作家でごはん!鍛練場
いないいないばあ

アソコからあの世

早くこの世の中から消えて無くなりたいという願望はあったが今迄は勇気がなかった。方法にもよるのかもしれないが、多くの自殺方法が、苦痛を伴うものだと信じていた。そんな時にあの世に行ける“あそこ”の存在を知った。

8歳から18歳までジャパン・アズ・ナンバーワンの80年代黄金世紀を生きた僕ら団塊ジュニアにとって、ミスやヘマをすれば飢え死にする世界がほんの20年後にやってくるなんて想像の果てだった。飢え死にするのは、怠け者か輸出する製品が何もない外国の話だと考えていた。その頃はニュースでヨーロッパなどで、仕事のない人々が暗い顔で広場に集まって、頭を抱えていた。日本では毎日沢山の輝かしい日本製品を世界に、ばらまく為にソニーやトヨタ、ホンダ等で大人たちは蟻のように働いていた。その安価で勤勉な労働者たちには、完全な雇用が永遠に保証されていると幼い頃の僕は無邪気に信じていた。

小学生から高校生までをその光り輝く八十年代で成長した僕が、その頃考えていたことは二つだ。永遠に続く様に見える受験地獄がいつ終わるのかと、その勝者にはどのような栄光と幸福が待っているかということ。しかし期待は完全に裏切られた。大学受験でプレッシャーを与えられて、一応名の通った国立大学に受かった頃にはバブルは既に崩壊し、八十年代の楽園は瓦解していた。そこから日本の迷走が始まった。

就職戦線は非常に厳しいものだった。業界も絞らず研究もしないまま突入した結果は、壊滅一歩手前の状態だった。なんとか一社に滑りこめたが、その会社も上司とうまが合わず不眠症と欝病になり、二年で辞めた。それから二度と会社員にもどることはなかった。

若い頃は彼女もいたが、あまりにも未来がない僕に運命を委ねる奇特な女は存在しない事が、20代後半には判明した。両親は共働きの公務員で、経済的余裕があった。それに安住して僕は仕事もせず、家のなかで引きこもっていた。二人とも仕事が忙しくて、僕に干渉することはほとんどなかった。それをいいことに、僕は二度と社会復帰できない状態にまで自分を追い込んでいた。

司馬遼太郎に憧れていて、歴史長編を書きたかったが、根気が無いので、常に書き出しで終わり何も書けなかった。子供の頃は、戦国時代の信長や秀吉などメジャーな英雄に憧れたが、歳を経るにつれてより無名でぱっとしない小さい大名の話に興味をもつようになっていった。小説を書く以外はただぼんやりし、オナニーする毎日を送っていた。あとは中国語をゆっくりと少しずつ勉強していった。いつか日本で、経済的事情でひきこもっていられなくなったら時に物価の安い中国に避難して生きるしかないと、考えていたからだ。その努力は結果的に大いに役に立った。

あの世につながっている“あそこ”の情報は以外なサイトから知った。株式投資のサイトだった。自分と同じ引きこもりでネットレードをやっている人間のプログだ。プログにはこう書かれていた。


ブログ情報

(デイトレ仲間の梶は投資対象の中国企業の実地見物に行くとほざいて上海に三ヶ月前にいき、いまだに帰ってこない。変な予感がしたのは自殺予告のような気色悪いメールを二ヶ月前に送ってきた時だ。メールにはこう書かれていた。



「元気にふしだらな投資に励んでいるかい?俺はディスプレイにかじりついて、糞企業どもの株価に振り回される毎日を、ようやく終了させる最高の方法を、ここ上海で発見したよ。人類は釈迦、キリスト、アッラーまで万遍なく糞であることを俺だけが理解している。何故なら彼等は愚かにも平和を願い、人類が“繁殖”することを奨励していたからだ。しかしその結果として人類の数は増えすぎ、彼等が排出する二酸化炭素の量はあまりに大きくなり、温暖化を助長し地球を灼熱の大地に変えようとしている。その破滅の道を回避する唯一無二の方法が、人類の死滅もしくは、それに近い形の、大減少であることは誰もが知っている。それでも地球浄化の為に誰もすすんで死のうとしない。当たり前だ。死ぬことが怖いからだ。そこで世の中全体で積極的に自殺する風潮を生みだすことができれば、それこそ最も効果的な地球救済の策だ。

そこで俺は素晴らしいシャオジェを見つけたよ。シャオジェは腐りかけの鯖人間どもに、快楽死をくれてやる能力があるらしい。まだ十五歳だが、そいつによって逝ってしまった男は百人以上だとか。どこかの小数民族の村から拉致られて、十二歳から身体を売っているという噂だ。現地の中国人の朋友が教えてくれたよ。彼女の舌は精密機械のように、男の快楽ポイントを探り当てることが出来るらしい。まず男に目隠しをさせ、足先から上半身に向かってゆっくりと舌を這わせていくうちに、客自身も知らなかった快楽ポイントを発見され、快楽の激流に飲みこまれてしまう。最初の客は60歳くらいの初老の男だった。

漢民族には若い娘と交わることで若返るという信仰がある。最初の夜、膨らみかけた幼い乳房を執拗に舐められて、無理やりに挿入された時、彼女には男が死ぬ強烈なイメージが頭に浮かんでいたそうだ。イメージはすぐに現実となり、気づくと先ほどまで盛んに彼女を犯しつづけた男は、三回目の射精を終えると、まるで母親に抱かれた子供のような安らかな死に顔を浮かべて逝ったらしい。俺はもちろんその女にあいにいく。頼むからこのメールを他のやつらにも転送してほしい。日本でも伝説を広めて沢山の男たちを快楽とともに葬るのだ。地球のために」


メールはそこでぷっつり途切れていて、そのメール以降あいつから連絡はなかった。僕は奴がすでに快楽天使の胸に顔を埋めて満足の笑みを浮かべて死んだことを確信している。とにかく奴に相応しいシニカタだといえる)

中国の快楽死の“天使”の存在を、場違いな投資関連のネットで知ってから、僕は暇さえあれば中国語のサイトを調べて“天使”の情報を探すようになった。今まで本当にあらゆる事象に一欠けらの興味も持てなかった自分が、死に場所捜しにこれほど熱心になれることが不思議だった。とにかく僕は既に、その“天使”に恋していたのかもしれない。温暖化の問題が深刻化している今、人類の生命を育む女性の身体は、地球を破壊する種子を育んでいるといえる。それならその破壊の元凶である“人間”を優しく包みこんで消滅させる力こそが、地球を守る力といえるだろう。そういう意味で彼女こそが、現代の天使と呼ばれるに相応しい。社会的に敗者であり、地球環境の観点からはただの破壊者である自分が、今日まで生き続けたのはただ自殺に伴う痛みを恐れるためだ。しかし今は上海に天使がいる。整合性のとれた行動を起こせる喜びに全身を震わせながら、僕は毎日死ぬ準備に勤しんでいた。

