作家でごはん!鍛練場
J

新宿の音

 どの道とも交差することなく途絶えている道路や人が立ち入ることを拒むかのように背の高い雑草で埋め尽くされた広大な空き地は、そこだけを切り取ればまるで打ち捨てられた過去の街のようにも見えた。
 その姿は、陽一が幼い頃に見ていた景色と中学生になった現在を比べてみてもあまり変化がないように思える。T市全体を見れば東京のベッドタウンとして人口は増加傾向にあり、開発の最中にあるのだが、その速度は遅く街の姿が大きく変わるのにはまだこの先何年もかかるのだろうと陽一は思っていた。
 駅前の歩道が整備されて広くなったとか、新しいビルが出来て1階にきれいな美容室が入っただとか、母親はこの郊外の住宅地に生じる緩慢な変化を嬉しそうに話していたが、陽一はこの街を構成する人々も建物も環境も好きではなかった。幼い頃には違和感を感じていなかった「当然」とされていたものに10代になってから段々と疑問を抱くようになってゆき、中学に入って自分の異質さに気づいてからは街全体の空気が灰色に淀んでいるように見えて、この先どのように変化をしていくのかなどまったく無関心になっていた。
「ここは普通の人が住むのには、良い街だけど、俺みたいな変わった奴には住みにくそうだね」
 いとこの慶太が言った言葉が陽一にはとても印象に残っている。慶太は大学生で、陽一が小さい頃から親戚の集まりがあると相手をしてくれる存在だった。初めて叔父夫婦がT市を訪れたときに、慶太とは2階にある陽一の部屋でゲームをしながら話をしていた。自分でも言うように金髪で耳と鼻にいくつかピアスを開けていて外見は少し変わっている。叔父夫婦は特に何も言わないようだが、陽一の両親は慶太のことをあまりよく思ってはいなかった。
 慶太の言葉を聞いたとき陽一は自分がこの街に対して漠然と抱いている感情と同じものではないのかと思った。
「慶太ちゃんが住んでるところは住みやすい?」
「いまのところは、横浜のなかでも俺みたいなひとり暮らしの大学生が多いから、結構住みやすいよ」
「そうなんだ。僕はこの街、あんまり好きじゃない」
「ようちゃんは、俺と似てるのかもしれないな」
 慶太はゲームの画面を見ながら言う。ゲームでは仮想の街でキャラクターたちが戦っていた。ゲームの街では敵といつ出くわすかわからないにもかかわらず、常に建物も道路もすべてが美しく輝いているように見えて、これが理想の街かもしれないと陽一は思っていた。
「このゲームの街みたいなところないかな?」
 と陽一が独り言のように言った。
「俺は新宿が好きだな」
 慶太はそう言いながら、仮想の街を動き回る。陽一も慶太の後を武器を持って警戒しながらついて行く。
「新宿か、あんまり行ったことないや」
「このゲームのなかの街みたいにいろんなものがあって、いろんな人がいる。未来都市みたいな場所もあるし、ヤバそうな繁華街もある。とにかく、なんでもあるんだよ」
 慶太はコントローラーのボタンを激しく連打しながら話す。陽一も慶太が動かすアバターを援護しながら話を聞いていると、ゲームの街がテレビでよく見ている新宿の高層ビルの姿と重なって見える気がした。
 新宿はT市から電車で1時間ほどで行ける距離だった。慶太から話を聞いた週の土曜日に陽一は新宿に向かった。以前新宿に来たのは小学生の時に親と一緒に西口のどこかのホテルで親戚の披露宴に参加した微かな記憶しかない。
 初めて1人で歩き回った新宿は、慶太の言うようにさまざまな顔を持っていた。新宿駅の東口周辺から歌舞伎町には多くの人が歩いていて、昼から営業する居酒屋やカラオケボックスやパチンコ屋のギラギラとした看板がびっしりと立ち並ぶ。スーツを着ている人もいれば、金髪を逆立ててライブ用のメイクのままギターを持って歩いている人もいた。巨大なホストクラブの看板の前では、道端に座って酒を飲んでいる作業服の中年男性が何やら独りで話していた。西新宿の高層ビル街では、広くてきれいな道路が整備されていて本当にゲームの街のように無機質な美しさを感じた。西口では土曜日の人出は少なく、外国人観光客の姿が目立つ。未来都市の巨大な要塞のように見える都庁の周辺はやはり人が少なく無機質な静けさを感じていたが、敷地の一角だけにはダンボールが家のように並べられていて多くのホームレスが広い歩道の目立たない場所に座りじっと下を見つめているのだった。
 
