作家でごはん!鍛練場
踊り場

リマインダー

 日向はやたら暑く、日陰はやたら肌寒かった。

 どうやら九月も半ばのその森林公園に、おれにとってちょうどよい居心地の場所なんてものは、どこにも存在しないらしかった。おれは諦めていちばん手近なベンチ(という名の朽木)へ、投げやりに腰を下ろす。大きな木陰にすっぽりと呑まれる形で。

 肩越しに見上げると、妙に立派なナナカマドが、覆いかぶさるように、あるいは空を塞ぐように、枝葉を広げている。当然ながら、とうに花は終わっていた。しかし枝先にまとまって垂れた実は、死にぞこないの夏をその一粒一粒にぶらさがらせるかのように、いまだ青くて固そうなままだった。そういえば昔は、よくナナカマドについてるカミキリムシを、片っ端から採って遊んだっけな。





 十分に噛んでやわらかくしたガムを他人の背中にくっつけるみたいに、いちいちだらしなく伸ばした語尾で絡みついてくるやつなんかとラーメン屋に行こうものなら、つられて麺まで伸びてしまいそうだ――というのは、もちろん冗談だが。

 昼休み。「パイセーン、ラーメン行きませーん?」とかほざくチャラい後輩の誘いは秒で断って、公園へ向かった。
 コンビニで買った一番でかくて一番栄養のなさそうなパンと、おそらくはシュリンクフレーションによって500mlに満たなくなったのだと思われる、中途半端な容量のコーヒーボトルを携えて。

 バッグの中でスマホが鳴る。しばらくして切れても、またそのうち鳴り始める。

 肌寒さに首をこわばらせながらパンの包みを開ける――ときにはもう、灰色がかった包囲網がゆったりとベンチを取り囲んでいた。細かく千切ったパンくずを放ると、ここぞと競ってついばみに来る。
 鳩だ。

「よーしよし、たくさんあるからなー。平和の象徴が醜い争いを繰り広げんなよー」

 そうそう、おれのことなんか全然かまわないでいいからねー、おれの分まで君たちがたくさん食べるんだよー。

 というか、食欲など、はなからなかった。
 もちろん鳩のほうでも、言われるまでもない、おれのことなど、はなから眼中にありはしないのだった。

 はなから。
 そう、はなから。

 ……うん、おかしいな、鳥目かな。

 ちょっとしたムツ◯ロウさん気取りで、ただ無感動にパンを撒く。

 無感動――いや、確かに餌のやりとり自体には何も感じない。ただ、底なし沼のようなこの木陰に、やつらが次から次へと、のんきに足を踏み入れてくることには、なんというか……ちょっと、暗い喜びを感じないでもないんだよなー。

 つーか、おまえも語尾伸びてんじゃん、だとか、そんなのきっと気のせいだ。スマホは断続的に、ひとつの音列を奏でつづける。





 午前中、営業職の中途採用の面接を一件こなした。

 現時点で高周波誘導加熱装置がどうのなんて専門的な部分を深く掘り下げるつもりはもちろんなかったのだが、メーカー営業に欠かせない製造過程への基本的な理解力の面からして――

 なんて、そんなことを言えるレベルならよかった。

 それ以前に、根っから営業に向かない人物であることが、対面して二秒で分かってしまったのだ。あからさまに漏れそうになるため息をとっさに隠した自分を褒めてあげたい。というか、自分自身でも少し意外だった。やさしさの欠片の欠片くらいのものは、おれの中にもまだ残っていた、ということなのだろうか?

 青年の顔を思い出す。日に焼けておらず、おまけに血の気が引いて顔色はほとんど真っ白だった。

 顔を合わせるのに一秒。ほんのわずかだが、怯えたように宙へ視線をさまよわせるのに半秒。それから心を奮い立たせ、再びこちらへ視線を据えるのに、もう半秒。言うまでもなく、その時点で勝敗は決していた。

 面接の大半は雑談に終始した。おれがそのように仕向けたのだ。これ以上、仕事の話をしても仕方がなかったし、無意味にプレッシャーを与え続けるのも酷だと思ったから。
 彼はつとめて気丈であろうとしていた。顔はもう白くはなかった。むしろ流血したみたいに赤かった。深く勢いよく頭を下げ、それから踵を返す彼の着慣れないスーツの背中におれは、癒しがたい亀裂をはっきりと見て取った。





「大丈夫、大丈夫。死にゃしないよ」

 ことさら軽く響くように呟いて、パンを散らす。石畳のうえ、できるだけ均質に、偏りがないように。鳩は無心で、首を前後させている。
 必然、夢中で地面をつっつくその後頭部にこそ、いくつものパンくずが飛来し衝突するわけだが、そんなこと、やつらはまるで気にする様子もない。

 なんなら、豆腐の角で頭を打つ、みたいに、パンくずで頭を打って死んだら面白いのにな。
 ……いや、面白くはないか。

 スマホが鳴る。今日のことを考えているうちに昨日は暮れ、そしてまた今、明日のことを考える。

 そうだ、やるべきことが、たくさんある!

