作家でごはん!鍛練場
川内

勿忘草

 夕立にあおられた跡に沸く蝉時雨が、あんなにも哀しく響くようになったのはいつの日からだったろうか。
 ふぞろいに青草の垂れた畦道の風景は、不思議とあの頃のままだ。
 今日はいつもより空が高かった。小さな入道雲を画角の縁に残して伸び切ったひよりは、野に咲く桔梗の花よりも濃い青に染まっている。
 その青を中和するほどに、眩しく煮えた陽射しの束が、しわの寄ってたるんだ首の皮をじんわりと焦がした。
 たて付けの悪い障子戸は開け放たれたままで、相も変わらぬ轍をへだてるものは何もない。
 違い棚や床柱を横目にひっそりと鎮座した仏壇は、湿り気を含んでほのかに陰った香炉の匂いを漏らして、いぐさの傷んだ畳に染ませていた。
 奥へと誘うように開かれた脇扉と、溶けた蝋が層になって貼りついた燭台の合間には、肌の艶やかなまま灰色に切り取られた面影があって、穏やかにこちらを見つめている。
「ほんま、色褪せんなぁ」
 あぐらの上に抱いた琵琶を少しだけ持ち直して、視線を弦に落とした。
 その弦を伝うように、ゆっくりと目線を散歩させる。でっぷりとした撥(ばち)面の端から、弦の脇を彩る半月の紋様、次第に引き締まって鶴首と柱、てっぺんには跳ね上がった海老尻と糸巻き。
 その造形と向き合うたびに、胸に浮かんでくるのは柔らかな声と言葉だ。
——弦は、人の想いそのものやと思う。
 幾重に張った糸が、撥に弾かれて離れて寄って。
 近なったり遠なったり、時には一緒に鳴って揺れ動いて、そうやって音色は紡がれていく。
 せやから、弾くときは——
「語りかけるように、目を閉じて引く。……ああ、全部覚えとる」
 撥をしっかりと握り、右端の一ノ弦を滑らかに弾いた。乾いて跳ねる音がした。
 始まりは赤黄色に染まる金木犀の木の下だった。時折もれる寂しげな吐息やどこか儚げな佇まいを遠くから眺めていた。
 撥を斜めに下ろし、二の弦にそっと触れる。今度は低く重く、どんよりとしみこむ音。
 みぞれを纏いながら蕾んだ梅は薄紅の色彩。隣で肩をつつき指差す仕草はまるで幼子のようにあどけなく、溢れでる愛嬌を隠そうともしない。
 三ノ弦は撥を返して上向きに弾く。今度はみずみずしく軽やかに踊る音。
 庭にのびのびと咲き乱れた白丁花の絨毯は、散らすまでのうたかたの謳歌。
 闇で彩りの薄らいだ部屋の中、見交わす繋ぎ目に言葉はない。月明かりにたおやかな髪をなびかせる姿は夜桜の舞うようで。
 四ノ弦は、弾かずに奏でる。持ち手で鶴首の弦を揺らすと、水面の波紋のように、その弾かれた音色がしなって響く。
 そういえばその日も、空は高かった。伸び切ったひよりは、野に咲く桔梗よりも濃く青に染まっていた。
 ふと、錆びついていた澱みが、音につられてしなった。
 一筋の飛行機雲が空になびく。
 今さら、無性にしなって軋む。
 麦わら帽子がやけに霞んで映った。
 軋んでは、もう——
「あほ……よう弾けんわ」
 力なく琵琶を畳に寝かせた。しわだらけの顔に更にしわが寄る。唇があらぬ方向に曲がって、呼気が荒く乱れた。うるんだ眼は膜をはって、瞬きをすればするほど、琵琶の形や畳の色や、つのる感傷の輪郭すらひどく歪んでいってしまう。
 昔はあれほど巧みだった琵琶の奏で方も、今となってはその湿った膜の奥によどませて置き去りになり、もはや分からなくなってしまった。
 それでも、失いたくはなかった。よどんだままでいたかった。
 澄みきってしまうことは、それほどまでに、痛みを亡くすことに等しかったのだ。
 気づけば、高く立ち昇った雲は早々と空を覆いつくし、にわかに雨が降りだした。
 夕立は瞬く間に激しく、分けへだてなくすべてを洗い流してゆく。
 しかし唯一降り止んだ跡に残された、小さな水溜りのよどみだけは、いつまでも流されずそこに留まり続ける。
 しばらくして雨は止んで晴れ間が開き、 つかの間の静寂が流れた。
 いつのまにか沈黙を破った蝉たちの嬌声が、色めかしく土を震わせる陽炎の川に流れて辺りは再び騒がしくなり始める。
 ふぞろいに青草の垂れた畦道の遠景には、しなびた勿忘草が一輪、未だにぽつり取り残されたままだ。

勿忘草

執筆の狙い

作者 川内
p7509200-ipngn34501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

その昔、戦争で愛する人を失った、とある老人の話です。

コメント

ラピス
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描写が詩的で美しいですね。物悲しい老人の気持ちを、琵琶の音で表現されている。心に残りました。
もっと長い話を読んでみたいです。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

