作家でごはん!鍛練場
リンダリンダリンダ

空白の教室

 廊下を歩いているときから2-B教室内の妙な静けさが、私にとってよくない兆候だということは分かっていた。だから立て付けの悪い扉を開けて、ひとり席に座っている子がいることの方に驚いた。私は入口のところで立ち止まり、「オゼキくん」と彼の名前を呼んだ。オゼキくんは既にこちらを向いていて、しかし、なにもないという顔をしていた。なにもないです。それはしばしば生徒から聞く言葉だった。私が背を向けて黒板に書いているとき、ひそやかに笑う声がどろんと部屋中に広がって、私は「なにかありますか?」と訊ねる。なにもないです。西口の顔が浮かぶ。左まぶたに薄く傷がある、どことなくすえた目をしたあの無表情な少年。
 オゼキくんが口を開いた。「先生の授業ボイコットしようって言い出して、みんな出ていきました」「西口くんですか?」「それは分からないです」「オゼキくんはしないんですか、それ」オゼキくんは首をかしげて「したいと思わないです」と答えた。隣の教室から笑い声がする。鳥の鳴き声のように校庭からも声がする。開けられていた窓からの風にカーテンがたなびいた。私は体育の授業を欠席し、ひとり教室にいた日のことを思い出す。世界と私との間に温かな緩衝材が敷かれたような心地よさ。
 私は教壇に教科書を置き、オゼキくんを見た。背の低い、変声期も半ばの二年生、肌が羨ましいくらいきめ細かく、ぱっちりとした二重。その割にはハンサムではなく、薄い唇が世の中への不平を訴えているように見える。オゼキくんは、視線を両手で開いた教科書に移している。平然と授業に入ろうとしているこの少年の方が、ボイコットした彼らより怖い気がした。君はいじめられてるの? と聞こうとして止めた。職業倫理からではなく、ただめんどくさかった。
「めんどくさい」それは口に出ていた。オゼキくんが顔をあげる。私を観察する目。子供が金魚鉢を見つめるときの目。
「オゼキくんきらいな場所ある?」私は聞いた。普段のような敬語でないことが自分でも意外だった。「遊園地です」それで行き先が決まった。


 篠原先生は真面目だと言うとき、同じ理由で真面目じゃないとも言えて、それは誰にたいしての真面目さかで決まってくるのだと思う。篠原先生はとても自分にたいして真面目なのだと思う、僕たちにたいしてではなくて。学校という場の物差しは常に僕らなので、僕らの成績、僕らの素行がはかられている代わりに先生の評価は僕らによって決められる。それが正しいかどうかなんて関係ない。友達みたいに馴れ馴れしい先生やカッとなって生徒をぶん投げる先生、体育の授業でペアがつくれなかった女子生徒と熱心にストレッチする先生、誰にたいしても敬語で礼儀正しい先生。様々な先生が客観的正しさではなく僕らの愛着によってはかられていく。生徒にとって篠原先生はつまらないのだと思う。僕はつまらないことがいけないとは思わないけれど。バスに乗って駅へ行き、電車に乗った。学生服の僕と篠原先生は周りからどんな風に見えているのだろう。授業参観の帰り道? 入学説明会? 窓に映った僕は前髪が汚ならしく伸びていた。篠原先生はさっきからK-1の話をしている。僕はほとんど知らない。アンディ・フグって選手がいて、好きで、死んだのだということは分かった。電車を降りた。ホームから少し遠くに観覧車が見えた。


 なんで遊園地が嫌いなのかを聞いてもオゼキくんは答えなかった。でも中学生くらいの子にはありがちな思想だと思った。私も派手で賑やかしい場所はあまり好きではない。けれど今は自分の好みなどどうでもいいと思った。退職したらなにをしよう、なんてことを考えながら歩いていると少し気分は軽い気がした。同時に、なんでオゼキくんを連れてきたんだろうと後悔した。ひとりの方がよかった。オゼキくんはビルにうつる自分の姿をちらちらと見ながら猫背だった。遊園地に到着した。


