作家でごはん!鍛練場
新人教育係

自称お嬢さまは職場いじめがお好き(9枚)

 高級ホテルから内定をもらい、客室乗務員採用試験にも合格したが、最終的には高級デパートに就職を決めた。
 新人研修中から上司や先輩方から高く評価されたが、同期の同僚たちからはいじめられた。陰口、にらみつけ、無視、仲間はずれ、嫌がらせをされた。いじめられる側の私に一体どんな問題があったのだろう?
 私は一切自慢などしていないし、同僚を見下したり侮辱したりしたこともない。私が同僚から見下されていたのだ。大卒や短大卒の同僚たちは、専門学校卒の私を侮っていた。『自分よりも格下』と見くびっていた私が、自分たちよりも高評価を受けているのが我慢ならなかったのだろう。しかし、能力に対する評価と学歴は比例するとは限らないのだ。
 私が低学歴なのに高評価だから問題なのだろうか? 私より高学歴なのに私より低い評価しか得られなかった彼女たちが、自分たちの実力不足・努力不足を棚に上げて私をいじめることは問題ないのだろうか? 彼女たちは自分の実力不足や努力不足を反省するべきではないのか?
 わけのわからない自慢をされたのも私のほうだ。研修中、同じ班に「悪魔の顔を持つ男」として有名なロックミュージシャン獄門真鬼(ごくもんまさき)似のお嬢さまがいた。彼女は短大時代にハワイへ二週間語学留学して英検三級(中卒程度)に合格したことがなぜか自慢の種だったのだ。彼女は普段から私を目の仇にしていたが、私は同じ班員として親切に接していた。
 OA研修の際、彼女が入力した書類に誤字があったので、「この『ゴコウハイ』って字、『交わる』になってるけど正しくは『高い』って字よ」と教えてあげたのだが、お嬢さま短大卒の彼女はせせら笑い、「この字で合ってるわよ。アタシ、漢字検定三級なのよ?」と勝ち誇ったように反論した。
 漢検三級(中卒程度)が事実としても、漢字は間違っているのだから訂正する必要がある。誤字のまま書類を発送してしまうと恥を撒き散らすことになり、うちの会社の看板に泥を塗ることになってしまうからだ。
「じゃ、先輩に聞いてみて」と引き下がっておいた。お客さまに交配してもらってどうする? 出産するのか。
 彼女はだれに対してもニコニコと愛想が良いのだが、その笑顔が私に向けられたことは一度もない。研修中にふと気がつくと、私の右斜め向かいに座っている彼女が般若のような恐ろしい顔で私をにらみつけている、ということが度々あった。
 私になんの恨みもないはずなのに、なぜ私をそんなに憎悪するのか理解できなかった。私は彼女に酷いことをしたり言ったりした事はないし、だれかに彼女の悪口を言った事もないからだ。彼女に対してだけではなく、私はだれに対してもそんな事をしたことはない。

 懇親会として班単位での食事会があり、その席で見てしまったのだが、彼女は握り箸だった。指先で箸を持って食べることができず、手をジャンケンのグーのような形にして箸を握り、箸をわずかにクロスさせた状態で食べ物をつき刺して口元に運ぶのだ。その時の腕の構えが、調子良く歌ってるときの五木ひろしのようだったので、今後は彼女の名を五木ひろ子とする。
 五木ひろ子は足が短いために背が低かった。にもかかわらず腰にも届きそうなロングヘアーだったのだ。足の短い人が髪を長く伸ばすと全体のバランスが更に悪くなり、余計に短足が強調される。そして背の低さも目立ってしまう。髪をショートにするか、さもなくば小さくまとめればバランスが多少補正されて見え、短足が悪目立ちせず、背の低さもそれほど目立たなくなるというのに。
 上流階級なら歯並びの悪い子供には歯列矯正を施すものだ。ところが五木ひろ子の歯は口の中に納まりきらず、油断するとすぐ口からはみ出してしまう。そうなるとなかなか上下の唇を合わせることができず苦労していた。ゆえに、彼女は上流階級のお嬢さまではない。
 だが五木ひろ子は自分がお嬢さま短大卒ということを鼻にかけ、自分はお嬢さまだと思い込んでいた。おそらく短大の同級生たちはだれも、彼女のことをお嬢さまだとは認めてなかったことだろう。つまり彼女は、自分を客観視できてなかった。それはいろんな意味で。

