作家でごはん!鍛練場
日記

日記にでも書いておけ

令和元年秋に心療内科を開院してさぁ、患者さんも徐々に増えて来てこれからだって時に何だか中国では怪しいウィルスが蔓延して、最初は他人事でいたんだけども何だかスッカリ蔓延しちゃいましたよね。ここまで世界を脅かすとは思っていなかったよ。ちょっとした風邪くらいに思っていたんだけどね。世界のどっかで、日本のどっかで、新型コロナウィルスは人々の命を奪って行っているんだね。志村けんが死んだ時は本当にビックリしたよね。あ、これ死ぬ奴じゃん!って皆がなったと思うの。「だいじょぶだ~」とか「いいんだよ」ってギャグがあって、感傷的な私はそうだよね…って励まされたりもしたんだけどさ、あの言葉は嘘だったんだね。パンデミック起こすならラブ・安堵・ピースの3つにして欲しいなと思ったよ。

5月くらいかな?私の住んでいる県でも遂に移動制限が掛かっちゃったんだ。その辺から、患者さんの来院が乏しくなってしまったんだよね。遅くてもこの時からフリーペーパー以外の宣伝とかやっておけばさ、多少なり結果は変わっていたのかも知れないけれど、当時の私と先生の選択は「皆が外出しないような動きになっている中でなんか目立つようにノボリを立てたり、入り辛さを作っている近くの縁石を除去するなんて意味がない。」って決断だったんだよね。仮にそれらを実施したり、セミナーなんかに参加して分からん奴のコロナ対策なんかを聞いた所でさ、病院を潰す今となってはやっていても無意味だった様な気がする。特にセミナーは今までの常識とか通用しないと思うし、「コロナ禍での立ち回り方」みたいなあったけれど、お前等だってコロナは初体験のくせに何で教えられんだよって思ってたんだよねー。

それらの事をやらないで動かざること山のごとし、院内ではダンベル持ってスクワットやウォーキング、腹筋や背筋ばっかしやっていたよ。後々に細かく話すんだけど、経営者としてはほんと失格の日々を過ごしていたと思うよ。お店をどうしようって感覚は多少あるけれど、どっかでバイトして売り上げの足しに出来たりするのにそういった行動は一切しなかった。こんなご時世だからしゃあないよねと諦めて、早く家に帰ったら更に何万歩も歩いたよね。そうやっているうちにいつの間にか私は海外に飛び出るくらいに歩いているよって歩数計は教えてくれてさ、何やっているんだかって思った反面、私は頑張れているなって気持ちになったよね。患者さんが0~2人な日々の中でもヘトヘトだった。健康的な汗を沢山かいていた。心身の病気でビンゴ大会でもしているのかな?早く上がりたい、つまり死にたいみたいな気持ちで過ごしていた前の病院の頃と比べると、本当に健康的な日常を過ごしていた。そして多少は焦燥に駆られるけど、「まぁ良いか」とか「なんとかなる」とか、当時の私が持ちたくても持てなかった楽観性がこの時は出来ていた。私は負債を思いっきり毎月抱えた代償に自身の健康を手に入れていたんだね。この辺に関しては良かったと思う。健康は一番の財産だもんね!

