作家でごはん!鍛練場
そうげん

瑛珀(えいはく)第一章

   一

 上弦の月が叢雲(むらくも)に隠れて半刻(はんとき)が過ぎた。月は雲の向こう側で、いまも西の地平目ざして刻一刻と落ちかかるにちがいない。
 すでにほとんどが寝静まった夜半。折からの巽(たつみ)の風を受けて、街道沿いに繁茂する雑草の先端は粛々とそよいでいる。夜に鳴く虫の音(ね)にも、おのずと大小の波が生まれる。籾殻(もみがら)をかき混ぜたようにしきりに耳に迫るものもあれば、遠く幼子の泣くのに錯覚するような微かなものもある。しばらく夜道に立っておれば、大小の起伏のために、鼓膜の痺れる感覚を得るものだ。
 虫の音でも蛙の声でもない、乾いた明朗な響きが東の方(かた)より聞こえてくる。次第に大きくなる音に気持ちが張りつめる。すでに何度も繰り返した工程だ。月が隠れていようと、近づいてくる馬蹄の響きで相手の位置を推し量ることができた。
 楓(かえで)の根方に息を潜めていた存在は、ここ、と決め、衣の袖を振り、迫りくる馬上の相手に暗器を放つ。放たれた鉄針(てっしん)は、相手の眉間に迫る。馬蹄の立てる音の調子が乱れる。
 潜む者は腰の短剣を抜き放ち、根方から飛び出して脚を止めた騎手に迫る。が、すぐに気づく、馬にも人にも傷はない。
 夜目が利くのか、「誰だ!」と騎手が叫ぶ。声が若い。得物の鞘走る音が冷たく響く。
 瞬間、暗殺者は認めた、「負けた。あたしの負けね」
 対手(あいて)の緊張がゆるんだ。
 無理もない。その声は、女声――しかもまだ幼さの残る女声で、声の震えから、ひどく怯えながらも気丈に振舞おうとする無理が感じられたからだった。
「なぜ俺を狙う」、男の声には余裕があった。
 前脚を踏みかえるたびに、馬蹄がかつかつと小気味よい音を立てる。あれほど飛ばしていながら、馬は息切れ一つ起こしていない。
 生ぬるい微風が緩やかに抜ける。
 少女は観念した、「誰でもよかったんだ」
「金か、命か」騎手は対手を睨みつけた。
「両方よ」少女は、ぼそっといった。
「名ではないな」彼女の返答に安心したらしい。しかし抜いた剣は、依然構えたままだ。「いまひとつ訊きたい。誰の差し金だ」
 少女の身体が強張(こわば)る。
「脅しつけても構わぬのだぞ」
 少女は短いため息のあと、「わかったよ」といい、懐に右手を差し入れる。「――実は」
 ふたたび暗器を放った。苦無(クナイ)である。眉間を狙いすます鮮烈な一閃だった。しかし、男は剣をわずかに動かして軌道を遮った。金属と金属との克ち合う音が草地に拡散する。凛とした音だった。二人の間に緊張が走る。
 男は手綱をとり、馬を進めた、「死にたいか」
 少女はいう、「死なせてよ。殺せるでしょう。あたしを殺してちょうだい」
 かれも話のわからない相手ではない、「殺してほしいなんて尋常ではない。話くらいは聞いてやる。いいたいことがあればいってみろ」
 少女は逡巡するようである。
 遠くに鳥のはばたく音がした。無音のときが訪れる。本当に止んだかはわからない。つぎには音が戻っていた。
 長く隠れていた月が、雲の切れ間から覗いた。
 瑛珀(えいはく)は見た。青白い月の光がそうさせるのか、まだ幼さの残る顔立ちには確かに気品が伴っている。くっきり見開かれた目には、清い矢を心に打ち込むような力強さが感じられる。潤いのある唇は桜桃(おうとう)のように紅かった。白い肌は土や泥で汚れているものの、健康的な張りがある。絵にかいたような少女だった。彼女が魅力に溢れていることに瑛珀は気づいた。
 少女はつぎの一言を切り出せないでいる。
「言えぬか」これ以上、少女を困らせるのは忍びなかった。こちらから話題を振る。「わたしは都に用事がある。ゆえに、あまり時間をとれぬ。命を狙われたのは、わたしの身分を知ってのことと思った。だから訊いておるのだ。話せぬか」
 少女は、ためらいがちに口を開く、「あなたがどこのだれかなんてどうでもいい。金も、命も、どうでもいい。必要だからやったの。もういいでしょ。そんなこと訊いたって、一文の得にもならないよ。わたしを捕まえて好きにすればいいよ。どうせ、反抗できないんだし」
「悪い人間に見えるか」
「どうせろくでもないよ」
「嫌われたもんだな」瑛珀はつぶやく。
「嫌いも何もない。おばさんがいつもいってる。『男なんてみんな一緒。どうでもいいのと、ろくでもないのしかいない。』わたしもそう思ってるから」
「仕様もないな」
 かれは、なぜ命を狙われたかの理由を知りたかった。そこには複雑な事情があるはずだ。
「誰かに命じられたか」
 薄雲に月が見え隠れするたびに、少女のかんばせ(顔)の上の陰影も変化する。あるときは目がきらりと光り、あるときは冷めたような青白さで肌がほんのり照らされる。
 肩より長い髪は後ろに結ばれているものの、おくれ毛が風になびくのを鬱陶しがりもせず、少女はじっと彼を見る。
「おばさんよ」と少女はいった。「おばさんの命令。街道を往く人を夜討ちして身ぐるみを剥げって。あなたもそのひとりに過ぎない。あなたじゃなくたってよかった。とはいえ、あなたに出くわすなんて、あたしも不運ね。……まあ、運なんてもともとあったか知らないけど」
 少女の語り口がずいぶん砕けてきた。ふだんからそういう話し方をしているのだろう。
「おばさん――というのは、どういう」
「べつに。ふつうのおばさんよ。悪くない風に見せて、ほんとうはずるがしこいタヌキみたいな人。ふつう(・・・)でしょ」
「殺しを人に命じるのが、普通。――そうか」
「誰でも自分のために生きてるんだから、したいことをするのはふつうよ。このへんじゃ、みんなそう。そんな生き方、くそくらえだけど」
「辛辣だな」瑛珀はにやりとした。
「それで――死にたいのか」
「生きてたくないもの」少女は即答する、「こんな世の中に未練はない」
「そうか」瑛珀は少女の額に剣先をのばす。
「生きるもひとつ、死ぬもひとつ。どちらでもいいとは不幸なことだ」
 瑛珀の剣がもちあがり、頭上で止まる。少女はそっぽを向く。
「背けるか」
 瑛珀は剣を振り払い、鞘に納めた。
「死を口にするのは、殺しに手を染めた報いかも知らんな。俺はもう行く。おまえは好きにしろ。名も知らぬ娘よ」
 瑛珀は馬から降りようともせず、少女の前を辞そうとした。
「逃げるの。わたしを救ってくれないの。生きてるだけで苦しいこんな世の中から救ってくれないの」
「死が救いてか」
 少女は胸に手を当てた。息を調えてから口にする、「あたしを都に連れて行ってくれない。迷惑はかけない。とにかくここから離れたい。ほかに望みはないよ。死ねないならせめて生きるところを選ばせて。わたしは茱宝(しゅほう)、李家の茱宝。名前を教えたんだから、あなたも教えてよ」
 馬上でためらいはなかった、「瑛珀だ。都の伝令係をしている」
「おねがい。ここに居たくないの」
 茱宝の言葉には信念が籠っている、瑛珀には少女の思いの強さがわかるような気がした。誰かに切実に訴えかけられる機会は、近年まったくなかった。頼られることの喜びが胸にこみあげる。常識と情念のどちらを優先すべきか。かれは目の前の少女に視線を据える。
「どれほど出鱈目な願いを口にしておるか、わかっているか」
 言葉を抑えても、おのずとにじみ出る難詰の感じは隠せなかった。
「虫のいい話なのはわかってる。でも、あんたはこれまでに見てきた大人とはちがうように思えるの。そんな人に出会えることなんて、そう何度もないと思う。ダメでもともと。機会があるなら試してみたい。あたしの気持ちをわかってほしいなんてことはいわない。ただいまのままではダメになる。こんなこと続けてたら、ますます深みにはまってしまうと思うから」
「いちいち言うことに筋が通ってる。これも齢に応じた以上の行いを繰り返してきたせいなのか」
「おねがい」
 少女は泣くようだった。もともとの瞳のきらめきなのか、目じりから垂れおちる泪(なみだ)のせいなのか、半月の明りではわかりにくい。
 瑛珀は馬から降りる。少女に、己(おの)が命を奪おうとする意識の消えていることはわかった。彼女の懇願を受け入れるべきかどうか。いまはその切羽(せっぱ)でしかない。
 かれは閃いた。その閃きをいったん頭に整理したうえで、少女に尋ねた。
「暗殺を命じたのは、おばさんだな。血がつながっているかどうかはしらぬが、そんなにひどいのか。都に来れば、身よりはひとりもいない。ここならば見知った顔がいくらでもあるだろう。どこに身を置くのが安泰か、ちゃんと考えていっているのか」
「おばさんだけじゃない。村の出鱈目な人たちの出鱈目な生き方にいやけがさしてるの。この際だからいうけど、誰かひとりが恵まれた状況にあったら、それを妬(ねた)んで、嫉(そね)んで、寄ってたかって相手をもとの位置に引きずり降ろそうとする。あいつだけずるい。あいつだけうまいことやりやがった。あいつだけ、あいつだけ。横を見て、周りを見て、楽してるやつがいれば蹴落とそうとする。そんな人であふれてる。もううんざりなの。おばさんも、あたしに命じて得たものを、ほかの人にばれないかびくびくしながら、物置にこっそりしまってる。こそこそしてる態度がなさけない。でもあたしもここにいればそういう色に染まると思う。染まることを自分に許せなかったときは、周りから袋叩きにあって、きっとおちぶれる。黙って落魄(おちぶ)れて行けなんていわないよね。そんなひどいこといわないよね」
 ――そうか、と瑛珀は思う。ここまで思い詰めるか。
 瑛珀は斜め後方を振り返り、西の地平に近づきつつある上弦の月の青白い輝きに目を向けた。もうすぐ月が落ちる。
「手助けできるかどうかはわからない。連れていくことはできる。もう一度聞くが、本当に行きたいのだな」
「連れてってくれるなら感謝する。あたしをここから救い出してくれるあんたはあたしの救い主だ。お願いできる」
「このまま出られるか」
「戻ればおばさんに疑いを抱かせる。残していくものに未練はないよ。珀兄さん、ありがとう」
 いきなりの名前呼びにどきっとさせられる。「わかったよ、茱宝。都に行こう」
「あなたのこと、兄さんって呼ばせてもらうから、あたしのことも小姐(しょうねえ≒シャオジエ)って呼んで」