 新人研修修了後にそれぞれの部署に配属されるのだが、店舗ではなく本社での内勤を希望している場合でも、新入社員は全員、店舗への配属となる。私は本社での事務方の仕事を希望していた。学生時代に学んで合格した各種検定の技能が活かせるからだ。それにあまり体力に自信のない私には、座り仕事のほうがありがたい。
 店舗での座り仕事といえばインフォメーションカウンターだ。元放送部員でアナウンス検定一級にも合格しているし、館内放送ならできるだろう。英会話ができるので海外からのお客さまにも対応できる。そんなわけで第一志望はインフォメーション。
 これまであまりおしゃれを楽しむ余裕もなかったが、ファッションに興味があるので第二志望は婦人服売場、第三志望は婦人用品売場にした。
 握り箸の五木ひろ子もインフォメーション志望で、婦人服と紳士服をそれぞれ第二・第三志望にしていた。

 一カ月の新人研修が終わった配属発表の日。まずはインフォメーションから発表だ。本店インフォメーションに配属されたのは私だった。英語力・マナー・言葉づかいが評価されたのだ。座り仕事なのでありがたかった。
 都内二カ所の支店インフォメーションが発表されたが、五木ひろ子の名は呼ばれなかった。続く婦人服売場、紳士服売場でも彼女の名は呼ばれず。食料品売場に配属された五木ひろ子は、真っ赤な顔で泣き叫びながら飛び出して行った。そういう態度は食料品売場で働く上司や先輩や同僚に失礼だ、という事実には思いが至らないのだろう。

 それぞれの部署に配属されると、人をいじめてる暇などないことに気づいたのか、あからさまに私をいじめる者はいなくなった。
 配属先の部署ではさらに二カ月間の配属後研修があり、七月から正式な店舗従業員として店頭に立って接客を開始するのだ。それまでにしっかり商品知識を頭に叩き込み、接客マナーや正しい言葉づかいを身につけておかねばならない。
 二カ月間の配属後研修は一カ月間あった新人研修と同様、本社で行われる。研修は九時から六時まで。昼は食券が支給されているので、社員食堂を利用する。そこで同期入社の同僚をみつけると和気藹々と近況報告したり、研修内容を報告し合ったりしていた。
 だが悪魔のような顔を持つ握り箸の五木ひろ子だけは私を憎悪し続け、社員食堂で取り巻き二人に私の悪口を言い続けていたのだ。悪口の内容まではわからなかったが、取り巻きたちに向かって話している時の表情が人の悪口を言っているとき特有の意地の悪い表情だったことと、ヒソヒソしながら私を嫌な目で見ていることから、私の悪口を言ってることは明白である。
 時々、わざとらしく聞こえるように「ねえ〜え!」と自分の言った悪口に同意を求める大声をあげていた。大方、「インフォメーションには私のほうがふさわしいのにね!」とでも言っているのだろう。
 握り箸ひろ子の悪魔の食卓につき合わされている取り巻きたちが気の毒だった。握り箸と一緒に食事をするなんて恥ずかしくてたまらないだろうから。
 実際、懇親会で握り箸ひろ子の正面の席に座った私は、いたたまれない気分になったのだ。私が握り箸なわけではないのに恥ずかしくてたまらなかった。それは、見てはいけない物を見てしまったような気まずさ、居心地の悪さだった。
 彼女たちは握り箸に何か弱みでも握られているのだろうか? そのために恥ずかしくてたまらない握り箸との同席を断れなかったのではないかと同情する。