 ジェットコースターに乗りながら先生が「学校楽しい?」と聞いた。なんで今、と思いながら「まぁ」と答えると先生はなにも言わなかった。僕も「先生は?」と聞いた。先生は笑って、やっぱり答えなかった。ジェットコースターは思ったより迫力があって、思ったより短かった。内臓が無理矢理動かされてかすかに痛い。
 それからコーヒーカップに乗り、シューティングゲームをやり、クレープを食べた。先生の携帯が何度か鳴っていた。学校からだろうと思った。観覧車に乗ろうと先生が言った。
 観覧車のなかは音がこもっている。グゥングゥンとゴンドラみたいな音が二重三重になって個室をふるわせていた。地上から数メートル浮いたところで、先生が咳払いをした。少し緊張しているのか、と思うとなぜだか下半身が熱っぽくなった。先生は全然タイプではない。それでもこうやって圧縮されたような空間にいることでぐぐぐと二人の距離が近づいてしまう気がした。早く降りたいと思った。観覧車はバカみたいにゆっくりと動いていた。自分が進みたい速度と実際の速度との差が自意識なのでは、となぜか射精したあとみたいな気持ちで思う。僕は誰もいなくなった教室のことを考えた。生徒も先生も消えた教室で時間だけが進んでいく。そういう空間がたくさんあって、認識をこえて存在する世界があって、僕はそのすべてを見たいと思った。すべてなんか見えるわけないけど、誰も見ていないところで存在している、たくさんの場所に、僕の思いは散っていく。先生が窓の外を見て「しにた」と言った。
「教師になろうかなと思います」僕は言った。先生の眼が僕を見て、ゆっくりと口もとを緩めた。のけ反ってプラスチックみたいな窓に先生の後頭部が当たり、ゴンと音がした。

空白の教室

執筆の狙い

作者 リンダリンダリンダ
p19185-ipngn4701hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

短く書くことに留意しました。それに意味があるのかはさておき。

コメント

夜の雨
i114-189-82-112.s42.a027.ap.plala.or.jp

「空白の教室」読みました。

タイトル通りの作品でした。
主人公が二人いまして、一人は「篠原」という退職まぢかの女性の中学教師。
もう一人は「オゼキ」という世の中を見限っている早成の生徒。
話は篠原が授業のために教室に向かうところから篠原の一人称視点で描かれていきます。
授業に行った教室では生徒たちがボイコットしていて、残っていたのはオゼキ一人。
ということで、オゼキは「いじめに遭っているのか」と篠原はいいますが、このあとの展開、すなわち、オゼキも一人称で語るのですが、キャラクターが突出していて、イジメとは無関係の世界にいるような早成の少年でした。

御作は、「篠原」と「オゼキ」の一人称が交代で語られて、話が進んでいきます。
読んでいると、最初は人間の部分が語られていない(ストーリ、オンリー)と思ったのですが、読み進むにつけ「人間の表の顔でない部分が語られていきます」。
このあたりが興味深く読めます。
「篠原」の陰の部分。
「オゼキ」の少年らしくない部分。
一人だけでも結構インパクトがあるキャラクターなのですが、二人いるのでかなりヤバイ(笑)です。
本来ならこの短さで二人の人物を描くのは難しいと思うのですが、御作は二人で一人称を交代させながら描いているので、短い作品で二人の人物を描けたのだろうと思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

>僕は誰もいなくなった教室のことを考えた。生徒も先生も消えた教室で時間だけが進んでいく。そういう空間がたくさんあって、認識をこえて存在する世界があって、僕はそのすべてを見たいと思った。すべてなんか見えるわけないけど、誰も見ていないところで存在している、たくさんの場所に、僕の思いは散っていく。先生が窓の外を見て「しにた」と言った。<

上は、ラストのオゼキ視点の場面ですが、少年のオゼキは哲学的である意味大人ですが、教師の篠原は退職まぢかの年齢にもかかわらず、人生の重責を背負っているのか「しにた」(い)という言葉を発している。
もちろんほんとうに「死にたい」のではないだろうとは思いますが、人生疲れているのでしょうね。
だから授業時間にも関わらず、生徒と遊園地に来ている。

後になるほど、興味深くなる作品でした。

ちなみに「オゼキ」という少年ですが、エンターテインメント作品としてではなくて、文学系で描いているので、軽くならずによかったです。
エンタメ系で描くと、アニメのようになってしまいます。
それはそれで面白いかもしれませんがね。

