作家でごはん!鍛練場
そうげん

人生は疑問のままに

 ぼくは見たんだ、マリーの胸に鋭いナイフの突き立てられるところを。
 彼女はほんの一瞬うめいたっきり、講堂の木の床に倒れ込み、動かなくなった。彼女の胸を刺した手をぼくは憶えていない。ぼくはひとり悶々としている。
 断片の記憶しか残っていないぼくの残念な頭では、それから起こった(と思われる)事柄の真相を解明することは難しいだろう。放心状態のまま彼女に駆け寄ることもできなかったし、彼女の上半身を中心に次第に範囲を広げていく鮮血のどぎつい色味に、視線が貼りついていた。足は震えていただろうか。どれくらい立ち尽くしていただろうか。彼女はもう助からないという思いに心が侵食されていくのを無言で耐えるしかなかった。覆いでもされたように、視界が暗くかすんでいった。
 どれくらい経ったろう。
〈悲しいか〉、唐突に声がした。
 悲しくないわけないだろう! と反論が浮かぶも、相手が機先を制した。
 相手――?
〈この子に生きてほしいか〉
 ぼくは彼女の倒れているほうに視線を合わせた。向かって右わきに、杖を持った老人が、右手を彼女の方に向けて尋ねている。誰だろうという疑問も浮かぶことなく、ぼくは頷いた。
〈ならば……〉と老人はいう、〈ひとつ約束をしてもらおうか〉
 マリーを助けられるならなんだってする、一途な気持ちがつのる。
〈わしはこの子を助けよう。今回はわしがなんとかする。その代わり、これまで以上にこの子を守ってやるんだぞ。感情の起伏が激しくなれば、つぎこそ彼女は本当に命を失うだろう。そうなってからでは遅いからな。心せよ〉
 そういって、老人は自分の歯を用いて右手の薬指の先を傷つけた。彼女のものに負けないくらいに紅い血が、老人の指先から滴り落ちる。紅い雫を彼女の胸の傷口にぽたぽたと垂らす。ぼくは不安に駆られたものの、すぐにこれで彼女は助かると感じた。根拠はなかったがとにかく信じられた。彼女がよみがえったのか、ぼくにはわからない。見ていたはずの記憶はここでぷっつり途切れていたのだから。



 気がつくと、部屋のベッドで目覚めた。目じりが濡れていたから、寝ている間に泣いてしまったんだろう。なぜ泣いたのか。マリーは喪われたんだ、という実感があった。夢を見たのか。夢だったのか。本当かうそかもわからない場面の印象がまざまざと脳裏によみがえる。起きあがると頭痛がした。痛みに耐えながら着替えを済ませ、両親へのあいさつもそこそこに、マリーの家に向かった。
 行ってみると、マリーは家の手伝いで洗濯物を庭に干していた。
「おはよう、レムル」と告げる彼女の声はふだんと変わらなかった。ふだんと同じだからこそ、ぼくは泣きそうになった。ううん、正直にいおう。ほんとは涙がこぼれてたんだ。
 ぼくの反応を見て、マリーは不安そうなそぶりを見せた、「どうしたの」
「なんでもない。よかった」ぼくは辛うじて、それだけいった。
 ただの夢だったんだ。誰がマリーを刺すっていうんだ。ぜんぶ夢だし、ぼくの妄想でしかなかったんだ。指で涙をぬぐいながら、お昼に遊ぶ約束を取りつける。
 そうだ、夢だったんだ、と独り決めして、彼女の家から離れた。やけに本当みたいな夢だったと思い返しつつも、一方では釈然としない気持ちもあった。
 講堂に行ってみれば、はっきりするだろうか。気持ちを抑えきれず、早足になって村の中心部にある講堂に向かった。
 辺りでは、半月後に控えた秋祭の準備が着々と進んでいた。色とりどりの装飾を施した小玉カボチャが、天日で乾かされている。赤や緑やだいだいといった色の塗料が陽光を受けて穏やかに照り輝いていた。
 わらしべみたいな胴体を見せるトンボが、吹きすぎる風に乗りながら、右から左へ、左から右へ、くるりと旋回してあちこちへと滑っていく。赤い胴体もいれば、黒い胴体もいる。向こうが透けるくらいに薄い翅を見ていると、背筋がひやっとする。吹けば飛ぶような儚さだった。不安になる。
 それ以上考えないようにして、講堂までの道を突っ切った。途中、出会った村の人たちには、かんたんな挨拶と会釈をセットで返した。ときどき一緒に遊ぶ子供たちには、「先を急ぐんだ」といって引き留めようとする彼らを振り切って進んだ。
 講堂を前にしても、自分が昨日ここに来たかどうかもわからなかった。来ていないなら来ていないとはっきりいいきりたかった。
「失礼します」といって、扉を開けて中に入る。
 中では休日恒例の村会が開かれていた。一週間ごとに、男会と女会が交互に開かれているのだ。きょうは女会の日にあたっていた。村の相談役や班の専任者がいくつかの議論を行っている。作付についてだったり、秋祭に揃える食材の調達だったり、男手ではどうしても回らない点について細かく点検していったり、多くの事柄が同時進行で進められていた。
 場の雰囲気に気おされながらも、ぼくは真実を見極めるべく、昨夜見たと思った場所に歩みを進めた。案の定、講堂にいる大半の女性たちが、場違いなぼくの存在に奇異の目を向けてきた。
 ぼくは「すみません」といって、例の場所に近づく。
 女性たちは何度かぼくを見たけれど、やがて議論に意識を集中させた。ぼくはいないものとして扱われた。得体のしれない不安に駆られながらも、ぼくは見た。マリーが倒れていたはずの床には沁み一つついていない。あとから誰かが拭き取ったにしても、あれほど真っ赤な血が大量に流れていたんだから、跡が残っていなければおかしい。ああ、やっぱりぼくの勘違いだったんだ、妄想だったんだ、夢でしかなかったんだ、と認識する。
「失礼しました」
 議論の邪魔にならないほどの小声で告げ、講堂の扉を閉めて外へ出た。
 気に病む必要はなかったんだ。マリーは昨日と同じように、ぼくの前に生きてるんだから。家に帰って食べそびれた朝食をとろうと思い、足を速めるも、村長の家の前に老人が立っていた。
 あの杖、あのしわのある指先、先端から流された鮮血、とぼくは思い出す。老人の薬指には、かさぶたができていた。
「昨夜いうたこと、ゆめ、忘れるでないぞ」
 老人はそう告げると、ぼくとすれ違った。
 こんどこそ、ぼくはたしかに足が震えていたと思う。その場から動けなくなったから。
 意識をはっきりさせるのに時間がかかった。我に返り、背後を振り返っても、老人はもういない。なにが本当でなにがうそなのかわからなくなる。でもたしかに老人はいった。昨夜いうたこと、ゆめ、忘れるでないぞ。
 なにをいわれたんだったか――。マリーを守ってやれ、だ。ぼくはその言葉を忘れていた。大切な言葉のはずなのに、心にちゃんと沁みとおっていなかった。二度はないということ。
 しかしそもそもの話、いったい誰がマリーの胸に刃物を突き刺したんだ。あの場には誰もいなかった。いや、ひとり居た。ぼくだ! ぼくがマリーを…… まさか? でもこのいまの譫妄状態を考えれば、自分ではそうと気づかず、ありえない行動を取っていたかもしれない。このぼくがマリーを? ありえない。それだけはうそだ! 自信をもっていえる。
 この着想には心を駆り立てるなにかがあった。うそだと全否定したところで、心をさわがせる要素が一連の流れの中に確実に含まれていた。
 家に着くと食欲がないからと母にいい、部屋に引っ込んだ。シーツをかぶって、ベッドにうつぶせになる。逃げてしまいたかった。ぼくがやったのか。ぼくがやったことなのか。あの鋭いナイフ。ぼくは一本しか持っていない。記憶の中のナイフの柄は、ぼくの持っている物とはちがった。ナイフを持っていた手を、どうしてぼくは憶えていないんだろう。誰かがマリーを刺したあと、その場から立ち去ったはずなのに。認めたくない事実と、思い出せないもどかしさの板挟みで、胸が張り裂けそうだった。
 起きると夕方だった。約束をすっぽかしたことに気づく。ふしぎと胸は痛まなかった。居間に向かうと母が告げた。夜、流しの吟遊詩人の演目があるから、見に来たいものは来なさいという触れがあった、と。
 吟遊詩人の演目なんてひさしぶりだった。マリーも来るだろうか。来ていたら、そのときに約束を破ったことを謝ろう。



