作家でごはん!鍛練場
タクラマカン砂漠

サラバ(サバ缶が好きすぎて彼女と別れた話)

 サバ缶と私、どっちが大事なの!?と彼女は言った。脳漿の代わりにサバ缶の汁はいってんじゃないの!?とも。

 やれやれ、この僕にそんなことを言った女ははじめてだぜ!

 まずはっきりさせておきたいが、僕はサバ缶が大好きだ。愛してると言ってもいい。一日一缶は必ず食べる。いや、ちょっと嘘ついた。一食につき一缶は必ず食べている。朝はサバサンドがおすすめだ。残った汁ももちろん捨てはしない。コンソメで味をととのえ簡単なスープに仕立てれば、どうだい立派な朝食だ!昼食用には主に味噌煮缶をもっていく。コンビニおにぎりと合わせるのが通常だが、時間がなければ味噌煮缶のみで済ませることもある。夜ともなればもうパラダイスだ。僕は自由気ままにサバ缶と戯れることができる。その果てしない遊戯の内容をここで伝えることもできるし、そうしたいのはやまやまだが、それっぱかしはやめとこう。そういうのは野暮っていうんだ。だいいちそんなことはじめたら時間がいくらあっても足りない。もし万一君が僕の語りを宇宙線並みに普遍的で永続的なものに近づけたいと思うなら、そのときには僕とサバ缶の夜の営みについてこっそり訊ねにくるといい。つまりそういうことだ。

 でもさ結局特殊なプレイとかってやつは余剰的な彩りでしかないよね。愛だよ愛。純粋な愛こそがすべてなのさ。何が言いたいかって、水煮缶をそのまま食べるのマジ究極。最後はやっぱここに帰ってくるワケ。ただいま、マイスイートホーム。

 サバ缶とは結局海そのものであるわけなのよ。あのささやかな円筒の中に大切に大切に封じられた小さな海であるなわけなのよ。

 それを封切る瞬間の感動とある種の突き刺さるような悲しみは何度繰り返してもすり減ることがない。僕はサバ缶と他のすべての缶を封切る時のわずかな音の違いを聞き取ることができる。そう、今の僕にならきっとできる。

 そんな僕に、いったいなんだって彼女はあんな大それたことを訊ねたのか?問題はそこだ。

 仕事帰りにスーパーで買い物を済ませて帰ってきた彼女はどこか得意げだった。なぜだろう、嫌な予感がした。ってより嫌な予感しかしなかった。
「どうしたの?」
「ふふーん、見てよコレ」
 彼女が買い物袋から取り出したのは、ああなんということだろう、やはり悪い予感は当たってしまった。

 それは鯖だった。発泡トレーに横たわった、丸のまんまの、鯖。

「コレジャナーイ!」僕はおもわず叫んでいた。
「はぁ!?何がよ?だって鯖好きじゃん。安くなってたからわざわざでっかいの買ってきてあげたのに」と彼女。
「買ってきてあげただって?」過熱した頭が急速に冷えていく。「いやはやそういうとこだよ、おまえさん」
「は?意味わかんないんだけど」
 言葉が自身の響きだけでおのずから尖っていくのがわかる。でももう引き返せない。
「僕が好きなのはサバ缶だ。鯖じゃない。おまえさんはいつもそうだ。人の話を聞かない。聞かないくせにいっちょまえに聞いた気になっている。結果、超ざっくりしてる。冬のニットじゃきかないくらいにはざっくりしてる。みかんネットくらいざっくりしてる」
「あんたこそそういうとこでしょ!自分のこだわりばっか押し付けて、人には気のひとつもつかえないでさ!あーあマジ最悪。缶に入ってるか入ってないかだけでこんなブーブー言われるとか。ほんっと小さい男だよねー」

 仕方ないので僕は語って聞かせてあげた。滔々と。鯖とサバ缶とでは太陽とひまわりくらい違うこと。つまり全くの別物だということ。サバ缶は最も新鮮な状態でパッケージングされており、チルドの生魚なんかとは鮮度の面だけとってみても雲泥の差であること。ていうか丸のままの鯖って気持ち悪くない?なにより最悪なのが目を閉じる機構がないこと。死んだ目に見つめられるってマジやばくない?切り分けたら血ぃ出て、内臓ぐちゃぐちゃしてて、そしてどんだけ細かく切り分けてもやっぱり目だけはこっちを見つめてて。サバ缶の、清浄で、完成された、美しき小さなイデアとは、比べるべくもない、というよりもうカンペキ真逆じゃん?

