれていたかもしれないが、もっと心の奥深くの、手の届かない場所からの、報せだった。ベルが、チリンと鳴ったのだ。
 その正体を確かめたいばかりに、由伸は、ひたすら女を探し求めた。
 いた。女を見つけた。
 しかし、反対側のホームに立っていた。

 由伸は女のその佇まいに、ただただ見とれていた。あまりに世界とはかけ離れて存在しているような、孤高な姿がそこにはあった。

 ……遠い記憶。幼少時から今までずっと背負ってきたものであり、それは、思考と密接に結ぶついていて、がっちりと離さない。

 お前は何やっても不器用でトロいよな! どうしようもないマヌケだ。何にもできやしないし。
 おい、由伸、そんなんじゃ、お先真っ暗だぜ! あら、由伸くんて、なんにも取り柄がないのね。ハハハ。どうしようもねえやつだな!

 頭の中で、煩いハエのように、ぐるぐると頭の中で思考が回っている。それはたとえ、嘘であり、たんなる思い込みであったとしても関係なく、同じ鮮度を保ちながら、何年いや、何十年にもわたって、頭の中でこびりついている。
 それがたとえ、偽であったとしても。
 疑うことすらなく……。

 人の少ない駅のホーム。
 あまりにも多くのことが瞬時に襲ってきた。詰まった思考に押し出されるようだ。

 ……プーロとは、今ここにある、という意味じゃ。それだけのこと。

 由伸は知らずとホームの黄色い線の外へと、吸い込まれるようにして身体がスライドしていった。けたたましいホーンがホームに鳴り響いた。と、同時に、ものすごい空気圧が感じられ、すごい勢いでホームに入ってくる電車へと、身体が傾いて……。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ……カルマの環は回り続ける。思考がある限り。

 了
 

人間未満

執筆の狙い

作者 5150
5.102.0.232

ジャンルは何だろう。あえてカテゴライズするとしたら、ダークファンタジーなのかな。幻想譚。メタが後半入ってくるんだけど。前作とはまったく違った趣向のものにしようと思って書いた新作です。テーマは**です、と書きたいところですが、伏せておきます。執筆の狙い欄に書いて、誘導させる形で読んでもらいたくないので。

コメント

太郎仏
103.208.223.185

自殺防止をモチーフに人間合格という作品を私は書いたのですが、やっぱり自殺防止というのが形式的すぎる気が今ではします。同様にこの作品も自殺とかはよくかけていましたが、果たしてこの作品を見て自殺の形式主義よりも上の価値が見えません。確かに形式主義的に幻想的なのですが
それが何かを与えるかというと難しい気がします。要するに何を訴えたいかということが薄いのです。そこをもっと精進しないといけないのではないでしょうか。

一言だけ苦情を言っておきますが太宰治は人間失格を描くために文字通り自殺したのです。
流石にそれは無理でしょうがあなたは覚悟のないことだと思いました。
僕は自殺しないと3回閉鎖病棟に入って、決めたのですが。閉鎖病棟など大したことないと思ったのです。
これが遺書というわけではないんでしょう。

やっぱり鬱でのたうちまわった経験の主から見て自殺描写もまだまだだし、その界隈の業がまだまだ書けてないと思います。

太郎仏
103.208.223.127

それよりも根本的なことですが
ごはん頼って作家は無理ですよ。
そもそも推敲において自己批評能力というのが問われるのです。
他人の感想がないと推敲できないのでは話になりません。
ごはんは初中級レベルの場所でしょうね。
では他人に見てもらいたい場合
添削のCWSだとかそういうことを見据えるわけです。
費用もかかります。
やっぱり基本は自分で推敲するしかないんです。

5150
5.102.0.232

太郎仏さん

自殺というキーワードだけで拙作を読むと、稚拙かなと思えなくもありません。表面程度しか書いてないので、共感できる箇所はほとんどないと思いますし。まあ、自殺を扱ってはいますが、自殺について書きたかったわけではなかったので。何を伝えるかということ、もう一度見直してみます。

太宰については、文字通り命をかけて、というか引き換えに書いたわけですからね、人間失格を。んでもって、人間合格。冒頭だけ読みました。

ともかく枚数のある拙作を、最後まで読んでくれたようで感謝します。ありがとうございました。

5150
5.102.0.232

太郎仏さん

今この時点でやりたいことは、短いスパンで作品を投稿し続け、その中で何かを掴むことです。クオリティはあんまり気にしてないです。自分に何かしらの課題を課して投稿することでしか、ってかここで目的なしに連投だけしても、鍛錬にはぜんぜんならないような気がして仕方ないので、そういう自発性みたいなものを常に持っているようにしてます。でないと、ヤバいかなとさえ思っているこの頃です。ありがとうございました。

太郎仏
103.208.223.166

講評ということで再評価させてください。
まずこの作品の良かったところはプロットと話自体ですね。
むしろ完成度はそれほど高くなかったんですが
なぜか感想がつかずおかしいなと思いました。
普通もっとつくんですよね。

可能性としては自殺の描写ですが
これは精神科医に取材すると色々教えてくれると思います。
いろんな話やディティールがあるわけです。

あと哲学ですがもっと本でドイツ観念論と仏教思想に取り組みリライトしてみると
もっと面白いのかなと思います
よろしくお願いします

5150
5.102.0.232

今回はみごとに感想ついてないですね。ひどい欠陥が目立ちすぎる作品だと、それを指摘したのが必ず入るし、ないということは、作風だと思います。長いのと、テーマが身近すぎて普通は目を背けてやり過ごしたいことが書いてあるからかな、つまり、暗すぎるのかな、と。もっと軽いの読ませて、ということなのでしょう。だいたい投稿後、4、5日でほとんどの感想が入るので。

太郎仏
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そうですね。珍しいですね。これは結構佳作だと思うんですけど、なぜなんでしょうね

