作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

転校生からの贈り物

『転校生からの贈り物』

 その日は香織の十五歳の誕生日だった。夕暮れの食卓には栗や椎茸、牡蠣や秋刀魚などの手料理が並べられ、久しぶりに娘とゆっくり話がきると期待していた。
「母さんの牡蠣のスープ美味しい? 栗ご飯はどう? ケーキもあるのよ」
「うん。美味しいよ」
「香織。学校の方はどう? みんなとは上手くやれているのか?」
娘は無言だった。私は、娘に友人がいないことを心配していたのだ。
 娘は食事を終えるとナプキンで唇を拭いてから言った。
「あたし、転校生の子と仲良くなった」
「そうか! 良かったじゃないか。それで、どんな子なんだ?」
「知らない」
「知らないってなんだ」
「あなた、もう良いじゃない」
「母さん、なに言ってるんだ。良くないよ」
 私は、一人娘である香織のことをいつも心配し、傷一つつけまいと大切に育てたつもりだ。でも、それが良くなかったのか、娘は令嬢のように気高く、勝手気ままな性格に育ってしまった。クラスメイトなど相手にもせず、いつも自分の部屋でピアノばかり弾いていた。その娘が、その転校生とは初対面で打ち解けたと言うのだ。
「父さん、香織のことが心配なんだよ」
「その子、ピアノが上手みたい」
「それだけか?」
「そうよ。じゃあ、あたしピアノの練習するから」
「待ちなさい!」
「もう良いじゃない。ねぇ、怒ってばかりいないでワインでも飲んで。これ高かったんだから」
香織は部屋に戻っていった。すると、すぐにモーツァルトのピアノ曲が二階から響いてきた。娘の自由奔放な性格は、私の躾のせいじゃない。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この希代の変わり者の性格が、その作品を通して娘に影響を与えているのかもしれない。

 私はワインを飲みながら考え続けた。それにしても、なぜ初対面で友人になれたのだ? もしかしたら、その転校生と娘は、互いの心に共通する部分があったのかもしれない。同類の気配を察知できるのは知性ではない。それは嗅覚にも似た動物的直感なのだ。でも、とにかく友人ができたことは良いことに違いないのだ、と私の理性が不安を掻き消してくれた。
 娘は贈り物まで貰っていた。それは古い映画を録画したディスクだった。

『ノストラダムスの大予言』

 就寝前にその映画のことを調べたら奇妙なことがわかった。世界の終末を描くその映画は、公開後すぐに発禁版となっていたのだ。それを居間にいる娘に伝えようと思い、階下に降りて行くと、娘は灯もつけず、暗い中それを一人で観ていた。
 どす黒いヘドロと空を覆う光化学スモッグ。巨大化したナメクジの大量発生。喜んで投身自殺する若者達。カニバリズム。暴動。核戦争。奇形化した人類は、巨大なナメクジやミミズを奪い合って食べていた。娘は、大画面に展開するおどろおどろしい映像を食い入るように観ていたのだ。私は一瞬目眩がし、思わず声をあげてしまった。
「そんなものを観るのはよしなさい!」
娘は何も答えなかった。目眩は更に激しさを増し、私は寝室に戻るとベッドに倒れ込んでしまった。

 翌朝になっても私は体調が優れず、熱も出ていた。しかし、重要な会議があるため休むわけにはいかなかった。居間で妻と一緒に市販の薬を探していると、娘が扉の横に立っていた。
「これ、いつも飲んでいるの」
娘がくれた錠剤を冷水で胃に流し込むと、不思議なほど楽になった。