「そうするよ、小姐」
 瑛珀は茱宝を前に乗せて馬に跨った。少女特有の甘い匂いが鼻先をかすめた。馬上ではひとりのことが多いため、誰かを乗せる機会はほとんどなかった。まして女を乗せるなどこれまでに一度もなかった。心持ち、肩に力が入る。
「揺れるが、がまんしてくれ」、辛うじてそれだけいって、手綱で合図を送る。
 馬は脚をすすめ、駆けはじめる。
 馬蹄の小気味よい音が響きだす。緊張もほぐれてきた瑛珀は、前を見ている茱宝に声をかける。
「その暗器の腕――どこで得た」
 黙ってばかりでは気持ちも重くなるだろうという気づかいもあった。なにより、年端もいかない少女が、おそらく大の大人でも誰でもその手にかけていたことを思えば、夜の中での犯行であるからこそ余計に、その腕は確かなものでなくてはならなかった。彼女の腕をその段階にまで引き上げた人物がいなければ道理が合わないと踏んだからこその質問でもあった。
「あたしの村の名前、わかる」少女は質問を質問で返す。
「あの位置はたしか――うん。赤桑村(せきそうそん)だったか」
「そう。赤桑村。村にはね、子供たちを集めて武芸の稽古をつけてくれる人があったの。赤蝉老師(せきぜんろうし)。みんなは老師、老師っていってた。子供も、村の大人たちも」
「赤蝉……きいたことがないな。腕は確かなのか」
「若いときに、武芸の大会で活躍して名をはせたという噂を、村の大人が話しているのを聴いたことがあったな。それからさまざまな地域を放浪して、あるときには奥さんを持ったり、子供もつくったりして、いまはその人たちがどうなったか知らないけど、あるいはもう亡くなってるっていう話もちらほら耳にしたこともあった。いまでは誰もそのことの真偽を確かめようとはしないからさ。ただ、赤桑村の子供は誰となく、老師のお世話になったものよ。あたしは護身術として暗器の腕を磨いたの。もう老師の世話にはなってないけど、いまも毎日訓練はしてるから。でも敵わないね、珀兄さんには」
「俺も油断していればどうなっていたかわからない。鍛錬に余念はないつもりだが、どこまで行っても、気の抜けるときはあるものだからな。俺からみても、そなたの腕は確かなものだ。しかし都に行けば、それも必要なくなるだろう」
「そうだといいな」茱宝は息をついた。
 夜道はほぼまっすぐに、やや南寄りの西方に向かって続いている。でこぼこ道でもなければ、石がときおり落ちているような悪路でもない。二人の重量を支えて走る馬の脚も順調だった。もうしばらくすれば月も地平に沈むだろう。瑛珀は闇の中、夜道を往くのは危険と考えていた。茱宝をつれて、どこかで休むということにもためらいがあった。しかしあえての危険を冒すこともあるまいと考え直す。
「落ち着けるところを探して休むことにするが、構わぬか。心地よい寝床などはない。そこらの道の隅ということになるが」
「あの家、あの村でなければ、どこだっていいよ。がまんする」
 よほど嫌だったと見える。しばらく道沿いに行くと、それに並走する形で、河水(かすい)の流れる地域にさしかかる。踏み固められた街道を外れすぎることもなく、草の厚みの多いところを探して馬を止めることにした。幸い、馬を止めるに最適な木も見つかる。はじめに瑛珀が馬を降り、次に茱宝の降りるのに手を貸してやる。乗せるときにも思ったが、彼女の体はうそのように軽かった。ちゃんとものを食べているのか不安になるほどだ。彼女がいまいくつなのかが気にかかった。
 瑛珀は馬を引いて、目をつけていたさるすべりの幹に手綱をくくりつけた。
 かれは引き返し、足元を確かめている茱宝の近くに寄った。
 頭上にはところどころ斑(ふ)の走るように小さな雲が無数にかかっていて、その隙間に、針の目のように細かい星々の光の粒がひしめいていた。これならばたとえ月が沈んでも、星明りのかすかな光があたりを完全な闇におちるのを救ってくれるだろう。こころなし、瑛珀はほっとする。
「小姐。夜が明けるまで、すこし眠るといい」いってから、瑛珀は気まずさを覚える、「いきなり休めといわれても困るか。眠るのが難しいなら、目をつむってゆっくりするといい。寝てしまっても、明るくなったら起こしてやるから」
「兄さんは、寝ないの」茱宝の疑問も、もっともだった。
「考えたいことがあってな。それが終われば俺も休むよ。あの辺りが草も多いし、いいだろう。ほら、行こう」
 瑛珀が先導する形で茱宝をうながす。近くまで行って腰を下ろし、ごつごつした枝が落ちていたり、大きな石が転がっていないことをたしかめて安心する。しばらく二人で横になって、視線の先に見える夜空に目を向けていた。刻々変化する雲の動きと、それにつれて見え隠れするさまざまな星の種類に目を楽しませる。茱宝もしばらく黙っていたから、そのまま眠るかと瑛珀は思ったが、予想に反して彼女は口を開いて質問をはじめた。
 家族はいるのか。どんな仕事をしているのか。今夜はなぜあの道を通ったのか。自分を拾ったことは、迷惑ではなかったか、等々。
 質問には誠実に答える。ある質問には丁寧に答え、ある質問は簡単にだけ答える。瑛珀にも答えられることと答えられないこととがあった。とくにどんな任務を帯びて東方の街へ赴いていたかなどは、機密に関することだったから軽々に答えるわけにはいかなかった。茱宝もこれ以上聴いても回答を得られないとわかった事柄を再び尋ねることはしなかった。
 茱宝の質問はつぎからつぎへと連なった。そう短くない時間が質問に費やされた。ひととおり訊きたいことを訊きつくしたらしく、二人の間に無言のときが訪れた。息をひそめる気配のなかで、茱宝はこれまでとは調子のちがった言い方で切り出した、「兄さんは、わたしに訊きたいことはないの」
 ないといえばうそになる。瑛珀は、訊いていいものか迷っていたのだった。茱宝から問うてきたからこそ、今度はかれが尋ねる番ということなのだろう。「そなたが村にいたくない理由――おばさんにずいぶんな目に遭っていたのか」
 茱宝の息をつめる気配がした。下は柔らかい草地とはいえ、体をこわばらせたことから、衣と、下草とのこすれる音がやけに耳にさわった。
 不安になるくらいの長さの沈黙があった。相手がなにを考えているのかわからない。「――茱宝……」とつぶやくと同時に、彼女が口を開いた。
「あたしだって、はじめはいやだって、ちゃんといったのよ。でもこの家の飯を食べてるんだったら、それ相応の働きをしてこいっていわれて。袖の下から武器を放って、弱ってるところにとどめを刺してきた。この手には人を殺めるときの感覚が、くっきり残ってる。今夜、珀兄さんに出会うまでね、あたしはこれからもずっと、おばさんのいうとおり、見も知らぬ人の命を奪っていかなければならないんだって思ってた。あきらめてた。あたしが生きてられるのは、おばさんの世話になってるからだし、もともと身寄りのないあたしだしね」
「親御さんは――」瑛珀は尋ねた。
「あたしが小さいころに亡くなった。父さんも母さんも、同じ時期に亡くなったみたいでね。食あたりだったって聞いてる。もともと毒のある食材を、毒素を十分に抜かなかったから、食べた翌日に冷たくなって発見されたって。あたしはまだ小さかったから食べずに済んだみたい。もうすこし大きかったらあたしも口にしてしまって、一家全員食中毒で死亡っていうことになってたと思う」
「そうか」
「二歳でいまの家に引き取られて、それからずっと李家のお世話になってた。でも、あたしがどこの出身で、苗字がなんだったか、いくら訊いても村の人は教えてくれなかった。だからあたしはずっと宙ぶらりんな存在としてあの村にいたの。どうせ身寄りもないあたしだから、命じて、旅人の身ぐるみを剥いできたら儲けもの。ただめし食わす気はないからね、っていう言い方をよくされた。だから、おばさんに褒められるように、あたしはいつもあそこで潜んで、ひとりひとり確実に仕留めてきたの」
「そう聞くと、壮絶だな」これまでに奪われた魂の数を思うと、瑛珀の溜息は自然と重いものになった。
「もういいの。都に行ったら、これまでと違う生き方をするから」
「宛てもないだろう」
「なんとかなるよ」茱宝の声はつとめて明るい。
 空元気といってもいい、と瑛珀は裏読みする。「もう遅い、すこし休もう」
「そうね」茱宝が体をちぢこめるのがわかった。
 しばらくは互いに身じろぎする音が聞こえていたが、やがて、茱宝の寝息がしずかに聞こえるようになった。
 その寝息に誘われるように瑛珀は自分の考えに気持ちを集中させていく。
 きょう、あすのことではない。五年後、十年後の先のことを思えば、隣国との関係を良好に保っておくことが必須だ。北戎(ほくじゅう)の中に団結する動きがあった。民族同士のごたごたが解消されれば、おそらく中原に食指を動かすにちがいない。われらおなじ民族同士で対立しておれば、一丸となった相手にこの中原を蹂躙(じゅうりん)されかねない。瑛珀が担っていたのは、隣国、昌との間の裏交渉であった。まだ口約束の段階であるが、昌国の重鎮とのあいだに伝手をもっておくことが、のちの交渉に有利に働くと見ての布石であった。任務はまずますの出来だった。報告を持ち帰れば、上役も機嫌をよくするにちがいない。また、昌国の都を見回っているときに耳にしたいくつかのうわさ話もあった。これはわが国ではまだ行われていない話であるから、その情報もしかるべき筋の耳に入れねばならぬだろう。都についてしばらくは仕事にかかりきりになる。いま横で寝ているこの娘のことを考える時間はなさそうだ。誰か信頼できるものに預けるか。それか。いや。それはどうするべきか、厄介なことは厄介にちがいない。頼まれたとはいえ、いかにも安請け合いしてしまったものだ。
 瑛珀は頭を振った。夜明けまでにはまだ二刻(≒四時間)はあるだろう。向こうの方で馬が草を食んでいる音が聞こえる。ときおり足を踏みかえる音も立っている。ふしぎなくらいに誰もいない空間だった。草の間からはひっきりなしに虫の音や蛙の声がしている。いまが初夏でよかったと瑛珀は思う。これが冬や初春であれば、二人してこんな野原に野宿のようなことをしてもいられなかっただろう。そう考えれば、この茱宝という娘も、それなりに功徳をつんでいたのかもしれないな。