 不思議と心は刻一刻と澄み、冷めていった。そして僕と彼女との間にはいつからだろう、もしかしたらずっとずっとそうだったのかもしれないが、熱力学的な平衡みたいなものが成り立っていたんだ。で、そうなるべくして過熱し激昂した彼女は、ついにこう叫んだワケ。

 サバ缶と私、どっちが大事なの!?って。

 それを聞いて僕は、ゆっくりと目をつむった。すると穏やかな笑みが内側から溢れてくるのを感じた。

 僕が答えをつむぐのと、彼女のビンタが僕の首を半回転させるのとは、ほぼ同時だった。

 いや、いま確実に答える前から殴るモーションに入ってたよね?答えた瞬間に音速を超えてきたわけじゃないよね?

 脳漿の代わりにサバ缶の汁はいってんじゃないの!?との捨てゼリフを残して彼女は部屋を飛び出していったけど、それはもちろん僕には褒め言葉以外のなにものでもなかった。

 サラバだ……何かの縁によってひとときこの世で隣り合った人よ。

 僕と、サバ缶と、彼女。もしも僕らが布団の上で川の字になって眠ることがあったとしても、彼女が僕とサバ缶との間に寝場所を占めることはなかった。きっとなかったんだ。だけれどあえてそれを試みずにはいなかったヒステリックグラマーともいうべき彼女の蛮勇をいま、ひどくなつかしく思い出す……

 それはそうと、鯖だけもってってくんないかな。なんかずっとこっち見てんだけど。

サラバ(サバ缶が好きすぎて彼女と別れた話)

執筆の狙い

作者 タクラマカン砂漠
Phila-gw.customer.alter.net

人と人とは遠かったです。鯖とサバ缶くらい。

コメント

夜の雨
ai208072.d.west.v6connect.net

「サバ缶」私も好きだけれど(笑)。

値段が安いわりに健康食です。
私がサバ缶を好きなのは、DHA(ドコサヘキサエン酸)や EPA(エイコサペンタエン酸)などの高度不飽和脂肪酸 - ω-3脂肪酸(Omega-3)が多く含まれているから。
特にEPAがどの程度入っているのか、サバ缶を購入するときはチェックしていました。
サバ缶でも種類により、DHAやEPAの入っている量が違う。
なので、近頃のサバ缶のDHAやEPAが少ないと見るや「さんま缶」もチェックするが、狙い眼は「いわし缶」。これのDHAやEPAの入っている量が半端ではない。
一般的なサプリメントを圧倒しています。
従って二日に一缶食べれば十分です。

EPAとDHAの違いはというと「EPA」は血液サラサラ効果で、血液や血管に様々な効果があるので、大人の健康によい。
DHAは脳や神経に存在するもので、神経の発達段階の子供、つまり成長期の乳幼児にはDHAが必要ということになる。

なので、私たち大人にはEPAが必要。
健康に興味がある方は、ネット検索してください。


で、御作ですが、サバ缶が好きなのはわかりましたが、具体的にサバ缶のどこに魅力を感じるのかが、書かれていません。
このあたりを健康に絡めて書くと、彼女とサバ缶が主人公にとってどちらが必要なのかが、健康面というあたりからは、伝わるのではないでしょうか。

タクラマカン砂漠
Phila-gw.customer.alter.net

えー、DHAって大人にはあんま意味ないんですか?知らなかった……
そして栄養的な狙い目はイワシ缶……普通に勉強になっちゃいました。ありがとうございます。

なるほど、しっかり書いたつもりでいたんですが確かに言われてみたらどこに魅力を感じるのかってほぼ書いてないですね。たぶん新鮮だってことくらい……

健康の観点から彼女が必要ないというのはなかなかパンチのある結論ですが、執着って意味でも確かにもっと書き込むべきだったかもしれませんね。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

軽く笑えるユーモアがあっていいですね。
面白いです。

で、面白いポイントは、ここですね。
>「コレジャナーイ!」僕はおもわず叫んでいた。
カタカナで記している点に作家さんのセンスの良さを感じさせます。

そして
>いや、いま確実に答える前から殴るモーションに入ってたよね?答えた瞬間に音速を超えてきたわけじゃないよね?