 会議は午後から二十五階の会議室で始まったが、熱がぶり返して意識が朦朧とした。錠剤をまた飲もうと思いポケットから小瓶を出すと、それは空になっていた。もう何も考えられず、ただぼんやりと窓の外を眺めていたら、部下に声を掛けられた。
「凄い汗ですよ。冷房を強くしてもらいましょうか?」
「あ、いや、大丈夫だよ」
また窓の外を眺めると、いつの間にか手前のビルの屋上にセーラー服の少女が立っていた。彼女はじっと私の方を見ていた。見覚えのある顔だったが、いつどこで会ったのか思い出すことはできなかった。すると彼女は微笑みながら前に歩き出した。彼女は屋上の縁のコンクリートの外枠の上に立つと、にっこりと笑ってみせた。私は窓に駆け寄り、厚い強化ガラスを狂ったように手で叩いた。
「おい、よせ! やめろ!」
彼女は大気に身を任せるように身を投げた。まるでフィギュアが空中でワルツを踊っているようだった。

 一階の診療所で目を覚ますと隣に妻がいた。会社から連絡を受け、車で迎えに来てくれたのだ。
「あなた大丈夫?」
「心配を掛けてすまない。でも、もう大丈夫だよ」
妻に少女の飛び降り自殺のことを話すと、彼女は、そんな事件は聞いていないし、私が急に奇声をあげて倒れたと聞いていると言うのだ。どうやら今朝飲んだ薬の影響で幻覚を観たようだ。

 車の助手席で浴びる堤防道路の風は心地良かった。堤防沿いの広場には、サッカーをする少年達や、犬を散歩させている人達が沢山いた。その夕暮れ時の情景は、モネの風景画を連想させた。ただ毎日が静かに過ぎてゆくだけ。そして、いつの日か生き終えるだけ。それで良いのだ。それが幸福なのだと思った。と、そのとき、空に閃光が走った。
「今のなんだ? 雷? それとも隕石?」
 妻に車を止めてもらい、堤防道路の側道に立つと、オレンジ色の夕陽が河口堰の方に見えた。しかし、それは沈むどころか膨張していたのだ。溶鉱炉のように眩しく輝き、溶鉄が今にも溢れ出しそうだった。巨大な火球はさらに膨張し、遂に閃光を放って炸裂した。衝撃波に吹き飛ばされた私は、土手を転がり落ちて気を失った。

 意識が戻ると、モネの絵画は地獄絵図と化していた。車は横転しており、車内に妻の姿はなかった。堤防を彷徨い歩いて彼女を探すと、煮えたぎった河に魚や人々の遺体が浮遊していた。その気色の悪い「煮物」は、異様な臭気を辺りに漂わせていた。広場にはサッカーをしていた少年達や、散歩していた人々の焼死体が散乱していた。妻の死が頭をよぎったが、娘を助けるために自宅に向かった可能性を信じた。一縷の希望を胸に、私は自宅へと急いだ。道中には赤茶色に焼けた車や、黒い木炭と化した人々の遺体が散乱していた。不気味なほど静かな街に、生温かい風が吹き荒れていた。

 やがて漆黒の闇夜の中に我が家が見えた。それにしても不思議だった。道中にある家屋は全て倒壊していて、街は焦土と化していたのに、我が家だけは無傷で、灯台のように明かりを灯していたのだ。玄関の扉を開けて中に入ると、そこには「日常」があった。妻はいつもの笑顔で、「お帰りなさい」と言った。
「大丈夫? 君、怪我はないの?」
「何かありましたか?」
何が起こっているのか理解できなかったが、とにかく娘の安否が優先だった。
「ところで香織はどこ?」
「友達と部屋で遊んでいるわ」
そのときモーツアルトの幻想曲が響き渡り、私は二階の娘の部屋へ急いだ。

 部屋の扉を開けると、ピアノを弾いていたのは香織ではなく、白い薄衣を着た少女だった。その肌は透き通るほど白く、一瞬幽霊かと思った。彼女が香織の好きな幻想曲を弾いていたのだ。少女はピアノを弾く手を止めると笑みを浮かべた。見覚えのある笑顔だったが、誰なのかはわからなかった。

