作家でごはん!鍛練場
大丘 忍

人妻殺人事件

 健一は三十代半ばの働き盛り、大学病院の中堅医師である。多忙な健一にも、夏の夜、風呂上がりに冷たいビールを流し込むという幸福感を味わう機会は月に数回はある。
 夏休みのある日、二人の子供達は妻の実家に泊りがけで遊びにいっており、妻の亜紀と水入らずの夕食であった。
 テレビのスイッチをいれると、ニュースが人妻殺人事件を報じていた。
 被害者は会社員西尾信次四十才の妻、茂子三十六才である。死因は扼殺、暴行の痕があり、室内が荒らされているところから、物盗りの仕業と思われる。
「物騒な世の中になったもんだ。お前も気をつけなければ」
 健一はビールをグラスに注ぎながら亜紀を振り返った。
「本当に……、嫌な世の中ね」
 亜紀が顔をしかめた。
 背が高くすらりとした健一に対して、亜紀は子供を生んで以来太くなり始めた腰を気にしてダイエットに励んでいる。
「克彦君も大変だろうな」
 克彦は警視庁捜査一課の刑事で、亜紀の従兄弟である。健一とは学部は違ったが同じ大学の親友であった。
「あなた、この捜査が難航すれば良いと思っているんでしょう」
「なーに、こんな単純な事件はすぐに解決するよ」
「そうかしら。また克彦さんから何か言ってくるんじゃあないの?」
「さあ、どうだかね」
 大の推理小説ファンである健一は、以前に克彦の相談を受けて、医学的なアドバイスをしたことがある。それがきっかけで克彦が難事件を解決し、それ以来ときどき健一の意見を求めることがあった。克彦が相談を持ちかけてくると、仕事そっちのけで素人探偵に没頭してしまう。 
 それから二週間ほどして、克彦から電話がかかってきた。
「ちょっと相談したいことがあるんだが……」
「ほう、難事件か?」
「うん、先日の人妻殺しだがね」
「えっ、あの事件、まだ解決していないのか?」
「いやー、簡単だと思ったが、ちょっとややこしいことがあってね」
 健一の顔がほころんだ。
「よし、これからこちらに来られるか?」
「ああ、四十分程で行けるだろう」
 亜紀が健一をにらんだ。
「あなた、今夜は父と碁を打つ約束ではなかったの?」
「うん、明日に延期してもらうよ。お義父さんに断わりの電話を入れといてくれ」
「もう、事件となるとすぐこれなんだから」
亜紀はぶつぶつ言いながら受話機を取り上げる。
 亜紀の父は碁が好きで素人四段、最近腕を上げてきた健一といい勝負である。
 七番勝負で、三対三、その日に決着をつける予定であった。
「さては、気後れしたな、だって」
 亜紀の皮肉も耳に入らないようで、うきうきと克彦の来着を待ちわびている。
「やあ、亜紀ちゃん、悪りーな」
 克彦が照れながら、大きな体を縮めるようにして入ってきた。
「克彦さん、うちの人を引っ張り出さないでよ」
 亜紀に言われて、潰れた耳の辺りの汗をハンカチでしきりに拭いている。柔道三段、大学時代には鳴らしたもんだ。細い健一と太い克彦の珍妙な親友コンビである。
 亜紀の苦情に、もう一度悪いなあと言って構わず奥に入り込む。
「ところで、事件の概要だがな」
 克彦は亜紀が出したお茶を一口飲んで、早速話し始めた。

