作家でごはん!鍛練場
ゆたか

文学です!よろしければみなさんの感想を!

物憂さに甘く、あまねく不安になんと名付けようか。静けさの果てに味わったあの無垢な夕日が奇跡になりかわり、私たちを照らす純新無垢にまだ見覚えがあるうちに、私は失われてしまった数十年の耐え難くも掛け替えのなかった歳月を思い出さずにはいられないのだ。まるで歳月の果てに出会う怪物のように、物憂さと退屈をほとばしりの彼方で目覚めさせる孤独さは、月の満ち欠けさえみえぬ夜の静けさに似て、私の魂を底からまざまざと震えさせる。高鳴りは運命なのか、偶然に見せかけられた悪の計らいか、愛さえを感じさせぬその果てしない渇望は生命のいぶきさえ凍りつかせてしまう。だしぬけに私はあの弱さを思い出す。裏路地で出会った泥まみれの猫を抱き抱えたあの瞬間でさえ、忘れることのなかった愛という名の矛盾を、心の底から感じてさえいるのだ。夜のない国に生まれたかった。蔑みさえも大陸が干上がるほどに飲み干してしまえばどれだけ楽だっただろう。しかし、空前の大地うねりのような植物に近い生命の波動が私を悲しいまでにしめつける。山の頂きから眺める一切の偽りのない世界の姿に心打たれ、竹のようにしなやかな心を抱きとめるかのように、物語は私を目覚めさせる。あの時にかえろう。あの日にかえれるならば、私は孤独な船を打ち捨てて、どこまでも帰らぬ友人を思いながら夢に浮かぶ船を愛するあの人にむけて、いま、最果てへとこきだそう。底知れぬものに出会いたい欲求は荒らさをむき出しにした私の故郷の歌のように岩肌に乗り上げて潮で空を錆びさせる。愛していたのだ。強くなくとも、嘘ばかりついても、私はあの何事も霧のなかの隣人のように叫びをあげる孤独を、果てしない無償の愛で心の底から愛していたのだ。だからいま思い出す。あのころの風景は偉大だったと。夕暮れに疲れた脚を癒すがごとく、鳥たちの幸福な羽ばたきに似て、狂った歯車さえも、すべてを根底から包み込む懐む母性を忘れない。片時も離れなかった愛を忘れないのだ。たとえ寝たきりのふきだまりに打ち捨てられた老人のようになり変わろうとも、私は失われてしまったあの時を愛し尽くす。それは穢れなき時代をたくさんの偽りで飾り立てた時代のように、魂の孤独さが不可解な出会いを呼び起こさせようとも、禁じられた祈りを祈らずには居られなく、たとえ操られると知っていても、弱さを話さずにはいられなかったのだ。私はその光景にいま名前を名付けようと思う。悪の蝕みに光を見出した弱き魂をどこまでも大きなふたつの腕ですくいあげるがごとく、なんの被りもないまま、敵にさえ戸惑いを差し出そう。悪魔に魂を売り飛ばした契約の瞬間を、血がとびちる部屋ではるか彼方の日の名残りを求めようとしたあの瞬間を、私はいまだに忘れない。呼び寄せられた耐え難いそしりに身を焼き尽くされようとも、私はできそこないの権威を愛さずにはいられなかったのだ。だれか私をそこぬけに愛して欲しい。たとえその愛の果てが苦しみに塗りたくられていたときても、私が鳥たちの羽ばたきを愛した日々があったように、私を骨の髄から抱きしめるかのごとく愛して欲しかった。その言葉を伝えんがために、いま君を求めずにはいられない。降り注ぐ雨のしずくが身を焼く熱砂になりかわろうとも、すべてのはじまりとなったあの孤独を離しがたいほどに、いまこれを感じるあなたと分かち合いたいのだ。たとえなにかを犯されると知ってさえいても、叫び声さえあげなかった子供部屋を、いま魂に刻みつけるがごとく、新しい時代の訪れを抱きしめようとせずにはいられなかったのだ。思い出す風景はため息混じりの栄光か、それともあざけりが支配する闇の王の根城か、私はそのどちらを選ばんとしても、愛だけは離してしまいたくはなかったのだ。だから数字たちが嘘をつく数学教室のとびあがりのように、失われてしまった物憂さを甘き乾きとして飲み干さずにはいられない。こぎ出した船がどこにたどりつくとしても、私は多くの影に光を照らしたあの魔獣のあしおとのような物語の気配をまだ覚えているのだ。たったひとつ残す言葉があるとすれば、失われてしまった日々を必死に抱きとめても手が届かずにいる赤ん坊であった日々のように伝えたいひとことをかきとめるかのごとく、危うさにもにた家族への愛を君に伝えたかったのだ。夕暮れを待ちわびた少年時代が私にはあった。その夕日を私はあなたを待ちわびるがのごとくいまだに愛し続けるのである。夜をまたにかけて、朝を塗り替え、昼に大陸が困惑のどよめき声を聞かせる明日を私は手に入れよう。そして、それは、いまにこそ訪れるべき朝焼けなのだった。赤い糸に導かれるまま、奇妙という響きに食べ尽くされた旋律を抑えがたいほどに捕まえながら、私は矛盾に満ちて解き明かされることのなかった家宅の蔵書をむさぼるように読みふけり、手にいれることにした。その衝動を働かせるのは何だったのか、私はいまも覚えている。その衝動こそが、過ぎ去りし日々を愛する私の無垢な魂そのものであったのだ。いまこそ、いまだに紐解かれていない分厚い本をひらくがごとく、世界を語り尽くしてしまおうか、むしろ君がのぞむなら、私は失われたあの日々をすべて語りつくそうと言ってのけるのだ。その、時さえも影を残さず、大地にこげあとを残して遡ってしまいそうなそこしれぬ情熱と灼熱をまた手にれたいと思い、君に伝えたのだ。私はあのころ幸福だったと。光の降り注ぐ日常に足をついていたと。涙が出るほどに君に教えたかったのだ。不可能はないさえ思い込んでいた若さが私にあったように、心さえ手放して惚ける日々があったがごとく、悦びが悲しみを知ったあの瞬間のようにいま世界を語りつくそう。煙をたちのぼらせる幻がいつか私の目の前にたち塞がろうとも、かつて狂おしいほどに欲したあの巨壁のような圧倒的な孤独を、私はいまだに愛してさえいるのだ。たわわに実った果実をかじるがごとく、凍りついた宴に槍を突き立てるがごとく、かきむしるような苦痛を腕にだきしめたとしても、私は光の降り注ぐあの家々の瞬間を語り尽くさずにはいられなかったのだ。どよめきが腕を伸ばすあの瞬間にまた目を向けてみよう。それが私がどんな手段をしてももういちど見たくてたまらない光景なのだから。光を求めよう、たとえすべてを忘れ去ったとしてもだ。開かれた物語の系譜はたとえ驚きを隠せない狂気のなかに佇んでいても、光で炎を焼き尽くすがごとく、悪を討ち滅ぼしてしまいたいとさえおもうのだ。私がかその光の群れに名前を新たに名付けると知れば、そう、きっとそれは運命に定められた痛みであったのだ。

