作家でごはん!鍛練場
脱ぬるま湯

神の使い

 汚れ切った毛布で背中を覆い背を丸めている。交通量の多い南駅の前の道路を、一歩一歩、人とは前に進まなければならない存在であることを証明するかのように歩いている。髪は肩まで伸び、汚れて黒く光っている。ズボンは膝が破れ、黒く重そうな靴からは痩せた足首がのぞく。向かい側からやって来る人は、別段そうする理由もないのだが脇道によけてこの男をやり過ごす。後ろから来た自転車は立ちこぎをしてスピードを上げる。嫌われ方もここまでくればこの街で一番の嫌われ者だろう。だが当の本人は前に進むことを、その辛さを感じさせることもなく、皆に見せつけているだけだ。どこに行くのか人は問わない。どこから来たのかも誰も問わない。ただ前に進む。
 私が彼を見たのは右に曲がれば南駅に向かう交差点の渋滞に巻き込まれている時だった。私の車が進めば一旦彼を追い越すのだが、前の車が止まると、彼は重い毛布を背負いながら追いついてくる。私は彼の歩みから逃れるすべもなく、バックミラーから消えて、サイドミラーに映るまでの死角の数秒におびえ、彼の姿が見えることで逆に安心感を得ていた。私は出勤のために会社のある街の中心部に向かっており、彼は向こう側の歩道を同じ方向に歩いている。私と彼の間には反対車線があり、車が通るたびに一瞬彼を隠したが、彼はまた迫ってくるのであった。止まっている私の真横にくることもあった。そこにはちょうど南駅前のバス停があり、中年の男性と若い女性が立っていたが、二人とも彼の邪魔にならないように数歩後ろに下がるところだった。彼は二人に礼をいうわけでもなく、悠然と歩み続けた。ここに至って私は初めて彼の横顔を垣間見ることができた。顔は汚れてはいたが、目は死んではいなかった。前の車が進んだのでアクセルを踏み込んだ。彼は銀行やパチンコ店の看板と同じ速さで私から離れていった。
 私は営業の仕事をしている。営業という職種は気分の抑揚を抑えることが難しい職種だ。営業成績が良い時はそうは長く続かない。皆そのことをよく知っているので契約をとっても少しもうれしくない。よくドラマで大きな契約が取れたので皆に大盤振る舞いをする場面があるが、実はそのような気には決してなれないのが営業職だ。このように契約が取れた時でさえ陰鬱な感情から抜け出せないのであるから、契約が取れない時期はその抑鬱状態は病的にまで落ち込む。その感情の起伏をコントールし、常に前向きポジティブ思考が求められるのだろうが、いくら自己啓発の本を読もうと人間の本質そのものが、いつも前向きという思考機序になっていないのだから、まともな人にはできない相談だ。そもそも産業革命以降、従来は労働者が担っていた生産工程を機械が取って代わり、あふれた労働者が機械が作り出す商品とともに市場という異様な空間に放り出されたのであるから、そこにある主題はもちろん人間ではなく機械なのである。であるから人間としての感情を無くし、機械へと成り下がり滅私奉公することができる、否、人としての己と機械としての己を器用に使い分けられる人物こそ求められるのである。そこにいち早く目を付けた者たちは自己啓発という疑似餌を撒き散らし、藁をもつかみたいサラリーマンを釣り上げて対価を得ている。このような構図は受益者は誰かという観点から考えると、自己啓発のセミナーを受講したり書物を購入した人たちではなく、明らかに人間と機械との二重人格を何の抵抗もなく受け入れることのできるという、イマヌエル・カントの啓蒙哲学とは全く程遠い思考の持ち主たちなのである。よって、もし自分がこの営業という仕事に常に苦痛しか感じないとしても、それは人としての当然の防衛反応であり、決して自分が劣等であるためではないということを肝に銘じるべきなのである。と、私はその男と別れて職場に向いつつ確信したのだった。
 最近いらだつことが多い。私の職場は十人分ほどのデスクと仕切られた応接室のある事務所で、応接室は個室になっておらず、パーテーションで仕切っているだけなので部屋が静かであれば普通の会話は耳に入る。秘密裏の話し合いなどは小声で受け答えをしなければならない。昨日、私が帰社したのはまだ午後四時過ぎであった。その時間に営業職が帰ってくることは珍しかったが、何かの用で早めに帰った二人が応接室で安心して話していた。
「何を考えているのかようわからん」
 私には確かにそう聞こえた。話していた人の名をここで明かす必要もあるまいが、その内の一人は私が密かに「アムールの狐」と名付けた人物である。私は確信を持ってそう言える。なぜならこのような時間に事務所で気楽に話しているのは狐くらいしかいないからだ。私がその男をアムールの狐と名付けたのは次のような理由による。アムールの虎は有名だが、虎がいるならその餌食となる狐も生息しているに違いない。アムールの狐は弱い者には容赦ない。穴の中から鼠を引っ張り出すと、狐特有の飛び方をして喜ぶ。ヒョイヒョイと右と左に一回ずつ飛び跳ねると、今度は獲物をもてあそび始める。右手で鼠を突つき、鼠が歯向かうと面白がって飛び跳ねる。左手で叩き、鼠がひるむと鼻先で無理にでも立たせる。しまいには鼻先で放り上げ、落ちてきたところを踏みつける。それでも鼠が歯向かうと、狐特有の薄ら笑いを浮かべながら、一旦は鼠に逃げ道を与える。鼠がそこに向かって足をひきづりながら進むと、二メートルほど前で待ち伏せる。きちんと弱った鼠の体力を計算している。ついに鼠が力尽き、命乞いをするように狐を見上げると、行くが良い、とばかりに急に優しくなる。つまりは狐は実は満腹でただ遊びの対象として鼠を引っ張り出しただけなのである。必死の鼠は狐の餌食になるわけではなく、その晩のアムールのきらめく星々の下で狐に踏みつぶされた心臓が最後の脈を打つまで苦しみ続け、そして朝日が辺りを赤く染める頃、むなしく命尽きるのである。鼠の悔しさがこうやって朝焼けになる時、アムールの狐はまだ穴の中で尻尾を抱いて寝ているのである。