連絡を受けて、警視庁捜査一課の岡上係長のチームが到着したとき、夫の信次は呆然として立ちすくんでいた。
 被害者の茂子は、寝室のベッドの上で下半身裸で死んでいた。発見者は夫の信次である。外出先から午後九時頃帰宅して、妻の死体を発見しすぐに警察に連絡したという。
 ベッドは乱れており被害者はかなり抵抗したらしい。箪笥や引き出しが開けられており、引き出しの現金が無くなっている。
「これは暴行されていますね、係長」
 死体を一目見て克彦が岡上係長に小声で言った。
「入り口の鍵を壊した形跡はありません」
 戸口を調べていた刑事の報告を聞いて岡上係長がうなずいた。
「入り口の鍵はいつも開けているんですか?」
 信次に岡上係長が問う。
「そんなことはありません。いつも戸締りには注意するように言ってありました」
 信次はうわずった声で答えた。
「とすると、顔見知りの犯行か?」
「あるいはノックで被害者がドアを開けたかですね」
「念のため、ほかの出入口を調べましたが、鍵がかかっています」 
 刑事達の話し合いを聞いている信次の表情は強ばっている。
 鑑識が到着して、要領よく調査を始めた。
「係長、被害者は強姦されていますね。膣から精液が検出されました」
「行きがけの駄賃に強姦したのかな。その時暴れたので首を絞めたのだろう」
 と岡上係長が呟いた。
 鑑識は試験管に精液の標本を採取した。
 岡上係長は別室に信次を呼んで尋問を始めた。
「あなたが発見した時には奥さんは亡くなられていたのですね」
「そうです」
「詳しいことは署にきてからお聞きしましょう。同行をお願いします」
「ぼ、僕は犯人ではありませんよ」
「もちろん、犯人と決めたわけではありませんが、重要参考人ですからね」
 署に帰って、鑑識から報告が入った。死亡推定時刻は午後七時から八時の間。首に絞扼の跡があり、死因は首を締めたための扼殺であることは明らかだった。被害者の腟内から精液が検出されたので、強姦された後に殺されたものと推定された。
信次は重要参考人として引続き警察で取調べを受けることになった。
「あなたは、犯行推定時間の七時から八時までの間何処にいましたか?」
「その時間は……」
 信次は落ち着かない様子で言葉を切った。
「何をしていました?」
 岡上係長が畳み掛ける。
「仕事が終わったのが六時半頃で、そのあと街をぶらぶらしていました」
「誰か知った人に会いましたか?」
「いいえ、会っていません」
 信次の額に汗が浮かぶ。
「それじゃあ、アリバイはありませんね」
「そうですけど、私は妻を殺していませんよ」
「でもね。それを証明して貰わないと……。貴方がどんな立場になっているか、おわかりですか?」
 信次が青ざめて黙り込んだ。
 尋問している間に、茂子には遺産があり、しかもかなりの額の生命保険に最近加入していることがわかった。
「奥さんの遺産と、保険金。動機としては充分ですね」
「冗談じゃあ無い!」
 信次が立ち上がって叫んだ。
 克彦が肩を押えて座らせる。
「被害者の膣から検出された精液はO型。貴方の血液型は?」
 信次の顔が青ざめた。
「O型です。でも、私は妻を殺してはいません」
「貴方は、奥さんと無理やり交わったあと殺した。そして室内を物色して金を持ちだした。強盗の犯行に見せかけるためですね」
「違います!」
 信次の額から汗が流れ落ちる。
 岡上係長は上目使いに冷たい視線を投げつけた。
「だから……。違うなら違うことを証明して下さいよ」
「私はその時……」
 信次が消え入るような声で呟いた。
「女とラブホテルにいました」
 岡上係長の顔が険しくなった。
「ほう、なぜそれを早く言わなかったのです? なにか隠しておく理由があるのですか?」
「いえ、別に理由はありませんが……」
「たしかに、奥さんが殺されたとき別の女とラブホテルにいたとは世間体が悪い話ですわな」
 岡上係長が皮肉を交えて笑った。信次は顔をしかめて俯いた。
「それは証明できますね」
 信次は弱々しくうなずいた。
 丁度犯行時間の七時から八時過ぎまで、町外れのラブホテルに大倉優子と一緒に居たというのである。ホテルと大倉優子を調べればわかることだ。
岡上係長が目配せする。立ち会っていた一人が姿を消した。
「その女性とはどのような関係ですか?」
「実は、妻には内緒で付き合っている女性でして」
「ほう、不倫……という奴ですな」
 岡上係長は苦々しく言った。
「奥さんはそのことを知っていましたか?」
「うすうすは知っていたかも知れません」
「その女に結婚を迫られて、奥さんが邪魔になって殺した」
「違いますよ」
 信次は慌てて否定した。
「いや。そんな見方も出来るということですよ。ところで、その女に結婚を迫られたことはなかったんですか?」
「そ、それは……」
 信次の口が淀んだ。
「どうなんです?」
「そんなこともありました」
「でも奥さんは離婚を承知しない。そうですね」
「そうです」
「不仲の奥さんが強盗に殺されれば、その女と結婚できるし、遺産も手にはいる。そう言う訳ですか」
「違います。私にはアリバイがあります」
「立派な動機です。女が共犯で口裏を合わせれば、アリバイなんて幾らで作れますよ」
 信次は蒼白な顔で黙り込んだ。