「君は誰なの?」
「あたしは光。あなたたちの希望」
「君が世界を焼いたの?」
「そう」
「なぜ希望が世界を焼くの?」
「あなたたちが望んだから」
「破滅など望んでない!」
「いいえ。いつも望んでいるわ」
「世界は死んだの?」
「光が影を消しただけ」
「娘はどこにいるの?」
「あなたのそばに」
「えっ! どこに? 香織は生きているの?」
「あの子はフィギュア」
「なにを言ってる? 香織は今なにをしている!」
「あの子はワルツを踊っているわ」
「まっ……まさか、ビルから飛び降りたのは? 娘は死んだのか? もうあえないのか?」
「いいえ、あえるわ」
「どうすれば!」
「光を消せば」
私は少女に歩み寄り、その首に両手を添えた。彼女は抵抗もせず、妖しく微笑んでみせた。渾身の力でその首を締めると手の中で何かが砕けた。彼女は息絶え、血の混ざった一筋の唾液が口から流れ落ちた。と、そのとき、記憶が蘇った。その少女は香織だったのだ。全身から汗が吹き出し、体ががたがたと震えた。

「嘘だ。ありえない。あるはずがない。これは夢だ。夢を見ているのだ!」

 叫び声とともに目覚めると、モーツァルトのピアノ曲と小鳥たちのさえずりが聞こえた。窓を全開すると秋の空が広がり、爽やかな風がカーテンを揺らした。そして、聞き慣れた口喧嘩が聞こえたのだ。
「凄く良い。素晴らしいわ」
「お母さん、うるさいから黙っていてよ」
「良いじゃない。意地悪な子ね」
よく聴くと、その演奏はいつもと何かが違っていた。その幻想曲は連弾で演奏されていたのだ。娘の部屋の扉を少し開けて中を覗き込むと、妻と娘が鍵盤の前に座っていた。楽しそうにピアノを弾く彼女達が、悪戯好きな妖精に見えた。

終わり

転校生からの贈り物

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

試しにホラーを書いてみました。怖いですか?短いのでサラッと読んでください。

コメント

飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

ああ最初から大チョンボだ。苦笑
「話がきる」✖︎
「で」が脱字
「話ができる」○
削除機能が欲しいにゃあ。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

>試しにホラーを書いてみました。怖いですか?短いのでサラッと読んでください。

怖くないですね。
そもそも小説で他人を怖がらせることが可能なのか。
それすら疑問に思っているので仕方ないですね。
さらに言えば、ホラー映画にしても怖いものは一つもありません。
ビックリすることはありますけどね。
もっと言えば、現実の幽霊ですら怖いものではないです。
従ってハードルはすごく高い気がしますね。

その一方で文章としては問題ないですし、内容は伝わっていると思います。

気になった点としては、
>『ノストラダムスの大予言』
ネタとしては古いです。

転校生からの贈り物としたら、
「呪いの〇〇」みたいなグッズが良いのではないでしょうか。

5150
5.102.1.246

>>その日は香織の十五歳の誕生日だった。夕暮れの食卓には栗や椎茸、牡蠣や秋刀魚などの手料理が並べられ、久しぶりに娘とゆっくり話がきると期待していた。
「母さんの牡蠣のスープ美味しい? 栗ご飯はどう? ケーキもあるのよ」
「うん。美味しいよ」
「香織。学校の方はどう? みんなとは上手くやれているのか?」
娘は無言だった。私は、娘に友人がいないことを心配していたのだ。