 だが、狐の強い者への屈従は、これもまた狐らしい。草原で虎の姿をチラッでも見ると、またたく間に穴の奥に逃げ込む。狐は穴の中で薄汚れた尾っぽで恐怖にふるえる体を隠す。そのように恐怖におびえる姿を誰が見るわけでもないが、狐は遠くの虎の妄想に全身でおびえるのだ。あのもてあそばれた鼠がこの狐の恐怖にふるえる姿を見るならば、自分のみじめな死に方を更に悔やむのである。そのような狐の姿を私は、二人の中の一人に見ていた。
 そのアムールの狐が他の人が汗と涙を流しながら営業を行っている時間帯にのんびりと雑談をしているのだ。すると人が事務所に入ってきた気配を感じたのか、急に話し声が聞こえなくなった。きっと私のことを噂していたのだろう。「何を考えているのかようわからん」という言葉は私に対しての中傷であることは明白だ。ああ、私がこのように苦労をして顧客と対応しているのに。確かにここ最近私はちょっと鬱状態なのかもしれない。だがそれがどうした。営業などという仕事はそもそもが鬱になる要素が多い職種だ。周りを見渡すがいい。三年前この営業所で皆から慕われていた人は東京に転勤になった後、すぐに鬱病になったというではないか。あるいはあの気立てのいい美人の女性は胃に穴があいて七転八倒してついには辞めて行ったではないか。彼女はシングルマザーで三人の子どもを抱えていた。今後の生活の不安よりも目の前のアムールの狐の方が怖いのだ。
 私は突然、自分の両目からビーム光線を出して二人を焼き切ろうと思いついた。パーテーションまで忍び寄り突然その上からビーム光線を発射するのだ。愉快だろう。逃げる狐。残念ながらここにはアムールの狐が逃げ込む穴はない。アムールの狐は右や左に飛び上がりながら私のビーム光線から逃げようとするだろう。私はそうはさせじとズンズンと狐の背に腹にビーム光線を浴びせる。こんな時アムールの虎の大きな尻尾はかえって邪魔になる。汚れた尻尾にビーム光線が当たる。毛が焦げ、肉が焼ける。いい光景だ。ついにはさすがのアムールの狐も弱り果て動かなくなる。さて、ここからが見所だ。
 私はそう思った時、待てよ、と感じた。ビーム光線を発射するには莫大なエネルギーが必要なのだ。今の自分にはそのエネルギーの蓄えがない。なぜなら私は最近筋トレを怠っているからだ。人間の体のエネルギーは筋肉の太さで決まる。だが、自分の怠け癖のせいでこの大事な時期にビーム光線を使えないのだ。ああ、なんとダメな男だ。せっかく筋トレ用の器具も購入したではないか。あれは結構高かった。高価な物なら毎日使うだろうと決断して買ったではないか。その器具もホコリにまみれている。自分の太ももを見てみろ。歩くことがやっとで、それもチマチマと歩いているではないか。もっとシャキッとした歩き方はできないのか。昔は毎週のように登山にも行った。登山愛好会にも入ったが一回参加しただけで適当な理由をつけて断り続けている。このままだと筋肉がさらに衰えついには歩けなくなるぞ。そうなるとどうなる。トイレにも行けなくなり糞尿にまみれて死んでいくのだ。すべてはお前のせいだ。私は自分の太ももを見た。ズボンの中の細い筋肉に風が当たるのを感じた。私は自分の両目からビーム光線を出してそのやせた太腿を骨まで焼き切った。エネルギーを使い切った私は椅子に座り込んだ。
 私が活動的な人間ではないことは認めよう。時間があると読書が好きで詩を書いたり小説を書いたりして過ごしている。一時は哲学書を読みあさったこともある。哲学者や宗教家は様々な講釈を述べるが、私はこの世の根本仕組みとして確信していることがある。それは「都合」ということだ。私は最近世の中はこの都合で成り立っていると確信するに至ったのだ。その理由を述べよう。ある日私は上司から呼び出された。私はこの男にも密かにあだ名をつけている。ツグミだ。なぜツグミなのかはわからない。ツグミは冬場小鳥を呼ぶために庭先に置いた蜜柑を甘いところだけ食いちぎり、汚く食い残す。自分自身の姿にあの蜜柑の姿を感じるからだ。それはいたって自然なことで何も非難されることもなかろうが、あの惨めな蜜柑の姿のようにいつか自分も食いちぎられるのかと思うと、悲しみと反発が彼に対して浮かぶのだ。そのツグミが私を呼ぶ。私は枝に刺されてツグミの鋭いくちばしに突かれる私を想像し、身震いした。
 私は仕方なく応接間のソファーに浅く腰かけて背中を丸めた。こういう時は警察での尋問のような場面を覚悟しなければならない。なぜならそれは必ず密室で一対一で行われるからだ。しかし営業所には前に述べたように個室はない。だから、パーテーションで囲っただけの応接間で声を潜めながら受け答えすることになる。声が小さい代わりに顔の表情や眼光は逆に鋭くなる。ツグミは一言苦言を発すると決まって上目使いで私を見た。要するに会社の要求する商品を会社の要求する数量だけ売込まなければならないのだ。つまりは会社の都合を押し付けるわけだ。私は下を向いたまま耳を押さえた。その時、ある光景が私の思考を支配した。それは私が子どもの頃のことだ。私はあまり運動ができる子ではなかった。男の子の遊びは運動能力と直結している。逆上がりができる子はやっぱり遊びでも自分の好きなようにできる。私は今に至るまでたぶん逆上がりはできないだろう。