 それは負担なんかではなく、やりがいだ。
 生きがい、と言い換えてもいい。

 やはり最初は、散らかりきった部屋を片付ける。ここから始めるべきだろう。もうこれ以上散らかりようがないところ、つまり底の底まできているわけで、こうなればシメたもの、あとは上がっていくだけだ。

 一通りの片付けを終えたら――スマホが鳴る――次は料理でも始めよう。幸い、最古参の女性社員から伝授されたタンドリーチキンのレシピが手元にある。レシピというものは偉大だ。行くべきところに正しく導いてくれる。そう、正しい場所へゆくためなら、おれは喜んでレシピの奴隷ともなろう。

 もちろん、奴隷になることを拒み、誇りひとつを友にして、やおら鳥の羽根を蝋で固め始める類の迷子さん、あるいは自殺志願者さんもまた、ある意味ではたいへんに偉大であり、尊敬に値する、とおれは思うものだ。しかしながらやはり(スマホが鳴る)個人的には、そうした結末は願い下げだと言わざるを得ない。幼い頃、古式ゆかしきロールプレイングゲームも、それとはなしに示してくれたではないか。

 いのちだいじに、と。

 そうだ、ジムにも行かないとな。ほとんど捨て金になりつつある月会費分を、ここから一気に取り戻すのだ。そういや、スポセンでボルダリングできるようになったってホントかな? おいおい、どうするよ、スパイダーマンばりに壁とかのぼっちゃう? あとなんだ、近々役所には届を出しに行くことになるだろうし、そうだ足の爪切ろう、それから接触冷感の敷きパッドはそろそろ洗って干して押入に仕舞うべきだし来週の刑事コロンボの録画予約を忘れないように、よし死のう!





 スマホが鳴っていた。
 急き立てるように。責め立てるように。

 おれはファスナーを開け、バッグの中を探る。

 どうしようもなく、声を聞きたいと思った。

 たとえ、それがおれをなじる声でも。
 存在すら否定する言葉だったとしても。

 手のひらの上で、音列が途切れる。





 立ち上がり、日陰と日向の境を越えるとき、石畳のむこうに陽炎を見た気がした。

リマインダー

執筆の狙い

作者 踊り場
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自分なりに前回より現実的に書いてみた。
もっと効果的な方法があるようにも思うのだが、残念ながら今のところ知恵も技量も足りない。
諸兄の教えを乞いたく思う。

コメント

島崎
e2e-14-141.e2enetworks.net.in

技術的にああのこうの言うのは識者に譲るとして、単純にあまり面白くない。
ストーリー上の変化や転機、納得感のある結末がないからだと思う。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

 とても感覚的な感想になるけれど、見るべき先を定めずにとにかく立体視したらこうなった、という小説のように思えた第一印象。それから、語られる言葉がどこに辿り着くべきなのかなんてことを頭の片隅に置きながら、作中の語りの流れを読んでいると、要所要所でのみ、切実さをピンセットでつまむように立ち昇らせているような気がするのだけど、全体的には全然とりとめがなくって、ナンセンスジョークのようなものを聞かされている気分。響かせないことで届かせる。これってつまり、何かを象ろうとしているくせに、目的を特にもつわけでもない(ように思える)語りだからなのだろうか?
 それでもなお、ただしく導かれた無軌道はただしいところへと連れて行ってはくれるのだろうという予感はあるし、何より、海に潜るよりも海から浮上するときの方が難しいなんてことをどこかで本能的にどこかで知っているわたしたちは冷たい海流と温かい海流との境を探り当てることができるのかもしんない。まあ、たとえ浮き輪で海面にぷかぷか浮かんでいたとしても、潮の流れが急に変わって、びっくりするほど冷たい海流をお尻に感じることもあるわけで、潜らなくたってぜんぜん油断ならないことには変わりないのだけどさ。
 でもまあ、あたしは海女さんをやれるほどガチ勢な人ってわけでもないし、スキューバダイビングぐらいは嗜みたいと思ってはいるぐらいのちょいガチ海人群所属なんだけど、だからかな、正しいやり方ってのがあるというそもそも実感したいというよりは正しいやり方の中身を感得したいのであって、原理主義ではなく現実主義みたいな。一枚の絵を成り立たせる方程式ではなく、その絵の形そのものを知りたいのであって、そこから帰納的に方程式的な何かを得られればまあラッキーというか、ちょうガチだから豊かでいられるというか、そもそも方程式は方程式として方程式のまま成り立ちにくいのが小説って方法なんじゃないのって思わなくもない。設計家と建築家の違いみたいなもん。
 あとは、この小説は雑音ばっかなことを書いているくせに隙がまるでないのはそういうふうに仕向けているからなのだろうけれども、だからってわけではないのだけど、この技巧的な小説の中で、もっとも注意深くあるべきはその技巧にこそあって、つまり技巧だけで成り立っている部分こそ小説が持つべき豊かさがそがれている部分に思えたりする。よくわからなかったのは、主人公はただしいところにたどり着けたのだろうか?ってこと。陽炎はマボロシでもある一方で、影の辿りつく場所でもあるわけで、陽炎一つとっても解釈の幅があるし、日向と日陰についてもそう。解釈の余地があるってことは必ずしもよいことではない。無限の可能性を雄弁に語るために象徴するのであって、つまりそれは豊かさの源泉たるものであって、無限の可能性を可能性のままつめたい棺の中に入れておくような象徴化は死んでいるように思います。文字通り。
 感覚的な部分が多い感想なんで何を書いているかわかんないと思いますが、何かしら感じてくださればと思い、無手勝流に残すことにします。

きさと
p97230-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

ここはどこ、今はいつ、周りには何がある、どういう人、といった基本的な、きっと作者さんの書きたいことからは一歩逸れたところにあるものにも目を向けるのがいいと思います。我々の住む地球には地面というものがあり、地面をゆっくり歩いてこそ空気のきれいさを味わえるというものです。

