作家でごはん!鍛練場
新人・A

夏の記憶

 七月初旬の平日、桐山淳也はワゴン車で幹線道路を走行していた。
 しばらくして、右手に見えるコインパーキングにワゴン車を減速させて進入させた。
 車から離れた淳也は、立ち止って、幹線道路の向こう側にある店舗付き住宅のテラスハウスに目を向けた。
 商店や飲食店が軒を並べる三階建て店舗付き住宅のテラスハウスは、外壁がベージュ色だった。
 淳也が今から向かう喫茶店は、テラスハウスの中にあった。建物の裏手は、市内を横断する住田川が流れている。市の中心を流れる住田川の河川敷は遊歩道になっていて、そこは、近隣住民の散歩コースで憩いの場所になっていた。
 その喫茶店は、三年ほど前に桐山工務店がリフォーム工事の依頼を受けた店舗だった。淳也は新装開店以来、月に何度かその店の日替わり定食を食べに行くようになった。
 テラスハウスから視線を外して見上げると、ぬけるような青空が視界に入った。まぶしいほどの正午の日差し。肌が焼けるような熱気。今日も蒸し暑い一日になる。今年の夏は、特に暑さが堪える予感がした。
 テラスハウスを眺めていた淳也の半袖の作業服に熱気がこもり、自然に額や首筋から汗がにじみでてくる。夏の熱気が火照らせていた。
 仕事用の黒色の鞄からこぶりのタオルを取り出し、顔と首筋に湧いた汗をぬぐった。そして淳也は、幹線道路を渡った。

 喫茶店の正面の壁は、木枠の大きな横長の窓があり、その右手に出入り口の木製扉がある。大きな窓ガラスに、カウンター越しで作業しているマスターの姿が見えた。
 淳也は、木製扉を押しながら店内に入った。エアコンが効いている店内は涼しくて、おもわず一息ついたような気分になった。
「いらっしゃいませ」と、初めて見るボブカットの女性から声を掛けられた。ふんわり着込んだ紺色の半袖ワンピース姿にサンダル履きの女性と目が合った。彼女は素足だった。
 落ち着いた立ち姿の姿勢がとても良くて、切れ長の涼しげな目もとが印象に残るような女性が、微笑みを浮かべている。淳也の好みのせいか、胸がときめいたような気がした。少し年下のように思えたが、どう見ても、アラサーであることに間違いはなかった。
 その女性に軽く会釈を返した淳也は、カウンター越しで調理をしているマスターに視線を送った。細身で髪の短い黒縁眼鏡のマスターは、「いらっしゃい」と言って、いつものように淳也を笑顔で迎えた。淳也は導かれるようにカウンターの端に座った。
「今日も暑いね」と、マスターは淳也に声を掛けてきた。
「そうですね」
「これから現場に行くの?」
「いえ、今日は新規のお客さんの家で打ち合わせなんです」
「そうか。忙しくやってんだね」
「いえ、仕事の方は、まあまあですよ」
「まぁ、仕事があるからいいじゃない」
 マスターが目を細めると、目尻にしわが浮かんだ。
「あの、日替わり定食にアイスコーヒーで」と、淳也は言った。
「今日の日替わりは、エビフライだけどいいかな?」
「はい、それでお願いします」
 マスターは、カウンター内の厨房で調理を始めた。
 八席あるカウンターには、四人の客が日替わり定食を食べていた。窓際には四人掛けのテーブル席が並び、半分以上の席に客が埋まっている。この店の日替わり定食は人気があった。だからお昼時は、混んでいることが多い。
 淳也が食後のアイスコーヒーを飲みながらスマホをいじっていると、背後からマスターの声が聞えた。
 カウンター席から身をねじると、マスターのそばにアルバイト女性が立っていた。
「新人のアルバイトなんだけど。こちら古川さん」
「古川千夏です。よろしくお願いします」
淳也は慌てて席から立ち上がり、千夏に会釈した。すると千夏も、愛想のいい表情を浮かべながら、軽く頭を下げた。
「こちらは桐山さんで、ゆくゆくは三代目社長」
 照れ臭そうに笑った淳也は、「あの、桐山工務店の桐山です。よろしくお願いします」と言った。そして作業服の胸ポケットから名刺入れを取り出し、中から名刺を抜いて差し出した。
 受け取った千夏は、視線を落として名刺に見入った。
「彼女は三日前から来てもらっててね。しばらく日本にいるそうなんだよ」
「外国に住んでいるんですか?」
「インドネシアのバリ島で暮らしているんですけど、父が入院することになって一時帰国してるんです」千夏は、小さな声で告げた。
「古川の親父さんは、うちの店の常連さんでね。モーニングと昼時だけ忙しくなるんで、娘さんに朝から午後二時まで手伝ってもらってるんだ」
「そうですか。じゃ、前の子は?」
「結婚するって、急に辞めたよ。彼氏とは遠距離恋愛だったみたいでね。ちょうどタイミングよく、入院前の親父さんに話したら娘さんがきてくれることになって。こちらも助かった。じゃ、また、よろしく」
 マスターはそう言って、そそくさとカウンターの奥に入って行った。
 千夏と視線が合った。
「お父さん、大変ですね」
「いえ、三日前に手術は終わりましたから大丈夫です」
「それは良かった。いつ頃、退院されそうですか?」
「術後、一ヵ月ほどで退院できる予定なんですけど……。まだ、はっきりわかりません。もう少し長引くと思いますけど。心配していただいて、すみません」
 千夏は話を途切らせて、淳也から離れて行った。