 人を殺める――俺もまだしたことのないことを、十をすこし越したくらいの娘がしてのけていた。世の中は広いということか。茱宝は寝てしまったのだろうか。寝息のたぐいは聞こえない。
「寝たか」と掛ける声は小さくしぼったが、隣から返事がある。
「起きてる」
「眠れそうにないか」と瑛珀。
「おばさん、心配するかな。明日になって居なくなったことを知ったら、どう思うだろう。あたしはもう帰る気はない。帰れっていわれても困るからね」
「夜が明けたらふたたび馬に乗って、そうすれば夕方には都につくだろう。あとのことはまだ決めていない。思案中だ」
 返答はなかった。相手の溜息が聴こえた。
 そのまま会話もなくなり、茱宝の存在も気にならなくなって、瑛珀は雲の切れ間にのぞく星々に視線を据えた。星見の司(つかさ)がいっていた言葉を思い出す。
 人はこの世界に生れ出た使命を知りたくなればこそ、星を見上げるものです。自分には及びもつかない大きな力に打たれてみたい、そういった気持ちになるとき、人の視線の先にあるのが夜空の星々の輝きなのです。あなたの運命は星の中にあるのですか。あなたの運命は星々が教えてくれるものと、そうお考えですか。わたしは星を見るのが仕事ですが、夢と現(うつつ)とのあいだに隔てを設けるべきか悩んでおります。夢に傾きすぎれば人は幻惑される。現(うつつ)一辺倒では頭が固くなっていけない。平衡感覚を持つというのも難しいものです。あなたはあなたの道を行かれるといい。夜空の星々などに余計な夢を託される必要はありませんよ。
 司(つかさ)はなんのために、俺にそんなことをいったのか。
 まだ幼かった俺は、かれがいうことの幾分かでも、理解することができただろうか。狐にでも化かされたような気持ちになったことを覚えている。
 いくら小さいとはいえ、ここではない遠くにいけば、これまでとちがう運命が自分を待ち受けているなどとは思わなかった。しかしこのまま、いまのまま、変わらない日々を過ごすものとも思われなかった。過信もしないかわりに、自身を試そうという自負心もなかったのだ。そんな暗色一辺倒のおれの心をわかって、あの司は教訓めいたことを俺に垂れたのだろう。
 茱宝の村にも赤蝉老師という導き手があったということだが、かつて、俺にも、俺自身を導いてくれる先達があった。もともと孤児だった俺をひきとってくれた恩人は、はじめて会ったときから三めぐり目の年を迎える前に亡くなった。唯一の兄弟子だった紅克(こうかつ)と二人、身寄りもない二人ぼっちで、このせせこましい巷間をずぶとく生きるしかなかった。ときには食べ物や金銭など、生きるために必要な盗みもした。役人に見つかって殺されかけたこともあった。さいわい捕まらないでこれたのは、完全に運任せのことでしかなかった。街の裏でもそれなりに名前を覚えられたころ、うまい話があると誘われたときに、いまの仕事に通じる道が開けた。
 もしあのころ、いまの仕事に道が開かれなかったならば、自分はいまごろ何をしていただろうか。その日を食いつなぐためにあくせくすることからは足を洗っていたかもしれない。そのかわりに、悪い奴らと徒党を組んで、悪さ三昧の日々を送っていたかもしれない。あるいは指の一本や二本、歯の三本や四本を失うような結果になったかもしれない。それでもまだましなほうで、あるいは今頃はもう命がなかった可能性だってあるのだ。兄弟子の紅克はいまや行方知れず。どこでなにをしているのか、生きているのか、死んでいるのかもわからない。心につながりを感じている存在は、俺には皆無だ。
 茱宝には、まがりなりにもほかの人とのつながりがある。たとえ忌み嫌っているおばさんであっても、つながりはつながりだ。それを断ち切ってしまっていいものか。自分の知らぬ間に知らぬ先に導かれていまがあるように、茱宝もまた、どこかのなにかにつながる運命を持っているのかもしれない。彼女をどうするかなど、そんなに気に病む必要はないのかもしれない。
 紅克が居なくなった日のことを、たまに思い出す。誰かに殺されたとか、書置きを残して立ち去ったとか、これという意志が示されて、いまある状態に落ち着いたのだと、自分に納得のいくものが欲しかった。なぜ俺の前から姿を消したのか。いまの仕事についてもう五年になるが、いまでも、どこでどうしているだろうと、彼の息災を祈る自分がいる。生きているのか、死んでいるのかもわからないのだ。わからないからこそ、想像が空想を呼び、空想が妄想にまで膨れあがる。かれには立ち去らねばならぬ理由があったのか。俺のことが嫌になってしまい、それを言い出すこともできないまま、姿を晦ますことを選択したのではないか。疑心暗鬼に駆られることもしばしばだった。もう落ち着いたが、実の兄弟よりも親密な関係だったからこそ、まるで自分の半身を喪ったかのように、しばらく気持ちが鬱々と沈み込んでしまったことは、いまでも克明に覚えている。
 茱宝は、自分が居なくなったことをおばさんがどう思うかといっていた。おばさんがどんな人なのかは、わからない。理不尽なことを年端も行かない子供に要求するような人だったといわれても、実際に面会したわけではないからわからない。夜が明けて、茱宝が戻らないとわかったとき、おばさんは彼女のことを心配するだろうか。夜のうちに、のっぴきならないことが起こって、茱宝が奪われてしまったと思って、すこしは嘆きもするだろうか。わからない。どんなに無下に扱っていたにしても、おばさんにとって茱宝はぞんざいに扱うことがもっともふさわしいと思っていたかどうかは、判断がわかれるところだ。どんな命令にも唯々諾々と従い、一切、不平をいわなかったとしたなら、そこにはやはりおばさんなりの信頼が茱宝のうえに落ちていたとしても不思議ではないのだ。
 おばさんは、俺とちがって、茱宝のことを三日とおかず、忘れてしまうかもしれない。あるいは忘れることなく、いつも思い出すかもしれない。俺は紅克という義兄(あに)を喪った。おばさんは茱宝という養い子を喪った。失踪の理由のわからないままに。紅克だって、彼なりに、俺の知らない事情を抱えていて、俺には一切何も告げないことがこの場合の正解だと感得して、自分の道に飛び込んでいったのかもしれない。むしろそのほうが嬉しい。だったなら、紅克はいまでもこの大地の上で、自分なりの生活を成り立たせているということになるのだから。誰に看取られることもなく、どこかの草葉の陰に骸をさらして、それすらも野犬や禽獣に食い散らかされて、骨すら残っていない可能性だってあるのだから。俺たちはいつなんどき、二人ともそんな運命に陥るか知れなかった。俺はこうして就くべき仕事を得て、いい衣を着て、馬にまで乗り、乙に澄ましていられる。俺の過去を知る者は少ない。
 かつての仲間はあるいは無残な最期をとげ、あるいは離散し、過去といまとの間に連絡を失ったものが多い。俺のように生計(たつき)を得られた者はすくない。
 決まった場所に決まった仕事を持つことが、生きていく上での安定の道と知った。しかし精神的に浮遊していた時期が長かっただけに、一所にとどまっているいまですら、自分のこころは揺れ動いて、あちこちへと気ままに馳せ、翔けることとなり、一所に安住していられない気持ちになってしまう。国と国とのあいだのことを取り持つにしても、これがなにかの間違いでうまく行かなかったならば、自分の居場所である自国ですら、亡失する可能性だってありえるのだ。
 国を失い、居場所を失い、そのあとになってさえ、自分は自分の人生を生きているといえるのか。たぶんいえてしまうのだろう。何もかもなくなってしまったとしても、依然、こうして物を考える自分だけはなくならない。この体が生命の脈動を止めるとき、物を考える自分も最期の肺の一呼吸と同じように、ぷつんとその生命のつらなりから断ち切られるものだろうか。都の辻でさかしらに語る道士のたぐいは、死後の生をさかんに宣(のたま)っている。死後には死後の理(ことわり)があって、生きているいまこのときよりも冷厳なる魂のありようを求められる、云々。
 なにを莫迦(ばか)なことをともいってもいられない事情が俺にはあった。俺を拾ってくれた恩師の言葉で、いまだに頭に残っている数少ないひとつが、死についての事柄だった。生きている自分がいま生きているんだということをちゃんと認められもしなかった時期に、死とは何かということを示した恩師の言葉は、それを耳にした瞬間から恐怖の暗示として俺の周囲を取り巻いた。――死とは一方通行のものでしかなく、虚空に呑みこまれてその後、光も影もない永劫の無の中で、ひたすら逞しく思念の道を突き進むだけの存在になる。そこには同輩(ともがら)もなければ、親も、子もない。誰もいない空虚のなかで、ひたすら自分自身と向き合うだけの時間。時間すらないに等しい。出口というものがないのだから。どこまで行っても変化がないのだ。袋小路にはまり込んで抜け出せない不安を思え。いまのわたしはそれをずっと思念している。おそらくわたしは長くはない。こんな考えに憑りつかれる人間は、おおよそ長命ではいられないものだから。わたしから得るものがあると思うな。生かしては、やる。しかし生き抜くことは自分で覚えよ。早ければ早いほどいい。残された時間はわずかだろう。必死で生きるのだ。生き抜くのだぞ。
 そんな言葉を口にした恩師は、数日とおかず、寝床の中で冷たくなっていた。形ばかりの弔いを紅克と二人で行ったあと、二人だけの生活に入った。雨の降る夜などは、天井から雨漏りがした。それを茶碗に受けて、その音をささやかに楽しんだこともあった。冬の寒さに凍えそうになって、背中合わせに二人で同じ床に眠ったこともあった。俺たちは兄弟以上に兄弟らしかった。その紅克が――いまはどこでなにをしているのか。生きているのか、すでに死んでしまったのか。
 横を見れば、茱宝が寝息を立てている。疲れていたのかもしれない。よく知りもしない男の横で、なんと無邪気に眠っていられるものだ。寝顔を見るのは趣味の悪いことだと思い、すぐに目を背ける。目を閉じる。闇の中に自分だけがいるように感じられて、かつての恐怖の根源――虚空の中の死を思ううちに、眠りの中に引き込まれた。