文学です!よろしければみなさんの感想を!

執筆の狙い

作者 ゆたか
p7106091-ipngn32501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

みなさんに文学を教えたかったので書いてみました。どうぞ、遊び半分に読みふけってみてください!なにかかんじるものがあるはずです!

コメント

そうげん
58-190-240-140f1.shg1.eonet.ne.jp

ゆたかさん、あなたは文学の何を知っていますか? これまでに自分の書きものを発表して有効な評価を得たことはありますか? わたしにはこの文章は、文筆における中二病的症状――それっぽい単語を並べることによって、それっぽい効果が得られれば役得といったような、手軽に儲け話に飛びつく軽はずみな競馬のテキヤみたいな精神を読み取りました。
一例をあげれば、今敏監督の作品の『パプリカ』のなかで、博士がぷつんとあちらへ行ってしまうシーンにおいて発したセリフの文言に似た雰囲気を感じました。リズムはあるけれど、互いの言葉がかもす関係性に結びつきが薄っぺらい。映画作品はある基調を一致させているので、しかるべき調子を醸すことができていたけれど、御作にあっては先に書いたことと、後に書いたことの間にどう考えても矛盾が生じている。孤独を愛しているのに、誰かを求めて船をこぎ出だすってどういう心理ですか。細かに読めば無数の矛盾が御作には含まれてあります。その雑さは読み進めながら、綻びとしてしか認められません。遊び半分に読みたくても疲れます。それでも意味を辿りながら通読はしました。パプリカを一等も二等もレベルを下げたような作品だと感じました。