また、読ませてください。

お疲れさまでした。

偏差値45
softbank219182080182.bbtec.net

>短く書くことに留意しました。それに意味があるのかはさておき。

個人的には意味がないかな。なぜならストーリーには適正サイズがあるから。
しかし、この場合は違うかな。長編だったら冒頭で挫折するからです。
正直、読みにくい。さらに視点変更があるので厄介ですね。

内容的には、ちょっと起こりそうにない誘拐事件ですね。
または、仕事に挫折した先生と個性が強い学生とのデートとも言えるかもしれない。
二つの視点で物語を展開しているので、よりクリアに見える点は良いとは思います。
けれど、結末はバッドエンドしかないんでしょうね。
結局、「やりたいことと出来ることは違う」ということかな。
人はそれだけ自分を分かっていないわけですね。

そうげん
58-190-240-140f1.shg1.eonet.ne.jp

うまいと思いました。

その場にいない西口くんのことを語る場面の挿入の仕方とか、過去をほんの少しだけ回想するシーンを入れる手腕とか、じっくり読んでいると、行間に適切な距離があるので、読み終えてみるとテンポがよかったなという印象を持ちました。これがたぶん執筆の狙いにもある、短く描くことを心掛けられたことによる長所なのだろうなと判断しました。

先生もオゼキくんも、はじめの会話がどちらも堅いので、外国人の日本語教師と、日本人の生徒なのだろうかとか、特別学級の生徒なのだろうかとか、そういう見方を仕掛けました。もうすこしこなれた会話文のほうがよいのかなと思いましたが、でも、先生はまじめすぎて、生徒にあまり寄り付かれていないタイプであるということなら、この話し方こそ、作品中にしっくりくる文体なのかもしれないと思い直しました。

マイノリティ同士の交流、という印象です。どこにも打開策もなくて、でも、遊園地の観覧車に一緒にのって、互いに違うことを考えている。先生が「しにた(い)」と言いかけるのを観て、オゼキくんは、とっさに、「教師になろうかなと思います」と言葉をかぶせたんだと思いました。それは本心からではたぶんないのだろうと思います。先生に四字の言葉をいわせたくなくて、そしてたぶんオゼキくん自身が、その言葉を耳に入れたくなくって、自分の言葉で上書きするために思ってもないことを口にしたんだとそのように受け止めました。

かれらはいったいどこへ行くんだろう。どこにも行けないし、ここからどこか遠くへ行くこともできない。こってり叱られて、また次の日から、同じ教室で過ごす生活を送るような気がしました。

ラピス
sp49-104-28-24.msf.spmode.ne.jp

雰囲気あるなと思いました。コメントが並んでいるのは、あなたの作品に惹かれた人も私だけではないという事ですね。
人真似ではない、あなただけの感性で描かれた話。二人の主人公のキャラクターも立っており、痛いほど気持ちが伝わります。
惜しむらくは少し読みにくい事かな。文章を整理して、改行を増やしたらどうでしょうか?
一文をもう少し短くしたほうがいいですよ。長文を書くと、すんなり頭に入ってこないから。
あと、教師だと気づくのが遅れました。最初から分かるように書いたほうがベターです。

群青ニブンノイチ
softbank221022130005.bbtec.net

小説的に書かれているつもりなだけであって、所詮小説的ではない、というのが個人的な感想で、どうしてそう感じてしまうのかと言えばどうしてこの二人のみを登場人物として書かれたものなのか、という疑わしさのようなことに尽きるわけで、読み手の単純な楽しみという期待に対して書き手の意欲や企みのようなものこそを信用出来そうな気がしないのだし、そもそも書き手にはその自覚がないことが容易に透けているので読書としての存在価値はかなり低いように思わされます。

恐らくわからないでしょうとは思いますが、世界のようでいて、目的に対するフォーカスは所詮狂っているはずなのでこれは書き手が俯瞰するべき世界について少なくとも要素に正確と呼べるものではないはずと、個人的には感じさせられています。
登場人物が全てを語るのかと言えばそうでもないこともあるでしょう、ということが例えば小説的なフォーカスの仕方として機能しても別段問題はないのではないのか、と個人的には考えるものなのですが、わかりますか。
個人的には、このお話の登場人物たちは雰囲気で化かすために置かれただけの木偶人形にしか見えないということです。