 覚醒すると、まだ薄暗いにも拘(かか)わらず、四囲(しい)に小鳥の声が満ちていた。姿は見えども、声はさかんだった。新たな朝に出くわした喜びを唄うもののようだ。夜露が生じることもなく、そこまで冷え込むこともなく、野宿をするにもそう悪くない環境であった。起きてからしばらくは同行者のことをすっかり失念していた。それほど、少女の寝息は安らかだった。
 東の方がほの白く染まりつつある。山の端がもっとも明るく、天上はるかな高みに昇るほどに、徐々に明度をさげていく。かろうじて、いくつかの星が、その輝きを弱めつつも、地上にまで届かせていた。茱宝を起すかどうか迷った。もうすこし眠らせてやりたい気もする。俺は立ち上がり、眠っている間に強張ってしまった体のあちこちの筋を伸ばしながら、背伸びをする。肩のあたりに滞っていた血液が、ゆっくりと本来の流れのなかに戻って行く感覚があった。昨夜、手綱を木に結び付けた愛馬のほうに歩みを進める。
 馬には、駿英(しゅんえい)という名があった。俺は名を呼びながら、首元をさすってやる。気持ちよさそうに、こちらに体をすりよせてくる。俺が眠っている間に、そこらの草を食んでいたようだ。
「きょうはみっちり走ってもらうことになる。いつもよりも上は重いが、耐えられそうか。しばらくの我慢だ。がんばってくれ」
 わかるかわからないかは不明だが、馬の首をぽんぽんと叩いて励ます。
 駿英は蹄(ひづめ)をかつかつと地面に押し当て、軽快な音を立てる。
 背後に茱宝の身じろぐ気配があった。
「ああ――そうか、あたし……」ややあって、いった、「おはよう」
「起きたか。きょうは長く馬上にあることになるが、耐えてくれ。そうすれば、念願の都だ」
「だいじょうぶ」
 瑛珀は荷物のなかから携帯食を取り出し、手で割って片方を茱宝に与える。味付けした米の粉を固めて焼いてものだった。
「味はお粗末だが、腹持ちはする。ないよりはましだろう」
 粗末な食事を摂りおえると、あたりはすっかり朝の気配に包まれている。ある種類の鳥は、巣から飛び立って南方へと翔けていった。徐々に気温の高まっていくのが感得される。
 ちかくを流れる河水の音がさわやかに響く。昨夜は気にならなかったが、流量もそれなりにあるようだ。顔を洗いたかったが、近寄らない方がいいだろう。瑛珀はさるすべりの木から手綱を外して、茱宝を先にして自分も駿英に乗った。
「いくぞ」、瑛珀は手綱をあやつる。
 昨夜みたいに、夜の暗がりのなかで飛ばすような、不安と隣り合わせの感情にさいなまれることもなく、瑛珀は自信をもって先へ進んでいく。目覚めたばかりの陽光を背に受けながら、瑛珀は都までの距離を縮めていく。昨夜考えたことが脳裏をよぎる。紅克――恩師――。俺はここにいる。ここに生きている。俺はまた貴方たちに会いたい。しかしそれはかなわないだろう。目頭が熱くなる。乾いた大気の中で、目の熱さは、そこに浮かぶ水気を即座に蒸発させてしまう。泣いているひまはない。
 なにを考えるのか、茱宝はなにもいわずに前を見ている。
 まだ彼女の落ち着き先を考えていなかった。自分を信頼してくれる茱宝をぞんざいに扱うわけにはいかない。明日にはすべてが落ち着いていることだろう。
 途中いくつかの村をかすめ、町を抜け、風景もさまざまに形を変えた。緑の木々の群生している森もあれば、ところどころ沼になっている湖沼地帯もあった。街道をいく分には進路は安定しているけれども、道を外れたり、もし仮に、往来によって踏み固められた、確固たる街道がなかったならば、先へ進むに困難をおぼえる地域もあったはずだ。時が過ぎるにしたがって、太陽はみるみる高度を上げていった。朝の早い時間は背に受けていた陽の光も、時間が経って左側面に回り込んでくる。空気が乾燥していることもあるし、瑛珀は茱宝を思って、声をかけた。
「つぎに見える街は、大酉(だいゆう)という。それなりに大きい街だが、すこし休もう。駿英も休ませたい」
 瑛珀は駿英の足が不安だった。ふだんこれほどの荷重をかれにかけることはなかった。唯一の足であるかれをいたわってやらなければ、なにか起こってからでは遅いのだ。人の馬ではあるが、任務に就くときにはいつも駿英と一緒だった。人の間に親密な相手はいなくとも、馬との間に――駿英との間に、瑛珀は自分なりの絆を感じることができた。
「たしかに喉が乾いたな」
「座っているだけでも疲れるだろう」
 茱宝は首をふった、「そうでもないよ。風景がどんどん変わってくから、見てるだけで楽しいし。馬に乗るのってはじめてだから、ちょっと怖かったけど、それも慣れてきた。この都行き、気に入ったよ」
 彼女が心から楽しんでいると知って、瑛珀はほっとする。
 さらに道を進めると、瑛珀のいうように、前方に街があらわれた。二万――いや、三万くらいは住んでいそうな規模の街だ。
「あんなに建物がひしめいてる。おもちゃみたい」
 茱宝は少女のように喜んだ。実際、彼女はまだ少女だったが。
 茱宝の反応を見て、瑛珀は首を振った。実際に前にしていても、ともすれば少女であるということを忘れそうになる。出会ったきっかけが命を狙われたことも影響しているのだろう。人と人として向かい合った経験があるからこそ、彼女がまだ子供であるということをつい忘れてしまうのだ。
 ここが街の入り口だという明確なはじまりはあるようでなかった。すこし先を行くと、街の内と外を仕切る外壁があったが、それよりも手前から、すでに住居が密集していた。外壁から外れた土地での生活に不安はないのだろうか。これも長年、他国に脅かされることのない我が国の、慢性化した平和の謳歌の仕方といえるのだろうか、と瑛珀は考える。いついかなるときにも危険に対する備えを、というのは都政・国政にあたる一部周辺だけの党是でしかないのだろうか。
 門を守る衛兵に印章を見せ、外壁をくぐる。
 向こうに見えるのは、店の並ぶ通りだった。街衢(がいく)を進む。通りに並ぶ中の適当な一軒を見出し、馬を降りる、茱宝を降ろし、手綱を小間使いに預けて店に入った。
 酒家に客は、そう多くない。二十ほどある卓のうち、埋っているのは六つ、七つといった程度である。
 瑛珀が席を決め、茱宝にも席をすすめる。客はすくないが、話し声はさかんだった。ひとつひとつの声が大きい。酔っているものが多いせいだろう。
「昼間から飲んでるのはどこも一緒ね」茱宝は口をすぼめた。
「おばさんいわく、ろくでもない、か」
「よくわかったね」少女はくすくす笑う。
 注文を取りに来た主人に向かって、いくつかの料理の名を口にする。あるものは用意できるし、あるものは作れないといわれて、別の名前を口にする。
 瑛珀が懐に余裕のある人物とみたためか、主人はしきりにこの辺りの銘酒をすすめてくる。瑛珀は取り合わない。
「気兼ねしてるなら、別に構わないよ」と茱宝が申し訳なさそうにいった。
「任務があるからな。酔眼で上役に報告するわけにもいくまい」
 本当は飲みたいのだという気持ちをあらわにしながら、茱宝に笑いかける。
 宛ての外れた顔をしながら主人はひっこむ。飯が来るまでのあいだ、茱宝の口は留まることがなかった。
 話を聞きながら、おそらくこの少女は生まれてこの方、ほとんど遠出をしたこともないのだろうと予想した。はじめて見る大きな街の感想を、感動交じりに口にしながら、こんなにたくさんの人が歩いている通りがあることを、これまで想像したことがなかったといって、ころころと笑った。昨夜の暗殺者の顔がうそのようだった。本当はこちらのほうが有り得(う)べき姿だったのだと、道を逸れていった彼女の不運を思った。こんな気分に陥るのも、自分自身が、過去に横道に逸れること甚だしかった、経験者であるせいだった。肴をつつきながら酒を飲んでいる周りの酔客たちが羨ましくなった。
「あたしたち、どういう二人だって思われてるかな。珀兄さんからは見えないけど、あたしの向かいの卓の人、さっきからちらちら、こっちを見てるよ。まさか命を狙われた一人と、命を狙った一人が、次の日にこの卓に一緒に掛けてるなんて思わないでしょうね」
「そりゃ、予想の斜め上だからな」ふん、と鼻を鳴らしながらも、瑛珀は悪い気がしなかった。
「あたし――家のこともある程度してたから、兄さんの身の回りの世話だって結構できると思う。兄さんさえ、もしよかったら――」
 茱宝が話す途中に、折よく――折あしく、注文した料理が運ばれてきた。
 豚肉と戻した干しシイタケと豆を炒めた皿と、川魚を香草と一緒に蒸した皿、そして米粉の麺料理の器の三品である。それぞれに甘味や辛味や塩味や酸味といった配合を変えた味付けがなされており、瑛珀は直感のたしかさを思って気分をよくした。おなかが空いていたのか、瑛珀に負けない速さで茱宝も食べ物をかきこんだ。
「ちょっと味が濃いけど、美味しい。こういうの初めてだから」
「店屋のものとしてはいい線だと思う。なかなかこういう店に当たるものでないからな」
「そうなの」
 いいながらも、茱宝は手の動きを停めない。食べる端から、つぎの物に伸びている。
「急いで食べなくても、無くならないから」と瑛珀がたしなめると、
 茱宝は「家では無くなってた」という、「そうね、もうあの家のことは忘れないと」
 溜息をひとつ落とすと、彼女の左目から涙が一粒だけこぼれた。
「泣けてくる。なんでかな」
 瑛珀も干しシイタケと脂身の多い豚肉を一緒に箸ではさんで口に運んだ。唐辛子粉と甜麺醤の味付けが際立っている。麺料理の汁をレンゲで一口、そしてもう一口、口に運ぶ。
 ときどき食べ物を口に運び、ときどき茱宝との話に時間を費やす。依然、彼女のことはわからないことは多いものの、話すほどに彼女の隠れている一部分がくっきりと見えてくる。
 茱宝もお腹いっぱいになったところで、卓に金子を多めにおいて、席を立つ。
 店を出るときに、奥から店主の威勢のいい声が聞えてくる。「またのお越しをお待ちしております」
 外で小間使いに預けていた馬の手綱を引っ張ってこさせる。飼い葉と飲み水を与えておきました、というので、これにも若干のはした金を渡す。小間使いは慇懃に礼を口にする。
 元のように二人は馬上の人となる。こころなし、駿英にも、英気が戻ったようだった。それなりに休息をとることが出来たのは、人も馬も同じらしい。
 すでに太陽は南の空をすぎて、徐々に西へと向かう頃合いだった。正面から受ける日差しに、皮膚のやける感覚を味わう。
 さっきの店の料理、悪くなかったよ、と茱宝が口にするのへ、俺もいろいろな話が聞けてよかったと瑛珀がいう。しかし茱宝がいうのはそういうことではないのだと頭ではわかっている。もっと打てば響くような答えをしてやりたい気持ちにもなった。自分の不器用さがうらめしい、とかれは考える。
 思うほどには捗(はか)がいかなかった。二人の荷重を支えるのは、いかに駿英とはいえ、重荷であるのだろう。道に休憩時間を挟んで、ふたたび馬上の人となって、だましだまし先を進めていく。陽は暮れはじめ、乾いたカラスの鳴き声が街道沿いの野っぱらに寂しげに響く。夜の虫の声もしだいに聞こえるようになったころ、ようやく都が見えてくる。
「あそこね」と茱宝は希望に満ちた声を発する。
 その頃には瑛珀も、彼女をどうするかの判断が定まっていた。
 ところどころに灯される街の明かりが、どことなく幻想的な光景をかもしている。茱宝は自分のところで引き受けよう。そう決心して、都城の門に馬の歩みをすすめる瑛珀であった。