そんで、移動制限が解除されて徐々に新患や数少ない常連がまたやって来るようになったと思ったらさ、病院の近くにある大型スーパーの中にある美容室でコロナの感染者が出たんだよね。そのスーパーも勿論、その近辺のお店にもモロに影響を受けたわけよ。私達も近くだったから当然巻き込まれちゃったんだよね。季節は夏、皆が活発的に動き出す季節だった筈なのに何だかずっと雨でどんよりとしていたし、晴れている日だっていうのに人が少なくてさ静かな夏だったよね。車の通りが多い筈なんだけどね、遠くで鳴っている蝉の鳴き声や風鈴の音が病院まで届くなんてね。ああ、風流だな~とは思えなかったよ。こんな感じで納涼はしたくないなと思ったよね。まぁ、もうそんな体験は出来ないんだけどね!あん時は幽霊でも良いから来てくれよって思ったりもしたんだけど、アイツらって健康なんですかね?それとも不健康なんですかね。死んでいるって健康なの?幽霊になるって不健康なの?なんだか訳わかんないね!都会の心療内科はコロナ鬱がどうたらなんて言っていたんだけどさ、うちの市では違うみたいで、会社や学校での人付き合いが無くなって楽だって人達が多かったんだよね。すげえ不謹慎なんだけど、コロナ+産後うつみたいなのもちょっと期待したんですけど、むしろ家族の時間が増えてみたいな流れが出来ちゃってさ、こんな事を大きく言えないんだけど…みたいな方々が多かったね。病院経営しては最悪な展開なんだけど、このコロナで寧ろメンタルが安定していくならそれは良い事だと思うーみたいな複雑な感情を抱いたよね。実力もそうだけど、時代や運が悪かった。これは負け戦だ…撤退戦だ。島津の退き口だなんて思ったりもしたけど、「あの中央を駆けよ!」の中央が無い、しかも先も見えないそんな状況。一体何処を走って行くのだろうか…四面楚歌なうえに八方塞りな気分だったよ。

そんなこんなやっているうちにもう秋になっている。こんな筈では無かったカオスな1年を迎えた。仕方がないという開き直りや諦めもあったけど、1年を迎えたわけだし我武者羅に動いてみようと決心したんですな。これまで色んな人から言われていたアドバイスを書き出して、それらを実施しようなんて思っていた。それに辺り、前職で私の上司に当たる人(Aとする)からコンサルを紹介してもらった。そのコンサルさん自身も先生であり、自分の診療所の他に全く関係ない所の診療所の立て直しやオープニングにめっちゃ携わっている。そんな偉大な人だ。その人からアドバイスを頂こう!よーし動くぞーなんて思っていた。だけど、電話で幾つかの質問をされて導き出された答えは「我々の立て直しの技術を使っても、その病院はもう立て直せません。傷口が広がる前に潰しなさい。」というものだった!そんで、「もう1回、経営の技術を学びながらウチで働きましょう!〇〇県に来ましょう!」とありがたいけど急展開な事を言われて頭の処理が追い付かず。考えさせて下さいと断った。

その後、Aさんから連絡が入った。「コンサルさんから、Aさんからも話してくれと言われたからさ、20時にうちに来れる?」って内容だった。正直、物凄く嫌な予感がしていた。でも会うことにした。19時40分頃に病院を早く締めて、私と先生はAさんのいる病院へと車を飛ばした。私は心臓がバクバクしていた。怒られると思っていたから。車内では「なぜか今日は殺人なんて/起こらない気がする/だけど裏側には/何かがある気もする」ってサビが流れていた。この曲が物騒で不吉に聴こえたのはこの日が最初で、この先の人生では最後であって欲しいと思った。数本だけ、煙草を吸い病院にお邪魔をした。

Aさんからはお前らが普段、どんな風に過ごしているか紙に書いてみろと言われた。私は筋トレや書き物、先生は暢気にゲームしたりしていたけど、お互いにその事は書かないでそれっぽく書いた。Aさんはそれを元にお前等は何をしているんだと私達に説教を始めた。ああ…やっぱりと思った。だけど私達は動かなかった、疎かだった事実がある。Aさんはきっと私の周りの人間、両親や親友、前職の親しい人達、取引先が内心思っていた事を全部引き受けて、悪役になるつもりで叱ってくれているんだと私は考えた。だけど、その考えは合っているとは思うんだけど間違いでもある事に気付かされるのであった。

如何に行動せずにスカスカな時間を過ごして来たか、経営者としての行動力の低さを自分達が書いた紙から責められた後に、人格面の話になった。「大体、お前は何時も不平不満ばかり、言い訳ばかりして、都合の良いように考えて、自分が楽な方に物事を考えようとしている事がずっとあった。だからぶっちゃけ、お前は100%失敗すると思っていたよ。患者も周りの奴らもアイツが独立とか大丈夫なのかよって言っていた。これってどういう意味か分かるか?誰からも期待されてないで過ごして来たって事だよ。お前は7年間、何を学んで来たんだ?」と言われた。ええええ…ここまで言うのかよと思った。人格面に問題があるのは確かだし、そういった部分があるのも事実なんだけど、それを全部言われてしまうと私はもう何も話せない。発言の全てが不満、言い訳、都合よい楽したい返事になるから、「はぃ…」「すみません…」しか言えなくなっていた。そんな糞野郎な私の働きに対して「ありがとう」や「助かる」と言っていただいた数少ない職場の人間や患者さん達は幻だったのかと、動悸が止まらなくなった。

