作家でごはん!鍛練場
そうげん

跡(あと)

     ◇

 椅子に腰かけ目をつむる。深呼吸して肺の中の空気を入れ替えると、吸気があたる鼻の奥に一抹の清涼を覚える。夕食を済ませた。入浴も済ませた。お茶の用意もし、すべき用事はすべて終えた。そしていま自室にいる。目を開く。机の上の存在が僕を放っておかない。自分のタイミングで取りかかりたい。
 コクヨのキャンパスノート。方眼罫の八〇枚。黒地に白のシックなデザインだ。表紙に白いマーカーで手書きされている。「2020年(3)」と。
 僕はノートの受け取りを希望した。生前の伯父の書き物に興味があった。母は眉をひそめたけれど反対はしなかった。父も母も本を読む人ではない。僕も好んで読むほうではなかった。ただ幼いころから本を読み文字に親しみ自分で書くことを選んだ伯父の、僕がまだ知らない側面――想いの一端なりとノートを目にすることで伝わってこないかと期待したまでだ。全部で四冊あったノートは、すべて僕が受け取った。
 二〇二〇年は中学三年で受験生だった。あれは十月か。受験勉強の息抜きに実家に寄るという母について僕も半年ぶりに親元の敷居を跨いだ。伯父は任天堂のSwitchを買った直後で僕も『マリオ』を遊ばせてもらった。夜勤で仕事はしているというけれど非正規であるし、正直何をしている人なのかもよくわからなかった。母が言うには初任給ほどの給与も貰ってないそうだから、実家暮らしでなければきっと生活に苦しんだことだろう。
 目の前のノートを捲ろうとする僕の動機は何か。興味本位か探究心か懐かしさに触れたいのか、それとも下種の勘繰り的な何かか。何はともあれ目の前のノートは僕の気持ちをそこに釘付けにする。



▼十一月十四日、土曜日、晴れ。
 八時過ぎに寝たものの、十二時には目が覚めた。ひさしぶりにラーメンを食べたくなったので、一条寺発祥のチェーン店「豚人」に行き、とこ豚骨の厚切りチャーシュー4枚のせを食べる。中太ちぢれ麺を選び、替え玉にも同じものを注文した。休日でもありテーブル席には家族連れの姿もあった。小学校の低学年だろうか。両親に連れられた兄弟が二人いてそのどちらもが大きな声で騒いでいた。やかましいと感じるかにぎやかと感じるか、そのギリギリの間だったから、これも山の賑わいという態で聞き流した。
 ショッピングモールのフードコートであればその手の騒々しさにはさらに拍車が掛かる。騒々しいのが標準だからいちいちそこに目くじらを立てるのは空気を読めない頑固者か。保育園、幼稚園、小学校等の建設計画が近所に持ち上がると住民たちが反対運動をして中止に追い込むという報道をときどき耳にする。子供を目の敵にしているように感じられる。大人の方で他者に対する寛容さが失われているとも言えるか。
 騒々しいにも様々な質があるようだ。たとえば酒を飲む店での挙措について。大衆的な居酒屋でテーブルを囲んで飲むような場合、祭りの運営の打ち上げなどで羽目をはずして楽しむような場合、あるいはアダルトコンテンポラリーミュージックの流れる店内のカウンターでグラスを傾けながら歓談するような場合、そこで話される会話の語気は自ずと変化がつけられる。変化せざるを得ない。店に親しむ中で必要な挙措というものが外側から要請されるのだろう。あるいは店を選ぶその時点で客は選別されてしまっているともいえる。
「ラムロワーズ」にランチの予約を入れたが、鉄道のストライキに遭って約束の時間に他のメンバーが集まれなかったことがあった。(ほかの三人はリヨン方面からで、わたしだけがディジョン方面から乗ったからだった。)予約は四人だったが、他は来られなくて自分一人でもいいかと尋ねたら店が快く受け入れてくれた。風格ある調度品の揃っていた店内で四人テーブルの一隅を締めた私はフルボトルの赤ワインを一本注文した。エスカルゴを揚げ物にした料理が印象に残っているが、メインになにを食したかはすでに記憶にない。それより記憶に鮮明なのは、おそらく場の中で最年長であった七十代あるいは八十代あたりの男性の誕生日をお祝いしている一家、あるいは一族だった。八人がテーブルについていた。八歳くらいの女の子と六歳くらいの男の子が含まれていて、ときどき一同の会話にまじっていた。フランス語のためとばかりは思われない、パリのリヨンやビストロでもそんな子供が席についているのに出くわしたことはなかった。とはいえ落ち着いた声音であったし、たしかに抑制が効いていたことを思い出す。
 飲み物を入れて一食二万円くらいはするレストランに大人数で来られる人たちだからなのか。「文化が違う」(※1)という気持ちになったのはたしかだった。
 料理研修でレストランで働いていたとき、同僚がしょっちゅう「メルド!」「メルド!」と叫んでいた。「ピュターン!」も連発していた。そういう言葉遣いをする層とまったくしない層がいて、日本でも「くそっ!」や「ふざけんな!」という言葉遣いをする層としない層とがある。育ちが出る地が出るというものだ。
 一杯千円になるかならないかのラーメンは一泊数万円の料理付き旅館に比べれば財布の心配は少なかろう。新型コロナウイルス(=武漢ウイルス)の蔓延によって人とモノの移動が停滞したための対処として「Go To トラベル」「Go To EAT」といった国主導のキャンペーンが開始された。かなりの割引が見込めるために普段は足を運ばないはずの客層が高級旅館や料亭を訪れて前代未聞の問題行動を起こしていると報道で知った。本来来てはならない人、相手にしてはならない人、というのがお店には一定数いるものと心得た方がいい。相手にするだけ時間の無駄、労力の無駄、こちらが疲弊するのみ、あるいは損害を被ることもある。煽り運転がそうだし、各種クレーマーがそうだし、性犯罪などの卑劣な行為も含まれる部分があるだろう。人生に満たされない部分が多ければ多いほど人はその捌け口として攻撃する対象を見つけようと躍起になる。あるいは劣等感を隠すために人には強く出ることで自身の不足を補おうと無駄なあがきを見せる例もある。
 今日食べたラーメンは千二百円くらいしたけれどいまの私には一杯千円のラーメンでも気安く食べられるものではない。月に一、二回の贅沢といえる。だから今日出くわした家族づれのことをどうこう言える筋合いもないし、Go Toの援助を受けてとはいえ数万円を払って旨いものに舌つづみを打っている人たちのことをあしざまにいうわけにもいかない。それでも場を弁えた行いに自身を添わせるくらいの努力はせめて試みてほしいところだ。
 店を出ると鼻の頭や人中(じんちゅう)の周辺、額に緩い風が吹きつけて冷たさを感じるのはいつものことだった。運ばれてきたラーメンを無我夢中で啜って、出てこようとする鼻水を備え付けのティシューで何度も噛みながら、こってりしたスープだってレンゲで何杯もすくって飲んでしまう。当然快適な温度に保たれている店内でも顔のいろんなところに汗を搔く。店の外に出た途端外気に触れて気化する汗にひんやりした感覚を得るのはいつものことだ。食べたなという気持ちに満たされるが、こちらはそのまま帰りたくない。夜勤者にとって昼日中に活動する日自体、月に二度もあれば多い方だから。ポケットから自転車のカギを取り出して解錠すればそのまま八号線を北上する。家のあるのとはちがう方向に針路をとっている。前に自転車が走っていて、向かいの歩道にも二人連れの自転車が並んで走っていた。三人とも若い女性の乗り手だった。平日のこの時間帯に見かける自転車は海外の研修生とか大学生とかあるいは無職か年配者かというところだから、そんなことからも世間の休日に自分も外に出ている感覚を再確認する。
 しかしながら心境は複雑だ。自分より十も二十も若い異性の後ろをついて自転車を走らせていると気兼ねして来るのだ。なにか悪い気がしてしまう。前を見てはならないような感覚に陥る。これが夜道であればなおさらで、もし前を女性が歩いていたらこちらは立ち止まるかなにかして向こうが立ち去るまで待ってから歩かないことには気疲れがしてしまう。けしてつけたりすることはないけれど、私はつけてませんよといったシグナルを相手に送ることは不可能なのだから一方通行の圧しこめた緊張がもどかしさとなってその辛さに耐えきれなくなる。昼間のまだ一時半という時間帯にもかかわらずそんな気持ちの親戚みたいなものが押し寄せてくるのだから、自転車に乗る私は気が気ではない。これならば平日に出歩く方がよほどましだと思えてくる。
 五分ほど自転車を漕いで国道沿いのマクドナルドに駐輪する。店内に入って「プレミアムローストコーヒー」を注文する。コーヒーだけだと気が引けるので、ダミーでポテトのSサイズもつける。番号札を受け取ってカウンター正面のフロアの南西の隅に着席する。いま読んでいる講談社文芸文庫版古井由吉の『仮往生伝試文』の栞のページを開く。たまにぱらぱらとページを扱(しご)くのが気持ちいい。柔らかすぎず硬すぎずほどよい感触なのだ。鐘盗みの箇所を読んでいる。ページを捲(めく)る間もなく注文の品が運ばれてくる。うっすら汗を搔いている。ラーメンを食べたあと十一月とはいえまぶしいくらいに陽光がさしていた中を自転車を漕いだわけで、寒いかと思って厚着をして家を出たのが裏目に出てしまった形だ。コーデュロイのアウターを脱いで体温を調節する。注文にホットを頼んだため、十分に冷ましてからでないと飲む気がしない。ダミーで買ったはずのポテトをそれこそ替え玉までしてラーメンを食べた癖にもそもそ齧りだしてしまう。本を読みながらも口は止まらない。もそもそ、もそもそ。塩味のまばらなのが舌に快い刺激をもたらす。マックの油は香料が入ってるんだっけなとネットで得た知識を反芻する。そうするうち「諸行有穢の響きあり」の章を読み終える。釣鐘堂の中で亡くなった老法師の死骸をめぐって寺の僧侶と法師の一味のあいだで駆け引きが行われる。古井さんの読み方がユニークで面白い。こじつけまで行ってしまっているかそれが妥当な線なのか。典拠元を知らない私には判別の仕様がない。
 コーヒーの冷めたころを狙ってちびちび啜り始めるも身体が飲み物を欲していないのは明らかだった。自分に必要なのは家の外に出ている時間であって、落ち着いて本を読むことのできる空間であった。客同士の話し合う和やかな声とスタッフのきびきび動く気配とバックヤードの調理器具のたてる物音と曲名は知らないけれど明るい雰囲気をもっている音楽と意志を持たないであろう雑然としたそれらの音の絡まり合いがこちらが本を読むときの理想の状態を形作ってくれる。部屋で読むよりも外で読むほうがはかどることが多い。電車で移動しなければならないときはさらにその傾向が強くなる。ホームで電車を待っているときもそうだし、乗車して車窓の風景が滑り出してからの読書への没入感も独特のものがある。
 読書の大敵はある傾向をもった人の話し声だ。体感を基にした言い方しかできないが、自分の声を相手に押しつけてくるタイプの話し声――もしくはこちらが聞きたくなくともムリから耳にねじ込んでくるようなどぎつい声があたりに立っていると活字に集中できなくなる。大衆酒場の話し声はおそらくダメだがショットバーの歓談の声であればおそらく平気だろう。人の声にも騒がしいのと大人しいのと二種類がある。一方は人を煽動するし、他方は聴く人の心を落ち着かせる。喫茶店でも軽食屋でもチェーン店でもフードコートでも当たりの日もあれば外れの日もある。電車の乗客にも当たり外れがある。いま本を読むときの当たり外れをいったけれど、人にとっては私という存在自体当たり外れで区分けされてみれば外れに分類する人のほうが多いことだろう。ごく少数の当たりの側に置いてくれる人とはこれからも仲良くしていきたい。