日程
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5150様

読ませていただきました。

んー。なんとも言えないですね。作者の中のもやを見せられている感覚があって、小説にしては思考が占めすぎてると思いました。飛び降り自殺した男。誰もいない町。老人のような子供。拒食症の女。というパーツに既視感が強くて目新しさがなかったのがその理由でした。後半のメタについては、作家でごはんをいれる必要があったのかという疑問を持ちました。知っている人が限られてくるのと、一瞬これは5150さんのエッセイ的なものなのかと誤読しました。以下、気になったところです。

>怖いと感じられるくらいには、まだ自分に精神的な余裕がたっぷりあったということだ。

精神的な余裕がなくても飛び降り自殺は怖いと思ったのですが、そういうデータはあるんでしょうか?私が無知なだけでしたらすみません。

>夥しく

私が一度作家さんに言われたことがあるのですが、この言葉は今の時代は平仮名が推奨されているようです。

>どこか幽閉された姫のようでもある。

表現として好きでした。

ストーリーの方は全体的に暗い感じで、読者的には後半で明るくまくってくれないかなという風に読んでたんですけど、メタの部分も暗くて輪廻オチだったので、最後までもやっとしてしまいました。男と女の思考の狂気的な感じはすごく良かったと思います。でもそれだけに、思想を読まされている感覚に陥りました。ストーリーがもっと強くなればだいぶ印象が変わってくると思います。今回辛めですみません。

5150
5.102.0.232

太郎さん

こない感想をこれ以上待っても仕方ないので、他の方への感想を書きながら、そこから謙虚に勉強して、次作をもっと練り込むことにします。太郎さんも、次作はキョウサンゲリオンのリメイク作か、新作でしょうか、出たら読んでみようと思います。

5150
5.102.0.232

日程さま

>んー。なんとも言えないですね。作者の中のもやを見せられている感覚があって、小説にしては思考が占めすぎてると思いました。

その通りだと思います。一応のテーマとしては、自殺ではなくて、「思考」について書きたかったのであります。自殺の一歩手前という状態って、おそらく、出口のない思考に塞がれて四方八方ふさがりだと思うんですよね。で、人って、余裕がない状態での、思考って、すごくやばいものだなあ、というのが作品のベースを支えているものだと思っています。

で、そういうのの正反対な状況を、作中では、プーロと位置ずけました。これは太郎さんにはわかっているでしょうが、いくぶんか仏教的な考えかもしれません。

>飛び降り自殺した男。誰もいない町。老人のような子供。拒食症の女。というパーツに既視感が強くて目新しさがなかったのがその理由でした。

そういうふうに思われた、ということは、おそらく、作中のキャラが作者の操り人形だったということと、イコールだと思われます。あとで失敗したなと思った点は、「語り」をもっとひねったものにして、そこでキャラの色を出しておくべきだったかな、ということです。もし、作品における「語り」がもっと軽快に書けていたなら、かなり違った印象だったかな、と今頃になって、思っています。作中では、一応霊の存在なので、キャラを出すとしたら、それが一番効果的だったかな、と。

>後半のメタについては、作家でごはんをいれる必要があったのかという疑問を持ちました。

必要性なしです(笑)。一応、自分の中では、今作を含めた全三作は、三部作トリロジーみたいなもので、エゴだけで書いた、という認識を持っています。つまり、自己満足で書いたので、作者の意地悪い人格ミエミエだったのか、と(笑)。で、今回は感想がほとんどないということを考えると、おそらく、前回よりもエゴ臭はもっと強かったものと思われます。自分では、御作は、ストーリーにはめ込んだのだから、そんなことはないだろうと思っていたのですが、正反対だったようです。甘かったですね(笑)。

そういうわけで、今回感想を得られなかったのは、たぶん、前回での感想をそのままこちらに移行しても、十分通用してしまうからだと、5150は思ってします。つまり、なんだアイツ、またおんなじことしているじゃん、進歩ねえな、みたいな。

>ストーリーの方は全体的に暗い感じで、読者的には後半で明るくまくってくれないかなという風に読んでたんですけど、メタの部分も暗くて輪廻オチだったので、最後までもやっとしてしまいました。

ここについては、自分の未熟な点でして、今の課題の一つでもあります。夏以前に投稿していたのは、けっこう薄っぺらで軽いのばかり出してたように思うんですけど、それでは物足りなくて、秋くらいからネガティブで暗いものを、どうやって作品に出すかということばかりを考えていたので、暗いものをむしろ、描きたかったという気持ちが強くありました。ただ、自分の作品にどうやって入れるか、その方法論があまりにも稚拙すぎました。学生がイジメられた鬱憤を晴らすのと同じレベルだったかもしれません。5150の理想としては、明と暗の対比であり、共存したもの、そのバランス感覚と対比を書く上で、ほとんど掴めていないのだなと自覚しています。これについては、もう試行錯誤しかないと思うんですよね。ただ、暗いのは読むのを避けられるからという理由で書くことを躊躇うことはしたくないです。つまり、料理方法を学んでない、ってことなんだと思いたいです。5150自身、映画とかで暗いヤツって、すごく好みでみてしまうんで。暗いストーリーで得られるカタストロフィって、大好きなもので。

>男と女の思考の狂気的な感じはすごく良かったと思います。でもそれだけに、思想を読まされている感覚に陥りました。ストーリーがもっと強くなればだいぶ印象が変わってくると思います。今回辛めですみません。

エゴ剥き出しで書いたので、書く時間はかからなかった分、推敲と寝かせておく時間が、おそらく十分じゃなかったのだと思います。次からは、もう一回初心に戻って、みたいな感じにやれたらな、と思います。日程さんも、「独善看守」をぜひ完成させてください。

