作家でごはん!鍛練場
ちぃひろ

土笛の音の中に

「かあさん、腰は痛くないかい」
「いんや、どこも辛いはずがないよ」
 つい三日ほど前に、息子が拵えてくれた背負子の上にはどこか懐かしい落ち着きがあった。
 鈍色の空から雪がびちょびちょ落ちてきていたが、これもまた、かつて息子が丁寧に鞣した鹿の毛皮が身を寒さから守ってくれた。
 明け方に家を出た頃は、雲ひとつない星空が広がっていたのに、昼前になって急に雲行きが怪しくなった。
 そういえば山の天候は変わりやすいのだということをシアータは久し振りに思い出した。
 若い頃は春になると山菜を採りに、よく山へ入ったものだが、もう何十年も足を踏み入れていない。
 随分と登ってきたものだ。息子は時々背負子を下ろして、母であるシアータの様子を伺いながら、また背負って、ひたすらに雪山を登り続けた。
 幾日か前に、息子は母に母の姉の墓参りに行かないかと言い出した。シアータにしてみれば、姉に墓なんぞないし、死んだという言葉はおかしいので、それを墓参りと呼ぶのは変に思えたが、しかし、姉の足跡を辿りたいという思いは強かった。
 シアータの姉が「山神への贈り物」に選ばれたのは、今年と同じように酷い冷夏の年の冬だった。村の中で誰よりも土笛が上手く、美しかった姉は、神の許で永遠に笛舞を踊る大役を仰せつかった。
 シアータの姉が山神の許に迎え入れられたのは、まだシアータが七つの頃であったが、姉が家を出るその日の光景は、鮮明に覚えている。十四になったばかりの姉は、純白の衣に身を包み、髪を高くに結い、血のように赤い紅を唇に引いていた。元来見目麗しい姉ではあったが、その日の姉は他の村娘と比べるのが躊躇われるほどの美しさであった。
 あの美しさにどれだけ焦がれたことか。白銀の広場で艶やかに笛舞を奉じる姉の姿を何度も夢に見た。私も姉くらいの歳になれば「贈り物」に選ばれるのだと心に誓った。
 しかし、村の人々は姉以来、山神に娘を贈るのをやめてしまった。せめて時が訪れた時に、よい音で土笛を吹けるようにと、シアータは暇さえあれば笛を吹いた。けれども、彼女の母は土笛の音が聞こえるたびに、シアータに止めるよう金切り声で怒った。
ただ、それも遠い昔の話である。
 母などとっくの昔に死んでいるし、今や己が母であるし、それどころか四人産んだ娘息子も、兵役に取られたり、遠い村に嫁にいったり、死んだりで、シアータがその居処を知るのは今や一人になった。
 唯一残った息子が、母の姉が笛舞を舞った広場を見つけたから墓参りをしようとシアータをこの雪山に連れ出した。
 雪は重たく冷たく落ちてくる。
 今年の冬はとりわけ厳しかった。幾年にも渡り冷夏が続いたことで、田畑が荒れ果ていよいよ貯えもなくなった。何も実らなかったのは山も同じらしく、今こうして山を歩いていても、大きな獣は一頭も見当たらなかった。
「少し、休むかい。母さん」不意に息子が、尋ねてきた。
「歩いてるのはお前さんなんだ。お前さんが疲れたら、お休みなさい」シアータは言った。
 息子は雪を被った木々の間を抜け、見通しの良い少し広く平らになっているところで母を背から下ろした。
 息子は母を下ろしてから、まず母に懸けられた鹿皮にこびりついた雪を払い、それから自分の笠を覆う雪をはたき落した。
 母はその様子を雪の上で手足をゆっくりと伸ばしながら見守った。
 息子は静かに自分の衣の雪を払い落としていったが、やがて大げさに驚いて言った。
「しまった。家に忘れ物をしてしまったよ、母さん。取りに戻っても、ええかい」
「ええ、ええ。ここで待っておるから、いってきな」
「そうかい。ああ、そうだ。暇つぶしになるかはわからんが、これを渡しておくよ。ここでならどれだけ吹いても、誰も怒らんだろう」
 息子は手袋を外し、懐から土笛を大事そうに取り出すと、母に差し出した。母も手袋を取ってそれを受け取った。
 息子の熱で温められた土笛はシアータの手によく馴染んだ。
「ありがとうね」
 息子は母に寒いから気をつけてと言い残し、山を降りていった。その後ろ姿をシアータはじっと見守った。けれども、白く重い雪のせいで、その姿はたちまちに見えなくなった。
 そうしてシアータは一人になった。ゆっくりと辺りを見回す。背後には薄暗い林が広がっているが、ここは丁度円形に開けていて小さな広場になっている。
 姉もこんなところで舞い続けているのだろうか。いつも夢で見る姉の舞姫姿が心に浮かんだ。春の温かな日差しを一身に受け、真っ白な雪床の舞台を可憐に跳ね回る。吹き鳴らす土笛の音は清々しく、山々をどこまでも越えて行く。
 我が姉のなんと美しいことか。
 姉への憧憬が弱った老婆を突き動かした。
 シアータは手袋を雪野原に捨て、重い脚を引きずり、その広場の中央に立った。そして大きく息を吸い込み、土笛に息を吹き込んだ。
 姉になりたかったのだ。
 しかし、かつての姉のような美しい音は出なかった。掠れた、弱々しい、情けない音だった。舞わんと踏み出した脚も直ぐにもつれ、つんのめって雪の上に倒れこんだ。
 シアータはただただ絶望した。
―なんだっていうんだい。もう、私に昔のような若さはない。みっともない。神様はどうしてもっと早くに私を殺してはくれなかったのだ。生きていたって辛いことばかりじゃないか。今や娘息子の生死さえわからない。挙げ句の果てに姨捨だ。どうせ山で死ぬのなら、私も姉のように死にたかった。もっと早く、美しい間に死にたかった―
 シアータはそうしてしばらく雪の上に倒れこんだまま、動けなかった。このまま独り死ぬのだと思った。
 それからどれだけそうしていただろう。ふと、シアータは握りしめた土笛の吹き口から、こよりのような白い何かがはみ出していることに気がついた。
 シアータは不思議に思って、身体をゆっくりと起こし、それを土笛の中から引っ張り出した。
中からは白い紙に巻かれた小指の先程の何かが出てきた。シアータは両端の捻られたところを震える手で解いて、丁寧に包み紙を開いた。
 それは砂糖菓子であった。雪の上に落としてしまえば、どこかにやってしまいそうなほど混じり気のない白をしていた。
 息子がシアータのために土笛に仕込んだに違いない。
 どれだけ苦労して手に入れたのだろうか。砂糖菓子はただの村人が、気安く買えるものではない。確かに作物の値が恐ろしく跳ね上がっているために、家には使うあてのない銭がいくらかはあった。しかし、死にゆく老いぼれに、砂糖菓子を贈るのほどの価値があるとは思えなかった。
 シアータの長い人生の中でも、砂糖菓子を食べた記憶は二度しかない。一度目は、姉が神の許に向かう前夜、二度目は、三月かけて都に税を運んだ夫が土産として買ってきてくれた時だ。
土笛を振ると、同じものがあと二つ、中から出てきた。
―三つも!―
 シアータは菓子を一つずつ口の中に入れていった。菓子は口に入れると瞬く間にほろほろ崩れていった。しかし、その優しい甘さは長く口の中に残った。
 菓子を一つ口に入れる度に、シアータは人生のたくさんのことを思い出した。
 そうして、シアータは次第に強くなっていった。シアータは指先がさっきよりずっと温かいことに既に気がついていた。
 シアータは立ち上がって土笛を構えた。そして、息を吹き込む。
 ふおおんという土笛独特のくぐもった、しかし遠くへ響く優しい音が鳴り響いた。
―音が出る!―
 シアータは嬉しくなって、もっと沢山の息を吹き込んだ。土笛はそれに素直に応じた。
 シアータは足を踏み出し、小さく身体を揺すった。よろけそうになっても踏ん張った。曲がりなりにも、それは確かに笛舞であった。
―音よ。山を越えてゆけ―
 老婆の祈りの通りに、辺りの山々に笛の音が響いた。
 ふとシアータは、人生の喜びとは砂糖菓子のようなものだと思った。この世は辛いことばかりだ。しかし、甘い幸せが、小さく儚くとも、所々に散りばめられている。だから、こうして、生きていける。夫と出会った時、子が生まれた時、息子が母のために砂糖菓子を買ってくれたと知った時。己の人生はささやかながら大きな幸せに支えられている。
―見よ、山神よ。生き抜いた私は美しい。ああ、それでも神は姉を選ぶというのか。しかし、そんなことは知らない。全てを味わい尽くした己を見よ。己の音を聴け―
 老婆はありったけの力で土笛を吹き鳴らし、笛舞を舞った。丁度その時、雲が切れ、日が差し込み、広場は白銀の舞台となった。
 気がつけば、シアータの心はずっと若返っていた。もし、天空からその舞台を眺める大鷲などがいれば、大鷲は雪の中をただひたすらに舞う乙女の姿を見ただろう。
 乙女はその命の限り永遠に奏で続けた。