 毎年、秋祭が近づくと、今年も一年が終わるんだというさびしさに駆られる。日増しに寒くなっていく気温も影響しているだろう。こんどの冬は厳しい寒さにならないといいけど、といいながら、大人たちは強いお酒を飲んで酔っ払う。夜だけでなく、昼にも飲んでいる村人が出てくるのは、この時期恒例のことだった。穀類の収穫を終えて、一年の労をたがいにねぎらいながら、今年一年、あるいはそれまでに村に起こった歴々のことなどをだしにして、一杯、また一杯と、ビールやエールを口にする。
 遠方からやってくる行商人がいまの時期に村にもたらすのは、リンゴやジャガイモ、トロ瓜に、鍛冶製品、布類、書籍、それに春や夏の果実から作った酒だった。きょうの女会でも、リンゴをふんだんに使ったアップルパイを振舞い、祭に間に合わせるために醸造している早生のぶどう酒のコルクを開けようということで話がまとまっていた。ぶどう酒に限ってだけど、祭りのときだけは子供たちにもアルコールが振舞われる。たくさんではないけれど、ほんのり頬が赤らむくらいには与えられる。子供も大人も今年一年を無事に乗り切ったことを祝うわけだし、同時に、いずれ死ぬことの決まっている自分たちの生命に、一筋の年輪を刻むための冬を乗り切るべく、英気を養う意味もこもっているとのことだ。ぼくはぶどう酒がそれほど好きじゃなかったけれど、誰もかれもが陽気に振舞う祭の雰囲気は気に入っていた。
 吟遊詩人がやってくる年と、やってこない年とがあった。今年はやってきた。だいたい決まって、秋祭が行われる一、二週間前にやってくる。前に見た顔のこともあれば、初めて見る顔のこともあった。困難の淵にあって、勇気を示した《俊足ジールの決闘》を吟唱してくれたボダラという白髯の吟遊詩人のことはいまも憶えている。五年も前のことだった。かれが村に来たことは後にも先にも一回こっきりだけど、いつかまた彼の演目を聴きたいと思っている。今回来た詩人がかれだったら、どんなにいいだろう。
 ぼくが朝食も昼食もとらなかったので父と母は心配していた。だからなのか、夕食はとくに力を入れたらしく、メニューはうさぎ肉のクリーム煮込みと、じゃがいもとチーズのグラタンだった。一口、口に入れた途端、ぼくは猛烈にお腹が空いていたことを思い出した。クリーム煮込みにちぎったパンをひたしてつぎつぎに口にほうりこむぼくを見て、両親は困った顔をしていた。けれど、料理がなかば減ったところで、ふいに食欲が失せてしまった。
 夢だと思いたい――だけど。
 スプーンとフォークをお皿に戻す。「おなかいっぱいになったから」といって、まだ食べ終わっていない両親を残してテーブルから離れた。吟遊詩人の演目のある時間にはすこし早いけれど、気分をかえるために家の外に出た。
 いつもなら家から一切外に出ることのない時間帯――近くの家の窓からは、明るい光が洩れている。道に沿って等間隔にランプの灯りがともされている。あちこちで人の話し声が聞こえるのは、きょうが演目のある日だからというのでなく、ふだんから夜道で話し込んでいる村人がいるのだ。父だって夕食を終えてから隣の家のトックじいさんと飲んでくるといい、保管蔵の酒瓶を一本取ってぶらぶら外に出ることもある。そんなたぐいのことが村のあちこちにあって、同時に秋祭が近づいている今頃だからこそ数が際立っているんだろう。
 夜風が頬につめたかった。一枚羽織ってくればよかったと思うけれど、いまから家に戻るのが億劫に感じられて、がまんして村の中心部に向かうことにした。ランプ灯の淡い光に照らされる夜道は、一人では心細かった。途中行き合う人はまばらで、向こうが誰かわからないのにすれ違うときには心臓をばくばくさせていた。いつも朝や昼間に平気で通り過ぎる場所が、宵闇に浸されているとちがった印象を覚える。同じ場所なのにちがう世界に立っているような心細さがある。
 昨夜見たと信じているマリーとぼくの講堂のシーンはなんだったのか。朝起きてからこれまでに何度同じ想像をぐるぐると頭の中に巡らせただろう。信じても信じられなくてもマリーはちゃんといるんだ。それでいいだろう。ぼくは不安に駆られる。みんなは知らないけれど、やっぱり彼女は本当は一度死んでいて、ぼくだけが彼女の本当の死を経験したんじゃないのか。
 運命なんてふだんは信じないのに、広場にしつらえられているベンチにマリーがひとりで座っているのが見えたときには運命を思った。
 ぼくが近づくと、マリーが顔をあげた、「レムルなの」
「ひとりでどうしたの。夜だよ。危なくない」
「へんなの。あたし疲れてるのかな」彼女のつく溜息には憂いの色があった。
「昨日、ぼくもおかしな夢を見てね。夢だったかどうかもわからないんだけど」
「夢ね。あたしは自分になにが起こったのかわからないままに、今朝目覚めてね」
 ぼくにはひとつの予感があった、「誰かになにかされた?」
「そうね。たぶんそう。しかも、もう二度と味わいたくないことだった」マリーは視線を地面に向けて、いっさい、ぼくのほうを見なかった。
「ぼくがきみを刺したのかな」
 ぐるぐるとそのことが頭をめぐっていたから、その言葉が口をついて出た。
「なに、それ」彼女は、つぶやいた。顔をあげて、ぼくの目を覗き込む。そこにある真実を見極めようとするように。
「ぼくの夢は、きみがだれかに刺されるというものだった。そこには誰もいなかった。ただぼくだけがいた。だから、犯人はぼくかもしれない」
「かもしれないってなに。あたしは自分の中に、恐ろしく濃い熱を持ったなにかが入ってくる想像だけが残ってるの。それは左の胸にはじまって、またたく間に全身に熱が回っていった。震え、痺れ、痙攣し、魘されて、目が覚めるといつもと同じ天井が見えた。でも、いつもとちがう感覚が残ってる。あたしは自分をどこかに置き忘れたような印象を持ってるの。でもなにを忘れてしまったのか、思い出せなくて悩んでる。刺されたってなに。あたしが刺されたの。じゃあ、どうしてあたしはいまこうして生きて、考えて、レムルとしゃべってられるの」
「わからない。わからないんだ。それはまったくの夢だし、まぼろしでしかないのかもしれない。だけど、目覚めたときに、マリーが喪われたって感覚だけが確かなものに思えて、悲しかった」
 マリーはみじろぎした。「あたしはちゃんといる。いる……けど、なにかがちがう」
 二人でベンチに腰かけていると、夜でもたくさんの人の往来のあることに気づく。行き合う人同士があいさつをする声が聞えてくる。立ち止まって世間話に数分を費やす組もあったし、ぼくよりも年齢が上の子供の集団が、にぎやかな話し声を響かせながら、ずんずん先を急いでいくこともあった。見上げると、真っ黒い夜空に、三つほど小さな星の光が見えた。ベンチの周りにはランプ灯が灯っているからそれだけしか見えないけれど、灯りの少ない村はずれのほうに行けば、いまでも星は無数に見えるにちがいない。
 ぼくが星を眺めていると、マリーも同じように空を見上げた。
「つらい」とマリーは声をもらす。
「なにが」
 ぼくは咄嗟に応える。
「もう、もとには戻れない気がするの。たぶん、引き返せないところに来ちゃったんだ」
 夜のせいなのか、彼女の心情の落ち込みのせいなのか、横にいるマリーを見たときに、その顔の青白いのが気になった。青ざめているといってもよかった。
「さむい」といい、腕を胸の前に搔き抱いた。
「過ごしやすい気温のはずだよ。マリー、家に帰った方がいいよ」
 マリーは首を振った。「きょうはダメ。あたし、きょうはレムルと一緒にいないといけない気がする。家にいたら不安で仕方なくなるから」
「朝に会ったときはなんともなかったじゃない。洗濯物を干してる姿もふつうだった」
「朝はね。でも昼間にレムルが来なくて、ふてくされてベッドで寝てたんだけど、陽が沈むころになると心細くなってきて。なんでかな。いつもならそんなことないのに」
 彼女の体調が心配だったが、ぼくは彼女を誘った、「演目、見に行こっか」
「そういってくれるのを待ってた」、マリーはそういって立ち上がった。
 横に並んで歩いていると、彼女の存在がきわだった。等間隔に並ぶランプ灯のあいだを歩くごとに、光に照らされた彼女の姿はその雰囲気をさまざまに変えた。あまりぼくがマリーのほうばかり見るものだから、やがて彼女はぼくを置いて先に歩いていこうとした。
「待って」と声をかけると、
「知らない」といって先を歩く。
 気持ちが緩む。距離が空きすぎないように手加減してくれていることを知っていたから。
 集会場の近くの原っぱに会場がもうけられていた。すでに村人が六十人以上集まっていた。ぼくとマリーを見ると、村の大人たちが「子供が優先だ」といって、ぼくたちを前へと押しやってくれた。演奏の準備をしている詩人の姿が見えた。
 はじめて見る顔だった。精悍そうな顔付をしている、およそ詩人には見えない風貌の男性だった。ひげもないし、髪の毛だってちゃんと黒いままだった。いつも見かける吟遊詩人とはとちがって、実務的な人物に思えた。それだけ、ふだんの吟遊詩人は浮世離れしているところがあったわけだけれど。
 リュートの弦を指で二、三、弾(はじ)いてみせる。耳と心が引き付けられる音色だった。