ちなみに、日程さんの返信欄で聞かれたことを、ここで書いちゃいますね。えーと以前のイタリアものを公募に出す、と書いたものについては、リライトして書き換えてはあるのですが、削った分、全体的に枚数が減ってしまって、どうしようかな、という状態です。また今後は、以前に書いた別の長編を直すかリライトして、公募に出したいと思っております。

ありがとうございました。

5150
5.102.0.232

あ、また間違えました。
>自分では、御作は、ストーリーにはめ込んだのだから

御作 → 拙作

かじリン坊
124-110-104-4.shizuoka.fdn.vectant.ne.jp

 最新コメント欄で感想がつかないことを苦にしていたようなので読んでみようと思ったのですが、自分にとっては初見で得た印象通り、こりゃ無いなって感じでした。長いとか暗いとかの前に冒頭部分だけ見ても『高層タワマンから飛び降りる』という言葉だけで片づけられており、高さの描写。風の強さ冷たさ目がくらむような構図、空の近さなどが無く、たぶんこの先を読んでも、この作者さんの文章ではこんな感じなんだろうと思わせてしまっていると思います。
 作者さんはその風景が思い浮かんでいるのだと思いますが『する、しない、できる、できない』『ひたすら怖いのだ。怖いと感じられるくらいには、まだ自分に精神的な余裕がある』などと書かれたところで身に迫るものは無く、全く疑似体験感や感情移入できない感じです。あ、失礼。本文に『窓を隔てた、すぐ近くに不動産会社の案内人の影が見えている。真っ青な顔でいることだろう』とあるので、多分この高さを感じ取れる人は作者さんと、この不動産会社の案内人だけだろうと思います。
 中盤に『足が離れ、宙に浮き、やがて自分の体重プラス、重力、加速度、と。物理法則の真っ只中に俺はいたはずだ。 落下してゆく中で、周囲に当たり前のように映っていたはずの、空に浮かぶ高層ビルの輪郭やら、縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路だったり、見慣れているはずの車のサイズが豆粒のようだった。ゴジラの視野にいたのだろう』などとありますが、ここでは落下感を出すべかなのかな?ものすごいスピードで下降しているはずなのに体がフワフワ浮く感じなのか?空気の抵抗感を生に対する最後の抵抗と感じるのか?だって、もうすでに見てるはずじゃん『縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路だったり、見慣れているはずの車のサイズが豆粒のようだった』なんて、チグハグな感じにおもえるんですよね。
 辛口だったかも知れませんが、感想の一つに加えておいてください。

5150
5.102.0.232

かじリン坊さま

>最新コメント欄で感想がつかないことを苦にしていたようなので読んでみようと思ったのですが、自分にとっては初見で得た印象通り、こりゃ無いなって感じでした。長いとか暗いとかの前に冒頭部分だけ見ても『高層タワマンから飛び降りる』という言葉だけで片づけられており、高さの描写。風の強さ冷たさ目がくらむような構図、空の近さなどが無く、たぶんこの先を読んでも、この作者さんの文章ではこんな感じなんだろうと思わせてしまっていると思います。

なるほど。ということは、太郎さんの指摘と同じなわけですね。まず冒頭で失敗している。

>作者さんはその風景が思い浮かんでいるのだと思いますが『する、しない、できる、できない』『ひたすら怖いのだ。怖いと感じられるくらいには、まだ自分に精神的な余裕がある』などと書かれたところで身に迫るものは無く、全く疑似体験感や感情移入できない感じです。

こちらの意図としては、あの場面はあくまでプロローグ的なものであり、ざっと書いたのは、どんどんと次に進んでほしかったためでした。今回の感想を読む限りは、もしかしたらほとんどの人が入りでやめてしまった可能性があり、ということは、こちらの意図は完全に裏目に出てしまったということのように思われます。

別の世界に辿り着き、そこで出会うキャラがけっこうマンガっぽい人たちなので、ギャップがないようにと、それに合わせようとしたのも意図の一つです。

>ここでは落下感を出すべかなのかな?ものすごいスピードで下降しているはずなのに体がフワフワ浮く感じなのか?空気の抵抗感を生に対する最後の抵抗と感じるのか?だって、もうすでに見てるはずじゃん『縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路だったり、見慣れているはずの車のサイズが豆粒のようだった』なんて、チグハグな感じにおもえるんですよね。

ああいう描写にしたのは、あくまでこちらの想像でありますが、どうなんでしょう、とにかくものすごいスピーとで落下するというのは、これはある意味で、人間の知覚を超えたとき、その知覚の逆光をいくような、矛盾した意識を覚えてしまうのではないか、とあくまで想像したためでした。それについては、実際にリサーチしたわけでもありませんが。

あとは、死ぬ直前なので、走馬灯のように、ということを、表せるんじゃないかとも考えました。別の国への、入り口みたいな意識で書いていたと思います。

自殺については、あまり具体的に書きたくなくて、感情移入してほしくなかった(本筋ではないので)のですが、こうして感想を頂くと、むしろ、なぜ自殺に至ったのか、詳しく書いた方が導入部としてよかったのかな、と、初めて思いました。

やはり他人の感想というものは役に立ちます。ありがとうございました。

かじリン坊
vc226.net112137227.thn.ne.jp

 自殺や死の直前の場面についてですが、正確なところは誰もわからないじゃないですか。いくらリサーチしたところで、それがどこまで本当のことなのかわからないし、個人差だってあるかも知れないし、確認するわけにもいかないじゃないですか。大事なのはそうなのかも知れないなと思わせる事が出来るかどうか?じゃないでしょうか?だから死の直前に死神が出てきたっていいと思うし、その死神が鬼の様でもいいし紳士の様でもいいんだけど、ああ、そういうやり取りがあるのかも知れないなと思わせる事が出来れば、物語に興味を持って読み続けることが出来るんじゃないでしょうか?そういう意味の物語を楽しめる疑似体験、感情移入は大切なのかな?と思いました。
 何度もごめんね。こちらの都合で再訪させて頂きまして、せっかくだから書いちゃいました。これで終わります。
 

