作家でごはん!鍛練場
きの

じゃあ、どこに向かっているんだろう?

 この時間になると、いつも見る顔で店内は溢れる。
 彼女もその一人だった。駅の近くにある24時間営業のファミレス。零時を回ると注文が減ってくるが。客はまだそこそこいる。
 彼女のテーブルにはグラスの赤ワインとシーザーサラダが置かれている。黒縁のメガネを掛け、ベージュのシャツワンピースに同色のカーディガンを羽織り、ボーダーのブックカバーで覆った本を読んでいる。机の上の伝票には赤、グラス×6とあって、入店時間は約一時間前だ。何人かの店員はさっきから彼女をチラチラと見ている。
 彼女は呼び出しボタンを押す。女性店員がくる。
「ご注文でしょうか?」
 女性店員は緊張で硬くなっているように見える。
「関くん今日遅刻?」
「はい?」
「だから、関くん。いつもこの時間入ってるでしょ?」
「あの、今日はいません」
「あ、そう。じゃあいい」
 彼女は本をまた読み始める。女性店員はすこし戸惑いながらも席から離れていく。

 一時を回る。彼女のテーブルの上にはまだ赤いグラスワインが置いてある。伝票は×8に増えている。彼女はそのまま本を読んでいる。
 突然、大きな足音が彼女に近づいて、彼女の向かいの席に座る。大学生くらいの、茶髪の女の子だ。
「あの、ちょっと話いいですか?」
 声が少し震えている。どちらかというと怯えよりも怒りで。
「何? いきなり?」
「すみません。私ここの店員なんです。もう今日は終わりましたけど」
 彼女は本を読んだまま目を上げない。
「知ってる。木崎さんでしょ? 何?」
「関くんのことですが、もう来ませんよ」
「あ、そう」
「……あなたのせいですよ」
彼女の素っ気ない態度に木崎の声の震えが増す。
「あなたがクレームばかり入れるから、関くんは病んじゃったんです。もう来ないって今朝電話がきたみたいです」
「へえ、そう」
「恥ずかしくないんですか? そこそこいい歳して」
 彼女は本をソファーの脇に置いて木崎を見つめる。
「関のこと気になってたんですよね? だから彼にばっかりクレーム入れて」
 彼女は小馬鹿にしたようにふっと笑う。
「何がおかしいの?」
「今日あなたキャットライン引いてないんだね」
「……え?」
「眉も雑だし髪も後ろが跳ねてる。不思議ね。彼と一緒の時はいつももっとちゃんとしてるのに」
「は? あんた何言って……」
「あなたにとってチャンスでしょ? あなたが私を怒って追い出すことができたら、彼に言えるものね。あってないような恩を売れるものね」
「……違う。私はそんな風に関のことを……」
「あれ、私、一言も関くんなんて言ってないよ。彼としか言ってない。どうしたの?」
「うるさい……」
「もしかして、手出すの? あなた、今の顔、すごく醜いよ」
「うるさい!」
 今にも木崎が掴みかかろうとしたところで、ピタッと動きが止まる。木崎の肩に手が置かれる。木崎の後ろに中年の男が立っている。
「落ち着いて木崎さん。申し訳ございません。私、店長の藤井です」
「どうも」
 彼女は興味なさそうに返答する。
「あの……申し訳ございませんが、もう来ないでもらえますか?」
 藤井も彼女を睨む。彼女はまた薄く笑う。
「その手、どけたほうがいいよ。引かれてるから」
 藤井はハッと、木崎の手に置かれた自分の手を見る。木崎はすでにその手を見ている。
「藤井さんだっけ。知ってるよ、やけにその子に優しいですね。この間別の若い男の子がケースから食器落としてたけど、藤井さん客前でも叱咤してましたよね? でも、この間この子が目の前で同じことしても全然怒らないで手伝ってた」
「そ、それは状況が違いますよ」
 藤井は肩から手を離して答える。
「さっきからあなたがこっちに気付いて隠れて見てたのも知ってるよ。なんで最初から止めに来なかったの? 待ってたからでしょ? 一番出ていくのに良いタイミングを。権限を盾にしてその子の味方になればあわよくば手を出せるとでも考えてた?」
「出て行ってください!」
 藤井は叫ぶ。息が荒く肩が上下している。
 彼女は笑みを浮かべたままバックに本を入れる。財布からゴールドカードを取り出す。