瑛珀(えいはく)第一章

執筆の狙い

作者 そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

書きぶりだけ見てみてほしいです。
どんな印象を受けられたか。

2003年にはじめて描いた作品の書き直しです。
そのときも長い構想の中の第二章までしか書けませんでした。
今回はその書き直しです。

コメント

そうげん
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茱宝(しゅほう)の台詞に、あたしと、わたしが混在してますね。
むー。

ナガレモの
sp1-75-228-169.msc.spmode.ne.jp

そうげんさんって、1度も選考通ったことないってホンマ?

そうげん
58-191-198-57f1.shg1.eonet.ne.jp

これまでに5回出して、前4回は、通れば連絡来るだろうし、来なかったら落ちたってことだなと思って、雑誌で確認すらしませんでした。もっともさいきんの二年前のは確認しましたが、たしかに二次にも落ちてましたよ。

もんじゃ
KD106154132058.au-net.ne.jp

 そうげんさま

 拙作へのご感想をありがとうございました、御作拝読しました。

 すごく、大変、とてもよいなと、うまいなと、面白いなと、そんなに賞賛しちゃうとよからぬ妬みも召喚してしまうかもしれない、だなんてちらと思いつつも、でも構わず激しく手を打ちならしてしまいます。

 キャラがたつ、とはこういうことなのでありましょう。人物の言動が人物の在り方をつぶさに表していて、彼と彼女を身近に感じることができました。文学的な香りのする話だけれど、エンターテイメントな読み方にも応えうる書かれ方だなと感じました。わかる人にだけわかってもらえればよい、というとり澄ました表現ではありませんでした。

 文章に流れがありました。凛々とした格調の高い文章でありながら、かつ非常に動的でありました。リズムがありました。ワンセンセンスが孤立してなくて、次のセンテンスや、次のつぎのセンテンスと絡み合っていて、その絡まり方が次を読ませる力に、話の内容もさることながら、文章そのものが牽引力になっていると感じました。文章が生きてる感じがします。瑛珀の台詞も茱宝の台詞もところどころで粋なんですよね、決め台詞っぽいのがちょくちょく出てきて、そのあたりのカッコよさもエンターテイメント好きな読み手へと間口を広げる効果になっているかと感じました。

 あれ? と思ったのは茱宝の台詞で、ところどころがずいぶんと砕けていて、ところどころがずいぶん硬めであるような印象を受けました。言い回しというよりもっぱら表記からくる印象かもしれません。ある台詞では、ダメ、と、ある台詞では、出鱈目、と書かれている、みたいなことです。どちらかに集約しちゃうとよりよいかなとか感じました。 駄目&出鱈目か、ダメ&デタラメか、みたいなこと。些細なことですが。

 よかった描写やよかった台詞を抜き書きすることは諦めます、ほぼほぼ全編よかったので、膨大な箇所を抜き書きすることになりそうだから。

 さて内容ですが、任務を背負った男が、恵まれない少女に殺されそうになったのち、殺そうとした娘と殺されそうになった自分との珍道中を演じることになるわけですが、感じられたのは、一、つながり、二、孤独、三、無頼、四、流離い、五、生きること、あたりであります。
 星をみる司が語った運命みたいなものについての考察と、男の恩師が語った死についての考察(これは実に生を映す鏡なのでもありましょうが)が印象的でした。
 任務を担った男も貧しき出のみなしごだし、拾われた少女も道を外れてしまったはぐれものだし、そんな二人が、わずかな情を不器用に交わしながら愛馬を労り旅を続ける、これってなんだろう、なんかすごく共感できてしまう。たぶん人生ってやつは多かれ少なかれこのような旅路の一側面そのものなのかもしれない、だなんて感じました。
 存在っていうのは土台孤独であります、他者っていうのは隣の惑星ほどにもへだたっている。つながりはもろく、互いに遊星のように引き合ってはまた離れてゆく。それでも生きてるわけです。願わくば惑星なんかじゃなくて恒星として自ら発光して生きたくもありますが、惑星だろうが恒星だろうがいずれは虚無にのみこまれるさだめに違いない、だなんてことも思いました。
 存在はみな、荒野みたいな、広野みたいなフィールドに放たれたみなしごであるのかもしれませんね、だなんていうふうにも思いました。
 そんな乾いた世界において、とりつくしまもないほどに広大な世界において、御作の男と娘は凛として生きて、そして優しい。この優しさははかなげで蛍の光みたいだからよりいっそうたっとくも感じられる、だなんて思いました。

 長いながい物語の始動を予感させる第一章でありました。この筆さばきで急ぐことなく大一生を書ききることがよろしいかと強く感じました。これはじわじわと書き続けてゆくべき物語であるかと思われました。楽な仕事じゃないと想われますけど、たいそうやりがいのある仕事であろうなといくぶんか羨ましい気持ちにもなりました。
 よいものを読ませていただきました。力を得ました。ありがとうございました。

BBQ
157.208.91.34.bc.googleusercontent.com

歴史っぽいものは大体食わず嫌いしちゃうんですが、面白かったです。まだ名前の出てるキャラは少ないですが、すでにあれこれ想像する楽しみがあって先を読みたくなります。もし続きが載ってたら勢いでどんどん読んじゃったと思います。歴史っぽさと現代っぽさ両方あって、それがいいことなのかわかりませんが、おかげで読みやすかったんだと思います。世の中のこの手のものも読んで見れば案外面白いのかもしれませんね。

u
opt-211-132-66-15.client.pikara.ne.jp

読みました
こんなのあまり読まないので、冒頭部分、中国の時代劇? ラノベの異世界もん? ミタイナ(笑

そうげんさんの流麗かつ重厚な地の文
茱宝ちゃんのいかにもなラノベ的というか現代的というか? せりふ回し
読み進むうちに、マアどうでもいいやン、おもろいやんけとなり最後まで読まされました

設定・文章・台詞(特に少女の)
この(ミスマッチ)の妙があるのではないかと思います

おもろかった、続もあげて
御健筆を

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

主語もなく主人公が皆目分からない、男か女かすら不明な状態のまま、ひたすらうだうだうじゃうじゃごたごた……と「作者がおのれの文章に酔いながら」だらだら続けてて、
退屈だしあまりに不恰好。

主語がなさすぎるなか、
>楓(かえで)の根方に息を潜めていた存在は、
ここで一瞬『ようやく主人公が出てきた!』と錯覚しかけて、すぐぬかよろこびだと分かり落胆。

>瑛珀(えいはく)は見た。
までに、実に原稿用紙4枚以上を費やしてる。

(ろくに見てないんで、そこより前に出ている箇所があるのかもしれないが、一見すると「出てない」と見える)


書き手は「主人公は当然瑛珀である」と承知してるけど、読者はそうではない。
初心忘れ果てた驕りだと思う。


長年、修正修正修正……と無闇にいじくり倒した末に、面妖な形になってしまった……のだろうと思う。
直し直し直し……のあまり、書き手の目はとうに麻痺し曇り切ってしまっていて、もはや自分では推敲も校正も不可能になってしまってるのだろうと。

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

主人公の名前だけでも速やかに提示しようとすると、たぶんこんな感じになる。


 上弦の月が叢雲(むらくも)に隠れて半刻(はんとき)が過ぎた。
 すでにほとんどが寝静まった夜半。虫の音でも蛙の声でもない、乾いた明朗な響きが東の方(かた)より、瑛珀の耳に届いた。近づいてくる馬蹄の響きで相手の位置を推し量る。
 瑛珀は楓(かえで)の根方に息を潜め、ここぞという間合いで馬上の相手に向けてひょうと暗器を放った。鉄針(てっしん)は相手の眉間に迫り、蹄の音が乱れる。

そうげん
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もんじゃさまへ

丁寧でとても優しいお声がけのような感想をくださいまして、ありがとうございました。読み取りやすいように書くことを目指してもいたので、エンターテインメント的な読み方にも応えうると書いてくださったことがうれしいです。

文章の流れは書いているときの動きに任せました。これを書こうということがあったら、細かく決める前に手を動かしてどんどん書いていく。話すように一気呵成に書いてしまった部分もありました。ときに書きすぎている側面もありそうですが、もうすこし熱が冷めてから文章の刈込のできそうなところは実施していきたいと思います。

茱宝の台詞はたしかに、瑛珀が「出鱈目」と言っているからと言って、それをマネする必要はありませんね。同様に瑛珀の台詞では漢字になっているものを、茱宝の台詞では別の表記にしているものもありましたし。この箇所のもんじゃさまのご指摘は、さっそく修正してしまおうと思います。ありがとうございます。

星見の司の事柄は、もうすこしちゃんと練らないと、恩師の存在とダブってしまう面があると思ってます。これも今後つづきを書くのであれば、ある程度修正しておきたいと考えています。さいわい、星空文庫では文章の修整が利きますので、ここに修正版をアップして、もしつづきを書ければ、ごはんに続きをあげたいなと思います。

はじめて瑛珀を書いたとき、瑛珀の設定を練ったとき、中国の武侠小説をいくつか読んでいたんですね。いまは亡くなられた金庸さんの『天龍八部』とか『射鵰英雄伝』とか『笑傲江湖』とかです。茱宝のイメージは金庸さんの小説に出てくる少女に負っている部分が大きいです。口調については自分の言葉で書いていますが、イメージはそちらに寄っていると思います。

> 存在っていうのは土台孤独であります、他者っていうのは隣の惑星ほどにもへだたっている。つながりはもろく、互いに遊星のように引き合ってはまた離れてゆく。それでも生きてるわけです。願わくば惑星なんかじゃなくて恒星として自ら発光して生きたくもありますが、惑星だろうが恒星だろうがいずれは虚無にのみこまれるさだめに違いない、だなんてことも思いました。

死生観みたいなものをちょっとだけでも掠めさせたかった。もんじゃさまにあらためて言葉にしていただけたことがうれしいです。作品のつづき、練りこみ、もっと書いていきたいなという気持ちを、もんじゃさまの感想を読ませていただくと同時に、むくむくと大きくなってきました。

なんだかもったいないお言葉をたくさんいただいてしまいました。恐縮してしまいます。

つぎはコンパクトにまとまった他の物を書きたくなっているのですが、それが終わってからなんらかのつづきを書いてみたいと思ってます。もんじゃさまの新作も楽しみにしています。

青葉の様子の大阪編を読みました。また時をあらためて、感想を書きにまいります。
ではありがとうございました。

そうげん
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BBQさまへ

読んでくださいまして、ありがとうございました。
歴史もの――という体裁をとってはいますが、書き方とか、書いている内容は現代に寄せているところがあると自分でも思っています。かしこまった文語的な表現を多く取り入れると、読んでもらえる相手の幅が狭まるようにも感じていて。でもそれ以上に、自分がこういった書き方でこの作品は書きたい! という希望があったからではあります。先へ先へと追うように読んでいただけたことはうれしいです。途中で投げ出されなかっただけでも、作者としましてはほっとしております。もしつづきを書きましたら、また投稿いたします。そのときは、よろしければまたお願いします。

星空文庫内にて、瑛珀のテキストを保存、適宜修正してまいります。
URLを貼っておきます。

星空文庫 「瑛珀(えいはく)」
https://slib.net/101159

そうげん
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uさまへ

お読みくださいまして、ありがとうございます。
中国の時代劇、ラノベの異世界、たしかにそうかもしれません。自分としては徳間書店から出ている金庸さんの武侠小説の邦訳みたいな印象にしてみたかったので、たしかにあれも、『天龍八部』なんかは俺TUEEEのハーレムものとして読んでしまえる作風でもあります。

茱宝の口調――古い時代の翻訳ものにあったような、「~わね」とか「~だわ」とかいう口調にならないもので、自分がこういう風に書いてみたいという口調を表に出したので、ちょっとこれは自分の性癖が入っているのかもしれません。ということはラノベが合ってるのかな(うんん~~)

設定・文章・台詞のミスマッチを魅力としてあげてくださいました。
茱宝の台詞の印象を、もうちょっと、ほんのすこし抑えたいなと思ってもいるので、いずれ、若干ですが修整を掛けようと思います。なにぶん、書いている途中に、どんなものとして読んでいただけるか、みなさまの裁定をあおぎたくて、試験的にまとまりとして区切りのある部分まで提出させていただきました。二、三度の読み直しですこしだけ直しをいれたあと、すぐに公開しましたので、まだまだ粗がたくさんあります。

続も、いずれと思っています。というか、好意的に受け止めてくださる読み手の方がいらっしゃったので、先へ進む勇気がふくらんできました。「おもろかった」という言葉が素直にうれしかったです。ありがとうございました。

そうげん
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貔貅がくるさまへ(月さまですか?)

