作家でごはん!鍛練場

ハレルヤ

 And the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together: for the mouth of the Lord hath spoken it.

 灰色の朝日が部屋の中へだらだらと流れ込んでくる。カーテンは引かないし、窓も閉めない。たとえ外に出るときだって、ドアのカギは開いたままだ。ここら一帯は、もう僕以外の人間が綺麗さっぱりいなくなってしまったから。
 彼ら、或いは彼女らが、どこへ行ってしまったのかを僕は知らない。
 気がついたときには、すでに僕の周りから人が消え去ってしまっていた。或いは僕だけが、ある種の集団概念から排斥されてしまったのかもしれない。それはエウレカ効果みたいに、案外消えていく流れは認識できないもので、冬の陽の短さから、気がつけば夏の高い日差しになっているような、そんな漠然とした、それでいて確かな時の流れがあるみたいに、ごく自然に僕の周りから人という生物、或いは概念が静かに消滅した。
 数か月のうちに電気は止まってしまって、テレビは暗い画面に反射する僕以外の人物の像を映し出すことをやめてしまったし、深夜のラジオは誰も語り掛けてくれない。書店にはもう半年も前の雑誌が平積みされている。
 ただ、そういった日常化してしまった非日常的な世界の中で、これといってすることも、衝動も(金は意味を無くしてしまったし、原始的な支配や独占を試みるには相手がいない)なく、僕がその異常事態に気がついたとき、まず感じたのが果てしない孤独と焦りだった。
 整備士も乗客もなしに、サハラ砂漠でエンジントラブルを起こした〝ぼく〟はこんな気持ちだったのだろうか。もはや図書館代わりと化した家の近くの書店で、星の王子さまを読んで思う。それとも無人島に墜落して、パイロットの死体を引き上げたときのチャック・ノーランド? 少ない内部バッテリーで動くDVDプレイヤーで、キャスト・アウェイを観て思う。
 ただ悲しいかな、僕の目の前に星の王子さまは現れなかったし、何か物に名前を付けて孤独を紛らわせるほど僕は狂えなかった。
 そういった状況で、当たり前なのかもしれないけれど、僕の精神は段々と鬱屈としていった。食事はなんだか無味乾燥で、そのうち匂いも感じなくなり、ついには音まで聞こえなくなっていって、宇宙空間へ放り出されたみたいな気持ちになっていく。
 そういった心の深い穴が、僕の核の縁に触れそうになったとき、いつものように書店の棚を漁りながら読書に耽っていると、ふとなにか小説を書いてみようと思いついた。
 我ながら逃避的な発想だと冷静になってみれば思うのだけれど、そういった星の王子さまも、ウィルソンも、或いはそれとの異常な関わり、接触を、フィクションという言い訳の中に包みこんでしまって、客観的に狂うといった、果てしない矛盾を予感したからだ。極限までシンプルに言ってしまえば、そういった虚無の中で、僕はただ解けないなにかを考えていたかったのだと思う。そしてそのまま、僕はあらゆる店の原稿用紙を目につくだけ全て家に持って帰った。
 それから暫く、原稿用紙の前にボールペンを一本持って、小説を書くという作業が日課になる。
 だらだらと放射されるふしだらな灰色の朝日で目を覚まして、缶詰をあけて朝飯を食べる。それが何時かなんてわからない。時計が止まってしまっているからだ。ただ自分が、あぁ朝飯を食べたのだと納得できるまでの量を腹に入れたあと、原稿用紙に向かう。書くことに詰まったら、書店に行って本棚を漁るし、バッテリーの残っているDVDプレイヤーを探して電気屋に行き、DVDを観たりする。
 一日にどれほど書くか、いつまでになにを書くか、そういったことは気にしない。文法の乱れ(そもそも小説を書くという作業は生まれて初めてだった)も、設定が崩壊していたってなにも気にしない。たまに途中のページが風に飛ばされて、開け放たれた窓の外に飛んでいってしまうこともあった。けれどそれを追って外へ飛び出したりもしない。抜けたページを改めて書き直すだけだ。
 僕の書いていた小説はこんなだ。