▼十一月十五日、日曜日、晴れ。
 午前中に買い物をする。鶏もも肉と白菜、水菜、えのき茸、沢庵に、アルコールを買い求めた。昼はスパゲッティを作ることにしてホワイトソースに白菜のスライスを入れたものを和えた。このメニューは秋が深まり寒さが実感される季節になってから作ることが多い。鮭をいれることもあるし蟹を入れることもある。今日は買ってきた鶏もも肉を入れることを考えたけれど鶏は次の食事に回すことにする。固形のコンソメと塩コショウのみの味付けだ。ごたごた入れないでシンプルな味付けにした方が牛乳と白菜の甘味がきわだって優しい味にまとまってくれる。パスタに使用したのは青菜の部分だ。硬い芯の部分は細かく切り、ざく切りにした少量の水菜と合わせて塩もみしてしばらく置く。ゆであがったスパゲッティをフライパンの中でソースと絡めてゆで汁もすこし加え、心持ち煮て仕上げる。皿に盛りつけた後、塩もみしておいた野菜から出た水気をしぼって少量の醤油をたらし、サラダとお漬物の中間のような小皿を付け加える。二つともの皿に白菜の柔らかい黄緑色が鮮やかに映える。ホワイトソースは小麦粉の量の調整に手間取る。今日は若干入れすぎた。もったりしたものに仕上がるのは仕方ない。早く食べないとパスタ同士がくっついてしまうから盛り付けてすぐに自室に運んだ。食べる速さには定評がある。食事は独りで摂ることが多いから、食べる速度の速いことを忘れかける。たまに友人と一緒に食事をするが、わたし食べ終わりはおそろしく速い。同席する相手に合わせるのに苦痛を感じるほどだ。半年以上友人と顔を合わせていない。新型コロナの流行もあるし、大事を取って会わないでいる期間がずいぶんになった。
 食後。Quoraを見るのに熱中してしまい寝る時間を過ごしてしまった。読んだからと言って掛けただけの対価の得られる情報とは言い難いのだが。雑多な情報の集積であるし、項目を次々目にするなかで先に読んだ内容が脳内に十分浸透する前にところてん方式に飛び出していく状況である。身につかない事柄。惰性の果ての徒労。いたずらに気持ちを昂らせてクリック/スクロールするページにどんな利益があるのか。離れるに離れられず風呂の時間まで閲覧は終わらなかった。
 風呂につかりながら考えた。同じだけの時間を読書に充てた方がきっと有益だったろう。風呂からあがったら今度こそ寝なければならない。そう思い部屋に戻ったわたしはまたパソコンを開いてネットサーフィンを再開するのだから始末に負えない。自分をわらう。ちなみにネットサーフィンという単語を抵抗なく使うあたりインターネット老人会の会員であることは論をまたない。九十年代半ばにはじめてインターネットに接続して以来どれだけの時間をそこに費やしてきただろう。人生の四分の一あるいは三分の一くらいはオンライン上のコンテンツに接して蕩尽してきたわけだ。その傾向はいまも続いている。
 仕事先で一緒に働いているメンバーが口にしたことがあった。「小説は、お金になっているのか?」。わたしは答えを留保する。Webサイトを作っているといえばアフィリエイトで収益化しないのかといってくる人が居て、YouTubeアカウントを持っているといえば配信はしないのか儲かるんでしょうといってくる人がいる。金を得ることに直結しなければやる甲斐はないといいたがりそうな人が周囲にはとても多い。生活に必要なお金さえあればいい。小説を書く時間が楽しいし、工夫することの喜びも得られるし、インターネットにアップするサイト記事にしても読んでもらえるだけでありがたい。そこに収益の文字をつけるだけで嫌らしくなる感覚があって彼らの意見を受け入れることはできないと感じる。無償だからこそ得られる自由もあるという立場をわたしは採る。小説でお金をもらっていいのはプロとなったときだけと考えるからそれまではインターネットにあげることで一人でも多くの人に書いたものを読んでもらえればいい。それだけで十分ありがたい。筆力の進捗は自身で実感されるものだから、こつこつやればこつこつやったなりに、えっちらおっちら進むにしてもそれなりの変化がある。根詰めれば行き過ぎたものになることもあるがそれもまた面白い。やったこと試みたことが文章という結果になって返ってくる。これくらい面白い趣味もそうはない。少なくともわたしにとっては。
 晩御飯にハマチの刺身とふろふき大根を食す。小皿にチューブから山葵(わさび)をたっぷり捻りだし、刺身醤油を垂らす。刺身の上に山葵をのせて醤油につけ、一枚ずつ噛みしめる。魚の味を楽しむよりも山葵の刺激と醤油の風味でごはんを搔き込むようなものだ。ごはんも炊いてから三十時間近く経っていた。硬いご飯が食べたいから自分用の炊飯器を買った。二年前になる。
 食後歯を磨いていると友人から電話が掛かってきた。携帯電話もスマートフォンも持たないから連絡は家電(いえでん)に掛かってくる。二時間の電話の最後の方でボージョレ・ヌーボーの話題になった。ボージョレ・ヌーボーは新酒だという話。どういうものかという質問に日本でいえば新米を食べるときのテンションに近いという話をしてみた。作り手の一年の労をねぎらうようにボージョレ地区では解禁日にワインフェスティバルが開かれるという話もした。その過程で十一月は十三日の金曜日があったという話に派生し、話の行き違いでわたしが『十三日の金曜日』を知らないかのように友人に誤解された。もちろんジェイソンは知っている。小学生のころ、ときおりカレンダー上で遭遇する十三日の金曜日に合わせ、「金曜ロードショー」で放送される映画を午後九時リビングのテレビの前に家族そろって観た思い出くらいはある。チェーンソーをふりまわして暴れるジェイソンの姿は恐いというより面白い方が優(まさ)っていたし、よくいわれるような夢に見てしまいそうな恐さではなかった。恐いといえば『ミザリー』の方が恐かった。斧で足を切断するシーン。アニー・ウィルクスの外見が『アウターゾーン』(※3)のコミックス1巻に登場した狂信的な母親に酷似していたことがさらなる恐怖を誘った。夜に思い出したくない絵だが当時持っていたコミックスは何周もしたものだった。
 電話をするまでボージョレ・ヌーボーの解禁日が迫っていることをすっかり忘れていた。今年の頭に近場のリカーショップが店を畳んだため毎年購入していた作り手のワインが入手しづらくなった。ルイ・ジャドやドミニク・ローラン。毎年飲んでいるとその年のワインの味が記憶として蓄積される。いつも親しんでいた作り手のものを楽しめないのは残念でならない。今年はスーパーの廉価帯で済ますことになりそうだ。ブリイとバゲットを買ってこっそり一人で楽しもう。