「強姦されて殺されたの? 気の毒に」
 亜紀が身震いした。
「亜紀ちゃんも気をつけないと。セクシイな人妻が危ないんだぞ」
 克彦が脅かすように冗談を言う。
「表面的には、物盗りに入って見つかり、顔を見られたので殺した。その前に強姦したという訳か。それとも、殺すのが目的で、物盗りの仕業に見せかけたのかも知れないな」
 健一の問いに克彦がうなずいた。
「その両方の可能性を考えている。精液を調べると、血液型はO型だった。だから強姦した犯人はO型の男ということになるんだが」
「強盗に入ってわざわざ強姦するだろうか。早く逃げたいだろうに」
 健一が首を傾げた。
「その点は、一応問題にはなったんだがね。ただのこそ泥ではなく、殺すのが目的だから強姦して、殺す動機を強めた。あるいは強盗が欲情してついその気になった。抵抗がきついので殺してしまった。一応そのようなことになっている」
「それはこじつけの感じが強いね」
「だから、強盗に見せかけて伸次が殺したという説も出ている」
「しかし強姦して精液を残せばO型とわかり信次には不利になることはわかっているはずだがね」
「O型は日本人ではA型に次いで多いから、血液型が一致したことはあまり根拠にはならないし、信次も精液から血液型がわかるとは知らなかったんだろう」
 信次の血液型がO型であること、最近夫婦仲が極端に冷えきっていること、その原因が信次の女性関係にあることが判明している。
「しかし、精液がO型とすると、夫の信次も容疑から外す訳にはいかないな」
「信次には十分な動機がある。だから重要参考人として引続き取調べを進めたんだが……」
 信次と茂子の間には子どもがない。茂子の遺産はすべて信次が相続することになる。
「遺産目当て、保険金目当ての殺人か?」
「健ちゃんもそう思うだろう。警察ではその方針で捜査を進めることになったんだ」
「それだけの動機があれば十分だな」
「ところが、やっぱりアリバイはあったんだな。ホテルの証言と一致していたんだ」
 ふーんと健一が考え込んだ。
「ホテルの職員が口裏を合わせた可能性は?」
「ない。複数の人が入るのを見ているし、途中で夜食を部屋に届けさせている」
「アリバイとしては完璧だな」

 簡単に解決すると思われた事件だが、信次のアリバイという壁に突き当たってしまった。
「ホシは信次だな」
 捜査会議で岡上係長は断言した。
「はっきりしたアリバイがあるのに、最初にそれを隠そうとしたのは何故でしょうね」
 克彦はその点に疑問を持っていた。
「きっと、動機の点で疑われると思ったのだろう」
「でもアリバイがはっきりしているのだから」
「そのアリバイには裏がある筈だ。もう一度ホテル周辺を洗ってみる必要があるな」
 捜査会議では、岡上係長は信次の犯行説に拘っている。
「でも、信次が犯人なら茂子を殺すだけでいい訳でしょ。暴行までする必要があったのかな」
 克彦はその点も腑に落ちない。
「それは強盗の仕業に見せかけるためだろう。あるいは殺す前に欲情したのかも知れない」
「でも、夫なら殺したあと下着くらいかけると思いますがね」
「人を殺すような犯人に、そんな思いやりがあるとは思えないね」
「冷えきった夫婦が殺す前に情交をすることが納得できませんね」
「だから、それは物盗りに見せかけるための偽装だ」
「それにしても、信次には完璧なアリバイがありますから」
「そこが問題だ。この事件の鍵はそのアリバイ崩しだね」
 捜査会議はここで行き詰まっている。

「そのアリバイを証言した女、大倉優子と言ったな。一体どんな女だ?」
 克彦は手帳を開いた。
「二十三才で看護婦をしている。ぽっちゃりとして男好きのする女だ。体付きは亜紀ちゃんに似ているかな」
「いやねえ。男好きだなんて」
 亜紀が頬を膨らませた。
「へー、看護婦か。二十三才、まだ若いねえ」
「まあ、四十男が若い女の色香に迷ったという気持ちはわかるけどねえ。何しろすごくセクシイだからな」
 と克彦がため息をつき、健一がうなずいた。
「ちょっと、二人とも。セクシイな女を羨ましがってるんじゃあないでしょうね」
 亜紀が口を尖らせた。
「まあ、亜紀ちゃんがセクシーだから健一君は羨ましがる必要なないだろうがね」
 克彦の言葉に健一と克彦は顔を見合わせて苦笑した。
「すると、問題はやはり係長の言うように、アリバイ崩しになる訳だな」
 そうだと克彦が頷き、
「しかし死亡推定時刻に信次が優子とホテルにいたことは確かなんだ」
 と手帳を繰りながら断定した。その後の綿密な捜査でも二人がその時刻にホテルにいたことは明らかだった。
「誰かが信次に変装していたとは考えられないか」
「ホテルの部屋からは信次の指紋が検出されている」
「指紋が出たのなら確かだね」
「それに、犯人が信次だとしても、殺害する前に性交している理由が説明できない。殺そうとしている相手と性交するかね? どう思う? 健ちゃん」
「それは夫婦だから性交しても不思議はないが」
「でも殺す前にそんな気が起きるだろうか? それに無理やりにした形跡がある」
「すると、それは強盗の仕業に見せるためとしか思えないな」
「でもね、犯人が被害者と関係のある人物なら、性交すれば精液から血液型がわかり、犯人にとっては不利になるだろう。そんなことをするだろうかと捜査会議で問題にされてね。もちろん、これは僕が出した意見だが」
「じゃあ、克ちゃんは信次の犯行ではないという意見かね」
「少なくとも、信次は実行犯ではないね。誰かにやらせたか、単なるいきずりの強盗殺人かと思うんだが。だからその線も洗ってるんだが、実はちょっと妙なことが見つかってね」
「妙なこと?」
 健一の目が輝いた。
「精液はO型だろう。ところが、シーツから採集された陰毛を分析するとA型とB型が出たんだ。A型は被害者の物だから当然として、なぜB型の陰毛があったかということだ。これも捜査会議で謎になっている」