ついに上海にきた。天使の体内で35年の無意味な人生の幕を下ろすために。冬に天使の情報を知ってから色々と準備していたら半年が経ちいつのまにか夏になっていた。灼熱の暑さが都市に掛かった呪いのように上海を覆っていた。その頃には、長年の中国語学習のたまもので、ガイドがいなくても、行きたいとこに行き、食べたいものを食べるくらいの中国語会話力は身に付いていた。死ぬ前に好きなだけ旨いものを食って、いい女を抱いて死のうと考えていたから、日本で調べてきた評判のレストランにタクシーで真っ先に行ってみた。そのレストランではいかにも地方出身にみえる垢抜けないウェイトレスの少女が僕についた。早速僕は飲み物を注文した。

「ビールをまずください」

汗だくの身体は何よりも冷たいビールを求めていた。

「なにビールがいいですか? 」

「青島ビール」

よく分からないので有名な青島ビールを注文したら、ぬるいビールがやってきた。中国では冷たい飲み物は身体に悪いという考えからなのか、こういう温いビールが出されるところも多いということは聞いていた。

「冷たいのはある? 」

「冷たいビールはないです。替わりに氷を持ってきていいですか」

氷をいれたらビールが水っぽくなると、考えたがそれをいいだすと、彼女が困ると思い我慢した。氷をいれるととりあえずビールは冷えたので満足した。その後いよいよ料理を頼む。水槽に亀みたいな生き物がいたので、もしかしたらスッポンかなと思って聞いてみたらそうだった。スッポンは、日本で一度も食べてないので早速注文した。普通にスープで食べるかと思ったら炒め物もあるというので炒め物を注文した。後はチャーハンと野菜炒め。ぼんやりと待つこと10分程度で料理がどんどん運ばれてきた。スッポンは、なにかヌラヌラして見るからに、スッポンの肉塊だった。

その熱々のを、口に入れるとコリコリして歯ごたえがよく味は結構あっさりしていて旨い。今夜はギラギラして眠れないのかなあと考えると、ちょっと嬉しかった。死ぬ前に魔都上海でその真髄を堪能したかった。もちろん下半身で。人間失格in上海。


上海にはサウナと呼ばれるソープランドが無数にある。大体一万円も支払えば清潔で、綺麗なゆったりした個室で二十歳前後の若いシャオジエの丁寧なマッサージを受けて、本番までいけるシステムだ。日本でこの値段だと母親の年齢に、近い女性がくる可能性が高い。上海ではキャバクラで女の子をお持ち帰りすると、どこでエッチするかが問題になる。ホテルが男女の泊まり客に、婚姻証明の提示を求めるからだ。しかもなんとかホテルに連れ込んでも警察が来るリスクもあるらしい。サウナはライトチョイスだ。早速スッポンを食べ終えてウェイトレスにチップを渡してサウナに向った。日本を発つ半年前くらいに、二千万円の生命保険に加入し、受取人は父親を指定しておいた。代わりに彼のキャッシュカードから金をくすね、さらに無断で彼の株券を売り払って五百万円を準備した。従って軍資金は潤沢だった。

その日僕についたシャオジエの雲(ユン)ちゃんは、本当に綺麗な子だった。自称20歳だが、絶対にそれより3歳くらいは若く見える。彼女の東洋的な切れ長の瞳は京都でみた阿修羅像のそれのように汚れのない少年のような印象を与えた。鼻はすっきりと高く、形の良い唇はきゅっ結ばれていた。顔の静けさと裏腹に身体は成熟していて、お腹がしっかり引き締まっていながら、出るとこはしっかり出ている。足はとても長くて170センチ位の身長の半分以上が下半身だった。肌は抜群に綺麗で剥きたての海老みたいにつるつるしていた。

「お客さん東京からきたの? 日本人だよね。中国語がとてもうまいね」

彼女は新月の薄い三日月のような笑みを口元に浮かべて聞いた。

「毎日暇でやることがないから中国語の勉強ばかりしているんだよ」

「仕事探し中で、今は暇なの? 」

「いやぜんぜん探してないよ。仕事はしないんだ」

僕は見栄を捨てて正直に言った。彼女はそれを聞いてとくに何も言わなかった。

「痛くない? 」

彼女は僕の背中に馬乗りになって丹念にマッサージしてくれている。背中に彼女の陰毛がさわさわと揺れてくすぐったかった。

「下着付けてないの」

「どうせすぐ取るからね」

一通りマッサージが済むと部屋の隣にあるシャワー室にいき、彼女の手で僕の体は丹念に洗浄された。そのあと部屋にもどり、ゆっくりとキスをした。キスをすると、たかが10分前にあったばかりの間柄でも、親密な気分になれるからすごい。僕は彼女のガウンを引っ張る。早くとってよと促す。はずかしそうに彼女はガウンの前を開ける。乳白色の均整のとれたすばらしい肢体が現れて、僕の心臓の鼓動は蜂に追いかけられた猿のそれのようにバクバクなっていた。

「来(ライ)」

彼女は短く言って、僕の右手を奪うとさっと彼女の胸の上に運んだ。大きな白桃のような乳房が僕の両手に包まれていた。温かかった。僕は世界に一対しかない宝玉を扱うようにゆっくりと優しく乳房を撫ぜた。さすがに若い肉体はみずみずしく、弾力がすばらしかった。ガウンはいつのまにか剥ぎ取られていて、健康な肉体がうっすらと上気して僕の汚れた欲望を、荘厳な快楽で処理すべく静かに準備されていた。



上海の八月の朝は、昼間程はひどくなかったが、弱めのサウナに入っているような、べったりとした湿気が身に纏わりつく感じがした。でも気持ちは最高に高揚していた。何故なら同伴者がとても魅力的だからだ。

雲(ユン)ちゃんの格好はTシャツに、ジーンズ、髪はポニーテールで全く化粧気がなく、デートのような華やいだ感じは全くなかった。でも素人っぽくて清潔感があり、むしろ安心した。しかも十分に可愛かった。素材の良さそのままを楽しめた。

引きこもりになるまでは、結構何人かの女の子と付き合っていた。でも彼女たちは、性格は優しい子ばかりだったが普通の容姿の子たちで、モデルと少しでも誤解されるような女の子はいなかった。当たり前だ。僕に魅力がないからだ。だが僕は一度でいいから,街の男たちが僕の事をその場で張り倒して奪い取りたいと思うような可愛い女の子と死ぬ前にデートをしたかったのだ。

僕の希望で丸一日、彼女は仕事を休んで観光に付き合ってくれる約束になっていた。もちろん彼女への報酬と彼女の夜の商売の補償金として僕は少なくないお金を支払っていた。

蘇州に着いてしばらくの間、東洋のベニスと呼ばれる水路が縦横に走る風景を楽しみながら僕たちは手を繋いで歩いた。水はなんだか人の気持ちを穏やかにする。僕は上海市街で吸い込んだ汚染された空気を出し切るように、何度も深呼吸した。散歩に飽きるとちょうど昼だったので彼女が奨めるレストランで僕達はランチを食べた。雰囲気はシックで味は絶品だった。僕は帆立の貝柱のチャーハンを食べた。メインディッシュは蒸した上海蟹。これは初めて食べたがとても美味かった。蟹味噌の濃厚な風味が癖になりそうだった。