そうではないと、もしおっしゃられるのでしたら正しい読書が足りないのだとこちらは受け止めるばかりですから、お好きに世界を眺められたらいいと思います。

この目と書き方では、恐らく力は付かないような気がします。

リンダリンダリンダ
p19185-ipngn4701hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

夜の雨様

感想ありがとうございます。お読みいただけて嬉しいです。

偏差値45様

感想ありがとうございます。誘拐事件とは少しちがうのですが、ありそうにないというのは確かにそうかもしれません。長さについてのご意見もありがとうございました。

そうげん様

感想ありがとうございます。彼らはどこにもいけないですね。体というものがあるかぎり簡単にどこかへ行くことはできない。難しいですね。

ラピス様

感想ありがとうございます。気持ちが伝わったとのこと、嬉しく受け止めています。これからもがんばって書いていきたいです。

群青ニブンノイチ様

感想ありがとうございます。すみません、何回かコメントを読み返しているのですが、ちゃんと読み取れているのか自信がありません。私が書かんとしていることに対して、描写のフォーカスが狂っているということでしょうか。違っていたらすみません。読書は確かに全然足りてないです。
ただ、常に自分に対する疑いを持って書いていこうと思います。本当にありがとうございました。

ss
140-227-171-33.vpscloud.static.arena.ne.jp

読み始めると程なく「荒い」と感じる。情報が足りていない、シーン先行の掌編として見ても頻繁に言葉足らずだったり表現がずれていたりするようで、完読するかどうか気持ちが揺らいでくる。が、ぎりぎりの所でかたく踏み止まらせる何かが有る。それは、その荒さに均等に通っている意識つまり作品を制御している力、これが予想以上に高いのではないかという予感だった。
そもそも「短く書くことに留意」という狙いに仄かな不安と期待があったが、ラストで予想を大きく超えて期待が報われる方に傾いた。
この締めの鮮やかさで、どうまとめても取り繕うことは無理だろうと思われた不足の領域まで腑に落ちる形となり、いいものを読ませてもらった気になった。というのは、最後のやり取り「教師に~」&「ゴン」で、二人のキャラクターが丁度完成するというバランス感覚の見事さの事だ。そこを強調するためにオッカムの剃刀の「過剰」が有効に機能している。作者さんの自覚があるにしろないにしろ。その姿勢は本当に素晴らしいと思う。ただ、本作品の完成度を上げる事を重視するならば、やはり削りすぎな部分もある。わずかだが、余計な部分もある。
例えば私なら、もうすこし先生が「壊れかけ」である事を強調しておくだろう。教室が無人であることを確信しているなら立て付けの悪いドアに憤りをぶつけるように開く、(そしてオゼキは驚かない)とか、精神の偏りを示す為に病的な癖を持たせ、ストレスを感じると片方のカカトを足でガリガリとやってしまい、ヒールでもそれをやるので血が滲んでいる描写、そしてフグに繋げる、とか。まあ加える方は、やろうと思えば色々もっと素晴らしいものをはじき出せる作者さんでしょう。
逆に要らないと思ったのは「西口」の存在。紹介だけでやや濃すぎ、終息してないのでオゼキの色を薄めることにしかなっていない。この掌編としては、ボイコットするのは「他の生徒達という無表情な群体」だけでいいでしょう、もっと膨らませるなら西口は有用です。
あともう一つ、「私は体育の授業を欠席し、ひとり教室にいた日のことを思い出す。世界と私との間に温かな緩衝材が敷かれたような心地よさ。」&オゼキの語りの中の空間への言及。これは宝物ですね。
学校という集団生活用に作られた特別な空間が、ふとした時間の隙間、主たる人間達の不在等によって作り出す「余白」は、少し鳥肌の立つような位相のズレを含んでいて、オゼキのような者を魅了する。
ただこのあたりの概念は、もうちょっと深いところ小説に組み込む真価を隠しているようで、掌編に収まりきっていないような気がしますね。
 ちょっとわけのわからないような事を書いてしまいましたが、作品の狙いの姿勢は大賛成です。単に短いものが良い、という事では勿論なくて、削る視線を持ち続けることでしか届かないデザインが有りますからね。
 少し書き慣れると、己の放出する言葉が元来すべて価値あるものであるかのように錯覚してしまい、饒舌に書こうとする人が多いです。あるいはひたすらに強い言葉・尖った言葉を探し求めることをセンスの研磨だと確信する人が。
そういう上手さも確かに有って、完全に否定することはできませんが、私は作者さんのような姿勢にいちばん共感できます。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内