 演目は《鷹羽王アートゥルの飛翔》だった。はじめて聴く物語だった。
 マリーは吟じている詩人の声に耳を傾けていたが、それほどのめり込んでいないようだった。そわそわしている雰囲気があった。
 どれくらいの時間が経ったろう。演目も佳境に入ろうかというとき、マリーのうめき声が聞こえた。
 彼女の顔がひきつっている。両手で左の胸を押さえている。
 ぼくはすぐに彼女を観客の列からだして、彼女に尋ねた。
「だいじょうぶ……じゃないね。だれか、だれかお願いします!」
 人に救援を求めると、駆け寄ってくれた人たちが彼女を近くの民家に運んでくれた。しきりに胸を押さえているから、なにかあるのかもしれないと、村の医師ザイクが呼びにやられた。やがて到着したザイクは、別室に寝かされているマリーのもとに向かい、診断を行った。やっぱり昨夜の傷が原因で――と思ったが、診断を終えた医師の口からは異なる言葉が飛びだした。
「原因はわかりません。外傷も見られません。何が問題なのか、それがわからない」
 一人の女性が進み出た。世話好きで知られる人懐っこい主婦だった。「何が問題かわからないって、それでも医者なのかい。村の子供が苦しんでいれば、それはみんなの苦しみなのさ。それをわかりません、知りませんってよくそんなことがいえるね。わかるまで調べなさいよ。げんにマリーはいまも苦しんでいるんだろう」
 医師はあごに力をいれて、悔しさをかみ殺しているようだった。
「マリーはどんな様子でしたか」
 ぼくは医師に尋ねた。
「胸を押さえて、痛い、熱い、苦しい、といってます。原因がわからなければ、手の打ちようがない。熱いといってるのに、全身、とくに顔はさらに青ざめていくようなのです」
「参考になるかわかりませんし、これはただの妄想かもしれません。ただ昨夜ひどく不安になる夢を見たんです――」ぼくは村人が大勢いるなかで誰に訴えるともなく話し始めた。マリーがナイフで刺されたこと。それが左の胸であったこと。誰が刺したのかはわからないこと。そのあと、老人があらわれて、自身の指から滴る血を彼女の傷口に垂らして命を救ったこと。でも夢かもしれないということ。それらをしどろもどろになりながらもなんとか言いきると、村人の反応はさまざまだった。そんなバカなことがあるかと笑いたがるものもあれば、流血話を耳にして気味悪がるもの、迷信深いものは黒魔術のたぐいじゃないか、邪教かなにかじゃないかといいだす。その老人は誰なんだと追及をはじめようとするものもあれば、マリーを刺したのはどこのだれだと義憤にかられるものもあった。しかしきょう一日そのことに悩み続けて、ひとつの答えも引き出せなかったぼくに、彼らの疑問に応える能力はなかった。
 そのとき、苦しんでいるはずのマリーが部屋の扉をあけて、玄関のほうに歩いてきた。まず声をあげたのは、ぼくと、医師のザイクだった。
「行かないと、もう行かないと」
 ふらふらした足取りでマリーは玄関に向かって歩いてくる。見ると、素足のままだった。
 彼女の進路を邪魔しないように玄関に居た村人が左右に分かれて道ができる。彼女はもう胸を押さえていない。顔はさらに青白かった。
 玄関を抜ける。マリーが行ってしまう、反射的にそう思ったぼくは、歩き去ろうとする彼女の手を取った。
 氷のようにつめたかった。それなのに、彼女の手は発汗していた。ぼくがつかんでいるにも関わらず、彼女の歩みは止まらなかったし、振り向きもしなかった。ぼくはものすごい力で引っ張られた。手をつかむのをあきらめざるを得なかった。彼女の足が鋭い石を踏みつけてしまう前に止めないと、と思ったがマリーは気にすることなく歩みつづける。
「マリー」ぼくは声をあげた、「マリー、行くな」
 彼女の耳には届かないようだ。たぶん足はぼろぼろになるだろう。彼女を止めないといけない。
 彼女の背中が遠く感じる。なにかに憑かれたようにどこかに向かって一心に歩いている感じだった。いくつかの通りを抜け、角を曲がり、石畳になっている上も気にせず歩いていく。歩く速度は変わらない。どこまで行くんだろうと疑問を覚えながら、彼女についていく。まさか村の外に出てしまわないよな、といった疑問も湧きあがる。
 彼女を押しとどめようと思えば、できたのかもしれない。しかし、ぼくは正常な判断を置き忘れていたのだろう。彼女がどこに向かっているのか、すぐに気づくべきだった。視界からふっと消えた。やがて、と鈍い水音が遠くにした。遠くというより、足元からだった。思い出す。ここは村の洗濯場――目の前には井戸――落ちようとする彼女をどうすることもできなかった。とたんにぼくはなにもかも思い出す。
 彼女の胸を刺した犯人。それはあの場にいた人物。ぼくではない人物。つまり、彼女自身だった。
 ぼくは井戸に駆け寄って、彼女の名を呼んだ。返事はない。ぼくは井戸のへりにつかまって、二度と助けのないことを悟った。

人生は疑問のままに

執筆の狙い

作者 そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

書きたいから書いてみた、というのが正直なところです。

コメント

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

いつも見かける吟遊詩人とはとちがって、実務的な人物に思えた。
⇨いつも見かける吟遊詩人たちとはちがって、実務的な人物に思えた。

診断⇨診察

誤字をやらかしました。訂正します。

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

>ぼくは見たんだ、マリーの胸に鋭いナイフの突き立てられるところを。
「ぼくは見たんだ、マリーの胸に鋭いナイフが突き立てられるところを。」の方が自然かなー?


基本、うじゃうじゃと余計なことを書き込んで、だらだらとうすら長いもんで、
話が異様にちんつんたらたらして、進まない進まない。

くどくどしさを耐えて、しまいまで付き合った読者に、作者は「明快なオチ」でカタルシスをプレゼントもしない。
『しなくていい』とはっきり思ってる……のがよく伝わってきて、【徒労感】をいかんなく倍増させる。


書き出しの「ぼくは見たんだ、マリーの胸に鋭いナイフの突き立てられるところを。」「彼女の胸を刺した手をぼくは憶えていない。」で、
読者は「2通り」を想定する。
1: 咄嗟に刺してしまった主人公が、そのショックで記憶曖昧になってる。
2: 目の前で自殺されてしまった主人公が、そのショックで記憶曖昧になってる。
【閉塞感たっぷりな書きよう】だから、他に犯人がいる可能性は排除される。


で、長々しさを乗り越えて「しまい」までゆくと、「自殺」なんだよ。
その「理由」も、謎の老人出現につながった理由も、なんもないまま、ぶっつり尻切れ。

長々しさに付き合った読者を、裏切る。

でも作者は、
「だってタイトルは『人生は疑問のままに』だからー。これでいいんです」と主張すんだろうなー。


マリーが【人形】になってるのは、それが【作者の筆の限界】だからだし、
読者に明快なオチを提示できなかったのは、作者の落ち度。


そして、読者を愚弄するタイトルが、日本語としての据わりが悪い。
文法的に細かく検証するのは面倒だからやらないけど、
このタイトルは、見たなり頭の中のアラートが鳴った。

『人生は疑問のままに』だと、おかしい。
『人生は疑問のうちに』なら、日本語的に違和感はなく、スムーズ。



あと、目についた誤字……「(血の)沁み」ってなってた。

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

貔貅さま

ありがとうございます。

もんじゃ
KD106154132024.au-net.ne.jp

 そうげんさま

 拝読しました。

>ぼくは見たんだ、マリーの胸に鋭いナイフの突き立てられるところを。

 とてもよい出だしだと感じました。一文目で何事かが起こっている。なんだなんだ何が起きたんだ? と先を読みたくなりました。

>ううん、正直にいおう。ほんとは涙がこぼれてたんだ。

 このセンテンスにであったとき、あれ? と感じました。それ以前を読んできて感じていた語り手の印象より語り手が幼く感じられました。
 いや、正直に言おう、本当は涙がこぼれていたんだ。
 くらいの語り方をする語り手であるように読めていたのでした。以降になってまた語り手の格は以前に戻っているので、この箇所だけなんか不思議な印象でした。

>わらしべみたいな胴体を見せるトンボが、吹きすぎる風に乗りながら、右から左へ、左から右へ、くるりと旋回してあちこちへと滑っていく。赤い胴体もいれば、黒い胴体もいる。向こうが透けるくらいに薄い翅を見ていると、背筋がひやっとする。吹けば飛ぶような儚さだった。不安になる。

 こういうあたりがそうげんさんのそうげんさんたるゆえんでありますね。調子も旋律もよく、言葉の選択と配置が抜かりない、と感じました。読んでいてとても気持ちがいい。高橋さま訳のヘッセに通じる気持ちよさだと感じます。

>なにが本当でなにがうそなのかわからなくなる。

 まさにこの感じがよく描かれているなと感じました。

>吟遊詩人

 この単語にであったとき、何かが開けてゆく予感がありました。

>ビールやエールを口にする。

 ちょっとひっかかりました。ここでいうビールはすなわちラガーみたいなことでありましょうか。エールもビールなのでは? とか感じたのです。

>「ぼくがきみを刺したのかな」

 いいですね、なんだか五反田くんっぽい。って書くだけでそうげんさんになら伝わると思うのだけれど。夢で何やらを犯してしまう、というのは水面下の模様であるかと感じられます。

>目覚めたときに、マリーが喪われたって感覚だけが確かなものに思えて、悲しかった」
 マリーはみじろぎした。「あたしはちゃんといる。いる……けど、なにかがちがう」

 非常にいいな、と感じました。とてもよくわかります。というか、とてもよく感じられます、この感じ。やはりこういうのって普遍的な何かなんじゃないかって感じます。

>彼女の胸を刺した犯人。それはあの場にいた人物。ぼくではない人物。つまり、

 ネタバレセンテンスをすみません。ここ読んで、亜々と、烏みたいに声漏らしてしまう読み手がいました。なるほど、そうでありましたか……。
 イドに落ちちゃいましたか。

 執筆の狙いに、なぜあんなふうに書かれてあったのかわかりません。個人的には、ひじょ――――――によい作品であるとしか感じようがありませんでした。完成度とかどうでもいい(いえ完成度も低くはなかったですけど)、響きました。

 そうげんさんが意識して書かれてるのかどうか知りませんが(意識化してないならなお素晴らしいことに)、あの老人はフィレモンでありますね。

 素性のいい赤ワインをただちにきこしめたく(笑)なってしまうほどになんとも、なんとも……。

 これ読めただけでも鍛練場にきた甲斐があった――だなんて書くと裏がまた騒がしくなるかもしれないしならないかもしれないけど、んなこと知ったことか、感じたことを感じたままに記すまでです。
 ちょっと、ワイン買ってこよ。

