作家でごはん!鍛練場
女衒小僧

「おんな」

「おんな」 
                  *
 望月鏡花は、大学の同窓会報の統計報告に照らしあわせれば、26歳にして卒業生たちの平均な年収を上回る収入を得て、心理学の研究員という社会的にも申し分のない安定した地位を築いていた。華やかな生活を送っているわけではないが、クリエイティブな仕事に熱中することで自信と満足感を覚えていた。彼女の毎日はルーティンだった。朝5時に起床して、7時30までに家を出て研究室に着くのは8時5分前きっかりで、どんなに遅くなっても夕方6時には仕事を終えてマンションに帰ってくる。夜にどこかに出かけるようなことはせず、読書をするか音楽を聴くかして22時にはうとうとしてきてベッドに潜り込む。そして翌朝はやはり、6時に、目覚まし時計を使うこともなく起床する。
 仕事中心の生活の中には、親しい友人と呼べるようなものはおらず、恋人もいない。そのことを彼女は気にしていた。もっとも彼女が、自分に友人や恋人がいないことを残念に思ったのは、心理研究員として他者と接触する機会が多い方がなにかと有利になるのではないかと考えていたからだった。
 ある日、研究所の上司に推薦されて、N局のラジオ番組に出演した鏡花は、「心理学者に質問しよう」という、コーナーで視聴者の疑問に回答をしていた。どれも初歩的な精神科学の知識で答えられる質問だったので、安心できた。4つか5つの質問に簡単に答え終わると、ラジオパーソナリティの男が、では最後の質問を読みますといってはがきを読みはじめた。
『ラジオネーム、水口美冷さん。
 わたしには、遠く離れた町に、恋人が、います。出会い系サイト、で知り合いました。付き合って、三年、になります。わたしは、彼と、結婚したい、と思っています。でも、彼は、結婚を、するつもりはないようです。理由は、わかりません。話そうとしても、彼は、遠い、場所にいるから、連絡を、とることが、できないのです。携帯にも、出ないし、手紙も、帰ってこないので、心配です。最近、ネットの、ニュースで、みた記事に、日本の26歳の女性は世界でもっとも孤独で不安で焦っている、という記事をみました。私は、結婚を、焦って、いるのでしょうか? 不安なのでしょうか? 母は、はじめのうち、私に彼氏ができたことを、喜んで、くれましたが、最近では、彼の、話をすると、夢みたいなことをいっていないで、現実を見なさいと・・・・・・』
 ラジオ・パーソナリティの男は、読みにくそうに目を細めていた。
 鏡花の視界に久しぶりに他者の存在が映り込むということが起こった。興味深い、と思った。「メンタルヘルス患者の書いた筆跡」という学術論文で見たことがある。水口美冷という名のこの女はおそらく、なにかしらの精神的な病に罹患しているのだ、無駄に読点の多い文章と、読まれた内容から鏡花は推測した。
 ラジオ番組は、はがきの途中でCMを挟んだ。ラジオパーソナリティは、はがきを鏡花に渡した。
「いやあ、変わった手紙をもらっちゃいましたね」
「読んでもいいかしら?」
「もちろん、でもこの人、すごく読みづらい文章をかくなあ、字体も神経質に尖っているかんじですよ」
 はがきの最後に、「死にたい」という言葉が書いてあった。鏡花は自分の推測が正しいと直感し、