そして「大体さ、親も悪いよ!親の育て方もなってないよな!お前、甘やかされ育ってきたんだろ!」と言われた時には流石に涙が出た。「親は関係ないだろ!じゃあ、お前の親は立派な人間なのか!人の親を貶すような育て方をしたのか!てめぇの弟が病んでいるのは立派な教育の結果か!」と言いたかった。だけど言い返せなかった。泣いてそれを聞き入れる事しか出来なかった。それくらいに私は生き方が出来ていなかった。ごめん…お父さん、お母さん。私みたいな人間としての難易度が高い奴をあの環境の中で向き合って30年も育ててくれて、本当にありがとう。だけど、それを私は日頃の生き様で見せることが出来ませんでした。あなた達を否定するような生き方をして来たみたいです。本当にごめんなさい。

そして「もうお前等さ駄目だから、〇〇県に行ってこいや!」と言われたけど答えず。「なんでお前等はこんだけボロクソに言われて、この野郎!見返してやるって気持ちで今この場で行きますと言えないんだ!情けないよ!」と言われ、最後には「まぁ、どうするかはお前等の勝手だ…」で2時間ほどのご指導?またはパワハラを受けて終了した。車に乗る頃にはある程度は泣き止んで、すき家に向かった。胃のムカつきや動悸が半端ないけど、こんな時でも腹は減っているので強引に胃の中に押し込んで家に帰った。

家に帰り、台所のテーブルで私はホープを吹かした。ホープは日本語で希望。それを私は自らの手で灰にしている。ああ…こんな風に私はしてしまっていたのだと溜息と煙を混じらせた。蜂蜜の着香に混じり涙の味がした。ヒステリックに暴れまわりたい気持ちを抑えて、声を殺し泣いた。すると喉が渇いたって弟が2回から降りて来たんだよね。泣いている私を見て何があったんだよって心配してくれたんだよね。ほんとそれだけでも人の温かい優しさに触れた感じがしてさ、うわーんって泣いてしまったよね。でまぁ、事の顛末を語ったのさ。さり気無く私のホープを拝借しながら弟は黙って聞いてくれた。話に集中し過ぎている故にだと思う。煙を私に吹きかけながら言ってくれた。「親が甘いって…身内が甘くなかったら、誰が姉ちゃんを甘えさせたんだよ…。俺には姉ちゃんは、甘ったれるな、このままでは行けない、また悪い所が出てしまっていると自分に言い聞かせ、身体に鞭を打ちながら働いている姿が映っていたんだけど、その先生は近くにいたのに何を見ていたんだろうね。失敗すると思いながら独立させるってさ…思いやりのある人間、出来る人間のする事じゃないよ。姉ちゃん、確かに正論の部分もあるけれど真に受ける必要はない。」なんか久しぶりに純度100%の励ましを受けたよ。その日は、サラッとお風呂に入って睡眠薬を飲んで無理矢理寝たよね。

次の日の朝にお母さんが患者さんも来ない私の為にお弁当を作ってくれてさ、「あれ、おはよう。昨日は遅かったけどどんな話をして来たの?」って聞いて来るの。私は顔に出やすいから、多分酷い顔をしてたと思うんだけど話しやすいように笑顔で言ってくれたの。だから弟に話した事をそのまま伝えようとしたんだけどさ、「私が悪いのに…親の育て方が悪いからこうなったって、言われて…親は関係って思ったけど!言える程…自分はしっかり出来てなくて、何も言い返せないまま、帰って来ました!お母さん、ごめんない。30歳にもなってこんな人間で…ごめんなさい!」ってまた泣いてしまったんだよね。そん時にね「…他の子と違って、あなただけは甘えたい時期に甘えさせてあげられなかった。ノイローゼであんたにきつく当たって、引っぱたいてチックや脱毛なんか出させてしまって、それに腹を立てて更に叩いて…あなたが人生で自信を持てなかったり、躓いてしまうのは甘えたい時期に理不尽に当たってしまったからなんだと思う。こんなお母さんでごめんなさい…。」と泣かせてしまったのだ。