ラピス
sp49-104-10-101.msf.spmode.ne.jp

出だしに惹きつけられました。雰囲気もよく、文章も読みやすく、一息に読ませて頂きました。
惜しむらくは、
謎の老人の正体は何だったのか?
マリーはなぜ、自殺したのか?
等の疑問が湧きます。伏線が回収されてないと感じました。

そうげん
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もんじゃさまへ

さっそくのコメント・感想、ありがとうございます。
もんじゃさまに伝わらなければ、たぶん誰に伝わるかもわからないくらいの感覚だったので、(さっそくの198、199の反応もありますし)、執筆の狙いのあの書き方で、すでにふて腐れてるという感覚を出してしまいました。

書き上げてから読み直しつつ細部を調えてみたのですが、これでいいのじゃないかという感覚と、これ以上書きすぎたり、手をくわえると逆にまずくなってしまう気がしたので、いわばフィーリングで、このあたりで「よし」ということにして判断を仰ぐことにしました。

老人が誰かとか、マリーとの講堂のシーンは夢だったのか、現実だったのかというところを最後まであいまいにしておいて(ある程度の確信はあるのですが)、なぜあのシーンを目撃したのかということを、主人公の問題としてみたかったし、それを受けてマリーのほうにも変化を与えたくて、胸の傷というものを象徴にして現実世界へのリンクといたしました。

主人公のレムルと、マリーの二人の関係性が作り出した混合夢みたいなもの、そういう場面を演出したいと思いました。わたしはユングの心理学はあまり触れられてなくて、「フィレモン」のことは知りませんでした。でも検索してみると、たしかにそういう部分、智者とか、賢者とか、そういう概念として描いたところがあります。しかし現実世界に老人を登場させたことがよかったのか、わるかったのか、まだ判断を保留しています。一度きりの出オチだと弱い気もするけど、ラストで、老人の言葉を思い出すというのでも印象が浅い気がして、主人公が見てしまった幻想・妄念みたいなものとして受け止めるのもアリかなと書き手だけど、自作の判断に困ってもおります。

>ほんとは涙がこぼれてたんだ。

ほんとを選択してしまったのは、表記ゆれとでもいうべきものでしょうか。人物の個性を貫徹させられなかったわたしの甘さでした。うかっとしておりました。

>>わらしべみたいな胴体を見せるトンボが、吹きすぎる風に乗りながら、右から左へ、左から右へ、くるりと旋回してあちこちへと滑っていく。赤い胴体もいれば、黒い胴体もいる。向こうが透けるくらいに薄い翅を見ていると、背筋がひやっとする。吹けば飛ぶような儚さだった。不安になる。
>こういうあたりがそうげんさんのそうげんさんたるゆえんでありますね。調子も旋律もよく、言葉の選択と配置が抜かりない、と感じました。読んでいてとても気持ちがいい。高橋さま訳のヘッセに通じる気持ちよさだと感じます。

お褒めの言葉――ありがとうございます。書いているこちらとしても、こういう文章を書いているときの方が肩の力を抜いてかけている気がします。一方で説明的になる文章はときどきタイピングする指の動きもどことなくカクカクしてしまいます。描写をふんだんに取り入れたものを書くのもいいのかもしれないな、と感じました。ありがとうございます。うれしかったです。

>ここでいうビールはすなわちラガーみたいなことでありましょうか。エールもビールなのでは? とか感じたのです。

エールは、いわゆるビールとはちょっと製法がちがうという受け止めでいましたが、エールもビールの一種。エールに対応させるならラガーだけど、ラガーとエールを共存させるのは、無理があったかもしれません。わたしの覚えちがい、ということでした。ひとつ賢くなりました。ありがとうございます。

>>「ぼくがきみを刺したのかな」
>いいですね、なんだか五反田くんっぽい。

『ダンス・ダンス・ダンス』は一度しか読んでなくて、『ねじまき』や『カフカ』、『1Q84』に比べるといまでは印象が薄れてしまってました。五反田さん――詳細に思い出せなかったので、本棚から講談社文庫を出してきて、五反田くんの台詞をすこし追ってみました。思い出せないので、今夜すこし読み直すことにします。

>>目覚めたときに、マリーが喪われたって感覚だけが確かなものに思えて、悲しかった」
>>マリーはみじろぎした。「あたしはちゃんといる。いる……けど、なにかがちがう」
>非常にいいな、と感じました。とてもよくわかります。というか、とてもよく感じられます、この感じ。やはりこういうのって普遍的な何かなんじゃないかって感じます。

なにかどこかでつながっている、目に見えないところで、みたいなの、こういうことを書くのも伝わらない人には伝わらないものだから、少なくとももんじゃさまには伝わっていて、うれしく思います。

>イドに落ちちゃいましたか。
うかつだったのですが、書き終わって、なんどか読み直した後も、イドのことをすっかり忘れてました。そうだ、idだってもんじゃさまのコメントを頂戴してから気づいた次第です。書き手は無意識のうちにマリーをイドに落としてしまってました。わたしが意図してなかったとはいえ、事実としてこのように書いたというところになにかあるのかもしれないなんてことを考えてみると、ちょっと考えるまでもなく思い当たることがでてきてしまって、そのイドは主人公のものだったようです。だから余計にこわい(⇨自分がです)。

>執筆の狙いに、なぜあんなふうに書かれてあったのかわかりません。個人的には、ひじょ――――――によい作品であるとしか感じようがありませんでした。

伝わるよりも伝わらないことの方が多いことを自覚していたからでありました。ただ書いてみたいという気持ちがあったので、無理を押して書いてみました。投稿するさいは、おそるおそるの手つきでしたが。

>完成度とかどうでもいい(いえ完成度も低くはなかったですけど)、響きました。

完成度という点ではぜんぜんなんだと思います。もっとキャラクターの役割とか、人物間の結びつきとか、舞台設計とか細かにやっていけば、短いものではなくなりそうです。でも時間があれば書いてみたいと思える魅力に富んだジャンルかなとも思いました(心理学的な要素のあるものという意味において)。

さいきんまたジャック・ラカンの『エクリ』をすこし読み進めたので、そういうこともあって書きたくなったものでした。ラカンの全体は把握できていないので、すでに既知のものだけで作った今作でありましたし、たぶん、やっぱり村上さんの作品で描かれているものも下敷きになっていると思います。

ワイン。いいですね! 安くてそこそこ美味しいのなら、フロンテラ(チリワイン)のシャルドネ(白)とピノ・ノワール(赤)がテーブルワイン的安さなので常飲します。でもいまは部屋にお酒がスコッチのバランタインしかないので、今夜はこれの水割りです。

ありがとうございました。
これもなにかの縁。あとで、『ダンス・ダンス・ダンス』を読みますね。

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

ラピスさまへ

ありがとうございます。出だしはスムーズに決まりました。細部はアドリブもありましたが、ある程度の流れも決まっていて書き出しました。

謎の老人の正体はなにか。たぶん(主人公が夢だと思っている)空間の中だけで完結させていれば、正体についてぶれることはなかったんだと思います。ひとつの象徴として見ていただくしかありません。明かすとなればそれは無粋な説明になるし、明かさないならば、もうすこしヒントになるものをこの作品内に提示すべきでしたね。読み手の方に不親切な作りになってしまいました。

>マリーはなぜ、自殺したのか?

マリーの動機については作中では一切触れていません。描いたのは、むしろ「主人公にとっての、マリーの自殺の意味」というものであり、その意味を考えるべき主人公のプロファイルも作中では一切触れておりません。ひとつの構図を提示しただけでした。背後にあるものは、説明することのできるものもあれば、できないものもあります。主人公の視点において、そのように見えたということしか書けておりません。現実でもあると思います。身近にいたのに、なぜあの子が自殺なんて、となること。そういう側面も加味していただけると助かります。

>伏線が回収されてない
なにを起爆させて、なにをそのままに置くことで一定の効果を目論むか。わたし自身、この作品をまた何度も読み返してみて、なにが不足なのか、見極めようと思います。

ありがとうございました!

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

ねぇ、

>さっそくの198、199の反応もありますし

ってなんだろう??

そうげん
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貔貅さま

5chのスレッド101のことなので、気になさらなくてもいいし、わかる人だけわかればいいと思って書きました。

5150
5.102.11.208

冒頭部分が素晴らしいなと思いました。

一行目は言うまでもないですが、秀逸なのは展開の早いあの時点で、老人を出してきたところに、あのセリフ。謎めいたというよりも、推理小説的なものを断ち切るという意味で、あそこで老人が出てきたのはよかったなと思いました。あそこで作品の向かう方向性が示されたように思えました。老人のセリフが秀逸であり、御作の何やら日本ではない外国の、しかもかなり昔の時代であり、いくぶんか寓話的な側面と、幻想譚的なもの、主人公の葛藤も含めて、その後の御作の舞台に合った流れであったな、と感じました。そのあたりはやはり流れるような筆力であり、外国人作家の翻訳をそのまま読んでいるような気分でもありました。

講堂に向かうあたり、あるいは村の生活がそのまま見えるような描写はさすがであると感じました。非常にスムースであり、雰囲気がよく出ています。

 吟遊詩人の演奏の場面はあれだけ引っ張ったので、こちらを巻き込むような臨場感ある描写を期待しながら読み進んでいたのに、肝心なところでは拍子抜けしてしまいました。もう少し工夫があった方がよかった、というか、非常にもったいなあと感じてしまいました。