5150
5.102.0.232

かじリン坊さま

再訪ありがとうございます。やっぱり小説の冒頭というのは、一番大事なわけで、いくらエンディングをよく書いても読んでもらえないと意味がないわけですし、今回は、動きのあるシーンだから読者はきっと、きちんとついてきてくれるはずだ、という驕りがあったと反省しています。別に、前回でのかじリン坊さまの意見を受け入れてないというわけではなくて、呑み込むのに時間がかかるたちなので、拗ねたトーンになったかもしれません。かじリン坊さまの趣旨は十分すぎるほど理解しているつもりです。疑似体験させるには、まず感情移入ですよね。冒頭、やはりリアル描写を追求した方がよかったんでしょうね。悔い(涙)。ありがとうございました。

日程
192.50.101.187

5150様

再訪失礼します。個人的には自殺の冒頭はむしろ数行で終わらせてしまった方がいいかと思いました。読んでもあまり面白いところではないので。
それなりに長さがあるものだからどっちつかずになってしまったのかなと感じました。

5150
5.102.0.232

再訪ありがとうございます。

まさしくその通りで、最初は、状況もほとんど入れずに、ほんとに飛び降りる直前、できるだけ省いた形だったんです。それを、やっぱりこれじゃあついてこれないだろうな、と、現状を、推敲段階で付け加えてしまったんですね。それが悪かった。中途半端になった。当初の作者の意図は、まさしく日程さんのところにあったんですね。つけ加えるのではなく、逆に気持ちの部分を全部カットすべきだったんですね。正直しくじったと思います。

いずれにせよ、形がどうであろうと、筆力不足が招いたのは明らかです。

脱ぬるま湯
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5150様

私の作品にコメントをいただきありがとうございました。

読ませていただきました。大仰な感想は苦手なので、気になった語句だけについて書いてみます。

作中に「グル」が出てきましたが、ヒンドゥー教に関してもジャイナ教に関してもグルに思考は似合いませんね。感性でしょ。

私は南インドのタミル・ナードゥ州のヒンドゥー教の聖地マドゥライのミーナークシ寺院の奥の奥まで行ってみましたが、ヒンドゥー教の極意は結局は「シャクティ」なのです。シャクティとは性的能力つまり性力のことです。

よって、エネルギーの維持という意味で、性力>思考、が人間なのでしょう。

こう考えれば、ものごとは簡単です。

大衆の支持にこそ、師事すべきかと。

ぷーでる
5.181.235.246

さらっとだけ、拝読しました。
自殺?の話なのだろうけど、表現が物理的すぎるかな?
で、最後はループ?ぽい????

この話を良くするには冒頭で、何故自殺に追い込まれたのか?という描写があった方が良かったかな。
私には、一体何が起こっているんだかワケが分からない。
読者が共感できるシーンも冒頭にあった方がよろしいかと。

暗い話の内容の場合、読者がもらい泣きできる位でないと厳しい様な気がする。

5150
5.102.0.232

脱ぬるま湯さま

ネーミングについては、深く考えずに出してしまいました。

拙作は、作者のエゴ剝き出し、かつ、稚拙な出来でもあったかと思います。読者を置いてけぼりにしたもの、だったみたいです。で、今作を含めた前三作での、作者の鬱エネルギー全開が、同一方向すぎたように思えますので、次は、作風を変えて、作者の内エネルギーを違った角度から、拡散させるようにしたいですね。張り詰めた空気のまま書かずに、ある程度気抜いてリラックスした状態で書きたいな、と思っているところです。ってか、次作はもう出来てはいるのですが、ぎりぎりまで粘ってみようかな、なんて。

感想ありがとう御座いました。

5150
5.102.0.232

ぷーでる さま

>自殺?の話なのだろうけど、表現が物理的すぎるかな?
で、最後はループ?ぽい????

感想、参考になりました。自殺の話として読めてしまうんですよね、やはり。物理的すぎる、ということは、もっと感情的な表現が冒頭に必要だったという意味で、かじリン坊さまの意見と同じなんでしょうね。やはり拙作では、冒頭が最大の問題だったかな、と。

最後に関しては、そうですね、作者としては、開いた物語の環が再度閉じるようなイメージを意識していました。自殺はあくまで、全体の話を繋ぐツールとして使ったつもりだったんですけどね。

>この話を良くするには冒頭で、何故自殺に追い込まれたのか?という描写があった方が良かったかな。
私には、一体何が起こっているんだかワケが分からない。
読者が共感できるシーンも冒頭にあった方がよろしいかと。

ぷーでるさんや、他の方の感想のおかげで、これをベースにした違う物語の構成が、いくつか浮かんできました。

>暗い話の内容の場合、読者がもらい泣きできる位でないと厳しい様な気がする。

そうそう、そことても需要なポイントですよね。一番大事なことかもしれないです。暗い話における正反対の、陽の部分を作中にどういう形で出して、全体として物語のバランスをとるか、というのが、最近の大きな課題の一つだったりするんですよね。いろいろやってみたいと思います。

ありがとうございました。

macoリカ
p84081-obmd01.osaka.ocn.ne.jp

5150さん 読みました! 

>いつもいつも頭の中で、何かを考えずにいられない俺
>書く作品自体が自意識過剰になりすぎて、外にベクトルが向いてゆかない。思考がそういうふうに閉じてしまうからかもしれない。

まさにそんな「俺」が語るそんな小説って感じでした。
そういう分析まで含めなんかもう自己完結しちゃってますね。「俺」の語りがもはやひとつのスタイルになっちゃってて語りとしての綻びがないし(一筆書きっぽい荒さはあるけどそれは別の話)、グルもルイも由伸も「俺」の分身にすぎないから「俺」が対象化されることはなく、自己完結を補強する役割しか果たしてないし。高くそびえる入り口のない俺の城。城に入って見たい人はどうしたらいいんだろ。

あんまりこういう感じの小説って読んだことがないかも。で、ふと気づいた。ふだん全然意識してなかったけど、小説を読むってことは、なにか自分もそこに参加したい気持ちがあるんだってことに。
家庭の幸せに家庭を失って気づくことがあるように、ひょっとしたらはじめて小説の方から拒絶されて、参加できる幸せというものに気づいちゃった、のかおれは? 