子どもの遊びは意外にも相当なテクニックを必要とするものがある。その最たるものは独楽回しだ。木の塊でできた独楽に太めのヒモを巻いて相手の独楽にたたきつける。ふたつの独楽が回りながらぶつかり合う。独楽の命をかけた戦いだ。独楽は必死に回るがしだいにその勢いが無くなりついには倒れる。意地と意地のぶつかりだ。私は独楽回しがまったく下手だった。いくら投げてもまともに回ってくれない。みんなから馬鹿にされ笑われた。私は涙を必死にこらえた。私は自分の独楽を持って家に帰り部屋の隅で両足を抱えてその間に顔を埋めて泣いた。私は独楽回しをすることが嫌なのだ。だからはっきりと僕はしないというべきだったのだ。でもそんな理屈が通るだろうか。そんなことを言い出すときっと明日から遊んでくれないだろう。そんなことは目に見えている。独楽回しが彼らの都合だし、したくないのは僕の都合だ。世の中はすべてが都合なのだ。そうだ都合と都合のぶつかり合いだ。だけど、今までに僕の都合が勝ったためしはない。いつも僕の都合は誰かの都合に負ける。僕の都合は蜜柑だ。ツグミのいいように食いちぎられる庭の蜜柑だ。
 その後、こうも考えた。自分は独楽回しは苦手だけど本を読んだり作文を書くことは好きだ。だから作文ではあの子達には負けない自信がある。だから僕は作文を書きたいというのが僕の都合だ。だけどあの子たちの都合は、独楽回しなのだ。僕は僕の都合で生きていきたい。そうでなければあの鳥たちに食いちぎられて干からびた蜜柑になってしまうに決まってる。そう思っているとツグミが何かを言っているのが聞こえる。もうどうでもいいことだ。そんなことより、自分の都合はこんな大人になっても、弱いままなのだ。一生、自分の都合は枯れ果てて、干からびて、食いちぎられて、いいようにされて、そうなって自分はそんな都合を抱きながら死んでいくのだ。
 ある日、そのツグミと得意先に行かなければならなくなった。私は必死になって、ひとりでも行けますと言うと、大事なお客だから二人で行かなければダメだと言う。その日は雨だった。私は車をツグミが雨に濡れないように会社の玄関にぴったりつけた。ツグミは後部座席の左側に乗り込んできた。無言のままだ。私は車をゆっくりスタートさせた。その車の中で私は奇妙な感覚になった。数日前に水木しげるが亡くなっていた。テレビでは繰り返し水木しげるが描いた妖怪たちが映し出されていた。その中の一つ、首が長く伸びくる女の妖怪が自分の後部座席に乗っているように思えたのだ。最初はそのような感覚はなかった。しかし次第に後ろに座っているツグミは実は首がグーンと伸び出す妖怪なのではないかと思えてきた。一旦そう思うともう止まらない。いつ後ろから長い首が伸びてきて私をびっくりさせるのだろうとビクビクしていた。それは後部座席の左側にいる。だから私は運転している間常に左手で防御の構えをしていた。左手を顔の左側に当てて、首長女の妖怪がぬっとやってくるのを防いだ。私はルームミラーで後ろを見る勇気がなかった。もしそこに本当に妖怪がいたらと思うと冷や汗が出た。私は左手を顔の左側の当てながら運転した。得意先の前ではさすがにそのような素振りは見せないようにように気をつけたが、帰りも同じように妖怪の恐怖に緊張して運転した。会社に戻りツグミを降ろすと、清浄剤のスプレーをを後部座席に思い切り振りかけが、爽やかな香りはまったくしなかった。
 職業柄、個人情報の管理や法令遵守が求められる。いわゆるコンプライアンスというものだ。他の人は平気でいるのが不思議なのだが、私にはこのコンプライアンスは胸に突き刺さる針なのだ。どうして皆は平気なのだろう。こんなに怖いものはない。いつ刺されるかわからないではないか。背中から突然刺されることだってあるだろう。あるいは待ち伏せされることもあるだろう、寝ている時だって安心はできない。皆はこの恐怖から逃れる秘密の方法を知っていて、私だけ知らずに皆が私のことを笑っているのだろうか。皆が知っていて私だけが知らない恐怖から逃れる方法とは、例えばヨロイのようなものだろうか、コンプライアンスがやって来てもそのヨロイを着ていれば難を逃れられるのだろうか。それとも魔法の剣なのだろうか。その剣で飛んでくるコンプライアンスの針を切って切って切り倒すのだろうか。そもそもいったい誰が私にコンプライアンスの針を刺すのだろう。またいったい何のために私に恐怖を与えるのだろう。だから私は私なりにこのコンプライアンスの針から逃れる方法を考えなければならないと思った。そのためにはどんな種類のコンプライアンスがあるのかを徹底的に調べ上げれば少しは安心すると思った。そうでなければ私の知らないところでコンプライアンスの針が発射され、皆はそのことを知っているのに私だけが知らない、あるいはもっと懐疑的に考えれば、誰一人そのコンプライアンスの存在と恐ろしさを知らなかったのに、まず最初に私にその針が当たったがために、それを知ることになって、そのために彼らは自分自身を守ることができて、つまり、私はスケープゴートになっているのかもしれない。だから、そうであるならなおさら、前もってコンプライアンスの情報を集めなければならないのだ。だから私は自分の立場で手に入る情報を集め始めた。だが、ここでもコンプライアンスの針が私の脇腹を刺した。なぜなら、この情報を集めることそのものがコンプライアンスの針となって体じゅうに向かってくるのではないかと思い始めたのだ。私は担当部署の課長に電話した。案の定、そこにはコンプライアンスの針が隠されていた。始めにそうではないかと気づいてよかった。