土笛の音の中に

執筆の狙い

作者 ちぃひろ
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「第30回 ゆきのまち幻想文学賞」に応募し、初めて予備選考を通過しました。しかし、最終審査での落選通知が来ましたので、こちらに掲載いたしました。小説で何らかの賞の予備選考通過は、人生で初めてであり、嬉しくはありますが、できればいつか入賞してみたいものです。どうぞ、ご意見、感想等お聞かせください。

コメント

ラピス
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聞いたこともない世界のお話。冒頭から引き込まれました。小道具も上手く使われていますね。
予選通過するだけあります。
人はいくつになっても、若い頃の印象的な出来事を忘れないものです。少女に還った老婆が絵のように美しく感じられました。
ネタバレになるテーマが、これまた上手く隠されていて、驚かされます。切ない。
ただ、そうしなければならない生活の惨めさが短い説明に終始して、描写が足りないように感じました。まあ、枚数がないですからねえ。
お疲れ様でした。

ちぃひろ
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ラピス様
お読みくださり、ありがとうございます。

ベースが姨捨山ですので、書いていても和を感じる部分も多く、日本を舞台とするか、異世界にするかで迷いました。

しかし、結局、和風にすると、いつの時代?だとか、どこの村のどこの文化?とか、史実を踏まえない部分で違和感が出てしまうので、いっそ異世界にした方が、リアリティが出るだろうと、このような形に落ち着きました。