>>彼女の胸を刺した犯人。それはあの場にいた人物。ぼくではない人物。つまり、彼女自身だった。

最期の、このいかにも説明的な文は、読者にわかりやすく示すという考慮からでしょうが、あれだけ事を曖昧に進めておきながら、あまりにも、うーん、何といったらいいか、説明的、いや、安物の推理小説的な決着のつけ方に感じられて、この一文にはちょっとがっかりしたというか、いや、真相を伏せろということではなくて、もっと曖昧な、うーむ、この締めの一文こそは、そうげんさんのありったけのものを詰め込んできれいに終わらせて欲しかったという気がします。5150にとっては御作での一番の腕の見せ所だったような気がします。それだけに、安易とも思えかねないこの一文は非常に残念でした。老人についてはさほど気になりませんでしたが、最期のここは思いっきり引っかかりました。

そうですね、前から来る文の流れとしても、ここだけ非常に浮いている感じがするんですよね。ここで終わらせるんだ、みたいな強引さ、というか。

以上、あくまで真摯に作品と向かい合った末での、正直な感想でありました。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

そうげん様

 この作品で描きたいことの中心がどこかなのかがわからないのが御作における最大の問題点のように感じました。
 例えば、マリーの心情を推し量ることができないので、マリーがなぜ自殺に至ったのかの機微の部分を推し量ることが読者にはできない、推し量ることができないので、「主人公は犯人でも何でもなかった」というオチとしての事実しかわからない。であるならば、今度は主人公の方の心の機微の方にフォーカスしてみる、すると、主人公はそのことにまったく気づいていなかった。という流れなものだから、終始示される主人公の苦悩って一体全体何だったのでしょうか? という疑問が産まれます。
 これはつまり、僕が彼女を殺したのかもしれない→実際はただの事故で僕は全然関係ありませんでした。という流れとそう大差ないことで、それどころかただの事故の場合は、ある種のどうにもならない不条理を感じることもできますが、「自殺」というのは恋人関係において、何かのアクションを取れたかもしれない、という可能性が存在しているし、その事実は一般的に重いものだから、そこに切り込みたくなるし、踏み込みたくなる、すくなくとも、それにまつわるなんらかの心の模様なりを知りたくなる。情感たっぷりの主人公の苦悩と、それとはてんで無関係だった「自殺」というタネあかしのみがポツリと置かれる、なもんだから、テーマとしての核がみえないというふうにも思います。

 といったふうに、アリアドネとしては、核の部分について釈然としないものがあったのですが、一方で、情景描写は瞠目するものがありました。特に
>わらしべみたいな胴体を見せるトンボが、吹きすぎる風に乗りながら、右から左へ、左
>から右へ、くるりと旋回してあちこちへと滑っていく。赤い胴体もいれば、黒い胴体も
>いる。向こうが透けるくらいに薄い翅を見ていると、背筋がひやっとする。吹けば飛ぶ
>ような儚さだった。不安になる。
のくだりは鳥肌がたつぐらい素敵な描写だなと思います。ここの表現はすごい好きです。豊かで活き活きとしていて予感にも満ちているし、五感と主観と客観のすべてを使ってかかれているから、世界が広がりを持ったものとして入ってくる。この一文は特に珠玉のものだと思いますが、ここに限らず情景描写はとてもお見事だと思いました。 

 その反動なのか、物語世界の豊かさと物語の核の薄さというコントラストが、かえって、マイナスに働いてしまうように思いました。豊かに世界を語り、熱っぽく気持ちが吐露され、核の部分が肩透かしに終わる。別にオチがある必要はありませんが、豊かさと熱情に見えあったなんらかのオトシマエをある程度はつける必要はあるんじゃないかなって思いました。ミクロには稠密であるんだけど、なぜだか、マクロには希薄になってしまうというジレンマがある気がします。

 ところで、前作の感想では「説教臭さがある」という言葉を使いましたが、そのように感じたのは事実とはいえ、今思うと、そのような言葉を使ったのは適切でなかったように思います。すみませんでした。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

言葉が足りなかったので、補足させてください。

> すると、主人公はそのことにまったく気づいていなかった。
主人公は自殺という事実にもその兆候にも気づいていなかった。
という事実が苦悩と見合わないと思ったということです。

仮に、主人公が現実から目を覆いたくて、自ら盲点をあえて作り出し、忘れたふりをしていた。という解釈を採用するのもちと苦しい。忘れたふりをしていたということを仄めかすような記述はなかったように思えるし、忘れていたことを思い出したというより戻しの文脈も一見して見て取れなかったように思います。

何度もすみません。

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

5150さま

伝言板でのメッセージ等、この度は行き過ぎたまねだったかもしれない諸々のこと、静かに収めてくださってありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

冒頭の言葉を褒めてくださってありがとうございました。描写については、ハヤカワ文庫系の海外ファンタジー小説が好物なので、不自由なく書くことができました。しかしご指摘の通り、ラストの文章――《彼女の胸を刺した犯人。》のところは、書いているときに多少息切れしてしまってました。その前段、吟遊詩人の題目のところで、案としては、冒頭のシーンをなぜ主人公は観てしまったのかという謎についてのヒントとして、ひとつの作中内作品を書こうとしていたのですが、実際の私生活といいますか、仕事で疲れた状態でその作品内作品を書きだすことに疲れを覚えてしまって、題名しか書かずに終わらせてしまいました。案はあっても作品に落とし込めなければ、なったのと同じこと。他の方からも多数ご指摘いただきましたとおり、せっかく最後まで読んでくださったのに、ちゃんと物語を回収してまとまった形に仕切れなかったのは、書き手であるわたしの責任です。

自分の中で、心理学というか、夢といいますか、それを今回のような形で書こうとすることが滅多にないことでしたので、それを書こうと試みるということ自体が、自分の中でひとつの課題の達成ではありました。しかしひとつの作品としてしっかりまとまったものに仕切れなかったのは、わたしの不案内であったと思います。

可能な限り、余裕をもって執筆に当たっていきたいと思います。
今回もお読みくださいまして、ありがとうございました。

5150
5.102.11.208

そうげんさんへ

>>伝言板でのメッセージ等、この度は行き過ぎたまねだったかもしれない諸々のこと、静かに収めてくださってありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いします。

>>描写については、ハヤカワ文庫系の海外ファンタジー小説が好物なので、不自由なく書くことができました。

描写のところは筆のノリが全然違うような感じがしてました。

5150はハヤカワではSFでお世話になってますが、ファンタジーは、たぶんタニス・リーとかでしたっけあったような、でも、読みたくてもぜんぜん読んではないですけどね。あ、海外ファンタジーものでそうげんさんのおススメないですかね? 最近はご無沙汰なんで。ライラの冒険が面白かったくらいなんで。ダークファンタジーも好きです。

>>その前段、吟遊詩人の題目のところで、案としては、冒頭のシーンをなぜ主人公は観てしまったのかという謎についてのヒントとして、ひとつの作中内作品を書こうとしていたのです

うわー、これ面白そうじゃないですか。ぜひ読んでみたかったです。

ちなみに最後の真相の一文ですが、こちらでちょっと考えてみました。作者さまに失礼だとは思いますが、別にマウンティングしたいわけではなく、ただこちらで自作と考えてシュミレーションしてみただけでして。最高のいいエクササイズだと思ったのと、そうげんさんにもいくらか刺激が与えられるかな、と思いまして。その点は誤解のないように。

>>彼女の胸には刺さったナイフがあった。自身の手でそっとナイフを掴んでいたが、引き抜こうとするのではなかった。むしろナイフの先はもっと奥へと食い込んでいったのを、僕は見た。奥に突き刺してゆく手は、他人の手ではなく紛れもなく彼女自身のだった。

あくまで5150の好みにしてみたというだけです。ちょっと違うと感じられたらそれまでですけど。

もんじゃ
KD106154133116.au-net.ne.jp

 そうげんさま

 御作一読しかしてません。今も敢えて読み直しません。

 数日前に拝読した際に感じて今もんじゃの中に残ってるもの-あるいはいくらか変質してしまっているかもしれません、もんじゃな酵素が作用して-だけでちょっと書きたいことを書かせていただいちゃおうかと思います、頓珍漢だったらすみません。

 ヘッセが好きで村上春樹が好きだ、というそうげんさんについての前情報もあり、だから、ヘッセに似てる、村上春樹を連想した、と評されること嫌じゃなかろうと想像いたしまして前回、とんぼのとこの筆致をヘッセ的だとか、僕が殺めちゃったのか? みたいなとこを五反田くんみたい、とか書かせていただいたのですが、今回そのあたりをも少し掘ってみたくてお邪魔しました。

 夢みたいな、つまり意識の統制し得ないどこかで、誰かが誰かを殺めちゃうみたいなこと、これって極めてアーキタイパルなことで、つまり集合的無意識に関連することで、村上春樹氏は著書でユングなんて読んでないとかおっしゃってるけど、実にユング的なんですよね、で、ヘッセも当時ユングの弟子の治療を受けてたし、だからその時期に記された『荒野のおおかみ』は実にユングじみていたりするようです、もんじゃ的には『知と愛』にもユング思想の影響を読んじゃいます。

 言葉は自律的に機能しますから、つまり誰が言ったかみたいなことはまったく重要ではなく、境界を持たずに移動する言葉たちは誰のものでもなくみんなのものだと思うので、ユングがチベット仏教やミトラ文書の影響を受けていようが、ヘッセや春樹がユングやその影響を受けた誰かの影響を受けていようが、そうげんさんがヘッセや春樹の影響を受けていようが、そのことで各氏の言葉の価値がいささかなりとも損なわれることはないともんじゃは考えています。リレーされ、リメイクされ、リプロダクトされる言葉たちそのものに価値があるのであり、誰が言ったか、誰が書いたかなんて社会的かつ俗的なこと(ロイヤリティめいたこと)は創作を語る上でノイズでしかないように思われるのであります。