 陽一はそれ以来、ときどき一人で新宿に出かけてゲームセンターで遊んだり、街なかのいろいろな場所を歩き回っていた。
 陽一がその音を聞いたのは、3回目に新宿を訪れた中学1年生の冬休みだった。
 年末の喧騒に包まれる新宿駅の混雑を抜け、西口プラザ通りのゲームセンターで遊んだあとに観光客の長い列に並んで都庁の展望台に昇った。
 初めての体験に新たな冒険に出かけるような気持ちで満員のエレベーターに乗り込んだ。展望台までの時間は陽一にとって人いきれや気圧の変化による不快感で気分の良い環境とは言えなかったが、展望台に到着をしてみるとその壮大な眺望がエレベーター内の不快感を駆逐して、陽一は大きく深呼吸をすると巨大な窓に張り付いて景色に見入る。
 冬の空は晴れていて、ちょうど黄昏時となる頃。遠くの空には夕日の赤い名残りをかすかに見ることができて、その上層部には薄い青色の空が広がり天空の中心へと濃い青のグラデーションが続く。そして、地上には空との境界線から展望台のすぐ眼下にまで、びっしりと明かりの灯った精巧な模型のようなビルに埋め尽くされている。陽一は新宿から東京を一望する景観に魅了されその場をしばらく動けないでいた。空の色が時間の経過とともに遠い境界が赤色を失い、藍色が支配し始めたときに、陽一はその音を聞いた。
 腹に響くような低音と、金属が回転するような高音、そのふたつの音それぞれが独立して聞こえてくるのだが、その両方の音が合わさることによってまるで音楽を聞いているような感覚になる。決して耳障りではなく心の深淵に記憶されているような旋律は、平穏な心持ちにさせてくれる。最初は館内放送のようなものかと思い場所を移動をしてみたが聞こえる音量は一定で、スピーカーから発せられている様子はなかった。厚い強化ガラスに隔てられている外界から音が聞こえるわけもないと思ったのだが、ガラスに手を触れてみると外気の冷たさが伝わるのと同時に微かに振動しているのを感じることができた。なんだろう、とても不思議なことに感じて、周囲の誰かに確認しようかと思案していたが、心地の良いその音はいつのまにか新宿の空に溶けるように消えてしまった。
 幻覚とも現実ともつかない不思議な体験で家に帰ってからもその音のことが気になり親に話してみようとも思ったが、無断で新宿まで遊びに行ったことを咎められるかもしれないと思うと打ち明けることができなかった。
 正月に母方の実家で親戚が集まったとき、陽一は慶太にあの音のことを聞いてみた。慶太は真面目な顔をして言う。
「それはさ、多分高いところに昇ったせいで気圧の変化によって幻聴が聞こえたってことだろうな」
 やっぱりそういう答えしかないかな、と陽一は思った。幻聴とか聞き間違えと思うのが普通だとは思うけど、でも、何か不思議な感覚は残っている。うまく伝えられない何かが。
 陽一が答えを聞いて考え込んでいると、慶太は少し笑って、違う話もあるよ、と言った。
「それって新宿の音ってやつかもしれない。少し前にネットで話題になった都市伝説みたいな話だけど」
 陽一は、心に残る何か不思議な感覚を慶太が説明してくれるかもしれないと思い、興奮気味に聞いた。
「新宿の音? それは僕が聞いたみたいな音がするの?」
「いや、俺も詳しくはわかんないんだけどさ、新宿で不思議な音が聞こえることがあるらしくて、それを新宿の音っていうらしいんだ。音の発生源とかはわからないし、どんな音かも人によって聞こえ方が違うらしい。でも、それが聞こえた人は、その後人生の大きな転機を迎えるとか、運命が変わるとかいうことがあるらしいよ」
 人生の転機や運命などという言葉を聞いて陽一は少し怖くなった。
「それどういう意味? 聞くと死んじゃうとかの怖い系のやつ?」
 慶太は苦笑してから、少しの間考えてゆっくりと陽一を見る。
「いや、怖いことが起きるとかじゃないよ。例えば、結末が変わるゲームってあるだろう?」
「マルチエンディングのこと?」
「うん、そういう感じで考えたらなんか面白いだろ。良いほうに変わるのか悪い方に変わるのかははわんないけどね」
「もし、僕の人生の転機が来たらどうなるのかな?」
「それは誰にもわからないよ。ゲームみたいに何回もやり直せるわけじゃないから、ほかの結末を見ることができないんだ。でも、人生は常に良いことがあるって思ってたほうが楽しいよ」
 慶太はそう言って、陽一の肩を軽く叩いた。
 慶太ちゃんは好きだけど僕のことをわかっていない、みんなが良い方向に考えられるとは限らないんだよ、と陽一は思う。同時に自分の聞いた不思議な音が幻聴などではなく新宿の音で、いまの自分の人生が変わってしまえば良いのに、と心の底から思っていた。