冒頭では誰の視点なのかわからず、やや混乱気味に進んでしまいました。娘と母が出てくる。で、一人称の私、が出てくるのが、7行目。最初は三人称かなと思ってました。

>並べられ、(私は)久しぶりに娘とゆっくり話がきると期待していた。

普通に考えたらここでしょうか。単に忘れたのか、意図があるのか。

飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

5150様
御指摘ありがとうございます。
そこは冒頭だから、きちんと「私」を入れてわかり易く滑り出した方が良かったですね。

飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

偏差値45様
怖くないんですね。実は自分でも怖がらせることを最重要とは考えていません。
でもまだ暑いから読者に冷やっとして貰いたかったのです。

三枝松平
ntngno151245.ngno.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp

飼い猫ちゃりりん 様

 よませていただきました。
「怖かった?」と質問される前にご自分はいかがでしたでしょうか?
 怪談の要素に「事実と思わせる確固たる事柄が存在する」と言うのがある、と聞いたことがあります。
 悪い言葉で言いますと「うその積み重ねには怖さを感じない」ということなのですね。
 
 冒頭も、ただ秋の食べ物を羅列すれば美味しいの?そこに色合いとか香とか、読者に納得させる要素をぜひ入れてほしいですね。

 サラッとは読めました。

飼い猫ちゃりりん
KD106128157037.au-net.ne.jp

三枝松平様
いつも読んで頂き感謝しております。

怪談的怖さ……とは別の怖さを狙っていたのですが、とにかく怖くないんですね。

食べ物の名前を並べたからには、その香りや美味しさを表現することが基本とは思いますが、ぶれを心配してしまいました。

アリアドネの糸
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 小説内リアリティとリアルにおけるリアリティとの差異が見えてくるような作品でした。よい小説というのは、その二つが重ねあった状態になるように仕向けられているものですが、こと、恐怖という感情に関しては、リアルにおけるリアリティの比重を強く意識しないといけないように思います。例えば、
例えば、B級のホラー小説なんかで
暗闇の中からヒタヒタと足音が聞こえる。
みたいな表現があるわけですけど、ヒタヒタなんかは完全に小説内リアリテイなのですが、はいよる感じがリアルにおけるリアリティとして呼び起こされます。だから、ホラーは(現実感とは異なる感触をもつ)小説的修辞を使いながら、あんがい雰囲気が写実的なのは、そういうことのようにも思います。

 でもこの作品はかなり幻想的なので、リアルにおけるリアリティもまた小説内リアリティの包装紙にくるまれてあって、つまり、上の例と対比させてむりくり文章を作るならば、○○なる表現は小説内リアリテイなのですが、はいよる感じが小説内リアリティーのフレームの中で実現するリアルにおけるリアリティでした、みたいなそういう感想になってしまうのかと思います。書きたいことはだからこそ、小説内リアリティと現実のリアリティとの関わり方を意識することができたので、大変、学ぶところの多い作品でした。絵画的な文章がもつ力というのはこういうところにもあるのだなと思いました。

 個人的によかったところは、やはり最後のところ。娘しかいないはずの部屋の中から連弾ピアノの音が聞こえてきたというホラーな感じですっと終わりそうなところを、娘と妻が楽しそうにピアノを弾いていたという、美しく柔らかい一枚の絵で終えているところです。娘をくびり殺した地獄みたいな状況との対比として鮮明であること。より繊細な形での期待の裏切り。それから、それだからこそ、取り返しのつかない印象が付き纏うことなど、うーん、巧い。また、この短さでまったく過不足がない。ヤバイ。

飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

アリアドネの糸様
詳細に分析してもらって嬉しいです。
ただ自分としては失敗作と思っています。
理由①脱字一字あり
理由②言葉の選択誤り
   気高い✖︎気位が高い○
理由③冒頭の料理の描写をするべき
   (三枝様指摘)
理由④ストーリーの線が細く、読者を迷わす。
理由⑤モーツァルトの幻想曲ニ短調の雰囲気が表現できていない。
 その他あげれば切りがないので又推敲してみます。ありがとうございました。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