 ここで、もんじゃについての話を挿入しましょう。
・もんじゃの書くものはそのテーマにおいてユングの影響を強く受けています。
・なので、ヘッセの文体に憧れるし、村上春樹の表しかたと重なる表しかたを格別避けません。
・キャラ造形については、サリンジャーやカミュの影響を多分に受けています。シーモアやムルソーに似た非人間的な人間を好んで書きます。
・文体は、村上春樹の影響を指摘されたりもするし、よしもとばななっぽいと言われたこともありますが、そのあたりは単にミーハーなんだと思います、てか広く読まれてる文体がいちばんかと個人的には。
・一方で世界観的には、サルトル、ヤスパース、ハイデガーの哲学、およびハイゼンベルクの不確定性原理などナット近代バット現代なものに強く影響を受けています。
・音楽的にはバッハだし、絵画的にはラファエロを好むので、バッハイメージな筆回しで聖母子像めいた話を紡げたらいいなとか憧れてます。
・花鳥風月を好んで書くのは日本人だからかもしれません、西行とか好きですし。
・てなわけで、オリジナリティなんかないじゃないかと言われるかもしれないけど、自分では自分なりの色だってあるとひそかに思ってたりもするし(この目で見た夕焼けや星空だとか、この体で潜った海の温度や海上の風の爽やかさなど、それらからの直接的な影響も多々あるし)、先に述べたような言葉観を持っているので、誰かの猿真似だとか(猿真似ではないけど)批評されても別に構わないように感じています。

 みたいな自己紹介を挟んだのち、今回のそうげんさんの物語と村上春樹ワールドについて以下のように語らせてください。

・夢に似た、無意識的な世界で誰かが誰かを刺し殺す、みたいなのは『騎士団長殺し』でも出てくるし、『ダンス・ダンス・ダンス』でも五反田くんがキキを殺して埋めていた、みたいな形でも登場している。
・村上春樹氏は性的な夢の意味を『1Q84』でも『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でも追求していたが、今回の話の、誰かの灼熱みたいな刃が自分の体に入ってくる、みたいな描かれ方にもんじゃは、非常に強く性夢を連想した。リンクみたいなこと。

 以上の二点から、そうげんさんの今回の話は、村上春樹さんが何冊かの著作で掘り下げていた穴の類似の近辺を掘っているのだな、と、もんじゃには感得されたのであります。

 つづきます。

もんじゃ
KD106154133116.au-net.ne.jp

 つづきました。

・そして何より、井戸である。『ノルウェイの森』で直子がとらわれていたのは実にこの井戸ではなかったか。
・そして、老人。鍵を握る賢者。羊男がそれに当たるのではないだろうか?

 いえ、羊男はどちらかというとたぶんトリックスターであり、老賢者というアーキタイプとはたぶん非なるものでありますが、劇中の彼を彼女のアニムス、劇中の彼女を彼のアニマととらえたりするなら、御作は、実にアーキタイプたちのロンドなのであります、内的ダンシングワールドなのであります、だから、残る。読んだ者の中に、奥の方に、下の方に、響くのであります、腑に落ちるみたいな正しい角度で。そう思うのです。
 そして村上春樹氏も、この内的ロンドを、長い尺で、肉を(といってもササミみたいな肉ですが)ふんだんにつけて描いているのだと、もんじゃにはそう思われるのでありました。
 さらに、荒野のおおかみも、ナルチスとゴルトムントも、クルヌプも、奏でるようにですが、詩的にでさえありますが、そのような内的な模様を描いているのだと、そう思えてならないのであります。
 つまりでありますね、相似的だな、と感じたのであります。
 そうげんさんのに肉つけて色つけて長くしたら春樹だし、それを旋律で奏でたらヘッセなんじゃないかって。
 だから、今回のそうげんさんのはモチーフ的にも、調べ的にも、ミニ春樹だし、ミニヘッセなんじゃないか、とか感じたのです。むろん、それ以外の、例えばRPGゲームの影響だとか、春樹やヘッセからのではない影響もミックスされていますでしょうし、あるいは春樹やヘッセが影響を受けた元なる何かからの影響もあるかもしれないし、当然ながら、そうげんさんの肉眼や肉体が捉えた実世界からのダイレクトな影響も表れているでしょうから、だから猿真似なんかでは勿論まったくなく、オリジナルなんだけど、だけどこれはとてもよい意味で、つまりアーキタイパルだっていう意味で、意識的にせよ、無意識的にせよ、今回の筆は本当のホンモノの輪郭の一部を確かになぞってたんじゃないかって感じるのでありました。
 だから、残ってる。もんじゃの中に、彼や彼女や老人や巡りめぐってやってくる彗星みたいなあの吟遊詩人が残ってる。
 そうげんさんはいろんなものを書かれるし、だからそうげんさんの心の赴くままにその都度好きなところを掘っていかれたらよいのだけれど、拙作について問わせていただいた自分の質問にも照らしつつ、出過ぎた見解を記させていただけるなら、ごくごく個人的には、そうげんさんの、今回のジャンルに大変興味があります。今回のは実験的なことだったんだ、みたいに思われてるかもしれないし、当然ながらもんじゃの趣味が鎖になるようなことはありえないんだけど、こんなふうに今回の筆に感動にも似た深い余韻を何日も転がし続けている読み手がいたということを記憶に留めていただきたく、押し掛けて、長いこと語らせていただいちゃいました。

 って書き終えたんで、ほっとして、また再読させていただこうと思います。再読が一読を超えて機能するのかしないのか、はたまたその逆か、わからないけど、もんじゃの中に開かれた地図と現物のテキストをもう一度照らしあわせてみたいと思います。

 今日日中コーヒーショップの二階にて読むべきものを読んでたら、窓の向こうの通りから、幼児と呼んで差し支えないであろう子供たちの声が、はっぴばすでーちゅーゆー、はっぴばすでーちゅーゆー、と歌っているのが聴こえてきまして、その瞬間いろんなことがよみがえり、いろんなことが思われて、ふるえるような気持ちで表したいと、何かを表したいと、強烈なグラビティを感じてしまいました。だから私信にも似たたわごとを散らかしてしまったのかもしれず失礼しました。発散しきれなかったあれこれは、今後自作の創作に活かさせていただこうかと考えています。だなんて、伝わっていますでしょうか? ともあれ……。

 勝手に押し掛けて好き勝手なおしゃべりを失礼いたしました。

そうげん
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アリアドネの糸さま

ひとつの読み方としての提案なのですが(と作者が前置いて語るのもおかしなものですけれど)もともと主人公はマリーに対して、意識の上にのぼらないまでも、(まだ幼いからこそ自覚されない)性的な関心、そして、その荒々しい発露として、マリー自身をその衝動によって殺してしまうかもしれないという予感を、心の裏にひっそり進展させてしまっていた。だから彼のふだんの意識されない無意識化の中に進展していた欲の蠢動によって、夢を見てしまった。マリーはマリーで女性側の心の働きとして、主人公に起こったのと近い心の動きによって、またふだんから親しくしている主人公との関係性、かれの言動や、行動のうらにひっそり表れてしまっていたかもしれない裏の情動に感得してしまって、同じ時期に似た夢を見てしまった。主人公の夢のなかでは老人として現れた存在は、マリーの夢の中では老人という形態をとっていたとは限らない。もっと別物だった可能性があります。それはマリーの発したセリフの一部に示唆的に表れたとおりでありました。そして主人公が夢を見て起きた当日に村で出会った老人の姿は、本物だったかどうかもわかりません。夢のように消えてしまいました。主人公の夢でマリーは自分の胸にナイフを突きたてましたが、これは主人公側の情動がマリーを追い詰めてしまって、マリーの命を奪ってしまったという可能性が考えられます。マリーが井戸に飛び込むのもある意味、主人公が後ろからついてきていて、その圧迫も機能した可能性があります。

という一つのラインを書き上げた後に思ってみました。核というものが何に当たるのか、こうして書いてみても、これだという決定打を作者自身が見いだせないのが問題なのだと思います。ただ、暗に相手を追い詰めてしまっていて、自分ではそれと意識もしていなくて、どうしてそうなったのか、わからないままこれからも生きていくしかない、そういう状況を戯画的に表したといえそうです。

トンボの記述についてはありがとうございます。こういった場面を書くことが好きな面がありますので、そのあたりの腕はもっと伸ばしていきたいと思います。

もっとわかりよい構成、書き方ができないものか、検討したいと思います。ありがとうございました。

そうげん
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5150さまへ

ハヤカワ文庫FTのおすすめといわれますと、わたしが主に読んでいたのは00年代でしたので、ちょうど映画『ロードオブザリング』三部作が公開されて世間でもファンタジーが盛り上がっていた時期に当たっていました。

毎月2~3冊刊行されてましたので、全数購入してました。

単純に好きなのはこれは90年代に刊行(原作は80年代)ですが、テリー・ブルックスの《ランドオーヴァー》シリーズです。第1巻の『魔法の王国売ります!』は現在のなろう小説の異世界小説かよっていいたくなる感じです。『ふしぎの国のアリス』や『オズの魔法使い』に似た作品になってます。シリーズの中で特に好きなのは、第4巻『大魔王の逆襲』です。4巻では、ひとりの邪悪な魔法使いの手によって、宿敵といってもいい相手、魔女ナイトシェイドと、ドラゴンのストラボと共に、ひとつの魔法の箱の中に、主人公のベン・ホリデイが閉じこめられます。その箱の中で、自分たちは何を目的としてここにいるのかもわからないまま、旅をつづける。現実世界では憎み合っているはずの相手が、箱の中では互いの素性もわからなくなってしまって、互いに連携して助け合うことになる。しかしいずれ箱の魔法は解かれるのですが、すると仲間だと思っていた相手は宿敵だった。そこで相手が何を考えているかわかってくるんですね。そして、その後、互いの関係性に微妙だけど根深い変化が起きて、関係性が重層的になってくる。作品全体が主人公ベン・ホリデイにとっての箱庭療法の箱庭のようでもあって、邦訳は5巻まで出てますけど、面白くってどんどん読めます。井辻朱美さんの翻訳も好きなので、日本語のとしてもわたしは好きです。あと描写文を読むときは、頭の中に映像や絵画を浮かべながらイメージを膨らませたり、形作っていくと、ファンタジー世界にどっぷりと浸ることができる色彩豊かな表現が多いです。