確かに私と母の間には兄や姉、そして弟にはない溝が確かに存在していて、大人になった今ではあの時の母がそうしてしまうのはやむを得ない、寧ろ私にだけ手を出してよく耐えて来たな、私だったら無理だと思っているんだけど、どっかではずっとお母さんの事を憎んでいた自分がいたんだよ。お母さんもその辺はやっぱり申し訳ないと思っていたんだね。だけど、口に出させて謝らせたいとは思っていなかったんだよ。恨んではいるけど、やむを得なかったんだと思っていたんだよ。だけど、口にさせてしまった。ああ、私が出来ない奴なのに親のせいにしてしまった。なんて親不孝なんだろうと思った。でも、お互いに触れて来なかった毒はある程度だが抜けたと思う。話し終わった後は何でかお互いに笑顔だった。

その後、他の家族や友達、知り合いなんかに病院を閉める事を告げた。Aさんに言われたような事を言われるのかなと思ったけど、そんな意見は今の所は受けていない。もしかしたらこの先はあるかも知れないけどね!多くの人には「まぁ…コロナだし、仕方がないよ…。そんな奴から言われた事は気にすんな。」という声を頂いた。Aさんは確かに成功者なんだけど、思い付きの理不尽だったし、ありがとうが言えない人だった。そして親の事まで出して説教しだすのはパワハラで、当時50万円で買った中古の機材をそのまま私達に売りつけていたという事実もある!そんなAさんが「こういうのを読んで学ばないといけないんだよ!」と勧めてきた「年収1億円になる人の習慣」というビジネス本を今更だが読んでみた。高級車がどうだとか24時間365日働くだとか、2時間前に出勤するとか理解しがたいモノはあったが、学んだ事が幾つかあった。まず、これはあくまで成功ルートの1つではあるんだけどこうやって働くのは合っていないのが分かった。①「本性」は弱者への対応に出る、②最後に「負けておく」事が出来る人は優秀、③相手の「良い所」と「悪い所」を同じ数だけ言えると人間関係は上手く行くという部分は感心した。私はこれを勧めて来たAさんを思い浮かべる。あいつ…本当にこの本を読んでいたのかと疑ってしまった。人は自分に関係ない事にはいい加減であるとどっかの賢者が言っていた気がするが、本当にそうだなと思ってしまった。ここまで思ったのに、「よし!気にしないでおこう」とならないのは本当に情けない。もう一回だけ会わなければいけないのだ。もうお前達なんてどうでも良いみたいな扱いだったらうれしいけれど、また過剰な正論マウントを取られそうで堪んないのだ。夜はバイトしている事にしようと思う。

私はもう医療系の業界から離れるつもりだったけど、離れるのは何時でも出来るし、もう1度だけ向き合ってみようと思って独立について行ったんだよね。そんな精神にちょこっとの宣伝広告では全く駄目だった訳なんだけど、こんなダメダメな経営や私を自己肯定するなら、人間としてのリハビリ期間だったのかも知れない。また医療系の仕事に行っても良いなと思えたし、地位やお金ってよりは人の事であんまり悩んだりせず過ごせれば良いやと思えた。難しいとは思うけどね。後、なるべく今だけを見て生きていきたいですね。過ぎた事に悩むのは馬鹿らしいし、起きてもない未来について考えるのも馬鹿げているしね。疲れたらさっさと寝よう。早く寝れた、早く起きれた。挨拶できた。それだけでも細かく自分を褒めてあげようと思う。天国言葉を毎日欠かさずに言って行こうと思う。