指摘の部分を書き忘れました。

雰囲気とかイメージはすごくよく描けていると思うのですけど、一貫性のあるメッセージを見出すほど昇華されていないように思いますし、不思議で奇妙な物語として納得するには竜骨のストーリラインをひとかたまりの意味として捉えにくいように思います。また、ディテールに力はあるのですけど、一つのところに向かって結実しにくいというか、結実する先が案外上っ面なのではという疑念があります。(でも、まあ、それでいいのかもしれません)そうですね、耽美主義に沿って仕立てられた美しい小説って感じ。
Aさん) どんな小説だった?
B君)うん、美しかったよ。
Aさん)質問に答えてなくない? 
みたいな感じでしょうか。

普通に読むと、結局この作品なんだったの? て思っちゃうのではないかと。

描写の巧さゆえに見過ごしてはいけない程度に訴えるものがあるのだけど、訴えるひと塊を見出せるほどの強度もないというかそんな感じなのかもしんない。

飼い猫ちゃりりん
123-48-75-100.dz.commufa.jp

アリアドネの糸様
私自身が感じていたことを言葉にして頂いた感じです。
おそらく、この作品にメッセージは無いのだろうと思えるし、もしあるとすればそれは主人公と少女の会話かもしれませんが、私が描きたかったものは、モーツァルトの幻想曲ニ短調のパトス、パトス?モーツァルトにパトスなんてないだろうし、一体彼は何者なんだ?光なのか?希望なんてけちな病ではなく、もっと幸福で、巨大で、恐ろしくて、ああ何を言ってるんだ。
私はとにかく表現し切れていない。ただそれだけです。

飼い猫ちゃりりん
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サラッと推敲してみました。

『転校生からの贈り物』

 その日は香織の十五歳の誕生日だった。妻は夕暮れの食卓に栗や椎茸、牡蠣や秋刀魚などの手料理を並べ、私は久しぶりに娘とゆっくり話ができると期待していた。
「母さんの牡蠣のスープ美味しい? 栗ご飯はどう? ケーキもあるのよ」
「うん。美味しいよ」
娘は栗を口の中で転がしたかと思えば、ケーキに載っている苺を指で摘んで舌先で舐めた。その下品でエロティックな仕草が私をいらつかせた。
「香織。学校の方はどうなんだ。みんなとは上手くやれているのか?」
娘は私を無視していた。私は、娘に友人がいないことを心配していたのだ。
 娘は食事を終えるとナプキンで唇を拭いてから言った。
「あたし、転校生の子と仲良くなった」
「良かったじゃないか。それで、どんな子なんだ?」
「知らない」
「知らないってなんだ」
「あなた、もう良いじゃない」
「なに言ってるんだ。良くないよ」
 私は、一人娘である香織のことをいつも心配し、傷一つつけまいと大切に育ててきた。でも、それが良くなかったのか、娘は気位が高く、勝手気ままな性格に育ってしまった。クラスメイトなど相手にもせず、いつも自分の部屋でピアノばかり弾いていた。その娘が、その転校生とは初対面で打ち解けたと言うのだ。
「父さんは香織のことが心配なんだ」
「その子、ピアノが上手みたい」
「それだけか?」
「そうよ。じゃあ、あたしピアノの練習するから」
「待ちなさい!」
「もう良いじゃない。ねぇ、怒ってばかりいないでワインでも飲んで」
「君がピアノなんて買い与えるからいけないんだ」
「でも楽しいんだから良いじゃない」
 香織が二階の部屋の扉を閉める音が響くと、続いてモーツァルトのピアノ曲が響いてきた。娘の自由奔放な性格は、私の躾のせいじゃない。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この希代の変わり者がつくった音楽が、娘の心に悪影響を及ぼしているのではとさえ思っていた。
 大体音楽なんて何の役に立つと言うのだ。そんなもので生活できやしない。なのに妻はそれを容認し、それどころか、娘には才能があるなどと言って喜んでいる始末なのだ。

 私はワインを飲みながら考え続けた。それにしても、なぜ初対面で友人になれたのだ? もしかしたら、その転校生と娘は、互いの心に共通する部分があったのかもしれない。同類の気配を察知できるのは知性ではない。それは嗅覚にも似た動物的直感なのだ。でも、とにかく友人ができたことは良いことに違いない、と理性が不安を掻き消してくれた。
 娘は贈り物まで貰っていた。それは古い映画を録画したディスクだった。