羅愛
124-18-36-149.dz.commufa.jp

 お久しぶりですね。今回もなかなか頭を使わせてくれるではないですか。踊り場さんらしさが残っていて良いですね。
さて感想ですが、自分のあってないような読解力で理解しようとしたので解釈がバリバリに間違ってる可能性があることを先に断っておきます。
 最初のほうは踊り場さんが純粋に普段の生活で見かけてピンときた一場面だったのではないかと感じました。
街で歩いていたか、ふと家から出たときに見かけたか。違ったらごめんなさいね。何はともあれ、その一文である
「死にぞこないの夏をその一粒一粒にぶらさがらせるかのよう」はいい表現だと思いました。
 途中途中で主人公の会話文(独り言)を挟んでいるのでだれなかったのではないかとも思いました。ただしゃべり言葉とその他、口に出したかそうでないかの違いですがだからこそその二つの大きく違うところに少し違和感を感じました。
何というかしゃべっている人間と語っている人間は同一人物なのか、と。
中盤などで出てくる
「なんなら、豆腐の角で頭を打つ、みたいに、パンくずで頭を打って死んだら面白いのにな。」などの言葉遊びは踊り場さんらしいとにやりと笑うのが禁じ得なかった。ようするに面白い。
 主人公はきっと40代から50代くらいで奥さんか誰か主人公にとって大切な人から電話がかかってきている。トラブルを抱えている。そんな感じだと思った。これも違ったらごめんなさい。ちなみにどんなテーマで書いたのかも教えてもらえたら嬉しい。テーマの立て方次第ではあなたが全く間違っていない可能性があると思います。踊り場さんも主人公と同じ年齢層だったりしそうですね。自分の感想見返してたら文体が一致していなくて踊り場さんの事言える立場でないと思ってしまった。ありがとうございました。

夏の魔物
KD106128048052.au-net.ne.jp

2つ質問です。

「いのち大事に〜よし死のう」の流れがわからなかったです。
+の記号と関係があるのでしょうか。

この作品では、+でエピソードを区切っていますが、場面の転換以外に何か意図があるのでしょうか?

それに意味を持たせるのも私は、「効果的な方法」の一つであると思います。

この作品は、終始ゆっくりとした(冗談を挟みつつ、軽快な)口調で進み、ありきたりな終わり方になってしまっています。
そこで「風の歌を聴け」を読んでみることをお勧めします。(もちろん既読だとは思いますが…。その場合は、もう一度!)

踊り場
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島崎さん

ぐうの音も出ない。もし次があるなら、そのときは今度こそ「姉さん、事件です!」と高らかに宣言してみたいものだ。ちらちらとカメラに目くばせなぞしながら。

率直な感想、たいへん参考になった。有難う。

踊り場
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アリアドネの糸さん

まずは、またこうして少なからぬ時間と労力を割いてくれたことに感謝を伝えたい。

>何かしら感じてくださればと思い

もちろん、感じるところは多い。ただ、いざこれに返信するとなると、いったいどうしたものかとかなり悩んでもいる。

まず、アリアドネの糸さんほどの知性と読解力をもってしても本作が読まれなかったということだけははっきりわかった。相性の問題、とはもはや言えないだろう。(いや、それほどの知性だからこそ取っ組み合えているだけで、もしかしたら相性もすこぶる悪いのかもしれないが。)

なんにせよ本作が問題点だらけの駄作であることにおそらく疑いはない。(むろんこの場所では必ずしも駄作の提示イコール失敗ではないわけだが。むしろめちゃくちゃにひび割れた構造体の方が話すべき余地を多く保持していることも少なからずあるだろう。まあそれもこれも話し相手が存在しなければ意味のない話ではあるが。)

で、今回、返信のいくつかのパターンをかなり真剣に検討した。その中には前回同様、いや、前回よりもさらにえげつない自作語りの案も含まれており、それはすでに草案にまとめてもいる。(どうやら私は見苦しい独善がすぎるらしいので、元々の予定として今回はあまり自作語りをしないつもりでいた。が、よくよく考えてみると別に自分自身それを悪いとも思っていないらしいことに気づいたので、自重すべき理由というものは今のところない。)ただ、それを踏まえた上で、今回の返信ではそれを採らないでおこうと思う。

……いや、とはいえやはり少しは書くとしよう。おそらく返信本体は、考えられるパターンのなかで最悪のものになると思う。(前回の一通目よりもたぶんひどい。)その前置き、というわけでもないが。

まず、内容以前に私が今作でやろうと思っていたことは「一応でもいいからペラいちで読める表面を作ること」だ。ここでの「読める」は全体的な印象としての可読性の話じゃない。「作中において事実と認められるような物事をベースとして、話の筋をひとつづきに記述できる」、といった意味だ。この意味において、夢のような特殊な小説空間で語りが進行する前作は、そもそもペラいちで読める地面がなかった。前作と今作は比較しやすい二作であるから、シンプルにここの部分の硬度を上げることによる変化を見たかった。(つまり「現実的に書いた」旨の記述それ自体は、個人的にこのくらいの意味しかなかった。そしてこれに対し、「ペラいちでの読み筋があったからって、そのことのみをもって「現実的」と呼べるわけでは全くありませんよ」、というのがきさとさんのしてくれた指摘だったと私は理解している。)

で、そもそもなぜこういう意図を抱いたかというと、前作を投稿してみて、微視的な表現の重層性は基本的に読まれないか、そもそも興味を持たれない可能性が高いように感じたからだ。となると、ほとんどそれだけで成り立っているような小説は、すでにあらかじめ壊滅しているようなものだということになる。