 インフォメーションのカウンター業務の研修は楽しく知的好奇心が満たされ、毎日が充実している。ここには私をいじめる人など一人もいない。学生時代に学んだこと、新人研修で学んだこと、これからの研修で学ぶこと、それらをフルに活用して社会人として役に立とう。
 入社後三年間は定着率を上げるための様々な報奨制度がある。上司による査定で高評価を得た社員は食事会や日帰りバスツアー、温泉旅行などのイベントに招待されるのだ。そこで有能な先輩方と出会ってさらなる学びを得たい。
 本社への異動願を出し、ゆくゆくは本社で事務方として自分のスキルを役立てたいとも思っている。
 入社したばかりの新入社員は学生気分が抜け切らず、幼稚ないじめをするのだろう。そういう者でも社会の厳しさを知れば成長して行く。成長できない者は遠からず敗退して行くだろう。いじめに屈して退職しなくて良かった。未来は明るい。

自称お嬢さまは職場いじめがお好き(9枚)

執筆の狙い

作者 新人教育係
68.207.49.163.rev.vmobile.jp

 いじめ被害に遭うと世界の終わりのように悲嘆にくれたり、世を儚んで自殺したりする人がいますが、いじめを客観的に分析して捉えることの重要性を訴えたくて書きました。
 表現したいものは、いじめの愚かさと自分を客観視できない身の程知らずのイタさです。
 執筆上の挑戦は、やや硬めの文体でありながらも一読して理解できる文章を書くこと。誰かのセリフとして主人公の容姿・知性・人柄を語らせず、地の文からそれらが伺い知れるように書くこと。文末が「た。」「た。」「た。」と連続するなど、単調にならないようにすること。自称お嬢さまのイタさがリアルに伝わるように書くこと。
 ラストが陳腐かな?と思ってます。小説らしくするなら、もっと別のアイデアが必要な気がしています。良いアイデアがあればお願いします。

コメント

大丘 忍
ntoska042068.oska.nt.ngn2.ppp.infoweb.ne.jp

いじめという現象は私が想像する以上に世にはびこっているようですね。私も小学校の頃、戦時中でしたがいじめられた経験がありますが、それは単にケンカが弱くて殴られたというだけで、現在の陰湿ないじめとは次元が違うと思います。
ここに投稿される小説の中にも、いじめをテーマにしたものがいくつかあり、やはりいじめは現在の社会情勢下では避けて通れぬ現象なのかと実感しております。
被害者がイジメれっぱなしでだめになっては救いがありませんので、そのいじめからいかに脱却してイジメた連中を見返してやるかを示した小説を読んでみたいと思いますね。
いじめを助ける勇者が出てきてもいいし、本人が努力してイジメた連中を見返すということでもいいでしょう。そうなれば読者の溜飲が下がると思います。そのような小説を期待しております。

shion
KD027083171050.ppp-bb.dion.ne.jp

いじめがテーマの小説ですね。技術的には問題なくおもしろいと思いました。ただどっちがいじめられてるのかよくわからないというか、お互い嫌悪してる感じですよね。

新人教育係
81.208.138.210.rev.vmobile.jp

大丘さんへ
 よくある意見ですが、このストーリーを改変する意志はないんです。締めの部分がただの作文みたいでつまらないから、小説らしくする何か良いアイデアはないかと募った次第です。

新人教育係
81.208.138.210.rev.vmobile.jp

shionさんへ
 こんな陰湿で執拗ないじめ加害者を好きになれるいじめ被害者がいるならド変態ですね。
 作中でいじめられているのは主人公だけです。いじめ加害者はいじめ被害者である主人公から親切にされていますが、一切いじめられてはいません。
 それを伝える筆力がないのかもしれないと思うと、恐ろしくてたまりません。コロナよりも恐怖です。

ドリーム
27-136-239-65.rev.home.ne.jp

拝読致しました。

いじめ問題、今も昔も尽きる事がありませんね。
確かに昔のいじめは殆どが暴力によるものでした。
だが昨今は陰湿ですね。精神的なものと暴力を組み合わせですから悪質です。
ただこの主人公はメゲて居ない所がいいですね。
頭も良いしその辺が救いです。