 のっぺりとした粘土のような果てしない大地に、一つの植物のような、見ようによっては機械のような芽がポッと現れる。それはムクムクと、細胞分裂みたいに倍々に大きくなっていって、人のような形になっていく。
 それは次第に意思を持って、ふと彼(或いは彼女)はなぜ一人なのかと疑問を抱く。けれどその疑問をぶつける相手も、思いのたけを叫ぶ言語も、彼は持ち合わせていない。言語は他者との意思疎通の手段であって、他者の存在しないこの世界では、言語は生まれようがないからだ。
 ある日、彼はふと思いついたかのように体の一部を引きちぎって、自分の生まれた粘土のようなのっぺりとした大地にそれを突き刺し、ジッとそれを観察しはじめる。彼の断片は、そうやって彼が生まれてきたのと同じで、また細胞分裂のように倍々に育っていき、またそれも人のような形を成していく。それは星の王子さまであって、またウィルソンでもある。
 そうして彼は他者を得て、また言語が生まれる。あとはそれの繰り返し、第三者が生まれ、社会が生まれ、国が生まれていく。
 そういった果てしない話だ。無駄な話と言いかえたってなにも問題ないかもしれない。
 ただ、そういった無駄な話が、僕にとっては何より大切なモノだった。何かの小説で、文章は自己をとりまく物事とのものさしのようなものであるという言葉(その小説はあの書店のはるか下方に埋もれてしまった)があった。僕の場合、ものさしで測る対象をそのまま文章で書き出して満足している。
 すべての登場人物に、僕という自己をちぎって分け与えるといった、どこまでも内省的な物語が、今生きている生活と完全に隔離された原稿用紙という外世界で展開されていく。
 そういったくだらない文章を書いているとき、僕は紛れもなく幸せだった。食事は味を取り戻して、空気の匂いも、風の音もしっかりと受け止めて、僕は僕の書く小説にそれを落とし込んでいく。
 そうして僕の日々は流れていった。書かれた原稿用紙は何千枚と積み上げられて、僕の生活スペースをじわじわと侵食していく。同時に、その自分の書いた小説で物的生活空間を塗りつぶされていく感覚を楽しんだ。
 ただ、そういった愉快な生活も、無限に続くわけじゃない。
 次第に原稿用紙に書き込む手が止まり始めたからだ。
 無限に続く小説なんて存在しない。あの「失われた時を求めて」にだって終わりがある。それは僕にとって、本当に一つの世界が終わってしまうかのような、絶望に近い喪失だった。初めのうちは自分の書くものがたった一つの例外だと信じて、がむしゃらに文字を羅列していった。ただ、宇宙が無限に広がり続けず、また収縮していくみたいに、何をどう書いても物語の突き当りへ向かってしまう。
 そしてついに、僕はもう一文字すら原稿用紙に文字を書き込むことができなくなってしまった。
 生活はまた無味乾燥に戻っていく。部屋の床を半分ほど埋めた原稿用紙を、ボウッとベッドから眺めながら、ただ眠る日が増えた。脳が次第に溶けていくような感覚がして、何を考えるにしても靄がかかったみたいにハッキリしない。
 暈けていく思考の中で、今僕しかいなくなってしまった世界も、もしかしたら同じなのかもしれないと、ふと思った。終わってしまった物語に巻き込まれるように、自分の存在が虚ろになっていくのと同じで、もしかしたら、この物的集団社会も、なにかしらの物語を終えてしまって、僕以外の人物たちが薄っすらと消滅してしまったのだ。そう考えてみれば、なんだか全て納得できるような気がした。僕らは皆そろって突き当りにいたのだ。この床に散らばる小説と同じで。
 そこまで考えたとき、ふと原稿用紙の何も書かれていない白い欄外が目についた。そしてこの小説にタイトルが付けられていないことに気がついて、脳の靄が一気に晴れた気がした。同時にどん詰まりだと思っていたこの作品が、そういった、或る意味基本的な枠組みすら形成されていなかったことに気がついて、腹の底から発作みたいに笑いが込み上げてきた。
 僕はおもむろにベッドから上半身を起こして、ボールペンを握り、目ついた原稿用紙を一枚拾い上げて、欄外にサッと書き込む。
「ハレルヤ」
 そうして僕はまたベッドに横たわって、深い、幸福な眠りについた。