そういうわけで、前回の夢的な小説と違って今回はペラいちでも一応は読める形になっている。(結局ここが「一応」でしかないところ、ストーリーが動的でなく、いわゆる「やおい」的なものであることが、最も大きな問題のひとつなのではないか、とも感じているわけだが。)

さて、本作の中心的な筋は(言うまでもないだろうが)「スマホへの着信をリマインダーに見立てる」というワンアイデアでできている。何に向き合わせるためのリマインダーであるかは作中に明示されていない。ただ、「リ」マインドである以上、全く知らなかったものでないらしいことは確かだ。

そしてこれも書くまでもないかもしれないが、一応ペラいちの内容を書き起こしておく。

会社の昼休憩、主人公は後輩の誘いを断って公園に行く。そして日陰にあるベンチに座る。そこで自ら昼食を取るわけでもなく(食欲もなく)、鳩にパンをちぎって与える。その間、まず午前中におこなった面接のことを思い出し、次にこれからやるべきことについて、やる気マックス風に次々思いをはせ、それからいきなり閾値を超えて突き上がる希死念慮におそわれる。上記のあいだずっと断続的に鳴り続けていた電話をようやく取ろうとするが、結局失敗する。そしてベンチから立ち上がり、日陰を出る。(そのとき陽炎を見た気がする。が、内的な変化は明示されない。のでとりあえず、現象面ではたぶん、このあと普通に帰社したのだろうと想像される。)

今作にありうる読みのプロセスとして、おそらくこれは多くの読者にとって最初の読みであり、また、そのうちの大多数にとっては唯一の読みになるだろうと思われる。(そしてはっきり言ってこれは、お世辞にも面白くはない。山がない。オチがない。事件がない。)

そしてここまでの読みの中で読者が何かを思うとしたらそれは、

面接を受けた青年と、面接官であったところの主人公。いわば日陰の側と日向の側。本人の言葉を信じるなら、主人公はやりがい生きがいにも満ちており、人生においてこれといった困難や問題からは縁遠い人物のようだ。だがそんな彼が、会社の昼休憩中、ひとり訪れた公園で、突然の希死念慮に襲われる。(腰かけていたのは、日陰にすっぽり呑まれたベンチだ。)そう、人は誰しも、内にその人だけの何かを抱えている。その人の持ち物や肩書、そういった外的なものによって、その人の何たるかがほんとうに分かるわけではないのだ。

とか、まあそういったところだろう。

だからおそらくこんな感じのものが、ペラいち部分に限って言えば、テーマなのだと称しても、とくに問題はないのだろうと思う。ただ、そこまで辿ってみて、やはりあまり面白くはない。これがテーマならせめて、単純にもっとエンターテインメント性くらい盛るべきだろう。

というわけで、あまりにつまらなくて甲斐がなくて、せめてもう少し何かを引っ張り出そうと試みる読者が次に向かうであろうプロセスは……、とまあこの辺りにしておこう。


以下は個別に。


>見るべき先を定めずに

前作にもらった感想と同じだ。これが計画的なものであるようには見えない、行き当たりばったりだと感じる、という指摘。

>とにかく立体視したらこうなった

立体視。これは重要なキーワードかもしれない。単一の層から成る、「ペラいち」そのものではないことについての指摘。

>要所要所でのみ、切実さをピンセットでつまむように立ち昇らせているような気がするのだけど、

「気がする」。切実さを「知覚は」できないということの示唆。

>全体的には全然とりとめがなくって、ナンセンスジョークのようなものを聞かされている気分。

そこまで読めないということには、正直言うと、疑問を禁じ得ない。アリアドネの糸さんの知性をして、そして何より前作についてあれだけの言葉を交わした上で、(さらに言うと、アリアドネの糸さんのおこなっている読み方が、これほどまで「読みのプロセスの最終段階」とも言うべきポイントに特化した読みであるにもかかわらず)と考えると、どうしても。

踊り場
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アリアドネの糸さん(つづき)

ちなみに今回の狙い欄に前回より現実的に書いた旨記したのは、これら二作がひとつの同じ面の上で比べることができる小説だからだ。というかこの二作は、主観のありようということに限って言えば、全くと言っていいほど同じものだ。

>響かせないことで届かせる。これってつまり、何かを象ろうとしているくせに、目的を特にもつわけでもない(ように思える)語りだからなのだろうか?

表面を一読して目的をもつわけでないように思われる語りである点について同意する。ただ個人的には、離れた場所にあるものが共振によって鳴るように、的外れに思われる地点で発生する響きが結局ひとつの場所を指すようには針を置いたつもりだ。

>それでもなお~(中略)~油断ならないことには変わりないのだけどさ。

これは一般論なのだろうか?

>でもまあ、あたしは海女さんをやれるほどガチ勢な人ってわけでもないし、スキューバダイビングぐらいは嗜みたいと思ってはいるぐらいのちょいガチ海人群所属なんだけど、

そんな書き手読み手がいてもいい。どんな人間がいてもいい。だが何故だろう、個人的にはただただ悲しい気持ちがした。

>正しいやり方ってのが~(中略)~設計家と建築家の違いみたいなもん。

あんたが探してるもんなんてないよ、と、正論でぶん殴られている感じがした。絵の形を知りたいのは、自分自身のことに限って言えば、私も同じだ。だが、人に「読まれなければ」伝播しない、から藻掻いている。(それと、「正しい」やり方ということは、私は言っていない。)いやもちろん、おまえが行き詰っていようがなんだろうがそんなことは知らんよ、という話なのだとは思うが、狙い欄に教えを乞いたい旨記した通り、私としては少しでも、一歩分でもいいから、踏みしめられる地面がほしい、ミクロな技術であれなんであれ、足掛かりになる小片を得たいと思っている次第だ。小説創作の総体が方程式で語れないことは私にも分かる。しかし、レトリックであれ、構成の仕方であれ、技術というものは存在するし、いや技術だけが欲しいわけでももちろんないが、とにかく小説ってそんなもんじゃん、とざっくり語られてしまうと、まあそうだな、と失望だけを得て、前進どころか0.02歩ほど後退するだけの結果に終わってしまいそうだ。