すでに彼女は答えを知っていた、ということでしょうね。
マンガチックですね。この辺の表現力は勉強になります。

>それはもちろん僕には褒め言葉以外のなにものでもなかった。
「どんだけ鯖缶が好きなんだよ」というツッコミを入れたくなりますね。
いいですね。

こだわりの男ということでしょうね。
良作だと思いました。
ありがとう御座いました。

夕凪
124-18-36-149.dz.commufa.jp

非常に面白いと思います。ユーモラスで勢いがあって素敵です。
作者さんの他のジャンルを見たことないのでわかりませんがユーモアのあるこの手のジャンルにとても向いてると感じました。勢いを最後まで殺すことなく書き切る事って簡単ではないと思うのでちょっと羨ましいです。私は苦手なんです。
今度はもうちょっと長いのとかいかがですか。楽しみにしています。有難うございました

タクラマカン砂漠
unitect.io

宛名書き抜けてました、最初のコメントは夜の雨さまにです!ありがとうございました!

タクラマカン砂漠
unitect.io

偏差値45さまへ

面白い、良作だと言ってもらえて僕はとてもうれしいです!

「コレジャナーイ!」について。
センスがいいだなんて、生まれて初めて言われたかも、あわわ……

マンガチック、ほんとですね。これは時々でいい面よくない面ありそうだから気を付けたいです。
でも彼女のビンタは実際のところ、音速を超えてたのかもしれません。なーんて。
だとしたら首がもう半回転くらいしちゃうかな笑。

「どんだけ鯖缶が好きなんだよ」
的確なツッコミをありがとうございます笑。

こだわりの男、仰る通りですね。
「こだわりの逸品」みたいにいい意味で使われること多いですけど、こだわりって悪い意味メインの言葉ですよねたぶん。
ちなみに主人公はこのあと、テレビの健康番組でサバ缶が奨励されたことにより心身ともに(主に心の面で)人生最大の危機にさらされることになります。嘘です。

ありがとうございました!

タクラマカン砂漠
unitect.io

夕凪さまへ

非常に面白いだなんて……涙がちょちょぎれました。
でも僕は人の涙がちょちょぎれたところは見たことがありません。
というより、ちょちょぎれるっていったいどんな状態なんでしょう?
……しまった、妙なことに気を取られてしまった。
ありがとうございます!

ユーモア系、向いてるでしょうか?そう言ってもらえるとほんとにうれしいです。
でも題材に助けられただけかもですよね。題材が勢いをもってて、その勢いだけで乗り切れちゃったのかも。

長いのも、書けるかどうか分かりませんが、考えてみたい気持ちになってきました!単純ですね笑。

夕凪さまからもらったお言葉だけで、しばらくはこの東京砂b……タクラマカン砂漠を強く生きて行けそうです!
ありがとうございました!

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

 サバ缶を好きだというこの主人公の底の浅さが見えるのは味噌煮缶をもプッシュしているところにあるように思う。主人公が自ら述懐しているように、水煮こそ、その風味やら栄養やらドコサヘキサ塩酸やら醸した生臭さやらついでにアニキサスの兄貴まで、めっきり凝縮した至高かつ究極な形であることは、わざわざ証明するまでもないでしょう。大事なことは、水煮と味噌煮との間にもなお埋めがたい歴然とした差があるということです。だから、まだまだ、サバ缶愛が足りない、と言いたい。(ちなみに鯖缶じゃなくてサバ缶な)
 ただ、彼の主張も分かります。サバ缶が好きな男に鯖を買ってくるのは、ワインが好きな女に1kgの徳用干しぶどうを買ってきて「たあんと、お食べ」と言うようなものだと思うし、男なんかいなくても生きていけるけどワインがないと生きていけない。それにワイン風呂ってやつもあって、なんだかお洒落じゃない。そこはかとなく狂っていて。

 などという妄想が捗るぐらい、楽しく読ませていただきました。

 超どうでもいいことですけど
>「いやはやそういうとこだよ、おまえさん」
 おまえさん、という響きがとても好きです。まなざしが優しい感じがして、主人公に好感が持てたというか、彼女のことそうとう好きでしょ、この主人公と思ったり。

 面白かったです。

夏の魔物
KD106180022024.au-net.ne.jp

→ 夜ともなればもうパラダイスだ。僕は自由気ままにサバ缶と戯れることができる。その果てしない遊戯の内容をここで伝えることもできるし、そうしたいのはやまやまだが、それっぱかしはやめとこう。そういうのは野暮っていうんだ。だいいちそんなことはじめたら時間がいくらあっても足りない。もし万一君が僕の語りを宇宙線並みに普遍的で永続的なものに近づけたいと思うなら、そのときには僕とサバ缶の夜の営みについてこっそり訊ねにくるといい。つまりそういうことだ。

はじめの「やれやれ」とこの部分が初期の村上春樹っぽくて個人的に好みでした。

しかし、引き込まれる語り口ですね!