あとは、。

マイクル・ムアコック『(新装版)エルリックサーガ』。こちらも新装版の翻訳は井辻朱美さんですが、旧版は第一巻だけ安田均さんが翻訳されていて、こちらの訳文は端正です。わたしの好きな文体です。可能ならば、全巻安田さんの訳文でも読んでみたかった。ムアコックの〈エターナルチャンピオン〉は、スターシステムみたいなもので、異なる作品間に、共通する登場人物が出てきますし、〈一なる四者〉などの構想が面白かったです。

ほかにも、『シャーリアの魔女』も好きですが、これは訳文に癖があるのと、内容が万人受けしそうにないのです。『クシエルの矢』は主人公が娼婦といっていい存在ですし、『時の車輪』『真実の剣』はひたすら長いですし、タニス・リーの作品に比べると、明るいものを読んでいることが多いように思います。

まとめますと、『ランドオーヴァー』がわたしは好きです。原著でこんど出ることになっている第7巻が最終巻になる予定です。いつ著者が書き上げてくれるかにやきもきしておりますが。こんなところです。


ラストの改稿案、出してくださってありがとうございます。先にアリアドネさまに作品の裏設定というか、自分なりの作品の設定の一案を出しました。それとは異なるものですが、5150さまの好意をありがたく頂戴いたします。わたしもラストはそっけなかったと思います。もうすこし書き方がありましたね。

ありがとうございました。

そうげん
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もんじゃさま

日頃、パソコンのキーボードはノートパソコンのキーボードを使ってたのですが、この前の日曜日に中古ショップでメーカーも不明の、キーストロークが十分に深い有線のキーボードを購入しました。長い時間、文字を打つなら、慣れ親しんだキーボードタイプが良いので、これからまたたくさん文字を書きたいなと思っているところでした。なので、いまは文章を打つのが楽しみであります。

たしかにもんじゃさんとのやり取りの中では、ヘッセと村上春樹の名前を挙げることが多かったですね。ほかにも名前は挙げられるはずだけど、もんじゃさんとわたしの接点にあるものが、この二者の名前に代表されてるのかと思いました。なにかといえば、やはりユング的なものになるのでしょうか。わたしにとってはユングよりも、精神分析サイドに向ける感心であるのですが、小説にせよ、なんにせよ、書きものの場合、なぜこれが書かれたのだろう、と思うことが面白いからでありました。

・もんじゃの書くものはそのテーマにおいてユングの影響を強く受けています。

心理学の内容に寄せられてあるので、その時点でとても関心を惹かれていました。

・なので、ヘッセの文体に憧れるし、村上春樹の表しかたと重なる表しかたを格別避けません。
・文体は、村上春樹の影響を指摘されたりもするし、よしもとばななっぽいと言われたこともありますが、そのあたりは単にミーハーなんだと思います、てか広く読まれてる文体がいちばんかと個人的には。

文章が読みやすいのは七難避ける(⇦違)みたいなところありますね。

・キャラ造形については、サリンジャーやカミュの影響を多分に受けています。シーモアやムルソーに似た非人間的な人間を好んで書きます。

サリンジャー・カミュについては読書経験にとぼしいです。しかしこういうことかなと想像してみます。

・一方で世界観的には、サルトル、ヤスパース、ハイデガーの哲学、およびハイゼンベルクの不確定性原理などナット近代バット現代なものに強く影響を受けています。

このあたりはわたしがまったく参照していない要素なので、面白く感じます。

・音楽的にはバッハだし、絵画的にはラファエロを好むので、バッハイメージな筆回しで聖母子像めいた話を紡げたらいいなとか憧れてます。
・花鳥風月を好んで書くのは日本人だからかもしれません、西行とか好きですし。

バッハは高校生のころからよくNHKFMの「バロックの森」で聴いてました。バッハでしたか。わたしはモーツアルトの交響曲です。カール・ベームの全曲集を周回しております。好みがしっかりされてるのは、きわだっていて、羨ましいです。

・てなわけで、オリジナリティなんかないじゃないかと言われるかもしれないけど、自分では自分なりの色だってあるとひそかに思ってたりもするし(この目で見た夕焼けや星空だとか、この体で潜った海の温度や海上の風の爽やかさなど、それらからの直接的な影響も多々あるし)、先に述べたような言葉観を持っているので、誰かの猿真似だとか(猿真似ではないけど)批評されても別に構わないように感じています。

まず一流品を観ることからはじめよって、いわれますね。と、私の作品のヘッセ的、村上春樹的なことについてですね――。

>そうげんさんの今回の話は、村上春樹さんが何冊かの著作で掘り下げていた穴の類似の近辺を掘っているのだな、と、もんじゃには感得されたのであります。

もんじゃさんの受け止めを聴いたうえで、上のアリアドネの糸さまのところに自分なりの見解を挙げてみました。もしよかったらまた読んでいただいてなにかしらの意見を頂ければ嬉しいです。

>今回の話の、誰かの灼熱みたいな刃が自分の体に入ってくる、みたいな描かれ方にもんじゃは、非常に強く性夢を連想した。

主人公とマリーでは見ている夢の質がちがったはずだ。それは男女の差もあるだろうし、マリーの口にした言葉には、たしかに書いているときに、性夢にちかい書き方だと思っていて、でもイメージとしては老人の血が、ということに集中して書いていきました。しかし書いているときの心理として、性夢としての要素ということも脳裏においておりました。だからあいまいな書き方というか、情報をカットしてあらわしたわけでした。

>そして何より、井戸である。

井戸のことは前にも書いた通り、まったく意識してませんでした。はじめは涸れ井戸にしてみたんですが、でも洗い場なので水を溜めました。結果的にこちらのほうが良かったのだと感じました。直子にとっての井戸。そうなのかもしれない。そんな気がしてきました。

>そうげんさんのに肉つけて色つけて長くしたら春樹だし、それを旋律で奏でたらヘッセなんじゃないかって。

書き方というか、コンセプトがやはり、村上春樹さんのことが頭にあったのは確かで、わたし、『ねじまき鳥』の第一章の、路地とか、彫像のある庭の構造とかの配置から読み取れる情報が好きで、トポグラフィ的観点も、いつか作品に入れ込みたいと思ってました。今作もそういったものは特に参照しませんでしたが、夢の内容とか、表に現れたものと、裏に潜んでいる物とか、それぞれの機能とか、人間関係の結びつきとか、そういったものが春樹的、ヘッセ的といわれるのはたしかにわかる気がします。

>ごくごく個人的には、そうげんさんの、今回のジャンルに大変興味があります。今回のは実験的なことだったんだ、みたいに思われてるかもしれないし、当然ながらもんじゃの趣味が鎖になるようなことはありえないんだけど、こんなふうに今回の筆に感動にも似た深い余韻を何日も転がし続けている読み手がいたということを記憶に留めていただきたく、押し掛けて、長いこと語らせていただいちゃいました。

今作。自分の中ではもんじゃさんが書かれている作品群だったり、書こうと試みられている局面というか、境地(?)みたいのが、いいなあという憧れる気持ちがつのってまして、自分でも書ける形でいいから、ちょっと心理学的なもの、それを作品に含めて書いてみたいと思ったのでした。ですのでもんじゃさんから、好印象をもって受け止めてもらえたことがよかったと思えるのでした。何日も作品のことを考えてくださったことは感謝の念にたえません。うれしい言葉です。

ここから何を書くか何を書けるかですね。

>私信にも似たたわごとを散らかしてしまったのかもしれず失礼しました。発散しきれなかったあれこれは、今後自作の創作に活かさせていただこうかと考えています。だなんて、伝わっていますでしょうか? ともあれ……。

何かを伝えたいと思っても、言葉にしないと伝わらない。こんかい嬉しかったことのひとつは、もんじゃさんが自分の好きなものについて紹介してくださったことでもありました。バッハとか、西行とか。書き手の背景を知りたいっていう気持ち。かなり強いんですよね。またいろいろやりとりさせてください。楽しみにしています!