▼十一月十六日、月曜日、曇りのち晴。
 朝ごはんには手間の掛からないものだけを取り合わせた。白米と沢庵、納豆、生卵、ほうれん草のおひたし。沢庵も納豆も買ってきたもので原色のように真っ黄色の沢庵を半月切りにして納豆は付属のタレと和がらしをつけ、二十回程度かき混ぜたのを小皿に移す。生卵も小皿に落として適量のめんつゆを上から掛ける。手のかかるのはほうれん草くらいだった。納豆も生卵も醤油だけで食べていたころが懐かしい。まず納豆でごはんを食べて残ったところにかき混ぜた生卵を加えて卵かけご飯に。沢庵で味変しながら食べすすめる。ほうれん草は口直しの役どころである。たまに手を抜きたくなる。
 海外では昼も夜もまかないが出ていたし朝は抜いていた。仕事が終わって深夜に部屋に帰ってきて赤ワインとバゲットとチーズという間食をしながら日本から持ってきたエンヤやサラ・マクラクランのアルバムを聴いていた。広さだけはたっぷりある洞穴みたいに薄暗い四人部屋で日本人フランス人取り混ぜての下宿生活だった。窓の向こうからときどき酔っ払いの声が聴こえてくる。石畳の通りをときおりゴトゴトと走行音を響かせながらすぐそばの通りを車が走っていくのも聞こえた。生まれてからずっと暮らしていた国とちがう国に来て、でもちゃんと安全でちゃんと身の置き場があってしずかに英語の曲を聴いている夜。こんな生活は人生において逆立ちしてももう絶対に出てこないだろうと思ったからこそ一年間のうちにできることしたいことをし尽くそうと決意した。休みのたびにTGVに乗って遠い地域に足を運んだ。レストランを予約してその店のスペシャリテを食べることもあったし、友人と待ち合わせをして美術館に観光に行くこともあった。オペラ座通りの近くにある日本の書籍を扱っている書店ではずっと読んでいた『蒼天航路』の最新刊を一冊千円以上のお金を出して購入したこともあった。
 帰国してすでに五年六年したころだった。一年間国外に出ていた体験は実は自分の思いこみに過ぎなくて、本当は偽物の、精巧につくられたディズニーランドのような作り物のテーマパークで時間を過ごしていただけではないのか。憶えている言葉はとても少ないのにこちらが話しかければちゃんと相手に通じた。レストランで注文したワインにコルク臭がきつかったときに(おそらく空気が入って酸化していたと思われる)、「これは悪い臭いがします」と伝えたところ、さすが客商売でもあることだし真摯な対応をしてくれてこちらの意志を尊重してくれた。パリに泊まるときに定宿にしていたホテルは電話先で名前を告げるだけでいつも勝手を諒解してくれていた。深夜にはじめての街で手違いから締め出され、電話ボックスに入って雪の降るのを眺めながら座り込んで徹夜したこともあった。よく無事だったなと思う。だからこそ自分の経験が頼りなく感じられた。
 自分が経験したことは帰国して五年しても六年してもその記憶が色褪せることはなかった。いや。いったんは褪せはじめていたのだ。文章を書くことに真剣になりはじめたころ、この記憶を定着させておくべきと考え、ちょうど小説を書き始めたのが二〇〇二年からだから、その翌年に疑似的に日記の体裁を用いてフランス滞在日記をかいつまんで書くことにした。もちろん在仏期間に日記を書く習慣はなかった。何月何日に何をしていたかという細かなことはわからない。しかしひとつひとつ順を追って実際に体験したことを文章にあらわして、固有名詞も可能な限り書き記しながらぜんぶで百枚ほどの作品に仕上げた。これですべてを書ききったわけではない。しかし自分が向こうで体験したことの重要ないくつかは文章の形で残すことができた。それだけで自分の目論見は成功したといっていいだろう。
 そもそもインターネットを利用していなければ自分のWebサイトを作ることもなかったのだし、サイトを作っていなければ自分が発信者となって自作の文章を公開の場に提出することもなかったはずだ。自分の文章を明らかにしたときにあからさまな瑕疵が気にかかり、もっとちゃんとした文章を書きたいと思ったことも事実だし、あの頃大江健三郎さんのエッセイを読んでいなければ小説の言葉をもっと勉強してみようとは思わなかったはずだ。一連の流れがあったからこそ小説を書く方へ自分の意識をシフトさせたわけだった。当時、映画『ロード・オブ・ザ・リング』に影響を受けてロバート・ジョーダンの『時の車輪』にどっぷりはまり込んでいた自分はファンタジー小説を書くことからはじめてみた。それから現実を題材にして書いてみたりSFに手を出してみたり掌編にも挑戦しいくつか形になったときに(あと付けの偽物だけれど)訪仏日記を書いてみようと思った。それまで文字にしたことはなかった。土産話のような形でも向こうであったことを誰かに語ったことはなかった。自分の頭の中に置いておけばいいと思っていた。しかし自分の記憶がいつまでも確かである保証はどこにもない。たしかにそのときどきに訪れた場所で撮影した写真は何百枚と手元に残っている。どの写真がいつどこで撮ったものかそれも憶えている。しかしもし自分が不慮の事故に遭遇したり大病を患って意識も薄弱となることがあったならその記憶はすでに失われたものとなる。これはいけないと思った。けじめをつけたいと思った。だからこそ自分にとっての貴重な思い出をそこに籠めることにした。十七年前の出来事だ。
 街を歩いていて「あなたは日本人ですか?」といきなり尋ねてきた同年代のフランス人男性が一か月に一人か二人は必ずあった。駅のホームで電車を待っていて声を掛けてきた人は、「日本に戻ったらプレイステーションを送ってくれないか」といってメモ帳に自分の連絡先をペンでささっと書いて破ったページを押しつけてきた。しかし親切にしてくれた人も声を掛けてきてくれた人も日本に関心があって日本人に興味があるから声を掛けてきた人なのであって、フランス国民の全員が全員東洋の一国、その国の国民に関心を持っているわけでないし好意を抱いているとも限らないのだ。おそらく差別もあるだろう。明確な身分の区分けもあったことだろう。自分はあちらに居ればそういった差別や区分けには該当しにくいから気にすることなくどこへでも行ったり店に入ったりもできた。そこに住まう人たちと同じルールで生活していたわけではないのだ。だからこそ知らずにいたこと、見ずに済ませてしまったこともたくさんあったに違いない。自分は一年間のうちにできるだけのことをしたと思ってきたが、日本人であるかぎり、外人(エトランゼ)であるかぎり、ついに見えないままのものも多かったに違いない。しかし悪感情を抱くことなくよい思い出をたくさんつめこんで帰ってこれたことはありがたかった。また行きたいと思っても行くには手間もかかるし時間もお金もかかる。おそらくもう二度と向こうへ行くことはないだろう。それでもかまわない。かつて訪れた街や村をいまならグーグルマップやストリートヴューで眺めることができるし向こうの動画も観ることができる。通販を駆使すれば大抵のものは入手することができる。
 遠くても近くなったことも多いのだ。物価が安いときに行けてよかった。いまは相対的に日本が貧乏になったから同じコースをたどっても割高に感じられるだろう。
 下宿先のアパートから徒歩五分の駐車場前で営業していたハンバーガー店はいきつけだった。モスバーガー並の太いフライドポテトと冷凍庫から出した肉のパテを鉄板のうえでじゅうじゅうと焼いて、直径十五センチちかいバンズにそれを挟み、スライスオニオンとともにケチャップやマスタードなどのドレッシングをかけてくれる。お金を払って受け取ればずしりと重く、ひりひりするくらいの熱を持っているのが感じられる。冬の夜に白い息を吐きながら大急ぎで下宿先に帰って夜の十二時に無我夢中でそれを頬張る。あれくらい美味しいファストフードもなかった。
 こんなことを書いているとお腹がすいてきた。これは日記なのかと疑問を感じる。しかしその日に思ったことを書くのだからこれは心をベースにした日記だとすれば看板に偽りなしだろう。誰が読むでもない自分の為の文章なのだから書きたいことを書かせてもらう。書きたいことを書いてこそ躍動感も伴うだろう。格好いいことを書きたかったが様にならない。慣れないことはするものではない。