「とにかく腟内からO型の精液が出たということは、暴行したのはO型の男であるのは間違いない」
 岡上係長は断定的に言った。O型は信次であるから、信次にとっては不利な証拠である。
「では、B型の陰毛はどう考えますか?」
 克彦が食い下がる。
「殺される前に他のB型の男と情交があった可能性も否定できない」
 一人の刑事が立ち上がった。
「被害者の身辺調査をしましたが、茂子には男関係はなかったと思われますが」
 岡上係長は口を歪めて腕を組んだ。
「ではB型の陰毛をどう説明するかね」
「O型とB型。犯人は二人組みではないでしょうか」
 刑事が言う。
「じゃあ、B型の精液が出なかったのは何故だ?」
「B型の男はコンドームを使った……」
「強姦する相手にコンドームを使うかな? 相手は人妻だ。まさかエイズの心配はあるまい」
「B型の男が不能だったってことは……」
「ばかばかしい」
 皆が笑ったが、これは笑い事ではなかった。

「陰毛……」
 健一が腕を組んだ。
 健一は亜紀を振り返った。
「そう言えば、うちでもしたあとに陰毛が落ちていたことがあったなあ。亜紀」
 亜紀は真っ赤な顔をして、
「そんなこと、知りません」
 と横を向いた。
「性交すれば陰毛が落ちることは有り得る。被害者がB型の男と性交したことは間違いないだろう。克ちゃん、犯人はB型の男かもしれないぞ」
 克彦は不思議そうに健一を見る。
「犯人がB型の男とすれば、O型の精液はどう説明する?」
「それが問題だよ。精液は本当にO型だったのか?」
 克彦は手帳をめくった。
「鑑識の所見では、精液はO型、精子の運動は認められず、となっている。これは間違いないよ」
「精子の運動は認められず?」
「そうだ」
 どんな些細な所見も見逃さず、正しい診断にたどり着く健一の緻密な頭脳がフル回転を始めた。
「それでは殺したあと強姦を装ってO型の精液を注入した可能性があるのか」
「いや、強姦したのは確かだろう。無理やりすれば多少とも膣口の損傷があるはずだ」
「鑑識では損傷は認めれているから強姦しているのは確かだ」
「大倉優子の周辺を洗ってみることだな。きっとB型の男が浮かんでくると思うよ」