>あとは、この小説は雑音ばっかなことを書いているくせに隙がまるでないのはそういうふうに仕向けているからなのだろうけれども、だからってわけではないのだけど、この技巧的な小説の中で、もっとも注意深くあるべきはその技巧にこそあって、つまり技巧だけで成り立っている部分こそ小説が持つべき豊かさがそがれている部分に思えたりする。

ここが今回もらった感想のなかで一番大事な部分だろうと思う。「隙がない」「豊かさ」の内容をできることなら、是非、教えてほしい。またこれも可能なら、アリアドネの糸さんがこの小説にどんな「技巧」を見出していて、それが豊かさを削ぐメカニズムについても。言うまでもないが、全く体系化された形でなくて構わない。

>よくわからなかったのは、主人公はただしいところにたどり着けたのだろうか?ってこと。

おそらく多くの読者はこんな読み方はしないだろう。アリアドネの糸さんの読み方がある種の読みに特化していることの証左のように感じられる。(アリアドネの糸さんは「ペラいちのテーマらしきもの」みたいな層のことは初めから読んでいないのだろうという気がしている。もちろん、それこそが作者の書きたいこと、などではまったくないにせよ。)

>陽炎はマボロシでもある一方で、影の辿りつく場所でもあるわけで、陽炎一つとっても解釈の幅があるし、日向と日陰についてもそう。解釈の余地があるってことは必ずしもよいことではない。

必ずしもよいことではない。これには当然、同意する。

>無限の可能性を雄弁に語るために象徴するのであって、つまりそれは豊かさの源泉たるものであって、無限の可能性を可能性のままつめたい棺の中に入れておくような象徴化は死んでいるように思います。文字通り。

ここも重要な部分に違いないが、私の中ではかなりぼんやりしている。たとえば、雨がある種の負の感情、しおれて打ちひしがれた心を象徴するといった象徴化は? これは生きているのだろうか? それとも死んでいる? 「無限の可能性を雄弁に語る象徴」というものについて、やはりできることなら実感に近いところで感覚させてほしいと感じる。それが分かればその逆の事態も理解できるだろうから。


以上、今回こうした返信の色をあえて調色したわけだが、それはアリアドネの糸さんに対し私が勝手に、その瞠目すべき知性や、あえて私の小説にまで感想を書きにくることからうかがえる特殊な資質、そして受容性といったものに、並々ならず信頼を寄せ期待しているからに他ならない。

もちろんそれが一般に大変に重く、もっとはっきり言うなら大変に迷惑なしろものであることは重々承知しているので、この返信については黙殺してくれても一向にかまわない。

改めて、嘘偽りなく心から感謝していることだけはきちんと伝えておきたく思う。有難う。

踊り場
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きさとさん

空気のきれいさを味わうどころか、空気が存在することすらうっかり忘れているような作者だから、きっとこうした体たらくに陥ってしまうのだろう。それでもお約束として、言うだけは言っておくとしよう。どうしてこうなった……。

書かなすぎる(小説空間が白すぎる、現実感が不飽和である)、そして、急がば回れ、ということと受け取りたく思う。
端的でいて有用なアドバイスにたいへん感謝している。有難う。

踊り場
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羅愛さん

無沙汰ですまない。そして前作に引き続き、有難う。この二作をとって「らしさ」を見出してもらえることに嬉しさを感じている。(「自分」ということについてはわりとよく考える。それは容易く見出だせるもののようで、案外「陽炎」のようなものでさえあるような気も、していないではない。)羅愛さんはきっと、そもそものスタンスとしてゆったり間口が広く、いろんなことを面白がれる人なのだろうな。わりとそういうところには、しっかりめに癒やされている自分がいたりもする。

さて、以下は個別に返信していこう。

>最初のほうは踊り場さんが純粋に普段の生活で見かけてピンときた一場面だったのではないかと感じました。
街で歩いていたか、ふと家から出たときに見かけたか。

厳密には違うが、そう遠くはない、と言うべきだろうな。たとえば「公園」という象徴は私にとってそれなりに重要なもので、今作に限らず何度も扱ったことがあるものだったりする。そして、今作の下地になりそうな森林公園的なものについても、わりと直接観測する機会は少なくない。だから、実際の舞台裏としては、当たらずも遠からずだ。

>「死にぞこないの夏をその一粒一粒にぶらさがらせるかのよう」はいい表現

>「なんなら、豆腐の角で頭を打つ、みたいに、パンくずで頭を打って死んだら面白いのにな。」などの言葉遊びは踊り場さんらしいとにやりと笑うのが禁じ得なかった。ようするに面白い。