日記にでも書いておけ

執筆の狙い

作者 日記
sp49-98-134-219.msd.spmode.ne.jp

日記を書くということがいつしか生きがいと化していました。

コメント

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

>日記さま(でいいのかな、ほかの名前で書いている方かもしれませんが、いまはこのPNで。)へ

拝読しました。「日記にでも書いておけ」のタイトルに惹かれて本文を表示させてみたらわたし好みに文字がぎっしりしていて、いざ読みはじめてみるとその語り口に吸い込まれるように違和感もなくラストまで読み進められました。文章の流れがスムーズで、実際に人が心に思うことをそのまま形にして淀みないものに仕上げられてるからだと思いました。

はじめの一文――《令和元年秋に心療内科を開院してさぁ、患者さんも徐々に増えて来てこれからだって時に何だか中国では怪しいウィルスが蔓延して、最初は他人事でいたんだけども何だかスッカリ蔓延しちゃいましたよね。》を読んだときに、語り手は男性に違いないと思いこんでしまいました。読みようによってはどちらの性別とも受け取れそうなのですが、ちゃんと気づけたのは決定的な言葉、お姉ちゃん、という言葉が弟の口から出たときでした。それまでまったく気づかなかった、気づけなかったわたしの迂闊さときたらもう。恥ずかしい気持ちですけど、そうだったんだ! と単純な私にとっては十分な驚きを感じさせられた次第でした。

これは作者様の現実に起こったことをベースに書かれているのだろうかという疑問が浮かびます。どちらかはわたしにはわかりかねますが、かつての仕事先の上司Aのうさん臭さが、妙にリアリティがあって、そのパワハラ行為がいかにも似合いそうなキャラクターでもあって、こういう人と近い関係性があるのはきついなあと感じもしました。コロナ禍で弱ってる時に弱り目に祟り目で圧力をかけて自分の思う方向に他者の進路を決めようとするような人とは、わたしだったら距離を置きたいなと思いつつ、でも自分で自分の道は決めたいなという希望もあるといいよな、って感じてました。

コロナ禍でこれまでの生活のペースが乱れた人が大半だと思います。たしかに夫婦仲が良くなったとか、家族の結びつきが強まったという人たちもいるでしょうね。でもコロナ禍が原因かと思われる生活の苦境におちいって、自殺者が増えている(らしい?)ということも周りの人から聴いています(ソース元はたぶんニュースですけど)。電車で通勤している人の中には、飛び込みによって遅延する日がたしかに増えている。通勤時間によく起こるから、まいってるということを聞きもしました。

わたしは今夜は仕事の予定でしたが、頭痛と喉の腫れがあって、幸い平熱ではあったのですが、大事を取って休みました。ひとりが調子を崩せば周りに迷惑が掛かる。今夜の仕事はわたしの担当している部署、頭数が足らなくててんやわんやだっただろうなと思うと、けっこう心苦しくもあります。

わたし自身、つい最近、自分の身辺近況に近いものを題材にして作品を書いているところなので、「日記にでも書いておけ」というタイトルに居てもたってもいられなくなりました。わたしの出した作品こそ、日記にでも書いておけ、な内容ですから💦

あと「島津の退き口」や「天国言葉」という用語が出てくるのが面白かったです。地の文の雰囲気といいますか、この語り手の口から出てくる言葉なら、そう違和感を覚えるものではないなと感じまして、自然な流れで出たものだとすれば、ユニークな面でもあってとても良いなという評価につながりました。

日記さまがどういった素性の方かはわかりませんが、作品、とても楽しめました。それでは失礼いたします。

大丘 忍
p1793091-ipngn200202osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

 コロナウイルス、とどまることを知りませんね。医療の現場にも多大な影響を与えているようです。私は、当初からこれは簡単には治まらないぞと思っておりましたがその通りに成りましたね。心療内科の部門では特に影響が大きかったのでしょうか。
 この文章を読んで語り手は若い男性医師だと思っておりました。ホープという煙草をふかすのは男性を思わせますね。後の方で、弟が姉ちゃんと呼ぶのを見て初めて女性医師だったのかと思いました。どちらでも本質的には変わらないと思いますが、このような文章では語り手の年齢、性別などは早い段階に読者にわかるように示しておいたほうがいいと思います。
 コロナウイルスはまだ当分続くでしょう。私は医療崩壊を心配しております。お互いに注意するしかありませんね。
 そうげん様と同様に、私も作品として面白く読みました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内