 克彦は大倉優子の周りを聞込みに入った。優子は近くの総合病院に勤めている。派手な性格で男出入りが激しいようだ。
 優子は一年ほど前から大川和也という自動車整備工と付き合っていることがわかった。和也は二十代半ばで、長身の甘いマスク。いかにも女にもてそうなタイプだ。信次と付き合うようになってからも、和也とはときどきホテルに行っているようである。
 さらに周辺を洗っているうちに、妙なことがわかった。和也の友人で渋沢進という男が優子に色目を使っているのだ。優子は全く相手にしていなかったのに、事件当日渋沢進とホテルに入ったことが確認された。捜査の手はこの二人に絞られ、重要参考人として事情聴取が行なわれた。
 大倉優子が当直明けでマンションに帰ったところ、三人の男が待ち受けていた。
「大倉優子さんですね」
 優子がうなずくと克彦は手帳を見せた。
「警察の者ですが、署にご同道願います」
 優子の顔色が一瞬変わったがすぐに平静に戻った。
 取調室で岡上係長が尋問を始めた。克彦は固唾を飲んでそれを見つめる。
 優子は流し目で克彦を見た。その視線を受けて克彦はぞくっと感じた。
「あなたは西尾信次と不倫関係にありましたね」
 岡上係長の質問に優子がはい、とうなずく。
「では、あなたは信次と結婚するために邪魔になる妻の茂子を殺害しましたね」
 優子は激しく首を振って否定した。
「私は信次さんとその時刻にホテルにいました。それは信次さんに聞いて貰えばわかります」
「それは聞かなくてもこちらの調べでわかっていますよ」
「それなら私が殺せる筈はないでしょう」
「あなたは実行犯ではない。しかし、殺害を計画した主犯です」
「そんな、無茶な」
「大川和也という男を知っていますね」
 優子の顔色が青ざめた。
「以前から付き合っているボーイフレンドです」
「西尾信次と知り合う以前からの付き合いですね」
「そうです」
「では、渋沢進という男は?」
「それも最近知り合ったボーイフレンドです」
「色々男が居るんですな」
 岡上係長が皮肉っぽく笑った。
「あなたは大川和也に茂子殺害をそそのかしましたね」
 優子の頬が引き釣った。
「いいえ、違います。和也が犯人の筈はありません」
「ほう、なぜですか?」
「和也はB型ですよ。犯人はO型でしょ」
「おや、よく知っていますね。これは捜査官しか知らない事なんですがね」
 優子の手からハンカチが落ちた。
「犯人がO型というのは……。そうです。夫の信次から聞いたんです」
「なるほど、だから和也では有り得ない。すると犯人は渋沢進ですか? 進はO型ですよ」
「進の筈もありません。だって、進はその時刻にゲームセンターに居たんですから」
「よく御存知ですね」
 岡上係長は不気味に笑った。
「だから、和也も進も関係ありません。もちろん私も」
「ところが、そうではないんですね。犯人は実はB型だったのです」
「そんな馬鹿な」
「そこまで強情を張るなら種明しをしましょう。あなたは当日の夕方、コンドームを使って進と性交してO型の精液を採取しましたね。そのコンドームと合鍵を和也に渡して、その夜、茂子を殺害するように指示しました。和也は指示通りに暴行してから茂子を殺害し、コンドームの精液を膣に注入したんです。その時刻、貴方と信次はホテル、進はゲームセンターと完璧なアリバイがあります。和也は血液型が合わない。見事な完全犯罪ですね。ところが、あなたも一つだけ手抜かりがあったのです」
「手抜かり?」
「そうです。まさに千慮の一失とでもいうべきか。陰毛ですよ。陰毛」
「陰毛?」
「和也に茂子を犯すときはコンドームを使うように指示したまでは良かったのですが、性交による陰毛の脱落に気がつかなかったのが致命傷でしたね」
「陰毛が……」
 優子が呟いた。
「そう、現場に残っていた陰毛はB型だったのです。だから犯人はB型の男であることは明らかです」
「でも精液を注入したという証拠はないでしょう」
「それを証明することはいずれ出来ますよ」
「まさか、陰毛が……」
 優子が呻いて肩を落とした。

「西尾信次さん、そろそろ吐いたらどうですか」
 岡上係長はタバコを取り出して信次にすすめた。
「私はなにもしていませんよ。そのときホテルにいたというアリバイがあります」
 信次はゆっくりと手を延ばしタバコを一本抜き取った。完璧なアリバイがあるという自信からであろう。その表情にはゆとりさえ見られた。
 岡上係長がライターを差しだし火をつけた。
「でもねえ、実行犯でなくても殺人教唆という罪もあるんですよ」
「殺人教唆? 私が誰に殺人を頼んだというのです?」
 岡上の目が厳しく光った。
「あんたは優子と共謀して大川和也に奥さんを殺させた。そうに間違いありませんね」
「大川和也なんて知りませんよ。会ったこともない」
「大川和也は大倉優子のイロでしてね。あんたと付き合う前からだそうです」
「優子にそんな男がいるはずはありません」
「ちょっとねえ」
 岡上はうんざりしたように信次を見据えた。
「別の男のことをぺらぺら喋る女はいませんよ」
「優子に限ってそんなことは……」
 岡上係長はテーブルを叩いた。
「どこまでおめでたいんだ。和也の他に渋沢進という男もいるんだぞ」
 信次の顔色が変わった。
「じゃあ、私が騙されていたわけですか」
「騙されていたのか、すべて承知で犯行に荷担したのか。それでずいぶん罪の重みは違うんだがね」
 信次の手が震えた。
「優子が主犯です。私は優子の指示で鍵の複製を渡しただけです」
「ほう、そうすると優子が奥さんを殺すことは知っていたんだね」
「具体的な方法は知りませんでした。悪いのはぜんぶ優子です」
「土壇場で往生際の悪い話だが、一応共犯ということにはなるな」
「私は関係ありません。計画したのも実行したのもみな優子です。私は利用されただけです」
「そうさ。あんたは利用されただけだ。もっと言うなら、優子と結婚したら次はあんたが殺される予定だった。あんたを殺して優子が財産を相続し、和也と高飛びするつもりだったことまで全部吐いているさ」
 がくりと首を落し、信次は拳を握りしめていた。