雰囲気はとてもいいのです。
が、細かいところで、違和感・引っかかりが沢山ありまくる。。その連続で、読んでてあんまり残念すぎるのです。


・夕立にあおられた跡に沸く蝉時雨が、
 ーー あおられた? 跡? そう変でもないのかもしれませんが、「たたかれた」と「後」って書き方もあるから……

・仏壇は、湿り気を含んでほのかに陰った香炉の匂いを漏らして、いぐさの傷んだ畳に染ませていた。
 ーー 語順を微調整した方が、すんなり理解できるかなー。

・燭台の合間には、肌の艶やかなまま灰色に切り取られた面影があって、穏やかにこちらを見つめている。
 ーー 遺影なのか、幻視なのか……

・その弦を伝うように、ゆっくりと目線を散歩させる。
 ーー 目線を「遊ばせる」や「さまよわせる」が普通かなー。

・唯一降り止んだ跡に残された、小さな水溜りのよどみだけは、
 ーー 「降りやんだあとにただ一つ残された小さな水たまり」って語順が普通かなー。

・しばらくして雨は止んで晴れ間が開き、 つかの間の静寂が流れた。
 ーー この場合、多分「止んで」ではなく「止み、」。& 晴れ間が「開き」も分からなくはないけど、大方は他の書き方を採択しそう。&「間、開、間」と続くと漢字が煩い。

・しなびた勿忘草が一輪、
 ーー 主人公を「しなびた勿忘草」に仮託してるんで、「一輪」と書きたくなる気持ちは分かるのです。分かるのです、が、勿忘草は「小花が密集した花」だから、、、細かくて申し訳ないんですが、個人的には違和感あったんです。


それより何より、最後まで分からなかったのが、

・伸び切ったひよりは、野に咲く桔梗の花よりも濃い青に染まっている。

「ひより」って何?? ググってみると「マツバボタンやスベリヒユ的な花」のようだったんだけども、、、
あれは「地べたを匍匐する性質のもの」で、丈は低く、上には伸びない。
そして「青花」はない・・と思う。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

「伸びきったひより」というのは……

・ツルニチニチソウ (桔梗色の花が咲きますが、花期が5月なので、季節が合わない)

・真っ青な朝顔:ヘブンリーブルー (季節は合う)

・アメリカンブルー (ハンギングだと伸びて垂れ下がる)

とか、かなー???

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

うーん・・

>今日はいつもより空が高かった。小さな入道雲を画角の縁に残して伸び切ったひよりは、野に咲く桔梗の花よりも濃い青に染まっている。

「伸び切ったひより」は、
この一文からはじめに『もしかして……』と考えもした「昼間の時間」のことなんだろうか???


ニュアンスからして、その線も一旦考慮はそたんだけども、
漢字で「日和」は「=晴天」の意味だから、、、「伸び切った」とセットなのは無理がある感じだもんで、
その線は、2秒ぐらいで「却下した」んだ。


次いで一瞬考慮したのが、「ひより= 女子の名前」。。
しかし、その場合も「伸び切った」が邪魔するんで、また却下。


そんで、タイトルが『勿忘草』で、中に他にも植物ぞろぞろ〜 だったんで、
『ひよりは、やっぱり何かの花の別名なり愛称?』って線になったんだけど、、、

はっきりしない。



全体に端正なんですが、無駄に「擬人化」とか入りまくってるせいで、
上の「ひより =女子の名前」も無駄に考えさせられてしまう。。


台詞とか心情とかがとても素敵に書けているだけに、
そういう【作者が自己満足している、無駄に思わせぶりな「曖昧表現」で埋め尽くされている】のが、
読んでみた側としては、とにかく本当にものすごーーく「惜しい」。

残念なんです。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

>その昔、戦争で愛する人を失った、とある老人の話です。

表現力はあるのでしょう。
しかし、個人的には読解力がないので分かりませんでしたね。

外観だけでは中味は分からないかな。
例えば、白くて大きな建物があっても、表札や看板が無ければ、
何の建物だか断定できないことと同じかな。
もっとも表札や看板があっても分からない時もありますけどね。

ライダー
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川内様

私にはこのような文章は書けないので、きれいな文だと感心しました。

ただ、一点だけ、気になりました。

川内様が、執筆の狙い、のところで「戦争で愛する人を失った」とお書きになっているのでわかりますが、作品の中では、主人公の老人が、愛する人をなぜ失ったのかが、書かれていないように思うのです。
空についての言及が多いので、空襲で亡くなったのかなと想像はしましたが。
美しい文の中で、戦争の描写など持ち出すのは残念な気がしますが、そこはやはり、もう少しはっきり書かれた方が、読者に親切かと思います。
ご健筆を。

u
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読みました
端麗美麗その他諸々誉め言葉文にささげますww
綺麗な文章ですねwww

でもわかる文章なのか、読みやすい文章なのかどうか?

>作者 川内 その昔、戦争で愛する人を失った、とある老人の話です。
とのことですが、これ読み取れる読者、何人いるのでしょう?

あたしは文章お上手と感じつつも小説としては
なーんにも感じなかった

もう少しこういった綺麗な文で長いものを読めたら
詩文じゃないよ小説でwwwww

そんな感じ
御健筆

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