ハレルヤ

執筆の狙い

作者
softbank126065252228.bbtec.net

小説という読者がいる前提のモノを、そもそもの前提を崩して、自己療養の手段のためだけに書かれていったらどうなるのかについて。
自己のものさし云々のくだりは村上春樹「風の歌を聴け」から。
エピグラフ(的なモノ)はヘンデルのハレルヤの4『イザヤ書』40:5から。
文章も構成もなにもかも稚拙ですが、よければ感想お願いします。

コメント

PNかぶったので変えました
197.178.138.210.rev.vmobile.jp

 プロの小説家でもこんな状況下では小説なんて書かないでしょう。毎日、今どういう状況なのかを記録するだろうとは思いますが。
 電気が届かないならガスも届かなくなるでしょう。そのうち水も。それらに何の対策も講じず、小説家でもない人間が小説を書き始めるという話はあまりにも荒唐無稽だと思います。

 もしかしてこれは、ここのところ続いてる『だれかの作風を揶揄するシリーズ』ですか? これはハルキストの書きがちな作品を揶揄する作品でしょうか? だったらまあまあだと思います。前二つのような面白さは感じられませんでしたが。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

PNかぶったので変えましたさんの感想と同様に村上春樹の影響を感じさせられましたね。まあ、それはどうでも良いことですが、問題は面白いか否かだけなので。文章そのものは読みやすいのですが、何かを感じ入ることはなかったですね。「だから何?」という感じかな。

shion
KD027083171050.ppp-bb.dion.ne.jp

個人的には読んでいておもしろいと思いました。何か非現実的なことが上手く描けている気がします。

softbank126065252228.bbtec.net

PNかぶったので変えましたさん感想ありがとうございます。
人がすべて消えるという時点で、現実ならどうするかなどといったリアリズムからかけ離れて、ご指摘の荒唐無稽な幻想文学的物語基盤で、人に読ませるためではなく、自己のために小説を書いていき、自己世界の構築と同時に、人消失以前の現実世界との擦り合わせを行い「自己」と「他者」あるいは「社会」との対比がテーマにありました。
ただ、それを納得させるだけの小説内の圧倒的描写不足、物語を展開させていく構成の不出来を痛感しました。ご指摘ありがとうございます。
誰かの作風を揶揄する意図はありません。

softbank126065252228.bbtec.net

偏差値45さん感想ありがとうございます。
テーマを重視しすぎて、人物の僕の感情や行動を淡泊にしすぎたかもしれません。またストーリー的にこの話が面白いかどうかについても、ぞんざいに扱ってしまった気もします。ご指摘ありがとうございました。

softbank126065252228.bbtec.net

shionさん感想ありがとうございます。

貔貅がくる
n219100086042.nct9.ne.jp

この手の物語の肝は、主人公が書いている物語の内容であり、ラストでつけるそのタイトルにある。
その表題が物語全体に呼応し、響き、読者をして納得させる。そうあらねば。
しかし本作は、作中で書かれる小説内容がまずもってつまらなすぎるのと、その表題でもある『ハレルヤ』が作中作にまったく呼応しておらず、本作全体にも嵌っておらず、浮きまくっている。
取ってつけたように唐突に、ひたすら空虚に『ハレルヤ』。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