表現そのものに面白みを見出してもらえたのも嬉しい。どこかで読み手を惹きつけられなければ、どのみち先はないだろうしな。

>主人公はきっと40代から50代くらいで奥さんか誰か主人公にとって大切な人から電話がかかってきている。トラブルを抱えている。

これは鋭い。ここにありうる読みとして私が想定していた二種類のうちのひとつにほぼ合致しているように思う。「近々役所には届を出しにいくことになるだろう」という文章があるが、ここでの届の種類を「よし死のう!」などとも関連させながら考えてみると、ひとつには「離婚届」というものが浮上してくるだろうと思う。この読みの場合、すでに主人公は妻と別居していて、早く届に判を押して提出するようにせっつかれたりしている、といった状況が想像される。(主人公にとっては、相手が依然大事な存在であるままで。)

で、テーマだが、アリアドネの糸さんへの返信でも少し触れているが、表面のテーマは「他人から見て、あるいは社会的に、日向の側に属するような人間でも、内側にはその人にしか分からない何かを抱えている」といったことになろうか。もう少し大きなテーマについては……もしかするとこのあとどこかで語ることになるかもしれないが、一旦は保留にさせてもらいたいと思う。

それから年齢のことだが、なるほど考えてみると、こんな具合の作者をして○○歳というのはヤバいかもな。○○にどんな数字を当てはめても、なぜだかヤバさ自体は微塵も変わらない気がする不思議。まったくおかしな話だ。世界を知覚するにはきっと遠近感ってやつが重要だのに。

改めて有難う。

踊り場
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夏の魔物さん

まず驚いた。「+」の区切りについて言及する人間がいるとは思っていなかったから。

読者に一意に意味をとってもらえる可能性がほぼ皆無であるから、少なくとも現状「効果的な方法」にはなり得ていないだろうとは思っているが、「+」について作者が考えていたことは、

・十字架を模した記号
・ある主観がいま感覚している現実感が、別種の、もしかしたら真逆の現実感と直交する地点(において鳴るリマインダーそのもの)
・x軸とy軸を引き、四分割されたエリアへ「自覚・無自覚」と「生・死」の組み合わせを配置したその模様そのものを図示したもの

といったことだ。

それから、「よし死のう!」に至る流れについてだが、おそらく主人公は窒息しそうになりながら、必死に「おれ充実してる、おれ充実してる、おれ充実してr」みたいに、生の実感や生きがいだと「思いたい」場所へしがみついていて、しかし結局リマインダー(+)に叩き起こされて剥き出しの部分が露呈した、といったことなんだろうと思う。

>この作品は、終始ゆっくりとした(冗談を挟みつつ、軽快な)口調で進み、ありきたりな終わり方になってしまっています。

ありきたりな終わり方。全くもってその通りだと思う。

>そこで「風の歌を聴け」を読んでみることをお勧めします。(もちろん既読だとは思いますが…。その場合は、もう一度!)

すべてお見通しなのだろうかと思ってしまった。確かに既読ではある。ただし、いつだったか思い出せないくらい昔に読んだそのとき、私はまだ書き手ですらなかったと思う。今度は書き手の意識も薄く常時点灯したままで、もう一度丹念に読んでみようと思う。

「+」のような変化球も変化球な部分への提言といい、具体的なサンプルの提示といい、たいへん参考になった。

有難う。心からの感謝を。

踊り場
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夏の魔物さん

ひとつ書き忘れていた。

本作に感想をくれたいろんな人への返信を考えながら、村上春樹の、小説とは呼べない(と、本人も語っているところの)伝聞をもとにしたとある短い文章のことをふと思い出していた。それは本作とはまるで違っているのだが、何がそれを思い出させたのかと考えたとき、私なりに出た答えは、それがlandslideについての話だったから、というものだった。(そんなことはもちろん全く書いてない。私が勝手にそのように解釈しただけだ。)整えて、設えて、結果、最善といってもいいような状態におかれた人生が、それ自身の滑らかさに援けられるようにしてlandslideするのを、全く理解が届かないままに、ただ知覚して、揺さぶられる主観の話。

このことを思い起こしたのはおそらく、夏の魔物さんが「風の歌を聴け」について挙げてくれたことが要因として大きいのだろうから、なんとなく思ったところを伝えておきたかった。まあ何の役にも立たない情報かもしれないが。

そして、たまたま今の自分にとってタイムリーとも思える文章もさっき見つけた。面白さというものは我慢強さのフィルターを通して初めて表出するといった意味合いの文章だ。もうほとんど夏の魔物さんとは関係のない話のようで申し訳ないが。この際ついでだから書いてしまうことにした。

改めて有難う。

もんじゃ
KD106154133086.au-net.ne.jp

 踊り場さま

 拝読しました。

 文章がスタイリッシュだな、と感じました。気がきいてるな、と。言葉のチョイスにセンスがあるし、それはつまりイケてるってことであり、かつ正確であるな、ってことであります。

 わかりやすい話とはいえないように感じたし、だから内容を正確に読み解けたかどうかは定かじゃないのだけれど、もんじゃなりの読み方を以下に記します。

 死にたいのかな、と。でも足掻いてる、簡単にくたばっちゃダメだと、自壊しないよう自戒している。だから自身に対して一生懸命とりつくろってる、スポーツジムだとか、コロンボだとか。でも、よし死のう、なわけで。

 鳩に餌やるやるせなさ、面接に来た青瓢箪くんのありさまのやるせなさ。優しくないはずの自分に優しさを見つけかねないほどのやるせなさ。

 子供の頃の自分は夢中でカミキリムシとったりしてたのに。いつから疲れちゃったのか、いつから気付いちゃったのか、いつから目覚めちゃったのか。

 スマホからの呼び出しがリマインダー。蹴り飛ばしてくれるリマインダー。繋がらなくては。

 日向は暑すぎて、日陰は寒すぎて、自分にちょうどよいあんばいはこの世になんだか見出だせなくて。

 自分を責めてくる言葉にさえも生かしてもらわなくてはならず、スマホを手にとる。

 日向と日陰の境目から見えるものは陽炎?