そうでなければ、スタート時点からハリネズミのように針が刺さり、死んでいくところだった。その課長は電話で、あなたは改訂があった場合忘れずに対応できますか、と尋ねた。現在、すべてのコンプライアンスはコンピューターの中に入っている、その最大の理由は改定の時に速やかに対応できるからなのだと言う。改定前のコンプライアンスのプリントを持っているとコンプライアンス違反になりますと言う。最近はすべての通達がメールで行われる。重要度の大小に関わらず一通のメールで通達される。だからもしそのメールを見逃したら、そこに重要なコンプライアンスの改訂が書かれていたら、不運にもそのコンプライアンスがまさしく私の目の前の出来事に関係する事柄だったら、その時はコンプライアンスの針はきっと私の心臓を突き刺すだろう。そうなると私は私の自己責任のもと、ああ、なんという怖い言葉だろう、その自己責任という必殺の言葉のもと、解雇なり減給なり譴責なりが言い渡される。当然ながらそこには弁護人はいない。だからどうしても自分を守る必要があるのだ。
 私は人の話を聞いていないと人が言う。そんなことはないと自信を持って言えるのだが、私はこう言いましたよねと、その人は私ではなく他の人に対して尋ねるので、たとえ言っていないと思っても、いやあなたはそんなことは言っていませんでした、なんて答える他人がいるわけもなく、いつも私には人の話を聞いていないというレッテルが貼られる。こんな私がもし無実の罪で警察に捕まったら、警察の、これは君がやったのだろう、という尋問に対して、このコンプライアンスの針の経験があるので、たやすくうなずいてしまうのではないかと思うとまた胸が痛くなってくる。
 私はそれでも少しでも自分を守るために、聞いた話や思い出すことができるコンプライアンスに関する事柄をメモ用紙に書いて、机に貼っていこうと思った。そうすれば言った言わないの問題も起こらないだろうし、自分が目にする場所に貼っておくことで注意をするし、なによりも安心すると思った。私は五センチくらいの緑色の正方形のメモ用紙を買ってきて、コンプライアンスを一つと一つと書き始めた。書いては机に貼った。最初には机の上に貼っていった。机の上がメモ用紙の緑で埋まった。でもコンプライアンスはまだまだたくさんある。私はなおも書き続けた。書いては緑のメモ用紙を机に前の引き出しの部分に貼った。さらにさらに書いて机の脚にも貼った。机の四本の脚が緑色になった。コンプライアンスはまだまだ限りなくある。私は泣きながらコンプライアンスを緑のメモ用紙に書いた。涙が緑の紙の上にぽとりと落ちた。その結果、机は隙間なく緑のメモ用紙で埋まった。それでもコンプライアンスの針は髪の毛の中に、胃の中に、そして目の中に突き刺さり、私が涙をぬぐう度に尖った針が私の目をグリグリ、グリグリとこね回した。
 ある夕方、私は会社を早退した。胃は痛く、家に帰った私は布団をかぶって泣いた。いつのまに寝ていたのか、夢を見た。それは私が歯医者の椅子で治療を受けている場面だった。私は口を開け、やがてあの歯を削るキーンという音を耳のすぐそばで聞いた。しかし、音がするばかりでいつまでたっても歯を削り始める気配がない。私は薄眼を開けて歯医者を見た。なんとその医者はあのツグミではないか。マスクをして拡大鏡のようなものを顔につけているが確かにあのツグミなのだ。私はびっくりして飛び上がった。すると逃げ出す私をあの歯を削るドリルを持って追いかけてくるではないか。キーンという音が部屋中に響く。私は椅子を避けながら逃げた。ツグミは右手に持ったドリルを私に向けて突き出してくる。私はかろうじて治療用椅子に隠れる。キーン、キーンと鋭い音が私を襲う。うがい用の水がこぼれる。回転する鋭いドリルが私の顔にめがけて突き刺さってくる。私は治療室の中を逃げ回ったが、ついに部屋の隅で捕まってしまった。ツグミが薄笑いをしながらドリルの回転を最大に上げて私の顔めがけて突き刺す。そこで、夢から覚めた。私は布団の中で震えていた。
 またこんなこともあった。ある朝、私はクロック博士の訪問を受けた。寒い朝だった。黒い大きなフードを頭にかぶり黒いコートを着て黒い手袋をしていた。クロック博士は部屋に入ってきても黒い大きなフードも黒いコートを脱ぐことはなかった。だから顔はまったく見えなかった。クロック博士が我が家を訪ねてくることは今までもたびたびあった。しかし今回の訪問は真冬の早朝という時間であり、今までの経験からしてそのような時間にクロック博士が訪問することはなかったので何か深い意味があるのではないだろうかと感じられた。ソファーに座ったクロック博士に暖かいコーヒーをすすめると黒い手袋のまま両手で抱えて、コーヒーの温もりを感じているようだった。
 私はクロック博士にこんな寒い朝早く私の家にこられた理由は何ですか、と尋ねたが、クロック博士は黙ったままいつまでもコーヒーカップを両手で抱えたまま下を向いて一言も話さなかった。何か深く考えているようで近寄りがたい雰囲気であったので、私も普段の自分の生活の通り読書をしたりテレビをつけてニュース番組を見たりしたが、その間もクロック博士は黒いフードを深くかぶったままで、ソファーに黙ってただ座っているだけだった。結局私はクロック博士から訪問の理由を聞くこともなく昼の時間になった。私はこのクロック博士の訪問はきっと私にとってとても重要な問題で、その重要さ故にこのように何時間も言い出すことができないのだろうと思った。そうであるなら私はクロック博士が何か言い出すまで待つしかないと思った。私は自分の過去の中にこのようにクロック博士を黙らせる重大な事柄があっただろうかを考えてみた。