話は脱線しますが半沢直樹はパワハラに立ち向かう所が痛快でした。
中国ドラマですが一番下の宮廷女官が上司や同僚から数々のいじめに合いますが
気が強く判断力があり頭が良く逆に徹底して仕返しする処が痛快で嵌ってます。
現在BS12で放送中です。ぜん70話で半分過ぎた所です。良かったら参考までに。

https://www.youtube.com/watch?v=aIJKRmivPnk

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

主人公の語りは俯瞰的ではあるんですけど、脳内で淡々と五木ひろ子を葬っておりささやかな悪意がはっきりと存在するので、客観的であるかどうかはよく分からなかったです。いじめられた側の気持ちになれば当然の対処なのですが、客観性の大切さが執筆のねらいどおりに伝わったのかどうなのか?

新人教育係
148.202.49.163.rev.vmobile.jp

ドリームさんへ

>この主人公はメゲて居ない所がいいですね。
 メゲるといじめ加害者の思うツボで喜ばせてしまうだけです。彼らはいじめ被害者にダメージを与えたいわけですから、超然としてるほうが良いのです。いじめという低レベルな事で頭が一杯になってしまって、大事なことが疎かになってしまうのは非常にもったいないことです。そうならないためには、客観的に物事を考える必要があるという事を読者(特にいじめ被害に遭っている人)に伝えたかったんです。

>頭も良いしその辺が救いです。
 学力的な頭の良さではなく、客観的に物事を捉え、論理的に推論する冷静さ、感情的な言動をしない事から主人公の頭の良さを感じ取っていただけたと思います。

 半沢直樹もチャングムも見た事ありませんが、復讐する話も小説としてなら面白いでしょうね。実際にやってしまうと犯罪になるので、合法的に復讐する話も面白いかもしれませんね。読者の役に立つかもしれませんし。
 ありがとうございました。

新人教育係
148.202.49.163.rev.vmobile.jp

アリアドネの糸さんへ

>脳内で淡々と五木ひろ子を葬っておりささやかな悪意がはっきりと存在するので、客観的であるかどうかはよく分からなかったです。

『あの人、私の事いじめる! だから大嫌い!』←これだと客観的ではなく主観的と言えます。
 ですが主人公はまったくそういう風には捉えていません。客観的事実に基づいて論理的に推論し、正しい結論を導き出しているので客観的です。一例を挙げます。

客観的事実
・五木ひろ子は語学留学までして英検三級
・五木ひろ子は短大まで出て漢検三級
・五木ひろ子はこの程度の事を自慢する
論理的な推論
・五木ひろ子は知性が足りない
・五木ひろ子は身の程がわかってない
・五木ひろ子は自分を客観視できない
正しい結論
・五木ひろ子はイタい人だから尊敬することができない

 主人公が五木ひろ子を尊敬することができないのは当然の事であって、それを悪意とは言いません。五木ひろ子を尊敬することができないという事実をもって、主人公が客観性を欠いてるという事にもなりません。

>客観性の大切さが執筆のねらいどおりに伝わったのかどうなのか?
 伝わらないのは筆力の問題なのかどうなのか? 読解力の問題なのかどうなのか?

アイスティー
softbank060158201226.bbtec.net

 もっと具体的ないじめのエピソード(事実としてこういうことがあったというできごと)を盛りこめば主人公の客観性が読者にも伝わるのではないでしょうか。

 エピソードのなかで理不尽な目に遭う主人公の姿が具体的に描かれていれば、読者も主人公に感情移入して共感し、読んでいくうちにいじめている人物を憎むようになるかもしれません。

 いまのままでは、

>いじめられる側の私に一体どんな問題があったのだろう?

 からはじまる原因の追及がすべて推論や想像から成り立っているので客観性に疑問をもたれてしまうのだと思います。
 想像から導き出したものは根拠として弱いです。
 

>『自分よりも格下』と見くびっていた私が、自分たちよりも高評価を受けているのが我慢ならなかったのだろう。

>彼女たちは自分の実力不足や努力不足を反省するべきではないのか?