>長年、修正修正修正……と無闇にいじくり倒した末に、面妖な形になってしまった……のだろうと思う。
>直し直し直し……のあまり、書き手の目はとうに麻痺し曇り切ってしまっていて、もはや自分では推敲も校正も不可能になってしまってるのだろうと。

この言葉が並べられているといいたいことがいえなくなりますね。

でもあえていいますと、冒頭主語を伏せているのは、語り手が掌握するイントロダクションだからです。そして、

> 虫の音でも蛙の声でもない、乾いた明朗な響きが東の方(かた)より聞こえてくる。次第に大きくなる音に気持ちが張りつめる。すでに何度も繰り返した工程だ。月が隠れていようと、近づいてくる馬蹄の響きで相手の位置を推し量ることができた。
 楓(かえで)の根方に息を潜めていた存在は、ここ、と決め、衣の袖を振り、迫りくる馬上の相手に暗器を放つ。放たれた鉄針(てっしん)は、相手の眉間に迫る。馬蹄の立てる音の調子が乱れる。
 潜む者は腰の短剣を抜き放ち、根方から飛び出して脚を止めた騎手に迫る。が、すぐに気づく、馬にも人にも傷はない。

《虫の音でも蛙の声でもない、乾いた明朗な響きが東の方(かた)より聞こえてくる。次第に大きくなる音に気持ちが張りつめる。すでに何度も繰り返した工程だ。月が隠れていようと、近づいてくる馬蹄の響きで相手の位置を推し量ることができた。》

この段落の主語は、つぎの段落の《楓(かえで)の根方に息を潜めていた存在》です。つまり暗殺者であり、茱宝(しゅほう)という名を持つ少女です。このとき東より馬を飛ばしているのは主人公の瑛珀(えいはく)です。空白行を用いることも考えました。しかしあえてしませんでした。冒頭はどんなものが書かれてあるか、それなりに慎重に読者様に読んでいただけると思っているからです。《根方に息を潜めてい》るからこそ、冒頭部分で主語をあきらかにしないという手を使いました。

そして途中、かなり早い段階で、物語の視点を、茱宝の側から、瑛珀に移したのです。
ですがこの狙いを、

>>長年、修正修正修正……と無闇にいじくり倒した末に、面妖な形になってしまった……のだろうと思う。
>直し直し直し……のあまり、書き手の目はとうに麻痺し曇り切ってしまっていて、もはや自分では推敲も校正も不可能になってしまってるのだろうと。

といわれるのであれば、ほかに弁解のしようもありません。しかし現に普通に読んでくださった方もいらっしゃいました。貔貅さまのように読まれる方が読者様の分布としておおいものでしょうか。ちょっと気になりました。

ともあれ、感想をくださいまして、ありがとうございました。

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

>しかし現に普通に読んでくださった方もいらっしゃいました。貔貅さまのように読まれる方が読者様の分布としておおいものでしょうか。ちょっと気になりました。

要するに
「自分の文章は絶対的にゆるぎないレベルまで到達しえている筈だから、普通に読めない輩なんて、そっちの方が極めて特殊な異常値なんだ」
と言ってるんですよね?

私は私で普通に読んでいて、1面だとスズナシさんや日程さんは「視点」がぶれることなくすっと書かれてる。この場所だとちょっと書き足りていないぐらいでちょうどいい気がします。書き足りていないものは、書き足し・肉付けして良くしてゆく余地がいくらでもあるので。

見かけの文章の立派さより、そこに作中人物の気持ちが乗っている(読者にそれが伝わる)ことの方が大切。

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

「とても素晴らしい文章で、冒頭から引き込まれました。いやはや、緊迫感と臨場感ありますね。
 瑛珀の視点に立って、物語世界に没入しました。
 いいところで終わってて、ほんと先が気になりますね。見せて頂き、ありがとうございました。
 ご健筆を!」

って書いておけばよかった。

貔貅がくる
n219100087061.nct9.ne.jp

くれたレスも読み飛ばしていたんで、
「冒頭部分の、妙にわかりにくい視点についての作者の弁」をようやく見て、いまいちど本文を眺めてみた。

>夜目が利くのか、「誰だ!」と騎手が叫ぶ。声が若い。得物の鞘走る音が冷たく響く。

ここまでは、いずれが主人公なのかも、それが男なのか女なのかも分からない。

>瞬間、暗殺者は認めた、「負けた。あたしの負けね」
 対手(あいて)の緊張がゆるんだ。

ここで「片方が女であることはわかる」。
けれど「夜に馬を駆っている方が暗殺者」なパターンの時代小説は結構多いでしょう?

夜中に単身身を潜め、馬の蹄に聞き耳を立ててる方が先に出てくるから、
『それが主人公だろう』とシミュレートして読み進めると、「そちらのパターン」(藪の中にいるのが男の主人公で、馬上の追っ手が暗殺者)を想定。
そして、前述したように「楓」で勘違いかけて、気を引き締めると「騎手」「暗殺者」ともったいぶって書かれてて、わかりにくい。


作者は、「先までしっかり読めば、みんなちゃんと分かるんだ」と仰るのだろうけど、
冒頭2枚ほどで読むのやめたんで。

もんじゃ
KD106154132014.au-net.ne.jp

 貔貅がくるさま そうげんさま

 横レスでーす。

>>夜目が利くのか、「誰だ!」と騎手が叫ぶ。声が若い。得物の鞘走る音が冷たく響く。
>ここまでは、いずれが主人公なのかも、それが男なのか女なのかも分からない。
>>瞬間、暗殺者は認めた、「負けた。あたしの負けね」
 対手(あいて)の緊張がゆるんだ。
>ここで「片方が女であることはわかる」。

 確かにそんな感じで読みました、でもって、誰が誰やらわからん、って思いながら読み進めたあげくに、おお、と判明したその感じが気持ちよくて、冒頭のためがジェットコースターの頂点を演出しているんだなと感じました、そっからごおおっと走り出す物語が、なんだろ、視界が開けてゆくみたいで面白く味わえたのでこの演出が成功しているように個人的には感じました。闇の中での出会いを読み手が体感できるように書かれている気もしましたので、あの入りかたはむしろよかったと思いました。いろんな読み方があるのでありましょうけど、少なくともお金を払って買い求めた小説なら冒頭にわからない煙幕がはられていてもその煙が晴れるのを待ちながら読み進めるんじゃないかな、って一読者としては感じました、ま、いろんな感じかたがこれまたあるってことで。

 一方で、貔貅がくるさんがおっしゃっているところの、書きすぎてあとから削るより最低限を書き上げてあとから付け足す書きかたのほうがベターなのでは、みたいな点には個人的には賛同できるものを感じました、ダイエットってきついので、最初から適量を食べるかむしろそれ以下の量を食べるかにしといたほうがあとが楽、みたいな意味で。ただこちらもまたいろんな書きかたがあるでしょうから、どんな書きかたがよろしくてどんな書きかたがよろしくないみたいなことを一書き手として断言することはできないように思われます。

 以上、この作品を称賛した者の責任としていちおう横レスしました、失礼しました。

スクリプト
119-170-238-65.rev.home.ne.jp

>お金を払って買い求めた小説なら

すごいな。
そうげん氏の投稿作品にそこまでの価値を……!

今晩屋
120.51.45.82

 こんばんは。
 
 強み(そうげんさん)がすごくでていて、弱み(そうげんさんじゃない人)が、見えないです。
 そうげんさんにも晴れと曇りがあるように、文章に気張りをもたず、天気のようなそうげん文体を読みたいですね。
 
 上手だとか、素晴らしいとか、最高級などは、比較があるから理解できる訳です。
 あえて不味い物を加えて自身の旨さに気付いてほしいですね。
 馬鹿をやれば理が見えますが、理から馬鹿は見えない。
 頑張って下さい。
 
  

5150
151.82.192.210

読ませていただきました。率直に言って面白かったです。力作だと思います。

ですが、一つだけ、うーんと思ったので書かせていただきます。
僕も一人の書き手ではありますが、ここはあくまで一読者としての感想です(この手のものは普段はめったに読まないし、ましてや書くなど、逆立ちをしても、スクワットをしても、ヨガをしてもできませんので)。

それは文章にある呼吸です。
短編ならば呼吸を止めても問題は全くないのですが、長編となると、僕個人的な意見でしかありませんが、文章力よりも面白さよりも、まず呼吸ができるかが僕にとってはすごく重要になってきます。身を任せられる呼吸のリズムがしっかりしているほど、物語に没頭しやすいです。

冒頭の場面もせっかくスリリングで躍動感のある最高の出だしなわりに、ところどころで呼吸が同じリズムではなく、かなりの乱れがあり、うまく身を委ねることができず、非常にもどかしいのです。ものすごくもったいない、と思えて仕方ありません。ときおり、長編ではなく短編の一部であるような書き方の箇所が後半にはあったりします。そのあたり、あまり意識されていないのでは。短編だと高波が来て揺れるのは心地よく感じますが、長旅の場合だと、僕は物語の起伏とかの前に、いたく単純に文のリズムが気になってしまいます。穏やかな海でゆらゆらとずっと揺れていたいと思わせるものでないと、長旅ならば遠慮しようかなと思うくらい大事なものです。

もちろん長編でも、呼吸が速くなる箇所があっても一向にかまいませんし、むしろあった方がいいと思いますが、それはあくまで、基本となるリズムがきちんと確立されている場合に限ります。

というのが、本作を読んでみての率直な感想となります。大変に力のこもった作品を読ませてもらってありがとうございました。

そうげん
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貔貅がくるさまへ

>>しかし現に普通に読んでくださった方もいらっしゃいました。貔貅さまのように読まれる方が読者様の分布としておおいものでしょうか。ちょっと気になりました。

>要するに
>「自分の文章は絶対的にゆるぎないレベルまで到達しえている筈だから、普通に読めない輩なんて、そっちの方が極めて特殊な異常値なんだ」
と言ってるんですよね?