ながれが最初から最後までとてもきれいな小説だったと思います。主人公の意識が文章とともになめらかに、「最後まで」、繋がっているので、内省という手軽く書きがちな題材でありながら、書けそうで書けない小説のように思います。
 読み終わった感想は、「だから何だったの?」ってわたしも思ったけど、この感想はむしろ褒め言葉かもしれません。そういうふうにひっかかりなく流れていくという点こそが重要なのかもしれません。また、ひっかかりのない文章を書けるのはひっかかりに対する感度が高いことの裏づけですから。逆にひっかかりを利用したものも読んでみたいと思いました。
 問題点かどうかはわかりませんが、象徴となっている題材が、ピースが揃いすぎたジグソーパズルみたく予定調和的であると思いました。文章のひっかかりのなさに加えて物語にもひっかかりがないので、あれ、これって逆にすごいことかも、問題点なのかな、これ? よく分かりません……。 
 ただ、象徴的な言葉づかいの印象については、淡白さすら感じる透徹した意識の色と適合できていたかどうかはわたしには分かりません。しゅっとした地味かっこいいスーツ姿にクソデカ蝶ネクタイをつけるようなことになってなければいいと思います。あと、村上春樹っぽいのはご愛嬌というか、御大の影響力が絶大すぎるだけだと思います。

新人教育係
81.208.138.210.rev.vmobile.jp

 高校生の頃、こういうシュールな作品を書いてみたいと思って書いたことがあります。読むのは簡単ですが、書くのは難しいものでした。私にはこんなに長い作品は書けませんでした。原稿用紙二枚ぐらいで終わってしまった記憶があります。
 これを書き上げるまでには、大変な時間と苦労があったんではないでしょうか? お疲れさまでした。

softbank126065252228.bbtec.net

貔貅がくるさん感想ありがとうございます。
主人公が書いている物語は、作中にも「くだらない文章」「無駄な話」とあるように、どこまでいってもくだらない話です。ただ、そういった人との関わりが生まれてくる主人公の物語は、周りから人が消えてしまった主人公がそのとき一番求めているものでもあります。おままごとのようなものです。
「ハレルヤ」はそういった失ってしまった物的社会と主人公の物語世界を最後に「もしかしたら同じなのかもしれない」といった結びつけを行い、主人公が求めているものを主人公が自ら書き出したこと、書かかれた物語世界の創造主である主人公を神として、最後に枠組みという題目を形成することで「ハレルヤ」(書かれた物語の神=主人公)神を褒めたたえよとなるよう設定したものです。
狙いにもあるよう、読者を持たない小説はただの自己療養です。その結果が神の賛美=自己の賛美であって、自己の肯定でもあります。
ただ、指摘にあるように、そういった意図を汲み取らせる描写の不足ゆえのタイトルが浮いてしまっていること、また、物語を書く前提としての、そもそも、この作品自体が何か面白みのある物語なのかについては、読者を意識して書くという気構えが不足していたと思うので、猛省します。ご指摘ありがとうございました。

softbank126065252228.bbtec.net

アリアドネの糸さん感想ありがとうございます。
文章や物語のひっかかりのなさはよく指摘されるところです。他に書いた作品でも「だから何だったの?」と言われてしまいます。
また、「しゅっとした地味かっこいいスーツ姿にクソデカ蝶ネクタイをつけるようなこと」この指摘にはハッとさせられました。文章や物語のひっかかりの無さも含めて、自分の書いた文章が、読者からどう読まれているのかについて、もう少し考えて書いていきたいと思います。ご指摘ありがとうございました。

softbank126065252228.bbtec.net

新人教育係さん感想ありがとうございます。
この物語も決して長いわけではなく、原稿用紙に換算してしまうと10ページに届かないくらいです。またテーマは一貫して書こうとは思ってますが、物語内容については思いついたプロットから書いているうちにどんどん外れていってしまうことが多いです。この「ハレルヤ」もその場のノリのような文章で構成された小説です。
そういった文章に対する軽薄さから、内容の描写の不足が生まれてくと思うので、もう少し言葉を大切にしたいと思います。ご指摘ありがとうございました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内