 一つだけ気にかかることがあった。それはもう二十年も前のことだった。そんな昔のことをクロック博士がご存知だろうととも思ったが、私の心の中にまず最初に浮かんだ出来事だったのできっとクロック博士の突然の訪問とも関係があるだろうと思われた。
 その日、私は父親とともにせせらぎの中にいた。というのは私の家族は夏休みは父の実家がある九州の山中で過ごすことになっていた。面白そうなテレビ番組も無く時間を持て余した父は私を誘って川に行こうと言い出した。父は倉庫から錆び付いた金付きを一本だけ見つけ出した。それは人の背の高さほどの竹竿の先に四本に分かれたモリが付けてあって自転車のチューブを切ったゴムでモリが発射される仕組みだった。昔はこれで魚を捕ったものだ、と父は言い、モリの先端のサビを金ヤスリで丁寧に取った。私と父は薮をかき分けて川に出た。そこは膝くらいの深さだった。父は、お前はここにいろ、と言うと金付きを持って上流に向かった。そこは岩と岩の間を清流が流れて込んでいる場所で、その狭い深みには魚が潜んでいる。そんな場所が上流にはたくさんあった。私は金付きを持っていなかったので、この浅瀬で父親が魚を獲る間遊んでいる他はない。父は岩と岩の間を潜りながら段々と上流に進んでいった。そして見えなくなってしまった。私は何もすることが無くなり、しばらくは川の流れを見ていた。その内に、この河原には私しかいない、という思いが出てきた。
 空は天の上まで青く、周囲は濃い緑の山々が川の流れを見守っている。風は川の水に沿って流れ、私はこの世の中でたった一人の人間のように思われた。体を川の水につけてみる。枕になるような石に頭をのせ、首と頭を支点にして両手、両足を流れにまかせて伸ばしてみる。水の深さは私の胸の上を水が流れる程度、頭をちょっと上げてみると胸の上を、腹の上をせせらぎが流れている。私は目をつぶって今自分のからだの上を清き水が流れている風景をイメージしてみた。私は自然と一体になっているのだ。水は私の頭の後ろで二股に分かれて流れる。右も左も同じ水量だ。その水の大部分はまた私の首を回って一つになり、胸の上を包むように流れていく。不思議に音はしない。一部の清流はワキの下に入り込む。肩からワキへ、それは左右に同じように落ち込む。首、肩、ワキと流れる水は私の背中の下で本流と合体する。川の流れから上に出ているのは私の頭だけ、私の体の他の全部は水の流れに自由に伸ばされ、透明色に染まっている。私はふと下半身を見た。水はヘソから下で流れを止められ、渦が沸き立っている。その原因は私の水着だった。ヘソのすぐ下、水着のゴムの部分で、清らかな流れが阻害されているのだ。私はしばらくその阻害されて無秩序な流れを見ていた。私はその時、ここには自分しかいないことを思い出した。父は当分帰ってこないだろう。しかもこんな山の中の川に来る人もいない。私は、そうだ、水着を全部脱いでしまおう、ちょっとだけなら、大丈夫だろう、と思った。私は水泳パンツに手をかけゆっくりと脱いだ。そしてその水泳パンツをそばの石の上に置きいた。もう一度、水を感じてみる。この世には私しかいないのだ。石に頭を乗せてみる。川の水が心地よく流れる。首を回り、胸をなめた水はヘソの辺りでやや中央に集まり、そして揃い始めた陰毛をなびかせて股間に落ちる。その途中には男としての象徴が滝に挑む岩のように立ちはだかる。水はそれには構わず、あるいはかすかに笑いながら、股間から内股へと流れ込む。水は頭の後ろから無限にやってくる。我が胸は、我が股間の岩は流れ込む水量に耐えられるだろうか。目を閉じると自分の存在さえなく、私は水に遊ばれる河原の石の一つとして、お日様に見られていると感じた。その間わずかに数分だっただろう。我に帰った私は急いで水泳パンツをはき、父を探しに上流へと向かった。
 このこと、つまり、まだ少年の私が河原で真っ裸になり、生意気にも自然と一体になるという感覚を持ったということ、このことをクロック博士はとがめているのではないだろうか。きっとそうだ。そのような大それた感覚を持つことが今の不安定な精神状態を作り上げているのだ。早くそのことに気づけ!お前の周りを見てみろ、すべての人間が逆らうことなく、他人の都合に従っているではないか。お前だけがくだらない理屈を並べて自分自身を苦しめているのだ。いままでお前が感じてきたようにこの世の中はお前の都合では回っていない。自然に身をまかせるなどというのは死ぬ前の人間のすることだ。お前はまだ生きていたいだろう、前に進みたいだろう、そのためにはポジティブシンキングが必要なのだ。それなのにお前はその若さで自然と一体になりたいなどと言う。いいかよく考えてみろ。お前がそんなことを考えている間に競争相手は一歩いや三歩は前に進んでいる。お前はそれでもいいのか。家族を悲しませるな。簡単なことではないか、ただただ他人、お前の場合は他人というよりも会社だが、その会社の都合にあわせておけばいいのだ。もし、それもできないなら、会社の都合にあわせる真似だけでもしておけ。そうすることでいつか心も落ち着く。そうでなければこのままだんだんとと深みにはまって抜け出せなくなるぞ!
 クロック博士はきっとこのことを伝えに寒い朝早く私を訪ねてきたのだ。私はそう思い出すと、たまらなく悲しくなった。半分涙目でクロック博士を見ると博士はさっきまでいたソファーには座っていない。どこに行ったのだろうとと部屋を見渡すと、コンピューターが置いてある机のブックスタンドのそばで、手のひらに乗るように小さくなったクロック博士がカチッ、カチッ、カチッと音を立てていた。