>《自分の文章は絶対的にゆるぎないレベルまで到達しえている筈だから》
そんな大それた意識を持っていたなら、とっくにKindleなどに登録して読者様からお金を頂こうかしらなんて風に思っていると思います。ちなみにわたしの文章は人様にお金を頂戴することのできるレベルになんてまだまだ達していない。いまだ足りていないところが多いと思っているからこそ、なんらかの意見を得たくてここに投稿し続けているのであります。

>普通に読めない輩なんて、そっちの方が極めて特殊な異常値なんだ
普通とか異常とかそういうものではなくて、書き手の文章の綴り方と読み手の文章の読み方の相性の問題でしかないと思っています。異常か、そうでないかは相対的な指標として示されるものとも思うので、異常の目から見れば異常があたかも正常に見えるし、正常が異常にも見えるし、そういった二項対立で考えると泥沼なのでわたしはその考えをとりません。

>見かけの文章の立派さより、そこに作中人物の気持ちが乗っている(読者にそれが伝わる)ことの方が大切。

この言葉は大切に受け止めさせていただきます。
ありがとうございました。

そうげん
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もんじゃさまへ

横レスでも、ありがとうございました。

>そっからごおおっと走り出す物語が、なんだろ、視界が開けてゆくみたいで面白く味わえたのでこの演出が成功しているように個人的には感じました。

ありがとうございます。はじめに暗がりで何が何かわからないところから始めることで、メリハリをつけたかったのですが、そのように読んでいただけたとわかって嬉しくなりました。もうすこし文章を調えていけば、はじめて「瑛珀(えいはく)」の名前が出てくるところで、月が顔を覗かせたこともあって、場面がくっきりするという風に如実な変化を演出できるようにしたいと思ってます。ただ貔貅さまのおっしゃるとおり、はじめととちゅうで、いわば動きを主導する人物(視点人物といってしまっていいか悩ましいのですが)がちがっているところをどうするかというのが、この作品のネックだとも思います。茱宝の側に立場をふって描いている冒頭部分は、しかし茱宝の年齢よりも相当上の年齢の語り口調になって居ます。これは書き手が三人称で場面解説しているような具合に書くことで、茱宝を一人称視点として書いているのではありませんよ、というアピールでもあったのですが、こんなわかりにくいことをするよりも、はじめから瑛珀視点ではじめるべきなのか、そうすると、闇の中で何が起こるのかという演出がうまく行かないようにも思われて。とそんなところであります。

>一方で、貔貅がくるさんがおっしゃっているところの、書きすぎてあとから削るより最低限を書き上げてあとから付け足す書きかたのほうがベターなのでは、みたいな点には個人的には賛同できるものを感じました、ダイエットってきついので、最初から適量を食べるかむしろそれ以下の量を食べるかにしといたほうがあとが楽、みたいな意味で。

昨日(7日)に5150さまがくださった感想コメントにもありましたように、《文章にある呼吸》に難ありという意見を頂戴しました。これは瑛珀による過去の振り返り、独白部分のことであったかと思います。これは書きすぎたかなと思いながらもいったん書いてしまえと筆を走らせてしまいました。貔貅さま、およびもんじゃさまのおっしゃる《書きすぎてあとから削るより最低限を書き上げてあとから付け足す書きかたのほうがベターなのでは》というところ、たしかにそのほうが良かったかもしれないと思いました。長編の先頭部分として捉えると、はじめの章でこう密度を濃く書いてしまうのもバランスを欠いた表記だったなと反省するわけでもあります。

たしかに現代物の長編などを書いていたときは、毎日10枚をコンスタントに書き続けていったものだから、展開はある程度淡々と進んでいくものでした。休みが不定期で、書けるときに数枚ずつ書く、時間のあるときはだだっと書き続ける、ではペースが乱れるものですね。自分の執筆時間の確保の仕方から考えていきたいと思います。

今回もコメントありがとうございました。これからもまたいろいろ教えてくださいね。では。

そうげん
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今晩屋さまへ

平坦な部分もあれば急坂もある、自然な変化、メリハリがあってこそというのを、《晴れと曇りがあるように》と示してくださったのだと思います。どうもこの小説を書くときのモードが一様なものになってしまっていたように思います。こういう風に書きたいという自分の中のタイプ(型)みたいなものに当てはめすぎたようです。

息を抜いたり、ときに緩やかなカーブをつけてみたり。そういった余裕も感じられるようなものを書けるように、コンディションを整えていこうと思いました。

いただいたお言葉、警句として受け止めておきます。
ありがとうございました。

踊り場
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書きぶりだけ、とのことだが、正直よく書かれていると思う。緊張感のある冒頭から坂を転がるように滑り出し、その後も自然に先を追わせる牽引力がある。この手の文章は門外漢であり、読むのに苦労するかと思ったが、感想を述べるために訪れたことをしばし忘れて普通に読みすすめていた。

孤独はそれ自体引力をもつものであるし、御作は共感しやすい物語だった。共感できないものをどこまでも理知的に組み上げて示されるのもそれはそれで好みだが、こうした心地よく懐柔されるような感覚をもたらす角度については、率直に見習いたいと思った。

そうげん
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>踊り場さま

こちらに足を運んでくださり、ありがとうございました。今作。読みやすかった。といっていただける方が多かったので、げんきんなもので、つづきを書くモチベーションがかなり上がりました。ありがたいことです。書き始めに堅い(むしろ堅苦しいというべきかもしれませんが)文章を置いたので、そこで回れ右されてしまった読者様もいらっしゃったかと思います。書いていくうちにこれが時代物として書いているんだということをうまい具合に気にしなくなっていったので、現代もののような読み口にもなっていって、読みやすさにつながったように受け止めております。

掲載した部分に置いて、人物の孤独ということを記しました。これをうまく次につなげていければいいのですが、場面も、展開もまた違ったものになっていくため、冒頭でいい感じに構成することができた流れをどのようにつないでいくかに気を配りたいと思います。

《心地よく懐柔されるような感覚をもたらす角度》というような言葉を頂戴したことがこれまでになかったので、なんだか人をだましているような風にも受け止められてしまって、いけないことをしているような気がしてきました。人と人が行き合って、自然な交流がはじまって、不自然さのないような形で刻々変化していく状況を描けるといいのですが。

嬉しい言葉をくださいまして、ありがとうございました。では失礼いたします。

真夜中の揚羽蝶
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 そうげんさん、読ましていただきました。

 感想を書く前に三つほど前置きがあります。僕は時代小説を全く読みません。確かずっと前に宮部みゆきのミステリー時代短編集を読んだような気がしますが、それは文章的にそうげんさんの作品ほど凝ってはいませんでしたし、どちらにせよ僕は時代物に疎いです。また、僕の国語力が乏しいため、文脈は理解していても、ところどころ知らない単語が多かったため、あまり文章の細部に深入りすることはできません。後、他の方の感想に左右されないように他の感想は読んでいないので、同じことを繰り返すかもしれません。この三つのことを考慮して僕の感想を読んでください。

 率直に言いますと、冒頭部分(上弦の月が叢雲(むらくも)に隠れて〜馬は脚をすすめ、駆けはじめる。)は切実で、美しく、力強いと思います。ただ、それからの進め方に、少なくとも僕は物足りなさを感じます。多分、僕が物足りなさを感じるのは、心に残る始めのやり取りの後、二人のキャラクターが紹介されますが、二人とも魅力に欠けていることと、四十三枚ほどの第一章には面白そうなコンフリクトが提示されないことだと思います。後、文章はリズムカルで、面白く、多分読み手に語彙があれば読みやすいのだと感じました。

 まずキャラクターを失礼を承知で僕なりにまとめてしまいますけど、瑛珀は暗い過去を隠し持つ優しい伝令係で、茱宝は過酷な状況に生まれ育った暗殺者の少女です。これだけでは(特に今時は)少しありきたりなのではないでしょうか? この二人は、孤立させて分析すると物語を一人で引っ張ることができるほど強いキャラクターではありません。しかし、別に一人では魅力に欠けていてもいいです。二人の関係が面白みを産めばいいのですから。ですが、その点、僕にとってはスパークが足りなかったです。ところどころいい部分がありましたけど、例えば

>「死なせてよ。殺せるでしょう。あたしを殺してちょうだい」、少女はいう。

>「戻ればおばさんに疑いを抱かせる。残していくものに未練はないよ。珀兄さん、ありがとう」
>いきなりの名前呼びにどきっとさせられる。「わかったよ、茱宝。都に行こう」

>横を見れば、茱宝が寝息を立てている。疲れていたのかもしれない。よく知りもしない男の横で、なんと無邪気に眠っていられるものだ。寝顔を見るのは趣味の悪いことだと思い、すぐに目を背ける。目を閉じる。

>「昼間から飲んでるのはどこも一緒ね」茱宝は口をすぼめた。
>「おばさんいわく、ろくでもない、か」
>「よくわかったね」少女はくすくす笑う。

 それに、これから二人の関係はより深まっていくのかもしれませんが、僕は第一章でもっと欲しかったです。なぜこの二人の関係を読み続けるべきなのか、と。

 次はコンフリクトのことですが、一つ僕はそうげんさんの作品を読んで、迷うことがあります。これはストラクチャー的にはどのようなジャンルを目指しているのでしょうか? 隣国との争いを暗示する部分がありますし、恐らく二人はこれからも旅をするのでしょうから、冒険小説的な構成でしょうか? しかし同時に(恋愛)ドラマ系の感じもします。物語のコアは何なのか。続きを読めばこの点は解消するのかもしれませんけど、第一章だけ読んだ上での感想です。(もし物語の売りが文章だとしたら、ごめんなさい、あまりコメントできません。)

※※※

 後は具体的なことです。段落ごとにコメントします。すでに書いたように、「上弦の月が叢雲(むらくも)に隠れて〜馬は脚をすすめ、駆けはじめる。」は素晴らしいと思います。エモーショナルで、双方のキャラクターが引けないダイアローグで、二人の人格が上手く描写されています。

 「その暗器の腕――どこで得た」から「返答はなかった。相手の溜息が聴こえた。」はこれでもいいとは思いますけど、欲を言えば、もうちょっとダイアローグに捻りが欲しいです。二人の会話、また瑛珀の任務の背景の内容はどれも想定外なことではないので、内容はそのままでも会話のプレゼンテーションをいじってみたらどうでしょうか。

「そのまま会話もなくなり、茱宝の存在も気にならなくなって、」から「生きているのか、すでに死んでしまったのか。」はあまりにも説明的で、僕ならこの部分を回想として書き直します。そうげんさんなら冒頭と似たような切実なシーンにできるのではないでしょうか。