「このはがきは、読まなかったことにしてください」と言った。「その代わりに、差出人に直接コンタクトをとろうと思います」
 ラジオの向こうでこの放送を聴いていたであろう、水口美冷の姿を想像しながら、鏡花は、CMのあけた番組が終了するまでラジオ・パーソナリティの話に適当に相づちを打っていた。
 その日の夜、自宅に戻った鏡花はワインを飲みながら念入りに髪をブラッシングしていた。アルコールを飲んだのはずいぶんひさしぶりだった。前に飲んだのは3年ほど以前のことかもしれなかった。今日はどういうわけか酒が飲みたくなったのだった。ブラッシングをするという習慣もいつもはなかった。なんとなく髪をきれいにしたいと思ったのだ。まった変な日だ。それにしても今日のラジオの女の人は、大丈夫だろうか? 自殺とかしていないと良いけど・・・・・・。いずれにせよ早めにコンタクトをとろう。そんなことを考えながら、鏡台の椅子にこしかけてピスタチオの殻を剥いていると、玄関のチャイムがなった。時計をみると23時だった。いつもは眠っている時間だ。まったく今夜の自分はなにをしているのだろう、と思った。それにしてもこんな遅くに誰? 
 彼女はたちあがって玄関まで歩いた。その間、チャイムは鳴り続けた。
「どなた?」
 ドア越しに聞くと、
「わかってるんでしょ?」という声。
「わからないわ」
「美冷、水口美冷よ」
 鏡花は、思い出した。ラジオ番組に奇妙な手紙を送った女だ。でもどうして? 向こうから家にくるなんて! 信じられない。
「なかにいれて」
「だめよこんな時間だし・・・・・。どうして家にきたの?」
「てがみの答え、聞かせてもらってないから」
 鏡花は頭が痛くなってきた。
「それを教えたら帰ってくれるのかしら?」
「ええ、だからなかにいれて」
「いいえ、入れません。いわせてもらいますけどね、あなたは間違いなく頭がおかしいわ、精神クリニックに行くべきよ!」
 鏡花は叫びだしていた。美冷と名乗る得体の知れない女に恐ろしさを感じていたのだ。
 ドアの向こうは静まり返った。おそるおそるのぞき穴から外をみると、部屋のまえには誰もいないようだった。
 なんだったの、あの女?
 鏡花は部屋の鏡台の椅子に座って、気を落ち着けようとワインを一口飲んだ。鏡をみると、取り乱した自分の姿があった。髪はくしゃくしゃで、顔色が悪い。そのとき、部屋の電気が停まった。真っ暗になった。鏡花は悲鳴をあげて、目をつぶり床にしゃがみ込んだ。
 暗闇のなかでさっきの女の声が聞こえた。
『ねえ、あなた、わたしの、付き合っている、遠い、町の、彼は、本当は、わたしの、妄想だって、言いたいの?』
 そう聞かれても、鏡花は恐怖のあまり、なにも答えられなかった。しかし、そうだと思った。そうでなければならないとすら思った。そうだ、妄想だ、ぜんぶ思いこみだ。
「いま、わたしに話しかけている水口美冷という存在は嘘なんだ! わかってる」鏡花は叫んだ。
 水口美冷はなにも答えなかった。部屋は静寂に包まれた。鏡花は床に倒れ込んでいる。
 静かな部屋の中で携帯電話がなった。鏡台のうえでふるえた携帯電話はすぐに鳴りやんだ。
 着信電話ではなく、インターネットのサイトにつながるリンクのついたメールだった。
 宛先:ユーザーネーム水口美冷。
 送り主は知らない男だった。
            了
 