レストランをでると僕達は観光客用の屋形船に乗って、蘇州の街を水の上から眺めた。

以外に生活感漂う貧しい庶民の家が、観光地なのに幾つか点在していた。東京の生活を捨てて、ああいう家に住んだら僕の人生はどうなるかとぼんやりと夢想してみた。なるべくお金を遣わないで、たまにデイトレードをして小銭を稼ぎ、異国の観光地で水をぼんやり眺めて暮らす。悪くない人生のように感じた。でも僕の行く先は既に決まっている。

船での周遊が終わり僕達は陸に上がり、また手をつないで散歩を始めた。夕方になり、薄闇に燈る家々の明かりは僕に強烈な寂しさを感じさせた。その時僕の頭にあったことは、彼女と寝ることでその寂しさをごまかすことだけだった。しかし僕の欲望と寂漠に満ちた計画は、彼女の以外な一言で消し飛んだ。しかも突然日本語で。

「あなたはニートなの? 」

握っていた手を思わず離してから、彼女をじっと見つめてしまった。まるで忘れかけていた日本からの亡霊に邂逅したような気分だった。

「なんでそんな話をするの。君本当に雲ちゃんなの? 」

僕は不快感と恐怖が混ざり合った声音で言った。

「驚かしてごめんなさい。あなたが昨日抱いた女性は私の従姉妹なの。そっくりでしょう?彼女は日本人に観光案内を頼まれたら、私が日本語を話せるから連絡してくるの。」

「理由になってないよ。一体なんの為に君が来た?契約違反だよ。払った金を返してくれ」と僕は興奮して言った。彼女は財布を取り出し、お金をあっさり返した。

「詳しい説明は時間が掛かるので、どこかで食事とお酒を飲みながらお話しませんか」

彼女は謎めいた微笑を浮かべて僕の手を優しく掴んだ。

もう上海にきて、二日目が終わろうとしている。天使と会う日は明日だ。自分の生命が確実に最後に向かっているのを暗示するように、世界が夜の闇に包まれていった。僕たちは彼女が案内する上海郊外の川沿いのレストランに入った。入口のレジカウンターに巨大な水槽が三つあって、いろいろな珍しい川魚が泳いでいた。彼女はもう席を予約していたようで、黒服の男に名前を告げるとすぐに我々は窓際の川を見下ろせる最も良い席に案内された。眺めは素晴らしくて、気分は少し良くなった。

「暑いから、ビールを飲みましょうか」

「君も飲むのかい」

なんだかデートみたいで、うれしくなってきた。同時に自分の馬鹿さ加減も自覚した。でも関係ない。全ては明日終わるのだ。

「もちろん」と、彼女は元気よく言った。

「ところで君の名前は?雲(ユン)ではないよね」

「王明(ワンミン)です。王が苗字で明が名前。上海大学の学生です。失礼だけどあなたの年齢は」

「35だよ」

僕は急にぶっきらぼうになった。年齢を聞かれるのが大嫌いなのだ。35でニートというある種のステレオタイプに強制的に括られる恐怖感を感じるからだ。でも本当の恐怖は自分がそのステレオタイプからほとんどずれていないということを再確認することであるが。

「従姉妹から聞いたけど本当に仕事していないのですか? 」

「まともな仕事は十年していないね。一度就職した会社を辞めてからは、時々バイトはしていたけどね」

「そうですか。実は私の兄もそうなんです」

「中国にもいるの、ニートが」僕は驚いて言った。

「そう。兄も仕事を辞めて自分の部屋から出てこないようになってもう二年くらい経ってとても心配なんです」

彼女は兄の長い物語を語りだした。そもそも、それがわざわざ僕に会いにきた目的だったのだ。

「兄といっても血のつながりはないのです。彼は先妻の子供で、私は愛人の連れ子だから。私達親子が今の家に住むようになったのは私が十歳の時。そのとき兄は十五だった」

「本当の兄さんじゃないんだ? 」

「そうなの。私の母親は西南部の貧しい農村出身で、サウナでマッサージ嬢として働いていて、兄の父と出会いました。彼は大学の教授で地元の共産党の幹部でもあったんだけど、それから何度も母に会いに通ってきたの。実は母が彼の大学生の頃に好きだった同級生にそっくりだったみたいで」

「へええ、ある意味ロマンチックだね。でもそんなことして家庭には波風たたなかったのかなあ」

「兄の実の母親は交通事故でその頃には、亡くなっていたの」

「なるほど。それなら問題ないか」

「母は農民だった私の父と十六で結婚して私を産んだんだけど、彼が事故で亡くなってからは、お金が必要で農村から上海に出てきてそういう仕事を始めたの。とても綺麗で若く見えたから、お客の評判は悪くなかったみたい。兄の父は母に惚れ込んで、母と私を家に連れて来て、面倒をみることにしたんです」

「お母さんは相当苦労したんだね」

「そうね。あの頃の母は私を育てることが出来たら何の犠牲も厭わなかったみたい。最初に私たち親子に、兄は警戒していたわ。使用人でもなく、家族でもない得体の知れない存在だったからね。でも父が大学の仕事や党の仕事で忙しくて留守が多くて、兄弟もいなかったから兄は寂しかったみたい」

 彼女はそこで言葉を止めてビールを飲んで喉を潤した。

「それでだんだん仲良くなっていったの。特に私を本当の妹みたいに可愛がってくれた。父を説得して私の大学費用を出させたのも彼だし、勉強を教えてくれたのも彼だった」

「勉強が得意じゃなかったの? 」

「私たち親子のように都市に違法で入ってきた人間は戸籍がもらえずまるで幽霊みたいな存在なんです。だから私は王家に住むようになるまで一度も学校に行ったことがなかったの」

「日本では考えられないなあ」

「それまでは学校にいかないで家で一人遊んでいたの。だから学校に行けると知った時は正直とても迷惑だった。うまく友達が出来るのか怖かったし、勉強についていけるか心配だった」

「そりゃあそうだね」

「不安は的中し、いい服を着て登校しても私がマッサージ嬢の子供である事がどうしてかばれて、クラスの全員から虐められるようになってしまったの。その時私を懸命に守ってくれたのも兄だった」

「誰もが大人になるために幾つかの失敗を重ねて成長していくでしょう。兄のように共産党のエリート一家の御曹司に生まれると、ものすごいプライドが高い人間に育つの。兄は頭も良くて勉強熱心で理想が高かった。友達にも人望があった」

「挫折はいつやってきたの」

「あなたと同じで、社会人になってからね」

「兄は大学時代都市計画を専門に勉強していて、そういったことを仕事にすることを望んでいたの。しかし実際に会社が兄に課した役割はマッチメイクだったの」

「マッチメイク、なにそれ? 」

「あとで説明するわね。ちょっと喉渇いた」そういって彼女は美味しそうにグラスに残っているビールを飲み干した。

 いつのまにか料理は食べてしまっていて、僕たちはちびちびと冷たい召興酒を飲んだ。窓の外はすっかり闇になっていて遠くに川を渡る小船の明かりが、蛍の光のように流れて行った。