個人的には、これで良かったかなと思っています。



また、ラピス様より、「切ない」というお言葉をいただきましたが、切なさが読み手伝わったようで、安心しました。

シアータの心情としては、幸せだし、力強く逞しい心を持っているけれど、起こった事象としては、切ない。しかし、シアータを不幸だとは誰も言えない。しかし、切ない……みたいな、何とも言えない、感情の揺さぶりを作れていたら、嬉しく思います。

ありがとうございました。

夜の雨
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「土笛の音の中に」読みました。

落ち着いた雰囲気がある文体でなかなか結構でした。
「ゆきのまち幻想文学賞」ということで、下記のような募集内容です。

>募集内容雪をテーマにし、雪の幻想性を表現した小さな物語
※直接的に雪が出ていなくても、雪を感じさせるものなら可<

御作についてですが、募集内容には充分適応していると思います。

御作の内容について。
結論から書くと、「姥捨て山」のインパクトが大きすぎて、他の設定とバランスが悪いのではないかと思います。

御作を読むと滞りなくスムーズに主人公である老婆のシアータのことが書かれています。
だから、彼女の置かれている状況がよくわかります。
状況がよくわかるので、なおさら「姥捨山」の背景が気になります。
どういうことかというと、御作は「姥捨て山」の設定(話)が基本部分にあります。
それと同時進行しながら「昔」「山神への贈り物」に選ばれた十四歳の姉のことが書かれています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 シアータの姉が「山神への贈り物」に選ばれたのは、今年と同じように酷い冷夏の年の冬だった。村の中で誰よりも土笛が上手く、美しかった姉は、神の許で永遠に笛舞を踊る大役を仰せつかった。
 シアータの姉が山神の許に迎え入れられたのは、まだシアータが七つの頃であったが、姉が家を出るその日の光景は、鮮明に覚えている。十四になったばかりの姉は、純白の衣に身を包み、髪を高くに結い、血のように赤い紅を唇に引いていた。元来見目麗しい姉ではあったが、その日の姉は他の村娘と比べるのが躊躇われるほどの美しさであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
このあたりの表現力はなかなか結構でした。
そしてシアータがどんな人生を送ったのかなどもわかりやすく書かれています。
しかし「姥捨て山」という設定がとんでもなくインパクトがあるので、そちらを小さく扱い「土笛」に関連した話や「人生」のことを書かれていても、『絵空事』に思えてしまうのですよね。

今は高齢化社会で、みなさん差し迫った患いごとに切迫しています。
だから「姥捨て山」のことが書かれていると、そちらの状況の深刻さを感じ取ってしまうと思います。
つまり「姥捨て山」に置かれて(捨てられて)いくシアータの「リアルな気持ち」は、どうだろうかということです。
自分が息子に雪山に捨てられている状況なのに、「土笛」から姉のことや「人生」のことを考え、そこからラストのような展開に持っていけるのだろうかと思いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

ラスト

 ふとシアータは、人生の喜びとは砂糖菓子のようなものだと思った。この世は辛いことばかりだ。しかし、甘い幸せが、小さく儚くとも、所々に散りばめられている。だから、こうして、生きていける。夫と出会った時、子が生まれた時、息子が母のために砂糖菓子を買ってくれたと知った時。己の人生はささやかながら大きな幸せに支えられている。
―見よ、山神よ。生き抜いた私は美しい。ああ、それでも神は姉を選ぶというのか。しかし、そんなことは知らない。全てを味わい尽くした己を見よ。己の音を聴け―
 老婆はありったけの力で土笛を吹き鳴らし、笛舞を舞った。丁度その時、雲が切れ、日が差し込み、広場は白銀の舞台となった。
 気がつけば、シアータの心はずっと若返っていた。もし、天空からその舞台を眺める大鷲などがいれば、大鷲は雪の中をただひたすらに舞う乙女の姿を見ただろう。
 乙女はその命の限り永遠に奏で続けた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

つまり御作は「姥捨て山」というインパクトと「山神への贈り物」に選ばれた姉のことを考えている老婆のシアータや人生の描き方のバランスが悪いのではないかと思ってしまう。
「姥捨て山」の設定を外して、「山神への贈り物」に選ばれた姉のことを考えている老婆のシアータや人生を中心にして構成していれば、よかったのではないですかね。

具体的に書くと。

主人公が居るところと「雪」を関係づけておく。 ←今回の御作では成功しています。ただ「姥捨て山」の設定を外した場合は、他の状況で「雪」を関連付けておく。

「山神への贈り物」に選ばれた姉のことを考えている老婆のシアータや人生(親や、夫や子供の生死を含めた)を描くにあたり、『「姥捨て山」の設定を外した場合』その分量を「主人公の内面描写」や、「身近でささやかな日常の幸せ」を描ける。
例えば、孫が主人公の傍で遊んでいるとか。もちろん姉と子供の頃遊んだ思い出を関連付けてもよい。

こんなところですかね。


お疲れさまでした。

sss
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私も二次落ち経験あります。これで落選とは、私の頃よりレベル高いな、と思いました。
確定の前に当選時のコメントを書かされるから、結構がっくりするんですよね。確率も半々ぐらいだし。

さて内容は審査に受け入れられたものとして、

文章についてですが、端正な印象が終始維持される読み味でした。
「シアータ」「老婆」「息子」「子」「母」「姉」~と、文脈によって呼称が調整されていて、異国(異世界)情緒情緒、そして説話的なムードを盛り上げていると思いますが、