 他人の日記を読む機会なんてそうあることではない。『仰臥漫録』や『断腸亭日乗』といった単語を習った憶えはある。一方で同時代を生きている――生きた人の日記を読む機会は僕にはなかった。でも、と気づく。日記という体裁では読まなくともブログという形式でいろんな人の私生活の断片を見せられることが多かった。二〇二〇年というと東京オリンピックの開催予定の年だった。春ごろから全世界的に新型コロナウイルス感染者が増え始め、瞬く間に国内国外至る所に蔓延してしまった。それから毎年波はあるけれどコロナウイルスは現在でも人間社会から完全に追放することはできないでいる。そう武漢。武漢という街だった。武漢ウイルスという言い方を久しぶりに聞いた。そこから発生したという情報が現在でもまことしやかに語られる。否定論も多い。すべては大国の陰謀であり中国は濡れ衣を着せられただけだと主張する文化人もいる。だいたい過去の事績の原因の追及で人の意見が一致した試しなんてこれまでに一度でもあったろうか。太平洋戦争から百年が経過しようというのに先の戦争ではという論調がいまだに展開される。負けを引きずった教育が負け犬を作り、その負け犬がさらに従順な負け犬を従える。そうして何世代もこのつながりは断ち切られることなく続いていくことだろう。
 人が死ぬといえば大量殺戮装置が野放しにされた事件もあった。付属の高性能カメラセンサーで生体を認識するやひとりひとりに向かって殺傷能力のある重火器を発射発砲し、確実に命を奪うロボットが都市の日常に放たれる事件が立て続けに五件も起こった。いまから四年前のことだ。過去にロボット三原則を提唱したSF作家がいたことを当時のニュースでは大々的に放送していた。規則を設ければかならずそれを破る存在が現れる。破られない規則はない。殺戮ロボットを制圧するのは困難を極めた。しかも全弾を打ち尽くした後は自爆スイッチが起動するらしく、五体のうち四体までが自爆して粉々になった。あとの一体もカメラが高性能であるため容易に近づくことができず、出張った制圧部隊は高密度の電子パルス兵器によってロボットを機能停止に追い込んだものだった。一体を絡めとることによって犯人を絞り込むことが可能になり、ほどなくして前代未聞のテロ事件は収束した。逮捕してみれば都内の大学の工学部に在籍していた学生らしく、インターネットを駆使して多くの部品を入手し、3Dプリンターを併用しながらそれらを組み上げ犯行に及んだとのことだった。内部に運転させていたプログラム自体はそう難しいものではないらしい。専門的な部類であるが最高度のものが要求されるわけではない。若干のモラルの欠如と蛮勇さえあれば実行に移せる範囲だったという。もちろん僕らは報道されている情報しか頼る手段がないから本当に重要な情報は隠されていることだろう。マスコミが力を失って久しい。独自調査で世間があっと驚く大スクープを挙げることがすでに稀なことになっている。かわりにインターネットによってあることないこと、うわさ話や井戸端会議、陰謀論レベルの内容が至る所で華を咲かせる状況である。
 僕が思春期を送った時代――あの頃は『進撃の巨人』のブームが終わり、『妖怪ウォッチ』も下火になって、『鬼滅の刃』が世間でもてはやされた頃だった。親に予約してもらって映画館に観に行ったし、マンガやアニメも繰り返し観たものだった。伯父の部屋にはアニメのDVDも何本かあった。まだ小学生のときテレビ版の『エヴァンゲリオン』を全話観せてもらったことがあった。おなじ監督の『ふしぎの海のナディア』も観せてもらった。『ゲド戦記』や『借りぐらしのアリエッティ』などのジブリ作品も観たことを憶えている。あのころの作品が有(も)つ空気感は独特だった。いま会社で働いていても当時に体験したことは懐かしく思い返される。慣れ親しんだ世界の一部だ。僕にとっては二〇一〇年代が思春期だったけれど、伯父にとっては一九八〇、九〇年代がそれに当たったわけだ。僕が一〇年代に体験をしていたのと同じ密度で伯父は八〇年代後半九〇年代前半の時代の空気を呼吸していたのだ。とはいえ、こうして数日の日記を読む限り伯父が高密度に体験していた物事はなにもその時代に限ったことではないことがわかる。伯父は九七年にフランスに滞在していたという。あえて母に尋ねたから確実だろう。フランスでサッカーのワールドカップが開かれた前年にあたるらしい。遺品の中に当時伯父がフランス滞在中に使用したらしきTGVの乗車チケットが何枚も見つかった。チケット袋に当時のワールドカップのデザイン広告がいくつも印刷されてあった。フランス語は読めないけれど、サッカーボールを蹴る選手の姿がデザインされていたからすぐにわかった。
 九七年はどういう年なのか。まだ生まれていなかった僕には想像のつかない部分が多くある。ドーハの悲劇とか、日韓ワールドカップ共催とか、そのあたりの話もこの頃だったろうか。サッカーに限った話ではない。誰が総理大臣を務めていたのか、社会的な事件としてどんなものが記録されているのか、音楽はどんなものが流行っていたのか、いまとどれくらい違った生活を当時の人は送っていたのか。シンクスキャンをオンにして、クラウドに記録されている当時の情報を探ってみる。雑多な情報が網にかかる。一番に目を惹くのは神戸の酒鬼薔薇事件だ。劇場版『エヴァンゲリオン』の新作が公開されていた。ジブリ映画の『もののけ姫』とも近い日に上映が開始されているのも気になった。十四歳というのがなにかのキーワードになるだろうか。中二病という言葉がむかし流行った。幼いころに何度もこの言葉を耳にしたことがあった。当然自分たちが中学二年の時期を過ごすとき、いやそうではなくて明日から中学二年生として新たな学年の生活を迎えるんだと意識した新学期前日、中学二年生がどうしてクローズアップされなくてはならないのか僕らは理解することができないでいた。三十五歳になるいまでもわからない部分が多い。大人と子供の中間のどっちつかずの年代という意味でこの単語が重視されることは僕もわかっている。それは十分すぎるほどだ。しかし改めて振り返ってみれば物心がついたころから自分は周囲の同年代の子供と同じ存在だと思うよりも自分の親世代――ろくでもない父は抜かすとして、母やその友人あるいは母とつきあいのある大人の会話を傍で聞くにつけ、自分から会話に加わることはなかったにせよ、どちらかといえば子供連中よりも物事を弁えた風になんでも話し合っている大人たちの方と自分は同種の存在であるように感じてきたのだった。口を開けば馬脚を現すから口は噤(つぐ)んだままだった。また大人同士のやり取りを聴いていても、どことなくつんけんしている雰囲気を感じとればこの人たちの間柄はそう良いものでないことがわかった。息せき切って話す人を目にすればあきらかに周囲の人たちがその人の言動を遮らないように奔放に振舞わせながら実際には真剣に取り合うことなく放任していることにも気づいていた。一方的に好意を抱いている両者の関係性もつぶさに見てとれたし、皮肉をいっている人の言葉の裏もわからないことがなかった。言葉にする能力がないだけでそぶりを見ればくっきりとわかるのはそれこそ小学校に上がる前からのことだった。人生はつまらないことだらけだとそうそうに判明してしまったことに諦めの気持ちを抱いたのもそう最近のことではない。しかし周囲の存在に比べてたまに顔を合わせる伯父だけは正体がつかめなかった。ついに伯父が亡くなるまで僕に対して伯父が怒るところを見たことがなかった。あの怒(おこ)り屋の伯父が僕には腹を立てなかった。しかし伯父の父母にあたる(僕にとっては)祖父母に対して腹を立てているところを見たことはあった。一度は暴言といってもいい言動を見せたのにも出くわした。母や祖父母にあとで訊いてみても、伯父がなぜ怒っていたのか理由がわからないといっていた。しかし僕には伯父が腹を立てなければならなかった理由みたいなものが、当時なんとなくわかる気もしていた。
 父や母に対してきつい言葉を投げつけたり反発したり反抗したりいわゆる思春期の行動といわれるものを自分ではほとんど経験してこなかった。それこそ前世紀のヤンキー文化のコンテンツであるアニメや漫画を振り返ってみれば多くのシーンで激しい言動を繰り返しているし、どんな身近にいる人にであってさえ攻撃的なそぶりを見せたりする。それが格好いいというのもあるかもしれないが、反抗しなければいられない、そうでなければまともでいられないと思いこめるだけのバイタリティが当時を生きた人たちの中には確実にあったのだと思う。僕の育った地区もそう柄のいいところではなかった。しかし昔のヤンキーとか不良みたいに手の付けられない悪たれみたいなのはごく一部だったし、表向きは聞き分けのよい子供を演じることに成熟していた。それが標準的な生き方だし、その枠外にはみ出すことは格好悪いことに思えた。でも伯父の育った時代はそれとは違ったのだろう。許せないことはやはり許せないとして意思表示をするのだし、不利益を被ると感じたら全力でそれを阻止する。ふだんは温厚そうにみえていた。実際性分としては温厚だったのだろう。しかし僕に対しては優しい伯父も、実父母に対してはそうではなかったようだ。聴いた話では伯父によって祖父母は相当に苦しめられたらしい。一度や二度ではない。家財道具一切を破壊されたこともあったと聞く。親元がかなり後年になって代々の家を毀(こぼ)って新しい家に越したのも伯父が原因だったらしい。自分はまだ幼いころだったからただ新しい家に越せるのが羨ましかったけれど。伯父はその家で祖父母を看取り、自身も汲々としながらもそこで暮らし続け、ほんの数日前に一人亡くなっているところを母に発見された。母も覚悟していたらしい。わかっていたのだ、8050問題のその後のことを。ニュースでもひんぱんに取り上げられていた。生活の基盤であった両親を失った中年の息子や娘が家の中でなすすべもなく孤独死を迎えるという報道であった。多くは引きこもりのなれの果てであるが、伯父も似たようなものとして母は受け止めていた。母にとっては連絡のつく唯一の兄である。こうなることは予期していてもいまの自分の生活のためには伯父の存在は切り捨てなければならない。むしろ長引かせず幕を引くことができてすっきりしたとまで思っている可能性だってある。少なくとも亡くなるにさいして周囲に迷惑を掛けることなく逝った。薄情といわれるだろうか。きっといわれる。でも伯父は伯父の人生を生きたのだし、したいことをしてきた人生なのだから、ほかに僕たちの側で何等の余分を付け加えることはしないほうがいい。僕は伯父の持ち物の中からこの四冊のノートを選び取った。伯父のパソコンは母の手で処分された。数種類の記録媒体もあったらしいがどうなったかは知らない。あるいは父か母が収得した可能性もある。
 両目の間を親指と人差し指で押さえる。まだ眠いわけではない。目に若干の疲労を覚えただけだ。机の前のデジタル時計の表示は「22:25」だった。温度19℃・湿度52%。電器ケトルの電源をオンにする。机のわきに置いていたメモ帳を取り寄せ、新しいページを開いてペン入れからボールペンを取り出す。0.3ミリのダークブラウンのボールペンだ。キャップを外してメモを取る。

 フランス滞在日記――伯父の備忘録――ネットにアップ
 叔父の追憶――90年代後半のフランス――それだけ
 伯父と祖父母の間柄――恩讐、いずれか

 キーシグナルを送って再びシンクスキャンをオンにする。伯父の名前を指定し、関連ページをオンライン上で検索する。同姓同名の別人の情報は無数にヒットするが、それらしい情報はなにも出てこない。本名ではないのか。伯父がどの名前でオンラインサービスを利用していたのかそれがわからない。現時点では解析の手段が絶たれているということだ。オンラインにあげていたにせよいなかったにせよ、ローカルフォルダに入れていた可能性も考えられる。あるいは記録メディアのいずれかに当時のテキストデータが含まれているかもしれない。明日の朝、母に訊いてみよう。あの媒体はいまどこにあるのかと。快諾が得られればそれをさぐって文書の存在を明らかにしてみよう。
 ケトルから湯の沸く音が聴こえだした。こうなると早い。机の上に常備しているインスタントコーヒーのビンのふたを開けてひと匙分をマグカップのなかに落とす。ケトルの半透明の計量窓からはいままさに沸き立ちだしたお湯の奔騰が見える。1L(リットル)の目盛よりもさらに上に水面が盛り上がっている。動きは激しくなり、ピークを迎える。電源がオフになったのを確認してケトル部分を台から外し、お湯をそそぐ。ケトルを持つ自分の指まで蒸気に纏いつかれる。適量を入れ、ケトルを戻す。当然すぐには飲めない。冷めるのを待つ間、日記のつづきを読むことにする。