YouTube動画「パプリカ 発狂シーン」
https://www.youtube.com/watch?v=-HLRjWNC5iA

PNかぶったので変えました
7.215.49.163.rev.vmobile.jp

 文学かぶれに対する揶揄ですね。誤字脱字の多さは彼らに対する当てこすりで、行頭字下げをしないのも改行しないのも、表記の仕方を知らない彼らへの皮肉であろうと解釈しました。
 でもちょっとパンチが足りませんね。全体に統一感があり過ぎです。改善策としては、
①一人称小説と思わせて突然三人称小説に変える。
②俗語・死語・新語・頭の悪そうな語句、これらを適宜散りばめることによって統一感をなくす。
③「敷居の高い店」「檄を飛ばす」などわかりやすい誤用を散りばめて国語力の低さを暗示する。
 これらの工夫でもっとそれらしくなると思います。

或る人達の代弁です。
19.15.31.150.dy.iij4u.or.jp

お上手ですね。
拝読中、身体が痒くなりました。
何故かしらん。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

一言で言えば、「つまらない」
興味がないです。
なにか無駄な努力をしているようにしか思えない。

shion
KD027083171050.ppp-bb.dion.ne.jp

一文が長すぎる気がします。わかりやすく書ける気がします。

最初の方の引用ですが

>物憂さに甘く、あまねく不安になんと名付けようか。静けさの果てに味わったあの無垢な夕日が奇跡になりかわり、私たちを照らす純新無垢にまだ見覚えがあるうちに、私は失われてしまった数十年の耐え難くも掛け替えのなかった歳月を思い出さずにはいられないのだ。

>なんとなく憂鬱で、この不安を何と名付ければいいのだろう。無垢な夕日を静寂の中で眺め、奇跡的だと思った。私たちを照らす純真無垢なもののようだ。私は失われてしまった数十年の歳月をその時思い出した。

こんな感じでしょうか。文章に論理性がないので、わかりやすく書いた方がいいと思います。

るるる
61-205-102-172m5.grp5.mineo.jp

るるると申します。

あくまで推測になります。
抽象的な主題をかかげ、それにわざと触れないように、主題のまわりで言葉をぐるぐるまわして中心の輪郭を浮かせようとしたのではないかと読みました。

主題のまわりを回る言葉、つまり主題を説明するための言葉も抽象的なままなので、抽象が重層化しており、僕は主題も全体の輪郭も、うまく掴むことができませんでした。

言葉そのものが具体的なものを指し示す抽象的な道具なわけですから、それを含めれば三重の抽象性とも思えます。



意識して書かれたものでしたら、これは非常に効果を発揮しているように思います。

あくまで僕の中での話ですが、概念だけでいえば「抽象絵画」の考え方で捉えました。

作者様のねらいには「感じる」というのがありますので、抽象絵画はまさにこの「感じる」だけが評価の基準になるわけで、それ以上に説明できないです。

なので「言葉(意味を指し示すもの)」としてではなく「言葉(記号として)」の「配列」や「リズム」を重視したのではないかと、勝手な推測をします。

しかし、何の狙いもないのかもしれないとも思います。

文体的には、有島武郎を思い出しました。

茅場義彦
M106072175192.v4.enabler.ne.jp

目がめががああああああああああああ ラピュタより

ゆたか
p7106091-ipngn32501marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

たくさんの返信ありがとうございます。

この文章はフランス作家でノーベル文学賞を受賞したプルーストの「失われた時を求めて」を目指して書いたものです。

プルーストの「失われた時を求めて」は非常に説明の息が長く、重層的で抽象的な言い回しがいたるところに現れます。私はそれを目指しました。

主人公の私の正体は明かされませんが、文章は主人公の回想や記憶をたどっていくことで全体の輪郭や全体像を把握できるようにしたいと考えており、曖昧でふわふわしたイメージがたくさん寄せ集まって物語を形づくることを目指しました。

日本文学では最近話題の三島由紀夫の豊饒の海と川端康成の小説がやはり傑出しているとおもいます。

回想や記憶、感覚によって物語の輪郭を表現しようとしているため、具体的な描写はかなり少なくなっています。

読んでいただいたみなさんには、物語のパンくずのような小さな断片からどことなく感じる主人公の過去や歴史について主人公と肩を並べるように感じ取っていただけたらと思います。