主語の「シアータは」が、ちょっと多いかなと思いました。
私なら2/3ほどに削る。(本当は1/2ぐらいにしたいが*後述)
削る部分は誤読を招かないように慎重に、読者の視点を考えながらやる。
それよって読みの負担が減るだけでなく、より、ドラマチックになるような効果を期待できる部分だけを選んで削る。

それでも掌編としては少し多めとなる固有名「シアータ」の記述は、何か感情的な引っ掛かりと呼応させる為に使う。具体的にはシナリオと相談だが、他では語りしか使っていない「シアータ」の言葉を、おそらく「姉」に一度、呼ばせる。

鈴原
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おはようございます。拝読しました。

文章はよくできていて、これで内容が書けていたら入選にも届くのではと思いました。

比較が酷なのやもですが、 深沢七郎の『楢山節考』と比較すると、
御作がいかに下劣で、低レベルかと思うのです。

特に気になったのは、御作全体に滲み出る下劣さで、正直うんざりしてしまうのです。

これは感性の問題なので難しいかもしれません。そこは多分に天分の領域なのかも知れません。
しかし、やはりここをなんとか対処してほしい気がしました。

たとえば、作者様は砂糖菓子が入れられていたから「息子は優しい」し、そこに御作には、暖みのある、ハートウォームの物語りといいたいのでしょうか?

でも実際には、老いて山に捨てられた状況なのです。しかも、息子に嘘までつかれて。

御作はすべての点で『楢山節考』と逆の設定なのです。


しかも、よく解らないのは、ラストが笛や舞いで、いきなりハイテンションとなるのですが、姥捨てのストーリーはどこにいったのでしょうか。

御作を読むと、多くの面で、作者が作に向き合っていない、作者自身の都合で面倒なものをすべて避けているよな印象を受けるのです。

たとえば設定も、何故日本の話にしなかったことは百歩譲ったとしても、
どこの国のどこの世界かもわからない、設定自体をぼんやりとぼやかしているとゆう点からして、作者が作品のあらゆる面倒なものを回避させて、ごまかしてしまっている印象がありました。

また、姉の人身御供の要素も入れられているので、さらに話がぶれるし、ぼやけてくるのです。
そこは、たぶんに作者様は作品にもう少し色を足したいと思ったのやもですが、
わたしはむしろ、姉の部分が無い方が、作品性が高まる気がしました。

そこで、ラスト
姥捨て(悲惨) → 砂糖菓子(ハートウォーミング) → 笛・舞い(ハッピーエンド?)
の流れについても、物語にあまり意味合いを持たせない、雰囲気だけは盛り上げよう、のよに見えました。

繰り返してしまうのですが、御作は嘘を吐いてまで息子が母を山に捨てる物語りなのです。
ラストが珍妙な印象を受けてしまうのです。

そうげん
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「土笛の音の中に」を読みました。

シアータは、息子が自分を捨てに行くことを、出発の始めから知っていたようですね。静かな覚悟が冒頭から定まっていたんだと思いました。

息子が離れて行ってしまってからの、笛を吹くシーン。砂糖菓子が三つ出てきて、それをひとつずつ口に入れていくシーンは、童話のマッチ売りの少女のマッチをする行為と同じ効果を及ぼすアイテムとして使われていたようでした。

また砂糖菓子が高価なものというのは、吉川英治三国志でも、劉備が置いた母に、高価な茶を買い求めに交易船がつくのを岸で待っていたのと同じだなと思いました。

類例をひいて比較することができるということは、物語の構成の基本がこれまでにあったもので形作られているからではないだろうかと思いました。

この小説において、幻想としてあらわれているものは、どれくらい審査員が求めている幻想に近づいていたんだろうかとも思いました。しかし予選は突破されているのだから、一定の水準は満たされているということなのでしょう。

わたしは冒頭から四行分読んだところで、姥捨ての話みたいな入り方だなと感じました。さりげなく描いているというより、作為的に言葉の選択でそのように察知させてしまうものがあるので、入り方が巧みだったとはいえないと思いました。

どこかで見たようなお話という印象をぬぐえなくて、あまり新規なものという印象を受けませんでした。

愛&背文
nthkid021022.hkid.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp

冒頭がちょっとわかりにくかったかもしれません。

>つい三日ほど前に、息子が拵えてくれた背負子の上にはどこか懐かしい落ち着きがあった。

背負子の製作者と制作時期、それの乗り心地とそれに絡めた漠然とした記憶、と実に様々な情報が一文に収められて
いるけれど、読者はまだどんな雰囲気で交わされた会話なんだろうってところに居るので、解釈に困る可能性があり
ます。

そして、規定的に短い作品にしなければならない時、何を一番書きたいのか、書くべきなのかを判断しなければならない
でしょう。この作品の場合、多分後半後ろの主人公の心の揺れ動きがそれに当たると思うので、ここを重点的に書く
のが大切だと思います。乱暴に言えば、私は姥捨てで雪山に1人取り残された。からはじめちゃっても良いと思います。