▼十一月十七日、火曜日、晴。
 蕎麦の収穫が始まっている。シーズンに台風の通過が少なかったおかげで蕎麦の茎がぎりぎりまで寝なかった。今年の収穫は期待できるらしいが実際の収穫量はわからない。もとから農作にはタッチしていないから仄聞するだけである。朝夕は冷え込むものの日中はそこそこ暑くなる。どの時間帯に何を着るかが問題になる。室内ですらが暖房をかけるべきか冷房をかけるべきかそのままで過ごした方がいいのか毎度悩まされる。きょうだって朝眠りについたときには肌寒さを感じていたのに目が覚めた昼の1時には南から差す陽光のおかげで部屋の中は蒸していた。思わず冷房を掛けそうになった。
 寝る前に「カレドショコラ」のホワイトチョコレートと明治の「チョコレート効果」の72%をそれぞれ二個ずつ机の上に出しておいた。これを食べるか我慢するかで寝る直前まで迷った。結局そのままにして眠ったが夕方――正確には夕食後四回連続急須で紅茶を淹れてその過程で四つのチョコレートをすべて口にした。ツイッターの写真にいくつかのいいねを貰うことができた。食べ物の題材は、読書だったりアニメだったり音楽だったり映画だったりを題材にしたときよりも多くのインプレッションをもらうことができる。少し前にツイートしたアドベンチャーゲームの『グリザイアの果実』は、いいねの数もほぼゼロで付いても1か2だった。もともと『ディアブロ』や『ゴーストオブツシマ』のような比較的硬派なゲームでフォローしてもらってる人がゲーム関連では多いからアドベンチャーゲームの反応が薄いのは仕方ない。わかっていて呟いているところがある。反応は期待できなくともグリザイアを遊びながら書きたいことは山のように出てくる。食人行為を示唆するものがあったし、最終的に常軌を逸した精神性に取り込まれてしまって死体に語らうシーンも出てくるし、二つの人格に分かれてしまった相手が取り返しのつかない状況に陥ることもあった。これまでそれなりに小説を読みもしてきたし文学作品のいくつかにも親しんできた。しかしいわゆるエンタメ小説は有名どころですら読んだことがないから劇的な展開に慣れていない側面がある。そのために映像と音声と脚本でドラマチックに描かれるとそれが悲痛であったり凄惨であったりすれば画面の前でひどく動揺させられる。心が痺れたり怯えたり先を読むのがつらくなったりする。グリザイアを作ったスタッフの作品に『果つることなき未来ヨリ』という作品があった。わたしはこれを先にプレイしていて、グリザイアは後になってその存在を知ったのである。ミリタリーマニアを思わせる言動を登場人物に吐かせもするし、微妙なエロ表現もまじえながら、しかしそれは一種の釣りであって本当に食いつかせたいところは劇的な展開を含むシナリオそのものである。どう考えてもひとつひとつのルートが心を揺さぶるドラマの連続である。心について深く考えさせるストーリー群である。現在の不都合は過去のトラウマが元凶であるという仕掛けは昨今たしかに食傷気味だ。これまでに作られた創作物のモンタージュだといわれればたしかにそうだろう。しかしこの種のドラマはわたしにとってはまだまだ新鮮であるし、はじめて目にする構成にわたしの心がとてつもなく動揺した事実には素直でありたい。たとえ反応は薄くてもグリザイアの進捗をツイートしてしまうのは自身の性分だし、これを繰り返すことでフォロワーさんにミュート対象に入れられてしまうことに恐怖を覚えているのも事実である。塩梅がむずかしい。無軌道に呟いては後悔する結果になるだろう。げに難しきは人生か。なんて言葉をたまに思い出す。
 あと二日でボージョレ・ヌーボーの解禁日を迎える。木曜日の朝は夜勤明けのあと連休だから地元のスーパーで手ごろなのを一本買って家で飲もう。
 ジュブレシャンベルタンやモレサンドゥニ、マルサネ、フィクサン、ニュイサンジョルジュなどの村名を五千円以上出して買うのはバカらしい。五千円出せば、特級ワインも視野に入るのが現地の価格帯だったのだから。現在の物価ではいくらぐらいか。国内価格ほど阿漕なものもない。よいワインはずいぶんと口にしていないけれど、かつて親しんだ時期に覚えた味はいまもちゃんと舌に記憶している。グリオットシャンベルタンやクロサンドゥニ、エシェゾーにモンラッシェ、当時は本当の価値がわかっていたのかいなかったのか、それすらあいまいなまま値の張るものを飲んでいたし飲ませてもらっていた。おかげでブルゴーニュワインに関してだけは舌が肥えた。そんなわたしもいまはスーパーに売っている一本六百円のチリワインを美味しいものと自分をごまかして酔いを楽しんでいるのだからこれは人間として落魄(らくはく)なのか。テーブルワインとして親しむにはこれくらいの価格帯がぎりぎりだと思うけれどどうだろう。フロンテラのピノノワール(赤)とシャルドネ(白)。ピノノワールもシャルドネもその裏にブルゴーニュワインの共通性を想定して味わっている。一口飲んでの深みも風味も格差はあるけれど雰囲気が似ているからまるっきりの肩透かしでもない。ともあれ二日後が楽しみだ。今年はラニーニャ現象の影響でいつもと違った味わいに仕上がっているだろうか。意外な面白さに期待したい。



▼十一月十八日、水曜日、晴。
 しばらく晴れの日が続く。風呂上りにスキンクリームをつけなければ皮膚がかさかさに乾く状況だ。頬などから細かに粉がふく事態は避けたいから夕方仕事に行く前にクリームは欠かせない。家を出るとき東の空に凶星めいて火星がひときわ明るい赤黄色(せきおうしょく)に輝いている。人生の盛りを超してすでに老いに差し掛かった光のように見えるのはその色に赤味が過分に混じるせいだろう。その色はややもすれば幾分の恐れを感じさせる。血の色とまではいかない。が、慣れ親しんだ夜の星々の黄色や白色(はくしょく)の色味に比べると、人の心を搔きたてるところがある。平静で済ませない空気を醸成するというか。アンタレスやベテルギウスとは明らかに異なる。まだ生命の脈動をちゃんと残していて、それと指摘は出来ないが、人の心を欹(そばだ)てかねない、過活動の働きかけを行う役どころに感じられるのだ。このごろは東から西へと一晩掛けてゆっくり回転しながら夜の世界を睥睨している。無数にちりばめられた恒星の間でわが地球の隣の惑星――軍神マルスは令和二年の秋夜(しゅうや)の地上を睨(ね)めつける。どこか滅びの世界を思わせる。不吉な何物かが心に吹き込まれるようだ。一晩の労務に従事し帰宅する頃には夕方の火星と同じ位置に今度は金星――明けの明星の姿を仰ぐことになる。愛しいほどに眩い黄金色(こがねいろ)の惑星が清浄な姿を見せている。眺めれば一日の疲れが吹き飛ぶようだ。東に金星。西に火星。月はそのときどきで細くなったり太くなったり、あるいは火星の隣に位置しているかと思えば中天高く皓々(こうこう)たる光を放つこともあるし、糸のように細い姿をようやっと保っていま東から昇りはじめる夜もある。きょうなどはすでに月の姿はなくて代わりに夜闇(やあん)のなか、砂の数ほどに多い星々が白く、黄色く全天を埋め尽くし、互いにさざめきあっていた。夜通し走るトラックさえなければLEDのどぎつい街灯の光さえなければ数えつくすことなど不可能な銀河の星々を一望のもとに眺めることができるだろうに。文明の光に照らされた人類の目に星々の光の真価は晦まされて久しい。見えすぎることで見えなくなったものもある。とか格好つけたことをまた言いたくなる。悪い癖だ。柄にもない。止(よ)そう。
 父が話していたこと――。すでに裏山に鹿の群れが住み着いて久しいが、電柵を通り抜けたのかある程度の頭数が一キロも先の○○川の河川敷の木々の茂みに居ついたらしい。夜のうちに道路で轢かれた鹿が誰に処理されることもなく朝の光に照らされるのを見ることもあるという。あのあたりは季節であればタケノコも生えるし、木々の若芽なり下草なり食料には事欠かないはずだ。地元の道路の脇に立つ「動物の飛び出し注意」の立て札に描かれるのはきまって鹿の絵だった。農作物への被害もバカにできないものがある。
 裏山でときおり高い鳴き声を耳にすることがある。牛とも馬とも羊とも異なる声。猿丸太夫の歌を思い出す。鹿がおのずと鳴くときの声だろう。わたしが耳にするのは危機を感じたときの警告音に近く、切羽詰まったあるいは鬼気としたものを孕む声である。奥山は人が踏み入る場所ではない。生(なま)の耳に聞こえるならばそれはおそらく奥山のものではない。心が捉え得る形象としての幽声であってそれを「かなし」と受け止めるだけの素養がなくばついに幽冥境の鹿は鳴かないのである。かなしきものはかなきものうつろいやすくうしなわれやすきもの。いまを生きる人が捉えるには現代はあまりに騒々しすぎる。いまに始まったことではない。わたしが生まれたころにはすでに世界は騒々しくて目まぐるしくてひとりでいることが許されない世界が組みあがっていた。だから昭和の末の世にも平成の世にも令和の世にも鹿は鳴かない。叫び警することはあっても鳴くことはない。鳴いたと思うのはすべてこちらの勘違いだ。あはれを感じる。河川敷に群れた鹿を駆逐することは難しいだろう。人も車も頻繁に脇をかすめる土地だ。猟銃を手に仕留めることも困難ならば罠をしかけるにも人も降りる場所だから人的被害も恐い。結局ここからここまでは人の土地。ここからここまではおまえら(鹿ども)が自由に使えと人間が決めた区分に黙々と従うのは人間さまのみで、こちらの得手勝手なルールを獣に適応しようとしたところで彼らに理解させる術はどこにもない。徹頭徹尾俺様ルール。俺様が神様で逆らうやつは逆賊だとでもいうべき暴君の所業。シカもタヌキもイノシシもキツネもイタチもノラ猫もテンもウサギもハクビシンもこちらでは見かける。夜中近所を徘徊すればしょっちゅう野生動物に出くわす。道の脇の茂みががさごそして向こうから大きな塊が飛び出してくるなんてまるで漫画だ。飛び出せば一散に駆け去る。驚いたこちらの心をどうしてくれるのか。ヘビやハチとちがって向こうは逃げる専門だから恐れる必要はないけれど。いったん身構えた心持ちを独りでに解く虚しさといったらほかに何も言えない。