 店の自動ドアをくぐると彼女の体は夜気に包まれる。吐いた息が白くなる。酔っているようで、顔が上気している。
 階段を降りている途中で一度振り返る。父から電話で言われた言葉を彼女は思い出していた。頭を軽く降って、地上に降りる。
 霧雨が降っていて、コンクリートが白くひかる。夜の海を泳ぐ海月みたいだと彼女は思う。空車のタクシーがその上を走る。
「あの、すみません…ちょっといいですか?」
 振り返ると若い男がいる。
 灰色のパーカーを着た、痩せぎすな男。

 ホテルの熱いシャワーに打たれながら、彼女はふわふわと頭に血が上っていくのを感じた。鉛の匂い。蛇口からは耳障りな金属音がして、酔った頭がきりきりと痛む。髪と一緒に排水溝に飲み込まれていく水のように、彼女の記憶は出口を探していた。スモークガラスの向こう側には彼がいる。ベッドに腰掛けている。
 彼女は顔に水を当てながら思い出す。誘ったのは多分私だ。彼のことは知っている。あの店でバイトをしていた淵野だ。彼は、私にまた来てくださいと頼んだ。木崎も店長も木曜日はいないんでと言った。
 それを聞いて私は笑った。ステップした。そして吐いた。温かい手が背中をさする。自分の吐瀉物が茂みの枝に引っかかる。それが糸を引いていたのを覚えている。細いバイパスの道を淵野の肩を借りながら歩いたのも覚えている。寂れた電子看板が見えた。ホテル・タイタス。休みたいと私は言った。
 彼女は蛇口をひねってシャワーを止める。

 バスタオルを体に巻いて彼女はシャワー室から出てくる。淵野はその姿を見て、落ち着かない様子で視線を泳がせている。ベッドサイドテーブルの上には安物の置き時計。その秒針と空調の音だけがこの薄暗い部屋に響いている。
「あの、服、着てください」
 彼女は意地悪く笑って淵野の隣に腰掛ける。膝の先が触れる。淵野はすみませんと言って軽く身を引く。
「嘘つかないでいいんだよ」
「え……嘘……?」
 彼女は淵野に湯気の立っている体を持たせかける。淵野の体がびくっと震える。
「知ってるから、私のこと気になってたんでしょ? なんだかんだ口実つけて、ここに来たかったんでしょ?」
「ち、違います」
「嘘。さっきから鼻膨らんでるよね? 見せて」
 彼女は片手で淵野の顔に触れる。それからその手は彼の鼻をつまむ。淵野はポカンとくちを開く。そのくちを素早く自分のくちで塞ぐ。
 一瞬、時が止まったように二人は動きを止める。淵野は彼女を突き飛ばす。彼女はベッドに片手をついて落ちるのを防ぐ。淵野を見ると淵野は口に手を当てて泣いている
 彼女は戸惑って、淵野の肩に触れようとするが手を引っ込める。
「ご、ごめん。違った?」
 淵野は答えないで泣いたまま。
「ごめん。本当に」
 どこで間違ったんだろ—–-彼女は思った。
「言い訳にならないけど、酔っ払ってて」
 彼女はあわてながらどこか冷静に考えていた—–-彼が本当に私を休ませるためだけにここに来ていた? 純粋な気持ちで私のことを心配して?
「酔っぱらって、あなたに下心があるように見えちゃった。言い訳にならないけど。本当にごめん……」
 全部に下心を読み取るのは、裏を読み取るのは、結局私の全てに裏があることを映す鏡なのだとしたら、
「私、全部わかった気だった。あなたのこと何もわかってなかった」
裏を読み取ってそれを全てだと思うほど自分が単純な人間だったとしたら、
「……言い訳にならないけど、私、疲れててさ。今。会社が嫌で、うつになっちゃって」
 彼女は自分の焦りを淵野に示すように話し続ける。どちらかというと、自分にむけて。
「今、休職してて、来週からまた行かなきゃいけないの。でも、うまくいく気がしなくて、不安で誰かに当たりたくて……あれ、なんで私こんなこと話してんだろ……?」
 淵野は赤い目を上げて、彼女のことを黙って見る。彼女の目から涙が出る。彼女は自分でそれに驚くが、ボロボロと止まらなくなる。
「あ、あ、ごめんね、私ダメだね。やっぱり……こんな話聞きたくないよね……」
 淵野は小さく首を振る。彼女は目を拭きながら続ける。
「……この間、パパから電話があったんだ。そこで言われた。お前は今踊り場にいるって」
「……踊り場?」
 淵野は聞く。
「お前はこれまでずっと階段をのぼり続けてきた。順調に……確かにそう。私の家庭厳しくてさ、ずっと私我慢して勉強も仕事も頑張ってきたの。でも、疲れちゃった。怖かったけど、休職したこと、パパに言ったの。そしたら、言われた、今、お前は踊り場にいる。そこからまた登り続けるのか転落するのかはお前次第だ、って」
「……」
「私、また戻れるか不安で、あなたに当たっちゃった。言い訳にならないけど。本当にごめんなさい」
 彼女は鼻をぐすんとすする。
「……あなたを利用しようって考えてました」
「え?」
「下心ありましたよ、僕。あの店で関にいじめられてたんです」
「……」
「確か見たことありましたよね?」
 彼女は気まずそうに目を逸らす。確かに、彼女が最初に店に来た時、関に小突かれる淵野のことを見た。その時に二人は目が合った。
「あなたが来なくなれば関がまた店に戻るんじゃないかって、それが怖くて。また来てくださいって言いました……すみません」
「そっか……」
「あなたが嫌なわけじゃないです。でも、好きな人のこと思い出して。すみません」
「いや、謝るのは本当私のほう。ごめんなさい」
「いいですよ。もう気にしてません」
「……ちなみに、誰、それ?」
「怒りっぽい人です」
 彼は鼻をすすって軽く笑う。