そして多分雪の「素敵な情景」が求められている公募だろうと思うので、びちょびちょや重いだけだと物足りなく
思われるかもしれません。実体験から言うと、これは現実に敵視している雪国の人の雪への嫌味に聞こえてしまいます笑

may
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読んでいて、まず風景描写が綺麗だなあと、次に何のために山を登っているのかと、そしてもしや、シアータよ、捨てられたんじゃないかという風に、ドキッとしたら、シアータがそのことに気付いていてあー、不憫だなあと感じました。
息子の優しさが前半語られていたのでシアータへの感情移入がしやすかった。そして姉の話も入ってきて、シアータは姉が美しく紅をさした姿を忘れられないんだろうと。それに、土ぶえの中にあった砂糖菓子で息子の仕打ちを許してしまうほど、自分が老いたことを辛く思っていると。
シアータは救いを見出したのかもしれませんが、私は読んでいてやるせない気分でした。息子の優しさと気遣いは見せかけだけで、厄介者を捨てるために山をのぼり、嘘をついて、最後にはせめてもの罪滅ぼしに砂糖菓子を隠したわけです。
複雑な親子です。
姉は村を守るため神様のもとへ行きました。シアータは、なんのため土ぶえを吹くのでしょうか?そのへん、シアータがどうして晴れ晴れした気分になれたのかがいまいちわかりません。
息子が好きだから、彼の負担にならなくて済んだということでしょうか?老いた自分は身を引くことで愛を示したのでしょうか?
それならば悲しすぎる物語でした。

鈴原
49.253.105.101.eo.eaccess.ne.jp

こんばんわ。すみません。
冒頭がずっと心に引っ掛かっていたので。
わたしなら、どうするだろうか。考えていました。
あまり書き筋を変えないようにすると、次のよに。



「母さん、腰は痛くなかろうか」
「いいや。どこも辛いはずがないよ」
 うっすらと雪の残る荒涼とした山道、背負子で老婆を背負った男が登ってゆく。男は背なの老婆、彼の母親に問うと天を仰いだ。
 鈍色の空からは淡雪が降り始める。雪の粒が背負われた老婆の白髪に落ちては消える。明け方に家を出た頃は、雲ひとつなく星空が広がっていたのに、昼前になって急に雲行きが怪しくなっていた。
 老婆は息子に答えると息子の背に身を預けながら目を瞑った。背負子はつい三日ほど前に息子が拵えたもので、そうそう息子に背負われることなどありもしなかったのだが、彼女にとってはどこか懐かしみのある落ち着いた心地であった。
 そうして彼女は、そういえば山の天候は変わりやすいものなのだと、久し振りに思い出した。若い頃は春になると山菜を採りに、よく山へ入ったものだと。
 息子は時々背負子を下ろして、母の様子を伺いながら、また繰り返し背負って、ひたすらに雪山を登り続けた。

ちぃひろ
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夜の雨様
お読み下さりありがとうございます。

他の方のご指摘から考えても、自分の描きたかったものを書くには、老婆の近年の心情、村の事情をより細かく書くべきであったと感じています。

というのも、個人的には「姨捨山」の要素は、不可欠だと感じでいるからです。

構成から考えると

① シアータの姉
・ 若き日に生贄に選ばれる
・ 若く美しい状態で死ぬ
・ 若く美しいからこそ選ばれた

② シアータ
・ 歳をとって、食い扶持減らしに選ばれる
・ 辛く、苦しい人生を経て死ぬ
・ 歳をとっていたから選ばれる


飢饉という環境要因から、選ばれて死ぬという点においては、シアータも姉も同じなわけです。

では、何が違うかというと、その間の「生」の中で経験した出来事の量です。

姉は短い生の中で、ある種の英雄として死に、崇められており、それがシアータのコンプレックスでもあります。
対してシアータは喜びはもちろん、苦しみに関しても、その長く生きた分だけ多く経験し、最期に己の人生の意味を問うわけです。

そして、小さな喜びを思い返すことで、己の生には意味があったと自認するお話です。

作品のテーマがあるとしたら「生き抜くことの美しさ」でしょうか。
どんな憂き目にあおうと、最後の最後まで懸命に生きる状況を作りたく、その点において、「姨捨山」というのは捨てられないポイントでした。

ただ、それをきちんと描くために足りなかったのが、老婆を突き動かすものであり、それが息子からの愛でした。

設定としては、シアータ自身は物語が始まった時点で姨捨を覚悟し、受け入れています。また、息子は決して裏切る気持ちでしたのではなく、生きるために仕方がなくしています。母への愛は本物であり、その証としての砂糖菓子です。

しかし、本作では村の飢饉の状態、日常生活の様子、こういったものを省いてしまったために、息子の愛が欠けた印象を与えてしまったのではないかと思います。

ありがとうございました。

ちぃひろ
KD106132214040.au-net.ne.jp

sss様

お読み下さりありがとうございました。

ちょっとだけ、八甲田山旅行に期待していたので、内心がっかりしました(笑)
とは言え、それでも予備審査通過が自信に繋がったので、嬉しく思っています。


主語のお話の件ですが、とてとそうだと感じられました。
元々、私は、文法に則った主語述語のはっきりした文を書かねばと意識しているところがあります。

勿論それも、わかりやすくするには一定必要ではあるけれども、前後の文脈で必要なければ省略したり、置き換えたりした方が、本来響かせたいタイミングで響かせることができるのだなと思いました。