それでも強引に押し入ってみると、おもしろそうな小説の面構えしてるんすよね。でも、あまりおもしろくない。端的に、メインコンテンツである〝思考〟の中身がさほどおもしろくないんだと思います。深度も精度も角度もはっとさせるものがない。ありきたり、とは思わないですけど。切実なんだろうなあとも思うし。でもその切実さには、なにせ入口がないから共感もしづらい。肩をすくめて読むしかない感じ。
熱量と勢いはすごいし(そこは魅力的だ。とくにシンとルイのそれぞれの独白。べつにたいしたこと言ってないんだけど、逆にだからこそ、小説においては中身より大事なことってあるかもなって思わせてくれる)、「俺」のスタイルはあるんだけど(ちょっと筒井康隆作品の「俺」ぽいと思った)、中身がともなってないと思います。
というかそもそも思考って言葉を持ち出すほどの話か、理解されないロマンチストの愚痴程度の話、じゃないかなあ実質、と思った。「俺」、考えてるっぽいだけで本当には考えちゃいないよなー(グルだって「俺」よりはちょっと先行ってるようだけど、まだぜんぜん言葉がごちゃごちゃしててピシッと刺さるような言葉は吐けていない)。
考えるより先に言葉が出てきちゃってる感じ。それは才智って言い方もできるけど、軽薄って言葉がもっと当てはまると思った。浅薄はちがうと思うから、浅くはないんですよね、軽い。もちろんディスるつもりもないし、奇をてらうつもりもないです。素直な感想。率直にいって御作を深いところで特徴づけているもの(のすくなくともひとつは)軽薄だと思います。おれはそう感じました。
そこを把握しないとこの作品は最初から最後までボタンのかけちがいになっちゃうんじゃないかなあ。というか現にかけちがえたまま書かれちゃった作品だからこその、なんともいえない窮屈さというか違和感の漂う作品、って気もする。
作中で軽薄さが対象化されるところはまったくないんですよね(スケベっぽいのは上っ面だけの対象化だしね)。たぶん作者さんの意識にもないんだろうなという印象です。

「考えるより先に言葉が出てきちゃう」のをひとつの個性と考えれば(それはマネしようたってマネできるもんじゃない)、それをぐっと押し出せばいいのに、と単純に思う。「俺」、重いキャラ設定だけど、軽いキャラにした方が絶対作品の強度は増すと思うし、軽いヤツがグルやルイにからかわれながらもそれでも悩んで考えようとするなら、作品が一気に躍動するし共感を巻き込むんじゃないかなあ。物語としての構えはすでにできてるんだから。どうなんだろ。
タイトルだってそう。人間未満に作者さんの想いは込められてるんだろうけど、百八十度ひっくり返してこれを人間賛歌としてこそ見れないすかね。ポジティブに振れって話じゃないです。ネガティブのままそうなりうる作品だと思うんですけど。
あと、軽い「俺」だと、重い「俺」と同じこと言ってるだけでも、なんかすごいこと語ってるように聞こえちゃうマジックが生まれるんすよね。もちろん「俺」の語っていることが本当につまらないだけのことだったらマジックは発生しないです。その先の深いところに指がかかった上でのつまらなさだから、読み手は勝手にその先を想像できるししたくなるんすよ、たぶん。

たとえば、
>  ……言葉というものには、それだけでエネルギーがある。力がある。蓄積された熱量というものが。空気中にまたもや渦ができる。周りに空圧の歪みができて、流れが急激になる。その中心では変化が起こる。ルイの吐き出した思考という思考が、チリとなって、しばらく宙に漂いながら、やがて彼方にある濁った大気層の中へと消えていった。

とかすごくいいですよね。現状ではこういういい表現が埋れちゃってる感があるんだけど、もっと作品的に正しいメリハリがつけば、そのままで俄然光ってくる、んじゃないかなあ。

こういうテーマに挑むことといい、一筆書きみたいな勢いでこの枚数をリーダビリティを保ちながら書けることといい、骨太な大作を書ける気配がむんむんの作者さんなので、なんか昔のヨーロッパの小説みたいな、ユゴーとかデュマみたいなのを書いてくれないかなと思った。そんな志見たいなと思った。最後に社交辞令でつけ足しているのでなく、ふつうにそう思った。

5150
5.102.0.232

maco リカさんへ

>まさにそんな「俺」が語るそんな小説って感じでした。
そういう分析まで含めなんかもう自己完結しちゃってますね。「俺」の語りがもはやひとつのスタイルになっちゃってて語りとしての綻びがないし(一筆書きっぽい荒さはあるけどそれは別の話)、グルもルイも由伸も「俺」の分身にすぎないから「俺」が対象化されることはなく、自己完結を補強する役割しか果たしてないし。高くそびえる入り口のない俺の城。城に入って見たい人はどうしたらいいんだろ。

他者が存在しない小説であり、見えてくるのは、俺、俺、俺。つまり、そういう閉じた自己が異なる世界でぐるぐるしていて、展開におけるどの世界でも基本的に、俺という世界に閉じこもっちゃってる、そんな鬱な小説でした。読者の道案内をまるでしてないんで。んでもって、maco リカさん、そんな小説にここまで感応できちゃうなんて、ある意味で、すごい感性をお持ちだなあ、なんて。感応力高い人なんだなぁ。高くそびえる入り口のない俺の城、って、なんか、カフカの「城」みたいで言い得て妙。