「おんな」

執筆の狙い

作者 女衒小僧
222.230.118.216.ap.gmobb-fix.jp

短い小説なので、ぜひ読んでみてください!

コメント

スカイ画廊の父
sp1-72-0-46.msc.spmode.ne.jp

 カポーティの「ミリアム」はご存知でしょうか。老女が自分と同じ名前の少女と出会い、最初こそ自分に似た少女に惹かれるが徐々に老女が少女の奇妙さに嫌悪感を増していくというような構造で、少女は老女のドッペルゲンガーなのではないか(アイデンティティの部分で)とみなせるような読み方もあるようで、それをふと御作を読んで思い出しました。ただミリアムと御作との決定的な違いは、同一性をどこまでもたせるかという点において、望月鏡花と水口美冷が同一人物(ハガキの部分で大体わかってしまう)であると結論づけられる、いかにもミステリー的な「完全性」にあり、それはミリアムにおける老女と少女の「不完全性」とは違います。私は作中で相似する対象が出現することに限定しますが、このいかにもミステリー的な「完全性」には、そうだったのか、といった感慨はありますがそれ以上のものはあまりなく、小説としての深みは「不完全性」に分があると思います。もちろんこれは何も、ミリアムと御作を単純に比べているわけではありません。作中(世の中)における他者はどこまでいっても何を考えているのかわからないといった点において、たとえば主人公(読者)がその他者の心理を追求したり、他者によって不可抗力的な影響を受けるといった、物語一般における面白みにかけると感じたからです。ミリアムでは同一性を高めつつも、少女はあくまでも少女として独立しています。他者を語り手の内部でコントロールせずに、あくまでも独立した他者として描けるかといったことが、プロと素人との大きな違い、プロの作家の能力の高さの一因だと私は感じます。
 話は逸れましたが、御作に対して何が足りないかといったことについて考えると、繰り返しになりますが、やはり「他者」の存在だと思います。望月が解離性の人格障害だということを先に明かしてしまって、そこから書いてみるといったことを考えると良いのかもしれません。

夜の雨
i223-216-205-231.s42.a027.ap.plala.or.jp

「おんな」読みました。
かなり面白い作品でした。
サイコ系ホラーになるのでしょうか。
ほぼこのまま商業誌に掲載されていても、受ける小説だと思います。
どこが良いのかというと、心理学の研究員をしている主人公が26歳なのですが、彼女がラジオ番組にコメンテーターとして出た番組で、同じ26歳の女性の「結婚に焦っていることを匂わす質問」が、届きました。

その質問の字面に癖があり、精神障害を患っていると踏んだ主人公は、ラジオ番組では返答せずに、あとから対応しょうと思った。
ところが、自宅に帰ると、深夜にその女が主人公の元に訪れた、という恐怖な展開。
女が主人公の自宅を知っているわけがないのに、やってきた、怖さ。
ということで、「水口美冷という女と主人公がリンクするというラスト」が「オチの携帯電話のメールでつながり」ました。

全体に良くできていました。
御作ではっきりさせておいても、よいだろうと思ったのは。
以下の二点です。

● 心理学の研究員という社会的にも申し分のない安定した地位を築いていた。 ←これは「大学院」で心理学の教授の元で、研究を続けているということにしておけばよいと思います。

● 水口美冷の質問は、CM中にデレクターから、ハガキ(メール)を見せられて、特殊なのでラジオでは読まなかったということにして、あとで、対応するというような内容で良いと思います。
御作だと番組中に司会の男が読んでいるような描き方になっています。

 ラジオ番組は、はがきの途中でCMを挟んだ。 ← これが、質問の後になっている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


御作を読んで面白かったので、発想を広げてみました。
たとえば、ラジオ番組のデレクター、または司会者が、主人公が以前テレビ番組か何かに出ていたのを見かけてファン(または反感)になっており、その彼(または女)が、仕組んだ不自然(精神障害を患っている)な質問だったとか。

御作の場合は主人公の存在に対して、もう一人の自分が絡んでくるという展開です。
私が上に書いたのは、ホラーに見せかけたミステリーで、妬みとか嫉妬、ゆがんだ愛情が絡んでいる話になります。

どちらにしても、面白い作品を読むと、いろいろとイメージを広げたくなります。


お疲れさまでした。

作者
UQ036011224234.au-net.ne.jp

携帯からの書き込みになります。

スカイ画家の父さん、感想ありがとうございます!

他者はどこまでいっても何を考えているのかわからないといった点において、たとえば主人公(読者)がその他者の心理を追求したり、他者によって不可抗力的な影響を受けるといった、物語一般における面白みにかけると感じたからです。ミリアムでは同一性を高めつつも、少女はあくまでも少女として独立しています。他者を語り手の内部でコントロールせずに、あくまでも独立した他者として描けるか


とのご指摘、考えさせられました!
お読みいただけてよかったです。

作者
UQ036011224234.au-net.ne.jp

携帯からの書き込みになります。

夜の雨さん
感想ありがとうございます!