 千夏と出会ってから、淳也は休日の水曜日も喫茶店に通うようになった。その都度、少しだけ言葉を交わした。それだけでも、独身の淳也は楽しい気分に浸った。そして言葉を交わすうちに、千夏の存在を意識するようになった。
 ある休日のことだった。
 淳也は午前中、比較的空いている時間帯を見計らって喫茶店に入った。カウンターの端の席に座りながら千夏にアイスコーヒーを注文した。すぐさま、千夏はトレイに水が入ったグラスとおしぼりを載せて持ってきた。
「すぐに、アイスコーヒーをお持ちしますので」と、千夏は事務的な口調で言った。
「別に急いでいませんから、いいですよ」
 淳也の返事に、わかりましたと言って、千夏は微笑んだ。
 店は空いていたので、気兼ねなく話ができるような雰囲気があった。普段の昼時であれば、客の込み具合で短い言葉を交わすことも、ままならない。それが淳也にとって、不満に思えるようになっていた。
 居抜きの喫茶店をリフォームした後、テーブルや椅子をオーダーメイドで依頼した先が古川木工所に依頼していたことは知っていた。ただ、当時は関心がなかったので、木工所の事業規模や作業場所などをマスターに尋ねることもなかった。
 しばらくして、千夏がアイスコーヒーを運んできた。
「あの、木工所は、どこにあるんですか?」と、いきなり淳也は尋ねた。
「両親でやっている小さな木工所なんです。裏手の川を南に下って十分ほど歩いたところにありますけど」
 千夏は、笑顔で答えた。
「じゃ、近いですね」
 淳也はカウンターに置いているスマホの液晶画面をタップして、グーグルマップを開いた。スクロールを始めると、すぐに、古川木工所が表示されている位置がわかった。
 淳也は、スマホの液晶画面で場所を指し示した。
「ここですね」
 千夏は、淳也のスマホに目を向けた。
「ええ。今は閉まっていますけど」
「一度、木工所を見学させてもらってもいいですか?」
「そうですね……。母に相談してみます。いつごろが、いいですか?」
「急な話なんですけど、明日の夕方はだめですか?」
 淳也の急な申し出に、切れ長の両目を見開いた千夏は、思案に暮れるような表情を浮かべた。淳也の本心は木工所の見学ではなく、千夏とふたりで話ができる場所がほしかっただけだった。淳也に、募る思いがあった。
「明日ですか……。ちょっと、母と相談してみます。今日の夕方にはご返事しますね」
 淳也がうなずくと、千夏は目を伏せて離れていった。