本当はもっと長い文章のひとかけらです。プルーストの「失われた時を求めて」はとても長い小説で、作家の村上春樹でさえ途中で読むのをあきらめてしまったとのウワサです。

ノーベル文学賞を受賞した作家の本は非常に難解な本もたくさんあり、私はその文章の難解さもこの文章にこめました。

抽象的で感覚的な文章のあつまりから、物語のかおりのようなものを感じ取っていただけたら、とてもうれしいです。

ららら
103.5.142.121

初コメです。小説としてのクオリティ云々を一旦横に置きますが、小説のタイトルと作者の狙いがキャッチーで面白いと思いました。これは広告的な視点かもしれませんが、どれどれ読んでみてやろうじゃないか、と読者を斜に構えさせ、嫌味なく煽り、コメントを募る姿勢が面白いです。
おそらく本当の作者の狙いは、この小説の中身の評価ではなく、コメントの返信欄に書かれたプルーストや三島由紀夫、川端康成のようなご自身の好きな作家の文体や作品に興味を持ってもらうことなのかなあと勝手に予想しました。

大丘 忍
ntoska042068.oska.nt.ngn2.ppp.infoweb.ne.jp

失われた数十年を懐かしむ文章だと思いますが、肝心のその数十年をどのように過ごしたのか具体的にはわからなかったような気がします。小説であれば、それをいかに過ごしたかが肝要なことではないかと思いました。単に評論の一部のような気がしますね。

アリアドネの糸
dhcp.nipne.ro

抽象的でうねりのある技巧的な文章はとても端正であると思いました。断片が一匹の怪物に育つようなものを目指しているのだと思うのですけど、全体としては感傷で終わっている印象もないことはなかったです。端正で見事な文章も、一貫して、油断ならない文章であり続けることができたのでしょうか? とは思いました。

新人教育係
81.208.138.210.rev.vmobile.jp

 誰かを真似て比喩を多用する実験的な試みなのだろうと読み始めました。比喩を多用すると、小説なのに詩のような作品になりますね(詩的という意味ではなく)。
 私もしたことがありますが、自分でなんらかの縛りを設けて実験作を書くのはとても楽しい作業ですね。

貔貅がくる
n219100086042.nct9.ne.jp

冒頭から、とにかく国語的間違いの連続すぎる。
文語調で書くには、正しい日本語力が必要不可欠。
中学高校で古典が成績不振だっただろうことがはっきり見て取れるのは、
無闇矢鱈、意味なく濫用されてる「さえ」。

国語と文法の基礎は大切で、この程度の短さでも否応無しに丸出しになってしまうことを、かくもまざまざ見せつけているという点では、いい資料かもしれない。
とてもひどい。

高校を卒業して歳月がたつほどに、文語の間違いなぞは誰も指摘してくれなくなるものだから、
たまに基本に立ち返ってみることの大事さを痛感させられた。気をつけたい。

貔貅がくる
n219100086042.nct9.ne.jp

漫然無意味濫用されてる「さえ」の数をカウントしてみたらいいと思う。
絶対に『さえ』でなければならない箇所のみに絞り、ほかは『さえ』ではない副助詞を適宜使用するのが文語調でものを書く基本で、中学古典で必ず習ったはずの基礎中の基礎。

きさと
sp49-98-212-81.msd.spmode.ne.jp

 文章の性質だけ模倣するのは遊びのレベルです。
 ゆたかさんは御作の語り手の過去や人間性に関してどの程度深く緻密に想像していますか。きちんと語り手と同じ気分を味わい語り手が本当に発する言葉を抽出できていますか。まず作者が自分が書きたい人間のことを理解できていなければ形のあるものは描かれませんし読み取りようがありません。ゆたかさんのお好きな文学はそんな程度ではないでしょう。

softbank060155199121.bbtec.net

  あくまでも私見ですが、本来物語と読者との間には一定の距離があります。その距離を埋めるために何らかの工夫を行うことは創作において基本中の基本です。しかしあなたは作中においてそういった基本的な努力すら怠っています。ゆえにあなたの「実験」は失敗することとなったのです。
 皮も剥いていない野菜をボウルに並べられたところで、それを料理と認識出来る者などいません。あなたの文章はその過剰な抽象性のために自家中毒を起こしているのです。そのため読者は作中の世界を感覚的に感得することが出来ません。これでは、「主人公と肩を並べる」ことなど到底不可能です。
 そして読者と作品との距離は、元々希薄だったこの作品のリアリティを根こそぎ毟り取っています。これではもう「作品」とは言えません。単なる文章の羅列と言った方がまだ近いでしょう。
 あなたの視野はあまりにも狭いものでした。そのために、あなたの独りよがりな実験は言い訳の効かない大失敗に終わりました。
 
 

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