 そんな出来事が私の身の回りにたくさん起こったので、さすがに不安になった。
 数日後、意を決して精神科を受診した。通された部屋には女医さんが座っていた。
「どうされましたか?」
「最近、胃が痛むのです」
「どんなお仕事でしたかね」
 医者は私のカルテをめくり表紙に書いてある会社名を確認して
「営業のお仕事ですね。ストレスでしょう」
と言った。
 私がいままで私の周りで起こった様々なことを意識的にさらっと伝えて
「どうでしょうかね」
 と尋ねると
「軽くはありませんね」
 と答えた。軽くないということは重いってことか……
「お薬を出しておきましょう。胃酸をおさえるお薬と、不安を感じた時に飲む頓服です。精神科のお薬を飲むのは初めてですか?」
「は、はい」
「少し眠くなりますから運転などには気をつけてくださいね」
 と言い、それから、
「何か困ったことになったら、すぐに来てくださいね」
 と付け加えた。困ったことってどんなことだろう。これ以上私の身に何が起こるのだろう。
 私は薬をもらい帰宅した。胃薬はすぐに飲んだが精神科の薬を飲む気にはなれなかった。一旦精神科の薬を飲むと意識がもうろうとしてきて、薬に依存してしまうのではないか。そんな話をよく聞く。何とか薬を飲まずにすませることはできないだろうか、と考えた。それにはまず自分の周りで起こっていることを整理してみることだ。何が恐ろしいのか、それは他の人が水木しげるの漫画に出てくる妖怪のように感じたり、置き時計のカチッカチッという音が気になって仕方がなかったり、怖い夢を見たりすることだ。その原因はいったい何なのだ。
 よく考えてみると私は理想主義者なのかもしれない。あまりにも理想に走りすぎて現実が見えていないのだろう。だが、理想を目指すことがなぜ悪い。どんな自己啓発本だってまずは自分自身の理想を、夢を描けとかいてあるではないか。だから、理想は理想、現実は現実ときちんと分ければいいのではないか。お前はあまりにも理想を追いすぎる。よく他の人のためにお役に立ちたい、などと人は言うが実際にそんな奇特な人がお前の周りにいるかどうか考えてみるがいい。誰がそんなことをする。そういう言葉は今の自分の境遇を忘れんがための方便なのだよ。お前はその年齢になってそんなことも分からんのか。それでもたまには慈善団体に多額の寄付をする人もいるだろう。でもな、そんな人は決まって時間と金があり余っている人だ。そりゃ、誰だって死ぬ前に金がありゃ、困っている人のために使おうなどという気も起こるだろう。だが、今のお前自身の姿を直視してみろ。自分の気持ちさえコントロールできずに、みっともなくも精神科まで出向いたではないか。もしお前が精神科の前をうろついていたなんて話が広まってみろ、お前はこれからどうやって生きていく。そうなる前に死んだ方が楽じゃないか。そうさ、お前みたいな男は生きていく価値がないのだ。生きていても皆から後ろ指を指されながら笑われるだけだ。「理想に死す」か、いい言葉かもしれないがね。みんな忙しいんだ。そんなことはすぐに忘れるさ。私の中のもう一人の私が、そうやって私を蔑んだ。さらに私には冷静に見ているもう一人の私がいた。
 その三人目の私が、さてそこでだ、と言いだした。この問題を根本的に解決する方法がないわけでもない、と言う。いいかよく聞け。その方法は究極の方法だ。なぜ究極か、それは危険だからだ。この方法を用いるとあるいはお前の精神だけではなく身体にも深い傷を残すことになるかもしれない。それでもこの方法を採用する理由は――
 ここまで聞いて私は精神科の薬を思い出した。精神が不安になったら飲むように医師が告げた薬だ。ここで飲んで、それから話を聞こうかとも思った。しかし、特別に不安を感じているわけではない。逆にどんな良い知らせがあるのかという期待やら、希望につながる幸福感さえ感じているのだ。だから、抗不安剤を飲む必要なんてないのだ。私はそう思い、話の続きをするように催促した。
 その後、第三の私の声は命令調になった。私は、いままでの様々な出来事ですっかりおとなしく飼いならされていたので、それに抗するはずもなく、あるいは、希望やら期待やらが、自分を救ってくれるのだと思い込んでいた。
 声は私に次のように命令した。
「君はこれから神の使いとして働いてもらう」
「神の使いですか」
「そうだ、君は長い間、理想と現実の狭間に入り込んで悩んでいる。しかもそのことは他の人にはまったく理解できないでいる。神様たちは君のその悩みはまったく正当なものでぜひ手を差し伸べて救わなければならないとお考えだ。君はなぜ他の人たちに君の考えや行動が理解できないのか、その理由が分かっていないようだが、それは君だけが、他の人と比べて神に近い場所にいるからなのだ。神のお考えが人間たちにわかるはずがない。君はそのことに気づくべきなのだ。だから神様たちは君を神の使いとして地球に遣わせて、君と同じように悩み苦しむ人たちを助けださなければならないとお考えになっている。その任務を君に委ねたいとのご要望だ。君にとってこんないい話はない。冷静に分析してみろ。君がこの任務を引き受けると、私は断るはずがないと思っているが念のために言うと、君は神の使いになるのだから、君の後ろには常に神様がついていることになる。君がどこにいようと神様は天から君の姿を、いや、姿だけではない、君の考えや悩みを、つまり君のすべてをだ、見守っていてくれるのだ。だから、もう悪夢に怯えることもなく、妖怪に襲われることもない。さらには、人助けができる。これは君がいつも理想にしていることではないか、その理想とする人助けができるのだ。しかも、君は神の使いなので、世界中に飛んでいける。ほら、あのアフリカの少女、君が写真を見て涙したあの栄養失調の少女にも食べ物を与えることができるのだ。そればかりではない、君は世界の平和にも貢献できるのだ。君は神の使いだから誰の目にも見えないのだ。だから敵対する国のリーダーに直接会うことができる。そしてこうささやくのだ。「私は神の使いです」とね。ついでにちょっと脅かすといい「貴殿は地獄に落ちる」とね、そうすれば、その国のリーダーは悪夢に悩まされてついにはお互い握手するようになるさ。つまり世界の平和に貢献できるのだよ」
 私はどこからともなく聞こえてくるその声に心地よさを感じた。もし私が本当に神の使いになったらどんなに素晴らしいだろう。確かにこの声のように貧困の解決や世界の平和のに自分の力を発揮できるかもしれない。確かに、この声の通りだ。いままでなぜ私の考えや行動は他の人には理解できないのか疑問に思っていたが、それは私が神に近い場所にいるからなのか。あの「何を考えているのかわからん」という私を馬鹿にした言葉は実は、そういうことを言う人こそが、神様の意思を理解していないからなのだ。そうか、だんだんと分かってきた。いままでの奇妙な出来事も実は神様の意思だったのだ。きっとそうだ、いままで私が苦しみ涙を流してきたのは今こうやって神の使いになるための試験だったのかもしれない。私はなんとかそれに耐えたので今ここで神の使いになるように要請されているのだ。こんなに素晴らしいことはない。すぐにでも神の使いになりたい。私はそう思うと
「やります。私のようなもので良ければぜひ神の使いになりたいです」
 と第三の自分に告げた。
「だが、その前に最終確認をする。君が神の使いになるということは、分かっていると思うが、神の国の人たちと同じ世界に住むということだ。その件について、君に最終確認をしたいのだ。このことさえ承諾してもらえればいますぐにでにも君は神の使いになれる」
「それはどんなことですか?」
 私は神の使いになれるのならどんなことでも承諾しようと思った。
「それは、君が神の使いになるということは人間としての生活を諦めることだ。つまり、君には妻がいるだろう、子供もいるはずだ。少ないながら友達もいる。その者どもと人間社会での縁は当然のように切ってもらわなければならない。神様と同じ世界に住むためには当然のことだ」
「それは……」
「それができぬのなら、君は神の使いになる資格はないことになる」
 私が悩んで頭を抱えている時に、妻が、
「ご飯ができましたよ。美味しいビールを買って来ましたよ」
 と明るい声で私に声をかけた。
 ふと頭を上げると、妻がいつものように、温かいふっくらしたご飯をテーブルに運んでいるところだった。

