挿入
「バーカ。入れるとかガキっぽいこと言ってんじゃねえよ」マイケルが言った。
「どっちだっていいじゃねえかよ。おまえだってどうせ兄貴から聞きかじったんだろ」とリー。
「なんだと。なめんなよ」
ぼくは向こうのやりとりがうざかったけど、コミックをスクロールする指を止めることなんてできなかった。やっぱ日本のはすげえ。ちょっと向こうを見ると、渦中のクリスがマイケルとリーの間で小さくなっている。おまえこっち来いよって言ってやろうかと思ったけど、やっぱりクリスには人を苛立たせるところがある。なんであんなところで小さくなってるかな。堂々と「おれは入れるだ」って言えばいいのに。
「だいたい挿入ってなんだよ。かっこつけてんじゃねえよ」とリー。なんかヒートアップしてるのか黒帯をぎゅっと締め直してる。
「てめえもバカか。さっきから言ってんだろ。入れるって意味だよ」
「会話んなんねーよおまえ。おまえは挿入ラップでも踊ってろ」リーが肩をすくめる。
ぼくはちょっとウケて、コミックを閉じた。
「クリス。センセー呼んでこいよ。センセーなら知ってるぜ」ぼくはそう言ったが、どっちでもよかった。はやく新しい技を覚えたくてしょうがない。もっともっと、いくらでも。コミックの技はインスピレーションは刺激されるけど実際のところはやっぱセンセーにやってもらわなければ分からない。
「おまえはどっちなんだよ」とマイケルがぼくに声をかけてきた。
「童貞だから知らねえ」
マイケルとリーがそろって笑う。
「クリス。早く呼んでこないと蹴飛ばすぞ」とぼくは言った。
「でもぼくまだサンドウィッチ食べてない」クリスが半べそになる。その前をオニヤンマが横ぎった。
「でけーぞ!」マイケルがパンツのまま捕まえようとする。オニヤンマは五十畳の道場をすいすい行ったりきたりする。ぼくはふとあの方向転換、なんか技に使えねーかなと思う。マイケルは「待てこのヤロウ」と言って道場を走り回ってる。
リーがぼくの横に来て言った。「童貞ってマジか?」
ぼくはリーをにらむ。
「ベスは?」
ぼくはリーの袖口にぶら下がるようにつかんでぐいと引き寄せ足払いをかけた。リーが勢いよく転んだ。ぼくはすぐ寝技に入って、「別れた」と言って、さっき見たばかりの関節の決め方を思いうかべ、リーの右腕を取った。あっという間に体を入れかえられていた。リーがぼくを見下ろしてニヤニヤしていた。
「だから言っただろう?」
「おまえが思ってんのとちがうよ」
「なんだよ」
「ベスのお父さん。レイオフ」
「マジか」
リーの力がゆるむ。
「オヤジさんに言ってどうにかなんねえのかよ」
ぼくは首をふった。ぼくもそれは考えた。ベスにも頼まれた。でも、なんかそれはちがう気がした。いや、ちがっているのはぼくかもしれない。だれにも相談しなかった。もし言ってもたぶん無理なことだったと思う。ベスはかなしげに首をふった。
「新学期からトロントだって」
ぼくはブリッジで一気にリーを返した。
「おい、おまえら来いよ! ヤンマ! ヤンマ! もう一匹きた」
マイケルが道場の向こうから怒鳴ってる。
「やってやがる。こいつら挿入してるぜ。つながって飛んでる」
ぼくは窓を開けた。湖の照り返しがまぶしかった。二匹のヤンマが逃げてった。建物に沿ってクリスとセンセーが歩いてくるのが見えた。
執筆の狙い
例えばですけど、電車の中で知らない人が知らないだれかについて話していて、聞き耳立てるわけではなくてもなんか聞いてしまうことってないですか。よく分かんないけど聞いちゃってよく分かんないけどなんかおもしろい。そんな感じにさせるオハナシを書こうとしてるんだと思います、たぶん、おれは。
男子が男子だけで女子の雲に覆われることなくいられる時間なんてわずかなもんだ。おれたちは世界中で弱くてバカでスケベだった。あの貴重な輝きをおれはアフリカさんに思い出させてもらった。ありがとう。おれの『挿入』をアフリカさんに捧げます。