 二人は服を着たまま仰向けで寝ている。時計の針は三時を過ぎている。強い風に、窓が音を立てている。
「さっきの話ですけど」
 淵野が天井を見たまま話しかける。
「え?」
「踊り場」
「ああ」
「僕、まだガキなんでわかんないんですけど。そんなに深く考えなくていいんじゃないですか?」
「……」
「あなたは踊り場って言いましたけど、上と下だけじゃないんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「多分、踊り場だって歩き回ればきっとどこまでも広がっていて、新しい階段や、もしかしたらエレベーターだってあるかもしれない」
「言いたくないけどそれは綺麗事かも。確かにこの社会には上と下があるんだよ。それは君もわかるでしょ?」
「はい。でも、その社会の階段は、本当に完全にあなたの人生の階段と同じなんですか?」
「……」
「すみません、生意気言って……あの、痛いです」
 彼女は寝返りを打って、軽く微笑む。
「ごめん、手握っていい?」
 彼女は言う。
「いいですよ」

 電話の音で彼女は目を覚ます。ベッド脇に置かれた電話。彼女は寝ぼけ眼をこすってそれを取る。チェックアウトの電話だ。彼女は事務的な返事をして電話を置く。
 ベッドの隣を見ると淵野の姿がない。昨日までソファーにかかっていた彼のリュックも無くなっている。

 彼女はフロントで鍵を返す。
「追加料金2000円ですね」
 受付の女性に言われて彼女はバックの中に財布を探す。見つからない。部屋に忘れ物がないか何度も見たはず。彼女はおかしくなって笑う。
 また自分は読み間違えた。
 彼女は息を一度吸う。そして、全速力で逃げる。受付の女の叫び声を背に自動ドアから出て、細いバイパスを全力で駆ける。
 電信柱に立てかけてある自転車を見つける。鍵がかかっていない。咄嗟に彼女はそれに飛び乗る。そこに作務衣を着た中年の男が走って寄ってくる。「俺の自転車だ!」彼女に怒号をあげる。
 駆け寄ってくる男に彼女は振りかぶって、バックで男の顔を殴打する。男は情けない声を上げ、顔を抑えて倒れ込む。
 彼女はその隙に自転車を漕ぐ。全力で。
 全てのものが流れていく。落書きだらけの看板。破られた選挙ポスター。ガードレールに繋がれた犬、自販機、折釘のように曲がったカーブミラー。緑に光るビール瓶の破片。
 彼女には全てのそれらが新しいものに見えて、愛おしかった。
 ふと淵野の言葉を思い出す。
 本当に完全にあなたの人生の階段と同じなんですか?
 彼女は思う—–-じゃあ、今の私はどこに向かっているんだろう?
 わからなかった。ただ、今、楽しい。

じゃあ、どこに向かっているんだろう?