ありがとうございました。

ちぃひろ
KD106132214040.au-net.ne.jp

鈴原様

お読み下さりありがとうございます。
また、推敲して下さりありがとうございます。

鈴原様の言う「下劣」についてですが、やはり、息子をしっかりと描ききれなかったのも、そこに繋がっているのではないかと感じています。

ハートウォームなどという生温い感じのものを描きたかったわけではありませんが、母から息子へは勿論、息子から母への愛も確かにあって、その土台の上に成り立つ話を描きたかったのです。

それを感じさせる場面が少なく、読者の登場人物への感情移入を弱めてしまったということがあると思います。

また、シアータの感情に作者の実感が伴いきっていないというのもあるかも知れません。
シアータの何が何でも精一杯生きていく姿勢、愛を感じ取れる力、これらは作者の理想であります。

しかし、あくまでも理想で、自分がその立場に立って、そのように感じられるかは別のことです。
きっと、自分がシアータなら怒るだろうし、世界を憎むだろうし、シアータのようにはいかないとは思います。

もちろん、理想を描くこと自体は問題がありませんが、そういった甘い部分が至らなさに繋がってしまったのかもしれません。


ありがとうございました。

ちぃひろ
KD106132214040.au-net.ne.jp

そうげん様

お読み下さりありがとうございます。

目新しさはないという点で、その通りだと思います。いくつかの私の中の描きたいイメージを繋ぎ合わせながら、昔話風にまとめていったという感じです。

描きたかったイメージというのは、
・躍り狂う少女(作者自身の思いっきり踊ってみたいという願望)
・強く生きる老婆(作者の強く生きることへの理想)

ですかね……。
実際はもう少し漠然としていますが、言葉にするならこんな感じです。


姨捨山を除き、影響を受けているであろう作品でいうと、ストラヴィンスキーの「春の祭典」だと思います。

笛舞のイメージはポケットモンスターの「ルギア爆誕」のオカリナを吹く少女から受けています。

あえてどこからネタをもらおうだとか、そういうことは考えていませんが、ストーリー自体は目新しものではないと感じています。

だからこそ、どこまで様々に掘り下げて表現できるかが、腕の見せ所なのでしょうが……難しいですね。

ありがとうございました。

ちぃひろ
KD106132214040.au-net.ne.jp

愛&背文様

お読み下さりありがとうございました。

なるほど。情報を詰め込まなければという意識が強かったのですが、もう少し、読み手に優しく工夫をすふ必要があったようですね。

それから、書きたい場所ですが、やはり後半ですので、確かにもう少し前半を削ってもよかったかもしれないですね。
実際、書き進めていく中で、後半に行くほど、詰め込んで語りきれない気がしていました。
もちろん、前半も書きたい場面ではありましたし、世界観の解説的な役割を持っている場所でもありますので、容易に切れるものではありませんが、重点の置き方という点では、後半が弱かったなと思います。

ありがとうございました。

ちぃひろ
KD106132214040.au-net.ne.jp

may様

お読み下さりありがとうございました。

他の方のコメントにも書きましたが、作者の気持ちとしては、息子に裏切りの気持ちを持たせたつもりはありませんでした。

裏設定などというのは、ここで書くものではありませんが、シアータ本人は息子が三日前に背負子を作り始めた時点で、自身が姨捨の対象であることを知り、村や家族の状況からそうせざるを得ないことを理解して、己の運命を既に受け入れています。

そして、息子は息子で仕方なく山に向かうのであり、けれども息子ができる最後の孝行として砂糖菓子を選んだのです。

……ということが、読み手にしっかり伝わるように書かなければならないのですよね。小説として。


シアータの最初の怒りは、あくまでも己の運命、ある種の神的なものに対する怒りであり、息子に対する怒りではありません。
ですので、最後に笛を吹くのは神への反抗とも言えます。
姉は美しいまま死に神的な存在となったが、ここまで懸命に生きた自分の人生に意味はある、そういう反抗です。

……というのを小説の中で伝えなければ、ですね。

ありがとうございました。

群青ニブンノイチ
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とにかく読み口が応えなく滑る印象で世界が素直に受け止められないのは、物語という目的に即した素直で簡素な語り口ゆえの退屈さということだと個人的には感じさせられていて、それは貶す意味ではなく単純にジャンルとしての需要や目的という性質の話に過ぎない不可避な感覚なのだろうと受け止めています。
つまり単純に“好み”という無責任な感覚のみにおいて、読書としての満足度は決して高くない、というのが個人的な感想です。


物語の閉じとなる土笛の音は、誰が聞くのですか。
シアータ自身ですか。
山神ですか。
息子ですか。
それとも、誰にも響きませんか。

読者次第だと、逃げを打ちますか。


それは物語として意図したものについてではなく、作り手として書き手自身が自ら思い描く世界に対して眺めたがる根拠や憚らざる憂いのようなことで、読者に対して訴求したがる類のものについての話ではありません。


伝わるかどうかわかりませんが、物語の閉じとなるシアータの振る舞いをとんちきと受け止めたがることを野暮としたがるのは幻想あるいはファンタジーといった世界や目的におもねる下手糞こその盲目、なんて酷いことを平気で言ってしまうタチなのですがつまり、そういったすわりの悪さにしか映らなかった読者もいるということを書き手としてどう受け止めるものか、という話をしています。


書く以上には、読者が存在するということを言っています。


こういった便利な視点において表現される幻想というテーマにあって、ラストがシアータのみに絞られるという世界について個人的には書き手が無意識のうちに陥ってしまう創作世界麻痺のような自惚れた感触を嗅ぎつけてしまったらしく大いにシラケました。