▼十一月十九日、木曜日、晴。
 ここ一週間、晴れ間が続いている。その割に湿度は80パーセントを超しているのだから自然のことは難しい。日中は久しぶりに20℃を超し、歩けば蒸すような天候だった。
 きょうブリヂストンの工場脇を通ったら、すでに黄葉していた欅の葉が風に吹かれてかこの炎天のあおりか六割方葉を落としていた。回収された落ち葉がいくつものネットに詰め込まれている。焼き芋を思った自分は秋の寂しさよりも食い気が優るどうしようもない人種らしい。人は食欲を無くして老いるものだからまだ若い証拠とうぬぼれるのも虚しい。
 予告通りVC(※4)でボージョレ・ヌーボーを購入した。ジョルジュ・デュブッフとマキシム・ド・パリの2本。デュブッフを買うのは初めてでどんな味かと期待したがわたしには甘すぎた。甘いのとスパイシーな香りのまざった風味はどちらかといえば苦手な部類に入る。もうすこし冷たい印象のままに抑えられてその内で赤い花の香りの膨らむのが好きだけれどその特徴が感じられなかった。タカキベーカリーの石窯モーニングフランスと明治の北海道十勝カマンベールチーズ、Kiriのクリームチーズと一緒に味わった。
 先にフロンテラのシャルドネをボトルの半量ほど飲んだ後でデュブッフを開けてこれもあと1杯分しか残っていない。丸一本分以上ワインをあけたから当然酔いはかなりまわった。賞味期限が今日の鶏胸肉が冷蔵庫に入っているのを思い出して即席で一皿作ることにする。ナスは買ったけれど特に使うあてもない――結局放置。野菜も入れず、鶏胸肉だけを使用する料理と考えて思いつく。ボウルに卵一個を割って菜箸で溶きほぐす。もうひとつのボウルに薄力粉を用意する――(酔っているからという理由も手伝って)当然ふるいにも掛けない。フライパンにオリーブ油をひいてIHの火加減を8に設定する。胸肉の皮を取り除き、一センチ幅で繊維に逆らって切る。両面に強めに塩コショウを振りかける。小麦粉に落として余分な粉を払い、溶き卵にくぐらせる。準備の整ったフライパンに随時衣をまとった胸肉を投入する。火加減を耳で聴きながら使った調理器具を洗いおえる。頃合いを見てひっくり返し、さらに数分焼く。両面こんがり焼けて中まで火が通ったのを確認してからお皿に盛りつける。追加の味付けは必要ないくらいの下味はつけてあるけど、ケチャップを小皿にとって付ける。正味十二、三分で作って食べ始めている。ときどき野菜を摂らないことで不安になる。たまに青菜の煮たものや生野菜をかじりたくなるのは身体がサインを出しているのだろう。野菜をたっぷり摂取できるものを今度作ろう。
 ワインは肩透かしを食らったけれどそれもある程度予想していた。ルイ・ジャドやドミニクローランのワインを注文する手もあったなと後悔しはじめる。最寄りの量販店まで自転車で二十分以上掛かるのだから足が遠のくのは仕方がない。近場で済ますのがいいということに落ち着く。
 任天堂のプリペイドカード(5000円分)を購入した。目当ては本日発売の『桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~』ではなく、インディーズゲームの『tangledeep』である。もともとSTEAMで配信されていたゲームだが、STEAMにそこまでのめり込んでいないから知らなかった。Switchを買ってはじめて知ったゲームも多い。タングルディープもそのうちのひとつだ。今日アメリカのサイトで『Angband』の最新版を探してみた。英語版を見つけてダウンロードしたがまだ起動していない。もともと日本語版で遊んでいたのだがOSがWindows10になってから起動できなくなった上に、追加パッチの配布もなされないまま数年が経ち、すでにデッドコンテンツ化しているようだ。本家本元の英語版なら生きてるだろうと今日、Angbandの最新版の入手を試みたわけだった。ちなみに無料である。有志が作るゲームだ。街と地下ダンジョンを往復し、地下100層にいるボスの撃破を目指すシンプルなシステムである。ボスを撃破すればそこでゲームクリアを選択することもできるし、さらに深い層まで潜って未知の宝を探し求めることも可能だ。飽きない限り、いつまでも遊び続けられるシステムである。キャラクターが死ねばすべての要素がロストして何も持たないレベル1の状態から再スタートすることになるのも硬派なゲームスタイルで面白い。日本語版のプレイにあたってわたしときたら毎回セーブファイルをコピーしてロストした際にやり直しがきくようにズルをしてきた。ゲーム性を損なう卑怯な手段と言われれば抗弁のしようもない。
 死ねば全ロストは『diablo』シリーズも同じで、遊ぶときはふだんと異なる神経回路に意識が接続される感覚があり、嫌な汗まで搔きながらキーボードを打ちコントローラーを握ることになる。『tangledeep』も同種のゲームである。ちなみに死んだときに多少のペナルティはあるもののやり直しがきくモード、レベルは1になるがある程度の要素は引き継がれるモード、そしてデスゲームといってもいい死んだら全ロストするモードと、全部で三つのモードが搭載されている。エンジョイ勢のわたしは一番かんたんなモードでゲームをスタートさせた。
 人生やりなおしがきかないということを口にしてつぎの一歩を踏み出せず後悔の淵に立ちつくす人がいる。わたしの周りにも幾人か見受けられる。やり直すこと自体おかしな話で、じっとしているいまだって時間はちゃんと過ぎている。過去があって現在(いま)があり、未来へ進み続けている。過去に歩いた道は自分の歴史だろう。その歴史を否定することから何が生まれるか。過去と対峙すること――取り込むも取り込まれるも拒むも受け入れるもすべてかつてあったはずの過去に影響される現在の自身の心の作用でしかない。過去の積み重ねが現在の己(おのれ)を作っているのだし、それらをすべて引き受けたうえでつぎの一歩を歩むのが人間だと思う。なぜこんなことを書くのか。題材はなんでもいい。ただローグライクゲームでセーブファイルコピーを無数に作りながら、ずるして攻略していた自分の姿が滑稽に思えたまでだ。ここまで書いて思う。自分のクローンを複数人作って一人がダメならつぎの一人が、それがだめならもう一人と何度も人生を繰り返せるような頭でいる人がこの世界にはいるのかもしれないというファンタジーだ。あながちファンタジーともいいきれない。しかし人の手によって人のコピーが増産されたとしてそこに宿る心? 精神? 魂? ――そういったものはそれぞれ個別の異なった性質を有するのではないかと思うけれど、こればかりは実際に五十人なり六十人なり同一遺伝子を持つコピー人間が量産されないことには確かめる術もないだろう。魂はどこから来るのか。哲学なのか? 神学なのか? その疑問も現物を見れば解ける部分もある気がする。すでに中国では始まっているのだろうか。



 ワインのことを書いていると思えば、つぎの段落ではテレビゲームについて書かれている。思いつくまま惰性で並べられたメモ書きのように受け取れる。日記とは誰にも語ることのなかい心の内面に触れる記述で構成される物と考えてきた。伯父には終生の悩みや迷い、戸惑いといった負の感情はなかったのか。ないことはあるまい。誰にだって心の機微は存在するし、正体を無くしかねない怒りや悲しみに包まれる日だってあるにちがいない。人間らしい感情を失ってる? たしかにここまでの一週間分にも満たない文章を読んでみても、伯父の情動の変化がつぶさに見てとれる箇所はない。しかしなんだろうこの滑稽なまでに堅苦しい書き方は。誰も目にしないと思えばこそ文章は人に見せにくいものへと変質するはずなのにこれではかつてのブログ全盛の時代と変わらないではないか。
 待てよ、と僕は思う。伯父は文章を書くにあたって初めから公開の場を基本にしていた。十一月十六日の日記にあるとおりだ。サイトに公開する文章を良いものにするために集中的に文章について再勉強したらしい。とすれば超個人的な側面については文章化することなくきたのではないか。だから日記もどこか宣伝広告的なものになるのではないか。とはいえ慎重に読んでみれば多くの箇所に伯父の感情の流れが透けるようである。僕は優秀な読み手ではない。ふだん活字に接する存在ではないし、ネットを利用する際も文字を表示させることなく、シナプスを流れる微弱電流をシンクスキャンに読み取らせて、観たいこと知りたいことに感覚的にアクセスしている。シンクスキャンは文字入力によるコマンド(命令)必要としない。
 日本語の通じない土地でどんなふうに生活していたのか。通信デバイスも満足にない時代だった。スマホで翻訳してということもできない。言葉を覚えることだけが頼りであとは自分の機転で立ち回るしかない。遺品を整理しているときに出てきたフランスで撮影された写真の何枚かを僕も見せてもらった。どこか知らない教会で正面上部のステンドグラスから色とりどりの光が差し込む下(もと)、聖母子像が静かに佇んでいる写真があったり、わたしたちがヨーロッパと聞いて普通に思い描くタイプの街の風景も何枚もあったりした。同一の町や村ではないだろう、おそらく複数の土地の写真だった。緑の繁る丘を背景にしたつり橋の写真もあった。伝統的なスタイルのフランス料理や味の想像しにくいスイーツのプレートの写真もあった。伯父が生きていたならどこで撮影した写真なのか訊くこともできたろう。自分の経験は時が経てば無駄になることもあると予感した伯父の想いは正しいところを衝いていたのだ。
 ほどよく冷めてきたコーヒーを口にする。伯父と違って飲むもの食べるものにそうこだわりはない。コーヒーだってわざわざ喫茶店で飲もうとも思わないし、行くのを二回我慢すれば50杯分は軽く取れるだろう大手メーカーのインスタントコーヒーを買うことができるし、そのほうが経済的だ。それでも伯父が見ていた世界に関心がある。なにしろ人生において正社員として働いた期間はほんの僅かであるにもかかわらず、いや状況としては僅かであるからこそ自身の関心の向く方面に十分に時間を費やすことが可能だった。かつて伯父が好きだといっていた日本画家の名前は何だったか。思い出せない。紅蓮の炎の周りに虫が飛び交っている不気味だけれど印象的な絵。題名も画家の名前も思い出せない。体内埋め込みチップに内蔵されたシンクスキャンを呼び出し、絵をイメージして候補を挙げさせる。合致する率の高い順に示される。絵は一目見てこれとわかった。速水御舟――《炎舞》。はやみぎょしゅう、たしかにそういう名前だった。その人の言葉を伯父はよく引用した。文章まではさすがに検索で出せないか。一応命令してみる。
 上野不忍池の蓮の開花を見たときの発見など、過去の美術誌に掲載された速水氏の随筆の言葉が出てくる。いずれも部分だけで、全文は得られない。風流を感じさせる洒脱な文章だった。明治に生まれ大正・昭和初期に活躍。日本の文人は大体この時代の人だったか。森鷗外や幸田露伴、夏目漱石に芥川龍之介、島崎藤村、谷崎潤一郎、憶えている人数は少ないけれどそれくらいの名前は本を読まない自分でも知っている。彼らはいまも読まれるけれどいま現在どんな作家がいて誰のどの本が人気かもわからない。結局あの時代に真剣に書かれた文章が古典として通用するようになり、時代が先へ進むにしたがってそのスタイルも変化していった。読書はファッションのように扱われる時期を経て、娯楽の片隅に在籍するだけのものとなり、ついには一部の物好きだけが関心を抱く狭いジャンルになった。紙の本を自分の部屋に置いている中高生は稀だろう。もちろん一部にはいるはずだ。両親や祖父母の影響で読書も教育の一環としている家だって探せばあるだろう。しかし全体から見ればとても少ないはずだ。
 伯父の部屋には無数の本があった。作家の書斎に比べれば可愛らしいものだろうが、いまの時代に本棚六棹にぎっしり本をつめて入りきらない本は押し入れにごまんと積み上げているのを見たときは持っている文化の違いに唖然とした。場所ふさぎなものがこんなにある部屋でよく何十年も平気で生活できたものだ。ざっと見た限り文豪や大作家の古典作品がいくつもあった。先の名前もつい最近伯父の本棚を見たから憶えていただけかもしれない。作家の名前がいえる自分、ちょっと格好いいと思ったけれど種が分かればなんてことはない普通のことだった。
 ボージョレ・ヌーボーのことが書かれている日付――その解禁日である十一月十九日、木曜日と書いたページの欄外に一言メモが添えてある。日記に記すのとはちがった走り書きでそれは書かれてあった。《栄光の三日間 オークション 誤解による潜入 笑い話にもならない》。伯父の個人的なメモだ、そこにどんな意志が込められているか。日記を読んでいく中で見えてくるものもあるだろうか。
 次の日付は一日飛んでいた。どうやら毎日書いていたわけではないらしい。