新宿の音

執筆の狙い

作者 J
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いま書いている小説の書き出しです。ご意見をいただければと思います。

コメント

貔貅がくる
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文章全体を傍観するに、「読みやすそうな文章の質」なんですよ。

しかし、冒頭の一文が、、、

>どの道とも交差することなく途絶えている道路や人が立ち入ることを拒むかのように背の高い雑草で埋め尽くされた広大な空き地は、そこだけを切り取ればまるで打ち捨てられた過去の街のようにも見えた。

「、」で区切られてなくて、いきなり目の前にどかん! とでっかい岩置かれたような感じで、
読もうって人を「阻む」。

冒頭の一文で入れないと、そこでやめちゃう読者が「普通」だと思うんで、ここは直そう。


タイトルの「新宿の音」・・
表題見た瞬間の予想では、『田舎から上京した人の耳には明瞭に聞こえる、深夜〜明け方の東京都心に絶えず響き渡っている、あの特有な音 なんだろうなー』と思いつつ、当該箇所を確認。

>それが聞こえた人は、その後人生の大きな転機を迎えるとか、運命が変わるとかいうことがあるらしいよ」

↑ それは素敵なハナシだ・・と思った。

J
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貔貅がくる 様
ご感想をいただき、ありがとうございます。冒頭部分は、検討してみます。

うりぱぱ
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最後まで読みました。

言いたいことは色々あるのです。
まず。これは書き出しと書かれていました。いわゆる物語の冒頭部分ですよね。
で、突然の情景描写、そして主人公かどうか判らない洋一さんが無音の物語に割り込んでくる。
その後の展開も説明だけ。

これは『ダメダメ』です。

特に、特にですが新人の場合は、冒頭部分のつかみが大事なのです。これをたとえばこう書きます。

ーー俺はいわゆる、新宿の異音で目覚めた。ーー

ここで、新宿の異音? って気になって物語を読み進めると思います(えらそうにごめんね)
ちょっと気が惹かれませんか?

偉そうにごめんなさい。

J
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うりぱぱ様

アドバイスをいただきありがとうございます。確かにそのような展開もありますね!
ただ、すみません、所謂「なろう系」では無いので、あまり引っ張るかんじではないかもしれません。もちろん、色んな捉え方があるので、参考にさせていただきます!ありがとうございます。

u
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読みました
長編? の書き出しとのことですが
マア良いんじゃないのと上から目線www
全体を読まなきゃ小説の評価なぞできないのですが、文章自体はそつがなく読みやすい
冒頭部分としては良いんじゃないのでしょうか

J
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u様
コメントありがとうございます。
確かに、本当の書き出しなので、評価していただくには、足りないですよね。
中編を目指していて、多分、130枚くらいになると思います。また、ご批評お願いいたします。

ライダー
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J 様
>どの道とも交差することなく途絶えている道路
どんな道路なのだろうと考えてしまいました。袋小路ということでしょうか?人の立ち入りを拒むような空き地といい、多分、交流のない、閉塞感のある町という感じを伝えたいのかと思って読みましたが、良くイメージがつかめない気がします。

新宿の描写や陽一と慶太との関係はすんなりと入ってきました。文章はお上手だと思います。

新宿の音を聞いた陽一にこれから何が起こるのか、大いに期待が持てる展開だと思います。それだけに、最初の部分の読みにくさが残念な気がします。なぜ、陽一は、普通の町では生きにくいのか、もうちょっとヒントがあるといいのかもしれません。ただ、冒頭部分ということですので、これから話が進んでいくものと期待しています。

J
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ライダー様
コメントありがとうございます。
確かに冒頭部分は、読みにくいかもしれませんね。検討してみます。ありがとうございます。

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