姥捨山が譲れない世界であるなら、それはシアータのみの世界ではあり得ないはずというのはつまらない指摘に違いありませんが、とはいえシアータのみに落とし込まれる土笛の響きというのも何だか、幻想あるいはファンタジーと言った性質やテーマに安易にかまけた押しつけがましさのように感じさせられなくもな気がすると言うのはただの言いがかりでしょうか。


個人的には“雪”、“幻想”というテーマに基づくことでむしろ現代的な読書体験という需要から好き好んで遠ざかることを憚らないローカル主義の時代感の無さ、嗜む者の清潔な奢り臭さという偏見において、こういったコンペのまぬけさが大嫌いですし、余計なことを言ってしまえば商業的な機能を排斥して目的を美化したがるような愛好の仕方をまったく侮蔑の如く見下すものです。
書き手のことを言っているのではありませんから、勘違いしないでください。


上手下手より、面白いかつまらないか。
その区別は思いのほか残酷で、個人的にはこういった嗜みをまったく評価したくない質です。

とにかくつまらない。

今どきこういった物語を一体誰が読みたがるものなのか、個人的にはまったく興味がありませんし、理解したくもありません。
それこそ書き手のことではなく、こんなテーマや目的に評価をひけらかして素人に憧れを思いつかせるような時代遅れなことをいつまでも標榜したがる文芸という魂胆の古臭さの罪だと個人的には普通に思っています。
軽薄にわかりやすく言うなら、“ダサい”の一言に尽きるということです。
小説って、そんなに有難いものですか。
高尚なものですか。
気取るものですか。
個人的にはそういった美意識こそを疑って、嗤います。


お金を出してまで読みたいですか、こんな古惚けたような世界を。
書きたがりの為の読書や習熟になど、一般世間は興味ありません。
そんな薄情や軽薄を、あたしたちのような勝手に書きたがるだけの思い上がり風情がさも潔癖らしく突き通したがる美徳やら正論らしきで見下したがることになど、何の価値も意義もないと個人的には心得るものです。


そういった視点を無視した上でのただの文芸としての上手下手という嗜みのつもりであるなら、不愉快な戯言だと読み捨ててください。

夏の魔物
118-104-137-114.aichiwest1.commufa.jp

素晴らしい作品だと思います!尊敬です(私にはとても真似できません)
特に中盤でシアータが一人になった場面は、何かが起こるかも!とドキドキしました(ラノベの読みすぎですね…)
それでは柔らかく感想を述べさせていただきます。(少し長いです)

         *

この物語には、シアータ・家族・姉と山神の3つの立場があります。(姉と山神を分けて読むともっと深く考察できそうですね!)
そこで、今のままではシアータに対して周りがソフトタッチすぎるというのが感想です。(もちろん、ほんわかとしたストーリーを書きたいのならば、このままで十分だと思いますが…)もっと不幸にしろとまでは言いませんが、雪山の過酷さと彼女の小さな気づきを浮き立たせる必要はあると思いました。

まず、家族についてです。
砂糖菓子で息子の優しさを敢えて強調するのなら仕草のわざとらしさだけではなく、少し邪険に扱う様子や(物に当たる程度)小道具にも注目するべきと思います。
このままでは生活の苦しさや介護の辛さなど、彼女を捨てる理由が曖昧ですよね。その分家族の存在が物語の中で薄くなってしまいます。

次に、山神についてです。
特にラストは、架空の鳥&置いてけぼりの神様が気になりました。
『幻想』とあるので、ちょっとした偶然を入れてみてもいいのではないでしょうか(そこは作者様の好みに合わせてですが…)
例えば神社の夏祭りで散々妖怪の話をされたのにも関わらず、結局幽霊さえ出てこない物語があったら、あまりにも残念ですよね。
その点で、このラストはシチュエーションが十分すぎるほど整っていると思うのです。何もいない雪山で一人。しかもシアータは死ぬ直前に最も姉が死んだ場所から近いところにいるのです。
そこでせっかく晴れたんですから鳥くらい飛ばしても良いのでは、というのが私の意見です。
さらにその地域では鷲は神様の化身として信仰されている、など伏線(にもなってないかもですが)を付けてみてもいいでしょう。
彼女は最期に姉と同じように神様に笛と踊りを披露できたかもしれない、という深読みすることもできます!

最後に、姉についてです。
彼女の憧れであった姉が最後まで思い出としか語られませんでした。そこでほこら(明らかに不自然ですが)など彼女が来た痕跡を残してみてはいかがでしょうか。
そして、もしその山が一年中雪が降っているのなら、アイスマンみたいに昔のものが雪の中に残っている可能性があります(ベタですが…)
髪飾りなど姉の最期の華やかさを感じるものを落としてみても、良いと思います!

may
pw126193067067.28.panda-world.ne.jp

なるほど、作者様の狙いを詳しく理解した上で物語を読み返してみるとよく分かりました。面白かったです。小説の描きたい事が分かったら、作者目線で作品を堪能できました。
賞の選考に残ったのも納得です。落ちたのは惜しかったですね。それも運ですから次回作がんばってくださいね。
再訪失礼しました。