>おそらく短大の同級生たちはだれも、彼女のことをお嬢さまだとは認めてなかったことだろう。

>悪口の内容まではわからなかったが、取り巻きたちに向かって話している時の表情が人の悪口を言っているとき特有の意地の悪い表情だったことと、ヒソヒソしながら私を嫌な目で見ていることから、私の悪口を言ってることは明白である。

>大方、「インフォメーションには私のほうがふさわしいのにね!」とでも言っているのだろう。

>彼女たちは握り箸に何か弱みでも握られているのだろうか? そのために恥ずかしくてたまらない握り箸との同席を断れなかったのではないかと同情する。

 すべて主人公の想像です。被害妄想気味といえるかもしれませんね。
 具体的ないじめのエピソードがありません。
 唯一自慢されたということぐらいのことです。
 
> OA研修の際、彼女が入力した書類に誤字があったので、「この『ゴコウハイ』って字、『交わる』になってるけど正しくは『高い』って字よ」と教えてあげたのだが、お嬢さま短大卒の彼女はせせら笑い、「この字で合ってるわよ。アタシ、漢字検定三級なのよ?」と勝ち誇ったように反論した。

 ここの部分ですが、これは、

>> OA研修の際、彼女が入力した書類に誤字があったので、「この『ゴコウハイ』って字、『交わる』になってるけど正しくは『高い』って字よ」と教えてあげたのだが、彼女は笑い、「この字で合ってるわよ。アタシ、漢字検定三級なのよ」と答えた。

 こういうことなんですが、いじめではないですよね。悪質な嫌がらせでもないです。自慢なのかどうかも微妙です。万が一自慢だとしても自慢はいじめでしょうか。

 上記のように主人公の主観による修飾を削って事実のみを読めば、ミスに気づいた相手はそれを素直に笑いユーモアをもって自虐的に答えた、その言葉を主人公が歪めて受けとっていたのかもしれないともいえます。相手がユーモアのある持ち主だからこそ、そこまでの度量の広さのない主人公のシャクにさわった、という。

 そのようにも読めるということなのです。
 主人公は「教えてあげた」「お嬢さま短大卒の」とつけ加えるメンタルの持ち主です。

 ユーモアのある人気者だからこそコンプレックスを刺激された相手から憎まれるということは案外ありますよね。
 主人公は、同僚たちが仲良く談笑している、その様子が気に入らないという思考回路の持ち主なのかもしれないですね。
 そうであると言っているのではありません。可能性の話です。



 また、一人称であるがゆえということもあるかもしれません。

>勝ち誇ったように反論した。
>彼女が般若のような恐ろしい顔で私をにらみつけている
>悪魔のような顔を持つ握り箸の五木ひろ子

 というのは主人公の目にうつった相手の姿であり、主人公がそう感じたという主観的なものです。

>私はだれに対してもそんな事をしたことはない。

 これも主観です。「私」が考えているだけのことで、自覚なくしてやってしまっている可能性はありますから。

 ミステリーでは一人称視点の地の文は信用できないものとして扱われてしまうくらいのものですし、そういった点を考慮したうえで書かれたほうがいいかもしれないですね。

 内心で相手の容姿を揶揄し、相手を学歴で評価し、相手の会話の内容を勝手に想像してその想像した内容に対してキレる。
 そんな主人公が描き出されている作品でした。

きさと
p7377122-ipngn33301marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

 語り手の境遇やのり子の人間性と直接関係のない仕事等の風景を淡々と精密に描き、その中にいじめの実態やのり子の愚かさを自然と浮き彫りにする(地の文でも語らせず読者に感じ取らせる)のが客観性を明示する方法の一つだと思います。話の筋だけ見ると小説としては何も起こっていないようなのに景色の痛ましさが余韻として残るのが理想です。語り手の目を通してしまうと客観とは捉えられ辛くなる危険がはらむので、読者一人一人が客観視できるように仕掛けるのが安全です。