『ノストラダムスの大予言』

 就寝前にその映画のことを調べたら奇妙なことがわかった。世界の終末を描くその映画は、公開後すぐに発禁版となっていたのだ。それを居間にいる娘に伝えようと思い、階下に降りて行くと、娘は灯もつけず、暗い中それを一人で観ていた。
 どす黒いヘドロと空を覆う光化学スモッグ。巨大化したナメクジの大量発生。喜んで投身自殺する若者達。カニバリズム。暴動。核戦争。奇形化した人類は、巨大なナメクジやミミズを奪い合って食べていた。娘は、大画面に展開するおどろおどろしい映像を食い入るように観ていたのだ。私は一瞬目眩がし、思わず声をあげてしまった。
「そんなものを観るのはよしなさい!」
娘は何も答えなかった。目眩は更に激しさを増し、私は寝室に戻るとベッドに倒れ込んでしまった。

 翌朝になっても私は体調が優れず、熱も出ていた。しかし、重要な会議があるため休むわけにはいかなかった。居間で妻と一緒に市販の薬を探していると、娘が扉の横に立っていた。
「これ、いつも飲んでいるの」
娘がくれた錠剤を冷水で胃に流し込むと、不思議なほど楽になった。

 会議は午後から二十五階の会議室で始まったが、熱がぶり返して意識が朦朧とした。錠剤をまた飲もうと思いポケットから小瓶を出すと、それは空になっていた。もう何も考えられず、ただぼんやりと窓の外を眺めていたら、部下に声を掛けられた。
「凄い汗ですよ。冷房を強くしてもらいましょうか?」
「あ、いや、大丈夫だよ」
また窓の外を眺めると、いつの間にか手前のビルの屋上にセーラー服の少女が立っていた。彼女はじっと私の方を見ていた。見覚えのある顔だったが、いつどこで会ったのか思い出すことはできなかった。すると彼女は微笑みながら前に歩き出した。彼女は屋上の縁のコンクリートの外枠の上に立つと、にっこりと笑ってみせた。私は窓に駆け寄り、厚い強化ガラスを狂ったように手で叩いた。
「おい、よせ! やめろ!」
彼女は大気に身を任せるように身を投げた。まるでフィギュアが空中でワルツを踊っているようだった。

 一階の診療所で目を覚ますと隣に妻がいた。会社から連絡を受け、車で迎えに来てくれたのだ。
「あなた大丈夫?」
「心配を掛けてすまない。でも、もう大丈夫だよ」
妻に少女の飛び降り自殺のことを話すと、彼女は、そんな事件は聞いていないし、私が急に奇声をあげて倒れたと聞いていると言うのだ。どうやら薬を飲み過ぎて幻覚を観たようだ。

 車の助手席で浴びる堤防道路の風は心地良かった。堤防沿いの広場には、サッカーをする少年達や、犬を散歩させている人達が沢山いた。その夕暮れ時の情景は、モネの絵画を連想させた。ただ毎日が静かに過ぎてゆくだけ。そして、いつの日か生き終えるだけ。それで良いのだ。それが幸福なのだと思った。と、そのとき、空に閃光が走った。
「今のなんだ? 雷? それとも隕石?」
 妻に車を止めてもらい、堤防道路の側道に立つと、オレンジ色の夕陽が河口堰の方に見えた。しかし、それは沈むどころか膨張していたのだ。溶鉱炉のように眩しく輝き、溶鉄が今にも溢れ出しそうだった。巨大な火球はさらに膨張し、遂に閃光を放って炸裂した。衝撃波に吹き飛ばされた私は、土手を転がり落ちて気を失った。