「覚醒すると、まだ薄暗いにも拘(かか)わらず、四囲(しい)に小鳥の声が満ちていた。」から「茱宝は自分のところで引き受けよう。そう決心して、都城の門に馬の歩みをすすめる瑛珀であった。」多分この辺で僕はこの小説は僕には合わないと思います。きっと他の方々は雰囲気がいい、と感じるところなのでしょうが、僕は雰囲気に疎いので、もうちょっと二人の間に押し引きがあってもいい
のではないか、と考えます。

※※※

 えー、長くなりましたが最後に少しだけ文章のことで気づいたことを。

 最初に視点のことですが、次の部分が非常に気に入りました。

>遠くに鳥のはばたく音がした。無音のときが訪れる。本当に止んだかはわからない。つぎには音が戻っていた。
>長く隠れていた月が、雲の切れ間から覗いた。
>瑛珀(えいはく)は見た。

 前の部分では神の視点から書かれていますし、瑛珀のことも名前ではなく騎手と呼ばれていますが、鳥が羽ばたき、あたりが静寂になると途端に視点は瑛珀の三人称に変わります。これは上手い、と思いました。脱帽です。

 しかし、作中にはところどころ地の分で「俺」と書かれています。特に次の部分が気になります。

>俺は立ち上がり、眠っている間に強張ってしまった体のあちこちの筋を伸ばしながら、背伸びをする。

>俺は名を呼びながら、首元をさすってやる。気持ちよさそうに、こちらに体をすりよせてくる。俺が眠っている間に、そこらの草を食んでいたようだ。

 この三つの文は瑛珀の思考ではありません。それなのになぜ「俺」になっているのか。最初、僕は視点は神の視点から始まり、読者が気づかない内にパチンと瑛珀の一人称にはめ込められるのだと思いましたが、その後はまた普通の三人称に戻っています。ですから、この三つの「俺」は意図的でしょうか?



 些細なことですが、そうげんさんはしばしば次のようなコンマの使い方をします。

>「なぜ俺を狙う」、男の声には余裕があった。

>少女は観念した、「誰でもよかったんだ」

 個人的な見解ですが、ここはピリオド(上の方は普通に「なぜ俺を狙う」男の〜」の方が読みやすいのではないでしょうか? 少なくとも僕はこのようなコンマの使い方をする小説を読んだことがないと思います。

真夜中の揚羽蝶
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 これは僕の国語力の乏しさのためかもしれませんが、次の部分で

>「死なせてよ。殺せるでしょう。あたしを殺してちょうだい」、少女はいう。
>かれも話のわからない相手ではない、「殺してほしいなんて尋常ではない。話くらいは聞いてやる。いいたいことがあればいってみろ」

 なぜ語り手が少女の言葉に瑛珀「かれも話のわからない相手ではない」と言うのかわからず、違和感を感じました。瑛珀が話のわからない相手だとすると、瑛珀は彼女を問答無用に切っていたのでしょうか? 確かにそう考えるとまず話を聞くほうが話のわかる相手になるわけですけど、彼女は「あたしを殺してちょうだい」と言っているのですし、少々合わない表現なのではないでしょうか。



 次の部分でそうげんさんは、瑛珀は閃いたと書いています。

>「おばさんよ」と少女はいった。「おばさんの命令。街道を往く人を夜討ちして身ぐるみを剥げって。あなたもそのひとりに過ぎない。あなたじゃなくたってよかった。とはいえ、あなたに出くわすなんて、あたしも不運ね。……まあ、運なんてもともとあったか知らないけど」

(中略)

>かれは閃いた。その閃きをいったん頭に整理したうえで、少女に尋ねた。
>「暗殺を命じたのは、おばさんだな。血がつながっているかどうかはしらぬが、そんなにひどいのか。都に来れば、身よりはひとりもいない。ここならば見知った顔がいくらでもあるだろう。どこに身を置くのが安泰か、ちゃんと考えていっているのか」

 瑛珀が閃いたことは、少女がおばさんに暗殺を命じられたことではありませんね。多分、瑛珀は茱宝がおかれた状況の酷さを自覚していなく、その酷さが閃いたのだと思います。しかし、だとしたら瑛珀は世間知らずなのではないでしょうか? また、瑛珀もあまりいい環境で生まれ育ったわけではなさそうなので、閃くほどのことなのでしょうか?



 これもまたとても些細で、多分僕だけの意見だとは思いますけど、一応書いておきます。

「味はお粗末だが、腹持ちはする。ないよりはましだろう」
 粗末な食事を摂りおえると、あたりはすっかり朝の気配に包まれている。

 ここではキャラクターと語り手が「粗末」という言葉を繰り返しています。僕ならただ「食事を摂りおえると〜」って書きます。



 後、僕は「瑛珀」を読んで、ゲーム・オブ・スローンズ(ドラマ版)のアヤ・スターク(男っぽい、剣術が好きな貴族の少女、両親の敵を打つことを願い、後に暗殺者になる)とサンダー・クレイゲン(前、王家に仕えた騎士、一見極悪だけど、優しいところあり、アヤが殺したい人間の一人)が一緒に旅をする場面を思い出しました。参考までにしてください。



 長い感想になりました。そうげんさんの利益になればなによりです。また、感想の大半は批判になってしまいましたが、全体的にはいい一章だと思います。ではこれで失礼します。

そうげん
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真夜中の揚羽蝶さまへ

感想をつけてくださり、ありがとうございました。
返信が遅くなってしまいましたこと、申し訳ありません。

さて、たくさんのご意見やご指摘をくださいました。勉強になることばかりでうれしく思います。

>まずキャラクターを失礼を承知で僕なりにまとめてしまいますけど、瑛珀は暗い過去を隠し持つ優しい伝令係で、茱宝は過酷な状況に生まれ育った暗殺者の少女です。これだけでは(特に今時は)少しありきたりなのではないでしょうか? この二人は、孤立させて分析すると物語を一人で引っ張ることができるほど強いキャラクターではありません。しかし、別に一人では魅力に欠けていてもいいです。二人の関係が面白みを産めばいいのですから。ですが、その点、僕にとってはスパークが足りなかったです。

キャラクターに魅力が薄かった。物語を引っ張れるほどではない。エンタメとしての作品であれば、これは致命的であるように思います。あとで書いてくださいましたが、この作品がどのようなジャンルの話を目指しているのかという指摘がありました。ジャンルとしては中華ファンタジーというものになるかと思います。ただ、恋愛の要素であったり、剣劇の要素であったり、文章へのこだわりもすこし持っていて、文芸的な面もちらちら見据えながら書いてもいたため、ジャンルがなんであるのか、ごちゃごちゃして濁ってしまったようにも思います。キャラクターをがつんと押し出せるような造形であったり、展開であったりができればいいのですが、どうもわたしはそういうのが自分で合わないなと思っている側面があるのです。ですが、もうすこし読者さまを惹きつけられるようなものにしていきたいと感じています。

>「その暗器の腕――どこで得た」から「返答はなかった。相手の溜息が聴こえた。」はこれでもいいとは思いますけど、欲を言えば、もうちょっとダイアローグに捻りが欲しいです。二人の会話、また瑛珀の任務の背景の内容はどれも想定外なことではないので、内容はそのままでも会話のプレゼンテーションをいじってみたらどうでしょうか。

>「そのまま会話もなくなり、茱宝の存在も気にならなくなって、」から「生きているのか、すでに死んでしまったのか。」はあまりにも説明的で、僕ならこの部分を回想として書き直します。そうげんさんなら冒頭と似たような切実なシーンにできるのではないでしょうか。

自分では気づかなかった点へのご指摘でした。ありがとうございます。説明的なものをほかの仕方で提示していく。参考にしたいと思います。

>この三つの文は瑛珀の思考ではありません。それなのになぜ「俺」になっているのか。最初、僕は視点は神の視点から始まり、読者が気づかない内にパチンと瑛珀の一人称にはめ込められるのだと思いましたが、その後はまた普通の三人称に戻っています。ですから、この三つの「俺」は意図的でしょうか?

これは意図的とかそういったことでなく、単純に、さいきん三人称で小説を書いていなかったために、癖がそのまま移って、誤って一人称の構文を文章に持ち込んでしまった――しかも読み直したときにも気づかなかったものです。つまり、わたしのミスです。混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。

> 些細なことですが、そうげんさんはしばしば次のようなコンマの使い方をします。

>>「なぜ俺を狙う」、男の声には余裕があった。

村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』でこの「、」の使われ方をされていました。わたしは小学校の国語の時間の朗読で、まだわからない子供に向かって、先生が、読むときには、「、」は一秒くらい、「。」は二秒くらいあけて読むといいですよといっていました。秒はどうであれ、読むときの区切りとしての「、」と「。」のレベルの違いをいってくださってる気がしていました。「。」ほど空白をあけたくないときに「、」をつかう。また、文章でも終止形のあとに「。」を打たずに、「、」でつないで文章をつなげているものを見かけることがあると思います。「。」だと文同士の意味が離れてしまうときに、「、」にしているんだとわたしは認識しています。あまり普通にはつかわれない手法なので、違和感を覚える方もいらっしゃるかなと思ったのですが、こういう書き方をさせてもらってます。

> なぜ語り手が少女の言葉に瑛珀「かれも話のわからない相手ではない」と言うのかわからず、違和感を感じました。瑛珀が話のわからない相手だとすると、瑛珀は彼女を問答無用に切っていたのでしょうか? 確かにそう考えるとまず話を聞くほうが話のわかる相手になるわけですけど、彼女は「あたしを殺してちょうだい」と言っているのですし、少々合わない表現なのではないでしょうか。

そうですね。たしかに意味が二手にとれてしまって、しかもしっくりこないようです。まずい表現だったなと思います。

>瑛珀が閃いたことは、少女がおばさんに暗殺を命じられたことではありませんね。多分、瑛珀は茱宝がおかれた状況の酷さを自覚していなく、その酷さが閃いたのだと思います。しかし、だとしたら瑛珀は世間知らずなのではないでしょうか? また、瑛珀もあまりいい環境で生まれ育ったわけではなさそうなので、閃くほどのことなのでしょうか?

言葉が足らなさ過ぎたんだと思います。なにを閃いたのか。「茱宝を都に連れて行ってもよさそうだ」、「落ち着き先もなんとかなるだろう」という算段がついたところを「閃いた」といわせました。だから、茱宝に、あえて、知り合いが誰もいない都に行くことに本当に決められるのか、と再確認する台詞を瑛珀にいわせたのでした。わかりにくいし、これもまずい文章だと思いました。

>ここではキャラクターと語り手が「粗末」という言葉を繰り返しています。僕ならただ「食事を摂りおえると〜」って書きます。

たしかにそのとおりだと思います。

>ゲーム・オブ・スローンズ(ドラマ版)

ドラマ版のブルーレイBOXを6章まで買ってあるのですが、まだ観られてません。いただいた感想をもとに、観るときに、気をつけてみたいと思います。

>そうげんさんの利益になればなによりです。

たくさんのご指摘、ありがとうございました。自分では気づけなかった点がたくさんあり、有益なものだったと思います。こちらこそ、ありがとうございました。

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