 千夏からメールで連絡を受けていた淳也は、夕方、ワゴン車で喫茶店に向かった。
 喫茶店前のコインパーキングにワゴン車を駐車させると、淳也はそこから離れて幹線道路を歩いた。
 喫茶店から少し南側の位置に、住田川の河川敷に降りる石段がある。そこを下って、遊歩道を南に向かって歩いた。木工所に近づくにつれ、千夏に会えると思うと、胸がドキドキして締め付けられるような感覚を味わった。
 夕方であっても、蒸し暑い夏の日に変わりはない。微風が淳也の頬に触れて、むっとする熱気とともに、草木の匂いも立ち上って鼻腔《びこう》をくすぐった。
 しばらく歩くと、河川敷の石段が見えた。スマホを取り出し、グーグルマップを開いた。木工所の場所を確かめながら、淳也は歩き始めた。その石段を上り切ったところの道路に立つと、古川木工所の建物が見えた。
 隣地は雑草地で、ひまわりが群生している。近くに公園があり、畑も点在している。木工所の周辺は、緑の多い地域のようだ。その中に、外壁がスレート張りの平屋建ての倉庫がポツンと建っていた。
 近づいてみると、古川木工所の正面のシャッターは閉まっていた。その横に出入り口用のアルミドアがあり、その前に、オシャレなカンカン帽をかぶった千夏の姿が見えた。ワンピースにサンダル履きの装いだった。
 千夏は淳也に気づき、笑顔をみせて会釈した。
「急に押しかけて、すみません」
 淳也は軽く会釈して、言った。
「どうぞ」千夏は誘い込むように言って、アルミドアを開いた。
 木工所の中は、良くエアコンが利いているが、外にいる時よりも身体が熱いように感じた。しかしそれも、しばらくすると快適な体感に変わった。
 それとなく、淳也は作業場を見まわしていた。
 床は厚みのある足場板が敷き詰められ、壁と天井は板張りだった。二台の作業台があり、奥に合板張りの間仕切り壁があった。開口部には引き戸が付けられている。淳也は、材料を加工する機械室ではないかと思った。片隅の壁にも囲いの間仕切り壁があり、それぞれが小部屋になっていて、木製扉が付いている。一つの小部屋の扉に「トイレ」と記された乳白色のアクリル板が張ってあった。並びの扉には「事務所」と記されたアクリル板が付いている。
 しかし思っていたよりも広い木工所なので、意外だった。
 一通り眺めた淳也は、「お父さんの具合はどうですか?」と尋ねた。
「二日前に退院しました。しばらく自宅療養してから仕事に復帰できそうです。父の心配をしていただいて、すみません」
「それは良かったですね」
「車で来られたんですか?」
「いや、車は喫茶店の前のコインパーキングに入れています」
「じゃ、歩いて?」
「そうです。でも、思ったより広い木工所ですね」
「ええ。普段は父と母で仕事をしているんですけど、忙しくなると仲間の職人さんが応援に来てくれて、ちょうどいいくらいの広さになるんです。でも、両親だけの作業だと、スペースがありすぎる感じがしますね。景気のいい時期は、職人さんがいたんですけど……」
 千夏が家業のことを話すときは、瞳が輝くようだ。喫茶店で話しているときも、淳也は何度も感じていた。
「あの……」
「えっ」千夏は不思議そうな表情を浮かべながら、淳也を見つめた。
 見つめられた淳也は、息苦しくなるほど千夏を意識した。
「以前から思っていたんですけど、バリ島で何をしているんですか?」
「観光で訪れる日本人に、バリ舞踊のワークショップを開催しています。と言っても、先生の助手のような感じで働いているんですけど」
「バリ舞踊か。道理で姿勢がいいなと思っていたんですよ。古川さんの踊り、観てみたいな」
 淳也の言葉に、深い意味がありそうに感じたのか、「お見せするほど、上手くありませんよ」と、千夏は遮るように言った。
「日本には、いつまでいるんですか?」
「バリで仕事がありますので、明後日《あさって》には帰ります。本当に、お世話になりました。桐山さんから色々なお話が聞けて、楽しかったです。良い思い出になりました。厚かましいお願いなんですけど、もし、木工の仕事があるときは、父に見積りの依頼をして頂けないでしょうか。勝手なお願いで、申し訳ないんですけど」
「お父さん思いなんですね」
「父は頑固な職人ですけど、根は誠実な人です。仕事で変なことは絶対しません。それだけは、私が保証します」
 気負い立つような、涙ぐむような声に聞こえた。
 淳也は言葉を継ぐことができず、重苦しい気分になった。
 千夏は窓が気になるのか、チラチラと視線をやるようになった。淳也も倣って窓に視線を送った。まだ夕方の時刻なのに、すりガラスが薄暗くなっているように見えた。
 いきなり、すりガラスが発光した。数秒後には雷が鳴りひびき、豪雨のような雨音が耳をつんざいた。
「夕立」千夏は遠くを見るような目付きになってつぶやき、眉をひそめた。
「すぐ、止むのかな」淳也もつぶやくように言った。
 激しい雨音が聞こえていたが、しばらくして静かになった。
 千夏はすりガラスに寄って、引き違いの窓を半分ほど引いた。空は雨雲が覆っていたが、雨は小降りになっていた。
 振り向いた千夏が、突然「何時ですか?」と尋ねてきた。
 淳也は作業服の胸ポケットからスマホを取り出し、画面に目をやった。
「五時十分ですね」
「えっ、もう、そんな時間ですか」と言って、千夏は一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「すみません。これから用事があって行かないと……もう、見学の方はいいですか?」
「いいですけど……。だけど……だけど、会えなくなるのは寂しくなるな。バリに帰っても、友達として付き合ってもらえませんか?」
「友達として付き合う……」千夏はつぶやいた瞬間、驚いたような顔付きになって、まじまじと淳也を見つめた。
「友達として付き合う、と言っても、それはどういう意味ですか?」
「いや、それは……」
 淳也は、千夏の問いかけに言葉を失った。
「わたし、バリ島にパートナーがいるんです。友達として付き合うと言われても……困ってしまう」
 千夏は困惑したような表情を浮かべながら、憂いに沈んだまなざしを淳也に向けた。