「もう疲れたかしら? 一方的に話を聞いてもらって悪いわね」

「いやちょっと景色が綺麗だったから見てたんだよ。ところで、もう8時だけど上海にはいつ戻るの? 」

僕はさっきから心配していた事を聞いてみた。

「実は兄が療養している別荘がこの近くにあるから、もし貴方が構わなかったら一緒に泊まっていってはどう? 今から上海に戻ると結構遅くなるし」

急な話に驚いてしまった。

「本当にいいの? お兄さんは不快に思わないかなあ。突然見ず知らずの外国人がやってきたりして」

「大丈夫、彼は人と会うのは好きなの。外国人、特に日本の方の訪問は大歓迎よ。小学生の頃日本に住んでいて、今でも日本語は結構話せるの」

彼女があまりにも熱心に誘うので、断るのも面倒なので応じることにした。レストランから感覚的には郊外のほうに10分程タクシーで走ったところにその邸宅はあった。



「二十一世紀の人間の原罪は二酸化炭素を排出すること。肉欲なんて可愛いものですよ。肉欲なんて動物にもあるし、虫にだってある。人間だけの最もオリジナルな罪は二酸化炭素の大量排出です。これは地球上で、人間しか出来ない技だね」

王青年はヒトラーがドイツの病患をユダヤ人と決めつけたときの興奮に匹敵するかのような熱い口調で僕に言った。確かに妹がいうとおり、端正な顔立ちで身長も高く、外見だけを見れば女性に本当にもてそうだった。でもやはりどことなく覇気のない目をしていた。

「そういった環境に対する強い関心は都市計画の勉強からきているのですか?」

「そうねえ。とにかく最近の上海の暑さはひどい。連日35度以上で、40度以上の日も十日以上だ。子供の頃の夏の記憶はもっとおだやかで、秋には去りゆく夏を悲しむ気持ちがあったけど、今はそれがない。多分そういった意識が出発点だろうね」

「なるほどねえ。東京も同じだ」

「妹から聞いたと思うけど昔は、不動産のコンサルタントの会社にいたんだ。最初は都市 機能とエコロジーの調和のとれた都市設計に携わるという理想を持っていたけど、結局は地上げの片棒を担がされただけなんです。それで嫌になって仕事を辞めて、こうして死んだ父の別荘に隠れている。金持ちの馬鹿息子しか出来ない技ですよ」

彼は自嘲的に笑った。

「妹さんはその会社でマッチメイクをしていたと言っていたけど」

「都市開発の美名に隠れた旧市街地の開発は、国家権力のおいしいバイトと化しているんだ。ところで疲れているだろうからマッサージをしながら話をしない? 」と、彼は突然言った。

 それは海を連想される不思議な部屋だった。巨大な部屋(五十畳程度)の四隅には、海亀が余裕をもって入る程の巨大な水槽が四つ置かれていて、その中に美しい何種類熱もの熱帯魚が泳いでいた。床は心地良く冷えていて、床下にサラサラと冷たい水が流れる音が聞こえた。更に四方から冷却された霧が噴射され、冷たい湿気が都市の熱気や紫外線に傷付けられた肌を優しく癒してくれる。色々な種類の青い間接照明がぼんやりとした光を四方に放っていた。部屋のあちこちから、絶え間無く海底で録音されたようなコボコボと海流のたゆたう音が聞こえ、眼を閉じると海の底か、波の上にいるような懐かしい温かい気分に浸れた。僕は自分が竜宮城に誘われた浦島太郎のような気分になった。

青い薄暗さの向こうをよく目を凝らして見ると部屋の中央辺りにに雲(ユン)ちゃんと王さん従姉妹二人が濃いブルーのチャイナドレスを着て佇んでいた。

「どこへいったのかと思ったよ」

「ごめんなさい。マッサージの準備をしていたの」

「君がやるの」

 昨日マッサージの名目でセックスしたので、マッサージと聞くとセックスを連想した。隣では昨日僕に天国の快楽をくれた雲(ユン)ちゃんがいた。二人は似ているが、良く見ると王さんのほうが少し年上に見えた。

「また会いましたね」と雲(ユン)ちゃんに話しかけると

「従姉妹のガイドはよかったでしょう」

と何の屈託もない表情で彼女は言った。二人の美しい姿はまるで龍宮城の二人の乙姫のようで、家の主たる王さんは龍王のようだった。

「僕は常々、妹には従姉妹から勉強して、マッサージの技術を身につけるように勧めています。なぜってマッサージは本当にすばらしい“産業”だからね。たいていの我々の経済を支えている“産業”というものは“商品”という潜在的なゴミを大量に生産している」

 僕らはリクライニングチェアーに身を横たえて、王明が用意した、柑橘系のカクテルを飲みつつ話を続けた。彼女たちはまだ何か準備があるのか、いなくなった。

「確かにそうだね。物を作れば大抵ゴミになる。100%リサイクルできる商品なんて無理だろうし」

「まあ出来てもリサイクルする過程でエネルギーを大量に消費する。やっぱり物を作る側、買う側がその分環境に負荷を与えている事を自覚しないと21世紀の灼熱地獄は解決できない」

「それでマッサージはゴミが出ないから良いと? 」

「そういうこと。もう物を所有することに快楽を覚える時代は終わるしかない。マッサージみたいなゴミの出ない娯楽や慰安しか残っていけないと思うんです」

「そうかもしれないね」

「だけど僕は彼らを裏切ったんだよ」と、急に沈んだ声で彼は言った。

「誰を裏切ったの」驚いて僕は思わず聞いた。

「罪のないマッサージ店の店主たち。彼らの店が密集したエリアを、会社を辞める直前に担当したプロジェクトで根こそぎ地上げしたんだ。二束三文の立ち退き料を支払って。まさか自分の知り合いが自分のプロジェクトの毒牙にかかるとは思ってなくてさ」

「そうだったんだ」

「まず知ってもらいたいのは、中国の憲法では国民の土地の所有権や財産権が憲法で明確に保障されてということなんだ」

「所有権がないってことは、どういうことなんだろう?」

「普通の民主主義の国から来た人にはぴんとこないだろうね。自分が買った動産や不動産が自分に帰属していて、その権利は誰にも犯されないことは、当たり前だからね」

「じゃあ、この家も誰も所有権がないってことなんですか」

「そういうこと。この国では不動産所有権はまだ正式には認められていないの。あるのは何十年間という長期の“使用権”のみ。この国はいまだに建前は“共産主義”だからね」「でもそうなると金持ちも貧乏人も平等に所有権がないのだから、不公平なことは起きないのでは」

「そういった国民の権利が保障されていないと、痛い目をみるのは政府とのコネクションを持たない下層階級の人間なんだよ。僕が前の会社で組んでいた地上げのチームは3つのユニットで構成されていた。都市計画を策定する役人、公安(警察)、そして土地のディベロッパー。この三つが結託して更には裁判所まで抱き込む。普通の庶民が対抗することは不可能だね」