新人教育係
148.202.49.163.rev.vmobile.jp

アイスティーさんへ

 詭弁を用いて論破できる相手はごく限られています。詭弁は社会ではほとんど通用しません。ですからまず、論理的思考を身につける事が急務です。
 知的に向上すれば自信が持てるようになるかもしれません。そうなれば自分を好きになれるかもしれません。もしかしたら周囲からの尊敬も得られるようになるかもしれません。努力してより良い人生を送ってください。
 お疲れさまでした。

新人教育係
148.202.49.163.rev.vmobile.jp

きさとさんへ

 アドバイスありがとうございます。客観的に書くなら三人称小説にするか、主人公でもいじめ加害者でもない傍観者による一人称小説にすれば簡単なのですが、あえて一人称で挑戦してみました。
「いじめ被害者である主人公はこのように物事を捉え、このように考えていじめに対処した」という事を伝えたかったからです。

 主人公は「ああ恐ろしい、ああ辛い。私って不幸で可哀想」と嘆き悲しむ暗い日々を送りませんでした。いじめという理不尽な事象を論理的思考と冷静さで客観的に分析しユーモアを忘れなかったので、必要以上に深刻に悩んだり落ち込んだりする事を回避できました。これは抑うつ状態に陥る事や自殺を防止する上で非常に有効です。
 主人公の思考の過程をできるだけわかりやすく、かつ簡潔に読者(特にいじめ被害者)に伝えたかったので、三人称ではなく主人公による一人称を採用しました。主人公の思考の過程を心の声として書くほうが、読み手の心の中に無理なくスッと入って行くでしょう。三人称で「彼女はこのように考えたのである」と主人公の考えを書くと説明文になってしまうのでやめました。

もんじゃ
KD106154132204.au-net.ne.jp

>やや硬めの文体でありながらも一読して理解できる文章を書くこと。

 達成できていると思います。硬めながらも飲み込みやすい文章でした。あっという間に完読できました。

>誰かのセリフとして主人公の容姿・知性・人柄を語らせず、地の文からそれらが伺い知れるように書くこと。

 達成できている、どころか抜きん出ているように感じました。一人称小説における地の文の効用という点で大いに学ばせていただきました。
 ぎくしゃくした理屈っぽい地の文から、語り手の多少偏屈な性格を、一方で随所に見られるおちゃらけた表現に、妙に憎めない可愛らしい性格を読み取ることができました。どこらへんが可愛らしいと感じたのかというと、悪魔の顔を持つ握り箸が、みたいな形容をしつこく繰り返すあたり。ユーモラスだなと感じました。交配してどうするんだ、みたいなあたりにも可愛らしさを感じました。五木ひろ子というかなり悪路馬蹄っく(←造語です。泥だらけな道に残された蹄鉄の跡みたいな、くらいの意味)な名付け方を自分でおかしく感じているのかいないのかわからない感じでひょいとやらかしちゃうあたりも、かくかくした思考の生真面目人であることとのミスマッチで独特の可愛らしさになっていると感じました。

>文末が「た。」「た。」「た。」と連続するなど、単調にならないようにすること。

 これ、拙作について、ある方よりご指摘いただいたことがあります。た、た、た、な終わり方が連続すると稚拙な印象になるから気を付けなさいと助言していただきました。
 た、た、た、な終わり方にもリズムを作る「効用あり」かも、だなんて思わなくもないのですが、なるほど、体言止めや倒置形を散らすことで、た、た、た、は避けられるものなのですね、勉強になりました。今書いてるやつを推敲してみることにいたします。

>お嬢さまのイタさがリアルに伝わるように書くこと。

 伝わりました。が、もっと強く、大袈裟に、でもよかったかもしれません、感情を込めて、というか。わりと抑えた筆致で表されているように感じました。たぶん語り手の個性なのでしょうね。感情的に、ともすれば人間的にならないことで、自分なりのバランスを維持しているのが主人公なのかもしれません。そういう主人公には、小説の主人公としての在り方という意味での好感が持てました。