                 
                     了

夏の記憶

執筆の狙い

作者 新人・A
p3196052-ipngn201011osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

短編小説を書いてみました。感想を頂けると幸いです。よろしくお願いします。

コメント

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

冒頭・・
読者からしたら、「いらないこと」の羅列で、そこでうんざりしてしまう。
げんなりしつつ読んでも、その冒頭で【主人公の人物設定が分からない】んで、

ここは、「なじみの喫茶店に今日も来た主人公」な場面から始まって、
「その喫茶店の建物?にも関わっている工務店社長である」ことを、読者に提示。

そんで、問題の新人店員さんを紹介される訳なんだけど、

>「……前の子は?」
>「結婚するって、急に辞めたよ。……」

は、紹介される前か、紹介された直後にあってしかるべき台詞なんで、
【順序がおかしい】んです!


その【順序のおかしさ】は、最初からしまいまで、ずーーっとつきまとっていて、
一文一文の「記載順序」の中にまで及んでいるから、
読みにくいし、引っかかるし、読者が白けてしまう。


初対面で、マスターから紹介されてすぐ、怒涛の個人情報開示。。
ありえないし、そんなんあったら、超〜ウザくて胡散臭いばっかしの女だ。。

そのヘンテコな女に、秒速で入れあげちゃう主人公。

で、結末が

>「わたし、バリ島にパートナーがいるんです。友達として付き合うと言われても……困ってしまう」
> 千夏は困惑したような表情を浮かべながら、憂いに沈んだまなざしを淳也に向けた。

ぶっつり終了(苦笑)。
オチがない。空振り。ある意味シュールな終わり方???


主人公はあんまり思い込み激しいばっかの単細胞だし、女は不自然な思わせぶり全開でタチ悪すぎるし、
簡単に『結婚詐欺』が出来そうだ。

新人・A
p3196052-ipngn201011osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

貔貅がくる様
感想を入れていただき、ありがとうございました。

ライダー
KD175134225224.ppp-bb.dion.ne.jp

新人・A 様

全体の雰囲気はわかるのですが、気になったところを挙げてみます。

>七月初旬の平日、桐山淳也はワゴン車で幹線道路を走行していた。

幹線道路ではなく、道路の名前をきちんと挙げた方が良いようにおもいます。幹線道路、と書くとどんなイメージもわきません。この話が都会なのか、郊外なのか、田舎なのか、北海道なのか沖縄なのか、小説の一行目ですから、まず、読者に舞台を知らせ、興味を持ってもらうことが大事かと思います。しばらくして、住田川という地名が出てきますが、私は住田川がどこにあるのか知りませんので、手がかりにはならず、よくわからない、という気持ちがずっと残ってしまいます。

>その喫茶店は、三年ほど前に桐山工務店がリフォーム工事の依頼を受けた店舗だった。

この時点で、工務店の名前が主人公の名前と同じであることに気づく読者がどれだけいるだろうかと思います。ここは、「勤め先の工務店」ぐらいにしておいた方が、読者の頭に入りやすいでしょう。さらに、後のマスターの「三代目社長」という紹介のセリフがもっと興味深くなるように思います。

その後の、千夏と純也の関わりをもう少し書き込んでいいように思います。いきなり終わってしまって、読者が置いてけぼりにされたような感じがします。夏の記憶というタイトルと、千夏という名前にはなにか関係があるのでしょうか?主人公にとって、夏、という季節に意味があるのか、ということですが・・。もしそうならば、もう少し説明しないと、もったいないです。

新人・A
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ライダー様
感想を入れていただき、ありがとうございました。
私自身、公開した短編小説は粗削りだと思っています。物語の構成もしかりです。このサイトで、読者からの感想を頂いた上で推敲を重ねたいと思いました。それが、こちらで公開した趣旨です。

>幹線道路ではなく、道路の名前をきちんと挙げた方が良いようにおもいます。
>住田川という地名が出てきますが、私は住田川がどこにあるのか知りませんので、

等の件ですが、この物語の舞台設定は架空の街です。ですから幹線道路の名というよりも、幹線道路の光景を描くことのほうが大切ですね。また、他の疑問点などの有益な情報を知ることができて、うれしく思っています。
温かい心遣いに感謝します。ありがとうございました。

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