>それでも強引に押し入ってみると、おもしろそうな小説の面構えしてるんすよね。でも、あまりおもしろくない。端的に、メインコンテンツである〝思考〟の中身がさほどおもしろくないんだと思います。深度も精度も角度もはっとさせるものがない。ありきたり、とは思わないですけど。切実なんだろうなあとも思うし。でもその切実さには、なにせ入口がないから共感もしづらい。肩をすくめて読むしかない感じ。

なるほどね、と思いました。ズバリだと思います。こういう部分は、やっぱり他人でないとわからないし。デフォメ、ってことなんでしょうね。キーワードは。直接的すぎる、と。

>というかそもそも思考って言葉を持ち出すほどの話か、理解されないロマンチストの愚痴程度の話、じゃないかなあ実質、と思った。「俺」、考えてるっぽいだけで本当には考えちゃいないよなー

そうなんですね、思考の中身そのものに深みなんてなくて、たんに、思考の側面みたいなものを描きたかった、そういうつもりでいたんで。意図的には。

>率直にいって御作を深いところで特徴づけているもの(のすくなくともひとつは)軽薄だと思います。

ふーむ、そうなんですね。

>「考えるより先に言葉が出てきちゃう」のをひとつの個性と考えれば(それはマネしようたってマネできるもんじゃない)、それをぐっと押し出せばいいのに、と単純に思う。「俺」、重いキャラ設定だけど、軽いキャラにした方が絶対作品の強度は増すと思うし、軽いヤツがグルやルイにからかわれながらもそれでも悩んで考えようとするなら、作品が一気に躍動するし共感を巻き込むんじゃないかなあ。物語としての構えはすでにできてるんだから。どうなんだろ

思ったのは、語りをちょっと間違えたのかな、みたいに思っていて、もっと軽快な感じの俺にすれば、軽い分、より浮き上がるもんが出てきたのかな、なんて。現状の俺だと、出てくるもんがあんまりないんですよね。

>タイトルだってそう。人間未満に作者さんの想いは込められてるんだろうけど、百八十度ひっくり返してこれを人間賛歌としてこそ見れないすかね。ポジティブに振れって話じゃないです。ネガティブのままそうなりうる作品だと思うんですけど。

ネガティヴさを書くイコール、ネガティヴな作品ということは、ぜんぜん思ってなくて、まあそのつもりでも書いたんですけど、たぶん、たんに力量がまだまだ足りない、ってことなんだと思います。端的には。

>こういうテーマに挑むことといい、一筆書きみたいな勢いでこの枚数をリーダビリティを保ちながら書けることといい、骨太な大作を書ける気配がむんむんの作者さんなので、なんか昔のヨーロッパの小説みたいな、ユゴーとかデュマみたいなのを書いてくれないかなと思った。そんな志見たいなと思った。最後に社交辞令でつけ足しているのでなく、ふつうにそう思った。

そんなふうに書いてくれるのは、素直に嬉しいです。大作いつか書いてみたいです。プログレのきちっと構成のとれた長い楽曲とか、すごく好きなんで。でも、拙作はというと、たんに自己満が目的で、勢いだけで書いちゃってるし、読者をおざなりにしまっているし、まあある意味、書いて自己ストレス発散的な作品だったもので。

ちなみに、別に感想書いてという意味ではまったくないですけど、新作をアップしますので、時間があるときにでお覗いてもらえると、とても嬉しいです。新しいのは、すごくシンプルに書いてます。シンプルに書いているんだけど、シンプルじゃないよね、みたいな感じです。

あ、よけいなことを一言。maco リカさんの今やっている小説での試みってすごく興味あることなんですけど、それとは別に、返信で書いているような、こういう素の部分で書かれたのを読むと、普通にいい文体があるなあみたいに思えるし、そういうのを小説でじかに読みたいなと、思っていたもので、ちょっと書いちゃいます。

というわけで、ただでさえこういう社会情勢なのに、さらに追い討ちをかけるような自己満小説に、ここまで深く立ち入ってもらって、感謝します。ありがとうございました。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

5150様
 
 冒頭が問題視されているようですので、その点に集中して触れさせてもらうと内容が自殺に関わるものなので暗いとか明るいとか、重いとか軽いとかそういう問題というよりは、リズム感のそぐわなさ、こそが問題なのではと思いました。
 リズム感のそぐわなさというのは、テンポが速いとか遅いとかそういう意味ではなくって、一人称が紡ぐ意識の流れがあって、その速度や起動が描写ごとに逐次変化するわけですけれど、読んでいてその変化に乗っていきづらいとかそういうことです。 だから、共感を呼びにくい描写という話でなくって、共振を起こしにくい意識の流れをもった描写ということなんだと思います。

例えば、
>身体を支える足が、もうあと十センチというところまで進んだ。
>ふと、晴れ渡ったいい天気だと思えて、富士山が拝められるかな、とそんなことが
>頭をよぎった。余計なことだった。
>邪念……。
>でも、それは俺のせいじゃない。晴天のせいだ。
このような脱線の仕方の選択はとても適切だと思います。思考というのはかくあるものですから。晴天のせいだなんて実に気が利いているじゃないですか。一方で、リズムがとても取りにくく思います。リズムをダイレクトに司る表現の、「もう」、「ふと」、「……」、読点などなどの配置があんまりおいしくない感じ。冗長にするところと短く締めるところのバランスを整えて、リズムを整えるといいんじゃないかって思います。