           (了)

神の使い

執筆の狙い

作者 脱ぬるま湯
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ずいぶん前に「作家でごはん!」さんにお世話になりました。

再度、何か書いてみようという気になりましたので、地方の文学賞に出したものですが投稿させていただきました。
こんな精神障害の内容は、まったくお払い箱でした。

ご教示いただければ幸いです。よろしくお願いします。

コメント

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

最初のセリフ:「どうされましたか?」が出て来るまでが、とんでもなく異常に無駄にえんえんと「とにかーーーくうすら長い」。

のっけからもう、見るからにくどくどしく、「主人公の独白独白独白垂れ流し……怒涛の独白」な様子で、
見る側をげんなり・うんざりさせまくり、読み手を阻みまくりますねー。
(なので、画面あけただけで、中身まで読んでないです)


読み手が「主人公に興味ひかれる」いとまもなく、冒頭から「とにかくそう」なっていて、
それが「心情」というより、無駄につまらない説明説明説明説明……でとにかく説明に終始しまくってる。
現状の【作者が自分の積年の鬱憤吐き出して、行数埋めまくりました】にされると、見てる側がイヤなので、

この場合、たぶん「どうされましたか?」を冒頭に持って来て、そこから書き起こしてゆく方がスムーズだし、読者親切。




本文が終始読者のことをまったく考えてなくて、「完全作者独りよがりすぎ」て、ダメだ。

具体例を、画面あけて目についた箇所であげると、

>ある日私は上司から呼び出された。私はこの男にも密かにあだ名をつけている。ツグミだ。なぜツグミなのかはわからない。ツグミは冬場小鳥を呼ぶために庭先に置いた蜜柑を甘いところだけ食いちぎり、汚く食い残す。自分自身の姿にあの蜜柑の姿を感じるからだ。

↑ 「なぜツグミなのかはわからない。」って一旦無駄に全否定しておいて、
そのくせ、すぐさま「正反対のこと」をもっともらしく書く。

なら、「なぜツグミなのかはわからない。」は要らないんじゃないかい?? と読み手は思うし、
【作者のことが信用ならない】んで。


たぶん、冒頭から逐一読んでゆけば、「なぜツグミなのかはわからない。」より手前に、何箇所もその【作者のことが信用ならない地雷】が埋め込まれてて、
地雷原になってんじゃないのかなー?? と予想。


地雷原はダメなんで、まず「読者に対してフェアに書く」ようにしてみて??

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

作者さんが「誰なのか」は知らないんだけど、

画面見た感じの印象は、

『(長年ここのサイト常駐の)加茂ミイルが、投稿用につとめて純文学調に書こうとして、大コケした』有様のように見えた。


↑ 「そんな風に見えるんですよね」ってだけの、「あくまで文章から受けた個人の感想」であって、

作者さんが加茂ミイルだと言いたいわけでも、そう言ってる訳でもありません。

脱ぬるま湯
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>貔貅がくる様

コメント有難うございました。そうですよね。
病むほどの気負いが空回りして、読者のことを考えていないと思います。

「読者に対してフェアに書く」とは、肝に銘じるべき言葉だと思います。

有り難うございました。

ちなみに、最近はもっとおだやかです。
今度は、きちんと読んでいただける作品を書いてみます。

貔貅がくる
n219100087087.nct9.ne.jp

>「どうされましたか?」
よりはるか前に
>「何を考えているのかようわからん」
が入ってるんだけど、

それはカギカッコで切り出されて・改行されてるけど、「主人公の独白の一部」であって「会話として成立していない」から、

セリフとして機能している最初のセリフは、
>「どうされましたか?」
になる・・と思う。


(読んでないんで、アレだけど)

文章家
sp1-79-88-241.msb.spmode.ne.jp

「どうされましたか?」
から始めないとだめだ。
それまでは全て削れアホが

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

とにかく詰めすぎて目にきついねえ そこ変えると印象違うんでは

文章家
sp1-79-88-241.msb.spmode.ne.jp

そういう問題じゃねえよ

脱ぬるま湯
softbank060091003055.bbtec.net

>文章家様

「どうされましたか?」から始めないとだめだ。 ご指摘の通りだと感じました。

>茅場義彦様
とにかく詰めすぎて目にきついねえ そこ変えると印象違うんでは
なるほど、と思いました。どうしても詰め込み過ぎの傾向があるので反省です。

文章家
sp1-79-88-241.msb.spmode.ne.jp

詰めすぎっていうか、駄文の塊だからいらねーってこと

あ?
>「どうされましまか?」以降も全部そうだな。おい。
出直してこいクソが!

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

『神の使い』、拝読いたしました。

一段落目は、主人公が道を歩いている男を見ている視点で書かれていて、二段落目で、主人公サイドに引きつけて書かれてあるのですね。実は一段落目で「証明するかのように」や「黒く重そうな靴」のように、なぜ推量の形で書かれているんだろうと、頭の中に疑問符が浮かんだ状態で読み進め、二段落目の《私が彼を見たのは右に曲がれば南駅に向かう交差点の渋滞に巻き込まれている時だった》の箇所で、一段落目との整合性に気づきました。この作品は読み手をどこに連れて行くのだろうと思いながら、中盤へと向かいました。アムール虎ならぬ、アムール狐の寓話があり、つぐみと蜜柑の関係が語られ、どことなくイソップ童話とか、そういったニュアンスが含まれているように感じながら、つぐみに食い散らされる蜜柑の無情を思いました。全体の指揮を取るために、誰か一人が犠牲にならねばならない。その貴重な(!)一人の犠牲によって、一人を除く全員は集団の団結を強めていくものである。避雷針みたいなもの。スケープゴート的なもの。人によっては被害者意識が過剰なのではないか、神経過敏なのではないか、負け犬根性がついているのではないかという判定を下すものかもしれません。しかしそれは実人生の多くのシーンで出くわす出来事だと思います。

御作にも示されるとおり、社会の中で働くということは、たしかに《人としての己と機械としての己》を巧みに使い分けることを求められますね。その使い分けがスムーズにいかない場合、仕事が重荷になって、自分は何のために生きているのかがわからなくなり、たしかに気持ちがまいってしまうものだと思います。主人公は精神科のお世話になりました。ますますこの作品は読者をどこへ連れて行くんだろうと思いました。すると、タイトルにもある「神の使い」というキーワードが出てきました。誇大妄想のニュアンスが感じられる台詞は、どこか宗教の超越体験のように感じられました。世界平和のために自分ができることはなにか。自分もその崇高な目的に参画することができるのではないかと、主人公が期待に胸を膨らませているのが文中からも察せられました。しかし「最終確認」という言葉が出てきて、ラストに向かう中で、あっ、と気づかされました。これ、芥川の『杜子春』だって。杜子春は羽化登仙を目指したけど、最後に母の心を知って声を発してしまう。御作も、これまで主人公ひとりのことかと思っていたのに、ラストで妻が出てきて、地に足をつけた生活のことを思い出して、気持ちがしぼんでしまう。

パロディというほどではありませんが、仕掛けがわかればすっきりしました。


一か所だけ。

>髪は肩まで伸び、汚れて黒く光っている。ズボンは膝が破れ、黒く重そうな靴からは痩せた足首がのぞく。向かい側からやって来る人は、別段そうする理由もないのだが脇道によけてこの男をやり過ごす。後ろから来た自転車は立ちこぎをしてスピードを上げる。

髪【は】肩まで伸び、汚れて黒く光っている。ズボン【は】膝が破れ、黒く重そうな靴から【は】痩せた足首がのぞく。向かい側からやって来る人【は】、別段そうする理由もないのだが脇道によけてこの男をやり過ごす。後ろから来た自転車【は】立ちこぎをしてスピードを上げる。