「それにしても、タチの悪い犯行だったね」
 克彦はビールを飲み干しながら言った。
「陰毛が解決の糸口になったとは皮肉だな」」という。
 それから亜紀に向いて言った。
「亜紀、セックスした後は陰毛をきれいに片付けて置けよ」
 亜紀が真赤になって横を向いた。
「どうして大川和也が実行犯だと気がついたのだね」
 克彦が尋ねた。
「大川和也の名前は知らないが、優子の周辺にB型の男がいて、これが実行犯だとは容易に推察できるだろう。問題はO型の精液だが……」
「どうして殺した後に注入したことがわかったの?」
「鑑識では精子の運動を認めず、とあっただろう。性交して、精液を鑑識に回すまでの時間を考えると、精子が完全に死んでいることはおかしいぞ」
「どういうことだ」
「性交で直接膣内に射精した精液なら、かなりの時間精子は生きている。コンドームで採取し、しかも時間が経って注入したことは明らかだ。コンドームには避妊のために精子を殺す薬剤が塗ってあるからね」
「なるほど、犯人はO型だと思わせるトリックだった訳だ」
「完全犯罪を狙ったトリックさ。優子という女、なかなか頭が良いね」
 健一は満足そうにビールを飲み干した。            
        
                 了

人妻殺人事件

執筆の狙い

作者 大丘 忍
ntoska314132.oska.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp

これまで私の小説は、自分の経験を基にした私小説が主でしたが、(官能小説も妻とのセックス経験は豊富ですから)今回は全く異なる分野、つまり推理小説に挑戦してみました。推理小説として成り立っているかどうかお聞かせください。
探偵は、アームチェアー探偵、つまり安楽椅子に座って捜査状況を聞きながら推理すると言う推理小説のジャンルの一つです。

コメント

shion
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推理小説にしてはちょっとリアリティが足りないような気がしました。DNA鑑定とかできる気がしますしね。全体的には悪くないのですが、もう少し情景描写があってゆっくりと展開してもいいかもしれません。

目明かし
softbank126159207231.bbtec.net

AB0式でクロかシロかというのは、1968年三億円事件捜査の発想ですよ。
やはり現在はDNA鑑定捜査です。精液のDNAと、同意書に基づいて毛髪か口腔内から採取した
モノで。あと係長。警部補、と表記したほうがリアリティがあるかと。

u
opt-211-132-66-15.client.pikara.ne.jp

読みました
大丘さんのかなりの旧作とお見受け
↑指摘のように現在ではDNA鑑定―――精度も高いし、鑑定時間も早くなっています
マアそれはおいといて、推理小説としては「アリバイ崩し」かなー? って思っていたら
血液型とか精液(精子のフレッシュ度ww)――この部分大丘さんの医学者的な知見
陰毛―――大丘さん大好きなエッチ
ここらへんが作中に出ていておもろかった

克彦健一亜紀の掛け合いがオモロイ 特に亜紀さんの大人の恥じらい? 良いですね

御健筆を

大丘 忍
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shion様、 目明し様、 u様
 まとめてのコメントで失礼しますが、皆様が同じようなことのご指摘ですからここで内幕を明かします。
 私が小説を書き始めたのは今から20以上年ほど昔の、私が60歳台に入ってかなりたったころでした。小説とは架空の物語であるとの先入観を持っておりましたので、自分のことを書いた私小説などがあることを知りませんでした。
 はじめのころ、小説とは架空のことを書くのが一番書きやすいだろうと考えて推理小説を書いてみました。これはずっと以前にどこかに発表したことがあるかもしれませんが、最近古いパソコンを調べているうちにこの小説の載っているフロッピーを発見しました。
 最近私が書いているのはほとんど私小説ばかりのようですから、全く別のジャンルという意味で、推理小説のこの旧作を手直ししました。したがって、血液型鑑定などかなり時代遅れになっていると思いますが、最新の捜査状況は知りませんのでそのままにしております。従って時代は昭和の終わりごろと考えてください。
 警察機構、捜査状況など具体的なことは知りませんので、いわゆる安楽椅子探偵の形態をとりました。これなら、捜査結果を聞いて推理するということになりますので、捜査の具体的な状態を細かく描写する必要が無くなると思ったからです。したがって、小説の面白みはトリックさがしということになりますね。実際の犯罪においてはこんなにうまくいくことはないと思いますが、謎解きのゲームとして楽しめばよいと考えました。
 セックスをしたときに、陰毛が布団に落ちていたことを思い出し、これをネタに使いました。健一が亜紀をからかう部分を追加して大丘 忍好みのお色気味を少し加えました。
 この安楽椅子探偵モノはあと二つありますので順次掲載します。
 読んでいただき、いろいろなご指摘を有難うございます。