▼十一月二十一日、土曜日、曇りのち晴。
 IOCの会長が訪日、帰国した直後から、新型コロナウイルス感染者数の発表値が増加傾向に転じたことについて因果関係? あるいは相関関係? と理屈を付けるとしたらどうなるかに意識が向かっている。目標の期日を設定したらその日からどの地域も新規感染者数がゼロを記録していった中国国内の状況も以前にわたしたちは目にしている。結局どの程度の人数を診察するかは人が決めているわけであるし、当然医療サイドが決めていることはあるけれど、それ以上にさらに上の立場の意向を反映している可能性があるのではないか。わたしはもうこの言葉をこれ以上貶める使用法で使ってほしくないと思っているが、すでに一定の世間的認知を得てしまった用語――「忖度(そんたく)」が行われた結果ではないかと思わずにいられない。とはいえ一種の相関関係にしかないものを、因果関係のように受け止める見方は危険だともわきまえている。この問題はこれが原因だとひとつに絞ることはできないし、やはり単純にGoToシリーズによって国民の緊張が緩んだ結果という見方も捨ててはならないだろう。私見をいえば感染者が何人に増えようが構わないと思っている。重症から死亡に至る人数の推移にのみ注目しておきたい。体内に取り込んだウイルスの数が少なければ軽症で済む。マスクの着用や手洗い消毒の実施を徹底していればそう簡単にまとまった数のウイルスにさらされることはない。必要以上に恐れる必要はないし、まだ若い方だから万が一に感染したとしても死亡に至る確率はごく少ないにちがいない。交通事故に遭う確率や街を歩いていて通り魔に出くわす確率と変わらないものと受け止めていればさほど気負うこともない。
 寂しさとは何だろうと改めて考える機会を得た。寂しさを得るためにはどのような資質が必要かという問題をインターネットで見かけたのだ。わたしが自分の身を寂しい、あるいは淋しいと感じることはほとんどなかった。しかし寂しい雰囲気を持っている・寂しいと感じるものがバブル絶頂のころからわたしの周りにはコンテンツとして溢れていた。同時にそういったものにこそ惹かれる自分を感じていた。それはいいかえれば自分自身が寂しい人間だったということと同義であるのか。
 中学のとき英語の授業で『ミセス・ロビンソン』や『コンドルは飛んでいく』を習った。あまつさえ歌わされた。人一倍音痴のわたしは歌いたくなかった。それは措くとして当時習った英語の歌は聴いていて寂しいと感じた。哀調というのか。どこか諦めのようなものが感じられた。そのころラジオを聴くようになりオールディーズを好きになり当時のアーティストでもセイント・エティエンヌやザ・サンデイズに惹かれた。きらきらして明るいものではなく、どこか自分を抑えていて控えめで人生について悟っているところの感じられる、ぜんぜん派手ではない音楽だった。オールディーズを古い時代の曲と思って聴くことは少なかった。フランクシナトラだってリッキーネルソンだってタートルズだってロスロボスだって、いろんな音楽があるなと思って聴いていた。まだ何も知らない十代前半の子供だった私はラジオから流れる音楽に心地よさを覚え、同時にすでに失われた時代に流行した音楽であることを次第に意識するようになり、もう帰ってこない時代の存在することを覚悟していった。過ぎ去った空気感はその時代特有のものであり、いまさら当時を取り戻すことはできない。後戻りできないからこそ、いまできることに精一杯全力であるべきだ。そういったことをちょっとずつ学びだしたのが私の音楽体験の端緒だったようだ。その思いが凝ってセイント・エティエンヌやザ・サンデイズのような音楽に傾倒するようになった。いまはどうだろう。寂しさを感じさせるコンテンツを身の回りに置いているだろうか。何がある? ずいぶん前に映画であった『三丁目の夕日』だったり、NHKの朝ドラでやってるような思い出コンテンツは自分に合わない。作為が入りすぎてるように感じられて逆に嫌悪すら覚えてしまう。背後に哀調を含ませながらも、そのうえで自分本来の良さを気丈に押し出すコンテンツに、わたしはいまの時代において出会えずに終わっている気がしてならない。すでにそういった時代ではないのだろう。過去のコンテンツを振り返っても新たな感動は湧いてこない。過去の感動の再生産という気がする。きょう書店で『椋鳥通信』を手に取った。インターネットの無い時代に重宝されていたのだろうか。まとめサイトに似ている。令和二年の現在は現在で日々多くのことが起こっている。しかしいま社会に起き出している問題の萌芽をこまかく調査し公開されようとする情報にアクセスすることに困難を覚える。雑多な情報が多すぎて見るべきもの出会うべきもの、それに接する機会が失われているように感じるからだ。
 三連休はどこにも行くことはないだろう。昨日はSA(※6)にラーメンと餃子と麻婆豆腐を食べに行った。千七百円。コンビニで「角ハイボール濃いめ」500mlを買ってその場で飲んでから向かった。食べすぎ飲みすぎの謗りは甘んじて受けよう。一日二食のときはたまにこういうことをする。


(続いているはずです)

跡(あと)

執筆の狙い

作者 そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

こういうものを書いてみようという動機だけがまずありました。

コメント

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

推敲時にコピペミスをしたようです。

×パリのリヨンやビストロ
○パリやリヨンのビストロ

u
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そうげん さん読みました

一読なんヨ 読み間違い、状況違ってるカモ? かもみーる、と思いつつwwwの感想なのでごきげんよう

これ長編の序章ポイですけど、なんか設定が複雑すぎるのよwww
読解力不足栄養不足のあたしにはチョットwwww
なんかジャンクフードからフレンチなんかのグルメレポートいいかもwww

2020年 中学三年で受験生だった「僕」が叔父?の日記?を読んでいるのよね?
しかも読んでる時点は2020ねん現在より未来ミタイナ?
スンマセンも「僕」の話もそれぞれ「過去」にすっ飛ぶしwww

ただ良いのはそうげんさん「コロナ」作中は武漢www描こうとしているのかなwww
これは良いのじゃないかないか

まあ、続くのなら読んでみたいと思うのですが
あたしみたいなバカ対象にするなら
設定シンプルにしてwww

良かったです

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

 徒然なるままに書かれた日記のような語りにどんな結末が待っているのか期待したら、そのまま終わってしまった。もしかして続きもの?

 日々のよしなし事への思索の巡り方と饒舌さとはうらはらに、語り部の意識の流れが線として見えてくると面白いのになと思いました。日記が段々短文になっていくとか、同じような日々をちょくちょく繰り返すとか、そう演出で、隠れた不穏の種みたいなものが表現の積み重ねとコントラストとともに育っていくように仕向けるとか、例えば、そういうものを期待してました。

 けれども、普通に終わっていったので、日記のような語りではなくて、ただの日記であるかのような印象が強かった。それだと、単に流れていくだけなんでもったいない。また、個々の出来事は興味をもてたりもてなかったりと、いろいろだけれども、それらが小説として面白いかといわれればそうでもない。日記のような語りの語るという振舞いの中で見えてくるものにこそ、小説的な面白みがあると思いますし。たにし。

 なお、個別のエピソードについては、分からないネタも結構あったのですがそれはさておき、uさんと同じくグルメレポートにアリアドネも一票。

夜の雨
ai199212.d.west.v6connect.net

「跡(あと)」の導入部読んでみましたが。

文学の味わいがあります。
そうげんさん、書けば書くほど上手になってくるね。

>いま本を読むときの当たり外れをいったけれど、人にとっては私という存在自体当たり外れで区分けされてみれば外れに分類する人のほうが多いことだろう。ごく少数の当たりの側に置いてくれる人とはこれからも仲良くしていきたい。<
頭から、ここまで読んだのだけれど、さりげなく人間の、人々の生きざまが見られます。

頭のところで中学生が伯父の日記みたいなものを読みはじめるのですが、その伯父は亡くなっているのですよね。
その伯父のささやかな日常が日記には描かれているのですが、そこには空気のように関わってくる人々たちへの観察があり、そこから「社会」が見え隠れしているのが受けて取れます。

>「ラムロワーズ」にランチの予約を入れたが、鉄道のストライキに遭って約束の時間に他のメンバーが集まれなかったことがあった。<
途中で外国の話が挟まれているのが異国情緒ありで、新鮮に感じます。
人間もよく観察されていて、なおかつ意見が書かれているので主人公がどういった人間なのかが伝わってきます。
ただ、何の前触れもなく、書かれているので戸惑いますが。