サバ缶の素晴らしさを熱弁しながらも彼の口調は終始軽いままです。彼女と喧嘩をした(または、別れるかもしれない)ことさえ、他人事のようです。
それが私には、単に彼はサバ缶愛と彼女への愚痴をこぼしたいのではなく、まるで自分のユーモアたっぷりの性格(または、過度にサバ缶を愛してしまう愚かさ)を自覚している上で語っているように見えました。

同じようなテイストで短編にチャレンジしてほしいな、と思いました!
以上です。

タクラマカン砂漠
unitect.io

アリアドネの糸さまへ

痛いとこ突かれちゃった、と「僕」はきっと思ってますね。たぶんパニックになってるんじゃないかな笑。

でもね、きっと愛ってものはいつも、ずいぶんと長い距離ずいぶんと長い時間を、浅はかさと伴走してゆくものなんじゃないでしょうか。そして浅はかさは、愛が十分に深まったあとでもきっと煙のように消えてなくなるわけではなくって、もうずっと遠い地表の同じ緯度経度を、やっぱりいっしょに走ってるんです。深さがずいぶん違っちゃったせいで、もう伴走してるって感じがしなくなっただけでね。

なーんて笑。

アリアドネの糸さまの感想がとてもするどくて気が利いてて、つい筆が走っちゃいました笑。

たぶんもう掲載終わっちゃってると思うんですけど、前にこのサイトで読ませてもらってとても好きだった小説があって、おっぱいを扱ったお話だったんですけどね。扱った……というか、そんな言葉じゃ適切じゃないくらいにはおっぱいに満たされたお話で、でも全然下品じゃなくって、なんていうか、もう原文もないしうまく言えないんですけど、それはなんだかこう、とても愛を知ってる人の小説って感じがして……今回僕が何人かの方から褒めてもらった方向性のひとつの理想なんじゃないかって気もしてるんですよね。またあんな小説を読みたいし、自分でも書いてみたいなって気がしてます!すごく分かりやすく主張してくる形じゃなくてもどこかに確かに「愛のある笑い」っていうのが、なんだか急激に僕の中でテーマになってきました!なんせこんな好評を受けるとは思ってもなくて……やっぱり単純ですね笑。

だから超どうでもいいとおっしゃりながら挙げてくださった印象が、現金なものですけどとてもうれしくって。(本文に直接書かれてない彼の答えはひょっとしたら、「サバ缶」っていう取り付く島のないものではなくて、「両方」とか「選べない」みたいなものだったのかも?どちらにせよ、彼女の身からすると不正解に変わりないですけど笑。)

ちなみに彼はこのあと宣教師になります。サバ缶の素晴らしさだけを広める、広めるべきはそれ以外一切ない、超シンプルで力強い宣教師です。そして彼女に会いに行きます。なぜって、彼女が彼同様サバ缶を心から愛するようになりさえすれば、もう彼らの間にどんな障害もないからです。いや……どんな障害もない、と言えばさすがに嘘になるでしょうか。なぜならこのあと彼らの間で、あの幻の「川の字問題」が現実のものとして浮上することになるのですから……。

○サバ缶 ×鯖缶 の件も完全に理解して下さってありがとうございました!鯖缶というものは原理的にこの世に存在しません!

タクラマカン砂漠
unitect.io

夏の魔物さまへ

かっこいいお名前ですね!まだ夏が過ぎ去っていなくてよかった笑。

確かにご指摘の箇所は村上春樹っぽいかも……いえ、自分でもどこかで気づいてたかもしれません。あんまりぽすぎるとけっこう村上春樹警察が怖かったりするので(ごめんなさい冗談です笑)、意識してバランスは大事にしなきゃかもですね。

引き込まれる語り口……えー、ほんとですか、めちゃくちゃうれしいです!

それから他人事感と立ち振舞いや語りへの自覚……これは彼が痛いんじゃなくて、普通に僕が痛いです……。
そっか、確かにですね。一人称ってそういう難しさがあるんだなってご指摘を受けて分かりました。

短編執筆をおすすめして頂いたのも、なんだかすごく適切な感じがしてます。語り口を動力にしたとして長編にはさすがに苦しそうですし、たぶん全然能力も足りてないと思うので……。

的確で目にも留まらぬカットインって感じのご感想でした。ありがとうございます!

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