執筆の狙い

作者 きの
KD106180015222.au-net.ne.jp

初めて投稿します。未熟ですがどうぞよろしくお願いいたします。

コメント

PNかぶったので変えました
66.200.49.163.rev.vmobile.jp

 一行目の「いつも見る顔」が変です。これだと読者はこの作品を一人称小説だと思います。ところが実際には三人称小説だからです。三人称小説らしくするには「いつも見る顔」ではなく「常連客」など主観を排した語句を選びましょう。
 それ以外の文章は上手いと思います。どこもひっかかることなくすらすらと読める良文だと思いました。ストーリー展開も面白く、このままありがちな「ちょっとイイ話」で終わるのかな?と思いきやどんでん返し的な展開で、そこからヒロインが改心するのかと思いきや悪行に走るのがブラックユーモアっぽくて面白いと思いました。
 小学生のような青臭い正義感を振りかざす人はこのヒロインの行動にケチをつけるでしょうが、そんな意見は無視しましょう。これはこれで小説としてアリです。

shion
KD027083171050.ppp-bb.dion.ne.jp

なかなか読んでいて話に入り込みやすい小説だなと思いました。彼女の人の行動の裏にある思いを読み取れるという特性が上手く表現されていて、また彼女が休職していて、人生の別れ道にいるというのも面白いと思います。しかし読み終わってどこかもの足りなさを感じました。情景描写をもう少し入れるとかはどうでしょうか。失礼します。

きの
KD111239255188.au-net.ne.jp

PNかぶったので変えました様

感想ありがとうございます。
一行目、その通りですね。。。三人称なのに主観的な言葉を入れてしまいました。見直す癖をつけないとダメですね。
文章、ストーリー、結末について嬉しい言葉をありがとうございます!
仰るように結末は読む人によっては不快感を与えてしまうものだと思ったのですが、面白いと感じていただけて何よりです。
ありがとうございました。

きの
KD111239255188.au-net.ne.jp

shion様
感想ありがとうございます。
キャラクターや展開について嬉しい言葉をありがとうございます!
もの足りなさを感じられたということで、確かに読み直してみて私もそう思います。
情景描写。。。確かにそうですね。全体的に描写が足りなかったと反省しています。三人称でよかったという反省も含めて色々次に生かしたいと思います。
ありがとうございました。

may
pw126193037169.28.panda-world.ne.jp

読んでいて、最初とても不愉快でした。クレーマーが正義感ぶってセクハラを指摘したりいじめを罰したりそのくせ鬱とか言って言い訳してるのかなと思ったからです。でも、違いました。最後まで読んで爽快な気持ちになりました。振り子が振り切れちゃってるのがとても良いですね。社会の階段、上も下もあり、それが人生の階段と似通っている。深い話をしてみたいですね。面白かったです。ありがとうございました。

そうげん
58-190-240-140f1.shg1.eonet.ne.jp

主人公にしても木崎さんにしても、また店長にしても、ふだん人が考えていそうなことを可視化したらこうなるだろうなというお話にまとめられていたように思いました。ふだん人は生活するにおいて、自分の気持ちを分かりやすいところに置くことはないと思います。でも、ちゃんと他の人にはその人がどんなことを思っているか、考えているか、大体のところは把握可能なものだと思います。しかし指摘されれば素直に応じる、正直に白状する、基本、嘘を吐くことをしない人たちばかりが登場したように思います。その点において、この物語、この作品は信頼できる語り手の作品になっているように感じました。ここに嘘をついたり、人をだまそうとする人物が顕れていたなら、作品は複雑なものになったように思います。楽しむことができました。

きの
KD106180012202.au-net.ne.jp

mayさん
感想ありがとうございます。
面白いと言っていただけて何より嬉しいです!
確かにこの話は人によっては不愉快な印象を受けますよね。でも、最後に印象が変わったと言っていただきよかったです。
良さげ話に落ち着くよりも振り切ってしまおうと決断し書きました。ありがとうございます。
踊り場の話も不安でしたが気にいっていただけて何よりです。

ありがとうございました。

きの
KD106180012202.au-net.ne.jp

そうげんさん

感想ありがとうございます。
そうですね。ご指摘いただいたように確かに登場人物はみんな素直ですね。指摘されれば反応をすぐ出したりと、
そう言った意味で複雑さというか、人間心理の繊細な機微みたいなものは表現でいていなかったのかもしれません。。
ただ、信頼できる語り手とポジティブに評価していただけたのは嬉しいです。楽しんでいただけて何よりです。
もう少し心理的にも捻った話が書けるよう頑張ります!

ありがとうございました。

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