導入部全体では、なかなか面白いです。

地の文章で詰めて書かれているので、読むのに時間がかかりますが、読み終わったら、感想を書きます。明日中には感想いれます。

夜の雨
ai192232.d.west.v6connect.net

「跡(あと)」読了しました。

原稿用紙74枚の作品で会話文なしでほとんどびっしりと書かれた作品でしたが、充分に読めました。
詰めてあるわりに文章はなめらかに構築されていた。

つまり文章はうまいということです。

で、何が書かれているのかというと、人生の航跡、どんな人生を歩んだか、感じたかということが、主人公の伯父さんによる日記で書きあらわされている。
導入部で中学生の主人公が、伯父さんの日記を読み始めるというようなところから進められている。

食べ物の話から新型コロナウィルス、前を女性が歩いていたらその後ろにいる自分は気兼ねして神経が疲れるというような話。
その他には音楽のことやらゲームのこと。
あらゆるものが、雑多に語られているのだが、読みにくくはない。
日記なので、雑多にいろいろと書かれているのだろうという感じです。
●ただ、題材が本質に入ってからは、直接関係がない料理や趣味のことは書かない方が構成上よいと思う。


それで導入部の主人公である中学生が読んでいるわけですが、こちらの作品で何度か伯父さんの日記を読んでいて感想というか意見を書いている。
時間経過もあるので、三五歳になっていたりするので、中学生の主人公が最初から一気に伯父さんの日記を読んでいるわけでもない。

日記と言っても文章と内容は整頓されているのでというか他人に見せるために書かれているようなある意味、ブログのような日記だということに主人公は気が付いた。
●つまり他人に読ませるための自分の生きた証というか航跡が書かれているので、タイトルが「跡(あと)」になるのだろうと思う。


日記に書かれている料理などのうんちくは作り方とか味がどうのとかがあり、料理を楽しんでいるのが伝わってくるが、外で周囲の人間と接しているときに何を感じているのかなどが克明に書かれているところに、伯父さんという人間のキャラクターや個性が浮き出てくる。
人生そのものが見えてくるという仕掛けになっている。

●この作品の良いところは何に対しても克明に書かれているので、ひとつひとつのエピソードがわかりやすい。
つまり説明のように流されていない、語っているという感じで「薄っぺらでなくて、厚く書かれている」。
素人とプロの文章を比較した場合の素人(説明)プロ(エピソードで語る)というような読み手に伝える文章力の力量の違い、と言ったところで、そうげんさんの文章の伝え方はプロに近いのではないかと思いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

構成についてですが、この作品は導入部で伯父さんの日記を読み始める中学生。

伯父さんの日記の内容が日付ごとに書かれている。

▼十一月十四日、土曜日、晴れ。

▼十一月十五日、日曜日、晴れ。

▼十一月十六日、月曜日、曇りのち晴。

●主人公の書き込みがある、それなりの量。

>都内の大学の工学部に在籍していた学生<
が、ロボットで大量虐殺を行ったとかの話。
主人公はこの書き込みの時点で35歳と書いているので、導入部の中学生が14歳としても20年ほど経過していることになる。

▼十一月十七日、火曜日、晴。

▼十一月十八日、水曜日、晴。 

天体からシカなどの野生動物の話。

▼十一月十九日、木曜日、晴。

ゲームの話から主人公が死ねば一からやり直しとか、途中で保存(セーブ)していればそこから始められるので、実際の人生とは違うというような哲学の話。
クローン人間でやり直しができるとかの話とか。

●主人公の書き込みがある、それなりの量。

▼十一月二十一日、土曜日、曇りのち晴。

新型コロナウイルス感染者数は検査の仕方で変わってくるという話。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

上のように、導入部を含めると主人公は三度伯父さんの日記に書きこんでいる。
その経過で中学生から三十五歳の年齢になっていたりする。


日記はしっかりと書きこまれているが、わかりにくさもある。
料理などについて日記に書く場合は、最初の方だけとか、一度だけにするとよいと思う。
その後で、人生に関わる重要な内容などが書きこまれているので、「日付の後」に、重要な本題から入る。
そうすると、内容がわかりやすくなる。

料理や一般的な趣味の話を日記に書きこむときは、小説なので、本題の邪魔にならないように工夫をする必要があると思う。
御作の場合は、重要な内容とそうでないものが一緒の日に書かれているので、本質をわかりにくくしている。


●小説やドラマ、映画にしてもこういった日記や記録が書かれたものが出てくる場合は、最初は日常のことが書かれていても、題材そのものが出てきた場合は、その後の日記や記録は本質のことが展開されると思う。

そうすると、話の展開がスピーディーになるし、内容がわかりよい。

御作を読んでいると、人生にかなり重要な事柄が書かれているが、それらが、直接関係がない料理や趣味のことではぐらかされている。
料理や趣味は最初は書いてもよいが、事が本題に入ってからは、そちらに集中して構成したほうが展開としてはよい。

●ちなみにこの作品は、途中で終わっているようなので、もちろん続きは必要です。
続きをこちらのサイトに掲載するべきという意味ではありません。
作品が、途中で終わっているという意味です。

以上、駆け足で書かせてもらいましたが、内容はよいと思います。

そうげん
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uさまへ

お読みくださり、ありがとうございました。

状況が分かりにくいようです。補足させてください。冒頭から時制は2020年の20年後。2040年という未来の設定になってました。2020年時点では中学生(14,5歳)だった甥っ子が、あとで語られますが35歳になっている年代。つまり令和二年から見て20年後の世界で、2020年に書かれたと思われる伯父の日記をいま広げようとしているという状況からスタートしています(そのつもりでした)。

2040年の「いま」から見て、その社会のことを想像、空想、妄想こみであれこれ語るのも面白そうですが、結局、大量殺戮兵器のことくらいしか出せてませんでした。国際情勢についてちょっとぶっとんだ設定を入れてもよかったのでしょうが、基本、主人公である伯父の甥は、日記に触発されて2020年当時とか、それ以前を振り返るという懐古プログラムになっておりました。

ジャンクフードからグルメレポート。ネタはたくさんあるんですが、たくさん書きすぎても全体のペースがおかしくなってしまうかなと思うところはあります。むずかしいですね。

作中に過去に一般の目に触れることになった作家の日記コンテンツ――断腸亭日乗や、椋鳥通信などの名前をあげました。それらの作のように格調高く語ることはできませんでしたが、その日、その時点で日記というスペースがあるなら自分はこういうことを書くかなというところから考えを膨らませて、実際にその日の日記を書くつもりで伯父の日記の部分を入れ込んでいきました。その日の日記の内容は、ほぼ自分のその日の行動とリンクしています。小説という体裁ができてるかどうかはさておき、公開スペースで作中作っぽい形で日記を公開していたようなものでした。

なので、コロナ対策等についても、けっこうそのときに思ってることをちょっといれこんでました。たぶん五年ごとかに読み返したら、あの頃はこんな感じだったなということが思い出せるものになっているように感じてます。

良かったといっていただけて、うれしかったです。
ありがとうございました。

そうげん
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アリアドネの糸さまへ

今回の書きもの――小説としてのひとつらなりのまとまりとして仕上げるという観点からいえば、まったく顧慮していなかったというのが本心です。日々雑多に思うことを雑多のままに言葉に置き換えていく作業をして、それについて甥の言葉によってセルフつっこみをするというきわめて簡単な構図で成り立っているわけでした。

このところ毎日文章を書いているわけではありませんでした。ただある程度まとまった日数で毎日書けることを設定して、その時点で書きこなせる書き方を選択してその状態を持続していく。腕が鈍らないようにときどき研いでみるという感覚で書き出して行った作品でありました。

思うことあったことをできるだけ詳しく伝えられるように書き込んでいくスタイルで本作を書いていきました。しかし先日の三島由紀夫の命日の日に、短編の「憂国」を読みまして、ある傾向をともなった(三島で言えば耽美的な表現といいますか)まとまった文章のつらなり、散っていくためにも熱く燃えあがる情念を清冽に描き切っているところなどに感銘を受けまして、しっかり影響を受けたものを自分でも実地に試してみたいという気持ちになっておりました。

そのとき書けるものを書いてみたいと思えれば試してみよう。そういう気持ちで書きものを進めることが多いのでした。個別のエピソード、単語についても(※X)と書いている部分の単語ははじめは注釈を末尾に置こうかと思ったのですが、気になる人は、検索を駆使すればなんとかわかるだろうというギリギリのところを狙ったので、不親切のそしりを受けるかもしれませんが、あえて不明瞭なままに見せている部分も多いです。固有名詞はだいたい実在しています。

ほかの書き手の日記を読むときにこれはなんだろうといまの時代に思うことがおおいので、地方の町に住んでいるからこそ他の地域の人にはわかりにくいものも、ある意味他者の日記という事実を意識させるファクターになりうるかなと思いもしたわけでした。

それではありがとうございました。

そうげん
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夜の雨さまへ

返信が遅れてしまいました。申し訳ございません。お待たせいたしました。

冒頭の書き方がまずかったでしょうか。先様に書いた通り、冒頭の段階で年代は2040年。2020年に中学三年生だった甥っ子は、すでに35歳近くになっているという設定でした。ですのでここに書いた文章の時制としては、一晩のうちのしかもまだ一時間くらいしか経っていない状況を描いている物でありました。

日記の中で転々と話題を飛ばしているのは、日記という形式であるから書き手が自由に思うことを書いているというのもあるのですが、あいだに海外のことを挟んだりするのは、作中にあげました書名――『仮往生伝試文』の書かれ方に、その日記の書かれた時間軸のこととともに、ふいに平安時代の事柄を描くような記述が混入する部分がたくさんありまして、それを自分の書き方でやってみたらどんな印象になるものかと試したわけでありました。

題材が本質に入ってからは直接関係のないことは書かない方が構成上よいのではないかという意見をいただきました。何が主で何が傍かという点において特に決めずに書くべきと思うことを詳しく書くという見地から、日記として書かれる内容をとくに切り張りすることなく、そのまま一日分が書かれたと想定してぎっしり詰めて書きました。小説ということであれば、無駄を排することが重要になってくるのかと思います。無駄の方にも書きたいものがあって、その無駄をあちこちに配することで別の効果もあることに関心を持っていますが、一般の小説の構造からいえば、それは不親切ということになりそうです。小説らしく仕立てるのであれば、本筋に関連しないことはバッサリ行ってしまうのが作品のためであるのでしょう。参考にいたします。

ありがとうございました。

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