 意識が戻ると、モネの絵画は地獄絵図と化していた。車は横転しており、車内に妻の姿はなかった。堤防を彷徨い歩いて彼女を探すと、煮えたぎった河に魚や人々の遺体が浮遊していた。その気色の悪い「煮物」は、異様な臭気を辺りに漂わせていた。広場にはサッカーをしていた少年達や、散歩していた人々の焼死体が散乱していた。妻の死が頭をよぎったが、娘を助けるために自宅に向かった可能性を信じた。一縷の希望を胸に、私は自宅へと急いだ。道中には赤茶色に焼けた車や、黒い木炭と化した人々の遺体が散乱していた。不気味なほど静かな街に、生温かい風が吹き荒れていた。

飼い猫ちゃりりん
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(続き)

 やがて漆黒の闇夜の中に我が家が見えた。それにしても不思議だった。道中にある家屋は全て倒壊していて、街は焦土と化していたのに、我が家だけは無傷で、灯台のように明かりを灯していたのだ。玄関の扉を開けて中に入ると、そこには「日常」があった。妻はいつもの笑顔で、「お帰りなさい」と言った。
「大丈夫? 君、怪我はないの?」
「何かありましたか?」
何がどうなっているのか理解できなかったが、とにかく娘の安否が優先だった。
「ところで香織はどこ?」
「友達と部屋で遊んでいるわ」
そのときモーツアルトの幻想曲が響き渡り、私は二階の娘の部屋へ急いだ。

 部屋の扉を開けると、ピアノを弾いていたのは香織ではなく、白い薄衣を着た少女だった。その肌は透き通るほど白く、一瞬幽霊かと思った。彼女が香織の好きな曲を弾いていたのだ。少女はピアノを弾く手を止めると笑みを浮かべた。見覚えのある笑顔だったが、誰なのかはわからなかった。

「君は誰なの?」
「あたしは光。あなたたちの希望」
「君が世界を焼いたの?」
「そう」
「なぜ希望が世界を焼くの?」
「あなたたちが望んだから」
「破滅など望んでない!」
「いいえ。いつも望んでいるわ」
「世界は死んだの?」
「光が影を消しただけ」
「娘はどこにいるの?」
「あなたのそばに」
「えっ! どこに? 香織は生きているの?」
「あの子はフィギュア」
「なにを言ってる? 香織は今なにをしている!」
「きっとワルツでも踊っているわ」
「まっ……まさか、ビルから飛び降りたのは? 娘は死んだのか? もうあえないのか?」
「いいえ、あえるわ」
「どうすれば!」
「光を消せば」
私は少女に歩み寄り、その首に両手を添えた。彼女は抵抗もせず、妖しく微笑んでみせた。渾身の力でその首を締めると手の中で何かが砕けた。彼女は息絶え、血の混ざった一筋の唾液が口から流れ落ちた。と、そのとき、記憶が蘇った。なんと、その少女は香織だったのだ。全身から汗が吹き出し、体ががたがたと震えた。

「嘘だ。ありえない。あるはずがない。これは夢だ。夢を見ているのだ!」

 叫び声をあげて目覚めると、モーツァルトの幻想曲と小鳥たちのさえずりが聞こえた。窓を全開すると秋の空が広がり、爽やかな風がカーテンを揺らした。すると、妻と娘の声が聞こえたのだ。
「凄く良い。素晴らしいわ」
「お母さん、うるさいから黙って弾いてよ」
「良いじゃない。意地悪な子ね」
よく聴くと、その演奏はいつもと何かが違っていた。その幻想曲は連弾で演奏されていたのだ。娘の部屋の扉を少し開けて中を覗き込むと、妻と娘が一緒に鍵盤を叩いていた。楽しそうにピアノを弾く彼女達が、悪戯好きな妖精に見えた。

終わり

如月
KD111239189167.au-net.ne.jp

飼い猫ちゃりりん様
拝読しました。

怖いですか? という問いについては、あまり怖いとは感じなかったです。
やはり、明らかに非現実的(あるいは幻覚による夢オチ)な出来事が続くので、ホラーというよりは奇譚を読んでいる感覚でした。
一体何が起きているのか、「私」はこれからどうなるのか、というのが気になる好奇心で読み進めていった形です。