「それはすさまじいね」

「近代化による変化が激しい上海で、再開発があるのは仕方がない。しかし、そこで生計をたてている人たちの生活補償はすべきだよね」

「そうだね」

「普通の民間会社だと、彼等が立ち退く側の住民にまともな補償をしなければ、住民も立ち退かないから、補償金は適正化される。しかし、ディベロッパーが共産党幹部の所有する会社の場合、住民がもっと補償金が必要だといってもそのプロジェクトは公的な物だと言って、立ち退かない者を犯罪者扱いできる。実際そのマッサージ店は、三週間くらい粘っていると、公安と土建屋がやってきて、泣き叫ぶ店主の前で店を破壊して去っていったよ」

彼はそこまで話して疲れた顔で、カクテルをあおった。
「ちょっと疲れたから続きはまた明日話しますよ。そろそろ妹たちのマッサージの準備ができたと思うので」と、王さんは相変わらず覇気のない顔で笑った。僕は彼が自分以上に現状に絶望しているのをなんとなく感じて、寂しい気持ちになってしまう。
「まず足から洗いますね」王明は慣れた手つきで、僕の足を桧の桶にいれてマッサージを始めた。桶の中にはお湯と一緒に様々な漢方の薬草が浮かんでいて独特の臭いが漂ってきた。
「君はマッサージにも詳しいの」「そうよ。マッサージは資源の浪費も少なめでゴミがでないから環境にいいでしょ?しかも非常にクリエィティブな仕事だわ」
「なにをクリエイトしているの」
「快楽と慰安」
ニコッと神秘的に笑って、彼女は僕の足首を官能的になぜてくれた。心臓が鳴りっぱなしだった。それから彼女は僕の顔を見ないで、真剣に足のマッサージをした。足裏の色々なつぼが押され痛みを伴った不思議な快感を何種類も味わった。
「横になって」
一通り足が終わり今度はうつ伏せになって背中や首、腰をやってもらうことになった。遠くを見ると雲(ユン)ちゃんが、竜王の背中を揉んでいた。中国の龍宮城は最高だ。その頃にはぼんやりと王さんへの好意と憧れを自覚するようになった。俯せになってベッドに横たわると彼女の手がまず首のマッサージを始めた。
「すごい、凝っているよ。上に乗っていい」
「も、もちろん」彼女は馬に乗るようにして僕の腰の辺りに跨がった。そして背中の背骨の関節に手や肘で圧力を加えたり、摩ったりした。彼女が身体を動かす度に形の良いお尻の感触が背中に伝わって最高に官能的だった。肘が錐のように背中にあてられると痛みを感じるが、そのあと心地良い感覚が施術された場所にじんわりと広がる。そして背中の疲れがあっさりと消えていくのがよくわかった。肘をあてる時に身体が密着して彼女の髪が自分の首にかかってきてたまらなかった。いきなり身体を反転させて彼女を正面から抱きしめたらどうなるだろうかと想像したが実行しなかった。ところが
「Hしようか? 」
彼女は耳に息を吹き掛けるようにしていきなり僕に言ってきたのだ。
「な、なんで僕なんかと? 」
僕は突然の展開にどう反応していいかわからず馬鹿な質問をした。
「あなたに元気になって欲しいし。しかも私はたまたま今日セックスがしたい気分だから」
「でも僕は君の従姉妹と金を払って寝たんだよ。気にしないの?」

「しないよ。別に恋人も奥さんもいないんでしょ?誰も裏切っていないし」そういって彼女は僕の髪を撫ぜながら僕のシャツのボタンを外し始めた。
「ここは龍宮城ですよ。そしてあなたは浦島太郎で私が乙姫。浦島太郎は乙姫に抱いてもらって子宮に浮かぶ胎児のようにふわふわするのが使命なの」
「君が僕を抱くの? 」

「そう。私があなたを抱くの」
彼女は僕の唇に強引に彼女の唇を重ねてきた。僕はまるで彼女の暗示にかかったように、彼女のシャツを開けて美しい乳房にしゃぶりついた。昨日の雲(ゆん)ちゃんといい、この従姉妹二人は本当に素晴らしい肉体をもっている。陶磁器のように滑らかな裸の曲線は一日中眺めていても飽きそうにない。だんだん彼女の声が荒くなっていき、僕のほうも下半身がはち切れそうになった。彼女のバギナは触ってみるとうっすらと濡れていたが、僕はそこに優しく口づけし刺激し続けた。真っすぐな眼で僕を見つめる彼女が愛おしくて夢中でキスをした。そのあと自然に挿入した。一つ一つの瞬間が宝物だった。彼女が天使だったらいいのにと、忘れていた上海に来た目的が思い出させられた。僕はわざわざ上海で消滅するために来たのだ。暗い考えを振り払うように僕は彼女をきつく抱きしめ、貫き続けた。女の膣で夢中で泳ぐ僕の小さな魚は喜悦した。
目覚めると、昨日王さん兄と環境問題について語り合い、その妹と交じりあった、海の部屋に僕は一人ぼっちだった。
ぼんやりとしながら昨日起きた幻のような出来事を反芻する。あんな甘美な体験が死ぬまえに出来たことを素直に神に感謝した。
「ゆっくり休めた」
部屋の入口で声がして、その声の主はゆっくり薄青い光のベールを掻き分けて僕がいるベッドに近づいてきた。僕は恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。王明だった。彼女も少し照れているみたいだった。
「ありがとう。とてもよく眠れたよ」
「今日の予定はどうなの。まさか今日帰国するってことはないでしょ?」と、彼女が無邪気に聞いてくる。
「明日東京に朝便で戻るので、上海をうろうろしていようかと思っているんだ」
「じゃあ上海を案内してあげるよ」
「いや、上海に住んでいる友達が案内してくれるから大丈夫なんだよ」と、僕は苦しい嘘をついた。


私が住むこの施設は上海から広州に向かう幹線道路を車で南に一時間行き、そこから西に更に田舎道を一時間行った場所にある。まるで西洋の田舎の旅館のようなこの建物の側には、綺麗な湖があり、美しい自然が残っている。私はその周りを一人でたまに散歩をする。湖の水はとても澄んでいてそこから採れる魚は私の大好物だ。

私は自分でも半信半疑である特殊能力のおかげで、普通の中国の風俗嬢が二度死んで、生まれ変わっても経験できないような恵まれた生活をおくっている。
最初、私はただの雲南から売られてきた何も知らない性奴隷だった。もちろん処女だった私は、ある心臓が弱っている金持ちの老人に、こことは比べものにならないみすぼらしい蘇州の置屋で気に入られ、彼が宿泊しているホテルにデリバリーされて抱かれた。故郷にいた時は年寄りには性欲があるなどとは、思いもしなかった。ましてや私のようなガキに、性的な興奮を覚える年寄りがいるなどとは、想像すらしなかった。しかし、その老人はシワだらけの喉仏を震わせながら、私の未成熟な乳房を執拗になめ回し、老人とは思えない若々しい動きで、私の身体を飴細工のように捏ねくりまわした。多分何か、バイアグラのような精力剤を服用していたのだろうか。男は最初に私に激しい痛みを与えて、私のなかに入ってからは飽きることなく何度も私を貫き続けた。信じられないことに、彼は一回射精した後も一瞬も休まずに、私の身体にのしかかってきた。ところが二回目の射精を果たすと、彼は私の身体に全体重を預けて、ぴくりとも動かなくなってしまった。