イメージが広がるような雰囲気になっていればよかったとおもいます。

読んでいただけてよかったです!

5150
5.102.0.111

短編らしい作品で、少し前に読んでいた小池真理子の作品を思い出しました。
全体的にいい構成で、スッキリ書けていると思います。

引っかかった部分。
美冷が書いた文章だけ読んでも、「水口美冷という名のこの女はおそらく、なにかしらの精神的な病に罹患しているのだ、無駄に読点の多い文章と、読まれた内容から鏡花は推測した」という結論めいたものには、読んでいて僕自身はイマイチいたらないように思えます。最後まで読んでみて、あれくらいだったら最近ではけっこうよくいるよな、と考えてしまいました。そこにいたるまでに、もう少し説得力ある描写が加わるとより、最後のオチがもっともっと生きてくるように感じました。お疲れさまでした。

作者
UQ036011224050.au-net.ne.jp

5150さんへ

説得力のある描写ですか。
そうですね、たしかに。
今度は改稿時などに、そうした
点を意識してみます。

読んでいただけてよかったです。

may
pw126233220086.20.panda-world.ne.jp

ホラーでした。主人公の名前に鏡が入っているのも狙いあってのことでしょうか?読点だらけの文にすごくきみ悪さを感じます。
普段日常をつつがなく過ごしている主人公、何不自由なくみえますが、社会的立場も申し分ないのですが、友達がいない、彼氏もない、と言うのが伏線ですか?気が触れちゃって自分の幻覚をみたのは。

作者
UQ036011224050.au-net.ne.jp

Mayさんへ
鏡という名前がヒントということを指摘していただけてよかったです。
あまり気づかれていない?と思っていたので。
はい、遊び感覚で入れてみました!

読み返してみると部屋の鏡台の描写をもう少し書き込めば、その意図がはっきりするかなとも思いました。

読点の多い奇妙な文章は村上龍のトパーズを参考にしてみました。

読んでいただけてよかったです!

金川明
sp49-97-104-114.msc.spmode.ne.jp

カポーティの「ミリアム」はご存知でしょうか。老女が自分と同じ名前の少女と出会い、最初こそ自分に似た少女に惹かれるが徐々に老女が少女の奇妙さに嫌悪感を増していくというような構造で、少女は老女のドッペルゲンガーなのではないか(アイデンティティの部分で)とみなせるような読み方もあるようで、それをふと御作を読んで思い出しました。ただミリアムと御作との決定的な違いは、同一性をどこまでもたせるかという点において、望月鏡花と水口美冷が同一人物(ハガキの部分で大体わかってしまう)であると結論づけられる、いかにもミステリー的な「完全性」にあり、それはミリアムにおける老女と少女の「不完全性」とは違います。私は作中で相似する対象が出現することに限定しますが、このいかにもミステリー的な「完全性」には、そうだったのか、といった感慨はありますがそれ以上のものはあまりなく、小説としての深みは「不完全性」に分があると思います。もちろんこれは何も、ミリアムと御作を単純に比べているわけではありません。作中(世の中)における他者はどこまでいっても何を考えているのかわからないといった点において、たとえば主人公(読者)がその他者の心理を追求したり、他者によって不可抗力的な影響を受けるといった、物語一般における面白みにかけると感じたからです。ミリアムでは同一性を高めつつも、少女はあくまでも少女として独立しています。他者を語り手の内部でコントロールせずに、あくまでも独立した他者として描けるかといったことが、プロと素人との大きな違い、プロの作家の能力の高さの一因だと私は感じます。
 話は逸れましたが、御作に対して何が足りないかといったことについて考えると、繰り返しになりますが、やはり「他者」の存在だと思います。望月が解離性の人格障害だということを先に明かしてしまって、そこから書いてみるといったことを考えると良いのかもしれません。

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