翡翠
「決して人前でその瞳を見せてはいけないよ。もし、誰かに見られればお前は捕らえられ殺されてしまうかもしれない」
私がまだ子供だった頃に父から嫌という程聞かされた言葉。私は人間じゃない。怪物や化物と呼ばれる異形。ただ、私だけは姿形は人間と大差ない。目の色が変わることを除けば、という言葉が必要になるが。私の目は普段は普通の茶色をしているけれど、感情が昂ったりすると目の色が翡翠色に変わってしまう。私の父や母は角があったり、耳が長かったりと人間には程遠い見た目をしていたにも関わらず私は目の色以外に変わった所はない。幾度となく自分が本当に人間で無いのかを疑ったが、その度に目の色を見て再確認する。自分は化物なのだと。もうその父も母も死んでしまい、一人になった私は人間の暮らしに紛れて過ごした。
そんな私にも初めて愛する人が出来た。彼は普通の人間だった。私は自分の事は隠しながら彼と幸せな時間を過ごした。彼の部屋で同棲を初めるのに時間は掛からなかった。彼はとても優しい性格で、いつも私の事を精密な、それこそ、これから発射する宇宙船のコックピットに触れるかのように大切に扱ってくれる。私はそんな彼が何より好きだった。そんな日々に終わりがやってきた。或る日、私は近所の人間に翡翠色の目を見られてしまった。しまったと思ったが時すでに遅し。完全に気が抜けてしまっていた。彼との生活が普通になっていく中で自分が化物であることを忘れてしまっていた。人の口に戸は立てられず、噂は瞬く間に広がっていく。そうすれば始まるのは執拗な嫌がらせ、出てけと書かれた紙を貼られる等々。私は彼に本当の事を話した。自分が人間では無い事を。彼はそれこそ最初は驚いていたが、直ぐに受け入れてくれた。俯く私を初めてしっかりと、それでもやはりどこか優しさを感じる力で抱きしめた。嗚呼、私はなんと幸せなのだろう、そう思った。しかし、彼のような人間はあまりにも少数だった。多くの人間は私を怖がり、遠ざけ、排除しようとした。ずっと続く嫌がらせに私もとうとう心を病んでしまったのだろう。ふと、彼の前で口にしてしまった。
「死にたい」
言った後にハッとしたこんな自分を受け入れてくれた彼に何を言っているのかと。慌てて否定しようとすると、今度は彼が口を開く。
「いいよ、一緒に死のうか」
彼は至極真面目な声色で、いつものように優しく笑いながら言った。私は否定したかった。貴方と一緒なら生きていける、そう言いたかった。私はもう、疲れ果ててしまっていたのだろう。彼の言葉に頷いてしまった。
そこから私と彼は、住んでいた部屋を手放しある場所に向かった。私とその家族が住んでいた場所。もう、何も無いただの森になってしまっている場所。私達は持って来ていた睡眠薬を手のひらに致死量取り出し、お互いの顔を見合わせる。
「ごめんね」
出てきたのはそんな言葉だった。
「気にしないで」
彼はまた、優しい顔で笑う。二人でタイミングを合わせて睡眠薬を一息に飲み込む。そのまま私達は手を繋ぎ気に寄り掛かって座る。
「もし」
彼が不意に口を開く。
「もし、来世があるなら、僕はまた君を見つけ出すよ。その綺麗な翡翠の目を頼りに」
今度は真剣な顔で。私は近くにあった野花を彼の髪に着ける。
「じゃあ、貴方はこの花を目印にしてちょうだい?私も絶対に見つけるから」
私は彼に笑いかける。そして、心の底から愛おしさを込めて口付けをした。彼もそれに応えるように私の肩を抱いた。ここで、私の意識は途切れてしまった。
そんな前世の記憶をもって産まれた私。調べていくうちに前世から数百年経っていることがわかった。私は産まれた時から目の色が翡翠色だった。ただ、今度は正真正銘人間として産まれてきた。先天的な病気として普通に受け入れられている。もう今世に産まれて数十年が経ったが未だに彼は見つけられていない。このまま見つけられなければ一人死んでいくのを待つか、別の人と結ばれるのか、不安が心を締め付ける。
そんな日々が続いたある時、街を歩いていると不意に、男性なのに頭に何か着けている人を見つけた。近くに行ってよく見てみればあの時、彼の頭に着けた花と同じものだった。嗚呼、やっと見つけた。すると彼がこちらを振り向いた。彼もきっと私と同じなのだろう。この翡翠の目を見て驚きと、安堵の表情を浮かべている。私達は無言のまま近づいて顔を見合わせる。
「数百年ぶりね」
「昨日の事のように思い出せるけどね」
「目印、付けててくれたのね」
「君も。あの頃と変わらず綺麗な瞳だ」
彼はまた優しく微笑みかけ、優しく私の顔を触る。
「また、私と一緒にいてくれる?」
「勿論、その為に生まれ変わったんだから」
あの頃は呪いだったこの翡翠の目が今は幸せの象徴となったのだ。
翡翠の石言葉の一つは平穏。私たちのこれからが平穏でありますように。
執筆の狙い
「翡翠」をテーマにして書きたいと思って書きました。