そうげん
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もうひとつ、取り上げたかったことがあります。


>そうげんさんがヘッセや春樹の影響を受けていようが、そのことで各氏の言葉の価値がいささかなりとも損なわれることはないともんじゃは考えています。リレーされ、リメイクされ、リプロダクトされる言葉たちそのものに価値があるのであり、誰が言ったか、誰が書いたかなんて社会的かつ俗的なこと(ロイヤリティめいたこと)は創作を語る上でノイズでしかないように思われるのであります。

この中の、「誰が言ったか、誰が書いたか」が重要だという(名前を挙げますが)(旧)でしょさん、いまは、ブロンコ氏の言葉については以前も反論したとおり、わたしは「(誰がではなく)何が言われたか、何が書かれたか」を重視したいと思っています。この視点を自分の中にインストールしておかなければ、名札の派手さ、大きさに化かされてしまって、本質を見誤る可能性があります。ある程度、ネームバリューがあったり、世間で名をあげ功遂げた存在であっても、ある種の政治的意図、マネーゲームのいたずら等によって、見当はずれのことを伝えようとする可能性もあるわけです。

また、たとえばジャンプ編集部が『進撃の巨人』の価値を見誤ったことだったり、持ち込みが拒まれたけれど、自費出版によって人気に火がついて、結果臍を噛む結果になった作品も過去にはあったということを聞いています。新人賞において、固定観念に化かされてしまって、作品の真価を見誤るということが起こるのは、「誰が言ったか、誰が書いたか」――ひいては「定説とされるものに準じているかどうか」というところに隠然たる信頼感を置いているからこそ、発生する事案だと思います。村上春樹氏は芥川賞を逃しました。でも後に売れました。

有名どころのことはおくとしても、ふだんの生活で、自分の好悪は別として、ふだん仲良くしていない人でも、なにかわたしに伝えてきたときに、そこにどんな意味が含まれているかということをしっかり考えることは、大切なことだと肝に銘じています。周囲からよく思われていない人であっても、その人の行為や、文言のなかに、なにか必要な示唆が含まれているかもしれないという可能性を必ず捨て去らないように心がけています。

「誰が言ったか、誰が書いたか」に囚われることは、名に盲従することだと思います。むしろ、誰が言うにせよ、その言われたこと、書かれたことに着目して、囚われの無い目で事の理非曲直を見極めることが、適正な判断能力を失わないための要訣だと思っています。

その点では、でしょ氏=ブロンコ氏とは考え方がちがうなと思っているわけであります。

もんじゃ
KD106154133116.au-net.ne.jp

 そうげんさま

>もんじゃさんの受け止めを聴いたうえで、上のアリアドネの糸さまのところに自分なりの見解を挙げてみました。もしよかったらまた読んでいただいてなにかしらの意見を頂ければ嬉しいです。

>主人公はマリーに対して、意識の上にのぼらないまでも、(まだ幼いからこそ自覚されない)性的な関心、そして、その荒々しい発露として、マリー自身をその衝動によって殺してしまうかもしれないという予感を、心の裏にひっそり進展させてしまっていた。

 そのように読めました。

>だから彼のふだんの意識されない無意識化の中に進展していた欲の蠢動によって、夢を見てしまった。

 はい、青い衝動が、フロイト的にいうならリビドーの必然が描かれていたように読めました。

>マリーはマリーで女性側の心の働きとして、主人公に起こったのと近い心の動きによって、またふだんから親しくしている主人公との関係性、かれの言動や、行動のうらにひっそり表れてしまっていたかもしれない裏の情動に感得してしまって、同じ時期に似た夢を見てしまった。

 はい。村上春樹氏もいくつかの著書でそのような書き方をされている、ともんじゃが感じているのは先に述べたとおりです。官能が感応する。
 村上春樹氏もそうげんさんもそのあたりをあからさまには書いていない、なぜなら小説は精神分析学のテキストではないので説明をしないことでより深く表す種類の表現だからであろうと思われます。
 でもここは鍛練場でありかつ感想欄なのでうがったことを書いてしまいますが、意識に対して個人的無意識は時間の制約の外にあるけど、さらにその下の普遍的無意識(アーキタイプたちの棲みか)は時間のみならず、個と個の壁を越えて繋がっているため、ゆえに感応ということが起こるのであろうと直観します。
 念が飛ぶ、みたいなことかもしれません。深く瞑ると、つまり意識でなく集合的無意識近辺の念じかたで何かを操ると、それは時や個の壁を越えるように思います。
 シンクロニシティはこれとはまた別だけど、ちょっと似てるとこもあって、鍛練場での感想ライティングみたいな作業を似た感性が執り行っていると、やはり感応に似た現象が生じうるのかな、とか、そうげんさんとのやりとりが同時通信やニアピンや行き違いになったりすることからも半ば妄想したりしています(笑)。

>主人公の夢のなかでは老人として現れた存在は、マリーの夢の中では老人という形態をとっていたとは限らない。

 老人としてあらわれた存在、という表現がいいですね。形態としての存在。アーキタイプの具現化。

>主人公の夢でマリーは自分の胸にナイフを突きたてましたが、これは主人公側の情動がマリーを追い詰めてしまって、マリーの命を奪ってしまったという可能性が考えられます。

 春の嵐、なんて言葉を表しちゃうと、ゲルトルートをイメージしちゃうかもだけど、思春期ってやつは非常に暴力的でかつ衝動的なものかと思われます。
 小さな世界の中、近接する距離で交流していた彼と彼女は、内的な嵐にのみこまれて微熱状態にあった、だからこの縺れ合い、絡まり合いがネガティブな形で表れてしまうとこの作品のような事態が惹起しうることを我々はみな実は深いところで知っているように思います。

>マリーが井戸に飛び込むのもある意味、主人公が後ろからついてきていて、その圧迫も機能した可能性があります。

 かもしれませんね。マリーは嵐の真ん中に落ちたんじゃないかと、不安定な生から安定した死に還ったんじゃないかと感じました。思春期ってのは実に井戸のすぐわきに広がる草原なんだと思われます。

>核というものが何に当たるのか、こうして書いてみても、これだという決定打を作者自身が見いだせないのが問題なのだと思います。

 核とかテーマとか、そういうものを言葉で掬い上げるのは難しいようにも思うけれど、敢えて記すなら、思春期の危険な感応(官能ではなく感応)みたいなことかと、そんなふうにもんじゃは感じました。思春期を過ぎた大人の内にもその構造はもちろん残っているので、この種の表現は心に響くように感じられます。

>暗に相手を追い詰めてしまっていて、自分ではそれと意識もしていなくて、どうしてそうなったのか、わからないままこれからも生きていくしかない、そういう状況を戯画的に表したといえそうです。

 意識もしていなくて、どうしてそうなったのか、わからないままこれからも生きていくしかない、みたいなことばっかりなような気もします、人生とかって。あとになって、距離をおいてみて初めてマッピングできるような配置で人生は組み上がってるんだと思われます。無意識のせい。

 さて、もんじゃの位置から見て、ってことですけど、アリアドネの糸さんの今回の作品と、そうげんさんの今回の作品は似ているように感じます。むろん表しかたは違うけど、描いてる対象も、読み手に与える影響も、似ているように感じています。
 どちらも、もんじゃから見て好ましい感想も、あまり好ましくない感想も、まぜまぜでたくさん引き付けているようです。いろんなものを引き付ける磁石。いろんな読み方ができるってことです。
 フックがたくさん立ってるってことだと思うのだけれど、なぜそうなのかっていうと配置に嘘がないからだと思うのです。響く。わからなくても感応しうる。
 深いとこでみんな繋がっているから、だからこの種の表現はむしろ読者を選ばない。普遍的な表現であるかと思われるのです。
 緻密で誠実、代替が効かないアズイットイズ。ここしかないとこにうたれた碁石。
 だから、そうげんさんの老人や吟遊詩人は老人や吟遊詩人として表れてしかるべきだし、井戸はもう本当に井戸じゃなきゃいけない。
 アリアドネの糸さんのロケットは間違いなくロケットじゃなきゃいけない。ロケットをたとえば蒸気機関車に置き換えることはできない。発射は絶対に発車であってはならない。なぜ赤いボタンに漢字で発射と明記されていたのか、そこを汲み取らずに勝手にロケットを他に置き換えて読むようなことをする目は永遠に自作しか読めない。いえ自作すら読めないでしょう。中心点からの昇華は垂直に上昇するベクトルで描かれなくてはいけない。

 書かれたものは自律してますから、書き手が意識していようがいまいがおのれを語ります。書き付けられた言葉は社会的責任のような創作とは無関係な鎖に繋がれこそすれ、いち表現という点ではもう書き手のコントロール下にない。だから書き手が意図してなかったことも表します。アリアドネの糸さんの作品はアリアドネの糸さんが意識化していないことも表してるし、そうげんさんの作品はそうげんさんが意識化してないことも表しています。配置に嘘がない表現は、だからこそいろんな読まれ方に堪えうるわけです。
 その意味で、書き手が自らの作品に違う読み方があるのだと発見することは素晴らしい体験であろうかと想像いたします。

 だなんてことを、アリアドネの糸さんへのそうげんさんからの返信を拝読し感得いたしました。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

そうげん様

 丁寧な解説ありがとうございました。抱いていた疑問の正体がはっきりしたので、重複になりますが、書かせてください。

>主人公はマリーに対して、意識の上にのぼらないまでも、(まだ幼いからこそ自覚され
>ない)性的な関心、そして、その荒々しい発露として、マリー自身をその衝動によって
>殺してしまうかもしれないという予感を、心の裏にひっそり進展させてしまっていた。
 このことが作中で何らほのめかされないことこそが、核が希薄と感じた最大の理由のように思いました。意識化されない無意識が根底にある作品で、無意識を無意識として表現されたならば、それは普通は感じ取ることができない類のものです。というより、もんじゃさまの言葉を借りるとそれは角度として0度の表現になっているように思うのです。だから、アリアドネには、この作品はその「彼のふだんの意識されない無意識化の中に進展していた欲の蠢動」を前提に書き始めた作品にように思えて、そしてその前提は作品の外で決めたもので、作者しか知りえないところにあるもののように思えたのです。
 ありのままをありのままに書くという態度は、表現に対してとても真摯だと思うけれど、実際にありのままに書けるわけじゃない。無意識を無意識として無意識の内に書くのではなくて、無意識を無意識として意識できるように書く。それはあくまで、主人公にとって無意識であればいいわけで、それこそすばらしい情景描写に埋め込むとなりなんなりやり方はあるかもしれない。なんて方法論に堕するのもつまんないことかもだけど。そんな風に思いました。

 すでにお伝えした内容の繰り返しなのですが、言葉にしてみたかったです。そこはすみません。

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