 みたいな?

 で、どう感じたかというと、やるせないな、と。孤独かな、と。でもそれがあんまり不快じゃないというか。やれやれ、みたいな。この感じはどこか優しさに似てるようにも。諦めることは明きらめることだったりするから。そんなふうにして生きてるのかも、もしかしたら大人はみんな、多かれ少なかれ。そういうのって善だと感じます。

 さて以下は執筆の狙いに向き合うように書かせていただきますね。味わい深く、文章表現に面白さも感じるのだけれど、でも一方で作品の冷たく乾いてる感じがワンサイドに過ぎるような、そして骨格標本みたいな清潔さとそっけなさに、強烈に、よくもわるくも肉の不足を感じました。

 省いているものをもう少し残した方があるいは親切かもしれない。でもそうではないあたりがこの作品の個性であるわけだけど。だからこの作品はこれでよいように思います。で、今後新たに書かれる作品には、もう少しだけ肉をつけてやるのがよろしいかと愚考いたしました。妥当な考えかどうかわからないけど。

 ともあれ、二極が交差する九月半ばの公園、とてもよいですね。自分や世界を覗き込むのになかなかに適した場所であるかと感じます、公園。

 拙作に頂戴したご感想に見合うだけの感想を記せずに申し訳ありません、また頓珍漢な読み方や捉え方になっていたらすみません。

 巧みな文章、鋭い感性、個性的な作品だけが持つ味わい、いくつもの優れた点に啓発されました。読ませていただきありがとうございました。

踊り場
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もんじゃさん

透明が群青になるような深いところから挨拶を返してもらえたこと嬉しく思う。
こんな私でも一応、感想の分量や労力、鋭さや深さに見合うだけの返信を、というくらいのことは毎回考えるのだが、正直これくらい思考の靄にも冗長性にも食まれていない深く適切な感想に対しては、多く語ることが憚られる。
きっといくらかの自己満足と引き換えに、いたずらに水を濁らせるだけの結果に終わってしまうのが目に見えているから。
そしていま感じているのは、同じ曲面を丹念になぞった適切さでも、必ずしも同じ響き方をするわけではないということだ。それはおそらく照らす光源が、その発されている位置も光色も照度もそれぞれに異なっているからなのだろう。

ともあれ提示してもらった読み方そのもについては、ただ深く頷きを返すに留めることを許してほしい。

>でも一方で作品の冷たく乾いてる感じがワンサイドに過ぎるような、そして骨格標本みたいな清潔さとそっけなさに、強烈に、よくもわるくも肉の不足を感じました。

ワンサイドに過ぎる。そう、結局独善なのだろうとは思う。しかしこのことに対して、美しく肯定の響きを添えた指摘をもらえたことに、納得と自戒と感謝の念を感じている。

>今後新たに書かれる作品には、もう少しだけ肉をつけてやるのがよろしいかと愚考いたしました。妥当な考えかどうかわからないけど。

やはりどのみち、それをやらなくてはならないだろうと感じている。妥当かどうかは、可能であればまた異なる複数の光源に照らしてもらって、その反射の中に見いだせたらと思う。

>拙作に頂戴したご感想に見合うだけの感想を記せずに申し訳ありません、また頓珍漢な読み方や捉え方になっていたらすみません。

おべっかではなく、まったくそのままの言葉をお返ししたいと心から思っている。

有難う。感謝をこめて。

佐藤
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読ませていただきました。

まず申し上げると「パイセーン、ラーメン行きませーん?」とか何韻ふんどんねん、とツッコんでしまい、そこからしばらく押韻を探してしまいました。いやいや。

主人公の虚無がやけに胸を刺すと言うか、お前どの口でやりがいとか言っとんねん、と。前回もそうなのですが、描写が一つ違うレイヤーから描かれているのかな、という気もしています。その際に備え付けられたカメラのレンズの、色か形状が違うのかな。これは本作が「前作と同じ」とおっしゃるところからの類推であり、自力ではうまく見当が付けられないのですが。

とりあえず、他の方の感想と、踊り場さんのご回答とを照らし合わせて探ってみたいと思います。今のところは、なんとなくざわつく、ぐらいなのですよね。

踊り場
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佐藤さん

無沙汰していたが、今回も有難う。

>まず申し上げると「パイセーン、ラーメン行きませーん?」とか何韻ふんどんねん、とツッコんでしまい、そこからしばらく押韻を探してしまいました。いやいや。

なるほど、いやおそらく前作の時点で佐藤さんには分かっていたことと思うが、(大多数の人間の受容体にはそもそも形状的に受容されない類の)くだらない笑いを表面に形作ることが私は案外好きなので、これはそういう性状に発する、幾分はみ出した表現だったのかもしれない。(ものがものなら、実際このあと押韻を含めた馬鹿げた仕掛けをせっせと張り巡らせただろうと思う。)

>主人公の虚無がやけに胸を刺すと言うか、お前どの口でやりがいとか言っとんねん、と。

これを正しく感じてもらえただけで、今作に関しては救いがあったという気がする。

>前回もそうなのですが、描写が一つ違うレイヤーから描かれているのかな、という気もしています。

この話をできる相手は貴重だ。そう、それを今回も確かにやっている。そして、表面の描写が結局違うレイヤーを絡めないと機能しない、さらには、その二番目以降のレイヤーを多くの場合感知すらされないということが、目下私の創作においては最大の急所なのだと思う。潜ることを当たり前のようにこなすアリアドネの糸さんなどは、おそらく一層目が話すに値しなかった結果として、重層表現自体の問題点をダイレクトに指摘してくれたのだろう。