また、落下のシーンですけれど、
>落下してゆく中で、周囲に当たり前のように映っていたはずの、空に浮かぶ高層ビルの
>輪郭やら、縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路だったり、見慣れてい
>るはずの車のサイズが豆粒のようだった。ゴジラの視野にいたのだろう。
詳細が見えるのはマア走馬灯ってことで納得できるのですけれど、「縦横無尽に走っている血管のようにくねっている道路」は走馬灯を見る意識の流れ的に適合していないように思います。もやもやしていてうまく表現できないのですけど、例えば、「くねっている道路」を見ているのか「道路がくねっている」のを見ているのかで、ちょっと表現の順番を変えるだけで、読んでいる側としての流れ方と心地よさがまったく違うのですよね。どちらがいいという話ではないのですが。冒頭は意識の流れ方が不自然に感じる点があります。
意識の流れかたというのは、文章がもつリズムと心理的な意味での視線誘導が自然になるような流れという意味で使っています。ここでは。

別の例で、
>光のスピードに近づくと、その先にあるのは、静謐さというか、無というか、
>妙な静けさの中に辿り着いた。
があります。これがこれまでの例で一番わかりやすいかもしれないです。
順を追って書くと、
「その先にあるのは」で読み手の視線は心理的に先の方へと誘導されます。
それから、「静謐さ」と、「妙な静けさ」という類語反復で、読み手は心理的に行ったり戻ったりします。
読み手に不必要に先の方を見させた上で行き止まり、静謐と静けさの間でより戻されて行き詰る。心理的な視線誘導が不必要にめまぐるしいわりに流れていかないのです。この流れに共振するのは馴染めていない冒頭からはかなり難しいし、仮に共振できてもあまり心地よくない。

 ひっかかりが重要ってのはありますから、リズムの整えることがよいとは、一概には言えないけれど、言葉の配置ということを思います。配置を決める上での着眼点を少し変えると読みやすくなるのではと思った次第です。人が実際する思考するプロセスと言葉で描く思考のプロセスってのは案外違うものですよ。取り留めなさを取り留めなく書いちゃいけないとかそんなことを思います。

 ちなみに同じ問題点は一面の作品でも感じました。例えば、「春らしい日」を多用しているところ、多用していることが問題ではなくて、心理的に情緒が展開していかないところに問題があるのではと思ったりします。

5150
5.102.0.232

アリアドネの糸さま

>リズム感のそぐわなさというのは、テンポが速いとか遅いとかそういう意味ではなくって、一人称が紡ぐ意識の流れがあって、その速度や起動が描写ごとに逐次変化するわけですけれど、読んでいてその変化に乗っていきづらいとかそういうことです。 だから、共感を呼びにくい描写という話でなくって、共振を起こしにくい意識の流れをもった描写ということなんだと思います。

なるほど、「共振を起こしにくい意識の流れ」ですか。描写において、この二つを結びつけて考えたことなど、なかったかもしれませんね。もともと、5150は句読点の使い方が恐ろしく下手で、つまりは音感オンチみたいな気がずっとしていたんですけど、リズム感というのは頭ではわかっていても、体感できていないものなのかもしれません。いまだに、わかりやすく書くというところから、それより上へと、抜け切れていないからなのかもしれません。

>意識の流れかたというのは、文章がもつリズムと心理的な意味での視線誘導が自然になるような流れという意味で使っています。ここでは。

そうか、意識の流れというのは、文章のリズムが絡んでいるわけなんですね。まあ、考えてみれば当たり前かもしれないですけど、書くときにそんなふうに意識してこなかったですね、たしかに。ありがとうございます。

おそらく、アリアドネの糸さんは同じような点に、5150の以前の作品でも引っかかりを覚えているはずだし、同じようなことを繰り返し、指摘されているような気がします。特に、手鏡を小道具で使ったホラーのときも、同じように、リズムを整えよ、といわれたのを思い出しました。

つまり、おそろしいまでの語感オンチではあるのでしょうが、こればかりは一夜でどうにもできるものでもなく、指摘を受けた新作では、読点をいつもと変えてリズム感を出そうとしていますが、投稿されたのを目を通してみると、やはり小手先という感じがつきまとっていて、閉口しちゃいます。

声に出して読んでみるといいといわれていますが、どうもうまく習慣化できていないんですよね。あと、リズム感のよい作品を繰り返し読むのも、よいだろうし。

ってなわけで、かなりへこんじゃていますが、ともかく、共振という言葉は、なんかすごく響いてきました。

いつも適切な指摘をしてくれて、感謝しています。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

5150様

>リズム感のそぐわなさ
 という言葉が適切でなかったように思います。より強調したいのは読点の打ち方など刻む文章のリズムではなくて、書かれた内容が心理的にどう流れていくかを意識されたらどうでしょうかということでした。(個人的な趣味嗜好の反映した例の選び方もよろしくなかった) その顕著な例が「静謐さ」それから「春らしい」などの同語或いは類語反復でして、それらは心理的にもたつくという作用があるということ、は先に述べたとおりです。

この際ちゃんと分析してみようと思うのですが、

1)
「赤い扉を開けて外に出た。赤い扉の前でぼくは青い空を見上げた」

 という文章を考えてみました。この文章が心理的にもたつくのは二つ目の赤い扉でしょうか。でも、言葉のリズムは別に悪くないようにも思います、っていうか、リズムがどうこういうほど長い文章ではないように思います。でも意識の流れ・心理の流れとしてはもたつきがあります。扉を空けた瞬間にまばゆい陽光が読み手には見えていますから。一文目の段階で読み手の視線はもう先に空の方に行っている。けど、空を見る前に、「赤い扉の前で」ってのが入るから、読み手の視点は赤い玄関の方に改めて呼び戻される。心理的カメラワークを見ると

一文目で「ぼく」は前を向く、読者も前を向く
二文目の「赤い扉の前で」で、「ぼく」は前を向いたまま、読者は後ろのドアを向く
二文目の「青い空を見上げた」で、「ぼく」は上を向く、読者はターンして上を向く