>ラストが陳腐かな?と思ってます。小説らしくするなら、もっと別のアイデアが必要な気がしています。良いアイデアがあればお願いします。

 陳腐というか、起承転結の結に相当するものがなかったようにも感じました。なくたって別に構わないのですが。
 主人公の思いに始まり思いに終わるだけだから、でもって主人公に気付きがないから、だから小説って意味ではちょっとするっと終わっちゃってる気がするのかもしれません。なんか、こう、はっとする感じがあるといいのかなあ、主人公や読者が。つまり、外からのハプニング。ドアをノックされる感じで終わるとか、そのくらいでもよいのかも。ともあれ、外からの何かと、それに対する、主人公ならではの大袈裟ではないけど、ちょっとした心の揺れみたいなもの。それがあると、なんか、ちょっと、温度のある終わり方ができるんじゃないかと。未来は明るい、って、主人公が内的に、主観的に、ある種自己防衛的な自己肯定で断言して終わっちゃうと、閉じちゃってるじゃないですか、物語が。なので、ちょっとだけ窓が開いて、ちょっとだけ風が吹き込んで、ちょっとだけ主人公の心も揺れちゃって、だから「読者が」主人公の未来を明るいと感じる、みたいな話だと小説っぽいかも。
 とはいえ、徹底して閉じてたいし、徹底して自己完結したいんですよね、他者がノイズになる主人公は。だけど、だからこそ、終わりのとこで、ほんのちょっとでいいから、ノイズでない他者との遭遇が匂わされると、徹頭徹尾閉じてた主人公の主人公らしいいたいけさが際立つんじゃないかなあ、とか愚考いたしました、そういう話じゃないんでしょうけど。
 いずれにしましてもアイディアってほどのものは浮かばず、単なる思い付きに過ぎませんけれども、この愛すべき屁理屈やさんの硬さが粉砕されるような何かが起こっちゃえばいいのに、とも思いました。終始偏屈さんのマイペースなので、小説的にはそれが乱されちゃって、で、その事態に偏屈さんがどう対処するのかを読んでみたいような気がしました。そこに小さなつむじ風が起きるんです。なんだ、そんな風、ってな感じで最後まで主人公はクールにして偏屈なんだけど、でも仕草にわずかな動揺が表れてたりしたら、どうかな、かなりいいような気がします、いやホントそんな話にしたくないかもしれないけど、思い付きだけ一応記させていただきました。

 以上、ご参考までに。

R
sp49-98-135-229.msd.spmode.ne.jp

「私」が思い込みの世界にいることを、わかっていないで描かれていることがいくつかの問題を生んでいると感じます。

新人教育係
112.207.49.163.rev.vmobile.jp

もんじゃさんへ

>ぎくしゃくした理屈っぽい地の文から、語り手の多少偏屈な性格を、一方で随所に見られるおちゃらけた表現に、妙に憎めない可愛らしい性格を読み取ることができました。かくかくした思考の生真面目人であることとのミスマッチで独特の可愛らしさになっていると感じました。

 設定では主人公は生真面目な努力家でお笑いが大好きなんです。読み手に伝わるように書けていたようで良かったです。

>外からの何かと、それに対する主人公ならではのちょっとした心の揺れみたいなもの。それがあると、なんか、ちょっと、温度のある終わり方ができるんじゃないかと。だから「読者が」主人公の未来を明るいと感じる、みたいな話だと小説っぽいかも。ノイズでない他者との遭遇が匂わされると、徹頭徹尾閉じてた主人公の主人公らしいいたいけさが際立つんじゃないかなあ。

 配属後研修での主人公と上司・先輩・同僚との温かい交流のエピソードが一つでもあれば、読者としては少し安心できるかもしれませんね。ああ、ちゃんと人間らしい交流ができるんだなと。一つもないままだと心配ですよね。加筆してみます。良いアイデアをありがとうございます。
 
>この愛すべき屁理屈やさんの硬さが粉砕されるような何かが起こっちゃえばいいのに、とも思いました。

 主人公は理屈っぽい性格ですが、屁理屈は言ってませんよ。理屈と屁理屈は別物です。

新人教育係
112.207.49.163.rev.vmobile.jp

Rさんへ

>「私」が思い込みの世界にいる

 そう思ってしまう深層心理を理解すれば、人間的成長に資するかもしれません。より良い人生を。

もんじゃ
KD106154132204.au-net.ne.jp

 ああ、すみません、屁理屈やさんって間違いです、偏屈さんって書きたかったんです、おっしゃるとおりですね、主人公は屁理屈を言ってません。極めて論理的で、隙のない考え方をしています。それがこの主人公を主人公たらしめてるんだと思います。大事なところを書き間違っちゃって申し訳ありませんでした!