夜の雨
ai199026.d.west.v6connect.net

「人妻殺人事件」読みました。

読ませる作品だなぁ。人間味のある推理小説として面白かったです。
しかし、最初から犯人は被害者の夫である「信次」の「身辺として書いています」ね。

だから信次にアリバイがあっても、警察関係は強気で取り調べをしています。
普通は、最初から思い込みで捜査を進めると、犯人がほかにいた場合、取り逃がす可能性があります。
アリバイは人間の証言だけでなく、ラブホテルにしけこんだのなら、周辺の防犯カメラを調べれば、アリバイの有無がわかります。
防犯カメラのほかに近くに車が停まっていたのなら、車窓のカメラなども捜査に役立ちます。
●殺された被害者の時間帯がわかれば、その時間の周辺の防犯カメラ等を調べれば、怪しい人物が浮上すると思います。
●なので、警察に「信次」が「妻が殺された」という一報が入った後、警察が動きますが、このときに、小説としては「手広く捜査を警察がしている展開にする必要がある」と思います。
そのあと、犯人がほかではなくて、「信次」に近い者という具合に、捜査の範囲を狭めていく。

●御作だと、このあたりからの物語になりますね。●

●血液型だけではなくて、DNAで調べれば、確証高いと思います。ただし、一卵性双生児の場合はDNAが同じなので、捜査を惑わすことが可能ですが。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
御作の良くできているところは「話を進めている健一や茂子、それに、克彦などが、人間味がある雑談をしながら推理が展開しているところです」。
ただ、おしいのは、推理と警察の動きは健一よりも「岡上係長」の追い込みで話が展開している感じです。
あと、犯人側にも人間味を持たせると、良くなるのでは。

どちらにしろ、面白かったです。

加茂ミイル
i114-185-16-165.s42.a014.ap.plala.or.jp

結構インテリっぽい内容の話で、途中、難しく感じたりしました。
それにしても、世の中、手の込んだ犯罪のために頭を使うことは労を惜しまないのに、
もっと真面目に善い生き方をするための努力に価値を見出さない人間がいるのは、
どうしてなのでしょうね。
リスクの大きい犯罪に手を染めるよりは、
地道にコツコツと生きてる方がよっぽど楽だと思うんですよね。
でも、そういうのって、どこかでスリルを味わいたいタイプの人が犯罪に手を染めるんでしょうかね。
犯罪するくらいなら、欲を捨てるっていう方法もあるのに、
そこまでして捨てられない欲なんてあるんでしょうかね。
何だかふとそんなことに思い至ってしまいました。

ドリーム
27-136-247-172.rev.home.ne.jp

拝読させていただきました。

犯人捜しですね。私も刑事もので推理小説を考えたことがあります。
これは難しい、書き手は読者に対して簡単に犯人を当てられては困る訳です。
そこで書き手は、いろんな策を持ち得て読者を欺く、これが推理小説の醍醐味
しかし私には無理で書けません。そんな小説に挑戦した大丘さまには感服します。
また例に因って、お色気を入れるとこも大丘さまらしい(笑)
何度も血液の問題が出て来ますが、やはり現代はDNA鑑定なら確実にわかります。
ただ時代背景がそれ以前のものなら問題ないと思います。
執筆お疲れ様でした。

大丘 忍
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夜の雨様
 読んでいただき感想を有難うございます。
 実際の捜査では、最初から犯人と断定せずにもっと広範囲に捜査すると思いますが、これは小説だからそれは省略しました。
 ご指摘の防犯カメラと血液型のDNA鑑定ですが、防犯カメラがどの程度設置されているか、またいつごろから設置されていたのかは知りませんので触れておりません。私が住んでいる住宅街にもどこに防犯カメラがあるのか知りませんので、防犯カメラについては気が付きませんでした。
 血液型のDNA鑑定は多くの方がご指摘ですが、それが出来れば警察の鑑識が当然行なっているはずです。鑑識ではDNA判定が行われていなかったことから、当時はまだそこまで進んでいなかったことが前提になると思ってそのままにしておりました。
 安楽椅子探偵ですから、捜査の状況を聞いて推理するという形式をとりましたので、捜査の中心は岡上係長になり、克彦がそれを伝えるという形式にしております。
 推理小説は謎解きの面白さを要求されますので結構難しいのだなあと実感しております。
 まだ二作ほどありますのでお楽しみを。