“死をもたらすシャオジエ”として、その日以来私には誰もお客がつかなくなってしまった。私は欠陥商品となってしまい置屋の主人は、私を安値で厄介払いすることばかり考えていた。そして私はまた違法な取引で別の業者に買われて、男に抱かれるかわりに奇妙な見世物の道具にされた。私は肌の美しさを買われて器の代わりに、全裸で食べ物を盛り付けられてテーブルに置かれて展示されるようになったのだ。しかし、その仕事も長続きはしなかった。ある日全身に刺身という日本の生魚を体にのせられた状態で(それまではケーキが多かったが)放置された私は、下腹部が冷えてしまって我慢できずに客たちの前で放尿してしまったのだ。その時にたまたま居合わせていた若い男が私を気に入り、私はしばらく男の家に住まわされた。彼はその間私の身体に一切触れることはなく、忙しそうに何かの準備に追われていた。そして半年後に私は男が所有するこの湖畔の施設に連れて来られる(その男は大金持ちで自ら、その施設を購入したということだった)。
彼はそこで私に法外な値段を付けて、私に死ぬ間際の老人か病人だけの相手をさせた。その施設は一見瀟洒な洋風のホテルに見えたが実態は“死の臭い”で満ちていた。私の“死に神”としての日々が始まった。
オーナーである若い男は月に一度施設の視察にやってきた。彼は老人や若い病人が、快楽の果てに死んだ話を熱心に私から聞いて過ごした。彼は人間がこの世から減り、二酸化炭素の排出が少しでも減ることは、素晴らしい事だと私の仕事が終わるたびに私を褒めてくれた。
「姫にはみんなが感謝していると思うよ」
彼は私のことを常に姫と呼んだ。
「みんなって誰ですか」

「君に抱かれて逝った人達だよ」
「そうですか」私は半信半疑で言った。
「君に出会えなければみんな病院で薬漬けになって、医療器具に囲まれて死んでいくはずだった。しかし姫のおかげで最高の快楽といっしょに逝けたんだ。最高の思い出に包まれて」
私はそれを半信半疑で聞いていた。でもやっぱり嬉しかった。私はオーナーの期待を裏切るようなことだけはしたくなかった。両親に売られて故郷の雲南を離れてから、私の心は糸の切れた凧のように、漂っているだけだった。そこで彼と出会って、彼に姫と呼ばれ、私は彼の期待に応えることだけが生き甲斐になってしまった。
それは私がこの湖畔の施設に住み始めてから、二年の月日が経った晩秋のことだった。やって来た客の男はまだ若いが、きつい心臓の病を抱えていた。親はとても裕福らしく、法外な報酬がオーナーにもたらされた。専属の看護婦がいて、私は彼女といっしょに協力して彼の世話をした。彼が過ごしていたのは、湖がよくみえる二階の部屋だった。調子がいいと彼は外を散歩して、田舎の美味しい空気を楽しんでいた。湖の側には雑木林がありそこで彼は風景画を描いたりして過ごしていた。

彼のような若い裕福な家の患者をみていると、神様はある意味で公平なのかと考えてしまう。確かに彼は私が得ることが出来なかった普遍的な幸福の種(裕福な家庭、最初から約束された社会的地位、愛情溢れる家族、優秀な頭脳)を持って生まれたが、それは全て無意味なものになりつつあるのだから。
私は病人の簡単な介護のやりかたを身につけている。オーナーが以前プロの看護師をこの施設に招いて、私に教育させたためだ。私は彼の身体を清潔なタオルで拭いたり、体温や脈拍をはかったり食事の世話をしたりと全く本業とは関係のない業務をこなしていた。身につけている服も清潔な看護服を着ていた。これはオーナーの指示で、いくら患者がもっとセクシーな服を希望しても変わることはなかった。だが客が求めれば素早く私は服を脱ぎすて、客のさまざまな要望に応えることになっていた。
しかし彼は三日経っても私に全く触れようとしなかった。それはまさに異常事態だった。私はだんだん居心地の悪さを感じるようになった。医療的な介護をすることは嫌いではないが、私の仕事は彼らが死なないかぎりは決着がつかない。私は早くあれをすませて一人の時間をとり戻したいと思っていた。彼は十二月の真ん中に来て,クリスマスになっても家に帰ろうとしなかった。hushi02
「なんで家族とか恋人と過ごすさないのですが?」
ある日思い切って私は彼に聞いてみた。
「僕は家族といたくないんだ。恋人はいなし」
「なぜ両親といたくないの」
「いろいろあってね」といって、彼はそれまでの両親との確執を少しずつ教えくれた。彼は昔から絵の勉強をしたかったが、強制的に医者の勉強をさせられ、関係が悪化してしまったらしい。
「君は好きで看護師になったの」
彼は私の顔を眩しいものを見るようにして言った。
「看護師、私がですか? 」
ぎくっとして私は答えに詰まってしまった。
「違うの 」彼は不思議そうな顔をした。
「ええとまあそうですね。昔から看護師にあこがれていたんですよ。それよりどうしてこの施設を知ったのですか」
私は彼の質問をはぐらかした。答えたくないのだ。
「僕は王君に勧められてここに来たんだ。いい保養施設があるって聞いて」「あなたはオーナーのお知り合いなのですか」驚きの連続だった。
「そう大学時代の友達でね。結構よく遊んだよ」
私はあまりの意外な事態に動転して、その後無口になってしまった。なぜ彼はオーナーから私の本当の役割を知らされていないのだろう。オーナーの意図が全くわからなかった。オーナーの友達であり、しかも私を抱く意図をもたないお客に、どう振る舞えばいいのか? 出来ることはただ看護師の助手をすることだけだった。私は彼の前になるべく表れたくはなかったが、仕事なのでしぶしぶ彼の部屋に毎日顔を出した。
彼が私をモデルに絵を描きたいと言ったのはそんなある日のことだった。私はようやく具体的な役割をもらって、ほっとした。私はさっそく彼の趣味である清潔でシンプルなデザインの白いワンピースを着て、窓を背景にして椅子に座り、彼のモデルを勤めるようになった。彼は絵が完成すると早速私に見せてくれたが、それは平凡で更にいえばつまらない絵だった。絵の女の子からは私らしさが、あまり伝わってこなかった。
私はオーナーにその夜電話をかけた。
「あの人をなんのために、ここに誘ったのですか? 」「姫はただ彼の求めるものを与えればいい。彼は何か要求してこなかったかい 」
「絵のモデルをさせられています」
「そうか。あいつは絵が好きだからな」
「彼は私を抱いた人が全員心臓発作を起こしていることを知っているのですか」
「知らないよ。でもそんなこと知らせる必要はない。奴が姫を求めればそれは奴の運命だ。彼はどっちにしても長くないんだ。心臓の具合が良くないんだよ」悲しそうな声だった。私も悲しくなった。
オーナーはそうやって感情を抑制した口調で私の使命をゆっくりと思い出させてくれた。
翌日になっても彼は私には触れようとせず、モデルを朝から勤めさせられた。昼食を食べてまたデッサンを再開する時に
「今度は気分転換にヌードデッサンをしませんか」と、私は挑発的に言った。