新人教育係
32.209.49.163.rev.vmobile.jp

もんじゃさんへ

 実は返信した時からひっかかってたけれど触れずにいたのは「偏屈」という点です。素直ではない、ひねくれている、頑なである。このうちの「頑な」という意味で使っているのだろうと捉えていました。
 だけどどうも気になって調べてみると、「頑な」と「頑固」は微妙に意味が違っていて、主人公の場合は「頑な」ではなく「頑固」のほうが当てはまるんです。だから、偏屈には当たらないという結論に至りました。
 気が向いたら調べてみてください。

もんじゃ
KD106154133225.au-net.ne.jp

 すみません、そうですね、頑固という意味で書いていました。素直じゃない、ってタイプじゃないですしね、主人公。
 偏っている、というわけでもない、正論を語っていますしね、孤高な感じ。柔軟性がない、くらいの形容なら当てはまる気もするけど、主人公にはユーモアもあるからなあ。
 でも、なんでしょう、そのユーモアも器用でこなれた不実な感じじゃなくて、いい意味で、そう、誠実なんですよ、真摯なユーモア、抜けてない。そんなあたりが形容しきれない独特の個性になってると感じました。
 ともあれ、偏屈、取り下げます。失礼しました。

新人教育係
13.178.138.210.rev.vmobile.jp

 一週間が経過しましたので締め切ります。実はこの作品は、深層心理を知る心理テストでした。有名な『渡し船の話』ってありますよね? L子が川向こうにいる恋人Mに会いたくて、船を持つ男Sと肉体関係を持って船に乗せてもらって会いに行くという話。あんな感じで書いてみました。

 では解答編です。主人公に悪感情(反感・嫌悪感・怒り・憎しみなど)を抱いた人は、劣等感の強い人です。自分の容姿・知性・品性・ユーモアのセンスに自信がないため自己嫌悪の塊で、常に不安でイライラしやすい人です。そのため自分よりも優秀な人を見ると劣等感が刺激され、不当な怒りを覚え敵意を抱きます。
 一方、主人公に悪感情を抱かなかった人は、自分の容姿・知性・品性・ユーモアのセンスに概ね満足しているので劣等感が強くありません。自己肯定感があるので精神的に安定していて人生を楽しんでいます。
 心理学を専攻していた人には簡単すぎる問題でしたね。いろんな人に読んでもらって感想を聞いてから解答編を教えてあげると、ブチ切れられるかもしれません(笑)

 新人には「提出しない」という条件で自由に本音で感想文を書かせます。提出するとなると、本音を書かずに模範解答を書こうとするからです。全員が感想文を書き終えた事を確認してから解答編を提示し、自分の深層心理に気付いてもらいます。
 新人のうちから教育しなければ、いつまでたっても職場いじめはなくなりません。優秀な人材が被害に遭って職場を去るなら、企業としては大損害です。
 感想者が主人公に対して投げ付ける言葉は、すべて自己紹介です。主人公を責める言葉が多ければ多いほど、その人は自分自身が大嫌いなわけです。「あなたはああだ、こうだ」。それらはすべて、「私はああです、こうです」という自己紹介に他なりません。
 主人公が嫌いな人ほど自己嫌悪感が強いので、生きているのが辛いのです。諦めずに自己を向上させる努力を払いましょう、ライフワークとして。それを怠るならみじめな人生です。どんな人生を送るか? それはその人次第です。自分以外の人のせいにはできません。より良い人生を。

u
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