作家でごはん!鍛練場
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剣の国

 観音寺城の城内から出てきたのは鬨を上げる五万を超える織田の軍勢。織田信長《おだのぶなが》、浅井長政《あざいながまさ》、柴田勝家《しばたかついえ》に並び後の豊臣秀吉《とよとみひでよし》となる木下秀吉《きのしたひでよし》が具足の袖を揺らしながら愉しげに出て来た。

 その観音寺城の戦い(近江六角氏との戦い)は僅か一日で決着付く。それから織田軍は大津へ猛進し大和に遠征していた三好軍(松永久秀と三好義継は除く)は直様崩壊した。
 
  義秋(足利義昭の旧名)と織田軍が入京する。

  『おい…織田軍の中に馬に跨った猿が混ざっているぞ。見てみろ!猿だ!猿がいるぞ!』

  十にも満たぬ子供らが木下秀吉を見てそう喚いた。猿だと嘲笑される秀吉は悔しそうな顔をして…『おい、どっか行け!』と子供らを追い払った。すると信長は秀吉の悔しそうな顔を見て忍び笑いをした。

  『信長公まで私を嘲笑しないで下さいよぉ!』

  五年後………天正元年(一五七三)津島《つしま》

 草原で木刀を振翳し鍛錬を重ねる十五にも満たぬ少童・加藤清正《かとうきよまさ》に母の伊都《いと》は優しく言葉をかけた。

 『明日は御父上の葬斂である。稽古もそろそろ終わりにしなされ。』

 加藤清正は木刀の矛先を下に向けて稽古服の袖で汗を拭った。

 清正は清忠の墓前に整然として座り銀盃に銚子で酒を注いだ…。清正は瞑して手を合わせた。

 伊都と清正は後の大政所《おおまんどころ》である仲《なか》と羽柴秀吉《はしばひでよし》に会釈した。

 『伊都。秀吉の長浜城で清正を受容れようかと考えておるのだが…。』

 『清正を…?この十五にも満たぬ清正を長浜城で受容れて下さるのですか?』

 清正は二人の話に耳を傾け傾聴する。しかし清正は口を噤み両手を腹の前で重ねて嫌そうな表情一つせず垂直の姿勢を持した。

 清正はその場から離れ清忠の墓前に坐る。

 『私は………父上が最期まで作り続けたこの本差しで天下を取るのです。あなたが私に遺したこの本差しで…。』

 清正は矛先が鋭く光るその本差しを握り涙を流し銀盃を口にする秀吉の前で膝を突く。

 『秀吉公。私を………受容れて下さい。』

 秀吉は銀盃を置き笑顔で清正の肩に手を置く。

 『勿論。其方と共に儂は天下を取るのじゃ。』

剣の国

執筆の狙い

作者 .。
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ないでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーす

コメント

すもも りんご
116-65-240-38.rev.home.ne.jp

面白いです。達人ですね。

may
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序章ですよね、これから天下を統一する羽柴の前で膝をつく。
歴史小説は知識と教養が必要なので難しいと思います。狙いはないでーす、とのことでしたが、このサイトにあげられているのは読んで感想が欲しいからなのかなと思いました。天下統一の物語、簡潔で面白いものを望みます。

上松 煌
p8478077-ipngn39801marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

作者 .。さん、こんにちは
拝見しました。

 物語のほんのさわりの部分なので、感想の付けようがありませんが、文中のサルは「猿猴」あるいは「エテ公」であろうかと思います。
サルと言う言い方はなく、今の猿類一般をそのように言ったようです。
「エテ公」はサルを揶揄して言った言葉なので、こうした場合に使われそうですね。

 全体に未熟で言葉の使い方などが現代文のままなので興が削がれ、素人小説の域を脱していません。
がんばってください。

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