僕はずっと1カメ、読者は1カメ->2カメ→3カメって感じ。
 
 だからこの例は文章のリズム感が悪いわけではなく、「ぼく」と読み手が同調しにくい、心理の流れのもたつきと心理的カメラワークの不要な切り替えをもっているってことになるのかしら。だからといって、この手の文章が悪文かっていうとそうじゃなくて、実際はこれ単体だと正直問題ないと思います。共振しづらくなるかわりに、状況がわかりやすくなり、お話に没入しやすくなるってことも十分あり得えます。感性に訴えるか、知性に訴えるかという切り口にすぎないと言いますか。ういう類のちょっとしたもたつきが重なると、共振しづらくなるっていう点さえ意識できていれば問題ないのではと思う次第。

5150様の作品に感じたことはリズム感ではなくそういう意味での共振しづらさのほうです。リズムを整えるという話は、うまくいかせるための方法であって、問題点そのものではないように思います。それに文章におけるリズム感ってのは作家個々がもっているものだから、どれに正しいとかはないのだと思います。アリアドネの指摘は。四拍子のワルツになってもなあって感じですし。

2)
 あと類語反復はちょっと角度を変えるように選べば、意識は流れないけど心理的に発展したりするので、何事もやり方次第だとは思います。
例えば、

「黒より暗き漆黒のブラックコーヒー」

という一文を思いついたのですけど、これって中二って感じするし類語反復はなはだしく黒い以上の情報がなくて文法作法てきには悪文だけど、こういうCMあったら、そのコーヒー買いたくなりませんか? などなど。

 と長々文句ばっかり書いたのですけど、5150様の作品は血は通っているように思うんですよ(そういうことを再訪するまで言わないのは、ツンデレってことで)。ちゃんと掘り下げようと取り組んでいる筆致だからどの作品も嘘がないように感じます。この作品のもたつきだって、見ているものをあますことなく模写しようとしているからであって、作為があるわけじゃないから。だから、作品の血の通い方に見合っただけの気の使い方ってやつを、ちょっと角度を変えて眺めてみたらどうですかってことでした。

 長々と失礼しました。個人的にぶち当たっているところと重なっていて、ついつい饒舌になってしまいました。そういう目的で、感想を書いたものであまり内容に触れられなくてすみません。

5150
5.102.0.232

アリアドネの糸さま

>より強調したいのは読点の打ち方など刻む文章のリズムではなくて、書かれた内容が心理的にどう流れていくかを意識されたらどうでしょうかということでした

5150のイメージ的には、心理的な流れ上にある凸凹にヤスリをかけて、スムースにする、みたいな感じなんですが。呑み込みが悪いので、同じ箇所を繰り返して申し訳ないのですが。

例えば、
>身体を支える足が、もうあと十センチというところまで進んだ。
>ふと、晴れ渡ったいい天気だと思えて、富士山が拝められるかな、とそんなことが
>頭をよぎった。余計なことだった。
>邪念……。
>でも、それは俺のせいじゃない。晴天のせいだ。
このような脱線の仕方の選択はとても適切だと思います。思考というのはかくあるものですから。晴天のせいだなんて実に気が利いているじゃないですか。一方で、リズムがとても取りにくく思います。リズムをダイレクトに司る表現の、「もう」、「ふと」、「……」、読点などなどの配置があんまりおいしくない感じ。冗長にするところと短く締めるところのバランスを整えて、リズムを整えるといいんじゃないかって思います。

「もう」、「ふと」は、書いているときは、どうしても話の流れ的に向かうべき方向へ読者を促す役割とか、状況の曖昧さをなくしたい、みたいな意識で書いているはずなんですね。心理的な流れをという観点で読み直すと、指摘箇所はなんとなくわかる、くらいな感覚しか、ないですね。これらがないとたしかに、よりスムースに、ダイレクトに動いていきますね。引っかかりがなくなる、といいますか。……は、イマイチですが。

推敲のとき、期間置いても、やはり書き手の脳でしか見えてないので、どうしても、ここわかってくれるかな、とかそんなことしか気にかけられないので、現状だと、冒頭とか、肝心な場面とかで、心理的な流れだけを拾うアンテナ出すしかないのかな。それもウルトラマンみたく三分くらいしか、持たなそうだし。

1)のたとえは丁寧に説明してくれたので、よくわかりました。ただ思うのは、初稿の段階ではたいがい映像が頭にあって、それを具現化するために言葉を重ねているだけのようなもので、そういうイメージの残像が推敲段階でも邪魔していると、逆に感じられなくもありません。その点は、おそらく5150とアリアドネさんとでは、対極のタイプなのかもしれません。

推敲で、ただそこに書かれた言葉だけを集中して見るという行為自体が、ひどく難しく感じられるんですね。なので、そういう齟齬が生まれるのでは、あるいは意識できないのかな、と思えたり。

2)については、同類語を並べてしまうというのは、いつもやってしまうことでもあり、中二よりも悪いかも、です。これも悪癖の一つだと思います。前にSFっぽい作品の感想でも、同じような抽象性ある言葉をただ並べているだけ、とアリアドネの糸さんから指摘いただきましたが、同じようなものかな、と。

>春の暖かさを感じる天気。三月の中旬らしく、穏やかで、実に春らしい日だった。寒いと感じられる日は、少なくなっていた。

直すとしたら、春の暖かさ、か。別の表現で。

 >春らしいと感じられる日は、昨今では、めずらしく感じられる。春なのに春らしい日があると、思わず嬉しくなる。

ここは、同じ言葉が続きつつも、ロジック的な流れからこんなふうにした、かも。「春なのに春らしい」は、いじれないから、やはり「春らしい」が直しどころ、か。

>長々と失礼しました。個人的にぶち当たっているところと重なっていて、ついつい饒舌になってしまいました。そういう目的で、感想を書いたものであまり内容に触れられなくてすみません。

とんでもないです。5150も最近の感想は、自分のための練習みたいなことで使っていますので。このサイトでの感想欄の使い方としては、互いのギブ アンド テイクが最も有効的かなと思ったりしてますので。

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