彼はびっくりして返事もしないで、私を見つめていた。私は黙ってワンピースを脱ぎすて、下着を焦らすようにゆっくりと彼の目の前で脱いでいった。下着は白い清潔なものだった。彼は目を逸らした。「君は看護見習でここにいるんじゃないの」と、彼はとまどいながら言った。
「違います。ここには男性のしかも、あなたのような金持ちの患者しか来ないんですよ。 特別の慰安を求めてくるんです。分かるでしょう?私が何者なのか」
私はガキにしては、乳房は大きく、それを今まで沢山の男が愛していった。腰は完全ではないがかなりくびれていて、あそこは薄い毛が生えている。でも私のあそこが、あの 世に繋がっていることは目の前の男は全く知らない。
その後で彼は黙って、私のヌードデッサンを始めた。静けさが室内に戻ってきた。十分ほどして私は大失敗をした。小さい音だけど、おならをしてしまったのだ。やはり緊張していたのか、それともただお腹が冷えてしまったかわからないが。彼はくすっと笑った。私は恥ずかしさに逃げ出したくなって、真っ赤になってしまった。
「ごめんね。笑ってしまって。とても可愛い音だったから」
「すいません。変な音聞かせちゃって」先ほどまでの勢いはなく、私はおどおどして言った。彼は自分のベッドにいき毛布を持ってきて、私の身体を包み込むように被せた。
「風邪をひいちゃうよ。君は服を着たままでも、十分すぎるくらい魅力があるから服を着て」と、彼は優しく言った。私はなんだか心に少し羽が生えたような気分がした。その後 また服を元通りに着て、大人しくモデルを務めた。
晩秋の夜に暖炉の火が入れられて、私の白いワンピースにはオレンジ色の光が踊った。静けさのなかにパチパチと炎の爆ぜる音だけが部屋に響き渡る。暗闇のなかで絵筆を走らせる男の真剣な顔はなんだか良かった。私の中に温かくてちょっとどきどきした気分が沸き上がるのを感じた。しかしそのあとで突然自分の汚れた身体が信じられないほど、うとましくて悲しくなってしまった。私はうつむいてしまった。
「どうしたの」と彼は私に聞いた。
「なんで抱いてくれないの。私が汚いから? ガキだから? 」私は涙を隠さずに言った。
「僕がいま抱いたら、君にとってはただの客でしかないだろう。そんなのつまないよ。とりあえず僕は最高のモデルに出会ったんだ。それだけで満足だよ」彼はハンサムではないが、暖かい人柄そのままの笑顔をもっていた。私の嫌いな金持ち特有の余裕が、彼の場合は私を心地良くしているみたいだ。
私はその翌日からも、彼の希望通りモデルを務め続けた。彼と無理やり“あれ”をしようという気分は失せていた。完成した絵は昨日より確実に良くなっていた。それまで人形のように見えた人物画に今までにない生き生きした躍動感が備わってきていた。私はとてもうれしかった。結局彼は私に触れることなく、絵を描きつづけて、二週間ほどして自宅に帰っていった。手紙をその後何枚もくれた。私も彼のことを忘れなかった。
それから半年して彼はまたこの湖畔の施設にやってきた。彼の容態はとても悪くなっていた。心臓の手術をしたのだが結果は良くなかったらしい。私は彼に安らかな死を与えたいと真剣に願うようになっていた。でも彼には私が死に神であることを、知ったうえで抱いてほしかった。わたしはためらわずにそのことを告げた。
「冗談だろう」
彼は信じられない、といった顔で私の顔を見つめた。
「冗談ではありません。王さんに聞いてみてください」
「彼はいったい君のなんなんだ? 」「私は売られた人間です。前の主人に捨てられそうになったときに、王さんに拾ってもらったのです」
「君を自由にしてあげることは出来ないの? 」
「多分解放されて故郷にもどっても、父親はまた博打を始めて私を売ります。私には帰る場所はないからここにいたいんです。オーナーは私を大事にしてくれています」
「なんのために君の人生はあるんだい。ひどすぎるじゃないか」
「私を抱きたいですか? 」
彼の質問を無視して私は真剣な声で聞いた。
「抱きたいさ。前からそう思っていた。もう長くはないからね。あなたの言うことが、万が一本当でも全然怖くはないんだ。でもそれをやったら、僕は他の男と同じにレベルに落ちてしまう」
「そんなことはないです。楊さんは特別です。あなたの絵のモデルをしている時はとても楽しかった。あの絵は今も大事にもっているよ」
「有難う。僕にとってもあの時の思い出はとても大切だ。出来たら君と、病気のことも君の家の借金も関係のない世界で会いたかった」

彼は悲しそうに笑ってそれから私にキスした。とてもロマンチックな気がした。彼は私の髪を優しくなでながら、キスを続けた。それから急に真顔になって
「実は恥ずかしいんだけど僕は女性とそういうことをし
たことがないんだ」と真っ赤になって告白した。
「そ、そうなんですか……じゃあ私に任せてください」
とても彼のことを愛おしくなった。そして無性になにか
悲しかった。

「おまかせするよ」と彼は照れたように笑った。私は無言で自分の洋服のボタンを外していった。私は自分がリードする経験がなかったので、それはぎこちない始まりだった。二人でベッドに入り、私は彼の手を私の乳房の上に置いた。

「どうすればいいの」彼は真っ赤な顔で私を見ていた。弟におえかきを教えるような姉みたいな気持ちになった。

「優しく触って。なぜたりして」

彼は慣れない手つきで、私の胸を最初は触っていたが、やがて男の本能に目覚めたのか夢中で揉みはじめた。乳首に指が当たると身体に強い電流が走ったみたいになる。感じ方がいつもよりすごかった。私は彼の細い身体を抱きしめて、唇で乳首をやさしく舐めた。そしてまた何回かキスをした後で、私が下になり彼は挿入を試みた。初めてなので中々入らなかったが、私が手で誘導してついに私の中に入ることができた。

「あ、ありがとう、気持ちいいよ。ああ」

彼はため息まじり言った。

「ああ。いい、私こそああ、きもちいい」

私は初めて、本当にセックスが気持ちいいものだと感じた。私たちはお互いにキスをしたり、頬をなでたり、鼻を触ったり、へそをくすぐったりした。そうしながらブランコに乗っているみたいにして穏やかに自然に揺れ続けた。とてもゆっくりと確実に快楽を伴った充足感が私たちの身体と心を包み込んでいった。しばらくして彼が疲れないように私が上になって振動を続けた。やがて彼は私のなかで激しく射精した。そして射精とともにあっさりと力尽きていた。なんの予告もなく。とても静かに。彼の安らかな死に顔には、心臓の発作で逝ったという苦痛の影が全く見出だせなかった。