>その際に備え付けられたカメラのレンズの、色か形状が違うのかな。

これは的確な表現かもしれない。単に味付けが違うといった表現をすることももちろん可能だが、全体に均質に適用されているルールというかフィルターの違いと考えると、佐藤さんの表現の方がジャストであるように思う。

前作が肉屋の裏のゴミ捨て場に、3Dメガネを手渡した上で案内する作品だったとすると、今作は博物館の骨の展示に近いのだと思う。(要は、そこに肉を幻視する来館者の心的動向に、成算の低いまま期待しているとも言えるわけだが。)

ともあれ、前作には肉と呼べるものの賑わいの「残滓」があり(といっても血と屑肉のコンフィチュールだが)、逆に今作には前作に見つけることが困難だった骨の感触とうす寒さがある。これらのこと自体は、正しく作者の意図ではある。しかしながら両者に共通するのは、「可食なる肉の絶対的不足」であり、このあたりはもんじゃさんが指摘してくれた通りだ。(もんじゃさんには氏の作品そのものからも教えてもらったのだったが、作品が読者といい関係を保つために一役買っているのは、多くの場合、ミクロな部分で情動や知識欲などに訴えかけてくる「微小なカタルシス」であるらしい。読者の中であまり積極的に意識されないレベルのもの。こうした部分が充実していれば、理由は分からないがなんだか面白い、といった層にまで可読性が広がりうるものと思われる。)

>とりあえず、他の方の感想と、踊り場さんのご回答とを照らし合わせて探ってみたいと思います。今のところは、なんとなくざわつく、ぐらいなのですよね。

いやはや、この「ざわつく」が、なんとなくでも「ある」ということに、どれだけ救われるか。もちろん佐藤さんが、「感想欄を見てそこにあるものを統合し、さらには思考力と想像力(+創造力)をもってそれを一歩先に進める」といったことについても非常に高い能力を発揮するだろうことはほとんど確信に近いところでもあるわけだが、それでもやはり、前作や今作のような小説の鍵は結局、「ざわつく」の向こう側以外には見つけられないものだろうからな。

改めて、感謝を。有難う。

アイス
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素晴らしい書面です、踊り場さまへ
もし
これを読んでる頃その中には箱のすみかスタの置き場激しい対策しかいないであろう。
かの者らのいうひとまつの偏った終わりは上葉まで届きましたそれでいう行く言葉での上葉でよろしうまた外れても良いとの行きかいで御座いますがこれならと颯爽どこも上回り溢れては下さりました。
さてとその中継のそれではそれは広がりを始めてくださるでしょうか。
あなたの書いた文は三ヶ月のその前にも見覚えはありましたが、いかが過ごしたのでしょうか。
あの鉛にも見える町の様子は貫くように刺さるそうですが、我々としてもあれは長い時間をすべるものではありませんでした。
一つのそれを果てたときそれとしては次のそれらが待っていますが予想のそれとは違うものでしょうね。
あの間ではどのような空間が広がっているでしょうか。
それにとっては新しいらしいそれも待っていることでしょうそれさえ新しく見えるかもしれないそれが次のそれに見えるでしょうか。
けんめいに返すとしたら新しいとそれのかわる中といいましょうか。
それてもある中でのミも新しい文やふみ、といえばそれらしいでしょうが。
我々もワレワルがおこせなくとも多くは見れました。
この先もせめてその中は多くはないでしょう。
しかしそれで続くと思うものも続出でしょうが中のそれなる物いっさいをそれとしては一切望まないのも事実です。
接近暴騰は御注意ください我々は所詮その道のショダンの言葉で異を行ったかもしれない、その先はまた違うものでしょう、書いたそれで重さなどで進んだ行ったものではありません。
あこがれが思い出に変わったのは。
これはあるぶんちょうのある物ですがこれもすたれていくものでしょうか。
こたえとしては九丈島の先のそれなるそれを直面へ選ぶか選ばないかでしょうか。
まこと読めないことこの上ないでしょうがそれはその通りなのですなぜなら。
それの通りだからそれらのどれにも見えはする、これは大きいものなようです。
大きさを変えていたらと多数あるそうですが、それでもまた頑張って下さい。
こころの手紙には刺さらないことを祈を願いまして。

踊り場
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アイスさん

ワレワルにイタラズの岸に希死を喫してねむるフリ試行された分子運動の落ちがかる瞼のトナリ、あなたたちをしっていた。個と弧の営為の鋭意くだかれたともがらの死でさえあったろう。

セカイはステーキハウスではなかったからミントガムを捨てて草原にいこう、の諸相はいつも横溢するフリーウェイのライトたち、赤白赤白赤白に幻惑され――頭上にともるナトリウム灯は意識から消え――車はなめらかに左へ、ひだりへと折れる――





白痴の白のチャンネルで全開に焦点をほどいて受け止めてはいるがまるで十全ではないようだ。だが、残らず受けとめている。





ポケットを探る。夏の朝の小さな水たまりをそのまま凍らせたかのようなガラスのペーパーウェイトが指先に触れる。それは、ハッとするほどに冷たい。

重石。
語らずに重心のありかを問うような。


有難う。感謝をこめて。

アイス
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がんばってください
しかしそれではいぜん闘うの中からでられないでしょう

アイス
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