底辺
om126237042142.9.openmobile.ne.jp

鈴原さんと真逆のこというようで恐縮だけど、文章が粗いと思った。
とにかく意図したことを伝えることに精一杯で説明しすぎだし、構成もぐちゃぐちゃ。
姥捨てと書かれるまで状況がよく分からなかったし映像も浮かんでこなかった。本当は姥捨てと書かずに伝えてほしかった。
余計な文章も多い。その割に、風景描写が薄い。だから雰囲気や情緒が薄い。
ラストは強い言葉を使いすぎて、逆に描写の力を削いでいる。
短い作品だと、一つに焦点当てないと難しい。美しく死にたかったのにそうできなかったことを示すのに、現在を強調するか過去を強調するかして、もっと一つの場面をしっかり書いたほうがいいと思った。

ただ、題材はいいと思った。10枚という制限のなかで適切な題材を持ってこられる人は案外少ない。うまく書こうじゃなくて、人の心を動かそうという気持ちがすごく伝わってきた。その思いが強すぎた感じはあるけど、すごく好感を持った。

あと、意図したものかどうかは別として、漢字の多い文章でカタカナの名前、場所不明というのが、逆に幻想性を生んだんじゃないだろうか。山の描写は薄すぎると思ったけどね。

磨けば光る作品だと思う。だから最終まで残ったんじゃないだろうか。

あなたは上手くなれると思う。あとは細かい技術を学んでいくべき。
面白かったよ。

ちぃひろ
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群青ニブンノイチ様

返信遅くなり申し訳ありません。
お読み下さりありがとうございました。

さて、そもそも所詮素人が何のために書くのかというそこからですよね。

自分が書くものに、プロのような価値があるとは、到底思っていません。書店に並んだ本を手に取ると、その実力の圧倒的な差を実感します。

それでは、何故書くのか。それはもちろん、書きたいからです。日々の暮らしの中で得た考え、イメージ、ストレス、そういったものに関して、カタルシスを求めてというか、発散するために表現するわけです。

しかし、それでは当然一人で書いて、一人で持って生きていけばそれでいいはずです。けれども、実際にはネット上で公開して、こうしてみなさんに評価を求めています。結局はほめられたいのです。承認欲求です。

しかし、私はこれが悪いことだとは思いません。
要はバランスです。

認めてもらうには、他者から見ても良い物語である必要があります。アドバイスを頂き、少しでも上手くなって、上をめざす。悪いことではないはずです。

けれども私のようなただの素人は、大衆に受け入れられるか、売り上げだなんだは気にしなくても良い。
逆に強みだとも思って、書きたいように書いてもいいはずです。

いや、認められたいから、きちんと書かねば……という無限ループには陥りますが。

そういう意味で、私の作品に如何ほどの価値があるかは置いておいても、こういった文学賞、チャンスがあるのは私にとって嬉しいことです。


また、私の「書きたい」と同じように、シアータは「吹きたい」なのだと私は考えております。
誰に聞かせるか、ということであれば、運命への反抗として、神的な存在に対してになるでしょう。しかし、あくまでも、神は実体のないものです。
では、聞かせる存在がなければ、奏でる意味はないのでしょうか。そんなはずはないはずです。
姉への憧憬、自身の欲求、そういうものを引っくるめて、シアータ自身が吹きたいから吹く、そう描きたかった……とは思っています。
そう書けたかはわかりません。

ありがとうございました。

ちぃひろ
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夏の魔物様

返信遅くなり申し訳ありません。
お読みいただきありがとうございました。

私はハリーポッターや、守り人シリーズのようなファンタジー小説が好きで、自分の作品にもファンタジー要素が作品に入り込んでくる瞬間が結構あります。

それで、そのファンタジー感をどこまで増やすかというのが、結構課題になります。

土笛に魔力が宿る、姉が現れる、そこまでいかなくても、何らかの奇跡が起こる、こういうことは考えても良いのかなと思います。

けれども、今回は……結局毎回そうなんですが、舞台、設定だけファンタジックで、それ以外は現実的になってしまうことが多いです。

今回の話で言えば、姉の墓は見つからないし、息子は帰ってこないし、シアータも蘇らないし……なんとも、呆気ないですね。

でも、そういう話を書けたくなってしまう性のようです。
もう、持ち味にするしかないですかね……(笑)


生活の厳しさの描写に関しては、夏の魔物様にご指摘いただいた通りです。
読者に適切に伝えるためにも、ある程度ドラマティックに描く必要がありました。


お読み下さりありがとうございました。

ちぃひろ
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may様

再びありがとうございます。

お褒めの言葉もとても嬉しいです。

でも、本来小説は狙いを読んでいただいてから、小説を見てもらうものではなく、小説の中で気づいてもらえるように書くのだということを心に刻んで、今度は少しでも小説の中でも語れるように頑張りたいと思います!!

丁寧に、ありがとうございました。

ちぃひろ
121-85-58-191f1.osk2.eonet.ne.jp

底辺様

とてもありがたい言葉をありがとうございます。

情景描写辺の苦手意識は強くあります。
たとえ美しい景色をこの目で見ても、それを人に伝える言葉はわからないし、まして今回のように一定想像で書いたものを伝えるのは難しいです。

そもそも、それを語るための語彙が足りていないのだという自覚もあります。最近、あまり読書をしていないですしね……。

少しずつ勉強していきたいと思います。

直ぐに上手くなってそれでプロになろうだなんてことは、思っていませんが、1年に幾つずつか、ちょっとずつ書いて、そして少しずつ上手くなっていければとは思っています。

お読み下さりありがとうございました。

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