「ねえねえ、うそでしょ、まだ一回だけでしょ。もっといろんなことしてあげようと思っていたのに」

私の眼からは涙が溢れてでた。長い時間彼のまだ暖かい体を抱きしめて私は泣いた。そしてそのあと私は彼のペニスを膣から抜き取り、自由になった身体を移動させて、光のない彼の眼をのぞき見た。彼の眼にもわずかに泣いた跡があった。まだ体力的には死ぬはずがない彼が、私と性交したことで本当にあの世にいってしまった。私は自分のもつ不思議な力に今まで感じたことがない強い恐怖を感じた。自分が何か"まがまがしい"生き物であることを思った。

日本人のお客がくることを聞いて、私はやはりとまどってしまった。オーナーはいつものように、私の髪を優しく撫でながら 「彼は中国語が、とてもうまいから、コミュニケーションは全く心配しなくていい」といった。
このオーナーはまだとても若く、よくわからないがテレビドラマに出てくる俳優のように顔がいい。普段はとても憂鬱そうな顔をしているが、私にはとても優しく接してくれた。

「実は彼は、いままでのお客のように老人でもなく、病んでもいない。ああ病んでいるといえばそうだなあ」

彼は皮肉っぽい笑いを浮かべて「ここが病んでいるなあ」と、彼は自分の胸を指差して言った。

「肺の病気なのですか? 」

「姫はおもしろいなあ」そういって彼は愛おしそうに、私の耳たぶを触った。くすぐったかった。私はうかつにも彼の恋人になったかのような錯覚を覚える。
「僕と同じで彼は心が病んでいる」 静かな声で彼は言った。

肉体が病んでいないお客がくる。しかも中国人ではない外国人だ。私はとても緊張してしまった。私は二つのことを思い悩んだ。
ひとつめは本当に健康な人間が私とあれをした後で、ちゃんと死ぬのだろうかということ。そしてもうひとつは本人の希望とはいえ、本当に死なせていいのだろうかということだ。 絵が好きな楊さんを自分の腕の中で死なせてから、はっきりと私は自分の能力を恐れるようになっていた。オーナーは私が客をとるたびにどんどん綺麗になっていくといった。まるで食虫植物の妖しい花みたいだと。私は食虫植物がどんなものか知らないが、なんとなく想像はできた。

どうにかして病人でない男とセックスをして、自分の異常な能力が病人だけに起きるものだということを、実証したかった。男たちの死が彼等の生命力の衰弱からきていると信じたかったからだ。その願いがいつのまにかオーナーに伝わっていたのだろうか。私の実験材料の日本人はタクシーに乗って夏の午後にやってきた。

アソコからあの世

執筆の狙い

作者 いないいないばあ
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引きこもりがヤルと必ず腹上死できる売春婦に抱かれて死にに行く

コメント

いないいないばあ
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もう作家になるなんて死んでも無理って諦めてますんで 厳しい意見はカンベンを

大丘 忍
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私も彼女とやってみたいなあ。

いないいないばあ
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大丘センセイ 彼女いるんすか お盛んですねえ

もんじゃ
KD106154132217.au-net.ne.jp

 いないいないばあさま

 拝読しました。
 面白かったです。
 文章も淀みなく、リズミカルで、つるつるいけました。
 こーゆー話なのに、台詞のタッチはわりと村上春樹的というか、みたいに感じました。それが好きか嫌いかというと好きでした。
 えっちした相手をあの世におくっちゃう娼婦な話を他で(確かこの鍛練場で)読んだような記憶があるのですが、わりとメジャーなパターンなんでしょうかね、もしや。
 ともあれ御作は御作として面白く感じられました。青島で乾杯したいくらい。
 読ませてくださりありがとうございました。

いないいないばあ
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

もんじゃ様。。。茅場ですよ ブロンコに狙われないために

中年の妄想に付き合ってくれてサーセン

大丘 忍
ntoska314132.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp

実際に彼女がいればすでにやっておりますよ。やってないからまだ生きております。

茅場義彦
133.106.184.15

大岡先生

奥さんに みさお たててんすか

もんじゃ
KD106154132217.au-net.ne.jp

 おお、なんとっ!

大丘 忍
ntoska314132.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp

女房がいる間はほかに女の必要はなかったし、女房が亡くなったときはこちらも歳だし、無理して女を抱いてやる気も起らなかったし、ということでね。
でもいい女がいればやっぱり抱いてみたいのが本音かな。だから抱く代わりに小説を書く。

茅場義彦
133.106.146.5

なーるほど いい㊛と作品で会いたいもんですね

TG
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引きこもりにしては行動力があるというか。上海まで行くとは。
死ぬための負のエネルギーがなせるわざなのでしょうか。
主人公は引きこもりというより有能なサラリーマンにしか思えず、違和感が少々ありました。
女性との会話もなかなかスマートだし、これイケメンの会話ですよね。
それに、真面目な人ほど人生に絶望しちゃうのかな、なんて感じました。
娼婦女性の能力はなかなか興味深いものでした。この女性視点で最初から最後まで書かれてあればもっと面白かったかも。
厳しい意見は勘弁とのことなので、もし気に障ったらすみません。
ではでは。

いないいないばあ
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

TG様 そうなのよ 行動力ありすぎなのよ

まだまだ長い続きあります エブリスタ


https://estar.jp/novels/25699101?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=viewer

TG
softbank126062161032.bbtec.net

あっ、ひっかかってしまった。作家になる気満々じゃないですか。

茅場義彦
133.106.146.147

引っかかったとは?

十年前はやる気あったけど
今は諦めてやぢ

pw126035130034.25.panda-world.ne.jp

面白かったです。すっと読めました。
台詞の上下を一行ずつ開けるのはどういう意図ですか?

いないいないばあ
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

本当に読んだの?? うすい乾燥だねえwww

行明けは 読みやすいよーに

もう粘着しないから ご安心を

pw126035130034.25.panda-world.ne.jp

読みました。

行間のことはブログっぽいなと思い気になりました。何か意図があるのかと。横書きの小説ではあまり見たことがなかったので。

他の人の小説は過去には読んでいました。が、正直言って短い文章ばかりで、ふざけたようなものもあったりで、いつしか読まなくなってました。もちろん好みの問題もあるかと思いますが。

この小説は面白かったです。別に無理して褒める必要もないので本当です。10年ほど前まで本気で作家を目指していたというコメントも読みました。文章から、実力があることをすごく感じました(すみません。自分のような人間が言うのはおこがましいですが)。小説を書くのは本当に難しいですね。

いないいないばあ
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

羊さま 疑ってす~いませっm

小説むずかしいっすね

マンガだったら すぐ読んでもらえんのにね

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