大丘 忍
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加茂ミイル様
 読んでいただき感想を有難うございます。推理小説でも、安楽椅子探偵ものは謎解きに中心が置かれますので、犯人像の作成には苦労しました。人間、色と欲に取りつかれていろいろなことを考えるものですね。謎解き物として楽しんでいただければいいと考えました。

大丘 忍
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ドリーム様。読んでいただき感想を有難うございます。
 確かに推理小説は難しいですね。謎をどのように配置していくか。そしてその謎をどのように解き明かしていくか。これは実際に書いてみると難しいものです。
 推理小説では、動機に重点を置くもの、トリックに重点を置くものなど、見所が違います。この小説は安楽椅子探偵ですから謎解きが主体となります。
 本作では、いろいろの手がかりにすべて逃げ道があって完全犯罪をもくろんだのに、全く思わぬことから真相を見抜くということ、それにすこしお色気を加味しました。
 書く方もにやにやしながら書くのですが、これの元本を書いたのは若い頃で、お色気部分は最近追加しました。

5150
5.102.5.24

拝読しました。

人妻が強姦されたあとに殺された。
第一発見者は夫。血液型はO型で、動機もある。

強姦して物盗りか、夫の仕業か、あるいは第三者の可能性もある。

しかし、夫のアリバイは鉄壁。

現実的に考えると、夫の可能性が高いケース。しかし、決定打はなく、アリバイを証言した女を当たってゆくうちに、陰毛が出てきて、第三者の可能性も浮上してくる。

捜査では、状況や証拠品、聞き込みなどから、いくつか仮定を作り出してゆき、そこに新たな発見があれば、仮定をさらに練り上げ絞り込んでゆく。読者も同じように、頭で仮定を繰り返しながら、読み進めてゆくと思います。

御作は前半でアリバイ崩しで進むかと思わせ、それをせずに、そこからさらに謎を滲ませてゆくその流れが絶妙で、すごく好きです。この辺りが御作を読む醍醐味なのではないでしょうか。十分にスリリングだと思います。中だるみしなかったですね。

大丘さまの小説って、剛と柔の混じった(普段のものは、剛寄りですが)文体が魅力的だと思ってます。いつもとは違う推理小説でも損なうどころか、さらにメリハリがついて、それが御作をさらに読み進めやすくしていると思いました。

陰毛がネタとなって発想されたと書かれています。普通推理小説って、その構造からすると、まずトリックというか、後半部分が先にあって、それからどんどんと登場人物を繋げてゆくように思います。逆に、頭から普通に書くと構造上、うまくいかないと思うんですよね。やっぱり大丘さまもそのような書き方だったんでしょうかね、とふと思いました。

僕は松本清張の作品が大好きで、今でもよく読み返すんですが、天藤真とか、そういう時代の推理ものを思い浮かべていました。このサイト、純粋な推理ものって、ほとんど上がらないので、まだあるようでしたら、もっと読みたいです。

大丘 忍
p1793091-ipngn200202osakachuo.osaka.ocn.ne.jp

5150様
 読んでいただき感想を有難うございます。推理少説は読んで面白いということが必要ですね。その重要な要素として謎解きがあります。これは犯罪の動機、犯罪手段、特にトリックなどの謎解き。これ等を巧みに配した小説が面白いのですが書いてみると結構卯難しいのですね。その点、売れっ子の推理小説は上手く書いてあるので感心します。
 という訳で、素人である私は主として謎解きに重点をおきました。解けたと思ったら又次の謎が出る。その謎を次々解いていくということですね。
 実際に書いてみると、推理小説は難しいなあと思いました。日常のありふれたことを書けば良い普通の小説違って、わざわざ人が思いもよらぬことを書くのですから、そう簡単には書けませんね。その点、プロの推理小説作家は偉いもんだと感心しました。
 次作も推理小説を準備しておりますが、殺人方法の謎よりも真犯人は誰かに重点をおいております。お楽しみに。

アイス
p76ed5eaa.kngwnt01.ap.so-net.ne.jp

Uきゅ~を入れてくださるのは結構嬉しいの気候も軒口です。
はんぱんばんトんぐんにひとあわふかせてやるんです。
きこうけっこう嬉しいそれにいつもいます。
まあその寺内なら適切でしょう。
寺内に30000以内があれば成功ですがあ。

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