怪談的なものとは違う怖さを狙ったとのことですが、どのような怖さだったのでしょう?
先に回答されている方がいらっしゃるので繰り返しになってしまい恐縮ですが、怖いお話を書くにはある程度の現実味は必要かと。
例えば日常などをちゃんと表現する中で、主人公だけがその日常からはみ出してしまったりすると、ぞくぞくとは違いますが「あ、怖いな。不気味だな」と感じる作品になると思います。

せっかくモーツァルトの幻想曲を起用されているので、もう少しそれを活かしてもいいのでは、とも思いました。
あまり長々と曲の説明をしているとだれますが、どんな曲調なのかくらいは書いてあると親切な気がします。
トルコ行進曲くらいしか知らない読者だと、モーツァルトの幻想曲をイメージできずもったいないです。
推敲の中ではまだ見受けられませんが、これから追記されていくのでしょうか。
既に検討中ということであれば、読み流してもらって結構です。

描写する感覚は鋭いなと感じたので、飼い猫ちゃりりん様の中にあるものを言語化できれば、作品の雰囲気も変わっていくだろうなと思います。

飼い猫ちゃりりん
KD106128159058.au-net.ne.jp

如月様
読んで頂き感謝しております。
どのような怖さかと言うと、モーツァルト幻想曲ニ短調に感じられる怖さかなと言った感じでしょうか。それを説明できるなら私は文豪の域に達していると言えますが、現実には困難です。だから、説明はできなくてもそれを感じさせれないかなと思ったのです。
もし良ければその曲を聴いてみて下さい。
YouTubeで、グレン・グールド が良いかなぁと、それは人それぞれですが。

加茂ミイル
i114-185-16-165.s42.a014.ap.plala.or.jp

文章が綺麗だと思いました。

>妻に車を止めてもらい、堤防道路の側道に立つと、オレンジ色の夕陽が河口堰の方に見えた。しかし、それは沈むどころか膨張>していたのだ。溶鉱炉のように眩しく輝き、溶鉄が今にも溢れ出しそうだった。巨大な火球はさらに膨張し、遂に閃光を放って>炸裂した。衝撃波に吹き飛ばされた私は、土手を転がり落ちて気を失った。

この表現はプロ並みだと思いました。
映像がありありと思い浮かびました。

ちょっと違和感を覚えたところは、

>「あたし、転校生の子と仲良くなった」
>「そうか! 良かったじゃないか。それで、どんな子なんだ?」
>「知らない」
>「知らないってなんだ」
>「あなた、もう良いじゃない」
>「母さん、なに言ってるんだ。良くないよ」

「知らない」って言っただけでそんなに急に怒るものなかなとか思いました。

仲良くなったのに知らないなんておかしいじゃないかっていうことなのでしょうか。

ただ、もしも私が考えるとしたら、
「知らない」
「え? どういうこと?」
という反応にまずはなるのが自然じゃないかなと言う風に感じてしまいました。

ただ、その時の娘の口調や表情に反抗的なものがあったら、
反射的に気分を悪くすると言う可能性もありますね。
その場合は、

「知らない」
と突然娘はふてくされたように横を向いて吐き捨てた。

みたいな説明があるとより分かりやすいかもしれません。

ストーリーの内容はこの短さではよくまとまっており、
それにもまして一文一文の洗練された文章の質の高さに感嘆しました。

飼い猫ちゃりりん
KD106128156086.au-net.ne.jp

加茂ミイル様
読んで頂き感謝します。
それと適切な御指摘にも感謝しております。確かに「知らない」だけで怒るのは少し不自然と言えばそんな気もします。そこには普段からの娘とのすれ違いをにじませる一言や表現が必要かもしれません。

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