「~~は~~~る(等の現在形)」という形式の文が連続していて単調に感じられます。ひとつだけ指摘させていただきました。


面白かったです。ありがとうございました。

脱ぬるま湯
softbank060091003055.bbtec.net

>そうげんさん

有難いコメントをいただきました。厳しいコメントも有難いのですがまずはきちんと読んでいただき、長文のコメントいただくと感謝が深くなりますね。昔、それはもう10年も前になりますが、この「作家でごはん!」に書いている時のことを思い出しました。

10年前にも厳しいコメントがたくさんありました。今と同じように「2ちゃんねる」での裏話もありました。しかし時代がトランプ時代になったためか、発言の厳しさが増していますね。私はそもそもあまり気にする方ではなく、有り難く感じる方ですが……

私は宮崎県に住んでいます。10年前、「南方文学を読みなさい」と助言されました。それから、南方文学が私の愛読書になりました。無名の作家さんまで読んでいます。そんな助言は他ではされないでしょう。「もの分かりを悪くすると良い」と教えていただいたこともあります。「行間ではなくそのまま書いている」と批判も受けました。もちろん、批判されることが多かったのですが、「次の作品も読んでみたいです」と書いてあるのを読むと、書く意欲も湧いてきました。

私のように10年間離れていて、ようやく時間がとれるようになって再度書き始める人もいます。歴史のある「作家でごはん!」さんで物語を書ける幸せを感じながら皆さんの作品を読んでいこうと思います。今後ともよろしくお願いします。

ブロンコ
softbank221022130005.bbtec.net

>「どうされましたか?」から始めないとだめだ。

>「どうされましたか?」から始めないとだめだ。 ご指摘の通りだと感じました。



本気でそう思ってるつもりなら、全部消しましょう。
同じことを書くにも書き方はあるでしょうから、作者の返信こそをあたしはくだらないと思いました。


丹念に書かれているのに、読まなくても大丈夫のような有り様であることは気の毒なことです。
実際、あたしは内容をほとんど覚えていないですし、でもどんなことが書かれていたのかは流し読みでも大体わかったような気がしています。
クロック博士のメッセージはちゃんと馬鹿げているしちゃんと全然意味がなくて面白かったし、神の使いのハナシの萎み方はまったくアイデアがなくてつまらなかったしオチの甘えはこのぎゅう詰めのすべてをなかったものにしていてアホらしいと、ちゃんと感想が思い付けます。


>「どうされましたか?」から始めないとだめだ。 ご指摘の通りだと感じました。

それでどうにかなりそうなことを、そもそも書くつもりで書いたのか、ひとごとながら疑わしいですし、そんな程度の作為があってたまるかと普通にムカつきます。


一緒にお酒を飲んでも楽しくなさそうだ、というのが作者のこの書き方の基本で、クロック博士辺りでようやく酔いが回って今日のお酒が無駄にならなくてよかった、って感じ。

序盤から続くおしゃべりは語り手のただの自己紹介なんだからいちいち内容にまで付き合う必要なんてないっていう読者の聡明さって、わかりませんか?
理解はしてやるけどいちいち理由にまでは付き合わないよ、っていうのを不親切とか冷たい人と感じるなら、この語り手は他でもない作者自身のことなんだろうなって、かってに決めつけますね普通に。


この物語にはストーリーがない、とか二言目にはヒマつぶし以下みたいなことをベロっという人がいるんですけど、やっぱり同じ言い方でもその意味は違うってことなんですけど、わかりますか。

どうしてストーリーが必要なのかって、それはつまんないからとかそういうことではなく、せめてストーリーっぽいものでも背景に付け加えてくれなければ読者にはこの不躾な独白にいちいち付き合う理由なんて思えないですよ、ってそんな意味もあると思うんですよね。
つまり、上でも独りよがりって言われてますけど、所詮親切じゃないんですよ。

読んでくれる人、コレおもしれえかな? ってサービス精神に疎いのは、結構恥ずかしいことだと思うんですけどどうなんですかね。


そんなことを意識した上での


>「どうされましたか?」から始めないとだめだ。


といういちゃもんの馬鹿馬鹿しさ、理解出来ますか。
それは一読者としての作者という作為に対する肯定のつもりですから、不親切なだけのいちゃもんにへらへらとこうべを垂れるような態度はこんな儲からないスレの有り様にあってさらに無責任すぎる気がするんですよ。

ぎゅう詰めならぎゅう詰めなりの面白さを作ればいいだけのことを、お行儀に化かしてやり過ごすインチキが個人的には一番ムカつくところです。


>人とは前に進まなければならない存在であることを証明するかのように歩いている。

肝心の書きだしから、個人的にはさっさと期待感の薄さを察するわけです。
こんな有り様に仕上げたがるのなら尚更、単純に作者の落ち度でしかないような気がします。


このスタイルのまま、面白く親切に書けることの方が

>「どうされましたか?」から始めないとだめだ。

なんて鈍らで退屈な手立てに甘えるより、よほど作者の筆をたくましく成長させてくれる気がするんですが、どうなんですか。

脱ぬるま湯
softbank060091003055.bbtec.net

ブロンコ様、初めまして。コメント有難うございました。

「わたし」を「あたし」と書いてあるところを見ると、女性の方なのでしょうか?

「わかりますか」、「わかりませんか」、「理解できますか」の羅列をどのくらい吟味して書かれたのかわかりませんが、最後の部分は、なんとなく「わかる」ような気もします。

今後ともよろしくお願いします。

ブロンコ
softbank221022130005.bbtec.net

ヤバい予感に見てる人ドン引きなんじゃないですかね
そもそも注目度低いみたいですけど、ただの凪ぎじゃないですよたぶん
もっとあちこち感想書いて宣伝して回らないと、ご期待通りの鈍ら感想もらえないんじゃないですかね
このままだと便乗貪るしか能のないゴミクズしか寄り付かない可能性高い気がしますよたぶん


人気ないとこせっかく感想入れてあげたのにざんねんだなあ
まあ、よくあることですけど


女程度には言われたくない高尚な作品、もっと活発にお披露目したいでしょう?
わざと燃やしたい魂胆なら付き合いますけど、まあ古参らしく貫禄見せてくださいよ
ここの勝手知ってるつもりなら遊び方くらい心得てるんでしょ?
まあまあ沸点低いみたいですけど


どうかご無事で

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